デキ日表紙に戻る

最新版

2008年11月
2008年10月
2008年09月
2008年08月
2008年07月
2008年06月
2008年05月
2008年04月
2008年03月
2008年02月
2008年01月

2007年12月
2007年11月
2007年10月
2007年09月
2007年08月
2007年07月
2007年06月
2007年05月
2007年04月
2007年03月
2007年02月
2007年01月

2006年12月
2006年11月
2006年10月
2006年09月
2006年08月
2006年07月
2006年06月
2006年05月
2006年04月
2006年03月
2006年02月
2006年01月

2005年12月
2005年11月
2005年10月
2005年09月
2005年08月
2005年07月
2005年06月
2005年05月
2005年04月
2005年03月
2005年02月
2005年01月

2004年12月
2004年11月
2004年10月
2004年09月
2004年08月
2004年07月
2004年06月
2004年05月
2004年04月
2004年03月
2004年02月
2004年01月

2003年12月
2003年11月
2003年10月
2003年09月
2003年08月
2003年07月
2003年06月
2003年05月
2003年04月
2003年03月
2003年02月
2003年01月

2002年12月
2002年11月
2002年10月
2002年09月
2002年08月
2002年07月
2002年06月
2002年05月
2002年04月
2002年03月
2002年02月
2002年01月

2001年12月
2001年11月
2001年10月
2001年09月
2001年08月
2001年07月
2001年06月
2001年05月
2001年04月
2001年03月
2001年02月
2001年01月

2000年12月
2000年11月
2000年10月
2000年09月
2000年08月
2000年07月
2000年06月
2000年05月
2000年04月
2000年03月
2000年02月
2000年01月

1999年12月
1999年11月
1999年10月

 

Mail

事務所移転の
お知らせ
Organisation Voice 2008/09

Organisation VoiceはSSERメールマガジンにて先行配信中です。 メールマガジンページはこちら
2008/09/30 (火曜日)

9/30 敦煌の休日 「莫高窟、17番石窟で」

朝から皆で連れ立って世界遺産「莫高窟」へ出かけた。メカニックとして今回参加している岩崎君は、この旅に出る前に井上靖の「敦煌」を読んできた。

これまでの道中でも、主人公の趙行徳(だったと思う)が仏教に傾倒していくに至った道のりや、甘州とか涼州とかにひどく感激していた。西夏文字のルーツを追いかけ都から辺境の地に流れ着いたのだった。そして物語の最後は、5万点にも余る仏教経典を戦火から守るために、莫高窟17番石窟に秘匿埋蔵するというものだ。物語の中には乱暴な隊商の若い親方が、当時のシルクロードを行き来した商人の有様が面白い。結局、行徳はその親方を財宝と偽って経典を運ばせるというもの。1000年近い歳月を経て発見されたその経典は、今は世界に散逸してしまったがフランス人の学者の説と、井上靖の説は非常に類似しながらも、小説家の筆致によってとてもロマンチックなものになっている。

明日はいよいよこの旅の大きなハイライトの一つ、ロプノールへ旅立つ。そして世界で始めてオートバイでロプノールを横断するのだ。

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008のレポートを現地からお届けしていきます。
その他の写真など詳しくはこちら

 

 


2008/09/29 (月曜日)

9/29 張掖−敦煌 611q 「大砂丘のもとへ」

張掖は河西回廊でも最大のオアシス都市として古くから栄えた。武威を涼州、ここ張掖は甘州と呼ばれた。目指すはまずは嘉峪関260kmの道のり。雲ひとつ無い快晴、快適な気温、左手には雪を頂く5000m峰の連なる祁連山脈。どこまでも伸びる道。走る歓びが全身に満ち溢れる。昼食の予定の嘉峪関には10時40分に到着した。なんと、順調なこと。さっそく観光に出かける。天下雄関と呼ばれる見事な存在は、見る者を魅了する。河西回廊が狭くなっている場所なのだろう左右の山脈まで長城が伸び、どこまでも見渡せる。古くはここに数万の兵が詰めていたという。

