2014/11/07 (金)「たしかに、小人は閑居しては不全を為すなあ。。」- OV

ov20141107_01ボクはいわゆる論語のファンではないんだけど、いつの時からか

「われ十有五にして学に志し
三十にして立ち
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳順い
七十にして 心の欲する所に従いて矩を踰えず」

というのを、とても意識してきた。
15の時に学を志し、というのは全くなくて「岳」を志したときに15歳だったから勝手に「われ、15にして岳に志し」と、山に登る日々に明け暮れた。時間がない時は家の近くにある岩場のゲレンデを登ったり下りたり。。

まあその話はいい。
30歳にして、会社を辞めて独立した。なるほど「立つ」とは独立のことだったか?
と不全な事を「立つ」と考えていたボクはここで少し大人になった。
40歳の時にモンゴルでのラリーをスタートさせた。
当時、仕事は広告業とラリーの主催とが、二足のわらじのようになっていた。

広告業を本業と呼び、ラリーなどの活動は趣味の延長だが、仕事として取り組まなければ存立しまい。と考えたのだ。そしてある日のこと、本業の大勝負!これが決まればラリーなんてやってられない!という日の決定的な朝。

ふと
「40にして惑わず」というフレーズが降りてきた。

「自分は迷ってるのではないか?」

その思いが、葛藤から解放された一瞬だった。生活苦はここが分水嶺であろうか??
不惑の歳ならぬ、不惑の時だった。

広告業なんて、みんなやってるし、コンペで負けても勝っても、完成してくるものなんか「あれ、落ちたはずのうちの案?」なんてことに嫌気がさして「コンペはしません」「じゃあ、なんでグローブコンペティションなんて社名なんだ!?」

「あっ、いやそれは。。。」

で10年も経った50歳のころ。
モンゴルも10年目の2005年ころかな?
「北京をスタートにする多国間をまたぐラリーにする!」
とか息巻いて、北京やら内モンゴル周辺に不毛で困難な交渉を展開する。
がぜんパスポートは中国のハンコだらけになった。

悩んでた。あるべき理想が遠かった。
2007年は、1907年の北京-パリの100周年だというのに。。。

そして、やがて北京からパリやローマに行く旅に出る。仕事をほったらかして。
ロプノールやアラル海や、チョモランマのBCやらで
「やっぱりこれがボクの天命たる仕事だろうなあ」
とつくづく考えた。
孔子は、ともかくだけど・・・

そして迎える還暦、、もう2か月ばかりだけど
それは「耳したがう」つまりやっとこの歳になって人の言うことに耳を傾けるようになるのだという。なるほど「少しは、みんなの意見も聞いてみるか」と、そう思うに至ってるもの。

で、あと10年後の70になれば、どんなに好き勝手をしても則を越えないという。
菅原さんを見てると、案外そうでもないようなそうでもあるような。
迷惑をかけるのはただただ、記憶力の不確かさで
「そんな話は聞いてない!」
で、結構逃げられる。
まさに小人閑居状態の本日は暇なり。

きょうの一枚

ブルーアイランドの海、夕景。

2014/10/30(木)「アチャー、来年も時間が取れないかもだ。」- OV

ov20141030_0112月13日の発表会(おしゃれなことに、プレゼンテーション2015というのだ。・・・本当にボクはいつからこんなに横文字ばっか使うような人になってしまったんだろ・・)業界が悪いのかなあ?

「コアコンピタンスが、ダイバシティで、コンプライアンスの問題で、コンシュマーリレーションマネジメントが破たんして、デザインシンキングがディ-シースリーなんです。・・・」ほとんどバカです。かと思えば「CRMがCSRの問題で・・」と書きはじめたけどやめた。

で、話を戻すと、実は来年は壮大な旅を計画しているのでありました。名付けて「還暦記念赤いちゃんちゃんこで行く、中国奥地大縦断!ジムニーとカブの旅」まあ赤いちゃんちゃんこは、おしゃれなダウンベストにしてもらうくらいのことは簡単で、って、今日の一枚参照!を着て、でもモンクレールは嫌い!!なんの話をしてるのか意味不明ですが、あと中国産の125のバイク買って走るのもありかもなあ。。

ov20141030_02で・・・還暦の人たちと言えば赤松カメラマンや石原孝仁(いやひょっとしたら彼はまだかもしれない)たちと、西安から敦煌、さらに南下して四川、雲南省の少数民族の村と、あの気の遠くなる棚田を背景に少数民族の女の子の絵を撮って、、。チベットへ抜けて中尼道路でカトマンドゥ。。。

「許可はOKです。」
と連絡あり。。
「うーん。いつ行く?」

と悩んでるところにコーノさんたら、スコットランドの湖水地方をクルマで巡る・・・と言うし。で、来年は9月、10月、11月にもそれぞれイベント(うちふたつはBrandnew。。)8月はモンゴル、7月は北海道とヒルクライム。ov20141030_036月はモンゴルの試走、5月はTBI、4月は・・・おお!四月がいいんじゃない!!

なんてはしゃいでるボクですが、海の向こうではFRBが量的緩和の打ち切りを宣言!えっ、ということはアメリカは利上げ。するとみんなドル買いに走り円安ドル高は恐ろしいことに。ov20141030_04。なるやもしれないという前夜。。

ああ日本経済はともかく、ボクの海外への冒険の(と言う名の実は、ラグジーな旅は・・・・)どうなるのでしようか。。

つづく

 

 

 

 

2014/10/28 (火)「2015始動」- OV

ov20141127_01例年になく早い紅葉。そして木枯らし。。冬のパリが急に懐かしくなる季節。

となると急かされるように、2015年の準備!!

12月13日(土曜日)18:30より、東京・恵比寿にあります「7」にてPRESENTATION 2015が開催されます。そのあとの懇親会も、まあすごい!ので是非お誘いあわせの上お越しください。

来年はNEW EVENT が2本!!「一歩下がって。二歩すすむ」の歌詞の通り?でも、こう書きながらも誰もその2つのイベントのうちまあ一つは進みかけてるので知っているのですが、その二つ目はまだ僕の胸の内。。フフフフッ。。

新しいシュラフを買って、出かけることにします。

新しいことに取り組むには、勇気と知恵と、さらに言えば「無謀さ」が必要です。
無謀。。ああ、なんという男らしい?響き。。
「そんな無謀な事を・・」
と、どれほど諫められたことか。

ボクの場合はこの諫言とはまた甘言のようにも聞こえます。
耳もとで
「やっちゃいな、やればいいんだよ。」
そんな言葉に、突き動かされた30代。
でも、2015は60代。。。

最近はシュラフに潜り込んでも体がなかなか温まらずに寝るのに一苦労なほど、体内の発熱量が低下してきています。

でもまあ、そこでその勇気と知恵を温かく包む、良いシュラフとマット。。それにさらにその上からエマージェンシーヴィヴィというのをゲットしましたから、ぼくにはもう怖いものがありません。

 

2014/10/20(月) 「31年目のシーズンに向けて」- OV

SSER3DAYSも終わり、今年のシーズンを終えました。

終える、という言葉に何か新しいものが生まれる予感を感じるか否かは、持ち合わせる感受性によるものでしょうか?

「終わる=はじまる」
ということかもしれません。

またSSERのことだから、やめる!とか言いながら看板を掛けかえてやる「閉店セール」ではないのか!?と多くの憶測を呼ぶのは、まあこれまでのSSERへの良くも悪くもオマージュ!というところでしょうか。

実はSSERを運営する、グローブコンペティションという会社ですが、まあ名前の由来は「地球上で闘う」というような、ウルトラマンのような思いから、ちょうどパリダカールへ参戦を続ける真っ最中の平成元年11月1日に、それまでの会社から独立させる形で設立しました。

仕事中に趣味の極みのようなものをやる!ことへの正当性を担保するための・・・(汗)だったと言えます。仕事もすごくて走り回ってたあの時代・(遠い目)ですから11/1は創立25周年記念ということになります。

なにせ、そんな周年行事がラッシュするSSERですから、この25周年は年末の大忘年会とセットで、じゎっと開催する予定です。

しかしアニバーサリーイベント好きのボクはとある計画を・・・
「R439を、モンテッサとドカティ・レゴラリータで走る!」という、まあ無理でしょ。な計画を実施します。2台のマシンはその準備に向けて整備中!!

たぶん11月の半ば以降だと思いますが・・・徳島-四万十市350kmです。ビックリハードかもです。

R439って、考えてみれば剣山も登りますから、70年代のマシンには酷かもしれません。あの崖を想像してみてくださいな。最高到達点はボクの記憶が正しければ1480m!!全長は350kmで10時間はかかると思われます。(2000年ころのイメージ)今は相当な改良工事が進んでいますが、それでもアベ35km/hは困難でしょうね、

とまあこれが自分への25周年記念イベント!!というわけです。見かけたらよろしく。

 

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2014/10/14 (火)「30年。ボクの人生のきっちり半分の軌跡」- OV

The30th.SSER、無事に終了しました。

終わることはもっと、寂しさを引きずるかと思っていましたが、むしろ何か新しいワクワクのような気分に驚いています。

しかしそれにしても、この30年間の多くの時間を共に過ごした選手関係者の皆様には、この場を借りて、幾重にも深く深く御礼申し上げます。

閉会式も終わりかけのころ、外はまるで早い冬の訪れを告げるような強い風が吹き荒れていました。
「以上を持ちまして、30回のこの大会のすべてを終了します。」
と告げたあと、誰もがその時間を惜しむようにスタンディングオベーション、すこし眩暈のようなものを覚えました。そとの嵐が、それを一層ひきたてるかのよう。

はじまりがあれば終わりがある、とはこの1年間言い聞かせ続けてきた言葉です。
そして、始めることよりも終わることのほうが何倍も勇気がいるのだなあとも。

人生に掲げられる夢は、それほど多くはありません。ですから夢を持ち続けたいと思います。「夢」とはなにかという議論もしなくてはなりませんが、今日は少し違う角度の検証をします。

ひとたび「夢」を、実現に向けたプログラムを描いた瞬間に「夢」は「目的」に変わります。
たとえば「いつかは行ってみたいなあ」と思う場所があるでしょ。それがひとつの「夢」だとします。(夢の表現と解釈は自由です)ても、それを「よし行くぞ」と決めた瞬間に「夢」が「目的地」に変わります。
夢が現実になる、ということは着手した瞬間からはじまります。

するとその目的地までの道のりを真剣に考え始めます。また目的地のことをさらに深く知ろうと調べ始めます。
そこで「はて、あんなに行きたいと思ってた場所なのに、調べてみるとこんなものか?」とか「案外簡単に行けるのだなあ。」などということが持ち上がります。
夢が目的になると、案外大したことは無いんですが、それを大きな感動でおわらせるためにも、大きく夢を膨らませておくことです。

「敦煌」へ行こうと誘った友人に井上靖の小説「敦煌」を読むように奨めました。
それを読んだ彼は、敦煌について「あの本を読んでいなかったら感動は無かったかもしれない。」と語りました。つまりかれは感動したのです。

さて、感動がすべてでは無いのですが夢を実現した暁には「感動」が無いのなら、それはやはり夢じゃなかったということかもしれません。

話しは変わります。夢の実現の道のりで言う「目標」と「目的」はなんだろうか?というオハナシ。

人生の目的
人生の目標

なんとなく混濁して使ってきた感があるので整理してみます。

目的・・・いわゆる的(まと)ですね。目で見える的のことでしょうか?それとも目指すべき的のことでしょうか、いずれにしても最終到達地点のような気がします。まあ山頂です。ボクだけの意見ですが・・・
目標・・・標(みちしるべ)のようなもの。つまり目的地にたどり着くための道標とか標識のことではなかろうか?ということです。コマ地図やコースマークのようなものかもしれません。これは山頂ではなくC-3とかC-4とか山頂へ向かうための前進キャンプのようなものでしょうか?しかし彼の目的が7サミッツなら一つの山頂は目標で良いでしょう。最後の山頂も目標で、振り返った時に7サミッツという目的を達した、ということですね。

たとえば面接で「あなたの人生の目標はなんですか?」と聞かれたとします。
正しい答えは「目標とは目的を達成するための、正しい位置を指し示すものです。」から、この場では「そのために今この会社に入ることです。」が正解なのでしょうが、それを言うと、はねられますから日本語は難しいものです。

正しい答えじゃなくても採用されるための答えは「人間を磨いて、人の役に立つ信頼される立派な社会人になることです。」ということでしょうか?しかしそう書きながらも、それこそが実は立派な目標であり、そうであればなお「目的」の到達の実現へは近づくのかと。
まあ反省。

つまりSSER3DAYSは多くのみなさんの目標であり続けたと思うということです。
ここを、ひとつの道しるべとして、大きな目的に向かっていただけたのであれば、この30年間は価値のあるものとして輝きます。
そして一方でこの大会を、オフロードバイクの生活の目的地として頑張った皆様には、また新たな目的地が現れたはずです。

人生はこうして、終わったコトなくしたモノを振り返り惜しみつつ前に進むものではないか、とそう考えています。SSER3DAYSは終わりました。しかし新しい萌芽は、いくつも散見出来て、さてどの芽が大きく育ち美しい花を咲かせてくれるのだろうかと、夕暮れに佇みながら、明日の朝を思うのでありました。

そうそう、前田啓介君、おめでとう。

 

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2014/10/09 (木) 「ボクはなんと。今日ラリーモンゴリア2015のルートを考えていた。」- OV

今世紀最大ともいわれる巨大な台風がやってくるらしいです。

SSER3DAYS FINALにふさわしいビッグゲスト!!にしても対策は入念に。
長靴!”ヨシッ”
雨具!OK!
とかって準備じゃなくて、とにかく台風の接近に伴い1日早く荒れ始めるだろう、
標高1000mを越える大会エリアのこと。

でも慎重に検討して対策は当日のSSER PRESSでご紹介します。
そして、この忙しいさなかにボクは地図とにらめっこ!!
なにをしてるのかというと来年のラリーモンゴリアのルート考察!!
試走に持ち込むマシンをどうするか?なんて話をしたものだから、
あの辺りを走りたいなあ!と思ってた気持ちがピクピクし始めて没頭。。。

実はこうした姿もボクガ昔から望んでいたもの。。
「???」
かもしれませんね。
答えは、大会の直前は「なにもすることがない!」状態を作る。ということ。
そして目の前の大会への思いを通じて、近未来の大会のイメージを描くこと。

さあ、日も暮れたのでおうちに帰ろう・・・
でもその陰でみんなが悪戦苦闘をしているのも知らないわけではありません。
脱帽。あっ、雨用の帽子も持っていこう・・・

 

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2014/10/07 (火)「現状を把握しなければ、未来は語れない。」- OV

日本では宝くじを「夢」と呼ぶようです。

普通、夢は買わないんですね。夢は売ってないんです。夢は見るもので、それが未来のあるべき姿なら追求するべきものです。

「夢を買う」のであれば「夢」という商品にはプライスタグがついてるはずです。
小さな投資で大きなものを得ることが日本人にとって「夢」を叶えるということのようになってしまいました。いわゆる一攫千金とか、あぶく銭を手にするとか。
ああ、バブルのころが懐かしい。。

宝くじはいくらですか?300円で3億円?
100万倍になるんですね。
なんと射幸性の高いこと。
これが違法でない、根拠が知りたいほどです。

「お前の夢は、金で買えるのか?」といったヤナギバさんも実は買っていた、というCMに、どれほど日本人の多くは苦笑いしたか。
しかし、これは夢を買う=宝くじを買うことなのか?宝くじで当たった大金が夢を買う原資になるのかが暗にぼかされています。

昔の流行語ですが「宝くじが当たったらパリダカに行く」というのがありましたが最近は、その手の常套句をあまり聞かなくなりました。
どうも宝くじが当たってパリダカに行った人はいませんでしたから、そのことから導き出される答えは明瞭ですね。当らないんです。それにそう思った人は宝くじを買う努力以外の努力はしないんです。所詮パリダカなんて夢ではなかったんです。いやだから夢だったのか。。。

どうも日本人、到達の確率が極めて少なく、かつ自身の努力では成しえることのできないものを「夢」としてしまったようです。
全くこんなことを書くつもりじゃなかったのに書いたついでに、もう少し書いていいですか。

ボクの主張は、宝くじが人間をダメにする壮大な装置であるということです。
たとえば民主党政権は宝くじを買う感覚で投票しなかったですか?
「ひょっとしたら?」
でも
「やっぱりなあ。そりゃあそうだ。旨い話には気をつけろと言われてたもんなあ。」
小さな子供が何人もいて「勝ち組だ!」などとうそぶいていた友人も、そんなふうに。(あっ、これは子供手当がひとり28,000円で3人いるから84,000円/月入ってくる!と言う夢のようなお話が手に届きそうだったと言うオハナシデシタ)

つまり、その負けるとか騙されたとか、上手く行かないこととかにだんだん日本人は慣らされてきたのです。
社会に出ても、思うようには行きません。それはなぜか?自分で未来を計画して今日から取り組まないからです。

ドラッカーはこうも言っています。「計画とは、未来に関する現在の決定である。」
そして「全力を注がなければ、あなたに未来は無い」と続きます。
計画があったとしても全力を注がなければ、「やはり未来は無い」と言っているのです。

表題の「現状を・・・」は、やはりドラッカーの言葉です。
ボクが書こうと思ったのは、
未来は突然やって来ない。目的を持ってそれを日々積み重ねた物だけに、その目的と努力に応じた未来がやって来る。のだといまも信じて日々を送っているからぼくはきっと幸せな部類に入るのでしょう。

さあ、週末はSSER3DAYS。一つの夢の完成。

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2014/09/29 (月)「秋には、来年の秋の旅の計画を。」- OV

ov20140929_01本当は、今年SSER30年記念の旅を計画しとったんです。

構想は、いつも素晴らしいんです。
テーマは「ロンドン-パリ」
なんだ、近いじゃん。

そうなんですが、ロンドンを出て、徒歩や自転車やクルマで?大ブリテン島を反時計回りに一周。徒歩で1日ってのはクルマだと2時間くらいなので、クルマのチームはゆっくり出て早く着く。というもの。スコットランドの湖水地方や、ウイスキーのふるさとをテクテク。
そしてフランスにわたって、これまた反時計回りに。
地中海を回って、アルプスを越えて最後にはパリ。。。

案外面白がってたのですが、どうもさまざまな行事が目白押しのこの秋。旅に出るというのは、人には何時も仕事より旅が優先!みたいなこと言いながらも、さすがに今年は勇気がなかった。。

でも、スコットランドの独立運動などがテレビで流れるほどに、スコットランドの紹介もされて。なんとテレビの朝ドラでもスコットランドやウイスキーが。。

ここのところ人気復活中のウイスキーが、さらにブレイクするかも。
そうだ、そんなこともそうだけどバランタイン30年を飲む会を企画しなくっちゃ。。

来年の旅は、タクラマカン周辺の予想。

きょうの一枚
タクラマカン砂漠のど真ん中。
塔中にあったガソリンスタンドで。
オジサンたちコーフン!!
雛にも稀な美少女。沙漠のど真ん中のないのもないところなのに・・・

 

2014/09/25 (木)「そうそう、No-GPS Dayの顛末記」- OV

ov20140925-01ラリーモンゴリア2014。。。20年目のモンゴルで、ボクはさまざまな腹案を採用してもらった。もらった?ってあなた、あなたの好きなようにしてるんじゃない!

と言われそうだが主催者側の総意でなければならない。。。と思ってる。
まあその初めて取り組んだいくつかのことを報告しておくのを忘れていた。

まずはマラソンエタップ。言葉がいつの間にかイメージを形成してきてるので、なにをすることかの説明は手短にする。

これは二つのエタップをまるで一つのエタップのような概念で実施するもので、
500km+500km=1000km・・・最初の500kmを走ってゴールした瞬間に、まるでネズミ取りで捕まった人のように「はい、こっちこっち」というあんばいに、おまわりさんのじゃなかったオフィシャルのコントロールエリアに入り、「すぐ人間だけでなさい」と、マップホルダーにさえ触れないというもの。

むろんメカニックたちはビバークにやって来れない。整備することがチェック・カードの無い時間帯には出来ないのだ。今考えればどこでどーしてたんだろ。。でも安静な夜が、彼らにも訪れたことでしょう。。

選手たちはというと、整備も時間を削りながらオンコース上でしなければならない。つまり微細なトラブルも起こさないように走る。

オフィシャルは必然的に「心を鬼に」しなければならないし、オンコース上の不正なアシスタンス(つまり隠れサポート)に目を光らせなければならないのだ。
これまではビバークに到着すれば何とかなったことの多くが「なんともならないことに」なってしまうというわけ。

2日間のステージが終わりほっとした翌日には、全くGPSポイントが発表されない日がやってきた。これがNo-GPS Dayというわけ。。

選手たちは緊張したが、同じように運営側も緊張していた。

いつのまにかGPSはラリーの三種の神器になっている。GPSの功罪はよく語られる。
GPS走行なる単語も出来上がっている。

さあGPSポイントが完全に秘匿されればどのようなことが起きるか。。
起きるんです。CP不通過。ゴールしてないのにビバークには帰ってるとかね。
でもとにかく行方不明対応にハラハラしたのは大会本部だったということ。悠々で帰って来た参加者にはまあ好評。。
でもまあここだけの話だけど、捜索も考えた150km四方の(って四国より広いか
も)エリアの中で行っていたのだ。
結論!GPSがなければゴールできない人の割合、5%・・・これをどう見るか??

次は全参加者にデータロガーを。。なんて考えてます。
さあて、ガジェットとの闘いは終わらないかもしれません。

 

2014/09/22 (月)「メンタリティ」- OV

ov20140922_01昔の話ばかりで恐縮だが、パリ・ダカールは恐ろしかった。

スタート時にリラックスできるようになったのは、もうずっと後になってからだ。

なにが恐ろしかったのかと考えると、自身の身体的な問題などではなかった。非常に恐ろしかったのは、この競技への参加の継続性の断裂、とでもいえばいいだろうか?

リタイアよりも怖いのは、自身がこの競技への参加意欲を損なうことだろうと考えた。しかし加えて、周囲が「もうやめとけ!」と言わない環境の確保だ。金銭的な問題が、それに輪をかけて心を苛む。

その対応策としては「目標」を明確に立てて、かつ公言する事に尽きる。

公言した目標は、絶対に達成するための道筋を描き、それも公表してその進捗さえも発表する必要があった。

なぜなら我々の挑戦は、個人のそれではなかったからだ。多くのスポンサーや支援者・友人らに支えられていたから。そして「言ったことはやる」という有言実行が、人生の価値を決定的にした。

つまり信頼を裏切れば、よほどのお金持ちでもない限り再度の挑戦の機会は乏しい、ということだ。

1年かけて準備するには、資金調達を含めて莫大なモチベーションを必要とされた。後年になって思うのは、あのエネルギーがあればどのようなことにでも挑戦することが出来たろう。という事を思う。

おそらく支援していただいた多くも、ボクタチの場合は結果よりもその莫大なモチベーションが生み出したエネルギーの放つ熱量に「しゃーないなあ」と同調していただいたのだろうと思う。

エネルギーは、なにをするにおいても重大で必要なものだ。人を包み、人を勇気づける。歩みをたゆまぬようにするのもそれだ。
つまるところ、エネルギーをゴールまで絶やさないことが良き人生だろうと思う。

新たな目標に、新たなエネルギー。
もうすぐSSER3DAYS、これも莫大なモチベーションとエネルギーの集合体だ。

メンタルを強くし、新たな次代のエネルギーはメンタルから生まれるのだと、そう再認識した今日の午後。。

 

2014/09/02(火)「レギュレーション考。その2」- OV

ov20140902-01ほんとうは、どのくらいの厳しさが良いのか。

これはボクの長きにわたるテーマだ。

「厳しい」を構成する要素は、ルートや天候にありそうだが、
やっぱりその多くはレギュレーションにある。
それはそうだ。

はるか昔、まだGPSの無い時代。
携帯電話も、もちろんない。
コンパスとか六分儀とかで、砂漠を越えていた時代のことだ。
つまり、まだまだ地球上のどこからでもどこにでも連絡がつくなんていうのは
夢のような時代のことだ。
ひとたび世界へ旅立てば、どこでどうしてるのかなんて、
心配してもしょうがない時代だった。

そんな背景も手伝ってか1979年に産声を上げたパリ-ダカールは、人々を熱狂させた。
80年代。国際社会は束の間の安定期を過ごしていた。
それは通信手段などが未発達だったということも挙げられる。
メッセージを発することが困難だから、内面的に向かうか本でも書くしかないが、
その本も宣伝仕様もなかった。

だから、男たちは(いや女性もだが)心の奥にある未知なるものへの探求と、
自己の持つ潜在的能力を確かめたいと心に小さな火を灯もした。
ボクもそうだったから、良くわかる。

アルジェリアからニジェールに。ホッガー山脈やタマンラセット、アガデスそしてテネレ沙漠やビルマ灯台やらと、いちいちその固有名詞にさえ心が震えた時代があった。モーリタニアなんて聞くと、今ではスーパーでもモーリタニア産のタコなんて書いてあるから・・・なのだが、確実にめまいがした。モーリタニアかあ。。。

いま、そんな強い憧れが地球上に残っているだろうか。
地名を聞いただけで、身震いするようなそんな冒険の大地のことだ。

そのラリーでは、リタイヤしたら、もしくは翌朝のスタートの30分前にゴールしていなければ失格になるのだ。つまり失格になったら、ラリーから完全に除外される。近づくことさえ許されなかった。もちろんビバークに入ることも許されない。水ももらえなければ食事ももらえない。
なんて理不尽だ。エントリー費を払ってるのに。
そう考えた。

しかし、こうも考えた。
リタイアは敗北であり、主催者から屈辱的な扱いを受けたからと言って、それはレギュレーションの定めであり、そうなるのが嫌ならリタイアや失格にならないようにしなければならない。
そういうことだ。

退場を命じられたサッカー選手が、駄々をこねてフィールドに残っててはいけないのだ。
だからあの時代は、完走は勝利だ。とされていたのだろうと思う。

時代は変わる。小学校ではかけっこに順位を付けてはいけないという。
敗者が居てはならないのだそうな。

今日リタイアしても良いですよ。明日はまた走れますよ。
本当にそれでよいのだろうか?
そうしたら完走するということには意味はないのではないか?

