No.090 「サンタモニカに移動しました。」- 菅原さんからの手紙 2011/12/20 18:00

letter_090_20111220_1800_01サンタモニカに移動しました。

20日の早朝にロスからブエノスアイレスに移動するのでロスの空港の近くに移動しました。

ここはビーチか長く伸びいて自転車とランニングの専用のコースが作られております。

来て見て驚いたのですが、ルート66の始発点でもあるそうです。昨日は日曜日のせいもあり、いろいろな種類のバイクが走ってました。

尾上さんのような派手な洋服を着て細いタイヤで集団で走っている人や自作の2建てのような自転車や寝そべって走るバギータイプの3輪など見ているだけでも楽しい場所です。

時差も取れカゼも治り、万全で南米に渡りますので、応援してください。

写真の説明
1 ルート66の始発点のお店です。
2 海岸に作られているサイクリングとランニングコース。
3 市内バスのフロントに自転車のキャリアーが付いてます。
4 私のバイク JAMISのDAKARです。

菅原 義正

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No.089「アリゾナ州から」 – 菅原さんからの手紙 2011/12/15 15:10

letter_089_20111215_1510_0112 月5日に渡米して長男に買っておいてもらったマウンテンバイクを引き取り、トレーニングと時差を治すのにラスベガスに移動してバイクで少し走りました。

ラスベガスには46年ぶりの訪問です。

この町は1941年に最初のホテルが出来て、非合法でカジノをやっていたそうです。なんと私の誕生した年ですよ。 なんでベガスでトレーニングかと言うと日本食のレストランが沢山あるからなのです。調べていると「戸越ラーメン」と言う店があり私の住んでいる戸越と同じ名前なので訪ねていったら、何年も前に店じまいをしたようです。

ベガスでは街が混んでない早朝に走ったのですが、動いてない手が冷たくなりました。

長男のお奨めのアスリートが集まると言うフラッグスタッフに移動したのですが、標高が高く、周りは雪景色でホテルには雪ダルマが作ってあり、一泊だけして南のフェニックスと言う街に来ました。

このあたりは景色が良くきれいな川もあったのでしょう、ホテルの廊下には1927年
に特別に仕立てたキャンピングカーでコックさんも同行してキャンプをしている写真が飾ってます。

明日からはこのホテル推薦の自転車のトレーニングコース図を手に入れたので頑張ります。
部屋にはモノクロの写真が飾ってありキャプションには「Clark Gable and Friends」と書いてあり、4人の友人と一緒にゴルフをしている長身のクラークゲーブルさんが写ってます。

写真の説明
1 長男の会社の受付に飾ってあったバイク(未発売)
2 ラスベガスの有名な噴水
3 あの有名なルート66を少しだけ走りました。
4 フェニックスで訓練中。

菅原 義正

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No.088 – 菅原さんからの手紙 2011/12/01 15:10

letter_088_20111201_1510_01東京モーターショーが今日(11/30)から開催されました。24年ぶりに会場を東京ビックサイトに移しての開催です。

一般公開は12/3から12/11ですが12/2までは報道関係者に向けた発表で、日野さんのブースにはドーンとレンジャーを飾ってくれました。この車両は今年のダカールラリーに出た本物です。

次回大会用の車両はモンゴルでテストした新しい車両と照が乗った2号車をアルゼンチンに送ったので、私の乗った1号車を展示してもらっております。

照と朝から説明員としてレンジャーの傍におりましたが本物の迫力に皆さん驚いてくれております。

ちょっとだけ仕事をさぼって乗用車やバイクのブースを覗いて来ましたが、展示車両も多く勢いを感じる会場でした。

私と照とのトークショーが12/3の14時から14時30分まで日野さんのブースで行われます。

入場者に配られる「東京モーターショーニュース」は何とモンゴルラリーでナビをしてくれた若林 葉子さんの会社で製作しており、表紙は 松本 零士のイラストで毎日、日替わりで印刷されて12日間表紙も違うそうです。

写真の説明
1 ちょっと斜めになって展示されてるレンジャー。
2 インドネシアの鉱山で使われている超大型ダンブ。将来、我々チームのサポートカミオンになったら嬉しいですね。
3 テレビの取材も受けました。
4 尋ねてくれた若林 葉子さんと。彼女から腕を組んでくれるのに3年も掛りましたよ。

菅原 義正

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No.087 – 菅原さんからの手紙 2011/11/15 14:40

letter_087_20111015_1440_01フランスのノレブ社から1/43のモデルが世界一斉に発売されました。毎年、私のカミオンだけ造ってくれるのですが、今回は照が乗るカミオンも作ってくれました。

日野自動車さんがダカール・ラリーに挑戦して20年目になるので2台も作ってくれたのだと思ってます。

今年のパッケージには「義」と「照」の漢字がデザインされて入っおり、「鯉のぼり」もそうですが、漢字が使われてるのがとても嬉しく思っております。

ちょっとでも日本の文化が世界に向けて発信出来るのが嬉しいですね。昨年から車のデザインも歌舞伎の「隈どり」にしたり、スタートの時はフロントバンバーに「しめ縄のお飾り」を付けてます。

次回のゼッケンNO.が決まりました。照の乗る2号車は508  私の1号車は521 です。

来年のカミオンの出場台数が増えて80台近いエントリーです。

私も古希になり、選手としては恥ずかしい年になってますが、日本魂ここにあり、と頑張りますので、応援お願いいたします。

写真の説明513は義正号、526は照仁号です。

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菅原 義正

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No.086 「シェイクダウン」- 菅原さんからの手紙 2011/10/17 14:40

letter_086_20111017_1440_0115日の土曜日に日野さんのテストコースを借り切って、次回大会用の日野レンジャーのシェイクダウンを行いました。

報道の方にも来て頂き、公開テストです。

照仁が運転する2号車は今年のラリー・レイド・モンゴルでデビューしたのですが、フレーム幅を広げたり、新しい試みがあちこちに入っているので、ラリー終了後に補強の追加工事などをして、やっと出来あがりました。

全国の販売会社から選考されたメカさんも1ケ月前から本社の工場に来て頂き、毎日遅くまで作業をして頂きました。

朝から晩までのテストで、途中には報道の方や日野さんの技術の方や販社メカさん達にナビ席に乗ってもらい体験試乗もあり、無事に終了しました。

私の運転する車両は昨年まで照仁が乗っていた2号車の御下がりですが、荷台がカーボンになっていて軽量なせいか、以前の1号車より加速が早く ダートでスライドしてもそのまま加速してくれました。

良くある事ですが、こんな大事な時に転倒したり、壊したりする事があるので(我々のチームは1度もありませんよ)無事に終了して正直ホットしております。

今年のラリーに出た1号車は12月に始まる自動車ショーの日野さんのブースに展示が予定されております。ぜひ現物を見て下さい。
写真の説明です。
1 上から2号車の5月31日の状態です。フレームが組上がりました。その1ケ月後には今の状態まで作りあげて7月7日に同じコースでテストをしてそれからモンゴルに送りだしました。

2 2台が揃い、日野さんの技術屋さんがチェックしてくれてます。キャブ(運転席の長さの違いが判りますか?)

3 バンクを走る2台で、手前は照の2号車で補助灯が違います。2号車は全灯LEDを使い、1号車はHIDです。

4 軽くジャンプをする2号車です。

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菅原 義正

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No.085 – 菅原さんからの手紙 2011/10/06 10:38

letter_085_20111006_1038_019月29日(木)にバイクの世界選手権が行われるモテギに照と行ってきました。

前回の「菅原からの手紙」に写真を載せたペップさんに会う為です。彼とはダカールを通じて知り合い5年間位になります。今年はデュロイのチームのドライバーとして大活躍でカミオンクラス総合7位でした。

以前にもモテギに来てお会いしたのですが、彼はこの世界選手権のロジスティクスの最高責任者です。

今回は300トンの荷物(各チームのタイヤ他機材の全て)を3機のカーゴジャンボを借りて日本に来たのです。1機100トンの荷物を積むのですが、燃料も100トン必要で航続時間は最大9時間だそうですよ。旅客用のジャンボは12時間以上飛ぶので積載量が違うんですね。

初めて彼の経歴を聞きましたら驚きです。125ccのスペインでのエンデューロのチャンピオンを5年取ったそうです。他にISDE(6日間のエンデューロの世界選手権)に9回出て8回完走しているそうです。

SSERで有名なガストンさんも125㏄の世界チャンピンなので交流があったか質問してみたら、ガストンさんが主催する砂の走り方の勉強会がベルギーであり、2回程行ったと言ってました。

