Organisation Voice 2007/08

Organisation Voice 2007/08

2007/08/31 (金曜日)

朝テレビを点けたらNHKの四国版のニュースにボクが出ていた。そういえば昨日に高松であった会議にカメラが入っているなあ・・と思った。予期せずに自分の姿をテレビで見るというのもなあ・・・で、太っている。「ボクってデブ?」「自分の姿は、人が見ている評価のほうが正しい。ことほどさように自分の会社の姿かたちは外の評価にゆだねなければならない」。とかね、言うんですよボクは。今日は朝から久万高原町でSSER 2DAYS CLASSICSの開催についての役場の担当との協議会。23年目の大会は・・・最近騒音問題などもあって苦情が少なくない。車検ではあんなに静かなバイクたちが山の中では豹変する。これも、自分たち以外の評価によらなければ危うい。
ところで、ここんとこのモンゴル。ホジルトだとかハラホリンだとか、かまびすしい。地名がポピュラーになるのは良い事だが・・・それにしても・・・日本側の主張もマスコミの狂騒ぶりもわかるけど・・・これも視点を変えてみればいい。日本人メジャーリーガーの誰かが、思いっきりバッシングされて、しかも“悪意に満ちた”(と取られかねない)マスコミいっぱい引き連れて帰ってきたら・・・やっぱりこちらの国民感情としたらねーー?「寄ってたかっていじめやがって」とか「根性曲がってるんじゃないか?!」と思うよね。でもって、こんなことで2国間の関係が悪くなるのは避けたい。
モンゴルでの日本人に対する好感情は、すでに相当に悪化しているようだし・・・だいいち古式騒然たるこちらの概念だけ押し付けてもねえ。
彼らからすれば、横綱もボクシングのチャンピオンも、同じ格闘技のチャンピオンで、それならあのボクシングの態度の悪い男はどーなの?とボクは思うのだけど。
ボクが小学校の頃、病気で学校を休んだ夕方、校庭で野球をしていて先生に見つかった。
ボク「ヤバッ」
先生「アレ、もう良くなったの。良かったねえ。明日は学校来れるね。」だって。
先生は相撲協会よか立派だ。
きょうの一枚
一昨日に続きBTOU2007より、もう一台のジムニー・・・こちらもご存知APIOの尾上さんに松田さんのペア。ジムニーの超スペシャリストというか神様。でもマシンが10年前のものらしくて・・・。

2007/08/30 (木曜日)

「もうすぐ出発だ!」
事務所の椅子を温める暇もなく、再び旅立つのだ。今までの旅とはちょっと趣の違う?団塊の世代の大冒険!果たしてこの過酷な道のり・・・特にロプノール周辺の砂漠地帯、天山南路・・・ここは中国軍参謀本部からルート変更の指示があってロプノールからチュルルクへのルートを、途中から北へ変更し天山南路から北路へと砂漠を越えることとなった。トルファンやウルムチ周辺、そして中国国境からカザフスタンへの越境!!カザフスタンはこの春からジュネーブ条約をはずれたので、カザフスタン国内を走るためにまた努力が必要になった。そしてロシア国境・・・サンクトペテルブルグからエストニアへの国境の橋を渡るのに1日はかかるといわれていて、気の短い団塊の世代の旅人たちは、こうした時間に耐えられるか?というか僕が耐えられるか?ということ。あー心配。
でもバルト三国「エストニア、ラトビア、リトアニア」を走るのはとても楽しみ。それぞれの日本大使館に電話・・・この国々では日本人は尊敬されているようです。でも「日本人がバイクでツーリングする?聞いたことないですね。」とか言っていた。尊敬されている理由のひとつは、リトアニアの領事だった日本のシンドラー杉原千畝のこともあるのだろうか?彼の言葉「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。私には彼らを見殺しにすることはできなかった」様々な圧力や同盟国ドイツの意に反して、6000人を越えるユダヤ難民にビザを発給し続けた。ビザ・・・簡単に言ってしまえればそれだけだが、今回の旅に同行させる予定のモンゴル人スタッフ、ジャンガルとムッホたちは、とにかく各国のビザの取得がことのほか難しい。地球上は国境と不合理でまだまだ20世紀の枠組みのままだ。
きょうの一枚
もう出来上がっているボクの旅支度。人生のなかの五指に挙がる壮大な旅。でも荷物多すぎ。

