遅くなりました。あの北海道4デイズ前編、編集完了です。4日間の快晴に恵まれた北海道で、いったい何があったのか?どうぞお楽しみに。
遅くなりました。あの北海道4デイズ前編、編集完了です。4日間の快晴に恵まれた北海道で、いったい何があったのか?どうぞお楽しみに。
第44回東京モーターショーが東京ビックサイトで開催中です。我々HINO TEAM SUGAWARAのメンバーは日野自動車さんのブースで期間中、トークショーと メカさんによるタイヤの交換の実演を2014年のダカールラリーの出場車を使ってやっております。
第一回は1954年、私は13歳でした。大学生になり上京してからは開催場所が日比谷公園から後楽園に変わり、晴海の東京国際見本市会場に変わり、銀座から歩いて見に行った記憶があります。
そんな憧れのショーで日野自動車さんのブースでトークショーをさせて頂くなんて事は想像もしてませんでした。
10月29日のトークショーでの前列に若林 葉子さんが座って聞いてくれてました。
後で分かったのですが、彼女の会社「AHEAD]で今回のショーのパンフレットを作っているとの事でした。びっくりです。
11月7日と8日の12時と15時から我々チームのトークショがありますので、時間があったら聞きに来てください。
菅原 義正
ツールドニッポン・シリーズ2016は、湯布院3デイズに拡大してさらに魅力的に。 第1戦は湯布院で開催!「湯布院ラリー3デイズ」 湯布院・九重阿蘇山系を、このラリーに限った面白いフォーマットで展開してまいります。
湯布院は地元スタッフの強いリクエストで3デイズに。案内したい林道が、あちこちに。大きな林産会社の協力で、これまで使えなかったところもルートに組み込むのだそう。 そして大好きな巨木の庭の古い小学校跡地、そこがこの大会の集合場所で2泊する会場になるからテントシュラフの要らない気軽なものだ。 そして距離は昨年の450kmから750kmと大きく増えて行く。SSも従って相当の増量。 そしてDAY3の日2本目 Total SS8(予定)には、草原のCafeがあるかも?。。。 そしてこのSSのフィニッシュでラリーは自動的に終わり。この大会は終了。 つまりグランドゴールも閉会式もない。そこからツーリングに出ても良いし、温泉行くのもいい。翌日にはWeb上でRESULTSが発表されてネット表彰式。 新しいスタイルのクロスカントリーラリーを模索したカタチの2回大会だ。
(日付は2016年)
| 1. | エントリー書類 受付締切 | 3月4日 | 必着 | |
| 2. | 公式通知発送 | 3月10日 | ||
| 3. | 受付・メディカルチェック | 大分県由布市 庄内ゆうゆう館 | 3月19日 | 07:00-08:45 |
| 4. | 車検 | 〃 | 3月19日 | 07:00-09:15 |
| 5. | ライダースブリーフィング | 〃 | 3月19日 | 09:15 |
| 6. | 第1日目 スタート | 約250km | 3月19日 | 09:30 |
| 7. | 第1日目 BBQパーティ 庄内ゆうゆう館 | 3月19日 | 19:30 | |
| 8. | 第2日目 スタート | 約300km | 3月20日 | 09:00 |
| 9. | 第3日目 スタート | 約200km | 3月21日 | 09:00 |
|
10. |
リザルトの発表と表彰は Web上で行います | 3月21日 | 14:00まで |
*第2回湯布院ラリー3デイズ2016はプレエントリー申込みを設けておりません。エントリー受付締切日にご注意ください。
■第2回湯布院ラリー3DAYS 2016のサイトがオープンしました。(2015/11/02)
申込書に必要事項を全て記載の上、エントリー費を添えて申し込みください。
■ SSERツールドニッポンシリーズ2016 レギュレーション
※ SSERパートナーショップでもお申し込み頂けます(ショップ一覧)
エントリーは終了しました。
FA-coat Rally Mongoliaは、30年を迎えた2015年を機に、大きな変化が進んでいます。
ラリーモンゴリアは2015年に引き続き、2016年も大きく変わって行きます。
テーマは、まだ見ぬ風景。まだ見ぬ風景とは景観のことにとどまらず、その風景を目にするときの心の動きまでを言います。同じ風景も見る時間や見る角度、そして競技者として見る目によって大きく変わります。 TBIもその動きとしては、非常によく似た変化を見出したいと考えています。
四国という限られた、けれども魅力の凝縮した、この島で、広大な無限の原野行を見せたい。かつて修業素の如しと言われたTBIの旅人の行のごとき日々は、またSSERも自身への挑戦であり続けたいと考えています。 1000kmのダート行。かつての2倍のボリウムは近代化をしたマシンをもってして30年も昔の苦行に戻ることを意味します。 すべては、誰もまだ見ぬ風景を、心にも視覚にも求めるラリーの日々。
甘くなっていたSSERは、劇的に変わります。
どうぞお誘いあわせの上、以下の通り発表会場にお運びくださいませ。
■-説明会会場-■
日 時/11月28日(土)
開場18:00
説明会18:30~20:00
場 所/ 代官山『WHITE ROOM』
東京都渋谷区恵比寿西1-31-12 FLEG代官山 [MAP]
■-懇親会会場-■
日 時/11月28日(土)
20:30~22:30
場 所/肴や ゑびす庵
東京都渋谷区恵比寿西1-8-3 クオリア恵比寿1F [MAP]
会 費/お一人様 5,000円
(会費はPRESENTATION受付にてお支払いお願います。)
■お申し込み
[お申し込みページ-別ウインドウで開きます]
14日に2016年のダカール・ラリーの発表会を日野自動車さんがやってくれました。
写真1の手前は私が乗る1号車で、奥の車は照仁が乗る2号車です。
1号車のフロントグリルとバンパーとウインカーが変わりました。このお顔になった車両は今年、インドネシアとタイで発表されましたが日本ではまだ発売されておりません。
1号車のバンバーの両下にはサイドを照らすLEDが付いており、上の両サイドにはバイクのH4球を使っております。
レギュレーションでは最大8灯までと決まっておりますが、2号車の前に付いているLEDは小さな玉が沢山付いており、あれで一灯と解釈するのは不思議ですね。
今年のモンゴル・ラリーの最終日に照仁が乗ったレンジャーのリアースプリングが折れて総合優勝を逃してしまい、帰国してから調べてもらったら金属疲労で折れたと判明しました。
約8,000km位で折れているので、ダカールでは中日の休日にスプリング全体を交換する事にしましたが、私のは同じレートで2枚のスプリングにしております。
ショックも新しい物でGを感じて圧縮側が強くなるそうです。回転する外側が強くなるのでスタビライザーがいらなくなるかもしれませんね。
2号車はモンゴル・ラリー出場時から300kgの軽量化をしました。
写真2は日野さんの社長に真ん中に入ってもらいラリーに行くスタッフとの記念撮影です。
SSERのイベントでお世話になった、弊社の高橋 貢君も出世してダカールのナビゲーターになりますので、次回もぜひ1号車、2号車共にお声援下さい。
菅原 義正
今、ちょうど茂木でF1公認のMOTOGP(世界選手権シリーズ15戦)が行われていますね。ダカールでデュロイーのチームで運転しているペップさんは我々と、とても仲良しです。
彼はモトGPのロジェステックの最高責任者で日本には200トンの荷物を空輸する最高責任者です。ヨーロッパでの転戦は彼の会社のトラックを使って200トンを運びます。
ペップさんはスペインのエンデューロチャンピオンで我々チームととても仲良しで写真1は茂木で写しました。
写真2はトラックの走りも大変なものですよ。
彼の家には30キロのテストコースがあり、何時でも来てね。と言われているのですが、今は南米なので叶いません。
こんな素晴らしい友人が出来るのもラリーを続けているからだと思っております。
来年のTBIのバイクが完成しましたが、来年のダカールのレンジャーが14日発表会までに完成が難しそうです・
今日はモンコル・ラリーにスポンサードしてくれた国分さんのイベントに行ってきました。
担当部長が来年はモンゴルに来てくれそうです。主催者の山田さんの事をすごく褒めてました。