やはり、ダカールで活躍している人はとんでもない人達なんですね。

来年のデュロイのチーム体制は以前カミオン部門で総合優勝したスティシーさんとWRCのチャンピオンのミキ・ビアシオンさんとデュロイの息子さんの3台が優勝を狙い、彼は本コースを走るサポートの様です。

やはりダカールの情報を早く掴んでおり、今回のスタート地点のマル・デル・プラタの海岸に人口的な砂山を作り、プロローグをやるとか初のゴールになるペルーの砂丘は砂が柔らかいから注意が必要だとか、色々と教えてもらいました。

彼の自宅はバルセロナにあるのですが、580ヘクタールあり、一周63キロのオフロードコースを持ってるそうですよ。

追伸 先日私がサポート役で行ったウルトラ・トレイル・デュ・モンブランの放映がNHKのBS1で10月10日(体育の日)の午後10時から100分の番組で放映されます。時間があったら見て下さい。

写真1の説明 前回の写真に本人のサインを頂いて来ました。スペイン・バハの写真だそうです。
写真2の説明 コースを案内してくれてるペップさん。
写真3の説明 ピットで一瞬開いたホンダのブースの一枚です。
写真4の説明 バイクの収集の話になり彼は20台位のコレクションがあるとの事なので話をしていたらブルタコの話になり照に買ったコタ25の話題になりました。彼はこの新車を1台持っているそうです。

菅原 義正

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No.084 2012のダカールラリーのメカさんがきまりました – 菅原さんからの手紙 2011/09/28 02:20

letter_084_20110928_0220_01各ディラーの優秀なメカさんが多数応募して頂けるのですが予算の関係もあり、全国から4名の優秀なメカさんを選考させて頂きました。

毎年ダカールは過激な戦いになっており、危険きわまりないのです。

次回の照の乗る車両をモンコルでテストしたのですが、一割位速くなっているのであちこちにクラックが入ったりして問題が発生します。
軽量化を徹底的にやり、300kgの軽量化に成功しました。

昨年は200kgなのでトータル500kg軽量化です。
軽量にすることにより、加速と制動に効果が顕著に表れます。

写真1は昨年の照のジャンプです。

写真2うえの砂丘からを降りるレンジャーです。

写真3は我々の仲間のペップさんジャンプです。

こまったものですね。

菅原 義正

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No.083 KAUFBEUREN (カウフボーレン) – 菅原さんからの手紙 2011/09/21 21:47

letter_083_20110921_2147_01この町は我々チームのバイクのサポートをしてくれているカイザーさんの町の名前です。

彼は10年位前からダカールラリーで我々チームのバイクサポートをしてくれたり、ラリーレイドモンゴルでは私がホンダ パイロット(2サイクル単気筒400cc)で出た年とヤマハ ライノ(4サイクル単気筒650cc)で出た年に専属で私のメカをやってくれ、その後、ドイツの友人を連れて何回かラリーレイドモンゴルに出てくれたのでSSERの関係者は良くご存知ですよね。

実は彼の町を訪ねるのは初めてでした。ミュンヘンの空港に着いたら、彼の手配で空港の近くに住んでいるカールさん(彼もラリーレイドモンゴルに出ております)が迎えに来てくれ、彼のアウディでカウフボーレンまで連れて行ってくれました。空港から西南に1時間程走った所にカイザーさんのショップがありました。

そこから車で1時間も走らない範囲にあの有名な「ノイシュバインシュタイン城」があるのです。彼の手厚い招待を受け、幸せな時間と空間を感じてきました。

写真1 彼の町の名前のビールで後ろにはカイザーさんがぼんやりと写ってます。味は日本のビールを薄くした感じでした。
写真2 彼が予約してくれていたホテルです。花が奇麗でした。
写真3 ホテルの入り口にあった、昔使っていたリヤカーの様な台車です。
写真4 ここからが大変です。足回りとフレームが現在の車と同じにUボルトで固定されてます。この後に横にリーフスプリングが使われてサスペンションが付く事になります。長い事使ったのか、車輪の外側に巻かれた鉄板はすり減ってますね。

菅原 義正

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No.082 ULTRA-TRAIL DU MONT-BLANC 2011 「三好 礼子さん初出場で完走」- 菅原さんからの手紙 2011/08/30 16:09

シャモニー(フランス)をスタートしてイタリアに入り、スイスを走り、シャモニーに戻ると言う超人的な競技でした。

世界中から2300人の選手が参加しており、166kmを46時間以内に走らねば失格です。

礼子さんは26日の23時30分にスタートして27日は丸一日走り、28日の20時に到着です。43時間と言う制限時間内で一睡もしないで2500メーターの山を5つも超えて走って来たのです。

我々サポート隊は事前にサービスポイント(エイドと呼ぶそうです)を廻りGPSに入力していたので、走る場所のすごさを覚えただけに、ゴールに入ってきた礼子ちゃんには感動です。

サポート隊も大変で選手しか走れない山があり、その先のエイドに行くには遠回りして行かなければならないので、43時間で寝たのは全部で2時間くらいで、こちらもウルトラです。

完走した選手とご家族が一緒に走ってゴールするなど感動的なシーンがいっぱいでした。

写真の説明
ゴール直後の礼子ちゃん
大会のロゴ
サポートに使ったハイラックス

菅原 義正

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著者紹介 菅原義正氏

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No.081 – 菅原さんからの手紙 2011/08/22 21:47

43年ぶりに空路でミュンヘンに入りました。

何と荷物の引き取り所で仰天です。
こんな大きなBMWのラジェターグリルでお迎えされました。

三好 礼子さんが ULTRA-TRAIL DE MONT-BLANCと言う競技に参加されるので、私はサポート員としてのドライバー役です。

シャモニーをスタートして2000メーター以上の山を5つも超え、167kmを走り46時間以内にシャモニーに戻ると言う大変な競技です。

空港にはモンゴル・ラリーに出場したKARL HEINZさんが迎えに来てくれて、礼子さんと130KM程離れたカイザーさんのガレージに向かいました。

ダカールのサポート用に昨年購入したハイラックスの中にはお願いしていた通りのキャンプ用品が新品で用意され、礼子さんはキャーキャー言って喜んでます。

今日は朝5時過ぎにカイザーさんが車で迎えに来てくれ、40分位の処の山へトレーニングに行きました。用意も終わったので明日スタート地点のシャモニーに移動します。

写真の説明
迎えてくれた巨大なグリル。
空港の入り口にあった波乗り
オシャレな空港のカフェ

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.079「モンゴルに着きました」- 菅原さんからの手紙 2011/08/03 23:46

昨日(8/2)日野レンジャーでの参加の照とナビの杉浦君を空港に迎えにいきました。街が混んでおり早めに出たら一時間も早く着いたのですが、携帯の調子が悪いので二階の出発口のテラスに出て携帯をいじっていたら、30代位の若者達が寄ってきて、急に彼たちが持っている携帯を私に渡すのでした。

電話に出てみたら「スガワラサン 私はジャルジャルでーす」と言われびっくりです。私がHINO TEAM SUGAWARAのTシャツを着ていたのでスガワラだと分ったようです。話の内容は会いたいとの事と新しい日野レンジャーを見たいとの事でした。

ジャルジャルさんは以前、ロシアン・ジープで何回もラリーに出ており、ある時に相談を受けました。内容はピストンリングが弱いので、強いのが出来ないか?   との事だったので、その為にはピストンとシリンダーが必要だと言ったら、翌日に4気筒あるシリンダーブロックの1気筒分だけをドリルだけを使って切り離し、ピストンと一緒に持ってきました。

日本に持ち帰り、我々のスポンサーさんでもある日本ピストンリングさんに持ち込み、ご説明をしたら快く、それも無料で10台分のスペシャルなピストンリングセットが出来上がり、彼に早速、送ったら大喜びでオフロードの大会で何回も優勝してました。

お礼にウラルのサイドカーを送ってくれました。古い物なのでレストアをして大切に乗っているのですが、よく壊れるのでモンゴルに来る度に買い物をしているうちにエンジンが3機とミッションが4機になってしまいました。

更に新車も買い、病気が伝染して尾上さんにも移ってしまいました。

菅原 義正

写真はウランバートルに着いた新型の日野レンジャーと街から5KMも離れたらこんな景色が続きます。空港の建物です。

 

No.078 – 菅原さんからの手紙 2011/07/26 12:00

北海道4DAYSは斎木校長先生の居ない寂しいラリーなりましたが、そんな中でも、殆んどが道外の参加者が集まってくれ意味のある大会になりましたね。

4日間むの殆んどが雨で、更に台風が来て、予定通りに帰宅出来ない状況になり、皆さん大変だったでしょう。

私も予約していた苫小牧-大洗のフェリーが欠航になり、表彰式の翌日の朝9時30分に芦別を出発して、青函連絡船を使い、品川の自宅に着いたのが翌日の朝の7時30分でした。

