2005/08/31 (水曜日)
ガンがガストンの命を奪ってから半年がたった。
菅原さんのポケットにもボクのポケットにも、ガストンの遺影は常にある。BTOUの閉会式で、スガワラサンはボクの席にそっとガストンの写真を置いた。スピーチで、そのガストンの話をしようかと躊躇したが、控えた。ガントルガのモエ・エ・シャンドンの黄金の雫が、ガストンの写真にかかって頬を濡らしているように見えた。そっと指先でその黄金色の雫を拭ぐって再びポケットにしまった。チャンピオンにこそモエは相応しい。なんか飲み屋でモエ!を飲んでいるのを見ると腹が立つ、ってのも勝手な話かも。もともとモエ(萌え!じゃない)はナポレオンが勝利を祝って愛飲したシャンパン!それ以来「勝利の美酒」とはこのこと(違っていたらごめん)そして現代ではモータースポーツのシャンパンファイトは、まあモエなわけで、祝勝会などはこれで乾杯するといいだろう。
話をガストンに戻す。彼は常に闘っていた。長く続いたマルボロのスポンサードが終わったのは1988年。しばらくはマシンにも恵まれず一線を引いていったが「引退」なんかしてないと彼は言う。その証拠にモンゴルに招聘したのが1999年。この時52歳の彼は、全く枯れてなんか居なかった。その10月2人で約束した日本での「ガストン・ライエ・ミーティング」まさにこのHPがスタートと時を同じくする。このコラムOVの第1回目は、ガストン・ライエ・ミーティングの話からはじまった。
さて、そのミーティングをどうするのか。「今年も開催しましょう!」という声も少なくは無かったのだが、僕は耳を貸さなかった。昨年も間際まで来日を試みたガストンの手元には1枚のエールフランスのビジネスクラスの航空券がいまも残っているだろうか。で、結論から言うと「ガストン・ライエ・ミーティング・ファイナル」します。最後です。しかもこのミーティングで、ガストンが最後に走ったあのかなりハードな「富士山から白馬」のルート。でもオンロードでも車でもどのルートで走ってもいいことに・・・もちルートブックとCPはあるから。甲州街道で道端にバイクを停めて食べた葡萄の味が鮮明だ。前夜のガストンと泊まった西富士のコテージも良かった。
「ガストン・ライエ・ミーティングやりましょうね!」「いやだ」「・・・」「しない!」なんて毒づいた人、ゴメンナサイ。以上のような(どんな?)言い訳で、ファイナルなミーティング!となります。万障お繰り合わせの上、どうかご参加下のほどを。
さて話はガラリと変わる。
トヨタのレクサスブランドのお披露目が始まった。プロデュースしたのは「D&d」というチーム。なんのことは無い電通とデルフィス(旧南北社トヨタの関連子会社)である。呉越同舟と言うのも少し違うが、ブランディング戦略は興味深い。投資コストは2000億円!イマやこれだけのお金をポンと出せる企業は、そう無いのではあるまいか。トヨタ方式で倹約に倹約を重ね「絞りきった雑巾をさらに絞って・・・」と言われながらも「出す時は出すねえ」という感じ。年間の純利益が2000億円後半だから、まあ今年の儲けは全部突っ込んじゃえ!みたいな田舎経営者みたいなことは無いだろうが、当たらずとも、まあ遠くは無い。車種構成などは賛否がかまびすしいから省略。メディアなどによればそこは高級ホテルなのだという。接客は黒服らしい???いっそのこと2階より上もホテル・レクサスとかにしたら良かったのに・・・・で、ブランディング!というのは実に難しい。
彼ら(ってボクら)は実に気まぐれで気難しい!さらに西洋コンプレックスの塊ときてる。そうは言いつつも、日本もほんの少しだけブランド神話の時代を脱しつつある。中国はまだ50年くらいは大丈夫だろうか?中国こそ急げ!なのだが??とまれ、日本の誇るトヨタが見せる国内の高級車市場戦略はいかに・・・仕事の目を離れても、これを見逃す手はあるまい。
ただ、自動車の未来は語られるのだろうかは疑問かもだけど。
きょうの一枚
中国と言う国は・・・叱られるのを覚悟で言えば、この道具はこの国を象徴しています。掃除をする!という発想には進歩?を感じますが、このゴミを撒き散らすための掃除道具と言うのはいかがか・・・・・この国が、ひとつの問題とその解決方法にも同じような思考回路をとる!と感じるのはボクだけ?
