Organisation Voice 2013

2013/12/25 (水曜日)

「忙中の閑に漂う」

こんなに忙しい年末って、あったっけ。

いつもこの季節になると思うのは、やはりパリでのこと。
87年からずっと、冬はもっぱらパリで過ごした。
まあ、と言っても7年くらいか。

シャルル・ドゴールでレンタカーを借りて
いつもルノーエスパス。

みんなで乗り込んでどっさり荷物を積んだら
ホテルニッコーの裏の、いつもの宿。
大きなリビングに3つくらいのベッドルーム。
キッチン。
毎日の食事の買い出し。
洗濯とミーティング。

ラリーカーの引き取り。
地下のガレージで日がな整備。
ドーベルマンを連れたガードマンともいつしか顔なじみに。
もう市内も地図は無くても走り回れる。

そんなころちょうど
プレゼンタシオンがあるので、ペリフェリックで会場へ

冬の夜だというのに21;00スタート
聞くと、夜はそんなもんだと。

巨大なスクリーン。
シャンパン
もう、やられっぱなし。

そして車検会場の下見を兼ねて試走。
2時間もかからないことを確認してホテルに帰る。
車検、リエゾン、パルクフェルメ。

胸が熱くなっていた日々。
ああ、あの頃のパリのなにもかもが懐かしい。

ただの旅行や仕事で行ったとしても
あの空気は味わえないだろう
あの胸騒ぎは過去のものなんだ

あれはなんだったんだろうか。
あの日々は、幻だったのか。

わずかな焦燥感が湧きおこり
それが次へのちいさなエネルギーの導火線に火をつける。
さあ、来年もやるゾウ!となる。

2013/12/17 (火曜日)

「もうすぐ、ダカール」

本当に久しぶりにダカールに日本人ライダーが参加することになった。熊本の深草君だ。SSER的に言えば、九州4デイズのコースディレクターで、頼りになる男だ。HONDA熊本工場で、比較的要職にある深草君は、社内で多くの信頼を得ていると思う。DAKARを目指して数年間、さまざまな話を彼から聞いたし、何度も同じクルマでTBIや九州4デイズを走った。
彼の勝ちえた社内での信用というものは、やはり彼の持つ真摯さにあると言っていい。それに実はかなり多岐にわたって先進的な思考や、時には高度な分析眼を発揮している。
つまり、クルマで旅をしていると話が弾む。
実はダカールに必要なのは、ひとつには真摯さだ。そしてその対極にあるかに見えるが、確実に求められるのが鷹揚さだ。

しかし、それらに恵まれていたとして、それに裏打ちされた技術と体力だ。
近年のダカールをボクは知らない。知らないから、これ以上語ることはしないが、ラリーモンゴリアやかつてのアフリカ時代のパリ・ダカールを走る者たちのことを語ることは出来る。

モンゴルから3人のライダーが参加する。いずれも強い。そして速い。昨年は慣れない土地で、早々に躓いたが、今年は案外やるだろうと思っている。
実は彼らの存在が深草君にとっては、良きベンチマークになるだろうと思う。
というのも深草君は、モンゴルではいつも彼らの真ん中あたりを走ってるからだ。

モンゴルの3人のライダーと、深草君はみなSSER ORGANISATIONのロゴマークを胸に走るんだ。みんな活躍してほしいなあ。

2013/12/12 (木曜日)

「忙中に見る夢」

忙しい、忙しいで年が暮れようとしています。
そんな中でも、ふと出かけた山に、全く誰も通ったことがないであろう幾つかのトレイルを見つけました。
忘年会を12/29-30と2日間でやろうという事でカレンダーを見たら12/29なんて日曜日。
という事は多くは27か28で仕事納め。。。

じゃあ29日は朝から「まだ誰も走ったことがないだろう林道へのツーリング」を企画しました。先週は雪の中で、スタックしてクルマを置いて帰ったあの場所です。
SSERの事務所からひと山越えて、いつもの林道を2本、そしてほぼ通行不能な短い林道を1本やって、エイドステーション(おにぎりとあったかい汁物)あっ、これは希望ですが・・・そして最後に例の林道、途中からはシングルトラックに倒木がいくつかあります。そんなに長くは無いのですが・・・そして再びひと山越えてSSERの事務所そして近くの温泉、そんでもって忘年会1日目!ということでした。

来年はSSER30年。月日というのは、過ぎていくもので、人を待ってはくれません。
人生を振り返るよりも、来年1年をどう過ごすかに集中するボクは、やっぱり30周年記念の冒険の旅に出たいと思うことしきりであります。
その一歩が、忘年会ツーリングという事かもしれません。

さあ30周年!48時間耐久忘年会はコチラ [HP]

2013/12/04 (水曜日)

「PRESANTATION SEOUL」

ソウルで2年ぶりにPRESANTATION、松山空港からSEOUL便に乗った。
東京へ行くより安い航空運賃で、しかも早く異国のキャピタルに降り立つ感覚はとても新鮮。
なにかこうひとつの儀礼を省略したみたいな感じになった。

SEOULの会場はKTM-KOREA 広くて良く整えられた店内。Pitは地下。
良く準備されていて、参加者の方もみなさん熱心で目が輝いている。

興味はモンゴルに限らず、北海道4デイズやTBIにも。
聞けば「ソウル-札幌はとても安いので北4に出たい」とか。

そういえば過去には韓国からはTBIにも参加があり、あの関釜フェリーでは最近バイクも乗れるんだという事のようです。

そんなふうに
彼らの持つモーターサイクルへの熱情や
未知の大地への興味は私たちと同じです。

2013も韓国から9名もの参加者があったラリーモンゴリア。2014はそれを上回る参加者を予定しているそうです。2013年のランタンルージュ(最終完走者)のLeeさんは、「来年はAPIO JIMNYで出たいなあ。」と。小さいのにきびきびと走る姿に、ひときわ感銘を受けたそう。

さて、ラリーモンゴリア2014、20年目のこの大会には、どんなドラマが待っているのでしょう。楽しみですね。

 

Organisation Voice 2013/11

2013/11/20 (水曜日)

「SNSの付き合い方」

「しかしSNSの時代なんだそうですな。(落語風に)」
「で、そのSNSってえのは、遭難した時かなんかに使うやつかい?」
「あっそれはSOS?!か・・てえとSNSってのはなんだい?」
そもそも日本人ちゅうのは、恥ずかしがり屋さんなのだ。
ボクの子供のころは、人の前で歌なんか歌うのは、恥ずかしくて恥ずかしくて音楽の時間に綺麗な?音楽の先生のピアノにあわせて!一人で歌うときなんかは、もう穴があったら・・な気分だったでしょ、あなたも。

それが昨今じゃマイクの取り合いで夜も更けていくし、お金まで払って歌を歌うっちゅうじゃないの。で、そのほかに子供のころみんなの苦手なものは何か?というと。思うに作文とマラソンでしたね。

そんなことは無かったかのように、みんなブログだあツイッターだあ、と日本語の作文技術の向上にいそしむ。いや、素晴らしいことです。

子供のころ作文の苦手で、いつもボクが代筆をしていた友人もいまではヘヴィブロガー・・・なぞはまだ続きます。マラソンの時間には必ず腹が痛かったり「先生、私、あの今日は走れないんです」なんて赤い顔して話していたあの彼女も、いまではみんな走っている。皇居の周りは、まーどーいうこと?歩道は歩く道と書いて歩道なのにです。「廊下は走らない!ぶつかるでしょ」といつも怒っていた小学校の時のボクの担任の先生もすっかりおばあちゃんになっていた。

で、思うに「走る」これに税金掛けたほうが良いのと違いますやろか。だってあんなに占有して30万人とか1日に???1日1000円かけても3億ですよ。

さらに登山!ボクが夢中になって登っていた頃(昭和40年代ね)なんて、誰を誘っても「山なんか行けるか!?」「・・・」だった。

「このままだと数年後には石鎚山に人はいなくなるよね」と山小屋のおやじと嘆きあった日もウソのように石鎚山頂も渋滞中!なのです。

こうした現象に加担しているのがSOSじゃなくてSNSではないかというのはぼくならずとも思うところ。そしてこれの最大の弊害は「焦りを生む」構造だという事ですな。

つまりあのお友達が多いほどでしょうが、みんな色々なことしているなあ、いろいろなところへ行っているなあ、それに比べてぼくなんて年に3回くらいモンゴルへ行くだけだのになあ・・・となっちゃう。

それはそうでしょう。何百人かいる友達たちのとっておきの経験を網羅されたら毎日みんなどこかで楽しい思いや旨いモノや、素敵な場所に行ったり新しいマシンを手に入れたり、そうしていることが凝縮されてくるわけですもの。

仕事と政治のことは悪口しか書かなくても、とにかく遊びと食べものと旅行に関しては、みんなすごい!ボクだけ何もしていないのではあるまいかという不安症候群に陥れられる、のではないかということ。これは近い将来には心疾患系のシンドローム化するのは必然。

でも明日SNSが滅んでも、ぼくは今日もFBになにかを書く。
そのココロはなんだろうねえ。

きょうの一枚

今日の一枚はモンゴルから。ここのところ勝ちまくってるBajaFJクルーザー。
速いし、とっても人間が良い。モンゴルではすっかりモータースポーツはスポーツとしての高い評価を受けるようになりました。素晴らしいことです。

2013/11/13 (水曜日)

先日のこと、赤松カメラマンと二人でヘリで石鎚山系の稜線沿いの撮影を行った。
年間流すプロモーション映像なので、「紅葉はまずい」のだそう。
やっとめぐってきた最後のタイミングで飛んだ。

エアロスペシャル350Bの撮影用の架台にスチールとVをパラレルセット。なんとGPSは搭載していないので、急遽ガーミンに飛行ルートをプロットして上空に。
インカムの調子が良く、ぼくはナビシート(って言うのかなぁ)で、カメラのモニター画面とGPSと地図と、もちろん眼下に広がる山々のスガタカタチを眺めながら。インカムから流れる航空無線を聞きながら、あっちだこっちだと指示をしながら飛んでるうちに、かなりハイな状態になってきた。
もちろんドアは開けっぱなしで2000mの上空で、厳しい北風にあおられながらの素晴らしい旅、もとい撮影フライトでした。

結論
いやー素晴らしい。石鎚山系は、実に見事だ。こんなにこの山々が素晴らしかったとは。稜線の縦走路をトレースするように飛ぶのだが、北斜面の高度感たらそれはもう。
なんかヘリで日本中の山々を飛んだら面白いかなあ!!などと妄想したりする。

いまその編集作業中で、その興奮もまた蘇ってきたりします。

ものにはいろいろな角度で見なければならないというのを今回のフライトが教えてくれます。高空から見下ろせば、いわゆる俯瞰という事ですが「さまざまなことが良くわかる」と言いますが、それは間違いです。概観が分かるにすぎません。

グーグルアースを初めて見たときに、素晴らしいなあ、と感じたのは宇宙から石ころ1個まで自由にズームできるという機能でした。

いまGWの霧島4000に、上空から見ていますが、東京発表会の帰り道ではホテルから想定されたルートを走りながら、まるではじめて走る道のような感覚を覚えるわけです。皇居の佇まいを左手に見ながら北へ。胸踊る旅は、やはり地を這うような旅なのだという事も再認識したわけです。

仙波君が故戸井十月さんの本のことを書いたので少し。
戸井さんとは、銀座のバーで良くご一緒しました。
戸井さんはバイクの旅を「地を這うように走る」と表現していました。
1995年第1回ラリーレイドモンゴルには、NHK-BSの仕事を持ち込んで走ってディレクションして大活躍でした。

ボクも「地の果てるまで」いつまでも旅を続けることをお約束します。

先の発表会では30周年記念の旅のことを発表できませんでしたが、企画はどんどん温まってきていますのでお楽しみに。

きょうの一枚は
ヘリから。

2013/11/12 (火曜日)

「東京の熱い夜」

週末はおなじみ、恵比寿Stylement「7」で、SSER PRESENTATION が行われました。
菅原さんの会社からも歩いて5~6分のところ。
もう何回、いや何年お借りしているのでしょう。そして圧巻はその夜の懇親会。

これまではすぐ前にあるチョモランマ酒場で行っていたのですが入りきらない!という不評をかこっていたので、今回はスタッフが努力!?して素晴らしいお店を見つけていただきました。

さて、本題。
感想。
発表席から見る来場者のみなさまの顔が、ここ数年で、いや顔ぶれは大きくは変化していないのですが・・いつもより視線が熱いのに少し驚き、さらに女性の増えたこと、なにかかなり久しぶりに、なにかこう強く感じるものがありました。

30年。20年。という節目だから頑張る!なんていう事ではないのですが、それでもやはりアニバーサリーは大切にしていきたいと心にそう思います。つまりですね、そのはじまったころの思いに立ち返るわけです。初志貫徹というか初心忘れるべからず、というところのお話です。

2013/11/05 (火曜日)

「週末は、発表会場で」

気が付けば秋も深まりました。
SSERは年が明ければ30周年の年を迎えます。(これは後述しますが「数え年の概念」ですね、)
第一回大会は1985年でしたから、来年2014年大会は30回目というだけで実は29周年なのではないかと、少し考えることに。標記上 1985-2014 と書いて30Years Anniversaryとは、すこし違和感が残ります。

でも30回大会を30周年と考えるのは、そんなに問題でもないかなあ?なんて考えるのも最近はやりの「偽装」からかもしれません。
伊勢海老をExciteで英訳するとロブスターって出てきます。むかし海外で食べた伊勢海老もロブスターって黒板には書いてあったし。

話がそれました。
そういえば、21世紀も2000年からなのか2001年からなのか!?という議論がありましたね。

生まれた年が0と考える満年齢。生まれた年を1年目として数えるいわゆる「数え」ここにあまり知られてない事実が!!

数えの概念には「0」が存在しないのです。そして、2013年12月31日に生まれでも2012年1月1日には2歳と数えられる。のだそうであります。
古くからは日本はこの考え方が主流で、誕生日で年齢が増えずに1月1日で、ひとつ年を取ってたそうなのでありますな。

まあ、そんなこんなで数えのSSERは登録年齢もその年になる年齢が書かれていた時代は、数々のおしかりを頂きました。そこで年齢標記に意味はないのだろうという事で、年齢を発表することを控えています。

わけのわからないことを書きましたが、1985年からスタートしたSSERは30周年を迎えることにします。

きょうの一枚

奇しくも同い年のBMW R80 G/S Paris-Dakar・・・長いことSSERの守護神として?時代の変遷を眺めてきています。いつものあるべき場所に戻って来ました。

 

Organisation Voice 2013/10

2013/10/23 (水曜日)

「日は、また昇る。」

HRCの先のモロッコの活躍や、YAMAHAのシリル・ヌブーじゃなかったシリス・デプレの獲得!で来年のダカールは見逃せません。

とはいえ王者KTMも、やすやすとその座を譲ることはないでしょう。
しかし、その情熱は維持でき続けてっるのか?は確かに問われます。

でも、あの時代に、本当に勝ちたくて勝ちたくてたまらなかったけど勝てなかったKTMも、いまではビジネスにおいても、砂漠の上においてもゆるぎない風格を醸し出しています。いわば、最小の投資で最大の結果を出しているとも見れます。

ビジネス用語でいうベストプラクティス!こそはこの20年のKTMの歩みそのものです。
とはいえ、厳しいこと言うようですが、王者の座は、安寧であろうはずはありません。
それは、勝つことへの情熱と、勝ち続けることへの情熱は似て異なるものだということです。追うものと追われるもののランチェスターの闘いが展開するのです。
そして、勝ち続けることなんて、ありえないんです。
でも、まだ今回くらいまでは勝てるでしょうか。。。それは勝つことへの習慣化といえばいいでしょう。

では、ひるがえってわが日本。負け癖が付いてしまって、ここまで負け続ければ、なにをやっても、リードしてても「でもやっぱり負けるのではないか?」という不安に襲われて、その思いは負けるための要素のささやかなほころびに含浸していっては、破たんを繰り広げていくはずです。

現に日本人、あのオリンピックの招致活動でも「たぶん負けるだろう」と少なくない人が思ったから、あのガッツポーズや涙や抱擁が生まれたのではありますまいか。
ボクは宝くじは買ってはいけない!と主張し続けます。
負け癖に塗れた人生を形成していきます。

夢を見る→かなわない→当るはずがないと納得する→でもまた買ってしまう。買うときは「買わないと当たらない」という。→また当らない。→当るはずがないと納得する。

これを繰り返していくと、当たることが奇跡で当らないことが日常になるわけです。つまり失敗が日常で、成功は奇跡つまりありえない。という日本人の「何をやってもダメ」だと思う、そういう精神をはぐくんできたわけです。
ゆとり教育を、なにかの言い訳にしてるよりも実はたちが悪いという事に気が付いてなくて、なんと当選金額ばかり上げていく。

「えっ、7億円」
買おうかなあ、今年くらい。

まったくもって話がそれてしまいましたが、
日本人、そろそろ勝ちに行く!に転じなければならないなあ、と思ってたらTOYOTAもWRC復活のニュース。あの屈辱のリストリクター事件も過去のお話。

で「日はまた昇る」という今日のタイトルは、深草君のダカールのライディングウエアのデザインテーマに定めたものです。

ダカールが南米に移ってから、はじめてのプライベーターとして挑むのですが、きっと、思うほどには上手く闘いは展開しないでしょう。きっと、大苦戦をするはずです。つまるところ、ワークスたちの活躍の陰で、陽の目も当らないでしょう。しかし、それこそが望むところです。きっと深草君も上位争いに加わってやろうなんて思ってはいません。(思ってたらごめんなさい。)
男子たるものの、心意気こそ日本再生の鍵であり道であろうと思います。

