No.0254 – Organisation Voice 2001/02/28

昨年末より懸案の連載ドキュメントが、THE TALKにいよいよ登場。web出版ですね。もう既に、かなりの文量が書きためられたので、いよいよ発表に踏み切ったものです。早速お読みいただいた方は、何かご意見をお送りください。これは 1991年頃、ランクル70.60と闘ってきて、やっとコイルサスになったランクル80の物語から始まります。そして、1992年のパリ・北京の頃へと続きます。、やがて、いよいよ自分たちの手で海外ラリーを開催するに至る、そのメイキングストーリーなんです。一見何もかもうまく言ったかに見える(えっ、見えない!)僕のここまでのライフワークですが、今年のTBIに出ようって思ってから、なぜかいろいろと振り返ってしまいます。つらいことや、口では言い表せないこと、悔しくて悔しくてどうしょうも無かったこと。それはたくさんあります。

昨日、エントリーフォームを持ってきた、ある常連参加者に「初めて出るんで分からんことだらけや、教えてね?」と、彼からインナーウエアのことや、持っていくものまで、いろいろと教えてもらっていたんですね。すると、教えてくれながら彼がポツリと、こんなことを言ったんですね。「ブルーアイランドはほんとに素晴らしい経験だ、僕はいろんなことを、ここから学び、いろんなことを考えさせられた。この僕の最近の10年はまさにブルーアイランドとともに在った。感謝している。」というんです。僕は危うく、涙が出てきそうになってしまいました。このTBIを走るということは、実は参加したことがないから何ともいえないんだけど、大変なことだろうと思う。まず体力、そしてそれに向かっての準備。例えばオフィシャルにしてもGWに1週間も家を空けれるという、なんでもないようだけど幸せなこと。何にか問題があったら、13年間も続かないんですねえ。それもいよいよ最終回。大勢の参加者と一緒に走る楽しさは、いったいどんなモンなんだろうか、宜しくお願いしますね。

THE TALK「彼方へ」はこちら


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No.0253 – Organisation Voice 2001/02/27

最近思うんであるが、モノの価値がわかりにくくなって久しい。いや価値ではなく正確に言うならば、価格である。価格破壊!とかもてはやされて、それはアジア諸国の工業生産技術の向上や、もちろん1円でも安い生産価格や労働力を求めて彷徨する日本企業の、いわゆる企業努力の賜物ではある。「利は元にあり。」と、つまり安く仕入れれば仕入れるほど儲かる、という原則なのだ。

しかしそれがもたらしてる現状は何か、と気がつく企業はまだ少ない。ある過疎に悩む町の方とお話をした。もちろん過疎に悩まない地方の小さい町村は、稀なんだろうけど。で僕の意見「人口はその町や地域が養える人口を、自動的に調整する機能があって、5,000人の町には5,000人を養うだけのポテンシャルしかないんだと思いますよ。企業活動も同じことがいえて、100人の社員のいる企業が雇用促進で社会に貢献したいと思い立って、仮に1,000人を採用したって成り立たない。人口とはそうしたもんだと思います。ただ地球人口はどうしたものか。」

何が言いたいのかわからなくなった。田舎の人口が減って、都市部の人口が増えるということは、つまり第一次産業従事者が減って、サービス業従事者が増えてるということ。最近旅をして思うことは日本の原風景は、田んぼや、漁港、手入れの行き届いた森林やそこに暮らす人々の息遣い。そして大きな問題のひとつは、そうした原風景の喪失ではないのか、と思う。食糧危機が眼前に迫る日本も、今の経済危機の対応も出来ずに、山河を枯らしてしまって行く。海外から来る食糧が安いから、海外で生産したら安いから、ならいっそ政治家もサッカーの監督のように海外から雇ってくればどうかねえ。カルロス・ゴーンなんていい仕事をするぞう。

今僕たちが立ち返って反省するのは、もう一度日本という風土を、見直すこと、再発見すること。そして決してオフロードライダーは環境破壊者や、なにかの加害者ではない。むしろ哲人のようなものだと思ってもらえれば良い。環境破壊をし尽くした人たちは、たくさん居る。そしてその人たちは平均して個人的には豊かである。つまりこの国の豊かさとは、そんなもので、豊かさの量なんてほとんど一定で、皆が豊かになるなんて幻想なんじゃないだろうか。だからって保護主義に走れといってるのではなく、バランスよく作り、住み、遊ぶ。それが今の僕たち日本人に必要なことだと思う。賢者はわれわれである、といういままでなかった社会との構図が見えてきたようにも思う。


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No.0252 – Organisation Voice 2001/02/26

今日2月26日。と聞いて思い出すのは65年前のあの2.26事件。それは1936年(昭和11年)雪の東京、首相官邸。いまとなっては映画的なイメージが強いそれは、三島由紀夫の世界にも似て、幻想のかなたに消えてゆきそうだ。同じ年パリダカでなじみの深いスペイン領モロッコでは、フランコ将軍率いる反乱軍の蜂起でスペイン全土も内乱、とにかくどこもここも帝国主義の暗部へと突き進んでいった。ちなみにベルリンオリンピックもこの年である。戦争を肯定する気などさらさらないのだが、なんかこう風雲急を告げる、といったざわめき截つようなあの感じは嫌いではない。もちろん目の前に戦争が近づいてきている、という経験などありはしないんであるが。少なくとも男たちのなかには、こうした僕のような意識を持っている可能性があって、それが危険なんだと思う。で、それをコントロールするのが知性であるということなど言うまでもない。

ところでパリダカに出る!とか、ラリーレイドモンゴルに出る!またまたTBIにでる!という行動でも、そのざわめき立つ、という感覚は感知することが出来る。その感覚がヴァイタル指数を上げるんじゃないだろうか。つまり、生きる力を漲らせるのではないかと思うのである、そうそれはまるで政治家のように。つまり強烈な目的意識、それは常に自らを、競技者であるという環境においておくことで高められ、研ぎ澄まされる。つまり肉体的な衰えほど、精神は老けない。よって若くいられ、戦闘的な精神を葬り去られることはないのである。こうして、パリダカなどは、言い方は悪いが戦争のオルタナティヴとして、男たちの憧憬を独り占めにしたのではないかと、真剣にそう思っている。1988年始めて参加したパリダカにフランスのメディアはこう書いた「参加者数における死者の割合は、ベトナム戦争のそれに匹敵する」と、もちろんその後、安全対策などの飛躍的向上によって、そういった不安は極めて低くなってきてる。それにしても最近の僕は、たかが2月26日というだけで、ここまで考えが発展してしまう。大丈夫だろうか?