菅原 義正
1年は早いものです。今年も11月末に東京発表会を予定しています。会場は、上手く調整がつかないようなので恵比寿や代官山周辺で調整中です。少し狭くなるけど。。せっかく会場が変わったのなら、あっと驚く発表会をしようかなあ、、なんて考えています。
来年はSMクラスも開設。。「全ルート走らせるのはどう?」という松野さん。。ルートは、スガワラ峠逆行&稜線のトラバースなんてできないかなあ、と思っています。そしてその先には標高2500mにある秘められた湖があり、いつかは行って見たいなあと思っていました。それが2016年に実現しそうです。
実はラリーモンゴリアは1995年に開始しましたが途中2か年の中断がありました。ですから昨年は20周年でしたが、20回記念大会は2016年。。不思議で、まだ誰も見たことの無い風景の中にルートを伸ばしていきます。あのスガワラ峠から北に向かって伸びる稜線。。試走は本番ギリギリまでできないかもしれませんが、標高3000mの稜線の過酷な行程を、劇的な風景でお届けできると考えています。
で、ここだけの話しとは、全ルートビバークはベッド!+シャワー+レストランが!!ラグジュアリーになるのか?というとそれほどではありません。「でもテントが良い」という方には、ビバークサイトももちろん用意!!なんて夢を描いています。いや、実現するつもりです。。
で、この冬のボクの買い物はIwataniのカセットコンロストーブ。。モンゴルでも今、キッチンはカセットコンロとコールマンのガソリンコンロの併用!!つまり輸送の難しいカセットボンベもモンゴルでは手に入ります。ゲルの中のストーブを点けると暑すぎるので、これくらいがちょうど良いかなあ・・・なんて考えています。
(2022/06)Organisation Voice は現在旧サイトからデータ移行中です。
工事中のところが多数ございますがご了承ください。
タイ日野自動車さんのご招待でバンコックで開催されるトラックショーで照と高橋君とで行ってきました。
高橋君は我々より先入りして、ショーで走らせるための用意をしてくれました。
写真1の写真の車ですが、実際に会場で走らせるので、オイル交換やらネジのゆるみのチェックです。
私の左の方が社長で他の方は政府の偉い方や大口ユーザーさんの社長さんです。
後ろの広場で照が実際に走らせて、同乗体験もしてもらいましたが、あまりにも速いので降ろしてくれと言ってたそうです。
タイのバンコックには約50年ぶりに降り立ちました。その時はアリタリア航空で羽田を出て(成田が無い頃)ローマに行くのですが、途中、香港やバンコックでトランジットがあった時代なのでバンコックの空港に降りる時には水田が多く日本に良く似ているな…と思ってましたが、現在の水田はとても大きくて驚きでした。
行く前まではタイは発展途上国だと思ってましたが、とんでもなく近代化されていて空港から市内までは片側4車線の高速道路で、お迎えに来て頂いた車はハイブリットのアルファードの新車でした。
ホテルでもエレベーターに乗って部屋に行くにはカードをタッチさせてからでないと自分の部屋に階に行けませんでした。初めての経験です。
写真2はモーターショーでの日野さんのブースであの重いトラックがターンテーブルで回ってました。傍に立ってるモデルさんも素敵でしたよ。
遅くなりましたが、次回の私のレンジャーのお顔が変わります。
お楽しみに…10月の末にはアルゼンチンに向けて出発させますが、困った事に2号車の照の車は今日現在、まだ中国から帰ってません。
ラリーモンゴリア2016から、新しいクラスが誕生します。。
それはSM-club もといSM-class・・・本日にも、このチラシが完成する予定です。
あっ、日程の発表もまだでしたね。
日程は、8月7日GRAND START→8月14日グランドゴール!!です。
このクラスはゼッケン200番台を当てます。参加可能車両は4×4のAUTOのみです。
走行距離はラリーの約半分。ラリーが4000km弱なのに対し、このクラスは1日平均250kmで8日間で2000kmです。
ヘルメットがあればそれ以外は不要!!ロールバーも不要!!
あっGPS測距のマップツインは、主催者で作成予定でエントリー費に含ませて支給しようかとも考えています。
参加費は1名につき398,000円の予定。そして車両輸送や登録に必要な金額は間もなく発表の予定です。ラリー参加者のメカニックなどのサポートも出来ますし、最前列でラリー観戦!はまさに「すなかぶり!」席ですね。
そして順位決定はリライアビリティ。つまりオンタイム制です。250kmの行程のオンタイムは6.5時間くらいの予定ですから、早く着かないようにスピードを調整してくださいね。CPも1か所あって指示速度で、通過タイムは決まりますから早すぎると少し大きい減点。遅着はは少し小さい減点を用意してます。
普通の旅行では見ることのできない風景、知ることの無かった自分自身との出会い。
いまラリーモンゴリアは、新しい試みを次々に生み出しています。
テーマは『まだ誰も見たことの無い風景へ」です。
こちらのクラスへの参加もお待ちしております。。
(2022/06)Organisation Voice は現在旧サイトからデータ移行中です。
工事中のところが多数ございますがご了承ください。
暑い夏が、なんとなく過ぎ去ろうとしている。
存在感のあった夏の暑さも、消え去ろうものならすぐに忘れ去られ、寒い日の朝などは「ああ、どんなに暑くても夏がいい・・・」なんて思うのだから人間と言うのは、たいしたことがない。
ラリーもそうだ。どんなに覇を競い合って闘っていても、ひとたびリタイアを喫すると、過ぎ去った夏、のように忘れ去られた程存在になる。
だから、どんなときにも勝てる時には勝たないといけない。
さて、前置きからなにを書こうとしているか、想像がつく人も少なくないだろうが、今大会の最大の見どころであり、興奮したのはTeam HINOのクールに見えるけど実は熱く激しい戦いぶりだった。
ここのところ、抜群の速さを身に着けてきたモンゴルのAUTO/MOTO勢。そこに真っ向勝負を挑んだのは、なんとカミオン。まさに立ちふさがる!とはこのことだろう。
モンゴル勢もしばらくは、わが目を疑っていたのではないか。。
1日目のリザルトもともかく、2日目も、3日目もコンスタントに早いのである。ただ速いのではなくて、確実に総合優勝に向けてひた走るのである。それに気づいたコンペティターらは、揃って畏敬の念を抱いた。
どんな大地でも
「HINOがいたら、まちがいがない」
というくらい、ナビゲーションも超一流だ。
そして一斉スタートで見た「実は速くないんだ。」と言う事実。
これはマシン開発コンセプトに由来するのか。はたまたドライバーの考え方に由来するのか。。
前者であれば、加速性能よりもルート全体を通してもアベレージの高さを狙っているのであり、後者であれば一斉スタートの勝負意識によって起きるトラブルを考え、無理をしないというクレバーさがある。
面白い話がある。
ドライバー菅原照仁は、15年も前の一斉スタート(今回と同じ場所だ)に6×6カミオンバレーのドライバーとして
「ここだけ、思いっきり走っていいか?」
と聞くので
「面白いね。」
そう答えた。
その時は、なんと6×6はすくなくともAUTOの中ではトップを走った。
これはモンゴル勢らのマシンの変遷もあるが、彼の成長を見せるエピソードでもある。
さて、総合2位で迎えたETP7-SS2,つまり最後から2つ目のSS。
首位に立っていたのはボルドバートル、TOYOTA TACOMA Baja仕様。総合2位で追うのはHINO。
美しい湖に沿って駆け抜ける珠玉のルート。
こういうところで、こういうことが起るのだという好例が起きる。
いわゆる勝利の女神のいたずらだ。
若しくは湖から出てきた女神が「お前の落としたのはこの金の斧か!?」
と、問うているかのようでもある。
ボルドバートルは、確実な金の斧を手中に走った。そして、起きるのだ。TACOMAは、水を吸ってストップ。約50分ほどのロスをした。
これまで全くミスもなく、トラブルもない完調のHINOは、ついに最終日を前に総合1位に躍り出た。