午後には確実に夕陽の時間までに敦煌に着けると確信を深めた。ここでスケジュールに追いつくのだ。しかも夕景の大砂丘のもとで撮影も出来るだろう。

昨年マシントラブルの起きた場所を通り過ぎて、なにかひとつの禊を終えたかのような気がして敦煌の町に到着。ホテルに向かわずにそのまま鳴沙山へ。

明日の観光の予定を一つ済ませるとなんだかスケジュールに追いついただけではなく貯金が出来たような気になる。

今夜からタイヤ交換とマシンの整備が本格化する。

夕食後は繁華街へ繰り出す。自由市場どおりのシシカバブーの店で、大騒ぎをしてベッドにもぐりこむと、満ち足りた気分となった。この旅で初めての満足感。

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008のレポートを現地からお届けしていきます。
その他の写真など詳しくはこちら

 

 


2008/09/28 (日曜日)

9/28 蘭州−張腋 507km 「快晴の河西回廊」

朝、ホテルの部屋から外を窺うと曇り空のようだが、なんとなく夜明けと共に晴れそうな予感がした。走り出すと徐々に晴れだした。今日の予定は本来ならば武威だ。しかし予定を回復するために今日は、距離を稼ぐことに。つまり蘭州から敦煌まで3日間の予定を2日で消化し、敦煌到着は当初の予定通りを目論む。そのための願いは二つ。今日の晴天と、高速道路への乗り入れだ。
そしてその二つともを手に入れた。

ここ蘭州はシルクロードのメインルート河西回廊の入り口だ。さらにここでは青海湖を越えて敦煌へいたるもう一つのルートとも分岐する。

昼過ぎには当初の宿泊予定の、武威に着いた、ここはかつて涼州と呼ばれ、僕がパリ北京でもビバークに使ったところだ。そして僕のシルクロードへの憧憬を決定付けた涼州詞の読まれた西戦の果てだったのだ。「葡萄の美酒夜光杯・・・」

さてその今日は、なんと17時30分にホテルに到着。ここはかつて甘州と呼ばれ、シルクロードの中でもひときわ豊かなオアシス都市だったのだ。さあ、はるかシルクロードの夢を見るために、今夜は夜光杯で乾杯することにしよう。

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008のレポートを現地からお届けしていきます。
その他の写真など詳しくはこちら

 

 

 

2008/09/27 (土曜日)

9/27 西安−蘭州 641q 「過酷を極めた行程」

雨だ。休息日はもちろん返上する。この日、蘭州までたどり着けばスケジュールは1日回復する。西安の休日を無くしたからだが、まあ観光も最低は出来たし、ナイトツアー?バスで だけど・・・も素晴らしかった。未明に到着したバイクは、大雨の中スタッフが起きだしてトラックから降ろした。

スタート時から雨、気温も低い。この今日の長く険しい道のりを雨の中行くのは困難だ。

案の定、道路は大混雑、道路は工事中。行程半ばの平涼の町に着いたときには、雨こそ上がっていたものの、4時を過ぎていた。昨年と同じような展開だが、スタッフも皆、睡眠不足で走らなければならない。

最後の頼みは、昨年、どうしても乗ることが許されなかった高速道になんとしても乗ることだった。

しかしまったく融通の利かない担当者は「ダメだ」の一点張り。工事中のぬかるむ道を進まなければならない。

それでも25時30分、蘭州に着いた。深夜にもかかわらずホテルではレストランのPスタッフが起こされてスタンバイしていたのには、少しばかり感謝。中国側スタッフのご苦労にも感謝だ。

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008のレポートを現地からお届けしていきます。
その他の写真など詳しくはこちら

 

 


2008/09/26 (金曜日)
 

 

 

9/26 西安 「花の都、西安」

そう入っても疲労困憊だ。さらに西安も雨だ。それでも午後には兵馬俑のICを滑り降りた。全員で世界遺産兵馬俑見学に。肩の荷がすこしばかりだが降りる気がした。誰もが感動に目を輝かせている。いそぎ陝西博物館へも。館へも。

