No.172 「用意は順調に進行中」- 2014/12/31 菅原さんからの手紙

まだ車検に通ってない我々のカミオンにゼッケンが張られました。

写真1

クリスマスも返上して、用意が着々と進んでおります。

場所はブエノスアイレスから車で一時間ほど北上したカンパーナという街にあるトヨタディラーさんの大きな整備工場をお借りしております。

写真1は、まだ車検に通ってない我々のカミオンにゼッケンが張られました。本来は車検が通過した車両にゼッケンが張られるのですか、我々チームは、車検落ちをしたことが無いので、事前にフランスから弊社にゼッケンが送られてきたのです。これは「とんでもない事」で主催者から信頼を受けている証拠でもありす。こちらで丁寧に張ることが出来るので出来上がりがとても綺麗に仕上がってます。

手前は私が乗る1号車でゼッケンが524番、後方に移っている2号車は516番昨年の成績を考慮して付けられるので5連勝中の2号車はカミオンスタートの16番目にスタートする事になります。

写真2は 新しいメンバーを迎えて、パンクした時のタイヤ脱着の特訓中。

写真2

写真2は 新しいメンバーを迎えて、パンクした時のタイヤ脱着の特訓中。タイヤはリム付きで、150KGもあるので注意が必要です。

今回初めて採用した等長のエキパイ

写真3

写真3は 今回初めて採用した等長のエキパイで後ろ側の3つしか映ってませんが前側に3本あり、ダカール出場車のカミオンで初めての試みです。

写真4は お世話になっているトヨタパンアメリカーナの皆さんとの記念撮影です。ご家族もお見えになり、和気あいあいのパーティでした。

お世話になっているトヨタパンアメリカーナの皆さんとの記念撮影です。

写真4

明日は2号車が近くのモトクロスコースを借りきって、走行テストが予定されてます。どんな走りをするか楽しみです。

まだ少し時差が抜けてない菅原 義正より


著者紹介 菅原義正氏

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No.171「真夏のクリスマス」- 2014/12/22 菅原さんからの手紙

letter_171_20141222_1200_01ホテルの近くのフロリダ通り(東京の銀座通りのような所)を歩いてみるとクリスマスが近いのか、人通りが多いです。

地元の人に聞くと、今は携帯電話を狙ったスリが多いので気を付けるように言われていたので、ザックは前に背負って歩いてます。

毎年の事ですが、「両替はどうですか」と個人の両替屋さんが声をかけてきます。

ある、大きなショッピングセンターに行ったら、巨大なクリスマス・ツリーが飾ってあったので、近くに行ったら本物の人間が入ったサンタクロースが座っておりました。時々、いなくなるのは服を脱いで涼みにいってるようです。とても不思議な光景です。

今日の気温は26度で3日後には33度になるようです。

2日前にメカさん達が到着して、市内から離れている町で整備の用意をしているのですが車の通関に手間取り、もう少しかかりそうです。

明日は空いた時間を利用して、スタートのポデュウムの場所などを見学に来て市内のレストランで食事会が予定されてるので、再会が楽しみです。

菅原 義正

写真の説明

1 は涼しげにしているサンタクロース。
2 は大きなクリスマスツリー
3 は同じフロアーにあったダカールのグッツを売っているコーナー

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No.170 「便利な時代になりましたね」-2014/12/19 菅原さんからの手紙

写真1は今回、初めて持ってきました。早速使ってみると、びっくり仰天です。「どこでもUSB PLAYER」 と言う製品でUSBに差してる大きさが、お判りでしょう。これで、日本のテレビがリアルタイム(実際計ってみると2分遅れてます。)で見れるのです。映像や音声も日本で見ているのと少しも変わらないから驚きです。  

昔、フランスの事務所で、日本の情報を知りたかったので短波ラジオを持って行き聞いていたり、その後、ワープロに通信装置が付いている製品を持ち込んだのですがセットが慌ただしく、うまく成功すると、活字でニースを知る事が出来ました。

パリでは同日に日本の新聞をパリで印刷して売っているので、ルマンで見るには郵送料も払い一日遅れの新聞が配達されるのですが、月単位の契約なのでやった事がありませんでした。

後発の人たちが最新の新聞や週刊誌を持ってきてくれるので、それを楽しみにしていたものです

今日、初めて使ってみたらスタッフ細胞のニュースやピーナッッリターンのニュースが見れて驚きました。

各家庭にテレビが無い時代から、ここまでの進化をするとは信じられない速度ですね。

写真2は寝室と仕事場です。写真3は壁に貼った予定表。写真4はこのホテルの10Fにあるトレーニングルームです。

菅原 義正

 

 


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No.169 「ブエノス・アイレス に着きました」- 2014/12/17 菅原さんからの手紙

letter_169_20141217_1200_01飛行機はアメリカン航空とJALの共同運航便です。(ダラスまで)

成田ーダラス間は約12時間で4時間のトランジットがあり、ダラスーブエノス間は10時間30分です。

成田を夕方出て、トランジットの後、ダラスを夕方出るので2回寝て起きると、アルゼンチンです。こんなに長く乗るので、マイルが沢山、溜まるとお思いでしょうがアメリカン航空はスポンサーさんなので無料航空券にはマイルは付かないのです。(残念)

