「さあ、やるかね。SSER Cafe」- 2014/01/06 (月)- OV

今年は新春そうそうから好天に恵まれています。なにかこう、今年1年の天気占いは「良」じゃないのかなあっと。

まあ愛知あたりに強力な悪の力が存在するので要注意ではありますが。実は昨年の暮れの忘年会の前座で4本の林道を雪の中を走りました。
絶好の天気と雪質・・・そこで心に決めたことがひとつ

イベントのない月の第3日曜日は「SSER Cafe」を。これは林道のどこかでランチ&カフェを開きます。開店時間は11:00から13:00・・・そして発見して訪れた方にはCafe + Lunchのサービス。

どこかの林道のどこかの広場。ヒントは1週間以内のOVやFBに。スタンプカードをお渡ししますので、連続到達の方には年末にモンゴル旅行など豪華プレゼント・・・ムムムこのモンゴル旅行は少し怪しい気がしますが。。。

10月には、いまの予定では30周年記念世界ツアーに行きます。
ですから10月はSSER Cafeはお休みの予定。
愉しく走る1年にしたいかなあ。

きょうの一枚
SSER30周年記念ツアーの目的地の一つ。ここにジムニーを置いて撮影したり?ボクの〇〇〇を置いて撮影したり。。。する予定。。。ここは、どこだ?


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No.148「いよいよスタートです」- 菅原さんからの手紙 2014/01/05 22:00

letter_148_20140105_2200_01今日、4日は夕方からスタートセレモニーがあり、パルクフルメが一時解除になり一台ずつポデュウムで紹介があり、街の一部を走ってパルクフルメ会場に戻ってきます。

明日は180kmのSSの前後にリエゾンが629kmで合計809kmです。今はリエゾンの最高速度がオート、モトが110km/hでカミオンは90/km/hに制限されているので、モトの1番は朝の4:20にスタートです。(今の日の出は06:01で日の入りは20:39)

SSはWRCで使われた難しいコースのようです。

この国はモータースポーツの歴史が古く、フアンジオと言う選手はF-1で1951と1954-7まで5回もチャンピオンを取り、その記録は46年間も破られておりませんでした。

その記録を破った人は今、大変な事になっているミハイル・シーュマッハさんです。

写真1はキャンプ地のレイアウトが発表になりました。このようにすべてのレイアウトが一緒だと、思い出に残りづらいですね。

写真2は地元の新聞の一面に紹介されました。

写真3はトヨタ関係の合同記者会見で日野チーム、トヨタ車体チーム、南アのチーム、アルゼンチンから出場のチームが紹介されました。

私からの手紙はラリー後になるのでラリー中の様子はこちらからご覧ください。

http://www.hino.co.jp/dakar/index.html

では、行ってまいります。 

菅原 義正

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No.147「新年おめでとうございます。」 2014/01/03 15:00 – 菅原さんからの手紙

letter_147_20140103_1500_01私は、今年も海外で新年を迎えてしまいました。ラリーの準備をしていると年越しと元旦とかの気分になれないので、こまった事です。

以前、山田さんが私に、「日本の法律で年越しなどの行事は無くなったよ」と冗談で言われた事があり、一瞬信じそうになった覚えがあります。

今日1月2日は我々チームの車検が14時45分から始まるのですが、こちらに着いたばかりの深草君に電話したら近所のホテルに居て、今日は何も予定が無いとの事なので、我々の整備している工場に来てもらいました。

我々がお借りしている工場はバスの製作工場です。

日本では考えられない工法でバスを作っているので驚いていました。一切、プレスの型が無く、フロント周り、リアー周り、屋根、ダッシュ、ドアーは全部グラスファイバーの女型に張り付けてゆくのです。

我々だけ車検会場に行き、人件と車検を無事に済ませました。

GPSの使い方の講習を受けないとスタンプがもらえないのですが、我々は先生より詳しいことを知っているので、講習無でスタンプをもらいました。

多分、講習無でスタンプをもらえるのは、うちのチームだけです。

写真1は1号車の車検風景です。

写真2は2号車です。

写真3はパルクフルメの入った1号車で後ろに2号車があり、左の遠くにチェコから来たタトラがあり、パルクフルメには3台のトラックしかおりませんでした。

明日は深草君の整備が予定されているのでひやかしに行く予定です。

菅原 義正

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No.146 「ロサリオに着きました。」- 2013/12/28 15:27 菅原さんからの手紙

ブエノスアイレスから約300kmを北上して、今回のスタート地点であるロサリオに着きました。

この町はアルゼンチンで3番目の都市だそうです。革命家のチェ・ゲバラが生まれた都市であり、有名なサッカー選手もこの町から多く出ているそうです。

街を歩いてみても、昨年の出発地点のリマとは違い、ダカール・ラリーがここからスタートする雰囲気はまだ感じません。

気温はブエノスアイレスと大違いで湿気があり、暑いです。暑いですと言えば日本のヤフー、ニュースを見ていたら2-3日前にロサリオで暑いので近くの川で泳いでいた人がピラニアにかまれて60人が負傷したと出ており、ロサリオに居て知ったので、びっくりです。

写真1は泊まっているホテルのフロントに置いてありました。

写真2はホテルでの会議の様子です。

写真3はお借りしている作業場で最終点検を受けている左から、1号車と2号車です。

主催者手配でルアーブルから輸送された競技車やサポートカーは31日に引き取りなので、我々のサポートトラックとサポートカー2台もその日にしか手元に来ないので、これからが大忙しです。

我々の人検と車検の呼び出しが2日の午後2時45分に決まっております。

菅原 義正

 


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「2013、顧みて」-2013/12/27 (水) – OV

「2013、顧みて」- 2013/12/27 (水)

まことに1年というのは、早いと思う。
歳を重ねるほどに1年を早く感じるのは
いうところの相対性理論であることに異論はない。

あの8月、熱砂のゴビのことも
9月の大草原で初開催となったゴビデザートマラソンも
すべては現実なのだが、いつのまにか遠い日のことのよう
それは、薬のようでもあり
焦燥を生む、毒にも似ている

だから再び、その準備に取り掛かる
そんな時に、ふと夢は現実となってからの、
そのあとの過ごし方が大切だと気づく

具体的な目標を夢と呼ぶならば、それを実現させたあとのありようも設計していなければなるまいと思う。

2013年というのは、ボクが30年前と20年前にそれぞれ設計していたはずの未来の過去だ。
・・・ちょっとボク以外には解釈不能か。。

ちょうど1992年9月パリ-モスクワ-北京で、
新たに独立したばかりの国々を貫き走った。
ベラルーシやウズベキスタン、キルギスやトルクメニスタン、カザフスタンという当時まで名を聞くこともなかった国々だ。
そしてタクラマカン砂漠を越えた。
おまけにその北に広がるゴビ砂漠に強い郷愁を感じたのだから仕方がない。

その時に漠然と持った夢に駆られた20年だったんだろうか
来年でラリーモンゴリアはまさに20年を迎え
SSERは30年を迎えた。

その時から2013年まで、ずっとその地を(なかば仕事と称して)旅をし続けられてる歓びに、感謝の気持ちを深くするようになった。

ずいぶんと澱のような、気負ってたものがスッと取れたようなそんな感じの2013だった。
だから今年の年末、つまりいまの自分はなぜだかとても気持ちが良い。
幸せを感じていると言っていい。

まとめて2013年を顧みて思うのはその幸福感に包まれた1年だったということだろうか。

 


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No.215 2013年回想

  写真1 北海道は雪の季節が4月下旬まで続くので、ぼくのシーズンは、ツールドブルーアイランドから始まりました。大阪をスタート、瀬戸内海をクルーズして宮崎へ、そして大分から再び海を渡って四国へ。2度の船旅を含む、ダイナミックなツアー。ぼくは、宮崎から、ヤマダさんのBMW R1200GS ADVをお借りしてラリーを追いかけたのですが、実に楽しかった。最後のビバークに着いても、このまま終わってしまうのがもったいない思ってしまうほど。日本は美しくて、やさしく、そしてまだまだ未知の風景ばかりです。北海道にいると、どうしても海は、厳しさというか、過酷な自然の象徴のように思ってしまうのですが(もちろん私的な感想ですし、北の海は豊かでもあります)、瀬戸内海、鹿児島の海の、まろやかさ、やさしさはどうでしょう。海路を中心にしたルートは、このTBIならではのものだったと思います。2014年の東京-霧島4000がどのようなルートになるのか、まったく聞かされてはいませんが、旅のダイナミズムはきっと2013年以上のものになるのでしよう。

「素晴らしい!」なんて書いていますが、選手として走ってるライダーや、ラリーのスタッフほどには、その半分も「素晴らしさ」を体験していないことも知っています。ウェブで応援したり、その一部を見物したり、スタートを見送ったり、あとでラリーのルートの一部を走ってみたりすることもできますが、やっぱりつまみぐいではわからない世界があります。7日間なら7日間、10日間なら10日間、ラリーの世界に没入し、そのすべてを食べつくさないとわからないものがあります。またもうひとつ付け加えるなら「いつか出場してみようと思っている」という人は、その考え方を改めるべきです。せっかくそこまで考えているならば、ちょっとだけ文言を変えて「次回は出場することに決めた」としてください。そうしないと越えられない壁があります。「いつか…」という人は、きっとどこからか思いがけない幸運が訪れてきて、右手を引っ張ってくれると、心のどこかで思っているのでしょう。でも、現実には、いつまでたってもそんなことは起こりません。でも「行く」と決めて、壁に一歩近づいてみると、それまで見えなかった手がかり、足がかりが見えてきて、壁を登り始めることができるものです。

2013年はもうひとつ、北海道4デイズの思い出があります。このラリーが初めて走った道東の大地。知床から釧路、それからまた日高へと。そこにはやはり海がありました。みんなも驚いたようですが、ぼくも試走の時には見えなかったので、北方領土の島があんまり近く、大きく見えて驚きました。途中少しだけルートを外れて、ゆでたてのシマエビに舌鼓をうったこと…。来年も、やっぱり道東にしようか? と思ってしまいますが…これはもう少し秘密にしておきたいと思います。とにかく、またみんなで楽しい4日間をやりましょう! いろいろと大変なこともありましたが、2014年もまた、楽しくて希望がいっぱいの年になりそうです。ハイウェイからシングルトラックまであらゆる道の長距離ライディングをこなす、しっかりとした作りの、あまり騒々しずきないモーターサイクルを準備するだけで、こんなに楽しい世界が広がる。みんなで、まだまだやりましょう!

写真はすべて、TBI2013から。撮影、春木久史  

写真1 写真2 写真3 写真4

ビッグタンクマガジン http://www.bigtank.jp (2013/12/26 11:00 )

「忙中の閑に漂う」- OV – 2013/12/25 (水)

こんなに忙しい年末って、あったっけ。

いつもこの季節になると思うのは、やはりパリでのこと。
87年からずっと、冬はもっぱらパリで過ごした。
まあ、と言っても7年くらいか。

シャルル・ドゴールでレンタカーを借りて
いつもルノーエスパス。

みんなで乗り込んでどっさり荷物を積んだら
ホテルニッコーの裏の、いつもの宿。
大きなリビングに3つくらいのベッドルーム。
キッチン。
毎日の食事の買い出し。
洗濯とミーティング。

ラリーカーの引き取り。
地下のガレージで日がな整備。
ドーベルマンを連れたガードマンともいつしか顔なじみに。
もう市内も地図は無くても走り回れる。

そんなころちょうど
プレゼンタシオンがあるので、ペリフェリックで会場へ

冬の夜だというのに21;00スタート
聞くと、夜はそんなもんだと。

巨大なスクリーン。
シャンパン
もう、やられっぱなし。

そして車検会場の下見を兼ねて試走。
2時間もかからないことを確認してホテルに帰る。
車検、リエゾン、パルクフェルメ。

胸が熱くなっていた日々。
ああ、あの頃のパリのなにもかもが懐かしい。

ただの旅行や仕事で行ったとしても
あの空気は味わえないだろう
あの胸騒ぎは過去のものなんだ

あれはなんだったんだろうか。
あの日々は、幻だったのか。

わずかな焦燥感が湧きおこり
それが次へのちいさなエネルギーの導火線に火をつける。
さあ、来年もやるゾウ!となる。


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No.145「日本橋」- 菅原さんからの手紙 2013/12/24 13:19

letter_145_20131224_1319_01ブエノスアイレスでは私の大学の先輩が2軒も日本レストランを経営しております。この日本橋さんは私の1年先輩が経営しており、こちらの大工さんは仕事が遅いし上手じゃないからと言って自分で店内を作ってしまいました。

ラリーがこちらに移ってから、お世話になっており、昨年はスタートがリマでゴールがチリだったので、来てませんがまたお世話になっております。

最初に来た年に拓大に電話して、大学の「のぼり旗」を用意させてスタートで振ってくれました。彼の手配でその年の中間点のサンチャーゴでも拓大のチリ支部の方がゴールで振ってくれました。

言い遅れましたが、私のナビを永く勤めてくれている羽村君も拓大卒なんです。

そんな訳で日本橋さんは我々チームのコーナーを店内に作ってくれました。

写真2は当時、拓殖大学がスポンサーさんだった時のポスターです。

写真3は額に入った写真で、旗を振っている写真とその下の写真が面白いですよ。後列の左がオーナーの中務先輩でその右が片山 右京君(当時はトヨタ車体さんのドライバー)でその右がナビの羽村君。前列は照と私と右側の方はとても有名な高木先輩です。彼は最初に移民に来て、「らぷた報知」新聞の現役の新聞記者です。こちらの日本語放送のアナウンサーを41年もやってたそうで、先月くらいに日本でも彼の事のテレビ報道があったそうです。