2007/08/29 (水曜日)

「それでも秋はやってくる」
暑かった今年の夏ももう終わり?今日はお昼前から、きっと日本が熱帯になっているという証明のように、いきなりスコール!!とともに気温も下がり、すっかり秋の気配に。思えばこの夏は避暑のように北海道、モンゴルしかも北西部でダウンジャケットを思わず探したくらいの気温で・・・でね、ボクは「暑い!」と言うのをやめたんです。で、「なんか今日あまり暑くないね」とか「おや、案外涼しいんでないかい?」とか・・・ちょっと馬鹿にされたりしますけど、クーラーはガンガンに効かせていますけど、まあ気は心な暑気払い法ではあります。いずれにしても、まだ季節は回っています。地球も傾いたままなのでしょう。地磁気もちゃんとコアの発電が停まらないことによって・・・。
さて、心配なのは新疆ウイグルの初雪のニュース!!さらにロシアやバルト三国の気温・・・そーいや1992年パリ-北京であのガストン・ライエはすんごいバギーで登場!モスクワ近くの深夜の国道「道端に合った残雪に乗ってクラッシュ!リタイアだよ・・・」と菅原さんのカミオンの荷台でのオハナシ・・・寒いのは寒いけど「残雪」ってのはどーなんだろ。と今日も皆様に残暑見舞い的な、涼しい話でした。
「ウランバートル日本語通訳バブル勃発」
SSERウランバートル支局からの連絡によりますと、まもなく朝青龍がウランバートル空港に到着するので「空港にいる」そうです。日本から大挙押し寄せてくる報道陣!!の要請にこたえるべく日本語通訳たちが、片っ端から高値で吊り上げられているようです。まあ日本のマスコミの狂騒ぶりは容易に想像がつきますが、モンゴル人たちから呆れられない事を望みます。
きょうの一枚
BTOU2007から、今年はジムニーで参戦のスガワラサン!どーもジムニーにはまった感あり。「よく走るよ!これ」だそうな。

2007/08/28 (火曜日)

「晩秋の九州ツーリング・・・」
えー、昨年のBTOUで負傷された西村さんが、別府で元気にリハビリに取り組んでいます。「別府?じゃあ、温泉に入れるん?」「だめなんです。」てなことから「外出は?」「できますよ。」「じゃあ、みんなで紅葉のやまなみハイウエイをツーリングしよう!」ということで、SSER 2DAYSの翌々週または翌週に、BTOU2006?の関係者の皆さんともども「西村さんを応援する会ツーリング」を実施いたします。ただし定員極小数。もちろん西村さんは車椅子ですが、受傷後はじめてのおでかけ!になります。有志の方、よろしく。でツーリングといったってバリバリのオフロードライディングスタイルで来てもね?!
「TBI 20年」 
石の上にも3年だとか、桃栗3年 柿8年だとかいうけど・・・TBIは20年です。エヘン!正確にはTDNの3年間は算入すべきか否かって議論がスタッフの中ではあるけど、いいじゃん。はじめてから20回目、つまり20年目だ。今からボクは四国地図とにらめっこしながら、新しい?ルートセッティングに、心を砕いている。でも最近ときたら、西安に行って四国八十八ヶ所の0番札所「青龍寺」の管長とお目にかかったのね、(遣唐使として空海が訪れて勉強したお寺だ。)すると、どーして空海が八十八もの寺を建立したか、どういうからくりがそこに存在したのかを研究してやろうというか、そんなことをTBI 20年目のルートプランに繁栄できないかというミステリーツアーみたいなことを考えている。最近の四国遍路ブームはすごいのね。TBI=四国遍路、巡礼の旅。
きょうの一枚
西安の青龍寺。ここが四国零番札所。

2007/08/27 (月曜日)

