No.246「リタイアです」- 菅原さんからの手紙 20190121

2日目のSSの32km地点で、ハンドルが効かなくなり、色々とチェックしたらパワステホースの高圧側のホースからオイルが漏れていました。

そんな事が原因でCPを2ケも飛ばし、更に通過しなければならないポイントを40ケ所以上も不通過したので、リタイヤ扱いになりゼッケンはオレンジ色に変えられました。

今年から救済処置で休息日以降に走れるセミマラソンクラスが出来たのでそちらにエントリーです。

スタートの前日に人検があり、お医者さんの問診を受けさせられました。

このクラスは全車出走した後のスタートなので日が暮れるのが早くなり、夜の走行になるのですが、今度は運が悪く、砂あらしがあり視界が悪くてスピードが出せん。そんなこんなして居るうちに、コーション3のコマ図の場所に来てしまい、そこは砂丘の下りが1km続くと書いてありました。コーション3です。

桜井君に坂まで歩いて見てもらったのですが、ランプで照らしても真っ暗らで下は全然見えないとの事、時間は夜中の12 時を過ぎていたので、ビバークして明るくなってからその坂を下ることにしエマージエントシートに包まり明るくなるのを待ってから、1KMの坂を下りビバークに朝に着き、3時間ほど休んでスタートしたのですが、砂丘の真ん中でまた夜になり、キャンプに帰るテレビクルーに案内してもらいキャンプに戻ったのですが、あまりにも通過ポイントを拾ってないと言われ、今度は黄色いナンバーを付けられてアシスタントクラスに変更になりました。昨年も2日目でリタイヤ、今年も2日目でした。ゼッケンの色が3回も変わりました。

今回のラリーは舗装道路を明るい内に400kmリエゾンしてから300kmのSSがあったりで、SSが夜になりアフリカのと違って切り立った砂丘が多く、夜になると全く走れなくなり回も厳しい競技でした。

2号車は頑張ってくれて1万cc以下クラスの10連覇を達成してくれました。

写真はスミルビッチ氏。1985年に私は俳優の夏木陽介さんとパジェロでダカール出た年に彼は元サッカーの神様的存在のレイモン・コパさんとパジェロで出ていて、それ以来の友人です。彼の住宅の地下にエンジンを修理する部屋、車両を製作する部屋、板金塗装をする部屋を持ってます。フランスのシャルルドゴール空港の近くなのですが、羨ましい環境ですね。

最後になりましたがHINO TEAM SUGAWARAを応援して頂いた皆様に感謝申し上げます。

ありがとうございました。

菅原 義正


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No.246 – 菅原さんからの手紙 2018/12/30 21:30

SSERの忘年会に何かしなければと思い、黒ちゃんに電話したら終わりましたとの事。

日本が一日進んでいるのを忘れてました。

こちらは車両にメカさん達がゼッケンを張ってくれました。
2号車の照号は510番。1号車の私のカミオンは517番です。
1月4日に我々チームの車検があり、6日にはペルーの街を走るおひろめがあり、
7日から本格的な競技が始まります。

4日の19時からダカールレジェンドとルーキーの集まりがあるそうです。2号車の照とナビの羽村君はレジェンドで1号車の私はレジェンドでナビの桜井君はルーキーなので、我々チームの競技者は全員出席になります

応援お願いします。

菅原 義正


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No.245 – 菅原さんからの手紙 2018/12/27 15:45

皆さま良いクリスマスを迎えられたと思います。私はと言うと25日は日本の元旦のようで、時差調整で寝ていたら強烈な花火の連射が夜中の12時過ぎまで続き、朝の6時まで寝れずに苦労しております。

昨日、後発の部隊が合流して、一陣はレンジャー2台を工場に運び込み、サービスの大型トラック2台が夜の7時過ぎに整備工場に運びこまれした。

いよいよ明日から最終調整に入るので、大忙しになります。
次回大会からレギュレーションの変更があり、SS中に故障したら、翌日の自分のスタート時間の30分間前に着いてればラリーを続行でたのですが、規則が緩くなり、トラックの最後のスタート時間の1時間以内に出走可能になりました。(ペナルティは付きます)

ラリー前半でリタイヤしても出走可能な車両になっていれば、休日日の後半にも出走できる事になりました。逆に言うと今回の大会は砂丘が多く100%ピアーなダカールラリーと言ってるからだと思われます。

菅原 義正


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No.244 「出来ました。」- 菅原さんからの手紙 2018/12/17 17:11

ラリーレイドモンゴルから帰って来たジムニーを洗車したり、少しずつ整備をしていたのですが、ナビのまるちゃんからの要望でナビ席の計器をバイクと同じ方が使いやすいとの話があり、そう言えば私も4輪で一人で出ていた時もバイク方式を使っていたので、彼女が慣れてる方が良いだろうと思い作りなおしてみました。

まるちゃんが近所に居ると打ち合わせをしやすいのですが、何せ熊本なので叶いません。電動式のマップホールダーを付けるのですが、助手席で揺られながらのスイッチ操作は大変なので、左手が安定するようにとバイクのハンドルの外径と同じアルミパイプを用意して、写真のようにグリップを付けてバイクと同じ方式です。

先日SSERの東京での発表会があり、まるちゃんも出席するのとの事、早速、御殿場の工場に来てもらい細かい位置合わせをすることが出来ました。

距離計は左が車輪の回転からので、右はGPSから拾ってます。更にマップケースの右には大型のガーミンが入ります。

足のステップも欲しいとの事、アルミのパンチ板で作ったら前方に物入が出来て一石二鳥です。ロールバーに付いてるヒューズボックスの配線は彼女が全部やってくれました。一番楽しい時間です。

菅原 義正


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No.243 「久し振りにル・マンのガレージに来ております。」 – 菅原さんからの手紙

サーキットの横の自動車博物館に行ったら、偶然、定年で退職した館長さんとばったり会い早速案内してくれた場所は、なんとポルシェがルマンに挑戦して70年になるので、あちこちからポルシェを集めてきて記念イベントを開催中の場所でした。

案内してくれたコーナーは第1回目から今、我々が20年も借りてるテロッシェの工場で整備している写真です。そう言えば、以前見た動画にスティーブマックイーンが我々が借りてる工場の近所を歩いているシーンを見た事があります。

彼がこの時に乗ったポルシェ917kもこの工場で整備したそうです。

恥ずかしい事に全く知らないで使わせてもらっていました。

場所はテロッシェと言う町にあります。

1964年に開かれた第2回 日本グランプリで生沢さんが乗ったスカイラインと壮絶な戦いをしたポルシェ904も飾ってありました。この車はミシュランタイヤの依頼でタイヤのテスト用にポルシエに作らせた車だそうです。

フェラリーがルマンで整備している絵を持っていますが、やはりこの近所の納屋を借りて整備をしている風景です。

知らない事ばかりです。

菅原 義正


ポルシェ904


テロッシエのガレージ


最初に出たポルシェ

 


歩いているイクス。この時も優勝です。


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No.241 「イーチの完成です。」 – 菅原さんからの手紙 2018/10/21

以前、モンゴルのバイラーさんのガレージで一台のバイクを見せてもらいました。
彼曰く、お父さんが乗っていたバイクで、綺麗にしようと思い、明日こそやろうと思い、
気が付いたら何もしないで、30年も経ってしまったと言ってました。

 
小さなコンテナーから引き出して、エンジンをかけたら動くので、お家の近くを少し走り回りこのままにするのはもったいないので、私に下さい、私が綺麗にレストアをするからと話し、頂いて日本に持ってきたのです。

メッキ部分は錆ており、エキゾーストやマフラーもつぶれておりました。車体の色もグリーンでした。ほとんど全バラにして新規にエキゾーストやマフラーも新しく作ってもらい、少しずつやっていたのですが、気が付けば8年も経ってしまいました。

バイラーさんは、次のラリーの為に、サービストラックの整備に来日しており、帰国前に2人でどうしても完成させようと頑張って作り上げました。

名前はリーチと言い、ロシア製の2サイクル350cc短気筒エンジン(なぜかエキゾーストが2本)のバイクです。
元はドイツのDKW NZ350のコピーのようです。前に持っていたロシア製のウラルもドイツのBMWのコピーでした。

仮ナンバーで走るのが楽しみです。
写真は整備中のバイラーさんです。

菅原 義正


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No.241 「水没しました。」 – 菅原さんからの手紙 2018/08/30 17:00

