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No12(03/06/19)
No13(03/06/19)>>
DAY12 (07/06/18掲載)
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荒鷲の要塞 ・・ Where eagles dare
モンゴル最後の日は、残雪が筋になって僅かに残る山々の間の峠を超えながら
300kmちょっとの距離を快適な舗装路での移動。
気の遠くなるような素晴らしい景色を堪能する、素晴らしい一日となった。
そしてまた、何度も川を渡る極上のアドベンチャーも。
手練のクルーたちは静かに川の中へ進入、極力波を立てずに
歩くほどのペースを一定に保ちながら事も無げに向こう岸へ辿り着くのとは対照的に
まだ経験の足りないその他の者たちは、勢い良く突進して
フロントガラスをビショビショにするほど水しぶきを跳ね上げてしまうが
誰もがこのチャレンジを心から楽しんでいた。
今日のビバークで、テントと寝袋の野営とはオサラバとなる。
ここまで賄いを担当してきた、20名の優秀なシェフたちで構成される
ケータリング・チームからも、野菜スープとパスタが
彼らの‘グランド・フィナーレ‘として共された。
タルボットを駆るベテラン、ダニエル・ワードは
この日の感想をこう綴った。
「今日のルートは人生最良のドライブだったよ、最後のヒルクライムを終えて
見下ろす丘の向こうの景色、長いダスティな道が広大な草原の中を蛇行しながら
遠くにあるビバークまでずっと繋がっているのが見渡せるんだ。
驚いたと同時に息を呑んだよ、‘壮大‘って言葉だけじゃ足りないくらいだ。」
10年前の‘北京−パリ‘では癌撲滅のチャリティを掲げて走り
25万ポンド以上の基金を集めたジェリー・エイチャーは
今日の行程で、悪夢のような先週のトラブルがすべて帳消しになったと語った。
クラシック・カーのウインドウ・スクリーン越しに見る
この素晴らしい景色は一生忘れられないだろう、とも。
我々は今、国境の街・ツァガンノールの外れにある
山から冷たい風が吹き降ろす草原のビバークでテントを広げている。
この‘鷲のキャンプ‘周囲は寂れているが、それでも我々の需要に
応えてくれそうな修理工場が何軒かある。
#118・女性チームのサンビーム・レピアは、ビバークに到着する直前に
前輪が外れてしまうアクシデントに見舞われ、このことで
クルーたちはとても困った様子だったが、トラベリング・マーシャルのアシストで
キング・ピンをこしらえて貰い、車がまた走れるようになってほっと一息。
#14、ホルムス/コリー組の1919年製ラ・フランスは
14リッターの巨大エンジンより後輪に動力を伝えるチェーンに
どうやらグレムリンが悪戯をしてしまったようだが、シリアスな問題ではなさそう。
(※ グレムリン:飛行機・車・機械などに突発的, 不可解な故障を起こすという
目に見えない子悪魔のこと)
オーストラリアのラリー・チャンプ、ジェリー・クラウンは
デフを岩にぶつけて壊してしまい、致命的なトラブルを抱えてしまった。
= = = = = = = = = = = = = = = =
このレポートに綴っている内容は、すべてのクルーから
前日に聞いた内容に基づいており、現時点で全員の無事は確認されていますが
個人的なクルーの情報についてはラリー・オフィスではなく
クルー本人の携帯するサテライト・フォンに直接電話をして下さい。
ただしここ数日は連絡を取ることが非常に難しくなってます。
あと、我々はイギリスよりマイナス8時間の時差が有ります。
DAY10 (07/06/18掲載) (NEW!!)
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高原のドリフターズ(流れ者たち)
あと430kmでロシアとの国境、残り少なくなったコマ図を頼りに
少しずつその距離を縮めていく。
石がゴロゴロの波打つダートを飛び跳ねながら
タフでラフで容赦の無い道程を、朝日を背中に受けながら西へ西へとひた走る。
今日の目標は、広大なモンゴル大草原を突っ切ることだ。
ホブド郊外の川原に設けられたビバークは沢山の岩が散らばっていて
テントのペグを打ち込むのがややこしかった。
’負傷兵’たちは街の小さな工場へ駆け込み、ゴムの塊から
ユニバーサル・ジョイントを削り出してしまうような器用さの恩恵に与った。
溶接の必要な何台かの車は汚れた中庭での作業となり
#16、ラーキンス/ロング組は黄色いサンビームのショックのマウント
#63、ブローガン/スティード組は白いフォードV8の割れたラジエーターが
どろどろに溶けたメタルでそれぞれ修復されていくのを傍らで眺めている。
いずれも修理が終わり次第、本体に復帰予定。
#19、ティム・スコットの1903年製9リッター・メルセデスも
ここでお世話になった一台で、燃料タンクの穴を塞いで圧を復活させた。
#29のシボレー、#72のラ・セール、#32のベントレー
#62のクライスラーもショックマウントの溶接を受け
#38、ナイジェル・ガンビアのラゴンダはスペアホイールの
マウントを手直しされた。
日中には2台のパイオニア・クラスのモンスター、ラ・フランスと出くわし
うちマルコム・コリーの赤い車両の方は、マグネトーの進角具合に
やきもきしながらも、何とかまた自力で走っていった。
クリスプ/マウワー組のシトロエン・ロードスターは
トラック・コントロール・アームが破損してしまい救援を要請したが
路肩の修理で対応可能な範囲で事なきを得た。
もっと深刻なのがランチャ・アウレリアのオイル漏れで、こちらは牽引でビバークへ。
フェランティ組の大きなロールスはサスのコイルを他のクルーに寄付したせいで
自分たちがまるで足を引き摺りながら走っているようになってしまい
このままではコイルを返してもらわないと具合が悪そうだ。
冠雪した山々に囲まれた広大な砂だらけの潅木地帯を横切る
長いハードな一日だったが、痛んだ車を労わりながらの走行を強いられたり
今になって事前の準備不足が堪えたり、という事に無縁のクルーたちには
きっと今日のモンゴルも気絶するほど美しかっただろう。
明日は最後のテント泊、そしてロシアとの国境を越えれば
寒さに凍える夜はもう来ない。
DAY9 (07/06/18掲載) (NEW!!)
