「バイクの旅を考えた」- 2014/07/01 (火) – 1

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仙波君が久しぶりにうちのHPのコラム(あざーす、仙波です。)を更新した。
いつも彼の発言には、言い切れていない、表現しきれてない、つまり至らないけど伝わる何かがあるのがボクをくすぐる。
言いようを変えるとモノの見方考え方とその表現のストレートさかなあ。
時には(いつもだけど)稚拙と思える言いたい事へのアプローチも新鮮だし。

まあそれにしても、数日前に一緒に飲みに行ったのが効果があったのか?
特有の相変わらずのナルシズムと、面妖だが面白い思考回路は健在のままというか磨きがかけられ、不思議ちゃん度はいや増すばかりだ。

さらに言えばバイクに乗ることについて、妙にバイク屋らしからぬ素人くさいモチベーションを語る。周囲は「熱い」とかって片づけているけど、いまに彼のような男の存在は、見直されてくるだろうと思う。
まあそれがHPにコラムを依頼して、辛抱強く次作を待つということなのだけど。

で、ボクも対抗して書こうと思う。。

ボクの場合はバイクは常に旅の道具と定義している。ボクとはSSERと読み替えてもらっいても良い。おりしも今、ちょうどサハリンを巡るラリーという形式の旅が行われている最中だ。それまでコマ地図などを知らなかった者も、目的地やその行程の面白さや新鮮さに惹かれて旅に出たのだろうと思う。

まだ見ぬ土地を目指す。
それは紛れもなくDNAに組み込まれた、人類の共通する行動形態だと思う。
ネット上に居れば、世界のどことでもつながりグーグルアースを覗けば世界のどんな街の津々浦々まで訪れることができる。

誰かが言った
「グーグルアースで現地に行かなくてもコマ地図が作れますよね。」
「・・・」
ボクは、コマ地図を作りに行ってるのではないんだ。と言いたかったけど、まあ厳密に言えばコマ地図を作りに行ってるんだから仕方がない。でも、そこの空気や草の香りや、恐ろしいほど魅惑的な夕陽や、地元の遊牧の民との出会いや、そんな単純にコマ地図ではわからない歴々たる世界を感じに行くのだ。
それを一コマ一コマに封じ込めていく。
そこに行けば、それがわかる。
そこに行けばコマ地図を書いた、その時のボクの情念が分かる。

ボクはコマ地図を、まるでマルコポーロの東方見聞録を書くような気分で書いているのだ。

仙波君。旅とはそうした情念の発露であり、その行きつく先の道筋のようなものだよ。

きょうの一枚
こいつは旅の道具にはなるまいなあ。MVアグスタ。3気筒で178kg 。。。。。

 
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