ルートインフォメーション

tdr2015_photo02

DAY-1 4/4 TOTAL 81.68km

一日目「バイクとジムニーのふるさと」
この日ダートはありません。ですから全車同じルートです。
それにスタートゴールは同じ場所ですから、バイクでの参加者は荷物を降ろして
軽快なライディングを楽しんで下さい。

集合場所の竜洋海洋公園をスタート。
すぐに天竜川を渡り浜松へ。
スズキ本社の前にある「スズキ歴史館」ここがCP1。
スズキの歴史。クルマのできるまでの過程が解説されています。
ココロときめく懐かしのマシンも!!

じっくり見たあとは、天竜川沿いに北に向かいます。
CP2は「本田宗一郎ものづくり伝承館」です。
ここは本田宗一郎の生まれ故郷で、その建物は旧二俣町役場。
本田宗一郎氏の生き方やものづくり精神に触れて下さい。

そして帰路にはジムニーのふるさとスズキ磐田工場の前を通り、
つづいてヤマハ本社の前で右折。
磐田市役所と、ヤマハ磐田南工場を眺めながら走ることに。

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No.178「TDRに向けて」- 菅原さんからの手紙 20150324 16:20

letter_178_20150324_1620_01今日(23日)暖かかったのでTDRに使うKTMを御殿場まで自走しました。

久しく乗って無かったので、フィーリングを思い出したり、点検を兼ねての走行でした。

横浜を過ぎたあたりから、リアーブレーキが突然効かなくなりました。

取りあえず海老名のパーキングエリアを目指して走り、ガソリンスタンドで「ブレーキオイルありますか?」と聞いたら、彼もバイクのタンクは小さいと知っていて油さしに100cc位持って来てくれたので、値段を聞いたら500円との事(ちょっと高い)早速、リアーブレーキのタンクを開けて見たらオイルが抜けてました。スタンドの端でエアー抜きをしながらオイルを足して事無きでしたが、ラリー中だったら、ぞっとしますね。

250ccなのか東名のゆっくりした登りでは力不足を感じました。少し下っていると元気がでるのですが、少しの登り下りを早く察知できないとだめですね。

ラリーに出る装備で行ったので、帰りの服を忘れており、作業着を来て御殿場からバスで帰京しました。料金は1580円でした。

TDRは晴れると良いですね。雨の確立もあるので雨合羽は二種類持ちましたよ。

皆様にお会い出来るのが楽しみです。

写真は御殿場の工場に着いた写真です。

菅原義正

No.177 「J-SPORTS 3の収録がありました。」 – 菅原さんからの手紙 2015/03/18 15:08

letter_177_20150318_01今朝(17日)早朝から弊社の御殿場工場に2014年出場車両を持ち込みJ-SPORTSさんの収録がありました。

弊社は本業のレーシングマネージメントが軌道に乗ってない時期にTVの仕事をさせて頂き、「ワイルド7」などのTV番組制作のお手伝いや、TVコマーシャルのお手伝いを15000本もやらせて頂きました。

有名なのは由良卓也さんのネスカフェ・ゴールドブレンドの第一話などですが、今回のように私が主役の収録は初めてです。

スタッフさんの持ってこられた機材の進歩にまずは、驚かされました。
音声さんや照明さんやカメラマンさんが持ち込まれる機材がとてもコンパクトでした。

俳優さんでは無いので、何回もダメ出しをしてしまい、迷惑のかけっぱなしで進行してしまいました。

杉山プロデュサーから何とかOKを頂いたのですが、頑張ったので見て下さいね。

番組は 「ダカール・ラリー2015完全ガイド」

~見た! 泣いた! うまかった! 驚愕の14日間の記録~

放映日は3月28日(土)午後7時30分~8時30分

J-SPORTS 3で放映されますが再放送もあるそうです。

下手な演技をぜひ見てください。

菅原 義正

写真は撮影現場のシーンです。

No.176 「同じお店で食事をしました」 – 菅原さんからの手紙 2015/03/13 12:03

letter_176_20150313_1203_011枚目の写真は1983年で私が初めてダカールに挑戦し、オリオールさんはBMWで優勝し、プロモーションで日本に来られた時の春に来日した時に写した写真です。 2枚目は今日(2015年3月12日)同じ店で写真を写しましたが、お互いに32年も経っているので、おじいちゃんになってしまいました。 選手同士のときの話や、オーカナイザーと選手の関係の想いで話で、花が咲きました。 1997年にトラック部門で総合1.2.3を取った時も、お祝いに出席して頂き、明日、日野さんでの報告会にも出席してくれます。 今日は嬉しくて飲みすぎました。

letter_176_20150313_1203_02 菅原 義正  

No.175「願いは叶う」- 菅原さんからの手紙 2015/02/27

letter_175_20150227_01写真は今年の1月21日で、場所はダラス空港の中で写しました。

モニュメントの中の主人公は孫の叶美ちゃん(照の子)です。

ダカール・ラリーが南米に移ってから直接スタート地点であるアルゼンチンのブエノスアイレス に行ける便が無いので、アメリカのアトランタかダラスを経由して行く事になりました。

早いもので南米にラリーが移って7年目にもなるんですね。

ダラス空港でのトランジットは4時間位あるので、市内観光も出来るのですが、万全を期して空港内から出ないでおります。(アメリカのトランジットは一回出国して、再度入国する手続きが必要なんです。但し荷物は自動で乗り継ぎ便に載せてくれます) Continue reading

No.174 「栄久庵さんが亡くなりました」- 菅原さんからの手紙 2015/02/10

letter_174_20150210_0185才で私より13才先輩です。この方は広島出身で原爆でやられた原野を見て、そんな時代に道具には美しさが必要と立ち上がり、最初の作品は液だれしない赤い蓋のキッコーマンの卓上のお醤油の瓶をデザインされ4億万本も生産されております。

広島ご出身なので広島の町の空間デザインや東京の山手線の電車やこまち(新幹線)もそうです。

私の原点も小樽に米軍が進駐して来て、子供心に嫌な思いをしたのが、バネになり、この歳でも頑張れるのだとおもっております。こういう一本の筋が通った方が亡くなるのはとても残念です。

今の若い人(車の仕事をしている)にBMWのオートバイを知ってるか?と質問したら、知らないとの事。
側にいた人が知ってるよ水平対向4気筒のエンジンのバイクだよと言ってました。
日本は終わりましたね。

写真は昨年の9月9日写しました。やる事は凄いのですがとてもお優しい方でした。
以前、和歌山県で彼が瞑想をした建物の水平を取る装置を作ったのは、我々のレーシングカミオンを作ってくれている焼津の坪井特殊車体です。

写真は昨年の9月9日に大変な賞を頂いた時に写しました。

菅原 義正

マップホルダー

news_20150203_02これはコマ地図をロール状に収めて、まわしながら距離と次のコマを見るための装置です。電動のものと手動のものがありますが、電動のものが出来ればお勧めです。自作される方も多く中には素晴らしいものもありますが、巻き取りトルク加減が難しいようです。またミスコースをした場合などリバースの巻き取り性能も必要です。充分な防水対策、照明(明るすぎると眩しくて疲れるのでしっかりテストをしてください。)また視線移動の少ないように高い位置にマウントできる工夫が必要です。 Continue reading

コマ地図とは

news_20150202_01もうご存知の方も多いと思いますが、交差点や分岐などまでの距離と進むべき方向が記された地図のことです。ロール状態で配布されますから、マップホルダーにセットして、ICOと呼ばれる距離計を使って、ナビゲーションするものです。
SSERでは距離表示を10m単位で記入してあります。最大でも(高速道を除く)10.0kmの間には次のコマが現れます。通常では数百メートルから1kmくらいのコマですから1日350kmの走行距離ならコマ数は平均おおよそ200コマ。ロールになる前のA5版時代(210mm)に7コマですから、30ページくらいになります。いまはロールになっていますから1日あたりは約6.3m~長い日だと10mくらいになってしまいます。 Continue reading

TBI2015 Information_その3  

news_20150129_01_tbi.jpg四国に入ると、TBIが一気に「TBIらしく」なります。
過去にTBIに参加したエントラントに聞いてみて下さい。
きっと口々に
「四国の道はダートが多いのもあるけれど、とにかくクネクネで走りにくい。時間ばかりかかる。」
と言うでしょう。
渋滞は無いのですが、なかなか距離が稼げません。
近年は、整備も進みアベレージもあがりましたが「酷道」と呼ばれる3ケタ国道も多く残ります。ダートはといえば、深い森の中を、縫うように標高を上げて行きます。。 Continue reading

TBI2015 Information その2

news_20150128_01_tbi●TBIの魅力

それは、日本という限られ整備された国土の中で、まるで海外のラリーを味わうように日常から身を切り離すことにあります。そしてコマ地図に描かれた無機的なマークを追って走れば、誰もが1本の道に結ばれていることを感じ取ることが出来ます。高速道路や国道を離れて地方道や林道を行けばGWの喧騒から解き放たれて、おそらく思いがけなかったような経験を得ることにあります。

●今年のルート
四国に入ると西行が過ごした庵や、崇徳上皇の御陵を訪ねます。そこは、「讃岐うどん」で賑わうエリア。空海が日本に持って帰ったとされる「うどん」は、西行は食べたのでしょうか。ルート上にも、いくつかの「うどん屋」をコマ地図に記載しておくことにしますね。CPまでに少し余裕があればぜひ。ポイントはお昼前です。

No.173「たして93才」- 2015/01/27菅原さんからの手紙

letter_173_20150127_01無事に帰国しました。照が頑張って10000cc以下クラスで優勝して、6連覇を果たしました。私は昨年と同じで2位でした。 完走率は50パーセントだったようです。

印象的だったのはSSERのステッカーを後ろに付けたランクルが後半、私の辺りを走っており、モンゴルのハマー君達が3人乗りで頑張って完走しました。
中間日の休日にキャンプ内を歩いていたら、ある若者に呼び止められ、一緒に写真を写したいとの事です。訳を聞いたらチエコから参加のマーティン君だそうです。 彼はトラックのドライバーで最年少の25才で、私が最年長なのを知っていて声をかけてくれたようです。4ステージめのチリのコピアポに着いてリタイアしたそうです。 彼の車の前で写したのですが、なんと私の次のゼッケンがついてました。 ちなみに今回の最年少はバイクで出場しているライダーで18才。最年長はお分かりの通りでした。 遅くなりましたが、今年もよろしくお願い致します。 菅原 義正

