「反論のない意見は保留する」

2011/03/30
「反論のない意見は保留する」

古くにはかなり愛読したドラッカー。UNIQLOの柳井さんが熱心なファンだというのは既知のとおりです。そのオーストリア出身のユダヤ系社会学者。5年ほど前に逝去されました。今日、そのたくさん発せられた言葉のひとつにボクは、ちょっと悩んだのであります。それは・・・・

「未来に何かを起こすには、勇気を必要とする。努力を必要とする。信念を必要とする。決定のためには、いろいろな案がなくてはならない。ただし、可・否の二案だけでは不足だ。決定しないという決定もあることを忘れない方がいい。反対論がない場合には結論を出してはならない。勇気と勉強に不足があれば反対論は出ない。」

これからの指導者のあり方とか、危機広報のあり方をドラッカーに学べないか?つまり経営学や社会学から、危機に立つ指導者のあるべき姿をイメージしたいなあ、と思ったわけです。ところが脱線してしまって、またもドラッカーの言葉の陥穽に落ちた感じです。

ボクの悪い?手法「反論の無いような提案をまとめる。反論を出させないように話を進める。」というのはいかがかと、諭されたような気がしたのです。新しい取り組みをイメージしたときに、これまでは反論は自身のモチベーションに障ると感じていたところがあります。

そして実は、反論が無いから良いだろう、と進めてきたことのいくつかにも、隠された反論や封殺された反論があったのだろうと思うわけです。いや反論の当然あるであろう部分を、ごまかしてきたのかもしれません。深く反省した日となりました。

この歳になっても、いまだ多くのことに気づかされ、学ばされるわけです。いやはや人生は、なまなかではありません。

しかし、今回の風評被害については、多くの皆さんの指摘のとおりです。反論を恐れるための発言は、ときに責任逃れのようにもとれます。

「ただちには害がない」「念のために避難しておく」「食べても害があるわけではありません。」というふうな表現は、反論の余地が無いかのように組み立てられています。

「ただちには害が無い」というのは「そのうち被害が出てくる」となるでしょうし、この言葉の曖昧さは指導者は避けなければならないでしょう。

「現状の数値では、全く問題ありません。逐次監視して常に安全であることを確認し続けます。もちろん害があるような数値になった場合は、直ちに発表することで安全の確保を優先しますのでご安心ください。」長くなりましたが、そんな言葉で良いのではないでしょうかね。

きょうの一枚

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」東北地方太平洋沖地震の報道により3月14日からの放送が延期となっていたTVアニメ『もしドラ~もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら~』だが、その新たな放送日時が決定した。

新たな放送日は2011年4月25日(月)~4月29日(金)、5月2日(月)~6日(金)。NHK総合にて2週にわたり全10話が放送される。放送時間は各日とも午後10時55分~11時20分。そのほかレギュラー放送として、同じくNHK総合にて、4月29日(金)より毎週金曜日の午前0時15分~からも放送されるので、こちらも注目しておきたい。(C)岩崎夏海・ダイヤモンド社/NHK・NEP・IG

というアニメ、見ないと思うけど。
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「よって立つはアイデアひとつ。」

2011/03/29
「よって立つはアイデアひとつ。」

震災の話題ばかりなので、それは少しブログにその中心をおいておいて、今日は松野さんのお話。あの松野さんを日経ビジネスの記事でご紹介。

記事のタイトルは表記の「よって立つはアイデアひとつ。」
うーむ。よって立つはアイデアだけではなく、それをさらに商品化させる情熱と持続力なのだが・・・と、ボクは思うのですが。
だからボクがタイトルを校正させていただくならば
「よって立つは、アイデアをカタチにする情熱ひとつ。」
なんて。

本来あの方は、インターネットなぞあまり興味がないようなのですが、なかなかの人物であります。ただしステアリングを持たせたら、もうだめです。ナビをする方の苦労も、並大抵ではありません。
それにテネレ砂漠での大ジャンプ。
思い出しても・・・・
そして数日前の電話。

「やまださんさあ、テレビ見た?あのクラシックカーで北京からパリまで行くの!」
「はい、もちろん見ましたよ。」
「あれ、いいよねえ。でるかい?」
「なに言っているんですか。絶対にだめです。松野さんが最も向いていないカテゴリーっすよ。」
「そうかなあ?」
「そうですよ。」
「そうだよなあ?」
「もう、我慢して抑えて走る、なんてことが出来ますか?」
「出来ない・・・・・」
沈黙が続く

ほっ。・・・ボクは心から安堵のため息をつきましたがな。でも、どうしても出る!って言い出したらムッホをお勧めしよう!とこっそり思ったものでした。しかしアイデアマンで優しくタフなおじさんです。モンゴルのメインスポンサーでもあるので、もう少し持ち上げなければならない!と、いつも思いながら、そのお人柄についつい甘えさせていただいております。

震災支援の水素還元水ありがとうございました。
ではまた。
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「危機管理とは何だろう」

2011/03/25
「危機管理とは何だろう」

石巻から帰還して後方支援の作業をしています。すると石巻にいるときは石巻しか見えていなかったのが、離れるほどに広く全体像が見やすくなります。ひとつの現場を知ることは大切ですが、全体を知るには少しばかり退いて見なければならないということでしょうか。

世界は、さらに遠くから見ているでしょうから福島も東京・大阪も、同じことです。松山を心配して「モンゴルはできるのか?」と心配の声が届きます。モンゴルへ日本の食材が持ち込めなくなるかもしれません。今では食材はウランバートルで調達してはいます。中国から「安全な中国の食材」と言われはじめていることに、屈辱的な思いがします。そんなに安全なら四国に送ってください。四国でみんなに配りますよ。

その福島第一原発の問題は、石巻では語られていません。当然です。女川原発でもそうです。危機は目の前にあるものが優先されます。つまりその危機を回避することが当面の課題になります。「いま、そこにある危機」というわけです。しかしその危機を回避したところで、その先がばら色!だなんてことはあまり無いでしょう。さらに大きな危機が待っているのでは、心が折れてしまいませんか?

今回の原発の問題は、目の前の危機の話と責任問題がごっちゃになって流れています。当然でしょう。避けられた危機です。でも二つに分けて話をしたいものです。東京電力はがんばっているかもしれませんが、それは現場の話です。この3月期の業績予想は、売り上げ5兆円超、経常利益2000億円、当期純利益900億円ですから、福島の被災者、農業被害の人たちにはとりあえず900億円を拠出しても良いとは思います。

危機管理が場当たり的です。最悪のシナリオを想定して動いていません。政府も含めてあまりにも無能ではありませんか。「想定内」てのはホリエモンが流行らせた言葉です。想定レベルが低すぎるのではなかったのですか?津波が予想されるエリアに、外付けの緊急発電用の燃料タンクやディーゼルエンジン、たとえば地下の完全に防護された緊急発電システムや燃料貯蔵庫。なんなら火力発電システムくらい内在させるくらいの危機管理は、素人目でもわかります。

それから情報の出し方が、まったく危機広報の原則を持っていません。最悪の想定はすでに行ってるはずで、それなのに「大丈夫だ」の連呼は、もう狼少年に成り下がってはいませんか。

きょうの一枚

海外のサイトから拾ってきた福島第一原発の写真。海外での伝わり方はこの写真から容易に想像ができるはずです。

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「被災地に不足しているものは・・・」

2011/03/24
「被災地に不足しているものは・・・」

マスメディアの力も手伝って、被災地への支援の動きがいっそう活発化しています。日本人の力を感じます。なるほどメディアに対して悪口ばかりでもいけませんよね。今日は何も物資の無かった女川の学校の体育館には入り切らないほどの物量だそう・・・

しかし被災地では、まだまだ不足しているものがあります。もちろんそれ以外が十分だということではありませんが・・・

それは何かというと

1には、マッチングシステムです。足りないものと余るものをいかに整合させるか?「昨日○○が足りない!」かってテレビで放送されれば、2日後にそれは有り余るものになってしまいます。いま不足しているものは、つぎには必ず余ります。

足りないものは、想像力と情報の解析の力。よく言う最適化の能力です。でもまあ現場でいうならば超能力のようなものです。

2には、「夢」です。夢とは将来への希望の足がかりに必要です。暖かな寝床にもぐりこんだときの幸福感!?のようなものか、キッチンから上る暖かい湯気とか、そのようなものです。芸能人が歌を作りましたとか、テレビでメッセージで異口同音に「あなたがいるからがんばれる」とか「がんばろう日本」とか言います。いやそれもかまいません。でも、できれば避難所に行って、グランドの隅っこでマイクなど使わずでも良いですから、希望の歌を歌って聞かせてください。子供たちがどれほど励まされることでしょう。それも大勢でいくのではなく、マスコミなんかに話をせずに、そしてほんの少人数の方に対してでも。

政治に対して、行政に対して、ボクは言う言葉が見つかりません。ダメだなんていうつもりはありません。

でもボクは今後SSERの活動を通じて、「やらなければならないこと」が明確に見えてきたように感じています。いま篠塚建次郎さんと長い時間、電話で話し合いをしました。篠塚さんもボクと現場に行こう!と言って下さっています。ラリーを通じて身に着けた能力が、社会貢献できるという事実を確認したのです。

きょうの一枚

ボクはむやみやたらにイベントを中止する必要は無いと思っています。むしろ逆です。どんどん開催していけば良いでしょう。しかしイベントに「震災復興」のスローガンを掲げるのは、やめて欲しいと思います。ところでボクには耳を疑うニュースが!!あの計画停電のさなかセリーグがナイトゲームで29日に開幕するということを聞きました。さすがにこれには怒りを禁じえません。なんという感覚をしているのだろうと。デイゲームで、無料で東北の小さな野球場で、観客にお弁当でも無料で配って開幕します。とかいうのならまだしも・・・・東京ドーム1つのナイターのエネルギー量がどれほどかは知りませんが、これこそ国賊といわれるような行為に映るのですが。ボクは野球ファンではありませんが、さすがにもう少し大人の配慮をお願いしたいと思います。

って書いてるうちに「セリーグも4月12日に延期して開幕」というニュース!!4月中はナイトゲームも中止!とか?それはそれでよい判断でしょう。「夢」と「現実」の調整は難しいものです。
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「女川原発のさらに先、避難所あり。」

2011/03/23
「女川原発のさらに先、避難所あり。」

今日往復4時間をかけて女川原発に、温かい食事を運び込みました。本当に心から感謝をされたという報告が入りました。しかしここの原子力建屋の横に避難している住民がいるなどとは、誰も認知していなかった模様で、福島の原発事故とか放射線漏れの避難騒ぎが全く伝えられていないのでしょう。さらにその先、全くの先端部には避難所があり陸路ではこれまで行けてないそうです。

美しい風景と、恐ろしい風景が混在することでしょう。

明日には、そこへ向けてのアタックを計画しています。それにまだ女川には、誰も行けていない避難者の小さな集落があるようです。そこへも調査のアタックを行う予定です。

きょうの一枚

女川原発の位置図。
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「新しいプロジェクトが、ほぼ頭の中でまとまりました。」

2011/03/22
「新しいプロジェクトが、ほぼ頭の中でまとまりました。」

ここのところ頭が混乱していて、毎日何度も同じことを繰り返して書いているような気がしていますがお許しください。それはすでに誰かと話したことなのか、それともブログに書いたことなのか?が判然としません。危ないものです。

