「湯布院へのインビテーション」- Organisation Voice 2016/02/23(火) 11:40

20160223_1132-01「営林署の許可が下りました。」九州チームからメールが。 拡大開催になった湯布院、実は地元の行政や議員さんたちからも熱いラブコールがかかっています。ということで、つまりはこれまで走ったことのない風景の中に出かけることになりそうです。 ぼくの大好きな由布市の小学校跡の大木の下のグランド。 そして、あちこちに残る古い作業道や林道を繋いで行くルート。真週末に繰り返されているルートブック作りの試走。 1瞬で走り過ぎて行く一コマに一コマに、心を込めて数度の試走を行っています。 タイムを削って愉しむのも良いし、これまでに出会ったことのない風景やその中で繰り広げる体験に心をときめかせる。そんな素晴らしいラリーを。

今回はチームエントリー対決も見もののよう。常勝チームミサキングに闘いを挑むのは。。えっと、名前が分からんけど、前田、池町、江連といった超強力メンバー!!そのほかには?? 今回のラリーは完全に花びら型のスタートもゴールも、もちろんビバークも同一。 小学校跡の施設。でもその分、10本のSSが用意されていて、たっぷりのボリウム。。 まだエントリーがお済みでない向きはお急ぎください。。。 「待つちょるけん」 ちなみにTBIは「待つちょるきー」やね。こちらは定員御礼!!


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「PRESENTATION 2016 ありがとうございました。」- Organisation Voice 2015/12/04(金) 14:47

ov20151204_1445_01急に寒くなりました。 昨夜は、冬の嵐にビビりながら「モンゴルで一晩中去らないひどいカミナリに、シュラフのファスナーを何度も引っ張り上げた」そんな夜を思いながらその実、ぐっすりと寝てました。 さて、先週は東京の発表会に多くの皆様にお運びいただきまして有難うございました。懇親会の楽しかったこと。。。 怪しい?三次会も含めて充実の一夜、でした。 翌朝ボクは、声が出ないほどになっていました。

いつもの会場ではなかったのですが狭いながらも代官山?で楽しいひと時でした。 まあ「変わる」という事はこうした会場ひとつでも、わかっていないから生じる労力=負荷がかかります。負荷は、ないにはこしたことはありませんが、負荷こそが楽しみで、ワクワクで、気がつけば筋力(または能力)が身についていくという事か。。。などと考えてみたりしています。 変わらないことは大切ですが、全てのものは変わりながら継続していきます。 伝統は、変化を好みます。 TVのCMで「変わらないねえ~」と言ってるおねえさんは、見違えるほどに太っていて・・・利休は「守破離」と言いました。守ることは概念を離れ、破ることによって、と言うわけです。歌舞伎も前衛の繰り返しで隆盛を極めてきます。 そうならばボクも、もっとアヴァンギャルドな生きざまをしようか!?と思いきや、これ以上はやめてください。とそう言われ続けた数十年でした。

翌朝は開館と同時に山種美術館へ。ここに収蔵されてる速水御舟の「名樹散椿」(写真)が見たかったのですが、特別展「京都画壇の・・・」が開かれていて残念、見れませんでした。。が、上村松園の作品などを堪能して帰ることが出来ました。 また行こうと心に留めた広尾の日曜日。。 さて、新しくなる、新しくなる、と呪文のようなぼくの2016年は、なにが新しくなってなにが古き良き時代を残しているのかどうぞお楽しみに。 SSERの高齢忘年会は今年は12月30日早朝より深夜までの1 Night。。。あの2日間48時間忘年会をするとお正月は寝て過ごすしかなくなりますよって。 どうぞお運びください。


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2015/10/08(木)  「ここだけのお話」

1年は早いものです。今年も11月末に東京発表会を予定しています。会場は、上手く調整がつかないようなので恵比寿や代官山周辺で調整中です。少し狭くなるけど。。せっかく会場が変わったのなら、あっと驚く発表会をしようかなあ、、なんて考えています。

来年はSMクラスも開設。。「全ルート走らせるのはどう?」という松野さん。。ルートは、スガワラ峠逆行&稜線のトラバースなんてできないかなあ、と思っています。そしてその先には標高2500mにある秘められた湖があり、いつかは行って見たいなあと思っていました。それが2016年に実現しそうです。

実はラリーモンゴリアは1995年に開始しましたが途中2か年の中断がありました。ですから昨年は20周年でしたが、20回記念大会は2016年。。不思議で、まだ誰も見たことの無い風景の中にルートを伸ばしていきます。あのスガワラ峠から北に向かって伸びる稜線。。試走は本番ギリギリまでできないかもしれませんが、標高3000mの稜線の過酷な行程を、劇的な風景でお届けできると考えています。

で、ここだけの話しとは、全ルートビバークはベッド!+シャワー+レストランが!!ラグジュアリーになるのか?というとそれほどではありません。「でもテントが良い」という方には、ビバークサイトももちろん用意!!なんて夢を描いています。いや、実現するつもりです。。

で、この冬のボクの買い物はIwataniのカセットコンロストーブ。。モンゴルでも今、キッチンはカセットコンロとコールマンのガソリンコンロの併用!!つまり輸送の難しいカセットボンベもモンゴルでは手に入ります。ゲルの中のストーブを点けると暑すぎるので、これくらいがちょうど良いかなあ・・・なんて考えています。

 


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2015/09/25(金)「誰もまだ見たことの無い風景へ」

ラリーモンゴリア2016から、新しいクラスが誕生します。。

それはSM-club もといSM-class・・・本日にも、このチラシが完成する予定です。
あっ、日程の発表もまだでしたね。
日程は、8月7日GRAND START→8月14日グランドゴール!!です。
このクラスはゼッケン200番台を当てます。参加可能車両は4×4のAUTOのみです。
走行距離はラリーの約半分。ラリーが4000km弱なのに対し、このクラスは1日平均250kmで8日間で2000kmです。
ヘルメットがあればそれ以外は不要!!ロールバーも不要!!
あっGPS測距のマップツインは、主催者で作成予定でエントリー費に含ませて支給しようかとも考えています。

参加費は1名につき398,000円の予定。そして車両輸送や登録に必要な金額は間もなく発表の予定です。ラリー参加者のメカニックなどのサポートも出来ますし、最前列でラリー観戦!はまさに「すなかぶり!」席ですね。

そして順位決定はリライアビリティ。つまりオンタイム制です。250kmの行程のオンタイムは6.5時間くらいの予定ですから、早く着かないようにスピードを調整してくださいね。CPも1か所あって指示速度で、通過タイムは決まりますから早すぎると少し大きい減点。遅着はは少し小さい減点を用意してます。

普通の旅行では見ることのできない風景、知ることの無かった自分自身との出会い。
いまラリーモンゴリアは、新しい試みを次々に生み出しています。
テーマは『まだ誰も見たことの無い風景へ」です。
こちらのクラスへの参加もお待ちしております。。

 


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「ラリーモンゴリア2015.闘いの真相」- 2015/08/25(火) 

暑い夏が、なんとなく過ぎ去ろうとしている。
存在感のあった夏の暑さも、消え去ろうものならすぐに忘れ去られ、寒い日の朝などは「ああ、どんなに暑くても夏がいい・・・」なんて思うのだから人間と言うのは、たいしたことがない。
ラリーもそうだ。どんなに覇を競い合って闘っていても、ひとたびリタイアを喫すると、過ぎ去った夏、のように忘れ去られた程存在になる。
だから、どんなときにも勝てる時には勝たないといけない。

さて、前置きからなにを書こうとしているか、想像がつく人も少なくないだろうが、今大会の最大の見どころであり、興奮したのはTeam HINOのクールに見えるけど実は熱く激しい戦いぶりだった。

ここのところ、抜群の速さを身に着けてきたモンゴルのAUTO/MOTO勢。そこに真っ向勝負を挑んだのは、なんとカミオン。まさに立ちふさがる!とはこのことだろう。
モンゴル勢もしばらくは、わが目を疑っていたのではないか。。

1日目のリザルトもともかく、2日目も、3日目もコンスタントに早いのである。ただ速いのではなくて、確実に総合優勝に向けてひた走るのである。それに気づいたコンペティターらは、揃って畏敬の念を抱いた。

どんな大地でも
「HINOがいたら、まちがいがない」
というくらい、ナビゲーションも超一流だ。

そして一斉スタートで見た「実は速くないんだ。」と言う事実。
これはマシン開発コンセプトに由来するのか。はたまたドライバーの考え方に由来するのか。。
前者であれば、加速性能よりもルート全体を通してもアベレージの高さを狙っているのであり、後者であれば一斉スタートの勝負意識によって起きるトラブルを考え、無理をしないというクレバーさがある。

面白い話がある。
ドライバー菅原照仁は、15年も前の一斉スタート(今回と同じ場所だ)に6×6カミオンバレーのドライバーとして
「ここだけ、思いっきり走っていいか?」
と聞くので
「面白いね。」
そう答えた。
その時は、なんと6×6はすくなくともAUTOの中ではトップを走った。

これはモンゴル勢らのマシンの変遷もあるが、彼の成長を見せるエピソードでもある。
さて、総合2位で迎えたETP7-SS2,つまり最後から2つ目のSS。
首位に立っていたのはボルドバートル、TOYOTA TACOMA Baja仕様。総合2位で追うのはHINO。
美しい湖に沿って駆け抜ける珠玉のルート。
こういうところで、こういうことが起るのだという好例が起きる。
いわゆる勝利の女神のいたずらだ。
若しくは湖から出てきた女神が「お前の落としたのはこの金の斧か!?」
と、問うているかのようでもある。

ボルドバートルは、確実な金の斧を手中に走った。そして、起きるのだ。TACOMAは、水を吸ってストップ。約50分ほどのロスをした。
これまで全くミスもなく、トラブルもない完調のHINOは、ついに最終日を前に総合1位に躍り出た。

しかしその時、サポートの15年前の菅原照仁が一斉スタートを、トップを切って駆け抜けた6×6のサポートカミオン(長くダカールのサポートカーになっていた)がビバークへいち早く到着しようとしてショートカット。なんと湿地につかまってスタック。脱出は2日かかることに。
総合首位に立った、そのビバークにこれまでワークス然としたHINOのサービスサイトは存在しなかった。

綿密に組み立てられた、機械式時計の歯車がほんのわずかだが狂った瞬間だ。
もちろん、それだからと言って総合優勝には何の疑いもなかった。
全く何の心配もないのである。

最終ステージ、つまりETAP8の朝。SSのスタートは、そのビバークのツーリストキャンプのゲート。
メカニックたちが帽子を取り、手を振って高らかに総合優勝へ、凱旋のようなスタートを切ったHINOを見送った。

スタート直後には鋭角の右ターンがある。まあ180度方向を変える。だれもが駆動系に大きなロードを掛けて、右にターンする。
HINOはやや抑え気味で過度の負担を押さえてるかのように見えた。
誰もが同じように、早めにアクセルを開けてはマシンコントロールをする。

その少し先からデューンに入って行く。HINOは、デューンに入る前から足回りの異音を聞いたという。
右後方のリーフを破損したと聞いた時に、あの鋭角ターンのせいではなかったと、すこし主催者としては安心した。
右鋭角ターンで、旋回中の加速すれば負担がかかるのはリアデフや左後ろのサスペンションだろうからだ。

砂丘の中で手中に収めた総合優勝は、するりと逃げて行った。
日本人によるラリーモンゴリアの総合優勝は、おそらく(ちょっと調べてみるが・・・)MOTOの池町によるもの以来。。しかもカミオンで総合優勝なら、こんなに面白くて画期的なことはない。

結果、総合優勝はMOTOの手に渡った。面白いものだ。

こうして、暑い夏は、あっけなく終わった。

菅原は整備して復活したマシンを西安に送った。
間もなくスタートするチャイナラリーのため西安に向かうという。

マシントラブルは、さまざまなことを示唆するに違いない。
まだ暑いタクラマカンに、さらなる成果が得られることを期待したいし、本当に
速くなったマシンと、ドライバーの腕を、たぶんKAMAZも来るだろうから、思いっきりアピールしてきてほしい。

テスト、とはいえ、勝たなければいけない。勝てるチャンスが巡ってくることは、人生の中でも少なく、それを確実にすることこそ最良のテストである。

2015/08/14(水) 「秋の柔らかな日差しの降り注ぐモンゴル高原から」

いつも思うことなのですが、旅は人を多感にします。なぜだろうかといろいろ考えてみたりもして自分なりに答えを見出したりもしました。人類に植え付けられた旅の能力や、その土地への順応力。これから険しく変化し続けるであろう地球環境や社会のことを考えるほどに、旅人であった人類はどこへ行ってしまったんだろう?と思います。

巨大都市を形成し、密集し、息苦しくないのだろうか?そこの営みのためには最も危険なおおよそ人類の手には余るような神の火を用いて享楽のエネルギーを生み出し消費し、いや浪費し続けています。

爛れた資本主義経済は、多くのことをシャンパンの泡で麻痺させているようにも見えます。イデオロギーなどという、案外人の巧みな話を信じ込んで論争し、筆を取り、やがて武器に持ち替えます。

つまり鈍感になるのです。鈍重になって、いくらそこで議論を交わしても、感受性に欠けた人々には、いま現在も、未来も、見通すことは出来なくなってしまっています。

唯一、旅人らだけが未来を見ているのかもしれません。自分たちの行くさきにある危機や恐怖を、そしてそれを超える希望を見つめ続けていると言えます。

その旅はいつ終わるともしれないけれど、突然のように今日終わることもあるかもしれません。それはこの大宇宙を旅する人類も相似形を描きます。同じなのです。そうなのであれば、どのように生き、どのようにふるまうかはおのずと決まるのではないですか。今の人びとの振る舞いは資本主義そのもののように見えます。少しお金ができると傲慢になり、そうでなくなれば卑屈になる。違いますか?

モンゴルではどこで周囲を見渡しても地平が見渡せます。ウランバートルとそれ以外の対比が、ことのほか地球的で面白く感じます。その地平には一度しかない自分の人生や、一度しかない人類の主としての繁栄も感じさせてくれます。そうしたことを感じるのは面白いのですが、歪んで見えているのは年老いた遊牧民たちと旅人だけのような気がします。

いま問いたいと思います。あなたは旅人ですか、と。

旅に出ると、多感になります。感情の振幅も大きくなりますが表面的には、都市の生活に比べると小さく見せているでしょう。だから旅人や遊牧民らは寡黙に見えるのかもしれません。おそらく彼らは心の中の自分の旅を楽しんでいるのかもしれません。

ラリーストたちの心もきっとそうなのではないかと考えています。


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Organisation Voice 2015/07

2015/07/22(水)

「時間の量で、さまざまなものが変わる。」

北海道4デイズ、素敵でしたね。

SSERが提案するこうしたラリーなどのイベントは、ほとんどが数日間の生活を共にしなければならないようなことばかり。

1日目は何となく、みんな強そうに見えたり速そうに見えて、ちょっと心配。

2日目くらいになるとバイクとゼッケンで、顔が分かりはじめて、夜の食事で席が同じになって話しはじめたり。

CPの開設時間待ちで、腰を下ろして世間話をしはじめ。ガス欠で助けてもらったり、困ってた時に声を掛けてもらったり。

微妙にリザルトなんかも話の中に。

崖からずっこけたときには、みんなで助け合って。徐々にラリーという「集う」という意味が濃厚になりかけ、その競技の輪の中にいる自分の居心地の良さが大きくなっていく。

それがクロスカントリーラリーの大きなひとつの側面。誰と戦っているのではなく、そして自分と戦ってるのでもなく。

ルートブックの向こう側にある、次の風景に向けて、またその次の風景に向けて真剣になるほどに、もう同じ大会に参加した者同士は不思議な連帯感に包まれていくという経験。

それは時間の量によってもたらされる素敵なプレゼント。

北海道4デイズは来年10周年記念大会を迎えます。10年前に斎木校長と交わした約束は、なんとなく果たせたような気がします。

「1度だけやるのなら簡単だけど、やるなら続けよう。」そんなことでした。時間の累積は、さまざまなものを熟成させて行きますが、人の心は熟成もせずにいつまでもあの時のまま。。。

 

 

 

 

 

 

 

2015/07/13(月)