2013/10/18 (金曜日)

「紅葉の季節には。」

10月も半ばを過ぎると、いつも思い出すのが「ガストンライエ・ミーティング」
1999年10月の末。ガストンは関西空港に降り立った、ぼくは予算がなかったのでエコノミーのチケットを取ってParisの旅行代理店からガストンのもとに届けさせておいた。

「ごめんなさいね、エコノミーで。。」
と空港から走り出したクルマの中でボクが詫びると。
「ゼンゼン。空港カウンターのスタッフが、あっガストン!日本へ行くんですか、じゃあ」
とビジネスにアップグレードしてくれたんだ。
「・・・」

楽しそうだ。
神戸で最新のBMWのGSを借りて、明石海峡大橋を渡る。
楽しそうだ。
いつも笑いながら話している。
これが神様だ。

新しいGSは1150だった。
それでも剣山スーパー林道では2つ目のコーナーで見えなくなってしまう。
そんな10月末は、数年間ガストンは来日を重ねた。
富士山や諏訪や、そしていつも白馬をゴールにしていた。

彼が最後に日本にやって来たのは2004年のTDN(TBIの変化形)そして陽気に手を振る彼と最後に分かれたのは、東京プリンスホテル。
菅原さんの奥さんの運転するクルマに乗り込んだ姿が、最後だった。

その秋のガストンライエミーティングは紅葉の京都を舞台としたのだが。チケットは送られたもののガストンはベッドから立てなかった。
それでも電話をかけてきてしきりに詫びる彼の声に、フランスに行かなきゃ、という衝動にありながら行きそびれた。

紅葉の季節は、そんなだからいつも悲しい。
でも来年春にはガストンと描いた、東京プリンス以降のルートを走る。

そうそう、ガストンと約束してたタマンラセットに置いてきたDC-3を今度一緒に取りに行かないか?という話は実現しなかったが「DC-3」という名前の事務所は開きました。あの美しいボディの飛行機をどうやって手に入れたか、どうやってサハラに置き去りにしてきたか、身振り手振りで語るガストンのことが今日はやけに身に染みる。

きょうの一枚

冒険、というキーワードを掲げた30Ans SSER。第一弾TBIは、あなたの想像をはるかに超えるダイナミズム。古き良き時代を懐かしがってるのではない。新しいモーターサイクルと人とのかかわりあい方を探検するという冒険をするのだ。

2013/10/08 (火曜日)

写真1

写真2

写真3

「あのTDNから10年。日本のエネルギー政策を問うた2004年」

もう10年の歳月を失った。それは長崎ハウステンボスをスタートした、「Tour de Nipponは2004」この大会はなにかに衝かれたような渾身のルート制作。秋も深まった頃に北海道を駆け抜け遭難寸前。トムラウシの山中で日没直前ヒグマの赤ちゃんに遭遇して、思わず駆け下りようとする人あり、下北半島では日没後にたずねて行った鄙びた温泉宿で言葉が通じなかったり。でもお風呂が素晴らしかったのに大感激!さらに岩手の山の中では雪に閉じ込められるなど「春を待ってたらまに合わない!」と。。この年で3年計画のTDNも総集編。

それから約半年ののち初夏を思わせる太陽の下。
ハウステンボスに空港から船で(アクセスできるんですね)やって来たガストン・ライエたちの楽しそうな姿。なにか口ずさみながら(彼らの癖ですが)やって来ました。そのご機嫌なこと。

オランダを模したというよりも、そのもののハウステンボスの町並みにガストンは驚き、そして歓び(最後の日本の旅を)心から楽しんでいるようでした。

ラリーは翌日スタート、まず長崎市の平和公園にひとつめのCPを置きました。次に目指したのは島原にある雲仙普賢岳。ここでは参加者たちに「普賢」という一つのキーワードを提示します。
雲仙普賢岳は、1991年神の怒りのような大噴火で大勢の犠牲者を出した山です。
そして岡山人形峠を越えて、若狭湾沿岸の原発銀座へ。
そして北海道でもオホーツク海道沿いの巨大風力発電風車群の中を北上し、宗谷岬へ。本州に帰ると東通村や六ヶ所村、福島の原発群を(わざわざ)見物しながら、光の海の東京にゴールする!というものでした。勝負の行方も非常に面白くて最終のSSが行われた福島までほんの3秒差程度で岩崎と、スペインバハの125ccクラスのチャンピオンのミハエルとのデッドヒート!を岩崎有男が制してこのTDNの有終の美を飾りました。

閉会式で「今大会は実は日本の原子力政策の現場を訪ね歩いて、日本のエネルギーを考えるというサブテーマがあったんです。」と話すと会場は「おーーっ」と。
あれから10年。また壮大な旅がしたくなりました。

きょうの一枚

懐かしい!2004年TDN、車検会場はハウステンボス(写真1)
そして長崎のリエゾンは道の真ん中に並木があるのです。菅原さんも10年前だから62歳!ワカッ!そして後方はゼッケン4、ガストン・ライエ(KTM)(写真2)
そしてガストンがご機嫌で走る日本のリエゾン。心から楽しんでいました。もう没後10年なのか。。。

2013/10/03 (木曜日)

「さて、2014年。鬼が笑う思いを巡らせて。」

早いもので、10月。
山々は少しずつ色づき始めました。
季節は、そうはいっても確実に巡っています。
あの真っ赤なナナカマドの紅葉の石鎚北壁とかに思いは募るのであります。

というのも来週は空撮。ヘリで石鎚山系をカメラマンの赤松氏と空から縦走します。
どんな映像が収められるか?タノシミ。
そして地上からも縦走路の撮影がはじまっています。
昨日は「いい天気だから」と出かけた赤松氏。夜は飲みに行く約束だったのに帰ってこれず稜線近くでビバークしたらしいのです。電話がかかってきて「近くの水場はどこ?」なんて、まあ携帯がつながるというのも現代の山なのですね。
「どこそこにあるよ」
と教えたときには、もう真っ暗でしたから、大丈夫かなあ。
そして昨日の夕方には帰っていましたから、まあ一安心。

実はこの仕事、紅葉が始まる前を撮らないといけないので、とにかく大急ぎなのです。

そして翌々週のSSER3DAYSが終われば、まあ言うところのボクのストーブリーグがはじまります。事務所のダルマストーブを抱えて、薪をくべながら2014のあれこれに思いを巡らせるのです。でも考えてみれば11月初旬には発表会!となると写真集も大急ぎ。もちろん詳細な計画も並行して進めなければなりません。漠然としたルートのイメージを、現有戦力で実現可能な高みに持っていかなければなりません。

そんなお話はこれから少しずつ。

きょうの一枚

まだ色づく前のもみじ。紅葉という木は。樹形も葉っぱの形もなにもかもが美しく素晴らしいなあ、しみじみ。

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Organisation Voice 2013/09

2013/09/26 (木曜日)

「雨の日は、雨に濡れて。」

さてSSER3DAYS 30Years Anniversary-1Year 2013
つまり、来年30周年なわけですが、今年29年目の大会。
そう言えばいいのに「なにが30-1」じゃい!?とボクだってそう思うんですから、
さぞかし皆さんも。
ということで30年の歴史を振り返るとしましょう。

事の発端は、もちろん30有余年前。
寝ても覚めてもバイクのことばかりの日々。
晴れた日には山へ、雨の日も山へ、雪の日だって台風の時でも、山へ行っていたわけです。ですから近隣の林道やらけもの道やらは、まあ知り尽くしてた時代です。もちろんさまざまな通信手段やネットなどのある時代ではないのですが、
林道で知り合った友人らが日増しに増えて行った頃でもありました。

そしてスタートしたSSER、大勢の参加者に恵まれ急速に発展していきました。そして20数年を経て、参加者数は次第に減少をはじめ大会ごとに過去最低を繰り返していました。
もちろんその間にSSER実行委員会は、SSER ORGANISATIONと名称も少し変わりラリーレイドの傾斜していきました。

この本家たるSSER 2DAYSは唯一コースマークを使う大会として、SSER ORGANISATIONの各イベントの中では少々異質になって来ても居ました。
もちろん議論もありました。ラリーとエンデューロの差異についてとか?向かうべき方向性の問題とか?
しかし回答なんてありません。
で、ボクの回答は表題の通り
「雨の日には雨に濡れて」
というわけです。

参加者のニースに応える?のが良いのでしょうが、ボクタチは自分たちの主張をなかなか変えることができないほどの不器用さなので、それを「変わるべきものと変わらざるべきもの」と。
そして収支に左右されず「良い時も悪い時も」終始一貫した「不偏」の態度を、と決め込んでいるのです。

さあ30年まであと1年。それでも目指すのは160km×3つまり100マイル×3=300マイルのハードディスタンス。多分雨も降るでしょう。
だから「雨の日は雨に濡れて」です。
とはいえレインウエアはお忘れなく。
思い気っきりハードでタフな、そんな大会。。です。

さて、一方でRally Mongolia2014
1995年にはじまったこのラリー、年数だけで数えれば20年目のイベントとなります。つまりSSER ORGANISATIONの10周年ではじまったのがモンゴルだった、ちゅうわけです。

思えばこの20年間はボクにとって人生の中で最も悩み苦しんだ日々だったと言えます。でもそのぶん喜びも大きく、振り返るほどに濃厚な歳月でした。

こちらも振り返れば、1995年第1回大会。まだモンゴルが民主化間もないころ。
渋滞なんて考えられない時代。クルマが珍しくボクタチが乗るTOYOTA LC70はどこへ行っても人だかりができるほど。。。
その1年目はまず東へ向かいました。東と言えばロシアと中国が国境を交えるあたり、旧満州も近くもちろんノモンハンもすぐ近くです。

ある町はずれには戦闘機の残骸が山積みされたミグの墓場があり、横を通りながらみんなでコックピットに収まり記念撮影をしたものです。

南に下れば草原の中にロシアの軍需工場が、まるでスターリングラードの撮影現場かな?と思わせるように廃墟として佇み、しばらくその前に立てば身動きも出来ないほどの圧迫感に恐怖を感じたものです。周辺は地雷原。あわてて引き返すとなんと、地雷の上にボクタチのクルマのトレースが・・・とにもかくにも20世紀の遺産をいっぱい見せられたエリアでした。

いまはその方面にもウランバートルからの舗装路も伸び、間もなく北京とも繋がるでしょう。アジアは内陸に向かって資源を求め流通を模索し、巨大な生物の循環系のように血管を伸ばし続けています。

そして2014年、新しい選択肢は実は過去の経験の中に存在していました。これまで「西へ」伸ばしてきたラリーと言う名の探検行は、再び「東へ」または「南へ」というエリアに臨んで行こうと模索を始めました。
30年目のSSER、20年目のRally Mongolia、また地上には未知なる道が長く伸びています。

2013/09/10 (火曜日)

「ワガコト化」

英語で「ありがとう」と言うと時々「マイプレジャー」と答えが返ってくることがあります。先のブエノスアイレスでの中継放送の中でも、一瞬聞こえてきました。
ボクもラリー中に心がけて、英語圏の人からの謝辞には「イッマイプレジャー」と答えるようにしています。
これってかなり日本的な発想がもたらす言葉だと思うわけです。
つまり「とてもありがとう」にたいして
「喜んでいただけるのが私の喜びでもあります。」と言う意味ですから。

そしていま、少しずつですがワガコト化計画を進行しています。
その方の悩み、自分ならどう解決するだろうか?まあそういうことです。
ワガコトの反意語はヒトゴトです。多くのことがヒトゴトの時代に、少なくとも自分の周辺で起きるいくつものことをワガコトトシテ考え行動しようという運動です。

ヒトノイタミヲワガイタミトシテ・・・いうのは簡単ですが実にこれが難しいわけです。昨日は「惻隠の情」について書きましたが、今日はさらにそれを一歩突き進めた思いです。
惻隠の情には若干とも差別意識が潜んでいます。素晴らしい思想のようでもありその実は被支配者と支配者的な微妙なにおいをまといます。

ワガコト化とは、お城を抜け出した王子様が乞食の少年とそっくり立場を入れ替える、というのではありません。立場は立場としてわきまえ、そのおきてる事象や問題、いま目の前にある仕事などなどを自分のこととして向かい合う姿勢のことです。

それが出来ていないのが、まあ政治家です。本当にフクシマをワガコトとしていますか?自身の母親が避難所暮らしをしていて、帰る場所を失っているとしたら・・・

言うは易しで、こんなことを言ってしまいましたが、いま目の前にある仕事の発注者が自分だった場合を考えて、取り組まなければ。。。そうすると赤字になりはするのですが。

きょうの一枚

沙漠に咲く花。明後日からはまたモンゴル。コースマーク付け!帰ってきてもSSER3DAYSのコースマーク付け。おそらくモンゴルのコースマークのほうが圧倒的に多いのですが・・・

2013/09/09 (月曜日)

「惻隠の情と、東京五輪決定万歳について」

テレビを見てた。東京五輪の招致決定の報に日本中が湧いていた。
本当におめでとう。心からそう思う。

そして今朝は、浜口京子さんが親子で出演していた。この彼女の優しさは、自分の父親に向けるまなざしでも証明される。インタビュアーは「レスリングが五輪競技に残ったのをどう思うか」そんな内容だった。そして「それはとてもうれしいけど、落選した二つの競技のことを考えると素直に喜べない。どうしてすべての競技が五輪で行われないのでしょうか。」と言う発言(だったと思う)。五輪招致とは若干ニュアンスの違う「競技の選択」どのような理論が働くのだろうか?この惻隠の情のようなものがスポーツマンシップだと思った。

東京エリアに野球場ならいくらでもあるし、おそらくだがスカッシュをする場所などいくらでもあるだろう。と考えると物理的な問題ではあるまい。巨大商業サーカスとなった五輪(決して、悪い意味でも皮肉でもなく、むしろ畏怖の意念を持ってそう言ってる。)原則は、いまはどうなってるんだろう。

招致活動も2020が東京で、2024がイスタンブールで、
2028がマドリッドではいけないのだろうか?
たぶん理由は見事にたくさんあるのだろう。
招致活動そのものも大きなショウビジネスになってはいまいか。

TOKYO、
確かに、7年後に向けたアベノミクス第4の矢にはなるだろうと思う。あのコンストラクタブルと悪評の高い、ザハ・ハディの近未来建築も日本の企業ならものにするだろう。日本は古き良きものへのノスタルジーへの傾斜をやや緩め、近未来的または未来的なものにパラダイムの緩やかな変化を遂げるかもしれない。

あの熱狂は、これまでの日本人の日本人的なところのやはりだが・・・変革を示した。
浜口京子の言う「選ばれなかったところに申し訳なくて」ただ素直に喜べない、
というのが正しい。いや喜んでいいのだけど。

むかしラグビーの試合に駆り出されたボクは一人白いスパイクを履いていてひんしゅくを買った。そんないやなやつが・・・パスをインターセプトしてタッチダウンもとい、
トライを挙げた。
ガッツポーズをして、怒られた。
ラグビーは紳士のスポーツだから点をとっても喜んではいかんのだと。
ふーん。
と思った。

惻隠の情をもって、喜ぶべし。

その精神は、在りや否や。

2013/09/04 (水曜日)

「29年目のSSER」

あの時も、林道には栗のイガがあちこちに落ちていて、取る人も居ない野生の栗の実の多さに驚いたのは久万高原。それに彼岸花の赤と金色に色づいた稲に、錦絵のようだなあ、と感動したのもあの時の久万高原。

もちろん携帯電話もなければコンビニもない。道すがら畑仕事のおばさんにトマトを分けて頂いたり、房代野(スイマセン、超ローカルで)の湧水に癒され。日が暮れかけると、高原に響く有線放送から流れる、「遠きぃ、山に日は落ちて~」なんていう曲だ?あの「新世界より」の日本版の唱歌。あれが、いかん。
あれがさみしさを誘うんだ。

山の斜面に張り付いた民家からは、夕餉の支度の煙がたなびき、日本の原風景はやはり「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の 音など、はたいふべきにあらず。」
と、不完全な記憶の(↑は検索したからね。)枕草子をそらんじてみたりしながら、「明日も来なきゃ」とバイクを走らせたものだ。

その時はボクもまだ29歳だったので、今年29年目と聞くとそれまでの29年と、それからの29年の分水嶺のようなものがSSERのはじまりだったんだと妙にしんみり。

あのころは、トライアルにはまっていたというのにある雑誌の表紙を飾ったISDEの写真・・・ちょうど二人のライダーがカウンターを当てながら古いヨーロッパの、石造りの町並みを駆け抜ける・・・に心を奪われて、そしてさらには始まってそれほど間のないパリダカや、BAJAや、世界のいろいろな土地で開かれるそれぞれ個性的なアドベンチャーなレースに心を奪われていて。。。

SSERは、来年30年。大きな区切りかなあ、とも思うし。複雑な胸の内を抱えて、さあ東京へ行かなくちゃ。そんで帰ったらすぐモンゴルへ再び。
でも、あの企画書も、その見積もりも、山積みの仕事が野ざらしに。怒られるだろうなあ、きっと。

The29th SSER 3DAYS CLASSICS エントリー受付スタートしました [詳細]

2013/09/02 (月曜日)

「いまだからこそ考える、競技規則の安全対策」

モータースポーツの光と影は、言うまでもなく栄光と敗北ではなく、
栄光と少なくない事故だろうとおもう。

競技規則や車両規則の多くはいくつもの事故を検証しては突き詰められた
安全への切なる願いと言っていい。だからそれを軽んじる参加者は、
モータースポーツの真のメッセージが理解できていない。
つまり、その大会の競技参加者といえないのだが、
不備の多い人に限っては「自分は大丈夫だ。」と言う。
そんな者でもモータースポーツの光の部分を語ることは出来る。