しかしその時、サポートの15年前の菅原照仁が一斉スタートを、トップを切って駆け抜けた6×6のサポートカミオン(長くダカールのサポートカーになっていた)がビバークへいち早く到着しようとしてショートカット。なんと湿地につかまってスタック。脱出は2日かかることに。
総合首位に立った、そのビバークにこれまでワークス然としたHINOのサービスサイトは存在しなかった。
綿密に組み立てられた、機械式時計の歯車がほんのわずかだが狂った瞬間だ。
もちろん、それだからと言って総合優勝には何の疑いもなかった。
全く何の心配もないのである。
最終ステージ、つまりETAP8の朝。SSのスタートは、そのビバークのツーリストキャンプのゲート。
メカニックたちが帽子を取り、手を振って高らかに総合優勝へ、凱旋のようなスタートを切ったHINOを見送った。
スタート直後には鋭角の右ターンがある。まあ180度方向を変える。だれもが駆動系に大きなロードを掛けて、右にターンする。
HINOはやや抑え気味で過度の負担を押さえてるかのように見えた。
誰もが同じように、早めにアクセルを開けてはマシンコントロールをする。
その少し先からデューンに入って行く。HINOは、デューンに入る前から足回りの異音を聞いたという。
右後方のリーフを破損したと聞いた時に、あの鋭角ターンのせいではなかったと、すこし主催者としては安心した。
右鋭角ターンで、旋回中の加速すれば負担がかかるのはリアデフや左後ろのサスペンションだろうからだ。
砂丘の中で手中に収めた総合優勝は、するりと逃げて行った。
日本人によるラリーモンゴリアの総合優勝は、おそらく(ちょっと調べてみるが・・・)MOTOの池町によるもの以来。。しかもカミオンで総合優勝なら、こんなに面白くて画期的なことはない。
結果、総合優勝はMOTOの手に渡った。面白いものだ。
こうして、暑い夏は、あっけなく終わった。
菅原は整備して復活したマシンを西安に送った。
間もなくスタートするチャイナラリーのため西安に向かうという。
マシントラブルは、さまざまなことを示唆するに違いない。
まだ暑いタクラマカンに、さらなる成果が得られることを期待したいし、本当に
速くなったマシンと、ドライバーの腕を、たぶんKAMAZも来るだろうから、思いっきりアピールしてきてほしい。
テスト、とはいえ、勝たなければいけない。勝てるチャンスが巡ってくることは、人生の中でも少なく、それを確実にすることこそ最良のテストである。
毎年、少しずつ増えて来た「ジムニークラス」ですが、今回は私のと、若林嬢(一人乗り)とモンゴル人の兄弟の3台だけでした。
モンゴルの彼達の車はクラッチのレリーズベアリングから異音が出るとの事、我々に部品を持ってきてこれが合うのか教えて欲しいとの事、品番しか書いてないので、我々も分からないので、スズキのお客様相談室や私が良く行く御殿場のスズキやAPIOに電話してもお盆休みでお手上げです。
御殿場の高杉君に電話したら一発でそのパーツは純正と教えて頂き、彼らに言ったら、即交換して、にこにこしてました。
その後、左側に転倒して30分経ったら、リアーのホーシングのオイルシールがだめで、ブレーキシューがオイルだらけになっており、我々に相談に来たのですが、シールは持っていたので差し上げました。ついでにAPIOのTシャツを二枚あげたら大喜びです。
3台出て3台とも完走とは素晴らしい事でした。
写真1は今年の目玉は「スガワラ峠」の逆走がメインだったので山田さんはゲッケンにまで書いてくれてましたが、試走の時は雪が多くて峠までは行けなかったそうです。
私は座標を持っていたので600メートル遠回りをして「スガワラ峠」に行ってきました。
スガワラとナビの高橋君がだけが「スガワラ峠」に行ったのは可笑しいですね。
照はチャイナラリーのすぐに行くので応援願います。
菅原 義正
いつも思うことなのですが、旅は人を多感にします。なぜだろうかといろいろ考えてみたりもして自分なりに答えを見出したりもしました。人類に植え付けられた旅の能力や、その土地への順応力。これから険しく変化し続けるであろう地球環境や社会のことを考えるほどに、旅人であった人類はどこへ行ってしまったんだろう?と思います。
巨大都市を形成し、密集し、息苦しくないのだろうか?そこの営みのためには最も危険なおおよそ人類の手には余るような神の火を用いて享楽のエネルギーを生み出し消費し、いや浪費し続けています。
爛れた資本主義経済は、多くのことをシャンパンの泡で麻痺させているようにも見えます。イデオロギーなどという、案外人の巧みな話を信じ込んで論争し、筆を取り、やがて武器に持ち替えます。
つまり鈍感になるのです。鈍重になって、いくらそこで議論を交わしても、感受性に欠けた人々には、いま現在も、未来も、見通すことは出来なくなってしまっています。
唯一、旅人らだけが未来を見ているのかもしれません。自分たちの行くさきにある危機や恐怖を、そしてそれを超える希望を見つめ続けていると言えます。
その旅はいつ終わるともしれないけれど、突然のように今日終わることもあるかもしれません。それはこの大宇宙を旅する人類も相似形を描きます。同じなのです。そうなのであれば、どのように生き、どのようにふるまうかはおのずと決まるのではないですか。今の人びとの振る舞いは資本主義そのもののように見えます。少しお金ができると傲慢になり、そうでなくなれば卑屈になる。違いますか?
モンゴルではどこで周囲を見渡しても地平が見渡せます。ウランバートルとそれ以外の対比が、ことのほか地球的で面白く感じます。その地平には一度しかない自分の人生や、一度しかない人類の主としての繁栄も感じさせてくれます。そうしたことを感じるのは面白いのですが、歪んで見えているのは年老いた遊牧民たちと旅人だけのような気がします。
いま問いたいと思います。あなたは旅人ですか、と。
旅に出ると、多感になります。感情の振幅も大きくなりますが表面的には、都市の生活に比べると小さく見せているでしょう。だから旅人や遊牧民らは寡黙に見えるのかもしれません。おそらく彼らは心の中の自分の旅を楽しんでいるのかもしれません。
ラリーストたちの心もきっとそうなのではないかと考えています。
(2022/06)Organisation Voice は現在旧サイトからデータ移行中です。
工事中のところが多数ございますがご了承ください。
2015/07/22(水)
「時間の量で、さまざまなものが変わる。」
北海道4デイズ、素敵でしたね。
SSERが提案するこうしたラリーなどのイベントは、ほとんどが数日間の生活を共にしなければならないようなことばかり。
1日目は何となく、みんな強そうに見えたり速そうに見えて、ちょっと心配。
2日目くらいになるとバイクとゼッケンで、顔が分かりはじめて、夜の食事で席が同じになって話しはじめたり。
CPの開設時間待ちで、腰を下ろして世間話をしはじめ。ガス欠で助けてもらったり、困ってた時に声を掛けてもらったり。
微妙にリザルトなんかも話の中に。
崖からずっこけたときには、みんなで助け合って。徐々にラリーという「集う」という意味が濃厚になりかけ、その競技の輪の中にいる自分の居心地の良さが大きくなっていく。
それがクロスカントリーラリーの大きなひとつの側面。誰と戦っているのではなく、そして自分と戦ってるのでもなく。
ルートブックの向こう側にある、次の風景に向けて、またその次の風景に向けて真剣になるほどに、もう同じ大会に参加した者同士は不思議な連帯感に包まれていくという経験。
それは時間の量によってもたらされる素敵なプレゼント。
北海道4デイズは来年10周年記念大会を迎えます。10年前に斎木校長と交わした約束は、なんとなく果たせたような気がします。
「1度だけやるのなら簡単だけど、やるなら続けよう。」そんなことでした。時間の累積は、さまざまなものを熟成させて行きますが、人の心は熟成もせずにいつまでもあの時のまま。。。
2015/07/13(月)
「台風大接近!!北海道4デイズ・ウイーク」
まあ毎度のことながら、イベントと悪天候の関係はマーフィーの法則にも似て、悩むと悪い方に。あまり考えなくても、比較的悪い方向に、向うことが多いんです。そこでボクは「天気のことは一切考えない」という作戦に出ています。
それは良いんですが、久しぶりに考えないといけない状況に。。
というのも台風11号!北に向かう交通機関に大きな影響を出すんじゃないかということです。
本部隊は週末までには北海道に移動しなければならない!