2005/08/30 (火曜日)
※上記動画は
掲載終了しました
UBSというモンゴルの放送局で放送されている「BEIJING-ULANBAATAR 2005」のタイトルバックの動画をご紹介!!本編はいずれまたの機会に・・・直近は10月8日?
今日ボクは1日掛けて病院!人間の点検と整備に費やしました。ラリー前のウランバートルで高熱を出して、3日間飲まず食わずで強烈な鎮痛解熱剤を飲み続けたおかげで、熱は下がったものの消化器系を全損!!ラリー中の苦しみと言ったらありませんでした。ラリーの後始末で残ったウランバートルでも、フラフラ!よくぞ無事生還したものだとわれながら・・・・・・・健康は大切です。ちなみに今日は、大腸ファイバー、内視鏡です。気持ち悪いときたら・・・・・
ラリーに持っていくことの出来る医療機材と医薬品には限りがあります。それがボクにも跳ね返ってきたのかもしれません。ああ、オナカが痛い!
■ ビデオはWMV形式、サイズは1.3MBほどとなっております。左のきょうの一枚をクリックすると再生が始まります。
2005/08/29 (月曜日)
BEIJING-ULANBAATARより主催者雑感その3
メディカルについて・・・
SSERにはレントゲンがある。ラリー主催者がレントゲンを持っているというのも「?????」な話だが。撮影と現像はいつも2人のカメラマンが担当する。気温を調べて現像液を作り、撮影から一連の作業をこなす。大変なご苦労だ。1日中撮影をしたあとの作業だ。
なぜレントゲンの導入をしたか?というとこうだ。1995年第1回大会、ラリー中に起きた打撲症!ドクターは「痛みがひどいから骨折しているかもしれないし、場合によっては折れた肋骨が肺に刺さっているかもしれないから、緊急輸送してくれ」触診だけでは最悪の場合が分からない。「はい」と航空機をチャーターして中国北京の病院に、1週間のうちに4人搬送した。いずれも単純骨折や打撲程度で大事には至らなかった。「レントゲンさえあればなあ」ラリーの医療チームの切なる思いだった。
ラリーの医師はボクの大切な友人ボルドサイハンという男。彼がリーダーを勤めている。日本人医師が「この男はすごい!」と言い放った。アメリカの大学病院で脳外科の臨床と救急救命をやっていた。問題なのは、たいがいの負傷者に対して「大丈夫!」「心配ない!」「ウイスキーを飲んでおけ」「点滴?いらない!」とそっけないたらありゃしない。だから彼が「やばいぞ!」というとボクは非常に緊張する。緊急輸送の準備を始める。燃料の問題やフライト時間ラリーのオペレーションに与える影響を、短時間のうちに検討し答えを出さなければならない。実は今大会は「やばいぞ」と彼が言ったのはたった1回きり。それは炎天下を歩くボクに言ったもので、だれひとり負傷者には「やばい」は無かった。
ボクが「全員のメディカルチェックをしよう」と言ったエタップ3の朝も、彼は「???」「いや結構熱中症気味で、体温高いままの参加者が居る」と言うと「水を飲むように言え」というばかり。「そのためにもチェックをして意識を高めるんだ」と言うと「それなら分かった」と作業を始めた。
彼はモンゴルの大自然が大好きだ。ヘリの窓から食い入るように風景を眺め、降りると石や化石を探す。純血のモンゴル犬の子犬を探すのもライフワークになってきている。
「今回も素晴らしいルートに連れて来てもらって感謝している」最後にヘリを降りて別れ際に握手しながらそう言った。最後にこういった「今回は大きな事故や怪我が無くてよかった。8回大会はいろいろあったのにな。」もちろん彼が言うように全く無かった!分けではなかったのだが・・・彼の言葉には生命的なリスクがある・・・と言う部分が抜けていた。一人の優秀な医師がラリーに居ることの安心感は計り知れない。もちろんもう一人の医師も優秀で、ウランバートルへ緊急輸送が発生すれば病院の手術室まで彼がアテンドする。
BTOU・・・・・その身体的なリスクをはらんだゴビの大横断は、こうしたメディカルチームに支えられた。しかしなにより、参加者相互のコミュニケーションや、大会本部への迅速な連絡ぶりは賞賛に値する。またメディカルを中心にしたスタッフ全員の参加者へのケアは、いまの可能な限りを尽くしていると胸を張れる。
あとは参加者自身がリスクマネジメント能力を磨くことだろう。ひょっとしてその能力は、ラリーのときばかりに限られない、と思う。
ラリー中に使用した輸液類・・・・・約60本
ラリー中に使用したレントゲンフィルム・・・・・約30枚
きょうの一枚
エタップ5 SSスタート地点、ライダーはゼッケン1ローレンスさんアラビアの・・・じゃなかったモンゴルのローレンス!