30年にわたりオーガナイズをしていると、多くの事故現場を目の当たりにする。
それはお互いにとって不幸なことではあるが、
自分には「それは、避けられなかったのか?」という悔しい思いに、
実は相当な時間いや年月を費やしてしまう。
苛まれるというのとは違うが、忘れられないのだ。

SSERではネックブレスの装着やヘルメットリムーバーの装着をかなりの範囲で
義務付けている。ヘルメットも、厳しい検査の基準を設けている。
それらはしばしば、トラブルの原因にさえなっていて悲しい。

ネックブレスで守られた頸椎は、ほかの部分にダメージを与える。たとえば脳だ。
本当ならネックブレスとマウスピースがセットであることが望ましいが、
おそらくマウスピースを咥えて走れというと猛反発だろうか。
またネックブレスは、一方で多くの部位を傷つけながら頸椎を守っていることも解った。
ネックブレスに適応したブレストガードが必要だと思う。

安全対策は、どのように進めても足るを知らない。
素敵な思い出を持って、月曜日に職場に復帰するためには、なによりも一番に考えてほしいことだ。それは競技には限らない。

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Organisation Voice 2013/08

2013/08/28 (水曜日)

「SSERが、ゴビマラソンに着手したわけ。」

まもなく、モンゴルでゴビデザートマラソンというステージレースが開催されます。
「えっ、SSERがなぜ?」と訝しがられる方も少なくないはず。
ですから少し、この機会に説明をしておきます。

「ふたつのSSER」
について。

SSER ORGANISATION は、その姉妹組織として「NPO SSER」を有しています。
モータースポーツはSSER ORGANISATION、そのほかのスポーツイベントや文化事業はNPO SSERというふうに仕分けられています。基本的に別組織です。

NPOでは開催されるイベントや事業ごとに、実行委員会組織を立ち上げ、それぞれ適材を実行委員長に置いています。
とくにこの7月末に行われた。久万高原ヒルクライムレース2013は美川エリアの活性化などを視野に入れたイベントとして、3回大会で500名を超える参加者を集めました。なんと黒字化したのです。その収益の半分!!といってもそれでも10万円くらいですが、先週末にあった、これもNPOSSER主催の野外ジャズライブ「久万高原JAZZ-PICNIC」のステージの幕間を利用して、久万高原町社会福祉協議会に寄付をいたしました。

実は今回のこのイベントは、東日本大震災時の私どもの石巻の緊急支援のあと、現地入りする愛媛トヨタに、わたしどもの手元に残った支援金の残額を活動寄付金とし、また石巻・女川社協への支援活動先をご紹介したものです。
それが今回の出演者メインボーカルの「奥土居美可さん」につながって行ったのです。

[Youtube]

支援活動がまさに輪のようになって繋がって行きます。そして石巻水産の社長もご来場され、石巻水産の缶詰も会場では販売されていました。

つまり、スポーツイベントなどが築いた人間力は、無限の可能性を得て繋がって行きます。
ラリーなど過酷なイベントを運営したり参加する人たちは、またまったく異なるカテゴリーのマラソンステージレースや自転車などのハードな競技の運営側に回ると、とても大きな力を発揮することができます。それは石巻の緊急支援活動でも強く実感したところです。

さまざまなアウトドア・イベントが機材や人的な支援連携を深めて行けば、新しい関係が生まれる。真剣にそう信じています。
将来に予見される激甚なる大震災などに備えるためにも、こうした超人的な能力を持つ人々の緩やかなネットワークをイベントを通じて構築したい、そう願っています。

その全てのスタートは、ひょっとしたら、四国の久万高原に30年ちかく前に播いた一粒の種がはじまりだったかもしれないと思う今日このごろです。

その夏、コース制作の帰り道に寄った久万の食堂のテレビで、みんなでニュースを見ていて日航機墜落の知らせを聞いたのが印象的で、たぶんですがそのことが、わたしたちのSSERのDNAに深く刻まれているのではないかと、そう思っています。

2013/08/26 (月曜日)

「夏が、終わった。」

地球がおかしい、とかって言うのはもうやめよう。
もうずっとおかしいんだから。
そして暑い夏も終わるように、振り子は糸が切れない限りは、
また反対にも大きく振る。
全ては糾える縄のごとしだ。

その今年の長く暑い夏も終わろうとしてるこの土曜日、モンゴルの草原のような?
キャンプ場に張られた赤松カメラマンのテントで過ごした。
いつものキャンプコット、に頼りないほど薄いダウンのシュラフに潜り込んだ頃には、
たくさんいたキャンパーたちも寝静まっていた。
「少し寒いかな」
この夏、モンゴル以外で初めて感じた肌寒さ感だった。

テントをたたく激しい雨音で目を覚ました時には、
不覚にも今どこにいるのかわからなかった。まるで脳震盪を起こした時のようだった。
モンゴルかな?と、ほんとうに俄かには信じがたいほどの、
自分の位置の不安感に襲われた。少し考えてテントの外に出て
「なーんだ。キャンプ場じゃんか。」
と。
たぶん長い意識不明から目覚めたときは、
こんなのだろうか?などと考えてみたりした。

その夕方、池田選手の意識が回復したという知らせを受けた。
今朝の不安な朝を思い出した。
激しい転倒で受けた無数の骨折の激痛から守られていて
意識レベルを下げていたのだろうと思ってた。
どんなふうに目覚めたかは聞いていないが、
いずれ本人と話ができる日が来るだろうと思う。

ラリー界はいくつかの衝撃的な事故によって、
ネックブレスなどプロテクター群が大きく進化している。
競技規則もそれを心待ちにしていた。
もちろん今回の事故も、いまだ予断を許さない段階でさまざまなことを言うのは
控えなければならないと思うが、一定の進化による生還劇だったと思う。
ボクは、右腕のビザバンドを外した。
終わらないものはないのは知っていたけど、終わった。
まず、これからのための第一歩を記したのだと思う。

きょうの一枚

砂丘の中のCP、ボルドバートル選手。

2013/08/23 (金曜日)

「終わらない夏、その2」

ボクの右手首には、オレンジ色のビザバンドがまだ巻かれたままだ。
おまじないのミサンガじゃないけど、ぼくの夏は終わっていない。
半そででの生活なので、やけに目立って仕方がない。
昨日の昼は県議会副議長室で数人で食べた。右手に持った箸が動くたびに、
やけに空気に似合わない色が動き回る。
いつもは大会が終わると誰よりも早く外す、このビザバンド。

今回は、ある日までは外さないようにしようと思ってる。まだ夢の中でモンゴルの草原や土漠やドライレイクを走ってるかもしれない一人のライダーに、敬意を表して主催者として立っていようと思っている。

現に、病院でお目にかかる約束をしたまだ見知らぬ彼の奥様も、
ボクの右手のビザバンドを見つけてそちらから声をかけて頂けた。
終わらない夏は、間もなく終わる。
まもなく、ボクの右手首のビザバンドは外れる。

さて話は変わって、日本。
この暑さには全く閉口する。
明日は、少し涼しい久万高原でモンゴルの草原をほんの少しだけ彷彿とさせる?
千本高原で屋外のジャズライブイベントがNPO-SSERの主催で行われる。
天気は怪しい。
どうも「雨」のSSER ORGANISATIONはNPO-SSERへと宿主を移したかのようだ。
それでも暑さがしのげれば良いのではないかと考えている。

「暑さ対策」それは紛れもなく標高の高いところに暮らすことだ。
ここまでなった温暖化対策は、もう頭を切り替えるしかないだろう。
まず温暖化によってもたらされる利益を考えてみよう。もう10年も前から愛媛の
段々畑では天然ゴムを育てれないか?なんて提言をしてきた。
世界の穀倉地帯も北に上がって広い大地の広がるエリアの
プロダクティヴィティが向上してる。

サマータイムも中途半端に導入せずに3時間くらい。つまり朝8時は、
いまの朝5時にすると午後5時は2時。ナイターもデイライトで可能だ。
さまざまなアクティヴィティも10時まで明るければ問題ない。
節電もこれでOK牧場。

さらに、夏休み。1か月は取る。8/1から8/31はお休み。大人も子供も。。。
そして避暑生活のために山の限界集落やら廃屋を再生させる。
そもそも日本は世界標準にないGWで、世界からあきれられている。
んで8月に仕事しても、やつらはバカンスだ。ワビサビがないのは、
どちらだ?って話。

ついでに首都機能も、夏は北海道芦別市に。冬は沖縄宜野湾市あたりに。
参勤交代みたいで活性化する。疲弊するという話も出るだろうが、、、
まあ基地でもなくなればベストなアイデアだ。立法府と行政府に距離を置かせる。
まあどちらも機能しなくなるので三権分立は絵に描いた餅だったという事がばれる。
けど、それがいい。

北海道は米のできない土地だったが、いまは違う。
日本最大の穀倉地帯として夏6月から9月までの日本の首都として
「日本の首都は食料自給率100%ですよ。」
とかTPPの交渉の席で言っちゃう。

さて夏の東京。ビル群。まさにアドベンチャーアクティヴィティの宝庫になる。
世界一過酷なレース皇居24時間マラソンは8月。
世界で最も過酷な自転車ステージレースは、都内を28日間走る。
世界から夥しい数の参加者が集まるがほとんどの企業や組織は夏のバカンスで誰もいない。
そもそもイベントの目的は何か?という事が問われる。

暑いので少し思考回路が変調をきたしていますのでご容赦ください。

きょうの一枚

今年投入されたSSERのヘリ。大活躍でした。

2013/08/22 (木曜日)

「モンゴルからの報告」

熱い闘いが繰り広げられたラリーモンゴリア2013も静かに幕を閉じました。この数年間悩まされた雨も、今年は穏やかで一部には増水した川も無いではありませんでしたが天候はおおむね良好でした。

そして全行程予定のすべてのルート、すべてのSSが実施されて例年よりも2ユニットも少ないフィールドをオフィシャルスタッフは、まさに不眠不休で駆け抜けました。まことに、このオフィシャルスタッフの努力には感謝しても感謝しきれません。こうしたラリーへの愛情によってこの大会は支えられていると言えます。

大きな事故もありました。ETAP2で起きた池田選手のクラッシュ。わたしどもの持てる最善を尽くしました。事故現場での応急処置のあとのヘリでの緊急輸送。それも一気にウランバートルへ向かうリスクを計算し、途中の町で救急車に不足の医療器材を現地の医師に持ってこさせ、緊急着陸したヘリの中で追加的な処置が行われました。

そしてウランバートルの国立病院に収容後に検査とさらに追加処置が施され夜にはSOSアシスタンスによるアンビュランスジェットによる日本への緊急輸送が実現しました。
それでも事故から1週間たったいまもまだ意識不明の状態が続いているのが現状です。
ほんとうに心よりお見舞い申し上げます。

閉会式では多くの関係者参加者の皆様からのお見舞金をお預かりいたしております。持って帰ろうとしたのですが早朝便。募金の多くが現地通貨で日本では両替ができないために、次の便で持ち帰り池田選手のお手元にお届けいたします。

SSERでは今後も池田選手の一日も早い全快に、出来る限りの支援を展開してまいります。どうぞ皆様もよろしくお願いいたします。

大変シリアスな事故が起きましたが、ネックブレスや胸部や脊椎部の一定以上の能力のあるプロテクタ―の使用は、こうした事故での決定的なダメージからライダーを守っています。

安全面への配慮と検討は「これでいい」とすることなどありません。どうぞ皆様も日頃のライディングなどを含め、十分に厚く対策をしていただくことを心より希望いたします。

モンゴル高原は、何もなかったかのように静かに秋を深めています。

2013/08/08 (火曜日)

「ラリーモンゴリア2013、スタート直前」

ウランバートルは、やっと天候が落ち着いてきました。日本の秋のような爽やかさです。ラリーの参加者も続々とウランバートル入りしているようです。ときおりラリーマシンと思しき独特の乾いたサウンドがホテルの部屋にも届きます。

数日前のこと、ウランバートルから西へ300キロばかり走った草原で、ふと見るとエーデルワイスの群生の上に立っていました。とにかく見渡す限りエーデルワイス。。

こんな希少な種が、ここでは普通に咲き誇っています。とはいえここはピストを大きく外した少し誰でもが走るところではないので、お花畑を形成しているのでしょう。産毛に着いた小さな水滴がダイヤモンドのようで花弁なのかガクなのかはわかりませんが、星状の姿もデザインされつくしたような美しさでプラチナのよう。
つまるところ、小さなダイヤを載せたプラチナのリングのごときでした。

本番がこの近くを通るのですが、少しルートをずらしてここに踏み跡など残さないようにしようかと策を講じたりしています。

かつてボクは本格的にパリダカールに参戦して約10年間あまり寝ても覚めてもラリーのことばかり考え、ひたすら翌年に向けた資金調達とマシンやチームの体制づくりに没頭していました。。結果うまくいかなかったことのほうが多いのですが、あれほど人生の中で充実していた時間というものはありませんでした。それを自身の30代に費やせたことが、今振り返るほどに「いい人生だった」と思わせる少なくない要素を占めています。
上手くいかなかったほうが90%なのにですよ。

ティエリーのいうライフスクールは難しくて、うまくいったと思えば必ず大きな陥穽にはまり、途方に暮れていれば思わず助け舟が現れたり。

つまり人生もこのようで、これはうまくいった。などということはそうはないのです。だからといって悲観していても時間ばかりが過ぎていきます。

さてラリーの期間中にボクは、そして参加者一人一人は、24時間X8日間の短い時間にどれほど多くの知らなかった自分自身に出会うでしょうか?

それらの自分を生涯の良き友として、また次のラリーかまたは過酷な現実に果敢に挑み続けてほしいと、真にそう願います。また自身もそうであろうと心に誓います。

きょうの一枚

エーデルワイスの群生。アップも撮ってるのでまた今度。

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Organisation Voice 2013/07

2013/07/30 (火曜日)

「徳は孤ならず。必ず隣あり。」

愛媛県は偉大な建築家を排出する土地柄です。
代表作の一つ日土小学校(愛媛県八幡浜市)は、熱心な建築家らの熱誠な努力で、取り壊しから一転修復保存され国の重要文化財に指定されるという快挙を為しました。建築家は松村正恒(1913-1993)愛媛県大洲市出身 八幡浜市役所勤務時代に多くの小中学校を手がけました。

初期のTBIでは、必ずのようにこの小学校の前を通ることにしていました。25年ほど前なのですが。。。

その松村の遺した書にあったのが論語の「徳は孤ならず・・・」小さな半紙に、ふっと書かれたその墨跡にボクは心をとらえられました。
やはり偉業を為す人のものだなあ、と。

徳を積むということは、容易ではありません。
むしろ不徳のこころのほうが自由で闊達なのかと思う事さえあります。

しかし人生。
この言葉の通りだと感じるのは、
「六十にして耳したがう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」
の、耳したがう、歳になってきているからなのでしょうか?

つまり60になって初めて人の意見を聞くようになった。と孔子先生は述懐してるのであり、深読み癖のあるボクは60代になってもなお人の意見が聞けない自分を嘆いているのではないか?と思うわけですが、それはさておき。

やはり友を得るには、徳を積まなければならないでしょう。しかし友を得るために積む徳などというのもまた存在はしません。目的と結果はこの場合は結ばれません。
孤を良しとして自らを見つめてこそ、多くの隣があるべきです。

松村は、孤独な製図板に向かって完成した建物で子供たちの弾む声を夢見て、つまりその思いが結実して、そこに子供たちの歓声が実現したのみです。
それが徳を積むという事で、名声を得るだとか、評価を得たいとかという思いでは実現しない高みに登ってこそ、この論語を記したのかと心を打たれました。

子曰、徳不孤、必有鄰。

子曰わく、徳は孤(こ)ならず。必らず隣あり。

Confucius said, “A person of virtue is not isolated. He must have some companions.”