レギュレーションの運用を、書いてある通りにしたら烈火のごとく抗議が来る。
イエローカード2枚で退場させたら、怒鳴り込まれる。
それと戦わなければならない。
闘わないのは簡単だし、とても楽だ。

悩みは続くが、ボクの心は決まっている。
レギュレーションは、厳しくなるばかりではいけないが、緩くなることはもうな
いかもしれない。

2014/08/27 (水)「レギュレーション考察」- OV

ov20140827_01今年のモンゴルのラリーが終わった。

さまざまな思いがよぎる。
そりゃあ、そうだ20年も(それまでは地の果てだと思ってた)モンゴルに通いに通ったのだ。
記憶を辿りながら
「何回、来たのかなあ。」
調べてみた。
どうも63か64回だ。

すごい。

SSER3DAYSは、30回大会。
1回大会の直前の試走中に日航機の事故があったなあ。
帰り道の食堂で、何人もの仲間と見て驚いたものだ。
それにしてもよく続いたものだ。
あまり変化のないレギュレーションと、変化のない環境で開催を続けてきた。

そう、レギュレーション。

そうそう、ボクはレギュレーションを振りかざして「ペナルティだ」「失格だ!」
と騒いでるという印象を持たれてるのだそうだ。

実は、そうだ。
特に今年のモンゴルは、その戦いに憑かれていた。
しかし、それは守らなければならない約束事だし、まあいいやってしてしまうならレギュレーションなんていらない。
ラリーモンゴリア2014、ある朝のブリーフィング
ボクはこう言い放った。

「わたしはこの競技をスポーツにしたいのだ。純粋なスポーツマンシップが闘いあう、スポーツにしたいんだ。早ければいい、なにをやっても良い、分からなければ良いなんて思う者は、ここに居てはならない。暴走大会にはしたくないのだ。」
と朝から、どうしたものかヒートしまくってた。

排除しても排除してもウンカのごとく現れる隠れサポート。未登録のメカニック。
ゴール地点を隠すということをしても、いつの間にかやってくる。
「何やってるんだ?」と聞くと
「通りがかりだ。見てるだけで何が悪い?」
「昨日も通りがかりか?」
「うるさい!」
こんなことを、誰にでもやらせるわけにはいかないが、競技者を失格にするとレギュレーションには書いている。
その対象者を失格にしないなら、すでにそのレギュレーションは存在しないものになる。

しかしこのレギュレーションというものは
なにも参加者にのみ突きつけられた課題ではない。

時に主催者はそれに苦しめられる。
つまりレギュレーションとは両者に課せられた、重たい約束事だ。

だってそうだろう?
レギュレーションには〇月〇日〇時に、どこそこで受け付け車検をする!と書いたら、なにがあっても、そうしないといけない。
「忘れてた」とか「都合で・・」とかってわけにはいかない。
ここには給油が用意してあると書けば、どんなに苦労しても砂漠を渡って数千キロ㍑のガソリンや軽油を運ばないといけない。

そんな約束事は、参加者よりも実は主催者のほうが多い。それも守るのが厳しい約束事の多くは主催者側にある。
レギュレーションというバレーボールのネットのようなもので対峙してる2チームの片方が主宰者で、もう片方が参加者かも知れないと思うときもある。

レギュレーションは主催者の都合で作られている!?
そんなことはない。
とにかく多角的に検討を重ねて、競技としての存立性と安全性とを、付け加えれば「楽しさ」を加味して、吟味して練って練って、そして不要な字句をそぎ落として作ってる。

さて。
つづきはまた。

 

2014/08/25 (月)「モンゴルより帰還。」- OV

ov20140825_01旅立てば帰る日も来るもので、まだ夏の盛りに向かう前の日本を飛び立ち快適な気温のウランバートルでラリーの準備をしていました。これまでは困難だった輸送も税関の問題は、カルネやおそらく日本モンゴル間のEPAの連携などの話が進んでいるからか、全く問題なく、あっけないほどにスムース!帰り便も今日の時点ですでにウランバートルを出発してるようで、過去最速の帰国便が実現するかもです。いや、かもです、あくまで。

こうして毎年毎年事情が変化するというのは、国際政治がごく普通に影響しているのです。普通に日本で暮らしているだけならわかりにくいのですが、この20年間の北東アジア情勢は、特に複雑怪奇で単なるラリーのオーガナイザーなどよるすべのない頼りない存在だったことでしょうね。しかし時代の変遷を油断できないものになってしまったとだけ見るのもつまらないではないか。

変化に乗るか?忌避するか?いわゆる
「のるかそるか」の判断は、それぞれに委ねられます。

変化を困難とみるか?変化を迎え入れるかで人のありようも様変わりします。
なににしても、変化の多い現代で21年目を迎えるラリーモンゴリアを、どのように組み立てていくか?またまた長考に入らざるを得ません。

まるでテネレ沙漠のようなハイスピードピスト、そうあの当時そこはテネレハイウェイと呼ばれていました。
そして20年も前にゴビのハイスピードをバイクで走った時に、そのテネレの思いが鮮明に。で、その時思わず「ゴビ、ハイウェイ?」と言った言葉が今日まで生きているというわけです。
いずれにしても間もなく早い冬が、草原を閉ざしてしまうことでしょう。
そしてまたまた新しい課題に向き合おうと考えています。

 

 

2014/08/07 (木)「”♪闇をぬけ、朝日に向え♪、おれの相棒アイアンホース!”はもう聞かれない。」- OV

ov20140807_011985年から続く名曲「SSER!」キック一発で♪・・・

この曲はどれほど、長い時間をライダーたちに親しまれたろう。スタートの電子音のカウントダウンとともにかかるこの曲のイントロ。
ブリーフィングなどのスケジュールが始まる前に流れる、フルコーラス。
「今年も会えたねあなたの笑顔・・・」
80年代のテイストというか空気に包まれた優しさ。

ということで、SSERの原点ともいえる久万高原でのShikoku Super Enduro Rallyが最終回を迎える。

もう、あの曲は聞かれない!のなら、大会の前夜祭ではなく途中夜祭・・・
つまり1ステが終わった夜にやりますか!?
そういえば霧島4000の閉会式でも、聞けましたねえ。。
シミジミ・・・・

この秋で、ひとつの時代が終わります。
毎回、収容人員と集計と渋滞とで悩みに悩んでた80年代末から90年代初頭。。。
パリダカと、TBIとSSERで1年間は瞬く間に過ぎて行った日々。
そして、モンゴル。途中では肥大化に伴いグループNやスーパーNと呼ぶ大会も開催していました。

そして、迎えた30年。
本当に長い間、皆さんに支えられ親しまれ、また地域の方々にも深いご理解を頂き開催を重ねてきました。

この秋は、久しぶりのその曲をおなかいっぱい聞く事にしますね。

2014/08/07 (木)「”♪闇をぬけ、朝日に向え♪、おれの相棒アイアンホース!”はもう聞かれない。」- OV

1985年から続く名曲「SSER!」キック一発で♪・・・

この曲はどれほど、長い時間をライダーたちに親しまれたろう。スタートの電子音のカウントダウンとともにかかるこの曲のイントロ。
ブリーフィングなどのスケジュールが始まる前に流れる、フルコーラス。
「今年も会えたねあなたの笑顔・・・」
80年代のテイストというか空気に包まれた優しさ。

ということで、SSERの原点ともいえる久万高原でのShikoku Super Enduro Rallyが最終回を迎える。

もう、あの曲は聞かれない!のなら、大会の前夜祭ではなく途中夜祭・・・
つまり1ステが終わった夜にやりますか!?
そういえば霧島4000の閉会式でも、聞けましたねえ。。
シミジミ・・・・

この秋で、ひとつの時代が終わります。
毎回、収容人員と集計と渋滞とで悩みに悩んでた80年代末から90年代初頭。。。
パリダカと、TBIとSSERで1年間は瞬く間に過ぎて行った日々。
そして、モンゴル。途中では肥大化に伴いグループNやスーパーNと呼ぶ大会も開催していました。

そして、迎えた30年。
本当に長い間、皆さんに支えられ親しまれ、また地域の方々にも深いご理解を頂き開催を重ねてきました。

この秋は、久しぶりのその曲をおなかいっぱい聞く事にしますね。

[3DAYS CLASSICS HP]

 

ov20140807_01

2014/07/28 (月)「ノモンハン75周年、ラリー20周年」- OV

ov20140728_01

ラリーモンゴリア2014のエントリーリストが発表になりました。
実は、過去最高の参加者数であり参加台数なのです。
少し、身の引き締まる(まったくその実は引き締まってはいませんが・・・)思いです。
本当に大きく成長したものだと深い感慨に浸っていたのですが、大問題がッ!
実はノモンハン75周年。さまざまなイベントが用意されているようです。
日本モンゴル間で共同研究されたシンポジウムや式典などもほぼラリーのスタートと時を同じくします。それは良いのですが、軍のヘリもみんなノモンハンに行く!ンダソーデ、、コマッてるんです。

飛行機も全てのものが混みあうようですよ。

さて、ノモンハン。現地ではハルハ川大戦争とよび、20年ばかり前まではウランバートルのエンフタイワン(平和)通り、スフバートル広場前の通りです。そこには当時の写真が飾られ、対日戦争勝利はまさについ最近のことのように伝えられていました。

いずれにしても、戦後の日本は奇跡の成長を遂げつつも何か欠落した部分を併せ持ってきたように思います。
日本国内の北東アジアのイメージは、正しいとは思えないんですが、伝える側にも誤謬が多かったのではとも思います。

世界が平和で、安全でやがて国境などの無い時代が21世紀中には来ると思っていたのですが。

きょうの一枚
今年はさらに速くなったHINOレンジャー。。。タノシミは募るばかりです。

 

2014/07/23 (水)「北海道、最高でした。」- OV

ov20140723_01このところお天気の女神に愛されてるSSER。この北海道4デイズもところどころに降った夕立のような雨のおかげで、青空や山を巻くような霧の動きなどまで演出されたようで、まことに最高のロケーションの中をラリーは無事に進んでいきました。

オホーツクの海沿いのダートは、かなり砂が深く右手には汽水湖があって、シジミやホタテ漁の漁具がことさら最果ての地の感を演出していました。
まだ知らない北海道と、もうすっかり知ってるけど天気によって姿をかえるそれのいずれもが素晴らしく心にしみる風景ばかりでした。

北の海岸線は辺境の地です。不確定な国境がそこにあり、先に読んだ浅田次郎「終わらざる夏」の舞台となる占守島は、この島伝いに行けばカムチャッカ半島の少し手前にあるんだなあ、としみじみ。ちなみにグーグルアースでこの島を見てみてください。千島列島には珍しい草原の島で、いたるところに旧日本軍の戦車の姿が草生しつつも妙にくっきりと見ることが出来ます。

彼等守備隊の物語はぜひ読んでほしい1冊です。

ボクの知り合いの女性は、音楽家なんですがさらに先のアリューシャン列島の中ほどのウナリスクという島にご主人と子供たちと住んでいます。ときどきアップされる写真には度肝を抜かれるほどの、大自然の真っただ中に暮らす凄さが伝わります。そこで音楽を作るという活動をしているんですね。

さてハルキさんのいう「北の島」。。英雄たちの歴史や、不幸な歴史、遥か先人たちの息吹を感じながら、濃密な自然と対峙する人間の営みの豊穣さを感じずにはいられません。

北海道4デイズ、それは単にラリーと呼ぶより、日本人には深く、感じいって息をひそめたくなるような、そんな歴史を垣間見る「旅」なのだということでしょうか。

2014/07/14 (月)「北海道4デイズと故齋木校長」- OV

ov20140714_01間もなく北海道に向けてSSERのコンボイがスタートする。

機材をいっぱい詰め込んで。
この北海道4デイズが8回目になったのだが、その3年ばかり前はツールドニッポンとして、芦別をスタートして宗谷岬から大隅半島までとかそう言ったスケールのラリーを開催していた。

だからSSERが本格的に北海道にお邪魔して10年の歳月を越えちゃったのだ。

その原動力は、当時のA-TECの校長だった故齋木達雄氏だ。彼は自身もモンゴルのラリーに参加するなど、ラリーが大好きだった。またその学校には1周800mのオーバルのサーキットがある。
学生たちをそうしたモータースポーツイベントに触れさせて、クルマの本当の楽しみ方、付き合い方を学ばせたかったのだ。
いや実はそんなことよりも、学生たちにもっともっと魅力的な大人たちに触れさせたいと思っていたのだろうと思う。

北海道4デイズはもちろん、はるばるTBIまでも学生を連れてスタッフとしての応援に駆け付けてくれた。
学生はスタッフと車に乗り込んで、しばらくの日数の寝食を共にしていく。
誰に指示をされなくとも役割をこなすシステムがSSERには存在するので、役割と規律というのはおのずと身につくはずなのだ。リスクのあるところに規律がある。

北海道4デイズの開催に置いても困難は少なくなかった。そんな複雑でデリケートな問題の解決には、常に先頭に立っていただいた。
そして、今年からラリープレートにもその名前を刻むこととした。

齋木校長を喪ってからは、わけあってA-TECとは関係が無くなってしまったが、それでも芦別には先生の思いが残っていて、今年もまたその地に行けることが歓びだ。
ボクは本当に故斎木校長には心より感謝している。
不思議なことにときおりブルーのウイザードを見かけるし、その都度、ドライバーの顔を凝視する。
昨年のTBI中に県道脇の小高い広場に停まっているのを見かけて、思わず近寄ってみたものだ。いつも最後尾から温泉を覗いては「おーい、早く行けよ!」と、まるで学校の先生のように、あっそうだけど、声を掛けていた姿は忘れられない。

さあ、あれから3年か。今年も北海道でお目にかかりましょう。。
さあ出発!!

2014/07/10 (木) 「モンゴル!モンゴル!モンゴル!」- OV

ov20140710_01モンゴルのコマ地図も入稿を終えて、ボク的にはいまが数少ないホッとしてる時期なんだけど、周りの人たちは大忙しそうで。。。DC-3の出力機は延々と稼働をしてるし、バイトの女の子は、これまた延々と作業をしてる。

「忙しい?」
と聞くと、みんなが呆れたような顔をしてボクを見るんです。
まるで「お前が忙しくさせてるんじゃ!」
とでも言いたげです。
じゃあボクは何をしてるか?というと、まあ読書中なわけです。
なぜかドラッカーの古い本を出してきては、読み耽っています。

そう、企業は「利益」の追及が最終目標であってはならない!と言うあたりを詳しく読み直しては自らの来しかたを、改めて問うているのです。

たしかに21世紀になるや否やのころに出版されたドラッカーの本は、出版直ぐに買に行っても第10刷とかで「へええ・・」なほど日本中で読まれたとです。

企業は利益の追及が最終目標であってはならないはずなんですが、なんのことはない、そんな話をしたら「バカか?」と、言われるようになってしまった昨今。
いまドラッカーの予言はどうなったかを、ひとりで検証しひとりで突っ込んでるわけです。

「自己実現」とか「企業の寿命は、いまや労働者の寿命よりも短い」だとか、良く使われる台詞回しの多くはドラッカーに源を発するものが多く、やっぱみんな読んだんだね。と感慨にふける日々でした。

ボクはモンゴルのラリーを続ける理由をドラッカーに聞きたくて、あの頃手にしたわけですが、彼のおかげで続いていたのかもしれません。
組織は存在理由を最大化すること。だったかな。
きょうの一枚
試走のメンバー、、腰の痛そうな厚主君、ムッホ、カミオンバレイを今年から担当する石原孝仁、なかなかのチームワークで困難な仕事をこなしましたよ、

ov20140710_02

2014/07/07 (月)「草原からの使者」

ov20140707_01なぜだか試走に持っていく本の中に浅田次郎「草原からの使者」というのが混ざっていた。

浅田次郎は、「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中元の虹」と「終わらざる夏」をのみ読んだ。清朝末期の動乱が面白く興味深い。これを読んでなければNスペの「故宮」に彼が登場してくる意味が分からない人が多いかもしれない。
ともかく、間違いなく面白かった。
「終わらざる夏」は終戦に向かう千島列島の最北端に残された帝国陸軍の最精鋭部隊の姿を、さまざまな問題を通して描いたこれまた大作だ。

だから「草原からの。。」は短編集。ボクは試走中の本は軽妙なものではなくてガッツリ系(普段読めないような)のがいいなあとガルシア・マルケスなどを携えていたというのに。以前はカフカやカミュなんかを読んでたから、余計にややこしく(ルートがね)なってたんだ、

昭和48年。ボクは18歳。その年の日本ダービーで歴史的な大番狂わせがあったのは知っている。全く競馬などに興味がなくても当時はハイセイコーの名前を知らないものはいなかった。松田聖子と掛けているのかと思ってた人も多いだろう。
ボクもそうだもの。
1973年5月27日。東京競馬場が揺れた。のだそうだ。
(ボクは競馬に全く無知であるからしてこのあとの間違いは許して)

勝負ごとに絶対はない!という言葉がこのあとのニュースで語られていたが、圧倒的一番人気のハイセイコーが、9番とか12番人気の馬に敗れるというだけの事だ。だからまあ日本がW杯で優勝する!ということだってあるだろうと日本人は思ったのだし。

この「草原からの使者」という短編集に収められた1篇としての「草原からの使者」を読んでみると良い。ボクはそれを偶然モンゴルで読んだ。

モンゴルから来た、ひとりの老人がその朝の出走前の馬の姿を見て、(9番人気の)馬を指をさして「ネグ」、そして(12番人気)の馬を指して「ホイル」と呼んだ。
いわゆるモンゴル語での1-2のことだ。

主人公は、それを買って億の馬券を当てたという話だが。モンゴルの草原のテントの中でそれを読んだぼくは飛び上がりそうになるくらい驚いた。
いましがたまで、遊牧民の老人がテントにやって来て長い時間ムッホと話し込んでたからだ。
ムッホに
「なんの話してた?」
と聞くと
「別に、馬の話かな。。」
なんて言ってた。数千年も馬と暮らしてきた遊牧民には、おそらく馬に対する思いは違うんだろうなあ、なんてシュラフに潜り込んで読み始めたからだった。

それではモンゴルの草原で。
その前に北海道があったね。
きょうの一枚
1973年といえばBMW R90Sが発売されて話題を呼んだ。。後年これを手に入れてしばらく乗っていたころがあるなあ。

2014/07/01 (火)「バイクの旅を考えた」- OV

ov20140701_01仙波君が久しぶりにうちのHPのコラム(あざーす、仙波です。)を更新した。

いつも彼の発言には、言い切れていない、表現しきれてない、つまり至らないけど伝わる何かがあるのがボクをくすぐる。
言いようを変えるとモノの見方考え方とその表現のストレートさかなあ。
時には(いつもだけど)稚拙と思える言いたい事へのアプローチも新鮮だし。

まあそれにしても、数日前に一緒に飲みに行ったのが効果があったのか?
特有の相変わらずのナルシズムと、面妖だが面白い思考回路は健在のままというか磨きがかけられ、不思議ちゃん度はいや増すばかりだ。

さらに言えばバイクに乗ることについて、妙にバイク屋らしからぬ素人くさいモチベーションを語る。周囲は「熱い」とかって片づけているけど、いまに彼のような男の存在は、見直されてくるだろうと思う。
まあそれがHPにコラムを依頼して、辛抱強く次作を待つということなのだけど。

で、ボクも対抗して書こうと思う。。

ボクの場合はバイクは常に旅の道具と定義している。ボクとはSSERと読み替えてもらっいても良い。おりしも今、ちょうどサハリンを巡るラリーという形式の旅が行われている最中だ。それまでコマ地図などを知らなかった者も、目的地やその行程の面白さや新鮮さに惹かれて旅に出たのだろうと思う。

まだ見ぬ土地を目指す。
それは紛れもなくDNAに組み込まれた、人類の共通する行動形態だと思う。
ネット上に居れば、世界のどことでもつながりグーグルアースを覗けば世界のどんな街の津々浦々まで訪れることができる。

誰かが言った
「グーグルアースで現地に行かなくてもコマ地図が作れますよね。」
「・・・」
ボクは、コマ地図を作りに行ってるのではないんだ。と言いたかったけど、まあ厳密に言えばコマ地図を作りに行ってるんだから仕方がない。でも、そこの空気や草の香りや、恐ろしいほど魅惑的な夕陽や、地元の遊牧の民との出会いや、そんな単純にコマ地図ではわからない歴々たる世界を感じに行くのだ。
それを一コマ一コマに封じ込めていく。
そこに行けば、それがわかる。
そこに行けばコマ地図を書いた、その時のボクの情念が分かる。

ボクはコマ地図を、まるでマルコポーロの東方見聞録を書くような気分で書いているのだ。

仙波君。旅とはそうした情念の発露であり、その行きつく先の道筋のようなものだよ。

きょうの一枚
こいつは旅の道具にはなるまいなあ。MVアグスタ。3気筒で178kg 。。。。。

2014/03/31(月) 「いかん、また長くOVを書かんかった。。。」- OV

ov20140331_01

どうも「旅」をしてないと。ものを書く気がしない。

よくも紀行文なんていうジャンルがあるものだと思う。

旅は、自分を詩人にする。
どんなに小さい旅でも、ひとたび旅立てば感性が触手を伸ばしはじめるような気がする。
たとえば、毎年見る近くの桜も良いがたとえば旅先で出会う桜は、
尋常じゃないくらい心に響く。
つまり旅の心が、感性を増幅させているのだ。

旅は試走でも良いし、ユーラシア大陸を横断するほどの激しいものであってもいい。。
でもタクラマカンなどを旅をした夜は、とにかく文章が書きたくて仕方なくなった。
そうそう、タリンなんて深夜に着いたのに書きまくってたなあ。。。

なんだろうなあ「旅」って。
で、考えてみたら走りながらさまざまに見た物や心の変化を、
小刻みに心の中にメモをしてる。いわゆる描写をしているのだ。
バイクならなおさらだ。
文章を組み立てていて溢れだしそうになることもしばしばだ。
インカムなんてないのがよろしい。

ではということで
SSERの30年の記念の旅をしようと思う。この記念、というのは体の良い言い訳で、
とにかく感性の補充のために、行く。

感性と冒険の旅に行こう!件のはなしも、きちんとみんなに話をする
タイミングも遠くないし(えっ?わからないか。)

そうそう、TDRが直近だった。。

2014/03/05 (水) 「3月ですね。」

 

早いもので、いわゆる年度末です。
ここ数年に比べるとずいぶん年度末の駆け込み公共事業が増えました。
復活、したのでしょう。

元来、日本人というもの計画的に物事を進めるのが好きなはずなのに、
もっとスムースな工事の仕方をなぜ?
そして4月以降夏場まではなぜ工事をしないのでしょうか?

まあ答えはどなたもご存じの「予算がつかないので」なのですが、
経済を安定させてさまざまな工事をスムースにしたいなら、
特に公共工事などは単年度予算主義を改めるべきです。
出来かけの道路も3月末でぴたりと工事を停めて
再稼働は冬まで待たなければなりません。
地方の建設関係は、春から夏場にかけては労働力余剰で、
冬から年度末には労働力不足。
いずれも経営の大きな負担であり課題になっているはずです。
もったいないと言わざるを得ません。

とはいえ我々も、すっかり事前の作業が「わかっているのに、間際まで」
ほったらして置いて直前でバタバタしていませんか?!

SSERの30年の歴史で?ちょっと大げさですが。。
イベントの準備は前々日までに済ませる!をモットーにしていました。
前日はヒマそうにするんです。
やって来た人たちを拍子抜けさせるためではありません。
まあ少しはそれもありましたが・・・。
スケジュールとやるべきことは1年前からわかっているのに、
なぜ直前で朝まで作業をしないといけないのか?ボクはその理由がわかりません。

といいながらボクは年度末納めのいくつかに、きっとバタバタするのでしょうねえ。

きょうの一枚
霧島4000ラリープレート完成しました。
それに本レギュレーションの発送もしましたよ。。。

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2014/02/25(火) 「近況と雑感を無駄に書きました。」- OV

「近況と雑感を無駄に書きました。」

写真1

まず敦煌から莫高窟。いつ行っても抜けるような青空。仏教史を考えさせられて、旅は西に。

不思議なことに、きまって毎年この冬から春にかけてのオフシーズンには、
建築デザインの仕事がやって来ます。
もちろん今年もそうで、実は昨年の7月から準備を進めて、
やっと着工したものもあります。いやあ実に好きなんです。こうした仕事。

というのもラリーを開催しながら、いつも出かける先々で、
さまざまな建築物を眺めては、不埒な夢を膨らませているのですから。
シルクロードでも旅をした日には、もうあんな建物こんな建物と、
きょろきょろです。

特に新疆あたりにある赤い土の小屋の造形に惹かれたり、
そういえば今なにかと紛争のウクライナも、楽しかったですね。大統領が逃げた?
さきのハルキフの町も、西と東の妙な融合感。
建物も公共看板もすべてが面白くて忘れられません。
オデッサの滞在の数日も、もっとゆっくりしたかったかなあ、
というのも人々の暮らしという名の歴史と、
その人々が集う建築の面白さにほかなりません。

そう考えれば、ラリーも建築も、
手続とコンストラクションという意味では少なくない類似点があります。

設計図はコマ地図でしょうか?しかし、いきなり設計図にかかるわけではありません。
その土地を好く調べ歴史や文化や「いわれ」を考えます。
規制や出来ないことも少なくありません。嘆くのではなくて考えるのです。
なにをしても困難は必ずあります。それを乗り越えるのは情熱ですが、
情熱は時々無理強いをしてしまいます。

そして、そこで実現させるのにふさわしいものは何かと考えます。
つぎは、スケッチブックの出番です。
「どんなのにするんですか?」

みんな興味津々で聞いて来るのに、必ず困ったような答えを出すことが多いんです。

「うーん、田舎の木造の小学校の用務員室の、用務員さんが実は絵描きなのだ。」
というコンセプトや
「えっと、くぬぎ林の中に建つ西日のいっぱいに当たる茶室」
とか
「ハックルベリーの冒険の、いかだを作った小屋」
とか
まあ妙な発言は、すべて忘れてしまいましたか。

要は、いい加減なんです。心に浮かんだことを、次から次に繋ぎ止めてくっつけあわせて、そこにはどんな人たちが暮らすのかなあ、どんな人々が集いどんな戦いをするのだろう?
てなわけです。

少しカッコよく言えば、どちらも「心」をデザインするのだと思っています。
その心が決まったら「こんどは、こんなふうにします!」とプレゼンテーションをするんです。

それはクライアントであったり、仲間であったり、ラリーに興味のある人たちであったり、いやもうそれはさまざまです。

大切なのは自分の感性が、時代の要請にたえうるか。または先を示すことが出来るだけの思想性や独創性、つまり創造性に足りうるかいなか。

という事で、厳しくもあり試練でもある反面、築き上げていくという喜びでもあります。

九州試走が出発するです。

きょうの3枚

写真1

まず敦煌から莫高窟。いつ行っても抜けるような青空。仏教史を考えさせられて、旅は西に。

写真2

次はエカテリンブルグかどこかで撮った、ロシア正教教会。様式美の違和感はエキゾチシズムの発露になる。

写真3

そしてオデッサのワンカットは、この国の不安定な位置を示している。黒海艦隊もここに居れば、ロシアとも繋がり西ではEUとつながるが、ドニエプル川の上流にはチェルノブイリがある。

2014/02/19 (水)「しばし、沈思黙考。」- OV

「しばし、沈思黙考。」

ov20140219_01

昨晩、ちょっとした関係で赤松や厚主クンたちと「講演」を聞きに行くことになった。
その雑感などを記しておこうと思う。

考えるに、誠に長い間、講演というものを聞いたことがない。
数年前にステージ脇で聞いた櫻井よし子さんが最後だったか?