The27th TOUR DE BLUEISLAND 2015 Information

news_20150127_01_tbi

■The 27th TOUR DE BLUEISLAND 2015■
2015年4月29日(水)-5月5日(火)7日間
プレエントリー受付中[HP]

 

●西行の足跡を追ってTBIの旅は西へ。今回は渋滞を避けて首都圏を脱出する。
名家に生まれ、世を捨てた西行。30年も棲んだ高野山や西行庵のある京都の東山や高雄もルートだ。

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The 27th TOUR DE BLUEISLAND 2015

20150126_tbinews

■The 27th TOUR DE BLUEISLAND 2015■

プレエントリー受付中→http://www.sser.org/tbi/

TBI2015は日本の各地に西行の足跡を求めて旅を深めます。

瀬戸内寂聴は自著の中で、待賢門院との恋に破れて都を落ちる
としています。こうしたさまざまな逸話が(歌の中から読み取れるように)遺さ
れていて、それでも宮中の恋とはさすがに時代を越えて語り継がれる要素に満ちています。
さてその西に向かう旅は、まさに西行の旅。

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「ダカールとは、なんだろう。~実は上手く行かないことが多いということ。」- 2015/01/15 (木曜日)

いま南米ではダカールの熱い闘いが終盤戦だ。
さまざまな思いが、さまざまなカタチで幕を閉じる。
それはダカールに限ったことじゃないけど。
年末年始に繰り広げられた、あまたのスポーツ。
頂点に立つのは、わずかに1チームのみだ。
その針の穴ほどもない歓喜の経験をする者は、そのスポーツに恐るべき情熱を費やした者の、本当に限られたわずかだ。数万分の一か、それ以上の確率だろうと思う。

常勝のシリル・デプレもペタランセルも、新しいプジョーで苦しんでる。
あれほどの経験をもってしても、上手く行かない。
そう、スポーツの現場はダカールに限らず「上手く行かないことの経験の場」だ。
上手く行かないことは、良いことなのだ。
人生なんて、そう上手く行くことは無い。
確率的に見て、そうだということが判る。

少しむかしばなし。
パリダカの時代。
GPSのない時代のことだ。
つまり、特に上手く行かない時代のことだ。
主催するティエリー・サビーネは「冒険の扉を指し示すのみだ。望むなら連れて行こう。」そう言った。

そのティエリーの死後2年。88年の第10回大会がそのピークだったろう。100名にも及ぶ日本人参加者と、大勢のプレスがいた。ボクもその年に初出場を果たした。
ベルサイユ宮殿のポディウムは、幾万の観衆で埋め尽くされテェリーの好きだった?サーチライトが夜空を切り裂いていた。フランス語で選手を紹介する絶叫が、まるでサーチライトのビームに乗せられて世界中に響き渡っていた。
そこには熱狂があり興奮があったが、参加者の胸の奥には黒々とした不安もあった。まあ、それが冒険というものの特性だ。

出場していたとはいえボクタチはその様子をベルサイユの上手く予約のとれたホテルの部屋のテレビで眺めていた。歩けばパルクフェルメに3分と掛からない。
いずれにしてもボクのスタート時間はまだまだずっと先のことだ。
それは別世界の出来事を、遠くテレビ中継を見るようだったが音声はテレビの中からと窓の外から微妙にズレて耳に届いていた。

心地よさと、不安と。その数時間は、得難い体験だった。それ以降の大会でももちろん緊張はしたものの、この1988年1月1日の未明から続くスタートの興奮は、ボクの人生の中でも特別なものとなった。

しかし、あれはいったいなんだったのだろう。
スタート台に着くまでの1年間の熱狂の日々は。

あれから随分と歳月が流れた。
ボクは1992年のパリ-ルカップ、同年のパリ-北京で、一度マシンを降りてモンゴルのゴビ砂漠で、1988年の熱狂を糧にラリーの開催に取り組んだ。
ラリーモンゴリアだ。
確か2年目の1996年。
一人の少年がラリーに参加したいと、関係者を通じて話があった。少年の名はボルドバートル17歳。レギュレーションの出場資格は18歳以上だったので随分と議論が交わされた。ボクは終始「NO」を突き付けていたのだが。

さてそのラリーモンゴリアでは3人の日本人の総合優勝者名が刻まれている。
それは、博田 巌、三橋 淳、池町 佳生。。
同時代に生まれた、ライバルというか数奇な巡り合わせに生きた男の子3人だ。

やがて彼らは、ダカールへと巣立った。
彼等は初出場の時点で、その力を発揮した。
過去の記録を軽く塗り替え、ヨーロッパ勢に対して非力な体制ながら3名が3名とも互角以上に戦いあった。

ひとつ不思議なのは、同時代に生きながら3人とも、いずれも同じ大会に出場していないのである。モンゴルでも、パリダカでもバイク時代には一戦も交えていないのではなかろうか。

今モンゴルで敵なしのボルドバートルはといえばダカールでは苦戦続きだ。前出の3人と比べればマシンそのものはヨーロッパ勢と互角だし、ラリーの経験は充分でモンゴルでは勝利をほしいままにしているしダカールは3度目だ。
しかし彼らのように実力が出し切れていない。
上手く行かないのだ。
上手く行く、と上手く行かないの違いはどこにあるのだろうか、と考える。

きっと勝つことへの執念は、3人に劣らない。
準備の進め方も、彼ら以上に慎重で丁寧だと思う。
技術やスピードも互角だ。
しかしうまくレースを運べていない。

「ダカールとは、いったいなんなのだろう?」
と、考えさせられる。

前出の3名の日本人は初出場以来2度ずつだろうか、必ず15位前後で極めて非力な体制で走り切っている。

いっぽう3度目のボルトバートルは、やはり苦戦している。
ダカールとは、ほかの競技と同じくメンタルの闘いなのだ。しかもダカールは多くのものに「その人生」を賭けろ!と強要する。
年に1度のイベントに人生を賭けると、浦島太郎の玉手箱の中に入り込むほどの時間の犠牲を強いる。そして、気がつけば体力も気力も衰えている自分に慄然とする。
こうしてメンタルとは、精神力のことととらえられがちだが、ダカールで言うメンタルは1年間費やした非情さのことだとボクは考えている。
非情、とは言葉が悪いけど、大きくは間違っていない。それは膨大な時間の量の逸失のようなものかとも思う。

そしてさらに加えると、ボクは3人の奇跡のようなラッキーを何度か目にしている。
エンジントラブルで辿りついたビバークにのみ届いていたたスペアエンジン。とか、優勝を手からこぼしたと思った瞬間に、遊牧民のポケットにあった探しても見つからなかった同サイズのボルトとか。

結論を言うと、結果をもたらすのは、やはり女神の存在かもしれない。


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TDR2015 ニュース

おしえてTDR!(2015/03/11)

初めての参加者の多いTDR、その中身はいったい??
ラリー&パーティって?コマ地図を使った本格的なラリー体験って?

ラリーーとは普通は時間を競い合いますが、TDRでは全く時間は自由です。

渡されたコマ地図(ルートブック)を丁寧に辿りながら、ラリー気分を楽しみます。いつもの生活や旅行でも、普通は行くことの無い土地を旅するのは楽しいものです。無機的に記されたコマ地図が、急に生き生きとまるで飛び出す絵本のように見えてくるはずです。

パーティは、このイベントで初めて会った人たちと、1本の道を辿ったことで思いがけない共通の話題や、時には助けてもらったりと新しい経験を反しながら過ごす愉しい時間。FBでお友達になってるけどまだあったことの無かった人と会えるかもですね。オークションもお楽しみに!!

TDR 2DAYS オンライン申込みはコチラ:

概要はこちら

 tdr2015_title_四角

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「ブエノスアイレスから。」- 2015/01/05 (月曜日)

明けましておめでとうございます。
この時期になると携帯の着信を深夜にもマナー解除にしておかなければならない。
昨晩も10時ころに(いつもなら気がつかないのだけど)電話!!なにか鳴り方で内容も分かるというものだ!もちろん「通知不可能」のディスプレイ。これはまぎれもなく菅原さんだ。
「あと1時間後にスタートです。昨晩は大統領府前でセレモニースタートをしたのだけれども、老若男女が詰めかけてサイン攻め。大統領府前ですよ。。この盛り上がりはとにかくすごい。日本ではあと100年かかってもこうはならない。」
要約するとそういうことでした。

毎年恒例の会話だ。

なにか盛り上がらない日本のモータースポーツへの憤りをこのスタートでは毎回感じるのだという。

「いやあ、このまえは箱根ターンパイクを貸し切ってヒルクライムがありましたから、これからですよ。」「そう、それはすごいねえ。でもまああそこは民間の所有だしね。昔は借りてよくヒルクライムしたもんです。」「・・・・・」すこし時代が巻き返しただけなのだ。

ともかく今年も無事にダカールはスタートした。
Team SUGAWARAの1号車は、超ど級の加速ポンプに匹敵するナビを得て、頑張るに違いない。マシンの進化の著しい2号車テルヒトは、マシンにトラブルさえなければ上位に絡むはずだ。とにかく注目!!そしてTOYOTAの三橋も円熟期!!で、なによりも気になるモンゴル勢は、ラリーモンゴリアのMOTO/AUTOの首位グループを形成するメンバーでの参加!!3人乗り?は「???」だが、初めてAUTOでMOTOを抑えて総合優勝したやつらだから、きっとアッと言わせてくれるだろうと期待は高まる。。
それにしてもラリーモンゴリア20年の歩みは、ここまでやって来たのだ。。。
感慨深い。本当に。

きょうの一枚

話しは変わってリンドン。いまはベトナムかタイにいるみたいだけど、旅は続いています。そしてFrmの最新号には彼の旅が紹介されるそうな。。ボクとはケンカ?ばかりしてたけど、旅の無事を祈ろう。


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No.172 「用意は順調に進行中」- 2014/12/31 菅原さんからの手紙