でも、こんな大きな会社がスポンサーさんになって頂き、ありがたい事です。ダカールラリーがブエノス・アイレスに移ったのも何かの縁を感じます。弊社のフランスの工場の住所はベル・エアー通りの11番地でフランス語では11 rue de Bel Air と書き、直訳すると「綺麗な空気の通り」で、Buenos Aires もスペイン語で「綺麗な空気」だそうです。不思議ですね。先発で入っていた日野自動車の広報の方がお迎えに来てくれていて、レンジャーは着いているのですが、通関の手続きがこちらの思い通りに行ってないと、嘆いておりました。

何時も相手がある交渉なので、ラリーで走るのも、大変ですが、車検を通して、スタートラインに並ぶのが一番難しいのです。パジェロ時代に車検場の500メーター手前でリアーのホイールベアリングが焼き付き、走行不能になった事がありますが、何とかして車検を通し無事にスタートをしました。こんな事はしょっちゅう起きるのが、このラリーの難しいところでもあります。

写真はブエノスアイレスの空港で写しました。一枚はメッシーさんの大きな看板とアルゼンチンの旗がひらめいてたので負けずに日野旗を出しました。

応援よろしくお願いします。

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No.168 「2015ラリーレイドモンゴルに向けて」 – 菅原さんからの手紙

11月17日にやっと新しいジムニーがAPIOさんから納車されました。9月頃にオーダーしたのですが、スズキさんは忙しくで、私の分は11月始めに生産されたそうです。

早速、電車でAPIOさんに向かい、新しいジムニーに乗って、御殿場の工場に向かいました。写真1はナンバーを100にしてもらった新しいジムニーです。

工場では弊社から2名の応援を得て、8時間後には写真2の様に、内装を剥がしリミテットスリップデフとリアーのライニングをAPIO製に交換し、フロント周りは写真2のようにAPIO仕様になっております。

写真3は新しくなったメーターです。LEDを使っているので耐久性と電力の消費も少なくなりますね。

2台のレンジャーは船に乗ってアルゼンチンに向かっており、バイラーさんはモンゴルに置いてあった日野さんの新しいサービストラックに乗って自走で無事にフランスの工場に着き、会社から2名が渡仏してルマンの工場でメカさんを乗せて走るハイラックスの整備とルアーブル港で行われる車検に向かっており、ダカール・ラリーの事は一段落したので、この隙間を縫ってジムニーの改造に入っております。

ジムニーをラリー用に改造していると、レンジャーの改造に生かされるヒントがあったり、その逆だったりして、勉強になります。

明日からは4日間、御殿場の工場でじっくり改造に入ります。お楽しみにね。

菅原 義正

NEWS
菅原義正さんが、J-SPORTSの人気番組「世界、頂!ニッポン代表応援TV」に出演することになりました。
放送スケジュールなどはリンク先をご覧下さい。

 

 

 

 


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No.167「壮行会」- 菅原さんからの手紙 – 2014/10/22 15:00

letter_167_20141022_1500_01先日、日野さんの本社で報道の方とスポンサーさんに集まって頂き盛大な、壮行会をして頂きました。

来年は日野自動車さんにとって連続25年の挑戦になり、私に取っても33年目の節目の年にもなるのです。

写真で分かりますが照仁が乗る⒉号車は、ナローキャブと言って車幅の狭い運転席を使い、初めて左ハンドル仕様にしてあります。

更に1号車よりトレッドとホイルベースが長くなり、操縦安定性が良くなっております。私の1号車にはSSERのイベントにも出ている、若林 葉子さんがナビの一員として乗車し、6つの目で前を見る事になります。

写真は日野自動車さんのパリダカワーキンググループの皆様との記念撮影です。(都合が付かない方もいて、もっともっとおります。)

最初はバイクで出場した私ですが、32年後にはこんな素晴らしいチームに発展しました。これも日野自動さんの暖かさとスポンサーさん他皆さんが支えてくれてる証拠なので、頑張って来ますので、応援宜しくお願いいたします。

