No.206「テスト無事に終了」- 菅原さんからの手紙 2016/06/13 19:47

letter_206_20160613_1947-016月3日に次回のラリーライドモンゴルに出る、新しい車両の走行テストをしてきました。場所はSSERさんもSSに使った事がある富士ケ峰のオフロードコースです。

車両はヤマハさんが昨年、アメリカで発表した、2名乗りのスポーツバギーです。
以前、モンゴルでヤマハさんの2名乗りのバギーに私、一人で2年走った経緯がありますが、あの車両は単気筒700㏄で使用用途はハンティグや農場で走るのが目的でしたが、今回のは900ccの3気筒エンジンを使用した、完全なスポーツモデルです。

ナビは昨年ジムニー1300で一人で運転して完走した若林 葉子さんにお願いしました。

実際は後輪の幅が広いのですが、ラリーでは直線が多いのと、スペアータイヤの本数が多くなるので、フロント用に変更しました。雨も降る可能性もあるので、オプションのフロントウインドウを付けて更に圧の強いヘッドランプウオッシャーをウインドウに付けて、ワイパーも自作で取り付けております。

ナビさんの前は電動式のマップホルダーとGPSで感知するICOを2連装です。

18日の車検場に見て下さいね。凄い足回りですよ。

写真は 山下 剛(ahead)撮影

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.205「museo」- 菅原さんからの手紙 2016/05/20 10:33

letter_205_20160520_1007-012016・TBIの参加の皆様本当にご苦労様でした。

林道1000kmが本当に組み込まれており、大変でしたね。朝7時に出て午前2時に帰って来て整備をして、また翌日朝7時に出かけるのをほとんど毎日だったので、驚きでした。

更に、大変だったのは、このイベントを支えてくれた役員の皆様に感謝です。

ちょっと古いニュースになりますが、読んでくださいね。

今年の4月にアルゼンチンに行ったのですが、日野さんのご招待だったので我々がいつも泊まっている安いホテルと違って素晴らしいホテルを取ってくれました。

部屋から下を見たら鉄道博物館が見えたので、早速行ってみました。

アルゼンチンでは自転車博物館や武器博物館や民族博物館に以前にいったのですが、とてもちんけな博物館でそれなりにおもしろいのです。

今回のは立派だったので入場券を買おうとしたら無料でした。写真の1は入り口に飾ってある小型で可愛い機関車です。写真2は食堂車で使われていた食器類です。割りばしで食べる駅弁とは違いますね。当時使われていた電話の交換機ですよ。使い方は今度、山田さんに聞いて見てくださいね。その当時、使われていた電話機です。

今、皆様が使っている電話との違いを感じて下さい。

東京で走っていた地下鉄の丸の内線の電車がそのままの色でアルゼンチンで走っているそうです。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

No.203 「残念です」- 菅原さんからの手紙 2016/04/13 18:26

0202_letter_202_20160411_1546-01ブエノスアイレスでのイベントを終えてフランスに来ております。私はフランスに出入りを始めたのは今から50年前からですが、今回は違ってました。

フランス人はプライドが高いのか(私はそこが好きだったのに)空港の案内板にはフランス語と英語だけの表記で、バブル期には日本から大勢のおばちゃま連中がエルメスやルイビトンに列を成して並んだ時期もありました。そんな時でもフランスは凛として空港の案内板はフランス語と英語だけでした。

今回は写真のとおり、中国語が追加されており、がっかりです。空港内の連絡電車に乗っても中国語の案内が流れてました。

今は日本人の倍の観光客が来るので、仕方がないのですかね。

レンタカーを空港から借りて250km離れた会社の工場に来ましたが、3年ぶりに訪れたのですが、周りの景観がかわり、ここでも驚きです。

色々と用があったので近くの村を走り回りましたが、車の量と道路の設計がマッチしているのか、とても走りやすく。命の洗濯ができましたよ。

昨日は、5000年前に作られた横穴式の住まいを見学してきました。

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菅原 義正


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No.202 – 菅原さんからの手紙 2016/04/11 15:46

0202_letter_202_20160411_1546_01二か月半ぶりにアルゼンチンに来ております。

成田から12時間30分飛行機に乗ってパリに着き、7時間のトランジットをこなし、更に13時間40分乗って、やっとブエノスアイレスに到着です。成田を出て33時間10分後に目的地に着いた事になります。

昨年の暮れはアメリカのダラス空港で乗り換えてブエノスアリレスに入り、帰りはフランクフルト空港経由で帰ったのですが、日本の反対側に行くのでどのルートも同じくらいの時間がかかります。

今回こちらに来た訳は、日野アルゼンチンが発足して初めての売り出しを記念した式典にご招待いただきました。

こちらの運輸大臣や日本大使館の大使や日野本社から専務が出席しての盛大な式典でした。

自動車の販売会社を始めるには、色々な問題を克服しなければならないのですが、私が驚いたのは、地方都市を回り途中のガソリンスタンドの燃料の成分を調べるのだそうです。これには驚きました。一番良い燃料を扱っているスタンドを聞きましたので、ダカール・ラリーでは参考にさせて頂きます。

こちらは秋になり始めたのか、街の木は紅葉が始まってます。

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菅原 義正


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No.201「ギネス更新できました。」- 菅原さんからの手紙 2016/03/23 18:09

letter_201_20160323_1804今年のラリーが終わってすぐに申請したギネス記録ですが、私がYUFUIN RALLYに出ている最中に証書が届きました。

証書には33回の出場と書いてありますが、2008年はスタート地点で中止になり、出走してないのでギネスではその年を回数に入れてないのですが、主催者は34回として認めてくれております。

連続して34年も挑戦していると、様々な事が起きるものです。

1989年1月8日はラリーの真っ最中で、ラリーに同行している新聞記者の方から、今日から「平成」になりましたと言われました。

1991年1月17日は日野さんが最初に挑戦した年で、私はパジェロに乗っていて、ゴールの日に湾岸戦争が始まりました。

1995年1月17日はラリーが終わり、パリのホテルに着いて家に電話をしても繋がらないので、エレベーターに乗ったら外人が日本が大変な事になってると聞き、急いで部屋のテレビをつけたら阪神、淡路大震災でした。

まだまだ、書ききれない程なんですが、一番は34年間もおせち料理を頂いてない事です。

ある時、山田さんからおせち料理が禁止になった事を知らないでしょうと言われた事を思い出しました。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.200「最終回」- 菅原さんからの手紙 2016/02/29 17:44

letter_200_20160229_1744ダカール・ラリーを毎回放映しているJ-SPORTS さんの番組に出させて頂きました。番組名は世界、頂き!ニッポン代表応援TVでこの回が最終回になるそうです。

以前にも御殿場の工場でレンジャーの前での番組を作ってくれました。

進行はラグビーで有名な大畑 大介さんとテニスの杉山 愛さんでゲストは現在高校1年生の新嶋 梨奈ちゃんと私です。

梨奈ちゃんは今度のオリンピック出場を狙っているウインドサーフアーで、まっ黒に日焼けした可愛いお嬢さんと74歳のおじいちゃんのミスマッチが良かったです。

この文章を書いてたら、偶然、携帯が鳴り出たら、大畑 大介さんでした。以心伝心なんですね。

彼はフランスのクレモンフェランに住んでミィシュランのチームでも活躍していたので色々と共通点があり、話が繋がります。

スポンサーさんのコベルコさんや日野さんもラグビーチームを持ってます。

この収録された番組は3月4日の23時から1時間番組で放送されるので時間があったらぜひ、見て下さい。その後にも9回の再放送が予定されております。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.199「新しくなったジムニー」- 菅原さんからの手紙 2016/02/10 12:00

0199_letter_199_20160210_1200_01 APIOから1ケで2kgも軽くなったホイールが売りだされたとAHEADに出でおりました。

私は元来、鉄ホイール派で、鉄ホイールには良い所が沢山あります。

まず、ホイール全体が車軸に付いてなく、スプリングワッシャーのような効果があります。

そんな構造なので横方向の剛性があまり良くないのですが、主にダートを走るのでそんなに気になりません。

もう一つのメリットは車のポテンシャル以上のスピードで穴などに入った場合、ホイールの耳がつぶれたり、ひどいときはホイールが変形します。それで運転の仕方を教えてくれるのです。さらにホイールが変形してショックを吸収してくれるので、足回りに大きなダメージが無くなります。さらに良い事は変形したホイールはキャンプ地に戻ってハンマーなどを使って修正が効く事です。

