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最後の通信 (08/02/06掲載) (NEW!!)
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「二日酔いを乗り越えて」

パーティーは凄かった。
全部で742人が着席し、一緒にラム・ステーキとチョコレート・プディングを頂いた。
#87のシェヴィーに乗っていた永遠の楽天家、ポール・メリーウェザーは
フィルムが始まる5分前にはドリンクをGETしておいた方が良いと考えた。
しかしバーは大勢の人だかりで膨れ上がり、運が良くても30分待ちという有様。
ちっとも人が捌けずになかなかフィルムの上映を始める事ができないので
結局食事の後へとスケジュールが変更になり、これが後々に響いて
結局、記念カップの授与式が夜中過ぎまで掛かってしまった。
でも観衆の盛り上がり具合から察するに、ここではちゃんとした
式次やスケジュールなど重要ではないようで、皆各々で楽しんでいるようだった。

ラリーのドキュメンタリー・フィルムは好評で
朝早くに起きて小さな橋に木の厚板を掛けたり、小川を岩で堰き止めたりと
いろいろ”演出”にこだわった甲斐があったというものだ。
見る者たちを感嘆させた、遮る物の無い地平線、夕日、広大なモンゴルの草原・・・
これらの映像は、そのうちにホームページへ部分的にアップする予定なので
息を呑む風景の数々を、いずれお楽しみあれ。

順位や成績に関するものの他にも、たくさんの賞がエントラントたちに手渡された。
道半ばでナビゲーターと喧嘩別れをしてしまい
ラリーの大半をソロで走り抜いたジャン・ヴォーブリルは
結果としては競技を失格扱いになってしまったものの、見事に完走を果たし
割れんばかりの拍手と共に”against all odds trophy”(敢闘賞)を授与された。

レディス賞にはサンビーム・レピアを駆ったパメラ・リードとニコラ・ウェインライト組、
1919年より以前に製造された車が対象の”ヴェテラン・カー・クラブ・アウォード”には
ラ・フランス・ロードスターのラルフ・ワイス/カート・シュナイダー組、
1931年以前の製造が対象の”ヴィンテージ・スポーツカー・クラブ・アウォード”には
ベントレー・ツアラーのゲロルド・リューマンとハンス−ルドルフ・ポートマン組が
それぞれ選出された。

排気量が1リットルに満たない、小さなシンガー・ルマンを駆ったオランダ人クルーには
”true grit”(真の勇気)と書かれた蓋付きマグが手渡され
これで誰も”シンガー・レモン”と間違わずに呼ぶようになるはずだ。
別のオランダ人クルーが走らせていたノックスは、一発死んで3気筒のまま
しばらく走り続けていたものの、終盤に来て別のシリンダーが”共食い”状態となり
まさかの2気筒走行を強いられていたが、これがしばらくしてまた3気筒に復活。
ギクシャクとうさぎ跳びのように走りながらも何とかパリに辿り着きこれまた敢闘賞に輝いた。

同じく”真の勇気賞’に選ばれたのは、
モンゴルの砂漠で3日間彷徨い続けたスパーリング夫妻組。
遅れを取り戻すために、ウランバートルから北に向かって
本隊が通った時よりも悪いコンディションの中を南シベリアま
で走り続けたロバーツ夫妻組。
最古参となる1903年製の9リッター・メルセデスを駆って
本隊に追い付く為に一日に900km走ったかと思えば、宿に行く時間がもったいないからと
ロードサイドにテントを張って野宿をし、翌日も700kmを走って追い付くも
途中で居眠り運転をして牛と衝突してしまい、ラジエーターの修理を強いられて
また本隊から遅れてしまったティム・スコット(しかも大歓声)。
そしてデインジャーフィールド夫妻組を助けるために
自らのゴールド・メダル資格をフイにしたクラリッジ夫妻。