ETAP-5 の2回目のSSの53.06地点に河渡りの指示がコマ図にあり、着いてみたらとんでもない水流と川幅が広く、大型バスも渡れないで水の引くのを待っている状態でした。ナビのまるちゃんと相談して、まずは上流の方向に向かって走り様子を見たのですが、状態は良くありません。指示のあった場所にトラクターが居たので、お金を払って牽引してもらおうと言う事になり、戻ったのですが帰ってしまったのかトラクターが見当たりませんでした。下流に行ってみると、大地が平になって一本の河が6本位に広がっており、まるちゃんに歩いて川に入ってもらったら何とか渡れそうなので、気を付けて5本位の河を渡り、最後の河も何とか渡れると思い入ったのですが、出口の辺りがくぼんでおり、ボンネットを上にして水没です。ナビのまるちゃんも初めての経験らしく、ドアを開けようとしても水圧で開きません。外の水の高さと室内の水の高さが同じになってから、開いたのですが、まるちゃんが大切にしていたおやつ類が膝の上まで、ぷかぷか浮いてきました。

まずは高い位置に置いていた衛星電話を取り出し、本部や日本の事務所まで電話するのですが、全然繋がりません。緯度。経度を知らせるのに3時間位掛かってました。万が一を考えて寝袋とマットを2名分持っていたので、それを出して、一晩寝ることにしましたが、二人ともスボンの腰まで濡れており、スボンを抜いて寝袋に入るのですが寒くて大変でした。

翌朝の7時頃、山田さんが手配してくれた救助隊が2台の車で来てくれました。低体温になってたらと、お医者さんも同乗してました。後ろ側にウインチで引き出してくれて、私は濡れるからとモンゴルのスタッフがおんぶしてくれて河を渡りました。その後スタッフのムッホ君がぺラシャフトを外し、水で満タンになった燃タンを逆さにして空にして、予備のガソリンを入れて、エンジンまで行ってる燃料ホースの水を抜き、やっとエンジンがかかり、コマ図の渡る場所までもどり、2台のランクルと私のジムニーを牽引ロープでつなぎ、スタッブが歩いて浅い場所を探して、渡り切りました。

山田さんが手配してくれたスタッフに大感謝です。

菅原 義正

写真1はシルクウエイラリーで河渡りをさんざん練習してきました。
写真2は後ろに引きだしたジムニー。
写真3は表彰式でおんぶされた再現シーンです。


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No.240 SILK WAY RALLY無事に終了いたしました。 – 菅原さんからの手紙 2018/07/30 11:00

SILK WAY RALLY無事に終了いたしました。

このラリーは昨年度まで、モスクワを出発してカザフスタンを通り、一昨年は北京、昨年は西安にゴールする、クロスカントリーラリーでした。

今年の最初の予定では西安をスターとしてカザフスタンを通り、モスクワにゴールするとの事でしたが、途中からカザフスタンが通れなくなったので西安をスタートして、カザフスタンの手前で参加者の車両を貨物用の飛行機でロシアに運び、中国側で5日間走り、2日の休日があり、(その間に飛行機で運び)ロシアのカスピ海の西のアストラハンをスタートして5日間でモスクワにゴールすると伝えられていましたが、直前になってアストラハンを20日にスタートして27日にモスクワにゴールするラリーになりました。

我々チームのトラック4台(内競技トラックは2台)はウラジオストックからモスクワ日野さんに陸送で10,000KM走って来て、ラリーメカさんの整備を受けて、我々選手がスタート地点のアストラハンまで約1,500KMを2日間かけて移動して、3,600KMのラリーを終えてモスクワに戻り、明日(30日)にこちらを出て10,000KMを走りウラジオストックまで車両を戻す事になります。

成績ですが2号車の照仁がトラック総合6位クラス優勝で私は9位クラス4位で完走しました。

今回のラリーはロシア一国だけで、次回のダカールもペルー一国だけになってしまいました。

菅原 義正

※ 写真はチームSUGAWARAのfacebookページより


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No.239「新車のお披露目会」- 菅原さんからの手紙 2018/06/15 19:00

6月2日と3日にかけて日野さんの御前山のテストコースでスポンサーさんや報道関係の皆様に集まって頂き、お披露目会が無事に終了しました。

今回の目玉は照仁が乗る2号車です。次回大会に向けてフレームもコの字から箱形状に変えて剛性を上げたフレームを作り、全て新造です。
後ろにはスペアータイヤが縦に2本入っているので、荷台にはサイドから入るのでリアーボディの両サイドに上ヒンジで開くドアーが付いており、燃料を入れたり、整備はそのドアーから出入りします。

燃料タンクも後ろにずらしたので、重心バランスも改善されております。

問題だったのは5月1日に私は左足を骨折したので、運転できるか? でした。
手術して3週間と4日しか経ってなかったのですが、何とか運転が出来たので良かったです。

次回はチームも大きくなり、メカさんもこんなに大勢になりました。

もう一枚の写真は波状路を走っている「私が運転している」1号車です。

菅原 義正


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No.238「骨折しました。」- 菅原さんからの手紙 2018/05/25 22:15

5月1日の午後のリエゾン中に舗装路で転倒して左足首のケイ骨の骨折と内側の靭帯を痛めてしまいました。原因はチューブレス用のリアーリムにチューブを使うタイヤをチューブを入れないで使ったのが悪かったのです。

3月にあった湯布院ラリーでも同じ条件で使ったのですが、問題が起きなかったので安心して走っていたのですが、少しづつエアーが抜けてきて、コーナーで一気に空気が抜けてタイヤがリムから外れてしまいました。初めてパリダカに出た1983年以来35年ぶりの骨折です。

1日の午後に近森さん、黒ちゃんにお世話になり、現地の病院に連れて行ってもらいレントゲンで完全に折れてる事が分かり、翌日、高知空港から東京に向かい、同日にスポーツ整形で有名な病院に入院したのですが、連休中なので8日に手術をしてもらい12日に退院して2日後からリハビリが始まり、一回も松葉づえを使わずに歩けるようになりました。9本のボルトでとめてあるのに、すぐにリハビリには驚きです。手術後にTVで知ったのですが、豚や牛の骨で作ったボルトがあり、ボルトが骨の一部になるそうです。更に驚いたのは人骨のボルトもあるそうですよ。

7月中旬から西安を出発してモスクワゴールのシルクウエイラリーがあるので、リハビリを頑張ります。

菅原 義正


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No.237「ラリーレイドモンゴルに向けて」- 菅原さんからの手紙 2018/04/02 20:30

昨年はレンジャーで出たのですが、今年はシルクウエイ・ラリー(西安ーモスクワ)に1号車、2号車の2台で出場予定なので、2016年に出た、ジムニーの車検を継続したり、ラリーに向けての整備を開始しました。

写真1は御殿場の工場ですが、尾上さんがジムニーの博物館を作るので左側にはお預かりしているジムニーが写ってます。

写真2は計器類が付いたダッシュボードです。
ガーミンが2台とテラトリップが1台とバイク用のラリーコンピューターとICO(バイク用でGPSで作動する)がついてます。テラトリップとバイク用ラリーコンピーターはセンサーが必要で、テラトリップはプロペラシャフトの回転から信号をとり、バイク用のラリコンはブレーキドラムから信号をもらって動きますが、ICOはGPSからの信号なのでセンサーの故障がないので安心です。

大きなカーナビは、松山の車検場に着いたら外します。左下のタイマーは後ろに積んだガソリンタンクから下の純正タンクに燃料を移動させる時に使います。

写真3は後ろからの写真でスペアータイヤが1本しか見えませんが、もう一本は座席の後ろに立てて積んでます。(なるべく重量物はホイールベースの真ん中に積みたいので)

右後ろに写っているのは、ホープスターと言って,ジムニーの原型の車両です。

6月23日が車検なので、やる事がいっぱいです。

菅原 義正


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No.236「ホンダドリームCL」- 菅原さんからの手紙 2018/03/23 12:00

懐かしい写真が出てきました。この車両は父が高校生の時に買ってくれた車両です。

私は父にお願いしたのは、ホンダベンリーCB92スーパースポーツ(125cc)でした。

当時、北海道の小樽市に住んでいたので、このバイクは北海道に初めて上陸したバイクで札幌に納車され、小樽までセールスマンが自走で陸送中に事故を起こしてしまい、父は危険なバイクだから、もう少し優しいバイクが良いとドリームCL250を買ってくれました。このバイクは日本で初めてセルモーターが付いて、シートはタンデムでした。それまでは、自転車やバイクは荷物を運ぶ道具として使われており、この車両から本田 宗一郎さんがスポーツ車両として開発したバイクです。

何でこの写真を使ったのか、説明が必要ですね。今年のダカールが始まる前に、アライヘルメットさんに訪問したら、創設者の新井廣武さんがバイクの上で立って走っている大きな写真が飾ってありました。

私も負けずに昔の写真を探し出したのでした。
このバイクで高校に通っていたので帰りには5人乗りで帰った事もありました。
場所は小樽商科大学のグラウンドを無許可で走ってました。