ひょっとすると日本海フェリーは・・・
すると
「大丈夫です、欠航したら走って行きます。」
と意気軒高。。
では飛行機で入るボクタチは?
結構やばそうなので、ちょっと悩んでます。
が、しかし問題は多くの参加者!!のみなさん。
十分情報に留意してくださいね。
というのも狙いはずばり台風一過の絵に描いたような素晴らしい天候!!
40kmのSSも、森の中の柔らかな林道も、すべてが輝いてるはず。。

夏の観光客で賑わう富良野〜美瑛だが、ラリーのルートはなるべく郊外をたどり、十勝連峰の麓を巡っていく。すぐに大雪山の懐へ。この日は、短いルートながらダート走行が多い。当麻のスペシャルステージは、北海道4デイズの初期に使っていたテクニカルコース。ビバークに入る前に市街のGSで給油が推奨される。
朝は北海道らしいハイスピードのスペシャルステージで始まる。北大雪からは、長く、テクニカルなナビゲーションが求められるダートライディングが続く。雄大な十勝平野から、かつて難所と言われた峠越え。日高では、豪快なライディングが楽しめるスペシャルステージが待っている。この日は走行距離も長く、燃料ほかの補給計画はしっかりと行いたい。
この日は、恵庭までのリエゾンから始まる。恵庭エンデューロで使用されるスペシャルステージを、そのまま北海道4デイズのスペシャルステージとして走る、コラボレーション。ハイスピードのグラベルロードは40kmに及び、今回のハイライトとなるのは間違いない。恵庭郊外のスタート会場に再集合し、SSのスタートまで短いリエゾン。SSをフィニッシュした後は、恵庭エンデューロと別れて、風光明媚な湖を巡るライディングの始まり。ルスツでは全日本ラリー選手権で使用されたばかりの、ハイスピードかつ、コーナーが連続する豪快なSSが楽しみだ。ビバークは近い。
朝は、前日と同じスペシャルステージでスタート。その後は、尻別岳〜羊蹄山、ニセコアンヌプリなど、美しい山々の眺望を楽しみながらのライディング。高台から望む石狩湾の絶景。午後早くには芦別に到着する。
奇しくも、今年の試走は、つい先日終了した、サハリンでの「ノースアイランドラリー」の試走と相前後して行われていました。日本列島と、地勢的には連続し、かつて樺太と呼ばれたその島は、まだまた開発の進んでいないウィルダネスが広がる大地。オフロードライダーにとっては、目指して後悔のないロケーションだろうと思います。しかし、サハリンから戻って再び走り出した北海道の美しさはどうでしょう。十勝、東大雪、支笏湖、洞爺湖、留寿都、森の中にはトレイルが走り、まだまだライダーたちを歓迎しているように見えます。この島もまた、目指して後悔のない土地だと、再発見の思いを抱きました。かつて初めてラリーというものを体験した、四国のツールドブルーアイランドを思い出します。それは、ぼくにとっては日本の再発見でした。北海道でのラリーもまた、誰かにとっての再発見の旅になることを願っています。 つい先日、松山を訪問した折、北海道4デイズも来年で10年になる、と山田さんがおっしゃっていました。それは「早いものだ」という感慨なのか、あるいは、何か次への一歩を踏み出すべきとの意味なのか…。ぼくは勝手に後者と思っています。とにかく、2016年は記念の大会として、新しい北海道4デイズの姿をお見せすることになると思います。ぜひ、来年のカレンダーにチェックをお願いします。 とにかく、今年の北海道4デイズも、四国、九州の仲間たちがそうであるのと同じく、ローカルのライダー、モータースポーツ愛好家たちが、北海道の最高の季節をめいっぱい楽しんでほしいと準備をし、みなさんをお迎えするものです。ぜひ思いっきり楽しんでください。最後になりますが、この4日間は、お互いにスポーツマンとしてフェアに、安全第一で競技に向き合いましょう。
日曜日、日野さんのテストコースで2015ラリーレイドモンゴルの出場車両のお披露目があり、TV局や雑誌関係の皆様に集まって頂き、お披露目会が開催されました。
走りを見て頂いたり、照仁が運転する助手席に乗って頂き、体験試乗会も行いました。今年のダカール出場より200KGの軽量化とエンジンのチューニングなどの効果が走りを見ているだけで分かりました。
足回りも見直され、フロントは二枚の板バネでリアーは一枚だけです。それを補うようにコイルオーバーのショックが2×4の8本取り付けられました。
私も少しだけ運転させてもらいましたが、サスが適度に柔らかく、軽量化が効いてるのがブレーキングも安定しております。
今回は主催者の山田さんのお力もお借りして、ラリーが始まる1週間前からウランバートルの郊外で実戦を想定してのチューニングを行います。(ダカールも見据えて)
来年のダカールラリーに出場予定の販売会社のメカさん4名と本社の開発の皆様が集まり、全部で18名位の大部隊です。
昔、モンゴルで私が運転したカミオンバレー、そして2年ほど前まで南米でサポートカミオンとして活躍してくれた6輪駆動の日野FUも本日、日本に着き日野さんの工場でパーツを積み込みすぐにモンゴルに向けて出発します。
私はと言うと小さなジムニーで何時も通りのサポートをお願いして走りますので、応援ください。
菅原 義正
パリダカール時代の話しで恐縮だが、アルジェリアのタマンラセットに至るルートにはホッガー山脈にアセクラムという難所が待ち構えていた。(赤松カメラマンのアセムスタジオというのはどうもこのあたりの名前を取った節があるのだが)標高2700mのアセクラムに登るラリーマシンたちはまるで求道者のような姿だった。岩だらけの困難な登り道でスイッチバックを繰り返していた。ボクがはじめて出たParis-Dakar1988は、なんと1000kmの行程でこのアセクラムを越える。
ガストンライエがDRZでマシントラブルで止まっていたのもこのアセクラムを越えてようやく砂の大平原に出たあたりだった。
ともかく、前の夜からラリーには緊張感が漂っていた。「何か明日はやばいらしいぞ」何も知らないボクタチは「???」だったが距離だけは「死にそうだなあ・・」とは思っていた。
アセクラムを地図で良く見ると小さなマーキングで、エルミタージュド・シャルルドフーコーの文字がある。フーコー牧師の隠棲所がそこにある。彼のさまざまな物語をこのあと知ることになるのだが、ラリーのコンボイを求道者のそれと感じたのも、フーコーの話しからだったろうか。今日の一枚はアセクラムに挑む、ガストンライエとアセクラムから見るホッガー山脈の有名なワンカット。。
さて、ラリーモンゴリア2015ではエタップ2-SS2でこの標高2700mのアセクラムと同じ、いや全く同じというよりもさらに過酷な、まあ「あのアセクラム」が待っている。試走のマシンは4.5Lのパワーを存分に使って、スガワラ峠の逆走に成功するはずだった。しかしその斜度には挑めど・・・・・・登れなかった。直登ルートが不可能であれば断念してルートを根本から直すことだ。。しかし実は少し手前から、右に巻道のようなものがあるのをボクタチは知っていた。そこは想像を絶する困難な道で、下るのにもその数キロを何時間もかかった
記憶がある。まあこれを今回ルートに採用して登ることになるのだが、なんとも大きな岩のゴロゴロした登りは苦しい。しかも標高は間もなく3000m。
この日は、あのタマンラセットまでの1000kmの道のりを彷彿とさせる。テクニカルでハードなラリーモンゴリアがまた戻ってきた。。
2015/06/17(水)
日本の梅雨というのは、もう少し風情があったような気がするのですが、入梅直ぐに豪雨被害というのも悲しいような気がします。
だいたいは梅雨の最期に集中豪雨とかがあって警戒をしていたものですのにね。
さて、モンゴルの試走も、北海道の試走も(ほぼ)終わり、サハリンの試走も終わったようで試走月間の6月は、あちらこちらで大活躍の日々でした。
それはそうとして、海外では急激な円安や、さまざまな要因で国際的なラリーを開催し続けることは厳しくなっています。
ダカールはもう南米で定着してしまいましたし、かつて80年代のラリーの姿を求める者も少なくなっています。
地球上から未舗装路が消えつつあり。快適で素晴らしい舗装路が伸びに伸びています。そういえばもう10年も経つのでしょうか?最後に行ったアフリカ時代のダカールでも、モーリタニアの恐ろしいほどの奥地だった(と思っていた)ティジカジャにも舗装が伸びて来てたのに驚いたものでした。
そりゃあ沙漠を越えて舗装に乗ると「オーッ!」とかって言います。。舗装路が好きなんですね、みんな、たぶん。でもそれはオフロードに対比した場合の舗装路のことであって・・・とか言い訳してます。
2007年には命からがらタクラマカンを抜け出してトルファンに続く舗装路に出たときの喜びときたら・・・
ということで、ボクはこの週末の時間を利用してBIKE BIKE BIKEの仮総集編として?買うよりも、今あるものを何とかしよう!というコンセプトで進めてたR1200GS Adventure 2007 Modelのとりあえず完成をしました。まだ試運転は出来ていませんが・・・数年ぶりにタイヤも組み替えてみると、汗と筋肉痛とで歩くこともままならないというほどの体力の低下。
でも、多くのパーツを艶消しに塗装して、バッテリーやマフラーなどの重たいものも軽量化!!(マフラーはSSERの公認申請をしてください!と叱られましたが・・)そしてガードというガード、ステイというステイを全部、外したところまでは前回お伝えしたのでしたね。ついでにハンドガードやら、ウインドディフューザーやら、で外したパーツ類の重さバッテリー含む約37kg、追加装着したものの重さ約7kg!差引軽量化▲30kg(案外いい加減に測ってるので参考にしないでね)推定車重(乾燥)200kg!!どうすか?