今回の講演者は、手にi-phoneを持って、それが多分リモコンなのだろう。ボクは途中で彼に電話がかかったらどうなるんだ?と興味津々。だけどそれは無かった。

左手にマイク、右手にi-phone.ステージを右に左に動きながらプレゼンテーションをするような講演だった。ステーヴ・ジョブスのことを考えた。

要約すると「思い立ったらすぐやると決めよう。頭で考えずに心で決めよう。。。そこからどうするかを考えればいい。」
なんかボクがこの数十年間も言い続け、やり続けたことだ。

彼はさらに「このままの毎日でいいんですか?みんなどうせ死ぬんですよ。毎日起きて毎日同じような生活でいいんですか?」
もちろんそのまんまの発言ではないが、まあ要すればそうだ。

ボクは心の中で
「じつはいいのだよ、それで。それこそが真の勇気ある行動なのだよ。」
と彼に向かってつぶやいた。

彼のように100億ものファンドを持ってることが成功なのか?
毎日毎日同じ事を愚直に繰り返すものが劣っているというのか?と
その時は席をけりたい衝動に駆られた。

しかし考えてみるに、その姿は20年前の自分だ。
いや彼の言う成功はしていないが、やりたいことをやるために昼夜を隔てた無かったあの時代の自分の言動そのものだ。

「出来ない言い訳はいくらでもある。どーしたから出来ない。どーだから出来ない!って言うな!」易経にも「窮すれば変ず。変ずればすなわち通ず。」とあるとか「世の中で変わらないものは一つしかない。それは変わらないものは無いという、ただ一点の原則だけだ。」とかね。
「だから、変われ!だから変化しろ。それしか生き残るすべはないのだ。」と。
しかし思う。
「生き残るとはなんだ」と。
火の鳥か?
必ず滅するのであるから、生き残るとは生き永らえるこのに似ている。

彼も言うように、時間は流れる。時に恐ろしいばかりに年月が積み重なる。
心の修養をしなければならないと気がついた時には、もう実は、遅かったりもする。
ひとつ、ここは山岡鉄舟でも読んでもらおうか。
頼むよ将来の日本を。

きょうの一枚

「SSER 忘年会のDAY-1のステージ」
地元在住のジャズシンガー。素晴らしかった。歌い手と聞き手の距離感の良さもありましたね。

2014/02/14 (金)「霧島4000からTBIを考える。」- OV

「霧島4000からTBIを考える。」

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旅は、つくづく不思議たと思う。
たとえばなぜか「霧島」って聞くだけで、旅愁が湧くではないか。

今日はそんなボクの旅の話を書こう。

「TBI」と書くと、発音は「ティービーアイ」なんだけどなんかジヅラからは
「タビィ」といつも旅を連想する。
そうTBIは旅だ。
と思えば1989年から25年もの長きにわたり、ボクはGWに旅をしなかったことがない。
ティービーアイ、というタビを続けてきた。

試走の距離と本番の距離を合わせると1回4000キロとして
25年で10万キロに達した。クルマはいつもすぐに10万キロになるけどね。

長い距離だ。1キロおきにコマ地図を書いたとしたら5万コマも
書いたことになるなあ。。としみじみ。
で、この旅が面白いのはコマ地図という、不親切なガイドの存在だ。
自らは語らないけど、読み解こうとするとそれは雄弁に語りだす。
まるで密教の世界観だ、と思う。

密なるものの語る声は静か。

梅原猛先生だ。

つまり静かだが雄弁に語りかける声は、実は聞く者の能力に委ねられているのだ。
そしてそのひとコマひとコマは目的地なのである。
つまりひとつの旅には、数百数千もの目的地が記されてる、
そんな経典のようなものがコマ地図だ。

昨年からコマ地図をロール状にして配布を始めた。
旅の前の儀式は少し減ったが、その分なにかほかのことに時間が使える。
なにかほかの事とは、旅の予習とか仲間との情報交換の事だ。
旅をする仲間は要は「旅は道連れ」なのである。

TBIはそんな旅を演出してきたし、参加者だけではなくてスタッフも
長い時間の移動の中でお互いの信頼関係を紡いできた。
だから、モンゴルなどのイベントの開催も可能だったんだと思えば
TBIという旅が築いた信頼関係は、まぎれもなくボクと仲間の旅の成果だったろう。

いよいよ初めての道のりで霧島4000という旅が始まる。
コマ地図のコマ数は平均1.0kmとすると4000コマ。
4000の目的地を順番に楽しみながら、皇居前広場や。
靖国神社前やらをあとに、神話のふるさとまで行く。。。
もう早くGWが来ないかなあ。。。

2014/02/10 (月)「寒い日には、暖かい日の事を。」- OV

「寒い日には、暖かい日の事を。」

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「デイ・アフター・トゥモロー」や「不都合な真実」は、間違いなくやって来る。
そうしたことを政治利用しようがせまいが、耳を澄ませば足音が聞こえる。

楽観論も良い。
地球の周期なんだ。
本当は氷河期に向かっていたんだ。
そういう気分でもいい。

悲観論は知識層に多い。
悲観的な未来が、待ち受けている。
でも、間違いなくいずれ人類は滅びる。
恐竜ほども地球上では生息できないに違いない。
栄えたものは滅びる。栄枯盛衰など、昔から誰でも知っていることだ。

いかん、寒い日は悲観論を支持したくなってしまう。
暖かい日の事を考えよう。
今日も東京は43度、熊谷は49度まで気温が上がりました。

また悲観的になる。
暑いのもダメだ。

じゃあ桜の咲くころのことを考えよう。
あの天竜川鉄道のSLと満開の桜並木の事を考えよう。
今年のTDRは、桜がちょうど良いだろうか?
古人のように花の色を気にしながら毎日を過ごそうか。

霧島4000のスタート地の東京プリンスホテルの夜の事を考えよう。
明日がスタートだというのに、
ルートブックがロールになったために、そそくさと部屋にルートブックを巻かなくても良い人々と、やけに眩しい東京タワーのライトアップで顔を赤らめて「早く寝なさい」と怒られるまで夜更かしをしたり、

少し暑いねえ
とかって言いながら
フローズンダイキリなんかを
飲んで過ごしたい。

ああ早く、暖かい日が来ないかなあ。。

2014/02/08(土)「雪の朝、ガストンの事」- OV

 日本中を真っ白な朝にした、2月8日。

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銀世界を予想してた朝は、松山は雨だった。
9年前に受け取った訃報は2月9日の朝だった。

本当に親しい友人だったが、
ふと気がつくと実は偉大なチャンピオンであり伝説の男だった。
それを軽々と忘れるほどに、彼はやんちゃで、子供のようで気さくでフレンドリーなのに、
人のことをとても心配する。
誰かが深刻そうな顔で電話をしてると、とても心配そうに見て「大丈夫なのか?」と聞く。
「いや、問題ないよ。」
と答えると、大げさではなく安堵の歓声をあげる。

もうあの日から9年の時間が流れたのか。
時間は徒に過ぎていく。
10年前、TBIはツールドニッポン いわゆるTDNとして開催した。
TDN3年目だった。
前年は奄美大島スタートだったのだが、2004年はハウステンボスをスタートすることにしたのだ。問題はエネルギーと原子力、という今ならタイムリーなテーマだったろう。
ガストン・ライエは、友人の息子ミハエルを連れて来日して人生最後のラリーを楽しんだ。前年のスペイン・バハの125クラスチャンピオンだったミハエルは最後のSSまで秒差でもつれたものの、僅差の総合2位に甘んじた。
ほんとうに、あれから10年も経ったのだろうか。

2014年。TBIはTDNの記憶を辿るように霧島4000とした。
日本は美しい。日本は素晴らしい。何度もそう言い続けたガストンにまたSSERの新しい挑戦を告げたいと思う。

 

2014/02/03(月)「シルクロードの道も東京から」- OV

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土曜日にはTシャツで過ごしていたので、「ひとつ、おちょくってやろう」と思い北海道に電話しました。

「暑いんだ。今日はTシャツで仕事している。」
「・・・」

きっと北海道は寒いんでしょう、おそらく寒さで口が動かないに違いありません。そんな北国の友人は、どーも雪遊びの最中だったことが後の時間のFBで判明しました。そんなこんなで、桜のつぼみも妖しい四国は三寒四温どころか「猛暑の予感」なのでした。

さて、暖かくなるとせかされるのが今シーズンの試走、最近ではあまりに広域での試走が繰り広げられるので、雪のない部分から!ということになります。

そう思って天気予報を見ると明日は東京も雪?マーク。。。まず霧島4000の、東京プリンスHからの計画なのです。

しかしまあ、どういう経路を取ろうかと考えるだけで楽しくて仕方ありません。時間帯やその日の交通状況なども予測しつつ、いつもとは全く違う視点で見る「東京」きっと素敵に見えるに違いありません。

さて、何かメッセージ的な事も書こうと思いますが、最近は中国の事も誠に書きにくい情勢になりましたね。誤解を恐れずに書けば、ボクは中国が好きです。三国志を読み、四書五経などは学ぶべきことばかり、孫子の兵法も最近の企画書にそのまま書いたりしたものです。

ボ クの好きな中国とは中国の事で、中国共産党の事ではありません。中国共産党の事を中国と言ってしまうのも、まあ一つの考え方ですが乾隆帝時代の清朝のほう がぼくにとっては中国で、とても好きなんです。いやもちろん、もっと前でもいいのですが。いまの姿は、論ずるに値しません。まだ文治主義の時代のほうがは るかに教養に飛んでいましたもの。「黒いネコでも白いネコでも・・・」という、なんでもいいや稼いだら。という無茶苦茶な話も、そろそろ破綻の時期に来て います。

でも、いまでも憧れるのは、シルクロード。井上靖の描いた「敦煌」。洋の東西を結んだかつての交易路を行き来した人々の姿や、彼らがもたらした新しい価値、芸術や文化。あの時代の旅人の思いや、時間の概念などに強く惹かれ続けています。

またいつか、シルクロードの旅でバザールや屋台を巡りながら異邦人になるあの愉しい日々を、東京プリンスから思いながら走り始めることにします。

じゃあ。

2014/01/29(水) 「お誕生日のメッセージをたくさんいただきました。」- OV

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ひょっとしてこれはSNSのたまものでしょうね。

最近疎んじかけていたFBも、こうしてあたたかい心温まるメッセージを、中には思いがけない方からも頂き感激でした。海外からもたくさん。
感激の1月28日でした。

さて、ボクの事です。
SSERの事務所を少し離れた市内のど真ん中にサテライトオフィスを設けて、まもなく2年が経とうとしています。

誠にありがたいことにここには、ありとあらゆる仕事が訪れて来ています。まさに「訪れてくる」という感じです。ほんとうに、さまざまなコトがここには溢れています。

お役にたてることもあれば、全力で取り組みます。全力で取り組むので、やはり疲れます。疲れ方も心地よいモノであれば、やりがいもあろうというものです。

求められる新しい創造的思考は、やはりSSERの30年間で培われたのかなあ?と思いつつ半生を振り返ります。

なぜか?というとですね。
ここではそれらの経験を「DESIGN THINKING」と看板にまで掲げています。
デザインを考えているのではなくてさまざまな発想をデザインの視点で行っているという事です。

いまの人々の心情は、マーケティング的な話ではなくても「何かが欲しい」から「なにが経験できるのか」に変化しています。プロダクツは、それによっていかに新しいエキスペリエンスを生み出せるかにかかっていると言えます。さまざまにコモディティ化し、競争力のなくなった者たち。ジョブスは「腐った魚たちをまだ売るのかね」とまで言いましたよね。デザインの話ではなくて、新しいエキスペリエンスを生む者を新しい価値の創造=マーケットの創造と言い切っていたわけです。

いわゆる単なるモノ志向のある終焉ともいえます。

ここまで書きましたが、ここから先はややこしくなるのでいずれかの機会に記します。
で、TDRから始まる数々のエキスペリエンス。

よろしくです。

きょうの一枚

お誕生日のメッセージ、ガストンの娘さんからも頂きました、もうすぐ命日、そして9年の年月がまさにあっという間でした。

2014/01/17 (金)「普通じゃないことを、やる。」- OV

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ボクのテーマ「上質な時間」「丁寧な暮らし」
そんなことから

数年前SSERの事務所にツリーハウスのような茶室を作った。
久万高原の林業家の手許で数十年もストックされていた地松や樅や、
足りないところは杉の足場板とかを使った。
「上質」か否かは、自らが問えば良いだけの話だ。
時間と光を計算して、丸く刳られた窓から差し込む光が
床の間の一輪挿しを照らす時間を計算した。

ほとんど太陽がある時間は森の木々の隙間から一条の光の筋が差す。
我ながら完璧だ。

つまりラリーもこのように作りたいと切に思っている。
時間も予算も限られている。
それならば「心」だ。
イベントの最中は何かと上手く時間が進まないことが多い。
焦ったり、怒ったりするのだが、それはすべて事前の「心」が不足しているのだ。
30周年の今はそれを修養しようと思う。

30年、なにも成長はしなかったとしてもライフワークとしてラリーを続けるという心は
存在し続け、常に上質な「心」を目指していた。
それはそう思う。

さて、春一番のイベントTDRは2日間のラリー形式になった。桜を天竜川沿いに眺めて、
日本人に生まれた喜びを全身で味わいたいと思う。
江戸末期の幕臣たちが拓いた茶畑の上から大河を眺めて、
それに浄化されたような空気の中を行く。

人生とは、このように幸せなものだと思う。

上質であるとはそういう事だと思う。
磐田で、お目にかかりましょうね。

TDR2days 受付はじまりました。>>>

2014/01/07 (火)「深草、無念のリタイア」- OV

ov_20140107_01ETAP2、この日MOTO部門は25台のリタイアが確認された。

残念なことに一人のモンゴル人ライダーと、深草もその中にいた。
深草は、転倒の際に腰を強打し立ち上がれない。骨折等は無い模様で、
いわゆる全身打撲状態だろうか?本人は元気だそうだ。
電話をしてみたが、時計を気にせずにかけたものだから、
深夜の3時だったのでまたにしようと思って切った。

この手の競技は、いつも不思議だ。どんなに注意していても普段に経験したことの無いようなことを経験する。壊したことの無いような部品を欠損し、したことのないような転倒をする。
慎重な彼の事だから、無理はしなかったんだろうと思うが、周りを見たらみんな自分よりすごいやつばかりに見えて、自分を見失うことが多い。
リザルトを見れば必死で紡ぎだした自分の時間をはるかに上回るタイムで、まるで陽炎のかなたのような位置にトップクラスが存在する。

そんなのは意識することは無い。と、自分にそう言い聞かせるのは残念ながら強く意識して入り証拠だ。
あれだけ頑張って走ったのに、半分もの時間つまり2倍のアベレージで走るやつらがいることに驚き戸惑い自身を見失う原因を抱え込んでしまう。

でもあえて深草に言う。この結果は長年かけてはぐくんできた夢が潰えた瞬間ではないのだ。新聞には「夢を背負って走る」という「???」なことが書かれていたけど、実は夢が現実になった瞬間なのだ。

夢、という曖昧で模糊とした言葉でダカールは語れない。
最近よくサッカー選手が「良く準備をして臨む」というような発言をするけど、その語源はダカールじゃないかと思うほどに執念深い準備が99%、夢だとか運だとかは1%にも満たない。

1988年、石原孝仁がリタイアしたテネレで、翌日は菅原さんのリタイアをテネレで見た。
石原は「直せないのか」と聞くボクにボンネットの上から、「無理だ。」一言そう言った。
菅原さんも、ボンネットの上にいた。
「どーしましたか?」と聞くボクに
「早く行きなさい。」と。

悔しさは男を磨くなあ。あとになってそう感じた。

ダンディズムは、悔しさと失ってきた栄光への道のりの途上の挫折の数で決まるのだ。本当にそう思う。

 

2014/01/06 (月)「さあ、やるかね。SSER Cafe」- OV

「さあ、やるかね。SSER Cafe」

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今年は新春そうそうから好天に恵まれています。なにかこう、今年1年の天気占いは「良」じゃないのかなあっと。
まあ愛知あたりに強力な悪の力が存在するので要注意ではありますが。実は昨年の暮れの忘年会の前座で4本の林道を雪の中を走りました。
絶好の天気と雪質・・・そこで心に決めたことがひとつ

イベントのない月の第3日曜日は「SSER Cafe」を。これは林道のどこかでランチ&カフェを開きます。開店時間は11:00から13:00・・・そして発見して訪れた方にはCafe + Lunchのサービス。

どこかの林道のどこかの広場。ヒントは1週間以内のOVやFBに。スタンプカードをお渡ししますので、連続到達の方には年末にモンゴル旅行など豪華プレゼント・・・ムムムこのモンゴル旅行は少し怪しい気がしますが。。。

10月には、いまの予定では30周年記念世界ツアーに行きます。
ですから10月はSSER Cafeはお休みの予定。
愉しく走る1年にしたいかなあ。

きょうの一枚

SSER30周年記念ツアーの目的地の一つ。ここにジムニーを置いて撮影したり?ボクの〇〇〇を置いて撮影したり。。。する予定。。。ここは、どこだ?

2013/12/27 (水) 「2013、顧みて」- OV

2013/12/27 (水) 「2013、顧みて」

写真1

まことに1年というのは、早いと思う。
歳を重ねるほどに1年を早く感じるのは
いうところの相対性理論であることに異論はない。

あの8月、熱砂のゴビのことも
9月の大草原で初開催となったゴビデザートマラソンも
すべては現実なのだが、いつのまにか遠い日のことのよう
それは、薬のようでもあり
焦燥を生む、毒にも似ている

だから再び、その準備に取り掛かる
そんな時に、ふと夢は現実となってからの、
そのあとの過ごし方が大切だと気づく

具体的な目標を夢と呼ぶならば、それを実現させたあとのありようも設計していなければなるまいと思う。

2013年というのは、ボクが30年前と20年前にそれぞれ設計していたはずの未来の過去だ。
・・・ちょっとボク以外には解釈不能か。。

ちょうど1992年9月パリ-モスクワ-北京で、
新たに独立したばかりの国々を貫き走った。
ベラルーシやウズベキスタン、キルギスやトルクメニスタン、カザフスタンという当時まで名を聞くこともなかった国々だ。
そしてタクラマカン砂漠を越えた。
おまけにその北に広がるゴビ砂漠に強い郷愁を感じたのだから仕方がない。

その時に漠然と持った夢に駆られた20年だったんだろうか
来年でラリーモンゴリアはまさに20年を迎え
SSERは30年を迎えた。

その時から2013年まで、ずっとその地を(なかば仕事と称して)旅をし続けられてる歓びに、感謝の気持ちを深くするようになった。

ずいぶんと澱のような、気負ってたものがスッと取れたようなそんな感じの2013だった。
だから今年の年末、つまりいまの自分はなぜだかとても気持ちが良い。
幸せを感じていると言っていい。

まとめて2013年を顧みて思うのはその幸福感に包まれた1年だったということだろうか。

2013/12/25 (水) 「忙中の閑に漂う」- OV

2013/12/25 (水曜日) 「忙中の閑に漂う」

写真1

こんなに忙しい年末って、あったっけ。

いつもこの季節になると思うのは、やはりパリでのこと。
87年からずっと、冬はもっぱらパリで過ごした。
まあ、と言っても7年くらいか。

シャルル・ドゴールでレンタカーを借りて
いつもルノーエスパス。

みんなで乗り込んでどっさり荷物を積んだら
ホテルニッコーの裏の、いつもの宿。
大きなリビングに3つくらいのベッドルーム。
キッチン。
毎日の食事の買い出し。
洗濯とミーティング。

ラリーカーの引き取り。
地下のガレージで日がな整備。
ドーベルマンを連れたガードマンともいつしか顔なじみに。
もう市内も地図は無くても走り回れる。

そんなころちょうど
プレゼンタシオンがあるので、ペリフェリックで会場へ

冬の夜だというのに21:00スタート
聞くと、夜はそんなもんだと。

巨大なスクリーン。
シャンパン
もう、やられっぱなし。

そして車検会場の下見を兼ねて試走。
2時間もかからないことを確認してホテルに帰る。
車検、リエゾン、パルクフェルメ。

胸が熱くなっていた日々。
ああ、あの頃のパリのなにもかもが懐かしい。

ただの旅行や仕事で行ったとしても
あの空気は味わえないだろう
あの胸騒ぎは過去のものなんだ

あれはなんだったんだろうか。
あの日々は、幻だったのか。

わずかな焦燥感が湧きおこり
それが次へのちいさなエネルギーの導火線に火をつける。
さあ、来年もやるゾウ!となる。

Organisation Voice 2013/11/13 (水)

ov20131113_01

先日のこと、赤松カメラマンと二人でヘリで石鎚山系の稜線沿いの撮影を行った。
年間流すプロモーション映像なので、「紅葉はまずい」のだそう。
やっとめぐってきた最後のタイミングで飛んだ。

エアロスペシャル350Bの撮影用の架台にスチールとVをパラレルセット。なんとGPSは搭載していないので、急遽ガーミンに飛行ルートをプロットして上空に。
インカムの調子が良く、ぼくはナビシート(って言うのかなぁ)で、カメラのモニター画面とGPSと地図と、もちろん眼下に広がる山々のスガタカタチを眺めながら。インカムから流れる航空無線を聞きながら、あっちだこっちだと指示をしながら飛んでるうちに、かなりハイな状態になってきた。
もちろんドアは開けっぱなしで2000mの上空で、厳しい北風にあおられながらの素晴らしい旅、もとい撮影フライトでした。

結論
いやー素晴らしい。石鎚山系は、実に見事だ。こんなにこの山々が素晴らしかったとは。稜線の縦走路をトレースするように飛ぶのだが、北斜面の高度感たらそれはもう。
なんかヘリで日本中の山々を飛んだら面白いかなあ!!などと妄想したりする。

いまその編集作業中で、その興奮もまた蘇ってきたりします。

ものにはいろいろな角度で見なければならないというのを今回のフライトが教えてくれます。高空から見下ろせば、いわゆる俯瞰という事ですが「さまざまなことが良くわかる」と言いますが、それは間違いです。概観が分かるにすぎません。

グーグルアースを初めて見たときに、素晴らしいなあ、と感じたのは宇宙から石ころ1個まで自由にズームできるという機能でした。

いまGWの霧島4000に、上空から見ていますが、東京発表会の帰り道ではホテルから想定されたルートを走りながら、まるではじめて走る道のような感覚を覚えるわけです。皇居の佇まいを左手に見ながら北へ。胸踊る旅は、やはり地を這うような旅なのだという事も再認識したわけです。

仙波君が故戸井十月さんの本のことを書いたので少し。
戸井さんとは、銀座のバーで良くご一緒しました。
戸井さんはバイクの旅を「地を這うように走る」と表現していました。
1995年第1回ラリーレイドモンゴルには、NHK-BSの仕事を持ち込んで走ってディレクションして大活躍でした。

ボクも「地の果てるまで」いつまでも旅を続けることをお約束します。

先の発表会では30周年記念の旅のことを発表できませんでしたが、企画はどんどん温まってきていますのでお楽しみに。

きょうの一枚は
ヘリから。

2013/09/10(火) 「ワガコト化」

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英語で「ありがとう」と言うと時々「マイプレジャー」と答えが返ってくることがあります。先のブエノスアイレスでの中継放送の中でも、一瞬聞こえてきました。

ボクもラリー中に心がけて、英語圏の人からの謝辞には「イッマイプレジャー」と答えるようにしています。
これってかなり日本的な発想がもたらす言葉だと思うわけです。
つまり「とてもありがとう」にたいして
「喜んでいただけるのが私の喜びでもあります。」と言う意味ですから。

そしていま、少しずつですがワガコト化計画を進行しています。
その方の悩み、自分ならどう解決するだろうか?まあそういうことです。
ワガコトの反意語はヒトゴトです。多くのことがヒトゴトの時代に、少なくとも自分の周辺で起きるいくつものことをワガコトトシテ考え行動しようという運動です。

ヒトノイタミヲワガイタミトシテ・・・いうのは簡単ですが実にこれが難しいわけです。昨日は「惻隠の情」について書きましたが、今日はさらにそれを一歩突き進めた思いです。
惻隠の情には若干とも差別意識が潜んでいます。素晴らしい思想のようでもありその実は被支配者と支配者的な微妙なにおいをまといます。

ワガコト化とは、お城を抜け出した王子様が乞食の少年とそっくり立場を入れ替える、というのではありません。立場は立場としてわきまえ、そのおきてる事象や問題、いま目の前にある仕事などなどを自分のこととして向かい合う姿勢のことです。

それが出来ていないのが、まあ政治家です。本当にフクシマをワガコトとしていますか?自身の母親が避難所暮らしをしていて、帰る場所を失っているとしたら・・・

言うは易しで、こんなことを言ってしまいましたが、いま目の前にある仕事の発注者が自分だった場合を考えて、取り組まなければ。。。そうすると赤字になりはするのですが。

きょうの一枚
沙漠に咲く花。明後日からはまたモンゴル。コースマーク付け!帰ってきてもSSER3DAYSのコースマーク付け。おそらくモンゴルのコースマークのほうが圧倒的に多いのですが・・・

2013/09/09(月) 「惻隠の情と、東京五輪決定万歳について」

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テレビを見てた。東京五輪の招致決定の報に日本中が湧いていた。

本当におめでとう。心からそう思う。

そして今朝は、浜口京子さんが親子で出演していた。この彼女の優しさは、自分の父親に向けるまなざしでも証明される。インタビュアーは「レスリングが五輪競技に残ったのをどう思うか」そんな内容だった。そして「それはとてもうれしいけど、落選した二つの競技のことを考えると素直に喜べない。どうしてすべての競技が五輪で行われないのでしょうか。」と言う発言(だったと思う)。五輪招致とは若干ニュアンスの違う「競技の選択」どのような理論が働くのだろうか?この惻隠の情のようなものがスポーツマンシップだと思った。

東京エリアに野球場ならいくらでもあるし、おそらくだがスカッシュをする場所などいくらでもあるだろう。と考えると物理的な問題ではあるまい。巨大商業サーカスとなった五輪(決して、悪い意味でも皮肉でもなく、むしろ畏怖の意念を持ってそう言ってる。)原則は、いまはどうなってるんだろう。

招致活動も2020が東京で、2024がイスタンブールで、
2028がマドリッドではいけないのだろうか?
たぶん理由は見事にたくさんあるのだろう。
招致活動そのものも大きなショウビジネスになってはいまいか。

TOKYO、
確かに、7年後に向けたアベノミクス第4の矢にはなるだろうと思う。あのコンストラクタブルと悪評の高い、ザハ・ハディの近未来建築も日本の企業ならものにするだろう。日本は古き良きものへのノスタルジーへの傾斜をやや緩め、近未来的または未来的なものにパラダイムの緩やかな変化を遂げるかもしれない。

あの熱狂は、これまでの日本人の日本人的なところのやはりだが・・・変革を示した。
浜口京子の言う「選ばれなかったところに申し訳なくて」ただ素直に喜べない、
というのが正しい。いや喜んでいいのだけど。

むかしラグビーの試合に駆り出されたボクは一人白いスパイクを履いていてひんしゅくを買った。そんないやなやつが・・・パスをインターセプトしてタッチダウンもとい、
トライを挙げた。
ガッツポーズをして、怒られた。
ラグビーは紳士のスポーツだから点をとっても喜んではいかんのだと。
ふーん。
と思った。

惻隠の情をもって、喜ぶべし。

その精神は、在りや否や。

2013/09/04(水)「29年目のSSER」- OV

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あの時も、林道には栗のイガがあちこちに落ちていて、取る人も居ない野生の栗の実の多さに驚いたのは久万高原。それに彼岸花の赤と金色に色づいた稲に、錦絵のようだなあ、と感動したのもあの時の久万高原。

もちろん携帯電話もなければコンビニもない。道すがら畑仕事のおばさんにトマトを分けて頂いたり、房代野(スイマセン、超ローカルで)の湧水に癒され。日が暮れかけると、高原に響く有線放送から流れる、「遠きぃ、山に日は落ちて~」なんていう曲だ?あの「新世界より」の日本版の唱歌。あれが、いかん。
あれがさみしさを誘うんだ。

山の斜面に張り付いた民家からは、夕餉の支度の煙がたなびき、日本の原風景はやはり「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の 音など、はたいふべきにあらず。」
と、不完全な記憶の(↑は検索したからね。)枕草子をそらんじてみたりしながら、「明日も来なきゃ」とバイクを走らせたものだ。

その時はボクもまだ29歳だったので、今年29年目と聞くとそれまでの29年と、それからの29年の分水嶺のようなものがSSERのはじまりだったんだと妙にしんみり。

あのころは、トライアルにはまっていたというのにある雑誌の表紙を飾ったISDEの写真・・・ちょうど二人のライダーがカウンターを当てながら古いヨーロッパの、石造りの町並みを駆け抜ける・・・に心を奪われて、そしてさらには始まってそれほど間のないパリダカや、BAJAや、世界のいろいろな土地で開かれるそれぞれ個性的なアドベンチャーなレースに心を奪われていて。。。

SSERは、来年30年。大きな区切りかなあ、とも思うし。複雑な胸の内を抱えて、さあ東京へ行かなくちゃ。そんで帰ったらすぐモンゴルへ再び。
でも、あの企画書も、その見積もりも、山積みの仕事が野ざらしに。怒られるだろうなあ、きっと。

The29th SSER 3DAYS CLASSICS エントリー受付スタートしました [詳細]

2013/09/02(月)「いまだからこそ考える、競技規則の安全対策」- OV

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モータースポーツの光と影は、言うまでもなく栄光と敗北ではなく、

栄光と少なくない事故だろうとおもう。

競技規則や車両規則の多くはいくつもの事故を検証しては突き詰められた
安全への切なる願いと言っていい。だからそれを軽んじる参加者は、
モータースポーツの真のメッセージが理解できていない。
つまり、その大会の競技参加者といえないのだが、
不備の多い人に限っては「自分は大丈夫だ。」と言う。
そんな者でもモータースポーツの光の部分を語ることは出来る。

30年にわたりオーガナイズをしていると、多くの事故現場を目の当たりにする。
それはお互いにとって不幸なことではあるが、
自分には「それは、避けられなかったのか?」という悔しい思いに、
実は相当な時間いや年月を費やしてしまう。
苛まれるというのとは違うが、忘れられないのだ。

SSERではネックブレスの装着やヘルメットリムーバーの装着をかなりの範囲で
義務付けている。ヘルメットも、厳しい検査の基準を設けている。
それらはしばしば、トラブルの原因にさえなっていて悲しい。

ネックブレスで守られた頸椎は、ほかの部分にダメージを与える。たとえば脳だ。
本当ならネックブレスとマウスピースがセットであることが望ましいが、
おそらくマウスピースを咥えて走れというと猛反発だろうか。
またネックブレスは、一方で多くの部位を傷つけながら頸椎を守っていることも解った。
ネックブレスに適応したブレストガードが必要だと思う。

安全対策は、どのように進めても足るを知らない。
素敵な思い出を持って、月曜日に職場に復帰するためには、なによりも一番に考えてほしいことだ。それは競技には限らない。

2013/09/02 (月)  19:24

Organisation Voice 2013

2013/12/27 (水曜日)

「2013、顧みて」

まことに1年というのは、早いと思う。
歳を重ねるほどに1年を早く感じるのは
いうところの相対性理論であることに異論はない。

あの8月、熱砂のゴビのことも
9月の大草原で初開催となったゴビデザートマラソンも
すべては現実なのだが、いつのまにか遠い日のことのよう
それは、薬のようでもあり
焦燥を生む、毒にも似ている

だから再び、その準備に取り掛かる
そんな時に、ふと夢は現実となってからの、
そのあとの過ごし方が大切だと気づく

具体的な目標を夢と呼ぶならば、それを実現させたあとのありようも設計していなければなるまいと思う。

2013年というのは、ボクが30年前と20年前にそれぞれ設計していたはずの未来の過去だ。
・・・ちょっとボク以外には解釈不能か。。

ちょうど1992年9月パリ-モスクワ-北京で、
新たに独立したばかりの国々を貫き走った。
ベラルーシやウズベキスタン、キルギスやトルクメニスタン、カザフスタンという当時まで名を聞くこともなかった国々だ。
そしてタクラマカン砂漠を越えた。
おまけにその北に広がるゴビ砂漠に強い郷愁を感じたのだから仕方がない。

その時に漠然と持った夢に駆られた20年だったんだろうか
来年でラリーモンゴリアはまさに20年を迎え
SSERは30年を迎えた。

その時から2013年まで、ずっとその地を(なかば仕事と称して)旅をし続けられてる歓びに、感謝の気持ちを深くするようになった。

ずいぶんと澱のような、気負ってたものがスッと取れたようなそんな感じの2013だった。
だから今年の年末、つまりいまの自分はなぜだかとても気持ちが良い。
幸せを感じていると言っていい。

