Organisation Voice 2005/06

2005/06/29 (水曜日)

WTOに加盟した中国は知財管理をはじめました。国家知的財産権保護作業チームというのがこの8月まで集中取締りを行う予定を12月まで延期すると発表。記者会見では「知的財産や版権の侵害を認めない」という姿勢を貫くのでありますが・・・北京の有名なコピー商品だけの百貨店は、相変わらず大賑わい??ロレックスはいうに及ばず、パネライからジャガー・ルクルトの新作まで!ところ狭し!「BMWのNEW-7シリーズのコピーも80万円から!新車ですよ」って見てみたいと思うのがおかしい??こうした文化は急速にはなくならないのでしょうが・・・器用なものです。昔は日本人もひょっとしたら世界から、そう見られていたのかもと思うとぞっとしますね。
きょうの一枚
山へ向かうピスト。正面のイヒボグド山へ向かいます。大きな扇状地、手前を左へ進路を取ります。山が近くなると穴が増える!という原則を覚えてください。BTOU2005ミニ写真館より

2005/06/28 (火曜日)

 
 
今日のOVは猛暑と喧騒のBEIJINGからお届けします。
BEIJING 2008 といえばオリンピック!「そうか8月開催か?2008年はBEIJING-ULANBAATARは、スタート地を変えたほうがいいかもね・・・」なんて遠い目をしています。それにしてもこの地の8月にやりますか?!オリンピックを・・・来週の天気予報では(7月初旬ですよ)・・・最高気温は北京では39℃って発表されています。さきのOVでは8月にはいってから猛暑休業と書きましたが、実は7月から実施されるそうで、まもなくこの都市は麻痺状態に なる見込みです。ホテルのロビーの空調の温度も公安がチェックするのだそうであります。
「・・・・・・・」
悩む僕
「・・・・・・・」
中国の担当者
「食欲がない・・・」
「?????」
それでも北京の夜は更けていくのであります。
ラリーの公式時間は各地のローカルタイムを使います。と言っても中国国内のみ-1時間で、モンゴルでは日本時間と同じです。また中国では次のように表記します。スタート7:00(日本時間8:00)という風にですので間違えることはないと思いますが・・・。
きょうの一枚
祝!梅雨明け!ということで久々の奄美。素晴らしい夏がやってきていることでしょう。また訪れたいところです。

2005/06/27 (月曜日)

原油高騰続く!!世界の石油需要は驚異的に伸び、生産量が追いつかない逼迫した状況が続いています。これは中国の需要急増が主原因ですが、これからも原油の利権を争う20世紀型の動向は続きそうです。いやですね。
また航空業界も運賃の値上げを打ち出しています。中国やモンゴルのガソリンも高騰。日本並みというかもうガソリン代などは世界的に標準化していくのではないかと。とまれこの夏のラリー・・・ガソリンの調達に暗雲??また中国国内では未曾有の電力危機!!この夏は企業には強制的に夏の期間中の営業停止や操業停止で8月1日から14日まで強制的な夏休みを取らせるとか・・・・・ピンチ!だSSER!というわけで、明日にも早速北京に飛んで、状況の確認とレポートを行います。関係先とのミーティングも。ガソリンの確保もだ!という四国は強烈な水不足!デイアフタートゥモローは、もうすぐ?
デイアフタートゥモローで思い出したけど、だいたいアメリカの原油価格も、昨年の超大型ハリケーンのたびに高騰したというではないですか。こうした世界的な危機にも金を儲けてやろう!という原油逼迫に便乗した投機筋のマネーもこの価格高騰に拍車をかけているはず。いよいよ次世代エネルギーへのバトンタッチのはずなのですが、なかなか次世代エネルギーが本格的に姿を現しません。
ゴビ砂漠では中国の火力発電所つまり北京と上海のエアコンの電源!石炭の需要が高まっていて大騒ぎ。ついでにあんなにたくさんいた野生動物も中国人が根こそぎ持って行ってるので・・・・・
中国人と食事をしてのお話
「そんなにたくさん頼んでも食べられませんよ」
「大丈夫」
「こんなに残して、もったいないですよ」
「大丈夫」
「まもなく世界的に緊迫した食糧危機になるんですよ」
「そんなわけないですよ」
「・・・・・・・」
「???????」
「・・・・・・・」
公共広告機構は中国でもCM流すべきです。
まあパートナーの国のコメントはこのくらいにしておかなきゃ。
きょうの一枚
ミニがシェイクダウンテスト中!車高も高めで少し安心!!やってくれるかなあ。ということで今日はミニとベスパ!この夏2つの話題!というか・・・