欠点は重量が重い事で2kg×6本だと12kgの軽量化になるのです。今までのAPIOのホイールは1kg軽かったのですが、-2kgは心が動きました。

但し、注意が必要です。アルミホイールを付けた場合は、スタットボルトに全負荷が掛かる事です。

昔、私がサーキットでレースをした時には、しょっちゅうインパクトレンチでホイールの脱着をするのでスタットボルトのピッチ(日本語では山、モンゴル語ではへ)が伸びてくるので、私はいつも純正のナットを持っていて手で軽く入らない時(山が伸びてるので)はすぐにスタットボルトを取り換えてました。

もう一つの改良はGPSから距離を測る新しいICOを付けてみました。 文字も大きく見やすくなり、進行方位も出るのでとても便利です。今までのはマグネットのセンサーを付けるので、隙間の調整など大変でしたが、電源を入れるだけで動き出しました。

モンゴル・ラリーが楽しみです。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

No.198「終わりました。」- 菅原さんからの手紙 2016/01/18 14:31

letter_198_20160118_1200_01今回のダカール・ラリーは諸事情が重なり、チリとペルーが使えなくなり、アルゼンチン・ボリビアの2ケ国だけのラリーでした。

主催者も苦労されてコースを作り同じキャンプ地に2泊する所を3ケ所にしてコースに変化をつけたようですが、ほとんどの場所には人が住んでいたりしているので、8年間もアルゼンチンを使っているので、以前使ったコースを逆に走らせたりで、新鮮な感じがしませんでした。

その点、30年前にテリーサビーネ氏がテネレ砂漠で作ったコースは素晴らしく、今まで車が走った事の無い場所を走らせて、翌年のミィシュランの道路地図に新しく、道路として線が引かれたものでした。今回のコースでも、Y字のコースがあったら、片方にはテープが張ってあり、更に警察官が警備しているのでミスコースのしようがないのです。

その変わり、競技性は数段と進化しております。途中で三橋選手とお話したのですが、バイクの選手150人はみんな、しっかりとした技術を持って戦っているそうです。映像で見たのですが10メーター位の川は手前のギャップを利用してジャンプして渡ってました。

トラック部門も同じで、車幅より狭いコースを全開で走ってます。(私だけゆっくりですよ。)

規模は素晴らしいですが、私自身は山田さんの作るモンゴル・ラリーの方がずーっと好きです。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.197「無事に休息日のサルタに着きました。」- 菅原さんからの手紙 2016/01/12 11:04

letter_197_20160112_1049_01ダカールで初めての高橋 貢ナビもモンゴルラリーで訓練した効果を発揮して今まで、一回もミスコースせずに頑張ってくれてます。

今回はトラック部門が初めてボリビアに入国しましたが、観客の多さとリエゾン(移動)区間も一般車を止めて、我々参加者を守ってくれてます。ただ、標高4700メーターでの競争区間もあり、競技者や車にとっても苦しい環境でラリーが続くので、驚きです。

2号車の照と杉浦ナビも大型クラスに食らい付き、好成績で走ってます。

写真説明
1枚目 我々チームのサポートトラックで約10トンのスペアーパーツを積んでます。手前の左から2番目のテントは私のですよ。
2枚目 1号車と2号車のサーピス風景です。
3枚目 トヨタハイラックスのチームのタイヤの量を見てください。
サルタからの速報です

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

No.196「最終テスト」- 菅原さんからの手紙 2015/12/31 00:22

letter_196_20151231_0022_0112/27に近くの農道で操安性などの最終テストを行いました。

場所をお借りしているトヨタさんの工場には、南アやベルギーから競技車両のハイラックスやサポートトラックが続々と集まってきてます。昨日はトヨタ車体さんの車両も見かけましたよ。

いよいよ明日10時から我々の車検が始まるので、朝6時にこちらを出てブエノスアイレスの市内にある車検会場のテクノポリスへ向かいます。

私のパソコンは現地に持って行きませんので、手紙はちょっとお休みです。

日野さんのホームページで毎日の様子がでますので、そちらをお楽しみください。

では、皆様良いお年をお迎えください。

追伸 SSERの忘年会では飲み過ぎにご注意を……

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.195「サラテの風物」- 菅原さんからの手紙 2015/12/29 13:55

letter_195_20151229_1355_01今いるサラテと言う町はアルゼンチンの輸出を支えている穀物(大豆、トウモロコシ、麦など)の産地であり、今はトヨタさんが大きな工場を作り、従業員もこの町からも採用しているのか2年振りにこの町に来たのですが、お店は綺麗になり、活気があり驚きました。

今日は私以外は全員(バイラーさんも昨夜の遅くに着きました)トヨタさんの工場に向かったのですが、私は歩くのでこちらに残ってます。 写真を説明しながら町の様子を書いてみます。

写真1は町が京都や札幌のように四角く切ってあるので、道が一方通行で、向きは交 互になっており、その指示は日本と違い標識が建物にペイントされてます。これだと柱もいらないし経済的ですね。

写真2は家庭ゴミを入れる仕掛けで奥にも白いのが写ってます。街路樹にクギを打ってそこに直接ビニール袋をかけてる家もありました。のら猫は一匹も見ていないし、のら犬もあまり居ないのにどうしてですかね。

写真3は町のメインストリートにあったバイク専門の無料駐車場です。こちらでは駐車場はPではなくEで表記されます。右側にヘルメットは大事と書いてありますが、暑いのでほとんどの人は手に持って走ってます。この国のレギュレーションではヘルメットはかぶらないと違反になるそうです。

写真4はこちらに来て3日目に久しぶりに見ました。屋根にポリタンを載せてるのは「この車売ります」の合図です。2年前には至る所で見られたのですが、今日初めて2台の車を見ました。以前はバイクにものせてあり、今は一台も見ていません。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

No.194「始まりました」- 菅原さんからの手紙 2015/12/28 11:30

letter_194_20151228_1053_01私は16日間お世話になったホテルをチェックアウトして23日に照仁を空港に迎えに行き、約80キロ北の「サラテ」と言う町に移動をしました。

この町から5キロほど離れた所にハイラックスを造っているトヨタさんの大きな工場があり、その一角をお借りしてラリー前の整備やらサポートカーに積み込むパーツの用意をしています。

ラリー用のレンジャー2台と部品類が24日に到着したので、メカさん達は朝7時に出かけて夜中の12時頃にホテルに帰ってきました。

今日は25日で全てのお店が休みです。メカさん達は車で移動しているのですが、 私は運動を兼ねて朝9時過ぎに歩いて工場までいったのですが、外に居るのは私と野良犬だけでした。 昨夜は夜中の12時から大きな花火が何発も上がり、大きな音楽も聞こえてきて朝の4時まで眠れません。

今日の夜中にモンゴルからバイラーさんが到着です。

29日にはフランスから主催者手配の船でZS(日野さんの大きな6輪のサポートトラック)とメカさん達が移動に使うハイラックス2台が到着する予定です。

写真1はゼッケンが張られた2号車の照仁号です。
写真2は1号車のフロントの足回りを調整中です。
昔と違ってバギーの足回りみたいです。

菅原 義正
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著者紹介 菅原義正氏

No.193「いよいよです」- 菅原さんからの手紙 2015/12/21 12:05

letter_193_20151221_1205_01本日(20日)チームスタッフが予定通りブエノスアイレスに到着しました。残るは2号車のドライバーの照仁とサポートトラックのドライバーのバイラーさんです。総員15名にもなります。

以前にはメカさん無しで戦った時もあり、今ではお蔭様で大きなチームになりました。

我々チームには何時も通訳さんが居ないのも特徴です。イタリアチームにはスパゲッティを作ってくれるスタッフや他のチームにはマッサージをしてくれる専門の人もおりますが、我々チームはチーム員がご飯を炊いたり、体がこったら自分でマッサージをします。

チーム員は早速バスに乗せられて、80キロ離れたサラテ言う町に連れて行かれました。

この町にはハイラックスを造っている大きなトヨタさんの工場があり、工場の一部をお借りして、レンジャーの最終整備をする予定です。

菅原 義正

写真説明 日野アルゼンチンの皆様もお迎えに来ていただきました。


著者紹介 菅原義正氏

No.192「武器博物館に行ってきました。」- 菅原さんからの手紙 2015/12/18 21:26

letter_192_20151218_0000_01泊まっているホテルの近くにあるのですが、開館している時間が合わなかったので初めて見学に行って来ました。昔の帆船に付けていた大砲やら車で引いて使う大砲や時代別に展示してある鉄砲類やピストルなど驚くほどの銃器が展示してありました。

ピストルに関しては昔の映画などに出てくる、女性が護身用に持っていたのから、大型のものまでものすごい種類が展示してありました。 あまり見た事の無いステッキに仕掛けてある刀や銃もありました。