まとめて2013年を顧みて思うのはその幸福感に包まれた1年だったということだろうか。

2013/12/25 (水曜日)

「忙中の閑に漂う」

こんなに忙しい年末って、あったっけ。

いつもこの季節になると思うのは、やはりパリでのこと。
87年からずっと、冬はもっぱらパリで過ごした。
まあ、と言っても7年くらいか。

シャルル・ドゴールでレンタカーを借りて
いつもルノーエスパス。

みんなで乗り込んでどっさり荷物を積んだら
ホテルニッコーの裏の、いつもの宿。
大きなリビングに3つくらいのベッドルーム。
キッチン。
毎日の食事の買い出し。
洗濯とミーティング。

ラリーカーの引き取り。
地下のガレージで日がな整備。
ドーベルマンを連れたガードマンともいつしか顔なじみに。
もう市内も地図は無くても走り回れる。

そんなころちょうど
プレゼンタシオンがあるので、ペリフェリックで会場へ

冬の夜だというのに21:00スタート
聞くと、夜はそんなもんだと。

巨大なスクリーン。
シャンパン
もう、やられっぱなし。

そして車検会場の下見を兼ねて試走。
2時間もかからないことを確認してホテルに帰る。
車検、リエゾン、パルクフェルメ。

胸が熱くなっていた日々。
ああ、あの頃のパリのなにもかもが懐かしい。

ただの旅行や仕事で行ったとしても
あの空気は味わえないだろう
あの胸騒ぎは過去のものなんだ

あれはなんだったんだろうか。
あの日々は、幻だったのか。

わずかな焦燥感が湧きおこり
それが次へのちいさなエネルギーの導火線に火をつける。
さあ、来年もやるゾウ!となる。

2013/12/17 (火曜日)

「もうすぐ、ダカール」

本当に久しぶりにダカールに日本人ライダーが参加することになった。熊本の深草君だ。SSER的に言えば、九州4デイズのコースディレクターで、頼りになる男だ。HONDA熊本工場で、比較的要職にある深草君は、社内で多くの信頼を得ていると思う。DAKARを目指して数年間、さまざまな話を彼から聞いたし、何度も同じクルマでTBIや九州4デイズを走った。
彼の勝ちえた社内での信用というものは、やはり彼の持つ真摯さにあると言っていい。それに実はかなり多岐にわたって先進的な思考や、時には高度な分析眼を発揮している。
つまり、クルマで旅をしていると話が弾む。
実はダカールに必要なのは、ひとつには真摯さだ。そしてその対極にあるかに見えるが、確実に求められるのが鷹揚さだ。

しかし、それらに恵まれていたとして、それに裏打ちされた技術と体力だ。
近年のダカールをボクは知らない。知らないから、これ以上語ることはしないが、ラリーモンゴリアやかつてのアフリカ時代のパリ・ダカールを走る者たちのことを語ることは出来る。

モンゴルから3人のライダーが参加する。いずれも強い。そして速い。昨年は慣れない土地で、早々に躓いたが、今年は案外やるだろうと思っている。
実は彼らの存在が深草君にとっては、良きベンチマークになるだろうと思う。
というのも深草君は、モンゴルではいつも彼らの真ん中あたりを走ってるからだ。

モンゴルの3人のライダーと、深草君はみなSSER ORGANISATIONのロゴマークを胸に走るんだ。みんな活躍してほしいなあ。

2013/12/12 (木曜日)

「忙中に見る夢」

忙しい、忙しいで年が暮れようとしています。
そんな中でも、ふと出かけた山に、全く誰も通ったことがないであろう幾つかのトレイルを見つけました。
忘年会を12/29-30と2日間でやろうという事でカレンダーを見たら12/29なんて日曜日。
という事は多くは27か28で仕事納め。。。

じゃあ29日は朝から「まだ誰も走ったことがないだろう林道へのツーリング」を企画しました。先週は雪の中で、スタックしてクルマを置いて帰ったあの場所です。
SSERの事務所からひと山越えて、いつもの林道を2本、そしてほぼ通行不能な短い林道を1本やって、エイドステーション(おにぎりとあったかい汁物)あっ、これは希望ですが・・・そして最後に例の林道、途中からはシングルトラックに倒木がいくつかあります。そんなに長くは無いのですが・・・そして再びひと山越えてSSERの事務所そして近くの温泉、そんでもって忘年会1日目!ということでした。

来年はSSER30年。月日というのは、過ぎていくもので、人を待ってはくれません。
人生を振り返るよりも、来年1年をどう過ごすかに集中するボクは、やっぱり30周年記念の冒険の旅に出たいと思うことしきりであります。
その一歩が、忘年会ツーリングという事かもしれません。

さあ30周年!48時間耐久忘年会はコチラ [HP]

2013/12/04 (水曜日)

「PRESANTATION SEOUL」

ソウルで2年ぶりにPRESANTATION、松山空港からSEOUL便に乗った。
東京へ行くより安い航空運賃で、しかも早く異国のキャピタルに降り立つ感覚はとても新鮮。
なにかこうひとつの儀礼を省略したみたいな感じになった。

SEOULの会場はKTM-KOREA 広くて良く整えられた店内。Pitは地下。
良く準備されていて、参加者の方もみなさん熱心で目が輝いている。

興味はモンゴルに限らず、北海道4デイズやTBIにも。
聞けば「ソウル-札幌はとても安いので北4に出たい」とか。

そういえば過去には韓国からはTBIにも参加があり、あの関釜フェリーでは最近バイクも乗れるんだという事のようです。

そんなふうに
彼らの持つモーターサイクルへの熱情や
未知の大地への興味は私たちと同じです。

2013も韓国から9名もの参加者があったラリーモンゴリア。2014はそれを上回る参加者を予定しているそうです。2013年のランタンルージュ(最終完走者)のLeeさんは、「来年はAPIO JIMNYで出たいなあ。」と。小さいのにきびきびと走る姿に、ひときわ感銘を受けたそう。

さて、ラリーモンゴリア2014、20年目のこの大会には、どんなドラマが待っているのでしょう。楽しみですね。

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2013/11/20 (水曜日)

「SNSの付き合い方」

「しかしSNSの時代なんだそうですな。(落語風に)」
「で、そのSNSってえのは、遭難した時かなんかに使うやつかい?」
「あっそれはSOS?!か・・てえとSNSってのはなんだい?」
そもそも日本人ちゅうのは、恥ずかしがり屋さんなのだ。
ボクの子供のころは、人の前で歌なんか歌うのは、恥ずかしくて恥ずかしくて音楽の時間に綺麗な?音楽の先生のピアノにあわせて!一人で歌うときなんかは、もう穴があったら・・な気分だったでしょ、あなたも。

それが昨今じゃマイクの取り合いで夜も更けていくし、お金まで払って歌を歌うっちゅうじゃないの。で、そのほかに子供のころみんなの苦手なものは何か?というと。思うに作文とマラソンでしたね。

そんなことは無かったかのように、みんなブログだあツイッターだあ、と日本語の作文技術の向上にいそしむ。いや、素晴らしいことです。

子供のころ作文の苦手で、いつもボクが代筆をしていた友人もいまではヘヴィブロガー・・・なぞはまだ続きます。マラソンの時間には必ず腹が痛かったり「先生、私、あの今日は走れないんです」なんて赤い顔して話していたあの彼女も、いまではみんな走っている。皇居の周りは、まーどーいうこと?歩道は歩く道と書いて歩道なのにです。「廊下は走らない!ぶつかるでしょ」といつも怒っていた小学校の時のボクの担任の先生もすっかりおばあちゃんになっていた。

で、思うに「走る」これに税金掛けたほうが良いのと違いますやろか。だってあんなに占有して30万人とか1日に???1日1000円かけても3億ですよ。

さらに登山!ボクが夢中になって登っていた頃(昭和40年代ね)なんて、誰を誘っても「山なんか行けるか!?」「・・・」だった。

「このままだと数年後には石鎚山に人はいなくなるよね」と山小屋のおやじと嘆きあった日もウソのように石鎚山頂も渋滞中!なのです。

こうした現象に加担しているのがSOSじゃなくてSNSではないかというのはぼくならずとも思うところ。そしてこれの最大の弊害は「焦りを生む」構造だという事ですな。

つまりあのお友達が多いほどでしょうが、みんな色々なことしているなあ、いろいろなところへ行っているなあ、それに比べてぼくなんて年に3回くらいモンゴルへ行くだけだのになあ・・・となっちゃう。

それはそうでしょう。何百人かいる友達たちのとっておきの経験を網羅されたら毎日みんなどこかで楽しい思いや旨いモノや、素敵な場所に行ったり新しいマシンを手に入れたり、そうしていることが凝縮されてくるわけですもの。

仕事と政治のことは悪口しか書かなくても、とにかく遊びと食べものと旅行に関しては、みんなすごい!ボクだけ何もしていないのではあるまいかという不安症候群に陥れられる、のではないかということ。これは近い将来には心疾患系のシンドローム化するのは必然。

でも明日SNSが滅んでも、ぼくは今日もFBになにかを書く。
そのココロはなんだろうねえ。

きょうの一枚

今日の一枚はモンゴルから。ここのところ勝ちまくってるBajaFJクルーザー。
速いし、とっても人間が良い。モンゴルではすっかりモータースポーツはスポーツとしての高い評価を受けるようになりました。素晴らしいことです。

2013/11/13 (水曜日)

先日のこと、赤松カメラマンと二人でヘリで石鎚山系の稜線沿いの撮影を行った。
年間流すプロモーション映像なので、「紅葉はまずい」のだそう。
やっとめぐってきた最後のタイミングで飛んだ。

エアロスペシャル350Bの撮影用の架台にスチールとVをパラレルセット。なんとGPSは搭載していないので、急遽ガーミンに飛行ルートをプロットして上空に。
インカムの調子が良く、ぼくはナビシート(って言うのかなぁ)で、カメラのモニター画面とGPSと地図と、もちろん眼下に広がる山々のスガタカタチを眺めながら。インカムから流れる航空無線を聞きながら、あっちだこっちだと指示をしながら飛んでるうちに、かなりハイな状態になってきた。
もちろんドアは開けっぱなしで2000mの上空で、厳しい北風にあおられながらの素晴らしい旅、もとい撮影フライトでした。

結論
いやー素晴らしい。石鎚山系は、実に見事だ。こんなにこの山々が素晴らしかったとは。稜線の縦走路をトレースするように飛ぶのだが、北斜面の高度感たらそれはもう。
なんかヘリで日本中の山々を飛んだら面白いかなあ!!などと妄想したりする。

いまその編集作業中で、その興奮もまた蘇ってきたりします。

ものにはいろいろな角度で見なければならないというのを今回のフライトが教えてくれます。高空から見下ろせば、いわゆる俯瞰という事ですが「さまざまなことが良くわかる」と言いますが、それは間違いです。概観が分かるにすぎません。

グーグルアースを初めて見たときに、素晴らしいなあ、と感じたのは宇宙から石ころ1個まで自由にズームできるという機能でした。

いまGWの霧島4000に、上空から見ていますが、東京発表会の帰り道ではホテルから想定されたルートを走りながら、まるではじめて走る道のような感覚を覚えるわけです。皇居の佇まいを左手に見ながら北へ。胸踊る旅は、やはり地を這うような旅なのだという事も再認識したわけです。

仙波君が故戸井十月さんの本のことを書いたので少し。
戸井さんとは、銀座のバーで良くご一緒しました。
戸井さんはバイクの旅を「地を這うように走る」と表現していました。
1995年第1回ラリーレイドモンゴルには、NHK-BSの仕事を持ち込んで走ってディレクションして大活躍でした。

ボクも「地の果てるまで」いつまでも旅を続けることをお約束します。

先の発表会では30周年記念の旅のことを発表できませんでしたが、企画はどんどん温まってきていますのでお楽しみに。

きょうの一枚は
ヘリから。

2013/11/12 (火曜日)

「東京の熱い夜」

週末はおなじみ、恵比寿Stylement「7」で、SSER PRESENTATION が行われました。
菅原さんの会社からも歩いて5~6分のところ。
もう何回、いや何年お借りしているのでしょう。そして圧巻はその夜の懇親会。

これまではすぐ前にあるチョモランマ酒場で行っていたのですが入りきらない!という不評をかこっていたので、今回はスタッフが努力!?して素晴らしいお店を見つけていただきました。

さて、本題。
感想。
発表席から見る来場者のみなさまの顔が、ここ数年で、いや顔ぶれは大きくは変化していないのですが・・いつもより視線が熱いのに少し驚き、さらに女性の増えたこと、なにかかなり久しぶりに、なにかこう強く感じるものがありました。

30年。20年。という節目だから頑張る!なんていう事ではないのですが、それでもやはりアニバーサリーは大切にしていきたいと心にそう思います。つまりですね、そのはじまったころの思いに立ち返るわけです。初志貫徹というか初心忘れるべからず、というところのお話です。

2013/11/05 (火曜日)

「週末は、発表会場で」

気が付けば秋も深まりました。
SSERは年が明ければ30周年の年を迎えます。(これは後述しますが「数え年の概念」ですね、)
第一回大会は1985年でしたから、来年2014年大会は30回目というだけで実は29周年なのではないかと、少し考えることに。標記上 1985-2014 と書いて30Years Anniversaryとは、すこし違和感が残ります。

でも30回大会を30周年と考えるのは、そんなに問題でもないかなあ?なんて考えるのも最近はやりの「偽装」からかもしれません。
伊勢海老をExciteで英訳するとロブスターって出てきます。むかし海外で食べた伊勢海老もロブスターって黒板には書いてあったし。

話がそれました。
そういえば、21世紀も2000年からなのか2001年からなのか!?という議論がありましたね。

生まれた年が0と考える満年齢。生まれた年を1年目として数えるいわゆる「数え」ここにあまり知られてない事実が!!

数えの概念には「0」が存在しないのです。そして、2013年12月31日に生まれでも2012年1月1日には2歳と数えられる。のだそうであります。
古くからは日本はこの考え方が主流で、誕生日で年齢が増えずに1月1日で、ひとつ年を取ってたそうなのでありますな。

まあ、そんなこんなで数えのSSERは登録年齢もその年になる年齢が書かれていた時代は、数々のおしかりを頂きました。そこで年齢標記に意味はないのだろうという事で、年齢を発表することを控えています。

わけのわからないことを書きましたが、1985年からスタートしたSSERは30周年を迎えることにします。

きょうの一枚

奇しくも同い年のBMW R80 G/S Paris-Dakar・・・長いことSSERの守護神として?時代の変遷を眺めてきています。いつものあるべき場所に戻って来ました。

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2013/10/23 (水曜日)

「日は、また昇る。」

HRCの先のモロッコの活躍や、YAMAHAのシリル・ヌブーじゃなかったシリス・デプレの獲得!で来年のダカールは見逃せません。

とはいえ王者KTMも、やすやすとその座を譲ることはないでしょう。
しかし、その情熱は維持でき続けてっるのか?は確かに問われます。

でも、あの時代に、本当に勝ちたくて勝ちたくてたまらなかったけど勝てなかったKTMも、いまではビジネスにおいても、砂漠の上においてもゆるぎない風格を醸し出しています。いわば、最小の投資で最大の結果を出しているとも見れます。

ビジネス用語でいうベストプラクティス!こそはこの20年のKTMの歩みそのものです。
とはいえ、厳しいこと言うようですが、王者の座は、安寧であろうはずはありません。
それは、勝つことへの情熱と、勝ち続けることへの情熱は似て異なるものだということです。追うものと追われるもののランチェスターの闘いが展開するのです。
そして、勝ち続けることなんて、ありえないんです。
でも、まだ今回くらいまでは勝てるでしょうか。。。それは勝つことへの習慣化といえばいいでしょう。

では、ひるがえってわが日本。負け癖が付いてしまって、ここまで負け続ければ、なにをやっても、リードしてても「でもやっぱり負けるのではないか?」という不安に襲われて、その思いは負けるための要素のささやかなほころびに含浸していっては、破たんを繰り広げていくはずです。

現に日本人、あのオリンピックの招致活動でも「たぶん負けるだろう」と少なくない人が思ったから、あのガッツポーズや涙や抱擁が生まれたのではありますまいか。
ボクは宝くじは買ってはいけない!と主張し続けます。
負け癖に塗れた人生を形成していきます。

夢を見る→かなわない→当るはずがないと納得する→でもまた買ってしまう。買うときは「買わないと当たらない」という。→また当らない。→当るはずがないと納得する。

これを繰り返していくと、当たることが奇跡で当らないことが日常になるわけです。つまり失敗が日常で、成功は奇跡つまりありえない。という日本人の「何をやってもダメ」だと思う、そういう精神をはぐくんできたわけです。
ゆとり教育を、なにかの言い訳にしてるよりも実はたちが悪いという事に気が付いてなくて、なんと当選金額ばかり上げていく。

「えっ、7億円」
買おうかなあ、今年くらい。

まったくもって話がそれてしまいましたが、
日本人、そろそろ勝ちに行く!に転じなければならないなあ、と思ってたらTOYOTAもWRC復活のニュース。あの屈辱のリストリクター事件も過去のお話。

で「日はまた昇る」という今日のタイトルは、深草君のダカールのライディングウエアのデザインテーマに定めたものです。

ダカールが南米に移ってから、はじめてのプライベーターとして挑むのですが、きっと、思うほどには上手く闘いは展開しないでしょう。きっと、大苦戦をするはずです。つまるところ、ワークスたちの活躍の陰で、陽の目も当らないでしょう。しかし、それこそが望むところです。きっと深草君も上位争いに加わってやろうなんて思ってはいません。(思ってたらごめんなさい。)
男子たるものの、心意気こそ日本再生の鍵であり道であろうと思います。

2013/10/18 (金曜日)

「紅葉の季節には。」

10月も半ばを過ぎると、いつも思い出すのが「ガストンライエ・ミーティング」
1999年10月の末。ガストンは関西空港に降り立った、ぼくは予算がなかったのでエコノミーのチケットを取ってParisの旅行代理店からガストンのもとに届けさせておいた。

「ごめんなさいね、エコノミーで。。」
と空港から走り出したクルマの中でボクが詫びると。
「ゼンゼン。空港カウンターのスタッフが、あっガストン!日本へ行くんですか、じゃあ」
とビジネスにアップグレードしてくれたんだ。
「・・・」

楽しそうだ。
神戸で最新のBMWのGSを借りて、明石海峡大橋を渡る。
楽しそうだ。
いつも笑いながら話している。
これが神様だ。

新しいGSは1150だった。
それでも剣山スーパー林道では2つ目のコーナーで見えなくなってしまう。
そんな10月末は、数年間ガストンは来日を重ねた。
富士山や諏訪や、そしていつも白馬をゴールにしていた。

彼が最後に日本にやって来たのは2004年のTDN(TBIの変化形)そして陽気に手を振る彼と最後に分かれたのは、東京プリンスホテル。
菅原さんの奥さんの運転するクルマに乗り込んだ姿が、最後だった。

その秋のガストンライエミーティングは紅葉の京都を舞台としたのだが。チケットは送られたもののガストンはベッドから立てなかった。
それでも電話をかけてきてしきりに詫びる彼の声に、フランスに行かなきゃ、という衝動にありながら行きそびれた。

紅葉の季節は、そんなだからいつも悲しい。
でも来年春にはガストンと描いた、東京プリンス以降のルートを走る。

そうそう、ガストンと約束してたタマンラセットに置いてきたDC-3を今度一緒に取りに行かないか?という話は実現しなかったが「DC-3」という名前の事務所は開きました。あの美しいボディの飛行機をどうやって手に入れたか、どうやってサハラに置き去りにしてきたか、身振り手振りで語るガストンのことが今日はやけに身に染みる。

きょうの一枚

冒険、というキーワードを掲げた30Ans SSER。第一弾TBIは、あなたの想像をはるかに超えるダイナミズム。古き良き時代を懐かしがってるのではない。新しいモーターサイクルと人とのかかわりあい方を探検するという冒険をするのだ。

2013/10/08 (火曜日)

写真1

写真2

写真3

「あのTDNから10年。日本のエネルギー政策を問うた2004年」

もう10年の歳月を失った。それは長崎ハウステンボスをスタートした、「Tour de Nipponは2004」この大会はなにかに衝かれたような渾身のルート制作。秋も深まった頃に北海道を駆け抜け遭難寸前。トムラウシの山中で日没直前ヒグマの赤ちゃんに遭遇して、思わず駆け下りようとする人あり、下北半島では日没後にたずねて行った鄙びた温泉宿で言葉が通じなかったり。でもお風呂が素晴らしかったのに大感激!さらに岩手の山の中では雪に閉じ込められるなど「春を待ってたらまに合わない!」と。。この年で3年計画のTDNも総集編。

それから約半年ののち初夏を思わせる太陽の下。
ハウステンボスに空港から船で(アクセスできるんですね)やって来たガストン・ライエたちの楽しそうな姿。なにか口ずさみながら(彼らの癖ですが)やって来ました。そのご機嫌なこと。

オランダを模したというよりも、そのもののハウステンボスの町並みにガストンは驚き、そして歓び(最後の日本の旅を)心から楽しんでいるようでした。

ラリーは翌日スタート、まず長崎市の平和公園にひとつめのCPを置きました。次に目指したのは島原にある雲仙普賢岳。ここでは参加者たちに「普賢」という一つのキーワードを提示します。
雲仙普賢岳は、1991年神の怒りのような大噴火で大勢の犠牲者を出した山です。
そして岡山人形峠を越えて、若狭湾沿岸の原発銀座へ。
そして北海道でもオホーツク海道沿いの巨大風力発電風車群の中を北上し、宗谷岬へ。本州に帰ると東通村や六ヶ所村、福島の原発群を(わざわざ)見物しながら、光の海の東京にゴールする!というものでした。勝負の行方も非常に面白くて最終のSSが行われた福島までほんの3秒差程度で岩崎と、スペインバハの125ccクラスのチャンピオンのミハエルとのデッドヒート!を岩崎有男が制してこのTDNの有終の美を飾りました。

閉会式で「今大会は実は日本の原子力政策の現場を訪ね歩いて、日本のエネルギーを考えるというサブテーマがあったんです。」と話すと会場は「おーーっ」と。
あれから10年。また壮大な旅がしたくなりました。

きょうの一枚

懐かしい!2004年TDN、車検会場はハウステンボス(写真1)
そして長崎のリエゾンは道の真ん中に並木があるのです。菅原さんも10年前だから62歳!ワカッ!そして後方はゼッケン4、ガストン・ライエ(KTM)(写真2)
そしてガストンがご機嫌で走る日本のリエゾン。心から楽しんでいました。もう没後10年なのか。。。

2013/10/03 (木曜日)

「さて、2014年。鬼が笑う思いを巡らせて。」

早いもので、10月。
山々は少しずつ色づき始めました。
季節は、そうはいっても確実に巡っています。
あの真っ赤なナナカマドの紅葉の石鎚北壁とかに思いは募るのであります。

というのも来週は空撮。ヘリで石鎚山系をカメラマンの赤松氏と空から縦走します。
どんな映像が収められるか?タノシミ。
そして地上からも縦走路の撮影がはじまっています。
昨日は「いい天気だから」と出かけた赤松氏。夜は飲みに行く約束だったのに帰ってこれず稜線近くでビバークしたらしいのです。電話がかかってきて「近くの水場はどこ?」なんて、まあ携帯がつながるというのも現代の山なのですね。
「どこそこにあるよ」
と教えたときには、もう真っ暗でしたから、大丈夫かなあ。
そして昨日の夕方には帰っていましたから、まあ一安心。

実はこの仕事、紅葉が始まる前を撮らないといけないので、とにかく大急ぎなのです。

そして翌々週のSSER3DAYSが終われば、まあ言うところのボクのストーブリーグがはじまります。事務所のダルマストーブを抱えて、薪をくべながら2014のあれこれに思いを巡らせるのです。でも考えてみれば11月初旬には発表会!となると写真集も大急ぎ。もちろん詳細な計画も並行して進めなければなりません。漠然としたルートのイメージを、現有戦力で実現可能な高みに持っていかなければなりません。

そんなお話はこれから少しずつ。

きょうの一枚

まだ色づく前のもみじ。紅葉という木は。樹形も葉っぱの形もなにもかもが美しく素晴らしいなあ、しみじみ。

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Organisation Voice 2013/09

2013/09/26 (木曜日)

「雨の日は、雨に濡れて。」

さてSSER3DAYS 30Years Anniversary-1Year 2013
つまり、来年30周年なわけですが、今年29年目の大会。
そう言えばいいのに「なにが30-1」じゃい!?とボクだってそう思うんですから、
さぞかし皆さんも。
ということで30年の歴史を振り返るとしましょう。

事の発端は、もちろん30有余年前。
寝ても覚めてもバイクのことばかりの日々。
晴れた日には山へ、雨の日も山へ、雪の日だって台風の時でも、山へ行っていたわけです。ですから近隣の林道やらけもの道やらは、まあ知り尽くしてた時代です。もちろんさまざまな通信手段やネットなどのある時代ではないのですが、
林道で知り合った友人らが日増しに増えて行った頃でもありました。

そしてスタートしたSSER、大勢の参加者に恵まれ急速に発展していきました。そして20数年を経て、参加者数は次第に減少をはじめ大会ごとに過去最低を繰り返していました。
もちろんその間にSSER実行委員会は、SSER ORGANISATIONと名称も少し変わりラリーレイドの傾斜していきました。

この本家たるSSER 2DAYSは唯一コースマークを使う大会として、SSER ORGANISATIONの各イベントの中では少々異質になって来ても居ました。
もちろん議論もありました。ラリーとエンデューロの差異についてとか?向かうべき方向性の問題とか?
しかし回答なんてありません。
で、ボクの回答は表題の通り
「雨の日には雨に濡れて」
というわけです。

参加者のニースに応える?のが良いのでしょうが、ボクタチは自分たちの主張をなかなか変えることができないほどの不器用さなので、それを「変わるべきものと変わらざるべきもの」と。
そして収支に左右されず「良い時も悪い時も」終始一貫した「不偏」の態度を、と決め込んでいるのです。

さあ30年まであと1年。それでも目指すのは160km×3つまり100マイル×3=300マイルのハードディスタンス。多分雨も降るでしょう。
だから「雨の日は雨に濡れて」です。
とはいえレインウエアはお忘れなく。
思い気っきりハードでタフな、そんな大会。。です。

さて、一方でRally Mongolia2014
1995年にはじまったこのラリー、年数だけで数えれば20年目のイベントとなります。つまりSSER ORGANISATIONの10周年ではじまったのがモンゴルだった、ちゅうわけです。

思えばこの20年間はボクにとって人生の中で最も悩み苦しんだ日々だったと言えます。でもそのぶん喜びも大きく、振り返るほどに濃厚な歳月でした。

こちらも振り返れば、1995年第1回大会。まだモンゴルが民主化間もないころ。
渋滞なんて考えられない時代。クルマが珍しくボクタチが乗るTOYOTA LC70はどこへ行っても人だかりができるほど。。。
その1年目はまず東へ向かいました。東と言えばロシアと中国が国境を交えるあたり、旧満州も近くもちろんノモンハンもすぐ近くです。

ある町はずれには戦闘機の残骸が山積みされたミグの墓場があり、横を通りながらみんなでコックピットに収まり記念撮影をしたものです。

南に下れば草原の中にロシアの軍需工場が、まるでスターリングラードの撮影現場かな?と思わせるように廃墟として佇み、しばらくその前に立てば身動きも出来ないほどの圧迫感に恐怖を感じたものです。周辺は地雷原。あわてて引き返すとなんと、地雷の上にボクタチのクルマのトレースが・・・とにもかくにも20世紀の遺産をいっぱい見せられたエリアでした。

いまはその方面にもウランバートルからの舗装路も伸び、間もなく北京とも繋がるでしょう。アジアは内陸に向かって資源を求め流通を模索し、巨大な生物の循環系のように血管を伸ばし続けています。

そして2014年、新しい選択肢は実は過去の経験の中に存在していました。これまで「西へ」伸ばしてきたラリーと言う名の探検行は、再び「東へ」または「南へ」というエリアに臨んで行こうと模索を始めました。
30年目のSSER、20年目のRally Mongolia、また地上には未知なる道が長く伸びています。

2013/09/10 (火曜日)

「ワガコト化」

英語で「ありがとう」と言うと時々「マイプレジャー」と答えが返ってくることがあります。先のブエノスアイレスでの中継放送の中でも、一瞬聞こえてきました。
ボクもラリー中に心がけて、英語圏の人からの謝辞には「イッマイプレジャー」と答えるようにしています。
これってかなり日本的な発想がもたらす言葉だと思うわけです。
つまり「とてもありがとう」にたいして
「喜んでいただけるのが私の喜びでもあります。」と言う意味ですから。

そしていま、少しずつですがワガコト化計画を進行しています。
その方の悩み、自分ならどう解決するだろうか?まあそういうことです。
ワガコトの反意語はヒトゴトです。多くのことがヒトゴトの時代に、少なくとも自分の周辺で起きるいくつものことをワガコトトシテ考え行動しようという運動です。