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ダンス・ウィズ・ウルヴス
聖書の一節のような夜明けが来た。
このモンゴルの広大な草原を取り囲む、暗い丘陵の稜線が明るい光に包まれ
40日間の放浪へと追放された一行は凍える夜の終わりに
円錐形のテントの中で目を覚ました。
朝5時を迎え、オレンジ色の空の下
日が徐々に昇るにつれ、丘は深い紫色から濃い茶色へとその姿を変えていった。
天幕の調理場からは発電機の低く唸る音が小一時間ほど鳴り響き
興奮した河原の雁が奏でる朝一番のコーラスと併せて
クルーたちを眠りから呼び覚ますのに十分な賑やかさだ。
雁が朝からこんなにもやかましいのには理由がある、狼だ。
灰色の大きな一頭が向こう岸の堤を駆け下りてこちらを見据え
彼らの縄張りを占領している我々の見慣れないキャンプサイトの様子を伺っている。
もし自分が狼だったとしても、この雁の鳴き声と発電機の騒音に加え
風に乗って鼻に届くベーコンの強い匂い、この「三位一体」の攻撃で
きっと好奇心が剥き出しになってしまうに違いない。
でもこの年をとった大きな狼は、ラリードライバーたちが相次いで
テントから頭を出すのを見ると踵を返し、草原へと消えていった。
今日も400kmの行程、路面の表情は昨日より幾分穏やかだがダートだ。
丘の長い坂を駆け上がって最初のSSがスタートとなる。
丘陵地帯をクネクネと走るルートだ。
2つ目のSSはもう少しキツくて、過日の「砂まみれコース」と
同じ種類のステージだが、丘の頂上まで上った後に見下ろすと
広大な草原に向かって蛇行しながら進むグラベルのあちこちに前走車の砂煙が立ち
この先ルートがどうなっているかの良いヒントとなる。
大きな音を立てながら、我々は皆モンゴルを横切って行く。
2度目のSSは、ちょうど渡河の手前がゴールとなる。
ある車はあと少しでチェッカー・フラッグ、という場所でスタックしたりするので
オフィシャルが牽引ロープとスコップを持って待ち構えている。
渡河は違う種類の挑戦であり、ちゃんと防水処理などの準備をしてきた者たちは
対岸で手を振る観衆を無視してステディかつ静かに川へ進入
そのまま一気にアクスルまで水のかかる急流を突っ切っておしまい。
他の者はドブンと水中に飛び込んでエンジンルームをびしょびしょにし
そして「彼らは何で2気筒で走ってられるんだろう?」と不思議に思うのである。
アストンマーチン・ラゴンダを駆るボブ・ファンテインは
川に飛び込んだ際にエンジンルームに進入した川の水が
チンチンに熱くなったアスベスト製のエキゾースト・マニフォールドに掛かり
急激な熱の変化で破損して排気音が爆音と化してしまい
最新の’要救援車両’となってしまった。
他にもスパーリング組のモーガンはサスペンションのコイルが折れて
半分になってしまい、草原で一夜を明かす羽目となった。
リバノス組の2台の6、5リッター・ベントレーは両車ともビバークまで
辿り着いたものの、共にラジエーターの側から水が噴き出している。
メリーウェザー組のファンジオ・クーペはSS中にタイヤがパンク。
ヴィンテージ・クラスのリーダー、デーヴィッド・ウィリアムスは
緑色のファンジオ・クーペをダッシュで街の鍛冶屋に持ち込み
壊れたリアのショック・マウントの修理をしている。
他の者もゴーグル無しで溶接できる熟練工のもとに駆け込んだ。
赤いジャガー・MKUのリチャード・ウォーツは
午後にサスのスプリング・ハンガーがを壊れたものの、さほど酷くは無い様子。
ロバーツ組のサンビーム・アルピネもサスを傷めてしまった。
サンビーム・レピアの女性チーム、リード/ウェインライト組は
これまでとても順調に来ていたが、今回はSSで砂に嵌ってしまい
しかもパンクまでして貴重なタイムをロスしてしまった。
ジーン・シュタインハウザーはゴールまであと20kmという所で
ラ・サール・カブリオレのウィッシュボーン(サスペンションのメンバー)を
壊してしまい、牽引ロープのお世話になってのビバーク到着となった。
もう一台の’被牽引車’となったのがダンクレー組のベントレーで
粗悪ガソリンのせいでキャブの不調が続いたのが原因。
ジョン・ヒックマンのアルビスはスプリングが破損してしまったが
現在トニー・フォークスのトーチライトによって補修作業中。
もしこれら一連の事象を’ハードだ・・・’と思う人がいたとしたなら
最後に#8のドライバーについて少々。
スパルタンな2シーターの1916年製ランチャ・スペシャルを駆る
アメリカ人ドライバー、ジャン・ヴォボリルは何と隻腕で
しかもいつも笑顔で現れる。
彼のナビゲーター、リック・ムースは数日前に彼の元を立ち去ってしまい
今では運転からナビゲーションから修理からすべて1人で切り盛りする毎日。
‘必ず2人組で走らなければならない‘というラリーのレギュレーション上
すでにリザルトに名前が残らなくなってはいるものの
そんな事はすでに彼にとって些細なことだ。
パリへの‘いばらの道‘を進むか、これまで走ってきた道を引き返すか
もうそれだけしか彼の選択肢が残されていない今
果たして‘腕一本‘でこの大陸横断を成し遂げることが出来るのか?
今日のビバークは標高2,200mの地点に設けられた。
これはイタリアとスイスの国境に跨るステルヴィオ峠とほとんど同じ標高だ。
(でも実際のステルヴィオ峠の標高は2,758m・・・)
恐らく今夜も今までに無い位冷え込むことだろう。
SSの無い、シンプルなリエゾンのみの明日は気楽な1日になるだろう。
一息ついて、普段より多く修理をして。
あと2日でいよいよロシア、でも彼の地のターマックは如何に!?