孔子先生はおっしゃいました。
「徳の備わっている人間は孤立する事は無い。必ず仲間がいるものだ。」

来年のTBIでは必ずこの前を通りますから、ちょっと眺めながらでいいので走りすぎてください。そんな素敵な建築物が沢山の四国を巡る旅にしようと思います。
ルートブックには誰それの設計した〇〇銀行〇〇年、とかって書いておきますね。
近代モダニズム建築を巡る旅というのをサブテーマとしておきます。

2013/07/29 (月曜日)

「ひさびさの、雨のSSER復活!でした。」

なんということでしょう。雨のSSERが戻って来ました。

といっても、実はこれSSERのもう一つの顔であるNPO-SSERの主催するイベント「第3回久万高原ヒルクライム2013」のことです。

土曜日は久万町商店街にある古い酒蔵に、冷酒とビアサーバーを設置してお寿司屋郷土料理が並べられて、表のステージではコンサートとトークショウ。

ステージ越しの背景は古い久万高原町の町並みが山裾に沿って美しく広がっています。西日が当たって、それは美しい数時間。明日はヒルクライムの本番なのに呑む食う!な選手たち。さすがに料理のメニューから「あぶらもの」は外しておきましたが。

そして標高1000mの宿では夜半から雷鳴がとどろき豪雨が!!「これは・・・」ところがボクは、コンナコトモアロウカト今回初めてレースキャンセレーション・ポリシーというのを定めて発表してありました。
こんな内容です。

Race Cancellation Policy
KUMAKOGEN・HILLCLIMB RACE2013 ORGANIZING Committiee

レーススタートの要件

気温気候が安定していてルート上がオフィシャルの手でクリアされていること。また道路分岐、一般民家とルートが交わる地点に役員または警備員によって封鎖の確認が出来ていること。

計時システムが正確に作動することが確認されていること。

スタート時刻の3分前までにスタートしようとする有資格参加者がスターティングゲートより後方位置に待機が完了していること。

レース中止またはスタート遅延、距離の短縮などの条件

大雨洪水警報が発令された場合

警報が発令されていなくとも、局地的な豪雨や雷が確認され大会競技委員長がスタートの中止または遅延またはコースの短縮を大会組織委員会に諮り裁定を得た場合。

スタート地点の気温が34℃を越え湿度が80%を超えた場合その両方またはいずれかの場合は、スタート地点に散水車が到着して冷却用の水を噴霧するなど対策が施されるまでの数分間の遅延。

中間点の気温が30度を超えるまたは湿度が80%を超えた場合その両方またはいずれかの場合は、中間点に散水車が到着して冷却用の水を噴霧するなど対策が講じられるまでの数分間の遅延。

急激な豪雨で、スタート地点までの移動に危険が伴うなどの路面状態。道路上を雨水が流れている場合など、収まるまでの間の遅延、または中止。

ゴール付近に濃霧が発生し、視界が10m以下となった場合はゴール地点の計測線を必要に応じて下げるまでの間の遅延。

ゴール付近が風雨等でゴール選手の下山待機までの間に体温を失うなどの危険が予測できた場合、その時点で中間点でレースは打ち切り山頂からの下山を開始する。中止の裁定までにゴールした選手はリザルトが発せられる。

下山時に豪雨等で路面状況が激変、または濃霧の発生などによる視界不良の場合、下山速度を10㎞/h以下にし競技役員車両の誘導で下山をする。

コース上で多重クラッシュが起き後続競技者の走行が不可能または大きな危険が予見できる場合。

緊急車両が進行する必要が生じ、後続競技者が緊急車両の通行を妨げた場合。

以上の場合は、役員が口頭でその旨を参加者に伝え、30分後に大会本部前の公式掲示板に文書で発表する。これらの裁定に関して抗議は排除する。

というものです。
ところが、あにはからんや愛媛県中予地方に大雨洪水警報が発令されたんです。この指針に従ってレースの中止を発表しようとしたのですが、どうも警報は松山市だけでここは注意報だけだというのです。

そう言えば雨は驚くほどではなく風も大して吹いていません(これは個人的な感想です)
ボクは開会式直前にゴールの山頂まで様子を見に行くことにしました。ゴール付近は視界が極端に悪く南風が吹いていましたから低気圧の中心が北西を東に移動している感じがありました。
「あと1時間ほどだなあ」
そう感じたのですが。

ゴールではゲートも立てられないほどの風が吹き。計測システムのアンテナなどもしっかり固定してはいるのですが。。。ここは標高1500m、気温は18度。。

「果たしてGO!サインを出して良いのか?」
判断は素早いほど、対応も素早くできます。

そうして、さまざまな判断を組み合わせ、スケジュールを30分遅らせ(閉会式は予定通り)レースをスタートさせることとしました。

判断を積み重ね、何とか無事に大会を終えることができたのは、やはり30年に及ぶSSERのキャリアと優秀なオフィシャルスタッフの支えの結果だということです。こうした自然の中でするスポーツは、主催するものに思いがけない負担と判断を強いることが少なくありません。その多くはいずれかにリスクを発生させるものですから。

終わってみればチームUKYOのキャプテン狩野智也選手がコースレコードを3分以上短縮し、つまり2位の選手にも3分以上の差をつけるダントツの強さを見せつけることとなりました。

さあ、次はラリーモンゴリアです。

2013/07/24 (水曜日)

「命もいらず、名もいらず」

なかなか、上手く生きるのが難しい昨今。
先の選挙を見てても、このところの世相を見てても、人々がさまざまな主張をし調整がつかず、思いの丈をぶっつけあう。
どうして、もっと人の思いを理解しようとしないのか。
自分ばかりが少しでも話したいとする政治家らが出演するテレビの討論番組からは醜さが耐えられない。つまりこれが彼らだ。

最近のヘイトスピーカー?たちの台頭も、これまた凄まじい。人は自由であるべきだとは思うが、あまりにも他者を平然と罵ったり、悪意に満ちた言葉を積み重ねるのは人間としていかがか。ののしってる相手と同じかそれ以下に落ちているという事に気が付かないのだろうか。つまるところ、これも日本人だ。

先月、飛行機に乗るのに数冊の文庫本を買おーうって、思って書店へ立ち寄って。
山本兼一の「命もいらず、名もいらず」を買った。
ご存じのとおり山岡鉄舟の人生を書いたものだ。

読了のあと、本当にすがすがしい気分で「とても良い本を読んだ。」と満ち足りた。受賞作だった氏の「利休にたずねよ」も、誠に素晴らしかった。
人間の正しい生き方がこうした、作家の手によって明確に発せられているというのに。
たしかに西郷隆盛「命もいらず、名もいらないという人は始末に困ったもんでごわす。」と。

いまの人たちは、始末がしやすい人たちではなかろうかと思う。

きょうの一枚

モンゴルは不思議だ。乾燥が進んでいても草原は豊かで、砂漠もあるが雨も降り砂丘の中を川が流れたり湖が出来たりする。
こんなフィールドで、もう20年近くラリーをしていることに喜びを感じなくて。
ほかに何があるのかいっちゅうオハナシ。

2013/07/19 (金曜日)

「社説」

とある人に
「FBはともかく、OVはSSERの社説のようなものだからもっと書け」
といわれて
「なるほど、そうだ。」
と急に、こちらもやはりこれまでのように、気持ちを書き続けよう、と思う。

「社説」
とは少々大げさだが、新聞各紙のように立ち位置をある程度鮮明にするという態度が必要だろうという事だろうか。

それはたとえば「ラリー」と「エンデューロ」という、似て非なるものの両立か融合か、あるいは完全な離反か?という事かもしれないと思う。

いやそうでもなかろう。とも思う。
そんな基準のようなものから自由な位置にいればこそ、開放的に夢を見ることができ、多くの手続きを踏まずにすばやく変革なり挑戦なりが実現する。
それがSSERの態度だと思う。

奇しくもERとはEnduro+Rallyの頭文字を取った。
もう30年前のネーミングだ。

当時オートバイでラリーという言葉は存在しなかった。パリダカもはじまってまだ数年目で、ラリーという名称をどうするか?
FIAも喧々諤々だったように思う。毎年のように新しい定義の言葉が生まれSSもスペシャルステージと呼ぶなとか?じゃあなんていうのか?と聞けば
「セレクティブ・セクター」
と呼ぶと、丁寧に分厚いブルテンに書かれている。
ステージやレグというネーミングも、ラリー用語なので使うな。ということになりステージはEtapと呼び、最終的にSSはただスペシャルとのみ呼ぶのだということになった。

このあたりから、気持ち悪さが付きまとった。
もうこれらのスポーツを司る者たちには、そのスポーツを愛するという心よりも、違うもののために動いてるようにしか感じなくなった。

そのように我々が試みるスポーツは、若い。モータースポーツの歴史そのものも、そうは言うほど古くはない。まあ、多くのスポーツだって、数百年の歴史!なんてのもないのだ。

そんな浅い歴史の中で、さまざまな試みが繰り返され、時にはメーカーの販売戦略に翻弄されたり利用されたり、FIAなどの組織は、人々の声を聴かなくてもだれにも管理されることなく短い春を謳歌するかのような存在に変わった。

なぜだろうか?やはりモータースポーツは、あらゆるスポーツの中でも一二を争うほどのリスクのあるものだからか?いな、あらゆるスポーツの中で、巨大産業である自動車メーカーの動向を反映するからだろうか?
いや、それらとは根本に違うなにかを隠し持ってるように感じる。

ロス五輪の前と後では、五輪の招致が変わった。
ロスまではオリンピックの開催には多額の費用が掛かり、収益も見込めないとあまり歓迎されなくなっていた。

それを変えたのはピート・ローズだ。
完全に商業主義で固めた。
儲けるのだ。儲けることこそ正義だ。と。

それ以来オリンピックはエンターテイメントになった。
華々しい開幕のセレモニーに使う金額はいったいなんだろうか?なぜ多くの選手が違法な薬物使用をしてまで勝たなければならなくなったのか?
間違いなくそう遠くなく、この巨大商業サーカスも終焉の時を迎えるだろうが、なにか人類の足跡に寄り添ってるようにも見える。

エンデューロとかラリーなどのような、まるで辺境のスポーツは、いまのままでいいのだろうと思う。自己完結をし、禅問答のように佇み、勝ちと負けの意味を問い、考え、そしてまた月曜日には仕事場に戻る。
うん、これがいいんんだ。

2013/07/17 (水曜日)

「美しき北の日々」

まさか、あれほど晴れるとは思いませんでした。
今朝は左腕の日焼けが痛いほどです。
本当に夢のような4日間でした。
春木さんに、閉会式のあと
「主催者冥利に尽きるね」
と、話しました。
それは、参加者の皆さんの、言葉の一つ一つへのボクタチなりの感想でした。

ラリーという競技は、とても不思議で、
「旅だけではさみしいからだ」
と、いつも思います。
春木さんのFBにコメントで
「道がまっすぐで、さみしい。」
山頭火の詩ですが、
書いたことがあります。
たぶん北海道4デイズのコマ地図のコマが少ない
というようなことからだったろうと思うのですが。

2人でリエゾン中に、まるで大喜利のように
「〇〇が〇〇で、さみしい。」
を繰り返していました。

つまるところ、それはラリーのことです。
道がまっすぐで、さみしいからラリーをしてるわけです。

それはまた人生のことのようでもあります。
上手く行くってことは、上手く行かなくなることの前兆なわけで、
まっすぐな道もいつかは曲がり角や分岐点がやって来るのだという事です。

山頭火の言う、まっすぐな道の真意はわかりませんが、きっと大酒を飲んで家に帰る途中で、どこかでもっと飲もうと思いながらも、寄る店または飲ませてくれる知人がいないのでさみしい。というようなことを直接詠んだものと思われますが(イヤコレハワタクシノ勝手なカイシャクデスガ)後世のわれわれは深読みに深読みを重ねて、心の目を開くことを忘れて「人生のことだ」と、分かったような顔をして、話しているだけなのです。

まあ、こんな感想を書こうと思ったわけではないのですが、本当に美しくて素敵な4日間でした。閉会式では皆さんの声を、本当に天の声と聞き、胸にしっかり受け止めて明日からの原動力にしていこう、とそう思いました。

幾重にも御礼を申し上げます。

2013/07/05 (金曜日)

「北海道とヒルクライムとモンゴルと」

この1か月余りのおおよそのマイプロデュース。

北海道は早くも7回大会。思い出深い芦別の地を離れられません。
ガストン・ライエのことや斎木校長の姿は、時間が経とうとも変わりありません。
ひょっこりと現れそうで仕方ありません。

北海道4デイズを書き終えて印刷をしています。このOVを書いてる後ろでは、印刷機がウンウンと音を立て、少しだけカラーになったコマ地図が、きっと皆さんを驚かせることでしょう。これもSSER直営のワークショップDC-3の実力です!!そして今年は知床まで行きます。ルートブックには「ヒグマの気配濃厚」とか「オホーツク!」さらには「北方領土!」とか記載されていて、
いやがうえにも気分は盛り上がります。

この、最果ての地に来てもなお、日本の国土と人々の暮らしぶりの美しさには、心が満ちてきます。多くの国で見るように最果ての地の不毛感というか荒れ果てた感じがなく、丁寧に暮らす日本人の姿があります。それでも少子高齢化なのか、地域経済の疲弊なのか、そうはいっても打ち果てた荒廃したところも少しずつ増えてきているように思います。

どこに居ても流れるニュースは、多くは東京発です。これだけ違うところで同じ番組を見てることにも不思議さを感じたりします。ニュースでは人々の不満に訴えかける、党首らがかまびすしい。品性の価値観が変わってきたのかなあ。。。

人は足るを知れば、心が満たされると言います。
不自由を常と思えば、いまの暮らしの足りようは、ちと度が過ぎてるかもしれません。エネルギー問題などもその一つです。無かったんですよ、電気なんて。

国会議事堂が建設されたのが明治23年1890年のこと。世の中には自動車が生まれ始めようとしてる頃です。議事堂には電気が引かれ、そしてたちまち翌年1月には漏電で全焼したと言います。

そうなれば国民からは「あれはやっぱり危ない、恐ろしい」と「電気不要論」が起こるのは当然のことです。目に見えないものを制御しようとするのは、やはり人間のあすまじき行為である!というわけです。

まあ原発問題は触れませんが、電気料金の値上げが凄いことになっていますね。
ですから、物価上昇が加速する。これならデフレ目標も達成可能だし、なんかまんまと嵌められているような気がしませんか?

原発問題おいても、だれも責任を取りません。それ以外の大概の国の問題の責任も取らないのはいかがかと思います。
責任を取るという姿勢で腹を切ってきた日本の武士たちの末裔の国ではもうないのでしょうか。

写真はモンゴル。ETAP1のゴールから歩いて行ける距離にありますが、かなり北のほうが素晴らしいのですが、少し南寄りで砂を渡ります。川と絨毯の緑が織りなす光景に幸せを感じます。

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Organisation Voice 2013/06

2013/06/27 (木曜日)

「いまさら、モンゴルへの憧憬」

ボクはモンゴルの地形は、ヒマラヤ山脈に端を発する大造山活動の皺(しわ)でできていると思ってる。ベッドのシーツをことら側(インド洋側)からグーッと押していくと、すぐ近くには皺が高く立ち上がる。これがヒマラヤとパミール高原だ。そしてその先は少し凹んで、これがタリム盆地。ベッドのシーツの皺はさらに先のほうへ、少しずつ距離を開けながらそれでも時折、皺を山脈のように作っていく。つまりモンゴル高原は、シーツが持ち上がって、それぞれ東西に寄った皺で山塊が出来ていると思う。

山塊は時に4,000mを越えているが大地の広がりと、そもそも大地が1,500m位の標高があるものだから、それほど大きいとは見えない。
その北側には湖ができやすい。山に降った雨は北側が比較的乾燥が少ないのだろう。それとモンゴル中部のハンガイ山脈に降った雨が、一気に南に進んで山塊の南に水たまりを作るからだろう。大きな湖もあるが、北部のシベリアの森の湖と比べ水量は不安定だ。

もうひとつ面白い現象がある。大きな山塊は、北に湖を抱くが、春になると西風が吹き大量の砂が運ばれてきては北斜面で渦を巻くようにして北麓に降り積もる。
こうして山と砂丘と湖、それに草原というサハラなどの常識を覆す複層的な景観を生み出す。
湖に浮かぶ砂丘、といわれるものはこうして作られていく。そして地球の皺はこのあとはシベリアに広がり、巨大な森林地帯を形成していく。
タイガの森は豊かな恵みをもたらす。
そもそもタイガとはロシア語で針葉樹のことだ。

タイガの森は、たくさんの水を抱き、大きな川を生み出していく。ボルガなどロシアを貫く川はどれも瀬戸内海かと思うほどだ。

さて、モンゴル。
この国が、そんな地球の皺の間からひょっこりと顔を出して、世界帝国を築いたなどとはどうしても考えられない。しかも好戦的で残虐で、ユーラシア大陸を震え上がらせたなんて。。。
なにがそうさせたのだろう。
この地を旅しながら、いつも考え、いつも考えがとん挫する。

チンギスやオゴティやフビライが、本当に世界征服を考えていたのかは、当時の世界観から見ても見えてこないのではあるまいかと思う。
草原に住んで、わずかばかりのシルクロードを渡る旅人たちから得た情報のみで、どのような世界観を築いたのだろうか。

草原にたたずむほどに、何もわからないことを知ることができる。
そう、結論は「なにもわからない」という事だ。ただの地球の表皮の皺ほどのこともない。

2013/06/18 (火曜日)

「FA-coat Rally Mongolia 2013、カウントダウン!!」

試走も終わり、いよいよ船積みのタイミングとなりました。今回のエントリー状況は日本人のバイク参加者が少なく、その分を韓国勢とスゥエーデン人らで上回るという事になりました。モンゴル勢は、先のダカールの2人が出場したことも手伝って国内では大人気!!多くのライダーたちが参加を進めています。

そしてルートのプロフィールですが、試走のノートに落書きしているコメントをいちおう紹介します。

ETAP-1「まるで草原の道コレクション。ナビも容易で、見事なさまざまな草原を繋いでいく。」まあこんな走り書きをまとめてルートプロフィールにしていくのです。

ETAP-2「スタートすると目の前はデューン!CAPで登り、かすかなCP隊が遺したトレースを見つける。そのあともナビは複雑で、道なき道を砂に向かって。風景はまるでお伽の国にいるよう。この世のものとは思えない美しさが前半」少し感情が高ぶって書いてるとしか思えませんが・・・「途中の寺院が凄い。林のような谷を抜けてナビが難しいが、古刹に驚きながらCAPチェンジ」と続いてる。

ETAP-3「朝からスガワラ峠に挑む。いつもながら感動的な世界。RCP以降はゴビハイウェイ。距離は降るレンジを超える。560㎞をゴールにして給油そしてリエゾンでビバークへ。」

ETAP-4「わずかな距離のループ。湖を時計回りに一周。短いが面白い。スタートは正午にするか?」そんなこともメモられている。

ETAP-5「ゴビのダイナミズム。さまざまな姿のゴビに遭遇する。」南ゴビを西から東に向けて高速移動。

とまあそんなふうに綴られてる。ETAP6以降は、またホンチャンのルートプロフィールとかインフォメーションとかで確認してください。

総じて、素晴らしいルート設定だと自信を持っています。

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2013/05/27 (月曜日)