ORIENTALと書かれた部屋に入ったらなんと日本の刀や鉄砲などがあり、写真のように展示されていたのには驚きです。

写真1 館外に展示してある武器類です。

写真2 胸の真ん中に鉄砲で撃たれた傷のある甲冑です。

写真3と4 日本の武具などの展示室の模様です。

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菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.191「発表会に出席させて頂きました」- 菅原さんからの手紙 2015/12/17 17:39

letter_191_20151217_1739_01  15日にブエノスアイレスの市内で日野自動車さんがトラックの販売を開始する初めての発表会があり、私も出席させて頂きました。

2009年にアフリカから南米にラリーが移り、ペルー、コロンビア、ボノビア、チリには日野さんの販売会社はあるのですが、何時もスタートやらゴールをしているアルゼンチンには販売会社が無かったので、来年の4月からアルゼンチンで日野車を販売することになったのです。私にとっては夢のような事でとても嬉しく思いましたが、そう簡単にはいかないようですが、我々お世話になっている日野さんの車両でラリーで良い成績を収めることが、お手伝いの一環になり、更に身がしまる思いです。

「販売会社創設本当におめでとうございます。」

写真1の真ん中の方が日野自動車社販売の社長の中島さんです。

写真2は集まってくれた報道陣で早速当日のテレビに放映れたそうです。

写真3は今回、最初に発売される300シリーズで両サイドにレンジャーがラッピングされてます。 我々がやらせて頂いている事が少しでもお役に立っていて嬉しいかぎりです。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

No.190「自己防衛」- 菅原さんからの手紙 2015/12/15 10:32

letter_190_20151215_1032_01私だけ早めにブエノスに皆より早く入ったのは、年寄なので時差の調整(12時間ちがいます)と気温の対応(今日は30度近くで1月1日から夏休みに入ります。)と普段の運動不足の解消と宴会続きだったのでアルコールを断つことが目的です。

着いて2目の朝8時にホテルを出て最低目標の10000歩を歩き、こちらでとても良くして頂いてる旅行代理店にご挨拶に行き、昼食行く途中で初めてパスポートを盗まれました。

私の失態です。62か国も回って一回も被害遭わないように注意していたのですが、残念です。

こちらの日野さんの社長さんが献身的にお世話して頂き、無事に新しいパスポートも発行して頂きました。

皆がサポートしてくれたので、ラリーに出場する書類は用意して頂きました。

これからはパスポートのコピーと少額のお金だけ持って出かけます

添付写真は昨日(日曜日)に写した写真です。

ブエノスアイレスの中心街でこの有様です。写真では8ケしかカギが写ってませんが全部で10ケありました。

島国の日本では考えられませんね。こんな事を教えてくれるのもダカールの良い所です。

外は、大雨です。予報ではひょうも降るようです。大きいのは野球のボールと同じくらいだそうですよ。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.188「日野ルノーで帰省」- 菅原さんからの手紙 2015/12/07 19:18

letter_188_20151207_1918_01大学生時代に東京から北海道の小樽の家まで帰省するのにバイクで二人乗りで敦賀を経由し裏日本(当時はとても道が悪かった)を通って帰ったり、色々な車で東京-小樽間を走りました。

そうそう、思い出しました。バイクで帰るときに日本橋の真ん中にある道路の起点を書いてある所から出発したくて、ここで写真を撮りたいと近くの交番に相談に言ったら、だめだとの事でした。今、同じ事を相談してもだめなんですかね?

写真1は洞爺湖の湖畔でキャンプした時に写しました。この写真は自分で現像していたのでフイルムの裏表を間違えて裏焼きになっています。

今では意味が分かるのは山田さんと赤松さん位でしょう。

3名車内に寝るためにシートを屋根に乗せて、ルーフラックのサイドには「東京-北海道-東京」と書いてあります。

床を平らにして寝たいので、へこみを埋めるのに古新聞紙を沢山持って行った覚えがあります。

この車両はフランス本国ではRENAULT 4CV と呼ばれており、昭和28年から日野自動車さんで部品を輸入して組み立てるノックダウン方式で生産をした車両です。その後フランスとの契約が切れてから、独自でコンテッサと言う車が作られていきます。

私は今も日野さんが作ったレンジャーに乗っているので日野さんとのご縁が昔からあったんですね。

菅原 義正

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No.187「ジムニー車検取れました。」- 菅原さんからの手紙 2015/11/16 11:23

letter_187_20151116_1120_01今回モンゴルに輸出するのに車検を一時抹消したのですが、テストなど一般道路も走るので、勉強にもなると思い立ち、軽自動車協会へ出向いて色々と教えてもらいました。

何せ私のジムニーは完全なラリー専用仕様になっているので難しいと思い向かったのですが、そんなに心配は要らなかったです。

ボンネット、左右のドアー、リアーゲートはグラスファイバー製ですが、車検時にはドアーだけを鉄の純正に変える事、ボンネットピンは危険なので上にスポンジなどを張って保護する事、リアーゲートのポリカーボネートは純正のガラスにし、シートとシートベルトも純正に交換して2名乗車で最大積載量は100KGで4ナンバーになりました。

昔の車検場の係官はそっけなかったのですが、今は違ってとても親切で驚きました。やってみるものですね。

そんな訳で昨日から御殿場の工場で作業をしております。

菅原 義正

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No.186「東京モーターショー」 – 菅原さんからの手紙 2015/11/04 11:58

letter_186_20151104_1158_01第44回東京モーターショーが東京ビックサイトで開催中です。我々HINO TEAM SUGAWARAのメンバーは日野自動車さんのブースで期間中、トークショーと メカさんによるタイヤの交換の実演を2014年のダカールラリーの出場車を使ってやっております。

第一回は1954年、私は13歳でした。大学生になり上京してからは開催場所が日比谷公園から後楽園に変わり、晴海の東京国際見本市会場に変わり、銀座から歩いて見に行った記憶があります。

そんな憧れのショーで日野自動車さんのブースでトークショーをさせて頂くなんて事は想像もしてませんでした。

10月29日のトークショーでの前列に若林 葉子さんが座って聞いてくれてました。

後で分かったのですが、彼女の会社「AHEAD]で今回のショーのパンフレットを作っているとの事でした。びっくりです。

11月7日と8日の12時と15時から我々チームのトークショがありますので、時間があったら聞きに来てください。

菅原 義正

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No.185 – 菅原さんからの手紙 2015/10/19 11:10

letter_185_20151019_1110_0114日に2016年のダカール・ラリーの発表会を日野自動車さんがやってくれました。

写真1の手前は私が乗る1号車で、奥の車は照仁が乗る2号車です。

1号車のフロントグリルとバンパーとウインカーが変わりました。このお顔になった車両は今年、インドネシアとタイで発表されましたが日本ではまだ発売されておりません。

1号車のバンバーの両下にはサイドを照らすLEDが付いており、上の両サイドにはバイクのH4球を使っております。
レギュレーションでは最大8灯までと決まっておりますが、2号車の前に付いているLEDは小さな玉が沢山付いており、あれで一灯と解釈するのは不思議ですね。

今年のモンゴル・ラリーの最終日に照仁が乗ったレンジャーのリアースプリングが折れて総合優勝を逃してしまい、帰国してから調べてもらったら金属疲労で折れたと判明しました。

約8,000km位で折れているので、ダカールでは中日の休日にスプリング全体を交換する事にしましたが、私のは同じレートで2枚のスプリングにしております。

ショックも新しい物でGを感じて圧縮側が強くなるそうです。回転する外側が強くなるのでスタビライザーがいらなくなるかもしれませんね。

2号車はモンゴル・ラリー出場時から300kgの軽量化をしました。

写真2は日野さんの社長に真ん中に入ってもらいラリーに行くスタッフとの記念撮影です。
SSERのイベントでお世話になった、弊社の高橋 貢君も出世してダカールのナビゲーターになりますので、次回もぜひ1号車、2号車共にお声援下さい。

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菅原 義正

No.184 – 菅原さんからの手紙 2015/10/13 12:39

letter_184_20151013_1239_01今、ちょうど茂木でF1公認のMOTOGP(世界選手権シリーズ15戦)が行われていますね。ダカールでデュロイーのチームで運転しているペップさんは我々と、とても仲良しです。

彼はモトGPのロジェステックの最高責任者で日本には200トンの荷物を空輸する最高責任者です。ヨーロッパでの転戦は彼の会社のトラックを使って200トンを運びます。

ペップさんはスペインのエンデューロチャンピオンで我々チームととても仲良しで写真1は茂木で写しました。
写真2はトラックの走りも大変なものですよ。

彼の家には30キロのテストコースがあり、何時でも来てね。と言われているのですが、今は南米なので叶いません。

こんな素晴らしい友人が出来るのもラリーを続けているからだと思っております。

来年のTBIのバイクが完成しましたが、来年のダカールのレンジャーが14日発表会までに完成が難しそうです・

今日はモンコル・ラリーにスポンサードしてくれた国分さんのイベントに行ってきました。
担当部長が来年はモンゴルに来てくれそうです。主催者の山田さんの事をすごく褒めてました。