2005/06/24 (金曜日)

御礼とちょっとBTOUのプチインフォメーション

いくつかのモンゴル選手用車両の大変心温まるご紹介をいただいており感謝です。いま先方にも問い合わせたりと調整中!です。あまりもの事務所の多忙でそれぞれへのご連絡が充分でない点お詫びいたします。
ゲルにお泊りの方は、お申し込みの方全員の分が確保できています。それでも不安なのは分からなくはないのですが、ご安心下さい。食器の携行もレギュレーションで求めていない!と言うことは不要だということです。フラリとレストランテントにお越し下さい。グリーンプラスチック製などの耐環境性能の高いものを用意しています。またついでにお話しますと、今回から合成洗剤の使用を中止する予定です。ゾーモットの井戸では洗剤・石鹸・シャンプーの使用を禁止しようと考えています。非常に貴重なゴビの泉で、野生動物やラクダ達の生命の泉です。という風に今回のラリーではエコチャレンジ部門も併設されるのですから、もう少し進んだ環境意識を持ちたいと考えています。完璧というわけにはいきませんが、ぜひご協力下さい。またモンゴル人参加者たちにも、そうした意識を伝えるのも我々の役目かもしれませんので「モンゴル人は出来ていないのに!何で自分たちだけ!!」というような狭小な考えをちょっとここは伏せておいてください。
持ち込む全ての物は持ち帰ってください。仕方ないトイレットペーパーなどは水溶性のものでウエットティッシュなど水に解けない物の使用は出来ません。ランチパックは前日のゴミが揃っていなければ当日の物をお渡しできません。とまあこのあとのインフォメーションで書く予定のことを書きました。参加される方は少し気に留めておいてください。参加されない方も・・・環境にも意識してるのね!というご理解をいただければ幸いです。ボクはこのあとまたあの暑い北京に行かなければなりません・・・暑くて食欲がないときの北京のなんとむなしいことか・・・。
きょうの一枚
なんと草原に野戦砲が・・・これもルートブックに出てきます。エタップ7のスタートしてまもなくの所です。ここは旧ソ連時代のコルホーズの中を走るルート!雨雲に大砲を打ち込んで雨を降らせるのだと言うではありませんか!松山の自衛隊にもちょっとやってもらわないといけないかもの雨不足!!

2005/06/23 (木曜日)

「元とはいったいナニだったか」

中国の通貨は「元」ですがなぜか紙幣には「圓」と書かれています。発音は「ユアン」です。これはどういうことか?は知っている人が居たら教えてください。いや通貨の「元」のお話をするつもりじゃなかったのですが、かき始めたついでに言うと、僕の最大の不安は実は昨今ウワサされている「元の切り上げ!!」のことです。元は対ドルが固定されていて1USDが8元くらいです。これがまあ最近の経済成長から見たら「安すぎる」のです。中国経済は輸出依存ですから安いほど有利なわけで、これがプラザ合意のあとの円みたいになると、世界の工場!というわけには行かなくなるわけです。人件費も上がり元も今の倍くらいの為替水準になれば、国際競争力を失ってしまうのは明白です。まあ政府による切り上げか自由相場制への移行か知りませんが臨界点には来ていることは事実で、中国進出企業はどのように対応を考えているんでしょうか。
仮に変動相場制に移行したとしても市場のことなので、確実なことは何一つないのですが、日本もプラザ合意(SSERの第1回大会の時だったから1985年)のあと1ドル240円から120円まで急進していきました。つまり円の価値は倍になったわけです。流行ったのは海外旅行(さあ旅行業 関係の皆さん中国語ですぞ)行き詰ったのは輸出産業(さあ現地に工場をお持ちの皆さん、どうしますか)その頃はまだバブル期でしたから「知価革命」とかって本なんかが脚光を浴びて、ビジネスのカタチに大きな変化が見られるようになりました。同時に安い労働市場を求めてNIESとかNICSなんて言葉と共に、そうした国々への工場移転が始まりました。消費力旺盛な今の中国も、流石に元が2倍くらいに跳ね上がると急速な原油輸入国、食糧輸入国になった今、どうにも立ち行かなくなる可能性が出てきます。そうすると今度は元が下がってきて・・・という繰り返しかもしれません。
僕たちの住む田舎の都市でも市街地は地価が高く郊外へのドーナツ化現象があの頃から起きて、今では旧市街地は子供が居なくて小学校は統合したり住宅街は歯抜けだらけ、で郊外よりも土地はまだ少し高いのですが家族の生涯交通費を計算すると市街地がはるかに安いという計算が成り立ちます。
ボクンチは今や繁華街から徒歩圏内の松山の一等地!?数年前までは飲んでタクシー!で帰ると3000円!で次の日もタクシー出勤!往復5000円月に10回で5万円で年間60万円を20年間やっていましたから、飲み代のほかに1200万円を・・・・・って一体何の話になってるんでしょうか。で日本中国、一番儲けているのはタクシーならぬ海運業。未曾有の好景気なの!知っていました?
本当は今日は「元王朝の興亡」について書くつもりだったのに。
きょうの一枚
草原で心惹かれた井戸。何ともいえぬアートな空気。