写真4はレンジャーのスケールモデルも飾ってくれてます。

この年にサンチャーゴで旗を振ってくれた先輩は日本料理「将軍」のオーナーで昔、三井物産におられて最初に軍隊に日野レンジャーを売った方で、作家の深田 祐介氏が書いた「革命商人」のモデルになった方です。本は上下で出ており、ブリヂストンのオフロードタイヤを売る話とか出てきて、車好きにお奨めの本です。

今年のゴールはバルパライソで近いので来て頂けるとの事でした。

お会いするのが今から楽しみです。良いクリスマスを。。。。。。

菅原 義正

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No.144「こちらで思うこと」- 菅原さんからの手紙 2013/12/20 18:09

letter_144_20131220_1809-01今日、こちらに長く住んでる方が「ケチャップ泥棒」にやられたようです。

この手口はパリなどでも昔からあり、ケチャップを間違えたふりをして相手のお洋服につけて、謝って拭いたりして注意をそらして、他の仲間が後ろから財布を取ったりします。
また、こちらの日本大使館から連絡が入り、国内各地で起きてる略奪は沈静化に向かっているが、フエイスブックには中華系スーパーに20日に略奪すると書き込みがあり、5000人が参加を表明しているそうです。

今夜は夕食に出ていないので、このホテルには夕食用のレストランがついてないので(ほとんどのホテルがそうです)13階の屋上にあるスカイバーに行ってサラダとビールでもと、上がって行ったら、店内はデイスコ状態で係りの人は入れないのでゴメンナサイと謝ってました。うるさいのは嫌いなのでエレベーターで部屋がある4階まで下りてきたのですが、まだ音楽がきこえてきます。表はと思い窓の外を見ると今頃は(23時)人通りが多いのに一人も歩いている人は見当たりません。

本題です。こちらに来て思ったのですが、バイクの置く場所を行政が作ってくれてそれから、駐車を規制すれば良いのに、東京では民間に委託して2組の緑の服を着た人が、即捕まえる方式を取ってます。先日、東京オリンピック招致委員会の都知事もこちらに来ているのに、何を見、何を聞き、何を感じたんでしょうかね?たぶん5000万円の事であたまが一杯だったのでしょうね。

写真1の場所は無料でした。

写真2と3、同じ事ですが、街のあちこちにゴミ箱が用意されております。写真2と3は5メートルと離れてませんし、写真3はアーケイドにも沢山ありました。

写真4ゴミ箱にはブエノスアイレスのマークが入っているので、市が後片付けをしてるのかゴミが一杯になってないのは、担当の人が何時も来てチェックしてます。

駐車場を用意しないで違反キップを切り、ゴミ箱を用意しないで、街を綺麗に、とは一緒の事で、考え方の違いを感じました。

略奪の無い日本も素晴らしいですが。

菅原 義正

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「もうすぐ、ダカール」- OV – 2013/12/17 (火)

本当に久しぶりにダカールに日本人ライダーが参加することになった。熊本の深草君だ。SSER的に言えば、九州4デイズのコースディレクターで、頼りになる男だ。HONDA熊本工場で、比較的要職にある深草君は、社内で多くの信頼を得ていると思う。DAKARを目指して数年間、さまざまな話を彼から聞いたし、何度も同じクルマでTBIや九州4デイズを走った。

彼の勝ちえた社内での信用というものは、やはり彼の持つ真摯さにあると言っていい。それに実はかなり多岐にわたって先進的な思考や、時には高度な分析眼を発揮している。

つまり、クルマで旅をしていると話が弾む。
実はダカールに必要なのは、ひとつには真摯さだ。そしてその対極にあるかに見えるが、確実に求められるのが鷹揚さだ。

しかし、それらに恵まれていたとして、それに裏打ちされた技術と体力だ。
近年のダカールをボクは知らない。知らないから、これ以上語ることはしないが、ラリーモンゴリアやかつてのアフリカ時代のパリ・ダカールを走る者たちのことを語ることは出来る。

モンゴルから3人のライダーが参加する。いずれも強い。そして速い。昨年は慣れない土地で、早々に躓いたが、今年は案外やるだろうと思っている。
実は彼らの存在が深草君にとっては、良きベンチマークになるだろうと思う。
というのも深草君は、モンゴルではいつも彼らの真ん中あたりを走ってるからだ。

モンゴルの3人のライダーと、深草君はみなSSER ORGANISATIONのロゴマークを胸に走るんだ。みんな活躍してほしいなあ。


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No.143 – 菅原さんからの手紙 2013/12/16 17:30

letter_143_20131216_1730_01今日、ホテルのロビーの蔵書の中にギネスワールドのスペイン語の本があったので、何気なく見ており、索引でDAKAR RALLYを引いてみたらビックリで私の名前が載っており、フロントの皆も寄ってきて大騒ぎになりました。

異国で見たのでびっくりです。

写真1は本の表紙です。
写真2はロッシーが写っており、その左側に私の紹介が載ってました。
写真3は私の連続20回連続完走と26年連続出場の事が書いてありました。

街の中心の日本料理店に行ったら現地で働いているアルゼンチンの人が2年前に来た事を覚えてくれて、頑張ってと言って頂きました。

有難い事です。

letter_143_20131216_1730_02

letter_143_20131216_1730_03

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.142「ブエノスアイレスに着きました 」- 菅原さんからの手紙 2013/12/13 14:40

letter_142_20131213_1440_01成田を19時10分に出て、夕食を食べて、寝て起きたらダラス空港でした。
まだ明るかったので、朝だと思いきや午後の4時です。3時間とちょっとのトランジットでまた、夕食を頂き、起きたらブエノスアイレスの朝9時です。

ダラスからの隣の席の人は太った20代の女性で、道中よろしくと握手を求めてきました。
とても陽気な人で、日本から乗った隣の人とは大違いで、旅を楽しんでました。
約22時間30分も飛行機に乗らないと着かないので、やはり遠いですね。

早速、1年ぶりにホテルの近くのフロリダ通り(銀座どおりみたいな繁華街)を歩いてみると閉店した店もあり、景気は良くないようでした。そうなると治安も悪くなり困ったもんですね。

写真1はお土産屋さんのショーウインドでアルゼンチンタンゴの物が多いですね。

写真2 は私と新しいレンジャーの様な気がして写しました。これだけのパートナーを上手にリード出来るか?頑張ります。

写真3は孫が喜びそうなTシャツを売ってましたよ。

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[footer-sugawara]

「忙中に見る夢」- OV – 2013/12/12 (木)

忙しい、忙しいで年が暮れようとしています。
そんな中でも、ふと出かけた山に、全く誰も通ったことがないであろう幾つかのトレイルを見つけました。
忘年会を12/29-30と2日間でやろうという事でカレンダーを見たら12/29なんて日曜日。
という事は多くは27か28で仕事納め。。。

じゃあ29日は朝から「まだ誰も走ったことがないだろう林道へのツーリング」を企画しました。先週は雪の中で、スタックしてクルマを置いて帰ったあの場所です。
SSERの事務所からひと山越えて、いつもの林道を2本、そしてほぼ通行不能な短い林道を1本やって、エイドステーション(おにぎりとあったかい汁物)あっ、これは希望ですが・・・そして最後に例の林道、途中からはシングルトラックに倒木がいくつかあります。そんなに長くは無いのですが・・・そして再びひと山越えてSSERの事務所そして近くの温泉、そんでもって忘年会1日目!ということでした。

来年はSSER30年。月日というのは、過ぎていくもので、人を待ってはくれません。
人生を振り返るよりも、来年1年をどう過ごすかに集中するボクは、やっぱり30周年記念の冒険の旅に出たいと思うことしきりであります。
その一歩が、忘年会ツーリングという事かもしれません。

さあ30周年!48時間耐久忘年会はコチラ [HP]


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「PRESANTATION SEOUL」- OV –  2013/12/04 (水)

ソウルで2年ぶりにPRESANTATION、松山空港からSEOUL便に乗った。
東京へ行くより安い航空運賃で、しかも早く異国のキャピタルに降り立つ感覚はとても新鮮。
なにかこうひとつの儀礼を省略したみたいな感じになった。

SEOULの会場はKTM-KOREA 広くて良く整えられた店内。Pitは地下。
良く準備されていて、参加者の方もみなさん熱心で目が輝いている。

興味はモンゴルに限らず、北海道4デイズやTBIにも。
聞けば「ソウル-札幌はとても安いので北4に出たい」とか。

そういえば過去には韓国からはTBIにも参加があり、あの関釜フェリーでは最近バイクも乗れるんだという事のようです。

そんなふうに
彼らの持つモーターサイクルへの熱情や
未知の大地への興味は私たちと同じです。

2013も韓国から9名もの参加者があったラリーモンゴリア。2014はそれを上回る参加者を予定しているそうです。2013年のランタンルージュ(最終完走者)のLeeさんは、「来年はAPIO JIMNYで出たいなあ。」と。小さいのにきびきびと走る姿に、ひときわ感銘を受けたそう。

さて、ラリーモンゴリア2014、20年目のこの大会には、どんなドラマが待っているのでしょう。楽しみですね。


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No.141「モーターショー」- 菅原さんからの手紙 2013/11/25 14:40

letter_141_20131125_1440_01第43回TOKYO MOTOR SHOW 2013が東京ビックサイトで始まりました。

私は取材があったので一般公開前のプレスディに行って来ました。

私の家から会場まで20分くらいで行けるので、千葉の幕張メッセでやっていた時より、すぐに行けるので助かります。

各社、コンセプトカーを出したり、とても積極的に感じました。

日野さんのブースはとても大きくて2011にダカールに出た実車も展示してくれておりました。

写真1は広すぎて全景が入らない日野さんのブースです。

写真2は来場者にドライバー席に乗ってもらう階段が用意されており、当日はテレビの取材が入ってました。

写真3はドライバー席に座るとなんと目の前のスクリーンにラリーレイドモンゴルの映像が現れ、さも自分が走っている感覚になります。

写真4は自分が入って顔をだしました。

写真5は今回、ラリーに行くスタッフの紹介と手前にあるこいのぼりは会場に来たひとにメッセージを書いてもらい、ゴール地点でレンジャーに飾ります。
今日(24日)は会場でトークショーがあるので、行って来ます。

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「SNSの付き合い方」- OV – 2013/11/20 (水)

「しかしSNSの時代なんだそうですな。(落語風に)」
「で、そのSNSってえのは、遭難した時かなんかに使うやつかい?」
「あっそれはSOS?!か・・てえとSNSってのはなんだい?」
そもそも日本人ちゅうのは、恥ずかしがり屋さんなのだ。
ボクの子供のころは、人の前で歌なんか歌うのは、恥ずかしくて恥ずかしくて音楽の時間に綺麗な?音楽の先生のピアノにあわせて!一人で歌うときなんかは、もう穴があったら・・な気分だったでしょ、あなたも。

それが昨今じゃマイクの取り合いで夜も更けていくし、お金まで払って歌を歌うっちゅうじゃないの。で、そのほかに子供のころみんなの苦手なものは何か?というと。思うに作文とマラソンでしたね。

そんなことは無かったかのように、みんなブログだあツイッターだあ、と日本語の作文技術の向上にいそしむ。いや、素晴らしいことです。

子供のころ作文の苦手で、いつもボクが代筆をしていた友人もいまではヘヴィブロガー・・・なぞはまだ続きます。マラソンの時間には必ず腹が痛かったり「先生、私、あの今日は走れないんです」なんて赤い顔して話していたあの彼女も、いまではみんな走っている。皇居の周りは、まーどーいうこと?歩道は歩く道と書いて歩道なのにです。「廊下は走らない!ぶつかるでしょ」といつも怒っていた小学校の時のボクの担任の先生もすっかりおばあちゃんになっていた。

で、思うに「走る」これに税金掛けたほうが良いのと違いますやろか。だってあんなに占有して30万人とか1日に???1日1000円かけても3億ですよ。

さらに登山!ボクが夢中になって登っていた頃(昭和40年代ね)なんて、誰を誘っても「山なんか行けるか!?」「・・・」だった。

「このままだと数年後には石鎚山に人はいなくなるよね」と山小屋のおやじと嘆きあった日もウソのように石鎚山頂も渋滞中!なのです。

こうした現象に加担しているのがSOSじゃなくてSNSではないかというのはぼくならずとも思うところ。そしてこれの最大の弊害は「焦りを生む」構造だという事ですな。

つまりあのお友達が多いほどでしょうが、みんな色々なことしているなあ、いろいろなところへ行っているなあ、それに比べてぼくなんて年に3回くらいモンゴルへ行くだけだのになあ・・・となっちゃう。

それはそうでしょう。何百人かいる友達たちのとっておきの経験を網羅されたら毎日みんなどこかで楽しい思いや旨いモノや、素敵な場所に行ったり新しいマシンを手に入れたり、そうしていることが凝縮されてくるわけですもの。

仕事と政治のことは悪口しか書かなくても、とにかく遊びと食べものと旅行に関しては、みんなすごい!ボクだけ何もしていないのではあるまいかという不安症候群に陥れられる、のではないかということ。これは近い将来には心疾患系のシンドローム化するのは必然。