大型トラックの到着時刻は明日未明3時の予定だ。途中トラックに便乗させた中国人スタッフからトラックのエンジントラブルの連絡があり、夜のささやかなパーティでは、思いがけず飲みすぎてしまった。それにしても西安は素晴らしいところだ。美しくライトアップされたさまざまな歴史的建造物は、まさに圧巻だ。餃子会席も素晴らしかった。西太后が西安に訪れた時(僕の記憶では政変の際に一時避難したのでは・・・)に。何か珍しいものが食べたいと所望して、彼女の嗜好を知る料理人が、小さな餃子を作ったことに西安の餃子は由来するそうだ。とにかく旨いし58度のコーリャン酒(白酒)を呷ると。張作琳ら馬賊の活躍する清朝末期が頭をよぎり、乾杯を繰り返すほどに酩酊を深めてゆく。西安、万歳だ。西太后も歴史で記されるほどの悪い女じゃない。歴史で記されるほどの悪い女じゃない。

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008のレポートを現地からお届けしていきます。
その他の写真など詳しくはこちら

 

 


2008/09/25 (木曜日)
 

 

 

9/25 天津−鄭州 「西安へ」

この旅で最も危惧されるのはスケジュールの遅れだ。それなのに既に2日も遅れた。本来なら今日は西安で休息日の予定だ。皆とスケジュールの回復について話し合い、早朝より小雨をついて出発、西安まで1200kmを一気に走ろう、そして1日分のスケジュールを取り戻そうということになった。みな固い決意でスタートする。

しかしそんな決心は、高速道の乗り口で粉砕されることに。参謀本部公安部の特別許可も通じず1時間も押し問答の挙句、下道で行かなければならないことになった。おびただしい数の自転車とクルマ、さらに人々はどこでも無秩序だ。昼までに500km走る予定はもろくも消え去り、日暮れ時にまだ140km地点だ。これはこのままでは、西安まで4日もかかる計算だ。
果たして、この先どうなるのだろうか。

大きな町で大型のトラックをチャーターした。6台のアドベンチャーを積み込んで固定したら、真っ暗になった。ライダーたちは、サポートカーにぎゅうぎゅう詰めで乗って西安を目指すことに。

そして未明に西安まで500kmを残し鄭州という町の高速道横のホテルでダウン。2時間だけ仮眠を取ることに。

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008のレポートを現地からお届けしていきます。
その他の写真など詳しくはこちら

 

 


2008/09/24 (水曜日)

「長い天津暮らし。」

「長い天津暮らし。」にピリオド。今日は朝から小ぬか雨。重い気分でホテルで電話を待つ。11時ついに「OK」の連絡。港へ急ぐ。しかし受け取れるのはやはり昼食後だ。とにかく骨が折れる。税関の6Fにある食堂。広大な干拓地が雨に煙っている。午後2時ついにさすがに堪忍袋の緒が切れかけたころ電話。ついについにバイクとクルマがコンテナから出ることに。腹立ちが勝って感激は無い。この国の役所仕事ぶりはどうだ!と口をつきながら急いで整備して走り出すこと50m。次は公安に止められて冷たい雨の中を1時間以上待たされる。何を待たされてるかというと、まあ一言で言えば「電話」である。天津サイドのスタッフが公安警察のえらいさんに電話をかけてもらうのだ。確かに公安警察で登録を済ますまでの臨時の書類は手元にあるが、無記名なのだ。

やっとのことで再び走り出すころ日はどっぷりと暮れた。天津の無秩序な自転車と雑踏とにうんざりしながら公安に到着。時間外だというのに登録手続きを済ませてくれた。

「疲れた。」

でもついに、明日は走り始める。1200kmを一気に走って西安を目指す予定だ。

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008のレポートを現地からお届けしていきます。
その他の写真など詳しくはこちら

 

 


2008/09/23 (火曜日)
 