DAY8 (07/06/14掲載)
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今日のルートはカラコリンからバヤンホンゴルまでの南西に走る400km。
草のそよぐ川の土手に設営されたビバークへ、夜には辿り着けるだろう。
途中の200kmは岩がゴロゴロで轍だらけの草木の無い不毛な砂漠地帯で
時々ルートを外れて脇の道を通りたくなるほどの荒れ様に
ドライバーもナビゲーターも細心の注意を求められた。
グラウンド・クリアランス(最低地上高)の乏しい車には特に厳しかったようで
多くのヴィンテージ・クラスのクルーたちは大変な思いをしたようだ・
どこまでも続く砂丘のうねりを1つづつ丁寧に超えて行くと
そこには無情な冬の残留物が・・・一同は驚きに包まれた。
1930年代にミシシッピーの大草原を横断するために造られた
アメリカ製の車にとっては大した障害ではなかったが
他のクルーたちはここでかなり奮闘したようだ。
この日、結構な数の車にサスペンションやシャーシの問題が発生し
クルーたちも相当堪えたようだった。
風の絶えない河原でのテント設営も想像していたより大仕事で
凧のように膨らんで飛ばされそうになるのを抑えながらの作業はストレスが溜まり
日が落ちて一層風が強くなると、さらに難易度がUPした。
何台かの車は牽引されてビバークに辿り着いた。
ヒックリング夫妻の大きなMG・SA・ツアラーは
ヘッド・ガスケットが抜け、明日のスタートまでの修理を願う。
今日は2つの計時区間が組み込まれた。
最初のSSで最速だったのがマイケル・パワーの
ヴォグゾール・プリンス・ヘンリーで、2位だったウイリアム・ホルムスの
ラ・フランスに4分の差をつけて再度のステージ優勝だったが
とてもスムーズだった第2SSではこの順位が逆転
ホルムスが16秒差でパワーを退けた。
熾烈だったのがヴィンテージ・クラスの争いで
ウイリアムス組のグリーン・シェビー・ファンジオ・クーペが
ロッキーで轍だらけの第1SSで果敢な走りを見せたものの
クラウン/ブライソン組の大きなビュイックもまったく同じタイムで走破。
ともにベストタイムを叩きだしたメリーウェザー組のシェビーに
たったの1秒遅れという混戦模様だった。
ダートのダウンヒルとアップヒルの組み合わせとなった第2SSでは
各車とも先程のSSよりはスムーズな走りを見せた。
デル・マルモル/ジャンシーン組のシェビーがマークした9分45秒が
ベストタイムで、続いてデビッド・ウイリアムスの10分03秒
ポール・メリーウェザーの10分08秒、ゲリー・クラウンの10分17秒。
他に目立ったのが、僅か933ccの排気量しかない小さな1934年製の
シンガー・ルマンのたたき出した12分36秒で、このタイムは
何台かのベントレーを凌ぐ物だった。
このタイムは当該クラスのベスト10圏内、SSの内容がシリアスになるにつれ
クルーのオランダ人コンビには都合がいいみたいだ。
クラシック・カテゴリーではステープル/ケネディ組のVWビートルが
まるでBAJAバグのような走りで難所を飛ぶようにいなし
第1SSの通過タイムが13分25秒。
ハンス・ぺテル・リンデルのフィンテール・メルセデスは
ヴィンテージ・クラスのシェビーに僅か数秒及ばず13分59秒。
このクラスでも第2SSで形勢が逆転、メルセデスが10分30秒で
ビートルが11分02秒だった。
ワースト/シャックルトン組のジャガーは
トム・ヘイズのスチュードベイカーと共に順調な一日を過ごしたが
女性だけのクルーで構成されたサンビーム・レピアのチームは
この日胸のすくような快走を見せて周りをあっと言わせた。
そのレピアは岩を飛び越え小石を蹴散らし、泥沼をはね散らかして
第1SSが17分54秒、第2が12分12秒と
これまでよりも進化した走りを数値で表せて見せた。
今日もハードな一日だったけど、風景は間違いなく絶品だ。
ダートのトラックを横切りながら草を食むヤクと馬の群れ。
白い雪に包まれた南方に連なる山々の稜線。
青い空の下、どこまでも続く道。
所々に見え隠れするマディは、初夏の太陽が
この地にもようやく訪れたことの証だ。
この日のランタン・ルージュはスパーリング組のモーガンで
車の見た目はボロボロだが、中の疲れ果てたクルーよりも元気そうだ。
どうやら今日は負傷兵が多数いるようで、我々は午後にステアリングを壊した
#97・テリスタ・アギラルのシボレー・クーペの帰りを待っている。
荘厳とした不毛地帯と美しいランドスケープの中
クラシック・カーを走らせる喜びを噛み締めつつの
今日もまた、長くてラフでタフな一日だった。
DAY7 (07/06/12掲載)
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休息日明けの今日、人車共にリフレッシュとなった我々は
ミリタリー・バンドの壮麗な演奏に見送られての
ドラマチックなリ・スタートを切った。
ここで筆者(シド・ステルビオ氏)が#1のイタラの助手席に乗せろと強要する
市長と小さい赤ちゃんのために一肌脱ぐことに。
これにより、自分の居場所を奪われたカレン・アイヤー夫人は
支持者の為のパフォーマンスはこれくらいで十分、と市長が判断するまでの間
長い革のトレンチ・コートとニーハイのブーツという姿で
広場の反対側までとぼとぼ歩く羽目となった。
何千もの人だかりが車の周りを取り囲み
ある種カオスと化したウランバートル中心部よりの朝のスタートとなった。
ギアボックスを修理していた亡霊は彼方に去り
1930年製のアルビスのためにクルーは引き続きスペアのガス缶を探し
#2のイタラを駆るターナー/ハートレー組は何だか寂しそう。
この大胆不敵なペアは現在、鉄の塊からワンオフのクランクシャフトを
削りだすことが必要となってしまった。
後輪のアクスルが曲がってしまったことなど、このエンジンの災難に比べれば
些細なものかもしれない。
「我々は必ず帰ってくる」
どうやらクランクシャフト調達の目処もついたようだ。
そして100年前のシャルル・ゴダールによるスパイカーの走りよろしく
彼らは史上最もヒロイックな追い上げのプランを練っている。
街を出ると、道は快適な舗装路が広大な草原の真ん中を突き抜け
いよいよ‘選ばれし冒険者たち‘の行程が始まる。
遠くに見える地平線を目指して丘を下りまた上ると
さらに向こうの地平線が次の丘の向こうに広がり