2005/08/26 (金曜日)
BEIJING-ULANBAATARより主催者雑感その2
モンゴル国内の報道
実は大会前の8月4日、ウランバートルのプレスセンターで、記者会見がもたれました。翌日以降の新聞はかなりの扱いがありました。またザミンウッドには、スタートを見送る大勢のモンゴル人!!車もたくさん停まっています。しかしよく見るとどの車もウランバートルナンバー!砂漠を700kmも超えて応援にやってきている家族に混じってメディアの姿も。ヘリに1名のUBS(テレビ局)のカメラマンと地上にもランクル80にカメラマン。大会終了後は、毎夜エタップごとのTV放送!時間が不定期なので見逃した日もあるのですが帰国前に、テレビ局のスタッフが放送した分のテープを届けてくれました。残りは9月に来日するムッホ君がもって来るでしょう!!一番早くお披露目?出来るタイミングは「SSER 2DAYSの前夜(土曜)に車検会場のスクリーンで!!(註:今回は正式なスケジュールは日曜の朝からです。閉会式は月曜祝の夕方だからね)お楽しみに!!興味のある方は、ちょっとお早めにお越し下さい。ミニミニモンゴルの夕べを開催・・・この日の宿泊はキャンプのみだからね。というわけで、モンゴル国内ではかなりの歓迎振りだったというお話。来年はさらに建国800年記念行事で盛り上がりそう。
ロシア人からのメール
XR250で参加したロシア人選手。自分のバイクが間に合わなくて、スタート直前にウランバートルで調達・・・ったって、これでラリーに?という代物。なのに当初のエントリーフォームに記載されていたXR400のまま集計されていたので、ラリー中に「250に直してね」と言って来た。「わかった」と答えながら、忙殺されていたら昨日メールが届いた。「250に直してもらえれば、クラス3位なんだ。それは僕にとってこの上もない名誉なことだ・・・」実はその時点では訂正作業が終わっていたのでした。来週始めにはリザルトが参加者の元に向けて送り出されます。カナダやロシアにも届けられます。
暑いのか?
エタップ2、ザミンウッドをスタートしたヘリ1号機はギリギリの燃料で給油予定のオンコース上の村に向かっていました。その村にはウランバートルからヘリの燃料を積んだローリーがやってきて待機しているのです。ウランバートルからザミンウッドまでで大方の燃料を使い果たしていた1号機は、その村までも厳しい状態でした。そんな時オンコース上から緊急を告げる無線とオンコース上にストップする参加選手のマシン「OK!旋回してくれ」と頼むのだが無視して真っ直ぐ飛び続ける。「どうした?」「・・・・」「????」とやっている間にヘリは10kmも飛んだだろうか。「降りろ!」怒鳴りつけて着陸。歩いて現場まで行くことにした。ヘリのパイロットたちにこの機の持つ役割を肝に銘じさせたかったこともあった。陽炎揺れる砂漠の中の道は暑かった。が、風はさわやかにも感じた。手に持った水はあっつと言う間にカラになった。振り返るとドクターと看護師が医療機材を持って500mくらい後ろを歩いてきていた。1kmを10分で歩こう、10km100分?と考えながら歩いていると、少しだけ気分が良くなった。「でも道を間違えると危険だなあ?」「ゲルがないなあ」やがてドクターが追いついてきてペットボトルを差し出し「ディンジャラス!」と一言。どうもこの日を境に増え続けていた体重が減少傾向に転じ!今でも減少を続けているようです・・・何の話ですかい?ラリー前体重92.5kg今朝の体重85.0kg!!どおよ。
きょうの一枚
ウランバートルから西に600kmアルベイヘールの街。ここまではウランバートルから舗装路で行けます。今回もこの街が最後のビバーク地だったり・・・苦い経験やつらい事も、楽しい思い出も、この街にはたくさんあります。この10年間、この町を通らなかったことは、多分ありません。町の中では強いデジャヴュに出会います。
2005/08/25 (木曜日)
BEIJING-ULANBAATARより主催者雑感その1
