いまから約50年も前。
東京オリンピックとともに迎える日本の高度成長。
日本のモータースポーツというか、モータリゼーションの幕開け。
ボクタチは将来に何の不安も感じず、
輝かしい未来は誰の上にも等しい光をもたらすと感じていた。
ボクはまだ子供だった。やっと中学生になるころだったろうか。
「東京-霧島4000km」というラリーが開催された。
スポンサーは創刊間もない週刊プレイボーイだから、
危険で隠微なものだ。子供たちの手には入らない。
そこに記録されたそれは全く破天荒で、鷹揚なラリーだ。
証拠に、ラリーは1度きりだった。
後年ボクは「栄光の5000km」などのように
やはり距離こそはタイトルなんだと深く心に刻んだ。
その数字が見せる得も言われぬボリウムというかトリップが1キロごとに刻んだ
4000回だか5000回という、
当時からは信じられないほどの気の遠くなる時間。
つまり時間と距離は、複雑な関係を持つことに気がつかされた。
その栄光の5000kmは1969年に石原裕次郎主演で公開された。
日本の自動車メーカーが世界に比肩したいと
サファリやモンテへの強いあこがれが透けて見えた。
モンテで石原裕次郎が乗ってたのがフィアット124。
さて霧島4000(当時の)は、こうした時代背景に登場する。
羽田スタート~霧島を折り返し富士にゴールする4日間。
それはほとんどキャノンボールのようで、
しばらくは伝説のように語れつつもいつの間にか忘れ去られてしまっていた。
文献などまったく残っていないものの、
唯一当時の週刊プレイボーイに、その走行シーンが掲載されていた。
実はその前年、つまりプレイボーイが創刊された年にフランスでは
映画「男と女」がヒットしていた。シャバダシャバダバダ。。で有名なあれだ。
ヒットメイカーのフランシス・レイの音楽、憂鬱な雨のドービル。
フランス映画暗いなあ・・の象徴の一つだが。
男はジャンルイ・トランティニアン。場面はモンテカルロラリーとルマン。
マシンはFORD、ラリーカーはマスタングでルマンはGT40
まさに黄金比のような。。
おそらく相当影響を受けたに違いない日本のオーガナイザーは、
誰だったかはもう少し調べないとわからない。
その男と女は20年後にパリ・ダカールを舞台にIIが作られた。
テリー・サビーヌが出演していたのは有名な話だ。
長くなったから続きはまた書こう。
OVバックナンバー
(2022/06)Organisation Voice は現在旧サイトからデータ移行中です。
工事中のところが多数ございますがご了承ください。