で考えた。「アドベンチャー。ガード外すとただのGS」タンクでかいけどね。とりあえず乾燥200kg!100PS、新規導入モデルは何となく不要になって全く持ってオトク!!でもノグチシート!2cm高くして!って頼んだら、あんなに足がべったり着いてたのに、危険かも、なシート高になってしまいましたとさ。
きょうの一枚
さあ、ツーリング!行くよ。。で事務所の中はモンゴル行の食糧や貨物で満載!みんな通関のため作業を必死にやってる横で「ちょっとエンジン掛けていい?」なんてやってるのだから、普通はあきれられると思うのですが・・・・えっ、あきれてる?
事務所の葡萄の木も、今年も元気で青々としてきました。梅雨の晴れ間は素晴らしいですよ。
(2022/06)Organisation Voice は現在旧サイトからデータ移行中です。
工事中のところが多数ございますがご了承ください。
WEB-FUTURE TBI2015・・後半戦の模様が編集完了!!
あの最後の林道と太平洋に浮かぶ満月の映像が欲しかった・・・
のですが満足のTBI2015。。
また来年お目にかかりましょう!!
5/26に富士山の近くのダートを使い、ナビの高橋君と走ってきました。
毎回、テストの時は同じコースを全開で走るので、その年の車の出来上がり状態が分かります。
今回はじっくりと時間をかけて作りこみをしたので、素晴らしい走りでした。今年も新車から作りあげたので、やる事がいっぱいです。
足回りはAPIO製で2インチ車高を上げました。ストロークが増えてるのでショックアブソーバーも専用のAPIO製です。このショックは8段の切り替えのダイヤルが付いております。
話は変わりますが、私が乗ってるKTMのバイクのフロントサスはフオークの左はバウドだけで24コマもあり、右はリバウンドだけの仕事をさせてます。この辺りの考え方が日本人の発想にはありませんね。
また、話は変わり、飛行機の座席のテーブルが出てくるヒンジの使い方も日本人には無いような気がします。
ナビの高橋君は距離を測る器具(テラトリップ)の調子が悪いらしく、何回もガレージを出て、走りに行ってました。
写真は基本的な走りが出来たので、ライトをHIDに交換作業中の高橋君です。
来月は船に乗せてモンゴルに向かいます。
菅原 義正
TBI2015前半戦の映像をお楽しみください。
YouTube版FutureによいよTBI2015の
前半戦の様子がUPされました。
とはいうもののここまではカメラ1台の苦しい編集ですが、
それなりにお楽しみいただけます。
それより充実の後半戦を早くUPしますよ。。。
2015/05/18(月)
「まもなく、北海道。モンゴル、そしてバイクバイクバイク」
気がついてましたか!?今年のお天気ときたら、日曜日を狙って雨を降らせてたこの数年とは打って変わり、日曜日は晴れ!GWもそういう訳で良く晴れました。
あまたのイベントも、良いお天気に恵まれてるのではないかと感じます。
経済効果も大きいですしね。この調子この調子。。。。
さまざまに変化し、気象までも不穏で、地震や噴火といった自然災害も活発化してきましたよね。心配は心配でしょう?心配と変化は対なのだ。
変化は、あるべきだし、なければいかん。
いかんなら、変化は予測するべきで、変化を怖れてばかりではいかん。しかし予測できる変化というものは変化ではなくて、変化はいつも突然で、いつも驚異的である。(ピーター・タスカ)さて、大阪もそうです。どこかがテレビのCMで「強いものが生き残ったのではなく、環境に変化したものが生き残る。」そう確かシャッター屋さんか?
変化には弱いんだ、人間は。
変わるということは些細な事でも、それが良くなるということでも嫌なんである。
でも変わらなくて近い将来(遠い将来かも)あの時に変えておけばよかった。。。
と思うことばかりだ。
さて、変わると言えばバイクバイクバイク・・実はリミットは6月なんです。
少し結論めいたものが出てたんですが、実はKTM。
しかも予想外の・・・250EXC SIXDAYS・・・
105.5kgだし。キロ1万円くらいだし。。ああ欲しい。。2stもいいかもと、全くこれまでのオハナシの「オフ車じゃなく・・・」なんて根本からぶっ飛んじゃいましたがな。
でも「これこれ、これ買おう」と思ってたら、春木さんは買うし、菅原さんが乗ってるし。。そんならばと菅原さんに「買い換えるときは譲ってね」とお願いしたのでありました。
そんなこんなで、ほぼBIKE!BIKE!BIKE!は妙な終結の方向
と思うでしょ。
ところがボクの川内ファクトリーでは怪しい動きが。。
「アドベンチャー!ガードを外せば、ただのビッグタンクのGS!」
をテーマに。というのも「GSもありかなあ、でも20Kgという目標値もあるしなあ。。」と考えた形跡もあるのだ。
ということでカタログスペック260Kg(燃料込)のアドベンチャーをばらすことに。
260kg-ガソリン分30kg=230kg・・・仮に現在はその重量として外しましたがな(写真)パニアステイ左右で3.12kg / リアキャリアやタンクガードにEGガード、アンダーガードに、とにかくはずせはずせ!で、外しまくり!!
ステイ類18.5kg(思いのほかに軽かった)、このほかにボルトナット類もありますが。バッテリー5kg、サイレンサーも5kgで合計マイナス28.5kgということは、ただいま201.5kg。。。まあリチウムバッテリーが1.5Kgと、サイレンサーは立場上滅多な事は出来ないけどメーカー純正指定のアクラボビッチは何キロかなあ??