試走にでかけます。成田で出発便を待っていますが、搭乗口には定刻と表示されているものの、ボールディングブリッジの先には、機材はありません。ということでOVを書いています。

TVでは1ドル101円とか1ユーロが130円とか言っています。どうして為替相場などに振り回されるのでしょう。どうしてそんなものを売り買いして儲けただとか、損しただとか、そんなことに必死になるのでしょう。

新聞には
競馬で30億得て28億の馬券代が必要経費だとか、そうでないとか。こんなことを報道するから、ほとんどの人が損をしているのに、真似をしようとする人が出てくるのに。そもそも、損失の方が大きかったら、どうしていたのかは誰も問わないじゃないですか。

あっ、放送がかかりました。
到着便遅れのため、出発の案内ができない、のだそうです。
困ったものです。
なにもかも。

要は、何にしてもこの『困った』に対応するのが人生なのかなあ、なんて空港でぼんやり。いずれにしても、今日の便が遅れたとしても、数日内には試走ははじまります。素晴らしい夏のモンゴルを存分に駆け抜ける、美しいラリーの準備をしてまいります。

2013/05/22 (水曜日)

「どうしますか、円安!」

1995年、第1回日石ラリーレイドモンゴル。。。この時は、忘れもしません1ドル85円!でした。そして2年目2回大会の時は1ドル120円!!ボクは「オーマイガッ!!」でした。思えばこの時の急激な円安以降、ずっとラリー開催の背景は水面下のまま、塗炭の苦しみ。
そして2013年!!「1ドル80円なんて夢のようやね。」迂闊でした。読みがあまりにも浅きに失しました(そんな日本語表現はありません)。それがみるみる20%も!20%なんていうのは、およそ想像の範囲を超えていたのでした。それに加え現地の物価高騰。。。

「どうしますか?」
「どうにもせんよ。仕方ないもんね。」
こうしたSSERの打たれ強さというか、達観力?というか。。。

という事で、なにが言いたいのかというと、まあ「しゃあないなあ」ということで。
そんなこんなで、試走に行きます。どんなルートになるかはここでは秘密。
6月末にはお伝えできると思います。

そして、今回のラリープレートは画家の安藤俊彦さんにご協力を頂いて、2012年のボルドバートル君の姿が描かれたもの。AUTOの皆さんごめんなさい。来年はAUTOの絵も描いて頂くことに。
それにしても「芸術」の力は大きいですねえ。素晴らしいラリープレートになって、大満足。これで円安を忘れることにしました。

2013/05/20 (月曜日)

「ラリーとは、なにか。」

そんな根源的な事を、札幌の夜に考えていました。札幌の夜というのは、寿司を食べて近くの暗いバーで、スベイ川沿いの蒸留所で時間をかけて作られたシングルモルトの香りに蒸せながら。。ではなくて、ホテルに帰って、ひとり窓から夜の札幌の街を眺めながらのことです。

100年前、この地はどんなだったろう。最近どこに行ってもそんなふうに考えるんです。きっと100年前は、生きていくのも厳しい、でもすごい風景、すごい自然との共生があったろうということです。北海道がそうなだけではなく、日本のどこもがそうした暮らしだったろうと思います。

石鎚山には石鎚村という集落が残りますが、そこに最後の1世帯の老夫婦が、まいにち石鎚を仰ぎ、生活をしています。道は険しく、たどり着くのも困難なところです。
そこは100年前と大きく変わったものではないだろうと思います。いや100年前こそは多くの村人で賑わい祭礼や集落の人々と、喜びや悲しみを共有しあいながら暮らしていたはずです。

話がそれてしまいました。
イベントを開催するという事は、イベントを開催することが目的になってしまいがちです
。昔の集落の祭礼は、多くには「祭礼が目的」だったろうと思いますが、その先にある自分たちの生活の活力や、ひいては次世代につなげるメッセージがあったんだろうという事が窺い知ることができます。

ひるがえって、ラリーのことです。
ラリーというイベントの先には何があるんだろうか?
ふとした不安のような、道しるべを見失った時のような、GPSが全く拾わなくなった時のような。そんな不安と苛立ちを覚えて、その夜は、すっかり睡眠不足になってしまいました。

そして日曜日。
ボクは参加できませんでしたが、関西に住むラリー仲間同士の結婚式が高知の山奥で開催されたと言います。
ていうか、ボクは頼まれてゲートの横断幕を出力して託けておきましたから。
誤解を恐れずに言うと、それはまさに集落の祭礼のようでした。ラリーという集落に住む人々が、まあ全国から遠く高知の山奥の廃校あとのささやかな宿に集まったと聞きます。大事なのは距離や時間ではなくて、どの部分でつながって集落の一員を形成しているかという事です。

なにか数日前に悩んで考えていたことが、急速に溶けて行くような感じをみなさんのFBにUpした写真やお祝いのコメントから感じました。ラリー集落は、もはや限界集落か?と思っていたのですが、さにあらず。いまだに再生が繰り返されていきます。いまいくつも携わってることの中で、もちろん物も、自身も人も、何もかもですが、この数日間の想いは貴重なものになりそうです。

「No Rally No Life」 今年SSERが掲げた小さな、まあキャッチフレーズです。
ボクも集落の一員として、ラリーとともにあった人生がいかに幸せだったかという事を再び認識しているところでした。

とはいえ、まあ次は北海道でねっ。

きょうの一枚

菅原さん!ハスクバーナで。。NoRally No Lifeなんて、この方の前で言うのはまさに恥ずかしいばかりです。北海道はKTMで来ると言います。。まことに。

2013/05/10 (金曜日)

「時は流れない。それは降り積もる。」

原典はサントリーのCM。そこでは「・・・それは積み重なる。」という表現だったけどボクは時間を雪に喩えて「降り積もる」が良いなあ、と思ってた。
音もなく降り積もる雪が、時間のように思えたのだ。

最近のこと、恐ろしい速度で時が過ぎていくような気がする。すぐ夜が来て、すぐ朝が来て、すぐ月末が来て、すぐ次のイベントの日が来たと思ったらすぐに終わる。そして年の瀬が来て、異口同音に「今年もあっという間でしたね。」と。
そして気が付くと3月が終わり「もう1/4年が終わった。」と嘆く。誕生日も容赦なくやってくる。

人は時間の流れを調節する機能を発見できないのか?
ボクは不可能ではあるまいと思っている。

いい仕事をしてる時には「早く夜が明けて、現場に行きたい」と思う夜は長い。
楽しみにしてる冒険旅行の出発日は、これほどまでにやって来ないのかと思うけど、準備が出来てないときには、「あっ」という間にやってくる。

つまりこれは相対性理論で片づけられるのだけど、時間をゆっくり降り積もらせるコツは、「楽しみにする」「早くから準備をして、荷造りなんて2か月前には終わらせる。」孔子言うところの「どこに行くにしても、心を込めて行け」という事だろうか。

話は変わる。腕時計を修理に出した。裏蓋を開けるとそこには製造年月日(購入年とは1年以上違うけど)と修理歴が刻まれていた。時計は1984年製造になっていたから、来年で奇しくも30年。SSERの歩みと同じだ。ということは彼が(時計ね)ボクの30年を共に過ごした唯一の身に着けていたものになるだろうか?

一度だけ時計メーカーSECTORのスポンサードを受けたパリ北京の時は置いて行ったけど、それ以外は何の躊躇もなくアフリカも中央アジアもチョモランマやタクラマカンや、もちろんモンゴルの奥地なんか40回は行ってる。
まあ地球上のあらゆるところを旅した。

時間はいつも微妙に進む。
速く時よ、経て。
と、言わんばかりなのに2日ばかり、ぼけっと過ごすと、停まってたりする。

ここにも時計いや時間との過ごし方のコツがある。
それにはいい時間を振り返ることだ、そのためには今日の一枚にある30年物で。
30周年記念パーティは、これでよろしくお願いしますよ。

2013/05/05 (日曜日)

25年目、つまり四半世紀の時を刻んだTBI、ツールドブルーアイランド2013は、規模を拡大して大阪から南九州そして四国を巡って無事にゴールしました。

ブルーアイランドトロフィーは二度目の受賞となった菅原義正さん。総合優勝は福岡秀行さん。そして、第一回からの出場者の広瀬達也さんも人吉市のキャンプに姿を見せていただきました。

25年。思えば長く、悩んだりさまざまな試行錯誤を繰り返したものでした。第一回から十三回までは日本石油が大会を支えて頂きました。そこから独立して12年、多くの出会いと楽しさばかりが思い出されます。

そんな来年はSSERが誕生して30年。なにかアニバーサリーイヤーが続きますが、どんどん盛り上がっていきたいものです。

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Organisation Voice 2013/4

2013/04/25 (木曜日)

「NO RALLY, NO LIFE」

アドベンチャーラリーは、かつて人生に喩えられた。
「それは、人生の縮図のようだ」とね。
ティエリー・サビーネは
「パリダカ?それは、ライフスクールだよ。」
と語った。
このラリーに世界最多出場と完走の記録を更新し続ける菅原義正も、
「なかなか卒業証書を手にできないのですよ。」
と話す。

ライフスクール、それは人生の学校のことだろうか。
たとえば人生とは、上手くいかないことが多い。
調子のいい時に決まって落とし穴に気が付かない。
ラリーも、まさにそうだ。良いことのあとには、トラブルがある。
優勝なんて、いつでもつかんだ両の手からするりと抜ける。
うなぎみたいなもんだ。
もう嫌になるし、情けないし、泣きたくなる。
そして、その耐性を身に着けていくことが良いラリー、
または人生の過ごし方なのかもしれない。

NO RALLY, NO LIFE・・・ボクにとって、人生でラリーに出会わなかったとしたら、どんなふうに生きていたんだろうかと、想像することさえできない。
つまり「ラリーのない人生なんて」想像できない、そんな意味で30年の節目を来年に迎え、個人的な言葉として「NO RALLY, NO LIFE」を掲げた。そして申し訳ないことに?TBIのTシャツにまで印刷してしまった。

今年25年目のTBIは。そんな四半世紀をこめて、九州までも足を延ばすことにした。土佐と薩摩は、いつもSSERのイメージに内包されていた。
新しく変える力。妥協しないという生き方。それを、貫いた男たちのように現代にもその心を、たかがラリーだけど、人生をかけてそのラリーを全うしていきたい。今回のボクの意気込みだ。
されどラリーだ。
きっとあなたも「NO RALLY, NO LIFE」か、もしくはそれに代わるなにかを、この旅で見つけるに違いないと思う。

2013/04/15 (月曜日)

「スギちゃん、サハラマラソン90位完走!!」

ここのところモンゴルのカミオンバレイやTBIのスイーパーとして頑張ってるスギちゃん!憧れのサハラマラソンを90位で完走したという連絡が。
いまを去ること10年前、彼らは「PIYOKO隊」というチームで、この地で開催されたダカールラリーに参加していました。
その時の話を聞くと、やはり準備が出来てない!という感じが否めませんでした。
いや本人たちはそれはそれで十分準備をしてきたのでしょうが・・・
それに比べると、サハラマラソンのほうが簡単なのか?というと、まったくそうではないはずです。過酷を極めたことでしょうね。それでもこの数年間、モンゴルのラリー試走の時でさえ、日没前にランニングに出かけて泣きそうになって?「道が分からなくなって、こわかった!」とか、朝からシュラフを抜け出しては走っていましたから、その熱意たるやパリダカの時もこの位すればよかったのに・・・と思ったものです。

とにかく目標を立てる、挑む。もう絶対来ない!というくらいの中から萌芽する「次はこうする!」という、小さな思いに水をやり育てていく。これは人間としてもとても大切で、有意義な行為の一つだと言えます。
トップアスリートやオリンピック競技、または人気のスポーツばかりがもてはやされる中にあって、こうした過酷で異常なほどの人間性を突き詰められるものは、やはり人間が特殊な種であるという事を表すものだと言えます。

予想以上に世界のフィールドは広く、挑戦するという行為は輝きに満ちています。
おめでとう!スギちゃん!

2013/04/08 (月曜日)

「試走完了、TBIカウントダウン!!」

大型の低気圧が去ると西日本は思わず寒い今日この頃!ですが、今日の良いお天気ときたら。。。久しぶりにGS!(っても、アドベンチャー)を事務所から引っ張り出そうとすると・・・「ルートは二つです。」つまり事務所の奥に展示されるようにあったマシンは、引っ張り出すためには倉庫を通らなければならないのですが、それはもうお片付けが出来そうにないくらいのボリウムの資材を片づけなければなりません。

もうひとつは、事務所の裏のウッドデッキから畑のあぜ道を押して(または乗って)
道路に出る至難の道。
「・・・」
でもいつもこうやって「なんだめんどくさいな」と止めてるのがここのところのボク。
でも今回は気合が入ってました。
「よし、畦道を押そう!」
と心に決めて、デッキに出したときに、森の中に伸びる細いトレイルが目に。
なにを思ったかボクは一気に森のトレイルに向けて発進!
「なんだ、簡単じゃん!」
という事で無事に突破。。
やっぱダイエットの効果は大きいのです。身体がやや柔軟で、ついでに選択肢も増える!という事で、ボクのバイクの事務所から出すルートは「3つに」つまり、物事にはもう一つ選択肢が潜んでいるという事。

そうそう、そもそもアドベンチャーを引っ張り出して乗っておこうと思い出したのも「北の島」の某編集長が、「TBI九州へ行こうかな?バイク借りれますか?」
「HP2?ええよ!」
「いや」
「アドベンチャー?」
「そうです。」
いつの間に彼もあんな大きくて重たいバイクに乗ろうと思いだしたのでしょう・・・という事で、最近はFBもOVも多忙にかまけてるボクですが「元気です。」というかこの10年で、いまが一番元気なくらい。
これからしばらくは「アドベン通勤」で、Max Fritzさんみたく毎朝ツーリングしてから出勤しよ!なんて思う今日このごろ。

きょうの一枚

写真は2007年の西安-パリのときのものです。

2013/04/02 (火曜日)

「TBI、まもなくですよ。」

春が足早に過ぎ去ろうとしてるのが気に入らない毎日ですが、
皆さんはいかがお過ごしですか?
花が咲けば嵐のような風がふき、やんだと思えば雨が降る。
まことに、ながめせしまに、な感じでの花の季節でした。

そんな4月を迎えると準備に精を出すのがTBI。
25周年記念という事で拡大版の今大会は、とくに見どころ満載!です。
すでに大阪-九州の試走は終わり、今週は四国の試走がはじまります。
この四国の試走が終わると来週には今回のルートが、一筆書きになってつながって行きます。
まったく、無機的な線がコマ地図の中に生命を吹き込まれて、
そのコマを追いながら走れば、驚くばかりの日本が広がっている!
というのがこうした長距離レイドの魅力です。

今回はいつもより1日長い8Days!昔々、ISDEのイメージをモチーフに、
パリダカールのビバークを少しだけ意識した、そんなTBIの最も長い8日間。
間もなく、カウントダウンがはじまります。

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2013/03/25 (月曜日)

「TDR、ごきげんでしたね。」

このところSSERといえば好天だけ!晴れ男SSERが定説になりつあるようですが、この週末の土曜日は風が強くて・・・2日目は雨の予報も気が付けば、いつの間にか晴れ。結局、先の九州4デイズ、TDRと降雨量0mm!!もうあの忌まわしい記録とは完全におさらば!!昨年は吹雪の中のTDRでしたものね。

それにしても今回のルートは愛情たっぷり!溢れんばかりのラリーへの愛情を感じました!!そして桜満開の大井川鉄道のSL、本当に豊かな大河が見せる様々な表情にしばしうっとりと春の日曜を満喫しました。ついでに帰りの大渋滞もまあ満喫しましたが・・・。

さて、このTDR、ラリーを広く門戸を開けて!という趣旨ではじまってもう4年。
ラリーがどうのということばかりではなく、本当に走ったことのないところ、行くなんて考えたことのなかったところ!そんな思いがけなかった土地!を走ることが出来て、改めてまだまだボクタチは日本を知らない!のだということに。

加えて言うならば、日本のどの土地も、人も風景も、おもてなしも素晴らしいの一言。旅は、楽しですよ、まことに。

本当にご機嫌な2日間でした。
そこで来年からは、この磐田に腰を据えてもっともっと楽しいイベントにしていこうと画策中!「もっとラリーを」というような提案で行ってみたいと思います。
とりあえず朝方に帰りついて、機能しない頭でぼんやりとしたいところなのですが、とにかく忙しいので、これらのオハナシはまたゆっくり。

きょうの一枚

家山駅のSL。これとうまく時間が合うように設定されたルートだったのですが、残念。見れたのは一部のオフィシャルとテルさんのクルマ。。桜に蒸気機関車、日本はやはりノスタルジーに酔っています。

2013/03/18 (月曜日)

「なんか、TDR。面白そう」

TDRが今週末。桜の便りも聞かれる頃。京都では早すぎる吹雪?に見舞われるは、林道はことごとく雪で塞がれているわ、で「雨の」SSERを象徴するような1年前。そして今年のルートインフォメーションを見ていると浜岡原発は出てくるし、SLの到着だか出発だかにタイミングを合わせようと努力しているし、なんたって磐田市の協賛で開催されるんだそう。いや主催者が・・・だそう。なんて書き方はけしからんので、開催されます(キッパリ)・・・最近とみに思うんですが、やっぱり「人生は旅」なんだということ。
旅に出ることは、小さなものから大きな旅まで、心は穏やかなりません。
孔子は「どこに行くにしても、心を込めて行け」と言いました。磐田市と聞くとボクはさっそくその歴史やら文化やら、成り立ちやら産業やら企業やら世界観まで予習をします。あっ、今回は忙しいのでまだしていませんが・・・

そうしていると、それがどこの土地であろうと興味というか好奇心はむくむくと起き上ってきます。旅の楽しみ方の一つは、これです。
それに「天竜川」確か諏訪湖から流れ出る唯一の河川?のはず。となればマナサロワール湖からガンジス川が・・・みたいな空想を膨らませます。
そうか、諏訪湖から彼らも旅をしてきて遠州灘に注ぐのかあ。と、川の流れにも心をときめかすのが旅人のあるべき姿であります。

そのうえ大井川鉄道、通称ダイテツ。。。地方の路線にしてSLを動態保存しているのは見事なうえ、経営もなかなかのものと聞いています。そんな、全国でも類を見ない存立基盤のささやかな一部でも垣間見ることができるのなら、これまた面白いではないですか?