「記録的な暑さ」
世界陸上を見ていた。3000m障害。ハードル(というか固定された飛び越える障害物)に顔面から激突してコース上に転倒した選手がいた。「首が危ないなあ」しかもハードルを越えたすぐのところのコース上で倒れている。後続からはブラインドだ。モータースポーツなら完全に赤旗中断の場面。1分後にはまた走者が差し掛かる。まだドクターは駆けつけない。競技役員が選手たちを、アウトからハードルを飛び越えるように誘導?これってトラック競技としてはどうなのか?タイムは競っていない予選だからいい?のかなあ。
しかもそのあと、首の負傷も考えられる選手の頭の下に手を入れて普通の担架に乗せる。この映像が世界に流れるのはまずい・・・「うう、スクープストレッチャー使わんでいいんか?」軽症ならいい。いや軽症であることを祈らざるを得ない。
何が言いたいか?やっぱり暑すぎるんだろうと思う。なにかのCMでは、水分の2%を失うとパフォーマンスの30%を失う!と言っている。(科学的な根拠はともかく)とにかくマラソンのリタイアも、3000m障害などの転倒事故も多い。
解説陣もその理由は「暑さでしょうね」と。しかし暑さは予想され懸念され、主催者も参加者も覚悟の上だったろう。しかしそれを上回る暑さだったんだろうか?たとえば開催地、札幌!とかではダメだったんか?
でも暑いと空気の濃度は下がるから空気抵抗がさがって、短距離などは記録が出やすい!なんてことはないでしょうか?ないですね。
その暑さ、モンゴルを開催する際も相当の懸念材料です。砂漠のラリーは、いずれにしても1月に開催されるダカールを除いては、暑さと闘わなければならない。これから9月10月と開催されるラリーや、4月5月に開催されるもの。これからの競技者は、いや一般市民も、暑さに対する医学的な対処知識を持たなければなりませんね。
モンゴルは今年は西北部を使ったので涼しくて快適!!でした。さて、西安からパリへの旅は、初雪の知らせもあったり・・・しますね。
きょうの一枚
2年目のFJクルーザー。松野さんドライブ。なんかサイズの割りに軽そうな感じ、ルックスもなかなかです。んで、ハヤイ!!

2007/08/24 (金曜日)

「忙しいぞ!」
もうすぐ西安に出発する僕は、なんかマークされている?んじゃないかというくらいに忙しくなってきた。とにかく打ち合わせ!が多い。しかもそれは僕のいないときに行われるモノだったりするので「そん時ャ、いないしなー」なんて逃げたら人格を疑われそうで・・・で打ち合わせの最中に「気の聞いたジョークでも・・・」と思って言うんですが、切れがないんでしょうな「ハ、ハ、ハ」とかって、もうお義理の笑い。やる気を見せとかなきゃ!と、突っ込むと「ええーっ」と、はずしていたりする。プロ野球の選手が引退を感じ始めるときのような・・・まあそんな気分です。
しかも忙しいと言うのは、2~3か月分の仕事を2週間(しかいない)でやってしまおうということの無理がたたって・・・しかも夏の後始末も、SSER 2DAYSの準備も・・・という事なのでした。
でもそうだからといって何ひとついい加減にしませんから大丈夫ですけん。と書きながら電話は飲み会に「早く来い」の催促。夜も更けてきたっちゅうのに。
きょうの一枚
SSER 2DAYSを走る池田秀仁。BTOUもなかなか頑張っていました。さて、秋の夜長の戦いもタノシミタノシミ・・・。

2007/08/23 (木曜日)

「もう秋です」
残暑は厳しいのですが、もう秋です。なぜかというとSSER 2DAYS CLASSICSの準備が始まったからです。なんと今回23年目なのですねえ。第一回大会は1985年の9月15日前後だったと記憶しています。準備を始めたころは、まだ田植え前で、稲が育ち夏雲がわき、道筋であいさつで立ち止まると、とれたてのトマトをいただき。夕暮れにもなると、ジャケットが必要なほど寒く。ルート製作して帰る夏の夜に、日航機の行方不明のニュースを聞いたっけなあ?としみじみ。いつの間にか黄金色になった稲穂と畦道の彼岸花の血のような赤とのコントラストに、深まり行く秋を感じる。まあこれがSSER 2DAYSの記憶の23年間・・・ほんとうに夢のような日々でした。愉しくて懐かしくて、どこか切ない。秋の夕暮れのようにか細くて、でも多くの夢を育んできたかけがえのないものとしてボクに人生の中の多くの部分を占めてきたのでした。
8月中に多くの作業を終えて、9月には西安へ。その久万高原から始まったボクの夢は、実現しつつあるのかなあ。そんなこんなで「DREAM of AUTUMN NIGHT」秋の夜の夢・・・ぜひ、そんな晩秋の2デイズにもお出かけください。
西安5デイズのツアー・・・間もなく締め切りです!!お見逃しなく!!
きょうの一枚
夏の西安の朝、城内を歩いているとトラックが止まって、いきなりスイカが売られ始めた。スイカは安全な水分を摂る、または持ち運ぶ?のにも有効だ。中央アジアの砂漠地帯では、スイカ売りが旅人らの命の水だったりもする。