空は晴天で気温の上がる中、この気持ちの良いクルージングを
五感すべてで受け止めながら走る。
我々は朝のバスが一台すれ違うだけの大通りで左に折れ
そして路面の穴ぼこが細かい埃で埋まっているような悪路の広大な平野へ向い
SSへと進んでいった。
計時によると、#18・1923年製ヴォグゾールのパワー/グリーン組が
パイオニア・クラスでベストタイムを叩きだし
ランナーアップのブラウン/スティーブンソン組・ロールスロイスに
6分28秒の差をつけた。
ビンテージ・クラスでは
#88・ウイリアムス夫妻の1938年制シボレー・ファンジオ・クーペが
18分20秒のベストタイムをマーク、16秒差の2位には
同型車種の1937年製シボレー・コンバーチブルを駆る
#85・ハビエル・デル・マルモルがつけた。
以下は#87・メリーウェザー夫妻のファンジオ・クーペ
オーストラリアの巨匠、#93・ゲリー・クラウンの
1940年製ビュイック・4L・ストレートエイトと僅差で続き
#69・1936年製のベントレー・ダービー・4,25は
走破タイム22分50秒で‘本日のベストベントレー賞‘に輝いた。
クラシック・カテゴリーでは
タクシーライトをルーフにつけた洒落た‘タクシー仕様‘の
#132・1966年製メルセデス・200サルーンを駆る
リンダー/ウィースト組が18分41秒の走破タイムでトップ。
ワーツ/シャックルトン組の#129・1961年製ジャガー・MkUが22分45
秒。
ヘイズ/ヴァン組の#111・1951年製スチュードベイカー・
スターライト・クーペは途中、強烈な埃の中で立ち止まってしまい21分37秒。
彼らの飛ばした埃をモロに喰らったのが#60・1935年製
ベントレー・3,5ツアラーのダンクリー組で
そのまるでフーリガンのような悪態への抗議の意味でリスタートを拒否したほど。
今日は素晴らしい一日となり、我々は全員が途中のGSに到着し
ビバークでちゃんと夕食にありつくことに燃えていた。
ここでちょっとした小競り合いが発生、クルーたちは皆80オクタンガスの
チケットを支給されていたが、この僻地のGSには何故か
‘93オクタン‘の表示があるポンプがあり
これを見たクルーたちが色めきたって先を争う騒動に。
でも良く見ると、すべてのポンプは同じタンクの穴からホースが伸びていて
ポンプの表示が何であれ、入る燃料はすべて同じオクタン価と言うオチ。
「バウチャーは80オクタンだけ、他のは差額を払え。」
結局、この甘い誘惑に負けて僅かながら損したクルーが数名ほど。
しかし突然の砂嵐に襲われて、この補給の長い列は
あっという間に散開してしまった。l
ビバークでは熱い野菜スープ・サラダ・ローストポテトと
分厚いローストビーフが、モエ・シャンドンと一緒に供された。
この地球のど真ん中で、冷たいシャンパン以上に
渇いた喉を潤してくれる飲み物は存在しない。
本日はここまで。
我々は今、フェルトの敷かれたゲルの中でストーブを焚いている。
風が立ち始めたので、今晩は暖房が必要となるだろう。
おそらくこれまでで一番冷え込むのではないだろうか?
そのせいか、フライング・ジャケットを羽織った‘ベントレー・ボーイズ‘は
それが正しいディナーの装いのように見えた。
DAY5 (07/06/12掲載)
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まさに「想定外」
多数の未着車両と4名の‘完全なミスコース‘とみなされたクルーを抱え
オーガナイザーは捜索隊を編成して昨日のコースを逆に辿らせることを強いられた。
幸いにも数時間のうちに全車両の把握が出来たが、結局これのおかげで
この日の行程を変更せざるを得なくなり、よって計画よりも多少リラックスした
スケジュールによるウランバートルまでの移動日となった。
250kmに及ぶ、石と轍だらけの砂漠の道を過ぎれば
あとはハードだったこの2日間の疲れを癒しながら
モンゴルの首都まで続く滑らかなターマックを青空の下、200km走るだけ。
明日は待望の休息日、一息ついたら溜まった洗濯物を一気に片付けるチャンスだ。
街へ向かう途中で、タイヤやら車体やらを店の前に山積みにした
自動車修理工場のバラックが長く連なっている前を通った。
この一帯、もしかしたら今から24時間ほど忙しくなるかもしれない。
1903年製のメルセデスを駆るティム・スコットは
オーガナイザーの4WDでも嵌ってしまうような長い上り坂を駆け上がって
周囲をビックリさせたが、ここウランバートルにはトラックの荷台に乗って到着し
た。
10年前の‘北京−パリ‘にも同じランド・ローバーで走った
イギリスのナイジェル・チャリスもまた、トラックのアシスタントを
オーガナイザーに要請したもよう。
1937年製のフォード・コンバーチブルで出場のアルベルト・ホダリは
盛大にミスコースをして自力でのルート復帰がままならず
捜索隊によるレスキューを受けて残念ながらここでリタイア。
チオディ夫妻の1957年製アルファロメオ・ジュリエッタTIと
フランチェスコ・シリミナの1948年製フィアット・カブリオレは
ミスコースした先でフカフカの砂に足をとられてスタックし引き出された。
今から休息日が待ち遠しい。
DAY4 (07/06/12掲載)
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いくつかの雑多な手続きの後で、我々はモンゴルに乗り込んだ。
中国を離れてからモンゴルに入るまでの数キロに及ぶパッセージは
まるで月面を走っているかのようで、結局今日は終始こんな感じだった。
一番ラフで一番タフで一番長いステージは、もう始まっている。
岩でゴツゴツした地層、砂でフカフカの長い直線、硬いグラベル
波のように連なるギャップ、絶え間ない轍、これらがみんなまとまって
我々を迎え入れてくれた。
あちこちで交差するゴビ砂漠の道でのナビゲーションはチャレンジングで
しかも、砂漠に入るや否やすぐにSSの開始となる。
しっかりと準備の出来ている者たちにはどうってことないが
そうでない者たちにはそれなりに、過積載や重い車両には最良の
困難が待ち構えている。
我々は電信線に沿って北へ北へと向かうルートを長い列になって
まるでボルゲーゼ隊のように進んだ。
しばらくして電線と分かれて目印無しの走行となるが
遥か地平線まで続くルートには他車の巻き上げた埃が点々と見えて
我々が一人ぼっちじゃないことを教えてくれる。