私は北海道の小樽生まれなので、あえて言わせてもらいますが、道内の参加者が居ない事に怒りを感じます。

聞くところによると夕張でエンデューロの大会があり、バッティングしているとの事ですが、ラリーレイドとエンデューロは違うので、要するにオフロードが好きなライダーが居ないと言う事なのです。

その後に更に驚きました。函館のフェリー乗り場に着いて時間があったのでホームセンターで買い物でもしようと、らしき施設に行ったらとんでもない広い駐車場に車がびっしりです。建物に入ったらなんとパチンコ屋さんでした。

パチンコは悪いとは言いませんが、あまりにも小さな賭けで、外人を案内したら信じられないと言われます。

外人だったら、その時間にはもっと意味のある趣味を楽しんでおります。

グギを一本も打てない借家住まいの日本のシステムにも問題がありますね。

北海道は「Boys be ambitious」なんですがね。

菅原 義正

写真は赤松さんです。


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No.077 – 菅原さんからの手紙 2011/07/11 15:11

会社の前で「隈どり」の模様が入れられ、日野さんから技術者の応援も頂き、最終調整も終わり、日野さんのテストコースで走行確認を一日して積載車に乗せられて神戸港に向かいました。

テストコースでは外周路(両側にバンクが付いた舗装路)を最初に走り水温やオイル温度やインタークーラーの入り口と出口の空気温度などを調べながらの走行のようでした。(私は見て居ただけなので)

その後、内側に作られたダートのコースを何周も走ってました。加速が速く、見ているだけで軽量化の効果が表れていました。

水温もインタークーラーを荷台に付けたので安定しており、効果が表れたようです。

テスト走行後には新しく担当になった若い技術者の皆様に助手席に乗って貰い、体験走行会です。

自分達の想像以上の走りだったらしく、皆さんかなりの興奮をしておられました。

モンゴルでの走りをお楽しみに。

菅原 義正


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No.076 「2012ダカール出場車両出来ました。」- 菅原さんからの手紙 2011/07/05 12:54

今回は焼津にある坪井特殊車体さんの工場をお借りして、日野さんの各担当のエンジニアや弊社から社長(照)を始め、モンゴルから2名の応援を得て、焼津に泊りこみでの作業でした。

写真でお分かりのように弊社で製作したベットレスのショートキャブと坪井特殊車体さんの技術で作られた、フレームと新設計のリアーボディ、そして日野さんで更にチューンされたエンジンが合体されております。

次回は改造クラスにエントリーするので、新しい試みが随所に表れております。リアボディの前側が上がっているのは、この中にインタークーラーとエンジンオイル、ミッションオイル、トランスファーオイルのクーラーが収められております。

次回の開催場所はアルゼンチン、チリ、ペルーと発表されており、スタートの1/1は夏休みが始まる時期で、外気温が高いのと高地を走るので沸点が低くなり、オーバーヒート気味になるので、今回はラジエーターの前にあるインタークーラーをリアボディに移動させました。

リアボディの外板は特殊な生地のホロにして、軽量化を図っております。

これから例の歌舞伎の「隈どり」の模様が入れられ、日野さんのテストコースで走行テスト後に船積みされ、モンゴルに向かいます。

どんな走りを見せるか楽しみです。

菅原 義正


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No.075 「古希のお祝い」- 菅原さんからの手紙 2011/06/16 21:19

先日、友人達が集まり古希のお祝いをしてくれました。

すごいポスターと人形を作ってくれましたよ。

10年前の還暦のお祝いでは山田さんから赤いちゃんちゃんこではなく、赤いベストを頂き、その後の10年はあっという間でした。

TBIも11年連続で出場し、だんだん上手(自分なりに)になっているので、70歳と言われ自分でもびっくりしております。

自分のお祝いにマツダロードスターを買いました。
(今までの自分の車はご存じのダイハツ、ハイゼットカーゴ)

昨日、納車になり今日は御殿場まで往復してきましたが、疲れが全然ちがいます。ハイゼットでは130以上出すのですがタイヤが細く、横風を受けるので結構神経を使いますがロードスターの最高は120位でも気分良く走れましたよ。

ポスターと人形には作った人の優しさが表れていますね。
持っているビールにご注目下さい。

ポスターを書いた人は今回、初めてお会いした人で、人形を作った人にはまだお会いしていません。車と台を作ってくれたのは昨年の北海道4DAYSに私と一緒に出た鈴木賢さんです。

明日はジムニーに乗って松山の車検会場に向かいます。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.074 「お別れ」- 菅原さんからの手紙 2011/06/13 14:24

我々のとても大切な仲間の斎木校長先生が亡くなられ、山田さんと葬儀に出席してきました。

先生は平成2年に芦別の北日本工学専門学校の校長として岐阜の本校から赴任されて以来、我々チームのスポンサーもして頂き、モータースボーツ発展の為にとても深いサポートをしていただきました。

SSERのイベントではツールドニッポン、TBI、北海道4DAYS、ラリーレイド・モンゴルなどで競技の参加者だったり、オフィシャルだったり、素晴らしい活躍でした。裏の無い純粋な性格に我々はいつも頭の下がる思いでした。

お病気になり、頑張って治療を続けていたのですが帰らぬ人になりました。

この次の北海道4DAYSには先生は居りませんが、先生に感謝して走り、今後に繋いでいく責任を痛感しております。

先生の遺志をついで末長いイベントを続ける義務を感じました。皆様の応援をお願いいたします。

写真は出棺を終え、学校のサーキットを一周し、後ろからはモンゴルラリーに出たジムニー、フォレスター、バジェロが追走しました。

先生のご冥福を皆様でお祈りしましょう。

菅原 義正

 


著者紹介 菅原義正氏

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No.073 「合体です。」 – 菅原さんからの手紙 11/06/06 16:12

5月31日に写した写真を送ります。

事前に焼津の坪井特殊車体さん(私とは40年のお付き合いがあり、毎回、レンジャーのリアボディを作ってもらっています。) にお願いしてたフレームと弊社の恵比寿の工場で作っていたキャブ (運転席) が合体しました。

この車両に日野さんでチューニングしたエンジンが載ります。

次回は改造クラスにエントリーするのでインタークーラーはラジエーターの前ではなく、荷台に移動するようです。

今年の車両はケブラーを荷台に貼っていましたが、今度は更に軽量化を図り幌になります。

テストはラリーレイドモンゴルですが、本当に間に合うの? 今日は天気が良かったのでBMW1200GSを引っ張り出し、御殿場の工場に行ってきました。

用件は佐藤薫さんに見てもらうウラルのミッション3ケSSERに送りました。

650cc用のミッションが合計5機もあり、取り敢えず3ケをばらして調子の良い1機にしてもらう作戦です。 イーチのホイールも特注スポークが張られて来たので、こちらのレストアも大変です。 とりあえずはモンゴルデビューの日野レンジャーにご期待下さい。

弊社の御殿場工場の隣では新しくモンゴルに出場する高杉君が全開で車両を作っていましたよ。新しい仲間は大歓迎ですね。

尾上さんと私の戦いにも応援くださいね。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

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No.072 – 菅原さんからの手紙 2011/06/02 14:57

 5月30日の月曜日はアメリカの戦没記念のメモリアルデーで祝日だったそうです。ワシントンDCでは、恒例のローリングサンダーというバイクでのパレード行事があったと、アメリカに赴任した長男から写真が送られてきました。

なんと集まったバイクの数は40万台だそうです。

私、個人的には大の大人が「バカッポイ」事を真剣にする事がとても大切だと常々思っています。

バカサ=若さ=バイタリティです。 日本はバカサが無いからバイタリティも生まれません。

仕事は前倒しでは無く、後送りで、事なかれ主義なので、今では問題が山積していますね。

バイクの運転より人生の操縦の方がとても大切ですが、バイクの運転が出来ないのですから人生もどうなんでしょうね。(極端な発想ですが・・・)

東京はバイクで街に出かけても駐車する場所がありません。

しょうがなく車で歯医者さんに行って治療費が500円で駐車場代が1200円です。こんな国は日本だけですよ。

明るさが無い変な国ですね。

菅原 義正


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No.071 – 菅原さんからの手紙 2011/05/26 14:33

5月20日(金)と21日(土)と22日(日)とで次回のラリーレイドモンゴルに出る有志が集まり、砂の走行練習に行ってきました。

最初はジムニーで出る「まるちゃん」の特訓の予定でしたが、何と集まったのは15名にもなりましたよ。

この場所は私がファラオに出る時に使ったり、地元の許可を取って日野さんの最初のテストやパリダカに出た佐野新世君の練習に、たまたま日本に来ていたガストンさんの指導をうけたり、昨年出た「ahead」の若林ドライバーの特訓をした場所です。