でも明日SNSが滅んでも、ぼくは今日もFBになにかを書く。
そのココロはなんだろうねえ。

きょうの一枚

今日の一枚はモンゴルから。ここのところ勝ちまくってるBaja FJクルーザー。
速いし、とっても人間が良い。モンゴルではすっかりモータースポーツはスポーツとしての高い評価を受けるようになりました。素晴らしいことです。


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Organisation Voice – 2013/11/13 (水)

先日のこと、赤松カメラマンと二人でヘリで石鎚山系の稜線沿いの撮影を行った。
年間流すプロモーション映像なので、「紅葉はまずい」のだそう。
やっとめぐってきた最後のタイミングで飛んだ。

エアロスペシャル350Bの撮影用の架台にスチールとVをパラレルセット。なんとGPSは搭載していないので、急遽ガーミンに飛行ルートをプロットして上空に。
インカムの調子が良く、ぼくはナビシート(って言うのかなぁ)で、カメラのモニター画面とGPSと地図と、もちろん眼下に広がる山々のスガタカタチを眺めながら。インカムから流れる航空無線を聞きながら、あっちだこっちだと指示をしながら飛んでるうちに、かなりハイな状態になってきた。
もちろんドアは開けっぱなしで2000mの上空で、厳しい北風にあおられながらの素晴らしい旅、もとい撮影フライトでした。

結論
いやー素晴らしい。石鎚山系は、実に見事だ。こんなにこの山々が素晴らしかったとは。稜線の縦走路をトレースするように飛ぶのだが、北斜面の高度感たらそれはもう。
なんかヘリで日本中の山々を飛んだら面白いかなあ!!などと妄想したりする。

いまその編集作業中で、その興奮もまた蘇ってきたりします。

ものにはいろいろな角度で見なければならないというのを今回のフライトが教えてくれます。高空から見下ろせば、いわゆる俯瞰という事ですが「さまざまなことが良くわかる」と言いますが、それは間違いです。概観が分かるにすぎません。

グーグルアースを初めて見たときに、素晴らしいなあ、と感じたのは宇宙から石ころ1個まで自由にズームできるという機能でした。

いまGWの霧島4000に、上空から見ていますが、東京発表会の帰り道ではホテルから想定されたルートを走りながら、まるではじめて走る道のような感覚を覚えるわけです。皇居の佇まいを左手に見ながら北へ。胸踊る旅は、やはり地を這うような旅なのだという事も再認識したわけです。

仙波君が故戸井十月さんの本のことを書いたので少し。
戸井さんとは、銀座のバーで良くご一緒しました。
戸井さんはバイクの旅を「地を這うように走る」と表現していました。
1995年第1回ラリーレイドモンゴルには、NHK-BSの仕事を持ち込んで走ってディレクションして大活躍でした。

ボクも「地の果てるまで」いつまでも旅を続けることをお約束します。

先の発表会では30周年記念の旅のことを発表できませんでしたが、企画はどんどん温まってきていますのでお楽しみに。

きょうの一枚は
ヘリから。


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「東京の熱い夜」 – OV – 2013/11/12 (火)

週末はおなじみ、恵比寿Stylement「7」で、SSER PRESENTATION が行われました。
菅原さんの会社からも歩いて5~6分のところ。
もう何回、いや何年お借りしているのでしょう。そして圧巻はその夜の懇親会。

これまではすぐ前にあるチョモランマ酒場で行っていたのですが入りきらない!という不評をかこっていたので、今回はスタッフが努力!?して素晴らしいお店を見つけていただきました。

さて、本題。
感想。
発表席から見る来場者のみなさまの顔が、ここ数年で、いや顔ぶれは大きくは変化していないのですが・・いつもより視線が熱いのに少し驚き、さらに女性の増えたこと、なにかかなり久しぶりに、なにかこう強く感じるものがありました。

30年。20年。という節目だから頑張る!なんていう事ではないのですが、それでもやはりアニバーサリーは大切にしていきたいと心にそう思います。つまりですね、そのはじまったころの思いに立ち返るわけです。初志貫徹というか初心忘れるべからず、というところのお話です。


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「週末は、発表会場で」- OV 2013/11/05 (火)

気が付けば秋も深まりました。
SSERは年が明ければ30周年の年を迎えます。(これは後述しますが「数え年の概念」ですね、)
第一回大会は1985年でしたから、来年2014年大会は30回目というだけで実は29周年なのではないかと、少し考えることに。標記上 1985-2014 と書いて30Years Anniversaryとは、すこし違和感が残ります。

でも30回大会を30周年と考えるのは、そんなに問題でもないかなあ?なんて考えるのも最近はやりの「偽装」からかもしれません。
伊勢海老をExciteで英訳するとロブスターって出てきます。むかし海外で食べた伊勢海老もロブスターって黒板には書いてあったし。

話がそれました。
そういえば、21世紀も2000年からなのか2001年からなのか!?という議論がありましたね。

生まれた年が0と考える満年齢。生まれた年を1年目として数えるいわゆる「数え」ここにあまり知られてない事実が!!

数えの概念には「0」が存在しないのです。そして、2013年12月31日に生まれでも2012年1月1日には2歳と数えられる。のだそうであります。
古くからは日本はこの考え方が主流で、誕生日で年齢が増えずに1月1日で、ひとつ年を取ってたそうなのでありますな。

まあ、そんなこんなで数えのSSERは登録年齢もその年になる年齢が書かれていた時代は、数々のおしかりを頂きました。そこで年齢標記に意味はないのだろうという事で、年齢を発表することを控えています。

わけのわからないことを書きましたが、1985年からスタートしたSSERは30周年を迎えることにします。

きょうの一枚

奇しくも同い年のBMW R80 G/S Paris-Dakar・・・長いことSSERの守護神として?時代の変遷を眺めてきています。いつものあるべき場所に戻って来ました。


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No.140「来年こそは負けられません」- 菅原さんからの手紙 2013/10/28 12:00

letter_140_20131106_1330_01ダカールの方はレンジャーを積んだ船が4日程遅れているとか、新しく作ったサービス用の大型トラックがモンゴルからルマンの工場にバイラーさんが自走で走っているのですがポーランドの国境で苦労しているとか、毎日難しい情報が飛び交っている中、静かに来年のラリーレイドモンゴルの改造が進められております。

写真1は来年用に長男がデザインしてくれました。今まではベースがシルバーだったのですが今度は白になります。

写真2のラジエーターグリルは今はやりの大きな口にしてみました。

写真3はお約束のマッドガードを付けました。

写真4はナビ席に付けられたテラトリップ、このほかにGPSと別な距離計が取り付けられます。

写真5はフルカーボンのナビ席で、とても軽量なスパルコ製。

写真6はすべり止めを付けたペダル類。

新しい大型サービスカーは、現在3名の社員がルマンの工場に行き同行するハイラックス2台の整備とバイラーさんの到着を待って大型サービストラックの整備をする予定で帰国は11月末で12月中旬にはスタート地点のアルゼンチンに移動するので目が回る忙しさです。

私はと言うと忙しい隙間を見て、来年のTBIの車両を完成させたり、先送りをしないでやるのは「今でしょ」の精神を貫いております。

11月9日は恵比寿で皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

菅原 義正

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No.139「レンジャーの船出しが終わりました。」- 菅原さんからの手紙 2013/10/28 12:00

letter_139_20131028_1200_01次回のダカールに向けて2台のレンジャーがアルゼンチンに向かいました。

今回も色々な人たちに助けられて、車両が完成されたのです。

まずはムーンクラフト(由良 拓也さんの会社)さんの協力で初めて風洞実験をしてレンジャーのCD値を調べてもらい、空力を10%も改良されております。

また、写真1のように1号車にはバイクで有名な「ヨシムラ」さんの協力でエキパイの一部を製作してもいました。日野さんのヂーゼルエンジンに「ヨシムラ」の名前が入ったエキゾーストコネクターが付いているのです。このように垣根を越えてコラボをしてくれた日野自動車さんやヨシムラのエンジン屋さんに感謝しております。

今の若い人たちの柔軟な考え方が新しい世界を作っていくと思っており、とても嬉しい気分です。

以前から、お願いされていた、「モータースポーツジャパン」に2号車が皆様の前で走行する姿を見てもらいました。これはお台場で毎年、行われているイベントで2日間で10万人集まります。写真2

20日には日野さんのテストコースで2台揃っての走行テストです。左が私が運転している1号車で右が照仁が運転している2号車で、私のはエンジンが1000ccも大きくなり、600馬力も出ているので、加速が一段と速くなってます。写真3

写真4はオープンコンテナーに載せられた1号車で写真4のように梱包されて船に載せられます。

12月15日頃にアルゼンチンで再会するのがとても楽しみです。

菅原 義正

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「日は、また昇る。」- OV – 2013/10/23 (水)

HRCの先のモロッコの活躍や、YAMAHAのシリル・ヌブーじゃなかったシリス・デプレの獲得!で来年のダカールは見逃せません。

とはいえ王者KTMも、やすやすとその座を譲ることはないでしょう。
しかし、その情熱は維持でき続けてっるのか?は確かに問われます。

でも、あの時代に、本当に勝ちたくて勝ちたくてたまらなかったけど勝てなかったKTMも、いまではビジネスにおいても、砂漠の上においてもゆるぎない風格を醸し出しています。いわば、最小の投資で最大の結果を出しているとも見れます。

ビジネス用語でいうベストプラクティス!こそはこの20年のKTMの歩みそのものです。
とはいえ、厳しいこと言うようですが、王者の座は、安寧であろうはずはありません。
それは、勝つことへの情熱と、勝ち続けることへの情熱は似て異なるものだということです。追うものと追われるもののランチェスターの闘いが展開するのです。
そして、勝ち続けることなんて、ありえないんです。
でも、まだ今回くらいまでは勝てるでしょうか。。。それは勝つことへの習慣化といえばいいでしょう。

では、ひるがえってわが日本。負け癖が付いてしまって、ここまで負け続ければ、なにをやっても、リードしてても「でもやっぱり負けるのではないか?」という不安に襲われて、その思いは負けるための要素のささやかなほころびに含浸していっては、破たんを繰り広げていくはずです。

現に日本人、あのオリンピックの招致活動でも「たぶん負けるだろう」と少なくない人が思ったから、あのガッツポーズや涙や抱擁が生まれたのではありますまいか。
ボクは宝くじは買ってはいけない!と主張し続けます。
負け癖に塗れた人生を形成していきます。

夢を見る→かなわない→当るはずがないと納得する→でもまた買ってしまう。買うときは「買わないと当たらない」という。→また当らない。→当るはずがないと納得する。

これを繰り返していくと、当たることが奇跡で当らないことが日常になるわけです。つまり失敗が日常で、成功は奇跡つまりありえない。という日本人の「何をやってもダメ」だと思う、そういう精神をはぐくんできたわけです。
ゆとり教育を、なにかの言い訳にしてるよりも実はたちが悪いという事に気が付いてなくて、なんと当選金額ばかり上げていく。

「えっ、7億円」
買おうかなあ、今年くらい。

まったくもって話がそれてしまいましたが、
日本人、そろそろ勝ちに行く!に転じなければならないなあ、と思ってたらTOYOTAもWRC復活のニュース。あの屈辱のリストリクター事件も過去のお話。

で「日はまた昇る」という今日のタイトルは、深草君のダカールのライディングウエアのデザインテーマに定めたものです。

ダカールが南米に移ってから、はじめてのプライベーターとして挑むのですが、きっと、思うほどには上手く闘いは展開しないでしょう。きっと、大苦戦をするはずです。つまるところ、ワークスたちの活躍の陰で、陽の目も当らないでしょう。しかし、それこそが望むところです。きっと深草君も上位争いに加わってやろうなんて思ってはいません。(思ってたらごめんなさい。)
男子たるものの、心意気こそ日本再生の鍵であり道であろうと思います。

「紅葉の季節には。」- OV – 2013/10/18 (金)

10月も半ばを過ぎると、いつも思い出すのが「ガストンライエ・ミーティング」
1999年10月の末。ガストンは関西空港に降り立った、ぼくは予算がなかったのでエコノミーのチケットを取ってParisの旅行代理店からガストンのもとに届けさせておいた。

「ごめんなさいね、エコノミーで。。」
と空港から走り出したクルマの中でボクが詫びると。
「ゼンゼン。空港カウンターのスタッフが、あっガストン!日本へ行くんですか、じゃあ」
とビジネスにアップグレードしてくれたんだ。
「・・・」

楽しそうだ。
神戸で最新のBMWのGSを借りて、明石海峡大橋を渡る。
楽しそうだ。
いつも笑いながら話している。
これが神様だ。

新しいGSは1150だった。
それでも剣山スーパー林道では2つ目のコーナーで見えなくなってしまう。
そんな10月末は、数年間ガストンは来日を重ねた。
富士山や諏訪や、そしていつも白馬をゴールにしていた。

彼が最後に日本にやって来たのは2004年のTDN(TBIの変化形)そして陽気に手を振る彼と最後に分かれたのは、東京プリンスホテル。
菅原さんの奥さんの運転するクルマに乗り込んだ姿が、最後だった。

その秋のガストンライエミーティングは紅葉の京都を舞台としたのだが。チケットは送られたもののガストンはベッドから立てなかった。
それでも電話をかけてきてしきりに詫びる彼の声に、フランスに行かなきゃ、という衝動にありながら行きそびれた。