2007/08/22 (水曜日)

「いく夏を惜しむ?」
事務所から南の空に大きな積乱雲が輝いていました。モンゴルの大地では逆立ちしても見られないものです。その威容は、子供のころに入道雲と呼んでいたそのもの。田舎で過ごした夏。川遊びをする頭の上にモクモクと湧き上がる入道雲。麦藁帽子、虫取り網。あーあ、子供のころに帰りたい!!お昼寝して、スイカ食べて、花火して・・・と。果たしてボクがそんな少年だったのか?というのは別だけど。
西安行きのコンテナ貨物が天津を出て、一足先に列車の旅で内陸部に向かっています。西安には歴史の舞台のひとつ渭水(いすい)があります。この川は黄河の支流のひとつで三国志にも良く出てくるもの、まあ歴史の舞台です。最近はこの川の水量も激減。内陸部は水に関するイエローシグナルが点灯!黄河も中国の歴史をはぐくんできた大河ですが・・・間もなく海に届かなくなるという話も。取水量が激増しているのでありますな。
ロプノールのタリム川、ジュンガル平原(いまのカザフスタン)のイリ川・・・ボルガ、ドナウ、ラインと世界の名だたる川を旅する今回の西安-パリでは、もうひとつの見どころ「今世界の川はどーなっているのだろう?」
やっぱいく夏を惜しむなら「川」ですね。
きょうの一枚
モンゴルでは古くから水に近づくことは忌避されていたのですが、最近では美しい川で遊ぶ人や釣り人らの姿を良く見かけるようになりました。やっぱ川は良いです。

2007/08/21 (火曜日)

「冒険の旅とはなんだろうか」
よくわれわれのラリーカテゴリーをアドベンチャーラリーと呼ぶことがある。マシンのカテゴリーもBMWやKTMのアドベンチャーとネーミングされたものは、一様に長大な航続距離を実現したものに冠せられる。85年に巨大なタンクの純正装着されたBMW80G/Sにクラクラときた僕は・・・といっても当時テネレも所有していたりした・・・この当時は、パリダカールに憧れること出場することは、つまりアドベンチャーだった。
ちょっと待てよ、アドベンチャー=冒険とはなんだろうか?
ちょっととりあえずWikipediaから
「冒険(ぼうけん)とは、日常とかけ離れた状況の中で、なんらかの目的のために危険に満ちた体験の中に身を置くことである。あるいはその体験の中で、稀有な出来事に遭遇することもいう。こうした冒険の体験者は多くの場合その体験報告を書いたりするが、荒唐無稽と一笑に付されることもあれば、またその内容に驚嘆されることもある。こうした冒険に敢えて挑戦する人のことを冒険者(ぼうけんしゃ)と呼ぶ。冒険には危険や、成果を上げられる確率の低さがつきもので、この意味でいつの時代にも未知なものへの挑戦、探検もすべて冒険と呼ばれてきた。新しい海路の開拓、山岳、アフリカの奥地、知られざる文明や文化の探索、自動車や航空機の速さへの挑戦など、すべて広い意味での冒険である。語義は「険(けわし)きを冒(おか)す」。あぶないところにあえて(勝手に、ひそかに)入っていく意。英語adventureは投機、山師の意を含む。ラテン語ad+vent(外から来る、外からやって来た(~事件))。」
まことにそのとおりであると思う。
しかしBTOUはアドベンチャーラリーとは称していない。あくまでもクロスカントリーラリーなのであるから、競技の一形態にほかならない。ところが定義のひとつに冒険とはその成功の確率の低さにあるとも言っているわけで、完走率の低いラリーに出ることはなにか冒険心に近いものを感じるのであろうと思う。
しかし冒険とはそんなことだけだろうか?とも思う。
進退窮まった岩壁の中途で、単独で越えていた砂丘で転落した時、まだ衛星通信などのない時代のゴビ砂漠で、全ての機能を失った時に、そこで見た凄絶な風景はいまだに僕の心を捉えて話さない。
さて、次は西安-パリに出かける。いかなる冒険の旅になるか?はたまた快適なツーリングになるのか?敦煌から西に向かうルートの情報が鮮明になるほどに、平均年齢が50代後半のGS-ADV.部隊にどれほどの困難が待ち受けているだろうか?
きょうの一枚
BTOU2007総合優勝を最後の一日で逃したボルドバートルのお父さん!!はなんと自作バギーで完走!!愉快な親子でありますな。プレセレモニーでは、完走メダルを息子から首にかけてもらい感激!!してましたね。