「台風大接近!!北海道4デイズ・ウイーク」

まあ毎度のことながら、イベントと悪天候の関係はマーフィーの法則にも似て、悩むと悪い方に。あまり考えなくても、比較的悪い方向に、向うことが多いんです。そこでボクは「天気のことは一切考えない」という作戦に出ています。
それは良いんですが、久しぶりに考えないといけない状況に。。
というのも台風11号!北に向かう交通機関に大きな影響を出すんじゃないかということです。

本部隊は週末までには北海道に移動しなければならない!
ひょっとすると日本海フェリーは・・・
すると
「大丈夫です、欠航したら走って行きます。」
と意気軒高。。
では飛行機で入るボクタチは?
結構やばそうなので、ちょっと悩んでます。
が、しかし問題は多くの参加者!!のみなさん。
十分情報に留意してくださいね。

というのも狙いはずばり台風一過の絵に描いたような素晴らしい天候!!
40kmのSSも、森の中の柔らかな林道も、すべてが輝いてるはず。。

 

 

 

「あの!アセクラムを彷彿とさせる、スガワラ峠逆登行」- OV – 2015/06/29(月)

 パリダカール時代の話しで恐縮だが、アルジェリアのタマンラセットに至るルートにはホッガー山脈にアセクラムという難所が待ち構えていた。(赤松カメラマンのアセムスタジオというのはどうもこのあたりの名前を取った節があるのだが)標高2700mのアセクラムに登るラリーマシンたちはまるで求道者のような姿だった。岩だらけの困難な登り道でスイッチバックを繰り返していた。ボクがはじめて出たParis-Dakar1988は、なんと1000kmの行程でこのアセクラムを越える。

ガストンライエがDRZでマシントラブルで止まっていたのもこのアセクラムを越えてようやく砂の大平原に出たあたりだった。
ともかく、前の夜からラリーには緊張感が漂っていた。「何か明日はやばいらしいぞ」何も知らないボクタチは「???」だったが距離だけは「死にそうだなあ・・」とは思っていた。
アセクラムを地図で良く見ると小さなマーキングで、エルミタージュド・シャルルドフーコーの文字がある。フーコー牧師の隠棲所がそこにある。彼のさまざまな物語をこのあと知ることになるのだが、ラリーのコンボイを求道者のそれと感じたのも、フーコーの話しからだったろうか。今日の一枚はアセクラムに挑む、ガストンライエとアセクラムから見るホッガー山脈の有名なワンカット。。

さて、ラリーモンゴリア2015ではエタップ2-SS2でこの標高2700mのアセクラムと同じ、いや全く同じというよりもさらに過酷な、まあ「あのアセクラム」が待っている。試走のマシンは4.5Lのパワーを存分に使って、スガワラ峠の逆走に成功するはずだった。しかしその斜度には挑めど・・・・・・登れなかった。直登ルートが不可能であれば断念してルートを根本から直すことだ。。しかし実は少し手前から、右に巻道のようなものがあるのをボクタチは知っていた。そこは想像を絶する困難な道で、下るのにもその数キロを何時間もかかった
記憶がある。まあこれを今回ルートに採用して登ることになるのだが、なんとも大きな岩のゴロゴロした登りは苦しい。しかも標高は間もなく3000m。

この日は、あのタマンラセットまでの1000kmの道のりを彷彿とさせる。テクニカルでハードなラリーモンゴリアがまた戻ってきた。。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「梅雨の晴れ間とBIKEBIKEBIKE」- Organisation Voice 2015/06/17

2015/06/17(水)

 

 

 日本の梅雨というのは、もう少し風情があったような気がするのですが、入梅直ぐに豪雨被害というのも悲しいような気がします。
だいたいは梅雨の最期に集中豪雨とかがあって警戒をしていたものですのにね。

さて、モンゴルの試走も、北海道の試走も(ほぼ)終わり、サハリンの試走も終わったようで試走月間の6月は、あちらこちらで大活躍の日々でした。

それはそうとして、海外では急激な円安や、さまざまな要因で国際的なラリーを開催し続けることは厳しくなっています。
ダカールはもう南米で定着してしまいましたし、かつて80年代のラリーの姿を求める者も少なくなっています。

地球上から未舗装路が消えつつあり。快適で素晴らしい舗装路が伸びに伸びています。そういえばもう10年も経つのでしょうか?最後に行ったアフリカ時代のダカールでも、モーリタニアの恐ろしいほどの奥地だった(と思っていた)ティジカジャにも舗装が伸びて来てたのに驚いたものでした。

そりゃあ沙漠を越えて舗装に乗ると「オーッ!」とかって言います。。舗装路が好きなんですね、みんな、たぶん。でもそれはオフロードに対比した場合の舗装路のことであって・・・とか言い訳してます。
2007年には命からがらタクラマカンを抜け出してトルファンに続く舗装路に出たときの喜びときたら・・・

ということで、ボクはこの週末の時間を利用してBIKE BIKE BIKEの仮総集編として?買うよりも、今あるものを何とかしよう!というコンセプトで進めてたR1200GS Adventure 2007 Modelのとりあえず完成をしました。まだ試運転は出来ていませんが・・・数年ぶりにタイヤも組み替えてみると、汗と筋肉痛とで歩くこともままならないというほどの体力の低下。

でも、多くのパーツを艶消しに塗装して、バッテリーやマフラーなどの重たいものも軽量化!!(マフラーはSSERの公認申請をしてください!と叱られましたが・・)そしてガードというガード、ステイというステイを全部、外したところまでは前回お伝えしたのでしたね。ついでにハンドガードやら、ウインドディフューザーやら、で外したパーツ類の重さバッテリー含む約37kg、追加装着したものの重さ約7kg!差引軽量化▲30kg(案外いい加減に測ってるので参考にしないでね)推定車重(乾燥)200kg!!どうすか?

で考えた。「アドベンチャー。ガード外すとただのGS」タンクでかいけどね。とりあえず乾燥200kg!100PS、新規導入モデルは何となく不要になって全く持ってオトク!!でもノグチシート!2cm高くして!って頼んだら、あんなに足がべったり着いてたのに、危険かも、なシート高になってしまいましたとさ。

きょうの一枚

さあ、ツーリング!行くよ。。で事務所の中はモンゴル行の食糧や貨物で満載!みんな通関のため作業を必死にやってる横で「ちょっとエンジン掛けていい?」なんてやってるのだから、普通はあきれられると思うのですが・・・・えっ、あきれてる?
事務所の葡萄の木も、今年も元気で青々としてきました。梅雨の晴れ間は素晴らしいですよ。

 


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Organisation Voice 2015/05

2015/05/18(月)

「まもなく、北海道。モンゴル、そしてバイクバイクバイク」

気がついてましたか!?今年のお天気ときたら、日曜日を狙って雨を降らせてたこの数年とは打って変わり、日曜日は晴れ!GWもそういう訳で良く晴れました。
あまたのイベントも、良いお天気に恵まれてるのではないかと感じます。
経済効果も大きいですしね。この調子この調子。。。。
さまざまに変化し、気象までも不穏で、地震や噴火といった自然災害も活発化してきましたよね。心配は心配でしょう?心配と変化は対なのだ。

変化は、あるべきだし、なければいかん。
いかんなら、変化は予測するべきで、変化を怖れてばかりではいかん。しかし予測できる変化というものは変化ではなくて、変化はいつも突然で、いつも驚異的である。(ピーター・タスカ)さて、大阪もそうです。どこかがテレビのCMで「強いものが生き残ったのではなく、環境に変化したものが生き残る。」そう確かシャッター屋さんか?
変化には弱いんだ、人間は。

変わるということは些細な事でも、それが良くなるということでも嫌なんである。
でも変わらなくて近い将来(遠い将来かも)あの時に変えておけばよかった。。。
と思うことばかりだ。

さて、変わると言えばバイクバイクバイク・・実はリミットは6月なんです。
少し結論めいたものが出てたんですが、実はKTM。
しかも予想外の・・・250EXC SIXDAYS・・・
105.5kgだし。キロ1万円くらいだし。。ああ欲しい。。2stもいいかもと、全くこれまでのオハナシの「オフ車じゃなく・・・」なんて根本からぶっ飛んじゃいましたがな。
でも「これこれ、これ買おう」と思ってたら、春木さんは買うし、菅原さんが乗ってるし。。そんならばと菅原さんに「買い換えるときは譲ってね」とお願いしたのでありました。

そんなこんなで、ほぼBIKE!BIKE!BIKE!は妙な終結の方向

と思うでしょ。
ところがボクの川内ファクトリーでは怪しい動きが。。
「アドベンチャー!ガードを外せば、ただのビッグタンクのGS!」

をテーマに。というのも「GSもありかなあ、でも20Kgという目標値もあるしなあ。。」と考えた形跡もあるのだ。

ということでカタログスペック260Kg(燃料込)のアドベンチャーをばらすことに。

260kg-ガソリン分30kg=230kg・・・仮に現在はその重量として外しましたがな(写真)パニアステイ左右で3.12kg / リアキャリアやタンクガードにEGガード、アンダーガードに、とにかくはずせはずせ!で、外しまくり!!
ステイ類18.5kg(思いのほかに軽かった)、このほかにボルトナット類もありますが。バッテリー5kg、サイレンサーも5kgで合計マイナス28.5kgということは、ただいま201.5kg。。。まあリチウムバッテリーが1.5Kgと、サイレンサーは立場上滅多な事は出来ないけどメーカー純正指定のアクラボビッチは何キロかなあ??
ということで、なんとか200kgには大接近。。

はあ、忙しいのにこんなことばかりやってるけど、叱られないのは、やっぱり60歳を過ぎたという特権かもしれんね。

バイクの全身像は、また今度ね。

2015/05/11 (月)

「なぜ、Iwasaki-motorsのハーレー883ラリーマシンに人気が集まったかの考察から見るボクのバイクバイクバイクその15、、、長っ。。」

TBIでは「ブルーアイランドトロフィー」というのがあって、これはさまざまな角度で見たその大会のまあMVPに贈られるのです。。

順位を競い合うなかにあっても、良きライダーとして、良き人間としての姿を見せようという、ラリーの黎明期のSSERの目指したものでした。
つまり最も栄誉ある賞として競技成績とはまた別のところを顕彰しようと第1回大会から設けられています。今度歴代受賞者の一覧表を作ってみよう・・

その選考基準は、実は過去には役員で協議してたのでするが、
ここのところは「決めてください。」
ということで、ボクの一存になってしまってるのですが、
「それは違うんじゃないの?」
という反対意見は出たことはないので、
しばらくはこんな感じで選考していくことになると思います。

いや実は今年のTBIは参加者が少なかったこともあって、
参加者を良く見ることも出来ました。
そしてみなさん素晴らしいんです。。でも岩崎有男に決定!!

ここからは「バイクバイクバイク的に」

ではなぜ今回はハーレーを改造して(この時点で参加の可否についてはさんざん議論された)参加した岩崎君だったのかを解き明かしてみたいなと。

TBIのレギュレーションは、基本的に改造を禁じているのです。メーカーによって(つまりメーカーに責任を・・・)生産された車両を限りなくストックの状態で走らせることをこれまでは主眼としてきたのです。レギュレーションで該当する項目は次の通り。

2)車両改造の範囲
車両改造は原則として認めない。ただし部分的に法規制範囲内であって、その改造が公示にある「精神」の解釈における主催者の判断において、その範囲にあると容認できる場合は、これを許可する。最も重要な件のひとつは、純正サイレンサー又はSSER公認サイレンサーを装着し、かつその機能が保持されていること。
また車両からそのほかの騒音や、威嚇的で不用意なグラフィックなどではないことなどが要求させる。

2)-1 法規制範囲内であっても改造が許されない箇所
○エンジン (シリンダ、シリンダヘッド、クランクケース、オイルパン、ギアボックス)
○フレーム
○サイレンサー (サイレンサーはその機能が保持された純正品又はSSER公認品に限る)
○排気系 (エキゾーストパイプ、チャンバーを言う)
○著しく外観が変更されているもの。威嚇的なグラフィック等は禁止される。

誰がどう読んでも、ハーレーがスタートラインに並ぶのは至難だとみるのが普通です。これまでの通例では、おそらくNGだったでしょう。それを許するしたボクは悩んでました。

さて議論されて出場が許可され、あとは車検員による現物の検査です。実はボクもドキドキしてましたが検査員も顔がほころび、楽しそう。
つまり、一発OK!です。ボクがなんか難癖付けたような記憶もありますが。。

近年、バイクのカスタム化が急加速しています。それは、いかなるモチベーションなのかを問おうと思います。
先述した、メイカーの送り出すモデルに対する信頼があった過去に対して(つまりライダー<メーカーの時代が長かったということです。ここにきて急速にですがライダー>メーカーになってきてしまったということかもしれません。
そしてライダーたちが求める「スペシャリティ感」はもはや大半のメーカーがそれを実現するのは不可能になったということでしょう。
メーカーが発表するバイクは、一様に最大公約数的ライダーに向けて作られていて、少し変わったモノを発表するとみんな酷評するのですからメーカーも「どないせいゆうんじゃ!」みたいな気分にはなるでしょう。

そして、もうメーカーの吊るしでは、満足できない人が増えた。服は既成服を買ってもバイクは「いかん」となって来た。家はセキスイハウスを買ってもバイクはカスタマイズだ!ということになった。
これは人と同じではだめなのではなく、冒険がしてみたくなったということかもしれない。
急速にスクランブラーなどが溢れはじめて、自由なんだか不自由なんだかわかりにくいバイクライフが溢れかえった。そんな中で、誰もの度肝を抜いたハーレーが、ミラーが振動で折れたくらいで完走した。成績も悪くない。

なんだろう、この自由で、抜けた感じは。
なんと言えばいいんだろう。。全てはアプローチを変えるだけでこれほど楽しくなるのだろうか。。肩より高いハンドルにぶら下がって運転してるハーレーも、こうしたらダートを越えて3000Kmの道のりを6日で走り切れるんだと思えば、なんとも気分が良いぞ。こうして、TBIは懐がまた深くなったかも知れない。

なんて考えながら事務所を出たら、なんだか変なスクーターが止まってる。どこかで見た顔だ。

2015/05/07 (木)

「TBIとバイクバイクバイクその14かな?」

今年のGWのお天気は、ただ晴れただけではなく黄砂の少ない抜けるような空が印象的な日々でした。イヤービックリ!!