まだ車検に通ってない我々のカミオンにゼッケンが張られました。

写真1

クリスマスも返上して、用意が着々と進んでおります。

場所はブエノスアイレスから車で一時間ほど北上したカンパーナという街にあるトヨタディラーさんの大きな整備工場をお借りしております。

写真1は、まだ車検に通ってない我々のカミオンにゼッケンが張られました。本来は車検が通過した車両にゼッケンが張られるのですか、我々チームは、車検落ちをしたことが無いので、事前にフランスから弊社にゼッケンが送られてきたのです。これは「とんでもない事」で主催者から信頼を受けている証拠でもありす。こちらで丁寧に張ることが出来るので出来上がりがとても綺麗に仕上がってます。

手前は私が乗る1号車でゼッケンが524番、後方に移っている2号車は516番昨年の成績を考慮して付けられるので5連勝中の2号車はカミオンスタートの16番目にスタートする事になります。

写真2は 新しいメンバーを迎えて、パンクした時のタイヤ脱着の特訓中。

写真2

写真2は 新しいメンバーを迎えて、パンクした時のタイヤ脱着の特訓中。タイヤはリム付きで、150KGもあるので注意が必要です。

今回初めて採用した等長のエキパイ

写真3

写真3は 今回初めて採用した等長のエキパイで後ろ側の3つしか映ってませんが前側に3本あり、ダカール出場車のカミオンで初めての試みです。

写真4は お世話になっているトヨタパンアメリカーナの皆さんとの記念撮影です。ご家族もお見えになり、和気あいあいのパーティでした。

お世話になっているトヨタパンアメリカーナの皆さんとの記念撮影です。

写真4

明日は2号車が近くのモトクロスコースを借りきって、走行テストが予定されてます。どんな走りをするか楽しみです。

まだ少し時差が抜けてない菅原 義正より


著者紹介 菅原義正氏

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No.171「真夏のクリスマス」- 2014/12/22 菅原さんからの手紙

letter_171_20141222_1200_01ホテルの近くのフロリダ通り(東京の銀座通りのような所)を歩いてみるとクリスマスが近いのか、人通りが多いです。

地元の人に聞くと、今は携帯電話を狙ったスリが多いので気を付けるように言われていたので、ザックは前に背負って歩いてます。

毎年の事ですが、「両替はどうですか」と個人の両替屋さんが声をかけてきます。

ある、大きなショッピングセンターに行ったら、巨大なクリスマス・ツリーが飾ってあったので、近くに行ったら本物の人間が入ったサンタクロースが座っておりました。時々、いなくなるのは服を脱いで涼みにいってるようです。とても不思議な光景です。

今日の気温は26度で3日後には33度になるようです。

2日前にメカさん達が到着して、市内から離れている町で整備の用意をしているのですが車の通関に手間取り、もう少しかかりそうです。

明日は空いた時間を利用して、スタートのポデュウムの場所などを見学に来て市内のレストランで食事会が予定されてるので、再会が楽しみです。

菅原 義正

写真の説明

1 は涼しげにしているサンタクロース。
2 は大きなクリスマスツリー
3 は同じフロアーにあったダカールのグッツを売っているコーナー

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No.170 「便利な時代になりましたね」-2014/12/19 菅原さんからの手紙

写真1は今回、初めて持ってきました。早速使ってみると、びっくり仰天です。「どこでもUSB PLAYER」 と言う製品でUSBに差してる大きさが、お判りでしょう。これで、日本のテレビがリアルタイム(実際計ってみると2分遅れてます。)で見れるのです。映像や音声も日本で見ているのと少しも変わらないから驚きです。  

昔、フランスの事務所で、日本の情報を知りたかったので短波ラジオを持って行き聞いていたり、その後、ワープロに通信装置が付いている製品を持ち込んだのですがセットが慌ただしく、うまく成功すると、活字でニースを知る事が出来ました。

パリでは同日に日本の新聞をパリで印刷して売っているので、ルマンで見るには郵送料も払い一日遅れの新聞が配達されるのですが、月単位の契約なのでやった事がありませんでした。

後発の人たちが最新の新聞や週刊誌を持ってきてくれるので、それを楽しみにしていたものです

今日、初めて使ってみたらスタッフ細胞のニュースやピーナッッリターンのニュースが見れて驚きました。

各家庭にテレビが無い時代から、ここまでの進化をするとは信じられない速度ですね。

写真2は寝室と仕事場です。写真3は壁に貼った予定表。写真4はこのホテルの10Fにあるトレーニングルームです。

菅原 義正

 

 


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No.169 「ブエノス・アイレス に着きました」- 2014/12/17 菅原さんからの手紙

letter_169_20141217_1200_01飛行機はアメリカン航空とJALの共同運航便です。(ダラスまで)

成田ーダラス間は約12時間で4時間のトランジットがあり、ダラスーブエノス間は10時間30分です。

成田を夕方出て、トランジットの後、ダラスを夕方出るので2回寝て起きると、アルゼンチンです。こんなに長く乗るので、マイルが沢山、溜まるとお思いでしょうがアメリカン航空はスポンサーさんなので無料航空券にはマイルは付かないのです。(残念)

でも、こんな大きな会社がスポンサーさんになって頂き、ありがたい事です。ダカールラリーがブエノス・アイレスに移ったのも何かの縁を感じます。弊社のフランスの工場の住所はベル・エアー通りの11番地でフランス語では11 rue de Bel Air と書き、直訳すると「綺麗な空気の通り」で、Buenos Aires もスペイン語で「綺麗な空気」だそうです。不思議ですね。先発で入っていた日野自動車の広報の方がお迎えに来てくれていて、レンジャーは着いているのですが、通関の手続きがこちらの思い通りに行ってないと、嘆いておりました。

何時も相手がある交渉なので、ラリーで走るのも、大変ですが、車検を通して、スタートラインに並ぶのが一番難しいのです。パジェロ時代に車検場の500メーター手前でリアーのホイールベアリングが焼き付き、走行不能になった事がありますが、何とかして車検を通し無事にスタートをしました。こんな事はしょっちゅう起きるのが、このラリーの難しいところでもあります。

写真はブエノスアイレスの空港で写しました。一枚はメッシーさんの大きな看板とアルゼンチンの旗がひらめいてたので負けずに日野旗を出しました。

応援よろしくお願いします。

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「今日もボクは考える、ゆえにボクあり。」- OV – 2014/12/08 (月)

四国に大雪がやって来て1週間前に駆け抜けた剣山周辺は、すっぽりと雪に覆われてしまい孤立が続いています。走りながらも、道は立派になりつつあるけどこの辺りは、この1本の道しかなくて、しかもあの険しい峠を越えないと往還できない秘境中の秘境だよなあ。。なんて思ってましたから、その数日後に起きた大雪被害に驚かされてしまします。
被害が小さいことを祈ります。

そうしたルートを走るツールドブルーアイランド
思わず四国の秘境を目にします。
その第1回大会は1989年でした。

昭和天皇が崩御され元号が「平成」と改められた年の4月のこと。
いまだ瀬戸大橋もなく、四国には高速道路もありませんでした。
まさに未開の島、つまり秘境を旅するブルーアイランドでした。
ボクもまだ若かったものですから、さまざまな会に呼ばれます。
特に観光のシンポジウムのようなもの

そこではみなが異口同音に
四国は道が悪いから。
四国はアクセスが悪いから。
四国は、四国は。。。

そこでボク
「いえなに、橋や高速なんて、無いほうが良いんです。」
一同唖然
「アクセスの悪い、大きな島、って魅力ありますよ。道が悪ければ、その悪い道はそれなりの愉しみ方をすればいい。時間で地図を書けば四国は北海道より大きくて広いんです。」
皆ふたたび唖然。
TBIは、ボクのそうした考えから、四国は広い。鳴門から足摺岬まではあの当時で10時間かかりました。
いま?いまは5時間くらいでしょうか。

そして、そのころは林道だけは無限とも思えるほどに存在しました。
事務所から、裏の土手を通れば往復200km以上を繋ぐ、いやもちろんごく部分的には舗装も挟みますが、長大なダートルートが容易に完成してたのです。
やっぱりすべての道は舗装しなければならないのだろうか?
本当にそれが環境に良く、人々の暮らしを向上させてきたのだろうか。と良くそう思います。

山間の舗装路の幾つもが、仮にそれが県道であれ、稀には国道であれ道路中央部分には苔が生していて、人の往来も途絶えた道も少なくありません。

ボクが高校生のころには「四国の山を守る会」というのがあって、石鎚スカイラインの建設の反対運動に参加してたことがあります。しかし、道路が完成するやバスを仕立てて、そのバスに乗ってスカイラインを走り、ところどころに停まっては道路の左右で生態系が変わってしまった!などとやるわけです。
その頃から天邪鬼なボクはポツリと
「この道路に反対なら、使わずに歩けばどうだろう」そう言いました。一人のお年寄りが
「歩いたら君、登れないじゃないか」と。
ボクは「反対運動とは何か?」しばらく悩まされました。

なにをしても反対する人がいます。
それはそうでしょう。
行為には、必ず利益を得るものと不利益を蒙る者がいます。不利益を被る人の中には攻撃的になる人も居ますが、それをたきつける不利益になっていないけど、なんでも気に入らない!という人がいます。
近年そうした人たちが増えてきています。

誰かが言いましたが「不機嫌な時代」だと。
不機嫌な時代とは、自分の知らないところで色々なことが決まって進んでいく時代のことのようです。
「一言、言ってくれていれば良かったのに・・・」
これもまた良く聞く言葉です。
「知らされていなかったから許せない。」
知ってさえいれば協力したのに?というわけです。
既知か不知かの差は、それほど大きなことになっています。

松山には「坊っちゃん列車」という電車が走っています。
ある観光の関係者の会議で、これを東京駅とかどこかにポスターを貼ったり観光キャンペーンをやる!と言っていました。

ボクは「止めたほうが良い」
というと、やはり皆が色めき立ちます。
「どうして」
「知らないほうが良いんです、知ってそれを見に来た人は、がっかりする。本物ではないし、電気で走ってるし。それよりも、そんなことを知らずに松山に来た人が、これが走ってるのを見ればそれはびっくりする。そちらの方が価値は高いのです。」
「でもそれでは人が来ない。」
「そんなことは無いし、そんなもので切る人はたかが知れてますよ。」
二度とボクはその会議には呼ばれなくなった。