話は変わる、スーパーNだが輸入エンデューロマシン(逆輸入もあるよ)の試乗会はクローズドコースで行います。BMWのパリダカマシンも用意できたら良いなあ!大隅さん、このコラム読んでたらメールくださいな。楽しく愉快な午後のひとときを過ごしましょうね。またまた話は変わる。さっきNISSANプリメーラとすれ違った。デザインの勝利だねえ。ここまでドラスチックにデザインの変革が起きようとは、まさにフランス革命だよ、だってそれ以外の最新国産車のデザインが急に色褪せて見えてしまうではないの。「変わるって、ドキドキ」のコピーを思い出した月曜のお昼時でした。

きょうの1枚
もう随分と暖かくなってきたんダケド、もう一気に暖かくするためにあの暑いゾーモッドの井戸から見た平原の写真をお届けだい。夏は冬が恋しくて、冬は春が恋しくて、都市に暮らす僕たちは、田舎暮らしや冒険の旅に憧れるように、島国に住む私たち日本人は、はるか大陸に憧れるはず、なんだけど。


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No.0251 – Organisation Voice 2001/02/23

よく読む雑誌に、TBSブリタニカの隔週刊の「PEN」とかワールドフォトプレスの「MEMO」なんてのがある。大人になった子供たちの本なのか、大人になりきれない子供の本なのか。思うにターゲットは35歳から45歳くらいだ。もちろん誌面に差別感を出さなければいけない、ってんで一方はファッションに振り、もう一方はいかに暮らすかといった視点で都市部の洗練された少住宅などの特集が多い。時には「心を癒す大人のバー」だとか「江戸の粋がどうの」なんて、われわれヴァンジャケットエイジ(こんな言葉すらもう分からないんじゃないだろうか)の心を揺さぶるではないか。

揺さぶると言えば、戻ってきた中年ライダー。ナニにどう揺さぶられて帰ってきたかは知らないけれど、バイクはかっこいい!けど、そのライディングウエアはなんだ!ってのが多い。あいや実は昔からずっと乗ってる人にも多い。誤解を恐れずに書くとBMW乗りに多い、実に多い。もちろんこれはGS乗りは例外であるんだが。でBMWの純正ウエアが実に恐ろしい。それはむちゃくちゃかっこいいんだが、着こなすのは至難の業であるね。ヘルメットもそうだ。じゃあ日本製の何がかっこいいか、って言うと案外これがない。オフロードウエアは問題ないんだが、ロード用に何を着るかという事になると、頭の痛い問題だと思うね。

話は変わる。宮崎シーガイアが倒産しちっやった、テーマパークの多くが同じような憂き目に遭ってる。でもユニバーサルスタジオとか、まだできるんだと聞く。これらにやる気をもたらせてるものがあるとしたら、中台の海外旅行ブームだったり、東京ディズニーランドの記録的な成功にあるんだろうねえ。で今週号の「PEN」のコラムに、いまさらながらに、45000人のスタッフ全員が清掃にいそしむディズニーワールド!なんて書いてある。そこの「サービスは自己満足じゃだめだ」客の要望に応えるために、マニュアル以外のことをしなくてはならないとき、担当以外の自己判断で、出来うる限りのベストを尽くすことが求められる。ディズニーワールドでは、スタッフ一人一人に権限の委譲が出来ている。この責任と信頼関係が「満足ワールド」を築き上げている。んだとさ、なにがいいたいのか。

じつは、僕もいつも同じように考えていた。競技者と役員。この決して交わるとは思いにくい、2者の関係に新しい軸を築きたいと。つまりはそれがわれわれSSER ORGANISATIONの思いなのである。このコラムはさらに、{シンデレラ城の前、にあるミッキーマウスの像の下のプレートに「絶えることない人間讃歌が聞こえる広場づくり」と書かれている、}と結ばれている。熱い思い、目的意識、スタッフに共通の喜び、それは確かに人間讃歌だ。僕たちが表現するその手段はラリーなどのモータースポーツイベントだ。21世紀の人間讃歌が聞こえる、そんなイベント作りを目指そうじゃないか。もうすぐスーパーN、もち輸入エンディューロマシンの試乗会も計画してますし、WR250F?まかしといて。ルートもちょっとやりますよっ。わかってるって、Y田さん。


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No.0250 – Organisation Voice 2001/02/22

TBIそしてSUPER-Nの事務手続きがいつまでたっても終らない。とにかくすごい。久々に必殺仕事人になった気分で片っ端から片づけては、休憩。コーヒータイム!!なんてしているので結局、遅くなっちゃうんだよね。 と

ころで、TBI参加者から多くの質問が届いています。その中でも多く問い合せのあったドレンボルトのワイヤリングについてちょっと説明しますね。さてさてなぜドレンボルトにワイヤリングが必要なのでしょうか。それはドレンボルトの緩みを防止するためで緩んだとしてもドレンボルトが紛失してしまうのを防ぐためです。オイル漏れやエンジンの焼き付けを起さないために必要となるわけですね。具体的にどのようにするかというと、一般的な方法としてドレンボルトの頭の部分に1~2mm程度のワイヤが通る穴をあけ、ワイヤを通しリング状にしてワイヤをかしめ、もう片方をフレームもしくはエンジンのリブなどを利用してワイヤを固定して下さい。とにかく、不明な点があればどんどん質問して下さい。