ヒトノイタミヲワガイタミトシテ・・・いうのは簡単ですが実にこれが難しいわけです。昨日は「惻隠の情」について書きましたが、今日はさらにそれを一歩突き進めた思いです。
惻隠の情には若干とも差別意識が潜んでいます。素晴らしい思想のようでもありその実は被支配者と支配者的な微妙なにおいをまといます。

ワガコト化とは、お城を抜け出した王子様が乞食の少年とそっくり立場を入れ替える、というのではありません。立場は立場としてわきまえ、そのおきてる事象や問題、いま目の前にある仕事などなどを自分のこととして向かい合う姿勢のことです。

それが出来ていないのが、まあ政治家です。本当にフクシマをワガコトとしていますか?自身の母親が避難所暮らしをしていて、帰る場所を失っているとしたら・・・

言うは易しで、こんなことを言ってしまいましたが、いま目の前にある仕事の発注者が自分だった場合を考えて、取り組まなければ。。。そうすると赤字になりはするのですが。

きょうの一枚

沙漠に咲く花。明後日からはまたモンゴル。コースマーク付け!帰ってきてもSSER3DAYSのコースマーク付け。おそらくモンゴルのコースマークのほうが圧倒的に多いのですが・・・

2013/09/09 (月曜日)

「惻隠の情と、東京五輪決定万歳について」

テレビを見てた。東京五輪の招致決定の報に日本中が湧いていた。
本当におめでとう。心からそう思う。

そして今朝は、浜口京子さんが親子で出演していた。この彼女の優しさは、自分の父親に向けるまなざしでも証明される。インタビュアーは「レスリングが五輪競技に残ったのをどう思うか」そんな内容だった。そして「それはとてもうれしいけど、落選した二つの競技のことを考えると素直に喜べない。どうしてすべての競技が五輪で行われないのでしょうか。」と言う発言(だったと思う)。五輪招致とは若干ニュアンスの違う「競技の選択」どのような理論が働くのだろうか?この惻隠の情のようなものがスポーツマンシップだと思った。

東京エリアに野球場ならいくらでもあるし、おそらくだがスカッシュをする場所などいくらでもあるだろう。と考えると物理的な問題ではあるまい。巨大商業サーカスとなった五輪(決して、悪い意味でも皮肉でもなく、むしろ畏怖の意念を持ってそう言ってる。)原則は、いまはどうなってるんだろう。

招致活動も2020が東京で、2024がイスタンブールで、
2028がマドリッドではいけないのだろうか?
たぶん理由は見事にたくさんあるのだろう。
招致活動そのものも大きなショウビジネスになってはいまいか。

TOKYO、
確かに、7年後に向けたアベノミクス第4の矢にはなるだろうと思う。あのコンストラクタブルと悪評の高い、ザハ・ハディの近未来建築も日本の企業ならものにするだろう。日本は古き良きものへのノスタルジーへの傾斜をやや緩め、近未来的または未来的なものにパラダイムの緩やかな変化を遂げるかもしれない。

あの熱狂は、これまでの日本人の日本人的なところのやはりだが・・・変革を示した。
浜口京子の言う「選ばれなかったところに申し訳なくて」ただ素直に喜べない、
というのが正しい。いや喜んでいいのだけど。

むかしラグビーの試合に駆り出されたボクは一人白いスパイクを履いていてひんしゅくを買った。そんないやなやつが・・・パスをインターセプトしてタッチダウンもとい、
トライを挙げた。
ガッツポーズをして、怒られた。
ラグビーは紳士のスポーツだから点をとっても喜んではいかんのだと。
ふーん。
と思った。

惻隠の情をもって、喜ぶべし。

その精神は、在りや否や。

2013/09/04 (水曜日)

「29年目のSSER」

あの時も、林道には栗のイガがあちこちに落ちていて、取る人も居ない野生の栗の実の多さに驚いたのは久万高原。それに彼岸花の赤と金色に色づいた稲に、錦絵のようだなあ、と感動したのもあの時の久万高原。

もちろん携帯電話もなければコンビニもない。道すがら畑仕事のおばさんにトマトを分けて頂いたり、房代野(スイマセン、超ローカルで)の湧水に癒され。日が暮れかけると、高原に響く有線放送から流れる、「遠きぃ、山に日は落ちて~」なんていう曲だ?あの「新世界より」の日本版の唱歌。あれが、いかん。
あれがさみしさを誘うんだ。

山の斜面に張り付いた民家からは、夕餉の支度の煙がたなびき、日本の原風景はやはり「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行く とて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、虫の 音など、はたいふべきにあらず。」
と、不完全な記憶の(↑は検索したからね。)枕草子をそらんじてみたりしながら、「明日も来なきゃ」とバイクを走らせたものだ。

その時はボクもまだ29歳だったので、今年29年目と聞くとそれまでの29年と、それからの29年の分水嶺のようなものがSSERのはじまりだったんだと妙にしんみり。

あのころは、トライアルにはまっていたというのにある雑誌の表紙を飾ったISDEの写真・・・ちょうど二人のライダーがカウンターを当てながら古いヨーロッパの、石造りの町並みを駆け抜ける・・・に心を奪われて、そしてさらには始まってそれほど間のないパリダカや、BAJAや、世界のいろいろな土地で開かれるそれぞれ個性的なアドベンチャーなレースに心を奪われていて。。。

SSERは、来年30年。大きな区切りかなあ、とも思うし。複雑な胸の内を抱えて、さあ東京へ行かなくちゃ。そんで帰ったらすぐモンゴルへ再び。
でも、あの企画書も、その見積もりも、山積みの仕事が野ざらしに。怒られるだろうなあ、きっと。

The29th SSER 3DAYS CLASSICS エントリー受付スタートしました [詳細]

2013/09/02 (月曜日)

「いまだからこそ考える、競技規則の安全対策」

モータースポーツの光と影は、言うまでもなく栄光と敗北ではなく、
栄光と少なくない事故だろうとおもう。

競技規則や車両規則の多くはいくつもの事故を検証しては突き詰められた
安全への切なる願いと言っていい。だからそれを軽んじる参加者は、
モータースポーツの真のメッセージが理解できていない。
つまり、その大会の競技参加者といえないのだが、
不備の多い人に限っては「自分は大丈夫だ。」と言う。
そんな者でもモータースポーツの光の部分を語ることは出来る。

30年にわたりオーガナイズをしていると、多くの事故現場を目の当たりにする。
それはお互いにとって不幸なことではあるが、
自分には「それは、避けられなかったのか?」という悔しい思いに、
実は相当な時間いや年月を費やしてしまう。
苛まれるというのとは違うが、忘れられないのだ。

SSERではネックブレスの装着やヘルメットリムーバーの装着をかなりの範囲で
義務付けている。ヘルメットも、厳しい検査の基準を設けている。
それらはしばしば、トラブルの原因にさえなっていて悲しい。

ネックブレスで守られた頸椎は、ほかの部分にダメージを与える。たとえば脳だ。
本当ならネックブレスとマウスピースがセットであることが望ましいが、
おそらくマウスピースを咥えて走れというと猛反発だろうか。
またネックブレスは、一方で多くの部位を傷つけながら頸椎を守っていることも解った。
ネックブレスに適応したブレストガードが必要だと思う。

安全対策は、どのように進めても足るを知らない。
素敵な思い出を持って、月曜日に職場に復帰するためには、なによりも一番に考えてほしいことだ。それは競技には限らない。

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Organisation Voice 2013/08

2013/08/28 (水曜日)

「SSERが、ゴビマラソンに着手したわけ。」

まもなく、モンゴルでゴビデザートマラソンというステージレースが開催されます。
「えっ、SSERがなぜ?」と訝しがられる方も少なくないはず。
ですから少し、この機会に説明をしておきます。

「ふたつのSSER」
について。

SSER ORGANISATION は、その姉妹組織として「NPO SSER」を有しています。
モータースポーツはSSER ORGANISATION、そのほかのスポーツイベントや文化事業はNPO SSERというふうに仕分けられています。基本的に別組織です。

NPOでは開催されるイベントや事業ごとに、実行委員会組織を立ち上げ、それぞれ適材を実行委員長に置いています。
とくにこの7月末に行われた。久万高原ヒルクライムレース2013は美川エリアの活性化などを視野に入れたイベントとして、3回大会で500名を超える参加者を集めました。なんと黒字化したのです。その収益の半分!!といってもそれでも10万円くらいですが、先週末にあった、これもNPOSSER主催の野外ジャズライブ「久万高原JAZZ-PICNIC」のステージの幕間を利用して、久万高原町社会福祉協議会に寄付をいたしました。

実は今回のこのイベントは、東日本大震災時の私どもの石巻の緊急支援のあと、現地入りする愛媛トヨタに、わたしどもの手元に残った支援金の残額を活動寄付金とし、また石巻・女川社協への支援活動先をご紹介したものです。
それが今回の出演者メインボーカルの「奥土居美可さん」につながって行ったのです。

[Youtube]

支援活動がまさに輪のようになって繋がって行きます。そして石巻水産の社長もご来場され、石巻水産の缶詰も会場では販売されていました。

つまり、スポーツイベントなどが築いた人間力は、無限の可能性を得て繋がって行きます。
ラリーなど過酷なイベントを運営したり参加する人たちは、またまったく異なるカテゴリーのマラソンステージレースや自転車などのハードな競技の運営側に回ると、とても大きな力を発揮することができます。それは石巻の緊急支援活動でも強く実感したところです。

さまざまなアウトドア・イベントが機材や人的な支援連携を深めて行けば、新しい関係が生まれる。真剣にそう信じています。
将来に予見される激甚なる大震災などに備えるためにも、こうした超人的な能力を持つ人々の緩やかなネットワークをイベントを通じて構築したい、そう願っています。

その全てのスタートは、ひょっとしたら、四国の久万高原に30年ちかく前に播いた一粒の種がはじまりだったかもしれないと思う今日このごろです。

その夏、コース制作の帰り道に寄った久万の食堂のテレビで、みんなでニュースを見ていて日航機墜落の知らせを聞いたのが印象的で、たぶんですがそのことが、わたしたちのSSERのDNAに深く刻まれているのではないかと、そう思っています。

2013/08/26 (月曜日)

「夏が、終わった。」

地球がおかしい、とかって言うのはもうやめよう。
もうずっとおかしいんだから。
そして暑い夏も終わるように、振り子は糸が切れない限りは、
また反対にも大きく振る。
全ては糾える縄のごとしだ。

その今年の長く暑い夏も終わろうとしてるこの土曜日、モンゴルの草原のような?
キャンプ場に張られた赤松カメラマンのテントで過ごした。
いつものキャンプコット、に頼りないほど薄いダウンのシュラフに潜り込んだ頃には、
たくさんいたキャンパーたちも寝静まっていた。
「少し寒いかな」
この夏、モンゴル以外で初めて感じた肌寒さ感だった。

テントをたたく激しい雨音で目を覚ました時には、
不覚にも今どこにいるのかわからなかった。まるで脳震盪を起こした時のようだった。
モンゴルかな?と、ほんとうに俄かには信じがたいほどの、
自分の位置の不安感に襲われた。少し考えてテントの外に出て
「なーんだ。キャンプ場じゃんか。」
と。
たぶん長い意識不明から目覚めたときは、
こんなのだろうか?などと考えてみたりした。

その夕方、池田選手の意識が回復したという知らせを受けた。
今朝の不安な朝を思い出した。
激しい転倒で受けた無数の骨折の激痛から守られていて
意識レベルを下げていたのだろうと思ってた。
どんなふうに目覚めたかは聞いていないが、
いずれ本人と話ができる日が来るだろうと思う。

ラリー界はいくつかの衝撃的な事故によって、
ネックブレスなどプロテクター群が大きく進化している。
競技規則もそれを心待ちにしていた。
もちろん今回の事故も、いまだ予断を許さない段階でさまざまなことを言うのは
控えなければならないと思うが、一定の進化による生還劇だったと思う。
ボクは、右腕のビザバンドを外した。
終わらないものはないのは知っていたけど、終わった。
まず、これからのための第一歩を記したのだと思う。

きょうの一枚

砂丘の中のCP、ボルドバートル選手。

2013/08/23 (金曜日)

「終わらない夏、その2」

ボクの右手首には、オレンジ色のビザバンドがまだ巻かれたままだ。
おまじないのミサンガじゃないけど、ぼくの夏は終わっていない。
半そででの生活なので、やけに目立って仕方がない。
昨日の昼は県議会副議長室で数人で食べた。右手に持った箸が動くたびに、
やけに空気に似合わない色が動き回る。
いつもは大会が終わると誰よりも早く外す、このビザバンド。

今回は、ある日までは外さないようにしようと思ってる。まだ夢の中でモンゴルの草原や土漠やドライレイクを走ってるかもしれない一人のライダーに、敬意を表して主催者として立っていようと思っている。

現に、病院でお目にかかる約束をしたまだ見知らぬ彼の奥様も、
ボクの右手のビザバンドを見つけてそちらから声をかけて頂けた。
終わらない夏は、間もなく終わる。
まもなく、ボクの右手首のビザバンドは外れる。

さて話は変わって、日本。
この暑さには全く閉口する。
明日は、少し涼しい久万高原でモンゴルの草原をほんの少しだけ彷彿とさせる?
千本高原で屋外のジャズライブイベントがNPO-SSERの主催で行われる。
天気は怪しい。
どうも「雨」のSSER ORGANISATIONはNPO-SSERへと宿主を移したかのようだ。
それでも暑さがしのげれば良いのではないかと考えている。

「暑さ対策」それは紛れもなく標高の高いところに暮らすことだ。
ここまでなった温暖化対策は、もう頭を切り替えるしかないだろう。
まず温暖化によってもたらされる利益を考えてみよう。もう10年も前から愛媛の
段々畑では天然ゴムを育てれないか?なんて提言をしてきた。
世界の穀倉地帯も北に上がって広い大地の広がるエリアの
プロダクティヴィティが向上してる。

サマータイムも中途半端に導入せずに3時間くらい。つまり朝8時は、
いまの朝5時にすると午後5時は2時。ナイターもデイライトで可能だ。
さまざまなアクティヴィティも10時まで明るければ問題ない。
節電もこれでOK牧場。

さらに、夏休み。1か月は取る。8/1から8/31はお休み。大人も子供も。。。
そして避暑生活のために山の限界集落やら廃屋を再生させる。
そもそも日本は世界標準にないGWで、世界からあきれられている。
んで8月に仕事しても、やつらはバカンスだ。ワビサビがないのは、
どちらだ?って話。

ついでに首都機能も、夏は北海道芦別市に。冬は沖縄宜野湾市あたりに。
参勤交代みたいで活性化する。疲弊するという話も出るだろうが、、、
まあ基地でもなくなればベストなアイデアだ。立法府と行政府に距離を置かせる。
まあどちらも機能しなくなるので三権分立は絵に描いた餅だったという事がばれる。
けど、それがいい。

北海道は米のできない土地だったが、いまは違う。
日本最大の穀倉地帯として夏6月から9月までの日本の首都として
「日本の首都は食料自給率100%ですよ。」
とかTPPの交渉の席で言っちゃう。

さて夏の東京。ビル群。まさにアドベンチャーアクティヴィティの宝庫になる。
世界一過酷なレース皇居24時間マラソンは8月。
世界で最も過酷な自転車ステージレースは、都内を28日間走る。
世界から夥しい数の参加者が集まるがほとんどの企業や組織は夏のバカンスで誰もいない。
そもそもイベントの目的は何か?という事が問われる。

暑いので少し思考回路が変調をきたしていますのでご容赦ください。

きょうの一枚

今年投入されたSSERのヘリ。大活躍でした。

2013/08/22 (木曜日)

「モンゴルからの報告」

熱い闘いが繰り広げられたラリーモンゴリア2013も静かに幕を閉じました。この数年間悩まされた雨も、今年は穏やかで一部には増水した川も無いではありませんでしたが天候はおおむね良好でした。

そして全行程予定のすべてのルート、すべてのSSが実施されて例年よりも2ユニットも少ないフィールドをオフィシャルスタッフは、まさに不眠不休で駆け抜けました。まことに、このオフィシャルスタッフの努力には感謝しても感謝しきれません。こうしたラリーへの愛情によってこの大会は支えられていると言えます。

大きな事故もありました。ETAP2で起きた池田選手のクラッシュ。わたしどもの持てる最善を尽くしました。事故現場での応急処置のあとのヘリでの緊急輸送。それも一気にウランバートルへ向かうリスクを計算し、途中の町で救急車に不足の医療器材を現地の医師に持ってこさせ、緊急着陸したヘリの中で追加的な処置が行われました。

そしてウランバートルの国立病院に収容後に検査とさらに追加処置が施され夜にはSOSアシスタンスによるアンビュランスジェットによる日本への緊急輸送が実現しました。
それでも事故から1週間たったいまもまだ意識不明の状態が続いているのが現状です。
ほんとうに心よりお見舞い申し上げます。

閉会式では多くの関係者参加者の皆様からのお見舞金をお預かりいたしております。持って帰ろうとしたのですが早朝便。募金の多くが現地通貨で日本では両替ができないために、次の便で持ち帰り池田選手のお手元にお届けいたします。

SSERでは今後も池田選手の一日も早い全快に、出来る限りの支援を展開してまいります。どうぞ皆様もよろしくお願いいたします。

大変シリアスな事故が起きましたが、ネックブレスや胸部や脊椎部の一定以上の能力のあるプロテクタ―の使用は、こうした事故での決定的なダメージからライダーを守っています。

安全面への配慮と検討は「これでいい」とすることなどありません。どうぞ皆様も日頃のライディングなどを含め、十分に厚く対策をしていただくことを心より希望いたします。

モンゴル高原は、何もなかったかのように静かに秋を深めています。

2013/08/08 (火曜日)

「ラリーモンゴリア2013、スタート直前」

ウランバートルは、やっと天候が落ち着いてきました。日本の秋のような爽やかさです。ラリーの参加者も続々とウランバートル入りしているようです。ときおりラリーマシンと思しき独特の乾いたサウンドがホテルの部屋にも届きます。

数日前のこと、ウランバートルから西へ300キロばかり走った草原で、ふと見るとエーデルワイスの群生の上に立っていました。とにかく見渡す限りエーデルワイス。。

こんな希少な種が、ここでは普通に咲き誇っています。とはいえここはピストを大きく外した少し誰でもが走るところではないので、お花畑を形成しているのでしょう。産毛に着いた小さな水滴がダイヤモンドのようで花弁なのかガクなのかはわかりませんが、星状の姿もデザインされつくしたような美しさでプラチナのよう。
つまるところ、小さなダイヤを載せたプラチナのリングのごときでした。

本番がこの近くを通るのですが、少しルートをずらしてここに踏み跡など残さないようにしようかと策を講じたりしています。

かつてボクは本格的にパリダカールに参戦して約10年間あまり寝ても覚めてもラリーのことばかり考え、ひたすら翌年に向けた資金調達とマシンやチームの体制づくりに没頭していました。。結果うまくいかなかったことのほうが多いのですが、あれほど人生の中で充実していた時間というものはありませんでした。それを自身の30代に費やせたことが、今振り返るほどに「いい人生だった」と思わせる少なくない要素を占めています。
上手くいかなかったほうが90%なのにですよ。

ティエリーのいうライフスクールは難しくて、うまくいったと思えば必ず大きな陥穽にはまり、途方に暮れていれば思わず助け舟が現れたり。

つまり人生もこのようで、これはうまくいった。などということはそうはないのです。だからといって悲観していても時間ばかりが過ぎていきます。

さてラリーの期間中にボクは、そして参加者一人一人は、24時間X8日間の短い時間にどれほど多くの知らなかった自分自身に出会うでしょうか?

それらの自分を生涯の良き友として、また次のラリーかまたは過酷な現実に果敢に挑み続けてほしいと、真にそう願います。また自身もそうであろうと心に誓います。

きょうの一枚

エーデルワイスの群生。アップも撮ってるのでまた今度。

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Organisation Voice 2013/07

2013/07/30 (火曜日)

「徳は孤ならず。必ず隣あり。」

愛媛県は偉大な建築家を排出する土地柄です。
代表作の一つ日土小学校(愛媛県八幡浜市)は、熱心な建築家らの熱誠な努力で、取り壊しから一転修復保存され国の重要文化財に指定されるという快挙を為しました。建築家は松村正恒(1913-1993)愛媛県大洲市出身 八幡浜市役所勤務時代に多くの小中学校を手がけました。

初期のTBIでは、必ずのようにこの小学校の前を通ることにしていました。25年ほど前なのですが。。。

その松村の遺した書にあったのが論語の「徳は孤ならず・・・」小さな半紙に、ふっと書かれたその墨跡にボクは心をとらえられました。
やはり偉業を為す人のものだなあ、と。

徳を積むということは、容易ではありません。
むしろ不徳のこころのほうが自由で闊達なのかと思う事さえあります。

しかし人生。
この言葉の通りだと感じるのは、
「六十にして耳したがう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」
の、耳したがう、歳になってきているからなのでしょうか?

つまり60になって初めて人の意見を聞くようになった。と孔子先生は述懐してるのであり、深読み癖のあるボクは60代になってもなお人の意見が聞けない自分を嘆いているのではないか?と思うわけですが、それはさておき。

やはり友を得るには、徳を積まなければならないでしょう。しかし友を得るために積む徳などというのもまた存在はしません。目的と結果はこの場合は結ばれません。
孤を良しとして自らを見つめてこそ、多くの隣があるべきです。

松村は、孤独な製図板に向かって完成した建物で子供たちの弾む声を夢見て、つまりその思いが結実して、そこに子供たちの歓声が実現したのみです。
それが徳を積むという事で、名声を得るだとか、評価を得たいとかという思いでは実現しない高みに登ってこそ、この論語を記したのかと心を打たれました。

子曰、徳不孤、必有鄰。

子曰わく、徳は孤(こ)ならず。必らず隣あり。

Confucius said, “A person of virtue is not isolated. He must have some companions.”

孔子先生はおっしゃいました。
「徳の備わっている人間は孤立する事は無い。必ず仲間がいるものだ。」

来年のTBIでは必ずこの前を通りますから、ちょっと眺めながらでいいので走りすぎてください。そんな素敵な建築物が沢山の四国を巡る旅にしようと思います。
ルートブックには誰それの設計した〇〇銀行〇〇年、とかって書いておきますね。
近代モダニズム建築を巡る旅というのをサブテーマとしておきます。

2013/07/29 (月曜日)

「ひさびさの、雨のSSER復活!でした。」

なんということでしょう。雨のSSERが戻って来ました。

といっても、実はこれSSERのもう一つの顔であるNPO-SSERの主催するイベント「第3回久万高原ヒルクライム2013」のことです。

土曜日は久万町商店街にある古い酒蔵に、冷酒とビアサーバーを設置してお寿司屋郷土料理が並べられて、表のステージではコンサートとトークショウ。

ステージ越しの背景は古い久万高原町の町並みが山裾に沿って美しく広がっています。西日が当たって、それは美しい数時間。明日はヒルクライムの本番なのに呑む食う!な選手たち。さすがに料理のメニューから「あぶらもの」は外しておきましたが。

そして標高1000mの宿では夜半から雷鳴がとどろき豪雨が!!「これは・・・」ところがボクは、コンナコトモアロウカト今回初めてレースキャンセレーション・ポリシーというのを定めて発表してありました。
こんな内容です。

Race Cancellation Policy
KUMAKOGEN・HILLCLIMB RACE2013 ORGANIZING Committiee

レーススタートの要件

気温気候が安定していてルート上がオフィシャルの手でクリアされていること。また道路分岐、一般民家とルートが交わる地点に役員または警備員によって封鎖の確認が出来ていること。

計時システムが正確に作動することが確認されていること。

スタート時刻の3分前までにスタートしようとする有資格参加者がスターティングゲートより後方位置に待機が完了していること。

レース中止またはスタート遅延、距離の短縮などの条件

大雨洪水警報が発令された場合

警報が発令されていなくとも、局地的な豪雨や雷が確認され大会競技委員長がスタートの中止または遅延またはコースの短縮を大会組織委員会に諮り裁定を得た場合。

スタート地点の気温が34℃を越え湿度が80%を超えた場合その両方またはいずれかの場合は、スタート地点に散水車が到着して冷却用の水を噴霧するなど対策が施されるまでの数分間の遅延。

中間点の気温が30度を超えるまたは湿度が80%を超えた場合その両方またはいずれかの場合は、中間点に散水車が到着して冷却用の水を噴霧するなど対策が講じられるまでの数分間の遅延。

急激な豪雨で、スタート地点までの移動に危険が伴うなどの路面状態。道路上を雨水が流れている場合など、収まるまでの間の遅延、または中止。

ゴール付近に濃霧が発生し、視界が10m以下となった場合はゴール地点の計測線を必要に応じて下げるまでの間の遅延。

ゴール付近が風雨等でゴール選手の下山待機までの間に体温を失うなどの危険が予測できた場合、その時点で中間点でレースは打ち切り山頂からの下山を開始する。中止の裁定までにゴールした選手はリザルトが発せられる。

下山時に豪雨等で路面状況が激変、または濃霧の発生などによる視界不良の場合、下山速度を10㎞/h以下にし競技役員車両の誘導で下山をする。

コース上で多重クラッシュが起き後続競技者の走行が不可能または大きな危険が予見できる場合。

緊急車両が進行する必要が生じ、後続競技者が緊急車両の通行を妨げた場合。

以上の場合は、役員が口頭でその旨を参加者に伝え、30分後に大会本部前の公式掲示板に文書で発表する。これらの裁定に関して抗議は排除する。

というものです。
ところが、あにはからんや愛媛県中予地方に大雨洪水警報が発令されたんです。この指針に従ってレースの中止を発表しようとしたのですが、どうも警報は松山市だけでここは注意報だけだというのです。

そう言えば雨は驚くほどではなく風も大して吹いていません(これは個人的な感想です)
ボクは開会式直前にゴールの山頂まで様子を見に行くことにしました。ゴール付近は視界が極端に悪く南風が吹いていましたから低気圧の中心が北西を東に移動している感じがありました。
「あと1時間ほどだなあ」
そう感じたのですが。

ゴールではゲートも立てられないほどの風が吹き。計測システムのアンテナなどもしっかり固定してはいるのですが。。。ここは標高1500m、気温は18度。。

「果たしてGO!サインを出して良いのか?」
判断は素早いほど、対応も素早くできます。

そうして、さまざまな判断を組み合わせ、スケジュールを30分遅らせ(閉会式は予定通り)レースをスタートさせることとしました。

判断を積み重ね、何とか無事に大会を終えることができたのは、やはり30年に及ぶSSERのキャリアと優秀なオフィシャルスタッフの支えの結果だということです。こうした自然の中でするスポーツは、主催するものに思いがけない負担と判断を強いることが少なくありません。その多くはいずれかにリスクを発生させるものですから。

終わってみればチームUKYOのキャプテン狩野智也選手がコースレコードを3分以上短縮し、つまり2位の選手にも3分以上の差をつけるダントツの強さを見せつけることとなりました。

さあ、次はラリーモンゴリアです。

2013/07/24 (水曜日)

「命もいらず、名もいらず」

なかなか、上手く生きるのが難しい昨今。
先の選挙を見てても、このところの世相を見てても、人々がさまざまな主張をし調整がつかず、思いの丈をぶっつけあう。
どうして、もっと人の思いを理解しようとしないのか。
自分ばかりが少しでも話したいとする政治家らが出演するテレビの討論番組からは醜さが耐えられない。つまりこれが彼らだ。

最近のヘイトスピーカー?たちの台頭も、これまた凄まじい。人は自由であるべきだとは思うが、あまりにも他者を平然と罵ったり、悪意に満ちた言葉を積み重ねるのは人間としていかがか。ののしってる相手と同じかそれ以下に落ちているという事に気が付かないのだろうか。つまるところ、これも日本人だ。

先月、飛行機に乗るのに数冊の文庫本を買おーうって、思って書店へ立ち寄って。
山本兼一の「命もいらず、名もいらず」を買った。
ご存じのとおり山岡鉄舟の人生を書いたものだ。

読了のあと、本当にすがすがしい気分で「とても良い本を読んだ。」と満ち足りた。受賞作だった氏の「利休にたずねよ」も、誠に素晴らしかった。
人間の正しい生き方がこうした、作家の手によって明確に発せられているというのに。
たしかに西郷隆盛「命もいらず、名もいらないという人は始末に困ったもんでごわす。」と。

いまの人たちは、始末がしやすい人たちではなかろうかと思う。

きょうの一枚

モンゴルは不思議だ。乾燥が進んでいても草原は豊かで、砂漠もあるが雨も降り砂丘の中を川が流れたり湖が出来たりする。
こんなフィールドで、もう20年近くラリーをしていることに喜びを感じなくて。
ほかに何があるのかいっちゅうオハナシ。

2013/07/19 (金曜日)

「社説」

とある人に
「FBはともかく、OVはSSERの社説のようなものだからもっと書け」
といわれて
「なるほど、そうだ。」
と急に、こちらもやはりこれまでのように、気持ちを書き続けよう、と思う。