ともかく今朝がたから、この災害の多い日本であるべき防災活動の新しいプランが僕の頭の中を駆け巡り始めました。大勢の方にそのプランを片っ端から話したくて仕方ありません。やらなければなるまいという、凄まじい使命感で体が熱くなってきている感じがします。

ここでは最愛の人を失って、今にも消えてしまいそうな人々がいます。妻を捜す者、子を探す者、さらに過酷な活動で過労死をする社協の職員。震災被害は寄せては返す波のように、何度も何度も傷ついた人を苛み続けます。

ここにはあまりにも「死」が身近にあります。女川で言えば2人に1人は犠牲になっているわけですから。死は避けがたいものもあれば、免れられた死も少なくありません。それに「死」が1万あるのなら、1万通りの死に至った原因があるはずです。それを「津波で」とひとくくりにするのは乱暴で、将来への大きな教訓となりません。

われわれは干潮時に冠水した道を越えて女川原発に到達しました。それは驚くべきことだったようです。明日にはそこに、なんと震災以降初めてとなる温かい食事を運び込みます。原発とその周辺は火を使うことを禁じられています。石巻のSSER本部で炊き出した炊き込みご飯を、何とかキープしている発泡スチロールのコンテナに積んで。そしてラリーの参加者ならお分かりと思いますが、ビバークで供されるウォータージャグに味噌汁を入れて、1時間30分の道のりを超えて、SSERの機動力でしかなしえない、被災者への支援を実行していきます。

現在のところ小鶴、山崎、麻生の3名が懸命に石巻へ向かっております。たくさんのLPGと軽油を満載して一昼夜をかけて駆けての第3陣です。

ボクは1度、事務所に帰りもう一度再構築をしてまいります。

行政でもなく、アマチュアのボランティアでもなく、あまたのNPOでもなく、機動支援組織としてNPOから派生させたまったくこれまで存在しなかったNGOを立ち上げたいと。

またご相談いたします。

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「阿部さんが来ました。」

2011/03/21
「阿部さんが来ました。」

石巻商業高校にあるSSERの本部テントに昨日、阿部さんがこられました。今年モ ンゴルにプレエントリーしてる方で、我々も安否を心配しておりました。阿部さ んは仙台に本社を置き、市内や沿岸エリアでも船舶用の燃料を供給することを主 体とする会社を経営している方です。従業員やその家族らの安否と、沿岸部でダ メージを受けた自社の設備を調査中に立ち寄っていただきました。

我々の活動に大変な深謝をいただいて恐縮の限りです。さまざまな話をしました。 もちろん将来のことも話し合いました。この地域の再興の道筋などについても議 論を交わしました。政治や行政主導では硬直してしまってどうしようもない、と いう点で大いに一致を見て、最後は二人とも涙ながらに握手を交わして「今年は 無理だろうから、来年のモンゴルで会おう」と別れました。

そのあと、TDRの開催の決心をしてSSERの事務所に連絡を入れました。準備は間 に合わないだろうし機材の多くは石巻に来ているのですが、それを置いてでも 「やるべし」との結論に至りました。それは次のような思いからです。

昨日も書きましたが、ラリーの仲間のネットワークとその機動力は、自分たちだ けの能力ではありません。ふと考えてみたらこのテントに今いる人たちは、みん な日本の違うところにすんでいます。まあボクと厚主君、正井さんと秦葉くんは 同じ?かもですが、みんなラリーで知り合った仲間です。全員がモンゴルのオフィ シャルやラリーの経験者たちです。どんなことでもお願いすれば、朝飯前で片付 けてくれます。

現にいま4時30分ですが、みんな次々と起き出して作業を始めています。指示系 統や命令系統は不要なのです。いまボクが何を考えてるか、何が不足しているか、 なにも言わなくても感じ取って自律的に動いています。

現在も多くの方が、こちらへの参加を表明していただいております。本当にあり がたく、その思いに深く敬意を表します。いただいたメールに返事を書くのも遅 くなっています。主に被災者たちの通信が妨げられないように、夜がまだ明ける 前とかにネットにつなぐ時間を多く取るようにしています。

こうしてネットワークは確実に、ラリーのときに培った厳しいあの瞬間の積み重 ねが結果として、他者に思いを寄せることを行動に移せる力を身につけさせた、 とそう思います。

石巻は昨日には部分的に電気が復旧しました。漆黒で不安を掻き立てる夜も、多 少の人工の明かりは、不安を和らげます。信号も一部では回復して、少しだけで すが通行がスムースになってきています。したがって道路も復旧、物資輸送の大 型はともかく中型以下の車両は通行できる規模になり、大量の支援物資が運び込 まれてきはじめました。

われわれの能力とニーズとのマッチングをしなければなりません。昨日はまだ到 達できないエリアへ調査チームを2名(佐藤、厚主)派遣しましたが、結果的に 到達できていません。

本日も現地の社協(社会福祉協議会)を支援して、物資の運び込まれていない到 達不能エリアへアタックをさせようかと考えています。

余震は大幅に減りました。

「石巻から、その4」

今日から大掛かりなNGOなどがケイタリングをはじめる予定の、2000人規模の避難所へ、急遽ケイタリングチームを送り出しました。なんでも予定のNGOが到着できなかったとのことのようです。

こうして、ともかくも支援は広がって来ています。避難所には場所によってばらつきはあるでしょうが、大量の救援物資が押し寄せてきはじめています。

ところがコーディネイトは極めて困難です。とにかく大混乱の様相です。NPOもあちらこちらで活動を始めています。ミスマッチのないように、求められる支援を求められる先に送り届けるのは綿密で素早い調査が必要です。

ところが女川地区で言えば、車両が流されてしまいかつガソリンが枯渇しているので、行き着くことの不可能な避難所へ我々の車両が出動しなければなりません。干潮時にしか行き着けない場所もあり、明日はそのあたりを女川の社協対策本部と計画を進めていきます。

女川原発には従業員関係業者含め3000人が残っているようですが、詳細が伝わってきていないと言います。供給は大丈夫なのでしょうか?それに実際は何人がいるのかがわからないとも言います。

しなければならないことは、沢山ありますが権限が無くて困ります。繰り返し言いますが、緊急救命活動をする自衛隊や警察、医療や消防とそれに続く中間的な支援組織が必要です。機動力と装備、指揮体制と権限がある程度必要でしょう。かつて立ち上げたPDRは、その先見性は高かったと思います。返す返すも惜しいと言わざるを得ません。

いま大きな余震がありました。もうみんな慣れっこになってしまっています。それもまた問題だとも思います。安全管理は抜かりなく行います。ご安心ください。
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「石巻から。その2」

2011/03/20
「石巻から。その2」

昨日は大変な間違いを書きました。訂正してお詫びしなければなりません。それは中国の救援ボランティアのことです。と言うのも昨晩からとても大勢の中国人女性が、この避難所に来ています。ケイタリングの列に並ぶ彼女たちは、とても不安そうですがとても礼儀正しく、しかもきちんと化粧をしていることなど、とても「??」なので、聞いてみました。

すると彼女たちは、石巻の水産加工会社に研修に来ていた中国の学生たちだということがわかりました。いや仕事としてきているのでしょう。旅先でこのような大災害に遭うのは、いかばかりかと思います。犠牲者もいるでしょう。

昨日来たボランティアは、この避難所への受け入れを頼みに来た中国人のスタッフだとがわかりました。
大変失礼なことを書きました。心からお詫びして訂正いたします。

また関西のある行政体から、大変ありがたい支援のお話が来ています。今日にも石巻市の災害対策本部に出向き、その調整をしてまいります。また遅い午後までにレポートいたします。

そうそう、昨晩3名のスタッフが合流しました。
正井、榛葉、青木、の3名でSSER石巻チームは8名になり、分派も検討できる体制になりました。
みなとても元気です。見違えるほど充実してきたケイタリングのテントですが、
今日の午後からは雪模様との予報、緊張しています。

これから朝の支度です。

04:30 yamada tetsu
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「石巻から、その3」

2011/03/20
「石巻から、その3」

本日は女川地区まで調査と現地の社会福祉協議会へのケイタリングを行いました。現在第2班がさらに状況を調査中です。石巻から女川に本部機能を動かそうかと検討しています。女川は石巻から17kmくらいのところにあります。高い丘の上にまで津波が押し寄せていて、湾に入り込んだ津波が急激にその破壊力を増したことが如実にわかります。高さは10mなんてものではありません。戦場の跡でもこれほどではあるまいと思えます。

石巻では温かいものを食べるのは、我々が供給しなければ厳しいようですが、それでも昨日、本日と大量の物資が到着しています。おにぎりなどは、見たこともないような量です。

中国の被災者は本日の午後に帰国の途についた模様です。「再見!」「再見」と声を交わして別れました。

夜はみな泣いていたそうです。怖かったことでしょう。みんながひとつ箇所に集められたの1週間後の昨日のことで、それまでは氷点下の夜をあちこちで過ごしていたのでしょう。少し安堵の表情ですが、安否不明の方もたくさんいるようです。

いっぽうで女川地区は、孤立状態が続いていて、昨日にはやっとか細い道が通りました。瓦礫を道の両側に寄せただけですが、道の持つ意味の大きさを改めて知ることになりました。ライフラインは電気やガスや水道より前に「道」です。道があれば水もガスも運べます。電気の工事の人も通れるわけです。

しかし「道」が出来たことで、その爪あとのあまりもの激しさが際立って見えてきます。眺めているだけで涙があふれてきます。

被災民のどこにもやり場のない怒りほど苦しいものは無いでしょう。怒りを誰かにぶつけられたり、誰かを恨んだり出来るのなら、それはまだ堪えられるかも知れません。ゆえに彼らの表情には、なにかしら不思議なものを感じます。まったく放心状態から抜け出せない老婆の姿もあります。妻や子供たちが行方不明のまま、家にも帰らずに対策本部に詰めてる市の職員も大勢います。彼らの姿が大きく感じられます。
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「緊急支援始まりました。」

2011/03/19
「緊急支援始まりました。」

teamSSER災害支援チーム先遣隊は、石巻市の石巻商業高校にてラリーのビバークを設営して、食事などのサービスを始めました。この避難所には女川の島嶼部から身ひとつで救出された人々300人が収容されています。これまで暖かいものも、ご飯も口に出来ていないようです。いよいよ支援チームの第2陣も今夜には到着予定で完璧な支援体制に入れます。

暖かいバックアップが届いていると聞き、このみんなの思いが被災地に届くように精一杯努力をいたします。町の中は、それは驚く光景です。テレビの報道とは、まったく感覚が違うことにも驚きます。

しかし緊急物資も届き始め、これで燃料も毛細血管まで行き渡れば、まずはわれわれの仕事は終わり、一般のボランティアなどの作業に移行するものと思われます。
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「石巻から。」

2011/03/19
「石巻から。」

石巻商業高校のグランドは、完全に水没していてヘドロの海で、踏み込むこともためらわれます。覆い尽くしてるのは海底のヘドロでしようか。アサリのにおいがします。あの津波の色が真っ黒なのは、きっとこれでしょうか?ここには昨日もお伝えしましたが、ここから北に少しいったところにある女川の被災者が非難しています。まだここも10000人くらいの安否不明者がいるそうです。昨日は市役所で安否確認中の人々を見て、射すくめられました。小学校が、まるまる1個無くなってたりします。

この石巻は、被害状況を確認するのがなぜか遅れたそうです。美しい松島の景観と風情をとどめ、この町は本当に美しい町だったんだろうということがわかります。いやでも町の中央部はその面影をとどめてはいません。

われわれの本拠地は自衛隊の本部の横にあります。ものすごい数の自衛隊の車両が町の野球場を埋め尽くし野営用の体制は、さすがにものすごい物量です。常にヘリが頭上を舞っていて、さまざまな方角から飛んできたかと思うと、すぐさま飛び立ちます。1万人を超える行方不明者を探しているのですから。

この自衛隊の例をとるのはいかがかとは思いますが、自律的な支援が出来る者が必要です。今はプロの出番だから、ボランティアに来られても?!と自衛隊や警察消防、海外のチームが初動すのは当然ですが、その次のボランティアとプロの間に立つ支援組織が必要でしょう。ここにも中国の若者のボランティアがやってきましたが、どうするのでしようか?食事なども我々のテントに並ぶのでしょうか?本当に難しい問題を知らされることとなります。

女川地区へも行けないか?という相談を受けて隊を2分出来る装備が僕たちにはありません。しかし何とか明日には女川の被災状況を見て、われわれが出来ることを考えようと思っています。

そんなことを考えてると「さてTDR・・・」
中止にするつもりでしたが、
ここの被災の方と話しをしてるうちに
規模を縮小してでもTDRを開催したい、というふうに思い始めました。
時間は足りるでしょうか?
皆さん参加は可能でしょうか?