どうも本当のこと言うと、ダメらしいんです。
「うちにポスター作らせてください。」
とでも言える人にならなければならないのですが、さすがに遅きに失しました。

でもボクは考えるんです。
無駄だと思うものにかけるエネルギーと、無駄だと思うものネルギーをかけないことの差は何か?
その「無駄だと思うこと」の価値観を決定づけるものは何か?
ここらあたりを来年あたり解き明かしたいなあと思うんです。

きょうの一枚
「価値観の相違」という簡単な言葉でくくられること。つまり無駄だと思うことにかける情熱の違い。無駄だと思って、価値があるはずのものを見切れるのもまた情熱のようなものが必要。今日もボクは、また訳が分からなくなる。


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「R439チャレンジとは?!」- OV – 2014/12/03 (水)

この土日の2日間、R439チャレンジを敢行しました。
「それはなに?」
「秘密です。」
ということでしたが少しだけリークします。

R439は四国をまるでたすき掛けのように走る国道です。TBIの主要なリエゾンルートとして知られ、いや畏れられて、巷間では「酷道」とか「与作国道」とか、愛情と悪意に満ち満ちたそれはもう愛すべき道です。しかし少しだけ残念なこと?に近年は2車線化なども進み、あの酷道部分の比率は下がってしまいました。またいくつかの国道と重複して表示されて、まるで与作の看板を出来る限り表示したくないというような悪意?まで感じます。そしていくつもの3ケタ国道が交わり197いくな酷道!も、存在感はたっぷりです。いやそれでもいまだR439のスペシャル感というか巡礼の旅感は健在です。

しかしこれをモダンなモーターサイクルで走破するのは、もはや未舗装部分もなくなり対向車の恐怖から身を守るディスクブレーキでも着いていればSSERを知る諸兄には造作のないことでしょう。
ところが、ここに60年代から70年代のマシンを持ってくると、350kmの道のりは全く違った表情をみせます。
ボクタチは鳴門にある大塚美術館をスタート地点にして(前泊はホテルルネッサンスリゾート)ですが・・・
しばらくは主要国道を走ります。
徳島市の手前から右折して県道12号線で吉野川北岸の歴史街道をひた走ります。ボクは74年製のDUCATI Regoralita125、40歳のマシンです。混合気が合わずしばらくはスモークを吐きながら走行。さらにギアの噛み合わせに難ありでコツを要して難渋、さらにタイトな道でのブレーキングに苦労しながら前へ進みます。

すると、なんということでしょう!(サザエさんの声で)急にスイッチが入ったように楽しくなってきました。止まっては笑い、走っては笑う。ああ、なんという自由!なんという解放感。しかしそれにしても操ることの難しさゆえの楽しさなんて、忘れてました。足の甲では絶対入らないシフトは、常に踵でするのですから左足はすぐにパンパンに。マシンから降りると左足はもうボクの足では無いような感じです。

道は剣山に向かってタイトターンのきつい登りが続きます。標高もずいぶんですから本番では難渋すること間違いありません。「えっ、なんの本番かって?」京柱峠は相変わらず落ち葉の絨毯が良く濡れて美しくもスリッピーなタイトワインディング。

とまあこれ以上書くのもいやらしいのでこのくらいで少し結論。

実は、来年の11月には、「MOTOGIRO Del GIAPPONE 2015」Classics Motercycle Raid & TTの開催をイタリアの主催団体Terni Moto Clubと調整をしています。レギュレーションの共通化という難点がありますが、それでも日本の事情に合わせたものにできると思います。

本家モトジロ・デ・イタリアは長い中断がありはしましたが。2014年の今年100周年。イタリアの友人のコモ湖の別荘に、大量に並ぶキラ星たちの「どれでも乗っていいから一緒に出場しようよ。」という甘い誘惑を我慢してのR439チャレンジ!充分満たされました。次は春に再チャレンジ。TBIにもヒストリック部門を用意しましょうね。

この大会の運営と企画には、椎名泰三さんと桐島ローランドさんも参画していただいています。

では。

 


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「初心に、還るべし」- OV – 2014/11/25 (火)

何事にせよ、取り組もうと決意した時のあの思いを忘れてしまっていることがある。
あの頃の思いこそが、夢だったはずだ。
言うところの「初心、忘るべからず。」だ。

しかし、時にこれを忘れる。
独立して業を起こそうと思った時の思い。
その思いは毎日毎夜の徹夜さえ厭わなかったではないか。

パリダカに行こうと決めたころの思い。
その思いは大量の企画書を背負って、真夏のアスファルトに揺らぐ陽炎の中を、
来る日も来る日も、スポンサー獲得に駆け回ったではないか。

そんなことならいっぱいある。
いっぱい新しいことに取り組んできた。
「そんなの無理だ」
と言われるほどに燃え上がった。

新しいことはやがて、普通のことになり
普通のことは退屈なことになるのだ。
しかし、本当にそうか。
こんなに豊かで刺激に満ちた人生もそうないのではないのか?
そう思いながら今朝は事務所の鍵を開けた。
ボクが一番早いのだ。

NHKの朝の連ドラなんて観ないのだが、
モンゴルにいるとNHKのワールドプレミアムで、見るようになるのだ。
そして今朝、ぼくはドキッとした。
「日本人にはできない・・・」
なんだとお。

20年もその少し前
「日本人で初めての砂漠のラリー(いわゆるラリーレイド)を作るんだ。」
と言ってた頃。
パリでは
「日本人がラリーをするらしい」
というわさが流れた。それはFIMに申請を挙げたからだ。
「それは無理だろ」「日本人にそれは出来ない。」
そういうふうに言われていた。

さらにその前は、ボクは四国からパリダカに出ると言った時。
TBIをやろう!と言った時。
出来ない理由なら、いくらでもあった。
「どうやって1週間のコマ地図を作る?まあいい、仮に作ってマップホルダーがない!!」
「無ければ作ればいい。」

そうだカーボンホイールにも情熱を注いだ。
炭素繊維の自動車部品研究会を産官学で作った。
もう15年以上前なのか?東レのドアを叩いた。
何度も断られた。
ボクは「10年後日常を走るクルマは、軽かハイブリッドかディーゼルだけになる!
その時には軽量化は最大の課題になっている。」と。
予言は当たらなかったけど遠くもない。
「中国に日本と同じモータリゼーションが来たら地球はあと2個はいる。」
そんなに急激な発展は無いよ。とも言われた。
まあ、頁岩があるから100年は大丈夫。。
「では二酸化炭素はどうなのか?」

議論は熱かったし、面白かった。2020年研究会なんてのも作った。
2020年の全地球的な食糧難問題をどうするか!?などという、
とんでもない議論が交わされていた。オマエハセイジカカ?

ボクたちのカーボンの研究は、そののちに違うカタチとなって世に出始めたようだ。
でもこうしたレーシングなイメージの高価なものではなくて、短繊維の熱可塑で
1分で1本、重さ1kgで単価1,000円でできるものを!目指していたはずだ。
カーボンを意匠で使うのは、もういい加減にしないといけない。
と15年前に言い放っていた。

なんて考えるうちに熱くなって、初心に戻りつつある今日。。

きょうの一枚
ネットで拾ってきたカーボンホイール。。。うーん。

 

No.168 「2015ラリーレイドモンゴルに向けて」 – 菅原さんからの手紙

11月17日にやっと新しいジムニーがAPIOさんから納車されました。9月頃にオーダーしたのですが、スズキさんは忙しくで、私の分は11月始めに生産されたそうです。

早速、電車でAPIOさんに向かい、新しいジムニーに乗って、御殿場の工場に向かいました。写真1はナンバーを100にしてもらった新しいジムニーです。

工場では弊社から2名の応援を得て、8時間後には写真2の様に、内装を剥がしリミテットスリップデフとリアーのライニングをAPIO製に交換し、フロント周りは写真2のようにAPIO仕様になっております。

写真3は新しくなったメーターです。LEDを使っているので耐久性と電力の消費も少なくなりますね。

2台のレンジャーは船に乗ってアルゼンチンに向かっており、バイラーさんはモンゴルに置いてあった日野さんの新しいサービストラックに乗って自走で無事にフランスの工場に着き、会社から2名が渡仏してルマンの工場でメカさんを乗せて走るハイラックスの整備とルアーブル港で行われる車検に向かっており、ダカール・ラリーの事は一段落したので、この隙間を縫ってジムニーの改造に入っております。

ジムニーをラリー用に改造していると、レンジャーの改造に生かされるヒントがあったり、その逆だったりして、勉強になります。

明日からは4日間、御殿場の工場でじっくり改造に入ります。お楽しみにね。

菅原 義正

NEWS
菅原義正さんが、J-SPORTSの人気番組「世界、頂!ニッポン代表応援TV」に出演することになりました。
放送スケジュールなどはリンク先をご覧下さい。

 

 

 

 


著者紹介 菅原義正氏

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「イタリアからの手紙」- OV- 2014/11/19 (水)

もうすぐ師走。
ほんとうだろうか?1年は、こんなにも早く過ぎ去っていたのか。。こんなことなら人生なんて、居眠りしてたら終わっちゃう。
特に最近は眠たいから、起きてる時間なんて、もうそう残されてないぞ。。
高倉健も鬼籍に入った。
1988年の時のパリダカで撮影中の姿を見かけた。
考えてみれば、あの役回りが実は菅原さんの今の姿かもしれないなあ、と考えていまさらながらに菅原さんに敬意を表してるボク。

健さんは、日本人の唯一頼れるカミオンのドライバー、そんな役だった。ということは、実は菅原さんは(あの時はエキストラのドライバーとして出演していたらしい)あの高倉健を目指して生きていたのか?とさえ思う。
カッコ良すぎる。

で、まあ短い人生だから先を急ごう。
2015年。31年以降の第3世代のSSER ORGANISATION、どういう性分か!?またぞろ不可解な活動を始めている。断片的にしか語れないのは残念だけど、あの30年前の夜の闇に潜む不思議な昂揚感に挑んだ時の感覚に似ているから驚きだが・・・