そんでもって最終日の最後のSSは、ボクの最も好きな林道。どうしてもここをそのようにしたくて最終日も長いルートとなってしまいました。その亜熱帯のような林道には、シダなどが繁茂し、路面は散ってしまったツツジのピンクの絨毯がところどころ。そしてSSを抜けて太平洋に出るや、目の前の水平線に満月が浮かんでいるという、もうどこをどうしたらこれほどまでの情景と心の動きを彩ることが出来るの!?というほどに精緻なルート(実は偶然ですが。。。)もう一つ驚いたのはゴール。ライトアップされた建物は、まるで千と千尋のモチーフかと思うほどに、妖しい感じ。そう、そのように西行を巡る旅は、SSERの過去最大傑作なイベントの一つとなったのでありました。

ボクは道すがら、さまざまなことに思いを巡らせては閉会式で爆弾発言。「来年はダート1000km!1キロ走るうちの500m!10キロ走るうちの5キロ!100キロ走るうちの50キロはダート!!」そして、「ウォー!」という歓声!!しかし本当にそんなルーティングが出来るのか?とすごく重たい宿題を抱えてしまって・・・でも、いつもそうした課題に挑む姿がSSERだったなあ。。としみじみ。たぶんボクも、あなたもこれは大変な事です。

さあて、地図をにらみながらぼくらの挑戦はまるで30年も前の時のような気分です。そして、バイクバイクバイクは、岩崎モータースの883エンデューロという、摩訶不思議なバイクの登場で心は穏やかなろうはずがありません。それにしても壊れなかった883はお見事でしたねえ。

「BMWで作りましょうよ。」
「なにを?」
「なにおって、スクランブラーですよ。」
「スクランブラーねえ。。」

続く

きょうの一枚

林道とゴールにあった栴檀の巨木。。人生は豊かだわい。

 

「ダカールとは、なんだろう。~実は上手く行かないことが多いということ。」- 2015/01/15 (木曜日)

いま南米ではダカールの熱い闘いが終盤戦だ。
さまざまな思いが、さまざまなカタチで幕を閉じる。
それはダカールに限ったことじゃないけど。
年末年始に繰り広げられた、あまたのスポーツ。
頂点に立つのは、わずかに1チームのみだ。
その針の穴ほどもない歓喜の経験をする者は、そのスポーツに恐るべき情熱を費やした者の、本当に限られたわずかだ。数万分の一か、それ以上の確率だろうと思う。

常勝のシリル・デプレもペタランセルも、新しいプジョーで苦しんでる。
あれほどの経験をもってしても、上手く行かない。
そう、スポーツの現場はダカールに限らず「上手く行かないことの経験の場」だ。
上手く行かないことは、良いことなのだ。
人生なんて、そう上手く行くことは無い。
確率的に見て、そうだということが判る。

少しむかしばなし。
パリダカの時代。
GPSのない時代のことだ。
つまり、特に上手く行かない時代のことだ。
主催するティエリー・サビーネは「冒険の扉を指し示すのみだ。望むなら連れて行こう。」そう言った。

そのティエリーの死後2年。88年の第10回大会がそのピークだったろう。100名にも及ぶ日本人参加者と、大勢のプレスがいた。ボクもその年に初出場を果たした。
ベルサイユ宮殿のポディウムは、幾万の観衆で埋め尽くされテェリーの好きだった?サーチライトが夜空を切り裂いていた。フランス語で選手を紹介する絶叫が、まるでサーチライトのビームに乗せられて世界中に響き渡っていた。
そこには熱狂があり興奮があったが、参加者の胸の奥には黒々とした不安もあった。まあ、それが冒険というものの特性だ。

出場していたとはいえボクタチはその様子をベルサイユの上手く予約のとれたホテルの部屋のテレビで眺めていた。歩けばパルクフェルメに3分と掛からない。
いずれにしてもボクのスタート時間はまだまだずっと先のことだ。
それは別世界の出来事を、遠くテレビ中継を見るようだったが音声はテレビの中からと窓の外から微妙にズレて耳に届いていた。

心地よさと、不安と。その数時間は、得難い体験だった。それ以降の大会でももちろん緊張はしたものの、この1988年1月1日の未明から続くスタートの興奮は、ボクの人生の中でも特別なものとなった。

しかし、あれはいったいなんだったのだろう。
スタート台に着くまでの1年間の熱狂の日々は。

あれから随分と歳月が流れた。
ボクは1992年のパリ-ルカップ、同年のパリ-北京で、一度マシンを降りてモンゴルのゴビ砂漠で、1988年の熱狂を糧にラリーの開催に取り組んだ。
ラリーモンゴリアだ。
確か2年目の1996年。
一人の少年がラリーに参加したいと、関係者を通じて話があった。少年の名はボルドバートル17歳。レギュレーションの出場資格は18歳以上だったので随分と議論が交わされた。ボクは終始「NO」を突き付けていたのだが。

さてそのラリーモンゴリアでは3人の日本人の総合優勝者名が刻まれている。
それは、博田 巌、三橋 淳、池町 佳生。。
同時代に生まれた、ライバルというか数奇な巡り合わせに生きた男の子3人だ。

やがて彼らは、ダカールへと巣立った。
彼等は初出場の時点で、その力を発揮した。
過去の記録を軽く塗り替え、ヨーロッパ勢に対して非力な体制ながら3名が3名とも互角以上に戦いあった。

ひとつ不思議なのは、同時代に生きながら3人とも、いずれも同じ大会に出場していないのである。モンゴルでも、パリダカでもバイク時代には一戦も交えていないのではなかろうか。

今モンゴルで敵なしのボルドバートルはといえばダカールでは苦戦続きだ。前出の3人と比べればマシンそのものはヨーロッパ勢と互角だし、ラリーの経験は充分でモンゴルでは勝利をほしいままにしているしダカールは3度目だ。
しかし彼らのように実力が出し切れていない。
上手く行かないのだ。
上手く行く、と上手く行かないの違いはどこにあるのだろうか、と考える。

きっと勝つことへの執念は、3人に劣らない。
準備の進め方も、彼ら以上に慎重で丁寧だと思う。
技術やスピードも互角だ。
しかしうまくレースを運べていない。

「ダカールとは、いったいなんなのだろう?」
と、考えさせられる。

前出の3名の日本人は初出場以来2度ずつだろうか、必ず15位前後で極めて非力な体制で走り切っている。

いっぽう3度目のボルトバートルは、やはり苦戦している。
ダカールとは、ほかの競技と同じくメンタルの闘いなのだ。しかもダカールは多くのものに「その人生」を賭けろ!と強要する。
年に1度のイベントに人生を賭けると、浦島太郎の玉手箱の中に入り込むほどの時間の犠牲を強いる。そして、気がつけば体力も気力も衰えている自分に慄然とする。
こうしてメンタルとは、精神力のことととらえられがちだが、ダカールで言うメンタルは1年間費やした非情さのことだとボクは考えている。
非情、とは言葉が悪いけど、大きくは間違っていない。それは膨大な時間の量の逸失のようなものかとも思う。

そしてさらに加えると、ボクは3人の奇跡のようなラッキーを何度か目にしている。
エンジントラブルで辿りついたビバークにのみ届いていたたスペアエンジン。とか、優勝を手からこぼしたと思った瞬間に、遊牧民のポケットにあった探しても見つからなかった同サイズのボルトとか。

結論を言うと、結果をもたらすのは、やはり女神の存在かもしれない。


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「ブエノスアイレスから。」- 2015/01/05 (月曜日)

明けましておめでとうございます。
この時期になると携帯の着信を深夜にもマナー解除にしておかなければならない。
昨晩も10時ころに(いつもなら気がつかないのだけど)電話!!なにか鳴り方で内容も分かるというものだ!もちろん「通知不可能」のディスプレイ。これはまぎれもなく菅原さんだ。
「あと1時間後にスタートです。昨晩は大統領府前でセレモニースタートをしたのだけれども、老若男女が詰めかけてサイン攻め。大統領府前ですよ。。この盛り上がりはとにかくすごい。日本ではあと100年かかってもこうはならない。」
要約するとそういうことでした。

毎年恒例の会話だ。

なにか盛り上がらない日本のモータースポーツへの憤りをこのスタートでは毎回感じるのだという。

「いやあ、このまえは箱根ターンパイクを貸し切ってヒルクライムがありましたから、これからですよ。」「そう、それはすごいねえ。でもまああそこは民間の所有だしね。昔は借りてよくヒルクライムしたもんです。」「・・・・・」すこし時代が巻き返しただけなのだ。

ともかく今年も無事にダカールはスタートした。
Team SUGAWARAの1号車は、超ど級の加速ポンプに匹敵するナビを得て、頑張るに違いない。マシンの進化の著しい2号車テルヒトは、マシンにトラブルさえなければ上位に絡むはずだ。とにかく注目!!そしてTOYOTAの三橋も円熟期!!で、なによりも気になるモンゴル勢は、ラリーモンゴリアのMOTO/AUTOの首位グループを形成するメンバーでの参加!!3人乗り?は「???」だが、初めてAUTOでMOTOを抑えて総合優勝したやつらだから、きっとアッと言わせてくれるだろうと期待は高まる。。
それにしてもラリーモンゴリア20年の歩みは、ここまでやって来たのだ。。。
感慨深い。本当に。

きょうの一枚

話しは変わってリンドン。いまはベトナムかタイにいるみたいだけど、旅は続いています。そしてFrmの最新号には彼の旅が紹介されるそうな。。ボクとはケンカ?ばかりしてたけど、旅の無事を祈ろう。


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「今日もボクは考える、ゆえにボクあり。」- OV – 2014/12/08 (月)

四国に大雪がやって来て1週間前に駆け抜けた剣山周辺は、すっぽりと雪に覆われてしまい孤立が続いています。走りながらも、道は立派になりつつあるけどこの辺りは、この1本の道しかなくて、しかもあの険しい峠を越えないと往還できない秘境中の秘境だよなあ。。なんて思ってましたから、その数日後に起きた大雪被害に驚かされてしまします。
被害が小さいことを祈ります。

そうしたルートを走るツールドブルーアイランド
思わず四国の秘境を目にします。
その第1回大会は1989年でした。

昭和天皇が崩御され元号が「平成」と改められた年の4月のこと。
いまだ瀬戸大橋もなく、四国には高速道路もありませんでした。
まさに未開の島、つまり秘境を旅するブルーアイランドでした。
ボクもまだ若かったものですから、さまざまな会に呼ばれます。
特に観光のシンポジウムのようなもの

そこではみなが異口同音に
四国は道が悪いから。
四国はアクセスが悪いから。
四国は、四国は。。。

そこでボク
「いえなに、橋や高速なんて、無いほうが良いんです。」
一同唖然
「アクセスの悪い、大きな島、って魅力ありますよ。道が悪ければ、その悪い道はそれなりの愉しみ方をすればいい。時間で地図を書けば四国は北海道より大きくて広いんです。」
皆ふたたび唖然。
TBIは、ボクのそうした考えから、四国は広い。鳴門から足摺岬まではあの当時で10時間かかりました。
いま?いまは5時間くらいでしょうか。

そして、そのころは林道だけは無限とも思えるほどに存在しました。
事務所から、裏の土手を通れば往復200km以上を繋ぐ、いやもちろんごく部分的には舗装も挟みますが、長大なダートルートが容易に完成してたのです。
やっぱりすべての道は舗装しなければならないのだろうか?
本当にそれが環境に良く、人々の暮らしを向上させてきたのだろうか。と良くそう思います。

山間の舗装路の幾つもが、仮にそれが県道であれ、稀には国道であれ道路中央部分には苔が生していて、人の往来も途絶えた道も少なくありません。

ボクが高校生のころには「四国の山を守る会」というのがあって、石鎚スカイラインの建設の反対運動に参加してたことがあります。しかし、道路が完成するやバスを仕立てて、そのバスに乗ってスカイラインを走り、ところどころに停まっては道路の左右で生態系が変わってしまった!などとやるわけです。
その頃から天邪鬼なボクはポツリと
「この道路に反対なら、使わずに歩けばどうだろう」そう言いました。一人のお年寄りが
「歩いたら君、登れないじゃないか」と。
ボクは「反対運動とは何か?」しばらく悩まされました。

なにをしても反対する人がいます。
それはそうでしょう。
行為には、必ず利益を得るものと不利益を蒙る者がいます。不利益を被る人の中には攻撃的になる人も居ますが、それをたきつける不利益になっていないけど、なんでも気に入らない!という人がいます。
近年そうした人たちが増えてきています。

誰かが言いましたが「不機嫌な時代」だと。
不機嫌な時代とは、自分の知らないところで色々なことが決まって進んでいく時代のことのようです。
「一言、言ってくれていれば良かったのに・・・」
これもまた良く聞く言葉です。
「知らされていなかったから許せない。」
知ってさえいれば協力したのに?というわけです。
既知か不知かの差は、それほど大きなことになっています。

松山には「坊っちゃん列車」という電車が走っています。
ある観光の関係者の会議で、これを東京駅とかどこかにポスターを貼ったり観光キャンペーンをやる!と言っていました。

ボクは「止めたほうが良い」
というと、やはり皆が色めき立ちます。
「どうして」
「知らないほうが良いんです、知ってそれを見に来た人は、がっかりする。本物ではないし、電気で走ってるし。それよりも、そんなことを知らずに松山に来た人が、これが走ってるのを見ればそれはびっくりする。そちらの方が価値は高いのです。」
「でもそれでは人が来ない。」
「そんなことは無いし、そんなもので切る人はたかが知れてますよ。」
二度とボクはその会議には呼ばれなくなった。

どうも本当のこと言うと、ダメらしいんです。
「うちにポスター作らせてください。」
とでも言える人にならなければならないのですが、さすがに遅きに失しました。

でもボクは考えるんです。
無駄だと思うものにかけるエネルギーと、無駄だと思うものネルギーをかけないことの差は何か?
その「無駄だと思うこと」の価値観を決定づけるものは何か?
ここらあたりを来年あたり解き明かしたいなあと思うんです。

きょうの一枚
「価値観の相違」という簡単な言葉でくくられること。つまり無駄だと思うことにかける情熱の違い。無駄だと思って、価値があるはずのものを見切れるのもまた情熱のようなものが必要。今日もボクは、また訳が分からなくなる。


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「R439チャレンジとは?!」- OV – 2014/12/03 (水)

この土日の2日間、R439チャレンジを敢行しました。
「それはなに?」
「秘密です。」
ということでしたが少しだけリークします。

R439は四国をまるでたすき掛けのように走る国道です。TBIの主要なリエゾンルートとして知られ、いや畏れられて、巷間では「酷道」とか「与作国道」とか、愛情と悪意に満ち満ちたそれはもう愛すべき道です。しかし少しだけ残念なこと?に近年は2車線化なども進み、あの酷道部分の比率は下がってしまいました。またいくつかの国道と重複して表示されて、まるで与作の看板を出来る限り表示したくないというような悪意?まで感じます。そしていくつもの3ケタ国道が交わり197いくな酷道!も、存在感はたっぷりです。いやそれでもいまだR439のスペシャル感というか巡礼の旅感は健在です。

しかしこれをモダンなモーターサイクルで走破するのは、もはや未舗装部分もなくなり対向車の恐怖から身を守るディスクブレーキでも着いていればSSERを知る諸兄には造作のないことでしょう。
ところが、ここに60年代から70年代のマシンを持ってくると、350kmの道のりは全く違った表情をみせます。
ボクタチは鳴門にある大塚美術館をスタート地点にして(前泊はホテルルネッサンスリゾート)ですが・・・
しばらくは主要国道を走ります。
徳島市の手前から右折して県道12号線で吉野川北岸の歴史街道をひた走ります。ボクは74年製のDUCATI Regoralita125、40歳のマシンです。混合気が合わずしばらくはスモークを吐きながら走行。さらにギアの噛み合わせに難ありでコツを要して難渋、さらにタイトな道でのブレーキングに苦労しながら前へ進みます。

すると、なんということでしょう!(サザエさんの声で)急にスイッチが入ったように楽しくなってきました。止まっては笑い、走っては笑う。ああ、なんという自由!なんという解放感。しかしそれにしても操ることの難しさゆえの楽しさなんて、忘れてました。足の甲では絶対入らないシフトは、常に踵でするのですから左足はすぐにパンパンに。マシンから降りると左足はもうボクの足では無いような感じです。

道は剣山に向かってタイトターンのきつい登りが続きます。標高もずいぶんですから本番では難渋すること間違いありません。「えっ、なんの本番かって?」京柱峠は相変わらず落ち葉の絨毯が良く濡れて美しくもスリッピーなタイトワインディング。

とまあこれ以上書くのもいやらしいのでこのくらいで少し結論。

実は、来年の11月には、「MOTOGIRO Del GIAPPONE 2015」Classics Motercycle Raid & TTの開催をイタリアの主催団体Terni Moto Clubと調整をしています。レギュレーションの共通化という難点がありますが、それでも日本の事情に合わせたものにできると思います。

本家モトジロ・デ・イタリアは長い中断がありはしましたが。2014年の今年100周年。イタリアの友人のコモ湖の別荘に、大量に並ぶキラ星たちの「どれでも乗っていいから一緒に出場しようよ。」という甘い誘惑を我慢してのR439チャレンジ!充分満たされました。次は春に再チャレンジ。TBIにもヒストリック部門を用意しましょうね。

この大会の運営と企画には、椎名泰三さんと桐島ローランドさんも参画していただいています。

では。

 


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「初心に、還るべし」- OV – 2014/11/25 (火)

何事にせよ、取り組もうと決意した時のあの思いを忘れてしまっていることがある。
あの頃の思いこそが、夢だったはずだ。
言うところの「初心、忘るべからず。」だ。

しかし、時にこれを忘れる。
独立して業を起こそうと思った時の思い。
その思いは毎日毎夜の徹夜さえ厭わなかったではないか。

パリダカに行こうと決めたころの思い。
その思いは大量の企画書を背負って、真夏のアスファルトに揺らぐ陽炎の中を、
来る日も来る日も、スポンサー獲得に駆け回ったではないか。

そんなことならいっぱいある。
いっぱい新しいことに取り組んできた。
「そんなの無理だ」
と言われるほどに燃え上がった。

新しいことはやがて、普通のことになり
普通のことは退屈なことになるのだ。
しかし、本当にそうか。
こんなに豊かで刺激に満ちた人生もそうないのではないのか?
そう思いながら今朝は事務所の鍵を開けた。
ボクが一番早いのだ。

NHKの朝の連ドラなんて観ないのだが、
モンゴルにいるとNHKのワールドプレミアムで、見るようになるのだ。
そして今朝、ぼくはドキッとした。
「日本人にはできない・・・」
なんだとお。

20年もその少し前
「日本人で初めての砂漠のラリー(いわゆるラリーレイド)を作るんだ。」
と言ってた頃。
パリでは
「日本人がラリーをするらしい」
というわさが流れた。それはFIMに申請を挙げたからだ。
「それは無理だろ」「日本人にそれは出来ない。」
そういうふうに言われていた。

さらにその前は、ボクは四国からパリダカに出ると言った時。
TBIをやろう!と言った時。
出来ない理由なら、いくらでもあった。
「どうやって1週間のコマ地図を作る?まあいい、仮に作ってマップホルダーがない!!」
「無ければ作ればいい。」

そうだカーボンホイールにも情熱を注いだ。
炭素繊維の自動車部品研究会を産官学で作った。
もう15年以上前なのか?東レのドアを叩いた。
何度も断られた。
ボクは「10年後日常を走るクルマは、軽かハイブリッドかディーゼルだけになる!
その時には軽量化は最大の課題になっている。」と。
予言は当たらなかったけど遠くもない。
「中国に日本と同じモータリゼーションが来たら地球はあと2個はいる。」
そんなに急激な発展は無いよ。とも言われた。
まあ、頁岩があるから100年は大丈夫。。
「では二酸化炭素はどうなのか?」

議論は熱かったし、面白かった。2020年研究会なんてのも作った。
2020年の全地球的な食糧難問題をどうするか!?などという、
とんでもない議論が交わされていた。オマエハセイジカカ?