こういうイベントは、実は遊びの中からたくさんの事を学んでいるのだということに気がつきました。

たかがラリーですが、そのラリーに参加する人(たとえばオフロードライダーや4駆乗りのことです)やラリーを主催するスタッフは、常人にはない数々の能力を身に着けていきます。この能力は自分たちのためだけのものではありません。広く使うことが可能です。

最後に、どこでもそうなのですがこの学校の若い先生方も、地震と津波が授業中だったこともあり助かっていますが、家に残した家族を失ったという方が何人もいます。

ここも町も、悲痛で沈鬱な空気が横溢しているか?と言えばけしてそうでもないことに気がつきます。

人間は実に強く、賢く、逞しく、そして美しいと思います。僕たちも食事を配りながら、心を動かされています。彼らが、深々と我々に下げるまなざしで、ぼくたちはまだ自分たちが至らない人間だと知らされます。毎日なぜか泣いています。

余震で夜中に幾度も目が覚めます。
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No.0081 Organisation Voice – 2000/03/18(土) 12:00

えっと。今年のSSERのシンボルマークの説明をまだしていなかった。らしい。2000年SSERイベントの運営コンセプトは「SSER、地球を1/2周するほどの、夢」これはね、TBI 100名の参加者が2,000kmに挑みます、すると200,000km。ちょうど地球の1/2周です。じゃあRRMは?50名の参加者が4,000kmに挑みますね。するとこれもやっぱり200,000km。同じです。ちっぽけな四国で生まれた、ちっぽけな夢が、仲間を集め、少しずつ実現してきて、やがて地球を駆けまわる現実にまで発展してきました。ヴァーチャルより体感をエクスペリエンスを、私たちの熱い想いです。そして、そういったスケールで考えて行きたい、という願いがこめられています。

環境問題やそれらも含んだ意味としての社会問題。わたしたちは良きライダーとして良きドライバーとしていつも、それらの問題に深く思いをいたして、自分達の生まれ生きた時代に感謝しつつ次の世代へバトンタッチして行きたいものです。オフロードを、砂漠を、例え近くの林道でも、その走る爽快感は、いつまでも変わらないものであって欲しいものです。

きょうの1枚
これは今年のシンボルマーク。TBIのポスターはさらにこれをイラスト化したイメージ、乞うご期待!! キャラクターの応募、どんどん増えてるようですね。


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SSER災害支援チームの動き

2011/03/18
SSER災害支援チームの動き

SSER災害支援チームは震災後ただちに必要物資の調達、緊急車両登録等の準備を終え、昨夜宮城県災害対策課の要請を受け支援に向け行動を開始しました。

現在宮城県に向け移動中、今後の行動予定は県庁で保育園への支援物資を下した後、石巻市に寄りその後壊滅状態にある県北部沿岸地域に向かう模様です。

被災地では、多くのエントラントの生活を支える設備(調理器具、発電機、ガス、照明、テント等)や豊富な技術と経験を有するオフィシャルスタッフの活躍が期待されます。

今回のメンバーは、山田、厚主、佐藤、三ヶ尻、竹下の五名となっています。近日、現地より活動状況報告があると思われますが、支援部隊の活躍と安全を心から祈っております。

(レポート杉村晋吾)

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「今回の大震災について。」

2011/03/16
「今回の大震災について。」

わたしが大地震の報を受けたのは、ちょうどTDRの試走中のこと安土城跡の先に進んでいるころでした。信長が築いたこの新しい概念を持った巨城は、あまりにも短命に燃え落ちてしまいました。

わたしはクルマのテレビに映し出される被災状況の、あまりもの凄絶さに言葉を失いました。事実ではないかもしれない、と思うほどでした。それでも徐々に伝えられる被災状況は、ただならぬものでした。

被災された方々の、言葉にはならない恐怖、そしてかけがえの無い者を失った深い悲しみに、心より深くお見舞い申し上げます。

わたしたちは試走を取りやめ、急ぎ事務所に帰ることにしました。同乗していた杉村は自身の仕事である医療用酸素の供給のために、てきぱきと指示を出し事務所に緊急対策本部を設けるべく電話で指示を出していました。

高速道を西に進むと、対向車線には緊急出動する各県警や消防そして自衛隊の車列に何度も遭遇しました。日本の実力を見る思いでした。すれ違うたびに涙があふれてきたのは、なぜでしょう。

そして一刻も早く被災地に届いて欲しい、そのように心から祈りました。

杉村の話に戻ります。おそらく被災地の断続的な停電は、在宅酸素療法でぎりぎりの健康を維持していた患者さんたちを、非常に危機的な状況に追い込むはずです。

現実に報道では停電によって酸素の供給が絶たれて、死亡するケースが報道されはじめています。

彼は携帯用酸素ボンベの供給による対策を講じていました。SSERの車両や場合によってはオートバイの出動も検討しているようです。出来る限りの支援をしたいと思いました。

あの3月11日の午後より、5日も経ちました。本来でしたら少し状況も安定すべきところ、いまだに続く大きな余震に加え福島第一原発の状況は、全く予断を許しません。今日は雪も降っています。

海外の報道では、当初は日本の恐るべき底力を伝えていました。高いモラルと進んだ防災のシステムを繰り返し報道しています。日本人がこの非常時に他者を助けないなんてことはありません。そのモラルの高さを驚く感覚のほうがおかしいのです。

しかし一方ではなぜか記者会見の現場には海外のメディアの姿が見受けられません。それが原因か否かはわかりませんが、海外での論調は急に変わり始めています。「日本はだめじゃないのか?」「駐在員を国外退去させろ」そんな動きです。原発事故の報道は世界に向けてもしなければ、いたずらに不安を煽ります。なにがそうしているのでしょうか。

日本の報道がどうなのか?は常日頃のメディアの報道姿勢から判断するほかありませんし、政府の対応もしかりです。

私が思うことは、いま世界は日本を注視している。その一点です。日本人がこの大惨事をいかに克服するのか?

極めて困難な状況に置かれた被災者を前に、続く発言をするのははばかられますが、この大惨事こそは、日本が乗り越え新しい社会を築く未曾有のチャンスではないかと思います。求められるのは震災復興における大きな基本理念と、新しい社会構造の構築でしょう。大胆な概念が求められます。

東京の友人と電話で話しました。「東京は日本の中心のようですが、電力も食料もすべて東京の外に頼っていて、実は非常に脆い都市だということが露呈しました。派手なネオンのさまざまな商業施設。大量の原発に頼らなければ維持できないほどの電力消費をする都市で果たして良いのだろうか?何かむなしさを感じて日々に黒い不安が募っているんです。」と。

そんな話に、わたしは

「これは新しい日本を再生するために、与えられたチャンスかもしれませんよ。長引く不況や失業、川上のインフレと川下のデフレという相容れない過酷な経済環境。政治はこの事実の前に立ち尽くしてるし、経済界も同じでしょう。それならば、まるで大恐慌のあとのニューディール政策のように、この復興こそが世界に冠たる日本として、世界が認めるチャンスではないですか。」そんな話です。

被災地で避難している方々に不足しているものは、食料や燃料、毛布などの生活用品であることはそのとおりです。しかしもうひとつ決定的に不足してるのは、やはり「希望」ではないかと思います。

美しい日本を再生するためにも、この機会に行動し考え、みんなで構築していくことでしょう。なんでも供給過多にしてしまう日本から、多くのことを適度に「足るを知る」社会にしていきたいものです。

しかし今回の被災地への支援のありようも、またひとつの問題を提起しているかのようでもあります。わたしたちも、試されているように思えてしかたがありません。
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「Team SSER 出動いたします。」

2011/03/15
「Team SSER 出動いたします。」

現在のところ17日正午のタイミングで、被災地に向けた支援車両3台による第1陣を出動いたします。

今回は男性のメンバーのみで出動いたします。参加をご表明いただいた女性オフィシャルスタッフにはまことに申し訳ありません。確実な支援が継続的に行えるようになった段階で、交代要員をお願いすることがあります。

参加予定のメンバーには個別にお願いのメールをいたしません。この伝言をご覧いただいたら、直ちにsupport@sser.orgまでご連絡ください。
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「現在、待機中」

2011/03/14
「現在、待機中」

SSERでは出動準備を整えて、行政と連携をとり出動要請を待機しています。

多くの方から協力の申し出を受けており、みなさまからの篤い思いを、しっかりと受け止めております。

ただし当局からは、支援活動に関しては現場では救助活動も混乱しており拙速は避けるべし、という指示をいただいております。そうこうしている間にも被災者には、困難な状況が続いておると心配はされるのです。しかしわれわれのみの資材と装備で支援できる範囲は、きわめて小さくしかも継続して行うためには関連先との綿密な連携もまた必要になっております。

ただいま第1陣出動のための3トンの米をはじめ、大量の食材、燃料を調達中です。

テント、発電機、鍋や食器などはSSERの備蓄品で十分ですのでカミオンとマイクロバスに積載を終わらせました。

この件に関する要望と質問はメールでお寄せください。
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無題

2011/03/11
無題
このたびの東北地方太平洋地震の極めて大きな地震災害が起きました事に、心よりお見舞い申し上げます。

私共SSERも、この事態を受け直ちに試走をとりやめ、さまざまに緊急の支援の可能な体制をとることにいたしました。

今後も情報収集に努め、私共に可能な支援はないかを検討いたします。
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「明日から試走、ほんとだよ。」

2011/03/09
「明日から試走、ほんとだよ。」

どうも狼少年の傾向顕著な今年の試走。行く行くったって、ちゃんと行けてない。12日には高野山で「やきもち」を食べているからね。これほんと。

話は変わる。

ボクは石原知事はえらいと思う。老人の鑑だといってよい。老人はむかしからガミガミと、ボクタチを困らせるようなことばかり言っていた。しかし真理もそこにはあった。しかしその物言いから真理がぼやけて見えたのも事実だ。

そんで、こんなニュース

『石原都知事が核武装論」英紙報道 「中国に対抗」』2011年3月9日11時51分

英紙インディペンデントは8日、東京都の石原慎太郎知事が同紙とのインタビューで、中国の脅威に対抗するため、日本は核兵器をつくるべきだとの見解を述べたと報じた。

記事は石原氏が、日本は1年以内に核兵器を開発することができ、世界に力強いメッセージを送れるとの見方も示したとしている。

また、石原氏の言葉を引用して「隣国である中国、北朝鮮、ロシアは核兵器を持っている。同じ状況に置かれた国が世界にほかにあるのか?」「人々は(核開発の)費用のことなどを言うが、現実には外交交渉力は核兵器を意味する」と語ったと伝えた。

石原氏は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を以前から批判している。記事を書いたのは東京在住の英国のジャーナリスト。

なにがえらいかというと、核武装がどうのってことではない。問題を提起すること、それに猛烈な反対があることを知っていて発言する。差別発言もはばからない。

これは古くは「老害」の一種だったが、最近は老人も発言はおとなしい。

ボクも石原知事のような(方向性は違うけど)発言がしたい。ここのところ、ずいぶん丸くなったり、おとなしくなったりしていまいか?!なんか今朝も「オラー」のオーラが無くなったと言われた。オラー!!