その一つは、ここのところのイタリアのイベント主催団体とのメールのやり取り。
これは1987年の春にTSOにレターを送った時の気分に似ていた。
あの時SNSやメールなどがあったなら、なんとも儀式的な部分が欠落していたかもしれない。

いまはもう「ポチリ」という、一瞬の手続きでものを決するのだそう。ボクは、自分の書いたつたない英文を何度も読み返し、何度も住所を見直して、自分の足で郵便局へ行って、さらに浮世絵か何かの切手を選んで、拝むように係のおばさんに手紙を差し出した。

ボクの人生の大きな挑戦のひとつは、そんな儀式的な心の動きからはじまった。
1か月もしたら、レギュレーションの入った分厚い封筒が届いた。
鼻に近づけて、その郵便物の匂いを嗅いで、
パリのオフィスでボクの宛名を書いたであろう女の子のことを想像したりした。

さて、それはともかくいくつかのNew Eventがいよいよ本格稼働期に入った。
忙しくなるぞー!!っと。

間もなく発表できそうなので、このくらいでお許しください。
えっタイトルのイタリアからの手紙とはなんのことか?答えはまた今度。

きょうの一枚
昨日は天空のトレイルに居ました。素晴らしい時間。霧氷がいっぱいだったので、
よしあとで撮ろうと思って忘れてたら、まさに霧散してましたがな。

 

「たしかに、小人は閑居しては不全を為すなあ。。」- OV – 2014/11/07 (金)

ボクはいわゆる論語のファンではないんだけど、いつの時からか
「われ十有五にして学に志し 
三十にして立ち 
四十にして惑わず 
五十にして天命を知る 
六十にして耳順い 
七十にして 心の欲する所に従いて矩を踰えず」

というのを、とても意識してきた。
15の時に学を志し、というのは全くなくて「岳」を志したときに15歳だったから勝手に「われ、15にして岳に志し」と、山に登る日々に明け暮れた。時間がない時は家の近くにある岩場のゲレンデを登ったり下りたり。。

まあその話はいい。
30歳にして、会社を辞めて独立した。なるほど「立つ」とは独立のことだったか?
と不全な事を「立つ」と考えていたボクはここで少し大人になった。
40歳の時にモンゴルでのラリーをスタートさせた。
当時、仕事は広告業とラリーの主催とが、二足のわらじのようになっていた。

広告業を本業と呼び、ラリーなどの活動は趣味の延長だが、仕事として取り組まなければ存立しまい。と考えたのだ。そしてある日のこと、本業の大勝負!これが決まればラリーなんてやってられない!という日の決定的な朝。

ふと
「40にして惑わず」というフレーズが降りてきた。

「自分は迷ってるのではないか?」

その思いが、葛藤から解放された一瞬だった。生活苦はここが分水嶺であろうか??
不惑の歳ならぬ、不惑の時だった。

広告業なんて、みんなやってるし、コンペで負けても勝っても、完成してくるものなんか「あれ、落ちたはずのうちの案?」なんてことに嫌気がさして「コンペはしません」「じゃあ、なんでグローブコンペティションなんて社名なんだ!?」

「あっ、いやそれは。。。」

で10年も経った50歳のころ。
モンゴルも10年目の2005年ころかな?
「北京をスタートにする多国間をまたぐラリーにする!」
とか息巻いて、北京やら内モンゴル周辺に不毛で困難な交渉を展開する。
がぜんパスポートは中国のハンコだらけになった。

悩んでた。あるべき理想が遠かった。
2007年は、1907年の北京-パリの100周年だというのに。。。

そして、やがて北京からパリやローマに行く旅に出る。仕事をほったらかして。
ロプノールやアラル海や、チョモランマのBCやらで
「やっぱりこれがボクの天命たる仕事だろうなあ」
とつくづく考えた。
孔子は、ともかくだけど・・・

そして迎える還暦、、もう2か月ばかりだけど
それは「耳したがう」つまりやっとこの歳になって人の言うことに耳を傾けるようになるのだという。なるほど「少しは、みんなの意見も聞いてみるか」と、そう思うに至ってるもの。

で、あと10年後の70になれば、どんなに好き勝手をしても則を越えないという。
菅原さんを見てると、案外そうでもないようなそうでもあるような。
迷惑をかけるのはただただ、記憶力の不確かさで
「そんな話は聞いてない!」
で、結構逃げられる。
まさに小人閑居状態の本日は暇なり。

きょうの一枚

ブルーアイランドの海、夕景。

2014/10/30(木)「アチャー、来年も時間が取れないかもだ。」- OV

12月13日の発表会(おしゃれなことに、プレゼンテーション2015というのだ。・・・本当にボクはいつからこんなに横文字ばっか使うような人になってしまったんだろ・・)業界が悪いのかなあ?

「コアコンピタンスが、ダイバシティで、コンプライアンスの問題で、コンシュマーリレーションマネジメントが破たんして、デザインシンキングがディ-シースリーなんです。・・・」ほとんどバカです。かと思えば「CRMがCSRの問題で・・」と書きはじめたけどやめた。

で、話を戻すと、実は来年は壮大な旅を計画しているのでありました。名付けて「還暦記念赤いちゃんちゃんこで行く、中国奥地大縦断!ジムニーとカブの旅」まあ赤いちゃんちゃんこは、おしゃれなダウンベストにしてもらうくらいのことは簡単で、って、今日の一枚参照!を着て、でもモンクレールは嫌い!!なんの話をしてるのか意味不明ですが、あと中国産の125のバイク買って走るのもありかもなあ。。

で・・・還暦の人たちと言えば赤松カメラマンや石原孝仁(いやひょっとしたら彼はまだかもしれない)たちと、西安から敦煌、さらに南下して四川、雲南省の少数民族の村と、あの気の遠くなる棚田を背景に少数民族の女の子の絵を撮って、、。チベットへ抜けて中尼道路でカトマンドゥ。。。

「許可はOKです。」
と連絡あり。。
「うーん。いつ行く?」

と悩んでるところにコーノさんたら、スコットランドの湖水地方をクルマで巡る・・・と言うし。で、来年は9月、10月、11月にもそれぞれイベント(うちふたつはBrandnew。。)8月はモンゴル、7月は北海道とヒルクライム。6月はモンゴルの試走、5月はTBI、4月は・・・おお!四月がいいんじゃない!!

なんてはしゃいでるボクですが、海の向こうではFRBが量的緩和の打ち切りを宣言!えっ、ということはアメリカは利上げ。するとみんなドル買いに走り円安ドル高は恐ろしいことに。なるやもしれないという前夜。。

ああ日本経済はともかく、ボクの海外への冒険の(と言う名の実は、ラグジーな旅は・・・・)どうなるのでしようか。。

つづく

 


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「2015始動」- OV – 2014/10/28 (火)

例年になく早い紅葉。そして木枯らし。。冬のパリが急に懐かしくなる季節。
となると急かされるように、2015年の準備!!

12月13日(土曜日)18:30より、東京・恵比寿にあります「7」にてPRESENTATION 2015が開催されます。そのあとの懇親会も、まあすごい!ので是非お誘いあわせの上お越しください。

来年はNEW EVENT が2本!!「一歩下がって。二歩すすむ」の歌詞の通り?でも、こう書きながらも誰もその2つのイベントのうちまあ一つは進みかけてるので知っているのですが、その二つ目はまだ僕の胸の内。。フフフフッ。。

新しいシュラフを買って、出かけることにします。

新しいことに取り組むには、勇気と知恵と、さらに言えば「無謀さ」が必要です。
無謀。。ああ、なんという男らしい?響き。。
「そんな無謀な事を・・」
と、どれほど諫められたことか。

ボクの場合はこの諫言とはまた甘言のようにも聞こえます。
耳もとで 「やっちゃいな、やればいいんだよ。」
そんな言葉に、突き動かされた30代。
でも、2015は60代。。。
最近はシュラフに潜り込んでも体がなかなか温まらずに寝るのに一苦労なほど、体内の発熱量が低下してきています。

でもまあ、そこでその勇気と知恵を温かく包む、良いシュラフとマット。。それにさらにその上からエマージェンシーヴィヴィというのをゲットしましたから、ぼくにはもう怖いものがありません。 

No.167「壮行会」- 菅原さんからの手紙 – 2014/10/22 15:00

letter_167_20141022_1500_01先日、日野さんの本社で報道の方とスポンサーさんに集まって頂き盛大な、壮行会をして頂きました。

来年は日野自動車さんにとって連続25年の挑戦になり、私に取っても33年目の節目の年にもなるのです。

写真で分かりますが照仁が乗る⒉号車は、ナローキャブと言って車幅の狭い運転席を使い、初めて左ハンドル仕様にしてあります。

更に1号車よりトレッドとホイルベースが長くなり、操縦安定性が良くなっております。私の1号車にはSSERのイベントにも出ている、若林 葉子さんがナビの一員として乗車し、6つの目で前を見る事になります。

写真は日野自動車さんのパリダカワーキンググループの皆様との記念撮影です。(都合が付かない方もいて、もっともっとおります。)

最初はバイクで出場した私ですが、32年後にはこんな素晴らしいチームに発展しました。これも日野自動さんの暖かさとスポンサーさん他皆さんが支えてくれてる証拠なので、頑張って来ますので、応援宜しくお願いいたします。

菅原 義正

「31年目のシーズンに向けて」- OV – 2014/10/20(月)

SSER3DAYSも終わり、今年のシーズンを終えました。
終える、という言葉に何か新しいものが生まれる予感を感じるか否かは、持ち合わせる感受性によるものでしょうか?

「終わる=はじまる」
ということかもしれません。

またSSERのことだから、やめる!とか言いながら看板を掛けかえてやる「閉店セール」ではないのか!?と多くの憶測を呼ぶのは、まあこれまでのSSERへの良くも悪くもオマージュ!というところでしょうか。

実はSSERを運営する、グローブコンペティションという会社ですが、まあ名前の由来は「地球上で闘う」というような、ウルトラマンのような思いから、ちょうどパリダカールへ参戦を続ける真っ最中の平成元年11月1日に、それまでの会社から独立させる形で設立しました。

仕事中に趣味の極みのようなものをやる!ことへの正当性を担保するための・・・(汗)だったと言えます。仕事もすごくて走り回ってたあの時代・(遠い目)ですから11/1は創立25周年記念ということになります。

なにせ、そんな周年行事がラッシュするSSERですから、この25周年は年末の大忘年会とセットで、じゎっと開催する予定です。

しかしアニバーサリーイベント好きのボクはとある計画を・・・
「R439を、モンテッサとドカティ・レゴラリータで走る!」という、まあ無理でしょ。な計画を実施します。2台のマシンはその準備に向けて整備中!!