表彰式には参加せず、会場の外の通りでにいた
アイヤー夫妻にもトロフィーが渡された。
”真っ黒に汚れて、疲れ果てて、もううんざり・・・”と
式場内に入らなかった理由をこう語る、夫のディヴィッドは
警察の嫌がらせでメス市の留置場に一晩放り込まれたりと散々だったが
とにかく無罪放免となったようだ。

コンクール・アウォードは、タルボットで堅実なパフォーマンスを披露し
人々に感動を与えたダニエル・ワード、小さなローバー・12を駆った
プレン夫妻組、そしてダーク・レッドのランチャ・アウレリアで走った
マークス夫妻組がそれぞれ選ばれた。

このイベントは、いくつもの新境地を開拓した。
ヒストリック・ラリーで初めてのモンゴル・ロシア縦断。
1907年当時とほぼ同じ悪条件の下、我々は走り抜いた。
中には時折酷い砂漠の波状路に出くわした時、”こんなの昔には無かったのだから”と
今回の方が条件が悪いと嘯く者も。

燃料、水、食料、後方支援、4つのメディカル・チーム、
同じく4つのモバイル・ワークショップ・・・これらのサポート隊が
300人ものエントラントが必要とする場所へ、時間に追われつつも迅速に移動する毎日。
リザルトは毎夜発表され、スタート順も毎朝電報用のアンテナに貼り出される。
インターネットにも毎日、何十万ものアクセスに応えるため
何かしらの更新がUPされ続ける。

32人のオフィシャルたちは各々が同じ道を走り、各々の責務を果たし続ける。
そしてロシアを過ぎると、素晴らしいサプライズが・・・
バルト三国やポーランドでは、数百人ものボランティア・スタッフが
片田舎のこれまた素晴らしくスムーズなダートでのSS運営を手伝ってくれた。
この”5デイズ・イン・5カントリーズ”は、何よりも嬉しい誤算だった。

マイナス面の話をするなら、やはりロシアの国境だろう。
入国時にはあんなにスムーズで丁重だったのに、一体何故
出国時に車一台あたり11時間も費やさなければならないのか?
しかも警察はエントラントの車を検挙し、没収が嫌なら
その場で法外な反則金を払えと脅してさえきた。

「そのアストン・マーティンは、ジェームス・ボンドのと同じものか?
ならば貴様の罰金は100万ルーブルだ・・・」

これは実際に起きた話である。

他にも酷い目に合わされたり、罰金や大幅な遅延を受けたりして
ラトヴィアに入ってすぐに用意されていたスペシャル・ステージを
ふいにしてしまった者が続出してしまい、ここをキャンセルせざるを得ない状況に。
運良く2時間以内で早い内に国境を通過し、SSをちゃんと走った者たちは
なんて素晴らしいコースなんだろうと、皆ベタ褒めだったというのに。

ハイライトと言えば、モンゴルでの峠越えは忘れられない。
見下ろす何も無い広大な草原、そして地平線の小さな点。
ライバルたちの巻き上げる埃が立ち上るトレイル。
それからビバーク夜毎の温かいスープも忘れられない。
風が強くてなかなか仕舞えなかったテント。
何台もの車が水の餌食となった渡河。
そして果てしなく、本当に果てしなく何処までも続く
絶景の中の、本当に何も無い道。

日常から離れ、新聞もTVもニュースも
何も無い生活を過ごすのには役に立った。

夢のような時間を一ヶ月以上も過ごした後では
いわゆる”日常生活”の轍に戻るのも容易くない。
バルコニーのレールから干しておいた靴下を取り込むのを忘れたり
朝食のロールパンをお昼ごはん用に慌しく持ち去ったり
最初のエントラントの車が来る前に道に出たり・・・
これら一連の動作が、もうほとんど”条件反射”のようになっていた。

ラリー・オフィスまでの道程には
避けるべき穴ぼこの一つさえ、路面には開いていなかった。

なんてさえない日常だろう・・・!?