今度、言ってはいけない事をテーマに飲み会をしよ!!

きょうの一枚

そういえばこんな表紙の一冊もありますねえ。「日本よ、再び」の背景にきのこ雲というのも、問題提起としては充分じゃない?議論と覚悟、今の日本が失ったものは、単純なものかもしれません。
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No.065 – 菅原さんからの手紙 2011/03/08 15:23

来年に向けての用意が始まりました。

照とバイラーさんとモンゴルの人〔毎年モンゴルで私の車を整備してくれるアンハー君〕 3名が2/23からフランスの工場でサービスに使っている日野FU 6輪駆動車の荷台の改造中です。

タイヤ〔ホイール付きで160KG〕を吊り上げるクレーンを新作したり、前方に荷室を増設して、スペアーミッションを吊り上げて、レールで中に入るようにしたりです。

所変わって恵比寿の本社では新しいキャブ〔運転席〕の屋根と後ろ面を取り外し中にロールバーを入れる準備中です。

こんな事をしているうちにすぐに1年が過ぎてしまいますね。

第一目標は新しく作ったレンジャーをラリーレイドモンゴルでデビューをさせます。コンセプトの違った車両になるのでお楽しみに。

写真は今年の私が乗っている1号車です。

FACE BOOK の映像には照が運転している2号車も出てきます。 1号車は前から見ると大きな補助ランプが付いています。後ろから見ると扉かあります。 2号車は後ろの扉が無く、開放になっています。

6分弱なので、お楽しみ下さい。

菅原 義正

以下、リンク先の映像をお知らせします。(リンク先は終了している事があります)

http://www.facebook.com/video/video.php?v=190272887673716&oid=103241499749690&comments


著者紹介 菅原義正氏

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「江、次回は賤ヶ岳、ていえばTDR」

2011/03/07
「江、次回は賤ヶ岳、ていえばTDR」

どうもTDRは、「江」をフィーチャーした?と思えるほど。次回は賤ヶ岳の合戦だ。柴田勝家と秀吉の、ヘゲモニーを決定づける一戦だ。

そこは琵琶湖の北、余呉湖との間の標高400mばかりの小さな山。きっと見晴らしは良いんだろうから、今度のTDRの試走(今週末ね)行って見ることにするけど、あまりに大河ドラマかぶれの中年のおっさんみたい・・・自己嫌悪。

まるでボクも、あの中国人を笑う20年前にパリはサントノーレ通りを席巻した日本人のおばさんたち。・・・と同じじゃないのか??はっきり言って、いま日本に来ている中国人より、あの日本人のおばさんたちもっと激しかった。

そのくせボクタチとすれ違うと

「あら、今の人、日本人でしょ。イヤーねー、日本人ばっかりで。」

「早々、最近多いわね。」

「お前らじゃ、こらー!」

とボクは言いたい、けど言わないし、ヴィトンやマキシムなんか死んでも行かない。てか行けなかったけど。

でも考えてみて、あのころフランス人は、迎合しなかった。マヌカンが日本語を習う?そんなことはありえなかったし、日本語の表示なんて一切なかった。

それなのに今の日本は「熱烈光臨」とかってどこもかしこも。ニュースじゃ「どこそこの観光組合が、みんなで中国語の・・・」とかって。それじゃ、情けないよ。旅をする側がその行き先地の言葉を、カタコトででも使って・・・それが正しい海外の旅だと思うのですが、いかがか?怪しい店の周囲には怪しい日本語を使う客引きも居たけど、やっぱりそれらは、いかがわしい人たちに思えたもの。

すいません、あまりにもタイトルと離れすぎたので、修正。えっ、タイトルを変えれば良い?

でもまあ、四国の松山城は、賤ヶ岳七本槍の武功をあげた加藤嘉明の築城によるので、まあ完成を見ずに会津に転封されます。松山という地名も、この三河生まれの城主がつけたもので、その後は松平家が当主となり幕府の親藩として大政奉還までの235年続くのでした。素晴らしい城です。あまりにも戦闘機能が高すぎて、幕府の隠密が調査に来たとか。まあ城って、面白いものですね。

そんなこんなで、なんとなく賤ヶ岳の戦いは気になるところではありますが、まあ来週は現地とテレビの両方を見ますかね。
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「まことにお恥ずかしい話ですが・・・」

2011/03/04
「まことにお恥ずかしい話ですが・・・」

ボクともあろう人が(って、どんなやねん)知らなかったんです。なにを?

懐石って。

いつもいつも「懐石」って聞くたびに

「懐石の語源は何だろう」
とまでは思い当たるのですが、それを調べたことはありませんでした。ボクほどの研究熱心が(なんのよ?)ですよ。

さらにこれもその語源が気になっていた「松花堂弁当」これも、そのうち調べようと思って、もう30年。

みなさんも、そんな事ってありませんか?
でもいまどきは知恵袋とか、あって便利ですよね。

ボクはいま茶室の研究をしています。
人生に、もう一度なにかこう、内面を磨くというような行為がしたいと。

でもまあ、内面を磨くといっても口で言うほど簡単なことでじゃありません。増えに増えた体重さえ落とせないボクがですよ。と、せめて「茶の湯」の研究などをしておけば、仕事にも役立つかもしれないなんて雑な思い付きからかもしれませんが。

とあるサイトを読んでいると、ボクがいつか調べたいと思っていたいくつもが、茶の湯の話しの中にありました。

お話はこうです。

茶事では、お茶を頂く前に、食事が振る舞われます。これを懐石といっています。一汁三菜が基本ですが、豪華になり過ぎるきらいがあります。修業中の禅僧が、温石(おんじゃく:温めた石)を懐に入れて、空腹を我慢したそうですが、これを「会席」(料理の意)の文字に当てて、「懐石」としたもので、質素な食事が本来の意です。一汁一菜(御飯と味噌汁とおかず一品)でも十分です。お酒も出ます。懐石の文字が出てくるのは、南方録(1690頃)からで、しばらくは、会席と懐石が併用されました。懐石の文字が定着するのは、井伊直弼(宗観1815~1860)の頃だそうです。余談ですが、山上宗二(やまのうえそうじ1544~1590)は、客の心得として「一期に一度之参会之様に・・・」と言っています。これを直弼が「一期一会」と言い切りました。

料理屋の看板で、懐石料理というのを目にしますが、ほとんどが宴席料理で、懐石とはいえません。懐石では、最初に五穀豊饒に感謝して、御飯からいただきます。たいていの懐石料理屋では、最後に御飯が出てきます。ひと昔前の家庭料理は、懐石に近かったと思います。

まず一枚目のウロコが目から落ちていくのがわかりました。あっ、コンタクトレンズはしていません。座右の銘はって聞かれて「一期一会です」なんて、言わなくてよかったよ。さらに

松花堂(しょうかどう)弁当という弁当が、今は、何処に行ってもありますが、一般名詞化されていて、偽装には当たらないようです。これは、京都の石清水八幡宮の社僧、松花堂昭乗(しょうじょう1582~1639)(寛永の三筆の一人)が、道具箱にしていたものを吉兆の創業者、湯木貞一氏(1901~1997)が、弁当箱(湯木美術館所蔵)に応用したものです。本歌の道具箱は、京都府八幡市(やわたし)の松花堂庭園美術館にあります。ここに、京都吉兆が店を出していて、松花堂弁当(3,500円)を頂くことができます。松花堂庭園には、昭乗が晩年を過ごした二畳の草庵(茶室)が移築されています。食・住・祈の小さな庵は、昭乗を訪ねて来る人が多かったようです。

これはイメージどおりです。

きょうの一枚

京都大山崎にある妙喜庵。ここに千利休作と信じられる唯一の茶室「待庵」があります。国宝です。現存する日本最古の茶室であり、数奇屋建築の原型だとも言われるもので、建築を生業とする人のまあなんと言いましょうか・・・TDRの際に見よう、と思っているのですが。実は1ヶ月前からの予約が必要で、しかもにじり口から中を見るだけなのです。

天正10年、山崎の合戦の際に秀吉の陣中に建てられたものを移築したといわれています。ということでせめてお名前を、じゃなくてお写真を。あっ、大山崎の歴史資料館に実物大のレプリカが展示していますので、そちらなら大丈夫。(添付地図)

そういえば本日はTDRの情報もブログにUPしていますよ。
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「おまたせ!タクラマカン情報!UPしました。北海道4デイズも本日発表!!」

2011/03/03
「おまたせ!タクラマカン情報!UPしました。北海道4デイズも本日発表!!」

ブログには、恥ずかしげもなく40年も前の写真をUPしたボク。

今日は、というと。2007年「西安-パリ」の写真を。と、なににも使わなかった、いわゆる未発表の写真。

それらがわんさか!!数万カットあるんじゃない?!というくらいですね。中には素晴らしいものも沢山。

これを何とかしないと惜しい!!写真展でも開きますかね。なんて悩んでいたら、「レイドトレックタクラマカン2011」のインフォメーションが整いました、って。えっ「整いました」ってのもねえ。古くね?