紅葉の季節は、そんなだからいつも悲しい。
でも来年春にはガストンと描いた、東京プリンス以降のルートを走る。

そうそう、ガストンと約束してたタマンラセットに置いてきたDC-3を今度一緒に取りに行かないか?という話は実現しなかったが「DC-3」という名前の事務所は開きました。あの美しいボディの飛行機をどうやって手に入れたか、どうやってサハラに置き去りにしてきたか、身振り手振りで語るガストンのことが今日はやけに身に染みる。

きょうの一枚

冒険、というキーワードを掲げた30Ans SSER。第一弾TBIは、あなたの想像をはるかに超えるダイナミズム。古き良き時代を懐かしがってるのではない。新しいモーターサイクルと人とのかかわりあい方を探検するという冒険をするのだ。

 

「紅葉の季節には。」- 2013/10/18 (金曜日)

10月も半ばを過ぎると、いつも思い出すのが「ガストンライエ・ミーティング」
1999年10月の末。ガストンは関西空港に降り立った、ぼくは予算がなかったのでエコノミーのチケットを取ってParisの旅行代理店からガストンのもとに届けさせておいた。

「ごめんなさいね、エコノミーで。。」
と空港から走り出したクルマの中でボクが詫びると。
「ゼンゼン。空港カウンターのスタッフが、あっガストン!日本へ行くんですか、じゃあ」
とビジネスにアップグレードしてくれたんだ。
「・・・」

楽しそうだ。
神戸で最新のBMWのGSを借りて、明石海峡大橋を渡る。
楽しそうだ。
いつも笑いながら話している。
これが神様だ。

新しいGSは1150だった。
それでも剣山スーパー林道では2つ目のコーナーで見えなくなってしまう。
そんな10月末は、数年間ガストンは来日を重ねた。
富士山や諏訪や、そしていつも白馬をゴールにしていた。

彼が最後に日本にやって来たのは2004年のTDN(TBIの変化形)そして陽気に手を振る彼と最後に分かれたのは、東京プリンスホテル。
菅原さんの奥さんの運転するクルマに乗り込んだ姿が、最後だった。

その秋のガストンライエミーティングは紅葉の京都を舞台としたのだが。チケットは送られたもののガストンはベッドから立てなかった。
それでも電話をかけてきてしきりに詫びる彼の声に、フランスに行かなきゃ、という衝動にありながら行きそびれた。

紅葉の季節は、そんなだからいつも悲しい。
でも来年春にはガストンと描いた、東京プリンス以降のルートを走る。

そうそう、ガストンと約束してたタマンラセットに置いてきたDC-3を今度一緒に取りに行かないか?という話は実現しなかったが「DC-3」という名前の事務所は開きました。あの美しいボディの飛行機をどうやって手に入れたか、どうやってサハラに置き去りにしてきたか、身振り手振りで語るガストンのことが今日はやけに身に染みる。

きょうの一枚

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「あのTDNから10年。日本のエネルギー政策を問うた2004年」 – 2013/10/08 (火)

写真1

写真2

写真3

もう10年の歳月を失った。それは長崎ハウステンボスをスタートした、「Tour de Nipponは2004」この大会はなにかに衝かれたような渾身のルート制作。秋も深まった頃に北海道を駆け抜け遭難寸前。トムラウシの山中で日没直前ヒグマの赤ちゃんに遭遇して、思わず駆け下りようとする人あり、下北半島では日没後にたずねて行った鄙びた温泉宿で言葉が通じなかったり。でもお風呂が素晴らしかったのに大感激!さらに岩手の山の中では雪に閉じ込められるなど「春を待ってたらまに合わない!」と。。この年で3年計画のTDNも総集編。

それから約半年ののち初夏を思わせる太陽の下。
ハウステンボスに空港から船で(アクセスできるんですね)やって来たガストン・ライエたちの楽しそうな姿。なにか口ずさみながら(彼らの癖ですが)やって来ました。そのご機嫌なこと。

オランダを模したというよりも、そのもののハウステンボスの町並みにガストンは驚き、そして歓び(最後の日本の旅を)心から楽しんでいるようでした。

ラリーは翌日スタート、まず長崎市の平和公園にひとつめのCPを置きました。次に目指したのは島原にある雲仙普賢岳。ここでは参加者たちに「普賢」という一つのキーワードを提示します。
雲仙普賢岳は、1991年神の怒りのような大噴火で大勢の犠牲者を出した山です。
そして岡山人形峠を越えて、若狭湾沿岸の原発銀座へ。
そして北海道でもオホーツク海道沿いの巨大風力発電風車群の中を北上し、宗谷岬へ。本州に帰ると東通村や六ヶ所村、福島の原発群を(わざわざ)見物しながら、光の海の東京にゴールする!というものでした。勝負の行方も非常に面白くて最終のSSが行われた福島までほんの3秒差程度で岩崎と、スペインバハの125ccクラスのチャンピオンのミハエルとのデッドヒート!を岩崎有男が制してこのTDNの有終の美を飾りました。

閉会式で「今大会は実は日本の原子力政策の現場を訪ね歩いて、日本のエネルギーを考えるというサブテーマがあったんです。」と話すと会場は「おーーっ」と。
あれから10年。また壮大な旅がしたくなりました。

きょうの一枚

懐かしい!2004年TDN、車検会場はハウステンボス(写真1)
そして長崎のリエゾンは道の真ん中に並木があるのです。菅原さんも10年前だから62歳!ワカッ!そして後方はゼッケン4、ガストン・ライエ(KTM)(写真2)
そしてガストンがご機嫌で走る日本のリエゾン。心から楽しんでいました。もう没後10年なのか。。。

No.138「新しいエンジンが載りました」- 菅原さんからの手紙 2013/10/07 12:00

letter_138_20131007_1200_01私が今度乗る1号車は9月の末に焼津の工場から日野自動車本社の試作部の工場に移動しました。

この1号車には色々と新しい試みがされており、一番はエンジンでA09と呼ばれており、レースには初めて採用されます。馬力はまだ内緒で10月13日と14日にお台場で行われる「モータースポーツジャパン2013」で発表されます。

写真1は新しくフロントミッドに乗せられたA09のエンジンの前側です。

センターデフも装備されており、常時4駆で普段はフロント30%、リアー70%の駆動がかかっており、砂丘などでは50%、50%に固定も出来ます。更に4輪デフロックにもなり、鬼に金棒ですね。

写真2は後ろから見た荷台で軽量化の為に床がありません。ラリー中は急いで動き回るので、気を付けないと踏み外してしまいます。右の白いタンクは冷却水の補充用の水タンク。右上にあるのはインタークーラー。黒くて丸いのは巨大なエアークリーナで外側と内側とに2つ入っております。

写真3はエアータンクの上に固定されたスコップで、タンクをとめるベルトを利用して固定金具が付いており、ここまで考えられるのは何台もラリー車を作ってないと、このアイデアは出てきません。

写真4は特殊な積載車に後ろ向きに載せられた1号車です。

尚、10月14日の11時30分から12時30分まで上記のイベント会場で日野さんの社長も来られて次回ダカールの出場発表会があります。日野さんのホームページも10月1日から新しくなりましたので見て下さい。

菅原 義正

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「さて、2014年。鬼が笑う思いを巡らせて。」- OV – 2013/10/03 (木)

早いもので、10月。
山々は少しずつ色づき始めました。
季節は、そうはいっても確実に巡っています。
あの真っ赤なナナカマドの紅葉の石鎚北壁とかに思いは募るのであります。

というのも来週は空撮。ヘリで石鎚山系をカメラマンの赤松氏と空から縦走します。
どんな映像が収められるか?タノシミ。
そして地上からも縦走路の撮影がはじまっています。
昨日は「いい天気だから」と出かけた赤松氏。夜は飲みに行く約束だったのに帰ってこれず稜線近くでビバークしたらしいのです。電話がかかってきて「近くの水場はどこ?」なんて、まあ携帯がつながるというのも現代の山なのですね。
「どこそこにあるよ」
と教えたときには、もう真っ暗でしたから、大丈夫かなあ。
そして昨日の夕方には帰っていましたから、まあ一安心。

実はこの仕事、紅葉が始まる前を撮らないといけないので、とにかく大急ぎなのです。

そして翌々週のSSER3DAYSが終われば、まあ言うところのボクのストーブリーグがはじまります。事務所のダルマストーブを抱えて、薪をくべながら2014のあれこれに思いを巡らせるのです。でも考えてみれば11月初旬には発表会!となると写真集も大急ぎ。もちろん詳細な計画も並行して進めなければなりません。漠然としたルートのイメージを、現有戦力で実現可能な高みに持っていかなければなりません。

そんなお話はこれから少しずつ。

きょうの一枚
まだ色づく前のもみじ。紅葉という木は。樹形も葉っぱの形もなにもかもが美しく素晴らしいなあ、しみじみ。

「雨の日は、雨に濡れて。」

「雨の日は、雨に濡れて。」

さてSSER3DAYS 30Years Anniversary-1Year 2013
つまり、来年30周年なわけですが、今年29年目の大会。
そう言えばいいのに「なにが30-1」じゃい!?とボクだってそう思うんですから、
さぞかし皆さんも。
ということで30年の歴史を振り返るとしましょう。

事の発端は、もちろん30有余年前。
寝ても覚めてもバイクのことばかりの日々。
晴れた日には山へ、雨の日も山へ、雪の日だって台風の時でも、山へ行っていたわけです。ですから近隣の林道やらけもの道やらは、まあ知り尽くしてた時代です。もちろんさまざまな通信手段やネットなどのある時代ではないのですが、
林道で知り合った友人らが日増しに増えて行った頃でもありました。

そしてスタートしたSSER、大勢の参加者に恵まれ急速に発展していきました。そして20数年を経て、参加者数は次第に減少をはじめ大会ごとに過去最低を繰り返していました。
もちろんその間にSSER実行委員会は、SSER ORGANISATIONと名称も少し変わりラリーレイドの傾斜していきました。

この本家たるSSER 2DAYSは唯一コースマークを使う大会として、SSER ORGANISATIONの各イベントの中では少々異質になって来ても居ました。
もちろん議論もありました。ラリーとエンデューロの差異についてとか?向かうべき方向性の問題とか?

しかし回答なんてありません。
で、ボクの回答は表題の通り
「雨の日には雨に濡れて」
というわけです。

参加者のニースに応える?のが良いのでしょうが、ボクタチは自分たちの主張をなかなか変えることができないほどの不器用さなので、それを「変わるべきものと変わらざるべきもの」と。 そして収支に左右されず「良い時も悪い時も」終始一貫した「不偏」の態度を、と決め込んでいるのです。

さあ30年まであと1年。それでも目指すのは160km×3つまり100マイル×3=300マイルのハードディスタンス。多分雨も降るでしょう。
だから「雨の日は雨に濡れて」です。
とはいえレインウエアはお忘れなく。
思い気っきりハードでタフな、そんな大会。。です。

さて、一方でRally Mongolia2014
1995年にはじまったこのラリー、年数だけで数えれば20年目のイベントとなります。つまりSSER ORGANISATIONの10周年ではじまったのがモンゴルだった、ちゅうわけです。

思えばこの20年間はボクにとって人生の中で最も悩み苦しんだ日々だったと言えます。でもそのぶん喜びも大きく、振り返るほどに濃厚な歳月でした。

こちらも振り返れば、1995年第1回大会。まだモンゴルが民主化間もないころ。
渋滞なんて考えられない時代。クルマが珍しくボクタチが乗るTOYOTA LC70はどこへ行っても人だかりができるほど。。。
その1年目はまず東へ向かいました。東と言えばロシアと中国が国境を交えるあたり、旧満州も近くもちろんノモンハンもすぐ近くです。

ある町はずれには戦闘機の残骸が山積みされたミグの墓場があり、横を通りながらみんなでコックピットに収まり記念撮影をしたものです。

南に下れば草原の中にロシアの軍需工場が、まるでスターリングラードの撮影現場かな?と思わせるように廃墟として佇み、しばらくその前に立てば身動きも出来ないほどの圧迫感に恐怖を感じたものです。周辺は地雷原。あわてて引き返すとなんと、地雷の上にボクタチのクルマのトレースが・・・とにもかくにも20世紀の遺産をいっぱい見せられたエリアでした。

いまはその方面にもウランバートルからの舗装路も伸び、間もなく北京とも繋がるでしょう。アジアは内陸に向かって資源を求め流通を模索し、巨大な生物の循環系のように血管を伸ばし続けています。

そして2014年、新しい選択肢は実は過去の経験の中に存在していました。これまで「西へ」伸ばしてきたラリーと言う名の探検行は、再び「東へ」または「南へ」というエリアに臨んで行こうと模索を始めました。

30年目のSSER、20年目のRally Mongolia、また地上には未知なる道が長く伸びています。


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No.137 「尾上さんとの勝負に今年は負けました。」- 菅原さんからの手紙

準備の段階はお互いに秘密裏にやっており、私はインタークーラーの効率を良くする為にフロント部分に移動したり、インタークーラーにミストを掛けて冷やすことを考えたり、いざとなったら酸素ボンベを積んでエアークリーナーから酸素を入れたり、色々とテストを繰り返したのですが、それぞれ効果はあったのですが、段々とお金を掛けた車が勝つことになり、最初の趣旨から逸脱してきたので、インタークーラーの移動だけで松山の車検場に車両を持ち込んだら、なんと敵は新車を投入してきました。

