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2008/10/09 (木曜日)

08/10/09 アルマティ−シムケント 735km 「16年前の記憶」

アルマティは朝の大渋滞。西に向かう道はともかく、市内に向かう道にはおびただしいクルマが溢れている。経済発展の続くカザフの古都だ。そしてキルギスタンのビシケックへ向かう。もちろん町の手前に国境ゲートがあるのでビシケックには入れない。このビシケックは1992年のパリ−北京のときの中継地だった。つまり過酷なラリーのつかの間の休息日だったのだが・・・問題はあの時のこのルートだ。シムケントからビシケックへのSSでわれわれのチームは、2号車と3号車が正面衝突をしたのだ。勝ちゲームにオウンゴールで逆転を許した時のような気分だった。こんな場所に再び帰ってくる日があるとは。

長い時間地図を眺めながら、ボクの人生を決定的に変えてしまったあの16年前の記憶をまさぐっていた。ルネメッジは「羊飼いの少年・・・」みたいなことをその日のルートインフォメーションに書いていた。山を越えビックリするような尾根筋の逆キャンバーにバクバクしながら走った。あの左の山だったろうか・・・ともかくあのパリ北京に今まで拘泥している人間が他にいるのだろうか?そんな事を考えながらもあの当事よりは見違えるほどに近代的になった何もかもを、疎ましく思うながらも西に向かった。みな驚異的なロングステージを苦も無く走り抜けて、夜の帳の下りたシムケントの町に滑り込んだ。イスラムのにおいの強い町が異邦人の我々をどのように包んでくれる事だろう。

さて今から夕食だ。

最新更新時刻 10/10 02:09

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2008/10/08 (水曜日)

08/10/08 アルマティ 休息日 「アルマティの休日」

疲れきって昼まで寝よう、と口々にそう言って寝たものの、何時もどおり暗いうちから目が覚めて、午前中はマシン整備に追われた。午後には若者の集まるカザフのトレンディ?なレストランで、おいしいパンとボルシチ、是非にと進められたカザフの郷土料理。休日の午後を楽しむ愉快な会話に時の経つのも忘れるほど。その後バスに乗ってバザールと博物館に。食料品に果実の豊かなバザールは楽しいのだが何故か撮影禁止にがっかり。

いよいよ明日からは未知のルートへ向かう。シルダリア川に沿ってアラル海までを2日間の行程で走る。今回の2つ目のアドベンチャーだ。

最新更新時刻 10/08 22:00

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2008/10/07 (火曜日)

08/10/07 イーニン−アルマティ 449km 「カザフステップへ」

イーニンを朝暗いうちから出発、朝日が背中に当たるまでの寒気にたえながら走る。やがて雪を頂いた天山山脈の姿がピンク色に染まる。朝焼けは予想ほどではなかったが、新しい次の旅の始まりのような予感というか歓びが満ちてくる。しかし不安なことが一つ。もちろんそれは中国側の通関の問題だ。

10時の予約の国境の税関に到着。目指すは午前中の出国だ。中国側スタッフで通関担当の女性は、天津でも大暴れしてたが?ここでも前日入りして準備は万全!!いざ通関「12時に来て!」「・・・・・」で、12時まで洗車して時間をつぶす。

「さていよいよ通関!」「2時までお昼休みなの」「・・・・・」じゃあわれわれも最後の中華料理を!ととぼとぼと国境の食堂。カザフ人だかウイグル人だかの親父のレストランは、もち無国籍。

「さあてといよいよ2時だ。」「あら、3時30分までなのよお昼休みは、そう言わなかった?」もちろん僕がその場にいればきれまくっとのだが・・・

いよいよ3時半、カザフ側の国境ゲートも時差があるから完全に昼休みも終わっただろう。それでもたった一枚の書類にはんこを押すだけの税関の女性はサボタージュ。ついにそのたった1個のスタンプをもらえたのは18時。予約から8時間後。そしてカザフ側に入ると気の遠くなるようなトラックの列。日曜日まで国慶節の長期休暇だったことを差し引いても、この仕事ぶりではお話にならない。

