No.012「パルクフェルメ」 2009/04/23 菅原さんからの手紙

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「閉ざされた駐車場」の空撮です。我々の人検と車検は2008年12月31日の午前10時45分から始まります。

チームはこのブエノスアイレスから80キロ北に行ったサラテと言う小さな町に滞在してトヨタアルゼンチンのご厚意で12月中旬から工場の一角をお借りして、最終整備をしておりました。

車検会場に向けてサラテを午前6時に出発です。日野の6輪駆動車1台とメカさんをお乗せするランドクルーザー2台とレンジャー2台の合計5台のコンボイが動き出します。

ここからラリーは始まっており、指定時間に遅れたら1分毎にペナルティーが付きます。慣れてない町での移動はとても危険が伴います。これを無事にこなさないといけないのです。

我々チームは生れて初めてのブエノスアイレスの空港に着いてすぐに、誰の案内も無く、レンタカーで予約していたホテルまで移動しました。今はグーグルアースと言う便利なソフトがあるので、事前にGPSポイントを入力しての移動ですが、一方通行や交差点の信号の位置や道路標識が各国違うので大変です。

この国はスペイン語なのでパーキングは「E」で示してありましたが、私の記憶ではスペイン本国でも「P」を使ってたと思うのですが………

そんな事を考えながら無事に一発でホテルを見つけました。海外ラリーでは、ここが一番大切な部分なのです。パリダカで何回も優勝したヌブーさんやガストンさんやファラオ・ラリーの主催者のフニイさんも成田からレンタカーで我が家には来ません(来れないのです)。今はレンタカーにはカーナビが付いてますが、たとえ付いていても読めないのです。山田さんが日本語だけのコマ図でラリーをしたら外人は誰もゴールに辿り着けないでしょう。

そう考えていると日本人は凄いと思います。「昔のコマ図は全部フランス語だけでしたね。」人検と車検を無事に終了した順番にパルクフェルメにゼッケンを付けてもらい駐車しました。そんな訳で全ての検査が終わった2009年1月2日の空撮でしょう。

翌日から本格的なラリーが始まり、リエゾン(移動)は196キロ、その後SS(競争区間)は371キロ、その後のリエゾンは166キロ、合計733キロと競技が始まります。

3年程前までは私の事を主催者が認めてくれて、カミオンクラスのゼッケンは1番目の500番をくれてましたが、他の参加者からクレームが付いて、前年の成績準でゼッケンを決めるようになりましたが(バイクや4輪クラスは以前からやってます)、昨年の成績ではテルが上だったのですが私は511番、テルは513番でした。

写真の左側から下の方に向けてゼッケン順番に並んでます。カミオンだけで81台もの参加でした。


著者紹介 菅原義正氏

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