「社説」
とは少々大げさだが、新聞各紙のように立ち位置をある程度鮮明にするという態度が必要だろうという事だろうか。

それはたとえば「ラリー」と「エンデューロ」という、似て非なるものの両立か融合か、あるいは完全な離反か?という事かもしれないと思う。

いやそうでもなかろう。とも思う。
そんな基準のようなものから自由な位置にいればこそ、開放的に夢を見ることができ、多くの手続きを踏まずにすばやく変革なり挑戦なりが実現する。
それがSSERの態度だと思う。

奇しくもERとはEnduro+Rallyの頭文字を取った。
もう30年前のネーミングだ。

当時オートバイでラリーという言葉は存在しなかった。パリダカもはじまってまだ数年目で、ラリーという名称をどうするか?
FIAも喧々諤々だったように思う。毎年のように新しい定義の言葉が生まれSSもスペシャルステージと呼ぶなとか?じゃあなんていうのか?と聞けば
「セレクティブ・セクター」
と呼ぶと、丁寧に分厚いブルテンに書かれている。
ステージやレグというネーミングも、ラリー用語なので使うな。ということになりステージはEtapと呼び、最終的にSSはただスペシャルとのみ呼ぶのだということになった。

このあたりから、気持ち悪さが付きまとった。
もうこれらのスポーツを司る者たちには、そのスポーツを愛するという心よりも、違うもののために動いてるようにしか感じなくなった。

そのように我々が試みるスポーツは、若い。モータースポーツの歴史そのものも、そうは言うほど古くはない。まあ、多くのスポーツだって、数百年の歴史!なんてのもないのだ。

そんな浅い歴史の中で、さまざまな試みが繰り返され、時にはメーカーの販売戦略に翻弄されたり利用されたり、FIAなどの組織は、人々の声を聴かなくてもだれにも管理されることなく短い春を謳歌するかのような存在に変わった。

なぜだろうか?やはりモータースポーツは、あらゆるスポーツの中でも一二を争うほどのリスクのあるものだからか?いな、あらゆるスポーツの中で、巨大産業である自動車メーカーの動向を反映するからだろうか?
いや、それらとは根本に違うなにかを隠し持ってるように感じる。

ロス五輪の前と後では、五輪の招致が変わった。
ロスまではオリンピックの開催には多額の費用が掛かり、収益も見込めないとあまり歓迎されなくなっていた。

それを変えたのはピート・ローズだ。
完全に商業主義で固めた。
儲けるのだ。儲けることこそ正義だ。と。

それ以来オリンピックはエンターテイメントになった。
華々しい開幕のセレモニーに使う金額はいったいなんだろうか?なぜ多くの選手が違法な薬物使用をしてまで勝たなければならなくなったのか?
間違いなくそう遠くなく、この巨大商業サーカスも終焉の時を迎えるだろうが、なにか人類の足跡に寄り添ってるようにも見える。

エンデューロとかラリーなどのような、まるで辺境のスポーツは、いまのままでいいのだろうと思う。自己完結をし、禅問答のように佇み、勝ちと負けの意味を問い、考え、そしてまた月曜日には仕事場に戻る。
うん、これがいいんんだ。

2013/07/17 (水曜日)

「美しき北の日々」

まさか、あれほど晴れるとは思いませんでした。
今朝は左腕の日焼けが痛いほどです。
本当に夢のような4日間でした。
春木さんに、閉会式のあと
「主催者冥利に尽きるね」
と、話しました。
それは、参加者の皆さんの、言葉の一つ一つへのボクタチなりの感想でした。

ラリーという競技は、とても不思議で、
「旅だけではさみしいからだ」
と、いつも思います。
春木さんのFBにコメントで
「道がまっすぐで、さみしい。」
山頭火の詩ですが、
書いたことがあります。
たぶん北海道4デイズのコマ地図のコマが少ない
というようなことからだったろうと思うのですが。

2人でリエゾン中に、まるで大喜利のように
「〇〇が〇〇で、さみしい。」
を繰り返していました。

つまるところ、それはラリーのことです。
道がまっすぐで、さみしいからラリーをしてるわけです。

それはまた人生のことのようでもあります。
上手く行くってことは、上手く行かなくなることの前兆なわけで、
まっすぐな道もいつかは曲がり角や分岐点がやって来るのだという事です。

山頭火の言う、まっすぐな道の真意はわかりませんが、きっと大酒を飲んで家に帰る途中で、どこかでもっと飲もうと思いながらも、寄る店または飲ませてくれる知人がいないのでさみしい。というようなことを直接詠んだものと思われますが(イヤコレハワタクシノ勝手なカイシャクデスガ)後世のわれわれは深読みに深読みを重ねて、心の目を開くことを忘れて「人生のことだ」と、分かったような顔をして、話しているだけなのです。

まあ、こんな感想を書こうと思ったわけではないのですが、本当に美しくて素敵な4日間でした。閉会式では皆さんの声を、本当に天の声と聞き、胸にしっかり受け止めて明日からの原動力にしていこう、とそう思いました。

幾重にも御礼を申し上げます。

2013/07/05 (金曜日)

「北海道とヒルクライムとモンゴルと」

この1か月余りのおおよそのマイプロデュース。

北海道は早くも7回大会。思い出深い芦別の地を離れられません。
ガストン・ライエのことや斎木校長の姿は、時間が経とうとも変わりありません。
ひょっこりと現れそうで仕方ありません。

北海道4デイズを書き終えて印刷をしています。このOVを書いてる後ろでは、印刷機がウンウンと音を立て、少しだけカラーになったコマ地図が、きっと皆さんを驚かせることでしょう。これもSSER直営のワークショップDC-3の実力です!!そして今年は知床まで行きます。ルートブックには「ヒグマの気配濃厚」とか「オホーツク!」さらには「北方領土!」とか記載されていて、
いやがうえにも気分は盛り上がります。

この、最果ての地に来てもなお、日本の国土と人々の暮らしぶりの美しさには、心が満ちてきます。多くの国で見るように最果ての地の不毛感というか荒れ果てた感じがなく、丁寧に暮らす日本人の姿があります。それでも少子高齢化なのか、地域経済の疲弊なのか、そうはいっても打ち果てた荒廃したところも少しずつ増えてきているように思います。

どこに居ても流れるニュースは、多くは東京発です。これだけ違うところで同じ番組を見てることにも不思議さを感じたりします。ニュースでは人々の不満に訴えかける、党首らがかまびすしい。品性の価値観が変わってきたのかなあ。。。

人は足るを知れば、心が満たされると言います。
不自由を常と思えば、いまの暮らしの足りようは、ちと度が過ぎてるかもしれません。エネルギー問題などもその一つです。無かったんですよ、電気なんて。

国会議事堂が建設されたのが明治23年1890年のこと。世の中には自動車が生まれ始めようとしてる頃です。議事堂には電気が引かれ、そしてたちまち翌年1月には漏電で全焼したと言います。

そうなれば国民からは「あれはやっぱり危ない、恐ろしい」と「電気不要論」が起こるのは当然のことです。目に見えないものを制御しようとするのは、やはり人間のあすまじき行為である!というわけです。

まあ原発問題は触れませんが、電気料金の値上げが凄いことになっていますね。
ですから、物価上昇が加速する。これならデフレ目標も達成可能だし、なんかまんまと嵌められているような気がしませんか?

原発問題おいても、だれも責任を取りません。それ以外の大概の国の問題の責任も取らないのはいかがかと思います。
責任を取るという姿勢で腹を切ってきた日本の武士たちの末裔の国ではもうないのでしょうか。

写真はモンゴル。ETAP1のゴールから歩いて行ける距離にありますが、かなり北のほうが素晴らしいのですが、少し南寄りで砂を渡ります。川と絨毯の緑が織りなす光景に幸せを感じます。

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Organisation Voice 2013/06

2013/06/27 (木曜日)

「いまさら、モンゴルへの憧憬」

ボクはモンゴルの地形は、ヒマラヤ山脈に端を発する大造山活動の皺(しわ)でできていると思ってる。ベッドのシーツをことら側(インド洋側)からグーッと押していくと、すぐ近くには皺が高く立ち上がる。これがヒマラヤとパミール高原だ。そしてその先は少し凹んで、これがタリム盆地。ベッドのシーツの皺はさらに先のほうへ、少しずつ距離を開けながらそれでも時折、皺を山脈のように作っていく。つまりモンゴル高原は、シーツが持ち上がって、それぞれ東西に寄った皺で山塊が出来ていると思う。

山塊は時に4,000mを越えているが大地の広がりと、そもそも大地が1,500m位の標高があるものだから、それほど大きいとは見えない。
その北側には湖ができやすい。山に降った雨は北側が比較的乾燥が少ないのだろう。それとモンゴル中部のハンガイ山脈に降った雨が、一気に南に進んで山塊の南に水たまりを作るからだろう。大きな湖もあるが、北部のシベリアの森の湖と比べ水量は不安定だ。

もうひとつ面白い現象がある。大きな山塊は、北に湖を抱くが、春になると西風が吹き大量の砂が運ばれてきては北斜面で渦を巻くようにして北麓に降り積もる。
こうして山と砂丘と湖、それに草原というサハラなどの常識を覆す複層的な景観を生み出す。
湖に浮かぶ砂丘、といわれるものはこうして作られていく。そして地球の皺はこのあとはシベリアに広がり、巨大な森林地帯を形成していく。
タイガの森は豊かな恵みをもたらす。
そもそもタイガとはロシア語で針葉樹のことだ。

タイガの森は、たくさんの水を抱き、大きな川を生み出していく。ボルガなどロシアを貫く川はどれも瀬戸内海かと思うほどだ。

さて、モンゴル。
この国が、そんな地球の皺の間からひょっこりと顔を出して、世界帝国を築いたなどとはどうしても考えられない。しかも好戦的で残虐で、ユーラシア大陸を震え上がらせたなんて。。。
なにがそうさせたのだろう。
この地を旅しながら、いつも考え、いつも考えがとん挫する。

チンギスやオゴティやフビライが、本当に世界征服を考えていたのかは、当時の世界観から見ても見えてこないのではあるまいかと思う。
草原に住んで、わずかばかりのシルクロードを渡る旅人たちから得た情報のみで、どのような世界観を築いたのだろうか。

草原にたたずむほどに、何もわからないことを知ることができる。
そう、結論は「なにもわからない」という事だ。ただの地球の表皮の皺ほどのこともない。

2013/06/18 (火曜日)

「FA-coat Rally Mongolia 2013、カウントダウン!!」

試走も終わり、いよいよ船積みのタイミングとなりました。今回のエントリー状況は日本人のバイク参加者が少なく、その分を韓国勢とスゥエーデン人らで上回るという事になりました。モンゴル勢は、先のダカールの2人が出場したことも手伝って国内では大人気!!多くのライダーたちが参加を進めています。

そしてルートのプロフィールですが、試走のノートに落書きしているコメントをいちおう紹介します。

ETAP-1「まるで草原の道コレクション。ナビも容易で、見事なさまざまな草原を繋いでいく。」まあこんな走り書きをまとめてルートプロフィールにしていくのです。

ETAP-2「スタートすると目の前はデューン!CAPで登り、かすかなCP隊が遺したトレースを見つける。そのあともナビは複雑で、道なき道を砂に向かって。風景はまるでお伽の国にいるよう。この世のものとは思えない美しさが前半」少し感情が高ぶって書いてるとしか思えませんが・・・「途中の寺院が凄い。林のような谷を抜けてナビが難しいが、古刹に驚きながらCAPチェンジ」と続いてる。

ETAP-3「朝からスガワラ峠に挑む。いつもながら感動的な世界。RCP以降はゴビハイウェイ。距離は降るレンジを超える。560㎞をゴールにして給油そしてリエゾンでビバークへ。」

ETAP-4「わずかな距離のループ。湖を時計回りに一周。短いが面白い。スタートは正午にするか?」そんなこともメモられている。

ETAP-5「ゴビのダイナミズム。さまざまな姿のゴビに遭遇する。」南ゴビを西から東に向けて高速移動。

とまあそんなふうに綴られてる。ETAP6以降は、またホンチャンのルートプロフィールとかインフォメーションとかで確認してください。

総じて、素晴らしいルート設定だと自信を持っています。

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2013/05/27 (月曜日)

試走にでかけます。成田で出発便を待っていますが、搭乗口には定刻と表示されているものの、ボールディングブリッジの先には、機材はありません。ということでOVを書いています。

TVでは1ドル101円とか1ユーロが130円とか言っています。どうして為替相場などに振り回されるのでしょう。どうしてそんなものを売り買いして儲けただとか、損しただとか、そんなことに必死になるのでしょう。

新聞には
競馬で30億得て28億の馬券代が必要経費だとか、そうでないとか。こんなことを報道するから、ほとんどの人が損をしているのに、真似をしようとする人が出てくるのに。そもそも、損失の方が大きかったら、どうしていたのかは誰も問わないじゃないですか。

あっ、放送がかかりました。
到着便遅れのため、出発の案内ができない、のだそうです。
困ったものです。
なにもかも。

要は、何にしてもこの『困った』に対応するのが人生なのかなあ、なんて空港でぼんやり。いずれにしても、今日の便が遅れたとしても、数日内には試走ははじまります。素晴らしい夏のモンゴルを存分に駆け抜ける、美しいラリーの準備をしてまいります。

2013/05/22 (水曜日)

「どうしますか、円安!」

1995年、第1回日石ラリーレイドモンゴル。。。この時は、忘れもしません1ドル85円!でした。そして2年目2回大会の時は1ドル120円!!ボクは「オーマイガッ!!」でした。思えばこの時の急激な円安以降、ずっとラリー開催の背景は水面下のまま、塗炭の苦しみ。
そして2013年!!「1ドル80円なんて夢のようやね。」迂闊でした。読みがあまりにも浅きに失しました(そんな日本語表現はありません)。それがみるみる20%も!20%なんていうのは、およそ想像の範囲を超えていたのでした。それに加え現地の物価高騰。。。

「どうしますか?」
「どうにもせんよ。仕方ないもんね。」
こうしたSSERの打たれ強さというか、達観力?というか。。。

という事で、なにが言いたいのかというと、まあ「しゃあないなあ」ということで。
そんなこんなで、試走に行きます。どんなルートになるかはここでは秘密。
6月末にはお伝えできると思います。

そして、今回のラリープレートは画家の安藤俊彦さんにご協力を頂いて、2012年のボルドバートル君の姿が描かれたもの。AUTOの皆さんごめんなさい。来年はAUTOの絵も描いて頂くことに。
それにしても「芸術」の力は大きいですねえ。素晴らしいラリープレートになって、大満足。これで円安を忘れることにしました。

2013/05/20 (月曜日)

「ラリーとは、なにか。」

そんな根源的な事を、札幌の夜に考えていました。札幌の夜というのは、寿司を食べて近くの暗いバーで、スベイ川沿いの蒸留所で時間をかけて作られたシングルモルトの香りに蒸せながら。。ではなくて、ホテルに帰って、ひとり窓から夜の札幌の街を眺めながらのことです。

100年前、この地はどんなだったろう。最近どこに行ってもそんなふうに考えるんです。きっと100年前は、生きていくのも厳しい、でもすごい風景、すごい自然との共生があったろうということです。北海道がそうなだけではなく、日本のどこもがそうした暮らしだったろうと思います。

石鎚山には石鎚村という集落が残りますが、そこに最後の1世帯の老夫婦が、まいにち石鎚を仰ぎ、生活をしています。道は険しく、たどり着くのも困難なところです。
そこは100年前と大きく変わったものではないだろうと思います。いや100年前こそは多くの村人で賑わい祭礼や集落の人々と、喜びや悲しみを共有しあいながら暮らしていたはずです。

話がそれてしまいました。
イベントを開催するという事は、イベントを開催することが目的になってしまいがちです
。昔の集落の祭礼は、多くには「祭礼が目的」だったろうと思いますが、その先にある自分たちの生活の活力や、ひいては次世代につなげるメッセージがあったんだろうという事が窺い知ることができます。

ひるがえって、ラリーのことです。
ラリーというイベントの先には何があるんだろうか?
ふとした不安のような、道しるべを見失った時のような、GPSが全く拾わなくなった時のような。そんな不安と苛立ちを覚えて、その夜は、すっかり睡眠不足になってしまいました。

そして日曜日。
ボクは参加できませんでしたが、関西に住むラリー仲間同士の結婚式が高知の山奥で開催されたと言います。
ていうか、ボクは頼まれてゲートの横断幕を出力して託けておきましたから。
誤解を恐れずに言うと、それはまさに集落の祭礼のようでした。ラリーという集落に住む人々が、まあ全国から遠く高知の山奥の廃校あとのささやかな宿に集まったと聞きます。大事なのは距離や時間ではなくて、どの部分でつながって集落の一員を形成しているかという事です。

なにか数日前に悩んで考えていたことが、急速に溶けて行くような感じをみなさんのFBにUpした写真やお祝いのコメントから感じました。ラリー集落は、もはや限界集落か?と思っていたのですが、さにあらず。いまだに再生が繰り返されていきます。いまいくつも携わってることの中で、もちろん物も、自身も人も、何もかもですが、この数日間の想いは貴重なものになりそうです。

「No Rally No Life」 今年SSERが掲げた小さな、まあキャッチフレーズです。
ボクも集落の一員として、ラリーとともにあった人生がいかに幸せだったかという事を再び認識しているところでした。

とはいえ、まあ次は北海道でねっ。

きょうの一枚

菅原さん!ハスクバーナで。。NoRally No Lifeなんて、この方の前で言うのはまさに恥ずかしいばかりです。北海道はKTMで来ると言います。。まことに。

2013/05/10 (金曜日)

「時は流れない。それは降り積もる。」

原典はサントリーのCM。そこでは「・・・それは積み重なる。」という表現だったけどボクは時間を雪に喩えて「降り積もる」が良いなあ、と思ってた。
音もなく降り積もる雪が、時間のように思えたのだ。

最近のこと、恐ろしい速度で時が過ぎていくような気がする。すぐ夜が来て、すぐ朝が来て、すぐ月末が来て、すぐ次のイベントの日が来たと思ったらすぐに終わる。そして年の瀬が来て、異口同音に「今年もあっという間でしたね。」と。
そして気が付くと3月が終わり「もう1/4年が終わった。」と嘆く。誕生日も容赦なくやってくる。

人は時間の流れを調節する機能を発見できないのか?
ボクは不可能ではあるまいと思っている。

いい仕事をしてる時には「早く夜が明けて、現場に行きたい」と思う夜は長い。
楽しみにしてる冒険旅行の出発日は、これほどまでにやって来ないのかと思うけど、準備が出来てないときには、「あっ」という間にやってくる。

つまりこれは相対性理論で片づけられるのだけど、時間をゆっくり降り積もらせるコツは、「楽しみにする」「早くから準備をして、荷造りなんて2か月前には終わらせる。」孔子言うところの「どこに行くにしても、心を込めて行け」という事だろうか。

話は変わる。腕時計を修理に出した。裏蓋を開けるとそこには製造年月日(購入年とは1年以上違うけど)と修理歴が刻まれていた。時計は1984年製造になっていたから、来年で奇しくも30年。SSERの歩みと同じだ。ということは彼が(時計ね)ボクの30年を共に過ごした唯一の身に着けていたものになるだろうか?

一度だけ時計メーカーSECTORのスポンサードを受けたパリ北京の時は置いて行ったけど、それ以外は何の躊躇もなくアフリカも中央アジアもチョモランマやタクラマカンや、もちろんモンゴルの奥地なんか40回は行ってる。
まあ地球上のあらゆるところを旅した。

時間はいつも微妙に進む。
速く時よ、経て。
と、言わんばかりなのに2日ばかり、ぼけっと過ごすと、停まってたりする。

ここにも時計いや時間との過ごし方のコツがある。
それにはいい時間を振り返ることだ、そのためには今日の一枚にある30年物で。
30周年記念パーティは、これでよろしくお願いしますよ。

2013/05/05 (日曜日)

25年目、つまり四半世紀の時を刻んだTBI、ツールドブルーアイランド2013は、規模を拡大して大阪から南九州そして四国を巡って無事にゴールしました。

ブルーアイランドトロフィーは二度目の受賞となった菅原義正さん。総合優勝は福岡秀行さん。そして、第一回からの出場者の広瀬達也さんも人吉市のキャンプに姿を見せていただきました。

25年。思えば長く、悩んだりさまざまな試行錯誤を繰り返したものでした。第一回から十三回までは日本石油が大会を支えて頂きました。そこから独立して12年、多くの出会いと楽しさばかりが思い出されます。

そんな来年はSSERが誕生して30年。なにかアニバーサリーイヤーが続きますが、どんどん盛り上がっていきたいものです。

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2013/04/25 (木曜日)

「NO RALLY, NO LIFE」

アドベンチャーラリーは、かつて人生に喩えられた。
「それは、人生の縮図のようだ」とね。
ティエリー・サビーネは
「パリダカ?それは、ライフスクールだよ。」
と語った。
このラリーに世界最多出場と完走の記録を更新し続ける菅原義正も、
「なかなか卒業証書を手にできないのですよ。」
と話す。

ライフスクール、それは人生の学校のことだろうか。
たとえば人生とは、上手くいかないことが多い。
調子のいい時に決まって落とし穴に気が付かない。
ラリーも、まさにそうだ。良いことのあとには、トラブルがある。
優勝なんて、いつでもつかんだ両の手からするりと抜ける。
うなぎみたいなもんだ。
もう嫌になるし、情けないし、泣きたくなる。
そして、その耐性を身に着けていくことが良いラリー、
または人生の過ごし方なのかもしれない。

NO RALLY, NO LIFE・・・ボクにとって、人生でラリーに出会わなかったとしたら、どんなふうに生きていたんだろうかと、想像することさえできない。
つまり「ラリーのない人生なんて」想像できない、そんな意味で30年の節目を来年に迎え、個人的な言葉として「NO RALLY, NO LIFE」を掲げた。そして申し訳ないことに?TBIのTシャツにまで印刷してしまった。

今年25年目のTBIは。そんな四半世紀をこめて、九州までも足を延ばすことにした。土佐と薩摩は、いつもSSERのイメージに内包されていた。
新しく変える力。妥協しないという生き方。それを、貫いた男たちのように現代にもその心を、たかがラリーだけど、人生をかけてそのラリーを全うしていきたい。今回のボクの意気込みだ。
されどラリーだ。
きっとあなたも「NO RALLY, NO LIFE」か、もしくはそれに代わるなにかを、この旅で見つけるに違いないと思う。

2013/04/15 (月曜日)

「スギちゃん、サハラマラソン90位完走!!」

ここのところモンゴルのカミオンバレイやTBIのスイーパーとして頑張ってるスギちゃん!憧れのサハラマラソンを90位で完走したという連絡が。
いまを去ること10年前、彼らは「PIYOKO隊」というチームで、この地で開催されたダカールラリーに参加していました。
その時の話を聞くと、やはり準備が出来てない!という感じが否めませんでした。
いや本人たちはそれはそれで十分準備をしてきたのでしょうが・・・
それに比べると、サハラマラソンのほうが簡単なのか?というと、まったくそうではないはずです。過酷を極めたことでしょうね。それでもこの数年間、モンゴルのラリー試走の時でさえ、日没前にランニングに出かけて泣きそうになって?「道が分からなくなって、こわかった!」とか、朝からシュラフを抜け出しては走っていましたから、その熱意たるやパリダカの時もこの位すればよかったのに・・・と思ったものです。

とにかく目標を立てる、挑む。もう絶対来ない!というくらいの中から萌芽する「次はこうする!」という、小さな思いに水をやり育てていく。これは人間としてもとても大切で、有意義な行為の一つだと言えます。
トップアスリートやオリンピック競技、または人気のスポーツばかりがもてはやされる中にあって、こうした過酷で異常なほどの人間性を突き詰められるものは、やはり人間が特殊な種であるという事を表すものだと言えます。

予想以上に世界のフィールドは広く、挑戦するという行為は輝きに満ちています。
おめでとう!スギちゃん!

2013/04/08 (月曜日)

「試走完了、TBIカウントダウン!!」

大型の低気圧が去ると西日本は思わず寒い今日この頃!ですが、今日の良いお天気ときたら。。。久しぶりにGS!(っても、アドベンチャー)を事務所から引っ張り出そうとすると・・・「ルートは二つです。」つまり事務所の奥に展示されるようにあったマシンは、引っ張り出すためには倉庫を通らなければならないのですが、それはもうお片付けが出来そうにないくらいのボリウムの資材を片づけなければなりません。

もうひとつは、事務所の裏のウッドデッキから畑のあぜ道を押して(または乗って)
道路に出る至難の道。
「・・・」
でもいつもこうやって「なんだめんどくさいな」と止めてるのがここのところのボク。
でも今回は気合が入ってました。
「よし、畦道を押そう!」
と心に決めて、デッキに出したときに、森の中に伸びる細いトレイルが目に。
なにを思ったかボクは一気に森のトレイルに向けて発進!
「なんだ、簡単じゃん!」
という事で無事に突破。。
やっぱダイエットの効果は大きいのです。身体がやや柔軟で、ついでに選択肢も増える!という事で、ボクのバイクの事務所から出すルートは「3つに」つまり、物事にはもう一つ選択肢が潜んでいるという事。

そうそう、そもそもアドベンチャーを引っ張り出して乗っておこうと思い出したのも「北の島」の某編集長が、「TBI九州へ行こうかな?バイク借りれますか?」
「HP2?ええよ!」
「いや」
「アドベンチャー?」
「そうです。」
いつの間に彼もあんな大きくて重たいバイクに乗ろうと思いだしたのでしょう・・・という事で、最近はFBもOVも多忙にかまけてるボクですが「元気です。」というかこの10年で、いまが一番元気なくらい。
これからしばらくは「アドベン通勤」で、Max Fritzさんみたく毎朝ツーリングしてから出勤しよ!なんて思う今日このごろ。

きょうの一枚

写真は2007年の西安-パリのときのものです。

2013/04/02 (火曜日)

「TBI、まもなくですよ。」

春が足早に過ぎ去ろうとしてるのが気に入らない毎日ですが、
皆さんはいかがお過ごしですか?
花が咲けば嵐のような風がふき、やんだと思えば雨が降る。
まことに、ながめせしまに、な感じでの花の季節でした。

そんな4月を迎えると準備に精を出すのがTBI。
25周年記念という事で拡大版の今大会は、とくに見どころ満載!です。
すでに大阪-九州の試走は終わり、今週は四国の試走がはじまります。
この四国の試走が終わると来週には今回のルートが、一筆書きになってつながって行きます。
まったく、無機的な線がコマ地図の中に生命を吹き込まれて、
そのコマを追いながら走れば、驚くばかりの日本が広がっている!
というのがこうした長距離レイドの魅力です。

今回はいつもより1日長い8Days!昔々、ISDEのイメージをモチーフに、
パリダカールのビバークを少しだけ意識した、そんなTBIの最も長い8日間。
間もなく、カウントダウンがはじまります。

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2013/03/25 (月曜日)

「TDR、ごきげんでしたね。」

このところSSERといえば好天だけ!晴れ男SSERが定説になりつあるようですが、この週末の土曜日は風が強くて・・・2日目は雨の予報も気が付けば、いつの間にか晴れ。結局、先の九州4デイズ、TDRと降雨量0mm!!もうあの忌まわしい記録とは完全におさらば!!昨年は吹雪の中のTDRでしたものね。

それにしても今回のルートは愛情たっぷり!溢れんばかりのラリーへの愛情を感じました!!そして桜満開の大井川鉄道のSL、本当に豊かな大河が見せる様々な表情にしばしうっとりと春の日曜を満喫しました。ついでに帰りの大渋滞もまあ満喫しましたが・・・。

さて、このTDR、ラリーを広く門戸を開けて!という趣旨ではじまってもう4年。
ラリーがどうのということばかりではなく、本当に走ったことのないところ、行くなんて考えたことのなかったところ!そんな思いがけなかった土地!を走ることが出来て、改めてまだまだボクタチは日本を知らない!のだということに。

加えて言うならば、日本のどの土地も、人も風景も、おもてなしも素晴らしいの一言。旅は、楽しですよ、まことに。

本当にご機嫌な2日間でした。
そこで来年からは、この磐田に腰を据えてもっともっと楽しいイベントにしていこうと画策中!「もっとラリーを」というような提案で行ってみたいと思います。
とりあえず朝方に帰りついて、機能しない頭でぼんやりとしたいところなのですが、とにかく忙しいので、これらのオハナシはまたゆっくり。

きょうの一枚

家山駅のSL。これとうまく時間が合うように設定されたルートだったのですが、残念。見れたのは一部のオフィシャルとテルさんのクルマ。。桜に蒸気機関車、日本はやはりノスタルジーに酔っています。

2013/03/18 (月曜日)

「なんか、TDR。面白そう」

TDRが今週末。桜の便りも聞かれる頃。京都では早すぎる吹雪?に見舞われるは、林道はことごとく雪で塞がれているわ、で「雨の」SSERを象徴するような1年前。そして今年のルートインフォメーションを見ていると浜岡原発は出てくるし、SLの到着だか出発だかにタイミングを合わせようと努力しているし、なんたって磐田市の協賛で開催されるんだそう。いや主催者が・・・だそう。なんて書き方はけしからんので、開催されます(キッパリ)・・・最近とみに思うんですが、やっぱり「人生は旅」なんだということ。
旅に出ることは、小さなものから大きな旅まで、心は穏やかなりません。
孔子は「どこに行くにしても、心を込めて行け」と言いました。磐田市と聞くとボクはさっそくその歴史やら文化やら、成り立ちやら産業やら企業やら世界観まで予習をします。あっ、今回は忙しいのでまだしていませんが・・・

そうしていると、それがどこの土地であろうと興味というか好奇心はむくむくと起き上ってきます。旅の楽しみ方の一つは、これです。
それに「天竜川」確か諏訪湖から流れ出る唯一の河川?のはず。となればマナサロワール湖からガンジス川が・・・みたいな空想を膨らませます。
そうか、諏訪湖から彼らも旅をしてきて遠州灘に注ぐのかあ。と、川の流れにも心をときめかすのが旅人のあるべき姿であります。

そのうえ大井川鉄道、通称ダイテツ。。。地方の路線にしてSLを動態保存しているのは見事なうえ、経営もなかなかのものと聞いています。そんな、全国でも類を見ない存立基盤のささやかな一部でも垣間見ることができるのなら、これまた面白いではないですか?