無茶苦茶ですね。

菅原 義正


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No.235「始動開始」- 菅原さんからの手紙 2018/02/21 12:00

来年のダカールに向けた車両作りが始まりました。キャブ(運転席)の内部は弊社で製作するのでガレージに入り作業が始まりました。このキャブは今年6位に入った照仁が乗る2号車になります。

2号車のキャブはナローキャブで1号車(私が乗っている車両)よりも車幅が狭い車両で、今度新しく製作しているのは、後ろにベットスペースがある乗員の後ろ側が広くなっております。

ロールバーを入れたりすると、どうしても座席の後ろに余裕が無くなり、ドライバーの希望で余裕のある、このキャブを採用したようです。

このキャブに合わせてロールバーを入れたり、運転席やナピ席には様々な計器類がダッシュボードに付けたりと、大変な作業が待ち構えております。

ロールバーは引き抜き鋼管と言って、鋼管の製造会社に事前に注文が必要なパイプを使います。

フレームは日野さんの方で製作してもらっており、強度を上げるために、今までのコの字のフレームからボックス形状のフレームを採用します。これによって強度が上がるので鉄板の厚さも薄くなるようです。

もう一枚の写真はざっと機械で曲げたロールバーですが、更に精度を上げて取り付けるには、パイプの中に乾いた砂を入れて、火を真っ赤にかけて手曲げで曲げて調整します。

テストは7月にあるシルクウエイラリーに出場予定なので時間がありません。

今回使った大型の6X4のZSと2台のハイラックスはフランスに到着したので、2名の社員が対応に弊社のルマン工場に行き、働いてくれてます。

こんな事をしていると1年はすぐにやってきますね。

菅原 義正


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No.234「リタイヤです」- 菅原さんからの手紙 2018/01/29 12:45

ダカールラリーが始まって2日目に写真のようになってしまいリタイヤです。

埋まったところから5メーター先からは平だったので、ここを脱出したら何も問題なかったのですが、残念です。

写真を撮したのは午後3時頃で、後ろから6輪駆動の参加者が来るので引っ張ってもらったらすぐに出ると思い、この状態で一時間位6輪駆動車を待っていたのですが、来ないのでナビの羽村君と砂を掘って姿勢を立て直し自力で脱出する準備を始めました。

動力をかけたら転覆する恐れがあったので、後輪にジャキをかけて斜面に対して直角にして、後ろに下がって、下まで降りて助走をつけて登って来る計画を立てて、砂を掘り出しましたが、砂がさらさらしており、掘っても掘っても変化がありません。二人で11時間掘ってのですが状況は良くありません。衛星電話でチームの本部を呼ぶのですが、電波の状態も悪く、うまく繋がりません。

我々の車がスタックしている事が主催者の方で分かっているので明け方6輪駆動のカミオンバレーが2台来てくれて、引き揚げてくれたのですが、左前輪のハブが壊れて走れない状態でした。

壊れたパーツを持ってチームのメカさんがハイラックスで救援に来てくれて直したのですが、左後輪の駆動も壊れており、急遽フロントドライブだけにしてラリーを追っかけました。キャンプに着いたら菅原はリタイヤになっていないとの情報が入り、メカさんが急いで後輪の駆動も修理してくれたのですが、埋まった翌日は出発のカードももらってないのでリタイヤ扱いです。

主催者と交渉してアシスタンスクラスのゼッケンに張り替えて、走ったのですがこれまた大変で、新しく持って行ったキャンピングカーの調子が悪く、50キロ走るとオーバーヒートで水を補給しなければならなかったり、急な坂は上らないので牽引したりで、22時間も連続で走ったりでサポートの大変さをを実感したラリーでした。

ボリビア近くでは標高4000メーター近くの大地が600キロも続きます。

菅原 義正


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No.233 「菅原からの手紙」- 菅原さんからの手紙 2018/01/02 21:30

明けましておめでとうございます。 今年も宜しくお願いいたします。

ダカールのスタートが近づいてきたので、ホテルの食堂でヤマハやホンダのTシャツを着ている人たちが、増えて来ました。

我々チームも予定通りに進んでおり、31日には初めて導入するキャンピングカーが
4000Km先のアルゼンチンから自走で運ばれてきました。(今年のゴールがアルゼンチンなので、返却がしやすい)

運転してくれた人に聞いたら8日間も掛ったそうです。約一日500Km走ったことになります。我々チームの大型サポートトラックを運転してくれるバイラーさんに話したら、僕なら4日で来れるよ、と言ってました。

大陸育ちのバイラーさん(モンゴル人)と日本人(キャンパーを運転してくれた人)とはスケールが違うんですね。

明日(2日)はフランスから船出した、ハイラックス2台と大型のサービストラックが港につくので、引き取りに行き、荷物の積み込みなど、忙しくなってきます。

車検が3日でスタートが6日です。今年も応援お願いします。

写真説明、キャンピングカーの点検中と街に出だしたダカールの広告です。

追伸 ペルーの元大統領のフジモリさんが恩赦で刑務所から出る事になりました。

菅原 義正


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No.232「高地トレーニングを兼ねて」- 菅原さんからの手紙 2017/12/25 11:00

今はペルーのリマに居て、体のトレーニングと時差の調整中ですが、次回のダカールの休日はボリビアのラパス(世界で一番高い首都だそうです。)に予定されており、今年もラパスで、初めて高山病になったいやな場所なので、事前に高地トレーニングに行って来ました。

リマから飛行機で1時間ちょっとでクスコに着きます。眼下のすぐ下には6,000メートル級の山々が見えて、モンゴルで乗ったヘリが山頂ギリギリで抜けて行くのを思い出しました。

昼には着いたので、近くの遺跡を見学しようと歩きだしたら、息苦しく足が思ったように進みません。標高は3,400メーターです。ゆっくり4時間ほど歩いたら少しは楽になって来ました。

予約していたホテルは酸素が室内に出るホテルだったので、楽に寝る事が出来ました。ガイドの人、曰く、高山病対策は登ったり、降りたりするのが有効だとの事、ここまで来たのだから、マチピチュまで行きましょうとの事、標高は2,500メートルだそうです。想像ではクスコより高いイメージでしたが下るのですね。

まず、列車で約3時間でマチピチュの下の駅に着きますが、途中坂がきついので列車はキックバックで登ってました。駅からバスに乗り換えて30分ほどでマチュピチュに到着。

想像していたより狭い場所でしたが、こんな場所にこんな施設を造る事自体不思議な事でした。昔は何千人も生活していたのではないかと言われてましたが、供給される水に限りがあるので今では300から800人位の人たちが生活していたと言われているそうです。

観光客が多いのに現地にはトイレがありません。下の駅で借りたら80円ほど取られました。3日間のトレーニングを終えて、リマに帰ってきました。

写真1 は大きな石組です。どうして削ったのか質問したら、隕石を使ったのではないかとの事でしたが、運ぶのも大変な事ですね。

写真2 奥に見える大きな山の上にも施設が作られておりました。

菅原 義正


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No.231 – 菅原さんからの手紙 2017/12/15 11:00

12日の夕方の便に乗り、ダラスで6時間も乗り継ぎ時間があり、リマには朝6時に着きました。荷物は東京で預けたので、最後に流れてきてドキドキです。

リマの空港からはラッシュの時間と重なり、渋滞でした。今回のホテルは2012年に泊まったホテルから1km位の所なので、懐かしい所です。

13 日の早朝に着いたので、ベットに入り一日だらだらと生活しておりましたが、日本料理を経営している知人が昨年、亡くなった(62歳で肝臓ガン)ので、お店を訪ねて、献杯です。お店の名前も変わってましたが、今のオーナーも私の事を知ってるので、話に花が咲き、楽しい夜でした。

今日(14日)は意を決して、トレーニングです。2013年のダカールの車検場があった海岸のあたりに行って来ました。なぜかジョンレノンの銅像が丘の上にありました。

この町もあちこちにゴミ箱があり、道路や公園を清掃している人たちが多くおり、とてもきれいです。銀行にいるガードマンは拳銃を携帯しております。

どうして日本にはごみ箱が少ないのでしょう。行政が勝手な理由をつけて置いてないのですね。情けない。

写真は昨年写したもので、アルゼンチン日野さんの事務所に飾ってある、私のレーシングスーツとヘルメットとシューズを履いたマネキンさんです。本人と大違いでした。

菅原 義正


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No.230 – 菅原さんからの手紙 2017/10/25 11:00