「さらに通関待ち」

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008レポート

いよいよ出発の朝。午前中に天津新港でマシンたちを引き取り、一度ホテルまで帰って出発準備の積み込みと、公安に出向いて最終の許可書を貰わなければならない。おそらく早い午後の出発になるだろうと、洛陽までの長い道のりをあきらめて、太原あたりを目的地に変更することにした。ホテルの手配など行程がずれていけば、それはもう困難になる。

ライディングウエアに身を包み港へ向かった。まずは書類を受け取るために一つ目の大きな役所に。税関なのだろうか、大きな近代的なビルで巨大な吹き抜けがある。こうした巨艦主義の建築物を行政が建て始めると、良い事は少ない。待つことしばし、風が強く海が近いことが感じられる。そののち海の中に延々と伸びる道路。その巨大さにあきれるばかりの港湾。世界のハブポートを目指しているのだろう、しかし世界の情勢はその判断を肯定はせまいと思う。

巨大な道路の直線は、ボネビルまで行かなくてもここでどーよ?なほどに広く長くフラットだ。やがて見えてきた次の建物でも、待つことしばし・・・そしてさらに次の建物からは「税関職員が同行」「???」税関検査はこれかららしい。どうも書類の検査に時間がかかっていたのだ。

やっと予定のヤードに到着。さあ出発だ。今回はいろいろあったなあ・・・なんて考えているのもばかばかしい答えが返ってくる。

「コンテナは昼過ぎにこの検査場に来るから、昼休みのあとだ」

「でたーーーっ!」

もう今日の出発は、ほぼ絶望的なのだ。ガックリと肩を落として、天津市内まで昼食を摂るために戻ることに。2時過ぎ、やっとコンテナに対面。こんどは検疫がバイクの固定に使っている木材がNGだという。明日から24時間かけて燻蒸(くんじょう)化学的に殺菌・・するのだという。

「なにを馬鹿なことを」

国際ルールでは生木を使う時には必ず燻蒸しなければならないが、加工材、集成材の場合は必要ないのだ。しかも何度も電話で確認したじゃないか!!・・・隣のヤードには韓国から搬入されたヒュンダイのエンジンが生木のパレットに乗っている。全ての断面にはスタンプが押してある。

「このような状態でなければならない」と。

でもどうも燻蒸なぞしてないように見える。

「燻蒸してあるかどうかではない、スタンプがあるかどうかなのだ」
「・・・・・」
「法律をよく見直してくれよ!なんなら弁護士を呼んで欲しい!」

なんていっても通じなくて・・・この日はやむなく天津にホテルを取ることに。
みんなはまだ明るく陽気なのに救われる。このあとどのように行程を調整するか?
どのように出発できるようにするか?これは厳しいことになりつつある。

なかなかしょっぱなから厳しいカウンターを食らった。

お知らせ
24日午後、車両はすべて受け取り完了しました。今夜は引き続いて同じ場所に宿泊し、明日スタートの予定です。

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008のレポートを現地からお届けしていきます。
 


2008/09/22 (月曜日)


9/22 天津「通関待ち」

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008レポート

天津は明の時代、1405年ころ第3代皇帝永楽帝がこの津(港)から南征の途についた。このことから天子さまの通った港「天津」と呼ばれるようになった。清朝末期から民国時代には列強の租界が置かれ、華やかな時代もあったろうと古い街区を眺めても、海の気配をかすかに感じるばかり。もちろん港の近くに行くと旧租界の町並みは残っていると聞くので、早く港の近くまで出かけてみたいのだが、実は今連絡待ち。

というのは僕たちの貨物、つまりオートバイとクルマは、今朝から税関検査中なのだ。午前中には公安警察で免許の講習を受けて、いつでもスタンバイOKなのだが、ホテルで待機してろといわれたのだ。昼寝をしたり本を読んだりするには、最高の時間なのだが、やはり落ち着かない。そろそろ様子見がてら港へ向かおうかとも思ったり。