エコチャレンジの可能性と将来・・・・・今世界中を走る自動車・・6億台!日本並みのモータリゼーション(2人に1台の時代)がインドと中国にやってきたらこの2カ国で11億台!?そこまでは地球上にある化石燃料では到達しません。地球温暖化も、このデイアフタートゥモロウみたいな地球上の気候変動を見ていれば、自動車メーカーの、いやそれを知る方たちの憂鬱!が感じられます。今回のエコチャレンジの基準燃費は、4輪部門で15km/h、2輪部門で30km/h・・・・・基準というにはあまりに高いハードル?僕は低いと思ったんですが、しかし次回もこの数値が採用されると思います。スーパーカブも次回挑戦を表明!!なんとローバーミニも複数体制で!?スーパーカブにライバルも現れそうな気配!ありありです。
エコチャレンジは、ラリーのルールに関してはかなり甘くなっています。主催者の後方走行をしているドクターの乗ったメディカルカーや、ピックアップのための今回は2台のプロシードや、人間を回収するためのビッグホーンなどが、ガッチリサポート。ラリー部門参加者には出来ないオフィシャルからのアシスタンス!!もあるのです。日没後は完全にオフィシャルが管理できる状況です!!から一見無謀な挑戦!みたいですが、思い切ってチャレンジできるのです。いつかは化石燃料ゼロの完走車!が現れるでしょう。10年後か?ひょっとしたらもっと早いかも・・・インフラに縛られるであろう今後の環境対策車。で、あえて困難な3500kmの砂漠への挑戦!開発チームにも見え無かったなにかが見えるかもです。
「あなたが闘うのは、未来の地球のため・・」となることを真に願って、主催者の負荷は高まりますが、夢のために次回も頑張ります。
ベンチレーションスーツと熱中症
このコラムをお読みの諸兄には釈迦に説法でしょうが、自動車もエンジンを冷やすために外部の空気を大量に取り込むエアインレットとかエアスクープとかがボンネットの上に聳えていると「高性能!」な感じがするですね。でも問題は空気を取り込むことではなく、逃がすことです。フロントガラスを失ったラリーカーも、一定以上の速度になると室内にたまった空気で風圧が気にならなくなります。せっかくエアインレットのあるジャケットを着ていてもアウトレットと、そこまでいたる空気の道が設計されていなければ、意味を成しません。空気の保温層を作ってしまいます。
熱中症傾向で38度以上の体温になって点滴を受け続けたライダーたちのジャケットと、涼しい顔して元気に競技を続けるライダーとの間に、ボクはこうした法則を密かに見出していました。(いや必ずそうだという事でもありませんが)主催者として一部の特定のメーカーをとやかく言うのはいかがかと思うのですが?(っていつも言っていますが)BMWのラリー2スーツは、素晴らしい!!の一言に尽きます。(なにか強力なセールスマンが存在しているといううわさもありますが・・・)多くの方が着用しているのにはビックリ!!後半になるほど調子を上げた方にもこの着用者多し!!なのです。桐島ローランドさん、川合アユムさんなども平気でBMWのロゴも付いたままで、カッコ良く着て涼しげに走っていましたね。もちろんこのジャケットにも難点が無いわけでも(高い!とか)ありませんし、それ以外にも、もっと高機能なジャケットがあるかもしれませんが・・・・・とにかくボクが見る限りですが、同一メーカーのオートバイの平均的な性能より、このジャケット!パンツもですが・・優れています。オフィシャルウエアのパンツもBMWサマーパンツを採用して過酷な現場で無類の働きを見せましたね。で、こうしたベンチレーションで身体を冷やす!!今回は暑かったけど風は熱風!!じゃなかったですから・・・・・大切な要素として注目されます。
きょうの一枚
うおっ!不時着か?実はエタップ5のSSスタート地点に着陸!!このカラーリングのヘリが1号機!ドクターとカメラマン!!らとボクが乗っていてルート上の安全管理などに大活躍!!なんですが高騰する燃料代と反エコチャレンジなオオグライブリに血の気がうせます、ホント。
2号機はアーミーグリーン!の軍用機で、10kgバックとエアメカ・マネージャーなど有料シートでビバーク間を直接飛びます。オフィシャルは2名アテンドしています。
2005/08/24 (水曜日)
いつものトップページに戻ると、ひとつ前のイベントのリアリティが薄らいでいきます。でOVも復活!!この夏の総括とすれば書きたいことは山のよう・・・なのですが「振り返らない」ボクとしては確かな「次」に向けて歩き出すのでした。えっとSSER 2DAYSは、ついにデイライトだし・・・ガストンライエミーティングは「ファイナル&メモリアル」でガストンが最後に走った・・・あのルートで!!という事。それにしても飽くなき実行力!!はいったいどこから??