先日、次回のダカールの発表会が日野自動車さんでありました。

世の中変わったんですね。全部、動画で発表会の様子が見れる事になりました。時間があったら見てください。

アドレスは下にあります。

http://www.hino.co.jp/dakar/latest_news/PD18-16.html

見れない場合は日野さんのホームページからもはいれます。

[OFFICIAL] ダカールラリー2018参戦発表会 1:日野自動車の下社長からのご挨拶

[OFFICIAL] ダカールラリー2018参戦発表会 2:菅原照仁ドライバーによるコース&車両についての解説

[OFFICIAL] ダカールラリー2018参戦発表会 3:参戦車両のお披露目

[OFFICIAL] ダカールラリー2018参戦発表会 4:髙野メカニックによる決意表明

[OFFICIAL] ダカールラリー2018参戦発表会 5:菅原義正ドライバーによる決意表明

[OFFICIAL] ダカールラリー2018参戦発表会 6:下社長から菅原義正さんと菅原照仁さんへメッセージ

[OFFICIAL] ダカールラリー2018参戦発表会 7:フォトセッション

菅原 義正


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No.228「お披露目会」- 菅原さんからの手紙 2017/10/17 15:30

10月15日に日野さんのテストコースで次回のダカールに出場する1号車と2号車のメディアさん向けのお披露目会がありました。メカさん達の頑張りで予定通り、お披露目が出来ました。

エンジンのカムはヨシムラさんの協力も受けて(エキゾーストの1部も)低回転域からトルクが出て、380馬力から700馬力までパワーアップされております。

1号車と2号車の大きな違いは、1号車のサスは前後共にマルチリーフ式を採用(ラリーレイドモンゴルから)。 2号車は前後共テーパーロングのサスとコイルスプリング付きのショックアブソーバーを採用しております。

写真1は新しく作られたサービストラックにステッカーを張る業者さんが来て作業中です。次回はこの6輪のサービストラックが2台とキャンピングカー1台とメカさんを運ぶハイラックスダブルキャブが2台が参加するので大部隊てす。新しいサービストラックにはボール盤や万力が付いてる作業台とアルゴンの溶接機も積んであります。

写真2はバンクを走る2号車(左側)と私が運転している1号車で、2号車の顔は先日、発表された新型でランプに特徴があります。

次回はペルー出発なので砂丘が待っております。

菅原 義正


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No.228「大忙しです」- 菅原さんからの手紙 2017/09/30 20:00

私がラリーレイドモンゴルで使ったレンジャーですが、通関が遅れて、3日程前に工場に着いたので、大忙しです。
テスト走行とメデイア発表会は10月15日に決まっており、やる事がいっぱあるので大変ですが販社メカさん達は嫌な顔を見せずに、毎日頑張ってくれてます。

写真の1はお分かりの通り、デスクローターの交換作業中の一コマで、大きさが判るように500円硬貨を置いて写しました。普通はフロントのデスクローターが早く減るのですが、写真のはリアーのローターなのです。交換はリアーだけしかしません。理由はフロントタイヤで掻き上げた砂や小石がリアーのブレーキに吹き付けるのです。

フロントタイヤの後ろにはマッドフラップがあり、更にリアーのブレーキの前にガードのフラップを付けてるのですが、水を含んだ砂などが入り、ローターがすり減ってしまいます。

写真2はブレーキで有名なブレンボー製なのです。バイクからこんな大型まで作っているのですね。

チームの新しいニュースは日野さんのホームページをご覧ください。

http://www.hino.co.jp/dakar/latest_news/PD18-15.html

菅原 義正


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No.227 – 菅原さんからの手紙 2017/08/29 18:12

今年の参戦でラリーレイドモンゴルは20回目になります。

一番最初に出たのはジムニー660でした。その後はホンダパイロットと言う一人乗りのバギー(単気筒2サイクルの400cc)だったり、ヤマハのライノと言うサイドバイサイド(単気筒4サイクル700cc) の車両を一人乗りにして出たり、昨年はヤマハの本格的なサイドバイサイドのバギーYXZ1000Rで出場しました。

ダカールではレンジャーで連続25年も出ていますが、ラリーレイドモンゴルにレンジャーを走らせるのは初めてです。

困ったのは、ジムニーなどの小さい車ではトレットが狭いので轍に合わなかったのですが、今度はトレッドが広すぎて轍に合わないのです。そして車重が1トン位から7トンにもなり、馬力も650馬力もあり、モンゴルのピスト(オフロードの道)に合わせるのに苦労しました。

楽だったのは、目線が高いので、Y字などの分かれ道が良く見えるので助かりますし、車輪が大きいのでコーション(注意)1などの凹みなどは、全開で走れました。

販社さんから選考されたメカさん達は2号車が出たシルクウエイラリー(モスクワ-西安)に出て、すぐにモンゴルに来てサービスをしてくれました。

次回のダカールはペルーをスタートします。今回は私にとっても、とても良い練習になったので、この調子を維持してダカールに臨みたいとお思っております。

今回のラリーも日野さんのホームページで詳しく見れますので、良かったら見てください。

菅原 義正


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No.226「北海道4DAYSに向かいます」- 菅原さんからの手紙 2017/07/12 19:00

TBIが終わったと思ったら、もうすぐに北海道4DAYSが始まります。TBIはHONDA XR230でしたが、北海道はヤマハセローで作ってみました。サスは早く走れもしないのに、前後共にオーリンズを組み込んでもらいました。バイクはドアーツードアーで芦別に送り、荷物も芦別のホテルに送ってあり、明日、飛行機で向かいます。

サービスをしてくれる麻生さんから電話があり、今、仙台を通過との連絡が入りました。広島からだと大変ですね。

東京は夕方になっても33°もありますが、北海道は夜が涼しくなるので楽しみです。

芦別の友人のお寿司屋さんから100食の海鮮丼の注文を頂いたと、連絡が入りました。これも楽しみですね。

私がラリーレイドモンゴルに乗るレンジャーの1号車のテストの様子が日野さんのサイトで発表されたので見てください。

http://www.hino.co.jp/dakar/latest_news/PD18-10.html

※ 写真は日野のHPより

菅原 義正
追伸 2号車の照仁は現在 SILK WAY RALLYに出ております。
トラックの強豪達が出場しており、モスクワを出発して2週間後に西安に到着です。今はカザフスタン辺りを走っておりますので、2号車の応援もお願いします。


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No.225 – 菅原さんからの手紙 2017/06/15 17:28

なんだか慌ただしくなってきました。照仁がシルクウエイラリーに使う2号車は12日に工場を出て行き、ラリーレイドモンゴルに使う1号車は部品が出来てきたので、組み付け作業が大変です。

来年のダカールの販社メカさんも決まり、日野さんの工場で車作りから作業が始まっております。

今週の週末は松山でモンゴルの車検と荷物の積み込みがあり、私の乗る1号車の輸送はロシア経由ではなく、中国経由なので車載工具などの盗難に備えて、車載品はSSERの便で運ぶようです。

月末には北海道4DAYS用のバイクを芦別に送ったりと、忙しくなります。

HINO TEAM SUGAWARAのこれからの予定が日野さんのホームページで発表されました。良かったら覗いてみてください。

[日野自動車のニュースページはこちら]

菅原 義正


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No.224「出来ました。」- 菅原さんからの手紙 2017/05/15 14:38

TBIでは、HONDA XR230に乗って出場したのですが、長い事使っていたので、ミッションが入りづらくなり、北海道4DAYS用にYAMAHA セローで、作ってみました。

写真1 横からの全体像で、エンジンの前側に付いてる工具箱は今回のTBIで知り合った、鹿児島の大下本さんが北海道には行けないので、せめて工具箱を連れて行って欲しいとお送ってくれました。

ヘッドランプはLEDをやめて、HIDにしたのでライトのカウルに入りきれない部品が外に出てしまいました。

リアーには純正のキャリヤーが付いてましたが、重い物を載せないのでキャリーを外しバックを直接取り付けました。

写真2 マップケースまわりですが、右上はGPSで作動するICOを付けてみました。純正のメーター類はそのままにしてあるので時計やトリップや燃料メーターなどが見れて便利です。携帯電話などの充電が出来るUSBのソケットが付いてるシガーライターもついてます。ウインカーも軽いのに変更してあります。

写真3 大下本さんがお送ってくれた工具箱ですが、改良して400グラムを軽量して取り付けました。純正の工具入れは高い位置にあるのでこちらの箱に入れる事により、重心が低くなりましたが、最初に作った大下本さんに感謝です。

北海道が楽しみです。

菅原 義正


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No.223「TBI用のヘッドランプ」- 菅原さんからの手紙 2017/04/14 18:33

湯布院ラリーでは写真1のようなLEDランプを取り付けての参戦でした。

このランプは競技用に作られているのか、ハイピームとロービームの切り替えがありません。仕方がないのでこのランプを下に向けて 対向車に眩しくないようにして、さらに上(写真には写ってない)にハイビーム専用のLEDランプを2ケ付けて走りました。