ということで、なんとか200kgには大接近。。
はあ、忙しいのにこんなことばかりやってるけど、叱られないのは、やっぱり60歳を過ぎたという特権かもしれんね。
バイクの全身像は、また今度ね。
2015/05/11 (月)
「なぜ、Iwasaki-motorsのハーレー883ラリーマシンに人気が集まったかの考察から見るボクのバイクバイクバイクその15、、、長っ。。」
TBIでは「ブルーアイランドトロフィー」というのがあって、これはさまざまな角度で見たその大会のまあMVPに贈られるのです。。
順位を競い合うなかにあっても、良きライダーとして、良き人間としての姿を見せようという、ラリーの黎明期のSSERの目指したものでした。
つまり最も栄誉ある賞として競技成績とはまた別のところを顕彰しようと第1回大会から設けられています。今度歴代受賞者の一覧表を作ってみよう・・
その選考基準は、実は過去には役員で協議してたのでするが、
ここのところは「決めてください。」
ということで、ボクの一存になってしまってるのですが、
「それは違うんじゃないの?」
という反対意見は出たことはないので、
しばらくはこんな感じで選考していくことになると思います。
いや実は今年のTBIは参加者が少なかったこともあって、
参加者を良く見ることも出来ました。
そしてみなさん素晴らしいんです。。でも岩崎有男に決定!!
ここからは「バイクバイクバイク的に」
ではなぜ今回はハーレーを改造して(この時点で参加の可否についてはさんざん議論された)参加した岩崎君だったのかを解き明かしてみたいなと。
TBIのレギュレーションは、基本的に改造を禁じているのです。メーカーによって(つまりメーカーに責任を・・・)生産された車両を限りなくストックの状態で走らせることをこれまでは主眼としてきたのです。レギュレーションで該当する項目は次の通り。
2)車両改造の範囲
車両改造は原則として認めない。ただし部分的に法規制範囲内であって、その改造が公示にある「精神」の解釈における主催者の判断において、その範囲にあると容認できる場合は、これを許可する。最も重要な件のひとつは、純正サイレンサー又はSSER公認サイレンサーを装着し、かつその機能が保持されていること。
また車両からそのほかの騒音や、威嚇的で不用意なグラフィックなどではないことなどが要求させる。
2)-1 法規制範囲内であっても改造が許されない箇所
○エンジン (シリンダ、シリンダヘッド、クランクケース、オイルパン、ギアボックス)
○フレーム
○サイレンサー (サイレンサーはその機能が保持された純正品又はSSER公認品に限る)
○排気系 (エキゾーストパイプ、チャンバーを言う)
○著しく外観が変更されているもの。威嚇的なグラフィック等は禁止される。
誰がどう読んでも、ハーレーがスタートラインに並ぶのは至難だとみるのが普通です。これまでの通例では、おそらくNGだったでしょう。それを許するしたボクは悩んでました。
さて議論されて出場が許可され、あとは車検員による現物の検査です。実はボクもドキドキしてましたが検査員も顔がほころび、楽しそう。
つまり、一発OK!です。ボクがなんか難癖付けたような記憶もありますが。。
近年、バイクのカスタム化が急加速しています。それは、いかなるモチベーションなのかを問おうと思います。
先述した、メイカーの送り出すモデルに対する信頼があった過去に対して(つまりライダー<メーカーの時代が長かったということです。ここにきて急速にですがライダー>メーカーになってきてしまったということかもしれません。
そしてライダーたちが求める「スペシャリティ感」はもはや大半のメーカーがそれを実現するのは不可能になったということでしょう。
メーカーが発表するバイクは、一様に最大公約数的ライダーに向けて作られていて、少し変わったモノを発表するとみんな酷評するのですからメーカーも「どないせいゆうんじゃ!」みたいな気分にはなるでしょう。
そして、もうメーカーの吊るしでは、満足できない人が増えた。服は既成服を買ってもバイクは「いかん」となって来た。家はセキスイハウスを買ってもバイクはカスタマイズだ!ということになった。
これは人と同じではだめなのではなく、冒険がしてみたくなったということかもしれない。
急速にスクランブラーなどが溢れはじめて、自由なんだか不自由なんだかわかりにくいバイクライフが溢れかえった。そんな中で、誰もの度肝を抜いたハーレーが、ミラーが振動で折れたくらいで完走した。成績も悪くない。
なんだろう、この自由で、抜けた感じは。
なんと言えばいいんだろう。。全てはアプローチを変えるだけでこれほど楽しくなるのだろうか。。肩より高いハンドルにぶら下がって運転してるハーレーも、こうしたらダートを越えて3000Kmの道のりを6日で走り切れるんだと思えば、なんとも気分が良いぞ。こうして、TBIは懐がまた深くなったかも知れない。
なんて考えながら事務所を出たら、なんだか変なスクーターが止まってる。どこかで見た顔だ。
2015/05/07 (木)
「TBIとバイクバイクバイクその14かな?」
今年のGWのお天気は、ただ晴れただけではなく黄砂の少ない抜けるような空が印象的な日々でした。イヤービックリ!!
そんでもって最終日の最後のSSは、ボクの最も好きな林道。どうしてもここをそのようにしたくて最終日も長いルートとなってしまいました。その亜熱帯のような林道には、シダなどが繁茂し、路面は散ってしまったツツジのピンクの絨毯がところどころ。そしてSSを抜けて太平洋に出るや、目の前の水平線に満月が浮かんでいるという、もうどこをどうしたらこれほどまでの情景と心の動きを彩ることが出来るの!?というほどに精緻なルート(実は偶然ですが。。。)もう一つ驚いたのはゴール。ライトアップされた建物は、まるで千と千尋のモチーフかと思うほどに、妖しい感じ。そう、そのように西行を巡る旅は、SSERの過去最大傑作なイベントの一つとなったのでありました。
ボクは道すがら、さまざまなことに思いを巡らせては閉会式で爆弾発言。「来年はダート1000km!1キロ走るうちの500m!10キロ走るうちの5キロ!100キロ走るうちの50キロはダート!!」そして、「ウォー!」という歓声!!しかし本当にそんなルーティングが出来るのか?とすごく重たい宿題を抱えてしまって・・・でも、いつもそうした課題に挑む姿がSSERだったなあ。。としみじみ。たぶんボクも、あなたもこれは大変な事です。
さあて、地図をにらみながらぼくらの挑戦はまるで30年も前の時のような気分です。そして、バイクバイクバイクは、岩崎モータースの883エンデューロという、摩訶不思議なバイクの登場で心は穏やかなろうはずがありません。それにしても壊れなかった883はお見事でしたねえ。
「BMWで作りましょうよ。」
「なにを?」
「なにおって、スクランブラーですよ。」
「スクランブラーねえ。。」
続く
きょうの一枚
林道とゴールにあった栴檀の巨木。。人生は豊かだわい。
TDR2015の模様を撮影編集いたしました。
桜満開の旅でしたが初日は何とか晴れて、2日目は終日の小雨。
砂浜あり、スズキ博物館ありの楽しい2日間の様子を収録。
語源は昔、貨物列車の最後尾に付けた赤ランプの事らしいのですが今では最終バスの方向幕が赤くなるのも、この事からきているのですね。
1987年の第9回 PARIS ALGER DAKAR はスタートが1月1日で22日にダカールに着いており、全出場車両は539台で14,000kmで行われ、今より1週間も多かったんですね。
当時のレギュレーションはトップから遅れる事、70時間を過ぎると自動的にリタイア扱いになっておりました。
ダカールに着き、表彰式に出たら、最後に「スガワラ」と呼ばれ、何の事か分からずに壇上に上がったら「ランタンルージュ賞」を渡されました。
どうも、最後のダカールの海岸である「ビクトリーラン〔タイムも計測されてます〕」で私の後ろの人がリタイヤして、私の車がビリになったようです。
この時の4輪の出場台数は154台で私が87位でした。完走率は56%ですね。
この時頂いたカップが汚れていたので、日本のカップ屋さんにお願いして新品同様にしてもらい、帰ってきました。
菅原 義正
ラリー初心者もノープロブレム!! スズキ歴史館の見学もルートに! コマ地図を使った本格的なラリー体験
ラリー&パーティ。
家族で仲間で1泊2日の歴史探訪と初めて出会う道を目指す。スズキ歴史館とスズキ・ヤマハの関連地や旧跡を巡ります。大抽選会!と人気のオークション!!会場も少し変わって、ルートも愉しく!!300kmのコマ地図ツーリング!!