2005/06/22 (水曜日)

BEIJING-ULANBAATAR 2005 ETAP-4
「奇跡のような一日」

なぜこの日のことだけ突然書くのか?それは初めて特別な許可を取って、これまで10年間ラリーが入れなかったエリアに入る日だから・・・・・なのですが、それは10年来の夢でもありました。モンゴル国自然環境省の副大臣に直接談判していただいた貴重な許可であります。それ以外にもこのエタップには新しい試みが用意されてもいます。スタートするや「おや?サハラか!」というような風景が現れます。ニジェールやアルジェリアの奥、アルジェリアといえば、オリオールが「ホッガー」という新しいラリーを開催するみたいですね。ホッガーはフーコー牧師のエルミタージュのある神秘的な山です。かつてのパリダカールでは、このホッガーのアセクラムの石だらけのヒルクライムに苦労したものです・・・・・。
話がそれた。まあそんな風景が連続。そして紛れもなくテネレのような大地。そして砂漠の中の並木に驚きます。ある村は、まるでテジカジャ(モーリタニア)のよう。そしてSSをフィニッシュすると短いリエゾンで砂丘に挑みます。ゴールすると直ちにパルクフェルメが求められるリエゾンは3時間で20kmあまりを進まなければなりません。東西100kmに及ぶ美しい砂丘を、何とか渡るルートを見つけなければならないのです。エコチャレンジもここでは同じルートを通ります。
ゴールまでに明日のスタート準備をするか、明日のスタートもリエゾンですから、そこで対応するか?3時間を過ぎるとペナルティが加算され始めます。まあパリダカで言うマラソンエタップ。リエゾンを設置することで、少しばかりリライアビリティな感じでしょうか。
さらにビバークにはカフェ、シャワー、冷えたビール!!まさに砂漠の中のオアシス。駱駝に乗って砂丘ツアーも出来たりなんかします。で、パルクフェルメで夜は静かで美しい時間。この日は発電機もお休みです。
きょうの一枚
やがて砂っぽくなって砂丘地帯に。これまでに憧れ続けて許可の取れなかった砂丘。エタップ4です。ビバークからも眺められて、ビバークは快適!冷えたビールも大量発注済!ベッドだし。

2005/06/21 (火曜日)

今日も地元TVの取材はスーパーカブネタ。昨夜もどこかのTV で、ちょっと前にはNHKで・・・・・一帯このムーブメントは何としたことでしょう。「果たしてスーパーカブは完走できるか?」という厳しい質問には「きょうの一枚」でお答えします。これ、マジで走っています。で、全然お気に入りで走っているわけではなくて、年老いた遊牧民の一家が走っています。「この車と交換する?」と聞けば大喜びで替えてくれるのでしょうが、ボクたちでは走らせても保たせることが出来ないでしょう。こんな車がマニアではなく普通に生活の足で走っているのって、もう世界中に無いかもでしょ。しかもガンガンのオフロード!!ミニは?カブは?ベスパは?はたまたプリウスは?と2005年の夏は心配ネタが尽きませんねえ。あと靖国と???

2005/06/28 (月曜日)