実際に夜、使ってみましたが、明るさはあるのですが、スポット的になり、想像と違っており、次回のTBIは夜間走行が多いと山田さんに脅かされているのでシビエのランブケースにHIDを組み込んでみましたがピント来ないので、タガールでも私が使っているジェビルのランプケースの部品を取り寄せてく組むことにしました。

HIDも古くなったので、新しいのを買おうとネットで見たら、今はLEDが主流になりHIDはたったの2900円でした。早速、注文して取り付けたら「安物買いの銭失い」のとおりH4なので電球がマグネットで前後に動くのですが、芯がづれて動き、不良品です。

色々と考えてLEDはロービムが普段点いていて、ハイビームにするとロービームを消さないで、その上にハイビームが点くので、夜間の林道には最高だと思い、今朝(14日)3時に起きて、バイクを置いてある御殿場の工場に行き、LEDを組み込んでガラス面に黄色を塗ってきました。TBIがたのしみです。

追伸 色々と相談にのってくれた三好慶一さんありがとう。

菅原 義正


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No.222「湯布院3DAYSに出てきました。」- 菅原さんからの手紙 2017/03/21 18:00

昨年はジムニーで出たので、バイクでの出場は1年ぶりです。

バイクはKTM EXC-F SIXDAYSからホンダXR230に乗り換えての出場です。

理由はひとサイズ下げる事で、今の自分に一番合ってると思ってチョイスしたのですが、エンジンのトルクバンドが広いのと、シートが厚くお尻が痛くなくベストチョイスでしたが、製造が10年も前のなので、KTMのようなサスの追従性はありませんでした。。

今回のコースは石が多かったので、フロントが跳ねて走りづらかったので最終日は空気圧を0.8まで落として使いましたが、私のスピードではリム打ちもなく走れました。

「川床の道」は昨年走れなかったので、楽しみに入って行きましたら、韓国からの選手が二人入ってすぐに転んでおり、私は昔、トライアルもやっていたので自信を持って転んでいる二人の間をすり抜けて、5メートルくらい進んだ所で苔にやられてすってんころりでした。親切な選手に起こすのを手伝ってもらい、両足を出してゆっくり進むのですが、いくら行っても川が続きます。

あるところで、フロントが引っかかって前進できないでいたら、すぐ横に選手の人が川岸に座って居て「バックしたらどうですか」と言うんで、「すいませんが、ちょっと前に押してもらえませんか?」と言ったら、彼は「すいません、私、骨折しているんで」

との事でした。対岸にバイクが置いてあり、転んで足を骨折したようです。

私は65か国も行ってますが、あんな所は、初めての経験です。

コースには「東洋のナイヤガラ」や「東洋のマチュピチュ」などがあり、素晴らしい大会でした。夢のような3日間を終えて大分空港から1時間10分で羽田空港に着ました。

オフィシャルの皆さんへ「ありがとうございました」

菅原 義正


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No.221「YAMAHA YXZ 1000R」- 菅原さんからの手紙 2017/02/20 10:30

昨年のラリーレイドモンゴルに私が使用したYAMAHA YXZ 1000Rが今年のダカールラリーに3台出場しました。

今までは、このサイドバイサイドの車両は4輪のクラスに入れられていたので、ATVとは別に扱われていて、アメリカのポラリスが良く出ておりました。4輪と同じクラスになるとロールゲージの太さが違っており、ポラリスはフレームを完全に作り直して、ホイールベースも長くして、そこに燃料タンクを付けたりして、出場するには大変な改造が必要でしたが、今年からこのサイドバイサイドのクラスが新しく出来たようです。

スペインヤマハさんが写真の車両を作っての出場のようでした。気になったのでそこのチームを訪ねて聞いてきました。燃料の規定は4輪と同じなので、800KMは無給油で走らなければいけません。

後ろのタンクの容量は250リッターだそうです。ヤマハさんのはフレームは伸ばしてないので、スペアータイヤの置く場所が無いので床下に積んでました。使用しているタイヤは外径を大きくして4輪共に同じタイヤにしてますが、これではどうしても最低地上高が低くなり過ぎです。

写真はスペインのラリーに事前に出ている写真ですが、リアータイヤにはドロ除けが付いており、4輪のレギュレーションの通りに作られております。

毎日、頑張ってましたが、最終的には3台とも完走で出来ませんでしたが、このクラスが安定してきたら、4輪よりも費用の面では安く出れるので、ぜひこのクラスが増えると良いですね。

菅原 義正


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No.220「無事に帰国しました。」- 菅原さんからの手紙 2017/01/23 10:20

letter_220_20170123_1020-01今年のダカール・ラリーは初めてパラクアイの首都アスンシオンを出発して、アルゼンチンに入り、その後、ボリビアに入り、再びアルゼンチンに入って首都のブエノスアイレスがゴールでした。

出発前の情報ではボリビアは干ばつが続いており、水不足なので洗車はしないようにとの連絡でしたが、行ってみたら、大洪水でSSのコースではドロの中に埋まっているトラックが居たりで大混乱でした。

注意していたのですが、私の車も前後デフが地面に着く程埋めてしまい、仲間が助けに来てくれたのですが我々の用意していた牽引ロープは砂用なので、深く埋まった車には通用しなくてすぐに切れてしまいます。

他の車も助けに来てくれて、彼たちのは丈夫な牽引ロープなので後ろから引っ張ってもらい脱出したのですがこの日はマックスタイムを30分超えてしまい2時間のペナルティでした。

この場所の標高は4200メーターだったので、動きすぎたのか、翌日嘔吐して完全に高山病になってしまいました。ちょうどこの日はSSがキャンセルになり、リエゾンで次のキャンプ地に向かう事になり、お医者さんに注射を打ってもらい命拾いをした次第です。

そんなこんなで色々とありましたが2号車の照が頑張って8位になり、私も完走出来て10000cc以下クラスの1.2を取る事が出来ました。

この場をお借りして応援して頂いた皆様に御礼申し上げます。ありがとうございました。

写真は昨年の4月7日にオープンした、日野アルゼンチンさんの工場をお借りして出発前の準備をさせて頂き、パラクアイに向かう前の記念写真です。

菅原 義正


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No.219「今年もよろしくお願いします」- 菅原さんからの手紙 2017/01/04 11:33

letter_219_20170104_1133-01お陰様で、無事に2台とも人検と車検をパスし昨日、パルクフェルメに入れました。夜にもかかわらず観客が居て、我々が歩いてたら拍手が起きました。

この国の人たちにとってダカールラリーが来た事がとても嬉しそうに感じました。こんな歓迎は初めての事です。

スタートは1月2日で、この町の東側で39kmのSSがあり、450m先のキャンプ地に向かいます。

毎日、暑いのと夕方にはスコールのような夕立があり、SSのコースが気になります。

競技が始まると、手紙を書く時間が無くなるので、ラリーの様子は日野さんのホームぺージ見て下さい。

応援よろしく御願いします。

菅原 義正

日野自動車ダカールラリー
http://www.hino.co.jp/dakar/index.html

写真1はホテルの窓から見た景色です。河幅は約3kmもあります。

写真2は今日こちらのトヨタさんで行われた、トヨタ車体さんと我々チームの記者発表の会場です。

写真3は2日のコースです。

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No.218「2台共無事に着きました。」- 菅原さんからの手紙 2016/12/19 11:43

letter_218_20161219_1143_0110月末に日本を発った2台のレンジャーは無事にブエノスアイレスに到着です。何時もは引き取りに手間取るのですが、今回は日野さんの努力もあり、予定通りなのでほっとしております。

運ぶのは、やはり低床のトレラーで運ぶのですね。その後、ブエノスアイレスの郊外に新しく出来た、日野アルゼンチンの販売店に運ばれました。

メカさん達は20日に着くので、こちらの工場をお借りして、事前の整備をさせて頂きます。

社屋も新しいので気持ちがいいですね。

私はと言うと時差との闘いと、運動の為、歩いたり、ホテルのトレーニングルームで頑張ってます。

今日、お昼を食べに小さなレストランに行ったら、HINOの帽子を見て判ったのか、お前の事はテレビで見てたよ、と言われました。

こちらでラリーをやるようになって早いもので8年にもなり、HINOを覚えてくれとても嬉しいですね。

こちらの気温ですが、お昼は31度で夜は18度ですが、室内を冷房しているので長袖のシャツを着ております。毎日、空は真っ青です。

菅原 義正

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No.217「無事に着きました。」- 菅原さんからの手紙 2016/12/15 13:26

letter_217_20161215_1326_01東京でのSSERの発表会では我々チームの壮行会までやって頂きありがとうございました。チームの第一陣として日野さんの広報の方とで13 日にブエノスアイレスに到着しました。