ボクたちのカーボンの研究は、そののちに違うカタチとなって世に出始めたようだ。
でもこうしたレーシングなイメージの高価なものではなくて、短繊維の熱可塑で
1分で1本、重さ1kgで単価1,000円でできるものを!目指していたはずだ。
カーボンを意匠で使うのは、もういい加減にしないといけない。
と15年前に言い放っていた。

なんて考えるうちに熱くなって、初心に戻りつつある今日。。

きょうの一枚
ネットで拾ってきたカーボンホイール。。。うーん。

 

「イタリアからの手紙」- OV- 2014/11/19 (水)

もうすぐ師走。
ほんとうだろうか?1年は、こんなにも早く過ぎ去っていたのか。。こんなことなら人生なんて、居眠りしてたら終わっちゃう。
特に最近は眠たいから、起きてる時間なんて、もうそう残されてないぞ。。
高倉健も鬼籍に入った。
1988年の時のパリダカで撮影中の姿を見かけた。
考えてみれば、あの役回りが実は菅原さんの今の姿かもしれないなあ、と考えていまさらながらに菅原さんに敬意を表してるボク。

健さんは、日本人の唯一頼れるカミオンのドライバー、そんな役だった。ということは、実は菅原さんは(あの時はエキストラのドライバーとして出演していたらしい)あの高倉健を目指して生きていたのか?とさえ思う。
カッコ良すぎる。

で、まあ短い人生だから先を急ごう。
2015年。31年以降の第3世代のSSER ORGANISATION、どういう性分か!?またぞろ不可解な活動を始めている。断片的にしか語れないのは残念だけど、あの30年前の夜の闇に潜む不思議な昂揚感に挑んだ時の感覚に似ているから驚きだが・・・

その一つは、ここのところのイタリアのイベント主催団体とのメールのやり取り。
これは1987年の春にTSOにレターを送った時の気分に似ていた。
あの時SNSやメールなどがあったなら、なんとも儀式的な部分が欠落していたかもしれない。

いまはもう「ポチリ」という、一瞬の手続きでものを決するのだそう。ボクは、自分の書いたつたない英文を何度も読み返し、何度も住所を見直して、自分の足で郵便局へ行って、さらに浮世絵か何かの切手を選んで、拝むように係のおばさんに手紙を差し出した。

ボクの人生の大きな挑戦のひとつは、そんな儀式的な心の動きからはじまった。
1か月もしたら、レギュレーションの入った分厚い封筒が届いた。
鼻に近づけて、その郵便物の匂いを嗅いで、
パリのオフィスでボクの宛名を書いたであろう女の子のことを想像したりした。

さて、それはともかくいくつかのNew Eventがいよいよ本格稼働期に入った。
忙しくなるぞー!!っと。

間もなく発表できそうなので、このくらいでお許しください。
えっタイトルのイタリアからの手紙とはなんのことか?答えはまた今度。

きょうの一枚
昨日は天空のトレイルに居ました。素晴らしい時間。霧氷がいっぱいだったので、
よしあとで撮ろうと思って忘れてたら、まさに霧散してましたがな。

 

「たしかに、小人は閑居しては不全を為すなあ。。」- OV – 2014/11/07 (金)

ボクはいわゆる論語のファンではないんだけど、いつの時からか
「われ十有五にして学に志し 
三十にして立ち 
四十にして惑わず 
五十にして天命を知る 
六十にして耳順い 
七十にして 心の欲する所に従いて矩を踰えず」

というのを、とても意識してきた。
15の時に学を志し、というのは全くなくて「岳」を志したときに15歳だったから勝手に「われ、15にして岳に志し」と、山に登る日々に明け暮れた。時間がない時は家の近くにある岩場のゲレンデを登ったり下りたり。。

まあその話はいい。
30歳にして、会社を辞めて独立した。なるほど「立つ」とは独立のことだったか?
と不全な事を「立つ」と考えていたボクはここで少し大人になった。
40歳の時にモンゴルでのラリーをスタートさせた。
当時、仕事は広告業とラリーの主催とが、二足のわらじのようになっていた。

広告業を本業と呼び、ラリーなどの活動は趣味の延長だが、仕事として取り組まなければ存立しまい。と考えたのだ。そしてある日のこと、本業の大勝負!これが決まればラリーなんてやってられない!という日の決定的な朝。

ふと
「40にして惑わず」というフレーズが降りてきた。

「自分は迷ってるのではないか?」

その思いが、葛藤から解放された一瞬だった。生活苦はここが分水嶺であろうか??
不惑の歳ならぬ、不惑の時だった。

広告業なんて、みんなやってるし、コンペで負けても勝っても、完成してくるものなんか「あれ、落ちたはずのうちの案?」なんてことに嫌気がさして「コンペはしません」「じゃあ、なんでグローブコンペティションなんて社名なんだ!?」

「あっ、いやそれは。。。」

で10年も経った50歳のころ。
モンゴルも10年目の2005年ころかな?
「北京をスタートにする多国間をまたぐラリーにする!」
とか息巻いて、北京やら内モンゴル周辺に不毛で困難な交渉を展開する。
がぜんパスポートは中国のハンコだらけになった。

悩んでた。あるべき理想が遠かった。
2007年は、1907年の北京-パリの100周年だというのに。。。

そして、やがて北京からパリやローマに行く旅に出る。仕事をほったらかして。
ロプノールやアラル海や、チョモランマのBCやらで
「やっぱりこれがボクの天命たる仕事だろうなあ」
とつくづく考えた。
孔子は、ともかくだけど・・・

そして迎える還暦、、もう2か月ばかりだけど
それは「耳したがう」つまりやっとこの歳になって人の言うことに耳を傾けるようになるのだという。なるほど「少しは、みんなの意見も聞いてみるか」と、そう思うに至ってるもの。

で、あと10年後の70になれば、どんなに好き勝手をしても則を越えないという。
菅原さんを見てると、案外そうでもないようなそうでもあるような。
迷惑をかけるのはただただ、記憶力の不確かさで
「そんな話は聞いてない!」
で、結構逃げられる。
まさに小人閑居状態の本日は暇なり。

きょうの一枚

ブルーアイランドの海、夕景。

2014/10/30(木)「アチャー、来年も時間が取れないかもだ。」- OV

12月13日の発表会(おしゃれなことに、プレゼンテーション2015というのだ。・・・本当にボクはいつからこんなに横文字ばっか使うような人になってしまったんだろ・・)業界が悪いのかなあ?

「コアコンピタンスが、ダイバシティで、コンプライアンスの問題で、コンシュマーリレーションマネジメントが破たんして、デザインシンキングがディ-シースリーなんです。・・・」ほとんどバカです。かと思えば「CRMがCSRの問題で・・」と書きはじめたけどやめた。

で、話を戻すと、実は来年は壮大な旅を計画しているのでありました。名付けて「還暦記念赤いちゃんちゃんこで行く、中国奥地大縦断!ジムニーとカブの旅」まあ赤いちゃんちゃんこは、おしゃれなダウンベストにしてもらうくらいのことは簡単で、って、今日の一枚参照!を着て、でもモンクレールは嫌い!!なんの話をしてるのか意味不明ですが、あと中国産の125のバイク買って走るのもありかもなあ。。

で・・・還暦の人たちと言えば赤松カメラマンや石原孝仁(いやひょっとしたら彼はまだかもしれない)たちと、西安から敦煌、さらに南下して四川、雲南省の少数民族の村と、あの気の遠くなる棚田を背景に少数民族の女の子の絵を撮って、、。チベットへ抜けて中尼道路でカトマンドゥ。。。

「許可はOKです。」
と連絡あり。。
「うーん。いつ行く?」

と悩んでるところにコーノさんたら、スコットランドの湖水地方をクルマで巡る・・・と言うし。で、来年は9月、10月、11月にもそれぞれイベント(うちふたつはBrandnew。。)8月はモンゴル、7月は北海道とヒルクライム。6月はモンゴルの試走、5月はTBI、4月は・・・おお!四月がいいんじゃない!!

なんてはしゃいでるボクですが、海の向こうではFRBが量的緩和の打ち切りを宣言!えっ、ということはアメリカは利上げ。するとみんなドル買いに走り円安ドル高は恐ろしいことに。なるやもしれないという前夜。。

ああ日本経済はともかく、ボクの海外への冒険の(と言う名の実は、ラグジーな旅は・・・・)どうなるのでしようか。。

つづく

 


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「2015始動」- OV – 2014/10/28 (火)

例年になく早い紅葉。そして木枯らし。。冬のパリが急に懐かしくなる季節。
となると急かされるように、2015年の準備!!

12月13日(土曜日)18:30より、東京・恵比寿にあります「7」にてPRESENTATION 2015が開催されます。そのあとの懇親会も、まあすごい!ので是非お誘いあわせの上お越しください。

来年はNEW EVENT が2本!!「一歩下がって。二歩すすむ」の歌詞の通り?でも、こう書きながらも誰もその2つのイベントのうちまあ一つは進みかけてるので知っているのですが、その二つ目はまだ僕の胸の内。。フフフフッ。。

新しいシュラフを買って、出かけることにします。

新しいことに取り組むには、勇気と知恵と、さらに言えば「無謀さ」が必要です。
無謀。。ああ、なんという男らしい?響き。。
「そんな無謀な事を・・」
と、どれほど諫められたことか。

ボクの場合はこの諫言とはまた甘言のようにも聞こえます。
耳もとで 「やっちゃいな、やればいいんだよ。」
そんな言葉に、突き動かされた30代。
でも、2015は60代。。。
最近はシュラフに潜り込んでも体がなかなか温まらずに寝るのに一苦労なほど、体内の発熱量が低下してきています。

でもまあ、そこでその勇気と知恵を温かく包む、良いシュラフとマット。。それにさらにその上からエマージェンシーヴィヴィというのをゲットしましたから、ぼくにはもう怖いものがありません。 

「31年目のシーズンに向けて」- OV – 2014/10/20(月)

SSER3DAYSも終わり、今年のシーズンを終えました。
終える、という言葉に何か新しいものが生まれる予感を感じるか否かは、持ち合わせる感受性によるものでしょうか?

「終わる=はじまる」
ということかもしれません。

またSSERのことだから、やめる!とか言いながら看板を掛けかえてやる「閉店セール」ではないのか!?と多くの憶測を呼ぶのは、まあこれまでのSSERへの良くも悪くもオマージュ!というところでしょうか。

実はSSERを運営する、グローブコンペティションという会社ですが、まあ名前の由来は「地球上で闘う」というような、ウルトラマンのような思いから、ちょうどパリダカールへ参戦を続ける真っ最中の平成元年11月1日に、それまでの会社から独立させる形で設立しました。

仕事中に趣味の極みのようなものをやる!ことへの正当性を担保するための・・・(汗)だったと言えます。仕事もすごくて走り回ってたあの時代・(遠い目)ですから11/1は創立25周年記念ということになります。

なにせ、そんな周年行事がラッシュするSSERですから、この25周年は年末の大忘年会とセットで、じゎっと開催する予定です。

しかしアニバーサリーイベント好きのボクはとある計画を・・・
「R439を、モンテッサとドカティ・レゴラリータで走る!」という、まあ無理でしょ。な計画を実施します。2台のマシンはその準備に向けて整備中!!

たぶん11月の半ば以降だと思いますが・・・徳島-四万十市350kmです。ビックリハードかもです。

R439って、考えてみれば剣山も登りますから、70年代のマシンには酷かもしれません。あの崖を想像してみてくださいな。最高到達点はボクの記憶が正しければ1480m!!全長は350kmで10時間はかかると思われます。(2000年ころのイメージ)今は相当な改良工事が進んでいますが、それでもアベ35km/hは困難でしょうね、

とまあこれが自分への25周年記念イベント!!というわけです。見かけたらよろしく。  

 

「30年。ボクの人生のきっちり半分の軌跡」- OV – 2014/10/14 (火)

「30年。ボクの人生のきっちり半分の軌跡」

The30th.SSER、無事に終了しました。
終わることはもっと、寂しさを引きずるかと思っていましたが、むしろ何か新しいワクワクのような気分に驚いています。

しかしそれにしても、この30年間の多くの時間を共に過ごした選手関係者の皆様には、この場を借りて、幾重にも深く深く御礼申し上げます。

閉会式も終わりかけのころ、外はまるで早い冬の訪れを告げるような強い風が吹き荒れていました。
「以上を持ちまして、30回のこの大会のすべてを終了します。」
と告げたあと、誰もがその時間を惜しむようにスタンディングオベーション、すこし眩暈のようなものを覚えました。そとの嵐が、それを一層ひきたてるかのよう。

はじまりがあれば終わりがある、とはこの1年間言い聞かせ続けてきた言葉です。
そして、始めることよりも終わることのほうが何倍も勇気がいるのだなあとも。

人生に掲げられる夢は、それほど多くはありません。ですから夢を持ち続けたいと思います。「夢」とはなにかという議論もしなくてはなりませんが、今日は少し違う角度の検証をします。

ひとたび「夢」を、実現に向けたプログラムを描いた瞬間に「夢」は「目的」に変わります。
たとえば「いつかは行ってみたいなあ」と思う場所があるでしょ。それがひとつの「夢」だとします。(夢の表現と解釈は自由です)ても、それを「よし行くぞ」と決めた瞬間に「夢」が「目的地」に変わります。
夢が現実になる、ということは着手した瞬間からはじまります。

するとその目的地までの道のりを真剣に考え始めます。また目的地のことをさらに深く知ろうと調べ始めます。
そこで「はて、あんなに行きたいと思ってた場所なのに、調べてみるとこんなものか?」とか「案外簡単に行けるのだなあ。」などということが持ち上がります。
夢が目的になると、案外大したことは無いんですが、それを大きな感動でおわらせるためにも、大きく夢を膨らませておくことです。

「敦煌」へ行こうと誘った友人に井上靖の小説「敦煌」を読むように奨めました。
それを読んだ彼は、敦煌について「あの本を読んでいなかったら感動は無かったかもしれない。」と語りました。つまりかれは感動したのです。