そんなこんなで本日掲載することにしました。質問もバンバン受け付けますぞ。ポスターも入稿しちゃおう。

とまあ、いろいろ物議を醸しましたが、今年もシルクロードへ行く。てかライフワークのひとつです。2000年ころからこのサイトで、言い放ち続けているのですから。

て、ことで、これを機に前述の写真も少しずつ「OV写真館」で紹介していきましょうか。でも折を見てだから、あまり断言しないほうが身のためかも。

そしてチョモランマ日記も、ついにチョモランマBCに到達しました。

お知らせ

レイドトレック・タクラマカン2011の案内を掲載いたしました。

同時にA-TECクロスカントリーラリー北海道4デイズ2011、も本年の開催概要が本日発表、夕張の全日本エンデューロと日程が重なってしまいました。まことに調整力不足でお詫び申し上げます。毎年お世話になっている同主催団体にもあわせてお詫びいたします。ただこの日程以外には開催が出来ないという事情もありましたことを斟酌ください。

きょうの一枚

嘉峪関で。空と土の煉瓦で出来た歴史的な建造物。一気に時空を遡らせてくれる感がある。とにかく感性を全開にして。

祁連山脈が望める。6500mの峰が連なるシルクロードのオアシス都市に水を供給 する内陸河川の水源でもある。東西2000kmにも及ぶスケールは、なまなかなものではない。

夜光杯。ボクは、緑色の夜光杯を探しているのだが、見つからない。葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと・・・という高校の教科書にあった1篇の漢詩(涼州詞) に心奪われて、こんにちまで生きてきたといって良い。

2007年は山口さんがR1100GSで。チョモランマの時には僕の1200GS-Aに乗った。稀有な旅人ではあるが、いかんせん超がつくほどの偏食。

今回もベースにする敦煌山荘の夕景。旅の中で最も好きなホテルだ。まるでアガ デスのサハラホテルのよう。いや、ぜんぜんこちらのほうが綺麗のですが、僕の精神性からすると、というお話。

敦煌山荘にかけてある古代シルクロード図。これを見ると敦煌が大きな分岐だということがわかる。上のルート=天山南路で出発して、下のルート=西域南道を 伝って帰ってくるのだ。
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「そうだ、ゾーモットのことについて話そう。」

2011/03/02
「そうだ、ゾーモットのことについて話そう。」

90年代終盤、つまりラリーレイドモンゴルと呼んでいたころの話。

試走の様子をフジのテレビ番組にすべく、石原孝仁をチーフディレクターとするテレビクルーが同行していた。だから試走隊は大きな軍団になった。夜なんてテント村が出来る。そして新しいルートを開拓していた。

ゴビに伸びる薄いトレース。南へ南へと、国境に届きそうになるまでルートを伸ばしていた。赤茶けた大地が広がる。かなり困難なルートが設定されていった。そして遠くに不思議な木々が見えた。

「あれ、木?林?こんなところに?」

ボクはクルマを止めて(この頃はボクが運転していた)しばらく眺めていた。ルートはそこに寄らずに、真っ直ぐ南下しようと考えていた。

「ちょっと、あそこまで行って休もうよ。」

そう言うと、ホントに細いトレースをそちらに進めた。ナビは慌ててトリップメーターをニュートラルにした。

近づくにつれ、それは奇跡のように思えた。急に気温も下がってきたし、水の気配もある。まだ誰も知らない未知なる惑星に降り立った、そんな気がした。

「よし、来年はここをビバークにしよう。」

そう決めた。すぐに決められない事情はたくさんあった。輸送や補給の困難さ、今回の後半の行程のバランス、その年は全く違う計画だった。しかしそこを知ってしまったのは何かの偶然じゃないぞ。

それにそこまでのピストは、ハイスピードのゴビハイウェイと狭隘な谷の道と、涸れ川の砂。その変化も楽しい。そしてさらに南に下ると、不思議な巨大なひとつ岩の山、まるでエアーズロックだなあ!がある。そして恐竜の谷だ。

こうして、SSERのオアシス。聖地とも呼ぶ場所が出来た。以来、何度この地に足を運び留まったか。ガストン・ライエもやって来たし、2010年は休息日だった。今年もやはりこの地に行く。精神の休息のためにね。

きょうの一枚

2010年夏のゾーモットのビバーク。小さな畑、1件だけのゲル。少しだけ変わったけど15年の間、その変化なんて小さなものだ。木々は相変わらず、哲学的だ。

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「その通りです、仙波君。」

2011/03/01
「その通りです、仙波君。」

なにかとIT全盛期。SSERも海外のエントラントとのFace Bookによる、コミュニケーションを拡充させようと、今朝のことミーティングをしました。

ここのところ、いろいろな企業に、またはSSERにもITまかせによるCSの低下が見て取れます。いまや情報は量・質ともに互角。と言うのはこれまで情報の少なかった顧客のほうが、売り手をしのぐ情報を持つに至っているという事実です。売るために獲得する情報の量と質は、「買いたい」衝動を持つ消費者のそれを、越えることができなくなってしまったのです。

送り手、つまり販売者はモノの流通を司る、という位置だったのももはや風前の灯。モノの流通は、あまりにも自由気ままになってしまいました。

これは「高感度初心者」という言葉で、ネット社会の発生時点から見受けられ始めて極大化した概念でもあります。ビギナーが乗るバイク、なんてのはもう存在しません。免許を取ってすぐBMWR1200GS を買った、なんて話は枚挙に暇がありません。むしろベテランのおじ様たちが「セロー買ったよ」となっているのでありますね。ここに消費行動の大きな変化と、売る側の責任が見え隠れします。

一時、CRM(Customer Relationship Management)が叫ばれ、ITテクノロジーを駆使し顧客との良好な関係を築く!というコトが叫ばれてきました。

しかし、それもどうもなにか違う。パソコンの前に座っていれば仕事をしている気になるという陥穽に陥っている様な気がしてなりません。それは良質な営業の堕落でしょう。皆さん、パソコンの前から立上りましょう!!

営業とは、顧客の利益を最大化するマーケティングでなければなりません。これまでは売り手の利益を最優先に考え、付加価値だとかいう意味不明の価値イコール利益、みたいな考え方で進みすぎました。

ちょっと話は変わりますが、国も国民の利益を最大化する法整備をすべきですね。学生時代に起業したスギちゃんの常套句「いま、若い人が起業しようとしても法規制が多すぎる。IT関連以外は起業が困難な国になっている。」と言います。なるほど、その通りかもしれません。何が言いたいかというと、法規制によって参入障壁を高くし、胡坐をかき、営業技術や知識を磨いてこなかった。つまり護送船団方式は、それぞれの営業力を失わせたとも考えられます。それに人とのコミュニケーション能力の極端な低下。ナニが原因か!?とは言いませんが、誰しも察しの付く辺りだろうと思います。教育とかが大きいかもですね。

さて結論。営業力を身につけるとは、今の時代に最も必要なことで、IT技術力だけで起業をしても、デザインの能力だけで起業しても相当以上な実力があっても、仕事はやってきません。

身につけるべきは、顧客の息遣いや皮膚感覚を知る能力です。しかしまあ、電話代が安くなるとか、資産運用だとか、電気代がどーの、とかっていう電話営業は熱心なことですよね。熱心なものは怪しい!という風潮も出来上がってしまいました。正しくニーズを把握して、ミスマッチの無いようにすることが難しい。だから顧客との距離の詰まった、仙波君のいう営業が求められるのですね。

SSERももっと、フットワークを軽くしなければいかん!ということを書こうとしたらこんなに大層な長文になってしまいました。

タクラマカンのPVは、明日くらいには完成するのかな??

きょうの一枚

「コンセプトカーVWブリー」

ジュネーブショウでVWが発表したコンセプトカー「ブリー」あのVWバスのイメージを踏襲したEVカーだ。

85kWの出力と270Nmのトルクを発生する電動モーターで前輪を駆動して走行する。バッテリーは最大容量40kWhのリチウムイオン充電池。1回の充電での走行可能距離は300kmで、充電時間は1時間かからないと言う。最高速度は140km/h(電気的に制御してるらしい)で0-100km/h加速は11.5秒!!

利休よ、欲しくね?

さらにセンターコンソールにiPadの設置スペース、iPadによってBluetoothのハンズフリーフォンやナビゲーションシステムの操作を行うほか、iPadのアプリケーションの利用も可能。なお、コクピットのシステムはギターとアンプで有名な米フェンダー製となる。・・・てなコトがレポートされている。
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No.064 – 菅原さんからの手紙 2011/02/18 12:00

今年のダカールラリー参加者に配られた資料をお知らせしますね。

最初の図はSAGE 5のSSだけの展開を書いているものです。左上は自動車とトラックの走るコースの標高と下には路面の様子が書かれております。今回はバイクと自動車が違う道を使う事が多々ありました。

SSだけのコース長は423km スタートの高度は3000mで3200mまで上がりゴールのイキケには高度1200mから一気に海抜0メーターまで駆け降ります。

下を見るとわかるのですが、アップダウンをしながら94kmの砂丘が続くのです。

約御殿場と東京間くらいですね。
2枚目の図はコピアポオに行く日で砂丘が7kmと92kmと17kmと102kmでTOTAL218kmで図を見るとアップダウンの連続でね。

この場所は昨年、落盤事故があり、33人が無事に生還した有名な場所でキャンプ地には人間を引き上げたカプセルが展示され、皆、記念撮影をしていましたよ。

移動する距離もすごくて、毎日SSを含めて700キロから800キロを走るので持久力も必要ですよ。

菅原 義正


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No.063 – 菅原さんからの手紙 2011/02/10 14:43

先日、facebookを通じて1枚の写真が送られてきました。

1983年(初めて出た年)の1月2日の朝で、場所はニームの近くの軍の演習地を使ってのSSです。とても寒い年でコース内には凍結している場所もありました。

1月1日の朝、8時過ぎにコンコルド広場を出発してパリの近郊でSSが1本あり、更に国道20号線を約1000km南下し、このニームに着いたのが朝の7時頃で、一睡もしないでのスタートでした。

大きな荷物とスペアータイアを持ってないのは、ニームの駅のコインロッカーに預けてきたのですが、このSSを終わった後にニームの駅を探すのが、とても難しく困り果てた記憶があります。なにせコマ図はSSのゴール地点からニームのフェリー乗り場までしか書いてありません。

その話を続けると1週間くらい必要なので、置いておき車両を見て下さい。

ヘッドランプにはガードが付いています。補助灯としてシビエのランプがハンドルの右に付いていますね。そこには盗難防止のワイヤーロックが掛けてあり、ハンドルには風防があり、テールランプはレギュレーションで2ケ必要なので結構大型が付いています。リアーの両サイドには水のタンクが付いています。

私はコンタクトレンズを使用しているので、ゴーグルは必要不可欠なのですが、裸眼で走っているのは、温度差でゴーグルが曇って使えなかったのですね。

一枚の写真ですが、写してくれた人に感謝し、この年でもなんとか頑張ってパソコンと向かい合っている事で、良い意味有難い事です。

 

菅原 義正


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No.062 「曲芸師」- 菅原さんからの手紙 2011/02/02 13:47

写真は昨年の物ですが、今年も同じ場所も通りましたし、更にすごい場所も用意されておりました。

ウエイポイントがとんでもない砂丘の真上に用意されており、その200メートル以内に入らないと車載のGPSの機械が認知しないのでペナルティになります。途中で止まっているバイクのライダーはポイントの真ん中を狙って走っていたんですね。我々はリスクの少ない場所を探し200メーターギリギリを狙って走っています。

今年は68台のカミオンの内、転倒したのが20台以上でした。いやな事に新しいカミオンの屋根には転倒した時に起しやすいように両側に2ケフックが付いていましたよ。

スタートして2日目のSSで前を走っていたカミオンが横倒しになって道を完全に塞いでおり、乗員が起して欲しいと言っているのですが、なにせ我々のレンジャーの2倍くらい大きな車体でした。もたもたしていたら時間がもったいないのでトランスファーをLレンジにして引いたのですが、1回目はだめで2回目に勢いを付けて引いたら、何と起きてしまいましたが、まだ道路を塞いでおり、前輪のタイヤはリム落ちしてパンク状態なので、フロントのフックにロープを付け替えで引っ張りやっとカミオンが通れるスペースをつくってあげました。

その為に時間をロスしたので、書面にして主催者に報告したら、5分を引いてくれて、転倒したドライバーも主催者に報告に来て、スガワラは引き方が上手だったと話したそうです。あまり嬉しくない話ですね。

そんな訳でこれからはドライバーやライダーではなく、曲芸師と呼んで下さい。

追伸 2/13の21時から90分番組(総集編)がJ SPORTS ESPNで放映があります。

菅原 義正


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No.061「パンアメリカンハイウエイ」 – 菅原さんからの手紙 2011/01/24 13:47

ブエノスアイレスの市内もそうですが、我々のSSをする郊外の農道まで四角に区切られております。市内の道のほとんどが一方通行で100メーターの間隔で区画されており、その距離を1クアドラと呼んでおりました。 市外の農道は400メーターで直角右とかで畑なので区画距離が長くなります。