SSER .2001年のファーストイベントが4月7.8日のSUPER-Nです。そして、ラストをむかえるTBIと続きます。気合を入れて頑張らなくっちゃ。 by KUROKAWA


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No.0249 – Organisation Voice 2001/02/21

この前から「今でも社会科の授業に使われている地図に、サハリン樺太の50度線に国境が赤く引かれているのはナゼダ!」という疑問に悶々としている僕に、菅原さんから何枚かの写真が届いた。酔っ払って聞いていたので正確ではないが、氏の父君は、樺太で警察官をしていて、馬に乗ってこの50度線まで行った事がある、という。そこで菅原さんも、行ってみようと思い訪れたのがこの写真。なかなか若い。手をつないでるのは、彼がロシアに残した子供?〈ごめんなさい!!)ではなくてその碑文にある、両国の約束をイメージした、まあ平和の握手であろう。じゃあ南樺太は誰のものか。北方領土担当相の橋本龍太郎氏に聞いてみたいものである。が事実はこうだ。日露戦争の戦勝で、南樺太と千島列島を日本は手に入れた、が太平洋戦争で失った、というだけの事である。

しかしこの碑文もずいぶん新しい、この写真からは建立年は特定のしようがないが。しかしそれにしてもこれらの島々は自然の宝庫だと聞く。千島列島なんか、良いだろうねえ。とはいえ北海道だって相当のモンだ。自然保護の機運は、21世紀に間に合いました。というところだろうか。でもそれにしても舗装道路しか走れないクルマの存在って、オフロードマシンよっかよくないんじゃないんだろうか。どう思う?さて、TBIのチームエントリーのゼッケン希望が多発中!手続き的にチームは代表者がまとめてエントリー手続きをしてないと、続きナンバーにはならないそうです。ごめんなさいね。とにかくSSERの事務手続きは年度末の税務署なみ?に忙しいようである。


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No.0248 – Organisation Voice 2001/02/20

すっかり暖かくなりました。四国路はもう春ですね。そろそろ僕はTBIにでるマシン(TTR125)の製作に取り掛からなきゃ。だって昨年末ですっかりとまってるもの。というのも悩みのひとつがタイヤ、リア16インチじゃあエンデューロタイヤが無いんです。17インチにしようかなあ?でも16インチのアルミリムも頼んでるしなあ。もってく装備も、マシンがあまりに小さいんで、マウントしようにもちょつと頼りない、考えてみたら、僕は初出場!あまりにも細かなところを知らなさ過ぎる。

こんなことではいけないと猛反省、「ヨシッ!」ってことで一念発起、何とか来週中にはマシン仕上げて、テスト走行をはじめるぞ。そして3月には合宿、どうです希望者はいませんか、一緒に走りに行きましょう。ついで来年のパリダカにも出てやるって、マシンの製作にもとりかからなきゃ。モンゴルの試走隊の準備もしなきゃ。あっと、その前にはスーパーN.ルートプランを詰めなきゃいけない。ってことで、春の僕はトテモ忙しい。

きょうの1枚
ゲル、モンゴル語では、なんのことはない「家」という意味である。中国や内モンゴルではパオ「包」つまりもともと家の在ったところと、そうでないところの違いなので「ゲル」へ行こうとモンゴル人に誘われて付いて行った所がアパートだった、なんて笑えない話もある。でモンゴルの奥地を旅してると草原といわず砂漠といわず時に道標のごとく、ゲルが現れる。必ずその入り口は南に向かって建てられており、それがコンパスで測ったほどに正確なのである。そして室内はご承知の通りこんな具合、天蓋を半分開いたところ。夜は星の動きで、昼は太陽の動きで季節や時間を読んでいたんだろうと、勝手に想像して、わくわくしてしまう。

それにしても、人は究極のミニマル(ちょっと違うか?)で「起きて半畳、寝て一畳」な生活が出来るものであるよ。この地やアフリカを訪れるたびに僕は思う。こんな生活も良いんではないかと。でも日本に着くや、「このホテルの部屋じゃ狭くていや!」なんて言ってる。アンビバレンスな僕。ambivalence=あることなどに同時に2つの矛盾する感情をもつこと。心理学用語。明日も今日の英単語とか、わかりにくいいまどきの言葉なんてしょうかねえ?ほんとは、ヒマな僕。


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No.0247 – Organisation Voice 2001/02/19

長い旅の果てに、四国に帰ってきました。いまどきTBIででもなきゃ国内で8日間もの長旅をすることはないっしょ(仕入れたての道産子弁)そんで帰ってきてビックリ、暑いのです。昨日の午後は千歳空港のデサインが悪いとか、駐車場のレイアウトが最低だなどと、悪態をつきながら、それでも六花亭のバターサンドなんかをたっぷり買い込んで、出発までのひとときを、ダイヘン〈これも仕入れたて)春木氏となにやら密談。その後 2時間あまりのフライトで、あっという間に松山に降り立ちました。

今回の旅では、北海道とりわけオホーツクの存在が印象的で、僕は強烈なインスピレーションを得ました。烈風の宗谷岬、危うく僕の平衡感覚を狂わせそうな稚内市。波まで凍りついたノシャップ岬、利尻を望むアザラシの越冬地として有名な抜海、言問なんて名前の町や、どこの国の風景だといえば信じてもらえるだろうか、日本海沿いのサロベツ原野を駆け抜ける直線、そうだ、この白い色をベージュと見立てたらどうだ?するとモーリタニアだ。いたるところの海岸段丘の上に立つ巨大風車は、強烈なここの風で電気を賄うするというまことにジャストアイデアではあるのだが?とまれすべては純白の下のことであるよ。出来るものならこの地に少し長くとどまって、雪解けやその後に来る春の様子を眺めてみたいものです。

そしてそれにもまして思うのは、この妖しく不思議な音の地名の数々はどうしたものだろうかと言うこと、どうせならカタカナ表記をすればいいのに。この後も旅は音威子府、旭川そして芦別と続きます。通りすがりの旅人が簡単に語ることがためらわれるような、厳しくも美しい北の大地にすっかり僕も魅せられてしまいました。かつて炭鉱の町として栄えた芦別には吉村一平翁という 90歳を超える歌壇の巨人が存命です。与謝野晶子らと深く交流し、この芦別市にある記念館に、それらのきわめて貴重な資料、文献、書簡などが収められています。