当日スケジュールの都合上発表出来なかったリザルトとクイズの答えを掲載致しました。
(写真はもうしばらくお待ちください。)
クリックすると別ウインドウでご覧頂けます。

TDR2015リザルト(html形式の別ウインドウで開きます。
クリックすると大きな画面でご覧頂けます。

一日目「バイクとジムニーのふるさと」
この日ダートはありません。ですから全車同じルートです。
それにスタートゴールは同じ場所ですから、バイクでの参加者は荷物を降ろして
軽快なライディングを楽しんで下さい。
集合場所の竜洋海洋公園をスタート。
すぐに天竜川を渡り浜松へ。
スズキ本社の前にある「スズキ歴史館」ここがCP1。
スズキの歴史。クルマのできるまでの過程が解説されています。
ココロときめく懐かしのマシンも!!
じっくり見たあとは、天竜川沿いに北に向かいます。
CP2は「本田宗一郎ものづくり伝承館」です。
ここは本田宗一郎の生まれ故郷で、その建物は旧二俣町役場。
本田宗一郎氏の生き方やものづくり精神に触れて下さい。
そして帰路にはジムニーのふるさとスズキ磐田工場の前を通り、
つづいてヤマハ本社の前で右折。
磐田市役所と、ヤマハ磐田南工場を眺めながら走ることに。
第1回湯布院ラリー2デイズ2015の模様を撮影編集いたしました。ナレーションは宮崎ユウさん!見ごたえたっぷりに24分! ついにFUTUREはYouTubeで復活します!.!.
今日(23日)暖かかったのでTDRに使うKTMを御殿場まで自走しました。
久しく乗って無かったので、フィーリングを思い出したり、点検を兼ねての走行でした。
横浜を過ぎたあたりから、リアーブレーキが突然効かなくなりました。
取りあえず海老名のパーキングエリアを目指して走り、ガソリンスタンドで「ブレーキオイルありますか?」と聞いたら、彼もバイクのタンクは小さいと知っていて油さしに100cc位持って来てくれたので、値段を聞いたら500円との事(ちょっと高い)早速、リアーブレーキのタンクを開けて見たらオイルが抜けてました。スタンドの端でエアー抜きをしながらオイルを足して事無きでしたが、ラリー中だったら、ぞっとしますね。
250ccなのか東名のゆっくりした登りでは力不足を感じました。少し下っていると元気がでるのですが、少しの登り下りを早く察知できないとだめですね。
ラリーに出る装備で行ったので、帰りの服を忘れており、作業着を来て御殿場からバスで帰京しました。料金は1580円でした。
TDRは晴れると良いですね。雨の確立もあるので雨合羽は二種類持ちましたよ。
皆様にお会い出来るのが楽しみです。
写真は御殿場の工場に着いた写真です。
菅原義正
今朝(17日)早朝から弊社の御殿場工場に2014年出場車両を持ち込みJ-SPORTSさんの収録がありました。
弊社は本業のレーシングマネージメントが軌道に乗ってない時期にTVの仕事をさせて頂き、「ワイルド7」などのTV番組制作のお手伝いや、TVコマーシャルのお手伝いを15000本もやらせて頂きました。
有名なのは由良卓也さんのネスカフェ・ゴールドブレンドの第一話などですが、今回のように私が主役の収録は初めてです。
スタッフさんの持ってこられた機材の進歩にまずは、驚かされました。
音声さんや照明さんやカメラマンさんが持ち込まれる機材がとてもコンパクトでした。
俳優さんでは無いので、何回もダメ出しをしてしまい、迷惑のかけっぱなしで進行してしまいました。
杉山プロデュサーから何とかOKを頂いたのですが、頑張ったので見て下さいね。
番組は 「ダカール・ラリー2015完全ガイド」
~見た! 泣いた! うまかった! 驚愕の14日間の記録~
放映日は3月28日(土)午後7時30分~8時30分
J-SPORTS 3で放映されますが再放送もあるそうです。
下手な演技をぜひ見てください。
菅原 義正
写真は撮影現場のシーンです。
写真は今年の1月21日で、場所はダラス空港の中で写しました。
モニュメントの中の主人公は孫の叶美ちゃん(照の子)です。
ダカール・ラリーが南米に移ってから直接スタート地点であるアルゼンチンのブエノスアイレス に行ける便が無いので、アメリカのアトランタかダラスを経由して行く事になりました。
早いもので南米にラリーが移って7年目にもなるんですね。
ダラス空港でのトランジットは4時間位あるので、市内観光も出来るのですが、万全を期して空港内から出ないでおります。(アメリカのトランジットは一回出国して、再度入国する手続きが必要なんです。但し荷物は自動で乗り継ぎ便に載せてくれます) Continue reading
85才で私より13才先輩です。この方は広島出身で原爆でやられた原野を見て、そんな時代に道具には美しさが必要と立ち上がり、最初の作品は液だれしない赤い蓋のキッコーマンの卓上のお醤油の瓶をデザインされ4億万本も生産されております。
広島ご出身なので広島の町の空間デザインや東京の山手線の電車やこまち(新幹線)もそうです。
私の原点も小樽に米軍が進駐して来て、子供心に嫌な思いをしたのが、バネになり、この歳でも頑張れるのだとおもっております。こういう一本の筋が通った方が亡くなるのはとても残念です。
今の若い人(車の仕事をしている)にBMWのオートバイを知ってるか?と質問したら、知らないとの事。
側にいた人が知ってるよ水平対向4気筒のエンジンのバイクだよと言ってました。
日本は終わりましたね。
写真は昨年の9月9日写しました。やる事は凄いのですがとてもお優しい方でした。
以前、和歌山県で彼が瞑想をした建物の水平を取る装置を作ったのは、我々のレーシングカミオンを作ってくれている焼津の坪井特殊車体です。
写真は昨年の9月9日に大変な賞を頂いた時に写しました。
菅原 義正
これはコマ地図をロール状に収めて、まわしながら距離と次のコマを見るための装置です。電動のものと手動のものがありますが、電動のものが出来ればお勧めです。自作される方も多く中には素晴らしいものもありますが、巻き取りトルク加減が難しいようです。またミスコースをした場合などリバースの巻き取り性能も必要です。充分な防水対策、照明(明るすぎると眩しくて疲れるのでしっかりテストをしてください。)また視線移動の少ないように高い位置にマウントできる工夫が必要です。 Continue reading
もうご存知の方も多いと思いますが、交差点や分岐などまでの距離と進むべき方向が記された地図のことです。ロール状態で配布されますから、マップホルダーにセットして、ICOと呼ばれる距離計を使って、ナビゲーションするものです。
SSERでは距離表示を10m単位で記入してあります。最大でも(高速道を除く)10.0kmの間には次のコマが現れます。通常では数百メートルから1kmくらいのコマですから1日350kmの走行距離ならコマ数は平均おおよそ200コマ。ロールになる前のA5版時代(210mm)に7コマですから、30ページくらいになります。いまはロールになっていますから1日あたりは約6.3m~長い日だと10mくらいになってしまいます。 Continue reading
四国に入ると、TBIが一気に「TBIらしく」なります。
過去にTBIに参加したエントラントに聞いてみて下さい。
きっと口々に
「四国の道はダートが多いのもあるけれど、とにかくクネクネで走りにくい。時間ばかりかかる。」
と言うでしょう。
渋滞は無いのですが、なかなか距離が稼げません。
近年は、整備も進みアベレージもあがりましたが「酷道」と呼ばれる3ケタ国道も多く残ります。ダートはといえば、深い森の中を、縫うように標高を上げて行きます。。 Continue reading