GPSやルートマップなかなか馴染めない若干名のクルーたちは
コマ図を読み違えて派手なミスコースをしでかしてしまった。
このことが後々になって、オフィシャルたちに深刻な影を落とすことになる。
風は絶え間なく吹き続け、何かの凶兆のように埃を巻き上げる。
SSはもちろん、スタートまでのリエゾンですら走り応えのあるルートだが
数箇所あったコマ図の訂正をフォローするには、GPSが必要不可欠だ。
最初のSSでトップタイムをたたき出したのは
ビンテージ・クラスのシボレー・ファンジオ・クーペを駆るウイリアムス夫妻で
後続の元オーストラリア・ラリーチャンピオン、ゲリー・クラウンの
ビュイック・サルーンに4分差をつける快走を見せた。
ゲリーは10年前の「北京−パリ」でもオーストラリア・ラリー界のレジェンド
ジョン・ブライソンとのコンビで出場したが、今回のナビゲーターは
そのジョンの息子、マシューが担当している。
彼らはどんな状況下でも慌てず騒がずリラックスした様子で
このイベントに賭ける「鉄の決心」は微塵も表れなかったが
ゲリーの走りたるや現役の頃そのままで、ひとたび熱くなるや
オージーらしいワイルドな走りが丸出しになる。
本日の「頑張ったで賞」は最小の車両で健闘していた
ウィルヘルムス・ファン・ゲベルトのシンガー・ルマンで
この排気量僅か1リッターの2シーターは一日中、岩やわだちに揺られ続けて
ライトと前のウイングがブラブラになって役を果たさなくなり
この状況下での走行を心置きなく楽しんでいた様子。
クラシック・カテゴリーのべスト・パフォーマンスは
リンドナー/ワイスト組の1966年製メルセデス・200サルーンがマーク。
一日の走行が終わってビバークに着き、まず初めに取り掛かった作業は
刻一刻と激しさを増す風の中でのテント設営だった。
日が落ちると辺りは典型的な砂嵐に包まれ、ノマド・スタッフの面々が賄ってくれた
暖かい野菜スープやサラダが天幕ごと吹き飛ばされてしまう始末。
視界は1mまで落ち、まるで粒子に研磨されているかのようだった。
ペースの遅かったりナビゲーションに問題を抱えたり
日の高いうちから正しいルートを確保できなかったクルーたちは
ビバークに辿り着けないまま砂嵐の夜を迎えるという、深刻な事態に陥った。
SSのゴール地点に詰めていたオフィシャルは、十数人に上る
もうこれ以上の前進が不可能なクルー達のために即席のビバークを設置し
遊牧民の居住群近くで一夜を明かした。
メディカル・チームからは二人のドクター、リース夫妻が
砂嵐の中をオフィシャルのミツビシに乗って出かけていった。
幸いにも人的被害は無かったものの、一部の車両に深刻なダメージが続出。
2台出場のイタラは2号車が夜通し牽引されてビバークに到着
エンジンに深手を負っているもよう。
1号車は何とか自力で遅くに戻ってきたが、ヘッドライトは片方だけ薄気味悪く燈り
アクスルのベアリングに問題を抱えていた。
他のクルーたちも均しく「砂の洗礼」を受けた。
砂嵐は日付が変わる頃に一旦収まるものの、夜が明ける4時半には
昨夜ほどではないにしろ、またその勢いを取り戻し始めた。
天幕の下ではフライド・エッグやオートミールなど心のこもった朝食が
ビバークまで辿り着いたクルーたちへ用意されたが
この一番長くて一番タフなステージを時間内に消化できなかった
三十余名のクルーたちは、とうとうこれに有り付くことが出来なかった。
DAY3 (07/06/11掲載)
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我々は昨日、内モンゴルの縁に降り立ち
そしてこの謎だらけの魔法の王国に備えて先遣隊を編成した。
しかしなぜ、外モンゴルのことさえ何も知らないままなのに
内モンゴルを縦断しようとしているのだろう・・・
これはルートブックの間違いなのか?
否、我々はただ
新約聖書の黙示録にもそう記された
世界でもっとも最果ての地の一つにおいて
そうせざるを得なかっただけなのだ。
チンギス・ハーンやアレキサンダー大王らも皆
過去に同様のアクセスでこの地を訪れ、そして様々な記述を残した。
内外を問わず、ここモンゴルはラリーカーを持ち込める他の場所と大きく異なる。
1907年、ルイージ・バルツィーニがデイリー・テレグラフに寄せた
レポートによると、この広大な国の面積はフランスの約6倍
しかしイギリスのタンブリッジ・ウェルよりも舗装路の総延長は短かく
車の乗り心地は最悪だったらしい。
近年では、同じくデイリー・テレグラフのアンドリュー・イングリッシュが
ヤクの背に揺られて小道を東奔西走し、当時の様子を検証したとのこと。
夏も近い草原はうねりの続く丘一面が緑で染まり
そしてまた高台に上れば、さらに地平線の向こうまで草の海が続くあの様は
実際に目の当たりにしたものでなければ、その荘厳さは計り知れない。
そして明日にはいよいよ国境を越える。
中国を出る準備を整えた後、30余名のオフィシャルが総動員で
130台の車を越境させるための書類の作成に勤しみ
そしていよいよ、今大会初のSS開催となる。
昨日の草原のゲルでは、夜中に気温が氷点下まで落ち込んで
初めてシュラフの助けを借りることとなったが
我々は現在、熱い湯がボタン一つで出てくるエレンホトの快適なホテルで
明日が来るのをワクワクしながら待っている。
整備された中国の道を行く街までのリエゾンは平穏無事に済み
とてもフラットな路面には、サスペンションに
「これがラリーだ」と思い知らせるような大きな穴もなく
これを‘嵐の前の静けさ‘と知らぬ者は
数日後にこの退屈な道をとても懐かしく思うことになるかもしれない。
今日の行程は、これまでの中で一番楽だけど
粗悪燃料が引き起こすミスファイアのせいで、何台もの車が
よろめいたりパチパチ音を立てたりうさぎ跳びのようにギクシャクしながら
駐車場へと入っていくのを見て一抹の不安を覚えた。
今後、オクタン価が80以下のガソリンしか入手できない状況の中
現状でここまでエンジンの不調を訴えている何台もの車が
モンゴルの僻地でエンジンの調子が良くなることを期待するのは難しい。
今日のトラブルといえば、最後にガス欠となったのが
イゴー・コロドツコとロバート・ムーアのビュイック・クーペで
路肩で燃料ラインのパンクを応急処置したすぐ後の事だった。
どうやら全体の9割の車は、こういったトラブルなく走っているが
残りの一割には常に何かしらの問題が付きまとう。