菅原 義正

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No.183「タイのバンコックに行ってきました。」 – 菅原さんからの手紙 2015/10/02 16:26

letter_183_20151002_1626_01タイ日野自動車さんのご招待でバンコックで開催されるトラックショーで照と高橋君とで行ってきました。
高橋君は我々より先入りして、ショーで走らせるための用意をしてくれました。

写真1の写真の車ですが、実際に会場で走らせるので、オイル交換やらネジのゆるみのチェックです。

私の左の方が社長で他の方は政府の偉い方や大口ユーザーさんの社長さんです。

後ろの広場で照が実際に走らせて、同乗体験もしてもらいましたが、あまりにも速いので降ろしてくれと言ってたそうです。

タイのバンコックには約50年ぶりに降り立ちました。その時はアリタリア航空で羽田を出て(成田が無い頃)ローマに行くのですが、途中、香港やバンコックでトランジットがあった時代なのでバンコックの空港に降りる時には水田が多く日本に良く似ているな…と思ってましたが、現在の水田はとても大きくて驚きでした。

行く前まではタイは発展途上国だと思ってましたが、とんでもなく近代化されていて空港から市内までは片側4車線の高速道路で、お迎えに来て頂いた車はハイブリットのアルファードの新車でした。

ホテルでもエレベーターに乗って部屋に行くにはカードをタッチさせてからでないと自分の部屋に階に行けませんでした。初めての経験です。

写真2はモーターショーでの日野さんのブースであの重いトラックがターンテーブルで回ってました。傍に立ってるモデルさんも素敵でしたよ。

遅くなりましたが、次回の私のレンジャーのお顔が変わります。

お楽しみに…10月の末にはアルゼンチンに向けて出発させますが、困った事に2号車の照の車は今日現在、まだ中国から帰ってません。

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No.182 – 菅原さんからの手紙 2015/08/24

letter_182_20150824_1356_01モンゴルから帰国しました。

毎年、少しずつ増えて来た「ジムニークラス」ですが、今回は私のと、若林嬢(一人乗り)とモンゴル人の兄弟の3台だけでした。

モンゴルの彼達の車はクラッチのレリーズベアリングから異音が出るとの事、我々に部品を持ってきてこれが合うのか教えて欲しいとの事、品番しか書いてないので、我々も分からないので、スズキのお客様相談室や私が良く行く御殿場のスズキやAPIOに電話してもお盆休みでお手上げです。

御殿場の高杉君に電話したら一発でそのパーツは純正と教えて頂き、彼らに言ったら、即交換して、にこにこしてました。

その後、左側に転倒して30分経ったら、リアーのホーシングのオイルシールがだめで、ブレーキシューがオイルだらけになっており、我々に相談に来たのですが、シールは持っていたので差し上げました。ついでにAPIOのTシャツを二枚あげたら大喜びです。

3台出て3台とも完走とは素晴らしい事でした。

写真1は今年の目玉は「スガワラ峠」の逆走がメインだったので山田さんはゲッケンにまで書いてくれてましたが、試走の時は雪が多くて峠までは行けなかったそうです。

私は座標を持っていたので600メートル遠回りをして「スガワラ峠」に行ってきました。

スガワラとナビの高橋君がだけが「スガワラ峠」に行ったのは可笑しいですね。

照はチャイナラリーのすぐに行くので応援願います。

菅原 義正

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No.181「ラリーレイドモンゴルに向けての2」- 菅原さんからの手紙 2015/07/08 18:10

 

(2015/07/09 2つめの動画を掲載しました。)

letter_181_20150708_1810_01日曜日、日野さんのテストコースで2015ラリーレイドモンゴルの出場車両のお披露目があり、TV局や雑誌関係の皆様に集まって頂き、お披露目会が開催されました。

走りを見て頂いたり、照仁が運転する助手席に乗って頂き、体験試乗会も行いました。今年のダカール出場より200KGの軽量化とエンジンのチューニングなどの効果が走りを見ているだけで分かりました。

足回りも見直され、フロントは二枚の板バネでリアーは一枚だけです。それを補うようにコイルオーバーのショックが2×4の8本取り付けられました。

私も少しだけ運転させてもらいましたが、サスが適度に柔らかく、軽量化が効いてるのがブレーキングも安定しております。

今回は主催者の山田さんのお力もお借りして、ラリーが始まる1週間前からウランバートルの郊外で実戦を想定してのチューニングを行います。(ダカールも見据えて)

来年のダカールラリーに出場予定の販売会社のメカさん4名と本社の開発の皆様が集まり、全部で18名位の大部隊です。

昔、モンゴルで私が運転したカミオンバレー、そして2年ほど前まで南米でサポートカミオンとして活躍してくれた6輪駆動の日野FUも本日、日本に着き日野さんの工場でパーツを積み込みすぐにモンゴルに向けて出発します。

私はと言うと小さなジムニーで何時も通りのサポートをお願いして走りますので、応援ください。

菅原 義正

No.180「ラリーレイドモンゴルに向けて」- 菅原さんからの手紙 2015/06/02 18:31

letter_180_20150602_1831_015/26に富士山の近くのダートを使い、ナビの高橋君と走ってきました。

毎回、テストの時は同じコースを全開で走るので、その年の車の出来上がり状態が分かります。
今回はじっくりと時間をかけて作りこみをしたので、素晴らしい走りでした。今年も新車から作りあげたので、やる事がいっぱいです。

足回りはAPIO製で2インチ車高を上げました。ストロークが増えてるのでショックアブソーバーも専用のAPIO製です。このショックは8段の切り替えのダイヤルが付いております。

話は変わりますが、私が乗ってるKTMのバイクのフロントサスはフオークの左はバウドだけで24コマもあり、右はリバウンドだけの仕事をさせてます。この辺りの考え方が日本人の発想にはありませんね。

また、話は変わり、飛行機の座席のテーブルが出てくるヒンジの使い方も日本人には無いような気がします。

ナビの高橋君は距離を測る器具(テラトリップ)の調子が悪いらしく、何回もガレージを出て、走りに行ってました。

写真は基本的な走りが出来たので、ライトをHIDに交換作業中の高橋君です。

来月は船に乗せてモンゴルに向かいます。

菅原 義正

No.179「ランタンルージュ」- 菅原さんからの手紙 20150413 17:54

letter_179_20150413_1752_01語源は昔、貨物列車の最後尾に付けた赤ランプの事らしいのですが今では最終バスの方向幕が赤くなるのも、この事からきているのですね。

1987年の第9回 PARIS ALGER DAKAR はスタートが1月1日で22日にダカールに着いており、全出場車両は539台で14,000kmで行われ、今より1週間も多かったんですね。

当時のレギュレーションはトップから遅れる事、70時間を過ぎると自動的にリタイア扱いになっておりました。

ダカールに着き、表彰式に出たら、最後に「スガワラ」と呼ばれ、何の事か分からずに壇上に上がったら「ランタンルージュ賞」を渡されました。

どうも、最後のダカールの海岸である「ビクトリーラン〔タイムも計測されてます〕」で私の後ろの人がリタイヤして、私の車がビリになったようです。

この時の4輪の出場台数は154台で私が87位でした。完走率は56%ですね。

この時頂いたカップが汚れていたので、日本のカップ屋さんにお願いして新品同様にしてもらい、帰ってきました。

菅原 義正

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No.178「TDRに向けて」- 菅原さんからの手紙 20150324 16:20

letter_178_20150324_1620_01今日(23日)暖かかったのでTDRに使うKTMを御殿場まで自走しました。

久しく乗って無かったので、フィーリングを思い出したり、点検を兼ねての走行でした。

横浜を過ぎたあたりから、リアーブレーキが突然効かなくなりました。

取りあえず海老名のパーキングエリアを目指して走り、ガソリンスタンドで「ブレーキオイルありますか?」と聞いたら、彼もバイクのタンクは小さいと知っていて油さしに100cc位持って来てくれたので、値段を聞いたら500円との事(ちょっと高い)早速、リアーブレーキのタンクを開けて見たらオイルが抜けてました。スタンドの端でエアー抜きをしながらオイルを足して事無きでしたが、ラリー中だったら、ぞっとしますね。