菅原 義正

No.166 「おやじ対決の勝者の祝勝会」-菅原さんからの手紙 2014/09/19 13:01

letter_166_140919今夜はラリーレイドモンゴルのジムニークラスの優勝者である尾上さんの祝勝会がありました。

場所は厚木の近くの七沢温泉で、ここを使っての祝勝会は今年で5年目になります。

毎年、負けた人がご招待する事になっているので、今年は負けた私が主催するハメになった訳です。

私の真ん前に座った尾上さんの嬉しそうなお顔をお見せできないのが残念です。

主催者の山田さんやスポンサーの松野さんや皆様が遠くから駆け付けてくれてこんな素晴らしい会は他には無いと思います。

そうそう、先日、ソーラーカーの世界最高速度記録を作り、ギネスにも認定された、篠塚 健次郎さんも来てくれました。

私の愛車のダイハツアトレーで弊社から温泉まで、篠塚さんと山田さんと乗り、世界記録を作った思いや、経緯を聞いてるうちに、アット言う間に温泉に着いてしまいました。

この旅館はとても古くで一人一人御膳で料理が出るのですが、雰囲気があり私の大好きな旅館です。

蟹工船を書いた小林多喜二さんを昔、かくまっており、この旅館を出て築地に用足しに行って、特高警察に捕まり、撲殺されました。

彼が隠れていた部屋も今は改装されて、公開されているので、興味のある方は行かれたら良いと思います。旅館名は福元館と言います。

私が狙っていた小樽商大を出た人ですよ。

APIOの社長に聞いたら昨年買ったジムニーをおしやかにしたのでまた新車を注文したら2年連続ジムニーを買った人は私だけだそうです。

来年こそは尾上さんをギャフンと言わせる予定ですが、中々手ごわいので注意が必要です。

尾上さんへ 今年は完敗です。貴方は凄い。でも悔しい。

菅原 義正


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No.165 「コイルオーバーショックアブソーの採用」-菅原さんからの手紙 2014/08/04 22:21

letter_165_20140804_01新しいレンジャーのバネの方式をマルチ式からテーパーリーフ方式に変更しました。前の「菅原からの手紙」にも書いたのですが、どちらもメリットとデメリットがあり、難しい選択なのですが、トラック用にもコイルオーバーのショックアブソーバーを作ってくれるメーカーが出来たりして、細かいチューニングが出来るので、軽量なテーパーリーフ方式を採用し、表記のショックを採用した訳です。

車輪の動きを敏感に感じるようにホーシング側の取り付けも外側一杯に取り付け位置も変更しております。

車両は現在、ウランバートルに到着しており、日野さんの開発担当の方が5名、明日(8/4)から現地に行き、最終チェックをする予定です。

次回のダカールを見据えての参加なので、日野さんの研究所からおひとりラリー中、帯同します。

私も明日(8/4)から出発します。レンジャーとジムニーの活躍にご期待ください。

写真1 で分かるように斜めにショックアブソーバーが取り付けられております。白く塗られたフレームの下側にはトレーリングアームの取り付けが見えてます。その上に見えてるのはフロントスプリングの前側の部分です。
写真2 2本並んで付けられているショックアブソーバーです。右上のは運転席のスプリングとショックです。
写真3 日野さんのテストコースでのテスト風景です。
写真4 ラリーレイドモンゴルのゼッケンを付けてのテストです。

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No.164「トレーリングアームを新採用」- 菅原さんからの手紙 2014/06/30 18:30

letter_164_20140630_1830_01今年のラリーからスプリングをマルチ式からテーパーロング式に変更しました。2台共、リアーだけに採用したのですが、私の乗った1号車はA09Cと言う、約1リッターも大きいエンジンを採用しましたので、馬力がすごくなり、ミッションや副変速機やプロペラシャフトなど動力を伝える部分を強くするために、結局、重い部品になってしまい、全体的には重量増になってしまいました。

我々は車に積むトイレットペーパーの中芯を抜いている位グラム単位で軽量化をしているので、とても辛い選択なのです。

1号車は車重が重すぎたので、現地で予備に持って行ったマルチ式に変更したのですが、このスピリングは硬すぎで下から2枚目の板バネを現場で抜いてもらう、離れ業をやってもらいました。

そんな経緯もあったので、次回は前後共、テーパーロングを前後に採用して、ホーシングの位置をしっかりと固定する為に、トレーリングアームを付けました。

このあたりの話は難しくなるので、日野自動車さんのホームページに入り、ダカールをクリックしてニュースを開けて見て頂くと、分かりやすく解説されてます。

写真1は6月10日に写しました。

写真2はリアーの左側から写した写真です。スプリングの側にトレーリングアームが写ってます。

写真3は6月25日に写しました。フロントの左側からの写真です。2本のショックの左の棒状の物はストークセンサーで絶えず動きを記録しております。右奥のスプリングは運転席のサスペンションです。

写真4はもう少しで完成します。日野さんのテストコースを走ってからモンゴルに運び込まれます。

菅原 義正

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No.163「158話の続きです」- 菅原さんからの手紙 2014/06/24 15:57

letter_163_20140624_1557_01帰国して、早速、会社にジャン・ピエール・ジュッソーさんのコーナーを作りました。額に入った絵は、彼が60才の誕生日(1997年)の日の様子です。

1997年の夏に照とルマンの家におりましたら、ジュッソーさんの息子さんからお父さんの誕生祝いを彼に内緒でするから、ぜひ出席して欲しいとの連絡が入りました。

内容は、ルマンの自動車博物館に飾ってある、1978年に優勝したルノー・アルピーヌ(前回はアルバインと書き間違い)と昔、乗ったF-3などをサーキットに運び出し、彼に走ってもらおうと言う企画でした。私は予定されていた日には帰国しなければならなかったので代わりに照に出席してもらいました。ちゃんと走れる状態にするのは大変な事ですね。

コーナーの左側に写っているのは1980年に優勝した車両で、ロンドーM379のモデルと絵葉書です。私のナビをやってくれていた尚子さんがフランスから送ってくれました。この車はジャン・ロンドーさんがデザインして造り、彼とジュッソーさんがドライブして優勝したんです。自分の名前を付け、自分も運転して優勝したのはこのロンドー車だけですよ。