日本にはなかなか走れる砂丘地帯が無いので重宝しています。まるちゃんの希望でスタックした時の脱出方法や砂丘の登坂の練習、タイヤとエアー圧の関係など机上では無く、実際に体験しての勉強会です。

泊った場所はSSERのイベントで使うキャンプ場に負けない位の素晴らしい芝生の場所で、練習が終わったらすぐ近くの温泉に行きそこの食堂でビールで乾杯です。

私にはサプライズがありました。ちょっと早めでしたが、ケーキまで用意してくれ、素晴らしい誕生祝いをして頂きました。写真は兵庫の五百蔵さんが撮影です。

やっと70歳です。有難い事です。

 

 

菅原 義正 


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No.070 – 菅原さんからの手紙 2011/05/19 13:01

山田さんが「海へ」の事を書いたので急に懐かしくなりました。蔵原監督は「海へ」を作る前の年に小さな8ミリカメラを持ってパリダカの取材に来たのです。その時にキャンプ地で何回かお話をしました。

翌年のラリーで「海へ」のクランクインをしたのは知っていましたが、ラリーが終わって日本に居たら急にチュニジアで撮影中の蔵原監督から電話が入り、3日後にはチュニジアに向かいました。

チュニジアのチュニスに着いて、レンタカーを借りて800キロ先のロケ地に一人で向かいましたが、GPSも無い時代なので地図だけでした。

途中のレストランで食事をしていたら、オーナーが「何処に行くの」と尋ねてきたので、ツ・ズールで1ケ月映画の撮影で滞在すると話したら彼は昔、日本人の遠藤さんと仲が良かったので「遠藤さんを知っているか?」と尋ねてきました。日本には遠藤さんはイッパイいますよ。なんて話をしていたら気に入られたのか、彼の奥さんを1ケ月貸すから帰りに返してくれれば良いと言って奥さんを連れてきました。(一夫多妻なので)

丁重にお断りしましたよ。

こんな話をしたら朝までになりますね。写真のシーンはチュニジアで写しました。このシーンに立ち会った人は何人もいないので懐かしくお手紙しました。

追伸 蔵原さんは2002年に亡くなりました。石原裕次郎主演の「栄光の5000キロ」も彼の作品で、その時使った日産のブルバードは小樽の「裕次郎記念館」に飾ってあります。 蔵原さんと私は誕生日が一緒でした。

菅原 義正


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No.069 – 菅原さんからの手紙 2011/05/12 13:17

今年のTBIは適度なお湿りもあり、とても楽しく走らせて頂きました。

初出場の長谷見さんも言っていましたが、あれだけのオフロードが走れるのはSSERのイベントだけですね。改めて山田さん始めオフィシャルの皆様に御礼申し上げます。

帰ってすぐの土日に会社に行き、北海道4DAYSの為の改造に取りかかりました。マップホルダーの位置を少し上に付けてみました。補助灯はとても明るいのですがアメリカ製なのかHIDのシールドされた電球なのに、水滴が中に入りショートしてだめになり、新しく別なタイプをオーダーしました。

今日はチエーンを洗浄しましたよ。

モンゴルでデビューする新しいレンジャーですが、照が毎日、遅くまで作業をしており、かなりのスピードで作業が進んでおります。

別班は焼津の工場でフレームの穴あけ作業が始まっており、急ピッチです。

今日は補助灯のLEDのランプのステーを私が作りました。私は使った事がないのですが、とても明るいそうです。

「欠点はちょっと重い」

室内も色々な計器が付けられてきました。

菅原 義正

 

 

 


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No.068 – 菅原さんからの手紙 2011/04/27 22:36

次回に向けて着々と作業が進んでおります。

ロールバーも更に研究して乗員の安全を考えての補強が入っております。写真では屋根が付いていますが、ロールバーを室内で溶接で組み立てるので一番最後に屋根を付けるのです。

「屋根があると溶接のトーチが入らないからです。」

室内にはダッシュボードやハンドルやシートなどが仮に付けてドライバーとのマッチングをしております。

もう1枚の写真はドアに穴をあけて軽量化をしております。

我々チームは次回から改造クラスにエントリーします、改造範囲の制限が緩やかになるので、かなりの軽量化が出来ます。

連休明けには焼津の工場での作業になり、このキャブ(運転席)も運ばれて、シャシーとドッキングされます。

また、作業の進行状況をご報告します。

追伸 私は明日、新しく塗装された(レンジャーと同じデザイン)ダイナに乗ってTBIのスタート地点に向かいます。このダイナはTBIのカミオンバレーとして使われるそうです。

菅原 義正


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No.067 – 菅原さんからの手紙 2011/04/18 16:36

16日に初めてモンゴル仕様2011モデルの試乗をして来ました。

昨年の車両を良く調べたら、ターボーが良く働いて無かったので新しくしました。

軽量化は写真の様にリヤドアは幌です。給油口は室内にあったのですが、幌の開閉を少なくする為に、ルーフに移動しました。

尾上さんはボンネットをケブラーの軽量の物を付けたと威張っていますが、私のは両サイドのフェンダーが薄いファイバー製です。

ボンネットの穴はインテークマニホールドとターボーに走行風を当てて冷やしています。

御殿場のオフロードを体重90キロの弊社の高橋を乗せて走りましたが、体感出来る程の加速感がありました。

今年も七沢温泉では尾上さんにご馳走になりましょう。

楽しみ、楽しみ。

菅原 義正

 


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No.066 – 菅原さんからの手紙 2011/03/30 18:29

東日本では想像を超えた災害を受け、被災された皆様にかける言葉がありません。

嬉しい事にはSSERの山田さんがすぐに動かれ、同じ気持ちの我々のラリー仲間が多数、現場に行った事です。「じじばばネット」の中島さんが書いているように「民間であれだけの物資とそれを運ぶ機材と人材を持っているのはSSERだけだと」私も同感です。

今回の災害には色々な方がコメントしており、私からはノーコメントにします。

次回のダカールですが、一時はブラジルからスタート? などと言われていましたが、正式に発表がありました、アルゼンチンの首都より少し南の町から、チリを通過してペルーのリマがゴールになるそうです。

2-3年前はチュニジア-リビア-エジプトなどの話もありましたが、ご存じの通りで開催は不可能ですね。

我々チームは次回に向けて車両の改造中で、照が乗る2号車は新しいコンセプトで製作しております。上の写真はフルキャブをショートキャブに変更(29センチ短くなり軽量化を考えての事です)し、下の写真は3/29の夕方に写した物でレギュレーションに基づいたロールバーが入りました。

この写真はFIAの最低元の仕様でまだまだ補強が入ります。

少しずつですが、改造の報告をしますね。

追伸 モンゴル・ラリーの件でAPIOの尾上さんと久しぶりに電話で話しました。次回の私のジムニーはダカールから学んだ全てが注入された車両になっています。尾上さんは心配そうでしたよ。これもお楽しみに。

菅原 義正


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No.065 – 菅原さんからの手紙 2011/03/08 15:23

来年に向けての用意が始まりました。

照とバイラーさんとモンゴルの人〔毎年モンゴルで私の車を整備してくれるアンハー君〕 3名が2/23からフランスの工場でサービスに使っている日野FU 6輪駆動車の荷台の改造中です。

タイヤ〔ホイール付きで160KG〕を吊り上げるクレーンを新作したり、前方に荷室を増設して、スペアーミッションを吊り上げて、レールで中に入るようにしたりです。

所変わって恵比寿の本社では新しいキャブ〔運転席〕の屋根と後ろ面を取り外し中にロールバーを入れる準備中です。

こんな事をしているうちにすぐに1年が過ぎてしまいますね。

第一目標は新しく作ったレンジャーをラリーレイドモンゴルでデビューをさせます。コンセプトの違った車両になるのでお楽しみに。

写真は今年の私が乗っている1号車です。

FACE BOOK の映像には照が運転している2号車も出てきます。 1号車は前から見ると大きな補助ランプが付いています。後ろから見ると扉かあります。 2号車は後ろの扉が無く、開放になっています。

6分弱なので、お楽しみ下さい。

菅原 義正

以下、リンク先の映像をお知らせします。(リンク先は終了している事があります)

http://www.facebook.com/video/video.php?v=190272887673716&oid=103241499749690&comments


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No.064 – 菅原さんからの手紙 2011/02/18 12:00

今年のダカールラリー参加者に配られた資料をお知らせしますね。

最初の図はSAGE 5のSSだけの展開を書いているものです。左上は自動車とトラックの走るコースの標高と下には路面の様子が書かれております。今回はバイクと自動車が違う道を使う事が多々ありました。