さて、感動がすべてでは無いのですが夢を実現した暁には「感動」が無いのなら、それはやはり夢じゃなかったということかもしれません。

話しは変わります。夢の実現の道のりで言う「目標」と「目的」はなんだろうか?というオハナシ。

人生の目的
人生の目標

なんとなく混濁して使ってきた感があるので整理してみます。

目的・・・いわゆる的(まと)ですね。目で見える的のことでしょうか?それとも目指すべき的のことでしょうか、いずれにしても最終到達地点のような気がします。まあ山頂です。ボクだけの意見ですが・・・
目標・・・標(みちしるべ)のようなもの。つまり目的地にたどり着くための道標とか標識のことではなかろうか?ということです。コマ地図やコースマークのようなものかもしれません。これは山頂ではなくC-3とかC-4とか山頂へ向かうための前進キャンプのようなものでしょうか?しかし彼の目的が7サミッツなら一つの山頂は目標で良いでしょう。最後の山頂も目標で、振り返った時に7サミッツという目的を達した、ということですね。

たとえば面接で「あなたの人生の目標はなんですか?」と聞かれたとします。
正しい答えは「目標とは目的を達成するための、正しい位置を指し示すものです。」から、この場では「そのために今この会社に入ることです。」が正解なのでしょうが、それを言うと、はねられますから日本語は難しいものです。

正しい答えじゃなくても採用されるための答えは「人間を磨いて、人の役に立つ信頼される立派な社会人になることです。」ということでしょうか?しかしそう書きながらも、それこそが実は立派な目標であり、そうであればなお「目的」の到達の実現へは近づくのかと。
まあ反省。

つまりSSER3DAYSは多くのみなさんの目標であり続けたと思うということです。
ここを、ひとつの道しるべとして、大きな目的に向かっていただけたのであれば、この30年間は価値のあるものとして輝きます。
そして一方でこの大会を、オフロードバイクの生活の目的地として頑張った皆様には、また新たな目的地が現れたはずです。

人生はこうして、終わったコトなくしたモノを振り返り惜しみつつ前に進むものではないか、とそう考えています。SSER3DAYSは終わりました。しかし新しい萌芽は、いくつも散見出来て、さてどの芽が大きく育ち美しい花を咲かせてくれるのだろうかと、夕暮れに佇みながら、明日の朝を思うのでありました。

そうそう、前田啓介君、おめでとう。


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2014/10/09 (木) 「ボクはなんと。今日ラリーモンゴリア2015のルートを考えていた。」- OV

今世紀最大ともいわれる巨大な台風がやってくるらしいです。SSER3DAYS FINALにふさわしいビッグゲスト!!にしても対策は入念に。
長靴!”ヨシッ”
雨具!OK!
とかって準備じゃなくて、とにかく台風の接近に伴い1日早く荒れ始めるだろう、 標高1000mを越える大会エリアのこと。

でも慎重に検討して対策は当日のSSER PRESSでご紹介します。
そして、この忙しいさなかにボクは地図とにらめっこ!!
なにをしてるのかというと来年のラリーモンゴリアのルート考察!!
試走に持ち込むマシンをどうするか?なんて話をしたものだから、
あの辺りを走りたいなあ!と思ってた気持ちがピクピクし始めて没頭。。。
実はこうした姿もボクガ昔から望んでいたもの。。
「???」
かもしれませんね。
答えは、大会の直前は「なにもすることがない!」状態を作る。ということ。 そして目の前の大会への思いを通じて、近未来の大会のイメージを描くこと。

さあ、日も暮れたのでおうちに帰ろう・・・
でもその陰でみんなが悪戦苦闘をしているのも知らないわけではありません。
脱帽。あっ、雨用の帽子も持っていこう・・・ 

 

「現状を把握しなければ、未来は語れない。」-2014/10/07(火)-OV

「現状を把握しなければ、未来は語れない。」

日本では宝くじを「夢」と呼ぶようです。
普通、夢は買わないんですね。夢は売ってないんです。夢は見るもので、それが未来のあるべき姿なら追求するべきものです。

「夢を買う」のであれば「夢」という商品にはプライスタグがついてるはずです。
小さな投資で大きなものを得ることが日本人にとって「夢」を叶えるということのようになってしまいました。いわゆる一攫千金とか、あぶく銭を手にするとか。
ああ、バブルのころが懐かしい。。

宝くじはいくらですか?300円で3億円?
100万倍になるんですね。
なんと射幸性の高いこと。
これが違法でない、根拠が知りたいほどです。

「お前の夢は、金で買えるのか?」といったヤナギバさんも実は買っていた、というCMに、どれほど日本人の多くは苦笑いしたか。
しかし、これは夢を買う=宝くじを買うことなのか?宝くじで当たった大金が夢を買う原資になるのかが暗にぼかされています。

昔の流行語ですが「宝くじが当たったらパリダカに行く」というのがありましたが最近は、その手の常套句をあまり聞かなくなりました。
どうも宝くじが当たってパリダカに行った人はいませんでしたから、そのことから導き出される答えは明瞭ですね。当らないんです。それにそう思った人は宝くじを買う努力以外の努力はしないんです。所詮パリダカなんて夢ではなかったんです。いやだから夢だったのか。。。

どうも日本人、到達の確率が極めて少なく、かつ自身の努力では成しえることのできないものを「夢」としてしまったようです。
全くこんなことを書くつもりじゃなかったのに書いたついでに、もう少し書いていいですか。

ボクの主張は、宝くじが人間をダメにする壮大な装置であるということです。
たとえば民主党政権は宝くじを買う感覚で投票しなかったですか?
「ひょっとしたら?」
でも
「やっぱりなあ。そりゃあそうだ。旨い話には気をつけろと言われてたもんなあ。」
小さな子供が何人もいて「勝ち組だ!」などとうそぶいていた友人も、そんなふうに。(あっ、これは子供手当がひとり28,000円で3人いるから84,000円/月入ってくる!と言う夢のようなお話が手に届きそうだったと言うオハナシデシタ)

つまり、その負けるとか騙されたとか、上手く行かないこととかにだんだん日本人は慣らされてきたのです。
社会に出ても、思うようには行きません。それはなぜか?自分で未来を計画して今日から取り組まないからです。

ドラッカーはこうも言っています。「計画とは、未来に関する現在の決定である。」
そして「全力を注がなければ、あなたに未来は無い」と続きます。
計画があったとしても全力を注がなければ、「やはり未来は無い」と言っているのです。

表題の「現状を・・・」は、やはりドラッカーの言葉です。
ボクが書こうと思ったのは、
未来は突然やって来ない。目的を持ってそれを日々積み重ねた物だけに、その目的と努力に応じた未来がやって来る。のだといまも信じて日々を送っているからぼくはきっと幸せな部類に入るのでしょう。

さあ、週末はSSER3DAYS。一つの夢の完成。


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「秋には、来年の秋の旅の計画を。」- 2014/09/29 (月) – OV

「秋には、来年の秋の旅の計画を。」 – 2014/09/29 (月)

本当は、今年SSER30年記念の旅を計画しとったんです。
構想は、いつも素晴らしいんです。
テーマは「ロンドン-パリ」
なんだ、近いじゃん。

そうなんですが、ロンドンを出て、徒歩や自転車やクルマで?大ブリテン島を反時計回りに一周。徒歩で1日ってのはクルマだと2時間くらいなので、クルマのチームはゆっくり出て早く着く。というもの。スコットランドの湖水地方や、ウイスキーのふるさとをテクテク。
そしてフランスにわたって、これまた反時計回りに。
地中海を回って、アルプスを越えて最後にはパリ。。。

案外面白がってたのですが、どうもさまざまな行事が目白押しのこの秋。旅に出るというのは、人には何時も仕事より旅が優先!みたいなこと言いながらも、さすがに今年は勇気がなかった。。

でも、スコットランドの独立運動などがテレビで流れるほどに、スコットランドの紹介もされて。なんとテレビの朝ドラでもスコットランドやウイスキーが。。

ここのところ人気復活中のウイスキーが、さらにブレイクするかも。
そうだ、そんなこともそうだけどバランタイン30年を飲む会を企画しなくっちゃ。。

来年の旅は、タクラマカン周辺の予想。

 

きょうの一枚

タクラマカン砂漠のど真ん中。
塔中にあったガソリンスタンドで。
オジサンたちコーフン!!
雛にも稀な美少女。沙漠のど真ん中のないのもないところなのに・・・


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「そうそう、No-GPS Dayの顛末記」- 2014/09/25 (木) – OV

「そうそう、No-GPS Dayの顛末記」- 2014/09/25 (木) – OV

ラリーモンゴリア2014。。。20年目のモンゴルで、ボクはさまざまな腹案を採用してもらった。もらった?ってあなた、あなたの好きなようにしてるんじゃない!
と言われそうだが主催者側の総意でなければならない。。。と思ってる。
まあその初めて取り組んだいくつかのことを報告しておくのを忘れていた。

まずはマラソンエタップ。言葉がいつの間にかイメージを形成してきてるので、なにをすることかの説明は手短にする。

これは二つのエタップをまるで一つのエタップのような概念で実施するもので、
500km+500km=1000km・・・最初の500kmを走ってゴールした瞬間に、まるでネズミ取りで捕まった人のように「はい、こっちこっち」というあんばいに、おまわりさんのじゃなかったオフィシャルのコントロールエリアに入り、「すぐ人間だけでなさい」と、マップホルダーにさえ触れないというもの。

むろんメカニックたちはビバークにやって来れない。整備することがチェック・カードの無い時間帯には出来ないのだ。今考えればどこでどーしてたんだろ。。でも安静な夜が、彼らにも訪れたことでしょう。。

選手たちはというと、整備も時間を削りながらオンコース上でしなければならない。つまり微細なトラブルも起こさないように走る。

オフィシャルは必然的に「心を鬼に」しなければならないし、オンコース上の不正なアシスタンス(つまり隠れサポート)に目を光らせなければならないのだ。
これまではビバークに到着すれば何とかなったことの多くが「なんともならないことに」なってしまうというわけ。

2日間のステージが終わりほっとした翌日には、全くGPSポイントが発表されない日がやってきた。これがNo-GPS Dayというわけ。。

選手たちは緊張したが、同じように運営側も緊張していた。

いつのまにかGPSはラリーの三種の神器になっている。GPSの功罪はよく語られる。
GPS走行なる単語も出来上がっている。

さあGPSポイントが完全に秘匿されればどのようなことが起きるか。。
起きるんです。CP不通過。ゴールしてないのにビバークには帰ってるとかね。
でもとにかく行方不明対応にハラハラしたのは大会本部だったということ。悠々で帰って来た参加者にはまあ好評。。
でもまあここだけの話だけど、捜索も考えた150km四方の(って四国より広いか
も)エリアの中で行っていたのだ。
結論!GPSがなければゴールできない人の割合、5%・・・これをどう見るか??

次は全参加者にデータロガーを。。なんて考えてます。
さあて、ガジェットとの闘いは終わらないかもしれません。


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2014/09/22 (月)「メンタリティ」- OV

昔の話ばかりで恐縮だが、パリ・ダカールは恐ろしかった。
スタート時にリラックスできるようになったのは、もうずっと後になってからだ。

なにが恐ろしかったのかと考えると、自身の身体的な問題などではなかった。非常に恐ろしかったのは、この競技への参加の継続性の断裂、とでもいえばいいだろうか?

リタイアよりも怖いのは、自身がこの競技への参加意欲を損なうことだろうと考えた。しかし加えて、周囲が「もうやめとけ!」と言わない環境の確保だ。金銭的な問題が、それに輪をかけて心を苛む。

その対応策としては「目標」を明確に立てて、かつ公言する事に尽きる。

公言した目標は、絶対に達成するための道筋を描き、それも公表してその進捗さえも発表する必要があった。

なぜなら我々の挑戦は、個人のそれではなかったからだ。多くのスポンサーや支援者・友人らに支えられていたから。そして「言ったことはやる」という有言実行が、人生の価値を決定的にした。

つまり信頼を裏切れば、よほどのお金持ちでもない限り再度の挑戦の機会は乏しい、ということだ。

1年かけて準備するには、資金調達を含めて莫大なモチベーションを必要とされた。後年になって思うのは、あのエネルギーがあればどのようなことにでも挑戦することが出来たろう。という事を思う。 おそらく支援していただいた多くも、ボクタチの場合は結果よりもその莫大なモチベーションが生み出したエネルギーの放つ熱量に「しゃーないなあ」と同調していただいたのだろうと思う。

エネルギーは、なにをするにおいても重大で必要なものだ。人を包み、人を勇気づける。歩みをたゆまぬようにするのもそれだ。
つまるところ、エネルギーをゴールまで絶やさないことが良き人生だろうと思う。

新たな目標に、新たなエネルギー。
もうすぐSSER3DAYS、これも莫大なモチベーションとエネルギーの集合体だ。

メンタルを強くし、新たな次代のエネルギーはメンタルから生まれるのだと、そう再認識した今日の午後。。  

「レギュレーション考。その2」- 2014/09/02 (火)

「レギュレーション考。その2」

ほんとうは、どのくらいの厳しさが良いのか。
これはボクの長きにわたるテーマだ。

「厳しい」を構成する要素は、ルートや天候にありそうだが、
やっぱりその多くはレギュレーションにある。
それはそうだ。

はるか昔、まだGPSの無い時代。
携帯電話も、もちろんない。
コンパスとか六分儀とかで、砂漠を越えていた時代のことだ。
つまり、まだまだ地球上のどこからでもどこにでも連絡がつくなんていうのは
夢のような時代のことだ。
ひとたび世界へ旅立てば、どこでどうしてるのかなんて、
心配してもしょうがない時代だった。

そんな背景も手伝ってか1979年に産声を上げたパリ-ダカールは、人々を熱狂させた。
80年代。国際社会は束の間の安定期を過ごしていた。
それは通信手段などが未発達だったということも挙げられる。
メッセージを発することが困難だから、内面的に向かうか本でも書くしかないが、
その本も宣伝仕様もなかった。

だから、男たちは(いや女性もだが)心の奥にある未知なるものへの探求と、
自己の持つ潜在的能力を確かめたいと心に小さな火を灯もした。
ボクもそうだったから、良くわかる。

アルジェリアからニジェールに。ホッガー山脈やタマンラセット、アガデスそしてテネレ沙漠やビルマ灯台やらと、いちいちその固有名詞にさえ心が震えた時代があった。モーリタニアなんて聞くと、今ではスーパーでもモーリタニア産のタコなんて書いてあるから・・・なのだが、確実にめまいがした。モーリタニアかあ。。。

いま、そんな強い憧れが地球上に残っているだろうか。
地名を聞いただけで、身震いするようなそんな冒険の大地のことだ。

そのラリーでは、リタイヤしたら、もしくは翌朝のスタートの30分前にゴールしていなければ失格になるのだ。つまり失格になったら、ラリーから完全に除外される。近づくことさえ許されなかった。もちろんビバークに入ることも許されない。水ももらえなければ食事ももらえない。
なんて理不尽だ。エントリー費を払ってるのに。
そう考えた。

しかし、こうも考えた。
リタイアは敗北であり、主催者から屈辱的な扱いを受けたからと言って、それはレギュレーションの定めであり、そうなるのが嫌ならリタイアや失格にならないようにしなければならない。
そういうことだ。

退場を命じられたサッカー選手が、駄々をこねてフィールドに残っててはいけないのだ。
だからあの時代は、完走は勝利だ。とされていたのだろうと思う。

時代は変わる。小学校ではかけっこに順位を付けてはいけないという。
敗者が居てはならないのだそうな。

今日リタイアしても良いですよ。明日はまた走れますよ。
本当にそれでよいのだろうか?
そうしたら完走するということには意味はないのではないか?