先日頂いたメダルはこの時の物です。

もう一枚の写真は、絵の下に書いてくれたメッセージです。

追伸 昔、一人でエントリーして23時間目にシフトミス(バックに入れたようです)してリタイヤした人がおり、それから一人での参加は認められなくなったようです。

ロンドーさんは1985年の暮れに列車事故で39才で亡くなりました。

菅原 義正

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No.162「関谷選手の手形」- 菅原さんからの手紙 2014/06/20 13:41

letter_162_20140620_1341_01ルマンの中心地にルマン24時間レースのモニュメントがあります。

広場の真ん中にはレースのモニュメントがあり、タイヤの外側にはコースを模した形がありました。レースの最大の直線はユノディールの直線と呼ばれているのですが、何年か前に2ケ所のシケインが作られており、その通りに出来てるので、上のモニュメントは新しい物です。(15年位は経ったかも)

このモニュメント(写真1)の裏側にはジャッキーイクスさんの手形(写真2)があり、勝った年数も入っており、彼の偉大さを表してます。

そのモニュメントを囲むように、今までの優勝車をドライブした選手の手形が路上にあります。(写真3)

関谷選手は1995年に優勝しており、日本人で初めての手形でしたが、2004年には荒選手が優勝しておりますが、見つけられませんでした。

ミスター・ルマンと言われている寺田選手は長いことエントリーしており、予選のタイムは免除になっており、必ず決勝に出られると聞いてます。彼に聞いたら今でもACO(オートモービルクラブウエスト、世界で一番古い自動車連盟のクラブでこのクラブが24時間レースを運営しております)の幹事をしているそうで、日本人の誇りですね。

24時間で約5000kmを走るので、単純に計算して平均時速208km/hにもなるんですね。

毎年、夏至の時期に行われるのには、深い訳があります。昔の自動車のヘッドランプはカーバイトと言うガスを燃やして点灯していたので、暗くなるのは夜の10時過ぎで4時には明るくなるからです。

以前、SSERのイベントに良く出ていた長谷見さんに(彼は実際に出場しております)、色々と聞いてみました。彼は独特の優しい語り口で「菅原さん、夜が一番スピードが乗るんだよ」と教えてくれました。

そういえば空気の密度は冷えると濃くなるので、納得です。今はスピードも半端ではないので、昔と同じ恐ろしさだと思いました。

私の場合ここの所、毎年4700M-4900Mのあたりを走っているので空気の密度に関しては敏感になっております。

何せナビさんが意識を失ってしまうからです。年寄は細胞が少ないので高山病になりにくいとナビは言ってます。

ルマンに行くときにはN48 0 324 E0 11 909をお忘れなく。

広場に行けますよ。

菅原 義正

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No.161「ルマンの自動車博物館、その2」- 菅原さんからの手紙 2014/06/05 22:46

この博物館はサルト県の県立の博物館で、館長とは20年以上の友人です。

受付で館長用に用意したお土産を渡したら、受付の女性が大きな声で「フランシス!!」と呼んだら裏側から出て来て「TON TON」と抱き付いてきました。

私のフランスでのあだ名はトントンなんです。

letter_161_20140605_2246_01何時もは何人かを連れて行っても、私の分の入場料は取らないのですが、今回は6ユーロ取られました。後で他の人に聞いたら、今は館長ではなく、アドバイザー的な役割だと聞いて納得しました。売店ではここでしか売ってないエルメスのネクタイを扱っていたのですが、今は売ってませんでした。ゴメンネ山田さん。

博物館は2つに分かれていて、最初に出来た蒸気機関の車から現代までと、24時間レースに出た、歴代の車が飾られており、日野さんがルノーと提携して作ったルノー4CVもレース部門に飾られております。

国産では、マツダが優勝したロータリーのプロトタイプやホンダのエンデューロ(ロード)で年間優勝したバイクがあります。このバイクに乗ったチャンピオンのライダー、ジャン・クロード・シュマラン氏は1991年の日野さんの2号車のドライバーになってもらいました。

写真の1と2は今回初めて見たド派手な車です。マーシャルのデモカーなんですね。ヘッドランプはラリーで許されているのは8灯まですよ。

写真3と4はマックイーンのコーナーもありました。

彼は映画を撮るのにルマンで走りましたが、実際のレースには出ておりません。

彼はセブリング12時間耐久レースでポルシェに乗って完走しており、その時の写真を、弊社で日本初のレースカレンダーを作った時の表紙に使いました。

写真を撮ってくれた人は、後でとんでもなく有名になる二村 保さんです。

マツダさんが総合優勝した年に、偶然、ルマンで観戦してましたよ。当時、パジェロに乗っていたので、三菱さんがお客様用に用意したピットの2階で24時間、食事や飲み物のサービスがフリーで綺麗なお姉さまのサービスが付いてました。

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No.160「ルマンの自動車博物館」- 菅原さんからの手紙 2014/06/04 17:37

letter_160_20140604_1737_01不思議な事があるものですね。写真1の小説「ル・マン自動車レース」と言う本は、写真2にあるように、私が23歳で学生の頃に買って読んだ本です。この歳に鈴鹿サーキットが出来ました。

