時間はアインシュタインによれば、相対的に過ぎてゆく。好きなことをしていればあっという間に。いやなことをしているときは、まさに無限だ。そんなことアインシュタインが最初に見つけたのではない。
日本の昔話ではすでに「浦島太郎」が相対性理論を示している。
いや、そんな事を書こうと思ったんじゃない。
失うか、得るか。
そんなことが「年をとるということ」か。
Frm 三上編集長が
「なんだか気づかないうちに、大切なものを失っていたのだという気がしてきた。 」
とツィートして、ダカールのYouTubeの画像を添付していた。
そのことから「年をとるということ」を考えるようになった。
彼は年を取ったのではなく、時間を失ったということだ。
以前なにかのCM、たぶんウイスキーだ。
「・・・それは、降り積もる」
という表現をしていた。
「年を取る」か「年を重ねるか」
つまり前者は取る=マイナスで、後者は重ねる=プラスなのだろう。
静かに降り積もる雪のように年を取りたい。
そうすれば熱情も恩讐も美しく飾られる。
いやそんな話でもなかった気がする。
ラリーの開催準備をしていて、特にモンゴルの試走などのハードな旅のたび
「年をとったなあ。」
と感じるようになった。
この場合、何も降り積もったとかて話じゃない。
これは単に個の劣化で、進捗の違いはあれ概ねみな等しい。
例外は菅原さんばかりだ。
いや、菅原さんとて厳しい。
厳しいからこそ、高い評価につながっている。
年は取らない。それは降り積もる。
何年か前にトシ・ニシヤマに久しぶりに会ったときに
「トシさん、年をとりませんね?」
と言うと。
「トシは取りませんよ。僕からトシを取ったらただのニシヤマになってしまうからね。」と。
何度も使っただろう、そんなギャグの1センテンスも嬉しかった。
トシ・ニシヤマは1988年のパリダカに、ボクのチームから参加した。
タマンラセットで夜明け前に別れた。
そんなこんなで今年も暮れようとしていて、またひとつ年を取る、もとい年を重ねる。
きょうの一枚
大忘年会の茶室での飲み会のために用意したマッカラン。SEOULで買ってきた。18年の歳月は、モンゴルのラリーを始める前の年まで若返らせてくれる時間の量だ。ボクが38歳のころにシェリー酒の樽に漬け込まれたこのシングルモルトがどうやってボクと邂逅するのか。やっぱり「時は降り積もる」のだ。
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