レギュレーションの運用を、書いてある通りにしたら烈火のごとく抗議が来る。
イエローカード2枚で退場させたら、怒鳴り込まれる。
それと戦わなければならない。
闘わないのは簡単だし、とても楽だ。

悩みは続くが、ボクの心は決まっている。
レギュレーションは、厳しくなるばかりではいけないが、緩くなることはもうな
いかもしれない。


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2014/08/27 (水)「レギュレーション考察」- OV

今年のモンゴルのラリーが終わった。
さまざまな思いがよぎる。
そりゃあ、そうだ20年も(それまでは地の果てだと思ってた)モンゴルに通いに通ったのだ。 記憶を辿りながら
「何回、来たのかなあ。」
調べてみた。
どうも63か64回だ。

すごい。

SSER3DAYSは、30回大会。
1回大会の直前の試走中に日航機の事故があったなあ。
帰り道の食堂で、何人もの仲間と見て驚いたものだ。
それにしてもよく続いたものだ。
あまり変化のないレギュレーションと、変化のない環境で開催を続けてきた。

そう、レギュレーション。

そうそう、ボクはレギュレーションを振りかざして「ペナルティだ」「失格だ!」
と騒いでるという印象を持たれてるのだそうだ。

実は、そうだ。
特に今年のモンゴルは、その戦いに憑かれていた。
しかし、それは守らなければならない約束事だし、まあいいやってしてしまうならレギュレーションなんていらない。
ラリーモンゴリア2014、ある朝のブリーフィング
ボクはこう言い放った。

「わたしはこの競技をスポーツにしたいのだ。純粋なスポーツマンシップが闘いあう、スポーツにしたいんだ。早ければいい、なにをやっても良い、分からなければ良いなんて思う者は、ここに居てはならない。暴走大会にはしたくないのだ。」
と朝から、どうしたものかヒートしまくってた。

排除しても排除してもウンカのごとく現れる隠れサポート。未登録のメカニック。
ゴール地点を隠すということをしても、いつの間にかやってくる。
「何やってるんだ?」と聞くと
「通りがかりだ。見てるだけで何が悪い?」
「昨日も通りがかりか?」
「うるさい!」
こんなことを、誰にでもやらせるわけにはいかないが、競技者を失格にするとレギュレーションには書いている。
その対象者を失格にしないなら、すでにそのレギュレーションは存在しないものになる。

しかしこのレギュレーションというものは
なにも参加者にのみ突きつけられた課題ではない。

時に主催者はそれに苦しめられる。
つまりレギュレーションとは両者に課せられた、重たい約束事だ。

だってそうだろう?
レギュレーションには〇月〇日〇時に、どこそこで受け付け車検をする!と書いたら、なにがあっても、そうしないといけない。
「忘れてた」とか「都合で・・」とかってわけにはいかない。
ここには給油が用意してあると書けば、どんなに苦労しても砂漠を渡って数千キロリットルのガソリンや軽油を運ばないといけない。

そんな約束事は、参加者よりも実は主催者のほうが多い。それも守るのが厳しい約束事の多くは主催者側にある。
レギュレーションというバレーボールのネットのようなもので対峙してる2チームの片方が主宰者で、もう片方が参加者かも知れないと思うときもある。

レギュレーションは主催者の都合で作られている!?
そんなことはない。
とにかく多角的に検討を重ねて、競技としての存立性と安全性とを、付け加えれば「楽しさ」を加味して、吟味して練って練って、そして不要な字句をそぎ落として作ってる。

さて。
つづきはまた。  

 


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2014/08/25 (月)「モンゴルより帰還。」- OV

旅立てば帰る日も来るもので、まだ夏の盛りに向かう前の日本を飛び立ち快適な気温のウランバートルでラリーの準備をしていました。これまでは困難だった輸送も税関の問題は、カルネやおそらく日本モンゴル間のEPAの連携などの話が進んでいるからか、全く問題なく、あっけないほどにスムース!帰り便も今日の時点ですでにウランバートルを出発してるようで、過去最速の帰国便が実現するかもです。いや、かもです、あくまで。

こうして毎年毎年事情が変化するというのは、国際政治がごく普通に影響しているのです。普通に日本で暮らしているだけならわかりにくいのですが、この20年間の北東アジア情勢は、特に複雑怪奇で単なるラリーのオーガナイザーなどよるすべのない頼りない存在だったことでしょうね。しかし時代の変遷を油断できないものになってしまったとだけ見るのもつまらないではないか。

変化に乗るか?忌避するか?いわゆる 「のるかそるか」の判断は、それぞれに委ねられます。

変化を困難とみるか?変化を迎え入れるかで人のありようも様変わりします。
なににしても、変化の多い現代で21年目を迎えるラリーモンゴリアを、どのように組み立てていくか?またまた長考に入らざるを得ません。

まるでテネレ沙漠のようなハイスピードピスト、そうあの当時そこはテネレハイウェイと呼ばれていました。

そして20年も前にゴビのハイスピードをバイクで走った時に、そのテネレの思いが鮮明に。で、その時思わず「ゴビ、ハイウェイ?」と言った言葉が今日まで生きているというわけです。

いずれにしても間もなく早い冬が、草原を閉ざしてしまうことでしょう。
そしてまたまた新しい課題に向き合おうと考えています。  


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2014/08/07 (木)「”♪闇をぬけ、朝日に向え♪、おれの相棒アイアンホース!”はもう聞かれない。」- OV

1985年から続く名曲「SSER!」キック一発で♪・・・

この曲はどれほど、長い時間をライダーたちに親しまれたろう。スタートの電子音のカウントダウンとともにかかるこの曲のイントロ。

ブリーフィングなどのスケジュールが始まる前に流れる、フルコーラス。

「今年も会えたねあなたの笑顔・・・」

80年代のテイストというか空気に包まれた優しさ。

ということで、SSERの原点ともいえる久万高原でのShikoku Super Enduro Rallyが最終回を迎える。

もう、あの曲は聞かれない!のなら、大会の前夜祭ではなく途中夜祭・・・

つまり1ステが終わった夜にやりますか!?

そういえば霧島4000の閉会式でも、聞けましたねえ。。

シミジミ・・・・

この秋で、ひとつの時代が終わります。

毎回、収容人員と集計と渋滞とで悩みに悩んでた80年代末から90年代初頭。。。

パリダカと、TBIとSSERで1年間は瞬く間に過ぎて行った日々。

そして、モンゴル。途中では肥大化に伴いグループNやスーパーNと呼ぶ大会も開催していました。

そして、迎えた30年。

本当に長い間、皆さんに支えられ親しまれ、また地域の方々にも深いご理解を頂き開催を重ねてきました。

この秋は、久しぶりのその曲をおなかいっぱい聞く事にしますね。


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2014/08/07 (木)「”♪闇をぬけ、朝日に向え♪、おれの相棒アイアンホース!”はもう聞かれない。」- OV

1985年から続く名曲「SSER!」キック一発で♪・・・ この曲はどれほど、長い時間をライダーたちに親しまれたろう。スタートの電子音のカウントダウンとともにかかるこの曲のイントロ。 ブリーフィングなどのスケジュールが始まる前に流れる、フルコーラス。 「今年も会えたねあなたの笑顔・・・」 80年代のテイストというか空気に包まれた優しさ。 ということで、SSERの原点ともいえる久万高原でのShikoku Super Enduro Rallyが最終回を迎える。 もう、あの曲は聞かれない!のなら、大会の前夜祭ではなく途中夜祭・・・ つまり1ステが終わった夜にやりますか!? そういえば霧島4000の閉会式でも、聞けましたねえ。。 シミジミ・・・・ この秋で、ひとつの時代が終わります。 毎回、収容人員と集計と渋滞とで悩みに悩んでた80年代末から90年代初頭。。。 パリダカと、TBIとSSERで1年間は瞬く間に過ぎて行った日々。 そして、モンゴル。途中では肥大化に伴いグループNやスーパーNと呼ぶ大会も開催していました。 そして、迎えた30年。 本当に長い間、皆さんに支えられ親しまれ、また地域の方々にも深いご理解を頂き開催を重ねてきました。 この秋は、久しぶりのその曲をおなかいっぱい聞く事にしますね。 [3DAYS CLASSICS HP]   ov20140807_01

「ノモンハン75周年、ラリー20周年」- 2014/07/28(月) – OV

ラリーモンゴリア2014のエントリーリストが発表になりました。
実は、過去最高の参加者数であり参加台数なのです。
少し、身の引き締まる(まったくその実は引き締まってはいませんが・・・)思いです。
本当に大きく成長したものだと深い感慨に浸っていたのですが、大問題がッ!
実はノモンハン75周年。さまざまなイベントが用意されているようです。
日本モンゴル間で共同研究されたシンポジウムや式典などもほぼラリーのスタートと時を同じくします。それは良いのですが、軍のヘリもみんなノモンハンに行く!ンダソーデ、、コマッてるんです。

飛行機も全てのものが混みあうようですよ。

さて、ノモンハン。現地ではハルハ川大戦争とよび、20年ばかり前まではウランバートルのエンフタイワン(平和)通り、スフバートル広場前の通りです。そこには当時の写真が飾られ、対日戦争勝利はまさについ最近のことのように伝えられていました。

いずれにしても、戦後の日本は奇跡の成長を遂げつつも何か欠落した部分を併せ持ってきたように思います。
日本国内の北東アジアのイメージは、正しいとは思えないんですが、伝える側にも誤謬が多かったのではとも思います。

世界が平和で、安全でやがて国境などの無い時代が21世紀中には来ると思っていたのですが。

きょうの一枚
今年はさらに速くなったHINOレンジャー。。。タノシミは募るばかりです。


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「北海道、最高でした。」- 2014/07/23 (水)

このところお天気の女神に愛されてるSSER。この北海道4デイズもところどころに降った夕立のような雨のおかげで、青空や山を巻くような霧の動きなどまで演出されたようで、まことに最高のロケーションの中をラリーは無事に進んでいきました。

オホーツクの海沿いのダートは、かなり砂が深く右手には汽水湖があって、シジミやホタテ漁の漁具がことさら最果ての地の感を演出していました。まだ知らない北海道と、もうすっかり知ってるけど天気によって姿をかえるそれのいずれもが素晴らしく心にしみる風景ばかりでした。

北の海岸線は辺境の地です。不確定な国境がそこにあり、先に読んだ浅田次郎「終わらざる夏」の舞台となる占守島は、この島伝いに行けばカムチャッカ半島の少し手前にあるんだなあ、としみじみ。ちなみにグーグルアースでこの島を見てみてください。千島列島には珍しい草原の島で、いたるところに旧日本軍の戦車の姿が草生しつつも妙にくっきりと見ることが出来ます。

彼等守備隊の物語はぜひ読んでほしい1冊です。

ボクの知り合いの女性は、音楽家なんですがさらに先のアリューシャン列島の中ほどのウナリスクという島にご主人と子供たちと住んでいます。ときどきアップされる写真には度肝を抜かれるほどの、大自然の真っただ中に暮らす凄さが伝わります。そこで音楽を作るという活動をしているんですね。

さてハルキさんのいう「北の島」。。英雄たちの歴史や、不幸な歴史、遥か先人たちの息吹を感じながら、濃密な自然と対峙する人間の営みの豊穣さを感じずにはいられません。

北海道4デイズ、それは単にラリーと呼ぶより、日本人には深く、感じいって息をひそめたくなるような、そんな歴史を垣間見る「旅」なのだということでしょうか。


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「北海道4デイズと故齋木校長」- 2014/07/14(月)

間もなく北海道に向けてSSERのコンボイがスタートする。
機材をいっぱい詰め込んで。
この北海道4デイズが8回目になったのだが、その3年ばかり前はツールドニッポンとして、芦別をスタートして宗谷岬から大隅半島までとかそう言ったスケールのラリーを開催していた。

だからSSERが本格的に北海道にお邪魔して10年の歳月を越えちゃったのだ。

その原動力は、当時のA-TECの校長だった故齋木達雄氏だ。彼は自身もモンゴルのラリーに参加するなど、ラリーが大好きだった。またその学校には1周800mのオーバルのサーキットがある。
学生たちをそうしたモータースポーツイベントに触れさせて、クルマの本当の楽しみ方、付き合い方を学ばせたかったのだ。
いや実はそんなことよりも、学生たちにもっともっと魅力的な大人たちに触れさせたいと思っていたのだろうと思う。

北海道4デイズはもちろん、はるばるTBIまでも学生を連れてスタッフとしての応援に駆け付けてくれた。
学生はスタッフと車に乗り込んで、しばらくの日数の寝食を共にしていく。
誰に指示をされなくとも役割をこなすシステムがSSERには存在するので、役割と規律というのはおのずと身につくはずなのだ。リスクのあるところに規律がある。

北海道4デイズの開催に置いても困難は少なくなかった。そんな複雑でデリケートな問題の解決には、常に先頭に立っていただいた。
そして、今年からラリープレートにもその名前を刻むこととした。

齋木校長を喪ってからは、わけあってA-TECとは関係が無くなってしまったが、それでも芦別には先生の思いが残っていて、今年もまたその地に行けることが歓びだ。
ボクは本当に故斎木校長には心より感謝している。
不思議なことにときおりブルーのウイザードを見かけるし、
その都度、ドライバーの顔を凝視する。
昨年のTBI中に県道脇の小高い広場に停まっているのを見かけて、思わず近寄ってみたものだ。いつも最後尾から温泉を覗いては「おーい、早く行けよ!」と、まるで学校の先生のように、あっそうだけど、声を掛けていた姿は忘れられない。

さあ、あれから3年か。今年も北海道でお目にかかりましょう。。
さあ出発!!

 


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「モンゴル!モンゴル!モンゴル!」- 2014/07/10(木) – OV

モンゴルのコマ地図も入稿を終えて、ボク的にはいまが数少ないホッとしてる時期なんだけど、周りの人たちは大忙しそうで。。。DC-3の出力機は延々と稼働をしてるし、バイトの女の子は、これまた延々と作業をしてる。

「忙しい?」

と聞くと、みんなが呆れたような顔をしてボクを見るんです。
まるで「お前が忙しくさせてるんじゃ!」
とでも言いたげです。
じゃあボクは何をしてるか?というと、まあ読書中なわけです。
なぜかドラッカーの古い本を出してきては、読み耽っています。

そう、企業は「利益」の追及が最終目標であってはならない!と言うあたりを詳しく読み直しては自らの来しかたを、改めて問うているのです。

たしかに21世紀になるや否やのころに出版されたドラッカーの本は、出版直ぐに買に行っても第10刷とかで「へええ・・」なほど日本中で読まれたとです。

企業は利益の追及が最終目標であってはならないはずなんですが、なんのことはない、そんな話をしたら「バカか?」と、言われるようになってしまった昨今。
いまドラッカーの予言はどうなったかを、ひとりで検証しひとりで突っ込んでるわけです。

「自己実現」とか「企業の寿命は、いまや労働者の寿命よりも短い」だとか、良く使われる台詞回しの多くはドラッカーに源を発するものが多く、やっぱみんな読んだんだね。と感慨にふける日々でした。

ボクはモンゴルのラリーを続ける理由をドラッカーに聞きたくて、あの頃手にしたわけですが、彼のおかげで続いていたのかもしれません。
組織は存在理由を最大化すること。だったかな。

 

きょうの一枚
試走のメンバー、、腰の痛そうな厚主君、ムッホ、カミオンバレイを今年から担当する石原孝仁、なかなかのチームワークで困難な仕事をこなしましたよ、

 


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「草原からの使者」- 2014/07/07 (月) – OV

なぜだか試走に持っていく本の中に浅田次郎「草原からの使者」というのが混ざっていた。
浅田次郎は、「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中元の虹」と「終わらざる夏」を読んだ。清朝末期の動乱が面白く興味深い。これを読んでなければNスペの「故宮」に彼が登場してくる意味が分からない人が多いかもしれない。

ともかく、間違いなく面白かった。
「終わらざる夏」は終戦に向かう千島列島の最北端に残された帝国陸軍の最精鋭部隊の姿を、さまざまな問題を通して描いたこれまた大作だ。

だから「草原からの。。」は短編集。ボクは試走中の本は軽妙なものではなくてガッツリ系(普段読めないような)のがいいなあとガルシア・マルケスなどを携えていたというのに。以前はカフカやカミュなんかを読んでたから、余計にややこしく(ルートがね)なってたんだ、

昭和48年。ボクは18歳。その年の日本ダービーで歴史的な大番狂わせがあったのは知っている。全く競馬などに興味がなくても当時はハイセイコーの名前を知らないものはいなかった。松田聖子と掛けているのかと思ってた人も多いだろう。
ボクもそうだもの。
1973年5月27日。東京競馬場が揺れた。のだそうだ。
(ボクは競馬に全く無知であるからしてこのあとの間違いは許して)

勝負ごとに絶対はない!という言葉がこのあとのニュースで語られていたが、圧倒的一番人気のハイセイコーが、9番とか12番人気の馬に敗れるというだけの事だ。だからまあ日本がW杯で優勝する!ということだってあるだろうと日本人は思ったのだし。