2007/08/20 (月曜日)

「日本は暑くない?」
今朝テレビ見ていたら、エアコンの使い方?をやっていました。するとなななんと睡眠時に3時間のおやすみタイマーで快適気温-1度に設定、そのあとすかさず目覚ましタイマーで+1度に設定すると良く寝られるんだそうであります。ということは「つけっぱなしかい!」と怒っています。キット抗議の電話も少なくなかったことでしょう。つまりもうエアコンはつけっぱなしをメディアも推奨しているわけで、一方で政府や大手企業の主張するマイナス6%クラブとかってやつはヤメ?
で、モンゴルから帰ってきたボクタチハさぞや暑いだろう!いい気味だ!と思いの諸兄!・・・ソノトオリダス。でも今年のモンゴルはね、とにかく死闘!!ホントウニ熱い戦いの日々でした。それに比べると、打ち合わせや会議に追われる日本の僕の生活なんざ、常にエアコンのあるところばかりで、環境問題はともかく「暑くない!」のでありますよ。
熱いのはあの4000km走って、7秒差で最終SSのスタートに向かう池町とボルドバートルの目・・・シビレました。思わずカウントダウンする指も緊張で引きつったりしたくらい。こんなシビアな戦いの中に身を置くのは競技者冥利につきますね、まったく。こんな時にルートブックにミスでもあれば・・・とビクビク!!!でもブルーシーさんいわく「ルートブックはパーフェクト!!」だそうで、お褒めをいただきましたがな。池町選手は「どーしても1箇所違う!」と主張していました。でも本当は正解!!だと証明されたりなんかして・・・。
でルートブックは別々の2台の車で作成されています。そして1号車が書いたものを2号車のコマ地図を校正用に使います。コーションの解釈の違い、距離の大きなミスはないか、方向指示に誤りはないかなどです。それでも2つのルートブックがあるコマで左右別をさすものが1つくらいあります。その時は白熱した議論が繰り広げられるのですが、時にはグーグルアースにも参加していただいたりします。これからは全てのコマをデジタルカメラで押さえて、緯度経度などとともに・・・と考えてみたり、いやアナログな部分を残すことが、こうしたラリーの味わいになるのではと考えてみたり・・・。
とにかくこの夏にご参加の皆さん!応援の皆さん!ありがとうございました。

2007/08/20 (月曜日)

