No.0362 – Organisation Voice 2001/10/09


皆さん、ご無沙汰を致しております。今日は久しぶりに自分のデスクで、自分のパソコンに向かってOVを書いています。振り返れば、この数週間は世界的にも驚くべき衝撃の日々となってしまいましたね。世界の趨勢や人間のありようなど、いろいろと考えさせられたりしたことや、恐竜の化石探査の事、等などをいろいろとしたためて見ようと思います。

さて、僕の愛読書?サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」では冷戦崩壊後の世界秩序について詳しく述べてあります。まさにこの書こそが、衝撃であったわけで、今回の戦慄のテロは、言ってみれば彼の予言が、そのまま現実のものとなったともいえます。つまり世界の中にいくつか存在する、全く理念を異にする文明が、衝突をしている訳です。正義とかじゃなく信念の部分なんですな。

ところで僕が驚いたのは「報復」という言葉、どちらかというとこのイスラム的な言葉が、日本やアメリカなどの民主主義国家の新聞の一面を賑わせていたことです。つまり民主主義の精神では連鎖が連鎖を生む「報復」という行為は既に過去に排除されたのではなかったんでしょうか。じゃあ身内を殺された被害者の家族は、司法に委ねることなく、自ら加害者や、それを匿っているかも知れないと思われる人を攻撃する事が許されるのでしょうか。近代社会ではこの報復という行為を、排する事で秩序を保ってきたのではないんですか。例えば関税を相手国がかけてきたので、報復関税をかける!なんてのも民主主義的には違和感を感じていたんです。かつての AMD構想「もし核攻撃を受ければ必ず報復の核兵器が打ち込まれる、相互破壊確証システム。」これもかつてアメリカが莫大な予算をつぎ込んで進めてた話で、その考え方こそ違和感なんて言葉では言い表せないほどのものを感じていました。

実際のところ、今回の事件とその後の対応について正しく表現するならば「犯人逮捕のために、武装した警察隊を派遣する。」とするべきでしょう。巡航ミサイルなどを打ち込む事に意味があるのでしょうか。こうした無差別に見えるような(そうであっても、そうでなかったとしても)形の報復攻撃こそ、彼らテロリスト達が待ち望んでいた事のように思えて仕方がありません。

今回のテロが許されざる行為です。しかしあえてアメリカには言いたい。彼らは今まで一度もしたことのない反省をするべきでしょう。かつてネイティブ・インディアンを大量虐殺して国家を建設した彼らは、たとえば東京大空襲で 10万人の市民を焼き殺し、広島・長崎では 30万人近い一般市民を、殺戮し尽くしても「正義、当然である」と貫き通さなくてはならない程度の脆弱なアイデンティティしか持たないのです。それがアメリカの悲しさで、アメリカが背負う十字架なのです。アメリカという独自の民族を持たない国家は、その存在の理由を民族主義に見出せないが故に、正義とか勇気とか、または星条旗という、本質を見えにくくするものに頼らざるを得ない弱さを持っているのではないでしょうか。たとえば大きな町内に、大きな屋敷を持つおせっかいな一家がいて、端っこのほうのおうち同士のトラブルにも必ず首を突っ込んできては、自分ちの論理や、自分の利益だけで「うちは町内の警察である。」なんていってる状態なんです。ところがそこには、そのおせっかいな彼らがやってくる前から、営々と続く過去や歴史、そしてそれを裏打ちする新興の一家からは「おかしい!」と思えるような、蹉跌があるわけなのです。今回ほどアメリカのおごりを感じた事もなく、しかし真に犠牲になった方には心からの哀悼の意を表したいと思います。

そして、21世紀があの血塗られた20世紀の反省の上に立ち、真の平和の時代を求めていくエネルギーに溢れる世紀となる事を心より望みます。

さて、モンゴル恐竜の谷、ここには驚くほどの、未発掘の化石がウヨウヨあるようです。日本モンゴル合同調査チームを組んで、本気で発見に向かいたいものだと思ってます。
 
きょうの一枚
先週撮影ほやほやの初冬のゴビ砂漠。昼は暖かいのですが、夜はトッテモ寒いんです。


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