さて話は変わりますが、2001パリダカ、増岡、シュレッサーの闘いの真実は?知りたいと思いませんか?ぼくは菅原さんに、海外で放映された映像でことの真実の一部分を知ることは出来ました。Number516号( 2/22今店頭にあります。)の P11に能城律子さんがかいていますが、ぼくはもっとこういう4輪部門の専門誌が欲しいと思います。これまでのラリーレイドの4輪の国内への報道は、広告としてしか使われていない側面が多いんですよ。例えばワールドカップサッカーの日本チームの報道は、チームの予算で同行している記者のみが書く、としたら面白いところは知りたくても知る由もありませんね。

でもチーム(正確にいうとメーカー)の論理は充分に分かります。ジャーナリズムの中立性などと青臭いことを言うつもりはありませんが、もっと広めの視野に立った報道がほしいです、それもとびっきりマニアックなやつが。ATLの安全タンクは果たして良いのか?とか、ラリーマシンの改造の解説とか、FIAは今何を考えているかとか、誰が今、どこに行くためにどんなマシンを製作中だとか、もうほしい情報は、山のようにあるではないか。また広告もピンポイントで出来るじゃないですか。ナビ募集中ただし英語、フランス語が堪能で、メカに強くやさしくて力持ちで、なんて広告キット載りますよ、ねえ能城さん。

きょうの1枚
いずれも芦別市の百年記念館にて、芦別の民話に見入る山田画伯。生活に身近なものもたくさん収蔵されてて、画伯が思わずもって帰ろうとしたテレビ。このほかに本文に詳しい、与謝野晶子、寛らの書簡など、興味深い。そして縮尺の問題はあるにせよ、愛媛県とほぼ同じ面積をもつ、芦別市の地図。人口二万人です。さてそこで問題です、いったい僕は何をしようとしてるのでしょうか。

 


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No.0246 – Organisation Voice 2001/02/16

今日は北海道のほぼ中心、富良野のすぐ近く、芦別市にお邪魔しています。なんとこの市10年くらい前に三井鉱山が閉山になってから、人口は一気に減少し2万人位なのだが、その面積たるや愛媛県とほぼ同じだそうである。ビックリ!でこの町のJCや経済界の人に歓迎されて、寿司広で大宴会。この今日のOVも本日中には上げられそうにありません。

さて、昨日から僕が問題にしている、日本の最北端はどこか?という問題。実は択捉島の北端がそうなんです。ところが、宗谷岬の記念碑には、日本最北端!と表示してある。じゃあ、いったい北方領土は、日本じゃないのか?樺太の北緯50度線に今も引いてある(義務教育でも渡される、社会科の地図を見てごらん)赤い線はどういうことなんだろう。よくよく見てみると、アリューシャン列島、カムチャツカ半島の南にも、国境線が引いてある。何だろう?


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No.0245 – Organisation Voice 2001/02/15

この冬は、地元の方に言わせても「こんなに寒くて雪の多いのは数10年ぶり。」という位の寒波のようです。地球温暖化の影響でしょうか?それとも実は、氷河期に向かってたりして。だって僕は子供のころ、地球の歴史的なサイクルからみても、今は氷河期に向かってる!とか言われて信じ込んでたのでした。

いつも思うことなのですが、最新の情報が一番正しいのだろうかと。そして前の情報は誰も訂正しないことが多い。情報とは次から次へと上塗りされていくだけのものなのでしょうか。誰も真理を明かしてくれそうにありません。僕は今「日本最北端の地」にいますが。でこの稚内からも見える、もちろん今日は見えませんが樺太はどうなったんだっけ。日本固有の領土!と主張するのは、国後、択捉、歯舞、色丹、だけにしたのは何時からだったんだろう。樺太はどうだったんだっけ、と考えてると、まるで、あれ地球は氷河期へ向かってるんじゃないの?と同じムズガユサに苦しめられる。この地来たから言うのではないがどうなってるんだ!僕の子供のころの記憶では、(間違ってたらゴメンナサイ知ってる方いれば教えて)北緯50度線が、なんだかはっきりと国境のように記されていたと思うんだけど。宗谷岬に建つ、間宮林蔵の思いとか、偉業が失われてしまってるぞ。とかなり右よりな一日でした。明日は早朝より北海道のほぼ中央、芦別を訪れます。

きょうの一枚
こんな海に落っこちたら死んでしまう、とかいってると凍った海でなにやら漁をしてる人がいて、ビックリ。サロベツ原野も宗谷岬も、ついでに納沙布岬も行ってきました。今の僕の一番の心配は、南極点と北極点にクルマでいったやつはまだいないのか?と言いはじめそうなことです。


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No.0244 – Organisation Voice 2001/02/14

稚内に到着!サロベツ原野で日没、したがってサロベツの写真も撮れなくて今日も、今日の一枚はお休み。ゴメンナサイネ。それで、地元の方々には大変ご心配をおかけした南方系日本人たちの、北国探険隊の北海道第一日目、無事です。なんだかんだで札幌を出発したのがお昼前。クルマはカローラフィルダー4WD。高速道路は吹雪のため、アチコチで閉鎖。でもって地道は雪の中、というかアイスバーンの連続。

といいつつも結構いいペースで、7時前には稚内のホテルにチェックイン。日が暮れてからの雪道の楽しかったこと。雪道は日が暮れるととってもロマンティックになって、まるで北欧のクリスマスの夜みたいで、こんなこと書くと北国の人に怒られるかもしれないけれど、雪に閉ざされるのってとっても良いですなあ。なんだか、あの雪に閉ざされた中で、暖かい暖炉の炎、ランタンの灯、憧れちゃうなあ。といいつつも北の果て、日本海に面した家々は寒そうにチジコマッテ、厳しい冬を耐えていました。

