No.0105 Organisation Voice – 2000/05/24

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レイドの歴史をさかのぼる

1907年6月10日フランスの日刊紙「ル・マタン」主催の北京-パリがスタート。これは翌年のニューヨーク-パリの予行演習として開催されたもので、おのおの自由なコースをたどり、最も早くパリに到着した者が勝利者となる。参加は5組、イタリアのボルゲーゼ,バルティーニ,ギッツアルディ組が45馬力のイタラ号に乗って60日間で完走8月10日パリに到着、走行距離16,000km 2位に20日間の大差をつけて優勝…と歴史書に記されている。写真も5~6点余り残っていて「よくもまぁ…」という感じです。

燃料はどうしたんだろうか? ルートは北京-ウランバートルそしてバイカル湖,クラスノヤルスク,モスクワ,ワルシャワ,ベルリン,パリ。全くもって考えられない。で翌年1908年2月12日(以下本文のまま)抜けるように晴れわたった冬空のもと、午前11時15分にニューヨーク市長マクレランの合図で6台の車が万国旗のはためくタイムズスクエアを後にした。アメリカ,アジア,ヨーロッパの3大陸を横断しパリまでの20,000kmを踏破する大レースの開始である...(以下略)参加者は「トーマス・フライヤー6-60(アメリカ)」「プロスト(ドイツ)」「ジュスト(イタリア)」フランスからは「ド・ディオン・ブートン」「シゼール・ソーダモン」「モトブロック」の3台計6台。そしてこうも書いてある...

参加車は大半が長く苦しい旅に備えて食料やガソリン,工具,交換部品,銃などを山のように満載していた。1気筒15馬力のシゼールなどは車体重量を130kgも上回る817kgもの荷物を積んでいた。風力を利用して平原を走るようにマストと帆を取りつけた車もあれば、雪原をソリで走れる構造にした車もあった。とまぁ20世紀の初頭、こうした出来事からこの1世紀はスタートしたと言っていい。このころ日本はナニをしていたのか?というのはまた今度。

きょうの1枚
The 5th Rally Raid MONGOL特集
ETAP-1 AUG.12.1999 ウランバートルからジンストへ。
カウントダウンを待っているのは#30 渡辺さん。標高3,000mの尾根を超え、ゴビのフラットな大平原に下って行った。今年のETAP-1はウランバートルからアルベイヘールをご用意してます!

 


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