きょうはオリアスタイのお話し。その前に12月12日大阪のモンゴルの夕べはご案内をみなさまに送り出すのを忘れてたとかで本日、大騒ぎをしてました。そこで、デキ日PRESSをご覧のみなさん!!是非お声掛けの上、お越し下さいねっねっ。あわてて、案内状を本日、作って送り出しをしてましたが...で、只今ビデオ大編集中!!そんで写真集はちょっとSTOP状態。イソガシスギルー。さてオリアスタイ。この町は僕はモンゴルの町々のなかでも特に好きな町。オリアスタイから南へ、そして西へと川が流れております。この川がクセモノでこの町へ来なけりゃ延々500Kmも迂回しないとクルマでは渡れない...など地形的にはヤヤコシイ。橋をかければ全てはOKなのにね。で、オリアスタイの町の真ン中に、橋がありましてね、1つはコンクリートの橋、となりに古い木橋(歩行者はOK)これはナント中国の紋様が施されていて橋柱には青龍橋と書かれています。町の入口の超でっかい岩にも青龍と書かれていて清朝統治下のオリアスタイはその例のヤヤコシイ川のおかげで青龍(アオタキじゃない)と呼ばれていた(んではないか、という僕の推測)周囲を天然の要塞で(要は岩山ね)で守られ、長い川は水を供給するばかりか敵の侵入に備えてて、今はその岩山の間にぽっかり開いたエリアに飛行場があって、パイロットは離陸が難しいとか言ってた。でも着陸はカンタンなんだって…オリヤスイタイだもの。
きょうの1枚
そのオリアスタイの空港でのビバーク。ここの空港に我々は物資輸送の基地として使っている。時にはビバークとして使う。その時はトイレがちょっぴりプロブレム。輸送機アントノフA24をチャーターして飛ばしたりすんのもココ。ヘリの燃料の集積地に使うのもココ。で、チンギス・ハーンもそうだったらしい。とにかく居留地・ビバークとして使うのにはとってもいい。ナニセ、オリアスタイだもの。エッ、サムイ。ゴメン。
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