たぶん11月の半ば以降だと思いますが・・・徳島-四万十市350kmです。ビックリハードかもです。

R439って、考えてみれば剣山も登りますから、70年代のマシンには酷かもしれません。あの崖を想像してみてくださいな。最高到達点はボクの記憶が正しければ1480m!!全長は350kmで10時間はかかると思われます。(2000年ころのイメージ)今は相当な改良工事が進んでいますが、それでもアベ35km/hは困難でしょうね、

とまあこれが自分への25周年記念イベント!!というわけです。見かけたらよろしく。  

 

「30年。ボクの人生のきっちり半分の軌跡」- OV – 2014/10/14 (火)

「30年。ボクの人生のきっちり半分の軌跡」

The30th.SSER、無事に終了しました。
終わることはもっと、寂しさを引きずるかと思っていましたが、むしろ何か新しいワクワクのような気分に驚いています。

しかしそれにしても、この30年間の多くの時間を共に過ごした選手関係者の皆様には、この場を借りて、幾重にも深く深く御礼申し上げます。

閉会式も終わりかけのころ、外はまるで早い冬の訪れを告げるような強い風が吹き荒れていました。
「以上を持ちまして、30回のこの大会のすべてを終了します。」
と告げたあと、誰もがその時間を惜しむようにスタンディングオベーション、すこし眩暈のようなものを覚えました。そとの嵐が、それを一層ひきたてるかのよう。

はじまりがあれば終わりがある、とはこの1年間言い聞かせ続けてきた言葉です。
そして、始めることよりも終わることのほうが何倍も勇気がいるのだなあとも。

人生に掲げられる夢は、それほど多くはありません。ですから夢を持ち続けたいと思います。「夢」とはなにかという議論もしなくてはなりませんが、今日は少し違う角度の検証をします。

ひとたび「夢」を、実現に向けたプログラムを描いた瞬間に「夢」は「目的」に変わります。
たとえば「いつかは行ってみたいなあ」と思う場所があるでしょ。それがひとつの「夢」だとします。(夢の表現と解釈は自由です)ても、それを「よし行くぞ」と決めた瞬間に「夢」が「目的地」に変わります。
夢が現実になる、ということは着手した瞬間からはじまります。

するとその目的地までの道のりを真剣に考え始めます。また目的地のことをさらに深く知ろうと調べ始めます。
そこで「はて、あんなに行きたいと思ってた場所なのに、調べてみるとこんなものか?」とか「案外簡単に行けるのだなあ。」などということが持ち上がります。
夢が目的になると、案外大したことは無いんですが、それを大きな感動でおわらせるためにも、大きく夢を膨らませておくことです。

「敦煌」へ行こうと誘った友人に井上靖の小説「敦煌」を読むように奨めました。
それを読んだ彼は、敦煌について「あの本を読んでいなかったら感動は無かったかもしれない。」と語りました。つまりかれは感動したのです。

さて、感動がすべてでは無いのですが夢を実現した暁には「感動」が無いのなら、それはやはり夢じゃなかったということかもしれません。

話しは変わります。夢の実現の道のりで言う「目標」と「目的」はなんだろうか?というオハナシ。

人生の目的
人生の目標

なんとなく混濁して使ってきた感があるので整理してみます。

目的・・・いわゆる的(まと)ですね。目で見える的のことでしょうか?それとも目指すべき的のことでしょうか、いずれにしても最終到達地点のような気がします。まあ山頂です。ボクだけの意見ですが・・・
目標・・・標(みちしるべ)のようなもの。つまり目的地にたどり着くための道標とか標識のことではなかろうか?ということです。コマ地図やコースマークのようなものかもしれません。これは山頂ではなくC-3とかC-4とか山頂へ向かうための前進キャンプのようなものでしょうか?しかし彼の目的が7サミッツなら一つの山頂は目標で良いでしょう。最後の山頂も目標で、振り返った時に7サミッツという目的を達した、ということですね。

たとえば面接で「あなたの人生の目標はなんですか?」と聞かれたとします。
正しい答えは「目標とは目的を達成するための、正しい位置を指し示すものです。」から、この場では「そのために今この会社に入ることです。」が正解なのでしょうが、それを言うと、はねられますから日本語は難しいものです。

正しい答えじゃなくても採用されるための答えは「人間を磨いて、人の役に立つ信頼される立派な社会人になることです。」ということでしょうか?しかしそう書きながらも、それこそが実は立派な目標であり、そうであればなお「目的」の到達の実現へは近づくのかと。
まあ反省。

つまりSSER3DAYSは多くのみなさんの目標であり続けたと思うということです。
ここを、ひとつの道しるべとして、大きな目的に向かっていただけたのであれば、この30年間は価値のあるものとして輝きます。
そして一方でこの大会を、オフロードバイクの生活の目的地として頑張った皆様には、また新たな目的地が現れたはずです。

人生はこうして、終わったコトなくしたモノを振り返り惜しみつつ前に進むものではないか、とそう考えています。SSER3DAYSは終わりました。しかし新しい萌芽は、いくつも散見出来て、さてどの芽が大きく育ち美しい花を咲かせてくれるのだろうかと、夕暮れに佇みながら、明日の朝を思うのでありました。

そうそう、前田啓介君、おめでとう。


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2014/10/09 (木) 「ボクはなんと。今日ラリーモンゴリア2015のルートを考えていた。」- OV

今世紀最大ともいわれる巨大な台風がやってくるらしいです。SSER3DAYS FINALにふさわしいビッグゲスト!!にしても対策は入念に。
長靴!”ヨシッ”
雨具!OK!
とかって準備じゃなくて、とにかく台風の接近に伴い1日早く荒れ始めるだろう、 標高1000mを越える大会エリアのこと。

でも慎重に検討して対策は当日のSSER PRESSでご紹介します。
そして、この忙しいさなかにボクは地図とにらめっこ!!
なにをしてるのかというと来年のラリーモンゴリアのルート考察!!
試走に持ち込むマシンをどうするか?なんて話をしたものだから、
あの辺りを走りたいなあ!と思ってた気持ちがピクピクし始めて没頭。。。
実はこうした姿もボクガ昔から望んでいたもの。。
「???」
かもしれませんね。
答えは、大会の直前は「なにもすることがない!」状態を作る。ということ。 そして目の前の大会への思いを通じて、近未来の大会のイメージを描くこと。

さあ、日も暮れたのでおうちに帰ろう・・・
でもその陰でみんなが悪戦苦闘をしているのも知らないわけではありません。
脱帽。あっ、雨用の帽子も持っていこう・・・ 

 

「現状を把握しなければ、未来は語れない。」-2014/10/07(火)-OV

「現状を把握しなければ、未来は語れない。」

日本では宝くじを「夢」と呼ぶようです。
普通、夢は買わないんですね。夢は売ってないんです。夢は見るもので、それが未来のあるべき姿なら追求するべきものです。

「夢を買う」のであれば「夢」という商品にはプライスタグがついてるはずです。
小さな投資で大きなものを得ることが日本人にとって「夢」を叶えるということのようになってしまいました。いわゆる一攫千金とか、あぶく銭を手にするとか。
ああ、バブルのころが懐かしい。。

宝くじはいくらですか?300円で3億円?
100万倍になるんですね。
なんと射幸性の高いこと。
これが違法でない、根拠が知りたいほどです。

「お前の夢は、金で買えるのか?」といったヤナギバさんも実は買っていた、というCMに、どれほど日本人の多くは苦笑いしたか。
しかし、これは夢を買う=宝くじを買うことなのか?宝くじで当たった大金が夢を買う原資になるのかが暗にぼかされています。

昔の流行語ですが「宝くじが当たったらパリダカに行く」というのがありましたが最近は、その手の常套句をあまり聞かなくなりました。
どうも宝くじが当たってパリダカに行った人はいませんでしたから、そのことから導き出される答えは明瞭ですね。当らないんです。それにそう思った人は宝くじを買う努力以外の努力はしないんです。所詮パリダカなんて夢ではなかったんです。いやだから夢だったのか。。。

どうも日本人、到達の確率が極めて少なく、かつ自身の努力では成しえることのできないものを「夢」としてしまったようです。
全くこんなことを書くつもりじゃなかったのに書いたついでに、もう少し書いていいですか。

ボクの主張は、宝くじが人間をダメにする壮大な装置であるということです。
たとえば民主党政権は宝くじを買う感覚で投票しなかったですか?
「ひょっとしたら?」
でも
「やっぱりなあ。そりゃあそうだ。旨い話には気をつけろと言われてたもんなあ。」
小さな子供が何人もいて「勝ち組だ!」などとうそぶいていた友人も、そんなふうに。(あっ、これは子供手当がひとり28,000円で3人いるから84,000円/月入ってくる!と言う夢のようなお話が手に届きそうだったと言うオハナシデシタ)

つまり、その負けるとか騙されたとか、上手く行かないこととかにだんだん日本人は慣らされてきたのです。
社会に出ても、思うようには行きません。それはなぜか?自分で未来を計画して今日から取り組まないからです。

ドラッカーはこうも言っています。「計画とは、未来に関する現在の決定である。」
そして「全力を注がなければ、あなたに未来は無い」と続きます。
計画があったとしても全力を注がなければ、「やはり未来は無い」と言っているのです。

表題の「現状を・・・」は、やはりドラッカーの言葉です。
ボクが書こうと思ったのは、
未来は突然やって来ない。目的を持ってそれを日々積み重ねた物だけに、その目的と努力に応じた未来がやって来る。のだといまも信じて日々を送っているからぼくはきっと幸せな部類に入るのでしょう。

さあ、週末はSSER3DAYS。一つの夢の完成。


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「秋には、来年の秋の旅の計画を。」- 2014/09/29 (月) – OV

「秋には、来年の秋の旅の計画を。」 – 2014/09/29 (月)