まあそれにしても、なんとかカザフに入った。目指すはあと400kmの彼方。かつてのこの国の首都アルマティだ。

昨年は夜中に到着して夜明け前にホテルを発ったから町の様子はよく分からなかったが、森の中に沈む素晴らしい町だ言う印象は強かった。今回は休息日があるので、マシンのオイル交換などを終えて観光に出かけることとしよう。

シルクロードの趣は薄いが、ホテルの前にはロシア正教の教会が威厳を放っているし、天山山脈は相変わらず聳え立って辺りを睥睨している。

カザフ族やウイグルの民に加えて、ロシアの人々が暮らすこの町は、東西の文明がここでもまた見事に融合して文化と歴史が花開いていた。

最新更新時刻 10/08 22:20

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2008/10/06 (月曜日)

10/6 ウルムチ−イーニン 680km 「中国最後の夜」

ここ新疆ウイグル自治区イリカザフ自治州の州都イーニンに到着。行政単位が区の下に州があるのも独特だ。ここはイリ川流域の肥沃な大地だ。イリ川はカザフスタンの巨大な湖バルハシ湖に向かって流れ込み、大きく肥沃なデルタを形成している。当然豊かな大地で古くから民俗がその土地を巡る争いを繰り返したことは想像に難くない。標高2000mにある天上の湖サイラム湖は周囲の天山山脈の冠雪を映しこんで凄絶な風景となっていた。

イーニンでは昨年と同じホテル、北海道の山口さんが昨年無念の思いで置いていったロプノールの岩塩を植え込みあたりを探してみたが見当たらなかった。

いよいよ明日、一つ目の国境越えに挑む。長くさまざまな思いの交錯した中国パートの日々もついに終わる。

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2008/10/05 (日曜日)

10/5 トルファン−ウルムチ 183km 「天山北路へ」

今日はもっとも短い行程だ。理由は一つ。ウルムチに新しくなった博物館に楼蘭美女のミイラを見学に行くのだ。もちろんそればかりではなくここまで旅をしてきた新疆ウイグル自治区の歴史などの再確認だ。

早い午後にウルムチに到着。にわかには信じられまいが高層ビルの連なる近代都市に変貌している。世界中で最も海から遠い都市なのだが。

新疆は3山と2盆地から成り立っている。南には崑崙山脈、7000m級の山々が連なる。そしてその北に広大なタクラマカンを要するタリム盆地、そしてその北には天山山脈、ジュンガル盆地、アルタイ山脈と続く。

今日はトルファンで天山南路に別れを告げて、北路に入った。南新疆は広大な乾燥地帯で歴史的な遺跡の宝庫だ。一方北新疆はジュンガル平原に覇を競った戦いの歴史に彩られている。

博物館には4体のミイラがあった。楼蘭美女、小河美女。数千年の過去から現れたのに美しい文様の着衣や、獣毛で丁寧に余れたニットの着衣は、まるでここ数十年のものを思わせる。ヘンプで出来た靴を履いている。

この文明に深さにも感銘を受けずに入られない。紀元前2800年ころに、このような文明があったのだ。

ウルムチは漢化政策が進み、トルファンがイスラムの香りが紛々としていたのに比べ、とても中国的だ。市内中心部にある秋葉原のような街に行けば、多くの人々が買い物を抱えて歩いていた。テレビ制作上、彼らにインタビューを試みた「スイマセン、日本のテレビ局ですが・・・」その続きはテレビ放送でお楽しみください。中国パートも今日と明日の2日間だ。明後日にはついにカザフスタンに入ることとなる。

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2008/10/04 (土曜日)

08/10/04 トルファンの休日

予定外に出来た休息日だ。こうなれば観光だ!!まずクルマを連ねて高昌故城の見学に向かった。そしてたっぷりと一日を過ごした。ベゼクリク千仏洞も念願だった。ウイグル族の家にも出かけた。折から葡萄の収穫も終わり新しい干し葡萄の甘酸っぱい香りが遥かシルクロードを肌に感じさせるではないか。