それは、日本という限られ整備された国土の中で、まるで海外のラリーを味わうように日常から身を切り離すことにあります。そしてコマ地図に描かれた無機的なマークを追って走れば、誰もが1本の道に結ばれていることを感じ取ることが出来ます。高速道路や国道を離れて地方道や林道を行けばGWの喧騒から解き放たれて、おそらく思いがけなかったような経験を得ることにあります。
●今年のルート
四国に入ると西行が過ごした庵や、崇徳上皇の御陵を訪ねます。そこは、「讃岐うどん」で賑わうエリア。空海が日本に持って帰ったとされる「うどん」は、西行は食べたのでしょうか。ルート上にも、いくつかの「うどん屋」をコマ地図に記載しておくことにしますね。CPまでに少し余裕があればぜひ。ポイントはお昼前です。
無事に帰国しました。照が頑張って10000cc以下クラスで優勝して、6連覇を果たしました。私は昨年と同じで2位でした。 完走率は50パーセントだったようです。
印象的だったのはSSERのステッカーを後ろに付けたランクルが後半、私の辺りを走っており、モンゴルのハマー君達が3人乗りで頑張って完走しました。
中間日の休日にキャンプ内を歩いていたら、ある若者に呼び止められ、一緒に写真を写したいとの事です。訳を聞いたらチエコから参加のマーティン君だそうです。 彼はトラックのドライバーで最年少の25才で、私が最年長なのを知っていて声をかけてくれたようです。4ステージめのチリのコピアポに着いてリタイアしたそうです。 彼の車の前で写したのですが、なんと私の次のゼッケンがついてました。 ちなみに今回の最年少はバイクで出場しているライダーで18才。最年長はお分かりの通りでした。 遅くなりましたが、今年もよろしくお願い致します。 菅原 義正
●西行の足跡を追ってTBIの旅は西へ。今回は渋滞を避けて首都圏を脱出する。
名家に生まれ、世を捨てた西行。30年も棲んだ高野山や西行庵のある京都の東山や高雄もルートだ。
プレエントリー受付中→http://www.sser.org/tbi/
TBI2015は日本の各地に西行の足跡を求めて旅を深めます。
瀬戸内寂聴は自著の中で、待賢門院との恋に破れて都を落ちる
としています。こうしたさまざまな逸話が(歌の中から読み取れるように)遺さ
れていて、それでも宮中の恋とはさすがに時代を越えて語り継がれる要素に満ちています。
さてその西に向かう旅は、まさに西行の旅。
いま南米ではダカールの熱い闘いが終盤戦だ。
さまざまな思いが、さまざまなカタチで幕を閉じる。
それはダカールに限ったことじゃないけど。
年末年始に繰り広げられた、あまたのスポーツ。
頂点に立つのは、わずかに1チームのみだ。
その針の穴ほどもない歓喜の経験をする者は、そのスポーツに恐るべき情熱を費やした者の、本当に限られたわずかだ。数万分の一か、それ以上の確率だろうと思う。
常勝のシリル・デプレもペタランセルも、新しいプジョーで苦しんでる。
あれほどの経験をもってしても、上手く行かない。
そう、スポーツの現場はダカールに限らず「上手く行かないことの経験の場」だ。
上手く行かないことは、良いことなのだ。
人生なんて、そう上手く行くことは無い。
確率的に見て、そうだということが判る。
少しむかしばなし。
パリダカの時代。
GPSのない時代のことだ。
つまり、特に上手く行かない時代のことだ。
主催するティエリー・サビーネは「冒険の扉を指し示すのみだ。望むなら連れて行こう。」そう言った。
そのティエリーの死後2年。88年の第10回大会がそのピークだったろう。100名にも及ぶ日本人参加者と、大勢のプレスがいた。ボクもその年に初出場を果たした。
ベルサイユ宮殿のポディウムは、幾万の観衆で埋め尽くされテェリーの好きだった?サーチライトが夜空を切り裂いていた。フランス語で選手を紹介する絶叫が、まるでサーチライトのビームに乗せられて世界中に響き渡っていた。
そこには熱狂があり興奮があったが、参加者の胸の奥には黒々とした不安もあった。まあ、それが冒険というものの特性だ。
出場していたとはいえボクタチはその様子をベルサイユの上手く予約のとれたホテルの部屋のテレビで眺めていた。歩けばパルクフェルメに3分と掛からない。
いずれにしてもボクのスタート時間はまだまだずっと先のことだ。
それは別世界の出来事を、遠くテレビ中継を見るようだったが音声はテレビの中からと窓の外から微妙にズレて耳に届いていた。
心地よさと、不安と。その数時間は、得難い体験だった。それ以降の大会でももちろん緊張はしたものの、この1988年1月1日の未明から続くスタートの興奮は、ボクの人生の中でも特別なものとなった。
しかし、あれはいったいなんだったのだろう。
スタート台に着くまでの1年間の熱狂の日々は。
あれから随分と歳月が流れた。
ボクは1992年のパリ-ルカップ、同年のパリ-北京で、一度マシンを降りてモンゴルのゴビ砂漠で、1988年の熱狂を糧にラリーの開催に取り組んだ。
ラリーモンゴリアだ。
確か2年目の1996年。
一人の少年がラリーに参加したいと、関係者を通じて話があった。少年の名はボルドバートル17歳。レギュレーションの出場資格は18歳以上だったので随分と議論が交わされた。ボクは終始「NO」を突き付けていたのだが。
さてそのラリーモンゴリアでは3人の日本人の総合優勝者名が刻まれている。
それは、博田 巌、三橋 淳、池町 佳生。。
同時代に生まれた、ライバルというか数奇な巡り合わせに生きた男の子3人だ。
やがて彼らは、ダカールへと巣立った。
彼等は初出場の時点で、その力を発揮した。
過去の記録を軽く塗り替え、ヨーロッパ勢に対して非力な体制ながら3名が3名とも互角以上に戦いあった。
ひとつ不思議なのは、同時代に生きながら3人とも、いずれも同じ大会に出場していないのである。モンゴルでも、パリダカでもバイク時代には一戦も交えていないのではなかろうか。
今モンゴルで敵なしのボルドバートルはといえばダカールでは苦戦続きだ。前出の3人と比べればマシンそのものはヨーロッパ勢と互角だし、ラリーの経験は充分でモンゴルでは勝利をほしいままにしているしダカールは3度目だ。
しかし彼らのように実力が出し切れていない。
上手く行かないのだ。
上手く行く、と上手く行かないの違いはどこにあるのだろうか、と考える。
きっと勝つことへの執念は、3人に劣らない。
準備の進め方も、彼ら以上に慎重で丁寧だと思う。
技術やスピードも互角だ。
しかしうまくレースを運べていない。
「ダカールとは、いったいなんなのだろう?」
と、考えさせられる。
前出の3名の日本人は初出場以来2度ずつだろうか、必ず15位前後で極めて非力な体制で走り切っている。
いっぽう3度目のボルトバートルは、やはり苦戦している。
ダカールとは、ほかの競技と同じくメンタルの闘いなのだ。しかもダカールは多くのものに「その人生」を賭けろ!と強要する。
年に1度のイベントに人生を賭けると、浦島太郎の玉手箱の中に入り込むほどの時間の犠牲を強いる。そして、気がつけば体力も気力も衰えている自分に慄然とする。
こうしてメンタルとは、精神力のことととらえられがちだが、ダカールで言うメンタルは1年間費やした非情さのことだとボクは考えている。
非情、とは言葉が悪いけど、大きくは間違っていない。それは膨大な時間の量の逸失のようなものかとも思う。
そしてさらに加えると、ボクは3人の奇跡のようなラッキーを何度か目にしている。
エンジントラブルで辿りついたビバークにのみ届いていたたスペアエンジン。とか、優勝を手からこぼしたと思った瞬間に、遊牧民のポケットにあった探しても見つからなかった同サイズのボルトとか。
結論を言うと、結果をもたらすのは、やはり女神の存在かもしれない。
(2022/06)Organisation Voice は現在旧サイトからデータ移行中です。
工事中のところが多数ございますがご了承ください。