昨日の‘メカニック・リスト‘には、こう記されている;
・#55 大きなジャガー・サルーン (1948年製)
燃料ポンプの問題 どうやらポンプ付近から漏れてる様子
フィルターとラインも問題 何度も車がストップする
リアサスの問題 木の塊を切り出してアクスルのバンプ・ストッパーにする
・#12 パイオニア・カテゴリーの大きなエセックス (1919年製)
バキューム・ポンプの問題が再発 結局足踏みポンプと手押しポンプで
燃料システムに加圧
・#70 キャディラック・ラセール・ロードスター (1936年製)
エンジンの熱で燃料が気化してしまうため
燃料ラインを新たに設置
・#110 フォード・パイロットV8 (1950年製)
レストランが店終いした直後の23時にようやくご帰還
ガス欠の症状を一日中対処しながらの走行
オルタネーターとスペアの燃料ポンプも要交換
・#18 ボグゾール・プリンスヘンリー (30/98・1923年製)
燃料ラインの圧力不足
・#52 大きなメルセデス630K (1927年製)
パンクしたタイヤの修理
・#86 白いパッカード・クーペ120 (1938年製)
リアサスの問題 ショックアブソーバーに曲がり マウントもダメ
・・・等々。
ほとんどの車は過積載と昨日の警察官による不必要な悪路走行が祟って
最初の‘ダメ出し‘と相成った様子。
でもここより以降のトラブルは致命傷に成り得る可能性あり。
中国からモンゴルへの越境だと、車はすべてコンテナでの輸送となる。
これは中国政府がリタイヤした車などを積んだトラックの
モンゴルからの再入国を認めていない為で
ほとんどのエントラントが片道のビザしか持ち合わせていないこともあり
一度モンゴルへ入ったら、そこはポイント・オブ・ノーリターン。
十数日掛けて広大な国土の反対側にあるロシアへと抜けなければならない。
フォード・Tモデルのアンダーソン/フィッシャー組は
昨日のキャンプサイトに戻ってきたのが午前3時。
振動によりハーネスの主要部分が緩んだせいで電装系のトラブルに見舞われ
(この車はボンネットの下を覗いてもほとんどワイヤーの無いシンプルな造り)
坂を上るには少々エンジンの出力が足りなかったようだ。
電装系のトラブルは全体的に稀だが、ターナー/ハートレー組の真紅に輝くイタラは
道中でバッテリーが上がってしまい、押し掛けのため
車をちょっと牽引してもらう羽目になった。
彼らも昨日は一番遅くに帰って来た組で、ジョン・クインシーの撮影隊に
照らされながらのご帰還だった。
アストンマーチン・DB6のグッドウイン組は
スタビライザーが曲がってしまい、サスのコイルの中へ押し上げられてしまう
トラブルに見舞われた。
昨日の快適だった道は、山のそばまで来ると突如として舗装が切れ
20センチもの段差の向こうは、例のレンガの悪路に逆戻り。
油断したドライバーがろくに減速も出来ないまま、そのギャップを飛んでしまい
着地の衝撃でサスペンションに過度の負荷がかかってしまったとのこと。
ほとんどのクルーも同様にすっかりドライブ気分に陥ったところで
ガツンと一発かまされ正気に戻った様子だった。
そして「1割」の車が問題を抱えたまま、我々は中国を発つ。
和気あいあいとした雰囲気もそのままに、内モンゴルの澄んだ空気さえ
楽観的な気分を醸し出している。
昨晩、モンゴルの民族衣装を身に纏った踊り子たちと共に
花火を楽しみ、キャンプファイヤーを囲んで「ギンガングリー」を歌った。
翌朝、遅めの朝食を摂りながらゲルの小さな窓を覗くと
太陽の光が燦々と降り注ぐ広い広い草原には
子供たちが乗馬の技術を競い合う姿が。
そう、これからしばしの間の「日常」の光景だ。
DAY2 「予期せぬことは起こると思え」 (07/06/07掲載)
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ラリー序盤の今日はまだ、安穏とした一日になるはずだった。
だがしかし、海沿いの道を進む快走路の途中で突然現れた警察官が
ここで右折しろとの指示。
英語が一切通じないにもかかわらず、とにかく直進はさせてくれなさそうな形相で
これはどうやら従わざるを得なさそうだ。
そして我々は綿密に準備されたルートブックのコースから外れ
朝のブリーフィングで伝えた、先発隊からの情報によるコマ図の修正も
意味の無いものとなってしまった。
我々は郊外へと進み、そして都心部から離れるにつれ
あたりの地形は平野から丘陵へと変わっていく。
黒く滑らかなアスファルトの山道が彼方の峠までうねうねと続き
まるで岩だらけの山に丘が道を譲ったかのように
赤い岩肌が遠くにぼんやりと見える。
まるでモロッコはアトラス山脈を行くかのような道が意外だったが
ここでは通過するすべての集落で子供たちが、我々を一生懸命応援してくれる。
時々起こることとはいえ
我々は今、手元に何の資料や情報もないまま
大幅なルート変更を迫られている。
分岐がやってきては通り過ぎ、ナビゲーターたちは中国語の地図と格闘し
固く焼きしめられた轍だらけの煉瓦の上に新しいコールタールが敷かれた道を
パイオニア・クラスの車両が剥き出しの車輪で巻き上げる埃に閉口しながら
しばしの混乱の末、呼和浩特(フフホト)へ向かう環状線にぶつかった。
そして転がり込んだカフェには、幸運にもアンディ・アクトマンが詰める
PCだったという見事な帳尻あわせ。
この長い一日の終わりに、我々は皆
モンゴル式のゲルの中で床に着いた。
プリミティブな施設だった。
トラブルと言えば、#55のオシェア夫妻が駆るジャガー・サルーンが
暑さによる燃料気化のために度重なるガス欠となり
他の多くも粗悪ガソリンによるフィルターの詰まりに悩まされた様子。
カナダから来たコーエン夫妻の1931年製フォード・モデルAは
プロペラシャフトに問題が生じて今日中の修復が微妙なところで
オーストラリア人のバリー・フロストが駆るシボレー・ABロードスターは
アクスルシャフトが分離してしまう厄介なトラブルに陥り
現在‘移動修理隊‘が対応に当たっている。
「予想外」な出来事に翻弄された一日だったが
通り抜けてきた景色はどこも素晴らしく
例えオンコースを進もうが諸事情によりルートを外れようが
道はどこもチャレンジングで走り応えのあるものだった。
今日の宿となった広大な草原のゲルでさえ、考えようによっては
我々を待ち構えるモンゴルでの日々に備えた格好の予行演習ではないだろうか?