そうそう大井川といえば遠江と駿河を隔てた戦略上の要衝。小田原征伐やら、秀吉や家康の姿を思い出せば、これまた旅もまた愉し、ですねえ。
それにしてもルートも良くできていて、楽しそう。土曜日は篠塚さんもやって来ますよ。

2013/03/15 (金曜日)

「かつおのたたき」

一緒に現場をやっている大工のマコちゃん。日曜日は1月以来の休みを取って、高知にツーリングで鰹を食べに行くんだそう。ロードバイクでいくんだそう。。

ふと「なぜ高知のかつおのたたきは旨いんだろう?」
さらに「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」
と詠まれた鰹のシーズンはどーしたのか?江戸では
「にょうぼうを質に入れても食べたい初鰹」ではなかったか?
と、ひとり日曜日に行くマコちゃんのツーリングの鰹の事を考えていた。

香川の人が日本一うどんを食べるように、高知の人は日本一鰹を食べる。
つまりそこに秘密があるというわけだ。
「名物にうまいものなし」の場合の名物とは、
普段にはその土地の人が食べないものをいう事が多い。
じゃあ旅する時のヒントは、そこが何が特産であるかではなく、
その土地の人が特異的に消費しているものが何かという事だろう。

高知に行くと鰹は藁で焼いてくれる。
焼き加減も素人ならずともみな一様にうるさければ、
おそらくこれも全国一の消費と思われる「ゆず」の加減もうるさい。
つまりその土地の人間の生活と気象が味を磨く、ということだ。

この前も、高知市内に昼前に着くと行きつけの店、
戸を閉めれば時間の概念を無くすほどの酒の席。
「ああ、これが高知だ。」
多くの酔客は土佐の酒と鰹。
そこで出てくる鰹のタタキは、一口で口に入れる事が困難なほど。
つまり、でかく切りすぎている。

そんなことを考えながら
TBIではカツオのたたき・・・藁焼き実演をお願いしますね・・・
・・と、婉曲なお願い。
それにうどんも。鹿児島の夜は、ソラマメと焼酎と、宮崎では・・・
そうそう大分では、あの「だご」を汁ではなく、なんか面白い食べ方はないかなあ??

とダイエット疲れのボクは週末は食べるモノを考えては喜んでいます。

2013/03/12 (火曜日)

「それが人生だよ。」

どうも最近のボクの口癖らしい。
今日、現場を一日一緒にしていた大工のマコちゃん。
ボクが
「それが人生よ。」
というと
「今日それ3回目」
だという。

フランス語だと「C’est la vie (セラヴィ)」
ガストンも口癖だった。

ボクは震災関連の映像を見ることができない。
石巻のSSERの緊急支援テントに並んでいた一人の老婦人の姿を思い出して苦しくなる。
その老婦人は、全てを失っていた。家族や家財ばかりではなく自身を完全に失っていた。
こんな過酷な人生があるんだろうか。
我々の人生なんて恵まれていて、
なにの不足や文句があるんだろうか。
あの、歩くことも考えることも、あるいは呼吸することさえも困難なほどの一人の老婦人に、かける声も勇気もなにもなかった。
その姿を見て、ボクは一生分の負荷を負った。

日々の生活の中で上手くいかないことなんて普通の事だし、最悪の結果だ!とか言うのも、案外大したことはない。
言葉ばかりが感情を煽っているに過ぎないし、そんな過激な言葉に救いを求めて居るばかりだ。
ボクタチの日常なんてたいしたことはなにもない。
それが人生だからだ。

ならどのように生きるか?
難しいけど、考えるのが人生なのかもしれない。
われ思う故にわれあり。
Je pense, donc je suis
なのだ。
存在が絶対なのは、自分自身の思考のみなのであるから。

ほんとうにそう思う。
みんな過酷な人生を背負って生きている。
どのように感じるか。どのように見るかは、自由だけれども背負うものの量は実はみな等しいのではないかとも考える。
それは思考の力の量に比例するから、とまた説明が付かなくなった。

それが人生だよ。

というわけで、ボクタチは新しいTBIに取り組んでいますからね!!

2013/03/08 (金曜日)

「美しき日本の山河」

中国の環境問題がひどい。ひどいとは思いますが日本も原発による放射能汚染もそう棚上げできたものではありません。
人のふり見て、なんとやらとは、美しい?日本人の姿勢のはずです。
そういえば2001年ころからボクタチは「日本の美を愛でる」をテーマに日本を縦断する企画を立ち上げました。ツールドニッポンです。

北海道の芦別市にスタートを設け、宗谷岬を走り鹿児島の佐多岬までを駆け抜けるという壮大なプロジェクト。2年目は奄美大島をスタート、3年目は長崎のハウステンボスをスタートとしました。
3年目は日本の原子力をテーマに長崎の平和公園、それに雲仙の普賢岳、さらに日本海側の原発銀座や、青森の六ヶ所村やら福島の原発も眺めながら走りました。
ゴールは東京タワーの麓。すべてのエネルギーを大量に使い捨てる巨大都市にゴールした時の不思議な感覚はいまも忘れられません。

さはさりながら、この3年間にわたる試みで最も感じたのが、日本の河川がどこを見ても美しくなったという事でした。80年代には、それは汚く悪臭を放つ川も少なくありませんでした。
川が美しいという事は人体でいうところの血管とその中を循環する血液が美しいという事で、言ってみれば日本の水の循環が美しいという事になるでしょうか。

TBIでは90年代「もっと、美しく」というテーマでラリーの開催に臨みました。
四国の山々は実はいたるところに不法投棄のごみが散乱していました。これはいまも減ったとはいえ、ときどき見かけてげんなりとします。
林道にも廃車や家電製品のごみが野積みにされているところを見かけます。
美しい風景の中に、それがあって富士山といえど世界遺産の評定に難儀をしていると聞きます。

でもこれも時間の問題で美しい姿を取り戻すでしょうし、多くの方々がその努力をいています。
そうしてボクタチは美しい日本の山河を大いに堪能することができるし、そうしようと思います。

これからはじまるTDRやSuper TBIで「本当に日本は美しいんだ」そう実感することと思います。

■TDR 2DAYS 2013 in 磐田
人気のTDR。今回は磐田市の協力で、オートバイのふるさとを走りますよ!3月15日エントリーが締切!お急ぎください。http://www.t-d-r.jp/

■superTBI2013 4×4エキスペリエンス
一気に暖かくなってきました。野山は春の花たちが精いっぱい咲き競っていて、美しい色で山が染まっている感じ。となればGWのTBI。今回は大阪から九州、そして四国。3000kmを超える素晴らしいグランドレイド。走らない手はありません。といってもこちらは4×4のエキスペリエンス部門のお話し。いよいよ締め切りが近づいてきました!! [4×4エキスペリエンス]

2013/03/04 (月曜日)

「試走70、発進」

SSERでは、このほど国内ラリーイベントの距離測定用車両としてTOYOTAランドクルーザー70を投入しました。

これはそれぞれのイベントごとに違う車両や、違う機器で計測していたものを1台に統一しようという作戦です。テラトリップも2連装で、メインのマシンの作動不良やナビゲーターのミスを助けてくれるはずです。

これで若干ともコマ地図の精度が向上することになるでしょう。おまけにドライブレコーダーもついていますから、コマ地図を書くときに距離を口に出してくれれば、その位置のGPSポイントもわかり、かつ前方の風景も確認できるというもの。また夜間にまでなったことを想定して、4灯の補助灯、ひとつはワイドもう一つはドライビングランプで、およそ国内の林道ならば明るく目標物を浮かび上がらせてくれるはずです。

九州も各チームの下見も終わったようなので、これからそれらを繋ぎ合わせたコマ地図作成がはじまります。25回記念大会にふさわしい、クオリティの高いそして精度の高いコマ地図による気持ちの良いライディングで、思い切り駆け抜けてください。SuperTBIは終わると、この車両は長躯、北の島まで出かけて行きます。

さあ、シーズン突入ですよ。

きょうの1枚

すでにFB等でご紹介済みのランクル70SSER試走スペシャル。。年々バージョンアップしていくよ。次はプロシードパワーアップ計画も進行中!!板金を見つまりさせたら「このままのほうが良いんじゃないか?!」と言われてしまいました。さらに4tのパワーゲート付きも投入予定!もう老齢化はマシンに頼るしかないきね(土佐弁)

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Organisation Voice 2013/4

2013/02/27 (火曜日)

「九州は火の国たい。」

TBIは今年25周年記念の拡大版!
今年のフォーマットはというと、いままでのTBIに加え九州4デイズで、3,000kmを越えるディスタンスになった。グランツーリングだ。

そして今年の大会のラリープレートは桜島をフィーチャーしたものにした。
まことそれを書こうとグーグルアースで九州の火山を一つずつ眺めていた。
俯瞰すると、そこは「火の国」だということがわかる。

火の国とはまた災害も多かったのだろう。現にこのところの鹿児島や昨年の竹田市など阿蘇周辺も豪雨被害にさらされている。

自然災害が多いのは何も九州に限ったことではなく、広く日本列島全体がそうなのだ。こうした災害ととなり合わせに住む日本人は、自然を畏敬し自然とともに生きてきて今日があるのだろうとそう思う。武士道などの生き方も、人々の優しさも「明日はわからない今日を生きる」という死生観に基づくものだろうと思う。

先に鬼籍に入った市川団十郎さんが遺した辞世があって、本葬の時に発表されると知り興味を持って、今日の新聞でその句を知ることに。
その辞世は
「色は空 空は色との 時なき世へ」

般若心経にある世界観が込められて、深く、また古くから用いられる日本人の心の透明感を澄みきった心で書いているように感じた。
悲しさや苦しさを超えるために、この日本に暮らす人たちはこうした無常観を死生観に重ね合わせて生きてきたのだろうと思う。

桜島から昇る噴煙を見ていてそう思ったりと、なかなかTBIの準備も25年もやっていると感慨が深い。

さあ、素晴らしい旅をご一緒に。。

2013/02/25 (月曜日)

「いよいよ試走スタート!SuperTBI」

テレビでは大雪のニュース。「酸ヶ湯では史上最高の・・・」
と各局。
「おお、酸ヶ湯かあ」
すっかり懐かしくなったツールドニッポン。
その時には試走では酸ヶ湯温泉に泊まったなあ。あの湯治場の独特の雰囲気。
ヒバ千人風呂の独特の木造の柱のない巨大空間。
いやそんな話じゃなくて、
テレビではある局は「スガユでは」
とアナウンサー「ああ、スカユなんだけどなあ」とボク。

少し時間が経つと、どの局も見事に「スカユ」になっていましたね。
この効果は大雪の被害は深刻にしても(いや、心からお見舞い申し上げます)
広告効果も少しはあるかもしれません。
酸ヶ湯といえば八甲田、八甲田と言えば新田次郎「八甲田山死の彷徨」

話を戻すと
試走とは、八甲田山・・・ではないにしても、
計画と実践の間の細かな修正作業の積み重ねが必要だということなのである。
やみくもにルートを繋ぐだけというわけにはいかないのだ。
いよいよこれから、ここまで各スタッフの推薦するルートを取りまとめて、
一筆書きに仕上げる作業が始まる。

迂回路、避難路。救出ルートを常に頭に入れて、その範囲で素晴らしい景観と林道を有機的に組み合わせていくという胸踊る作業。
いったい、どれほどの道を走りどれほどのコマ地図を書いてきたのだろうか?と、その精度と内容を充実させるために今シーズンから、試走用のオフィシャルカーランクル70「Wテラトリップ号」が発進!でも今バンパーの塗装中!でお披露目は今週末。ボクのバックスキンのステアリングが装着されているという精神性?
間違えない確実な距離と方向感覚を。

きょうの一枚

今では全国あちこちで見受けられるようになった、こいのぼりの川渡し?発祥は四万十川。さつきの空に風を受けさっそうと。。

2013/02/21 (木曜日)

「畿内から南九州へ」

いま邪馬台国畿内説を裏付けるかの「卑弥呼の墓」とされる?箸墓古墳(宮内庁の管轄で立ち入りが制限されていた)に考古学者らが立ち入り調査が始まったというNEWSが話題です。
ということは、カオルさんら邪馬台国九州説派もやきもきしていることでしょうか。
いや九州も旅をしてみると「そうかもな」と思うことしきりです。天孫降臨の南九州の地は、山の形さえそれらしく、あちこちに立ち上る湯煙もまた心にしみるというわけです。
で、その邪馬台国の問題をうならせるような?25周年TBIは畿内発南九州行そして四国!という大胆なもの。そしてエントリーも定員に達しました!
それでも例年のごとく数名の不出走があるかもなので、若干キャンセル待ちを受け付けることができます。2から3名ですが。どうぞお早めに!

そして面白いのはAUTO部門、これはオープン参加なのですが、なんと尾上/石原組がエントリー!このチームは長年モンゴルで菅原さんと熱い闘いを繰り広げている2人!そして菅原さんはというともちろんMOTOで一番にエントリー済みです。AUTO部門はまだ締め切りまでに余裕がありますので、ぜひどうぞ。極上の旅?が約束されています。(いやどうかな?)さて、SSER九州チームからは試走の試走、つまりコマ地図を作成する前のルート設定の嬉しい情報が続々!!

TBIとモンゴル、卑弥呼の邪馬台国伝説からチンギスハーン伝説、そして幕末の土佐・薩摩を駆け抜ける、これはもう一大スペクタクルじゃありませんか!!

噂のFバンパーは大勢の意見艶消し黒を押し切って、半艶ホワイトで塗装することにしましたよ!!

きょうの一枚

九州の山の姿は、変化に富んでいて楽しい。なぜこれほど多くの火山と温泉がこの土地にばかり集中しているのだろうか。時に激甚災害も生むが豊かな温泉にも恵まれていて、まことに日本人的な心が育つ土地でもあるから天孫降臨の伝説もまた生まれたのだろう。

2013/02/20 (水曜日)

「急に暖かくなったので、モンゴルの事を」

モンゴルのことを書きます。
昨年特に問題だったX-1トラックの遅着問題。これを、どうにかしなければなりません。以前のように10kgBagをヘリ輸送も考えたのですが、これはいまの燃料高騰と不足気味の燃料をこれに用いるのは問題です。
そこで10kgバッグ輸送チーム、つまりシュラフ・テントと簡単な着替えなどの入ったバッグを、メカニック輸送のようにランクルなど数台のチームを構成してX-1チームとしながらも、早く着けるようにしようという考えです。
残る大きなバッグ20kgは、X-1が運びます。さらにタイや輸送は、本部隊ごとにMotoだと2本ずつ積み分けて事前にビバークに運び込んでおきます。
どういう具合かというと、これは例で言いますのでまだ対応しないでくださいね。

本部隊は第一本部隊がBivouac1-3-5-7とします。そして第二本部隊がBivouac2-4-6としますね(これは仮に、ですよ)ルートが発表されたらそれぞれ戦略を立て、どのビバークにどれを送っておくかを計画しておいてください。

これによってX-1トラックの重量は完全に半分以下にすることができます。するとトラックの選択肢も広がり速度も向上させることにもつながります。

こうして確実に荷物の届くビバークを実現していきます。
ということで、みなさん。モンゴルの準備を始めよう!!