SSだけのコース長は423km スタートの高度は3000mで3200mまで上がりゴールのイキケには高度1200mから一気に海抜0メーターまで駆け降ります。

下を見るとわかるのですが、アップダウンをしながら94kmの砂丘が続くのです。

約御殿場と東京間くらいですね。
2枚目の図はコピアポオに行く日で砂丘が7kmと92kmと17kmと102kmでTOTAL218kmで図を見るとアップダウンの連続でね。

この場所は昨年、落盤事故があり、33人が無事に生還した有名な場所でキャンプ地には人間を引き上げたカプセルが展示され、皆、記念撮影をしていましたよ。

移動する距離もすごくて、毎日SSを含めて700キロから800キロを走るので持久力も必要ですよ。

菅原 義正


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No.063 – 菅原さんからの手紙 2011/02/10 14:43

先日、facebookを通じて1枚の写真が送られてきました。

1983年(初めて出た年)の1月2日の朝で、場所はニームの近くの軍の演習地を使ってのSSです。とても寒い年でコース内には凍結している場所もありました。

1月1日の朝、8時過ぎにコンコルド広場を出発してパリの近郊でSSが1本あり、更に国道20号線を約1000km南下し、このニームに着いたのが朝の7時頃で、一睡もしないでのスタートでした。

大きな荷物とスペアータイアを持ってないのは、ニームの駅のコインロッカーに預けてきたのですが、このSSを終わった後にニームの駅を探すのが、とても難しく困り果てた記憶があります。なにせコマ図はSSのゴール地点からニームのフェリー乗り場までしか書いてありません。

その話を続けると1週間くらい必要なので、置いておき車両を見て下さい。

ヘッドランプにはガードが付いています。補助灯としてシビエのランプがハンドルの右に付いていますね。そこには盗難防止のワイヤーロックが掛けてあり、ハンドルには風防があり、テールランプはレギュレーションで2ケ必要なので結構大型が付いています。リアーの両サイドには水のタンクが付いています。

私はコンタクトレンズを使用しているので、ゴーグルは必要不可欠なのですが、裸眼で走っているのは、温度差でゴーグルが曇って使えなかったのですね。

一枚の写真ですが、写してくれた人に感謝し、この年でもなんとか頑張ってパソコンと向かい合っている事で、良い意味有難い事です。

 

菅原 義正


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No.062 「曲芸師」- 菅原さんからの手紙 2011/02/02 13:47

写真は昨年の物ですが、今年も同じ場所も通りましたし、更にすごい場所も用意されておりました。

ウエイポイントがとんでもない砂丘の真上に用意されており、その200メートル以内に入らないと車載のGPSの機械が認知しないのでペナルティになります。途中で止まっているバイクのライダーはポイントの真ん中を狙って走っていたんですね。我々はリスクの少ない場所を探し200メーターギリギリを狙って走っています。

今年は68台のカミオンの内、転倒したのが20台以上でした。いやな事に新しいカミオンの屋根には転倒した時に起しやすいように両側に2ケフックが付いていましたよ。

スタートして2日目のSSで前を走っていたカミオンが横倒しになって道を完全に塞いでおり、乗員が起して欲しいと言っているのですが、なにせ我々のレンジャーの2倍くらい大きな車体でした。もたもたしていたら時間がもったいないのでトランスファーをLレンジにして引いたのですが、1回目はだめで2回目に勢いを付けて引いたら、何と起きてしまいましたが、まだ道路を塞いでおり、前輪のタイヤはリム落ちしてパンク状態なので、フロントのフックにロープを付け替えで引っ張りやっとカミオンが通れるスペースをつくってあげました。

その為に時間をロスしたので、書面にして主催者に報告したら、5分を引いてくれて、転倒したドライバーも主催者に報告に来て、スガワラは引き方が上手だったと話したそうです。あまり嬉しくない話ですね。

そんな訳でこれからはドライバーやライダーではなく、曲芸師と呼んで下さい。

追伸 2/13の21時から90分番組(総集編)がJ SPORTS ESPNで放映があります。

菅原 義正


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No.061「パンアメリカンハイウエイ」 – 菅原さんからの手紙 2011/01/24 13:47

ブエノスアイレスの市内もそうですが、我々のSSをする郊外の農道まで四角に区切られております。市内の道のほとんどが一方通行で100メーターの間隔で区画されており、その距離を1クアドラと呼んでおりました。 市外の農道は400メーターで直角右とかで畑なので区画距離が長くなります。

写真の1枚目はとても分かりやすい標識ですね。一番右は最高速度90km/hで最低が60km/hで車線ごとに最高速度を表しているので、初めて走る人にも優しい標識です。

写真の2枚目は走る車種を指定しております。ちなみに我々ラリー車は最高速度(リエゾンもSSも) が140km/hに指定されており、オーバーすると車載のGPSに記録されるので罰則の対象になるのですが、リエゾン中は一番左側を走れます。

この高速道路は混雑がひどくなると料金所がフリー(無料)になります。

この道はパンアメリカンハイウエイと呼ばれ、完成するとカナダまで行けるそうですよ。ちなみに、ペルーのリマまでバスで行けるのですが、72時間もかかるそうです。

その間にアンデス山脈(4700m)を越えるので、酸素が出てくるのかもしれませんね。バスのタイヤにはCTISと言う、我々が使っているのと同じ装置が付いており、高地に行ったら運転席から減圧が出来ます。

日本の感覚だと峠を登ったら、すぐに降りると思うのですが、3500メーターから4700メーターの台地を200キロメートルも走り、その台地に山があり、標高6000メータークラスです。

ラリー中にバイクで旅行中の2人の日本人に合いました。

もっと日本の道路公団は勉強すべきですね。

菅原 義正


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No.060「盛り上がり」- 菅原さんからの手紙 2011/01/19 14:11

1枚目の写真はスタートセレモニーの時でパルクフェルメから出た車両は街の中心街を一周して観客の皆様に見て貰います。

「7月9日大通り」を通行止めにして行われ、先にはこの街の象徴のオリベスコがあり、そこを回ってパルクフルメまで行進しました。20万人も集まったそうです。

2枚目の写真はブエノスアイレスから最初の目的地のビクトリアに向かう途中の写真です。これでは走れません。

各、キャンプ地に到着するとこのような人だかりが出来、何か日本にない盛り上がりと言うか勢いを感じてしまいます。

事前に新聞などで発表されるのか、SSの沿道にテープが張られ、ものすごい数の観客がおりました。

警備にあたった警察官は25,000人だそうです。

日本との違いの大きさに考えさせられます。

菅原 義正


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No.059「再会」- 菅原さんからの手紙 2011/01/11 13:10

今日はアリカでの休息日です。

ラリーは「再び集う」と言う意味もあるそうですが、ダカール・ラリーを30年ちかくもやっていると、世代が変わり顔見知りが少なくなってきました。

今日、我々のキャンプにフランスの新聞記者を連れてエッチエヌ・スミルビッチさんが訪ねてきました。彼とは1985年に一緒のスポンサーさんの協賛を頂き、お互いにパジェロでの出場でした。彼のナビゲーターは昔、サッカーで有名なレイモンド・コパさんです。

私はナビゲーターでドライバーは俳優で有名な夏木 陽介さんです。

ある夜に走っていたら、彼の車が止っていて我々に助けを求めてきました。 よく調べてみたらオイルプレッシャーゲージが根元から折れてエンジンオイルがもれており、私は早速、彼のハンマーの柄の一部を削り、オイルの漏れている穴に栓をしてあげました。その何日か後に今度はセルモーターの調子が悪くなりエンジンが始動しないとの事なので、先日使ったハンマーを出してもらい、セルモーターを叩いたらなおり、彼は驚いて、これはマジックハンマーなので次に出るときはネックレスとしてこのハンマーを首からさげてくると言っていました。 そんな思い出話を記事にするようでしたが、最後にスガワラは何回目?と聞いてきたので28回目と言ったら、彼は29回目だと言うのです。

それはおかしいといったら、主催者に確認を取ったら中止になった2008年もエントリーしているので出場回数に入れて良いと言われてそうです。

そんな訳で私も29回の出場になりました。

明日の情報が入りました。昨日と一昨日のステージが厳しすぎて、明日はカミオンクラスだけSSのCP3で終わりになるようです。明日は208kmのリエゾンと611kmのSSでしたが我々のSSは192km地点で終了です。

写真はダカール最多出場回数の二人です。

菅原 義正


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No.058「あけましておめでとうございます。」2011/01/02 19:52

2010のSSERのイベントは盛りだくさんになり、ほとんどのイベントに参加させて頂きました。杉村くんのお手伝いもあり、すそ野の広がるイベントも企画されとても楽しい一年でした。