明日はたくさん写真を撮って UPしますので楽しみにしておいてください。昨日は菅原さんとこのHPのコラムにも僕が登場してます。備えあれば憂いなしじゃ物足りない、というオハナシ。


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No.0243 – Organisation Voice 2001/02/13

東京に居ります。石原都知事が唱えるように、自動車交通の負荷はもはや都内の大気汚染だけの問題ではなくなっています。いかに効率の良い次世代トランスポート・システムを掲げるか、早急な課題です。そのためにもバイクの存在が、新たな方向を提示する。というのが僕の持論です。むろんシステム全体で考えてゆく必要があります。

たとえば代替燃料を考えると、ダイムラー・クライスラー陣営の進める燃料電池、トヨタもこのカテゴリーです。一方、液体水素を進めるBMW陣営。あとエタノールを燃料にしたもの、このエタノールの使用ではブラジルが最先進国、80年代末にエタノールの消費量がガソリンを追い抜いた後も、増加の一途だといいます。なのにナゼ、日本は。このエタノールはバイオマス(生物資源、おもにサトウキビ、トウモロコシ、ジャガイモなどからもエタノールは作れる。)化石燃料の呪縛から、逃れられるのはいいことですが、少し食糧問題、いわゆる地球上の耕作可能面積との闘い、が残るような気がしてならなりません。日本では稲わらとか、麦わらを使うのはどうか、と提唱する科学者もいて、まあビールの消費量との闘いにならなければ良いがなあ、と心配。近未来の燃料供給は、キリン対アサヒの闘いになってたりして。

で、燃料の見直しは、いずれにしても最優先の課題であるのは自明の理。つぎはそれまでの繋ぎとしての、たとえばハイブリッドカーなどに見られる、まあ、好燃費車の行方。しかしいくらプリウスが21世紀の間に合った、と言い放っても、最近はあまり走ってるところを見ません。ちなみに新車登録台数は、プリウス11月665台、12月898台、セルシオ11月3960台12月4807台、クラウンはセルシオよりもっと売れてます。大丈夫だろうか日本人の感覚。長いスパンでは先述の燃料からの見直し、それまでの低公害車、高燃費車。そして今すぐにも必要なのは何か、それは意識だと思う。

僕も考えなきゃ、そろそろ。そこでバイクだ!と思ったんですね。またはスマートのようなバイクとクルマの中間的なコンセプトのもの。それらが既にに実用化になってってるのに、僕たちったら。さてと、自分のことは棚に上げて、明日も地球温暖化の大権化のひとつ、超大型ジェット旅客機に乗って、札幌へ行くだ。明日のこちらのページでは雪のサロベツ原野で21世紀を考える。をお送りします


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No.0242 – Organisation Voice 2001/02/09

今日は、なんと若山牧水の詩から始まろうと思う。たまたま書棚に瀬島龍三回想録「幾山川」というのが截っていて、思い出した。でもこんなの書くと、また間違ってるなんて指摘をうけちゃうんであるが。白鳥は悲しからずや 空の青海の青に染まず漂う幾山川越え去りゆかばさびしさの 果てなん国ぞ今日も旅行くいざゆかむ行きてまだ見む山を見む このさびしさに君は耐うるやなんか、まるで僕見たいでしょ。

ところで、昨今のバイク事情。ある人からのメールにはバイクブームの到来を感じます。とありましたが、しかり。このバイクブーム(があるとしたら)それはつぎの2つの点があげられると思う。まずは次世代の、シティ・コミューターとしての地位。昨今の地方都市の交通渋滞の激しさは、目を覆うばかり。経済的な損失もいかばかりか、それにこの渋滞の中に居る精神状態は、交通事故の引き金にもなってるだろうことは、言わずもがな。そのほとんどが1人乗りのクルマ、道路占有面積は、車両占有分と前後1mとしても約12m2、バイクだと3m2がいいところ、ナント4分の1。燃費、排出ガス量などに至ってはどうなんだろうねえ。それでも日本人はまだ4000ccのセダンに一人乗りで通勤しますか?ドキッ。まさかランクル一人乗り通勤なんてしてないでしょうね、あなた。ドキッ。掛け声久しいパークアンドライド構想なんてのは、ぼくはてっきりクルマをパークしてバイク(自転車も含んでね)をライドして都心にむかう、ことだと思ってた。電車に乗ることをライドっていうの?国土交通省に聞いてみようか、扇千影さんに。

でBMWはC1ってコンセプトのコミューターを既に発売してるし、ことの本質をよく分かってる。だって、「ヘルメット被んなくてもいいようにしなければ、支持されない。」つまりどんなに素晴らしい発想も、まず利用者に受け入れられやすいように、なのである。日本じゃこのバイクにノーヘルの許可を与えるかどうか、まず絶望的というのが、大方の見方。だがそこまで卑下することも無いとも思うのだが。まメルセデスはバイクとは言わないまでも、スマート(2シーターの全長2.5mソコソコのマイクロカー、スゥォッチ社と共同開発したあれ)で充分に自分たちの考える、次世代の都市交通を提案してるし、実践してる。じゃ日本のメーカーはなにやってるのかというと、まあその話はまたにしよう。したがってデザインソースも、シティ・コミューター然とした、近未来デザインに帰結しちゃう。そこでそのデザインソースを単純に表現しやすいスクーターが発達してきてるのである。行き着くところは、流星号だからね。