250ccなのか東名のゆっくりした登りでは力不足を感じました。少し下っていると元気がでるのですが、少しの登り下りを早く察知できないとだめですね。

ラリーに出る装備で行ったので、帰りの服を忘れており、作業着を来て御殿場からバスで帰京しました。料金は1580円でした。

TDRは晴れると良いですね。雨の確立もあるので雨合羽は二種類持ちましたよ。

皆様にお会い出来るのが楽しみです。

写真は御殿場の工場に着いた写真です。

菅原義正

No.177 「J-SPORTS 3の収録がありました。」 – 菅原さんからの手紙 2015/03/18 15:08

letter_177_20150318_01今朝(17日)早朝から弊社の御殿場工場に2014年出場車両を持ち込みJ-SPORTSさんの収録がありました。

弊社は本業のレーシングマネージメントが軌道に乗ってない時期にTVの仕事をさせて頂き、「ワイルド7」などのTV番組制作のお手伝いや、TVコマーシャルのお手伝いを15000本もやらせて頂きました。

有名なのは由良卓也さんのネスカフェ・ゴールドブレンドの第一話などですが、今回のように私が主役の収録は初めてです。

スタッフさんの持ってこられた機材の進歩にまずは、驚かされました。
音声さんや照明さんやカメラマンさんが持ち込まれる機材がとてもコンパクトでした。

俳優さんでは無いので、何回もダメ出しをしてしまい、迷惑のかけっぱなしで進行してしまいました。

杉山プロデュサーから何とかOKを頂いたのですが、頑張ったので見て下さいね。

番組は 「ダカール・ラリー2015完全ガイド」

~見た! 泣いた! うまかった! 驚愕の14日間の記録~

放映日は3月28日(土)午後7時30分~8時30分

J-SPORTS 3で放映されますが再放送もあるそうです。

下手な演技をぜひ見てください。

菅原 義正

写真は撮影現場のシーンです。

No.176 「同じお店で食事をしました」 – 菅原さんからの手紙 2015/03/13 12:03

letter_176_20150313_1203_011枚目の写真は1983年で私が初めてダカールに挑戦し、オリオールさんはBMWで優勝し、プロモーションで日本に来られた時の春に来日した時に写した写真です。 2枚目は今日(2015年3月12日)同じ店で写真を写しましたが、お互いに32年も経っているので、おじいちゃんになってしまいました。 選手同士のときの話や、オーカナイザーと選手の関係の想いで話で、花が咲きました。 1997年にトラック部門で総合1.2.3を取った時も、お祝いに出席して頂き、明日、日野さんでの報告会にも出席してくれます。 今日は嬉しくて飲みすぎました。

letter_176_20150313_1203_02 菅原 義正  

No.175「願いは叶う」- 菅原さんからの手紙 2015/02/27

letter_175_20150227_01写真は今年の1月21日で、場所はダラス空港の中で写しました。

モニュメントの中の主人公は孫の叶美ちゃん(照の子)です。

ダカール・ラリーが南米に移ってから直接スタート地点であるアルゼンチンのブエノスアイレス に行ける便が無いので、アメリカのアトランタかダラスを経由して行く事になりました。

早いもので南米にラリーが移って7年目にもなるんですね。

ダラス空港でのトランジットは4時間位あるので、市内観光も出来るのですが、万全を期して空港内から出ないでおります。(アメリカのトランジットは一回出国して、再度入国する手続きが必要なんです。但し荷物は自動で乗り継ぎ便に載せてくれます) Continue reading

No.174 「栄久庵さんが亡くなりました」- 菅原さんからの手紙 2015/02/10

letter_174_20150210_0185才で私より13才先輩です。この方は広島出身で原爆でやられた原野を見て、そんな時代に道具には美しさが必要と立ち上がり、最初の作品は液だれしない赤い蓋のキッコーマンの卓上のお醤油の瓶をデザインされ4億万本も生産されております。

広島ご出身なので広島の町の空間デザインや東京の山手線の電車やこまち(新幹線)もそうです。

私の原点も小樽に米軍が進駐して来て、子供心に嫌な思いをしたのが、バネになり、この歳でも頑張れるのだとおもっております。こういう一本の筋が通った方が亡くなるのはとても残念です。

今の若い人(車の仕事をしている)にBMWのオートバイを知ってるか?と質問したら、知らないとの事。
側にいた人が知ってるよ水平対向4気筒のエンジンのバイクだよと言ってました。
日本は終わりましたね。

写真は昨年の9月9日写しました。やる事は凄いのですがとてもお優しい方でした。
以前、和歌山県で彼が瞑想をした建物の水平を取る装置を作ったのは、我々のレーシングカミオンを作ってくれている焼津の坪井特殊車体です。

写真は昨年の9月9日に大変な賞を頂いた時に写しました。

菅原 義正

No.173「たして93才」- 2015/01/27菅原さんからの手紙

letter_173_20150127_01無事に帰国しました。照が頑張って10000cc以下クラスで優勝して、6連覇を果たしました。私は昨年と同じで2位でした。 完走率は50パーセントだったようです。

印象的だったのはSSERのステッカーを後ろに付けたランクルが後半、私の辺りを走っており、モンゴルのハマー君達が3人乗りで頑張って完走しました。
中間日の休日にキャンプ内を歩いていたら、ある若者に呼び止められ、一緒に写真を写したいとの事です。訳を聞いたらチエコから参加のマーティン君だそうです。 彼はトラックのドライバーで最年少の25才で、私が最年長なのを知っていて声をかけてくれたようです。4ステージめのチリのコピアポに着いてリタイアしたそうです。 彼の車の前で写したのですが、なんと私の次のゼッケンがついてました。 ちなみに今回の最年少はバイクで出場しているライダーで18才。最年長はお分かりの通りでした。 遅くなりましたが、今年もよろしくお願い致します。 菅原 義正

No.172 「用意は順調に進行中」- 2014/12/31 菅原さんからの手紙

まだ車検に通ってない我々のカミオンにゼッケンが張られました。

写真1

クリスマスも返上して、用意が着々と進んでおります。

場所はブエノスアイレスから車で一時間ほど北上したカンパーナという街にあるトヨタディラーさんの大きな整備工場をお借りしております。

写真1は、まだ車検に通ってない我々のカミオンにゼッケンが張られました。本来は車検が通過した車両にゼッケンが張られるのですか、我々チームは、車検落ちをしたことが無いので、事前にフランスから弊社にゼッケンが送られてきたのです。これは「とんでもない事」で主催者から信頼を受けている証拠でもありす。こちらで丁寧に張ることが出来るので出来上がりがとても綺麗に仕上がってます。

手前は私が乗る1号車でゼッケンが524番、後方に移っている2号車は516番昨年の成績を考慮して付けられるので5連勝中の2号車はカミオンスタートの16番目にスタートする事になります。

写真2は 新しいメンバーを迎えて、パンクした時のタイヤ脱着の特訓中。

写真2

写真2は 新しいメンバーを迎えて、パンクした時のタイヤ脱着の特訓中。タイヤはリム付きで、150KGもあるので注意が必要です。

今回初めて採用した等長のエキパイ

写真3

写真3は 今回初めて採用した等長のエキパイで後ろ側の3つしか映ってませんが前側に3本あり、ダカール出場車のカミオンで初めての試みです。

写真4は お世話になっているトヨタパンアメリカーナの皆さんとの記念撮影です。ご家族もお見えになり、和気あいあいのパーティでした。

お世話になっているトヨタパンアメリカーナの皆さんとの記念撮影です。

写真4

明日は2号車が近くのモトクロスコースを借りきって、走行テストが予定されてます。どんな走りをするか楽しみです。

まだ少し時差が抜けてない菅原 義正より


著者紹介 菅原義正氏

No.171「真夏のクリスマス」- 2014/12/22 菅原さんからの手紙

letter_171_20141222_1200_01ホテルの近くのフロリダ通り(東京の銀座通りのような所)を歩いてみるとクリスマスが近いのか、人通りが多いです。

地元の人に聞くと、今は携帯電話を狙ったスリが多いので気を付けるように言われていたので、ザックは前に背負って歩いてます。

毎年の事ですが、「両替はどうですか」と個人の両替屋さんが声をかけてきます。

ある、大きなショッピングセンターに行ったら、巨大なクリスマス・ツリーが飾ってあったので、近くに行ったら本物の人間が入ったサンタクロースが座っておりました。時々、いなくなるのは服を脱いで涼みにいってるようです。とても不思議な光景です。

今日の気温は26度で3日後には33度になるようです。

2日前にメカさん達が到着して、市内から離れている町で整備の用意をしているのですが車の通関に手間取り、もう少しかかりそうです。

明日は空いた時間を利用して、スタートのポデュウムの場所などを見学に来て市内のレストランで食事会が予定されてるので、再会が楽しみです。

菅原 義正

写真の説明

1 は涼しげにしているサンタクロース。
2 は大きなクリスマスツリー
3 は同じフロアーにあったダカールのグッツを売っているコーナー

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著者紹介 菅原義正氏

No.170 「便利な時代になりまたね」-2014/12/19 菅原さんからの手紙

letter_170_20141219_1200-01写真1は今回、初めて持ってきました。早速使ってみると、びっくり仰天です。「どこでもUSB PLAYER」 と言う製品でUSBに差してる大きさが、お判りでしょう。これで、日本のテレビがリアルタイム(実際計ってみると2分遅れてます。)で見れるのです。映像や音声も日本で見ているのと少しも変わらないから驚きです。  