今年の4月7日からアルゼンチンで創業した日野アルゼンチンの社長さんにも出迎えて頂きありがたい事です。今年から事前整備は日野アルゼンチンの工場をお借りしてやらせて頂きます。今までお借りしていたトヨタさんにもとても良くして頂き感謝しておりますが、やはり日野さんの工場ですから嬉しいです。

ホテルは長期滞在型でキッチンも付いており、快適で、私は11階ですぐ上の12 階にはトレーニングルームとプールが付いてます。

日本では9月からトレーニングの先生に付き体幹をしっかりさせる事に集中してました。最後に計測したら体内脂肪が減り、筋力が増加してました。75歳からでも遅くないので山田さんもやってくださいね。

2009年からこちらに来て8年目になりますが、毎年新しい発見があり、わくわくの生活です。

これからゆっくりと報告しますね。お楽しみに。

菅原 義正


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No.216「フランスでの車検」- 菅原さんからの手紙 2016/11/29 11:33

letter_216_20161129_1128-12017のダカール・ラリーのスタートが迫ってきました。

ラリーの舞台が南米に変わってから、毎年車検はフランスのルアーブル港で行われます。ヨーロッパから出る、全ての参加車両はこの港で車検が行われ、主催者手配の船に乗せられて南米に向かいます。人検は全員、次回はスタート地点であるパラグアイの会場でやる事になるのです。

我々チームはサービスカーの3台はルマンの工場で保管しているので、社員3名がフランスの工場に出張して、事前の整備などをやって、ルアーブル港までは運びこんで車検を受けてくれました。

11月24日にルアーブル港に運び込み、アルゼンチンで受け取るのが12月20日頃で、今年から日野さんの販売会社がアルゼンチンに出来たので、日本から直接送ったラリーカミオン2台とサービスカー3台がこちらでドッキングして。販売会社の工場をお借りして、さらに事前整備をして、スタート地点のパラグアイまで自走して向かいます。

毎年の事ですが、予定通りにはいかないもので、ある年には日本から直接乗せた船が故障してしまったり、船長さんが途中で亡くなったりしました。

スタートは1月2日ですので、応援してください。

写真の説明
1 は弊社のフランス・ガレージの前で写したもので、低床のトレーラに乗せられた6輪のサービス・カミオンです。全長がとても長いですね。
2 は車検会場に集まったカミオンですが、ゼッケンの台紙が白でないので、サービス・カミオンで左がカマズで右はジナフです。
3 は車検が無事に通過した、サービス車両の3台です。

 

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No.215「船に乗って向かいました」- 菅原さんからの手紙 2016/11/02 13:46

0215_letter_215_20161102_1346-1来年のダカール・ラリーは、初めてパラグアイの首都アスンシォンを出発して、アルゼンチンを通り、ボリビアに入りアルゼンチンに再入国して首都のブエノスアイレスがゴールになるそうです。

我々チームは2号車を新造し、挑戦いたします。

写真1は日野さんの挑戦、26年目になるので、決意も新たにレーシングスーツを新しくしたのですが、内ももの部分が白いので、0脚に見えますね。一人何着も用意するので、その部分は既製品なので我慢です。

写真2は日野さんのテストコースで最終のテストを行いました。馬力も650に上がり、上々の仕上がりでした。コースの上は照が運転している2号車で、下は私が運転している1号車です。

写真3はオープンコンテナーに乗せられたレンジャーで、しっかりと固定されてます。

写真4は全体をブルーシートに包まれて、この状態でアルゼンチンまで船に乗って、2ケ月後に現地で荷ほどきをします。

今年は、2号車の照と今年、選考された販売会社のメカさん4名がモスクワをスタートし、北京ゴールのシルクウエイ・ラリーに出て、実戦テストをして来たので、その経験を生かしたラリーが出来るので、今から楽しみです。

1月2日にスタートなので応援して下さい。

菅原 義正

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No.214「宝もの」- 菅原さんからの手紙 2016/10/14 11:43

letter_214_20161014_1143_1写真1はとても大切にしているHONDA XL125R PARIS-DAKARです。このバイクの発売は1983年の3月の中旬だと記憶しております。

私はこの車両の発売予定も知らずに1983年の1月1日スタートのPARIS-DAKAR.RALLYにHONDA XL400Rで初出場をして、途中で写してきたフイルムをHONDAさんに差し上げたらHONDA XL125R PARIS-DAKARのカタログに使って頂きました。帰国したのが1月末だったので3月発売のカタロクに良く間に合ったと感心してました。

記念なので最初はカタログを入れる額を注文して部屋に飾ってたのですが、本物が欲しくなり、ヤフオクで探していたら1台を見つけたのですが、あまり程度が良くなかったので、ベースはXL125Rと一緒なのでXL125Rを2台買い、3台を1台にまとめて作り上げました。

フレームやエンジンには粉体塗装をしてもらうのですが、フレームをばらすのは簡単なのですが、エンジンは全部ばらして外側の部分だけにして、塗装屋さんに持っていくので、大変でした。

実際に走らせる事を目的にエンジンミッションなどを自分で組んだので、結構時間もかけて完成させたバイクです。

このバイクを置いてある部屋は4階なので、ピアノを運ぶ業者さんに釣り上げてもらいました。

写真2はカタロクが入っている額です。
写真3は私が逆光で自分のバイクをサハラ砂漠で写した写真です。

この壁に実際に付けて走ったフロントゼッケンと背中に付けていた布製のゼッケンを飾る予定です。

菅原 義正

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No.213「菅原からの手紙」- 菅原さんからの手紙 2016/09/15 14:49

我々チームのマネージャーさんが今回のラリーレイドモンゴルの動画を編集してくれました。
雰囲気があってとても素晴らしい出来なので見て下さいね。

やはり、モンゴルの大地は最高ですね。
菅原 義正


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No.212「菅原からの手紙」- 菅原さんからの手紙 2016/08/22 10:40

 今日(26日)の東京は雲一つない快晴でした。こんな大都会で青い空が見れるのは、東京位だと思っております。
 先日、ウランバートルで見た空は都心の上だけ埃で曇ってました。東京の道路の舗装率は、ほぼ100パーセントで車や人が移動しても埃が立たないのですね。その代り雨の吸水性が無いので、大雨が降ると大変です。渋谷の地下に一時的に雨水を溜める大きなタンクを作っているそうです。
北海道の川が氾濫したり、異常気象ですね。

4X4マガジン社さんが、動画をアップしてくれましたので見て下さい。

菅原 義正


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No.211「菅原からの手紙」- 菅原さんからの手紙 2016/08/22 10:40

letter_211_20160822_1040-01この写真を見てどんな事を感じますか?

場所はシャンゼ通りです。
私は自由と挑戦を強く感じました。

先に見える凱旋門にその後、軽飛行機が
縦になって 通過して警察にパイロットは拘束されます。
その後、同じパイロットがまた、凱旋門を飛行機で通過するのです。
私は偶然その場にいました。市民は大きな拍手をしてました。

日本では考えられない光景でした。

自己責任でやるのは危ないほど楽しいのです。

菅原 義正


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No.210「伸び行くウランバートル」- 菅原さんからの手紙 2016/08/05 15:18

letter_210_20160805_1453-01私は山田さんに誘われてモンゴルに来るようになって、18年も経ってしまいました。

最初はカミオンバレーの隊長として現地の人が運転するボンネットタイプのトラックと一緒に走り、私はランクル70の運転をして、最終尾を走ってました。

両車には通訳の人が乗り、無線で連絡しあっておりましたら、ある時すぐ後ろに走っていたトラックが見えなくなったので、連絡を入れると、すぐに追いつくので少し待ってて下さいとの事。

いくら待っても来ないので、そのトラックが止まっている場所まで戻ってみると、シリンダーヘッドカバーを外して修理してました。これではカミオンバレーのカミオンバレーが必要ですね。

カミオンバレーの説明をしますね。フランス語でトラックの事をカミオンと言いバレーとは、ほうきの事で、ラリーの最後尾を走って、リタイヤした人達を拾ってあげてお掃除をする事です。昔のダカールのカミオンバレーの荷台に竹ボウキを逆さにして飾って走ってました。

当時、ウランバートル市内にはビルデングが全然無くて、街を歩いているとおばさんが昔の受話器の付いた大きな携帯電話を持っていて、必要な人には有料でその電話を使わせていました。歩く公衆電話です。