写真の1枚目はとても分かりやすい標識ですね。一番右は最高速度90km/hで最低が60km/hで車線ごとに最高速度を表しているので、初めて走る人にも優しい標識です。

写真の2枚目は走る車種を指定しております。ちなみに我々ラリー車は最高速度(リエゾンもSSも) が140km/hに指定されており、オーバーすると車載のGPSに記録されるので罰則の対象になるのですが、リエゾン中は一番左側を走れます。

この高速道路は混雑がひどくなると料金所がフリー(無料)になります。

この道はパンアメリカンハイウエイと呼ばれ、完成するとカナダまで行けるそうですよ。ちなみに、ペルーのリマまでバスで行けるのですが、72時間もかかるそうです。

その間にアンデス山脈(4700m)を越えるので、酸素が出てくるのかもしれませんね。バスのタイヤにはCTISと言う、我々が使っているのと同じ装置が付いており、高地に行ったら運転席から減圧が出来ます。

日本の感覚だと峠を登ったら、すぐに降りると思うのですが、3500メーターから4700メーターの台地を200キロメートルも走り、その台地に山があり、標高6000メータークラスです。

ラリー中にバイクで旅行中の2人の日本人に合いました。

もっと日本の道路公団は勉強すべきですね。

菅原 義正


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No.060「盛り上がり」- 菅原さんからの手紙 2011/01/19 14:11

1枚目の写真はスタートセレモニーの時でパルクフェルメから出た車両は街の中心街を一周して観客の皆様に見て貰います。

「7月9日大通り」を通行止めにして行われ、先にはこの街の象徴のオリベスコがあり、そこを回ってパルクフルメまで行進しました。20万人も集まったそうです。

2枚目の写真はブエノスアイレスから最初の目的地のビクトリアに向かう途中の写真です。これでは走れません。

各、キャンプ地に到着するとこのような人だかりが出来、何か日本にない盛り上がりと言うか勢いを感じてしまいます。

事前に新聞などで発表されるのか、SSの沿道にテープが張られ、ものすごい数の観客がおりました。

警備にあたった警察官は25,000人だそうです。

日本との違いの大きさに考えさせられます。

菅原 義正


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No.059「再会」- 菅原さんからの手紙 2011/01/11 13:10

今日はアリカでの休息日です。

ラリーは「再び集う」と言う意味もあるそうですが、ダカール・ラリーを30年ちかくもやっていると、世代が変わり顔見知りが少なくなってきました。

今日、我々のキャンプにフランスの新聞記者を連れてエッチエヌ・スミルビッチさんが訪ねてきました。彼とは1985年に一緒のスポンサーさんの協賛を頂き、お互いにパジェロでの出場でした。彼のナビゲーターは昔、サッカーで有名なレイモンド・コパさんです。

私はナビゲーターでドライバーは俳優で有名な夏木 陽介さんです。

ある夜に走っていたら、彼の車が止っていて我々に助けを求めてきました。 よく調べてみたらオイルプレッシャーゲージが根元から折れてエンジンオイルがもれており、私は早速、彼のハンマーの柄の一部を削り、オイルの漏れている穴に栓をしてあげました。その何日か後に今度はセルモーターの調子が悪くなりエンジンが始動しないとの事なので、先日使ったハンマーを出してもらい、セルモーターを叩いたらなおり、彼は驚いて、これはマジックハンマーなので次に出るときはネックレスとしてこのハンマーを首からさげてくると言っていました。 そんな思い出話を記事にするようでしたが、最後にスガワラは何回目?と聞いてきたので28回目と言ったら、彼は29回目だと言うのです。

それはおかしいといったら、主催者に確認を取ったら中止になった2008年もエントリーしているので出場回数に入れて良いと言われてそうです。

そんな訳で私も29回の出場になりました。

明日の情報が入りました。昨日と一昨日のステージが厳しすぎて、明日はカミオンクラスだけSSのCP3で終わりになるようです。明日は208kmのリエゾンと611kmのSSでしたが我々のSSは192km地点で終了です。

写真はダカール最多出場回数の二人です。

菅原 義正


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No.058「あけましておめでとうございます。」2011/01/02 19:52

2010のSSERのイベントは盛りだくさんになり、ほとんどのイベントに参加させて頂きました。杉村くんのお手伝いもあり、すそ野の広がるイベントも企画されとても楽しい一年でした。

2011のイベントも更に楽しくなりそうなので、今からとても楽しみにしております。

こちらは車検も無事に通過してパルクフルメ中で、カミオンクラスは1日の午後8時頃にスタートして約380KM先の最初のキャンプ地であるビクトリアと言う町までリエゾンです。予想到着時間は12時を過ぎそうです。

皆様、良いお正月をお迎えください。

追伸:オフィシャルの皆様へ
2010もお世話になり、ありがとうございました。
では、行ってきます。
ラリー中の様子はwww.j-r-m.co,jpでお楽しみ下さい。

菅原 義正


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No.057「情けない」 菅原さんからの手紙 2010/12/30 22:30

日野自動車さんがダカール挑戦20周年の記念として車体のデザインを日本の伝統である「歌舞伎の隈取り」をイメージしたデザインにして頂きましたが、文化を継承しなければならない大事なお人が世の中を悪い方に騒がせております。

我々は日本の文化を世界に示すことも大切なことだと思い28年もやってきました。とても残念なことです。

30日は午前4時20分にホテルをチェックアウトして車検会場に向かいます。

添付写真はカードにしてラリーの途中でファンの皆様に配るように大量に日野さんが用意してくれました。

菅原 義正

 


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No.056 「全てが逆?」- 菅原さんからの手紙 2010/12/29 17:48

letter_056_20101229_01今日はこちらで磁石(コンパス)を買いました。キャンプ用品屋さんはあるのでしょうが、中々そのお店が見つかりません。散々探して、ジェスチャーや筆記でNとSを書いてコンパスを分って貰いましたよ。

写真を見て下さい。左はこちらで買ったコンパスで矢印は南を指しています。右は日本から持ってきたコンパスで北と南は逆に指していますね。

早速、麻生さんの開店のパーティが始まる寸前に山田さんに電話しました。彼曰く、お風呂の水を抜くと抜ける時の廻り方が日本と逆なので、やって撮影してみて下さいとの事です。

このホテルはシャワーだけなので、洗面台でやりましたが、水だけだと良く分からないのでトイレットペーパを小さく切って流したら左巻きで流れるのですが、時として右にうずを巻きます。

日本の流れ方を教えて下さい。ちなみにおしっこは真っすぐに出ますよ。

(山田 注: 台風などの渦は北半球では左回り(反時計回り)南半球は右回りです。これは地球の自転のなせる業ですが、洗面台などはその形状による渦で、判別は不能です。しかし菅原さんのいうとおり、かなりな部分で違いがあることは事実ですね。)

やはりこんな環境なのでチーム員の一人は倒れまた。

ラリーとは競技以外に戦う事が多すぎですね。

自画自賛ですが我々チーム員はこのラリーで28年間一回も人身事故を起こしていません。

菅原 義正

[footer-sugawara]

「FUTUREのこと。」- 2010/12/29 (水曜日)

ここに来て、まことに急にですが・・・FREE DVD MAG.FUTURE・・・沢山の年間購読(送料のみのね)の申し込みが相次いで届き始めました。それも、北は北海道から南は沖縄まで。初めてお聞きする名前ばかり。女性のお名前も少なくありません。それに添えてある一言にも、大変な勇気を頂きます。FUTUREはボクタチがお届けしているのですが、ボクタチには皆さんからの励ましの声が届きます。それが何にも変えがたい前進する勇気となっています。つまりFUTURE、実は双方向性のメディアなのだ、ということが分かります。

「動画ネット配信の時代に、いまどきパッケージですか?」の声は、ひとまず下火になりました。しかしパッケージ化は、かなりの製作コストではあります。

だからこんな声もあります。
「無料だからどーせ、と見てみたんだけど、内容も充実しているし有料でも充分販売できるんじゃないですか?」
大変ありがたいお話です。
しかし、それではいかんのです。収支を考えて取り組んでいるわけではありません。ボクタチは、ただただ伝えたいのです。その素晴らしい世界を。だいいち販売していて1万部も届きますか?

そもそも、このFUTUREを発行する原動力のひとつは、DVDを制作して販売しても製作コストすらまかなえない!という現実でした。「じゃあ映像制作はやめよう」そんな頃も当然ありました。やめることは簡単です。

2007年の西安-パリなど、テレビ放送を実現したものもあります。しかしそれを常に目指しても、テレビ局との折衝の中で、彼らの持つ経済原理と我々のそれとは全く相容れないものでした。
こんな風です。
「吉本のタレントでも使えばね?」
彼らが大陸を渡ったり、砂丘を越えたりはできるでしょうか?よしんば出来たとしても、その映像が本物足りえるでしょうか??テレビ放送は、いまや論までもありませんが、誰も期待していないものになってしまいました。電波の公共性は、もう無いのです。

また自動車メーカーなどの、クルマに対する思いの変化もあります。これはAPIOの河野社長のブログにも詳しいのですが、クルマは製品そのものが良く売れるか否か?利益率が良いか否か?を競い合う商品にしか過ぎません。いまやクルマはコンピューターで設計されるから、最終的にエンブレム以外は同じものにしかならないのだそうです。だから脱化石燃料のボンネットフード内の技術競争に終始し、少ない資本は一極集中で投下するしかないわけです。兵の分散投入は兵法にもとる!のであります。

経営テクノロジーが進化し、結果として夢とか冒険とか、そんな甘っちょろい事など許せない企業風土の会社ばかりになっていました。良く聞くフレーズですが「本田宗一郎さんが、今いれば・・・」と。しかしその幻想の回答は、こうです。「今いれば役員会や株主総会で罷免されるだけだ。」と言うのが現実でしょう。夢を持つことは、危険だということです。コンプライアンスの遵守とは「夢を持つな」と置き換えることが出来ます・

しかしそんな時代に、まだダカールに挑み続ける人たちがいます。ワークス参戦だから、プライベートだから、なんてのも関係なく、自動車の夢をまだかろうじて持っているのだと思います。販売戦略上。と言っているのも実は言い訳です。基本的に「好きなんです。」利己を越えた好きの力、それが冒険とかクロスカントリーラリーのせかいなんでしょう。

ボクタチも、その仲間であり続けたいし、その仲間を少しずつ増やして行きたいと思っています。

一生のうちにクルマに乗って砂漠を走る経験をする人なんて、極めて僅かです。砂漠を走れ!と言っているのではなく、たとえばそんな夢を日々の生活の中に温かな炎のように灯し続けたい。それが、私たちの望みでありささやかに描くFUTUREの姿です。

きょうは2枚

この1年の地と汗の結晶・・・スイマセン大げさすぎました。5巻を無事に発行できて感無量です。新しいことにチャレンジすることには、困難が伴います。しかし困難ってのは、無きゃ無いで虚しいものです。困難なればこそ・・でごわっと。小さなストップウォッチ

ボクのちょっとクラシックなストップウオッチ・・・タグ・ホイヤーです。今では使うこともなくなったのですが・・・

(おまけ)


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No.055「すごい時代になりました」- 菅原さんからの手紙 2010/12/28 17:11