そしてバイクブームを築くかもしれないもうひとつの要素、それは善悪の基準値の変換。なんのこっちゃ。かつては、バイクに乗る若者はイメージ的には悪(イメージの話ですあくまでも)一方、オウチにいて机に向かってる子供は、善、だったのね。今では一日中オウチにいて、パソコンとかゲームばかりやってる子供たちがそろそろ問題児で、元気良くバイクで遊んでる子供たちが、健康つまり善、ってことになってくる。そう、僕たちが子供の頃、IVYルック(Pu!)は不良だったんだけど、今では、まじめなボクチャンの象徴のファッションになっちゃつてる。みたいなもんであるよ。てえことから考えても、バイクの復権の日は近いってのに、なにやってるだ、日本のメーカー。僕なんか、もうすぐ学校の授業にバイクライディングなんてのも始まるんじゃないかと思ってる。そのためにも不良でもなんでもない子が、チェーンなんか腰からぶら下げて、威嚇的な格好と音をたてて、変な改造バイクに乗るのは止めようよ。今バイクに乗ってる人のマナーとか、行動が大切なんだ。メーカーもショップも売れるのなら何でもいい、的な近視眼的なことはやめようよ、すぐに「競技用」とか「この写真はプロのライダーがサーキットを走行中の云々」ってのは止めよう。みんなでその、パークアンドライド構想とか、いかにバイクが環境にたいしてフレンドリーなのか、そういったことを学び、伝えるためのキャンペーンでも張りましょ。


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No.0241 – Organisation Voice 2001/02/08

きょうの1枚
散乱するデスク、このままOVにしてしまおう。このHPの中で春木くんが、僕も大藪春彦を読んでるだのと、忘れた頃の世間話をネタに、週刊のはずが、月刊になってしまったこの「北の島」の貴重な容量を、消費してしまってる。大藪ワールドはともかくとしても、かく言う僕も、彼の読書量と質?には大変に敬服しているのであるし、この狭少なカテゴリーとはいえ、独自の視座と、稀有なはジャーナリズムの精神をもって挑戦を続けてる様は、評価などという言葉では表せないほどの、(なんてもうすぐ北海道に行くもんだから、姑息な戦法に出てる僕。)敬意をもって接している次第である。

で、春木くんの話のついでに本の話をもう少し書こう。これもベストセラーになったサミュエル・ハンチントン著作の「文明の衝突」ここで僕の言いたいことは、彼のこの論文は1993年7月号の「フォーリン・アフェアーズ」誌に掲載されるや、「多くの国で議論の的となり、論争を引き起こした。」(日本語版への序文より)そして1996年に刊行され、25の言語に翻訳されて世界中の議論の的となったのである。原書のタイトルは「THE CLASH OF CIVILIZATIONS AND THE REMAKING OF WORLD ORDER」という実に恐ろしいものであるが、日本語に訳され日本語版が発行されるのが、1998年6月30日。現代にあって2年も遅れたのである。しかし同年8月8日には(実に39日後)には既に第 4刷!なのである。昨日の続きではないが、日本ってスゴイ!ッてこと。僕にとってこの一冊は RRM4回大会の道中の書となった。ま、ただし日本論壇の名誉のために言うと、実はこのフォーリン・アフェアーズに掲載された本論文も、その後直ちに同誌に掲載された反論も「中央公論」がちゃんと翻訳掲載している。この博士のいう文明の衝突のなかで日本異質論は、読んでおく価値はある。日本という、固有の文化それはまさに、ガラパゴスの生態にも似て地球上でも稀有な存在である(とは書いていない)というわけである。

ゴメン、ちょっとややこしくなった、こんなことばかり書いてると、嫌われちゃうので、TBI情報。関東から車検会場までの往復バス便、トラック便を用意しました。バスは楽しいアトラクションが盛りだくさんで(ホントかよ)快適らしい。ぜひ、関東からお越しの皆様は、こちらをご利用ください。また車検の時間の逆指定をして頂く用紙をおくりました、バス・トラックの申し込みも、同じ用紙としております。もう四国は春めいてきてますよ。


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No.0240 – Organisation Voice 2001/02/07

今週末から上京します。11日の夜には都内に現れます。でもって14日には北海道へBIGTANKの里を訪ねていきます。しかも、なんと稚内までクルマで走っていこうという、南方系の日本人の暴挙、と北の島の人たちは言います。危険だと。それで思ったんだけど、それはそれならば、日本もまんざら捨てたモンじゃないんだ、ということ。でしかもアンチャンたらスノースクートを持って行くらしいんである。でサロベツ原野のどこが道で、どこがなんだか分からないようなところを、「レンタカーで引っ張ってあげるよ」「ワーイ、ワーイ」ナンカ稲中卓球部みたいな感じになってきてます。果たして、このアンチャンこと田中 一、率いる「危険な北の島探検隊」果たして目的地に見事到達出来るのか。その模様は、連日こちらの HP上で放送予定。

でその行程なんだけど、青森まではクルマ(ぼくの4Lマシン、昨日タイヤ交換、それも純正装着時のタイヤは50,000kmもたなかったんだが、 M社のグリーンタイヤ、ちなみにサイズは235R16、は100,000kmを越えた今も「まだもう少し大丈夫かな?」ッて感じ、凄いでしょ。で、僕のクルマは今4年目なんですが、走行距離はいったい何kmでしょうか。ちなみに、この4年間で、モンゴルへ行ってて留守が約7ヶ月、パリダカ行ってての留守が、約 2ヶ月。 TBI期間中は4年間で約 1ヶ月、その他のイベントなどで4駆に乗ってるのが延べ2ヶ月と計算して、まあ3年ってとこでしょうか。んで 160,000km。月に 4500kmなんですねえ。かなり本論からそれた。)で青森から札幌までは電車、ここからなんとカローラバンで行くんだ。

そう、無酸素8,000メートル級登頂を目指すエド・ビースターズだって、もっと冷静でいられそうだ。つまり冒険は道具選びでもある、かつてパリダカにカリーナだとかカローラとかで行っていたACPみたいにね。と話は大げさになったが、この模様は先にも書いたが、僕のモバイル環境次第でお届けできるか否かが決まッちやうんだ。と書いて去年のモンゴルの試走隊のときは、インマルサットの調子が悪くて全くだめだった、ッてことを思い出したよ。


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No.0239 – Organisation Voice 2001/02/06