私のは2007年式なので7年目の挑戦の車と新車では速さ(特に立ち上がり)で負けてしまいました。

車両の速さだけではなく石原さんのナビ力とさらに尾上さんの運転の上手い事とあのしつこさに負けました。

尾上さんとの勝負はSSでの勝負なので今年は8ステージあり3勝5敗でした。

最終日の148.22KMのSSでは我々に勝機があったのですが、生かすことが出来ずに1分13秒の負けで勝負が付いた事になりました。

考えてみると今年のダカールで私はクラス4位になったのですが2週間戦って54秒差で3位を逃してしまいました。

悔しいのでAPIOさんに新車を一台注文しましたよ。

菅原 義正

写真の説明1は何百キロを走っても付いてくる尾上車
写真の説明2は今年初めて130KM/Hを記録 写真は赤松さん

 


著者紹介 菅原義正氏

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「ワガコト化」- 2013/09/10 (火) – OV

「ワガコト化」- 2013/09/10 (火)

英語で「ありがとう」と言うと時々「マイプレジャー」と答えが返ってくることがあります。先のブエノスアイレスでの中継放送の中でも、一瞬聞こえてきました。
ボクもラリー中に心がけて、英語圏の人からの謝辞には「イッマイプレジャー」と答えるようにしています。
これってかなり日本的な発想がもたらす言葉だと思うわけです。
つまり「とてもありがとう」にたいして
「喜んでいただけるのが私の喜びでもあります。」と言う意味ですから。

そしていま、少しずつですがワガコト化計画を進行しています。
その方の悩み、自分ならどう解決するだろうか?まあそういうことです。
ワガコトの反意語はヒトゴトです。多くのことがヒトゴトの時代に、少なくとも自分の周辺で起きるいくつものことをワガコトトシテ考え行動しようという運動です。

ヒトノイタミヲワガイタミトシテ・・・いうのは簡単ですが実にこれが難しいわけです。昨日は「惻隠の情」について書きましたが、今日はさらにそれを一歩突き進めた思いです。
惻隠の情には若干とも差別意識が潜んでいます。素晴らしい思想のようでもありその実は被支配者と支配者的な微妙なにおいをまといます。

ワガコト化とは、お城を抜け出した王子様が乞食の少年とそっくり立場を入れ替える、というのではありません。立場は立場としてわきまえ、そのおきてる事象や問題、いま目の前にある仕事などなどを自分のこととして向かい合う姿勢のことです。

それが出来ていないのが、まあ政治家です。本当にフクシマをワガコトとしていますか?自身の母親が避難所暮らしをしていて、帰る場所を失っているとしたら・・・

言うは易しで、こんなことを言ってしまいましたが、いま目の前にある仕事の発注者が自分だった場合を考えて、取り組まなければ。。。そうすると赤字になりはするのですが。

 

きょうの一枚

沙漠に咲く花。明後日からはまたモンゴル。コースマーク付け!帰ってきてもSSER3DAYSのコースマーク付け。おそらくモンゴルのコースマークのほうが圧倒的に多いのですが・・・


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「惻隠の情と、東京五輪決定万歳について」- 2013/09/09(月)-OV

「惻隠の情と、東京五輪決定万歳について」-  2013/09/09 (月)

テレビを見てた。東京五輪の招致決定の報に日本中が湧いていた。
本当におめでとう。心からそう思う。

そして今朝は、浜口京子さんが親子で出演していた。この彼女の優しさは、自分の父親に向けるまなざしでも証明される。インタビュアーは「レスリングが五輪競技に残ったのをどう思うか」そんな内容だった。そして「それはとてもうれしいけど、落選した二つの競技のことを考えると素直に喜べない。どうしてすべての競技が五輪で行われないのでしょうか。」と言う発言(だったと思う)。五輪招致とは若干ニュアンスの違う「競技の選択」どのような理論が働くのだろうか?この惻隠の情のようなものがスポーツマンシップだと思った。

東京エリアに野球場ならいくらでもあるし、おそらくだがスカッシュをする場所などいくらでもあるだろう。と考えると物理的な問題ではあるまい。巨大商業サーカスとなった五輪(決して、悪い意味でも皮肉でもなく、むしろ畏怖の意念を持ってそう言ってる。)原則は、いまはどうなってるんだろう。

招致活動も2020が東京で、2024がイスタンブールで、
2028がマドリッドではいけないのだろうか?
たぶん理由は見事にたくさんあるのだろう。
招致活動そのものも大きなショウビジネスになってはいまいか。

TOKYO、
確かに、7年後に向けたアベノミクス第4の矢にはなるだろうと思う。あのコンストラクタブルと悪評の高い、ザハ・ハディの近未来建築も日本の企業ならものにするだろう。日本は古き良きものへのノスタルジーへの傾斜をやや緩め、近未来的または未来的なものにパラダイムの緩やかな変化を遂げるかもしれない。

あの熱狂は、これまでの日本人の日本人的なところのやはりだが・・・変革を示した。
浜口京子の言う「選ばれなかったところに申し訳なくて」ただ素直に喜べない、
というのが正しい。いや喜んでいいのだけど。

むかしラグビーの試合に駆り出されたボクは一人白いスパイクを履いていてひんしゅくを買った。そんないやなやつが・・・パスをインターセプトしてタッチダウンもとい、
トライを挙げた。
ガッツポーズをして、怒られた。
ラグビーは紳士のスポーツだから点をとっても喜んではいかんのだと。
ふーん。
と思った。

惻隠の情をもって、喜ぶべし。

その精神は、在りや否や。


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「29年目のSSER」- 2013/09/04(水) – OV

「29年目のSSER」- 2013/09/04 (水)

あの時も、林道には栗のイガがあちこちに落ちていて、取る人も居ない野生の栗の実の多さに驚いたのは久万高原。それに彼岸花の赤と金色に色づいた稲に、錦絵のようだなあ、と感動したのもあの時の久万高原。

もちろん携帯電話もなければコンビニもない。道すがら畑仕事のおばさんにトマトを分けて頂いたり、房代野(スイマセン、超ローカルで)の湧水に癒され。日が暮れかけると、高原に響く有線放送から流れる、「遠きぃ、山に日は落ちて~」なんていう曲だ?あの「新世界より」の日本版の唱歌。あれが、いかん。
あれがさみしさを誘うんだ。

山の斜面に張り付いた民家からは、夕餉の支度の煙がたなびき、日本の原風景はやはり「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の 音など、はたいふべきにあらず。」
と、不完全な記憶の(↑は検索したからね。)枕草子をそらんじてみたりしながら、「明日も来なきゃ」とバイクを走らせたものだ。

その時はボクもまだ29歳だったので、今年29年目と聞くとそれまでの29年と、それからの29年の分水嶺のようなものがSSERのはじまりだったんだと妙にしんみり。

あのころは、トライアルにはまっていたというのにある雑誌の表紙を飾ったISDEの写真・・・ちょうど二人のライダーがカウンターを当てながら古いヨーロッパの、石造りの町並みを駆け抜ける・・・に心を奪われて、そしてさらには始まってそれほど間のないパリダカや、BAJAや、世界のいろいろな土地で開かれるそれぞれ個性的なアドベンチャーなレースに心を奪われていて。。。

SSERは、来年30年。大きな区切りかなあ、とも思うし。複雑な胸の内を抱えて、さあ東京へ行かなくちゃ。そんで帰ったらすぐモンゴルへ再び。
でも、あの企画書も、その見積もりも、山積みの仕事が野ざらしに。怒られるだろうなあ、きっと。

The29th SSER 3DAYS CLASSICS エントリー受付スタートしました [終了しました]

 


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「いまだからこそ考える、競技規則の安全対策」- 2013/09/02(月)-OV

「いまだからこそ考える、競技規則の安全対策」- 2013/09/02 (月)-OV

モータースポーツの光と影は、言うまでもなく栄光と敗北ではなく、
栄光と少なくない事故だろうとおもう。

競技規則や車両規則の多くはいくつもの事故を検証しては突き詰められた
安全への切なる願いと言っていい。だからそれを軽んじる参加者は、
モータースポーツの真のメッセージが理解できていない。
つまり、その大会の競技参加者といえないのだが、
不備の多い人に限っては「自分は大丈夫だ。」と言う。
そんな者でもモータースポーツの光の部分を語ることは出来る。

30年にわたりオーガナイズをしていると、多くの事故現場を目の当たりにする。
それはお互いにとって不幸なことではあるが、
自分には「それは、避けられなかったのか?」という悔しい思いに、
実は相当な時間いや年月を費やしてしまう。
苛まれるというのとは違うが、忘れられないのだ。

SSERではネックブレスの装着やヘルメットリムーバーの装着をかなりの範囲で
義務付けている。ヘルメットも、厳しい検査の基準を設けている。
それらはしばしば、トラブルの原因にさえなっていて悲しい。

ネックブレスで守られた頸椎は、ほかの部分にダメージを与える。たとえば脳だ。
本当ならネックブレスとマウスピースがセットであることが望ましいが、
おそらくマウスピースを咥えて走れというと猛反発だろうか。
またネックブレスは、一方で多くの部位を傷つけながら頸椎を守っていることも解った。
ネックブレスに適応したブレストガードが必要だと思う。

安全対策は、どのように進めても足るを知らない。
素敵な思い出を持って、月曜日に職場に復帰するためには、なによりも一番に考えてほしいことだ。それは競技には限らない。

 


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No.136 「1号車」- 菅原さんからの手紙 2013/08/28 14:35

ラリーレイドモンゴルも無事に終わり(山田さんを始め、お世話をしてくれたオフィシャルの皆様に感謝です)、留守中に進行している日野レンジャー1号車の様子を見に行って来ました。

2014年のダカールに私が乗る1号車ですが、写真1のような状態でフレームにキャブがやっと載った状態です。ラリー前にウランバートルの郊外で日野さんの技術陣と2号車のテスト走行に同行し、私も乗せてもらいましたが、今年、私がダカールで乗った車両がベースとなっているのですがエンジンは更にチューニングされて、とんでもなく速い車になってました。結果は自動車部門の総合3位でした。

次回に私が乗る1号車は更にエンジンの馬力が上がるので、これは大変と運転姿勢を今までと大きく違うポジションにする為にシートポジションとハンドルポジションを変更して来ました。

写真2はショッアブソーバーのブラケットの下塗りの最中です。

写真3は初めて採用する後ろが下がったフレームです。本来は上が水平で使うのですが床面を下げるのに反対に使ってみました。

写真4は照仁がモンゴルでドライブした2号車です。屋根のバイザーを付けただけで 空気抵抗が10パーセントも向上しました。 ある時はRCPに1番で着き、1番でスタートで、後ろはあの有名なボルトバートル選手でした。 1号車は10月12日にテストをする事が決まっているので、これからが大変です。 次回、バイクで出る深草君も予定通りに準備が進んでいるようですよ。 楽しみですね。

菅原 義正

写真5のpdfファイル


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No.135「新しいサポートカミオン」– 菅原さんからの手紙 2013/07/31 20:28

letter_135_20130731_2028_01次のダカール用に新しいサポートカミオンの製作をしております。

今までのは6X6と言って6輪駆動車でしたが、今回、新造しているのは6X4と言って6輪の後ろ4輪だけが駆動する車両で、ベースは日野さんが中東向けに輸出している左ハンドル車です。荷台はラリーのサポートを前提にすべてが新規に設計し製作しているので大変です。

写真1で分かるように荷台の前には競技車両のスペアーバンバーが固定されて、屋根に上がるハシゴはワンタッチで棒上になり、施錠もされるので簡単に誰もが屋根に上れない工夫がされてます。タイヤも競技車と共用出来るようにホイールも特別に作ってもらいました。

写真2は夜の作業灯の点灯テスト中で100Vの強力なLEDが両側に4ケづつ付きます。

写真3は両側に付けられた階段ですが、これもワンタッチで荷台下に潜り込みます。今までアルミ製のハシゴでしたが、物を持って乗り降りするのでステップがあるこの方が安全ですね。

写真4は天井に取り付けられたウインチで使うときにはレールで車外に出てきて、物を吊り上げて、室内に運び入れる構造になっており、300KGまで吊り上げ可能です。そばには24V用と100V用のLEDの室内灯が見えます。

写真5は積み込まれた競技車のスペアーのトランスファーとミッションと連絡用のバイクです。

今までのサポートカミオンはアフリカの砂漠地帯も走るのでロールバーや競技用シートや4点式シートベルトなどが必要でしたが南米に移ってからは一般道を走るのでそれらのものは付けなくても良くなりました。

今、製作しているのは焼津にある坪井特殊車体と言って、災害救助用のトラックなど本当に特殊な車ばかり作っている会社で、競技用のレンジャーのボディも毎年お願いしております。

こちらの会社とは45年も前からのお付き合いがあり、私がミニクーパーでレースをしていた時に4トンのアルミバンを改造してもらい発電機やエンジンを降ろすときのクレーンなど付けたレース車を運ぶ専用のトラックを作ってもらいました。当時はワークスでさえ幌付のトラックでサーキットに競技車を運んでいたので日本初の競技車専用の運送トラックを作ってもらって、今もお世話になっております。

この会社の会長は「技術的に困ったら植物を良く観察するとヒントがある」と言ってます。何万年も生きてきた植物の枝の生え方にもヒントがあるようです(強風が吹いてもしなやかに逃がす)。また、今の若い人は、会社を訪ねて来るときに、交差点を曲がる度にに携帯で電話がかかってくると嘆いてました。

我々も気を付けましょうね。

菅原 義正

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「徳は孤ならず。必ず隣あり。」- 2013/07/30 (火曜日)

愛媛県は偉大な建築家を排出する土地柄です。
代表作の一つ日土小学校(愛媛県八幡浜市)は、熱心な建築家らの熱誠な努力で、取り壊しから一転修復保存され国の重要文化財に指定されるという快挙を為しました。建築家は松村正恒(1913-1993)愛媛県大洲市出身 八幡浜市役所勤務時代に多くの小中学校を手がけました。

初期のTBIでは、必ずのようにこの小学校の前を通ることにしていました。25年ほど前なのですが。。。

その松村の遺した書にあったのが論語の「徳は孤ならず・・・」小さな半紙に、ふっと書かれたその墨跡にボクは心をとらえられました。
やはり偉業を為す人のものだなあ、と。

徳を積むということは、容易ではありません。
むしろ不徳のこころのほうが自由で闊達なのかと思う事さえあります。

しかし人生。
この言葉の通りだと感じるのは、
「六十にして耳したがう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」
の、耳したがう、歳になってきているからなのでしょうか?