写真3は筆者のグレゴワールさんで、写真4は1929年に彼が発明したフロントドライブ車で自らル・マンのレースで走っております。(彼の特許をシトロエンが買い現在に至ってます)

写真5は私が以前買った絵葉書で、本の内容はグレゴワールさんが作ったタービンエンジン車でルマン・24時間を戦うというお話です。文中にはアルゼンチン人のゴンザレスさんもフェラリーの4号車で出場してます。(彼の運転しているフェラリーは彼の為にアルゼンチンの国で買ってくれた車両です。本当の話)

写真6は現在も博物館に飾られているグレゴワールさんが作ったタービンエンジン車です。空力も良く考えて、流線的ですね。

30年程前に行った時には、自分が読んだ本との繋がりが分からなかったのですが、ルマンに工場を持つようになってから、繋がり自分でもびっくりです。

今のダカールはアルゼンチンをスタートするので、モータースポーツの勉強をしていたらゴンザレスさんも文中に出て来るので、更に驚きました。

写真の6は博物館で写した写真で7は説明パネルです。

追伸 翻訳者の桶谷 繁雄さんは私が初めてパリ・ダカに出た1983年の2月に亡くなりました。

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No.159「良友」- 菅原さんからの手紙 2014/05/29 15:34

letter_159_20140529_1534_01シャルルドゴール空港の近くに住む、良友のスミルビッチさんに会ってきました。彼の家を訪ねるのは20数年ぶりです。

彼とは古く、1985年に私が初めて4輪に転向し、夏木 陽介さんのナビで乗っており、車両は三菱パジェロで、スミルビッチさんもパジェロでフランスで有名なレイモンド・コパ(サッカーの選手)をナビにして出場しておりました。

ある夜、彼が砂漠のど真ん中で止まっておりました。彼の顔はヂーゼルオイルで真っ黒でした。訳を聞くとエンジンオイルが出てしまい、これ以上走れないと言うのです。「入れるオイルはあるのか?」と聞くと友達がジェリー缶(20L)で置いていってくれたとのこと。

原因を探るべく私はエンジンの下にもぐってみると、オイルプレッシャーを取る所に市販で売っているオイル温度を測るのやら、何やらで3段も重ねて使っており、振動でブロックに入っているネジが折れており、そこからオイルが流失してました。

時間がないので、彼にハンマーを出してもらい、木の柄を丸く切って、その木をその穴にハンマーでたたき込み、栓をして「あとは大丈夫だからオイルを入れて走って良いよ」と告げて別れました。栓をした木が熱で緩んで、またオイルが流失しないか心配でしたが、翌朝キャンプ地に居たのでホッとしました。

それから何日かして、慌てて「エンジンがかからない」と私の所に来たので、彼のハンマーでスターターを叩いたら、エンジンがかかり、彼はこのハンマーはマジックハンマーなので、次回から首に下げてくると言ってました。

まだまだ書ききれないほど、彼とは共通の話題があります。

これがラリーの良さですね。

写真1は2人のショット
写真2は菅原がダカールに挑戦したのは1983年だったのでと言いカーブで1983年のワインを出してくれ振る舞ってくれました。
写真3はリタイヤしたときの原因となったパーツを額に入れて飾ってました。
写真4は最初の年に出たときの絵がかざってありました。
写真5は私の玄関に飾ってある最初に4輪で出たときの絵で夏木陽介さんがかきました。

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No.158「22年ぶりの再会」- 菅原さんからの手紙 2014/05/23 18:58

letter_158_20140526_1534_01ノルマンディ上陸作戦で有名な町、カーンに住んでいるジャン・ピエール・ジュッソーさんに会って来ました。22年ぶりの再会になります。

彼は日野さんがパリ・タカール・ラリーに最初に出た年(1991年)と翌年の2年間、1号車のドライバーをしてくれた人です。

彼は1978年と1980年にルマン24時間で優勝しており、特に1978年に優勝した時は、「フランスが泣いた日」とも言われております。1975年と’76と’77の3年間はジャッキー・イクスが3連勝しており、写真3の時はイクス(ベルギー人)がポルシェ(ドイツ製)に乗って4連覇を狙っていたのをフランス人のジュッソーさんがフランス製のルノー・アルパインで勝ったのです。彼は表彰台の上で泣き出してしまい、それを見ていた観客が嬉しくて泣いていたそうです。もちろんTV放送もされておりました。

彼が泣いてる写真を雑誌で見た事があります。

そんな彼が別れ際に、私にくれたのが1980年に優勝した時のメダルです。 フランスの友人にこのメダルを見せたら、とんでもない贈り物で、オリンピックの金メダルよりも貴重なものですね!!と言ってくれました。

私、個人で持っていてももったいないので帰国したら会社で保存をしますので見に来て下さい。

菅原 義正

写真1はカーンのホテル前での記念撮影
写真2は1991年のパリ・トリポリ・ダカールでの記事
写真3は1978年に6番のイクスをインから抜いてます。
写真4はメダルの表
写真5はメダルの裏
写真6はメダルのサイドに刻印されている彼の名前と 1980.14-15 Juin (6月)