僕の読書癖は少し変わってる。遠くへ出かければ出かけるほど本を読む、それもその旅が長くなれば長くなるほどである。したがって海外遠征時には大量の本が要る。だから嵩張らないというだけの理由だが、文庫本を買うのがほとんどであり、そして読んだあとは誰か彼かに、ホイってあげちゃう。で中身はというとカフカからパトリシア・コーンウェルまで。

で忙しいので上下2巻を読むのにこんなに時間のかかったことは無かったパトリシア・コーンウェルの最新作「審問」を数日前に読み終えた。恥ずかしい?ことに僕は彼女のファンで、これまでの11作もほぼ全て、発売から一ヶ月内には読んでしまっているのである。たかだか検屍官モノのミステリーなんだが、ぼくは現代のアメリカ版の鬼平犯科帳だと思ってるのである。チョコット読めば、アメリカ社会の仕組み、例えば警察、検察などの司法制度とか、医学的な出来事や科学捜査の最前線などなど。手に取るように分かるのである。それでこのシリーズは僕だけにとどまらず巷でも大人気のようで、先週の日経新聞のランキング書籍・文庫本部門の売上NO.1とNO.2を上下で独占していたのである。で、この本の出色の部分はなにかというと、やはり主人公の内面の描き方なんである。是非読むことをお勧めする、と言うほどではないんですが。

あと最近読んだ(といってもこの夏ですが)のではP.F.ドラッカー博士の「プロフェッショナルの条件」いかに成果をあげいかに成長するか、というサブタイトルが付いてるんですが、このおそるべき老経済学者が90歳を越えてなお執筆を続けている、その根底にあるものは何だろう、というのが実は今日のテーマ。先月にはもう何度目かはともかく来日を果たし、筑紫哲也さんと対論をしてた。1909年生まれのかれは1933年に「フリードリッヒ・ユーリスシュタール」を著わす。で、そうオーストリア生まれで当時はドイツにいたんだが、この著作でナチの激しい弾圧を受けて、イギリスに亡命、ナチの台頭の足音高き頃の話である。39年にはナチの批判として著名な「経済人の終り」を執筆、それからだっていったい何年経つんだろう。で世界中が彼の新作を待ち続けることとなる。

おそらくこれが最後の著作になると思われるこの書も、発売と同時に世界的なベストセラーになった。もちろん日本でも数週間にわたって、ジャンルのトップの位置にあった。なんとなくそれを見た時、日本も大丈夫なんじゃないか、と甘い幻想をもつほどに彼に信奉している自分の姿があったのも告白しておこう。彼と筑紫哲也の対論を聞いてると、彼の根底にあるものは何かを垣間見ルことが出来た。

そう、それはやさしさ、人間愛なのである。ナチと闘った人間が持ち合わせる力強さのようなものとも言える。パトリシア・コーンウェルのなかにもアナという 70過ぎの女性、精神分析医が登場するのだが、ぼくはこの実存するドラッカー博士と架空のアナという登場人物が、同じオーストラリア生まれということも相まって、どうも接点があるように感じてならない。


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No.0238 – Organisation Voice 2001/02/05

冒険と探検、この2つの言葉の意味することが、これまでの僕の人生における悩みというかテーマというか、とにかくキーワードだったのである。そして探検の検という字に冒険の険ではなくて検という字が使われているのが、いつぞや内田正洋氏のなにかの文章の中で指摘されてるのを読んだときよりズット気になつて居たんだが、この日曜日やっとその答えみたいなものに行き当たった。それはスウェン・ヘディンの「さまよえる湖」そうこのあいだから読んでるスエーデンの探検家、そのあとがきに荒俣宏氏が「探険は探険を呼ぶ」という稿に、まさに記されていたのである。そこで彼は次のように語っている。

ぜん(前略)ひとつの探険が、またその次の探険を敢行させる励ましとなる。そこに探険の連鎖が生まれる。探険といっても、別に18世紀に限られる訳ではない。マルコ・ポーロやコロンブス、また中国でいえば明の鄭和の昔から、歴史的な事跡はいくらでも挙げられる。けれども、18世紀半ば以後に行われる探険は、それ以前の探険と意味を大きく違えている。ひと口にいえば、冒険から探険への変化、といえるだろう。探険には、いくつかの前提条件がある。

まず第一に、科学的調査を実行しなければいけない。単に、人類未踏の地を踏破するだけでなく、その土地を測量し、地磁気を測り、動植物を調査し、現地民が住んでいるときはその人々の暮らしと文化を観察する。また古代遺跡の調査も欠かせない。こうした情報を文書にして世界に公表して、はじめて探険は終了する。だから探検隊を組織する主要メンバーは科学者や研究家でなければならない。そこで最近は、探険の意味を純粋に科学調査旅行に限定し、表現も〈探検〉とするようになった。しかし、探険には第二の条件がある。それは科学調査旅行を超えて、未踏の地へ到達しその神秘的な自然にふれて自分自身の魂が変化する神がかった体験を得ることだ。あるいは、人類も宇宙という大らかな母のちっぽけな末っ子だと認識することだ。この体験の方は魂にかかわっている。

つまり、探険とは、理性と魂の両方をかけて地上の窮極的な地点に挑むことなのである。(もっと紹介したいのだが中略)ヘディンは、古代ローマにさかのぼる多数の文献を一方に置き、机上の探険をも充分にこなした上で、途方もない中央アジアへの旅を敢行している。これはまさしく体と脳の共同作業による冒険ー真の意味にいう探険といえる。地球は広い、そしてきびしい。だが、あえてそれに挑む人間にだけ、神は宇宙と自然の秘密をやさしく啓示してくれる。

ということ、もっともっと引用させて頂きたかったのですが。また新しい人生の師に出会ったような充実の午後でした。そこで僕も一言。地球を知るには人生は短すぎる。または我々も知らない四国とか、日本とか山のようにあるのではないかな。歴史をもっと知り新しい冒険、探険の旅に出かけましょ。 きょうの1枚 モンブルでスケッチ中の山田画伯。今年のモンゴルは丁度1冊分のスケッチブックを使い切ったそーな。色鉛筆は実は水彩で、スポイトになった筆で表情をつけていきます。そのうち個展を開く!!ことになるでしょうか。