そうそう大井川といえば遠江と駿河を隔てた戦略上の要衝。小田原征伐やら、秀吉や家康の姿を思い出せば、これまた旅もまた愉し、ですねえ。
それにしてもルートも良くできていて、楽しそう。土曜日は篠塚さんもやって来ますよ。

2013/03/15 (金曜日)

「かつおのたたき」

一緒に現場をやっている大工のマコちゃん。日曜日は1月以来の休みを取って、高知にツーリングで鰹を食べに行くんだそう。ロードバイクでいくんだそう。。

ふと「なぜ高知のかつおのたたきは旨いんだろう?」
さらに「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」
と詠まれた鰹のシーズンはどーしたのか?江戸では
「にょうぼうを質に入れても食べたい初鰹」ではなかったか?
と、ひとり日曜日に行くマコちゃんのツーリングの鰹の事を考えていた。

香川の人が日本一うどんを食べるように、高知の人は日本一鰹を食べる。
つまりそこに秘密があるというわけだ。
「名物にうまいものなし」の場合の名物とは、
普段にはその土地の人が食べないものをいう事が多い。
じゃあ旅する時のヒントは、そこが何が特産であるかではなく、
その土地の人が特異的に消費しているものが何かという事だろう。

高知に行くと鰹は藁で焼いてくれる。
焼き加減も素人ならずともみな一様にうるさければ、
おそらくこれも全国一の消費と思われる「ゆず」の加減もうるさい。
つまりその土地の人間の生活と気象が味を磨く、ということだ。

この前も、高知市内に昼前に着くと行きつけの店、
戸を閉めれば時間の概念を無くすほどの酒の席。
「ああ、これが高知だ。」
多くの酔客は土佐の酒と鰹。
そこで出てくる鰹のタタキは、一口で口に入れる事が困難なほど。
つまり、でかく切りすぎている。

そんなことを考えながら
TBIではカツオのたたき・・・藁焼き実演をお願いしますね・・・
・・と、婉曲なお願い。
それにうどんも。鹿児島の夜は、ソラマメと焼酎と、宮崎では・・・
そうそう大分では、あの「だご」を汁ではなく、なんか面白い食べ方はないかなあ??

とダイエット疲れのボクは週末は食べるモノを考えては喜んでいます。

2013/03/12 (火曜日)

「それが人生だよ。」

どうも最近のボクの口癖らしい。
今日、現場を一日一緒にしていた大工のマコちゃん。
ボクが
「それが人生よ。」
というと
「今日それ3回目」
だという。

フランス語だと「C’est la vie (セラヴィ)」
ガストンも口癖だった。

ボクは震災関連の映像を見ることができない。
石巻のSSERの緊急支援テントに並んでいた一人の老婦人の姿を思い出して苦しくなる。
その老婦人は、全てを失っていた。家族や家財ばかりではなく自身を完全に失っていた。
こんな過酷な人生があるんだろうか。
我々の人生なんて恵まれていて、
なにの不足や文句があるんだろうか。
あの、歩くことも考えることも、あるいは呼吸することさえも困難なほどの一人の老婦人に、かける声も勇気もなにもなかった。
その姿を見て、ボクは一生分の負荷を負った。

日々の生活の中で上手くいかないことなんて普通の事だし、最悪の結果だ!とか言うのも、案外大したことはない。
言葉ばかりが感情を煽っているに過ぎないし、そんな過激な言葉に救いを求めて居るばかりだ。
ボクタチの日常なんてたいしたことはなにもない。
それが人生だからだ。

ならどのように生きるか?
難しいけど、考えるのが人生なのかもしれない。
われ思う故にわれあり。
Je pense, donc je suis
なのだ。
存在が絶対なのは、自分自身の思考のみなのであるから。

ほんとうにそう思う。
みんな過酷な人生を背負って生きている。
どのように感じるか。どのように見るかは、自由だけれども背負うものの量は実はみな等しいのではないかとも考える。
それは思考の力の量に比例するから、とまた説明が付かなくなった。

それが人生だよ。

というわけで、ボクタチは新しいTBIに取り組んでいますからね!!

2013/03/08 (金曜日)

「美しき日本の山河」

中国の環境問題がひどい。ひどいとは思いますが日本も原発による放射能汚染もそう棚上げできたものではありません。
人のふり見て、なんとやらとは、美しい?日本人の姿勢のはずです。
そういえば2001年ころからボクタチは「日本の美を愛でる」をテーマに日本を縦断する企画を立ち上げました。ツールドニッポンです。

北海道の芦別市にスタートを設け、宗谷岬を走り鹿児島の佐多岬までを駆け抜けるという壮大なプロジェクト。2年目は奄美大島をスタート、3年目は長崎のハウステンボスをスタートとしました。
3年目は日本の原子力をテーマに長崎の平和公園、それに雲仙の普賢岳、さらに日本海側の原発銀座や、青森の六ヶ所村やら福島の原発も眺めながら走りました。
ゴールは東京タワーの麓。すべてのエネルギーを大量に使い捨てる巨大都市にゴールした時の不思議な感覚はいまも忘れられません。

さはさりながら、この3年間にわたる試みで最も感じたのが、日本の河川がどこを見ても美しくなったという事でした。80年代には、それは汚く悪臭を放つ川も少なくありませんでした。
川が美しいという事は人体でいうところの血管とその中を循環する血液が美しいという事で、言ってみれば日本の水の循環が美しいという事になるでしょうか。

TBIでは90年代「もっと、美しく」というテーマでラリーの開催に臨みました。
四国の山々は実はいたるところに不法投棄のごみが散乱していました。これはいまも減ったとはいえ、ときどき見かけてげんなりとします。
林道にも廃車や家電製品のごみが野積みにされているところを見かけます。
美しい風景の中に、それがあって富士山といえど世界遺産の評定に難儀をしていると聞きます。

でもこれも時間の問題で美しい姿を取り戻すでしょうし、多くの方々がその努力をいています。
そうしてボクタチは美しい日本の山河を大いに堪能することができるし、そうしようと思います。

これからはじまるTDRやSuper TBIで「本当に日本は美しいんだ」そう実感することと思います。

■TDR 2DAYS 2013 in 磐田
人気のTDR。今回は磐田市の協力で、オートバイのふるさとを走りますよ!3月15日エントリーが締切!お急ぎください。http://www.t-d-r.jp/

■superTBI2013 4×4エキスペリエンス
一気に暖かくなってきました。野山は春の花たちが精いっぱい咲き競っていて、美しい色で山が染まっている感じ。となればGWのTBI。今回は大阪から九州、そして四国。3000kmを超える素晴らしいグランドレイド。走らない手はありません。といってもこちらは4×4のエキスペリエンス部門のお話し。いよいよ締め切りが近づいてきました!! [4×4エキスペリエンス]

2013/03/04 (月曜日)

「試走70、発進」

SSERでは、このほど国内ラリーイベントの距離測定用車両としてTOYOTAランドクルーザー70を投入しました。

これはそれぞれのイベントごとに違う車両や、違う機器で計測していたものを1台に統一しようという作戦です。テラトリップも2連装で、メインのマシンの作動不良やナビゲーターのミスを助けてくれるはずです。

これで若干ともコマ地図の精度が向上することになるでしょう。おまけにドライブレコーダーもついていますから、コマ地図を書くときに距離を口に出してくれれば、その位置のGPSポイントもわかり、かつ前方の風景も確認できるというもの。また夜間にまでなったことを想定して、4灯の補助灯、ひとつはワイドもう一つはドライビングランプで、およそ国内の林道ならば明るく目標物を浮かび上がらせてくれるはずです。

九州も各チームの下見も終わったようなので、これからそれらを繋ぎ合わせたコマ地図作成がはじまります。25回記念大会にふさわしい、クオリティの高いそして精度の高いコマ地図による気持ちの良いライディングで、思い切り駆け抜けてください。SuperTBIは終わると、この車両は長躯、北の島まで出かけて行きます。

さあ、シーズン突入ですよ。

きょうの1枚

すでにFB等でご紹介済みのランクル70SSER試走スペシャル。。年々バージョンアップしていくよ。次はプロシードパワーアップ計画も進行中!!板金を見つまりさせたら「このままのほうが良いんじゃないか?!」と言われてしまいました。さらに4tのパワーゲート付きも投入予定!もう老齢化はマシンに頼るしかないきね(土佐弁)

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Organisation Voice 2013/4

2013/02/27 (火曜日)

「九州は火の国たい。」

TBIは今年25周年記念の拡大版!
今年のフォーマットはというと、いままでのTBIに加え九州4デイズで、3,000kmを越えるディスタンスになった。グランツーリングだ。

そして今年の大会のラリープレートは桜島をフィーチャーしたものにした。
まことそれを書こうとグーグルアースで九州の火山を一つずつ眺めていた。
俯瞰すると、そこは「火の国」だということがわかる。

火の国とはまた災害も多かったのだろう。現にこのところの鹿児島や昨年の竹田市など阿蘇周辺も豪雨被害にさらされている。

自然災害が多いのは何も九州に限ったことではなく、広く日本列島全体がそうなのだ。こうした災害ととなり合わせに住む日本人は、自然を畏敬し自然とともに生きてきて今日があるのだろうとそう思う。武士道などの生き方も、人々の優しさも「明日はわからない今日を生きる」という死生観に基づくものだろうと思う。

先に鬼籍に入った市川団十郎さんが遺した辞世があって、本葬の時に発表されると知り興味を持って、今日の新聞でその句を知ることに。
その辞世は
「色は空 空は色との 時なき世へ」

般若心経にある世界観が込められて、深く、また古くから用いられる日本人の心の透明感を澄みきった心で書いているように感じた。
悲しさや苦しさを超えるために、この日本に暮らす人たちはこうした無常観を死生観に重ね合わせて生きてきたのだろうと思う。

桜島から昇る噴煙を見ていてそう思ったりと、なかなかTBIの準備も25年もやっていると感慨が深い。

さあ、素晴らしい旅をご一緒に。。

2013/02/25 (月曜日)

「いよいよ試走スタート!SuperTBI」

テレビでは大雪のニュース。「酸ヶ湯では史上最高の・・・」
と各局。
「おお、酸ヶ湯かあ」
すっかり懐かしくなったツールドニッポン。
その時には試走では酸ヶ湯温泉に泊まったなあ。あの湯治場の独特の雰囲気。
ヒバ千人風呂の独特の木造の柱のない巨大空間。
いやそんな話じゃなくて、
テレビではある局は「スガユでは」
とアナウンサー「ああ、スカユなんだけどなあ」とボク。

少し時間が経つと、どの局も見事に「スカユ」になっていましたね。
この効果は大雪の被害は深刻にしても(いや、心からお見舞い申し上げます)
広告効果も少しはあるかもしれません。
酸ヶ湯といえば八甲田、八甲田と言えば新田次郎「八甲田山死の彷徨」

話を戻すと
試走とは、八甲田山・・・ではないにしても、
計画と実践の間の細かな修正作業の積み重ねが必要だということなのである。
やみくもにルートを繋ぐだけというわけにはいかないのだ。
いよいよこれから、ここまで各スタッフの推薦するルートを取りまとめて、
一筆書きに仕上げる作業が始まる。

迂回路、避難路。救出ルートを常に頭に入れて、その範囲で素晴らしい景観と林道を有機的に組み合わせていくという胸踊る作業。
いったい、どれほどの道を走りどれほどのコマ地図を書いてきたのだろうか?と、その精度と内容を充実させるために今シーズンから、試走用のオフィシャルカーランクル70「Wテラトリップ号」が発進!でも今バンパーの塗装中!でお披露目は今週末。ボクのバックスキンのステアリングが装着されているという精神性?
間違えない確実な距離と方向感覚を。

きょうの一枚

今では全国あちこちで見受けられるようになった、こいのぼりの川渡し?発祥は四万十川。さつきの空に風を受けさっそうと。。

2013/02/21 (木曜日)

「畿内から南九州へ」

いま邪馬台国畿内説を裏付けるかの「卑弥呼の墓」とされる?箸墓古墳(宮内庁の管轄で立ち入りが制限されていた)に考古学者らが立ち入り調査が始まったというNEWSが話題です。
ということは、カオルさんら邪馬台国九州説派もやきもきしていることでしょうか。
いや九州も旅をしてみると「そうかもな」と思うことしきりです。天孫降臨の南九州の地は、山の形さえそれらしく、あちこちに立ち上る湯煙もまた心にしみるというわけです。
で、その邪馬台国の問題をうならせるような?25周年TBIは畿内発南九州行そして四国!という大胆なもの。そしてエントリーも定員に達しました!
それでも例年のごとく数名の不出走があるかもなので、若干キャンセル待ちを受け付けることができます。2から3名ですが。どうぞお早めに!

そして面白いのはAUTO部門、これはオープン参加なのですが、なんと尾上/石原組がエントリー!このチームは長年モンゴルで菅原さんと熱い闘いを繰り広げている2人!そして菅原さんはというともちろんMOTOで一番にエントリー済みです。AUTO部門はまだ締め切りまでに余裕がありますので、ぜひどうぞ。極上の旅?が約束されています。(いやどうかな?)さて、SSER九州チームからは試走の試走、つまりコマ地図を作成する前のルート設定の嬉しい情報が続々!!

TBIとモンゴル、卑弥呼の邪馬台国伝説からチンギスハーン伝説、そして幕末の土佐・薩摩を駆け抜ける、これはもう一大スペクタクルじゃありませんか!!

噂のFバンパーは大勢の意見艶消し黒を押し切って、半艶ホワイトで塗装することにしましたよ!!

きょうの一枚

九州の山の姿は、変化に富んでいて楽しい。なぜこれほど多くの火山と温泉がこの土地にばかり集中しているのだろうか。時に激甚災害も生むが豊かな温泉にも恵まれていて、まことに日本人的な心が育つ土地でもあるから天孫降臨の伝説もまた生まれたのだろう。

2013/02/20 (水曜日)

「急に暖かくなったので、モンゴルの事を」

モンゴルのことを書きます。
昨年特に問題だったX-1トラックの遅着問題。これを、どうにかしなければなりません。以前のように10kgBagをヘリ輸送も考えたのですが、これはいまの燃料高騰と不足気味の燃料をこれに用いるのは問題です。
そこで10kgバッグ輸送チーム、つまりシュラフ・テントと簡単な着替えなどの入ったバッグを、メカニック輸送のようにランクルなど数台のチームを構成してX-1チームとしながらも、早く着けるようにしようという考えです。
残る大きなバッグ20kgは、X-1が運びます。さらにタイや輸送は、本部隊ごとにMotoだと2本ずつ積み分けて事前にビバークに運び込んでおきます。
どういう具合かというと、これは例で言いますのでまだ対応しないでくださいね。

本部隊は第一本部隊がBivouac1-3-5-7とします。そして第二本部隊がBivouac2-4-6としますね(これは仮に、ですよ)ルートが発表されたらそれぞれ戦略を立て、どのビバークにどれを送っておくかを計画しておいてください。

これによってX-1トラックの重量は完全に半分以下にすることができます。するとトラックの選択肢も広がり速度も向上させることにもつながります。

こうして確実に荷物の届くビバークを実現していきます。
ということで、みなさん。モンゴルの準備を始めよう!!

■Facebook(SSER ORGANISATION) [URL]

SSERのFBも楽しい話題が盛りだくさん。
いまの旬はSuperTBIとRallyMongolia2013

■Facebook(Rally Mongolia) [URL]

RallyMongoliaのFBは、海外の方にもご利用いただきやすく英文併記を主体に
これまでの写真や情報を満載してお届けしています。

■Twitter(SSER ORGANISATION) [URL]

Twitterでは、最新の更新情報などをつぶやいています。

2013/02/18 (月曜日)

「OVは歴史を語る。」

これを書くようになって、もう何年になるんだろうか?
書きなぐった感もあるけど、あの時ボクはどんな思いでTBIに向かったか、あるいはモンゴルに向かっていたのかが、手に取るようにわかる。
でも読み返すのは何か、浦島太郎が玉手箱を開けた時みたいになりそうで、極力振り返らないようにしているけど、写真を探しに行くくらいにしていた。
きょうはオフィシャルウエアの事を考えていて
「そうだ、めずらしいTBIのオフィシャルの集合写真があったなあ」と。なぜ珍しいかというとTBIでは各オフィシャルは自律的に動いているので一か所に集まることは珍しいのだ。
写真を見つけて、その文章に「ぎょ」っとした。
なんとその時のOVのタイトルは「檄」なのだ。

2001/03/14 (水曜日) 檄。。

本日のOVは、SSERの精神と、オフィシャルの概念について記す。いままで SSERとは厳しいレギュレーション、うるさい車検。冷徹なレギュレーションの運用。というイメージがある。一部は、故永山竜叶君が情報として、書き連ねたものがそうなったかもしれない。しかし、当たり前のことが「まあいいじゃん。」とやってきた、多くののライダー達、その実、社会はそれほど甘くなく。いつまでもモラトリアムを気取ってられるほどの、おおらかさなど持ち合わせてはいない。たとえば法に問題点があるのだとすれば、国には「おかしぞ」と問題提起することのできるシステムは整っている。それをせずに、批判ばかりして、場合によっては、平気で無視したりするのは、勇気のある行動とは言いがたい。勇気ある行動。それこそがSSERオフィシャルスタッフの行動の基準である。たとえばSSERのオフィシャルは、誰がなんと言おうとも、動じることなく単身、夜のゴビ砂漠をわたり、サバイバルにも長け、危険を最大限探知し、回避する。それは自らの為のみでなく、挑戦する参加者のためであり、他のオフィシャルの任務遂行のためである。それは厳格で、やさしさに満ち溢れた男の中の男たちである。こんなことを平気でやれる奴や、同様のモチベーションを備えたチームを、私は知らない。軍や自衛隊などと言うものは、充分な装備、電子デバイス、システムに保障されたもので、平時下にあっては、真の冒険性や、探険性というものは持ち合わせてはいない。ゆえに、われわれオフィシャルは、参加者にも相当のことを要求する。確実にそれをクリアして来る者のために、それをしない者に妥協することはない。たとえば、レギュレーションとは、日本の法律などはまったく別のもので、レギュレーションが求めるものは法律で求めるものより厳しい。なぜか、法律とは、広く一般に適用されるものであり、我々のそれは危険であるとか、困難であるとかに対応する、もう一段階以上、絞り込まれた者を対象にしているのである。こういうことを正しく認識して欲しい。「道交法で良いのに、なぜ SSERではだめなんだ?」という意見を年間にどのくらい聞くようになったろうか。違法でなければ良い、というのはこのイベントに参加する以上、間違いである。それは先に述べた。
さて、私個人は今回TBIに参加すると宣言して久しい。もちろん多くのオフィシャルスタッフも、参加者として名を連ねている。そしていま、この段階になって、実はは参加をためらっている。いままで12年間続けた、このイベントに身をおいて、あたらしい次の何かを考えてみたいという、ある意味では姑息な了見での参加ともいえる。しかし、ここに改めて宣言する。どのような困難な事態になろうとも、この大会の最高責任者は、私であること。全ての、オフィシャルスタッフと、わたしはひとつであること。最も困難なことに誰もが進んで、挑戦することを信じている。SSERの精神。それはいかなるときも、公正で、公平である、ということ。その行動はあくまで、平然と勇敢であるということ。だれでもが、一朝一夕でオフィシャルスタッフになれるというものではない。

きょうの1枚

故永山君が収めた、10年前のTBIノオフイシャルスタッフの集合写真。TBIのオペレーション中に、こういった全員の写真を撮る、というのは非常に難しくて、「やっと実現した」と大喜びしていた彼の姿が今でも忘れられない。参加者もこの当時の顔ぶれが揃う、オフィシャルも揃わないものか、と真に願う。僕たちの13年間のために。』

・・・・・12年も前のものだ。なんか気合が入っているなあって感じで、しかし少し読んで恥ずかしさを伴いながらのこのあとの12年のボクの生き方はズレタカ?ズレテいないかを考えるには最適だった。
いつも決定権をゆだねられたときにはこうした一連の想いを思い出す。
そして座右の銘「仰ぎて天に愧じず。」を小さくつぶやく。
そして「間違いない。」と心に決めて判断をするんだ。

2013/02/15 (金曜日)

「Rally Mongolia は変わるのか?の20年」

なにかに挑戦する、ということは、確かに少なくないリスクを伴う。
モンゴルでラリーを開催する、という事を決めたときからちょうど20年ほどが経った。ラリーがスタートしたのは1995年。パリ北京が1992年、わずかこの2年余りが準備期間だったと言っていい。

時間の量は関係ない。集中の量こそが問題なのだと思う。
全てをなげうってこのモンゴルでのラリーの開催に向かった。結果はリスクの量は減らないがこうして2013年の開催の準備に着手している幸福感にはまみれている。

目を閉じれば、思う存分のモンゴルの風景が広がる。本当にまだこんな地球があったんだとわが目を疑うような光景はいくらでもある。
まだ30歳後半だったボクも、そう遠くなく還暦を迎える。
20年の歳月だ。
石の上にも3年だとか、桃栗3年だとか、そんな時間じゃなかった。
モンゴルのラリーも過渡期を迎えているという意見もあるが、どこからどこへ、または何から何への過渡なのかなあ?と思う。

リスクの総量を減らせという。
完璧なサポート、乗り心地の良いオフィシャルカーやメカニックのクルマ。ランクル200とかに、なんていう話もある。それに参加者の数十人分のコストを裂いてもいいのだろうか?

もっと・・・したら、もっと×××したら、という議論はうちにも外にもある。
この20年、町は発展したがモンゴルの大自然は何も変わっていない。やがて変わっていくかもしれないが、その変わりようは人間的なスパンではない数千年単位で緩やかに変わるのみだ。
人の心はどうだろうか。
数千年単位でこのモンゴル高原で暮らした人々は、この20年で急速に変化していった。ランクル70に驚いた子供たちはもういない。写真を撮ってほしいとせがんでいた遊牧民たちは、みなiPhoneでこちらを撮っている、iPadさえ普及している。
沙漠の真ん中に大きな携帯用のアンテナが建っている。
ほとんどのビバークでも携帯がつながる。良し悪しなんか言っているヒマはないのだ。

変わることは何においても大切だと思っているし言い続けた。変わらないものはない。変わらないものはないという事のみが唯一変わらない理論だ、とも言ってきた。だから「さあ、変わろう」という事はしなかった。

「変化」にさらされているのは、世のすべての事象の事だ。モンゴルのラリーがどうのというレベルではないのだが。

さあラリーモンゴルは、どう変わるのか?変わらないのか?さらに進化するのか?深化するのか?その真価?が問われはじめていると言っていい。
ただ、楽チンとラグジュアリーを求める者は来ないほうが良い。大自然の懐は思いのほか居心地がいいが、常に手厳しい。過酷だと言っていい。そんなプリミティヴで、油断のないクリティカルな世界に身を置くことに力をみなぎらせることのできる者たちのためには、常に全開で門戸が開かれているのだ。

これがボクの出したラリーモンゴリア、20年の決断だ。
さあ、みんなで議論をしよう。
ということで、SSER Conference 2013を計画中!!3月頃開催予定。

きょうの一枚

70、SSERには、それはもう何台もの70が活躍していたのですが、どの一台もこだわって丁寧に作り初期のモンゴルの運営に供されていました。しかし次々とフレームを折って退役。これはもうオフィシャルの飛ばし過ぎがすべてです。。いま70復活の機運

2013/02/13 (水曜日)

「いやあ、もうTBIモード満開。」

四国路はもう早い春。
菜の花は競って咲いています。
双海のシーサイドラインを通って、片手に青い海を見ながら片手に菜の花の土手。
そして海が目の前に見えるので有名な下灘駅。
長浜、大洲とまったく違う時間が進んでいるような土地には、いつもの春が訪れていました。

光る海、美しい半島。
思わず鯛めしを食べることに。
この土地の鯛めしは、少し変わっていて
漁師飯がはじまりの「ひゅうがめし」と言います。
おなじように「さつまめし」というのもあって、灘の向こうの薩摩や日向の名前を使った郷土料理。その二つに共通しているのは飯にぶっかけて食べるという行為。
漁師たちが甲板の上で食べたのでしょうか?