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No.157「カーブ」- 菅原さんからの手紙 2014/05/21 17:05

letter_157_20140521_1705_01友人の誕生日のお祝いにツールの近くの小さな村に来ております。本人には完全に内緒でお祝いが始まりました。

ご主人は誕生日を迎える奥さんと私を車に乗せて自宅を出て、何処か遠くに行くふりをして走りだし、「そうだ、カーブ(ワイン蔵) に鍵をかけるのを忘れていた」と言い出しカーブに向かったら、友人のご夫妻が自分のカーブの前に二人だけで居て、「菅原も来ているので美味しいワインを一杯飲んでいかない」と言われカーブに入ったら、中にはテーブルがセットされ20人位の友人達がハッピバースディの歌を歌って迎えてくれました。

本人は嬉しくて泣いてました。フランス人の仕掛けはすごいですね。

ひと段落したら隠してあった車がいっぱい出てきて、その中には電気動力のスマートの新車も来てました。

この後もびっくりするお話があるのでね、お楽しみに。。。。。。。。。。

写真1は、パーティ会場のカーブの中にあったぶどうの絞り機です。

写真2は、ネジの部分のアッブで今の持ち主のおじいちゃんがノミでネジを作ったそうです。びっくりですね。

写真3は、3メーターもある丸棒でこの棒の先を差し込んで、二人から三人で回して、ブドウを絞ったそうです。

菅原義正


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No.156「パリに来ております」- 菅原さんからの手紙 2014/05/16 18:48

letter_156_20140516_1848_01124年前の6月10日に世界最初のレースがパリ、ボルドー往復の1200キロを制限時間100時間で行われたそうです。

座席は4座席以上で定員は乗ってなくてはいけなかったそうです。この時代に、蒸気、電気、ガソリンを原動力にした車両が出ていて、今後、どれが主流になるかわからない時代だったそうでよ。

ミシュラン兄弟が初めて空気いりのタイヤを履いていたそうです。

コースはベルサイユを出て、ゴールはポルト・マイヨーだったそうで最速タイムを出したのがパナール・エ・ルバッソール氏で記念にゴール地点のポルト・マイヨーに記念碑が建っているので、見てきました。

ドライバーの真剣な顔と、その偉業を讃える観衆の顔がリアルに表現されてました。残念なのはクランク棒が折られてました。

彼が作った車が数年後、日本に輸入され、日本人が初めて目にする車になるのも、不思議ですね。

今週末、ルマンではロードバイクの世界選手権が開かれるのでコースの近くのあちこちにテントが立てられ、観戦の準備をしており、あちこちからバイクに乗ったフアンが集まってきております。

モータースポーツの好きな国に居ると、心地良いですね。

参考文献は私が尊敬する高斎 正さんです。

アビアントー

菅原 義正


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No.155「2014モンゴル用ニューモデル」- 菅原さんからの手紙 2014/04/22 00:12

letter_155_20140422_0012_01新しいジムニーのお化粧も終わり、今日、出来上がりました。

ポリカーボネートの窓の部品をイギリスから取り寄せたら、良く出来ており、走ってもビビリ音が出ないのと密封性が向上しました。

新しいナビの田中君と初めて御殿場の何時ものコースを走りに行ったのですが、ショックアブソーバーにチッソガスを入れるのを忘れて行ったら、底突きをおこしギャップはゆっくり走りました。

新しいショックは圧縮にも効いており、このショックに合わせてコイルスプリングを作ったので、ショックが効かないとスプリングだけではかなり、弱い感じでした。

始めて、リアーにリミテッドスリップデフを入れたら、加速中の安定が良いのでびっくりしました。

ブーストの圧も上げてないのですが、新しいジムニーは加速も良く、これなら尾上さんに楽勝ですね。

楽しみ、楽しみ

菅原 義正


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No.154「新車に色が入りました」- 菅原さんからの手紙 2014/04/09 12:40

letter_154_20140409_1240_012014年ラリー・レイド・モンゴル出場車両に色が入りました。

写真1は2014年モデルのデザインで、写真2は2009年から2013年までのモデルです。4年間このモデルで走ったんですね。

基本はブルーですが、今年のモデルには下の方にシルバーが入ってます。

写真3はドアー、ボンネット他のグラスファイバー化の作業が終わったので、色が入りはじめました。

以前のデザインで昨年は尾上さんに負けたので、新規一転し、更に軽い感じにして、今度は負けられませんよ。

御殿場の工場で作業が進んでおり、外は真っ白な富士山と御殿場桜が満開です。

私は御殿場での作業ですが、東京では照がレンジャーの配線と格闘しており、新しいレンジャーのフレームを作りに弊社から3名が焼津の工場に昨日から入りました。

フレームの製作過程も今後、お知らせしますね。

もうすくTDRですね。

菅原 義正


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No.153「室内の塗装が終わりました。」- 菅原さんからの手紙 2014/04/03 19:06

letter_153_20140403_1906_01ロールゲージの組み込みが終わり(溶接がとても難しく左右少しづつやっていかないと熱で変形します。)室内が真っ白に塗装されました。

