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「カラコルムハイウエイで、カラクリ湖へ。」
カシュガルはまだ夏の余韻の中だ。
1992年のパリ−北京の時に訪れた時も9月の半ばだった。
今回同行を頼んだ石原孝仁は、あの時VIVIOで闘っていた。日本の軽自動車でシルクロードを探検したのだ。そのラリーはキルギスの首都ビシケックから標高3800m、国境のトルガルト峠を越えてカシュガルに下りてきた。
今回ボクと石原の2人が乗るのはスーパーチャージャーが仕込まれ、Bajaをも走れるスペシャルな足回りが驕られたTOYOTA-FJクルーザー。そう横浜の松野氏のラリーマシン。急遽参加できなくなった彼のマシンにチョモランマを見せてやるのだ。
しかし中国国内の免許はボクしか用意されていない。運転免許費用が、これまた馬鹿にならないくらいのビックリプライスなので、「しゃあないなあ、ボクが運転するか?」ということとなった。
あの時のカシュガルは、ポプラ並木と砂埃舞うロバ車の行き交う、まさに絵に描いたようなシルクロードのオアシスだった。あれから17年。世界は変わった。中央アジアのいくつかの国々は民族が自決し単独国家を勝ち取った。中国もまた変わったと言えば変わった。それは一国二制度やら、香港の返還などによる、清朝末期の混乱とその苦い過去との決別の日々だったろう。
しかしそれらも全て良い話ばかりでもない。新疆ウイグルは、中国のひとつの自治区のまま残った。その先に向かう青蔵自治区、カシミールの国境不確定地域(これは中国以外の主張だが)、何がしかの不安定感は、その国家が見せるもう一つの醜い表情だ。それはまた旅人には、大きな不安の影を落とす。しかしまあ、そんな不安定感もまた大きな魅力だと思う自分がいる。さて今回はどのような旅になるのか。戒厳の道のりに踏み出すことにした。
10人の旅人の紹介はこの先、1日ひとり!のペースで進めていくことにしよう。
とにかくボクらは今、カシュガルのホテルでバスに乗る準備をしているところだ。
カシュガルからパキスタンに伸びるカラコルムハイウエイと呼ばれる道路がある。
ハイウエイと聞けばまるで高速道のようだが、実はこの「ハイウエイ」とは標高が高い!のハイ、なのである。当初の予定ではこの日はカシュガル観光、特に旧市街など中央アジアに残る文明の興亡の歴史を見ておきたいと思ったのだが、多くの方から「ルート設定が高山病について考えていないのでは?」というサジェスション。そこでボクは「ここはひとつ最終の高度順応」と考えるに至った。
有数の観光地カラクリ湖までは190kmあまり。標高は3600mを越える。湖の周りはムスターク・アタ山など7000m級の秀峰が眺望できる。バスにガモフバッグと携帯用酸素圧縮機を積んで、正午前に出発した。
昼食は道筋のウイグル族の村の屋台で、と決めていた。この地ならではのナンが上手かった。ムッホはシシカバブーを「そんなに食べるの?」というくらい食べていた。
マイクロバスはコースターだった。大きな音と共にタイヤが1本バーストした。
ああこれでスペアタイヤはないなあ・・・まあいいか。などとぼんやりと考えているうちに、山道はどんどん険しくなり、雪を頂く岩峰群が威圧的な迫力で示威するのだ。神聖な岩山を削った隘路は、落石のことを考える人は通らない方が良い。リスクマネジメントは、かなりラインを下げなければ成立しない。「まあ少々のことは・・・」というくらいだ。
ボクはバスの中ですっかり寝込んでしまった。就寝時には呼吸が浅くなる。つまり血液中に取り込む酸素量が低くなる。すると高山病にはかかりやすい。
「着きましたよ。」
と起されたボクは立ち上がって驚いた。それは目も開けられないほどの強烈な二日酔いの症状。ああ今書いていても、目が回るわい。
深い腹式呼吸を繰り返し、パルスオキシメーターを指先に挟む。65で点滅している。通常平地では96から99が標準。85を切るのは危険な状態なのだ。ボクは直ぐにも酸素吸入をしないと死んじゃーう!ような数字。
それでも呼吸法で75くらいまで数値が戻り、見渡す湖の凄絶さに息をのむ。
トレッキングに行く!という尾上さん(ウラルサイドカーで参加する本編のまあ主人公のような人)は、元気いっぱい。
3000m級でいきなり高山病の症状の露呈したボクには、先行きの不安が重苦しく圧し掛かってきたのだ。それでもみなを集めてガモフバッグなどの使い方講習会を実施。バッグの中に入ると2000mほど高度を下げた時と同じ状況になる。今ボクタチは3600mにいるんだけど中に入った青木さんって、いま1600mにいる状況なんだ。なんだか気持ち良さそうなこと。
そんなこんなで世界の辺境の地での凍てつくような夜の帳が下りていきましたとさ。
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