つまり60になって初めて人の意見を聞くようになった。と孔子先生は述懐してるのであり、深読み癖のあるボクは60代になってもなお人の意見が聞けない自分を嘆いているのではないか?と思うわけですが、それはさておき。

やはり友を得るには、徳を積まなければならないでしょう。しかし友を得るために積む徳などというのもまた存在はしません。目的と結果はこの場合は結ばれません。
孤を良しとして自らを見つめてこそ、多くの隣があるべきです。

松村は、孤独な製図板に向かって完成した建物で子供たちの弾む声を夢見て、つまりその思いが結実して、そこに子供たちの歓声が実現したのみです。
それが徳を積むという事で、名声を得るだとか、評価を得たいとかという思いでは実現しない高みに登ってこそ、この論語を記したのかと心を打たれました。

子曰、徳不孤、必有鄰。

子曰わく、徳は孤(こ)ならず。必らず隣あり。

Confucius said, “A person of virtue is not isolated. He must have some companions.”

孔子先生はおっしゃいました。
「徳の備わっている人間は孤立する事は無い。必ず仲間がいるものだ。」

来年のTBIでは必ずこの前を通りますから、ちょっと眺めながらでいいので走りすぎてください。そんな素敵な建築物が沢山の四国を巡る旅にしようと思います。
ルートブックには誰それの設計した〇〇銀行〇〇年、とかって書いておきますね。
近代モダニズム建築を巡る旅というのをサブテーマとしておきます。

 


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「ひさびさの、雨のSSER復活!でした。」- 2013/07/29 (月曜日)

なんということでしょう。雨のSSERが戻って来ました。

といっても、実はこれSSERのもう一つの顔であるNPO-SSERの主催するイベント「第3回久万高原ヒルクライム2013」のことです。

土曜日は久万町商店街にある古い酒蔵に、冷酒とビアサーバーを設置してお寿司屋郷土料理が並べられて、表のステージではコンサートとトークショウ。

ステージ越しの背景は古い久万高原町の町並みが山裾に沿って美しく広がっています。西日が当たって、それは美しい数時間。明日はヒルクライムの本番なのに呑む食う!な選手たち。さすがに料理のメニューから「あぶらもの」は外しておきましたが。

そして標高1000mの宿では夜半から雷鳴がとどろき豪雨が!!「これは・・・」ところがボクは、コンナコトモアロウカト今回初めてレースキャンセレーション・ポリシーというのを定めて発表してありました。
こんな内容です。

Race Cancellation Policy
KUMAKOGEN・HILLCLIMB RACE2013 ORGANIZING Committiee

レーススタートの要件

気温気候が安定していてルート上がオフィシャルの手でクリアされていること。また道路分岐、一般民家とルートが交わる地点に役員または警備員によって封鎖の確認が出来ていること。

計時システムが正確に作動することが確認されていること。

スタート時刻の3分前までにスタートしようとする有資格参加者がスターティングゲートより後方位置に待機が完了していること。

レース中止またはスタート遅延、距離の短縮などの条件

大雨洪水警報が発令された場合

警報が発令されていなくとも、局地的な豪雨や雷が確認され大会競技委員長がスタートの中止または遅延またはコースの短縮を大会組織委員会に諮り裁定を得た場合。

スタート地点の気温が34℃を越え湿度が80%を超えた場合その両方またはいずれかの場合は、スタート地点に散水車が到着して冷却用の水を噴霧するなど対策が施されるまでの数分間の遅延。

中間点の気温が30度を超えるまたは湿度が80%を超えた場合その両方またはいずれかの場合は、中間点に散水車が到着して冷却用の水を噴霧するなど対策が講じられるまでの数分間の遅延。

急激な豪雨で、スタート地点までの移動に危険が伴うなどの路面状態。道路上を雨水が流れている場合など、収まるまでの間の遅延、または中止。

ゴール付近に濃霧が発生し、視界が10m以下となった場合はゴール地点の計測線を必要に応じて下げるまでの間の遅延。

ゴール付近が風雨等でゴール選手の下山待機までの間に体温を失うなどの危険が予測できた場合、その時点で中間点でレースは打ち切り山頂からの下山を開始する。中止の裁定までにゴールした選手はリザルトが発せられる。

下山時に豪雨等で路面状況が激変、または濃霧の発生などによる視界不良の場合、下山速度を10㎞/h以下にし競技役員車両の誘導で下山をする。

コース上で多重クラッシュが起き後続競技者の走行が不可能または大きな危険が予見できる場合。

緊急車両が進行する必要が生じ、後続競技者が緊急車両の通行を妨げた場合。

以上の場合は、役員が口頭でその旨を参加者に伝え、30分後に大会本部前の公式掲示板に文書で発表する。これらの裁定に関して抗議は排除する。

というものです。
ところが、あにはからんや愛媛県中予地方に大雨洪水警報が発令されたんです。この指針に従ってレースの中止を発表しようとしたのですが、どうも警報は松山市だけでここは注意報だけだというのです。

そう言えば雨は驚くほどではなく風も大して吹いていません(これは個人的な感想です)
ボクは開会式直前にゴールの山頂まで様子を見に行くことにしました。ゴール付近は視界が極端に悪く南風が吹いていましたから低気圧の中心が北西を東に移動している感じがありました。
「あと1時間ほどだなあ」
そう感じたのですが。

ゴールではゲートも立てられないほどの風が吹き。計測システムのアンテナなどもしっかり固定してはいるのですが。。。ここは標高1500m、気温は18度。。

「果たしてGO!サインを出して良いのか?」
判断は素早いほど、対応も素早くできます。

そうして、さまざまな判断を組み合わせ、スケジュールを30分遅らせ(閉会式は予定通り)レースをスタートさせることとしました。

判断を積み重ね、何とか無事に大会を終えることができたのは、やはり30年に及ぶSSERのキャリアと優秀なオフィシャルスタッフの支えの結果だということです。こうした自然の中でするスポーツは、主催するものに思いがけない負担と判断を強いることが少なくありません。その多くはいずれかにリスクを発生させるものですから。

終わってみればチームUKYOのキャプテン狩野智也選手がコースレコードを3分以上短縮し、つまり2位の選手にも3分以上の差をつけるダントツの強さを見せつけることとなりました。

さあ、次はラリーモンゴリアです。

 


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「命もいらず、名もいらず」 – 2013/07/24 (水曜日)

なかなか、上手く生きるのが難しい昨今。
先の選挙を見てても、このところの世相を見てても、人々がさまざまな主張をし調整がつかず、思いの丈をぶっつけあう。
どうして、もっと人の思いを理解しようとしないのか。
自分ばかりが少しでも話したいとする政治家らが出演するテレビの討論番組からは醜さが耐えられない。つまりこれが彼らだ。

最近のヘイトスピーカー?たちの台頭も、これまた凄まじい。人は自由であるべきだとは思うが、あまりにも他者を平然と罵ったり、悪意に満ちた言葉を積み重ねるのは人間としていかがか。ののしってる相手と同じかそれ以下に落ちているという事に気が付かないのだろうか。つまるところ、これも日本人だ。

先月、飛行機に乗るのに数冊の文庫本を買おーうって、思って書店へ立ち寄って。
山本兼一の「命もいらず、名もいらず」を買った。
ご存じのとおり山岡鉄舟の人生を書いたものだ。

読了のあと、本当にすがすがしい気分で「とても良い本を読んだ。」と満ち足りた。受賞作だった氏の「利休にたずねよ」も、誠に素晴らしかった。
人間の正しい生き方がこうした、作家の手によって明確に発せられているというのに。
たしかに西郷隆盛「命もいらず、名もいらないという人は始末に困ったもんでごわす。」と。

いまの人たちは、始末がしやすい人たちではなかろうかと思う。

きょうの一枚

モンゴルは不思議だ。乾燥が進んでいても草原は豊かで、砂漠もあるが雨も降り砂丘の中を川が流れたり湖が出来たりする。
こんなフィールドで、もう20年近くラリーをしていることに喜びを感じなくて。
ほかに何があるのかいっちゅうオハナシ。

No.134「新しいバイク」– 菅原さんからの手紙 2013/07/23 14:14

letter_134_20130723_1414_01先日行われた北海道4DAYS用に新しいバイクを作ってみました。

乗るのは一向に上達しないのですが、バイクをラリー用に仕上げるのはとても楽しく勉強になりますね。

写真1.ベースはKTM250EXC-F 6DAYSを使い、燃料タンクは11Lに変更、SSERのレギュレーションは厳しくてパンク道具など持ち物がとても多くなるので前回はディバックを背負って走ったのですが、色々と考えて、ストーンガード前にアルミで工具箱を自作しました。

ヘッドランプの光が切れるのでダウンフェンダーに改造し、リアーのテールまではフレームが来てないので、工夫をしてタンクバックを取り付け。もちろん世界の野口シートさんに黄色と黒で作ってもらいました。

写真2.ヘッドランプは大型を使い55WのHIDを採用し、霧対策で黄色のフイルムを張りました。(道東は霧が多いので) ご存知でしたか? 私が最初にフランスに行った時(30年以上前)のヘッドライトは全車黄色に決められていたんですよ。今年のルマン24時間も雨が降ったので黄色のランプが多かったですね。サイドにはHIDのランプが控えてます。

写真3.左側のNシステムさんの距離計には助けられました。モード切替にUターンのスイッチがあり、ミスコースをしたら戻る時に減算をしてくれるので、何回も助けられました。小数点以下2桁まで表示させてるのでピタピタ合うのですが、考え事をしているとついつい曲がる地点を行き過ぎてしまいます。

それにしても今年の4DAYSは天気に無恵まれ、春木コースデレクターの愛を感じる素晴らしいコースでした。 楽しい仲間に囲まれ素晴らしい大会でしたね。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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「社説」- 2013/07/19 (金曜日)

とある人に
「FBはともかく、OVはSSERの社説のようなものだからもっと書け」
といわれて
「なるほど、そうだ。」
と急に、こちらもやはりこれまでのように、気持ちを書き続けよう、と思う。

「社説」
とは少々大げさだが、新聞各紙のように立ち位置をある程度鮮明にするという態度が必要だろうという事だろうか。

それはたとえば「ラリー」と「エンデューロ」という、似て非なるものの両立か融合か、あるいは完全な離反か?という事かもしれないと思う。

いやそうでもなかろう。とも思う。
そんな基準のようなものから自由な位置にいればこそ、開放的に夢を見ることができ、多くの手続きを踏まずにすばやく変革なり挑戦なりが実現する。
それがSSERの態度だと思う。

奇しくもERとはEnduro+Rallyの頭文字を取った。
もう30年前のネーミングだ。

当時オートバイでラリーという言葉は存在しなかった。パリダカもはじまってまだ数年目で、ラリーという名称をどうするか?
FIAも喧々諤々だったように思う。毎年のように新しい定義の言葉が生まれSSもスペシャルステージと呼ぶなとか?じゃあなんていうのか?と聞けば
「セレクティブ・セクター」
と呼ぶと、丁寧に分厚いブルテンに書かれている。
ステージやレグというネーミングも、ラリー用語なので使うな。ということになりステージはEtapと呼び、最終的にSSはただスペシャルとのみ呼ぶのだということになった。

このあたりから、気持ち悪さが付きまとった。
もうこれらのスポーツを司る者たちには、そのスポーツを愛するという心よりも、違うもののために動いてるようにしか感じなくなった。

そのように我々が試みるスポーツは、若い。モータースポーツの歴史そのものも、そうは言うほど古くはない。まあ、多くのスポーツだって、数百年の歴史!なんてのもないのだ。

そんな浅い歴史の中で、さまざまな試みが繰り返され、時にはメーカーの販売戦略に翻弄されたり利用されたり、FIAなどの組織は、人々の声を聴かなくてもだれにも管理されることなく短い春を謳歌するかのような存在に変わった。

なぜだろうか?やはりモータースポーツは、あらゆるスポーツの中でも一二を争うほどのリスクのあるものだからか?いな、あらゆるスポーツの中で、巨大産業である自動車メーカーの動向を反映するからだろうか?
いや、それらとは根本に違うなにかを隠し持ってるように感じる。

ロス五輪の前と後では、五輪の招致が変わった。
ロスまではオリンピックの開催には多額の費用が掛かり、収益も見込めないとあまり歓迎されなくなっていた。

それを変えたのはピート・ローズだ。
完全に商業主義で固めた。
儲けるのだ。儲けることこそ正義だ。と。

それ以来オリンピックはエンターテイメントになった。
華々しい開幕のセレモニーに使う金額はいったいなんだろうか?なぜ多くの選手が違法な薬物使用をしてまで勝たなければならなくなったのか?
間違いなくそう遠くなく、この巨大商業サーカスも終焉の時を迎えるだろうが、なにか人類の足跡に寄り添ってるようにも見える。

