No.266「JAFのお世話になる」- 菅原さんからの手紙

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 御殿場でジムニー64の整備をしており、帰京する時に「そうだ、モンゴル用の23に乗って帰って、駆動系やエンジンを慣らそう」と思い、タイヤのアエー圧チェックとホイールのナットをトルクレンチでチェックしてガソリンスタンドで満タンにして、東京に向かいました。

 久しぶりに動かすので東名高速で最初は80キロで少し走り、100キロにしてして30分位走ってから120キロで追い越し車線を走っていたら、急にエンジンの調子が悪くなり、左に寄り、停車をしたらエンジンが始動しません。

 止まり方としては、ストンとエンジンが止まった訳ではなく、燃料が来なくなったようでした。

仕方無くJAFに電話をしたら、危ないのでガードレールの外側に出て待っててくれとの話でした。

 三角板を取り出し、安全を確保しながら待つこと30分でJAFが来てくれました。東京から15キロ地点だったので、ドライバーの方にアピオに搬入して欲しいと話したら、彼もジムニーの23に乗ってるのでアピオの事を良く知っていて、仕事でアピオに行けるのはとても嬉しいと喜んでました。

 その後、アピオの工場長に様子を聞いたら、クランクプーリーのナットが緩んでいたとの事、電気が飛んでないので、診断器で調べて見ても原因は分からないとの事でした。早速、エンジンのチューニングを依頼した会社に電話して、車両の引き取りと原因追及と修理をお願いしました。

 数日後に修理が出来たとの事、新幹線に乗り、引き取りに行ったら、プーリーのナットにはネジロックを付けて締めなおしたのと、エンジンの点火タイミングのセンサーがだめになっていたので取り換えたとの事でした。

 これが、モンゴルラリーの本番中だったら2年連続リタイヤになるところでした。

 ジムニー64に一生懸命だったので、隣にあった23がやきもちを焼いたようです。


著者紹介 菅原義正氏

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