今日は香川にある大学に、お邪魔してきました。ボクが数年前にCIの導入計画とデザインをさせていただいた大学・・・担当課長は実は同級生でもあるのですが、いまや地方大学が軒並み定員割れや経営難やという時代にあって、その大学は意気軒昂。キャンパスにはさらに2棟の大型施設が建設中!!でした。赤とんぼが飛び夏休み終わりの大学のキャンパスには、不思議な空気が漂っていました。思わず「求人票、出そうか?」
1ヵ月以上も乗ってなかった愛車レンジローバー!!出発すると急にエアコンが壊れて車内は蒸し風呂!!あわてて事務所に引きかえして・・・・・ほかのクルマに乗り換えようとして「もう一度だけ」とエンジンをかけると、なんと冷風が・・・・・思わず小雪(注:今はいませんがSSERのマスコットだったアラスカンマラミュート犬、メス)を思い出しました。どうしてエコを声高に叫ぶ僕が、この2世代レンジローバー4.6を降りられないかというと、何か無性にやさしさを感じるのです。こうした感覚をクルマに持ったことは実は初めてで、乗るほどに好きになっていくのがハッキリ分かります。「ううむ、さすがは女王陛下のレンジローバーだわい」燃費悪いサイズでかい!故障多い!保障が切れた次の月にはお約束のエアサストラブル!これは生産時にタイマーがセットされているらしい(ウソ)なんか全てが小雪にそっくり。当然通勤はこれ(自転車はどーした!京都議定書の話はどーした!とお怒りの諸兄!ゴメンナサイ)
で新型レンジもいいのですが、やっぱりボクはさらに古いクラシックレンジが欲しい「それだけは止めておきなさい」というのが通のオコトバ!「どーして?」「じゃあ、せめてエアサスをコイルサスに変更したやつか、タマ数は少ないけどもともとのコイルサスモデルにしなさいね」「へーっ、どーして」大きい犬がご飯いっぱい食べるし、散歩が大変だからちっちゃいのにしなさい!みたいな話なのだ。
今日は久しぶりのOVで、ちょっと暴走気味になった。スンマセンBTOUの話とかは、またそのうちに書くでござる。
きょうの一枚
と、いうようなことから久しぶりに小雪の登場となりました。
2005/08/02 (火曜日)
来年2006年はモンゴル建国800年。チンギスハーンがモンゴル高原を統一した年からすでに、いやまだ800年ばかり・・・・奇しくもNHK大河ドラマでは「義経」が連戦連勝神話を築いている時分でしょうか。義経の死後すぐに起こるチンギスハーンと、東北から大陸へと逃れたのではないかという義経にロマンを描いたお伽噺のような「チンギスハーン義経説」でもNHK大河ドラマ「義経」の翌年がチンギスハーンの建国800年と、妙な符号が、いまさらながらに草原の夢を掻き立てるではないですか。そういえばチンギスハーンも白い馬を好みましたし、たしか義経もそうではなかったですかね。あの奇襲攻撃的な騎馬隊の作戦も似てるし・・・・ってなにか小説でもなかったですかね。今年の年末までにそんな本出せばうまく売れますよキット!!
さてウランバートル!例年より涼しくて、ご機嫌です。仕事は忙しいのですが、日本の夏のようなところは仕事する環境ではないですね。先進国で一番暑いキャピタルタウンじゃないですかね。もちろん北京も上海も暑いには暑いのですが・・・・・・