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No.0237 – Organisation Voice 2001/02/02

2月ともなれば四国はもう早春、寒い毎日が続くとはいえ、なんとなく日増しに春の気配。北の島のハルキ君には申し訳ないような、でもまあ北海道もいいよなあって思う毎日。この1,2ヶ月のうちには北海道いきますので、よろしく。

さて今日は何のお話をしようかな。そうそう、こちらのHP上にオフィシァルのサイトがUPされるそうです。IDナンバーを持つオフィシャルスタッフしか覗けないらしいんだが、覗きたい人は登録するんですな。で間もなくオフィシアル間の連絡網はこちらになるものと思われますが、TBIなどの運営もそろそろ高度化した流行のITとかいうやつでやりますかね。「ITはどこで買えますか?」昔はIT200とかあって、あいまでも管さんたら、これで時々SSERを走ったりしてますが、どうもそのITとは違います。森総理のいうITとはInformation Technorogy、「つまりInformationの技術。ってことはなんだな熊さんや、あの会社なんかに行ったときに受付に書いてる奴だねえ。」「てぇことはあれかい、ITってのは会社の受付の技術のことだな」「それ、それ」でぼくは松山に住んでて思うんですが、もう慢性的な交通渋滞、最近こうした地方都市ほどひどいんですよね。それなのにたいした対策もせずに築城400年だあ子規生誕だか没後100年だとか、ぼっちやんスタジアムにプロ野球の公式戦を呼ぼう、だとかそんな派手なことばっか。そんなのは若いモンか広告代理店にでも任せときゃあ良いことに実にかまびすしいのであるよ。誰がって市長がね。この交通渋滞が引き起こしてる経済損失はいかほどのものなのか!渋滞緩和策のひとつとしても真の IT、情報通信のインフラ整備を本格的に促進したらドウダイ。

例えば印刷屋さんに原稿を届ける、打ち合わせに出かけるなど5kmの行程に片道 1時間。なんである。でITの次はやっぱバイクだよね、森さん、これからの時代はね。BMWのC1もノーヘルで乗れるようにしてよね、それでパークアンドライド構想を進めテクノはどうだろう。そんな提案をするとバイクは一般的じゃないという話になっちゃう。でもクルマの免許とれば付いてるんだから一般的だし、パークアンドライドのためにあるような免許制度じゃなあい?今日はローカルな話でゴメン!


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No.0236 – Organisation Voice 2001/02/01

梼原へ須崎つまり太平洋側から登って行くと、それはまさに雲の上の町に向かってるという実感がある。葉山村を抜けたあたりから道はぐんぐんと登り、いまでこそ国道が見事に整備されたものの東津野山に入ると、良く手入れされた美しい茶畑の中を、まさに縫うように走る。ことのほか気分が良い時間だ。左側は深いけれども広く明るい谷である。布施が坂に道の駅が出来たのもこの国道197の整備に合わせての事だった。個人的にこの布施が坂の道の駅は大好きだ。高度感のある南に開けた山の斜面という立地もあるが、施設の北側には程よい広さの庭園があるのが良い。地方自治体と国とが分担し合って設置するこの道の駅は、3年くらい前が設置の大ブームになり、ヘンテコリンなものか、どれもが似たり寄ったりの気持ちの悪いものかのどちらかだった。特に行政にありがちなヤリスギが目にあまるものが多い。

そんな中でも、この布施が坂は山田が選ぶ道の駅 No.1なのである。でその裏庭には芝生が張られ小川が設えられて、茶堂が建っている。実はこの茶堂こそは、四国の心であり、四国の道の駅の原型であったろうことが偲ばれる。これを設置したこの村の人に日本の、四国の心を僕は見て取るのである。またここの行政の慎ましやかな態度が実に潔いのも、この道の駅からでも推し量れるではないか。さらに布施が坂を後にすると「羊腸トンネル」という名の随道が現れる。ここにさしかかると子供の頃覚えた、僕の冒険のテーマソング「箱根八里」を思い出す。箱根の山は天下の険 函谷関もものならず 万丈の山 千尋の谷 前に聳え 後ろにさそう 雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす 昼なお暗き杉の並木 羊腸の小径は 苔滑らかそうこのくだり、羊腸の小径は苔滑らか、というところにいつも行き当たる。いまとなっては。僕達のようにしばしばモンゴルを訪れて、羊のハラワタを見るものだから羊腸といわれてもあまりいい気はしないが、この歌詞を作った滝廉太郎や明治の時代に生きた人達は、ひょっとしたら僕が子供心に感じたように、羊腸の道などという表現にロマンを感じたのだろうか、それとも滝が進歩的だったのだろうか。とまれ川端康成の時代になれば、もちろん羊に驚かない時代になれば「道はつづら折れになって」となる。などと考えてるうちに梼原に着く。

このルートは伊予街道と呼ばれていたであろうと思われるが、坂本竜馬らが脱藩するのに使われたものであることは間違いない。そうして梼原に至ると風雲急を告げる幕末を、駆け抜けた若き志士たちの姿がいききと見えてくるから不思議である。そんな梼原の町には何かしら不思議なそんな時代の残り火が見え隠れするのである。松山方向からアクセスするのであれば高速で内子五十崎ICで降りれば一時間、高知からだと須崎まで一日も速い高速の整備が待たれるところだ。そうすれば、このルートも是非楽しんで頂きたいと思う。

僕はここの雲の上のプールが大好きで週に一度は泳ぎに行くんだ。たっぷりと南向きにガラス面を取ったこのプールで雪景色を見ながら、陽の光を浴びながら至福の午後を過ごす。プールはいつも貸しきり状態に近い。少し暖かくなったらマツモトミチハル氏と二人連れで K1200LTでこんな四国を走ろうという企画をしてます。バイクスの企画でね。僕はこうして TBIを始めてからますます四国が好きになり、さまざまな再発見がありました。こうしてこういった思いをさらに広げていきたいと思う 2001年 2月 1日でした。


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