エンデューロとかラリーなどのような、まるで辺境のスポーツは、いまのままでいいのだろうと思う。自己完結をし、禅問答のように佇み、勝ちと負けの意味を問い、考え、そしてまた月曜日には仕事場に戻る。
うん、これがいいんんだ。


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「美しき北の日々」- 2013/07/17 (水曜日)

まさか、あれほど晴れるとは思いませんでした。
今朝は左腕の日焼けが痛いほどです。
本当に夢のような4日間でした。
春木さんに、閉会式のあと
「主催者冥利に尽きるね」
と、話しました。
それは、参加者の皆さんの、言葉の一つ一つへのボクタチなりの感想でした。

ラリーという競技は、とても不思議で、
「旅だけではさみしいからだ」
と、いつも思います。
春木さんのFBにコメントで
「道がまっすぐで、さみしい。」
山頭火の詩ですが、
書いたことがあります。
たぶん北海道4デイズのコマ地図のコマが少ない
というようなことからだったろうと思うのですが。

2人でリエゾン中に、まるで大喜利のように
「〇〇が〇〇で、さみしい。」
を繰り返していました。

つまるところ、それはラリーのことです。
道がまっすぐで、さみしいからラリーをしてるわけです。

それはまた人生のことのようでもあります。
上手く行くってことは、上手く行かなくなることの前兆なわけで、
まっすぐな道もいつかは曲がり角や分岐点がやって来るのだという事です。

山頭火の言う、まっすぐな道の真意はわかりませんが、きっと大酒を飲んで家に帰る途中で、どこかでもっと飲もうと思いながらも、寄る店または飲ませてくれる知人がいないのでさみしい。というようなことを直接詠んだものと思われますが(イヤコレハワタクシノ勝手なカイシャクデスガ)後世のわれわれは深読みに深読みを重ねて、心の目を開くことを忘れて「人生のことだ」と、分かったような顔をして、話しているだけなのです。

まあ、こんな感想を書こうと思ったわけではないのですが、本当に美しくて素敵な4日間でした。閉会式では皆さんの声を、本当に天の声と聞き、胸にしっかり受け止めて明日からの原動力にしていこう、とそう思いました。

幾重にも御礼を申し上げます。

 


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No.133「モンゴルに向けての続き」– 菅原さんからの手紙 2013/07/10 17:24

letter_133_20130710_1724_01先日、由良卓也君(ムーンクラフト)の風洞をお借りして、風洞実験をしてきました。

模型は10分の1で作り、荷台の中の空気の流れも分かるように透明のアクリルで造られております。写真1を参照。

写真2は前から煙を流して検証中。模型は少しだけ空中に浮いてるのですが、路面は時速120KM/Hを想定して動いておりました。我々が想像していた空気の流れが逆だったり、フロントにスポイラーを付けると流れが全然変わるなどとても有意義な実験でした。

写真3はテーパーロングのリアーの板バネをテストします。今までの板バネの約半分の重量で2枚しかありません。

写真4は久し振りに使うミイシュランのXZLです。走行抵抗が多そうなので使ってなかったのですが今度はエンジンパワーも上がっているのでコーナーリングやブレーキ性能がより良いこのタイヤをテストするようです。

写真5は20日の船出しに向けてゼッケンを張られた2号車です。

菅原 義正

letter_133_20130710_1724_02

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著者紹介 菅原義正氏

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サイレンサー公認リスト

サイレンサーの公認申請が受理されたものは以下の通りである。 環境への配慮は、騒音の抑制から!長距離のライディングでは、音量の小さなサイレンサーほど疲れません! 音量管理は社会人としてのモラルです。

(最終更新日: 6月 11, 2022 @ 3:20 PM ) 赤文字が最新更新分

No. 製品名 製造者 公認番号
1 アルミステンサイレンサー
ローノイズタイプ XR250R / XR250BAJA (’95~)
OZ works SSER-970702
2 アルミステンサイレンサー
ローノイズタイプ XR250R / XLR250BAJA (’87~’94)
OZ Works SSER-970801
3 アルミステンサイレンサー ローノイズタイプ XR600R (’90~) OZ works SSER-970802
4 アルミステンサイレンサー ローノイズタイプ XR400R (’96~) OZ works SSER-970803
5 アルミステンサイレンサー ローノイズタイプ(A) (B) DR350 (’91~) OZ works SSER-970804
6 R.S.V. SILENCER SERIES Ⅱ RMX250S (’96, ’97) (株)ラフアンド ロードスポーツ SSER-980401
7 アルミステンサイレンサー ローノイズタイプ
SEROW225W/WE/ブロンコ
OZ works SSER-980402
8 アルミステンサイレンサー ローノイズタイプ KLX250R/SR/ES OZ works SSER-980403
9 WR400Fサイレンサー/サイレントタイプ プロ・スキル・ パーツ SSER-980901
10 CRM250AR OB-Jサイレンサー プロ・スキル・ パーツ SSER-990201
11 WR400F TOM’S PRODUCT MUFFLERS (有)TOM’S SSER-990721
12 GIIシリーズサイレンサー TT250R/TT250Raid (’93~) OZ works SSER-000313
13 GIIシリーズサイレンサー DR250R/DJEBEL250XC (’95~) OZ works SSER-000314
14 DR-Z400S FOUR RACHING SILENCER Ver2
サイレントタイプ
プロ・スキル・ パーツ SSER-001213-2
15 RMX250S (’96~) ストリートサイレンサー
OB-J RMX250S (’96~)
プロ・スキル・パーツ SSER-001225
16 XR-400 サイレンサー XR400 四国モーター プランニング SSER-01220
17 TTR125 (’00~) バッフル TTR125 (’00~) OZ works SSER-010227
18 RSV SⅡサイレンサー KDX250R(’91~’94) (株)ラフアンド ロードスポーツ SSER-010412
19 OB-M1 サイレンサー RMX250S (’96~) プロ スキル パーツ SSER-010423-1
20 OB-M2 サイレンサー RMX250S (’96~) プロ スキル パーツ SSER-010423-2
21 RMX250 サイレンサー RMX250 四国モーター プランニング SSER-011019
22 RSV サイレンサー シリーズⅡ KDX220SR (’94~’99) (株)ラフアンド ロードスポーツ SSER-011029
23 GS Racing ラリーサイレンサー F650GS Dakar オフロードショップ
よしともくんち
SSER-011030
24 GⅡシリーズ アルミステンサイレンサー(GL)(GM)(GF)
XR650R(’00~)
OZ works SSER-020205
25 GⅡシリーズ アルミステンサイレンサー
(GL)(GM)(GF) BMW F650GS / GS-DAKAR (’00~)
OZ works SSER-020416
26 CRM250R OB-Jサイレンサー(’94~’96) CRM250R (’94~’96) プロ スキル パーツ SSER-020716
27 GⅠシリーズアルミステンサイレンサー
(ローノイズタイプ) KLX250シリーズ(’01~),D-トラッカー
OZ works SSER-021011
28 BMW F650GS アトモスクエークマフラー BMW F650GS 動研 SSER-030207
29 BMW F650GS/GD カーボン/チタンマフラー
SF-41-T/SF-41-C BMW F650GS/GD
ササキスポーツクラブ SSER-030303
30 TOM’S PRODUCT MUFFLERS
YAMAHA WR250F~’03 / YAMAHA WR400~450F ~’03
(有)TOM’S SSER-030616
31 GⅡシリーズ アルミステンサイレンサー(GL)(GM)(GF)
SUZUKI DR-Z400S (’00~)
OZ works SSER-030827
32 BMW R1100GS用
スリップオン・チタン・ダウンマフラー
SR-41-B BMW R1100GS
ササキスポーツクラブ SSER-040708
33 プロト スーパーサウンドタイプA
スリップオンセンター出し PSS317ASX YAMAHA トリッカー
(株)プロト SSER-040714
34 プロト スーパーサウンドライト
タイプA-38A DR250R 95-99 S/O STD #PSS461AS
(株)プロト SSER-041004
35 ランツァ/DT230 OB-Jサイレンサー ランツァ/DT230 プロ スキル パーツ SSER-041005
36 TDR250 OB-M1 サイレンサー TDR250 プロ スキル パーツ SSER-050413
37 FMFチタニウム4 XR650R 00-05 マルカワ レーシング SSER-050415
38 FMF POWER CORE 4Q WR250 00-05 マルカワ レーシング SSER-051006
39 デルタ バレル4 サイレンサー/モデル300 DR250R (株)ダートフリーク SSER-061018
40 XR250 スリップONサイレンサーXR250 四国モータープランニング SSER-061019
41 デルタバレル4-SサイレンサーSEROW250/ TRICKER (株)ダートフリーク SSER-061118-1
42 デルタバレル4-Sサイレンサー
KLX250(’01~’06)/ D-TRACKER(’01~’06)
(株)ダートフリーク SSER-061118-2
43 デルタバレル4-Sサイレンサー XR250(’95~’06) (株)ダートフリーク SSER-061118-3
44 デルタバレル4-Sサイレンサー XR230(’05~’06) (株)ダートフリーク SSER-061118-4
45 デルタバレル4-Sサイレンサー XR100MOTARD (株)ダートフリーク SSER-061118-5
46 デルタバレル4-Sサイレンサー XR50MOTARD (株)ダートフリーク SSER-061118-6
47 SR-1241/SR-1241F チタンマフラー BMW R1200GS / R1200GS-A 製造:(有)アールズ・ギア
(販売:ササキスポーツクラブ)
SSER-070227
48 HITMANマフラー RCK-HDG15J-TY1 YAMAHA WR250R(07) WR250X(07) 株式会社アールシー甲子園 SSER-080709
49 BMW HP2Enduro チタンフルエキオーバルマフラー(SHP-001) 有限会社 ササキスポーツクラブ SSER-100315
50 デルタバレル4-Sサイレンサー KLX250(’08~) (株)ダートフリーク SSER-100406-1
51 デルタバレル4-Sサイレンサー WR250R/X(’07~) (株)ダートフリーク SSER-100406-2
52 デルタバレル4-Sサイレンサー XR230(’08~) (株)ダートフリーク SSER-100406-3
53 デルタバレル4-Sサイレンサー KLX125(’09~) (株)ダートフリーク SSER-100406-4
54 Akrapovic チタンフルエキゾーストシステム HP仕様 BMW HP2 株式会社ダッツ SSER-100513
55 BMW Motorrad Sport silencer
R1200GS,GS Adventure,HP2 Enduro (all SOHC Model)
Akrapovic (販売:BMW) SSER-110214-1
56 BMW Motorrad Sport silencer
R1200GS,GS Adventure (DOHC Model)
Akrapovic (販売:BMW) SSER-110214-2
57 BMW Motorrad Sport silencer
F650GS,F800GS
Akrapovic (販売:BMW) SSER-110214-3
58 Slip-On RS-4J サイクロン カーボンエンド EXPORT SPEC CRF250L NEW 株式会社 ヨシムラジャパン SSER-130321
59 Slip-On RS-4Jサイクロン カーボンエンド EXPORT SPEC WR250R/X 株式会社 ヨシムラジャパン SSER-130415
60 スリップオンチタンオーバルマフラー SF-42(-C) BMW F650/800GS 有限会社 ササキスポーツクラブ SSER-130527
61 HP AKRAPOVIC スポーツマフラー R1200GS Akrapovic
(販売:BMW Motorrad)
SSER-130621
62 Akrapovic Slip-On Silencer (Ref: 27005979000)
Husqvarna 701 ENDURO
Akrapovic
(販売:Husqvarna)
SSER-160708
63 パワーボックス・マフラー
YAHAMA SEROW250(JBK-DG17J)
(有)スペシャルパーツ忠男 SSER-170209
64 CRF250 RALLY / OUTEXマフラー (フルエキ)
OUTEX.R-SST-D-400-C-O2-DB
株式会社アウテックス  SSER-180112
65 DELTA バレル4s サイレンサー DL30-7111
HONDA CRF250L/M ’12-16 (MD38)

株式会社ダートフリーク 

 SSER-180215-1
66 DELTA バレル4s サイレンサー DL30-7112
HONDA CRF250L/M/RALLY ’17-  (MD44)
株式会社ダートフリーク   SSER-180215-2
67 DELTA バレル4s サイレンサー DL30-7207
YAMAHA SEROW250/XT250X ’08-17  (DG17J)

株式会社ダートフリーク

 SSER-180215-3
68

ラリートレックマフラー (フルエキ)
HONDA CRF250L/RALLY ‘17- (MD44)

有限会社アンレーベル

SSER-180219 
69 パワーボックス・パイプ + マフラー (フルエキ)
YAHAMA SEROW250(JBK-DG17J)

(有)スペシャルパーツ忠男

SSER-190116
No.70 CRM250R(‘88~’96) OB-J サイレンサー
HONDA CRM250R(‘88~’96) (MD24)

プロ・スキル・パーツ

SSER-190408
No.71 AKRAPOVIC HP Sport Silencer
BMW R1250GS/GS-A

Akrapovic (販売:BMW Motorrad)