やはり中国で、このようなことをするのは難解なのだ。

現地時間 15:00

北京-西安-羅馬 絲綢之路 国際越野賽 2008のレポートを現地からお届けしていきます。
その他の写真などくわしくはこちら


2008/09/18 (木曜日)

「なによ!ビッグタンクの表紙の写真!」

ラリーモンゴリア2009!のプレエントリー用のインフォメーションの印刷があがりました。おまけにスポンサー向けの企画書も!!ところが表紙の写真とビッグタンクマガジン9月号の写真がバッティング!!中ページでもスタート前のカミオンの正面のカット「いやー、これも一緒!」そういれば前回も春木編集長が来た大会の写真は、僕たちの写真集とかぶりまくり!!これは治武カメラマンの山のような写真データの中から選ぶので、どんな根拠があればバッティングするのだろうか?というくらいの勢い。確かにハルヌール上空の写真は、今回のラリーを何よりも物語ってはいました。それにしても数千カットのうち同じものを選ぶ偶然。しかも中面もでしょ。これはそーとー、某編集長とボクの選択眼が同じということなのかなあ・・・。

ということで少し早い受付開始となったラリーモンゴリア2009・・・それはボクがローマまでインフォメーションを届けたかった?というのではありません。早く準備して、双方にコストのロスがないように!そして長い準備期間を心から楽しめるように!そんな思いです。

きょうの一枚
その、インフォメーションの表紙。


2008/09/17 (水曜日)

「出発ウイ−ク、その2」

ここのところ朝晩涼しくなってきましたから、旅に出るのには最適な気分。でも旅の終わりは晩秋のヨーロッパ。余分なウエアかもと思いつつも、1枚のジャケットを・・・街の中の探検は、今回はオデッサとかブカレスト、イスタンブール・・・異邦人の世界。

ヨーロッパ各都市では、特にホテルへのアクセスをしっかりと見ておかなければと、グーグルアースでホテルを探索してはGPSポイントのひろいだしに時間がかかります。でもこれも旅立つ前の楽しみ、上空から眺める街の佇まいにはいっそうの旅情がかき立てられるというものです。

今回は危険または問題のありそうなエリア以外は、通訳兼道案内は用意していないのであります。まあそうじゃなくっちゃ!

そして、中国の仲間は2台4×4で西安を出発して、すでに天津に到着!貨物を引き取りにかかります。いよいよ旅は始まっています。

どのようなレポートが出来るのか?お楽しみに。


2008/09/16 (火曜日)

「いよいよ出発ウイーク!」

長い旅への出発の週の朝。松尾芭蕉のごとく日々に股引の破れをつくろふ、ごとき生活かと思いきや・・・2か月分の月末をどのように遣り繰ろうかという厳しい日々なのでありますね。

モンゴルからの帰国便も、とても遅れそうでボクタチの帰国と相前後するのではないかという予想です。参加者の皆様には申し分けありませんがもうしばらくお待ちください。

ところで先週末は、東京の友人を松山に招いて飲んでいたのですが、彼曰く「リーマンが破綻した!」まだどこのニュースもやってない時点です。六本木ヒルズの外に唯一看板を出すことが許されたのは、リーマン・ブラザーズだけ。だって確か15フロアも間借りしてるんですから。

この破綻のニュースは、なにもその一企業の問題だけではないのです。金融というひとつの業界の興亡をみるからですね。黒船だ外資だ、ハゲタカファンドだ。と、日本中を恐怖に落とし込んだ外資系金融の正体ここに極まれり!なのですが・・・わが世の春を謳歌した裏には、リスクの高い勝負に出てそのハイリターンは我がものとし、損失は顧客や場合によっては公的資金だとかって結局は国民に押し付け続けてきた末路ではあるまいかと。

かつて企業のライフサイクルは30年といわれました。学校を出て好況の業界に就職しても30年後には、その業種業界は厳しい衰退の末路が。だから今最も光が当たらない業界に飛び込んでいくのが良いかもですが。じゃあ今はそれはなにか?というと、それはたとえば一次産業だったりするかもしれませんね。漁業辺りではありませんかね。農業はもうすぐバブルッてきそうだし。

