No.0236 – Organisation Voice 2001/02/01

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梼原へ須崎つまり太平洋側から登って行くと、それはまさに雲の上の町に向かってるという実感がある。葉山村を抜けたあたりから道はぐんぐんと登り、いまでこそ国道が見事に整備されたものの東津野山に入ると、良く手入れされた美しい茶畑の中を、まさに縫うように走る。ことのほか気分が良い時間だ。左側は深いけれども広く明るい谷である。布施が坂に道の駅が出来たのもこの国道197の整備に合わせての事だった。個人的にこの布施が坂の道の駅は大好きだ。高度感のある南に開けた山の斜面という立地もあるが、施設の北側には程よい広さの庭園があるのが良い。地方自治体と国とが分担し合って設置するこの道の駅は、3年くらい前が設置の大ブームになり、ヘンテコリンなものか、どれもが似たり寄ったりの気持ちの悪いものかのどちらかだった。特に行政にありがちなヤリスギが目にあまるものが多い。

そんな中でも、この布施が坂は山田が選ぶ道の駅 No.1なのである。でその裏庭には芝生が張られ小川が設えられて、茶堂が建っている。実はこの茶堂こそは、四国の心であり、四国の道の駅の原型であったろうことが偲ばれる。これを設置したこの村の人に日本の、四国の心を僕は見て取るのである。またここの行政の慎ましやかな態度が実に潔いのも、この道の駅からでも推し量れるではないか。さらに布施が坂を後にすると「羊腸トンネル」という名の随道が現れる。ここにさしかかると子供の頃覚えた、僕の冒険のテーマソング「箱根八里」を思い出す。箱根の山は天下の険 函谷関もものならず 万丈の山 千尋の谷 前に聳え 後ろにさそう 雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす 昼なお暗き杉の並木 羊腸の小径は 苔滑らかそうこのくだり、羊腸の小径は苔滑らか、というところにいつも行き当たる。いまとなっては。僕達のようにしばしばモンゴルを訪れて、羊のハラワタを見るものだから羊腸といわれてもあまりいい気はしないが、この歌詞を作った滝廉太郎や明治の時代に生きた人達は、ひょっとしたら僕が子供心に感じたように、羊腸の道などという表現にロマンを感じたのだろうか、それとも滝が進歩的だったのだろうか。とまれ川端康成の時代になれば、もちろん羊に驚かない時代になれば「道はつづら折れになって」となる。などと考えてるうちに梼原に着く。

このルートは伊予街道と呼ばれていたであろうと思われるが、坂本竜馬らが脱藩するのに使われたものであることは間違いない。そうして梼原に至ると風雲急を告げる幕末を、駆け抜けた若き志士たちの姿がいききと見えてくるから不思議である。そんな梼原の町には何かしら不思議なそんな時代の残り火が見え隠れするのである。松山方向からアクセスするのであれば高速で内子五十崎ICで降りれば一時間、高知からだと須崎まで一日も速い高速の整備が待たれるところだ。そうすれば、このルートも是非楽しんで頂きたいと思う。

僕はここの雲の上のプールが大好きで週に一度は泳ぎに行くんだ。たっぷりと南向きにガラス面を取ったこのプールで雪景色を見ながら、陽の光を浴びながら至福の午後を過ごす。プールはいつも貸しきり状態に近い。少し暖かくなったらマツモトミチハル氏と二人連れで K1200LTでこんな四国を走ろうという企画をしてます。バイクスの企画でね。僕はこうして TBIを始めてからますます四国が好きになり、さまざまな再発見がありました。こうしてこういった思いをさらに広げていきたいと思う 2001年 2月 1日でした。


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