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DAY35 (08/01/17掲載)
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「時のはざまに」

2千人を超える観衆が、プラセ・ヴァンドームでのゴールまで通り沿いにずっと並んでいる。
フィニッシュ・ラインを跨ぐようにして、リッツ・ホテルの対面に設置されたランプは
昼までに準備が整い、全ての人がパーティー・モードに切り替わった。
旗が振られ、シャンパンの栓が飛ぶ。
昨晩のもてなしの後で、アンリオは各カテゴリーの優勝者に
マグナム・ボトルを振舞ってくれた。

太陽が黄金色に輝いた。

35日前にスタート・ラインを超えた全128台中
大体105台ほどの車がここでゴールを迎えた勘定になる。
しかし、ここに来て2台が未だ行方不明…。
#10の1917年製パッカード・スリム・トゥインを駆る
オーストラリア人のクレモンス夫妻は、ここゴール地点まで辿り付く事が出来ず
オーガナイザーにも何の連絡さえないし、スイープ・カーですら
そのV12・8リッターのエンジンを搭載した黒いパイオニア・カーを見なかったと言う。
このままでは、せっかくのブロンズ・メダルを逃してしまう…
そう思った矢先に、タイム・コントロールがあと数分でクローズしてしまうというタイミングで
ようやくゴールに姿を見せ、周りをほっとさせた。
それよりも#1のアイヤー夫妻だ、真紅のイタラは今日も音沙汰無しのまま。
我々はこの件について、あまり多くを知らない。
もしかしたら、メスの警察署の牢屋の中で一晩過ごしているのかも。
とにかく事故や犯罪の情報は何も届いてないのが不幸中の幸いか?

そんな時、いいタイミングで
パリの警察署長が我々の晩餐に参加していたのを発見。
ちょっとお願いして確認の電話を入れてもらったところ
あろう事か、所轄の警察官はイタラ・クルーの態度の悪さにキレてしまい
予想したとおり、現地で足止めを食らったままだそうな。
それにしても、ただの道を外れた車に対しこんなひどい仕打ちがあるだろうか?
何より驚いたのは、このご時勢、この近代社会において
アイヤー夫妻に電話連絡の機会さえ与えられなかったことだ。

1907年当時にも、イタラを追いかけていた
ダッチ・スパイカーのゴダール氏は、些細な抵抗を示したせいで
パリのゴール目前で牢屋にブチ込まれたという。
歴史というのは、どうやら繰り返したがる習性があるようだ。
100年経っても、ドライバーは同じような厄介事に巻き込まれている。
イタラはパレードの先頭で姿を消したのだ。

昼下がりまでシャンパンの栓が弾ける音が響き渡り
ラリーの車はすべて、プラセ・ヴェンドームに並び終えた。
クルーたちは皆、夜のパーティーの用意に取り掛かり
イヴェントのフィルムや、70を超える壮大なトロフィーの準備も始まった。

人々は皆、”次のラリー”について話している。
本来ならこのイヴェントは”今回きり”で、続編の予定はスタートまでまったく無かったのだが
パリに到着して気分がだんだんと高揚する中、北京−パリ間で最後の未走破区間;
シルクロードの”〜スタン”な国々巡るルートが頭に浮かんできた。
我々は以前、トルクメニスタンやウズベキスタンには足を運び
7年前に開催した”80日間世界一周ラリー”の際に感じたのは
この一帯は、多分世界中で一番美しいルートなのではないかということだ。
もっと距離が短くて快適な競技をお探しの方には”アフリカン・サファリ”がお薦めだが
来年に開催となる予定のこちらの方は、出走台数が25台までと限定されている。

しばらくすると、ジェラルド・ブラウンの写真と
私(シド・ステルヴィオ)の文章に加え、すべてのリザルトが明記された
”北京−パリ フル・ストーリー”がヴェローチェ社から夏の終わりに発刊される予定だ。

サイン・オフをする前に一言だけ。
我々より少しだけツイてなかった人々に勇気付けられたり応援されたりしながら
世界の僻地を巡るラリーは、そのお礼として何かを残していくべきだと思う。
日々の暮らしは厳しいけれど、ドアにゼッケンのついた車を応援したり
国際ラリーのドライバーと直に触れ合うことで命が輝いたりする人々に
我々は何かしら手を差し伸べることが出来るはずだ。
今回のようなイベントは、何かを元に戻したり
恒久的なメッセージやリアルな貢献のような、ポジティヴな何かを
置き土産にすることが出来るのではないだろうか。

これらの理由をもって、我々は今夜
エンデュランス・ラリー・アソシエーションによる試みとして
モンゴルはウランバートルの恵まれない子供たちへの寄付を発表します。
かの地では、下水管の中で暮らす子供たちの姿が見受けられ
我々はここにいるクルー全員に、たとえ今後どれだけの額が
クレジット・カードの請求書に記されるとしても
もはやガタピシのポンコツと化した自慢のヒストリック・カーを
元のコンディションに戻すのに、どれだけの額が掛かろうとも
今この場で寄付を募りたいと思います。
この件については現在、国際的援助のきっかけとなる役割を担うべく
英国大使館とも話し合いが持たれています。
既に個人ベースでは数々のチャリティが進められていて
25万ポンドを超える額の基金が集められています。

モンゴルの子供たちを救うことは、その規模の大小にかかわらず
我々が行うことの出来る継続的な活動の一つです。
もし、我々の提案に賛同いただけるのであれば
私シド・ステルヴィオまでEメールを送ってください。
頂いた寄付は直接、モンゴルのチャリティへと送金されますが
使途は我々が責任を持って監視します。

今日はここまで。
我々はこれから、ヴェルヴェットと金箔のゴテゴテした飾りに囲まれた
グランド・インターコンチネンタル・ホテルのパーティー会場へ
740人の参加者と共に駆けつけるところだ。
「北京−パリ」のHPに記事や写真をUP出来るのは
おそらく今夜が最後のチャンスだろう。
我々が遠い遠い場所から綴ったレポートを
これまで皆さんが楽しんでくれたことを願うよ。
まぁ、物の数にも入らない文章ばかりだけど・・・

「バック・トゥ・ザ・フュ−チャー」

帰りの旅路は、大空の下に広がる何も無い広大な高地や
まるで農場のトラックが家まで戻るような道とは全く無縁の
我々すべてにとって、なんだか淋しい道のりだ。
固い友情で結ばれたドライバーたちは、全部で25ある
それぞれの国へと去っていった。

「我々はまるで戦友のようだ。
 ただのクリスマス・カードを出し合う仲なんかじゃない。
 中国からの長い旅の中で、価値観や生き様が変わるような
 体験を共有してきたのだから」

このホテルの部屋は、すべてがとても贅沢だ。
巨大なエジプト綿の枕・うず高く積まれたミニ・バー
TVには、もう何週間も目にしなかったニュースのプログラム。
でも、このラリーを経験した後では”閉所恐怖症”気味で息苦しささえ覚える始末。
日常生活に戻るのは、容易じゃなさそうだ。

僕はどうするかって?
まず家に戻ったらまったりとして、それから裏庭にテントを張るでしょ。
パックしないでそのまんまの、外モンゴルの汚れが染み付いた寝袋を出して
お供はアーサー・ランサムの”ツバメ号とアマゾン号’みたいなカンジかな?