2011のイベントも更に楽しくなりそうなので、今からとても楽しみにしております。

こちらは車検も無事に通過してパルクフルメ中で、カミオンクラスは1日の午後8時頃にスタートして約380KM先の最初のキャンプ地であるビクトリアと言う町までリエゾンです。予想到着時間は12時を過ぎそうです。

皆様、良いお正月をお迎えください。

追伸:オフィシャルの皆様へ
2010もお世話になり、ありがとうございました。
では、行ってきます。
ラリー中の様子はwww.j-r-m.co,jpでお楽しみ下さい。

菅原 義正


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No.057「情けない」 菅原さんからの手紙 2010/12/30 22:30

日野自動車さんがダカール挑戦20周年の記念として車体のデザインを日本の伝統である「歌舞伎の隈取り」をイメージしたデザインにして頂きましたが、文化を継承しなければならない大事なお人が世の中を悪い方に騒がせております。

我々は日本の文化を世界に示すことも大切なことだと思い28年もやってきました。とても残念なことです。

30日は午前4時20分にホテルをチェックアウトして車検会場に向かいます。

添付写真はカードにしてラリーの途中でファンの皆様に配るように大量に日野さんが用意してくれました。

菅原 義正

 


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No.056 「全てが逆?」- 菅原さんからの手紙 2010/12/29 17:48

letter_056_20101229_01今日はこちらで磁石(コンパス)を買いました。キャンプ用品屋さんはあるのでしょうが、中々そのお店が見つかりません。散々探して、ジェスチャーや筆記でNとSを書いてコンパスを分って貰いましたよ。

写真を見て下さい。左はこちらで買ったコンパスで矢印は南を指しています。右は日本から持ってきたコンパスで北と南は逆に指していますね。

早速、麻生さんの開店のパーティが始まる寸前に山田さんに電話しました。彼曰く、お風呂の水を抜くと抜ける時の廻り方が日本と逆なので、やって撮影してみて下さいとの事です。

このホテルはシャワーだけなので、洗面台でやりましたが、水だけだと良く分からないのでトイレットペーパを小さく切って流したら左巻きで流れるのですが、時として右にうずを巻きます。

日本の流れ方を教えて下さい。ちなみにおしっこは真っすぐに出ますよ。

(山田 注: 台風などの渦は北半球では左回り(反時計回り)南半球は右回りです。これは地球の自転のなせる業ですが、洗面台などはその形状による渦で、判別は不能です。しかし菅原さんのいうとおり、かなりな部分で違いがあることは事実ですね。)

やはりこんな環境なのでチーム員の一人は倒れまた。

ラリーとは競技以外に戦う事が多すぎですね。

自画自賛ですが我々チーム員はこのラリーで28年間一回も人身事故を起こしていません。

菅原 義正

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No.055「すごい時代になりました」- 菅原さんからの手紙 2010/12/28 17:11

添付写真は2009のダカールでの3日目位のキャンプ地で、写真で後ろに写っているのは私のテントです。

今日、メールをチェックしていたらface book でIVO KASTAN(チェコの人)さんからのメッセージと共に、この添付写真が送られてきました。

彼はこのバイクで挑戦して、3日目位でSSを途中から外れて、我々チームのアシスタントカミオン(日野プロフィア6輪駆動車)にくっついてキャンプ地を目指して走って来たそうです。

偶然にも私のテントの傍に居たので、声をかけ、彼のカメラで写真を撮ってもらいました。 タンクはホンダ125のパリダカタンクです。

後で分かるのですが、彼は猛烈なガストン・ファンだそうです。あの時に分っていれば、私のカミオンにガストンさんの写真を貼っているので、お見せすれば喜んだのにと思っていました。

そんな彼からアルゼンチンでメールと写真が届いたので驚きました。

この後に彼は一人でエンジンアッシーを一交換するのですが、翌日のキャンプ地には来ませんでした。

彼は2007のダカールを完走し、ボンネビルでこのような小さいバイクで最高スピートの挑戦をしているとは知りませんでした。

こんなすごい人からの連絡に驚きです。

菅原 義正


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No.054「自衛」- 菅原さんからの手紙 2010/12/27

一枚目の写真ですが牢屋ではありませんよ。

我々が泊まっているホテルです。昼間でも鉄格子には鍵がかかっており、フロントの人が確認してから電気的に解錠します。その後、更にドアに鍵が掛っており、フロントの人がドアまで来て、手動で開けてくれます。

フロントのお姉さんが言っていました。この国では2ペソ「日本円で約50円」欲しさで拳銃で撃たれて殺されると。それを一緒に聞いていた弊社の高橋は「拳銃の弾の方が高そうですね。」

また、こうも言っていました。掃除をしたくなければ鍵を開けて外出する事だそうです。帰宅したら家の中の物は全部無くなっているから・・・だそうです。モデルさんのように綺麗なお姉さんですが、2回も拳銃を向けられたそうですよ。

どちらも、たとえ話でしょうが、日本とは大違いですね。

2枚目の写真は開店前のお店です。3枚目はドアを含めて5つの鍵が付いています。更にこの鉄柵を外して開店するのですが、外した鉄柵にも持って行かれないように鍵を掛けます。

考えてみたらコロンブスが来た頃から略奪を繰り返されてきた歴史が物語っているのかもしれませんね。

おまけ2010
ブラジルで聞いたのですが赤ちゃんに蒙古斑点が出るのが多いそうです。原住民は、アジアからアラスカを渡り、パナマを超えて南下してきたのですね。

菅原 義正

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No.053 -「菅原さんからの手紙」2010/12/24

競技用の日野レンジャー2台は3年前からアルゼンチントヨタさんのご厚意で我々の為に用意して頂いている、専用の場所におさまりました。

車高の高いレンジャーが入れるようにと天井からの照明を上に移動してくれています。

次回の大会からカミオンのドライバーとナビゲーターにも安全装備が更に多く義務づけられました。昔はTシャツで良く、ヘルメットだけうるさく言われたのですが、今後はヘルメットはもちろん、下着の上下と靴下とマスクと手袋とレーシングスーツと首を守るハンスを付けます。

ラリーレイドはF-1と違って、上下左右、頭を動かして走るので今日は車両の最終走行テストと安全装備を付けた状態でのテスト走行を行いました。

ハンスが曲者でヘルメットの前後と左右の動きが規制されるので、まずは工場内のテストコース(舗装路)を3周程しましたが、そんなには邪魔にはなりませんでした。

今度は工場の外周にあるダートでのテストをしたのですが、想像していた通り、ハンスとヘルメットを止めているベルトが動きを規制し、このままでは難しい事が判明しました。

どうにかしなければなりません。

写真の説明です。工場に入つた日野レンジャーで左が1号車、右が2号車です。違いは補助灯の位置とブッシュガードの色です。

ハンスを付けた後姿の私です。

ハンスとマスクを付けて新しいデザインのアライヘルメットを被っています。

走行テストを待つ私の全身像。サンタさんではありませんよ。

良いクリスマスを

菅原 義正

追伸 モトワークス改装開店おめでとう。


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No.052 – 「菅原さんからの手紙」 2010/12/20

待ちに待った日野レンジャー2台がお世話になっているトヨタアルゼンチンの工場に運ばれて来ました。

写真01 最初の写真のように大型のトレーラーでコンテナーごと低床の積載車に乗せられてきます。この車両の前には注意を促すための黄色の回転灯を付けた前走車もおりました。
昨年は大丈夫だったのですが、今年からレギュレーションが変わり、高速道路の走行許可が出ないので、ブエノスアイレスの街を大きく外回りして、走って来たそうです。

 

写真02 二枚目の写真ですが日本で積み込んだ状態がそのままになっているオープンコンテナーで長さは40フィートだと思います。

 

写真03 三枚目はブルーシートも外されて、コンテナーに固定している車止めやテープ類を外しています。 ここまで来るのには、2週間も前からブラジルから川崎汽船の方がこちらに来て手続きに奔走してくれました。更にこちらの豊田通商の皆様にお世話になっており、ラリーをやる前の大仕事が皆様のご協力があり、出来るのだと改めて感謝しております。

昨夜はラリーで転倒した夢を見ました。気をつけます。

菅原 義正


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No.051 -「菅原さんからの手紙」2010/12/16

letter_051_20101216_01 昨日は昨年GPSで押さえていた緯度経度をハンデイの60に入れて、自動車関係が集合している街まで運動を兼ね4時間かけて歩いて行きました。

入れた数値は S 34-35-56-00 W 058-27-06-00暇なときにでもグーグルアースで見て下さい。

昔、東京の両国の近くにタテカワと言う場所に同じような街がありました。
古い車も走っているので機械式のメーター類を修理するお店やプロペラシャフトの修理専門店などがありますが、広くて全部見切れずに帰りはタクシーのお世話になりました。