昔、フランスの事務所で、日本の情報を知りたかったので短波ラジオを持って行き聞いていたり、その後、ワープロに通信装置が付いている製品を持ち込んだのですがセットが慌ただしく、うまく成功すると、活字でニースを知る事が出来ました。

パリでは同日に日本の新聞をパリで印刷して売っているので、ルマンで見るには郵送料も払い一日遅れの新聞が配達されるのですが、月単位の契約なのでやった事がありませんでした。

後発の人たちが最新の新聞や週刊誌を持ってきてくれるので、それを楽しみにしていたものです

今日、初めて使ってみたらスタッフ細胞のニュースやピーナッッリターンのニュースが見れて驚きました。

各家庭にテレビが無い時代から、ここまでの進化をするとは信じられない速度ですね。

写真2は寝室と仕事場です。写真3は壁に貼った予定表。写真4はこのホテルの10Fにあるトレーニングルームです。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

No.169 「ブエノス・アイレス に着きました」- 2014/12/17 菅原さんからの手紙

letter_169_20141217_1200_01飛行機はアメリカン航空とJALの共同運航便です。(ダラスまで)

成田ーダラス間は約12時間で4時間のトランジットがあり、ダラスーブエノス間は10時間30分です。

成田を夕方出て、トランジットの後、ダラスを夕方出るので2回寝て起きると、アルゼンチンです。こんなに長く乗るので、マイルが沢山、溜まるとお思いでしょうがアメリカン航空はスポンサーさんなので無料航空券にはマイルは付かないのです。(残念)

でも、こんな大きな会社がスポンサーさんになって頂き、ありがたい事です。ダカールラリーがブエノス・アイレスに移ったのも何かの縁を感じます。弊社のフランスの工場の住所はベル・エアー通りの11番地でフランス語では11 rue de Bel Air と書き、直訳すると「綺麗な空気の通り」で、Buenos Aires もスペイン語で「綺麗な空気」だそうです。不思議ですね。先発で入っていた日野自動車の広報の方がお迎えに来てくれていて、レンジャーは着いているのですが、通関の手続きがこちらの思い通りに行ってないと、嘆いておりました。

何時も相手がある交渉なので、ラリーで走るのも、大変ですが、車検を通して、スタートラインに並ぶのが一番難しいのです。パジェロ時代に車検場の500メーター手前でリアーのホイールベアリングが焼き付き、走行不能になった事がありますが、何とかして車検を通し無事にスタートをしました。こんな事はしょっちゅう起きるのが、このラリーの難しいところでもあります。

写真はブエノスアイレスの空港で写しました。一枚はメッシーさんの大きな看板とアルゼンチンの旗がひらめいてたので負けずに日野旗を出しました。

応援よろしくお願いします。

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著者紹介 菅原義正氏

 

No.168 「2015ラリーレイドモンゴルに向けて」 – 菅原さんからの手紙

11月17日にやっと新しいジムニーがAPIOさんから納車されました。9月頃にオーダーしたのですが、スズキさんは忙しくで、私の分は11月始めに生産されたそうです。

早速、電車でAPIOさんに向かい、新しいジムニーに乗って、御殿場の工場に向かいました。写真1はナンバーを100にしてもらった新しいジムニーです。

工場では弊社から2名の応援を得て、8時間後には写真2の様に、内装を剥がしリミテットスリップデフとリアーのライニングをAPIO製に交換し、フロント周りは写真2のようにAPIO仕様になっております。

写真3は新しくなったメーターです。LEDを使っているので耐久性と電力の消費も少なくなりますね。

2台のレンジャーは船に乗ってアルゼンチンに向かっており、バイラーさんはモンゴルに置いてあった日野さんの新しいサービストラックに乗って自走で無事にフランスの工場に着き、会社から2名が渡仏してルマンの工場でメカさんを乗せて走るハイラックスの整備とルアーブル港で行われる車検に向かっており、ダカール・ラリーの事は一段落したので、この隙間を縫ってジムニーの改造に入っております。

ジムニーをラリー用に改造していると、レンジャーの改造に生かされるヒントがあったり、その逆だったりして、勉強になります。

明日からは4日間、御殿場の工場でじっくり改造に入ります。お楽しみにね。

菅原 義正

NEWS
菅原義正さんが、J-SPORTSの人気番組「世界、頂!ニッポン代表応援TV」に出演することになりました。
放送スケジュールなどはリンク先をご覧下さい。

 

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著者紹介 菅原義正氏

No.167「壮行会」- 菅原さんからの手紙 – 2014/10/22 15:00

letter_167_20141022_1500_01先日、日野さんの本社で報道の方とスポンサーさんに集まって頂き盛大な、壮行会をして頂きました。

来年は日野自動車さんにとって連続25年の挑戦になり、私に取っても33年目の節目の年にもなるのです。

写真で分かりますが照仁が乗る⒉号車は、ナローキャブと言って車幅の狭い運転席を使い、初めて左ハンドル仕様にしてあります。

更に1号車よりトレッドとホイルベースが長くなり、操縦安定性が良くなっております。私の1号車にはSSERのイベントにも出ている、若林 葉子さんがナビの一員として乗車し、6つの目で前を見る事になります。

写真は日野自動車さんのパリダカワーキンググループの皆様との記念撮影です。(都合が付かない方もいて、もっともっとおります。)

最初はバイクで出場した私ですが、32年後にはこんな素晴らしいチームに発展しました。これも日野自動さんの暖かさとスポンサーさん他皆さんが支えてくれてる証拠なので、頑張って来ますので、応援宜しくお願いいたします。

菅原 義正

No.166 「おやじ対決の勝者の祝勝会」-菅原さんからの手紙 2014/09/19 13:01

letter_166_140919今夜はラリーレイドモンゴルのジムニークラスの優勝者である尾上さんの祝勝会がありました。

場所は厚木の近くの七沢温泉で、ここを使っての祝勝会は今年で5年目になります。

毎年、負けた人がご招待する事になっているので、今年は負けた私が主催するハメになった訳です。

私の真ん前に座った尾上さんの嬉しそうなお顔をお見せできないのが残念です。

主催者の山田さんやスポンサーの松野さんや皆様が遠くから駆け付けてくれてこんな素晴らしい会は他には無いと思います。

そうそう、先日、ソーラーカーの世界最高速度記録を作り、ギネスにも認定された、篠塚 健次郎さんも来てくれました。

私の愛車のダイハツアトレーで弊社から温泉まで、篠塚さんと山田さんと乗り、世界記録を作った思いや、経緯を聞いてるうちに、アット言う間に温泉に着いてしまいました。

この旅館はとても古くで一人一人御膳で料理が出るのですが、雰囲気があり私の大好きな旅館です。

蟹工船を書いた小林多喜二さんを昔、かくまっており、この旅館を出て築地に用足しに行って、特高警察に捕まり、撲殺されました。

彼が隠れていた部屋も今は改装されて、公開されているので、興味のある方は行かれたら良いと思います。旅館名は福元館と言います。

私が狙っていた小樽商大を出た人ですよ。

APIOの社長に聞いたら昨年買ったジムニーをおしやかにしたのでまた新車を注文したら2年連続ジムニーを買った人は私だけだそうです。

来年こそは尾上さんをギャフンと言わせる予定ですが、中々手ごわいので注意が必要です。

尾上さんへ 今年は完敗です。貴方は凄い。でも悔しい。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.165 「コイルオーバーショックアブソーの採用」-菅原さんからの手紙 2014/08/04 22:21

letter_165_20140804_01新しいレンジャーのバネの方式をマルチ式からテーパーリーフ方式に変更しました。前の「菅原からの手紙」にも書いたのですが、どちらもメリットとデメリットがあり、難しい選択なのですが、トラック用にもコイルオーバーのショックアブソーバーを作ってくれるメーカーが出来たりして、細かいチューニングが出来るので、軽量なテーパーリーフ方式を採用し、表記のショックを採用した訳です。