本当は、今年SSER30年記念の旅を計画しとったんです。
構想は、いつも素晴らしいんです。
テーマは「ロンドン-パリ」
なんだ、近いじゃん。

そうなんですが、ロンドンを出て、徒歩や自転車やクルマで?大ブリテン島を反時計回りに一周。徒歩で1日ってのはクルマだと2時間くらいなので、クルマのチームはゆっくり出て早く着く。というもの。スコットランドの湖水地方や、ウイスキーのふるさとをテクテク。
そしてフランスにわたって、これまた反時計回りに。
地中海を回って、アルプスを越えて最後にはパリ。。。

案外面白がってたのですが、どうもさまざまな行事が目白押しのこの秋。旅に出るというのは、人には何時も仕事より旅が優先!みたいなこと言いながらも、さすがに今年は勇気がなかった。。

でも、スコットランドの独立運動などがテレビで流れるほどに、スコットランドの紹介もされて。なんとテレビの朝ドラでもスコットランドやウイスキーが。。

ここのところ人気復活中のウイスキーが、さらにブレイクするかも。
そうだ、そんなこともそうだけどバランタイン30年を飲む会を企画しなくっちゃ。。

来年の旅は、タクラマカン周辺の予想。

 

きょうの一枚

タクラマカン砂漠のど真ん中。
塔中にあったガソリンスタンドで。
オジサンたちコーフン!!
雛にも稀な美少女。沙漠のど真ん中のないのもないところなのに・・・


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「そうそう、No-GPS Dayの顛末記」- 2014/09/25 (木) – OV

「そうそう、No-GPS Dayの顛末記」- 2014/09/25 (木) – OV

ラリーモンゴリア2014。。。20年目のモンゴルで、ボクはさまざまな腹案を採用してもらった。もらった?ってあなた、あなたの好きなようにしてるんじゃない!
と言われそうだが主催者側の総意でなければならない。。。と思ってる。
まあその初めて取り組んだいくつかのことを報告しておくのを忘れていた。

まずはマラソンエタップ。言葉がいつの間にかイメージを形成してきてるので、なにをすることかの説明は手短にする。

これは二つのエタップをまるで一つのエタップのような概念で実施するもので、
500km+500km=1000km・・・最初の500kmを走ってゴールした瞬間に、まるでネズミ取りで捕まった人のように「はい、こっちこっち」というあんばいに、おまわりさんのじゃなかったオフィシャルのコントロールエリアに入り、「すぐ人間だけでなさい」と、マップホルダーにさえ触れないというもの。

むろんメカニックたちはビバークにやって来れない。整備することがチェック・カードの無い時間帯には出来ないのだ。今考えればどこでどーしてたんだろ。。でも安静な夜が、彼らにも訪れたことでしょう。。

選手たちはというと、整備も時間を削りながらオンコース上でしなければならない。つまり微細なトラブルも起こさないように走る。

オフィシャルは必然的に「心を鬼に」しなければならないし、オンコース上の不正なアシスタンス(つまり隠れサポート)に目を光らせなければならないのだ。
これまではビバークに到着すれば何とかなったことの多くが「なんともならないことに」なってしまうというわけ。

2日間のステージが終わりほっとした翌日には、全くGPSポイントが発表されない日がやってきた。これがNo-GPS Dayというわけ。。

選手たちは緊張したが、同じように運営側も緊張していた。

いつのまにかGPSはラリーの三種の神器になっている。GPSの功罪はよく語られる。
GPS走行なる単語も出来上がっている。

さあGPSポイントが完全に秘匿されればどのようなことが起きるか。。
起きるんです。CP不通過。ゴールしてないのにビバークには帰ってるとかね。
でもとにかく行方不明対応にハラハラしたのは大会本部だったということ。悠々で帰って来た参加者にはまあ好評。。
でもまあここだけの話だけど、捜索も考えた150km四方の(って四国より広いか
も)エリアの中で行っていたのだ。
結論!GPSがなければゴールできない人の割合、5%・・・これをどう見るか??

次は全参加者にデータロガーを。。なんて考えてます。
さあて、ガジェットとの闘いは終わらないかもしれません。


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2014/09/22 (月)「メンタリティ」- OV

昔の話ばかりで恐縮だが、パリ・ダカールは恐ろしかった。
スタート時にリラックスできるようになったのは、もうずっと後になってからだ。

なにが恐ろしかったのかと考えると、自身の身体的な問題などではなかった。非常に恐ろしかったのは、この競技への参加の継続性の断裂、とでもいえばいいだろうか?

リタイアよりも怖いのは、自身がこの競技への参加意欲を損なうことだろうと考えた。しかし加えて、周囲が「もうやめとけ!」と言わない環境の確保だ。金銭的な問題が、それに輪をかけて心を苛む。

その対応策としては「目標」を明確に立てて、かつ公言する事に尽きる。

公言した目標は、絶対に達成するための道筋を描き、それも公表してその進捗さえも発表する必要があった。

なぜなら我々の挑戦は、個人のそれではなかったからだ。多くのスポンサーや支援者・友人らに支えられていたから。そして「言ったことはやる」という有言実行が、人生の価値を決定的にした。

つまり信頼を裏切れば、よほどのお金持ちでもない限り再度の挑戦の機会は乏しい、ということだ。

1年かけて準備するには、資金調達を含めて莫大なモチベーションを必要とされた。後年になって思うのは、あのエネルギーがあればどのようなことにでも挑戦することが出来たろう。という事を思う。 おそらく支援していただいた多くも、ボクタチの場合は結果よりもその莫大なモチベーションが生み出したエネルギーの放つ熱量に「しゃーないなあ」と同調していただいたのだろうと思う。

エネルギーは、なにをするにおいても重大で必要なものだ。人を包み、人を勇気づける。歩みをたゆまぬようにするのもそれだ。
つまるところ、エネルギーをゴールまで絶やさないことが良き人生だろうと思う。

新たな目標に、新たなエネルギー。
もうすぐSSER3DAYS、これも莫大なモチベーションとエネルギーの集合体だ。

メンタルを強くし、新たな次代のエネルギーはメンタルから生まれるのだと、そう再認識した今日の午後。。  

No.166 「おやじ対決の勝者の祝勝会」-菅原さんからの手紙 2014/09/19 13:01

letter_166_140919今夜はラリーレイドモンゴルのジムニークラスの優勝者である尾上さんの祝勝会がありました。

場所は厚木の近くの七沢温泉で、ここを使っての祝勝会は今年で5年目になります。

毎年、負けた人がご招待する事になっているので、今年は負けた私が主催するハメになった訳です。

私の真ん前に座った尾上さんの嬉しそうなお顔をお見せできないのが残念です。

主催者の山田さんやスポンサーの松野さんや皆様が遠くから駆け付けてくれてこんな素晴らしい会は他には無いと思います。

そうそう、先日、ソーラーカーの世界最高速度記録を作り、ギネスにも認定された、篠塚 健次郎さんも来てくれました。

私の愛車のダイハツアトレーで弊社から温泉まで、篠塚さんと山田さんと乗り、世界記録を作った思いや、経緯を聞いてるうちに、アット言う間に温泉に着いてしまいました。

この旅館はとても古くで一人一人御膳で料理が出るのですが、雰囲気があり私の大好きな旅館です。

蟹工船を書いた小林多喜二さんを昔、かくまっており、この旅館を出て築地に用足しに行って、特高警察に捕まり、撲殺されました。

彼が隠れていた部屋も今は改装されて、公開されているので、興味のある方は行かれたら良いと思います。旅館名は福元館と言います。

私が狙っていた小樽商大を出た人ですよ。

APIOの社長に聞いたら昨年買ったジムニーをおしやかにしたのでまた新車を注文したら2年連続ジムニーを買った人は私だけだそうです。

来年こそは尾上さんをギャフンと言わせる予定ですが、中々手ごわいので注意が必要です。

尾上さんへ 今年は完敗です。貴方は凄い。でも悔しい。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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「レギュレーション考。その2」- 2014/09/02 (火)

「レギュレーション考。その2」

ほんとうは、どのくらいの厳しさが良いのか。
これはボクの長きにわたるテーマだ。

「厳しい」を構成する要素は、ルートや天候にありそうだが、
やっぱりその多くはレギュレーションにある。
それはそうだ。

はるか昔、まだGPSの無い時代。
携帯電話も、もちろんない。
コンパスとか六分儀とかで、砂漠を越えていた時代のことだ。
つまり、まだまだ地球上のどこからでもどこにでも連絡がつくなんていうのは
夢のような時代のことだ。
ひとたび世界へ旅立てば、どこでどうしてるのかなんて、
心配してもしょうがない時代だった。

そんな背景も手伝ってか1979年に産声を上げたパリ-ダカールは、人々を熱狂させた。
80年代。国際社会は束の間の安定期を過ごしていた。
それは通信手段などが未発達だったということも挙げられる。
メッセージを発することが困難だから、内面的に向かうか本でも書くしかないが、
その本も宣伝仕様もなかった。

だから、男たちは(いや女性もだが)心の奥にある未知なるものへの探求と、
自己の持つ潜在的能力を確かめたいと心に小さな火を灯もした。
ボクもそうだったから、良くわかる。

アルジェリアからニジェールに。ホッガー山脈やタマンラセット、アガデスそしてテネレ沙漠やビルマ灯台やらと、いちいちその固有名詞にさえ心が震えた時代があった。モーリタニアなんて聞くと、今ではスーパーでもモーリタニア産のタコなんて書いてあるから・・・なのだが、確実にめまいがした。モーリタニアかあ。。。

いま、そんな強い憧れが地球上に残っているだろうか。
地名を聞いただけで、身震いするようなそんな冒険の大地のことだ。

そのラリーでは、リタイヤしたら、もしくは翌朝のスタートの30分前にゴールしていなければ失格になるのだ。つまり失格になったら、ラリーから完全に除外される。近づくことさえ許されなかった。もちろんビバークに入ることも許されない。水ももらえなければ食事ももらえない。
なんて理不尽だ。エントリー費を払ってるのに。
そう考えた。

しかし、こうも考えた。
リタイアは敗北であり、主催者から屈辱的な扱いを受けたからと言って、それはレギュレーションの定めであり、そうなるのが嫌ならリタイアや失格にならないようにしなければならない。
そういうことだ。

退場を命じられたサッカー選手が、駄々をこねてフィールドに残っててはいけないのだ。
だからあの時代は、完走は勝利だ。とされていたのだろうと思う。

時代は変わる。小学校ではかけっこに順位を付けてはいけないという。
敗者が居てはならないのだそうな。

今日リタイアしても良いですよ。明日はまた走れますよ。
本当にそれでよいのだろうか?
そうしたら完走するということには意味はないのではないか?