写真のようにこちらではバイクにタンクカバーを付けているのが多くみられたのでタンクをキズから守るものだとばかり思っていましたが、Tシャツを掛けているのを見て理解できました。直射日光が強いのでタンクの温度を上げない工夫なんですね。

もう一枚の写真はリアヘスプリングのダストカバーです。

今日はレンジャーの通関が終わりそうなので、市内のホテルをチェックアウトして工場に向かうので日本食のレストランとはしばらくおさらばです。

菅原 義正

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No.050 – 菅原さんからの手紙 2010/12/14

一人でブエノスアイレスのホテルに居ります。メカさんの第1団はすでにお世話になるトヨタさん(市内から約80km離れています)で用意をしているのですが、肝心の競技車両の通関に手こずっている状態です。

今日、昼食に入ったレストランの各テーブルの上に、こんな印刷物が置いてありました。DAKARが認めた水なんですね。

ラリーがこんな所まで浸透しているのはすごい事です。

先日、入った日本食のレストランで簡単な物を注文して待っていたら、ウエイトレスのお姉さんが白身の薄造りとお寿司を持ってきて、これは店長からのプレゼントだと渡されました。昨年も行っていたので覚えてくれていたようです。こんなちょっとの事がとてもうれしく思います。

帰りには厨房で働いている人達まで出て来て、店内で記念撮影になり、お客さん達が何が起きたのかと不思議そうでした。

話は変わりますが、こちらのタクシーの領収書には最高速度が記入されています。床屋さんに行きました。540円です。

菅原 義正


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No.049 - 菅原さんからの手紙 2010/12/09

今は現地時間の午前4:40です。こちらに来て一週間もかけて変な時間に起きないように体調管理をしていたのですが、一発の電話で破られました。

電話に出たらあの「トシ西山」君です。私は彼のお父さんとトライアルやモトクロスで大変にお世話になった関係があります。

お話を聞いていたら11月末までヨーロッパに居たとの事、私とすれ違いでした。すっかり浦島太郎状態でダカールが南米に移った事すら知らないのです。彼は以前ダカールに出場した経験もお持ちなのに?・・・ですね。

彼は一時、バイク関係から離れていたのですが、フランコ・アチェルビス氏に会ったり、意欲的にバイクの世界に戻って来そうなので暖かく迎えたいと思っています。

一の子分のマエダッチはTBIで寝る時に私が手をつないで上げないと寝ないと話したら、よろしくお願いしますと言われましたよ。

写真の説明です。

1枚目のブルーのバイクですがポリスが防弾チョッキを着て乗るバイクです。

2枚目は隊員が2種類居るのですが右足にピストルの白いケースを付けているのが軍隊、服が違い安全のタスキをかけているのが治安部隊です。

3枚目はナンバーの封印です。左に赤いプラスチック状のものです。

4枚目は街でよく見るバイクでこれはホンダですがヤマハ、スズキもこのサイズが多いです。

白バイですが日本は権力を象徴しているのか威風堂々のバイクを選んでいますが、操作性の良いバイクを選んでいるこちらの国の方に私は賛成です。

日本の最初の頃の白バイはアメリカからの影響で大きい「陸王」などが使われていましたが、狭い日本ではもっと利便性の良いバイクが適切ですね。

こちらの白バイはパトロールに使っており、スピード違反専用ではないのです。日本も考える時期にきておりますね。

変な時間に起こされた菅原 義正でした。

菅原 義正


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No.048「ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに来ました。」- 菅原さんからの手紙 2010/12/08

今年は日本人がブラジルに移民して102年目になります。

45年前に私の学友が移民船のブラジル丸に乗ってこちらに来て活躍しており、ダカールがゴールの時は直線的には近いので、友人を訪ねたかったのですが、直接行く飛行機が無かったので、延び延びになっていました。

友人に会って色々聞くと、横浜を出て太平洋を渡り、ロスまで行き、そこから南下してパナマ運河を通り36日後にリオ・デ・ジャネイロの南のサントス港に着いたそうで、太平洋では船が揺れて食事が出来なかったそうです。

私は、パリから12時間で冬から真夏の世界に来てしまいました。コパカバーナの海岸の真ん中で海に面したホテルなので、体を慣らすには最高の環境です。

写真の説明
懐かしい話に夢中の友人と私。真ん中に写っている奇岩はボン・ジ・アスーカルです。

ホテルの窓からの写真

この辺りの警備に使っている乗り物(オシャレですね。)

砂浜で何かあったらすぐに出動できる4X4のATV

おまけ
街の名前の由来を聞いたら1月にこの地を見つけて海だと思わずに河だと思って名前を付けたのだそうです。リオは英語ではリバーで、ジャネイロはジャニュアリーで納得ですね。

菅原 義正

 

 


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No.047「パリからです。」- 菅原さんからの手紙 2010/12/05

12/1にパリに到着しました。機内でのアナウンスを聞いていたのですが、着いてびっくり雪景色でマイナス3度でした。

着いたターミナルは1で、とても懐かしい空港で007の映画にも出た今でも新鮮に感じられます。多分、今でも世界で一番お客が歩かない工夫がされております。

山田さんの文章に良く出てくる「フラットテル」の傍のホテルを取りました。昔は私もフラットテルを使っており、ここは1週間以上居るとホテルよりも広くキッチンと食器もあり、近所のモノプリ「スーパーマケット」で食材を買い、各チームは自炊をしていました。

写真を見て下さい。エッフェル塔の西、二つ目の橋でグルネル橋です。橋の真ん中に自由の女神像があります。余談ですが、数年前に、この像が日本のお台場に出張した事があります。

私が四輪で出場した時は電動工具は充電式のドリルだけで、工場が無いのでこの橋の下で整備をしてました。冬は良く雨が降るので。

セーヌ河の傍に白いバンが停まっている橋の下です。駐車場には車高が高いので入らないのでホテルのドアマンと仲良くなり24時間使ってないホテルの前に置いてもらうのです。

あの時から約30年、今ではルマンに300坪の工場を持ち溶接機もアルゴン、半自動の溶接機、アセチレンの溶接機など常備しており、昔とは雲泥の差ですね。

自由の女神の中州にある道は「白鳥の散歩道」と言ってランニングにはとても良い場所なのですが雪で走れませんでした。

12/3には暖かいブラジルに移動します。一人旅はサミシー。今度は麻生さんと行きましょうね。

菅原 義正


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No.046 – 菅原さんからの手紙 2010/11/24

ちょっと空いた時間を利用してイーチのレストアを楽しんでおります。

一昨日は御殿場の工場で新しい色に塗ったパーツにクリアーの塗装をしました。

一カ月前に依頼したメッキのパーツも何点か出来あがってきたのでチェンジペダルのゴムはSRのパーツを使ったり、キックアームのゴムはウラルのを流用してます。こんな事を考えるのも楽しい時間です。

写真にある丸いのは後席の人がつかまるハンドルです。

燃料タンクのへこみがすごいので弊社のスーさんに叩きだしてもらいました。タンクに付いているニーグリップするゴムですが、驚いた事に運転手の足の長さに合わせて移動できるようになってました。

タイヤは前後共に19インチなのでホンダSL230の前輪のタイヤを使おうかと思ってますが生意気にそのタイヤには進行方向がありました。

しばらく留守にするので、この時間を利用してメッキ屋さんに何点か依頼に行きましたら、この時期はバイクに乗らないので、メッキの依頼が多くて、約2ケ月も掛るそうです。ちょうど私が帰国する頃には出来上がるようです。

明日は御殿場に移動してモンゴルから帰国したジムニーに再会です。

そんなこんなしている内にSSERの東京での発表会ですね。

私は12/1に出発しますので、この次は皆さんが想像してない場所からお手紙をおくりますね。お楽しみに・・・

 

菅原 義正


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No.045 – 菅原さんからの手紙 2010/11/02

先日、日野さんの本社で報道の皆様にダカールの発表会がありました。前列は1号車と2号車の選手と日野さんの近藤会長さん(右側)と藤井専務さんです。後ろの左の方は、今年モンゴルラリーにホンダXR400で完走した本社の門間君で右側の3名の方は全国の販社3400名のメカさんから選ばれた精鋭のメカさん達ですよ。

今回は日野さんが参戦して20周年記念になるのでデザインは歌舞伎の隈どりをもじった物です。2号車の照が運転する車両はご存じのようにモンゴルでテストした外板がカーボンケブラー車、私の1号車は今までどうりの車両で160キロの重さの差があります。