車輪の動きを敏感に感じるようにホーシング側の取り付けも外側一杯に取り付け位置も変更しております。

車両は現在、ウランバートルに到着しており、日野さんの開発担当の方が5名、明日(8/4)から現地に行き、最終チェックをする予定です。

次回のダカールを見据えての参加なので、日野さんの研究所からおひとりラリー中、帯同します。

私も明日(8/4)から出発します。レンジャーとジムニーの活躍にご期待ください。

写真1 で分かるように斜めにショックアブソーバーが取り付けられております。白く塗られたフレームの下側にはトレーリングアームの取り付けが見えてます。その上に見えてるのはフロントスプリングの前側の部分です。
写真2 2本並んで付けられているショックアブソーバーです。右上のは運転席のスプリングとショックです。
写真3 日野さんのテストコースでのテスト風景です。
写真4 ラリーレイドモンゴルのゼッケンを付けてのテストです。

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著者紹介 菅原義正氏

No.164「トレーリングアームを新採用」- 菅原さんからの手紙 2014/06/30 18:30

letter_164_20140630_1830_01今年のラリーからスプリングをマルチ式からテーパーロング式に変更しました。2台共、リアーだけに採用したのですが、私の乗った1号車はA09Cと言う、約1リッターも大きいエンジンを採用しましたので、馬力がすごくなり、ミッションや副変速機やプロペラシャフトなど動力を伝える部分を強くするために、結局、重い部品になってしまい、全体的には重量増になってしまいました。

我々は車に積むトイレットペーパーの中芯を抜いている位グラム単位で軽量化をしているので、とても辛い選択なのです。

1号車は車重が重すぎたので、現地で予備に持って行ったマルチ式に変更したのですが、このスピリングは硬すぎで下から2枚目の板バネを現場で抜いてもらう、離れ業をやってもらいました。

そんな経緯もあったので、次回は前後共、テーパーロングを前後に採用して、ホーシングの位置をしっかりと固定する為に、トレーリングアームを付けました。

このあたりの話は難しくなるので、日野自動車さんのホームページに入り、ダカールをクリックしてニュースを開けて見て頂くと、分かりやすく解説されてます。

写真1は6月10日に写しました。

写真2はリアーの左側から写した写真です。スプリングの側にトレーリングアームが写ってます。

写真3は6月25日に写しました。フロントの左側からの写真です。2本のショックの左の棒状の物はストークセンサーで絶えず動きを記録しております。右奥のスプリングは運転席のサスペンションです。

写真4はもう少しで完成します。日野さんのテストコースを走ってからモンゴルに運び込まれます。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

 

No.163「158話の続きです」- 菅原さんからの手紙 2014/06/24 15:57

letter_163_20140624_1557_01帰国して、早速、会社にジャン・ピエール・ジュッソーさんのコーナーを作りました。額に入った絵は、彼が60才の誕生日(1997年)の日の様子です。

1997年の夏に照とルマンの家におりましたら、ジュッソーさんの息子さんからお父さんの誕生祝いを彼に内緒でするから、ぜひ出席して欲しいとの連絡が入りました。

内容は、ルマンの自動車博物館に飾ってある、1978年に優勝したルノー・アルピーヌ(前回はアルバインと書き間違い)と昔、乗ったF-3などをサーキットに運び出し、彼に走ってもらおうと言う企画でした。私は予定されていた日には帰国しなければならなかったので代わりに照に出席してもらいました。ちゃんと走れる状態にするのは大変な事ですね。

コーナーの左側に写っているのは1980年に優勝した車両で、ロンドーM379のモデルと絵葉書です。私のナビをやってくれていた尚子さんがフランスから送ってくれました。この車はジャン・ロンドーさんがデザインして造り、彼とジュッソーさんがドライブして優勝したんです。自分の名前を付け、自分も運転して優勝したのはこのロンドー車だけですよ。

先日頂いたメダルはこの時の物です。

もう一枚の写真は、絵の下に書いてくれたメッセージです。

追伸 昔、一人でエントリーして23時間目にシフトミス(バックに入れたようです)してリタイヤした人がおり、それから一人での参加は認められなくなったようです。

ロンドーさんは1985年の暮れに列車事故で39才で亡くなりました。

菅原 義正

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No.162「関谷選手の手形」- 菅原さんからの手紙 2014/06/20 13:41

letter_162_20140620_1341_01ルマンの中心地にルマン24時間レースのモニュメントがあります。

広場の真ん中にはレースのモニュメントがあり、タイヤの外側にはコースを模した形がありました。レースの最大の直線はユノディールの直線と呼ばれているのですが、何年か前に2ケ所のシケインが作られており、その通りに出来てるので、上のモニュメントは新しい物です。(15年位は経ったかも)

このモニュメント(写真1)の裏側にはジャッキーイクスさんの手形(写真2)があり、勝った年数も入っており、彼の偉大さを表してます。

そのモニュメントを囲むように、今までの優勝車をドライブした選手の手形が路上にあります。(写真3)

関谷選手は1995年に優勝しており、日本人で初めての手形でしたが、2004年には荒選手が優勝しておりますが、見つけられませんでした。

ミスター・ルマンと言われている寺田選手は長いことエントリーしており、予選のタイムは免除になっており、必ず決勝に出られると聞いてます。彼に聞いたら今でもACO(オートモービルクラブウエスト、世界で一番古い自動車連盟のクラブでこのクラブが24時間レースを運営しております)の幹事をしているそうで、日本人の誇りですね。

24時間で約5000kmを走るので、単純に計算して平均時速208km/hにもなるんですね。

毎年、夏至の時期に行われるのには、深い訳があります。昔の自動車のヘッドランプはカーバイトと言うガスを燃やして点灯していたので、暗くなるのは夜の10時過ぎで4時には明るくなるからです。

以前、SSERのイベントに良く出ていた長谷見さんに(彼は実際に出場しております)、色々と聞いてみました。彼は独特の優しい語り口で「菅原さん、夜が一番スピードが乗るんだよ」と教えてくれました。

そういえば空気の密度は冷えると濃くなるので、納得です。今はスピードも半端ではないので、昔と同じ恐ろしさだと思いました。

私の場合ここの所、毎年4700M-4900Mのあたりを走っているので空気の密度に関しては敏感になっております。

何せナビさんが意識を失ってしまうからです。年寄は細胞が少ないので高山病になりにくいとナビは言ってます。

ルマンに行くときにはN48 0 324 E0 11 909をお忘れなく。

広場に行けますよ。

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

 

No.161「ルマンの自動車博物館、その2」- 菅原さんからの手紙 2014/06/05 22:46

この博物館はサルト県の県立の博物館で、館長とは20年以上の友人です。

受付で館長用に用意したお土産を渡したら、受付の女性が大きな声で「フランシス!!」と呼んだら裏側から出て来て「TON TON」と抱き付いてきました。

私のフランスでのあだ名はトントンなんです。

letter_161_20140605_2246_01何時もは何人かを連れて行っても、私の分の入場料は取らないのですが、今回は6ユーロ取られました。後で他の人に聞いたら、今は館長ではなく、アドバイザー的な役割だと聞いて納得しました。売店ではここでしか売ってないエルメスのネクタイを扱っていたのですが、今は売ってませんでした。ゴメンネ山田さん。

博物館は2つに分かれていて、最初に出来た蒸気機関の車から現代までと、24時間レースに出た、歴代の車が飾られており、日野さんがルノーと提携して作ったルノー4CVもレース部門に飾られております。

国産では、マツダが優勝したロータリーのプロトタイプやホンダのエンデューロ(ロード)で年間優勝したバイクがあります。このバイクに乗ったチャンピオンのライダー、ジャン・クロード・シュマラン氏は1991年の日野さんの2号車のドライバーになってもらいました。

写真の1と2は今回初めて見たド派手な車です。マーシャルのデモカーなんですね。ヘッドランプはラリーで許されているのは8灯まですよ。

写真3と4はマックイーンのコーナーもありました。

彼は映画を撮るのにルマンで走りましたが、実際のレースには出ておりません。

彼はセブリング12時間耐久レースでポルシェに乗って完走しており、その時の写真を、弊社で日本初のレースカレンダーを作った時の表紙に使いました。

写真を撮ってくれた人は、後でとんでもなく有名になる二村 保さんです。

マツダさんが総合優勝した年に、偶然、ルマンで観戦してましたよ。当時、パジェロに乗っていたので、三菱さんがお客様用に用意したピットの2階で24時間、食事や飲み物のサービスがフリーで綺麗なお姉さまのサービスが付いてました。

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著者紹介 菅原義正氏

No.160「ルマンの自動車博物館」- 菅原さんからの手紙 2014/06/04 17:37

letter_160_20140604_1737_01不思議な事があるものですね。写真1の小説「ル・マン自動車レース」と言う本は、写真2にあるように、私が23歳で学生の頃に買って読んだ本です。この歳に鈴鹿サーキットが出来ました。

