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DAY27 (07/10/22掲載)
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「所変われば・・・」

「今まで目にした中で、最良のラリー・デイだ・・・本当に素晴らしい」
1927年製のベントレー・スピード6を駆るバート・カーステン氏のナビゲーター
ファンデンドゥール氏は、今日のコースをこう評した。

夜になると、バーではエントラントたちが同様の賛辞を口にしている。
「北京を出発してから一番のリアルなラリーだった」
前出のダッチマンは、さらにこう続けた。
「今日より上手にオーガナイズされてた日を思い出せない。
 道は見事な上に飛び切りの景色のボーナスまで付いてきた。
 しかも本物のエキサイティングな競技まで楽しめたんだから」

皆の口から不平不満しか聞くことの出来なかった、あの悪夢のようなロシアからの脱出。
警察官の嫌がらせとカタツムリのペースでしか動かない国境警備隊の仕事振りは
誰もが”忘れ得ぬ”思い出となったに違いないが
うんざりするような事だらけの昨日から一転、まさに”地獄から天国”とはこのこと。

我々はタリンの街を出発し、ラリークロスに使われるサーキットに向かった。
そこはリデン・ヒルズというよりもブランズ・ハッチ(いずれも英国のサーキット)
のコースが穴ぼこだらけになって勾配が付いたような感じで中央には池が設けられ、
それを周回するかのようにコースが造られている。
路面は細かい粒子の埃っぽいグラベルで、
ルース(オーバーステア)でコーナリングを操れるドライバーたちは
ヘアピンで車を真横にドリフトさせ、はしゃぎながら走っていた。
このサーキットSSは、初めてエストニアを訪れた我々を熱烈歓迎してくれた
あの地元のモーター・クラブによって素晴らしくスムーズかつ円滑に運営されたが
これはほんの序の口に過ぎず、この後もいくつもの森林コースを走り
別荘地や小さな村では、地元の人々がトラクターや玄関先に腰掛けて沢山の声援を送ってくれた。
全てのゲートや脇道には人が配置されてコース・クロースドが徹底され
参加車両中唯一の4WDである#104、ナイジェル・チャリスのランド・ローバーが
追いついて来た#85、ハビエール・デル・マルモルが駆る
1937年製のかっとびシボレー・コンバーチブルに道を譲る際に
運悪く柔らかい泥の土手にタイヤを取られて立ち往生し
傾いた車の運転席側ドアが楢の木の幹に押し当てられて
ニッチもサッチも行かなくなった時も、救援要請はケータイで即座にOK。

エストニアは、ラリーの何たるかを分かっている。
この地で我々が受けた歓待とサポートは、ただただ素晴らしかった。

リザルトには動きがあった。
昨日のSSは結局、多数のエントラントが越境にてこずって間に合わなかった為
キャンセルにせざるを得なかったが、今日は誰の口からも文句は出ず
まさに何百ものマーシャルが適所に配されてつつがなく行われた
ラリーの余韻が醸し出す雰囲気と連帯意識はすこぶる良好なものとなった。
ヴィンテージ・クラスを支配し続ける2台のシェビー・クーペ同士の差は
#85、ハビエル・デル・マルモルの猛追により7分にまで縮まったが
片や#88、デヴィッド・ウィリアムスのファンジオはガタピシと嫌な音を立て
あまり調子が良くないようだ。
クラシック・ディヴィジョンでは、フィンテールのメルセデスとジャガー・マークIIが
とても楽しそうなひとときを過ごし2台のアストン・マーティンは、
ハンドルがフル・ロックするほどの
どぎついカウンター・ステアでエンジンの咆哮を響かせながら
嬉々としてラリークロス・サーキットのコーナーを駆け抜けていた。
#35、アルヴィスのドイツ人チームはここでカテゴリー首位の座から陥落し
#87、ポール・メリーウェザーのシボレーも同様に3位から1つポジション・ダウン。
代わって#69のダービー・ベントレーを駆るポール・カーターが
テストの2周目でコース確認のために車を止めてマーシャルに尋ねるというミスを犯し
貴重な数秒を無駄に費やすも、リザルト上では躍進を見せた。
”分割”や”ルート変更”が含まれるサーキットでのタイム・アタックでは
幾人かのエントラントたちがこの”罠”に足をとられるかたちとなり
いくらクローズド・コースとはいえ、ドライバーの技量だけでなく
ナビゲーターのアシスタンスも成績の良し悪しに寄与することが
図らずも証明される結果となった。

1937年製ライリー・スペシャルの#67、ロイ・ウィリアムスは
今日なかなか調子のいい走りを見せていたが、それでもヴィンテージ・クラス10位。
SS中にオフィシャルにコースを尋ねた前出のポール・カーター然り
エストニアの一日は、”珍プレー好プレー”の連続でもあった。
総合17位につけたのは、おおよそ競技に一番似つかわない車の一台
#36、ディ・フェランティ夫妻の1936年製ロールス・ロイス
”ドクターズ・クーペ”が躍り出た。

リタまでの夜のリエゾンでは、#61のゴードン・フィリップスが
1929年製のベントレー・ルマンをオーバーヒートさせないよう
絶えず走行風をラジエーターに当てるためにジグザグと切り返しながら進み続け
#120のスパーリング夫妻が乗る1953年製のモーガン・プラス4は
ボンネットが開いた状態で、駐車場の隅に追いやられている。
#63のヒュー・ブローガンは、モンゴルからのメガ・マラソンの末
今日この場所で落ち合う予定。
あと、パイオニア・カテゴリーからのニュースとしては
#14・ホルムス/コリー組の大きなラ・フランスのハーフ・シャフトが
折れてしまったとの報告が。
見も知らぬ街でアクスルが壊れたとなれば、普通でも競技続行は難しいところだが
これが1919年製の14リッターエンジン、しかもチェーン駆動の
化石のような車両だと致命傷となるのは必至、でもこの絶体絶命のピンチに
偶然通りかかったローカルのエンジニアがこの車を見かけて
「どうしたの?」と声を掛けてきた。
そしてさらに彼の工場へと案内され、明朝の出発までには
鉄の塊から新しいアクスルを削りだして直しておくと約束された。
こんな話、北京−パリのラリー中でもなければ俄かに信じがたいが
町々で出会うエンスーなメカたちの手によって、結局何だかんだで不具合は修理され
クルーたちはまた次の目的地へと出発していくのである。

たった一日違うだけで、この変わり様は何なんだ?
ロシアを抜け出す際に味わったフラストレーションは、もう遠い過去の話だ。
明日もまた、ここからポーランドまでの行程の中でベストなラリー・ルートが用意され
イギリスからの応援マーシャルたちが沢山のSSやタイム・コントロールを切り盛りする
1インチ毎に時計に追われるような、忙しい一日が我々を待ち構えている。

明日は入賞圏内のエントラントにフォーカスしてみよう。
現状でゴールド・メダルに手が届きそうな者はほんの一握り。
そんな彼らにしても、この成績を保ちつつパリまでの残りの距離を車を労わりながら走り続けることの難しさに、これから段々と頭を悩ませる事となるのである。