DAY1 (07/06/05掲載)
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午前4時30分
北京市内に低く立ち込めるスモッグに
太陽の光が穴を開ける、夜明けのサインだ。
すでに何名かの気の早いクルー達が出発の身支度を整えてスタートに備えている。
オランダから来たエティエンヌ・ビーンは、相棒のメルセデス630Kの事で
やきもきしているが、その出場車両の中でも最大級を誇るサイズとはうらはらに
車載する荷物はと言えば、ショルダーバッグが一つ後部座席に放り込まれているだけ。
リアサスが沈んでしまうほど荷物をあれこれ積み込み
挙句の果てに‘スリーピング・ポリスマン‘(速度制御用の凸帯:バンプ)に
下回りをしたたかに打ちつけてしまうような他のエントラント達とは異なり
エティエンヌはただでさえヘビー級の愛車に余計な負担を掛けないために
ほとんど荷物は持たない、という徹底ぶり。
まだ目を覚ます前の北京の街を抜け、八達嶺へと移動を開始する。
最初の車にスタート・フラッグが振られるのが8時半なので
まだたっぷりと時間はあるが、気の早いエントラントたちは
6時前に全員出発してしまった。
スタート地点の‘万里の長城‘までは40km程のリエゾンで
高速道路をひとっ走りの現代では何の苦労も無いわけだが
これが100年前となると話はまったく異なり、ボルゲーゼ王子とライバル達は
ピカピカに磨かれた大理石の橋の上で車を押したり引いたりしながら前に進め
山羊の荷車を上手く通すために路面の岩の間を青竹を使って道幅を測り
夥しい数の岩が転がる川床を幾度となく飛び跳ねたりと
キャメルトロフィーの猛者達も蒼ざめるような当時のルートを
丸一日かけて同じ距離を進んだ。
今は誰も木製の車輪を泥にとられたりもせず、だいいち雨さえ空から落ちてこない。
何台かの参加車両が路肩で停まっている。
ウイリアムス夫妻の緑色に輝くシボレー・ファンジオ・クーペは
電装系かオーバーヒートか、ご主人がボンネットを上げて中を覗いていたが
やがてまた走り出だした。
辺りの陽気は快晴の兆候とともに気温をぐんぐんと上昇させ
八達嶺の丘へと続く上り坂では、他の参加車両もエンジンがのぼせたりと
同じようなマイナー・トラブルに見舞われた。
朝からこの調子では、先が思いやられる。
‘万里の長城‘からの見送りは、無数のシンバルや大きい太鼓
竜のように着飾った踊り子達・竹馬に乗った人々・興奮した子供達
それぞれに手を叩いたり声をかける神秘的なローカル達に
「START」と書かれたブランパンの巨大な時計の元へと人混みを掻き分ける
70名ほどのプレスも加わり、カラフルで賑やかなものとなった。
アイヤー夫妻がジョナサン・ターナー・アダム・ハートリーを後ろに従えて
所定の位置に付くと、2台のイタラは100年前にも同じ車がそうしたように
2000年の歴史を誇る路面の一枚岩を、エンジンから染み出したオイルで聖別した。
すべての参加車両がスタートラインより定刻で旗を振り下ろされ
‘北京−パリ‘はいよいよ公式に船出を迎えたが
発車してわずか数十センチのところで早くも最初の障害物に遭遇、
進路を塞いでいたのは押し合いへし合いのカメラマンや映像クルー達だった。
石炭の街・大同までの道程は日曜ということもあって順調、
これから起こるいくつものトラブルの前で
僅かな数のトラックと遭遇するのみの「嵐の前の静けさ」だった。
最初の犠牲者は#6、オランダから来た
ミッシェル・ラーマンとアントニウス・ポールスマの可憐なノックス・タイプR。
100年前にボルゲーゼ王子の駆るスパイカーの前に破れた
シャルル・ゴダードのリベンジをこの機会に、とクルーは燃えていたが
昼下がりに突然エンジンから大きな音が発生、そして無念の機関停止。
ノイズは一度だけだったが、重大な何かが起こったことは誰の目にも明白だった。
何故車が止まってしまったか興味津々の大勢の子供たちの前で
ミッシェルは完全に意気消沈の面持ちだった。
ボンネットの下ではシリンダーはコンロッドが目視できるほど
クランクケースから離れてしまい、バルブを駆動するギアすら顔を覗かせている。
彼は息を止めたノックスを北京まで連れて帰る手段を探すために
黒塗りの警察車両でその場を離れていった。
その他のメカニカルな問題はそれほど深刻ではなかったものの
大勢のクルー達が燃料パイプの泥詰まりに泣かされた。
泥の混ざった燃料を濾すために大きなガラス製のジャーが必要な状況下で
よく使われるプラスチック製のフィルターでは十分な役目を果たせなかったようだ。
ウィルヘムス・ファン・ゲメルトとヨハン・デ・スワルトが駆る
4リッターのシンガー・ツアラーはエンジンの息つきがひどくてストップ、
調子の悪いエンジンに呪いの言葉を吐きながら、長い上り坂を登っていった。
セリグマン夫妻のベントレー・ルマンも汚れたガソリンを補給されたようで
同じ症状で苦しむ破目に。
大きな黄色いビンテージ・サルーンのサンビーム16は
ドライブシャフトに問題が生じて大同の郊外で止まってしまい
移動修理隊のスイーパーが対応しているところだが
箇所が箇所だけに、予後がちょっと心配だ。
本日の走行は崖にしがみつくように建つ修道院を見ながら進む
混元までのイージーなルートで、クルー達は途中のチェックポイントで
スタンプを貰う以外には特にすることも無く、オンタイムで到着。
石炭を運ぶトラックの往来によって生じた波状の舗装路には閉口したものの
初日のシェイクダウンとしてはお誂え向きの穏やかな行程だった。
メインストリートからちょっと離れた所にあるコンクリート製の大きなホテルでは
到着したクルー達が軍のブラスバンドより熱烈歓迎を受けていた。
まるで各自がどれだけ大きな音を出せるか競い合っているかのように演奏する彼らは
北京を後にする我々よりもずっとコンペティティブに見え
この暑さの中、ほとんどバテていた。
スタート前日 (07/06/05掲載)
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参加車両の車検に当てられたこの日、テクニカルなスペックを
レギュレーションに照らし合わせたり、安全装備や医療品のチェックを受けたりと
すべての形式ばった検査が終わるまでタイムカードは発行されなかった。
スイープ隊のクルー達は駐車場のまわりに‘移動式ワークショップ‘を設けて