■Facebook(SSER ORGANISATION) [URL]

SSERのFBも楽しい話題が盛りだくさん。
いまの旬はSuperTBIとRallyMongolia2013

■Facebook(Rally Mongolia) [URL]

RallyMongoliaのFBは、海外の方にもご利用いただきやすく英文併記を主体に
これまでの写真や情報を満載してお届けしています。

■Twitter(SSER ORGANISATION) [URL]

Twitterでは、最新の更新情報などをつぶやいています。

2013/02/18 (月曜日)

「OVは歴史を語る。」

これを書くようになって、もう何年になるんだろうか?
書きなぐった感もあるけど、あの時ボクはどんな思いでTBIに向かったか、あるいはモンゴルに向かっていたのかが、手に取るようにわかる。
でも読み返すのは何か、浦島太郎が玉手箱を開けた時みたいになりそうで、極力振り返らないようにしているけど、写真を探しに行くくらいにしていた。
きょうはオフィシャルウエアの事を考えていて
「そうだ、めずらしいTBIのオフィシャルの集合写真があったなあ」と。なぜ珍しいかというとTBIでは各オフィシャルは自律的に動いているので一か所に集まることは珍しいのだ。
写真を見つけて、その文章に「ぎょ」っとした。
なんとその時のOVのタイトルは「檄」なのだ。

2001/03/14 (水曜日) 檄。。

本日のOVは、SSERの精神と、オフィシャルの概念について記す。いままで SSERとは厳しいレギュレーション、うるさい車検。冷徹なレギュレーションの運用。というイメージがある。一部は、故永山竜叶君が情報として、書き連ねたものがそうなったかもしれない。しかし、当たり前のことが「まあいいじゃん。」とやってきた、多くののライダー達、その実、社会はそれほど甘くなく。いつまでもモラトリアムを気取ってられるほどの、おおらかさなど持ち合わせてはいない。たとえば法に問題点があるのだとすれば、国には「おかしぞ」と問題提起することのできるシステムは整っている。それをせずに、批判ばかりして、場合によっては、平気で無視したりするのは、勇気のある行動とは言いがたい。勇気ある行動。それこそがSSERオフィシャルスタッフの行動の基準である。たとえばSSERのオフィシャルは、誰がなんと言おうとも、動じることなく単身、夜のゴビ砂漠をわたり、サバイバルにも長け、危険を最大限探知し、回避する。それは自らの為のみでなく、挑戦する参加者のためであり、他のオフィシャルの任務遂行のためである。それは厳格で、やさしさに満ち溢れた男の中の男たちである。こんなことを平気でやれる奴や、同様のモチベーションを備えたチームを、私は知らない。軍や自衛隊などと言うものは、充分な装備、電子デバイス、システムに保障されたもので、平時下にあっては、真の冒険性や、探険性というものは持ち合わせてはいない。ゆえに、われわれオフィシャルは、参加者にも相当のことを要求する。確実にそれをクリアして来る者のために、それをしない者に妥協することはない。たとえば、レギュレーションとは、日本の法律などはまったく別のもので、レギュレーションが求めるものは法律で求めるものより厳しい。なぜか、法律とは、広く一般に適用されるものであり、我々のそれは危険であるとか、困難であるとかに対応する、もう一段階以上、絞り込まれた者を対象にしているのである。こういうことを正しく認識して欲しい。「道交法で良いのに、なぜ SSERではだめなんだ?」という意見を年間にどのくらい聞くようになったろうか。違法でなければ良い、というのはこのイベントに参加する以上、間違いである。それは先に述べた。
さて、私個人は今回TBIに参加すると宣言して久しい。もちろん多くのオフィシャルスタッフも、参加者として名を連ねている。そしていま、この段階になって、実はは参加をためらっている。いままで12年間続けた、このイベントに身をおいて、あたらしい次の何かを考えてみたいという、ある意味では姑息な了見での参加ともいえる。しかし、ここに改めて宣言する。どのような困難な事態になろうとも、この大会の最高責任者は、私であること。全ての、オフィシャルスタッフと、わたしはひとつであること。最も困難なことに誰もが進んで、挑戦することを信じている。SSERの精神。それはいかなるときも、公正で、公平である、ということ。その行動はあくまで、平然と勇敢であるということ。だれでもが、一朝一夕でオフィシャルスタッフになれるというものではない。

きょうの1枚

故永山君が収めた、10年前のTBIノオフイシャルスタッフの集合写真。TBIのオペレーション中に、こういった全員の写真を撮る、というのは非常に難しくて、「やっと実現した」と大喜びしていた彼の姿が今でも忘れられない。参加者もこの当時の顔ぶれが揃う、オフィシャルも揃わないものか、と真に願う。僕たちの13年間のために。』

・・・・・12年も前のものだ。なんか気合が入っているなあって感じで、しかし少し読んで恥ずかしさを伴いながらのこのあとの12年のボクの生き方はズレタカ?ズレテいないかを考えるには最適だった。
いつも決定権をゆだねられたときにはこうした一連の想いを思い出す。
そして座右の銘「仰ぎて天に愧じず。」を小さくつぶやく。
そして「間違いない。」と心に決めて判断をするんだ。

2013/02/15 (金曜日)

「Rally Mongolia は変わるのか?の20年」

なにかに挑戦する、ということは、確かに少なくないリスクを伴う。
モンゴルでラリーを開催する、という事を決めたときからちょうど20年ほどが経った。ラリーがスタートしたのは1995年。パリ北京が1992年、わずかこの2年余りが準備期間だったと言っていい。

時間の量は関係ない。集中の量こそが問題なのだと思う。
全てをなげうってこのモンゴルでのラリーの開催に向かった。結果はリスクの量は減らないがこうして2013年の開催の準備に着手している幸福感にはまみれている。

目を閉じれば、思う存分のモンゴルの風景が広がる。本当にまだこんな地球があったんだとわが目を疑うような光景はいくらでもある。
まだ30歳後半だったボクも、そう遠くなく還暦を迎える。
20年の歳月だ。
石の上にも3年だとか、桃栗3年だとか、そんな時間じゃなかった。
モンゴルのラリーも過渡期を迎えているという意見もあるが、どこからどこへ、または何から何への過渡なのかなあ?と思う。

リスクの総量を減らせという。
完璧なサポート、乗り心地の良いオフィシャルカーやメカニックのクルマ。ランクル200とかに、なんていう話もある。それに参加者の数十人分のコストを裂いてもいいのだろうか?

もっと・・・したら、もっと×××したら、という議論はうちにも外にもある。
この20年、町は発展したがモンゴルの大自然は何も変わっていない。やがて変わっていくかもしれないが、その変わりようは人間的なスパンではない数千年単位で緩やかに変わるのみだ。
人の心はどうだろうか。
数千年単位でこのモンゴル高原で暮らした人々は、この20年で急速に変化していった。ランクル70に驚いた子供たちはもういない。写真を撮ってほしいとせがんでいた遊牧民たちは、みなiPhoneでこちらを撮っている、iPadさえ普及している。
沙漠の真ん中に大きな携帯用のアンテナが建っている。
ほとんどのビバークでも携帯がつながる。良し悪しなんか言っているヒマはないのだ。

変わることは何においても大切だと思っているし言い続けた。変わらないものはない。変わらないものはないという事のみが唯一変わらない理論だ、とも言ってきた。だから「さあ、変わろう」という事はしなかった。

「変化」にさらされているのは、世のすべての事象の事だ。モンゴルのラリーがどうのというレベルではないのだが。

さあラリーモンゴルは、どう変わるのか?変わらないのか?さらに進化するのか?深化するのか?その真価?が問われはじめていると言っていい。
ただ、楽チンとラグジュアリーを求める者は来ないほうが良い。大自然の懐は思いのほか居心地がいいが、常に手厳しい。過酷だと言っていい。そんなプリミティヴで、油断のないクリティカルな世界に身を置くことに力をみなぎらせることのできる者たちのためには、常に全開で門戸が開かれているのだ。

これがボクの出したラリーモンゴリア、20年の決断だ。
さあ、みんなで議論をしよう。
ということで、SSER Conference 2013を計画中!!3月頃開催予定。

きょうの一枚

70、SSERには、それはもう何台もの70が活躍していたのですが、どの一台もこだわって丁寧に作り初期のモンゴルの運営に供されていました。しかし次々とフレームを折って退役。これはもうオフィシャルの飛ばし過ぎがすべてです。。いま70復活の機運

2013/02/13 (水曜日)

「いやあ、もうTBIモード満開。」

四国路はもう早い春。
菜の花は競って咲いています。
双海のシーサイドラインを通って、片手に青い海を見ながら片手に菜の花の土手。
そして海が目の前に見えるので有名な下灘駅。
長浜、大洲とまったく違う時間が進んでいるような土地には、いつもの春が訪れていました。

光る海、美しい半島。
思わず鯛めしを食べることに。
この土地の鯛めしは、少し変わっていて
漁師飯がはじまりの「ひゅうがめし」と言います。
おなじように「さつまめし」というのもあって、灘の向こうの薩摩や日向の名前を使った郷土料理。その二つに共通しているのは飯にぶっかけて食べるという行為。
漁師たちが甲板の上で食べたのでしょうか?

その「ひゅうがめし」こと鯛めしのレシピを。

まず炊き立ての白いご飯。
ぷりぷりの鯛の刺身。6キレから7キレ。
土佐ジローの卵の黄身だけ。こんもりとしていて、うまそー。
それに薬味いろいろ。
そして別の碗に刺身卵の黄身、この土地に伝わる甘口の醤油をよく混ぜます。それをご飯にぶっかけてあとは薬味(まあ、ねぎとかミョウガとかゴマに刻みのり)これが旨くないはずはありません。

今回のビバークで注文しようかなあ?と思うのですがいかがですか?
ああ、おなかが減ってきたので本日はこのあたりで。

2013/02/12 (火曜日)

「四国と九州。ディレクターはロケーションサービス」

かつてTBIの時に見つけたこんな風景(きょうの一枚)これは山の中にある神社にかかる木橋。ボクがここを初めて見たのが1989年です。そのあと数年間はここを積極的に通りました。ほんとうに不思議な場所にあるのです。どちらかというと・・・
山々の峰筋のようなところ、数件の古民家。全く異空間でした。長いハードな林道で急な山道を抜けたところにあります。数軒の民家も小高い丘の上に立っているようで山里にはない不思議な広々とした爽やかな空間が広がっています。葉タバコの生産に向いているのでしょう集落ではタバコが植えられていて、それはもう4半世紀前と全く寸分も違わない風景を作っています。
名前は弓削神社。いわれは省きます。

今では観光ガイドなどにも掲載されてしまい、マディソン郡の橋に端を発した屋根付き橋ブームでなにかと来場客も、よくこんなところにまで。と思うばかりです。
いやなにが言いたいかというと、別にこれまでなかったモノを発見したと言っているのではありません。天候と時間と風景を司りながら?TBIのコースディレクターは、丁寧にルートを構成していきます。
ですから、まあ「毎年同じルートでも・・・」という意見もたまにはあるのですが、二度とない風景、それは時間と天候と様々なものが生み出す希少なもので、それを感じる旅がTBIだったらいいなあ、とそう考えるわけです。

この25年間、バイクの性能も飛躍的に向上して壊れなくなり且つ、ライダーに対して少しでも疲れないようにする機能も充実しているわけです。ナビの腕さえ手に入れれば、過去には「困難な旅」だったTBIも比較的に参加しやすいものになったと思います。

さてこのGWのTBIは大阪から南九州と四国を巡ります。
参加表明がまだの方はお急ぎください。とても素晴らしい風景のシークエンスを提案してまいります。

◆2013年2月20日(水曜日)は第2次プレエントリーの締切日です。
エントリーご希望の方は、お急ぎください。[概要]

◆4×4 エキスペリエンス部門の募集がスタートしました。貴重で得がたい冒険旅行が
楽しめるはずです。[概要]

2013/02/08 (金曜日)

「ガストン・ライエ」

1987年暮れ。どんよりとしたパリの冬空。シャルル・ド・ゴールにほど近いガストンのガレージに向かってルノーエスパスを走らせた。
ボクタチのチームの4人のMOTO用のウエアをイギリスのAPICO社に協賛を受けていてサイズを送ってあった。
受け取りはガストン・ライエのガレージで12月〇日。そんな話だった。

なにかパリダカに向かうボクたちがパリダカの英雄ガストン・ライエのオフィスでガストンと同じように誂えられたウエアを受け取るというのは、まさに狂喜すべきことだった。幸先が良いと言ってもいい。

かたや赤と白のマルボロカラーに塗られた、まさに神々しいまでのウエア。こちらは、そう言えばもっとしっかりデザインしておくべきだったと反省するようなものではあったが、それはそれで輝いて見えた。
そんな時代だった。

高校生の頃にサインをもらってから15年。その間にガストンはMX125の世界チャンピオンに上り詰め、そして左手を手首から切断するという事故でMXを離れたものの「ちぎれた手首を持って走ってって、くっつけてもらった」と笑いながら語り2年後にはパリダカールに現れて、2連勝を収める。

ボクをパリダカに掻き立てたのは、テネレを走るマルボロカラーのガストンの乗るBMWだった。
1988年のパリダカ。アルジェリアのハッシメサッドからタマンラセットへの1000Kmのステージ。夜明け前なのだが風景が分からないのがつらいなあと思うばかりの漆黒の闇が重たいばかりだった。遠くに見える明りに近づくまでもずいぶんと時間がかかる。そこにはパリダカの盟主ガストンの姿があった。すぐわきに停められたカミオンから明かりを取って、どう見てもエンジンが降ろされていた。
「見るな」
たぶんそう言ったんだろう。近づいたボクに早く行け、というようなしぐさを見せた。

それから幾度、彼と待ち合わせをしただろう。ソウルで、関空で、ホテルのロビーで。時にはパリの空港で。迎えに来てもらっていたり、迎えに行ったり。
ゴビで負傷したガストンは「山田にヘリで迎えに来てくれ」と泣いているから早く行ってやってくれ。と無線が入った。
子供のようで、誤解を恐れずに言うと可愛くてたまらなかった。

そんなふうにガストンは、どんな時も屈託のない笑顔で会った。
けがをして「イタイイタイ」
と言っている時も笑顔で、二人でいつも底抜けに笑った。

モンゴルで2回、芦別で1回、負傷しているガストンを運んだ。
饒舌で、詫びているようで、それでも悔しそうだけど楽しそうだった。
彼の人生は、あまたの勝利に飾られていたが、一方では少なくない失意にもまみれていた。
晩年の彼の見せた優しさと、笑顔とそれでも時折見せる寂しそうな横顔を思い出すほどにボクは偉大でかけがえのない友人を失ったという喪失感に襲われて仕方がない。

あれからの歳月は、いくら経っても濃密になることはあってもそれへの想いが希薄になることはないのだ。

2013/02/06 (火月曜日)

「BMWとMax FritzとOfficial Wearのおはなし。」

2月の冷たい雨が、歩道を濡らしている。北のほうでは大雪だという。
ボクは、こんなだというのに大きく重たいバイクを引っ張り出してやろうかと考えている。

で、どこへ行こう。何を着よう。

少しダイエットしたせいで、古い重たい革ジャンやMax FritzのライディングジャケットやいくつかあるBelstaffも着れそうだ。
そう考えてるうちに電話がかかってアポが入り始めるのだ。

「何を着ようか」なにかこの言葉がボクの今迄を象徴している。
別にオシャレだとは思わないけど、良いものを少しずつ欲しいと思うのは、モノの食べ方にも似ている。
ところが最近こうした行動の結末として困ったことが起きている。

これまでのバイク遍歴とウエアの類が、いまの手持ちのバイクやウエアの関係に齟齬をきたし始めているのだ。

むかしはBMWにBMWのウエアを着て乗るのは、愚の骨頂だと思っていた時期もあるがいつのまにかBMW謹製のウエアが、それ以外にやや優勢だったわずかな時期に、買いためてしまった。

特にここ数年、バイクメーカーのアパレル開発が熱心で、多くはイタリアンデザインで悪くないのだ。だから大きなロゴ入りのウエアをバイクを買うときに買ったり。または時々行くバイク屋で付き合いの延長で買う。
これは一種の囲い込みマーケティングでもあり、バイクを購入する谷間のショップ(というかディーラー)の販促とか売上積み増しの手段だったろう。まあ一石二鳥を狙ったもので少なくない成功を見せていた。

メーカー違いのウエアで大きなロゴでも入った日には、ほかのバイクには乗りにくい。
つまりウエアのコレクションが成立したらが、違うメーカーのバイクの触手が伸びたときの抑止力としての侮りがたい効果がある。

それでも、たまにMagni(いまはない)にBMWのジャケットで乗ったりすると、やっぱり気持ちが悪いし恥ずかしい。
ハーレーのウエアを衝動買いしたこともあったが1度も着ることなく、どこかへ行った。
Triumphのロゴ入りの革ジャンが欲しくて眺めているのだが、バイクがないのに買ってどうなるんだろうと思うし、やっぱこんな悩みは幸せなのだろうか。

でBMW乗りのそんな悩みを解消させるのは、知る人にはBMWとの相性の良さを感じさせながら、まあメーカーを選ばないのならMax Fritzがよろしい。
そんなこんなで今年からOfficial Wearに採用させていただいた。
このウエアの主張に負けないように、良い大人のみんなで着てやろうと思う。

きょうの一枚

なんとなくBMW スクランブラー仕立ての80?こんなのが1台あれば日曜日の朝は幸せ。

2013/02/04 (月曜日)

「メイド・イン・ジャパン」

NHKで3週連続でやってるドラマだ。演出も脚本も臭くてどうしようもない感じはあるものの。本質は突いている。
タクミという総合家電メーカーがシャープにもパナソニックにもSONYにも見える。
唐沢演じる矢作再生戦略室長に民事再生法の申請を提言する部下。もうすべてが海外で生産されているのに何がメイド・イン・ジャパンですか?!と詰め寄る。
ボクはきっと唐沢は胸に手をやって「心だよ」というだろうと思った、その瞬間、あにはからんや胸に手を当てて「心だよ。」と言った。

奇しくも符合したわけだが、昨晩はBS1でグローバリズム経済を云々という特番が組まれていた。こちらは構成に??がありはしたもののNHKが(この得体のしれない魔物に)取り組む姿勢を鮮明にしているところは評価ができる。
グローバリズムと、置き去りにされるローカル。
良いではないかと思っている。

ボクは実は数年前にとある銀行のオファーで「メイド・イン愛媛」という、まあ農水商工業者と東京など大手の商社や百貨店などのバイヤーとのビジネスマッチングの総合プロデューサーを何年か務めた。
難しいのである。
なぜなら「天は自らたすくる者をたすく」のであるから。
それでも「心はある」が不器用な人たちに光を当てようとしても「なんとなく心が少し足りない」のだ。声が大きい人から心が足りない。そんな人から順番に物事が進む。助成金申請などの上手い人から順に心が足りない。
心ある人には、なかなか補助や助成は回ってくる気配はない。
儲けたい人と、心ある人には似て異なる心の動きがある。
ああ。。

ボクは20世紀の末に、仕事を精力的にした。21世紀はその思いを胸にはしたもののラリーなど「天命と信じられる」ものに捧げた。

そのころ思ったし言い放ち続けた。
賃金が安いことで差益が出て利益が上がるという行為は、まず続かないし低俗だ、と。
日本企業は東アジアを漂流している。チャイナリスク、チャイナプラスワン。やっぱりミャンマーだとか。帰ってくればいいと思う。

もっと書きたいし言いたいけど、このくらいにしておこうと思う。

きょうの一枚

今日はこれを読もう。

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Organisation Voice 2013/1

2013/01/31 (木曜日)

「SSER ダッフルバッグ物語」

ラリーモンゴリアが近づくと参加者にSSERからダッフルバッグが送られて来ることは知られていますよね。
実はこのバッグにはいろいろな物語があるのです。そもそも誕生した経緯もお話しないといけません。それにこのバッグ、いまから注文して縫製しなければ間に合わないので最終の参加者数もわからないうちからデザインして発注することになるのです。しかも素材は、例えば今回の青色としますか、これを1巻たぶん100mを仕入れて裁断して縫製するのですが、この経済ロットが問題なのです。

毎年、色を変えてコーディネイトを愉しむのもボクの楽しい作業で、その時代時代のトレンド(自分の)や気分が反映されています。
1998年パリダカ、地中海を渡るフェリー乗り場。日本人のエントラントが沢山並んでいました。その手には、なんとみなさんモンゴルの10kgバッグが・・・・・
「ちょうどいいんだよね。」
と。

またあるときはとあるSA。「おっ1200GSが・・・」テールには見覚えのあるSSERの10kgバッグ。しばらくライダーが帰ってくるのを待っていると、全く知らない人。その方もこちらに一瞥をくれると、さっと跨るや走り出してしまいました。

このバッグは、1995年の第1回大会にはなかったものです。第1回大会の混乱は、参加者のバッグがビバークに届かないことでした。無理もありません、この大会はワンウエイで1日の行程は少ない日でも500kmを越えていました。

そこで2回大会からは、ヘリ1機を貨物輸送に振りわけることとしました。そこに預かれるバッグはせいぜい600kgまで。60人のライダーから預かるとすれば一人10kgに限定されます。
そこで、パンパンに詰め込んでも10kgになるサイズはどのサイズか?一人用のテントとシュラフとを入れられるギリギリのサイズは?