毎年、来る度に代わっているので高台に行って写真を撮ってきました。驚きです。

もうすぐ山田さんが言ってる「まだ誰も見た事のない風景を」見に行って来ます。

いよいよ始まりますよ。

菅原 義正


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No.209「二度驚きました。」- 菅原さんからの手紙 2016/08/02 19:43

letter_208_20160712_1 一度目は日本出発前にラリーレイドモンゴルのエントリーリストが発表になり、見ていたら私一人だけ(ナビは若林 葉子さん)がYAMAHA YXZ 1000Rに乗って出ると思っていたら、何とモンゴルの人が運転する同じ車両が後二台も出ておりました。
 聞くところによると、私が六月にテストをした時に書いた「菅原からの手紙」を見て決断してエントリーしたそうです。
 それにしても、アメリカで発売している車両をどうやって、モンゴルに運び込んだのか?私がテストをしたのが六月中旬だったので、空輸したのか?とても不思議な気持ちで昨日(8月1日)、モンゴルに入りました。
 ラリーでお世話になっているムッホ君に聞いてみたら、ウランバートルにヤマハの販売店があるので、どうもそこから買ったようですよ。との返事でした。
 どうしても気になるのでヤマハの販売店を探していってみましたら、私が良く通る道の少し奥まっている所にその販売店があり、お店にはYAMAHA YXZ 1000Rが飾ってあり、二度目の驚きです。お店のドアーが開かないので、通訳の人が電話をしてくれたら、今日は書類の申請の仕事をしているのでお店には行けないとの事でした。
 そのちょっと前には以前、私が乗って出たヤマハライノが走っていたり、日本でも売ってないバギーを売っていたり、ある意味うらやましい国ですね。

菅原 義正
写真はお店の前で撮しました。
もう一枚は店内の様子です。


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No.208「Silk Way Rally 2016」- 菅原さんからの手紙 2016/07/12 21:41

letter_208_20160712_17月8日にモスクワをスタートして北京には23日に到着するラリーに2号車が挑戦中です。

来年のダカールを目指して販売会社さんから選出された4名のメカさんのトレーニングと更に改良された日野レンジャーの性能の確認などが主な目的です。
ドライバーは照仁とナビは杉浦君です。

今はすごいですね。日本に居て主催者のホームページに入りゼッケン(309)を入れると出場車両の位置がわかり、更にスピードも出てきます。スピード0KM/Hと表示されてる車両はパンクか故障なんですね。

私と山田さんが出た1992年のパリ−モスクワー北京ラリーは16,000KMでパリをスタートしたのが9月1日で北京に着いたのは9月29日でした。

機材と言えば無線機が許されていて、良く山田さんとラリー中にお話しましたが、外部とは一切繋がってませんでした。

パリ-北京間のラリーは1907年の6月10日に北京をスタートして60日後の8月10日にパリに到着したのが始まりで、1位と2位の差は20日間だったそうですよ。北京をスタートして11日目に今のウランバートル(昔はウルガ)に着いたそうです。

今から109年も前の事で、その85年後のラリーに出た事になります。

写真はモスクワのポディウムで写した写真で日野さんのページからお借りしました。もう一枚は24年前の私で中国に入国した時の物で後ろの門が国境です。

HINO TEAM スガワラFACE BOOKで現在進行中のラリーが見れますので応援お願いします。

追伸 2号車が北京にゴールしたら、8月に始まるSSERさんのRALLY MONGOLLA 2016 にも参加を予定しております。

菅原 義正


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No.207「松山での車検に行ってきました。」- 菅原さんからの手紙 2016/06/28 11:41

letter_207_20160628_1129-01あのバギーなので運送会社に見積もりを取ったら、ドアーが無かったりでF-1並みの見積もりで、御殿場-松山片道38万円と言われました。

日本の運送費は可笑しいです。もったいないのでAPIOさんがとんとんとんとん日野の2トンで積載仕様のデュトロを買ったので、河野社長にお借りする依頼をしたら、快諾してくれました。有難い事です。

17日にAPIOに行って、御殿場の工場でヤマハを積み込みお昼頃、松山に向けて出発です。徳島に着いたのが夕方でヤマハの販売店の前が広かったので、トラックを止めて宿を聞きました。

ご親切にバギーを見てから、トラックも泊まれる宿を紹介してもらいました。
ご主人は初めて見るヤマハのバギーなのでお孫さんをトラックの上に乗せて記念撮影です。

翌日3時間くらいで指定の場所に着いたので、空港に着いたナビの葉子さんを空港に迎えに行ったら、一人でうどんを食べてるところでした。

時間通り、車検を受けたのですが、初めての車両なので山田さんから結構きつい注文が付きました。飛び出し防止のネットを付けるようにとの事でした。

往復1,600kmの移動でラリーよりきつい旅です。

ネットを付けるのに現場では電気が無いので中学生以来の手動式ドリルも買いましたよ。
今日は弊社でシルクウエイに出る打ち合わせで日野さんの関係者が10名ほど集まって弊社でうちあわせです。 それが終わってすぐにラリーレイドモンゴルですね。

私はその前に北海道4DAYSです。

菅原 義正


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No.206「テスト無事に終了」- 菅原さんからの手紙 2016/06/13 19:47

letter_206_20160613_1947-016月3日に次回のラリーライドモンゴルに出る、新しい車両の走行テストをしてきました。場所はSSERさんもSSに使った事がある富士ケ峰のオフロードコースです。

車両はヤマハさんが昨年、アメリカで発表した、2名乗りのスポーツバギーです。
以前、モンゴルでヤマハさんの2名乗りのバギーに私、一人で2年走った経緯がありますが、あの車両は単気筒700㏄で使用用途はハンティグや農場で走るのが目的でしたが、今回のは900ccの3気筒エンジンを使用した、完全なスポーツモデルです。

ナビは昨年ジムニー1300で一人で運転して完走した若林 葉子さんにお願いしました。

実際は後輪の幅が広いのですが、ラリーでは直線が多いのと、スペアータイヤの本数が多くなるので、フロント用に変更しました。雨も降る可能性もあるので、オプションのフロントウインドウを付けて更に圧の強いヘッドランプウオッシャーをウインドウに付けて、ワイパーも自作で取り付けております。

ナビさんの前は電動式のマップホルダーとGPSで感知するICOを2連装です。

18日の車検場に見て下さいね。凄い足回りですよ。

写真は 山下 剛(ahead)撮影

菅原 義正


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No.205「museo」- 菅原さんからの手紙 2016/05/20 10:33

letter_205_20160520_1007-012016・TBIの参加の皆様本当にご苦労様でした。

林道1000kmが本当に組み込まれており、大変でしたね。朝7時に出て午前2時に帰って来て整備をして、また翌日朝7時に出かけるのをほとんど毎日だったので、驚きでした。

更に、大変だったのは、このイベントを支えてくれた役員の皆様に感謝です。

ちょっと古いニュースになりますが、読んでくださいね。

今年の4月にアルゼンチンに行ったのですが、日野さんのご招待だったので我々がいつも泊まっている安いホテルと違って素晴らしいホテルを取ってくれました。

部屋から下を見たら鉄道博物館が見えたので、早速行ってみました。

アルゼンチンでは自転車博物館や武器博物館や民族博物館に以前にいったのですが、とてもちんけな博物館でそれなりにおもしろいのです。

今回のは立派だったので入場券を買おうとしたら無料でした。写真の1は入り口に飾ってある小型で可愛い機関車です。写真2は食堂車で使われていた食器類です。割りばしで食べる駅弁とは違いますね。当時使われていた電話の交換機ですよ。使い方は今度、山田さんに聞いて見てくださいね。その当時、使われていた電話機です。

今、皆様が使っている電話との違いを感じて下さい。

東京で走っていた地下鉄の丸の内線の電車がそのままの色でアルゼンチンで走っているそうです。

菅原 義正

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No.204「キックオフ」- 菅原さんからの手紙 2016/04/22 13:27

letter_204_20160422_1327_01本日(4/21)、日野さんの本社でダカール・ラリーのワーキンググループの皆様が集まり2017年に向けてのキックオフがありました。

最初に常務さんからのご挨拶から始まりました。

彼は昔、日野さんの研究所に所属して
おり、1996年の夏に北海道の芽室にある大きな日野さんのテストコースにダカール・ラリーで使われる道を想定して、深さの違う穴をいくつも堀り、サスペンションのテストをした時に、我々が走って来たデーターを夕方から夜中までかかって解析して、翌日のテストに反映する指針を作ってくれた人です。

スタビライザーの強度を変えるのに、事前に用意した鉄棒を溶接したり、強すぎるとフライスで削ったりしてやってました。

当時は外国の選手がメインでやっており、自動車工学の博士号を持っているドクターライフさんも1997年の大会に出る事が決まっていたので、オーストリアから芽室に来てくれて、一緒にテストをしてましたが、問題が発生しました。

当時のレギュレーションではスタビの太さが同じものを使ってないとだめなのです。ライフさんは固めを希望しており、私はもう少し柔らかくしたかったので希望をメーカーにお話ししたら、二人の希望する中間を取りましょうという事になり、仕方がなくその場では納得して、実際にラリーで走ったら、ライフさんはスガワラが希望したレートの方にするべきだったと言ったのですが、事、すでに遅しでした。

