No.283 「36で始まり36で終わる」 – 菅原さんからの手紙 2022/04/19

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私はパリダカに最初に出たのは、1982年の第5回大会で年は41歳でした。ゼッケンは36番。当時のレギュレーションでは、パリからマルセーユまでは友人がバイクの荷物を自動車に積んで運んでいい事になっておりましたが、そんな事はつゆ知らずにラリーに必要なすべての荷物とスペアータイヤ1本を背負って走りました。パリからマルセーユまでの1000Kmを12時間以内に走る事が約束されてます。

途中2回のSSがあるのですが、最初のSSでは荷物を全部降ろしてスタートを待っていたら、近くにいた選手が此処には戻って来ないので、荷物は持って走らないとだめだと言われ、慌てて荷物を積みなおしました。走っている写真には荷物を積んでおりません。2回目のSSはマルセーユ近くのニームと言う街の軍隊のテストコースでした。荷物が邪魔なのでニームの駅のコインロッカーに預けての走りです。この後が大変な事に無なるのです。ゴール地点は駅から何キロも先だったので、ニームの駅に戻る道が分かりません。近くの人にニームステーションは何処?と聞いても、チンプンカンプンです。後で分かるのですが駅はガレーと言うそうです。

やっと英語の分かるお姉さん(シビックに乗ってました)に案内されて駅にたどり着きましたが、コマ図とは合わないので無視して、まっすぐマルセーユ港まで行きました。

大変な冒険の扉を開いたもんだと思い、10年はやろうと心に決めて帰国しました。翌年はデリカをサポートカーにして、荷物は全部預ける事が出来ました。その翌年は縁があって俳優の夏木 陽介さんのパジェロのナビとして出場して、7年間はパジェロで出て、10年目に日野さんのカミオンに乗せてもらい、念願の10年は過ぎたのですが、カミオン(トラック)の素晴らしさにはまり、36年連続出場する事になりました。写真は35回目の時に写した写真です。37年目からはダカールラリーではなく、モナコをスタートしてモロッコ、モーリタニアを通り、セネガルのダカールにゴールするアフリカエコレースに出始めております。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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