ただいま・・・・・
「クールビズに意義あり!!」
すっかり留守をしていると、面白いことが国内で起きている。クールビズだそうで、「パジャマDeオジャマ」かと間違えてしまった。滑稽なのである。地球温暖化防止のため?なのだそうだが。TPOはどこへ行った!?オフィスでがんがん働くためにあんなスタイルもまあ100歩譲ろう。でも世界のメディアが伝える官房長官などのプレスカンファレンスには、ビシッとドレスアップしなければならない。
ホリエモンのTシャツ姿を「テレビの前に出るのにいかがか?」と言った連中はどうした?ホリエモンのTシャツより、相当に趣味が悪く、かつかっこ悪い。嘆かわしい。およそ人前に出る姿ではない。28℃にエアコンを設定しても、ドレスアップできないわけ無い。サマーウーステッドをオシャレに着こなして涼しい顔をしているのが粋というもので、大体そんなに身体を動かさないし、新陳代謝もそう多くない年齢に達しかけた彼らが・・・まさか広告塔のつもりになると思っているのなら逆効果だからおやめなさい。
と、ルートインフォメーションでも書くのならいざ知らず、こんなことを書いてしまった。明日役所に行くのにアロハシャツ着て行ってやろう。「それにしても日本は暑い」モンゴルウランバートルは人間の快適な環境はこうだ!てな気温と湿度。冬のことはともかく・・・・・
「リタイアしてからが○○だ。」
カミオンバレイ部隊の概要が決まりつつあります。彼らはZ-1とか、Zではじまるゼッケンをつけます。アルファベットの最後の文字から、これが最後尾ですよ。という意味です。これに連動してM-1とMではじまるゼッケンは「メディカル」お医者さんが乗っていますよ。という意味ですが、この部隊に1台の大型カマズと2台の日本製ピックアップ、2台の日本製4×4が走ります。収容座席数最大で約12座。エアコンと冷たいコーラが用意されているので「リタイアもまんざら悪くない」と、これまでの常識を覆します。「リタイアしてからが冒険だ」から「リタイアしてからが○○だ。」に替わります。さてこの○○に当てはまる正しい言葉は何でしょう?
急募!!ラリーレイドバイク
モンゴル人ライダーから、急遽ですが1台のマシンのオファーがありました。金額的にはあまり予算があると言うわけではありませんが、廉価でお分けいただける方はご一報うただければ幸いです。
きょうの一枚
今日「駱駝」という雑誌の創刊号を買った。関係ない?
ゴビ砂漠で会った駱駝に乗った家族。小さな子供も大勢居て村から村へ・・・と言っても数百キロもある・・・・・。

2005/06/17 (金曜日)

きょうの一枚
ラリーのSSスタート地点。これはウランバートル郊外。2002年、ETAP-1先頭グループのバイクがリエゾンを終えてコントロールゾーン手前で待機中の模様。いよいよ始まるという感じ。乗用車などはモンゴル人選手の仲間や家族の見送り。

2005/06/16 (木曜日)

きょうの一枚
ウランバートル国際空港、近年随分と近代化が進んできています。ボールディングブリッジもない時代の冬の到着便は、結構しびれましたけど。

2005/06/15 (水曜日)

モンゴルパートの試走が終わりました。自画自賛をお許しいただければ、これは素晴らしいです。前人未踏のゴビの大横断ルート!!今回本番ではカミオンバレイ役を引き受けたスガワラテルヒトも、コースを知悉しておくために参加。ここの所パリダカを知り尽くした彼も「素晴らしい」の連発。きっと近いうちの「ディープな世界」に詳しいことでしょう。僕はどちらかというと第2世代のパリダカ経験者ですが・・・・・彼は最新のダカールをよく知っています。
この本当に信じられないような景観の連続は、かつての第2世代のパリダカを髣髴とさせるシーンがたびたび現れます。蜃気楼に揺れるゴビの大横断、多くの古い(失礼!)パリダカの先輩たちの今回の参加者には、とびっきりのプレゼントになり、ニュージェネレーションには、新鮮な感動をお約束!いたします。
また試走中にも猛暑だった2002年に比べて、今回の試走は実に快適・・・実は「試走中と本番の天候はよく似ている」というのが過去10年のデータであり、ジンクス。あまり楽観は許されないものの、快適な気温で灼熱の(って、わけ分からんですが)ゴビの大横断を実現!!
で、北京は今日は38℃だって。このあと中国ステージの試走にお出かけします。参加者の皆さんに、緊急のお願いがあります。中国とモンゴルとも運転免許証の発行のために国際運転免許証の本通が必要になり、両国間を行き来するために時間がなくなりました。大至急提出してくださいという連絡が届くと思いますので、協力をお願いいたします。
きょうの一枚
草原に暮らす遊牧民は、政治や経済に無関心かというと実はそうでもないのです。どちらかというと日本人より政治に対する関心は高い。また識字率も驚くばかりです。

2005/06/14 (火曜日)

きょうの一枚
RCPの様子です。給油を受け1時間のニュートラルタイムを受けます。早く行きたい人。救われた人、さまざまなドラマも垣間見えます。後続車のビハインドを確認できるのもここ。エコ部門は1時間以内に自由に再出発!