芽室でしっかりとしたテストのお蔭で1997年の大会で始まって以来、1メーカーがトラック部門の総合1位2位3位と10.000ccクラスの1位2位3位のダブルタイトルを取る事が出来ました。

今年は芽室でテストをする事になりましたよ。

写真1は2017年用に照が乗る2号車のキャブが弊社の工場で出来上がりました。
写真2は軽量化されたドアーの内側です。

菅原 義正

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No.203 「残念です」- 菅原さんからの手紙 2016/04/13 18:26

0202_letter_202_20160411_1546-01ブエノスアイレスでのイベントを終えてフランスに来ております。私はフランスに出入りを始めたのは今から50年前からですが、今回は違ってました。

フランス人はプライドが高いのか(私はそこが好きだったのに)空港の案内板にはフランス語と英語だけの表記で、バブル期には日本から大勢のおばちゃま連中がエルメスやルイビトンに列を成して並んだ時期もありました。そんな時でもフランスは凛として空港の案内板はフランス語と英語だけでした。

今回は写真のとおり、中国語が追加されており、がっかりです。空港内の連絡電車に乗っても中国語の案内が流れてました。

今は日本人の倍の観光客が来るので、仕方がないのですかね。

レンタカーを空港から借りて250km離れた会社の工場に来ましたが、3年ぶりに訪れたのですが、周りの景観がかわり、ここでも驚きです。

色々と用があったので近くの村を走り回りましたが、車の量と道路の設計がマッチしているのか、とても走りやすく。命の洗濯ができましたよ。

昨日は、5000年前に作られた横穴式の住まいを見学してきました。

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菅原 義正


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No.202 – 菅原さんからの手紙 2016/04/11 15:46

0202_letter_202_20160411_1546_01二か月半ぶりにアルゼンチンに来ております。

成田から12時間30分飛行機に乗ってパリに着き、7時間のトランジットをこなし、更に13時間40分乗って、やっとブエノスアイレスに到着です。成田を出て33時間10分後に目的地に着いた事になります。

昨年の暮れはアメリカのダラス空港で乗り換えてブエノスアリレスに入り、帰りはフランクフルト空港経由で帰ったのですが、日本の反対側に行くのでどのルートも同じくらいの時間がかかります。

今回こちらに来た訳は、日野アルゼンチンが発足して初めての売り出しを記念した式典にご招待いただきました。

こちらの運輸大臣や日本大使館の大使や日野本社から専務が出席しての盛大な式典でした。

自動車の販売会社を始めるには、色々な問題を克服しなければならないのですが、私が驚いたのは、地方都市を回り途中のガソリンスタンドの燃料の成分を調べるのだそうです。これには驚きました。一番良い燃料を扱っているスタンドを聞きましたので、ダカール・ラリーでは参考にさせて頂きます。

こちらは秋になり始めたのか、街の木は紅葉が始まってます。

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菅原 義正


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No.201「ギネス更新できました。」- 菅原さんからの手紙 2016/03/23 18:09

letter_201_20160323_1804今年のラリーが終わってすぐに申請したギネス記録ですが、私がYUFUIN RALLYに出ている最中に証書が届きました。

証書には33回の出場と書いてありますが、2008年はスタート地点で中止になり、出走してないのでギネスではその年を回数に入れてないのですが、主催者は34回として認めてくれております。

連続して34年も挑戦していると、様々な事が起きるものです。

1989年1月8日はラリーの真っ最中で、ラリーに同行している新聞記者の方から、今日から「平成」になりましたと言われました。

1991年1月17日は日野さんが最初に挑戦した年で、私はパジェロに乗っていて、ゴールの日に湾岸戦争が始まりました。

1995年1月17日はラリーが終わり、パリのホテルに着いて家に電話をしても繋がらないので、エレベーターに乗ったら外人が日本が大変な事になってると聞き、急いで部屋のテレビをつけたら阪神、淡路大震災でした。

まだまだ、書ききれない程なんですが、一番は34年間もおせち料理を頂いてない事です。

ある時、山田さんからおせち料理が禁止になった事を知らないでしょうと言われた事を思い出しました。

菅原 義正


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No.200「最終回」- 菅原さんからの手紙 2016/02/29 17:44

letter_200_20160229_1744ダカール・ラリーを毎回放映しているJ-SPORTS さんの番組に出させて頂きました。番組名は世界、頂き!ニッポン代表応援TVでこの回が最終回になるそうです。

以前にも御殿場の工場でレンジャーの前での番組を作ってくれました。

進行はラグビーで有名な大畑 大介さんとテニスの杉山 愛さんでゲストは現在高校1年生の新嶋 梨奈ちゃんと私です。

梨奈ちゃんは今度のオリンピック出場を狙っているウインドサーフアーで、まっ黒に日焼けした可愛いお嬢さんと74歳のおじいちゃんのミスマッチが良かったです。

この文章を書いてたら、偶然、携帯が鳴り出たら、大畑 大介さんでした。以心伝心なんですね。

彼はフランスのクレモンフェランに住んでミィシュランのチームでも活躍していたので色々と共通点があり、話が繋がります。

スポンサーさんのコベルコさんや日野さんもラグビーチームを持ってます。

この収録された番組は3月4日の23時から1時間番組で放送されるので時間があったらぜひ、見て下さい。その後にも9回の再放送が予定されております。

菅原 義正


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No.199「新しくなったジムニー」- 菅原さんからの手紙 2016/02/10 12:00

0199_letter_199_20160210_1200_01 APIOから1ケで2kgも軽くなったホイールが売りだされたとAHEADに出でおりました。

私は元来、鉄ホイール派で、鉄ホイールには良い所が沢山あります。

まず、ホイール全体が車軸に付いてなく、スプリングワッシャーのような効果があります。

そんな構造なので横方向の剛性があまり良くないのですが、主にダートを走るのでそんなに気になりません。

もう一つのメリットは車のポテンシャル以上のスピードで穴などに入った場合、ホイールの耳がつぶれたり、ひどいときはホイールが変形します。それで運転の仕方を教えてくれるのです。さらにホイールが変形してショックを吸収してくれるので、足回りに大きなダメージが無くなります。さらに良い事は変形したホイールはキャンプ地に戻ってハンマーなどを使って修正が効く事です。

欠点は重量が重い事で2kg×6本だと12kgの軽量化になるのです。今までのAPIOのホイールは1kg軽かったのですが、-2kgは心が動きました。

但し、注意が必要です。アルミホイールを付けた場合は、スタットボルトに全負荷が掛かる事です。

昔、私がサーキットでレースをした時には、しょっちゅうインパクトレンチでホイールの脱着をするのでスタットボルトのピッチ(日本語では山、モンゴル語ではへ)が伸びてくるので、私はいつも純正のナットを持っていて手で軽く入らない時(山が伸びてるので)はすぐにスタットボルトを取り換えてました。

もう一つの改良はGPSから距離を測る新しいICOを付けてみました。 文字も大きく見やすくなり、進行方位も出るのでとても便利です。今までのはマグネットのセンサーを付けるので、隙間の調整など大変でしたが、電源を入れるだけで動き出しました。

モンゴル・ラリーが楽しみです。

菅原 義正

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No.198「終わりました。」- 菅原さんからの手紙 2016/01/18 14:31

letter_198_20160118_1200_01今回のダカール・ラリーは諸事情が重なり、チリとペルーが使えなくなり、アルゼンチン・ボリビアの2ケ国だけのラリーでした。

主催者も苦労されてコースを作り同じキャンプ地に2泊する所を3ケ所にしてコースに変化をつけたようですが、ほとんどの場所には人が住んでいたりしているので、8年間もアルゼンチンを使っているので、以前使ったコースを逆に走らせたりで、新鮮な感じがしませんでした。

その点、30年前にテリーサビーネ氏がテネレ砂漠で作ったコースは素晴らしく、今まで車が走った事の無い場所を走らせて、翌年のミィシュランの道路地図に新しく、道路として線が引かれたものでした。今回のコースでも、Y字のコースがあったら、片方にはテープが張ってあり、更に警察官が警備しているのでミスコースのしようがないのです。

その変わり、競技性は数段と進化しております。途中で三橋選手とお話したのですが、バイクの選手150人はみんな、しっかりとした技術を持って戦っているそうです。映像で見たのですが10メーター位の川は手前のギャップを利用してジャンプして渡ってました。

トラック部門も同じで、車幅より狭いコースを全開で走ってます。(私だけゆっくりですよ。)

規模は素晴らしいですが、私自身は山田さんの作るモンゴル・ラリーの方がずーっと好きです。

菅原 義正


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