ロールゲージはキャブ(運転席)にも各部溶接されキャブの補強にもなっています。写真1の左右に写ってますね。

写真2の塗装されてないリンケージには今後、色々な計器の取り付けスティを溶接します。

このリンケージの下側にはヒーター、クーラーのラジェターが取り付けられます。奥に見えるのは、ドライバーの好みに合わせた角度のハンドルのシャフトです。

写真3はリンケージにダッシュボードが取り付けられました。
ロールバーを逃げて取り付けるので何回も、何回も少しづつけづってロールバーをよけてダッシャボードが取り付けられます。溶接やこのあたりの作業は職人業ですね。

私の仕事は下働きで、工場の床に落ちてるゴミやボール盤から出る、削りかすを集めて掃除したり、時には車道と歩道の脇の掃除です。

昔から比べたらタバコの吸い殻や、路上に捨てたタバコの使い終わった箱が少なくなりましたよ。

おまけ、今日、歯医者さんからの帰りに通った青山墓地の桜です。

一人での桜見物は寂しいですね。そうですよね。ヤマダさん、ハルキさん。

菅原 義正


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No.152「軽量化と補強」- 菅原さんからの手紙 2014/03/26 11:39

letter_152_20140326_1139_01来年用の2号車のキャブ「運転席」が少しづつ出来てきました。

写真1は徹底的に穴を開けて軽量化をしております。先日はドアーの部分を見て頂きましたが、今回はフロントのリットとワイパーのアームも見て下さい。徹底的に穴が開けられてますね。ドアーヒンジも穴だらけです。

写真2は乗員を守る為に規則で決められたロールゲージを作っています。

パイプの材料はクロームモリブデン鋼のシームレス(継ぎ目のないパイプ)を使わなければならないので、我々は特注で作ってもらっておりまが、これを室内の中にすっぽりと収めるにはとても根気と技術が必要です。安全を考えすぎると重くなり軽量化をした意味が無くなるので、兼ね合いがとても難しいのです。

写真3は今はカマズチームの監督をしているチャギーン選手が前転してロールゲージに挟まって仮死状態でした。仲間がロールゲージにワイヤーをかけてカミオンで引っ張って隙間を開けて、ドライバーを引き出したのですがローゲージも取り付けの仕方によっては凶器になるのです。

カミオンはボンネットが無い分生存空間が少なく、衝撃も直接運転席に来るので、慎重に製作中です。

もうすぐTDRですね。今年初めてSSERの参加者にお会い出来るのがとても楽しみですね。

菅原 義正


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No.151「トランポ買いました。」- 菅原さんからの手紙 2014/03/10 15:35

letter_151_20140310_1535_01バイクが入るキャンピングカーを何年も前から探してました。

毎晩、ヤフオクでキャンピングカーを探すのが日課になるほどでした。

これまでも、何台かバイクも乗せられるキャンパーがあったのですが大きすぎたり、小さかったりで、なかなか気に入ったものがありませんでした。

今年のラリーが終わり、ゴール地点のバルパライソでパソコンを開けたら春日部のお店で、この車両が売りに出てました。

帰国してすぐにお店を訪ねて、見せてもらい、とても気に入ったので手づけを払ってきました。

定員は5名で5人が寝るベットがあり、温水シャワーとトイレとガス台と流しが付いており、完璧です。バイクは2台は積めそうですね。

それにしても地球の裏側で見た車を買えるなんて、恐ろしい時代ですね。
ちょっと古い車なので室内の蛍光灯を消費電力の少ないLEDに変えたりして、楽しんでおります。

写真1はTBI用のKTMを積んでみました。右側がキッチンです。

写真2は左側を御殿場の工場で写しました。ある方に見せてはならない車も写ってしまいましたね。

追伸 この車には2本のプロパンガスボンベが入っており、御殿場で充填してくれるお店を探したのですが、全部断られました。良く調べたら移動する車に乗せて事故があったからだそうです。

昔は問題なく充填してもらえたのに、おかしな事ですね。今はカセットガスを使っており、容量が少ないので3連や4連で使う器具が売ってました。この方がよっぽど危険だと思うのですが。

菅原 義正


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No.150 「2015 DAKARに向けて始動」- 2014/02/24 菅原さんからの手紙

主催者〔ASO〕手配の車両運搬船は2/21にルアーブル港に着き、弊社から3名が車両引取りに向かっております。ルアーブル港から我々のガレージまで約250キロメートルあり、ハイラックス2台と大型のサポートトラック1台を無事に運び込みました。 2015に向けてタイヤの交換や作業が沢山あります。 競技車の2台のレンジャーはチリから直接、日本に向かっているので、3/10頃に日本に到着の予定になっております。 こちらでは、新しい2号車を作るべく、弊社の1階のガレージで新しいキャビンの製作に取り掛かっております。フレームの寸法も見直し、モンゴル・ラリーでデビューしますのでお楽しみに。エンジンも凄いのが載りますよ。

写真1 真新しいキャビンに補強や軽量化をしております。
写真2 ドアーにあけられた軽量化の穴です。
写真3 ウインドウ開閉のアームにも穴を開けてます。

菅原 義正  


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No.149 「帰国しました」- 菅原さんからの手紙 2014/01/27