2005/06/13 (月曜日)

きょうの一枚
SSERチャーターの輸送機アントノフ。今年は使いません。というか使えません。
オリアスタイ空港にて。

2005/06/10 (金曜日)

きょうの一枚
ビバーク。日が沈むのは午後10時を過ぎてから。満天の星空を眺めるのは困難なほど疲れている人も少なくありませんね。今年は新月なので、見れますよ。

2005/06/09 (木曜日)

きょうの一枚
これは閉会式の行われるアブダイサイハーンパレス。世界最大のゲルです。中に入れば納得。100人がらくらく座れてパーティーが粛々と・・・・・。

2005/06/08 (水曜日)

きょうの一枚
参加者のコンテナ。モンゴル国内では結構大変な作業なのです。以前はこうしてスタ
ート地点のホテルに下ろしていたのですね。

2005/06/07 (火曜日)

きょうの一枚
号車のバックアップ用のコマ地図。1号車は実際のコマ地図のフォーマットにダイレクトに書き込んでいく。

2005/06/03 (金曜日)

きょうの一枚
ディナーの準備中。羊の肉は毎日手に入れるわけではなく「よーし、今日は羊を買うぞー」「わー」みたいな感じである

2005/06/02 (木曜日)

ところでBTOU参加マシンでムースタイヤを使う人はどのくらいいるのだろうか?北京ではスタート直後から高速道で移動することに。夏の最も暑い一日、ムースに万一のことがあれば、かなり厄介な事態になるのではないかという心配。さりとて禁止するわけにも行かず・・・・・どうしたものかとこれまた悩んでいますが、参加者の責任とするべきかとも考えます。というのも最新のムースのデータが手元にないわけです。溶けるのか溶けないのか?溶けた後どうなるのか?
一緒に試走に出かけてるT君「パリダカでも冬の高速道でバッコバッコになってる」かと思えば「マリやセネガルあたりのリエゾン500kmをぜんぜん平気で走ってるしなあ」ということで、使用に関しては制限をしません。
こちらも急に暑くなってきたようで、明日にはゴビの南端に到達する予定です。ちょっとまだ誰も知らないようなエリアの許可が取れましたので、われわれも楽しみにしています。
きょうの一枚
試走中のキャンプ。車でコノ字型のスペースを作ってシェルター(テント)を立てる。寝るのは簡易ベッド。夜は冷え込みます。

2005/06/01 (水曜日)

10年前1995年6月1日。モンゴルの試走の1日目。非常に親しい友の悲報が届いた。フリージャーナリストの永山竜叶君だ。この日以来ボクは毎年6月1日を、モンゴルで迎えている。10年を機に今いちど、深い黙祷を捧げたい。
10年という月日は、確かなボリュームを持って存在する。震災から10年。初めてのRRMから10年。この年1ドルは79円まで安くなった。失われた10年と言われた90年代の真ん中。しかし記憶の10年というものは、昨日のことを忘れても10年前のリアリティは確かだ。あの頃は、そう強烈に激しく生きていたような気がする。息つくまもなく、ただ目標に向かって情熱だけに支えられて。昨日書いた「6分の侠気、4分の熱」とはこの時代の反省に立ったものだと告白する。
故永山君とは、共にモンゴルでヘリで旅をするコトになっていた。特に飛行機が好きな彼は、自分の事務所の名前も「アビアプレス」電話で「アビアプレスの永山です」とか言うと先方は「おっ、アジアプレスか?!」と言って話を聞いてくれたはずだ。上手いのである、そういうことが。それがしかしフリージャーナリストの真骨頂でもあった。そういえばこの年の4月?発表会を予定していたセンチュリーハイアットには、報道陣が押しかけていた。「おおっ!?」にわかに騒然。SSERの白いバスも当然厳しい目が注がれて、地下鉄サリン事件を起こした教団の代表が、同じホテルに潜伏していた。永山君は大喜びで走り回っていたような気がする。
TBIを広く伝え、中期のSSERをこよなく愛してくれた。そこには何の計算も無く、ただただ「好き!」というモチベーションに溢れていた。ボクのガレージには彼が東京のアシで使っていたXT250Tが、彼の友人らの手できれいに整備されて、いつでも主のライディングを待つ姿で佇んでいて、我々のラリーの準備などを見守っている。
合掌

きょうの一枚
試走中、ゴビの井戸に集まるらくだ。遊牧民が居なくて水が飲めない時はこうして通りかかった我々が、水をやる。