レギュレーションの運用を、書いてある通りにしたら烈火のごとく抗議が来る。
イエローカード2枚で退場させたら、怒鳴り込まれる。
それと戦わなければならない。
闘わないのは簡単だし、とても楽だ。

悩みは続くが、ボクの心は決まっている。
レギュレーションは、厳しくなるばかりではいけないが、緩くなることはもうな
いかもしれない。


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2014/08/27 (水)「レギュレーション考察」- OV

今年のモンゴルのラリーが終わった。
さまざまな思いがよぎる。
そりゃあ、そうだ20年も(それまでは地の果てだと思ってた)モンゴルに通いに通ったのだ。 記憶を辿りながら
「何回、来たのかなあ。」
調べてみた。
どうも63か64回だ。

すごい。

SSER3DAYSは、30回大会。
1回大会の直前の試走中に日航機の事故があったなあ。
帰り道の食堂で、何人もの仲間と見て驚いたものだ。
それにしてもよく続いたものだ。
あまり変化のないレギュレーションと、変化のない環境で開催を続けてきた。

そう、レギュレーション。

そうそう、ボクはレギュレーションを振りかざして「ペナルティだ」「失格だ!」
と騒いでるという印象を持たれてるのだそうだ。

実は、そうだ。
特に今年のモンゴルは、その戦いに憑かれていた。
しかし、それは守らなければならない約束事だし、まあいいやってしてしまうならレギュレーションなんていらない。
ラリーモンゴリア2014、ある朝のブリーフィング
ボクはこう言い放った。

「わたしはこの競技をスポーツにしたいのだ。純粋なスポーツマンシップが闘いあう、スポーツにしたいんだ。早ければいい、なにをやっても良い、分からなければ良いなんて思う者は、ここに居てはならない。暴走大会にはしたくないのだ。」
と朝から、どうしたものかヒートしまくってた。

排除しても排除してもウンカのごとく現れる隠れサポート。未登録のメカニック。
ゴール地点を隠すということをしても、いつの間にかやってくる。
「何やってるんだ?」と聞くと
「通りがかりだ。見てるだけで何が悪い?」
「昨日も通りがかりか?」
「うるさい!」
こんなことを、誰にでもやらせるわけにはいかないが、競技者を失格にするとレギュレーションには書いている。
その対象者を失格にしないなら、すでにそのレギュレーションは存在しないものになる。

しかしこのレギュレーションというものは
なにも参加者にのみ突きつけられた課題ではない。

時に主催者はそれに苦しめられる。
つまりレギュレーションとは両者に課せられた、重たい約束事だ。

だってそうだろう?
レギュレーションには〇月〇日〇時に、どこそこで受け付け車検をする!と書いたら、なにがあっても、そうしないといけない。
「忘れてた」とか「都合で・・」とかってわけにはいかない。
ここには給油が用意してあると書けば、どんなに苦労しても砂漠を渡って数千キロリットルのガソリンや軽油を運ばないといけない。

そんな約束事は、参加者よりも実は主催者のほうが多い。それも守るのが厳しい約束事の多くは主催者側にある。
レギュレーションというバレーボールのネットのようなもので対峙してる2チームの片方が主宰者で、もう片方が参加者かも知れないと思うときもある。

レギュレーションは主催者の都合で作られている!?
そんなことはない。
とにかく多角的に検討を重ねて、競技としての存立性と安全性とを、付け加えれば「楽しさ」を加味して、吟味して練って練って、そして不要な字句をそぎ落として作ってる。

さて。
つづきはまた。  

 


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2014/08/25 (月)「モンゴルより帰還。」- OV

旅立てば帰る日も来るもので、まだ夏の盛りに向かう前の日本を飛び立ち快適な気温のウランバートルでラリーの準備をしていました。これまでは困難だった輸送も税関の問題は、カルネやおそらく日本モンゴル間のEPAの連携などの話が進んでいるからか、全く問題なく、あっけないほどにスムース!帰り便も今日の時点ですでにウランバートルを出発してるようで、過去最速の帰国便が実現するかもです。いや、かもです、あくまで。

こうして毎年毎年事情が変化するというのは、国際政治がごく普通に影響しているのです。普通に日本で暮らしているだけならわかりにくいのですが、この20年間の北東アジア情勢は、特に複雑怪奇で単なるラリーのオーガナイザーなどよるすべのない頼りない存在だったことでしょうね。しかし時代の変遷を油断できないものになってしまったとだけ見るのもつまらないではないか。

変化に乗るか?忌避するか?いわゆる 「のるかそるか」の判断は、それぞれに委ねられます。

変化を困難とみるか?変化を迎え入れるかで人のありようも様変わりします。
なににしても、変化の多い現代で21年目を迎えるラリーモンゴリアを、どのように組み立てていくか?またまた長考に入らざるを得ません。

まるでテネレ沙漠のようなハイスピードピスト、そうあの当時そこはテネレハイウェイと呼ばれていました。

そして20年も前にゴビのハイスピードをバイクで走った時に、そのテネレの思いが鮮明に。で、その時思わず「ゴビ、ハイウェイ?」と言った言葉が今日まで生きているというわけです。

いずれにしても間もなく早い冬が、草原を閉ざしてしまうことでしょう。
そしてまたまた新しい課題に向き合おうと考えています。  


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2014/08/07 (木)「”♪闇をぬけ、朝日に向え♪、おれの相棒アイアンホース!”はもう聞かれない。」- OV

1985年から続く名曲「SSER!」キック一発で♪・・・

この曲はどれほど、長い時間をライダーたちに親しまれたろう。スタートの電子音のカウントダウンとともにかかるこの曲のイントロ。

ブリーフィングなどのスケジュールが始まる前に流れる、フルコーラス。

「今年も会えたねあなたの笑顔・・・」

80年代のテイストというか空気に包まれた優しさ。

ということで、SSERの原点ともいえる久万高原でのShikoku Super Enduro Rallyが最終回を迎える。

もう、あの曲は聞かれない!のなら、大会の前夜祭ではなく途中夜祭・・・

つまり1ステが終わった夜にやりますか!?

そういえば霧島4000の閉会式でも、聞けましたねえ。。

シミジミ・・・・

この秋で、ひとつの時代が終わります。

毎回、収容人員と集計と渋滞とで悩みに悩んでた80年代末から90年代初頭。。。

パリダカと、TBIとSSERで1年間は瞬く間に過ぎて行った日々。

そして、モンゴル。途中では肥大化に伴いグループNやスーパーNと呼ぶ大会も開催していました。

そして、迎えた30年。

本当に長い間、皆さんに支えられ親しまれ、また地域の方々にも深いご理解を頂き開催を重ねてきました。

この秋は、久しぶりのその曲をおなかいっぱい聞く事にしますね。


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2014/08/07 (木)「”♪闇をぬけ、朝日に向え♪、おれの相棒アイアンホース!”はもう聞かれない。」- OV

1985年から続く名曲「SSER!」キック一発で♪・・・ この曲はどれほど、長い時間をライダーたちに親しまれたろう。スタートの電子音のカウントダウンとともにかかるこの曲のイントロ。 ブリーフィングなどのスケジュールが始まる前に流れる、フルコーラス。 「今年も会えたねあなたの笑顔・・・」 80年代のテイストというか空気に包まれた優しさ。 ということで、SSERの原点ともいえる久万高原でのShikoku Super Enduro Rallyが最終回を迎える。 もう、あの曲は聞かれない!のなら、大会の前夜祭ではなく途中夜祭・・・ つまり1ステが終わった夜にやりますか!? そういえば霧島4000の閉会式でも、聞けましたねえ。。 シミジミ・・・・ この秋で、ひとつの時代が終わります。 毎回、収容人員と集計と渋滞とで悩みに悩んでた80年代末から90年代初頭。。。 パリダカと、TBIとSSERで1年間は瞬く間に過ぎて行った日々。 そして、モンゴル。途中では肥大化に伴いグループNやスーパーNと呼ぶ大会も開催していました。 そして、迎えた30年。 本当に長い間、皆さんに支えられ親しまれ、また地域の方々にも深いご理解を頂き開催を重ねてきました。 この秋は、久しぶりのその曲をおなかいっぱい聞く事にしますね。 [3DAYS CLASSICS HP]   ov20140807_01

No.165 「コイルオーバーショックアブソーの採用」-菅原さんからの手紙 2014/08/04 22:21

letter_165_20140804_01新しいレンジャーのバネの方式をマルチ式からテーパーリーフ方式に変更しました。前の「菅原からの手紙」にも書いたのですが、どちらもメリットとデメリットがあり、難しい選択なのですが、トラック用にもコイルオーバーのショックアブソーバーを作ってくれるメーカーが出来たりして、細かいチューニングが出来るので、軽量なテーパーリーフ方式を採用し、表記のショックを採用した訳です。

車輪の動きを敏感に感じるようにホーシング側の取り付けも外側一杯に取り付け位置も変更しております。

車両は現在、ウランバートルに到着しており、日野さんの開発担当の方が5名、明日(8/4)から現地に行き、最終チェックをする予定です。

次回のダカールを見据えての参加なので、日野さんの研究所からおひとりラリー中、帯同します。

私も明日(8/4)から出発します。レンジャーとジムニーの活躍にご期待ください。

写真1 で分かるように斜めにショックアブソーバーが取り付けられております。白く塗られたフレームの下側にはトレーリングアームの取り付けが見えてます。その上に見えてるのはフロントスプリングの前側の部分です。
写真2 2本並んで付けられているショックアブソーバーです。右上のは運転席のスプリングとショックです。
写真3 日野さんのテストコースでのテスト風景です。
写真4 ラリーレイドモンゴルのゼッケンを付けてのテストです。

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著者紹介 菅原義正氏

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