写真3は筆者のグレゴワールさんで、写真4は1929年に彼が発明したフロントドライブ車で自らル・マンのレースで走っております。(彼の特許をシトロエンが買い現在に至ってます)

写真5は私が以前買った絵葉書で、本の内容はグレゴワールさんが作ったタービンエンジン車でルマン・24時間を戦うというお話です。文中にはアルゼンチン人のゴンザレスさんもフェラリーの4号車で出場してます。(彼の運転しているフェラリーは彼の為にアルゼンチンの国で買ってくれた車両です。本当の話)

写真6は現在も博物館に飾られているグレゴワールさんが作ったタービンエンジン車です。空力も良く考えて、流線的ですね。

30年程前に行った時には、自分が読んだ本との繋がりが分からなかったのですが、ルマンに工場を持つようになってから、繋がり自分でもびっくりです。

今のダカールはアルゼンチンをスタートするので、モータースポーツの勉強をしていたらゴンザレスさんも文中に出て来るので、更に驚きました。

写真の6は博物館で写した写真で7は説明パネルです。

追伸 翻訳者の桶谷 繁雄さんは私が初めてパリ・ダカに出た1983年の2月に亡くなりました。

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No.159「良友」- 菅原さんからの手紙 2014/05/29 15:34

letter_159_20140529_1534_01シャルルドゴール空港の近くに住む、良友のスミルビッチさんに会ってきました。彼の家を訪ねるのは20数年ぶりです。

彼とは古く、1985年に私が初めて4輪に転向し、夏木 陽介さんのナビで乗っており、車両は三菱パジェロで、スミルビッチさんもパジェロでフランスで有名なレイモンド・コパ(サッカーの選手)をナビにして出場しておりました。

ある夜、彼が砂漠のど真ん中で止まっておりました。彼の顔はヂーゼルオイルで真っ黒でした。訳を聞くとエンジンオイルが出てしまい、これ以上走れないと言うのです。「入れるオイルはあるのか?」と聞くと友達がジェリー缶(20L)で置いていってくれたとのこと。

原因を探るべく私はエンジンの下にもぐってみると、オイルプレッシャーを取る所に市販で売っているオイル温度を測るのやら、何やらで3段も重ねて使っており、振動でブロックに入っているネジが折れており、そこからオイルが流失してました。

時間がないので、彼にハンマーを出してもらい、木の柄を丸く切って、その木をその穴にハンマーでたたき込み、栓をして「あとは大丈夫だからオイルを入れて走って良いよ」と告げて別れました。栓をした木が熱で緩んで、またオイルが流失しないか心配でしたが、翌朝キャンプ地に居たのでホッとしました。

それから何日かして、慌てて「エンジンがかからない」と私の所に来たので、彼のハンマーでスターターを叩いたら、エンジンがかかり、彼はこのハンマーはマジックハンマーなので、次回から首に下げてくると言ってました。

まだまだ書ききれないほど、彼とは共通の話題があります。

これがラリーの良さですね。

写真1は2人のショット
写真2は菅原がダカールに挑戦したのは1983年だったのでと言いカーブで1983年のワインを出してくれ振る舞ってくれました。
写真3はリタイヤしたときの原因となったパーツを額に入れて飾ってました。
写真4は最初の年に出たときの絵がかざってありました。
写真5は私の玄関に飾ってある最初に4輪で出たときの絵で夏木陽介さんがかきました。

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No.158「22年ぶりの再会」- 菅原さんからの手紙 2014/05/23 18:58

letter_158_20140526_1534_01ノルマンディ上陸作戦で有名な町、カーンに住んでいるジャン・ピエール・ジュッソーさんに会って来ました。22年ぶりの再会になります。

彼は日野さんがパリ・タカール・ラリーに最初に出た年(1991年)と翌年の2年間、1号車のドライバーをしてくれた人です。

彼は1978年と1980年にルマン24時間で優勝しており、特に1978年に優勝した時は、「フランスが泣いた日」とも言われております。1975年と’76と’77の3年間はジャッキー・イクスが3連勝しており、写真3の時はイクス(ベルギー人)がポルシェ(ドイツ製)に乗って4連覇を狙っていたのをフランス人のジュッソーさんがフランス製のルノー・アルパインで勝ったのです。彼は表彰台の上で泣き出してしまい、それを見ていた観客が嬉しくて泣いていたそうです。もちろんTV放送もされておりました。

彼が泣いてる写真を雑誌で見た事があります。

そんな彼が別れ際に、私にくれたのが1980年に優勝した時のメダルです。 フランスの友人にこのメダルを見せたら、とんでもない贈り物で、オリンピックの金メダルよりも貴重なものですね!!と言ってくれました。

私、個人で持っていてももったいないので帰国したら会社で保存をしますので見に来て下さい。

菅原 義正

写真1はカーンのホテル前での記念撮影
写真2は1991年のパリ・トリポリ・ダカールでの記事
写真3は1978年に6番のイクスをインから抜いてます。
写真4はメダルの表
写真5はメダルの裏
写真6はメダルのサイドに刻印されている彼の名前と 1980.14-15 Juin (6月)


著者紹介 菅原義正氏

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No.157「カーブ」- 菅原さんからの手紙 2014/05/21 17:05

letter_157_20140521_1705_01友人の誕生日のお祝いにツールの近くの小さな村に来ております。本人には完全に内緒でお祝いが始まりました。

ご主人は誕生日を迎える奥さんと私を車に乗せて自宅を出て、何処か遠くに行くふりをして走りだし、「そうだ、カーブ(ワイン蔵) に鍵をかけるのを忘れていた」と言い出しカーブに向かったら、友人のご夫妻が自分のカーブの前に二人だけで居て、「菅原も来ているので美味しいワインを一杯飲んでいかない」と言われカーブに入ったら、中にはテーブルがセットされ20人位の友人達がハッピバースディの歌を歌って迎えてくれました。

本人は嬉しくて泣いてました。フランス人の仕掛けはすごいですね。

ひと段落したら隠してあった車がいっぱい出てきて、その中には電気動力のスマートの新車も来てました。

この後もびっくりするお話があるのでね、お楽しみに。。。。。。。。。。

写真1は、パーティ会場のカーブの中にあったぶどうの絞り機です。

写真2は、ネジの部分のアッブで今の持ち主のおじいちゃんがノミでネジを作ったそうです。びっくりですね。

写真3は、3メーターもある丸棒でこの棒の先を差し込んで、二人から三人で回して、ブドウを絞ったそうです。

菅原義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.156「パリに来ております」- 菅原さんからの手紙 2014/05/16 18:48

letter_156_20140516_1848_01124年前の6月10日に世界最初のレースがパリ、ボルドー往復の1200キロを制限時間100時間で行われたそうです。

座席は4座席以上で定員は乗ってなくてはいけなかったそうです。この時代に、蒸気、電気、ガソリンを原動力にした車両が出ていて、今後、どれが主流になるかわからない時代だったそうでよ。

ミシュラン兄弟が初めて空気いりのタイヤを履いていたそうです。

コースはベルサイユを出て、ゴールはポルト・マイヨーだったそうで最速タイムを出したのがパナール・エ・ルバッソール氏で記念にゴール地点のポルト・マイヨーに記念碑が建っているので、見てきました。

ドライバーの真剣な顔と、その偉業を讃える観衆の顔がリアルに表現されてました。残念なのはクランク棒が折られてました。

彼が作った車が数年後、日本に輸入され、日本人が初めて目にする車になるのも、不思議ですね。

今週末、ルマンではロードバイクの世界選手権が開かれるのでコースの近くのあちこちにテントが立てられ、観戦の準備をしており、あちこちからバイクに乗ったフアンが集まってきております。

モータースポーツの好きな国に居ると、心地良いですね。

参考文献は私が尊敬する高斎 正さんです。

アビアントー

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.155「2014モンゴル用ニューモデル」- 菅原さんからの手紙 2014/04/22 00:12

letter_155_20140422_0012_01新しいジムニーのお化粧も終わり、今日、出来上がりました。

ポリカーボネートの窓の部品をイギリスから取り寄せたら、良く出来ており、走ってもビビリ音が出ないのと密封性が向上しました。

新しいナビの田中君と初めて御殿場の何時ものコースを走りに行ったのですが、ショックアブソーバーにチッソガスを入れるのを忘れて行ったら、底突きをおこしギャップはゆっくり走りました。

新しいショックは圧縮にも効いており、このショックに合わせてコイルスプリングを作ったので、ショックが効かないとスプリングだけではかなり、弱い感じでした。

始めて、リアーにリミテッドスリップデフを入れたら、加速中の安定が良いのでびっくりしました。

ブーストの圧も上げてないのですが、新しいジムニーは加速も良く、これなら尾上さんに楽勝ですね。

楽しみ、楽しみ

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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