とまれ企業の存在理由が問われる時代です。企業の社会的責任(CSR)という言葉が数年前から横溢していましたが、そのCSRをもう少し突き詰めてコーポレイト・シチズンシップ。つまり企業といえども公的に存在する一市民としての立場と役割を果たして、社会に対して金銭的であったりする利益を供与しているだけでは存立し得ない!ということです。つまり社会的責任を、「金銭的な負担」だと思っている企業が多いということです。しかも今はその金銭的な負担も出来ない状況になっているのですが。

さて零細といえどもわが社は(笑)企業文化の醸成を計り、常に利益を度外視して?高邁な精神による・・・・・ゴメンナサイ。

きょうの一枚
1934年、スウェン・ヘディンが流れを変えたタリム川を筏で旅して、自身の説(ロプノールはタリム川の堆積物で1500年周期で流れを変えるのだと)を証明した瞬間。自身のスケッチ。1年前の今日は、ここでビバークしていました。そしてまるでモンゴルのハルヌールを思わせる色に、少し感動。今の行程で行くと、この地に到達するのは10月1日の予定だ。


2008/09/12 (金曜日)

「秋だというのに。」

本当にすっかり秋らしくなりました。事務所の周りでは早い稲刈りが終わりました。裏のデッキには、赤とんぼが群舞していましたが、急にその数が減ってきています。秋も深まっています。中秋の名月もあと2日。

もっと若いころから、この今の場所に引越ししていたら日がな河原や目の前の山々に蔓延る?林道群で楽しい日々を過ごしたでしょうに。そういえば僕が、ナイトランに目覚めた(もう4半世紀以上前の話ですが)林道もうちの目の前すぐです。

ローマから帰ってきたら、事務所の1階部分を本格的にカフェ&ブティック???に改造しようと思っています。いや改造といってもそういう意図で作っていますから、そんなにいうほどのことでもありません。ただし、人の来にくい場所、しかも建物も外に向かっては閉鎖的な組事務所の様相。看板もなく、でも小さなウインドウからはただいま椎名コレクションのDUCATIレゴラリータが、好事家を集めています。が、中には入ってこられないようで、一長一短なことです。

この秋を堪能するはずの新しい事務所。森のざわめきや色づく周囲の木々、・・・・・なのですがそんな肝心な季節の1ヶ月以上も留守にするのでした。

きょうの一枚
山田さんへ
御殿場に来ております。久しぶりにすっきりした富士山です。頭を下げだした稲と富士山、日本のすばらしい景色ですね。軽でここまで来て明日はGS100に乗り換えて焼津で作業しているレンジャーに会いに行きます。結構楽しみながらエコをやってます。 菅原 義正
・・・菅原さんからのメールはいつも画像が添付されてきます。絵日記のように、心のままに感じたことを、少年のように、です。


2008/09/11 (木曜日)

「軽4とプリウス」

10年近く前から?「10年後に法的に走ることが許されるのは軽4とプリウスとバイクだけになる!」というのがボクの持論。近くのショッピングモールへお買い物に行ってビックリ!!「軽4とプリウスしか停まっていませんがな。」法的にというのはともかく、やはりガソリン高は、このような形になって現れるのでしょうね。

そんなガソリン高で、世界はどーなのか?!ということで、先週から「北京からローマまで走って行くのに、ガソリン代と昼飯代は幾らいるのか?」ということの調査が急ピッチ!もちろん現金を幾ら持っていくのか?という直接的な問題なのですが、案外世界情勢を知る指標になったりします。

昨年のデータが中国とカザフ以外はあまり使えないので、ちょいと心配。また中国国内の軽油不足も2台のサポートカーがいずれもディーゼルであるからして心配に輪をかける。そんで、やっぱりEU圏は、昨年も驚いたのだがさらに今年もガソリン代は高い!!部分的には日本円で300円を超えちゃうくらいだ。まあユーロ高だかんね。