いくつものバッグを購入してきては、テストをして決めたのが、この10kgバッグ。いまでは2種類のサイズを作るのですが、今年は10kg20kg、果たしてどのような使い方をしようと考えているかはお楽しみに。

2013/01/29 (火曜日)

「ロードマップとSSER オフィシャルウエア」

政治用語やマーケティング用語にもなりつつある「ロードマップ」
検索してみると・・・
「ロードマップとは、企業が将来リリースを予定している製品をまとめた図表のこと。時系列で各製品の世代的な前後関係が分かりやすく記載されている。

もちろんロードマップに記載されている内容は予定にすぎないため、企業戦略の変化に応じてロードマップも随時改訂される。ロードマップは将来の業界動向を知る貴重な資料であるため、特に専門家や投資家にとってはロードマップは欠かせないものである。」
とある。
「???」
そうなんだ。
でも残念ながら本来の意味は違う。

おやひょっとしてRoad mapじゃなくてLoad mapなのかと調べてみても、どうも判然としない。結論としてボクは「そういう使い方をやめてもらいたい」のであります。

ロードマップとは頭文字がRであろうとLであろうと・・・

まあ話は変わりますがSSERのオフィシャルウエアの感度向上委員会。ただいま試作モデルが完成しました。MaxFritz製です。リバーシブルのインナーと、ちょっとマウンテンパーカのようなジャケットの組み合わせ。素材も色もばっちり。ジャケットはエア抜きもついて、しかも革づかい。

サイズはボクが52.その下のLが50、Mが48.Sが46の4サイズ構成です。
左袖に写真の刺繍。SSERのロゴはマジックテープ仕様にして取り外しができるものにする予定です。

2013/01/25 (金曜日)

「寒い中にも、ちょいと春の温かさを感じたらTBI」

今朝がたはあたたかな四国にも雪が舞っていました。雪がやむと次は日差しが。気温は低いのでしょうが、なにかしら暖かな気配を感じています。そしてなにか不思議なことに、それも急に「バイクに乗りたいなあ」とふつふつと。
忙しいから乗れない、なんて言うような言い訳もないし。まあ足腰が痛くて乗れないというのや、すっかり悪くなった目も問題で・・・とかなぜだか乗らない言い訳ばかりを枚挙しているわけでした。

でも物心ついた時から乗っているバイク。あの時代、それに乗ったとたんに翼が生えたようになって身も心も、どこへでも飛んで行ける、その自由。

ああバイクの乗ろう。もう一度走り出そう。
本当にそう感じて、空を見上げている今朝でした。

そして間もなく出来上がる試走用のランクル70で、TBIの試走がはじまります。
大阪から九州そして四国へと、フェリーを乗り継ぎ山々を越えて。まるでバイクに乗り始めてどこへでも飛んでいけるような気持になったあの時のまま。
名前も知らない峠を越えたときに見える次の風景のために、山道を走る時のように。

さあ今年のTBIは見逃せません。マシンまで作って気合の入っているSSERをお楽しみにね。

スーパーTBI プレエントリー受付中!!
2013年2月20日 プレエントリー第2次受付締切、サポートカー登録締切
http://www.sser.org/tbi/

きょうの一枚

TBIの旅の途中で良くいただくのがこうした岩魚、、四国ではアマゴとかアメノウオとか、九州ではエノハとかああここらあたりはカオルさんが一過言持っているので、九州パートで聞いてください。コース制作者の皆さん、1日3つは名物料理の店をいれてね。ボクも行くぞっと。

2013/01/23 (水曜日)

「SSER Official Rec. Model 間もなく完成だ、ふふふ。」

懸案のコマ地図の精度。その問題解決に乗り出したボク。
回答は「四国と九州と北海道を、1つのマシン、1つのテラトリップ、1つのタイヤで同じ空気圧で同じ補正値で測る。」ということ。

あとは制作者のコンセントレーションと血液型に委ねるしかない!
と「オフィシャルコース制作車」を製作中。
といってもマシンは94年製のランクル77で走行距離はもちン十万キロ。モンゴルも数年間走っている。したがって制作というよりも臓器移植手術をしているようなものだ。

ブレーキやブレーキホース、ウォーターポンプなどを取り換えクラッチ系統や足回りの交換。最大のボクの悩みのシートはレカロに替わる。へへんだ。
ステアリングも「次のパリダカ用」と随分前に買っていたバックスキンのちょっとボクの宝物のようなやつをつけることにした。

計測用のテラトリップはツインセット(ゴーカ!)。さらにGPSナビ(ワンセグ付きだよ)、さらにGPS付きのドライブレコーダー(悪口も録音されるよ)が付くという豪華さだ。思わずモンゴルのより充実してないか?ということに。

これでコマ地図が間違っていたらあとはコースディレクターの責任!だと言ってね。

それにしても、ふっと思うところあって「SSERって、これまでいったい何台のランクルが棲息したの?」かを検証してみようと思う。

まずボクが85年から乗ってたのマイカーが60×1、30万キロ。。主にTBIなど創成期のコース制作車。88年パリダカのサポートカー用に60×1。90年パリダカ用に×1。

70に関して言えば、88年パリダカ用×1、94年にモンゴル用のオフィシャルカーとして×6購入。1998年パリダカ用にテスト部品どり含め×2購入。現在1台残存。その1台が今回のものに。

さらに80。91年パリダカ×2、92年パリルカップ×2、92年パリ北京×3・・占めてランクル合計は60×3、70×9、80×7・・・計19台。うーんわれながら
「なんという・・・」

んでランクル100以降は「乗ったこともない!」のでありました。
「100買うならレンジ」ってレンジローバーに乗ったりしていました。

このほかにもパトロールやテラノなんかをカウントしたらものすごいことに。それに最長不倒のプロシードも主力戦闘機として健在。これもすごい話だけど。
それにしてもすべてが20万キロ以上というのは、いったいどれほど走っているのかね。

きょうの一枚

1998年パリダカ仕様のランクル77ボク史上最高の出来。カーボンで半分くらいボディが出来ている。で早いし素晴らしかった。けどアフリカ1日目に穴に落ちてリタイア。がっくし。長谷見さんに「ブリーフィングでいつも言っていることと違うじゃない」ってからかわれた。マコトニソノトオリデス。

2枚目は今回の70に着ける予定のゼッケン案。いかがですか?

2013/01/21 (月曜日)

「ダカール・ゴール!からみる普遍性」

ダカールがゴールしたのはもうみなさんご存じのとおり。
少し前までは「やっているの?」「どうなった?」と良く聞かれたものですが
いまではSNSのおかげで非常に良く認知されている。
たとえばTeam SUGAWARAの活躍も、お伝えするまでもなくみんなご存じ。
そしてクラス4連覇。FBには「おめでとう」のメッセージが連なる。
恥ずかしながらボクも書いた。

そして考えた。Team SUGAWARAこの安定感はただ事ではありません。
1号車はテストを兼ねて将来の闘いを見えているのが興味深い。
モアパワーを目指すのは両刃の剣。それを菅原さんがドライブして
トラブルを出しながら乗り越えていく。
それはあたかもDNAを将来につなぐ作業のようにも見える。
そして安定的で実績のあるマシンをテルヒトがドライブその2号車が優勝を狙う。
実は1号車も1-2の2を狙うのだが、今回は序盤のオーバーヒートに悩まされたのだ。
電子的なマネジメントが進むエンジンは、エンジニアの想定とラリーの現場では
かなりの隔たりがある。
いま安定している2号車も数年前にはラリーモンゴリアで、
いくつかのトラブルに追われていた。オーバーヒートにも悩まされてたろう。

そう考えてみると、多くのことはトライアンドエラー、開発とテストの繰り返しが求められる。
実はモータースポーツは、その開発のプロセスとして発展した側面がある。
人が扱う、人が運転する以上、いくらコンピューターで解析してもわからない世界がまだあるのだという事を知らなければならない。

もうマーケットは「どこそこのラリーで優勝したから」という理由でクルマがバカバカ売れたりはしなくなったろうと思う。少しはあるかもだけど。

情報が多い時代なので、単に勝ったというだけでなく、そこに伝説や神話や、
まあいうところの物語が必要になってくる。
HINOは、そんなかけがえのない物語やレジェンドを、思いがけず手に入れていて、
じつはその「はかりしれない大きさ」に気が付き始めているとみている。
変わらないのではなくて、変わり続けていくという事が変わらないという事実。
つまりTeam SUGAWARAは変わらないのではなく変わり続け、
永遠の再生産の体制を構築しているのだ。

2013/01/17 (木曜日)

「ラリーモンゴリア。FBはじめます。」

ダカールも佳境。あちらも悪天候などや自然の猛威にさらされています。でもビバークの映像など見ていると町の中だし、SSのデューンの周りも観戦客たくさん。ラリーの問題点だったひとつ「いかに観客に見てもらうか?」という点では、かなり高ポイント。

モンゴルでは、ああはいかないでしょうね。そんなこんなで今日からモンゴルのFB(フェイスブック)を始めます。もう少し世界の人に丁寧にお伝えするには、まあ今考えられる最適な方法なのですね。皆さんのご参加もお待ちいたしております。
そしてモンゴルにも多くの皆様の声をお寄せいただいて、より良いイベントに育てて行こうと思います。

PS:アルジェリアでイスラム原理組織による誘拐事件が。マリの北部にはフランス軍が空爆して地上作戦も進行中のよう。政府の間違いのない対応に期待するばかりです。そして人質の無事の開放を祈ってやみません。
あの美しいアルジェリアに、誰でも安全にサハラ横断とかテネレとかに行けるようになる日を心待ちにしています。「とにかく平和を」手に入れなければなりません。

RallyMongolia のFBページはこちら

きょうの一枚

恐竜の谷を出るボルドバートル。今回のダカールでの活躍が期待されたもののマシントラブルでリタイア。そこまでも思うようにレース運びが出来ていなかったかもしれない。なかなかレースは上手くいかない。またそれを彼は良く知っているはず。まだ若くチャンスはたくさんある。

2013/01/12 (土曜日)

「はるかなりタクラマカン」

今週になって、タクラマカンを共に旅した二人のライダーがそれぞれ別々だけどバイクを引き取りに来た。ジムニーとサイドカーはまだ「暖かくなってから・・・」らいしいけど。
そして決まって近くの中華料理屋に行く。すると、中国奥地の日々が舌の先から蘇るのだ。ここ数年は奥地といっても豪華なホテルが続々とできて、味も北京並みとはいかないまでもかなり向上した。辺境の地で辺境の味に出会うことはもう少なくなったのかもしれない。

そしてそこで必ず話に出るのが「次の旅はどうするか?」というところだ。
地球上には行ってみたいところがわんさかとある。
行かなきゃならないというくらいに思っているところも、いくつかある。
さらにモンゴルの奥地などは、もう通い続けるしかないような場所もある。こうした目的地をいつも持ち続けられるというのが幸せなのだろうなあ、なんてぼんやり考える。
「あなたには、目的地がありますか」
誰かそう聞いてくれないかなあ、とも思う。

話は翻って日本は安倍政権。どうも目的地は7月の参院選。それまでは景気浮揚策を徹底的に行うという。2%のインフレターゲット、通貨供給を激増させる量的緩和。
目的地が近すぎるというか短すぎるきらいがある。
安定過半数を両院で占めて安定政権で、なにをやるのか。

市場に大量の円が流れ込んでも、果たしてその行く先はあるのだろうか。両院に大量の自民党議員が流れ込んで、果たして正しく議論はされるのだろうか?いずれも心配です。
とまあ心配していても何も始まらないので、ぼくはぼくの道を今年はいつも以上に力を込めて突き進むのではあります。

はるかなタクラマカンを旅をして来れば、考えることもまた増えるというものですが、何も情報の無かったあの旅の最中がいかに充実していたかと考えさせられるのもまた事実です。

きょうの一枚

トルファンといえば干しブドウ。そのほかにもたくさんのドライフルーツが積まれるバザールは圧巻でござーる。

2013/01/08 (火曜日)

「なぜか、イスタンブール」

オリンピックの招致をイスタンブールと東京が競っているそうな。マドリッドも手を上げている。
うーん、イスタンブールもマドリッドも好きだなあ。
個人的好みのみでいえば、今回はイスタンブールだ。
もちろん日本人としてはTOKYOで再び、という気分もある。
しかしだ。ライバルの都市が魅力的すぎる。

007 SKYFALLもイスタンブールから始まったし、CMでも最近よく見かける。パリのモード界もなにかあるとオリエンタルエクスプレスでイスタンブールに向かうし。あのシャネルのショートムービーも秀逸だった。イスタンブールで男と女が再開する。ボスポラス海峡を渡るフェリーで女はLEICAで撮影をしていたりしていた。

それにしてもこのイスタンブール。。。ヨーロッパから見るイスラム社会の窓口として、この街の存在感は特異だ。坂が多く、猫だらけで、真っ赤なトルコの国旗で埋め尽くされている。怪しくて不潔で混沌としていて、でも居心地がよさそうで。。悪そうで悲しそうでここらの裏町あたりに住んでいたらいいだろうなあ、なんて思う。

イスタンブールで開催となれば、初のイスラム圏での開催だという。そうか。

そおういえば、友人の赤松カメラマンもこのあたりを訪れて「ビザンチン美術の旅」なんて写真集を上梓している(今日の1枚の2)それにシルクロードに執着していたボクもイスタンブールまで北京からクルマやバイクで出かけてみた。

ウクライナのオデッサからは5つの国を一晩で駆け抜けた!なんていう武勇伝も自慢なのだ。ウクライナ-モルドバ-ルーマニア-ブルガリア-トルコ。ウクライナのオデッサを出発したのはお昼、そして朝にはトルコに着いていた。諜報部員のような旅だ。

ボクの「行ってみたい最後の3つの美術館!」の最後はここのトプカプ宮殿美術館。。あのスルタンの秘宝やシルクロードに栄えた黄金伝説を、最後に確認するのはここだ。

2013/01/01 (火曜日)

明けましておめでとうございます。

今年もSSERは元気よく!邁進して参りますのでよろしくお願いいたします。

さて、2013年も、これから見る新しい夢を醸成し語り続けていきたいと思います。おりそもダカールは間もなくスタート。1995年ですからまさに18年前に初めて参加したボルドバートル君は、たしか18歳でした。
なかなか思うように走れずラリーの厳しさを経験として積み重ねていったものです。やがて走れば勝つ、というまでに成長してきました。一方でハマー君は、日本で育ったもので日本語にも長け、またビジネスのセンスもありラリーの傍らで高度に成長するモンゴルにあってその地位を築いていきました。いやそれでも何度も挫折はしたようですが。

ある年のこと、トップを走るガントルガ選手がスタート直後にトラブルを起こし、すぐ後ろにいたハマーは自分のパーツを外しガントルガの総合優勝を支えるというようなことをします。何もチームオーダーがあるわけでもないのですが。

こうした若者たちも実は選手としてはピークの年齢を過ぎ初めています。いま勇気を出してダカールに挑むのは、大変素晴らしいことだし。僕達にとっても大変誇らしいことです。
ライセンスの取得にはおそらく大変な苦労をしたでしよう。
かつて20年前にパリダカに行くライダーたちも同じように苦労をしていましたが・・・
いずれ、彼らの活躍のリザルトが届くのをただただ今年1年の占いのように、楽しみに見続けていきたいものです。

 


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