添付写真は2009のダカールでの3日目位のキャンプ地で、写真で後ろに写っているのは私のテントです。

今日、メールをチェックしていたらface book でIVO KASTAN(チェコの人)さんからのメッセージと共に、この添付写真が送られてきました。

彼はこのバイクで挑戦して、3日目位でSSを途中から外れて、我々チームのアシスタントカミオン(日野プロフィア6輪駆動車)にくっついてキャンプ地を目指して走って来たそうです。

偶然にも私のテントの傍に居たので、声をかけ、彼のカメラで写真を撮ってもらいました。 タンクはホンダ125のパリダカタンクです。

後で分かるのですが、彼は猛烈なガストン・ファンだそうです。あの時に分っていれば、私のカミオンにガストンさんの写真を貼っているので、お見せすれば喜んだのにと思っていました。

そんな彼からアルゼンチンでメールと写真が届いたので驚きました。

この後に彼は一人でエンジンアッシーを一交換するのですが、翌日のキャンプ地には来ませんでした。

彼は2007のダカールを完走し、ボンネビルでこのような小さいバイクで最高スピートの挑戦をしているとは知りませんでした。

こんなすごい人からの連絡に驚きです。

菅原 義正


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「漂泊の思いやまず」- 2010/12/28 (火曜日)

大掃除なのですが、ボクは腰が悪いのをいいことにサボっています。片付け物の中からBMW R1200GS Adventureまあ2007モデルですが・・・のカタログが出て来て、しめしめと眺めていてビックリ。

1枚目の写真に添えられたキャプションには「千里の道も一歩から」なんて、しおらしく書いているのですが本文には

わたしたちは中国での最初の一歩としてパミール高原に向かいました。(中略)驚嘆しながら「氷の山の父」の意味を持つムスターグアタ山(7546m)の前に立ったのでした。それはわたしたちの誰にとっても・・・・

これは我々SSERがレイド・トレック・チョモランマ2009のスタートの前日に、高度順応のために向かったカラクリ湖の畔に聳える山です。この地を旅してきたわたしたちには、このカタログの持つ意味が比較的良く分かります。ただ文章も写真も僅かばかりですが、大げさすぎはします。ですがまあ長い道のりの冒険の旅も、第一歩を踏み出さなければならないという教えは、共通のものです。

タクラマカン横断の旅は、今日のブログにも少し書きましたが、この2007年モデルのGS-Aを年明けから整備して、サイドカーを付けて出かけようと思います。もしなんなら、もう1台同じのがありますのでご希望の方には無償でレンタル(っていうかな?)いたします。

このカタログの次のページには「足ることを知れば、心は安らかである。」と老子の言葉がヘッドコピーに使われています。「足るを知る」とは、まあ新車にはしないでも良いということでしょうね。

きょうの一枚

いま思えば、この近年の旅の憧憬はこのカタログに触発されたといっても過言ではないでしょうね。

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No.054「自衛」- 菅原さんからの手紙 2010/12/27

一枚目の写真ですが牢屋ではありませんよ。

我々が泊まっているホテルです。昼間でも鉄格子には鍵がかかっており、フロントの人が確認してから電気的に解錠します。その後、更にドアに鍵が掛っており、フロントの人がドアまで来て、手動で開けてくれます。

フロントのお姉さんが言っていました。この国では2ペソ「日本円で約50円」欲しさで拳銃で撃たれて殺されると。それを一緒に聞いていた弊社の高橋は「拳銃の弾の方が高そうですね。」

また、こうも言っていました。掃除をしたくなければ鍵を開けて外出する事だそうです。帰宅したら家の中の物は全部無くなっているから・・・だそうです。モデルさんのように綺麗なお姉さんですが、2回も拳銃を向けられたそうですよ。

どちらも、たとえ話でしょうが、日本とは大違いですね。

2枚目の写真は開店前のお店です。3枚目はドアを含めて5つの鍵が付いています。更にこの鉄柵を外して開店するのですが、外した鉄柵にも持って行かれないように鍵を掛けます。

考えてみたらコロンブスが来た頃から略奪を繰り返されてきた歴史が物語っているのかもしれませんね。

おまけ2010
ブラジルで聞いたのですが赤ちゃんに蒙古斑点が出るのが多いそうです。原住民は、アジアからアラスカを渡り、パナマを超えて南下してきたのですね。

菅原 義正

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No.053 -「菅原さんからの手紙」2010/12/24

競技用の日野レンジャー2台は3年前からアルゼンチントヨタさんのご厚意で我々の為に用意して頂いている、専用の場所におさまりました。

車高の高いレンジャーが入れるようにと天井からの照明を上に移動してくれています。

次回の大会からカミオンのドライバーとナビゲーターにも安全装備が更に多く義務づけられました。昔はTシャツで良く、ヘルメットだけうるさく言われたのですが、今後はヘルメットはもちろん、下着の上下と靴下とマスクと手袋とレーシングスーツと首を守るハンスを付けます。

ラリーレイドはF-1と違って、上下左右、頭を動かして走るので今日は車両の最終走行テストと安全装備を付けた状態でのテスト走行を行いました。

ハンスが曲者でヘルメットの前後と左右の動きが規制されるので、まずは工場内のテストコース(舗装路)を3周程しましたが、そんなには邪魔にはなりませんでした。

今度は工場の外周にあるダートでのテストをしたのですが、想像していた通り、ハンスとヘルメットを止めているベルトが動きを規制し、このままでは難しい事が判明しました。

どうにかしなければなりません。

写真の説明です。工場に入つた日野レンジャーで左が1号車、右が2号車です。違いは補助灯の位置とブッシュガードの色です。

ハンスを付けた後姿の私です。

ハンスとマスクを付けて新しいデザインのアライヘルメットを被っています。

走行テストを待つ私の全身像。サンタさんではありませんよ。

良いクリスマスを

菅原 義正

追伸 モトワークス改装開店おめでとう。


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No.052 – 「菅原さんからの手紙」 2010/12/20

待ちに待った日野レンジャー2台がお世話になっているトヨタアルゼンチンの工場に運ばれて来ました。

写真01 最初の写真のように大型のトレーラーでコンテナーごと低床の積載車に乗せられてきます。この車両の前には注意を促すための黄色の回転灯を付けた前走車もおりました。
昨年は大丈夫だったのですが、今年からレギュレーションが変わり、高速道路の走行許可が出ないので、ブエノスアイレスの街を大きく外回りして、走って来たそうです。

 

写真02 二枚目の写真ですが日本で積み込んだ状態がそのままになっているオープンコンテナーで長さは40フィートだと思います。

 

写真03 三枚目はブルーシートも外されて、コンテナーに固定している車止めやテープ類を外しています。 ここまで来るのには、2週間も前からブラジルから川崎汽船の方がこちらに来て手続きに奔走してくれました。更にこちらの豊田通商の皆様にお世話になっており、ラリーをやる前の大仕事が皆様のご協力があり、出来るのだと改めて感謝しております。

昨夜はラリーで転倒した夢を見ました。気をつけます。

菅原 義正


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No.051 -「菅原さんからの手紙」2010/12/16

letter_051_20101216_01 昨日は昨年GPSで押さえていた緯度経度をハンデイの60に入れて、自動車関係が集合している街まで運動を兼ね4時間かけて歩いて行きました。

入れた数値は S 34-35-56-00 W 058-27-06-00暇なときにでもグーグルアースで見て下さい。

昔、東京の両国の近くにタテカワと言う場所に同じような街がありました。
古い車も走っているので機械式のメーター類を修理するお店やプロペラシャフトの修理専門店などがありますが、広くて全部見切れずに帰りはタクシーのお世話になりました。

写真のようにこちらではバイクにタンクカバーを付けているのが多くみられたのでタンクをキズから守るものだとばかり思っていましたが、Tシャツを掛けているのを見て理解できました。直射日光が強いのでタンクの温度を上げない工夫なんですね。

もう一枚の写真はリアヘスプリングのダストカバーです。

今日はレンジャーの通関が終わりそうなので、市内のホテルをチェックアウトして工場に向かうので日本食のレストランとはしばらくおさらばです。

菅原 義正

letter_051_20101216_02

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[footer-sugawara]

No.050 – 菅原さんからの手紙 2010/12/14

一人でブエノスアイレスのホテルに居ります。メカさんの第1団はすでにお世話になるトヨタさん(市内から約80km離れています)で用意をしているのですが、肝心の競技車両の通関に手こずっている状態です。

今日、昼食に入ったレストランの各テーブルの上に、こんな印刷物が置いてありました。DAKARが認めた水なんですね。

ラリーがこんな所まで浸透しているのはすごい事です。

先日、入った日本食のレストランで簡単な物を注文して待っていたら、ウエイトレスのお姉さんが白身の薄造りとお寿司を持ってきて、これは店長からのプレゼントだと渡されました。昨年も行っていたので覚えてくれていたようです。こんなちょっとの事がとてもうれしく思います。

帰りには厨房で働いている人達まで出て来て、店内で記念撮影になり、お客さん達が何が起きたのかと不思議そうでした。

話は変わりますが、こちらのタクシーの領収書には最高速度が記入されています。床屋さんに行きました。540円です。

菅原 義正


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No.049 - 菅原さんからの手紙 2010/12/09

今は現地時間の午前4:40です。こちらに来て一週間もかけて変な時間に起きないように体調管理をしていたのですが、一発の電話で破られました。

電話に出たらあの「トシ西山」君です。私は彼のお父さんとトライアルやモトクロスで大変にお世話になった関係があります。

お話を聞いていたら11月末までヨーロッパに居たとの事、私とすれ違いでした。すっかり浦島太郎状態でダカールが南米に移った事すら知らないのです。彼は以前ダカールに出場した経験もお持ちなのに?・・・ですね。

彼は一時、バイク関係から離れていたのですが、フランコ・アチェルビス氏に会ったり、意欲的にバイクの世界に戻って来そうなので暖かく迎えたいと思っています。

一の子分のマエダッチはTBIで寝る時に私が手をつないで上げないと寝ないと話したら、よろしくお願いしますと言われましたよ。

写真の説明です。

1枚目のブルーのバイクですがポリスが防弾チョッキを着て乗るバイクです。

2枚目は隊員が2種類居るのですが右足にピストルの白いケースを付けているのが軍隊、服が違い安全のタスキをかけているのが治安部隊です。

3枚目はナンバーの封印です。左に赤いプラスチック状のものです。

4枚目は街でよく見るバイクでこれはホンダですがヤマハ、スズキもこのサイズが多いです。

白バイですが日本は権力を象徴しているのか威風堂々のバイクを選んでいますが、操作性の良いバイクを選んでいるこちらの国の方に私は賛成です。

日本の最初の頃の白バイはアメリカからの影響で大きい「陸王」などが使われていましたが、狭い日本ではもっと利便性の良いバイクが適切ですね。

こちらの白バイはパトロールに使っており、スピード違反専用ではないのです。日本も考える時期にきておりますね。

変な時間に起こされた菅原 義正でした。

菅原 義正


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No.048「ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに来ました。」- 菅原さんからの手紙 2010/12/08

今年は日本人がブラジルに移民して102年目になります。

45年前に私の学友が移民船のブラジル丸に乗ってこちらに来て活躍しており、ダカールがゴールの時は直線的には近いので、友人を訪ねたかったのですが、直接行く飛行機が無かったので、延び延びになっていました。

友人に会って色々聞くと、横浜を出て太平洋を渡り、ロスまで行き、そこから南下してパナマ運河を通り36日後にリオ・デ・ジャネイロの南のサントス港に着いたそうで、太平洋では船が揺れて食事が出来なかったそうです。