この「草原からの使者」という短編集に収められた1篇としての「草原からの使者」を読んでみると良い。ボクはそれを偶然モンゴルで読んだ。

モンゴルから来た、ひとりの老人がその朝の出走前の馬の姿を見て、(9番人気の)馬を指をさして「ネグ」、そして(12番人気)の馬を指して「ホイル」と呼んだ。
いわゆるモンゴル語での1-2のことだ。

主人公は、それを買って億の馬券を当てたという話だが。モンゴルの草原のテントの中でそれを読んだぼくは飛び上がりそうになるくらい驚いた。いましがたまで、遊牧民の老人がテントにやって来て長い時間ムッホと話し込んでたからだ。

ムッホに
「なんの話してた?」
と聞くと
「別に、馬の話かな。。」
なんて言ってた。数千年も馬と暮らしてきた遊牧民には、おそらく馬に対する思いは違うんだろうなあ、なんてシュラフに潜り込んで読み始めたからだった。

それではモンゴルの草原で。
その前に北海道があったね。

きょうの一枚
1973年といえばBMW R90Sが発売されて話題を呼んだ。。後年これを手に入れてしばらく乗っていたころがあるなあ。

 


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「バイクの旅を考えた」- OV – 2014/07/01 (火)

仙波君が久しぶりにうちのHPのコラム(あざーす、仙波です。)を更新した。
いつも彼の発言には、言い切れていない、表現しきれてない、つまり至らないけど伝わる何かがあるのがボクをくすぐる。
言いようを変えるとモノの見方考え方とその表現のストレートさかなあ。
時には(いつもだけど)稚拙と思える言いたい事へのアプローチも新鮮だし。

まあそれにしても、数日前に一緒に飲みに行ったのが効果があったのか?
特有の相変わらずのナルシズムと、面妖だが面白い思考回路は健在のままというか磨きがかけられ、不思議ちゃん度はいや増すばかりだ。

さらに言えばバイクに乗ることについて、妙にバイク屋らしからぬ素人くさいモチベーションを語る。周囲は「熱い」とかって片づけているけど、いまに彼のような男の存在は、見直されてくるだろうと思う。
まあそれがHPにコラムを依頼して、辛抱強く次作を待つということなのだけど。

で、ボクも対抗して書こうと思う。。

ボクの場合はバイクは常に旅の道具と定義している。ボクとはSSERと読み替えてもらっいても良い。おりしも今、ちょうどサハリンを巡るラリーという形式の旅が行われている最中だ。それまでコマ地図などを知らなかった者も、目的地やその行程の面白さや新鮮さに惹かれて旅に出たのだろうと思う。

まだ見ぬ土地を目指す。
それは紛れもなくDNAに組み込まれた、人類の共通する行動形態だと思う。
ネット上に居れば、世界のどことでもつながりグーグルアースを覗けば世界のどんな街の津々浦々まで訪れることができる。

誰かが言った
「グーグルアースで現地に行かなくてもコマ地図が作れますよね。」
「・・・」
ボクは、コマ地図を作りに行ってるのではないんだ。と言いたかったけど、まあ厳密に言えばコマ地図を作りに行ってるんだから仕方がない。でも、そこの空気や草の香りや、恐ろしいほど魅惑的な夕陽や、地元の遊牧の民との出会いや、そんな単純にコマ地図ではわからない歴々たる世界を感じに行くのだ。
それを一コマ一コマに封じ込めていく。
そこに行けば、それがわかる。
そこに行けばコマ地図を書いた、その時のボクの情念が分かる。

ボクはコマ地図を、まるでマルコポーロの東方見聞録を書くような気分で書いているのだ。

仙波君。旅とはそうした情念の発露であり、その行きつく先の道筋のようなものだよ。

きょうの一枚
こいつは旅の道具にはなるまいなあ。MVアグスタ。3気筒で178kg 。。。。。

 


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「祝 シルクロード世界文化遺産登録」- 2014/06/23 (月) – OV

どうも世界遺産というのはその実に反して、その言葉の響きが特に素晴らしい。人類共通の遺産でありその価値は全世界の人々が共有できることが出来る、とそんなふうに響く。

その実は、というといつも多くの問題をはらんでいるということだろうか?登録申請の是非についても、さまざまな意見があるし批判を重ねる人も居る。

まあそれはさておいてシルクロード、西安から中央アジアに至る天山回廊の道路群が、世界文化遺産に登録された。無類のシルクロードファンのボクタチは、ただただうれしく「おめでたい」からおめでたい?

この世界史にも例を見ないほどの、文化的遺産はこれまで真っ先にも登録されているべきものだ。でもまあ、いまからでも遅くない。新疆ウイグルに広がる世界的な遺産が、見直される機会になればそれは素晴らしいけど文化大革命で切り落とされた仏像の頭部が転がってたりもする。

もう何度この地に行ったんだろう。行くたびに、激しいデジャヴュに襲われ西安の碑林地区には「住んでいたような気がする」し、玄宗や楊貴妃の物語は教わらなくてもなぜか知っていたし。
玄奘三蔵の足跡は、もちろん一部だがオートバイで辿ってみもした。
もう少し関係が正常化したならば、まだ夢の途中の古いロプノールの川床を辿ってタマリスクの枝で骨を作ったテントで、とapioのコーノさんと夢を語り合った。

少年の日に抱いた夢を、どれだけ大切に確実に歩んできたかは、年老いたときにおそらく、その人の個人文化遺産となるだろうと思う。
シルクロードの夜、タクラマカン砂漠でうすいテントに潜り込んで見あげた星空は、いつまでも仲間内での酒の肴のままだ。

 


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「草原とゴビハイウェイが奏でる交響詩」- 2014/06/20 (金) – OV

モンゴルの試走とは、なにかこうさまざまな要素を組み合わせ、不要なものをそぎ落とし組み上げていく交響詩を作曲しているのに似ている。またはそれが現代の冒険行にも通じているのかと思う。

日々の暮らしは、なんとも複雑なのに、自身の身を守るという観念は他人に委ねている。だからすぐに文句を言うし、それで済む。道路に穴でも開いてて落ちでもすれば、言っていく先はいくつもありそうだ。しかしここでは、それに気がつかないとか、察知できないのは敗北に近い。

そんな試走の旅オデッセイは都市生活の余分なものは何一ついらない。
最近では1か月かけなくなったけど、必要なものは少ない。

なにが必要かというと

なんとかゴールまで持ちそうなクルマとそのスペアタイヤ、あと少しのパーツと工具。テラトリップとそのスペアパーツ、最低限のキャンプ用具。(その辺りのオートキャンパーのほうが装備は遥かにボクタチをしのいでいる。)
そしてGPS2台と、コマ地図のベース用紙に、シャーペンと消しゴム。
これは絶対に譲れない。鉛筆と消しゴムだ。
そして、心の中でいつも占う。
このシャーペン、最後まで無くならずにずっとあった時は、良いルートが出来る!!・・・ちなみに今年は最後まで1本のペンで(途中シートの下に1日くらいはありましたが・・・)書き終えた。だからまあまあの良いルートが出来上がってるはずだ。

写真のように、左側のような手書きのルートブックがシャーペンと消しゴムで出来上がる。
1ETAPで1冊出来る。
それを書き写して清書したのが右の一群。
これはETAP3だから、ボクは少なくとも3日目までは書き終えてるというのが分かるね。
(清書は1日1エタップで進んでいて・・・)

そして叙事詩に憑かれたボクは、なんとコマ地図の上の段。本来なら出発地と目
的地を書くところに地名の表記を止めてしまった。

ちなみにこのETAP3にはなんて書いたかというと
「Gobi High Way Mirage Express」
陽炎を全速力で追っかけてた!という意味だ。(と思ってもらえればいい)
久しぶりに大平原に広がる陽炎と遊んだ。さらに次の日は、ゴビハイウェイももっと広がる。

緑なす草原と、これらのハイスピードのピストを行き来するのが今回のルートの特徴だ。

話は変わる。

試走をしながら、韻文のオデュッセイアを考えていた。
なかなか難しいけど、面白い。

昔は漢詩を考えていたなあ。
篠ちゃんと良く、試走中に漢詩を作ってた。

カミオンを見ていると、やっぱ漢詩よりは叙事詩が似合うなあ。
と考えて、コマ地図の紙にメモがしてあった。

遥か彼方から、土を逆巻き、もうもうたる煙を上げて押し寄せるチンギスハーンの大群をカミオンからイメージしたのか。

みはるかす 果てよりかかる 黒雲のごと 風を呼び いま襲い来る
雷鳴は とどろきわたれ 陽もかしぎ 天地(あめつち)叫び 闇に覆われよ
神々は 4つの輪を抱き 雲と陽と 草原におり 咆哮を巻く

このあたりから先は読めないけど。
試走中は、こうしてなんか考えるんだなあ。
旅が人に必要なのは、こうした考える機会を得るからなんだろうと思うだなあ。

可愛い子には旅をさせ、ではなく、自分が可愛ければ旅に出ろ。だなあ。

 


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「いよいよ週末はBBQ] – 2014/06/16 (月曜日)

間違えました。週末は松山船積み車検+BBQということのようです。
どうせなら神戸牛のBBQをしよう!と申し出はしてありますが・・・
ということで6月21日の夜はSSERの事務所で賑やかに。。。

「ラリーモンゴリア 20years Anniversaryについて」

ということで、ただいま試走されたルートの整理作業中です。
いくつか新しい試みが加わります。
少し非公式にご紹介。

※現時点では計画段階です。詳報は調整後公式通知に拠ります。

(1) ETAP7はNO-GPS ETAP・・・まったくGPSの座標が表示されません。ルートブックナビゲーションに集中してください。ルート図や地名も非公開です。

(2) ETAP5-6は完全マラソンステージ1000kmです。ビバークの手前80kmでSSはフィニッシュ、GPSの表示されないナビゲーションの困難なルートのリエゾンを持ち時間1時間で走行(全員がペナルティがつくものと思われますが・・・)ゴールフラッグ(コントロール)はそのままパルクフェルメです。ルートブックの巻き替え時間も与えられません。給油はSSフィニッシュ後に用意されているローリーで行いますが、これもリエゾンの時間に含まれます。(現時点では計画段階です詳報は調整後公式通知に拠ります。)翌日のパルクフェルメ解除時間は与えられたスタートタイムの10分前です。
この日はメカニックは来ることが出来ません。
エアメカのみ来れますが、作業をすることは出来ません。

(3) 翌日のGPSの座標の発表は、午後7時に大会本部掲示板に掲出されます。ルートブック上にはGPS座標は表示されません。ただし発表予定のGPS座標のコマは明示します。また地図は発表されませんし、地名を特定できる要素は発表されません。

と、いうような方向で実施案が検討されております。また上位スタート選手(6から10名)にはGPSデータロガーを取り付けビバークで回収します。

今回はゴビステージが50%、とてもハイスピード。
残る半分が一部には砂丘も存在しますが、美しい草原のステージ。

 

きょうの一枚
試走車のボクの作業場。ここに座り続けること約300時間。野口シート製の座布団を忘れて辛かった。あとマナチュラスプレーも忘れて。いつも車内に散布して静電気と埃を抑えていましたのに・・・

そして遠くからは「象の岩」かな?と思って、寄ってみたらピザハット岩。

 


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「30年目のSSER、20年目のラリーモンゴリア」 – 2014/05/23(金) – OV

試走に行きます。
行くんだけど、ここのところ力が入り過ぎていて毎日がハードな旅の試走。

月曜日の直行便で成田を出て、夜はウランバートルに1泊するや、なんと翌朝から出かけちゃいます。
水やら食料やらキャンプ用具やらのすべては、驚くほど完璧にコンプリートされていて、予備の燃料も大量に積み込まれ、いざ出発。です。

思えば以前は、出発まで1か月近くかかってたものです。。。
この準備の良さは、もう20年も試走と本番を共にしているモンゴルスタッフのムッホが居ればこそです。

ウランバートルもモノが豊かになってきましたしね。それも助かってるんですけど・・
そういう意味では嬉しいような、どこか寂しいような、異邦人というのはわがままで困ります。

実は、お知らせがあります。
無理を言って今年からオフィシャルに加わっていただいた石原孝仁さんも試走に参加します。新しい意見がラリーに反映されていくことでしょう。

本番ではカミオンバレイをお願いしようと思っていて、同カミオンで本番のコースを完全にトレースしておきます。

石原さんはTVディレクター時代に、テレビ番組を制作しながら共にモンゴルの試走をしたことがありました。
その時の車両の数やメンバーの数と言ったら・・・ビバークはちょっとしたキャンプ村になってましたから。
そうそう、忘れもしません。その時の事です。オリアスタイの砂丘を抜ける風の通り道のようなルートも、いまではラリーの中継地として有名なゾーモットも、恐竜の谷も、すべてその年に見つけたものです。

本当にラクダの足跡しか無いようなプリミティヴな大地でしたが。。。

今年のルートプランをここで書くことは少しはばかられますが、やはりいくつかの思いがあります。早く帰ってその案内を書くのが今から楽しみです。

ルートは今年も厳しく困難な戦いになるでしょう。
ホテル泊じゃないとラリーが出来ない向きには、このラリーには全くおよびではありません。

現代のように多様化し、自由な選択肢の多い時代こそ、自らの魂の求めるモノを探して参加するべきだと思います。それが30年のSSERの、20年のモンゴルでの結論です。

 


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「モンゴル試走の弁当について考える。」-2014/05/19 (月)-OV 

「モンゴル試走の弁当について考える。」

だんだん暑くなってきた日本列島!
「もっと、暑くなるが良い(料理の鉄人風に)」
ボクは、日本をエクソダス!(ボブ・マーレイ風に)
この調子で6月遅くまで、帰るや北海道、帰るや否やモンゴル、そしてラリーが終わってもまたすぐにモンゴル(ゴビマラソン)
このくらい暑い日本に居ない夏。。

カナダからやってくるローレンスさんたちは、なんと8月の東京見物をして、つまりしばらく東京に滞在してからモンゴルに行くんだそうで、まことに「怖いもの見たさ」ではあるまいかと思う。

そんな食欲のなくなる季節に、在ろうことかボクタチは湧き上がる食欲(マチガエナイデ)に悩まされる日々だ。
とにかく試走は腹が減る。
昔は昼飯は抜きだった。

数年前から弁当を作るようになった。
毎日19:00になるとピタッと試走をやめてテントを張って晩ごはんを作る。
ついでに翌朝の分と、お弁当の分も作る。
そしてお昼は12:00きっかりにクルマを止める。

素晴らしい風景の中で、毎日毎日お弁当を食べる。
これが実に幸せである。
お弁当に凝ってれば凝ってるほど、楽しみだ。

たとえば、なにを作ってるか?
モンゴルは小麦粉が旨いし塩が旨い。
小麦粉を水で溶いて焼くだけで旨いのだが、玉ねぎなどでかき揚げを作る。

熱いのが旨いが、弁当に入れて冷えてもまた美味い。
ツユを別に持っていて、お弁当のかき揚げにかけてかき揚げどんなどを作る。

まさかだれも、あの広大無辺なモンゴルの砂漠で
SSERの試走隊が、かき揚げどんのお昼ご飯なんて食べてるとは思うまい。。

では、行ってきます。
まだいるけど。


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「さあ、北海道。それにモンゴルの試走」- 2014/05/15 (木) – OV

歳のせいかもしれないけど、
ここのところ目が覚めたときに
「えっと、ここはどこだっけ・・」
としばらく考えることが増えた。

まあそのくらい旅から旅への旅カラス人生だという事か?
というわけで、霧島4000が終わったあとも出かけっぱなしのボクは
事務所の椅子を温める間もなく
モンゴルの試走に旅立つ。

思い返すに、20年前。
1994年はTBIが終わるやモンゴルにいた。送り出したコンテナはロシア経由で、
毎日毎日コンテナヤードに到着の確認に行った。
今のように、コンピューターで貨物の位置がわかるなんてことは無いし
ロシア経由の貨物の当時の不着率は保険屋にして
「ありえない」
のだそうで、保険も受け付けてもらえない。

やっとの思いで、1か月かかってコンテナから引き出したランクル70は、
すでに黒山の人だかり。どこに行っても、人だかりが出来た。
いま?
いまは「その汚いクルマ?」扱い。