各車の最終準備に余念が無い。 何台もの車が予め通達されていた形式での
エキゾースト・システムを備えておらず、これらの‘突貫作業‘のために
チームのメカニックが呼び出されて大忙しだった。
ドックからシャングリ・ラ・ホテルまでの僅かな道程でさえ
無事にと言う訳には行かず、道中のあちらこちらで立ち往生する姿が。
クルー達は応急処置をしながら、これが後々の大きなトラブルになる
前兆でないことを祈るばかりだ。
多数の車両にバッテリーのトラブルが発生し、数週間の海上輸送の後で
電装系へのケアが必須となった。
オランダから駆けつけたレオ・シルドカンプ氏の1929年製のランチア・ラムダは
充電系に問題を抱え、ニジェール・ガンビエール氏のラゴンダは
ジャンプ・スタートで再度走り出したのも束の間、今度はガス欠となってしまった。
ロイ・ウイリアムスの1937年製ライリー16は一見、順調そうだが
実はバッテリーが上がってイグニッションの調子がおかしくなり
気になっていたブレーキライトの問題など、どうでもよくなってしまった。
アラン・グリセイのシェビー・ファンジオクーペはアクセルポンプのロッドが
曲がってしまい、アメリカから来たギャリック・ステープルとジョン・ケネディの
VWビートルは押し掛けが必要となり、同じく米国人のケビン・クレメンツと
リチャード・ニューマンはクライスラー・スペシャルがエンコで助けを要請。
ゴードン・フィリップスのベントレーは燃料に泥が混入・・・と
まだスタート前だと言うのに、やや先が思いやられる展開となった。
ハリー・ヒックリングの大きなMG・GAサルーンの後部には
オリジナルとはまったく異なる燃料システムを搭載していたが
このデバイスの調子が悪くてホテルまでの道中で故障してしまった。
「手をつけた所から壊れていく」と言うのは世の常か・・・
アルベルト・ホダリとハロルド・ブルーメンシュタインの
1937年製フォード・コンバーチブルは港まで向かう途中で事故を起こし
曲がったサスのメンバーを直して真っ直ぐ走るようにしたりとテンテコマイ。
しかもレギュレーションで定められているマッド・フラップの装着がまだ済んでなく
どうしたものかとしばし熟考のアルベルト、しかし朝になってみると
ホテルの玄関に敷かれたゴム製のマットに大きな穴が開いていたとのこと。
多種多様なトラブルの対処で、モバイル・ワークショップは一日中大忙し。
もう外交的な手段が準備を進めるのにモノを言う状況となった。
八達峰の‘万里の長城‘への出発まであと数時間を残すのみ。
3年間の計画と準備の末に、いよいよ‘この日‘を迎えることとなり
これからの天気を皆が気にするようになった。
北京は快晴でとても暑いが、ひとたびモンゴルの平原に入れば
異常気象で雨のみならず雪さえ降るとの話で
しかも一行が渡る予定の河川は、未だ雪解けの水を湛えて
激しく氾濫したままとの情報さえも耳に入った。
駐車場に戻る頃になって、ふとグラウンド・クリアランスの事が気に掛かったが
もう既に時遅しだった。
北京−パリ、スタートの合図待ち
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5/24(木)
「北京−パリ 100周年記念」はいよいよ’スタートの合図待ち’状態となり全出場車両はドックを出て北京へと移動、他の関係車両と共にダウンタウンの倉庫に集結した。 明日にはドライバー達がシャングリ・ラ・ホテルから自慢の駿馬たちをホテルの駐車場へと出発させる。夜明け前に行われる八達峰近郊の「万里の長城」へのデモランと高級時計会社「ブランパン」が務める8時半からのグランドスタートに備えクルー達はパッキングと車両の最終調整に心を奪われることだろう。
外はここ数日の豪雨のせいで蒸し暑いがクルー達はスタートまでに変わるだろうと楽天的に構えている。あと出来れば1907年の時に当時のクルー達を悩ませたようにゴビ砂漠が泥沼と化したらいいのだけれど。
マレーシアの殿下、イドリス・シャー公(我々は彼をメイティ・ボーイと呼んでるけど)は午後に登場し、今は明日に備えて就寝中とのこと。殿下の乗る4リッターのシボレー・ファンジオ・クーペはヴィンテージ・カテゴリーの中でも良いパフォーマンスを期待される車のうちの一台と目されている。
スポンサーの高級時計メーカー、ブランパンは全クルーに北京ダックの夕食をここシャングリ・ラ・ホテルで振る舞った。日曜のグランドスタートまでに、我々はみんな中華料理のツウになることだろう。
海外ニュースメディアは我々に興味を示したようで先ほどサンデー・テレグラフとITNがインタビューをしていた。
「パリ−北京」の全貌が今明らかに
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1907年の第1回当時を偲ぶ新しいリサーチや未発表のオリジナル画像1997年に行われた90周年記念の様子今回の100周年記念イベントにまつわるインサイド・ストーリーなど全リザルトと共に、当時のクルマや人々の様子が綴られた「パリ−北京」オフィシャル・ブックがヴェローチェ社より発売となります。他にも年末に全13話のシリーズとしてテレビで放映されますので詳しい情報は分かり次第、公式HPでお知らせしたいと思います。
金曜日の北京
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まだのんびりムードの今日、すべての参加車両が倉庫から出され北京市内を横切ってシャングリ・ラへ移動となった。ホテルの駐車場は、マニア垂涎もののヴィンテージ・カーやクラシック・カーで満杯となり、辺りは大騒ぎとなった。
全世界から北京までの長い「往路」の末いくつかのエンジンが少しぐずついてしまった様子。最古参の車両を駆るティム・スコット氏の1903年製9リッターのメルセデスは燃料系のトラブルが発生してしまい途中で立ち往生する羽目に。ハスラム夫妻の1950年製シボレー・ベルエアはギアボックスのシャフトを修理するために倉庫内でリビルドが必要となりサービス担当のバナム氏にとっては、これが最初の仕事となった。
晴天で気温が上がった今日、駐車場の外では
パッキングと最終調整が行われ
FIVAの鋭い監視のもとに行われる明日の車検に備え
クルーの中には泥除けを買うために街中を走り回る者も。
さぁ、段々スタートが待ち遠しくなってきた。