明日はウルムチまでの短い道のり。前半部分のちょっとしたごほうびのような数日間だ。

最新更新時刻 10/05 01:41

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2008/10/03 (金曜日)

08/10/03 ハミ−トルファン 403km 「天山山脈を行く」

トルファンに向かう途中、といってもほぼトルファンに近いところに善善という町がある。かつてパリ−北京1992でもビバークに使った町だ。町の南には、遥かに連なる砂丘のうねりが望める。岩山のふもとの砂の中を、うめくように走ったあの時の記憶が鮮やかに蘇る。思えば、あのラリーが良くも悪くも運命を決めたのだなあと。

その砂の連なりの向こうには、行こうとしてもなかなか行くことの出来ないダンダンウイリクや楼蘭故城が時空を越えて存在するのだと思うとやはり琵琶馬上に催す、といったところだ。

こうなれば明日を休息日にして、徹底的にトルファンを見てやろうと思う。

最新更新時刻 10/05 01:41

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2008/10/02 (木曜日)

08/10/02 ロプノール−ハミ 483km 「ルート変更。」

朝、重い体をひこずりながらテントをたたむ。今日はロプノールを経て米蘭、チャルクリクまで長く険しいオフロードの一日だ。いやそれにしても仏教美術と歴史をたどる感激の一日になるはずだった。

しかしそんな思いをあざ笑うかのように、さらにルートは困難になった。それにしても昨年のピストはいったいどこに行ったのだろうか。

スウェン・ヘディンがタリム川をタマリスクの幹で編んだ筏に乗って下った、あのロプノールだ。

午後、ロプノールの町に着いた。誰もがヘトヘトで早く次の行程に取り掛かりたかった。そしてこの町にはありえない、いや町だなんて書くから人が住んでいそうに聞こえるのだが塩を運ぶトラックのドライバーのための食堂兼仮眠施設があるだけのところだ。しかし巨大な発電施設が出来ていた。そしてその先へのわれわれの通行許可は、完全に無視された。公安がまったく通行をさせない。これはただ事ではなかろうと、怪しげなトラックが列を成して進む北からのロプノールの道を反対に、ハミに向けて脱出することにした。

なんとなく走っている間は気がつかなかったが、黒々とした不安を胸にベッドに潜り込んだ。しかし今度は逆に予定が1日余裕が出来た。明日向かうトルファンは本来の行程は明後日なのだ。

最新更新時刻 10/05 01:41

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2008/10/01 (水曜日)

08/10/01 敦煌−ロプノール 268km「過酷な道のり」

美しい夜明けの光を背に、敦煌を出発する。彼方には砂丘の連なりが続き、玉門関に向かう道は荒涼たる土漠の中だ。玉門関からはまだ少しだけ舗装路が伸びてヤルダン中国地質公園まで、観光バスがひしめく。今日から中国は国慶節を祝うゴールデンウイークなのだ。やがてその奇妙で不思議な形の岩山の中を西遊記のごとく西に進む。

そしてついに、砂のなかに突入。昨年のルートなのだが、砂の量が半端じゃない。重いアドベンチャーには苦しいシチュエーションが続く。

やがてサポートのデリカにトラブルが発生。スターターが回らなくなった。配線をやり直すのに1時間30分ほど要してしまった。

続いてルートがまったく無くなった。これまでか細い塩の道があったはずだ。道のりは過酷を極めた。予定のロプノールの製塩工場の町(といっても何も無いところだが)まで80km以上を残してビバークを余儀なくされる。

果たしてこの道のりでたどり着けるのか。不安な夜を、それでも満天の星をめでながらわずかばかりの食料を分け合い、コオリャン酒を呷ってシュラフに潜り込むと、楼蘭王朝の夢でも見よう。

最新更新時刻 10/05 01:40

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