No.016「ニューヨーク・パリ」 2009/06/25 菅原さんからの手紙


letter_016_20090625-01北京‐パリが行われた翌年1908年2月に「ニューヨーク・パリ」が行われました。

講談社発行の20世紀全記録によるとアメリカからはトーマス・フライヤー1台、ドイツからプロスト1台、イタリアからジェスト1台フランスからはド・デイオン・ブートンとシゼール・ノーダンとモトブロックの3台、合計6台が20.000キロ先のパリ向けてタイムズスクエアを出発したそうです。ニョーヨークでは25万人を超えるの群衆であふれかえったようです。風力を利用出来るようにマストと幌を用意している車両や雪原をソリで走れるように用意している車もありました。我々とは違うのは銃の用意もあったようです。

結果は5ヶ月後の7月26日にトーマス・フライヤーの優勝が決まります。前日にドイツのプロストが到着したのですが、アメリカで1.600キロも汽車に乗せたのが判り、15日間のペナルティで2位だそうです。完走したのは前記の他にイタリアのジェストの3台でした。シゼール・ノーダンは1気筒で15馬力だそうで、驚きですね。

10年ほど前に日野自動車さんの本社で私の講演があり、この話をしました。終わったら当時の重役さんが来られて、今日のお話はとても面白かったとほめて頂きました。お話をお聞きしたら、1ケ月前にアメリカでトーマス・フライヤーの運転をしていた方のお孫さんを訪ねてお話を聞いたそうです。上には上があるものですね。

当時の大阪朝日新聞によると、5月12日の夕方に神戸オリエンタルホテルに到着とあります。翌日の朝6時に出発して、午後には京都ホテルに到着。同行しているニューヨークタイムスの記者に取材をするのですが、日本の景色の良い所を自動車で走るのはとても愉快だと言っています。取材の中に「世の中に危険ほど面白いものはない」と話し、極めつけは、ロッキー山脈に到着した時に十数マイルの鉄道の長いトンネルに差し掛かり、「なーに構うものか、やっつけろ」とトンネルに入って行ったそうです。トンネルを抜けて線路を走り、145分後に一般道に合流したら、すぐに汽車が来たそうです。トンネルや線路は単線だったでしょう。

「京都を出て大津街道を東に向かい石山を経て米原に向かひたり」となっており、日本にはその10年前にフランスから初めて自動車が輸入されたそうなので、使用するガソリンなどはどうしたのか心配ですね。

写真はコースの全体図と明治41年5月14日の大阪朝日新聞とトーマス・フライヤー

長男がアメリカのRENO市の博物館で写真を撮ってきてくれました。ヘッドランプはガイ燈の様で、チエーンドライブ、新聞記者と審判員も乗せていたので4人乗りです。優勝トロフィーの大きいのにはビックリです。

パリのゴール地点の写真も写っていますが、何処か、山田さん教えて下さい。

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