私は、パリから12時間で冬から真夏の世界に来てしまいました。コパカバーナの海岸の真ん中で海に面したホテルなので、体を慣らすには最高の環境です。

写真の説明
懐かしい話に夢中の友人と私。真ん中に写っている奇岩はボン・ジ・アスーカルです。

ホテルの窓からの写真

この辺りの警備に使っている乗り物(オシャレですね。)

砂浜で何かあったらすぐに出動できる4X4のATV

おまけ
街の名前の由来を聞いたら1月にこの地を見つけて海だと思わずに河だと思って名前を付けたのだそうです。リオは英語ではリバーで、ジャネイロはジャニュアリーで納得ですね。

菅原 義正

 

 


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No.047「パリからです。」- 菅原さんからの手紙 2010/12/05

12/1にパリに到着しました。機内でのアナウンスを聞いていたのですが、着いてびっくり雪景色でマイナス3度でした。

着いたターミナルは1で、とても懐かしい空港で007の映画にも出た今でも新鮮に感じられます。多分、今でも世界で一番お客が歩かない工夫がされております。

山田さんの文章に良く出てくる「フラットテル」の傍のホテルを取りました。昔は私もフラットテルを使っており、ここは1週間以上居るとホテルよりも広くキッチンと食器もあり、近所のモノプリ「スーパーマケット」で食材を買い、各チームは自炊をしていました。

写真を見て下さい。エッフェル塔の西、二つ目の橋でグルネル橋です。橋の真ん中に自由の女神像があります。余談ですが、数年前に、この像が日本のお台場に出張した事があります。

私が四輪で出場した時は電動工具は充電式のドリルだけで、工場が無いのでこの橋の下で整備をしてました。冬は良く雨が降るので。

セーヌ河の傍に白いバンが停まっている橋の下です。駐車場には車高が高いので入らないのでホテルのドアマンと仲良くなり24時間使ってないホテルの前に置いてもらうのです。

あの時から約30年、今ではルマンに300坪の工場を持ち溶接機もアルゴン、半自動の溶接機、アセチレンの溶接機など常備しており、昔とは雲泥の差ですね。

自由の女神の中州にある道は「白鳥の散歩道」と言ってランニングにはとても良い場所なのですが雪で走れませんでした。

12/3には暖かいブラジルに移動します。一人旅はサミシー。今度は麻生さんと行きましょうね。

菅原 義正


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No.046 – 菅原さんからの手紙 2010/11/24

ちょっと空いた時間を利用してイーチのレストアを楽しんでおります。

一昨日は御殿場の工場で新しい色に塗ったパーツにクリアーの塗装をしました。

一カ月前に依頼したメッキのパーツも何点か出来あがってきたのでチェンジペダルのゴムはSRのパーツを使ったり、キックアームのゴムはウラルのを流用してます。こんな事を考えるのも楽しい時間です。

写真にある丸いのは後席の人がつかまるハンドルです。

燃料タンクのへこみがすごいので弊社のスーさんに叩きだしてもらいました。タンクに付いているニーグリップするゴムですが、驚いた事に運転手の足の長さに合わせて移動できるようになってました。

タイヤは前後共に19インチなのでホンダSL230の前輪のタイヤを使おうかと思ってますが生意気にそのタイヤには進行方向がありました。

しばらく留守にするので、この時間を利用してメッキ屋さんに何点か依頼に行きましたら、この時期はバイクに乗らないので、メッキの依頼が多くて、約2ケ月も掛るそうです。ちょうど私が帰国する頃には出来上がるようです。

明日は御殿場に移動してモンゴルから帰国したジムニーに再会です。

そんなこんなしている内にSSERの東京での発表会ですね。

私は12/1に出発しますので、この次は皆さんが想像してない場所からお手紙をおくりますね。お楽しみに・・・

 

菅原 義正


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No.045 – 菅原さんからの手紙 2010/11/02

先日、日野さんの本社で報道の皆様にダカールの発表会がありました。前列は1号車と2号車の選手と日野さんの近藤会長さん(右側)と藤井専務さんです。後ろの左の方は、今年モンゴルラリーにホンダXR400で完走した本社の門間君で右側の3名の方は全国の販社3400名のメカさんから選ばれた精鋭のメカさん達ですよ。

今回は日野さんが参戦して20周年記念になるのでデザインは歌舞伎の隈どりをもじった物です。2号車の照が運転する車両はご存じのようにモンゴルでテストした外板がカーボンケブラー車、私の1号車は今までどうりの車両で160キロの重さの差があります。

この重量はとても大切で、加速や減速に負担がかかりますが、何とか経験でカバー出来ればと思ってます。

リオの友人からメールが入り、2012はリオ-ブエノスアイレスとの情報が現地で流れているようです。ブラジルはこれからが面白くなるので可能性は大いにありそうですね。

今回は約50年前に学友がポルトガル語を習得して日本でリオの銀行の試験に受かり移民船で横浜からテープで別れた友人とラリー前にリオで再会出来るのでとても楽しみにしております。

選手とメカさん達は12月10日頃に現地に入ります。皆様の応援をお願いしますね。

菅原 義正


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No.044 「パベルさんがロシアから来日しました。」- 菅原さんからの手紙 2010/10/19

SSERの主催するモンゴルラリーに2006と2007と2008にバイクで出場したパベルさんが一緒に出たアレキサンダーさんの息子さんとその友人の3名で初来日です。

2007には弊社のサポートを受けて、パリダカにも出ております。

2週間以上前に照からパベルさんが来日して、何を食べたいと聞いたら「ふぐ料理」と言われ、驚ろき、結局インターネットで探し、3人をご招待したそうです。

その後は3人で日本中を旅行するとの事でした。

それから2週間後に私は日野さんに打ち合わせに行き、金曜日だったので先日もブログに書かせて頂いたイーチの整備を御殿場の工場でやろうと思い、日野さんから中央道を使い直接、御殿場に向かっていたら、照からの電話でパベルさん達が富士山に登るので、御殿場の家に泊めて欲しいとの事でした。

その後、すぐに英語でパベルさんから電話が入りました。どうも新宿駅に居てこれから御殿場に向かいたいとの事です。走りながらの会話なので私は1時間後に御殿場に着く事、御殿場には2つの出口があり、山側ではなく、海側の出口で出る事などを手短に話ました。

御殿場には私の方が早く着き、イーチを整備していたら携帯にメールが入り、CITY側で待っているとの事です。思った通りで困りました。私はシーサイドの出口と言ったのですが、どうも通じてません。御殿場のシティサイドは山側なのです。車を海側の駅に付けてキョロキョロするのですが、それらしき人達が見あたらないので、ホームを渡って山側のバス停の待合室などを探しても居ません。海側に戻り、よーく見ると日本人らしき人(アレキサンダーさんの息子さん)の間にパベルさんが居りました。

再会をお互いに喜び、ガレージに行ったら、パベルさんも私と同じイーチを持っているとの事でした。そんなお話をしていたら隣のガレージのオーナーの高杉君が表れ、お互いにびっくりです。彼は2007のダカールラリーで弊社のランクルを運転してパベルさんのお世話もしたのです。

更に、偶然に桐島ローランドさんから電話が入り、訳をお話しすると彼も2007のダカールとモンゴルで一緒だったので、お会いする約束をしました。

翌日、朝の4時に起床して御殿場口の5合目までお送りし、夕方5時過ぎに下山し、東京に向かう途中に何を食べたいかとお聞きしたら、神戸牛を食べるのを忘れたとの事、結局10時頃に六本木の米沢牛の専門店で桐島さんを交えてシャブシャブを食べたのでした。

写真の説明。パベルさんの隣2人目の方がアレキサンダーさんの息子さんです。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.043「シェークダウン」- 菅原さんからの手紙 2010/10/12

9日(土) にダカールラリー2011に向けたテストを行いました。

場所は茨城県の御前山にある日野さんのテストコースで、外周に2ケ所のバンクが付いている高速実験路(舗装)とその内側にある未舗装路(ジャリ道)、とカマボコ状の凸が左右交互に配置されたコースなどを使ってのテストです。

照が乗るのは最新型でモンゴルに持って行った車両、私のはまた違った車両です。その差は車重に表れており照のは160キロほど軽くなっております。

軽量化の差は加速時に表れてました。そうなるとブーキングにも表れます。

新しくブレーキも改善して頂き、前後の効きの配分調整が出来る装置を取り付けました。これは急な下り坂で有効なのですがスイッチの操作を忘れないようにしないと意味ないですね。(この操作はドライバーの私がやることになってます。)

昨年まで、オーバーヒート気味だってのですが、対策が施され順調な仕上がりを確認できました。

最後に一生懸命に作ってくれたメカさん達に助手席に乗ってもらい喜んで頂きましたよ。

菅原 義正


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No.042 – 菅原さんからの手紙 2010/09/24

昨年、モンゴルから持ち帰ったロシア製のバイク「イーチ」のレストアを開始しました。御殿場の工場に置いてあるので、9/17(金)の午前11時頃に東名に入ったら、何と45キロの渋滞です。空いていたら1時間で行けるのに、その日は3時間も掛ってしまいました。

運転手のシートと後席のシートアッセンブリーを外して、東京に持ち帰り錆とりや塗装を剥がしたり、結構細かい作業の連続です。塗装を剥がして判ったのですが、今のグリーンは前のオーナーが塗ったもので最初の色はブルーでした。車両全体のサスペンションは当時の技術では難しかったようで、シートにもサスペンションが付いてます。この車両にはコイルスプリングを引き方向で使ってます。

このバイクのルーツをドイツのカイザーさんに聞いたら、ドイツのDKWのコピーだとの事です。そう言えば私が乗っているロシア製のウラルもドイツのBMWの水平対向エンジンのコピーなので納得です。DKWは昔、自動車も作っていたので会社名は知ってました。1930年頃は世界最大のオートバイメーカーだったそうです。

色も決めましたし、後席の人が持つハンドルやキックペダル、シフトペダルは再メッキにお願いしてます。今後の作り込みをまたご報告しますね。どうも年齢は私と同じ位なようです。

写真は椅子を取った状態のイーチと当時のDKWの宣伝のポスターです。

菅原 義正


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No.041「良い例と悪い例」- 菅原さんからの手紙 2010/09/10

今年のモンゴルでの1シーンです。レンジローバーで出たドイツからの参加者のラインと私のラインを見て下さい。(尾上さんも私と同じラインを走ってました。)

ドイツからの選手は女性で名前はステファンさんです。

彼女は9/7に日本の観光を楽しみに来日してます。お寿司が好きとの事で7日夜は恵比寿のお寿司屋さんにご招待しました。

カミオンで出た、照、アヘッド号を運転した若林さん、私のナピの杉浦君、オーガナイザーのお手伝いをした弊社の高橋君、我々とアヘット゛号や霧島号の整備をしてくれたウラナ君のお父さんのバイラーさんと再会です。

これぞ、ラリーの大切な、再び合うと言う素晴らしい瞬間です。

この写真を彼女にお見せして、どうしてこうなったかを質問しました。

やはり、オーバースピードでこのラインに入ってしまったそうです。深さは1メートルもあり、リスクの多い走りですね。

自動車競技はスピードを出すことも大切だすが、一番大切なのは減速なのです。

台地を読んで減速をする事の大切さが難しいのですね。

彼女に我々のエンジンのキャパシティをお話したらびっくりしてましたよ。

今日の彼女は日光見学で土曜日には富士山に登り。その後京都に行くそうなので杉ちゃんの接待おねがいしまね。

菅原 義正


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