ちょい話は横道にそれる。チームACPは今年は南米に遠征の模様、今日日本出発らしい。春の訪れのころの南半球、アンデスの高地を駆け抜けパタゴニアまで、相変わらずプリウスで世界の旅を続けているのには脱帽。これで世界の五大陸が完全走破かしら?人類のグレートジャーニーの証、モンゴロイドの恐るべレポートを期待したい。ついでに燃料代が南米ではどーだったのかもだ。

20世紀、石油に依存し高度に成長を遂げた人類。違う名目を掲げつつも石油を争う戦争は、いまだ繰り返され悲劇の連鎖はやまない。一方で、地球は、危機的な人口爆発を、食糧危機を招き、ついには環境破壊が予想以上に進む。すべては完全に連鎖し、関係し、何一つ単独で解決できる問題など存在せまい。

僕たちの旅は、今年も執拗にロプノールを目指す。そして天山南路を抜けて、アラル海に達する。それぞれ理由は異なるものの水を失った巨大な湖(海)だ。水と森が消えれば、文明は途絶える。

きょうの一枚
9月の壁紙より・・・ETAP-1のSS開始前、スタート地点はなんと子供たちの競馬のゴール地点。こうしたレースが良く行われているのです。もちろん最後の一人がゴールするのを待ってSSはスタートしたのです。Photo by Dr.Borudo


2008/09/09 (火曜日)

「メルマガ&HPレギュラーコーナーリニューアル計画」

につき、ついに新しい執筆陣を募集します!といってもこちらから勝手に「やってや!書いてや!」というだけのものですが・・・まあ不幸の手紙が届いた?!と思って唯々諾々と従っていただくほかはないのです。

しかし、1週間に1度のことと侮るなかれ、これはなかなかに厳しい作業になります。ただしその代わり、モノを見る目が豊かになるというか、常にテーマを探し続けている自分がいて、その自分とは「あなたとは違うんです。私は自分のことが客観的に見ることが出来るんです。」・・・同じネタかも使うな!・・・というふうに自分の再発見でもあるのですね。

しかし当然のこととはいえ報酬などアロウはずもありません。良くて「読んだよ、面白かったよ」悪い場合には「なんか最近、つまらんことなーい?」とか確実に言われます。ここでいう「最近・・・」という言葉が実は曲者で、昔は良かったのに今は悪いと解釈するのが善男善女の感じ方なのですが、最近?は違います。ここでいう「最近・・・」とは現代日本語では、「ずーっと」前から、つまり最初からぜんぜん面白くない!という意味になります。まあいえば「最近気がついたんだけど」が近い表現であります。

もう少し分かりやすく言えば
「最近面白くないよねえ」
・・・正解は「ずーっと、面白くないのですな。」

「おれって、最近うまく乗れないのよ」
・・・正解は「ずっとうまく乗れないのであります。」

または

「最近、経営が思わしくないのよ。」
・・・正解は「原油高騰でもなんでもありません。ずっとあなたの経営姿勢が悪いままなのであります。」

で、ボクは思うので、あります。(ということは、ずっと前から思っていた?)やはり、最近はうまくいかないのであります、何をやっても。・・・昨日のOVを読んでない方は参照してください。

きょうの一枚
Dr.ボルドーの空撮第2弾! FAcoat RALLY MONGOLIA 2008より。


2008/09/08 (月曜日)

「新ニッポン人」

日曜日の午後に、簡単な仕事を片付けて帰宅。するとテレビで久米宏・・・テーマは「新ニッポン人」って特番をやっている。日頃ミナサンやボクたちが悩んでいる市場の変化、掴みにくい消費動向、いったい彼ら(若者ね)は何を考え、何に突き動かされているのか!?そんなことをテレビ的に、でも懸命に作り込んでいました。評価タカッ!!