この重量はとても大切で、加速や減速に負担がかかりますが、何とか経験でカバー出来ればと思ってます。

リオの友人からメールが入り、2012はリオ-ブエノスアイレスとの情報が現地で流れているようです。ブラジルはこれからが面白くなるので可能性は大いにありそうですね。

今回は約50年前に学友がポルトガル語を習得して日本でリオの銀行の試験に受かり移民船で横浜からテープで別れた友人とラリー前にリオで再会出来るのでとても楽しみにしております。

選手とメカさん達は12月10日頃に現地に入ります。皆様の応援をお願いしますね。

菅原 義正


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No.044 「パベルさんがロシアから来日しました。」- 菅原さんからの手紙 2010/10/19

SSERの主催するモンゴルラリーに2006と2007と2008にバイクで出場したパベルさんが一緒に出たアレキサンダーさんの息子さんとその友人の3名で初来日です。

2007には弊社のサポートを受けて、パリダカにも出ております。

2週間以上前に照からパベルさんが来日して、何を食べたいと聞いたら「ふぐ料理」と言われ、驚ろき、結局インターネットで探し、3人をご招待したそうです。

その後は3人で日本中を旅行するとの事でした。

それから2週間後に私は日野さんに打ち合わせに行き、金曜日だったので先日もブログに書かせて頂いたイーチの整備を御殿場の工場でやろうと思い、日野さんから中央道を使い直接、御殿場に向かっていたら、照からの電話でパベルさん達が富士山に登るので、御殿場の家に泊めて欲しいとの事でした。

その後、すぐに英語でパベルさんから電話が入りました。どうも新宿駅に居てこれから御殿場に向かいたいとの事です。走りながらの会話なので私は1時間後に御殿場に着く事、御殿場には2つの出口があり、山側ではなく、海側の出口で出る事などを手短に話ました。

御殿場には私の方が早く着き、イーチを整備していたら携帯にメールが入り、CITY側で待っているとの事です。思った通りで困りました。私はシーサイドの出口と言ったのですが、どうも通じてません。御殿場のシティサイドは山側なのです。車を海側の駅に付けてキョロキョロするのですが、それらしき人達が見あたらないので、ホームを渡って山側のバス停の待合室などを探しても居ません。海側に戻り、よーく見ると日本人らしき人(アレキサンダーさんの息子さん)の間にパベルさんが居りました。

再会をお互いに喜び、ガレージに行ったら、パベルさんも私と同じイーチを持っているとの事でした。そんなお話をしていたら隣のガレージのオーナーの高杉君が表れ、お互いにびっくりです。彼は2007のダカールラリーで弊社のランクルを運転してパベルさんのお世話もしたのです。

更に、偶然に桐島ローランドさんから電話が入り、訳をお話しすると彼も2007のダカールとモンゴルで一緒だったので、お会いする約束をしました。

翌日、朝の4時に起床して御殿場口の5合目までお送りし、夕方5時過ぎに下山し、東京に向かう途中に何を食べたいかとお聞きしたら、神戸牛を食べるのを忘れたとの事、結局10時頃に六本木の米沢牛の専門店で桐島さんを交えてシャブシャブを食べたのでした。

写真の説明。パベルさんの隣2人目の方がアレキサンダーさんの息子さんです。

菅原 義正


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No.043「シェークダウン」- 菅原さんからの手紙 2010/10/12

9日(土) にダカールラリー2011に向けたテストを行いました。

場所は茨城県の御前山にある日野さんのテストコースで、外周に2ケ所のバンクが付いている高速実験路(舗装)とその内側にある未舗装路(ジャリ道)、とカマボコ状の凸が左右交互に配置されたコースなどを使ってのテストです。

照が乗るのは最新型でモンゴルに持って行った車両、私のはまた違った車両です。その差は車重に表れており照のは160キロほど軽くなっております。

軽量化の差は加速時に表れてました。そうなるとブーキングにも表れます。

新しくブレーキも改善して頂き、前後の効きの配分調整が出来る装置を取り付けました。これは急な下り坂で有効なのですがスイッチの操作を忘れないようにしないと意味ないですね。(この操作はドライバーの私がやることになってます。)

昨年まで、オーバーヒート気味だってのですが、対策が施され順調な仕上がりを確認できました。

最後に一生懸命に作ってくれたメカさん達に助手席に乗ってもらい喜んで頂きましたよ。

菅原 義正


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No.042 – 菅原さんからの手紙 2010/09/24

昨年、モンゴルから持ち帰ったロシア製のバイク「イーチ」のレストアを開始しました。御殿場の工場に置いてあるので、9/17(金)の午前11時頃に東名に入ったら、何と45キロの渋滞です。空いていたら1時間で行けるのに、その日は3時間も掛ってしまいました。

運転手のシートと後席のシートアッセンブリーを外して、東京に持ち帰り錆とりや塗装を剥がしたり、結構細かい作業の連続です。塗装を剥がして判ったのですが、今のグリーンは前のオーナーが塗ったもので最初の色はブルーでした。車両全体のサスペンションは当時の技術では難しかったようで、シートにもサスペンションが付いてます。この車両にはコイルスプリングを引き方向で使ってます。

このバイクのルーツをドイツのカイザーさんに聞いたら、ドイツのDKWのコピーだとの事です。そう言えば私が乗っているロシア製のウラルもドイツのBMWの水平対向エンジンのコピーなので納得です。DKWは昔、自動車も作っていたので会社名は知ってました。1930年頃は世界最大のオートバイメーカーだったそうです。

色も決めましたし、後席の人が持つハンドルやキックペダル、シフトペダルは再メッキにお願いしてます。今後の作り込みをまたご報告しますね。どうも年齢は私と同じ位なようです。

写真は椅子を取った状態のイーチと当時のDKWの宣伝のポスターです。

菅原 義正


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No.041「良い例と悪い例」- 菅原さんからの手紙 2010/09/10

今年のモンゴルでの1シーンです。レンジローバーで出たドイツからの参加者のラインと私のラインを見て下さい。(尾上さんも私と同じラインを走ってました。)

ドイツからの選手は女性で名前はステファンさんです。

彼女は9/7に日本の観光を楽しみに来日してます。お寿司が好きとの事で7日夜は恵比寿のお寿司屋さんにご招待しました。

カミオンで出た、照、アヘッド号を運転した若林さん、私のナピの杉浦君、オーガナイザーのお手伝いをした弊社の高橋君、我々とアヘット゛号や霧島号の整備をしてくれたウラナ君のお父さんのバイラーさんと再会です。

これぞ、ラリーの大切な、再び合うと言う素晴らしい瞬間です。

この写真を彼女にお見せして、どうしてこうなったかを質問しました。

やはり、オーバースピードでこのラインに入ってしまったそうです。深さは1メートルもあり、リスクの多い走りですね。

自動車競技はスピードを出すことも大切だすが、一番大切なのは減速なのです。

台地を読んで減速をする事の大切さが難しいのですね。

彼女に我々のエンジンのキャパシティをお話したらびっくりしてましたよ。

今日の彼女は日光見学で土曜日には富士山に登り。その後京都に行くそうなので杉ちゃんの接待おねがいしまね。

菅原 義正


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No.040 – 菅原さんからの手紙 2010/08/25

RALLY MONGOLIA 2010ではジムニークラスを作って頂きありがとうございました。

昨年まではTEAM APIOとして尾上さんと私だけでしたが、今回は霧島ローランドさん&井出さん組、若林さんと三好さん組が参加してくれ、大いに盛り上がりました。

一時は全車完走も難しい事態が発生しましたが、皆さんに助けてもらい全車完走です。

昨年の私の車両はスタートして150キロメーター地点で右側のエンジンマウントのボルトがせん断され、毎晩、修理しながらの走行で尾上号に負けてしまいました。

今回の約束は毎日のSSで勝った方がビールをおごる事、何時も通り、命にかかわらない事故の場合はお互いに助け合わない事、ラリー全体で負けた方は厚木の温泉旅館を借り切ってぱーっと祝勝会をやる事です。

今年の一日目は様子を見ながらなので尾上さんの勝ちでした。なんと2日目には昨年の私と同じ症状が出て、右側のエンジンマウントが落ちてしまいました。

メーカーは一日にオフロードを600キロも全開で走るテストはしてないので、しょうがない事ですね。私は純正と違う容量の多いスペシャルなエンジンマウントを装着していたので大丈夫でした。

それにしても660ccのジムニーがドイツから来たレンジローバーに勝つ日があるのですからやめられませんね。

尾上さんへ。来年も勝負ですね。

ジムニークラスが増える事を願ってます。

菅原 義正

写真説明
とても大きなジムニークラスの優勝杯 私の車両のバックミラーに貼ってあるガストンさんと昨年までの尾上さんの名ナビの松田さんの写真と尾上親分です。。


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