SSER-190625
No.72 パワーボックス・マフラー
YAHAMA SEROW250 (2BK-DG31J)
(有)スペシャルパーツ忠男 SSER-200424
No.73 パワーボックス・パイプ + マフラー (フルエキ)
YAHAMA SEROW250 (2BK-DG31J)
(有)スペシャルパーツ忠男 SSER-200427
No.74 リアルスペックマフラーBMW R1250GS/GS-ADV (2019~) (2BL-R12MA) 株式会社 アールズ・ギア SSER-201218
No.75 R.S.V.4stシリーズIIIサイレンサー UPタイプ RSV1201J (JMCA)
YAMAHA SEROW 225/W(セル付)
株式会社ラフアンドロードスポーツ SSER-210302
No.76 R.S.V.4stシリーズIIIサイレンサー UPタイプ RSV1213J (JMCA)
YAMAHA SEROW 250
株式会社ラフアンドロードスポーツ SSER-210303
No.77 R.S.V.4stシリーズIIIサイレンサー UPタイプ RSV1102J (JMCA)
HONDA S-XR250~’99/’03~,BAJA~’99 (MD30)
株式会社ラフアンドロードスポーツ SSER-210729
No.78 パワートレック マフラー スリップオン 政府認証
YAHAMA SEROW 250 (JBK-DG17J,2BK-DG31J)
有限会社 ビームス SSER-220417
No.79 サブチャンバー付きフルチタンフロントパイプ
+パワートレックマフラー スリップオン 政府認証
YAHAMA SEROW 250 (JBK-DG17J,2BK-DG31J)
有限会社 ビームス SSER-220418
No.80 パワーボックス・マフラー(CR2-PB-23)
HONDA CRF250L 2021~ (2BK-MD47)
(有)スペシャルパーツ忠男 SSER-220610
No.81 パワーボックス・パイプ + マフラー(フルエキ)
(CR2-PB-22 + CR2-PB-23)
HONDA CRF250L 2021~ (2BK-MD47)
(有)スペシャルパーツ忠男 SSER-220611

上記のサイレンサーの製造者指定車種への使用は認められる。但し、経年変化等により提出データと差異が生じている場合には欠格処分となることがあるため、純正のサイレンサーも用意しておくことを勧める。 ※公認サイレンサーの使用を認めておりますが、周辺環境への配慮を更に徹底して行っていくため車検時での排気騒音のチェックを厳しく行います。
※各メーカーがメーカーオプションとして販売しているものであっても上記の登録のないものは、現状では許可されない。

 

「北海道とヒルクライムとモンゴルと」- 2013/07/05 (金曜日)

この1か月余りのおおよそのマイプロデュース。

北海道は早くも7回大会。思い出深い芦別の地を離れられません。
ガストン・ライエのことや斎木校長の姿は、時間が経とうとも変わりありません。
ひょっこりと現れそうで仕方ありません。

北海道4デイズを書き終えて印刷をしています。このOVを書いてる後ろでは、印刷機がウンウンと音を立て、少しだけカラーになったコマ地図が、きっと皆さんを驚かせることでしょう。これもSSER直営のワークショップDC-3の実力です!!そして今年は知床まで行きます。ルートブックには「ヒグマの気配濃厚」とか「オホーツク!」さらには「北方領土!」とか記載されていて、
いやがうえにも気分は盛り上がります。

この、最果ての地に来てもなお、日本の国土と人々の暮らしぶりの美しさには、心が満ちてきます。多くの国で見るように最果ての地の不毛感というか荒れ果てた感じがなく、丁寧に暮らす日本人の姿があります。それでも少子高齢化なのか、地域経済の疲弊なのか、そうはいっても打ち果てた荒廃したところも少しずつ増えてきているように思います。

どこに居ても流れるニュースは、多くは東京発です。これだけ違うところで同じ番組を見てることにも不思議さを感じたりします。ニュースでは人々の不満に訴えかける、党首らがかまびすしい。品性の価値観が変わってきたのかなあ。。。

人は足るを知れば、心が満たされると言います。
不自由を常と思えば、いまの暮らしの足りようは、ちと度が過ぎてるかもしれません。エネルギー問題などもその一つです。無かったんですよ、電気なんて。

国会議事堂が建設されたのが明治23年1890年のこと。世の中には自動車が生まれ始めようとしてる頃です。議事堂には電気が引かれ、そしてたちまち翌年1月には漏電で全焼したと言います。

そうなれば国民からは「あれはやっぱり危ない、恐ろしい」と「電気不要論」が起こるのは当然のことです。目に見えないものを制御しようとするのは、やはり人間のあすまじき行為である!というわけです。

まあ原発問題は触れませんが、電気料金の値上げが凄いことになっていますね。
ですから、物価上昇が加速する。これならデフレ目標も達成可能だし、なんかまんまと嵌められているような気がしませんか?

原発問題おいても、だれも責任を取りません。それ以外の大概の国の問題の責任も取らないのはいかがかと思います。
責任を取るという姿勢で腹を切ってきた日本の武士たちの末裔の国ではもうないのでしょうか。

写真はモンゴル。ETAP1のゴールから歩いて行ける距離にありますが、かなり北のほうが素晴らしいのですが、少し南寄りで砂を渡ります。川と絨毯の緑が織りなす光景に幸せを感じます。


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No.132「モンゴルに向けて」– 菅原さんからの手紙 2013/07/03 13:38

letter_132_20130703_1338_01以前、会社にあった2号車のキャブ(運転席)は日野さんの関連会社でフレームに載せられ、エンジンもチューニングされて載せられて、焼津にあるボディ屋さんでリアーボディを手直しされて、弊社に運ばれてきました。

弊社ではモンゴルに送り出す前の最終整備を行っております。 写真1を見てもらうと分かりますがドライバーの位置が隣の軽トラと比較するととても高いのが良く分かります。普通の自動車のドライバー席は大体ホイルベースの真ん中にあるのですが、トラックは前輪の前側にあるのが良く分かりますね。ラリーレイドモンゴルではテストとして走るのでHINOさんのマークだけなのですっきりしてます。

写真2は後ろから荷台の中を写しました。右上にあるのは巨大なインタークーラーで左上にはエンジンオイルのオイルクーラーです。他にはミッション、トランスファー、ステアリング、燃料にもクーラーが付いてます。後ろには昨年から使っているアルミのホイールが写ってますが、今後タイヤが組み込まれて2本積まれます。

写真3の真ん中にある青いシリンダーはストロークセンサーでラリー中の動き量を計り記録します。

写真4はリアーのスタビライザーを室内からON、OFFする装置です。

写真5はモンゴルから応援に駆け付けてくれたバイラーさんが社内にある1号車のキャブを改造してくれてます。 7月13日に日野さんのテストコースで走行してからモンゴルまで運ばれます。お楽しみに….

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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No.131「日野オートプラザの最終回」– 菅原さんからの手紙 2013/06/18 13:38

letter_131_20130618_1338_01館内の壁一面に今年の1号車の写真が飾られています。らせん状の展示場を見て行くとありました。 ダカール・ラリーのコーナーで1997年に勝ち取ったトラック部門総合1・2・3位と10,000ccの1・2・3位のトロフィーと写真が飾られてました。 販売コーナーでは、トラックのミニーカーやパリダカのグッツもありましたよ。 他には1917年に作られた日本初の量産トラックが復元されていたり、1938年に日野自動車の前身である東京瓦斯電気工業が作った有名な飛行機(名前は航研機)が5分の一の模型で天井から吊るされてます。 この飛行機は無給油で11.651kmも飛び、当時の世界記録を達成、日本で初めての引き込み足を採用して空気抵抗を少なくしたようです。 今ではハイブリット車が沢山出回ってますが、実は1991年に世界初のハイブリットエンジンを日野さんが開発しており、そのエンジンも展示してありました。 この手紙では紹介しきれないので、ぜひ行ってみて下さい。

日野オートプラザ

192-0916 東京都八王子市みなみ野5-28-5 日野自動車21世紀センター内 開館時間 10:00-16:00(入館は15:00まで) 月曜-金曜日・第2.4土曜日

休館日  日曜・第1.3土曜日 (年末年始、5月、夏期連休)

入場料  無料 団体は予約が必要

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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No.130「日野オートプラザの続きの1」– 菅原さんからの手紙 2013/06/17 13:30

letter_130_20130617_1330_01写真1はコンマースと言う車です。一見、ロシアンデリカに良く似ていますね。当時としては最新の技術と考え方が注入された1台です。

日野さんの乗用車は全部リアーエンジン、リアードライブなのになぜかこの車はフロントエンジン、フロントドライブでした。

1960年に製造されたのですが、時代が早すぎたのが、あまり売れなかったようです。

エンジンは水冷の4気筒で836cc、重量は1トン、今の軽自動車のワンボックスと同じ重量ですね。

写真2はコンテッサ900スプリント、この車は当時とても有名なイタリアのカーデザイナーのミケロッティ氏がデザインして製作されました。

東京モーターショーや世界各国のモーターショーに展示され、世界中から注目された車です。私も東京モーターショーに見に行きました。

エンジンはコンテッサ900と同じエンジンで893cc、車両重量650kg、2名乗車で最高速は140km/hだそうです。市販はされませんでしたが、今見ても古さを感じません。もちろんリアーエンジン・リアードライブです。

写真3は1961年に販売された軽3輪車ハンビーです。こんなのも日野さんで売ってましたよ。

写真4は私の机の前に飾ってある写真です。

つづく

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No.129「日野オートプラザ」– 菅原さんからの手紙 2013/06/06 13:30

letter_129_20130606_1330_01ご存知でしたか? 日野さんにも立派な自動車博物館があるんですよ。最近リニューアルされたので行って来ました。

内容が濃いので何回かに分けてご紹介します。

場所はJR横浜線の八王子みなみ野駅の近くで、出来た当時は周りが空き地だったのですが、その空き地は立派な住宅街になっており、博物館と研修センターが一つの建物に入ってます。

写真1はエントランスの場所でうっすらと奥に写真2のように表に2011年私が運転したレンジャーとボンネットトラックと昔の消防のハシゴ車が展示してあります。

写真3の指示通りに行くと博物館の入り口で、入場料は無料ですよ。

私が最初にご紹介したいのは写真の4です。

日野さんは1953年にフランスのルノー公団と技術提携してルノー4CVを作り、1957年には完全に国産化したのです。私は16歳。

当時はいすずさんがイギリスのヒルマン、日産さんはイギリスのオースチンと技術提携をしてました。

リアーエンジン、リアードライブで水冷の4気筒で748ccです。トランクはフロントボンネットの中でその中にスペアータイヤが入ってます。東京ではタクシーとして使われており、初乗りが70円か80円だったと思います。

大学生の頃、父が朱色のルノーを買ってくれ、小樽で登録して東京で乗っていたので、ナンバープレートが札(札幌の陸事)で始まっており、東京では良くお巡りさんに職務質問されました。

写真5はルノーを使ってエスビー食品が面白い企画をしてました。この格好の車を何十台か作り、1年間はこの格好のまま使ってもらいその後、格安でその人に買ってもらうという企画で、私の友人のお姉さんが抽選で当たり、乗せてもらった事があります。

当時の車はとても高く、今とは全然違いますね。

続く 

菅原 義正

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No.128「分かりづらい道路標識」– 菅原さんからの手紙 2013/05/27 18:07

letter_128_20130527_1130_0124日に所用があって兵庫県の三木市まで行って来ました。

朝自宅を6時過ぎに出て、御殿場の工場で荷物を降し、三木市へ行き、2時間位で用が終わり帰路につき、夜の9時に御殿場の家に着きました。運転していたのは12時間位で約1000KM走りました。

御殿場から新東名にのったのですが、その時見た道路標識には驚きました。(写真は撮ってません)

今、一番新しい道路なのに標識はとても分かりづらい物でした。

写真1も、すごいですね。

写真2も一枚の標識で色々と書いてるからおかしくなります。この場合は左に名古屋、静岡と書き、分岐の手前で名古屋と静岡に振り分けるべきです。

写真3はどうしてこうなるのか理解が出来ません。この場合はY字を書き、左が名古屋で右が大阪、伊勢と書かなければいけませんよね。

写真4は分かりやすい標識だと思います。

10年以上も前の事になりますが、一の関に住んでる親戚の人が標識が分かりづらいので東京には行きたくないと言ってましたので、東京都にお話しして青梅街道の標識の文字を30センチ角から45センチ角にしてもらった事があります。

以前、日本で作っているキャンピングカーを使っており、色々と使いづらいところがあるので、メーカーに電話して聞いたら設計者はその車を使って一回もキャンプをした事が無いと話してました。

標識をデザインする人が居て、それを作る人がいて、それを設置する人がいて、その結果を聞く立場の人が居るのに、そのままスルーする日本の構造に問題がありそうですね。

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No.127「TBIから帰ったら大忙し」– 菅原さんからの手紙 2013/05/09 18:07

私はのんびりとTBIを楽しんでいる間、会社はカレンダー通りに動いていて帰ったletter_127_20130509_1807_01ら、キャブが2台になってオーバーホールの真っ最中でした。

会社の中に入っているのは次回私が乗る1号車で入りきらずに外で作業中のは照仁が乗る2号車です。

ややこしいのは今年乗った1号車が2号車になり、2号車が1号車になります。計器類の位置や数など違うので、配線も変えるので手間がかかります。

どうしてこんな事になるのかは、順次皆様にお伝えしますね。

別な場所ではフレームや荷台の整備が進んでおり、さらに今年はサービスの大型トラックを新造する予定で作業が組まれています。

次回の大会は二輪だけ、ボリビアに行き有名なウユニ湖でキャンプになるそうです。

エントリーの開始は5月11日から始まります。

写真説明
会社の前の全景です。
照、自身が配線をしております。
新入社員もお手伝いです。

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著者紹介 菅原義正氏

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