まあそれから20年経った。
世のなかは確かに大きく変化した。

でも人の心は、さほど大きくは変わらない。
新しいもの、には慣れてしまえば、当たり前のものに過ぎない。
古くから続くもの、それこそが真実かもしれないと思う。
ウランバートルを一歩離れたモンゴルの風景も、さほどは変わらない。
金儲けをたくらむ企業や人々の轍こそ増えたが
それも時間とともに風化していくだろ。

さあ、モンゴルと対話する夢のような日々が始まる。

 


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「続き」- 2014/05/08 (木) – OV

東京プリンスホテルは、実は徳川家霊廟あとだ。
その隣の増上寺は、ご存じその徳川の菩提寺で葵の御紋があしらわれている。
霧島までのルートに、日光を入れたのもそういう事。
歴代将軍が増上寺に祀られているが、家康公のみは日光東照宮にいる。
遺言からだが家康公は神になられた。。神仏習合である。
とまれ、いまの東京の基礎を築いたのは徳川将軍家ではある。
そして明治政府の事も覗きながら走ろうかと考えた。

そのプリンスホテルは東京オリンピックの年に開業してる。
多くの都内のホテルがそうだが、このホテル実はあまり進化というか改装をしなかった。
ボクはそれが好きで、2004年TDNの時に総支配人に
「このミッドセンチュリーな感じは、素晴らしいですね。」と申し上げて
「・・・」な顔をされたことがあった。

まあ墓の上のホテル!?と言えばそれまでだが、最近のボクには
パレスホテルとここが定宿だ。特に車があるときはここがよろしい。
カトランの大きな絵がロビーにかかってるが、
絵そのものは悪くがもっと違うチョイスがあるだろうと思う。
もっと東京を主張してほしいし、もっとミッドセンチュリーな東京をプンプンさせて欲しい。

その2004年とはガストン・ライエが、生涯の最後にバイクに乗ったツールドニッポンだ。
長崎ハウステンボス日航ホテルを出発して「日本のエネルギー」をテーマに旅をした。たとえば長崎平和祈念公園に行ったり、雲仙の「普賢」岳もルートだった。
普賢・文殊などと原子力施設にそのような名前を付けた怒りを普賢岳の大噴火に感じてみれば!?とかって思った。
そして人形峠を越え若狭湾の原発銀座やくだんの「もんじゅ」も眺めた。
フェリーで北海道に向かった。宗谷岬に向かう途中の風力発電群に驚き、
北の大地から南下して青森では恐山を越えた。
六ヶ所村の各施設群を抜け、三沢基地に行く。

福島の二つの原発を眺めて「日本は原発だらけだね」とかって言いながら、
まさに光の洪水の東京にゴールした。
東京タワーの光が、いまも瞼にあって負傷リタイアしたガストンと声を上げて
「すごいね」と言った。
「東京以外全部独立」なんて言った。この都市のために日本があるんじゃない。
東京は全国を必要としてるけど、全国は東京を必要としていない。
それがSSERの20周年記念だった。

さて霧島に向かうぼくらのラリーは、日光を越えて浅間山に向かった。
1955年。ボクの生まれた年に始まった浅間火山レース跡地だ。
日本のモーターサイクルスポーツの発祥の地といっていい。
まだ舗装されたサーキットのない時代だ。
メイカーはマン島TTを目指していた。

そこが1日目のSS会場だ。いまは嬬恋村によって丁寧に管理されている。
いわば徳川霊廟あとならぬ、日本のモーターサイクルスポーツ霊廟跡だ。
こうして、いくつもの不思議な糸を手繰ったり俯瞰したりしながら、
霧島4000とに生命を吹き込ませた。
土佐で長州で、薩摩で、思う事もたくさんあった。征韓論に端を発した?西南戦争のことまで考えた。最後の最後のCPは、西南戦争激戦の地の標識が立っていた。
時代は変わるたびに出来事生んだ。日本のあちこちに「思い」が燃え盛っていた。

ただ4,000kmの道のりを走るだけなら、砂漠でいい。日本の深遠なる文化や歴史を感じながら走るからこそ、得られるものの質が高まる。

「走る」という行為は、純粋で単純なものであっても良い。しかし「旅」である以上は、もしくは主催者がいる以上は、いくつものクエストを参加者に求める。
その密かに語りかける声に気づく者には、また違う驚きや共感を得ることが出来るのである。つまりSSERのいうラリーとは「旅」と不可分であるだけではなく、そういうものだ。

きょうの一枚
1枚目は、江戸時代の増上寺だからその手前が、いまの東京プリンスホテルあたりでしょうか。
2枚目は、ムカデの家紋。菅原さんと、そんな話になったので「百足紋は軍神毘沙門天の象徴として知られているムカデの威力にあやかりたく紋柄に採用されたものと考えられる。また出足の多いことの縁起からとも言われている。」のだそう。

 

「東京霧島4千粁米2014のこと」- 2014/05/07 (水) – OV

いまから約50年も前。
東京オリンピックとともに迎える日本の高度成長。
日本のモータースポーツというか、モータリゼーションの幕開け。
ボクタチは将来に何の不安も感じず、

輝かしい未来は誰の上にも等しい光をもたらすと感じていた。

ボクはまだ子供だった。やっと中学生になるころだったろうか。
「東京-霧島4000km」というラリーが開催された。

スポンサーは創刊間もない週刊プレイボーイだから、
危険で隠微なものだ。子供たちの手には入らない。
そこに記録されたそれは全く破天荒で、鷹揚なラリーだ。
証拠に、ラリーは1度きりだった。

後年ボクは「栄光の5000km」などのように
やはり距離こそはタイトルなんだと深く心に刻んだ。
その数字が見せる得も言われぬボリウムというかトリップが1キロごとに刻んだ
4000回だか5000回という、
当時からは信じられないほどの気の遠くなる時間。
つまり時間と距離は、複雑な関係を持つことに気がつかされた。

その栄光の5000kmは1969年に石原裕次郎主演で公開された。
日本の自動車メーカーが世界に比肩したいと
サファリやモンテへの強いあこがれが透けて見えた。
モンテで石原裕次郎が乗ってたのがフィアット124。

さて霧島4000(当時の)は、こうした時代背景に登場する。
羽田スタート~霧島を折り返し富士にゴールする4日間。
それはほとんどキャノンボールのようで、
しばらくは伝説のように語れつつもいつの間にか忘れ去られてしまっていた。
文献などまったく残っていないものの、
唯一当時の週刊プレイボーイに、その走行シーンが掲載されていた。

実はその前年、つまりプレイボーイが創刊された年にフランスでは
映画「男と女」がヒットしていた。シャバダシャバダバダ。。で有名なあれだ。
ヒットメイカーのフランシス・レイの音楽、憂鬱な雨のドービル。
フランス映画暗いなあ・・の象徴の一つだが。
男はジャンルイ・トランティニアン。場面はモンテカルロラリーとルマン。
マシンはFORD、ラリーカーはマスタングでルマンはGT40
まさに黄金比のような。。

おそらく相当影響を受けたに違いない日本のオーガナイザーは、
誰だったかはもう少し調べないとわからない。

その男と女は20年後にパリ・ダカールを舞台にIIが作られた。
テリー・サビーヌが出演していたのは有名な話だ。

長くなったから続きはまた書こう。

 


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「ステキな晴れの日々に」- 2014/04/16 (水) – OV

今年の数々のイベントのお天気を占う、SSER最初のイベントTDRは良く晴れた。
真っ白い灯台と、青空。
あの吹雪だった3年前のTDRの年は、1年中も雨と嵐に打ちのめされた。
そしてやっとめぐって来た昨年もTDRが晴れたおかげ?で、
ほぼすべてのイベントが晴れた。
そこで、今年も1年、イベントたちは「晴れ」るんだ。ということにした。

なんたって30周年だ。
コマ地図もほぼ書き終えたTBIこと霧島4000!
あとは雪に閉ざされた林道アタックチームの最終報告を待つのみ。
きっと素晴らしい天気の霧島4000になるだろうなあ。

少し景気の上向いていた昨今には、良いようでも少し困ることが発生している。
実は「霧島4000」ほぼフルグリッドの60台(定員だね)だったのだが、
「急に休めなくなった?」
「えーほんと?」
「フル操業で、GWもカレンダーどおりにしか休めなくなったよ-」
という方が急増中!!

でもまあ、そこはSSER。皆さんの苦しい胸のうちは承知。。
昨日も今日も、霧島4000の作業をしながら青空に映える日本の山々や、
林道や、岬や、ビバークの空気などを想像しては
「きっと素敵な晴れの日々が、来るんだろうなあ」
と思うことにして
もう少し準備に専念しよかね。


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「30周年・・・石の上にも30年」- -2014/04/07 (月) -OV

東京プリンスで、30周年記念の小宴を開くこととなって、
そこのオープニングに流すPVを、いつものように社内制作をするということになった。
30年の記憶を3分くらいにまとめるというのも容易ではない。
そしてボクはそのナレーションを書かなければならんのだが、これが実に難しい。
他者のものを聞き取りしながら書くのは、
まだ易しいのだが自分の事となりとホントーに難しい。
良いように書くのもあれだし、へりくだり過ぎて「まことに、粗末ですが・・・」
と書くわけにもいかない。
という事で、どんなものになるのかは、時間とも戦い、
心とも戦わなければならないので、陳腐なものになってても笑わないで。。
本人たちは大まじめなのだから。

30年は過去には「企業の寿命」といわれ、ひとりの人間が就職して定年退職するまでの時間だ。
その入社を夢に見て入った企業(若しくは産業)は、隆盛を極めてるので志望して入社するのだが・・
30年後には見事に斜陽産業になっている。斜陽ならいいのだが存在していない場合も少なくない。

近年は、そのサイクルはさらに短くなり、ひとは人生に何度も職を変えなければならなくなった。
こうして「一生をかけてする仕事」はかなり厳しくなってきた。
それにしたがって人材の流動化もしなければならないので、非正規だとか正規社員だとかという概念も、
さらに大きく変わる。変わらなければ、生き残れない。

石の上にも3年、とはよく言うけれど、3年は長すぎる。
半年か1年で答えの出ないものは、事業としては厳しい。
なのに30年。いささかも長きに過ぎた。
変わらなければ、は強迫観念になってきた。

そうして20年を超えたあたりから「変わろう」「変えよう」の掛け声の日々だった。
つまりそれも、ボク流に言うと「変わろうとしないから変わろうと言ってるにすぎなくて、
変えろ変わろうとはまた、変わらないことの証左にすぎないのだ。」
ともいえる。

ところがいまナレーション原稿を書きながら思う。なんだ30年間くらい。そんなものは変わらなくても良い。
変わろうとするエネルギーよりも陳腐化を受け入れて変わるまいとする意志こそが、実は時代を切り開くのではないかと思っている。
右往左往しているのは、実は「時代」という、まあメディアが作り出している幻影にすぎない。
それに踊らされる若い経営者の群れ。

先月、講演会で聞いたファンドだかの若い経営者の「人生は、変えられる。」
「毎日このままの生活でいいんですか!?」という絶叫めいたアジテーションに感じた
「いいんだよ、それで。」を30年費やしたボクは、いまいちど「それでいいんだよ」と言おう。

その講演者に送るのが、きょうの一枚

http://www.foxmovies.jp/life/

 


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「いかん、また長くOVを書かんかった。。。」- 2014/03/31 (月) – OV

どうも「旅」をしてないと。ものを書く気がしない。
よくも紀行文なんていうジャンルがあるものだと思う。

旅は、自分を詩人にする。
どんなに小さい旅でも、ひとたび旅立てば感性が触手を伸ばしはじめるような気がする。
たとえば、毎年見る近くの桜も良いがたとえば旅先で出会う桜は、
尋常じゃないくらい心に響く。
つまり旅の心が、感性を増幅させているのだ。

旅は試走でも良いし、ユーラシア大陸を横断するほどの激しいものであってもいい。。
でもタクラマカンなどを旅をした夜は、とにかく文章が書きたくて仕方なくなった。
そうそう、タリンなんて深夜に着いたのに書きまくってたなあ。。。

なんだろうなあ「旅」って。
で、考えてみたら走りながらさまざまに見た物や心の変化を、
小刻みに心の中にメモをしてる。いわゆる描写をしているのだ。
バイクならなおさらだ。
文章を組み立てていて溢れだしそうになることもしばしばだ。
インカムなんてないのがよろしい。

ではということで
SSERの30年の記念の旅をしようと思う。この記念、というのは体の良い言い訳で、
とにかく感性の補充のために、行く。

感性と冒険の旅に行こう!件のはなしも、きちんとみんなに話をする
タイミングも遠くないし(えっ?わからないか。)

そうそう、TDRが直近だった。。


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「旅 TBI」- 2014/03/19 (水) – OV

記録的な大雪は、いまだに多くの林道を閉じ込めて試走チームは試練の連続だ。
林道の出入り口でコマ図を書き終えて、出口に遠路回り込む。近い時もあれば気が遠くなるようなときもある。
そういえば昔TDNの試走で、岩手の林道で日が暮れて、遠野まで200キロ近く遠回りをして、深夜に遠野の旅館に泊めてもらった。
この時の日本縦断の試走の時の旅館の数々は楽しかった・・・
もとい、そして翌日は遠野からその林道を逆進入。。。
通行不能箇所は徒歩で距離を測った。。。

こうしてみると試走も「旅」であることに変わりない。
トラベルの語源はトラブルだ(ウソ)、
現代はともかく、古くから旅はなにかとトラブルとの闘いだった。
だからそれが人を成長させてきた。
「かわいい子には旅をさせろ」の「旅」は過去のもので、
最近は「可愛い子と旅をしよう」・・・いかん、話がおかしくなった。
ふたたび、もとい。

かわいい子には旅をの旅は「試練」を与えよというのだが、
それを試練と言ってしまうと何かロマンが無くなってしまう事に気がついて、
「旅」と言った人にはセンスがあった。

旅はトラブルがつきもので、それをいかに予見しておくか、
交わすか、愉しむか、方法や考え方はいくつもある。

旅。なにかこうこの不思議な心の動きのをもたらすものに、はるかなる憧憬を感じながら、
霧島までの道のりを楽しんでもらいたいなあ。。


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「夜はまだあけぬのか」- 2014/03/12 (水) – OV

このタイトルは、10年ほど前に失明寸前にあったボクが手にした1冊。
故梅棹忠夫さんの失明後の闘病記。まさに「まだ夜はあけぬのか」だった。
当時は原因不明とされていたが、その病名は急性黄斑変性だ。
ボクは悩んでいた。

それでも案外大丈夫なもので、かなり視力は低下したものの10年を経過した。
梅棹忠夫という「知の巨人」に、しっかりと出くわしたのはそんなころだった。

いやこんな話になぜ行き着いたかというと実はモンゴルだ。
今年のルートの楽しみは「東」だ。東に行くだけ行けばホロンバイル草原があり、その先にはノモンハンがある。大興安嶺の西だ。

大興安嶺、確か探検隊の話があったなあ。。。そう、子供のころむさぼり読んだ山の本、今西錦司だ。梅棹先生も今西門下だった。いうところの京都学派だ。
彼らほど遊牧民やモンゴルの研究をした人たちもいないなあ。。。とまあそういうお話だ。
決まって彼らは山に登っていた。不思議だと思ったが、やがて彼らの言うフィールドワークとは、山登りと同質だという事が分かった。

モンゴルでラリーを始める1年ほど前に、京大の国立民俗博物館に遊牧民研究の第一人者である松原教授にお話を伺いに行った。
奇遇なことに松原先生は、いまでは松山市の子規記念館の館長でもある。
20年も前の話だ。
赤松カメラマンが最近お目にかかって、20年前の話をしたら覚えられていたよ、とか言っていたなあ。。

教授はまだ乳飲み子の娘と奥さんと3人で、シルクロードを確かトルコだかイランだかから歩いて数年がかりの旅をしている。

京都学派の言うフィールドワークの凄まじさを感じる。

また話は変わる。モンゴルとは蒙古という。蒙昧で古い、という蔑称のようでもある。
「蒙」とはまあ、「目が見えているはずなのに見えていない」そんなイメージだ。
「夜はまだあけぬのか」は、なにか今の日本人の陥っている蒙昧な感覚を覚醒させる。

さあ、でもまあモンゴルの大地は、まだ氷に閉ざされているか。。


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