No.149 「帰国しました」

今年の完走率は47%だそうです。カミオンクラスで見ると毎年5-6台のリタイヤですが、今年は20台以上がリタイヤしました。

原因は南米大陸に移ってから、毎日のSSが短い設定になっておりましたが、今年は大きく違って昔のダカールラリーのような毎日、リエゾンを含め走行距離がとても長くなっておりました。

景色は昔、アフリカでの難所だったネガの谷やキファを思い出す松林の中のスラロームなど、変化に富んだコースでした。

照が乗った2号車は長年かけて作り上げたバランスの良い車に仕上がっており、私より毎日早くキャンプ地に到着してました。

(もちろん運転技術も数段進歩してます)

私の乗った1号車は照のより100馬力以上のエンジンを載せた車両でしたが、エンジンやミッションなどが重くなり、サスペンションがなかなか決まらづ、リアーはテーパーリーフスプリングでしたが、途中でマルチリーフスプリングに変えたり、硬いので一枚抜いたり、ショックアブゾバーのコンプレッションやリバウンドの数値を入れ替えたりして、やっと最終日に良くなりました。

昨年は私の不注意で最終日のスタートではクラス3位でしたが、終わってみたら54秒の差で4位になってしまいました。

今年は3位の成績を毎日チェックして3時間以上の差をつけて2位になりましたよ。 南米に移ってから初めての日本人ライダーの深草君が挑戦してくれ、とても嬉しかったのですが、怪我をされ残念でした。

写真の説明です。

1番目は日野さんが新しく作ってくれたサポートカミオンです。

2番目はホンダワークスのキャンプです。最初の方は成績もよかったのですが、後半には車両のアンターガードに枯草が詰まり、エキゾーストの熱で発火して燃えたり、転倒があったりで残念な結果になりました。

3枚目の写真は、我々のチームのメカさんは全然寝ないで整備してくれるので、今年は個人用のテントは支給しませんでした。この写真を見て分かるのですが、メカさんも真剣に作業してくれるので我々も頑張りました。応援ありがとうございました。

 

 

菅原 義正


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No.148「いよいよスタートです」- 菅原さんからの手紙 2014/01/05 22:00

letter_148_20140105_2200_01今日、4日は夕方からスタートセレモニーがあり、パルクフルメが一時解除になり一台ずつポデュウムで紹介があり、街の一部を走ってパルクフルメ会場に戻ってきます。

明日は180kmのSSの前後にリエゾンが629kmで合計809kmです。今はリエゾンの最高速度がオート、モトが110km/hでカミオンは90/km/hに制限されているので、モトの1番は朝の4:20にスタートです。(今の日の出は06:01で日の入りは20:39)

SSはWRCで使われた難しいコースのようです。

この国はモータースポーツの歴史が古く、フアンジオと言う選手はF-1で1951と1954-7まで5回もチャンピオンを取り、その記録は46年間も破られておりませんでした。

その記録を破った人は今、大変な事になっているミハイル・シーュマッハさんです。

写真1はキャンプ地のレイアウトが発表になりました。このようにすべてのレイアウトが一緒だと、思い出に残りづらいですね。

写真2は地元の新聞の一面に紹介されました。

写真3はトヨタ関係の合同記者会見で日野チーム、トヨタ車体チーム、南アのチーム、アルゼンチンから出場のチームが紹介されました。

私からの手紙はラリー後になるのでラリー中の様子はこちらからご覧ください。

http://www.hino.co.jp/dakar/index.html

では、行ってまいります。 

菅原 義正

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No.147「新年おめでとうございます。」 2014/01/03 15:00 – 菅原さんからの手紙

letter_147_20140103_1500_01私は、今年も海外で新年を迎えてしまいました。ラリーの準備をしていると年越しと元旦とかの気分になれないので、こまった事です。

以前、山田さんが私に、「日本の法律で年越しなどの行事は無くなったよ」と冗談で言われた事があり、一瞬信じそうになった覚えがあります。

今日1月2日は我々チームの車検が14時45分から始まるのですが、こちらに着いたばかりの深草君に電話したら近所のホテルに居て、今日は何も予定が無いとの事なので、我々の整備している工場に来てもらいました。

我々がお借りしている工場はバスの製作工場です。

日本では考えられない工法でバスを作っているので驚いていました。一切、プレスの型が無く、フロント周り、リアー周り、屋根、ダッシュ、ドアーは全部グラスファイバーの女型に張り付けてゆくのです。

我々だけ車検会場に行き、人件と車検を無事に済ませました。

GPSの使い方の講習を受けないとスタンプがもらえないのですが、我々は先生より詳しいことを知っているので、講習無でスタンプをもらいました。

多分、講習無でスタンプをもらえるのは、うちのチームだけです。

写真1は1号車の車検風景です。

写真2は2号車です。

写真3はパルクフルメの入った1号車で後ろに2号車があり、左の遠くにチェコから来たタトラがあり、パルクフルメには3台のトラックしかおりませんでした。

明日は深草君の整備が予定されているのでひやかしに行く予定です。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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