[BTOU2007総評] 1995年にスタートしたRALLY RAID MONGOLから13年目の大会は、これまでの中でもっともスリリングな優勝争いとなり、また最も記憶に残る大会となりました。特に今大会は夏のゴビ砂漠の炎暑を避け、モンゴル北西域での開催、これには驚くばかりの風景の連続に各国からの参加者にも、深い感動を与えました。
優勝は前日までに7秒差にまで追い詰めてきた昨年の覇者、池町佳生がついに最終日、執念の連覇を手にしました。最後のSSのスタートのカウントダウンは、主催者側オフィシャルスタッフも緊張をしたというほどです。この熾烈な戦いは多くの参加選手も注目し。モンゴル人ライダーを中心としたKTMチームのポテンシャルの高さは、相当なものであるといえます。
閉会式会場ではドイツから来られたBMW Motorad General Director Diess氏も池町佳生とがっちり抱き合い、ともに初投入のマシンの堂々の戦いと勝利を祝いあっていました。チームX-Challengeのチームメイト、ダカールの名手ジャン・ブルーシーは、ウランバートルではじめて対面したニューマシンで、ラリーに望み1日目のガス欠で順位を21位にまで落としながらも、急追しチーム賞獲得の原動力になりました。また昨年2位の池田秀仁はブルーシーのガス欠のサポートや、自らのパーツをブルーシーに渡し見事サポートに徹しました。
これはモンゴルKTMチームにも見られました。絶対優勝すると意気込むガントルガは通算5勝のまま。エタップ4のスタート時のアクシデントを、これも急遽もちろん優勝圏内にあったハマー選手が自らのエンジンパーツを渡してリタイアし、全てをガントルガの6勝に託すという場面も見られました。
とにかく自らの道を切り開き挑戦するという姿勢は、全ての参加者のゴーグル越しの目からもはっきりと感じ取ることが出来ました。本当に素晴らしい大会を演出していただいた多くの参加者に、心からの御礼を申し上げたいと思います。
来年はウブスの東岸に広がる砂丘地帯を少し深く、そしてオリアスタイから北に広がる、かつてガストン・ライエとロワゾーが「美しい」と語ったデューンにビバークを設けましょう。熱い戦いがこれほど素晴らしい感動と、参加者の美しい友情を育むものであるということを、心から印象付けられた今大会でした。
07/08/17
SSER ORGANISATION
山田 徹

2007/08/01 (水曜日)

「キビシイー!」
「どーすか?キビシイですか?」
「いやあ、キビシイですねえ。」
と、こんな日常会話、みなさんも良く使いませんか?キビシイー!って。安倍さんも「キビシイー」もちろんボクも「キビシイー」状態でありますが。はて、キビシイ状態とはいったいどういうことなのか?ちょこっと考えてみることにしました。
ボクは思うのであります。キビシイ!という状態は、あなたが悪いのです。いやつまり僕も悪いのですね。要は計画をきちんと立てて、進捗状況を注意深く見守って、不足なら努力し、足りていればさらに上積みを考え最善を尽くす。そうすればキビシイ状態というのは、やってこないのであります。ところが人間「人事を尽くして天命を待つ」とか「ケセラセラ」とか「アスタマターニャ」とか「果報は寝て待て」とか、まあ枚挙にイトマがないくらいに「なんとかなるさ」というふうに、大したことをしてきた訳でもないのに、油断が出来るんですな。
それが事に及んで「キビシイー!」状況となるわけです。安倍さんもまたしかり、なのであります。これをラリーに置き換えてみたりなんかします。パリダカの過去の語録はマーフィーの法則とピタリ。「失敗する可能性のあることは、必ず失敗する」とか「心配は必ず的中する」「用意したスペアパーツは重しにしかならない。用意しなかったものが必ず必要になる。」「強いものには易しいが、弱い者には厳しい」つまり油断・・・ですな。別にオイルを入れ忘れてリタイアをする!という語源ではないのでしょうが「油断」なかなか趣のある言葉です。つまり「厳しい状態」の原因は「油断」にあるわけです。
そう、ボクは油断してたことになります。安倍さんも。みなさんは、モンゴルへ!ウラジオストックへ!西安へ!それぞれ出かけるわけですが、どうぞ油断なく。さすれば「キビシイー!」状況に陥ることなくラリーを、また旅を心から満喫できるのであります。
さて、ボクのパスポートはどーなりますことやら?!そしてビザは?キビシイー状態は続きます。あっ、それから。厳しい状態は、さらに厳しい状態を招きます。
「まあ、なんとかなるだろー・・・」
きょうの一枚
北海道4デイズから。
SS-2、2004年ガストン・ライエが最後のライディングとなった芦別市にあるグラストラック。周囲は住宅などがあってまさに市街地。後ろに見える建物はなんだろう。グリーンのトラックに黄色いコーステープ、カラーコーディネイトされたようにソノートブルーのテネレが駆け抜ける。