いままさに、あらゆる現場で混迷を続ける企業経営。たとえば人気のある番組は、「ガッチリマンデー」とか「ガイヤの夜明け」無くなっちゃったけど「プロジェクトX]その後継の「プロフェッショナル」・・・「フンフンなるほど」と思える部分もありはしますが、「どーもこれらは、チョイはずしてないか?!」と感じてるボク。

で、勢いに乗って言うと「これからはシルバーマーケットだ」とか「団塊の世代に売り込め」とかって、デパートの中を昭和レトロにするのもイヤ!世代をマーケティングに持ち込むのはもう古いを通り越している。まったくもって、はずしています。ついでに言うと、シルバーマーケットは確実に絶滅します。良く聞く「うちはF1層にしぼっている」「アラフォーだ!」とかいうのも、逃げのマーケティング。

つい数ヶ月前まで彼らが(って誰ら?)言っていた、大量の定年退職者が生まれる2007年問題だか2008年問題だかは、市場に何かをもたらしましたか?売れ残る(というか荒れ果てる)別荘地か?遅々として進まない国内移住プロジェクトか?どこに行っても見かけられるようになったエイジングの不十分なレトロな空間?

かつて団塊の世代の消費エネルギーに乗って、急拡大したさまざまな商品や企業。よって戦略眼を無くし次の世代のマーケットを作ろうとせずに「その世代になるとやって来る」と。たとえば18歳になると車の免許を取る。すると車を買う。やがて徐々に高級車に乗り換えていく!そうこの団塊の世代の「みんなと同じで良い」という感覚は、木っ端微塵!!

その次に現れた「多様化の時代」そして「個の時代」カスタマイズなんて言葉がマーケットを席巻していたのも随分過去のことのようですが、実はチョイ前。今の時代は「新ニッポン人」または「あなたとは違うんです」福田さんが最後に言った言葉は、今の日本をすべて表す極めて高度な発言!万雷の拍手で見送ることが出来そうです。

そしてそのテレビ番組を見て、少し謎が解けてきました。その「新ニッポン人」おそらく20代のことをそう言ったのかもしれませんが、イヤその実、新ニッポン人は政界にも多いのではありますまいか?「キレヤスイ大人たち」

きょうの一枚
FAcoat RALLY MONGOLIA 2008より。
Dr.ボルドーの空撮写真です。


2008/09/04 (木曜日)

「MAX FRITZ」

東京から帰るや、そのまま社にも寄らず今夜までずっとイベント会場の設営をしていました。イベントというのは、どれもそうなのですが長い時間をかけて準備をします。北京五輪もそうでしょうしボクたちのラリーも、今回受託しているイベントもまあ長い長い準備時間と2日間にわたる会場設営。でも本番はたったの2日間。この準備と本番の時間の関係性がお祭りやイベントなのでありますね。いやまあ明日から2日間本番!しばらくの留守をご容赦ください。

おーっ、それから東京では、かの有名な?MAX FRITZのオーナ−デザイナー?とお近づきに。子供のころから?ベルスタッフ好きで、ユーロなチョイクラなバイク、そんでまたアパレル好きなボクとしては、俄然また違う目標がムクムクと・・・まあその答えはローマから帰ってきてからにしよーお。

きょうの一枚
RCPの日陰?HINOレンジャー。モンゴルで初めてお目見えのレーシングカミオンは大人気!いえ日陰としてではなくです。モンゴルを走る姿は痺れました。 


2008/09/02 (月曜日)

「東京にて」

東京に来ています。昨日は恵比寿でチームAPIOのラリーモンゴリア報告会。尾上さんと菅原さんのジムニー対決の話で大いに盛り上がりました。その大人気ない戦いぶりに、参加されたメディアの方たちも、あきれるやら驚くやら、おまけに桐島さんもお見えになり、来年はジムニーが増殖しそうです。それにしても昨今の自動車を取り巻く諸問題!ジムニーは明確なひとつの答えを提示しているようにも感じます。

まだ残暑の残る東京の夜でしたが、熱いトークバトルは深夜まで続きました。大人気ない!というのは素晴らしい事なのかもしれません。