その「ひゅうがめし」こと鯛めしのレシピを。

まず炊き立ての白いご飯。
ぷりぷりの鯛の刺身。6キレから7キレ。
土佐ジローの卵の黄身だけ。こんもりとしていて、うまそー。
それに薬味いろいろ。
そして別の碗に刺身卵の黄身、この土地に伝わる甘口の醤油をよく混ぜます。それをご飯にぶっかけてあとは薬味(まあ、ねぎとかミョウガとかゴマに刻みのり)これが旨くないはずはありません。

今回のビバークで注文しようかなあ?と思うのですがいかがですか?
ああ、おなかが減ってきたので本日はこのあたりで。

2013/02/12 (火曜日)

「四国と九州。ディレクターはロケーションサービス」

かつてTBIの時に見つけたこんな風景(きょうの一枚)これは山の中にある神社にかかる木橋。ボクがここを初めて見たのが1989年です。そのあと数年間はここを積極的に通りました。ほんとうに不思議な場所にあるのです。どちらかというと・・・
山々の峰筋のようなところ、数件の古民家。全く異空間でした。長いハードな林道で急な山道を抜けたところにあります。数軒の民家も小高い丘の上に立っているようで山里にはない不思議な広々とした爽やかな空間が広がっています。葉タバコの生産に向いているのでしょう集落ではタバコが植えられていて、それはもう4半世紀前と全く寸分も違わない風景を作っています。
名前は弓削神社。いわれは省きます。

今では観光ガイドなどにも掲載されてしまい、マディソン郡の橋に端を発した屋根付き橋ブームでなにかと来場客も、よくこんなところにまで。と思うばかりです。
いやなにが言いたいかというと、別にこれまでなかったモノを発見したと言っているのではありません。天候と時間と風景を司りながら?TBIのコースディレクターは、丁寧にルートを構成していきます。
ですから、まあ「毎年同じルートでも・・・」という意見もたまにはあるのですが、二度とない風景、それは時間と天候と様々なものが生み出す希少なもので、それを感じる旅がTBIだったらいいなあ、とそう考えるわけです。

この25年間、バイクの性能も飛躍的に向上して壊れなくなり且つ、ライダーに対して少しでも疲れないようにする機能も充実しているわけです。ナビの腕さえ手に入れれば、過去には「困難な旅」だったTBIも比較的に参加しやすいものになったと思います。

さてこのGWのTBIは大阪から南九州と四国を巡ります。
参加表明がまだの方はお急ぎください。とても素晴らしい風景のシークエンスを提案してまいります。

◆2013年2月20日(水曜日)は第2次プレエントリーの締切日です。
エントリーご希望の方は、お急ぎください。[概要]

◆4×4 エキスペリエンス部門の募集がスタートしました。貴重で得がたい冒険旅行が
楽しめるはずです。[概要]

2013/02/08 (金曜日)

「ガストン・ライエ」

1987年暮れ。どんよりとしたパリの冬空。シャルル・ド・ゴールにほど近いガストンのガレージに向かってルノーエスパスを走らせた。
ボクタチのチームの4人のMOTO用のウエアをイギリスのAPICO社に協賛を受けていてサイズを送ってあった。
受け取りはガストン・ライエのガレージで12月〇日。そんな話だった。

なにかパリダカに向かうボクたちがパリダカの英雄ガストン・ライエのオフィスでガストンと同じように誂えられたウエアを受け取るというのは、まさに狂喜すべきことだった。幸先が良いと言ってもいい。

かたや赤と白のマルボロカラーに塗られた、まさに神々しいまでのウエア。こちらは、そう言えばもっとしっかりデザインしておくべきだったと反省するようなものではあったが、それはそれで輝いて見えた。
そんな時代だった。

高校生の頃にサインをもらってから15年。その間にガストンはMX125の世界チャンピオンに上り詰め、そして左手を手首から切断するという事故でMXを離れたものの「ちぎれた手首を持って走ってって、くっつけてもらった」と笑いながら語り2年後にはパリダカールに現れて、2連勝を収める。

ボクをパリダカに掻き立てたのは、テネレを走るマルボロカラーのガストンの乗るBMWだった。
1988年のパリダカ。アルジェリアのハッシメサッドからタマンラセットへの1000Kmのステージ。夜明け前なのだが風景が分からないのがつらいなあと思うばかりの漆黒の闇が重たいばかりだった。遠くに見える明りに近づくまでもずいぶんと時間がかかる。そこにはパリダカの盟主ガストンの姿があった。すぐわきに停められたカミオンから明かりを取って、どう見てもエンジンが降ろされていた。
「見るな」
たぶんそう言ったんだろう。近づいたボクに早く行け、というようなしぐさを見せた。

それから幾度、彼と待ち合わせをしただろう。ソウルで、関空で、ホテルのロビーで。時にはパリの空港で。迎えに来てもらっていたり、迎えに行ったり。
ゴビで負傷したガストンは「山田にヘリで迎えに来てくれ」と泣いているから早く行ってやってくれ。と無線が入った。
子供のようで、誤解を恐れずに言うと可愛くてたまらなかった。

そんなふうにガストンは、どんな時も屈託のない笑顔で会った。
けがをして「イタイイタイ」
と言っている時も笑顔で、二人でいつも底抜けに笑った。

モンゴルで2回、芦別で1回、負傷しているガストンを運んだ。
饒舌で、詫びているようで、それでも悔しそうだけど楽しそうだった。
彼の人生は、あまたの勝利に飾られていたが、一方では少なくない失意にもまみれていた。
晩年の彼の見せた優しさと、笑顔とそれでも時折見せる寂しそうな横顔を思い出すほどにボクは偉大でかけがえのない友人を失ったという喪失感に襲われて仕方がない。

あれからの歳月は、いくら経っても濃密になることはあってもそれへの想いが希薄になることはないのだ。

2013/02/06 (火月曜日)

「BMWとMax FritzとOfficial Wearのおはなし。」

2月の冷たい雨が、歩道を濡らしている。北のほうでは大雪だという。
ボクは、こんなだというのに大きく重たいバイクを引っ張り出してやろうかと考えている。

で、どこへ行こう。何を着よう。

少しダイエットしたせいで、古い重たい革ジャンやMax FritzのライディングジャケットやいくつかあるBelstaffも着れそうだ。
そう考えてるうちに電話がかかってアポが入り始めるのだ。

「何を着ようか」なにかこの言葉がボクの今迄を象徴している。
別にオシャレだとは思わないけど、良いものを少しずつ欲しいと思うのは、モノの食べ方にも似ている。
ところが最近こうした行動の結末として困ったことが起きている。

これまでのバイク遍歴とウエアの類が、いまの手持ちのバイクやウエアの関係に齟齬をきたし始めているのだ。

むかしはBMWにBMWのウエアを着て乗るのは、愚の骨頂だと思っていた時期もあるがいつのまにかBMW謹製のウエアが、それ以外にやや優勢だったわずかな時期に、買いためてしまった。

特にここ数年、バイクメーカーのアパレル開発が熱心で、多くはイタリアンデザインで悪くないのだ。だから大きなロゴ入りのウエアをバイクを買うときに買ったり。または時々行くバイク屋で付き合いの延長で買う。
これは一種の囲い込みマーケティングでもあり、バイクを購入する谷間のショップ(というかディーラー)の販促とか売上積み増しの手段だったろう。まあ一石二鳥を狙ったもので少なくない成功を見せていた。

メーカー違いのウエアで大きなロゴでも入った日には、ほかのバイクには乗りにくい。
つまりウエアのコレクションが成立したらが、違うメーカーのバイクの触手が伸びたときの抑止力としての侮りがたい効果がある。

それでも、たまにMagni(いまはない)にBMWのジャケットで乗ったりすると、やっぱり気持ちが悪いし恥ずかしい。
ハーレーのウエアを衝動買いしたこともあったが1度も着ることなく、どこかへ行った。
Triumphのロゴ入りの革ジャンが欲しくて眺めているのだが、バイクがないのに買ってどうなるんだろうと思うし、やっぱこんな悩みは幸せなのだろうか。

でBMW乗りのそんな悩みを解消させるのは、知る人にはBMWとの相性の良さを感じさせながら、まあメーカーを選ばないのならMax Fritzがよろしい。
そんなこんなで今年からOfficial Wearに採用させていただいた。
このウエアの主張に負けないように、良い大人のみんなで着てやろうと思う。

きょうの一枚

なんとなくBMW スクランブラー仕立ての80?こんなのが1台あれば日曜日の朝は幸せ。

2013/02/04 (月曜日)

「メイド・イン・ジャパン」

NHKで3週連続でやってるドラマだ。演出も脚本も臭くてどうしようもない感じはあるものの。本質は突いている。
タクミという総合家電メーカーがシャープにもパナソニックにもSONYにも見える。
唐沢演じる矢作再生戦略室長に民事再生法の申請を提言する部下。もうすべてが海外で生産されているのに何がメイド・イン・ジャパンですか?!と詰め寄る。
ボクはきっと唐沢は胸に手をやって「心だよ」というだろうと思った、その瞬間、あにはからんや胸に手を当てて「心だよ。」と言った。

奇しくも符合したわけだが、昨晩はBS1でグローバリズム経済を云々という特番が組まれていた。こちらは構成に??がありはしたもののNHKが(この得体のしれない魔物に)取り組む姿勢を鮮明にしているところは評価ができる。
グローバリズムと、置き去りにされるローカル。
良いではないかと思っている。

ボクは実は数年前にとある銀行のオファーで「メイド・イン愛媛」という、まあ農水商工業者と東京など大手の商社や百貨店などのバイヤーとのビジネスマッチングの総合プロデューサーを何年か務めた。
難しいのである。
なぜなら「天は自らたすくる者をたすく」のであるから。
それでも「心はある」が不器用な人たちに光を当てようとしても「なんとなく心が少し足りない」のだ。声が大きい人から心が足りない。そんな人から順番に物事が進む。助成金申請などの上手い人から順に心が足りない。
心ある人には、なかなか補助や助成は回ってくる気配はない。
儲けたい人と、心ある人には似て異なる心の動きがある。
ああ。。

ボクは20世紀の末に、仕事を精力的にした。21世紀はその思いを胸にはしたもののラリーなど「天命と信じられる」ものに捧げた。

そのころ思ったし言い放ち続けた。
賃金が安いことで差益が出て利益が上がるという行為は、まず続かないし低俗だ、と。
日本企業は東アジアを漂流している。チャイナリスク、チャイナプラスワン。やっぱりミャンマーだとか。帰ってくればいいと思う。

もっと書きたいし言いたいけど、このくらいにしておこうと思う。

きょうの一枚

今日はこれを読もう。

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Organisation Voice 2013/1

2013/01/31 (木曜日)

「SSER ダッフルバッグ物語」

ラリーモンゴリアが近づくと参加者にSSERからダッフルバッグが送られて来ることは知られていますよね。
実はこのバッグにはいろいろな物語があるのです。そもそも誕生した経緯もお話しないといけません。それにこのバッグ、いまから注文して縫製しなければ間に合わないので最終の参加者数もわからないうちからデザインして発注することになるのです。しかも素材は、例えば今回の青色としますか、これを1巻たぶん100mを仕入れて裁断して縫製するのですが、この経済ロットが問題なのです。

毎年、色を変えてコーディネイトを愉しむのもボクの楽しい作業で、その時代時代のトレンド(自分の)や気分が反映されています。
1998年パリダカ、地中海を渡るフェリー乗り場。日本人のエントラントが沢山並んでいました。その手には、なんとみなさんモンゴルの10kgバッグが・・・・・
「ちょうどいいんだよね。」
と。

またあるときはとあるSA。「おっ1200GSが・・・」テールには見覚えのあるSSERの10kgバッグ。しばらくライダーが帰ってくるのを待っていると、全く知らない人。その方もこちらに一瞥をくれると、さっと跨るや走り出してしまいました。

このバッグは、1995年の第1回大会にはなかったものです。第1回大会の混乱は、参加者のバッグがビバークに届かないことでした。無理もありません、この大会はワンウエイで1日の行程は少ない日でも500kmを越えていました。

そこで2回大会からは、ヘリ1機を貨物輸送に振りわけることとしました。そこに預かれるバッグはせいぜい600kgまで。60人のライダーから預かるとすれば一人10kgに限定されます。
そこで、パンパンに詰め込んでも10kgになるサイズはどのサイズか?一人用のテントとシュラフとを入れられるギリギリのサイズは?

いくつものバッグを購入してきては、テストをして決めたのが、この10kgバッグ。いまでは2種類のサイズを作るのですが、今年は10kg20kg、果たしてどのような使い方をしようと考えているかはお楽しみに。

2013/01/29 (火曜日)

「ロードマップとSSER オフィシャルウエア」

政治用語やマーケティング用語にもなりつつある「ロードマップ」
検索してみると・・・
「ロードマップとは、企業が将来リリースを予定している製品をまとめた図表のこと。時系列で各製品の世代的な前後関係が分かりやすく記載されている。

もちろんロードマップに記載されている内容は予定にすぎないため、企業戦略の変化に応じてロードマップも随時改訂される。ロードマップは将来の業界動向を知る貴重な資料であるため、特に専門家や投資家にとってはロードマップは欠かせないものである。」
とある。
「???」
そうなんだ。
でも残念ながら本来の意味は違う。

おやひょっとしてRoad mapじゃなくてLoad mapなのかと調べてみても、どうも判然としない。結論としてボクは「そういう使い方をやめてもらいたい」のであります。

ロードマップとは頭文字がRであろうとLであろうと・・・

まあ話は変わりますがSSERのオフィシャルウエアの感度向上委員会。ただいま試作モデルが完成しました。MaxFritz製です。リバーシブルのインナーと、ちょっとマウンテンパーカのようなジャケットの組み合わせ。素材も色もばっちり。ジャケットはエア抜きもついて、しかも革づかい。

サイズはボクが52.その下のLが50、Mが48.Sが46の4サイズ構成です。
左袖に写真の刺繍。SSERのロゴはマジックテープ仕様にして取り外しができるものにする予定です。

2013/01/25 (金曜日)

「寒い中にも、ちょいと春の温かさを感じたらTBI」

今朝がたはあたたかな四国にも雪が舞っていました。雪がやむと次は日差しが。気温は低いのでしょうが、なにかしら暖かな気配を感じています。そしてなにか不思議なことに、それも急に「バイクに乗りたいなあ」とふつふつと。
忙しいから乗れない、なんて言うような言い訳もないし。まあ足腰が痛くて乗れないというのや、すっかり悪くなった目も問題で・・・とかなぜだか乗らない言い訳ばかりを枚挙しているわけでした。

でも物心ついた時から乗っているバイク。あの時代、それに乗ったとたんに翼が生えたようになって身も心も、どこへでも飛んで行ける、その自由。

ああバイクの乗ろう。もう一度走り出そう。
本当にそう感じて、空を見上げている今朝でした。

そして間もなく出来上がる試走用のランクル70で、TBIの試走がはじまります。
大阪から九州そして四国へと、フェリーを乗り継ぎ山々を越えて。まるでバイクに乗り始めてどこへでも飛んでいけるような気持になったあの時のまま。
名前も知らない峠を越えたときに見える次の風景のために、山道を走る時のように。

さあ今年のTBIは見逃せません。マシンまで作って気合の入っているSSERをお楽しみにね。

スーパーTBI プレエントリー受付中!!
2013年2月20日 プレエントリー第2次受付締切、サポートカー登録締切
http://www.sser.org/tbi/

きょうの一枚

TBIの旅の途中で良くいただくのがこうした岩魚、、四国ではアマゴとかアメノウオとか、九州ではエノハとかああここらあたりはカオルさんが一過言持っているので、九州パートで聞いてください。コース制作者の皆さん、1日3つは名物料理の店をいれてね。ボクも行くぞっと。

2013/01/23 (水曜日)

「SSER Official Rec. Model 間もなく完成だ、ふふふ。」

懸案のコマ地図の精度。その問題解決に乗り出したボク。
回答は「四国と九州と北海道を、1つのマシン、1つのテラトリップ、1つのタイヤで同じ空気圧で同じ補正値で測る。」ということ。

あとは制作者のコンセントレーションと血液型に委ねるしかない!
と「オフィシャルコース制作車」を製作中。
といってもマシンは94年製のランクル77で走行距離はもちン十万キロ。モンゴルも数年間走っている。したがって制作というよりも臓器移植手術をしているようなものだ。

ブレーキやブレーキホース、ウォーターポンプなどを取り換えクラッチ系統や足回りの交換。最大のボクの悩みのシートはレカロに替わる。へへんだ。
ステアリングも「次のパリダカ用」と随分前に買っていたバックスキンのちょっとボクの宝物のようなやつをつけることにした。

計測用のテラトリップはツインセット(ゴーカ!)。さらにGPSナビ(ワンセグ付きだよ)、さらにGPS付きのドライブレコーダー(悪口も録音されるよ)が付くという豪華さだ。思わずモンゴルのより充実してないか?ということに。

これでコマ地図が間違っていたらあとはコースディレクターの責任!だと言ってね。

それにしても、ふっと思うところあって「SSERって、これまでいったい何台のランクルが棲息したの?」かを検証してみようと思う。

まずボクが85年から乗ってたのマイカーが60×1、30万キロ。。主にTBIなど創成期のコース制作車。88年パリダカのサポートカー用に60×1。90年パリダカ用に×1。

70に関して言えば、88年パリダカ用×1、94年にモンゴル用のオフィシャルカーとして×6購入。1998年パリダカ用にテスト部品どり含め×2購入。現在1台残存。その1台が今回のものに。

さらに80。91年パリダカ×2、92年パリルカップ×2、92年パリ北京×3・・占めてランクル合計は60×3、70×9、80×7・・・計19台。うーんわれながら
「なんという・・・」

んでランクル100以降は「乗ったこともない!」のでありました。
「100買うならレンジ」ってレンジローバーに乗ったりしていました。

このほかにもパトロールやテラノなんかをカウントしたらものすごいことに。それに最長不倒のプロシードも主力戦闘機として健在。これもすごい話だけど。
それにしてもすべてが20万キロ以上というのは、いったいどれほど走っているのかね。

きょうの一枚

1998年パリダカ仕様のランクル77ボク史上最高の出来。カーボンで半分くらいボディが出来ている。で早いし素晴らしかった。けどアフリカ1日目に穴に落ちてリタイア。がっくし。長谷見さんに「ブリーフィングでいつも言っていることと違うじゃない」ってからかわれた。マコトニソノトオリデス。

2枚目は今回の70に着ける予定のゼッケン案。いかがですか?

2013/01/21 (月曜日)

「ダカール・ゴール!からみる普遍性」

ダカールがゴールしたのはもうみなさんご存じのとおり。
少し前までは「やっているの?」「どうなった?」と良く聞かれたものですが
いまではSNSのおかげで非常に良く認知されている。
たとえばTeam SUGAWARAの活躍も、お伝えするまでもなくみんなご存じ。
そしてクラス4連覇。FBには「おめでとう」のメッセージが連なる。
恥ずかしながらボクも書いた。

そして考えた。Team SUGAWARAこの安定感はただ事ではありません。
1号車はテストを兼ねて将来の闘いを見えているのが興味深い。
モアパワーを目指すのは両刃の剣。それを菅原さんがドライブして
トラブルを出しながら乗り越えていく。
それはあたかもDNAを将来につなぐ作業のようにも見える。
そして安定的で実績のあるマシンをテルヒトがドライブその2号車が優勝を狙う。
実は1号車も1-2の2を狙うのだが、今回は序盤のオーバーヒートに悩まされたのだ。
電子的なマネジメントが進むエンジンは、エンジニアの想定とラリーの現場では
かなりの隔たりがある。
いま安定している2号車も数年前にはラリーモンゴリアで、
いくつかのトラブルに追われていた。オーバーヒートにも悩まされてたろう。

そう考えてみると、多くのことはトライアンドエラー、開発とテストの繰り返しが求められる。
実はモータースポーツは、その開発のプロセスとして発展した側面がある。
人が扱う、人が運転する以上、いくらコンピューターで解析してもわからない世界がまだあるのだという事を知らなければならない。

もうマーケットは「どこそこのラリーで優勝したから」という理由でクルマがバカバカ売れたりはしなくなったろうと思う。少しはあるかもだけど。

情報が多い時代なので、単に勝ったというだけでなく、そこに伝説や神話や、
まあいうところの物語が必要になってくる。
HINOは、そんなかけがえのない物語やレジェンドを、思いがけず手に入れていて、
じつはその「はかりしれない大きさ」に気が付き始めているとみている。
変わらないのではなくて、変わり続けていくという事が変わらないという事実。
つまりTeam SUGAWARAは変わらないのではなく変わり続け、
永遠の再生産の体制を構築しているのだ。

2013/01/17 (木曜日)

「ラリーモンゴリア。FBはじめます。」

ダカールも佳境。あちらも悪天候などや自然の猛威にさらされています。でもビバークの映像など見ていると町の中だし、SSのデューンの周りも観戦客たくさん。ラリーの問題点だったひとつ「いかに観客に見てもらうか?」という点では、かなり高ポイント。

モンゴルでは、ああはいかないでしょうね。そんなこんなで今日からモンゴルのFB(フェイスブック)を始めます。もう少し世界の人に丁寧にお伝えするには、まあ今考えられる最適な方法なのですね。皆さんのご参加もお待ちいたしております。
そしてモンゴルにも多くの皆様の声をお寄せいただいて、より良いイベントに育てて行こうと思います。

PS:アルジェリアでイスラム原理組織による誘拐事件が。マリの北部にはフランス軍が空爆して地上作戦も進行中のよう。政府の間違いのない対応に期待するばかりです。そして人質の無事の開放を祈ってやみません。
あの美しいアルジェリアに、誰でも安全にサハラ横断とかテネレとかに行けるようになる日を心待ちにしています。「とにかく平和を」手に入れなければなりません。

RallyMongolia のFBページはこちら

きょうの一枚

恐竜の谷を出るボルドバートル。今回のダカールでの活躍が期待されたもののマシントラブルでリタイア。そこまでも思うようにレース運びが出来ていなかったかもしれない。なかなかレースは上手くいかない。またそれを彼は良く知っているはず。まだ若くチャンスはたくさんある。

2013/01/12 (土曜日)

「はるかなりタクラマカン」

今週になって、タクラマカンを共に旅した二人のライダーがそれぞれ別々だけどバイクを引き取りに来た。ジムニーとサイドカーはまだ「暖かくなってから・・・」らいしいけど。
そして決まって近くの中華料理屋に行く。すると、中国奥地の日々が舌の先から蘇るのだ。ここ数年は奥地といっても豪華なホテルが続々とできて、味も北京並みとはいかないまでもかなり向上した。辺境の地で辺境の味に出会うことはもう少なくなったのかもしれない。

そしてそこで必ず話に出るのが「次の旅はどうするか?」というところだ。
地球上には行ってみたいところがわんさかとある。
行かなきゃならないというくらいに思っているところも、いくつかある。
さらにモンゴルの奥地などは、もう通い続けるしかないような場所もある。こうした目的地をいつも持ち続けられるというのが幸せなのだろうなあ、なんてぼんやり考える。
「あなたには、目的地がありますか」
誰かそう聞いてくれないかなあ、とも思う。

話は翻って日本は安倍政権。どうも目的地は7月の参院選。それまでは景気浮揚策を徹底的に行うという。2%のインフレターゲット、通貨供給を激増させる量的緩和。
目的地が近すぎるというか短すぎるきらいがある。
安定過半数を両院で占めて安定政権で、なにをやるのか。

市場に大量の円が流れ込んでも、果たしてその行く先はあるのだろうか。両院に大量の自民党議員が流れ込んで、果たして正しく議論はされるのだろうか?いずれも心配です。
とまあ心配していても何も始まらないので、ぼくはぼくの道を今年はいつも以上に力を込めて突き進むのではあります。

はるかなタクラマカンを旅をして来れば、考えることもまた増えるというものですが、何も情報の無かったあの旅の最中がいかに充実していたかと考えさせられるのもまた事実です。

きょうの一枚

トルファンといえば干しブドウ。そのほかにもたくさんのドライフルーツが積まれるバザールは圧巻でござーる。

2013/01/08 (火曜日)

「なぜか、イスタンブール」

オリンピックの招致をイスタンブールと東京が競っているそうな。マドリッドも手を上げている。
うーん、イスタンブールもマドリッドも好きだなあ。
個人的好みのみでいえば、今回はイスタンブールだ。
もちろん日本人としてはTOKYOで再び、という気分もある。
しかしだ。ライバルの都市が魅力的すぎる。

007 SKYFALLもイスタンブールから始まったし、CMでも最近よく見かける。パリのモード界もなにかあるとオリエンタルエクスプレスでイスタンブールに向かうし。あのシャネルのショートムービーも秀逸だった。イスタンブールで男と女が再開する。ボスポラス海峡を渡るフェリーで女はLEICAで撮影をしていたりしていた。

それにしてもこのイスタンブール。。。ヨーロッパから見るイスラム社会の窓口として、この街の存在感は特異だ。坂が多く、猫だらけで、真っ赤なトルコの国旗で埋め尽くされている。怪しくて不潔で混沌としていて、でも居心地がよさそうで。。悪そうで悲しそうでここらの裏町あたりに住んでいたらいいだろうなあ、なんて思う。

イスタンブールで開催となれば、初のイスラム圏での開催だという。そうか。

そおういえば、友人の赤松カメラマンもこのあたりを訪れて「ビザンチン美術の旅」なんて写真集を上梓している(今日の1枚の2)それにシルクロードに執着していたボクもイスタンブールまで北京からクルマやバイクで出かけてみた。

ウクライナのオデッサからは5つの国を一晩で駆け抜けた!なんていう武勇伝も自慢なのだ。ウクライナ-モルドバ-ルーマニア-ブルガリア-トルコ。ウクライナのオデッサを出発したのはお昼、そして朝にはトルコに着いていた。諜報部員のような旅だ。

ボクの「行ってみたい最後の3つの美術館!」の最後はここのトプカプ宮殿美術館。。あのスルタンの秘宝やシルクロードに栄えた黄金伝説を、最後に確認するのはここだ。

2013/01/01 (火曜日)

明けましておめでとうございます。

今年もSSERは元気よく!邁進して参りますのでよろしくお願いいたします。

さて、2013年も、これから見る新しい夢を醸成し語り続けていきたいと思います。おりそもダカールは間もなくスタート。1995年ですからまさに18年前に初めて参加したボルドバートル君は、たしか18歳でした。
なかなか思うように走れずラリーの厳しさを経験として積み重ねていったものです。やがて走れば勝つ、というまでに成長してきました。一方でハマー君は、日本で育ったもので日本語にも長け、またビジネスのセンスもありラリーの傍らで高度に成長するモンゴルにあってその地位を築いていきました。いやそれでも何度も挫折はしたようですが。

ある年のこと、トップを走るガントルガ選手がスタート直後にトラブルを起こし、すぐ後ろにいたハマーは自分のパーツを外しガントルガの総合優勝を支えるというようなことをします。何もチームオーダーがあるわけでもないのですが。

こうした若者たちも実は選手としてはピークの年齢を過ぎ初めています。いま勇気を出してダカールに挑むのは、大変素晴らしいことだし。僕達にとっても大変誇らしいことです。
ライセンスの取得にはおそらく大変な苦労をしたでしよう。
かつて20年前にパリダカに行くライダーたちも同じように苦労をしていましたが・・・
いずれ、彼らの活躍のリザルトが届くのをただただ今年1年の占いのように、楽しみに見続けていきたいものです。

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Organisation Voice 2003/01

2003/01/29 (水曜日)  

ツールドニッポンの試走は、南九州ステージでのことである。鹿児島県を走っていて驚くことがあった。特に鹿児島から宮崎への県境にかけてだ。それは、どの家も、生垣が素晴らしいのだ。今度参加される方はぜひ注目していただきたい。緑も豊富で、家々は、まるで競い合うかのように、生垣と庭の木々を美しく大きく育てている。本当に感動的な暮らし振りであり、風景なのである。それにだいいちコンクリートブロックの塀の家が少ない。岩手などの風景もそういえばこんな感じだったか、でもこの南九州ではまた趣が違う。こんな日本を代表する風景が、日本じゃないみたいなのだ。ナゼそう思ったかというと、その営々と続く暮らしと家との関係が、おそらく今の日本では希薄になってしまったからだろうと思う。ハウスメーカーが洗練された住宅をどんどん作ったからだろうか。いや、家の責任ではない。おそらく環境への見えない、気付かない配慮の有無なんではないか。
時代のトレンドとして、口々にエコを語るのは容易だが、どんな暮らし振りをしてれば、それを語る資格があるんだろうか。逆にそんな暮らしをしてる人は、それを語らない。ブロック塀と生垣の違い、内に向かって暮らす孤立した思想と、外に向けて暮らす共生の思想との違いではないのか。つまり、遮断するものと、緩やかに受け入れるものの違いとも言える。おそらく、ブロック塀の内側は湿気が高くて困ってるはずだ。日本の銀行は、きっとブロック塀のようだろう。いや政治も行政も少なからずそうなってしまった。改革は、案外身近なところにあるのかも。

2003/01/28 (火曜日) 
 

最近は自転車にハマってる。誰かに「バイクの話ですけど」といわれると、てっきり自転車の話だと思うくらいのはまりようなのである。通勤は完全に自転車!これからはなんと言ってもエコの時代!ゼロエミッション!なのですよ。そんなある日MTBのタイヤは抵抗が大きいと、スリックにはき替えたら、あらあら、よく走るではないですか。デモ見てくれが、やっぱおかしい。こうなれば、通勤快速のクロスバイクを作ろう!と心に決めているので、制作をはじめたらデキニチHP上に、「僕の通勤快速制作日記」のコーナーを作る!と言って顰蹙を買っているんです。たぶんコンプリートで買うほうが安くて完璧だからなのである。そこを、すべてのパーツをネットオークションで手に入れて、完成重量8kgを目標に!作る!と言ってるんですね。「やれ!やれ!」という人は応援メールをください。世論の後押しがないとコーナーが誕生しないんであります。

2003/01/24 (金曜日) 

東京は恵比寿にある日本レーシングマネジメントの隣に、実は有名な椅子屋さんがあるのである。そこには、イームズチェアが並んでいて、イスフェチの僕は、衝動買いを避けるために、あまり覗かないようにしている。というか何がどのくらいの値段で並んでいるかは、見なくてもわかるんである。菅原さんから「隣の椅子屋のイスはすごいんだって」と聞かされても「へーそうなんですかっ」って気のない返事をすることにしてる。そこにはそう、レイ・イームズなんかが並んでる。こうしたインテリアデザインの業界から発した?ミッド・センチュリーというコトバの、イメージが強いひとしきりの流れは、気にならなくはない。特にデザインをナリワイとする者には避けて通れなかった 20世紀の美が、エラソーにデモさりげなくメッセージを発しているのである、ミセサキに。古きよき時代のデザインを懐かしむ声は、あらゆるプロダクツを時代錯誤にしてしまった。でもこれは近未来素材や近未来デザインに一気に突き進む前の、菅原さんの言葉を借りればレコンキスタのようなもので、ささやかなアンチテーゼのかわいい流れ、なんであろう。そのうちこのトレンドは消滅してしまうかも。と言うのは、何が言いたかったかというと、これからはミッドセンチュリーならぬミッドエイジの時代だということ。パリダカを見て御覧なさいよ、30歳台なんて初心者クラスみたいなもので、右京さんがようやく40歳、若大将?増岡42歳!つづく尾上さんは 56歳?浅賀さんももう60歳寸前!モチ菅原さんは61歳と、多分コマ地図を作ってる人たちは「もっと字を大きくしなきゃあいかん!」とかやってるんでしょう、きっと。
もう若い世代には、力がなくなってきて、新しいデザインを作るのもマーケットを牽引するのも、50台の仕事になって来るんだと思う。さてと、SSERのオフィシャルたちも随分年を取ったもんだと思っていたら、パリダカやってる人たちの平均年齢に比べたら「まだまだ若造じゃないですか」ってことで、いつまでも若く元気なSSERが、行くんですねえ。
きょうの一枚
イスフェチなうちの事務所。

2003/01/23 (木曜日) 

中国へ行くと、空港のイミグレーションでいつも不愉快な気分になる人は多いだろう。パスポートの写真と人の顔を見比べるときの、あの人を侮蔑したような目つき。最後にはパスポートを、投げつけて返される、あああの気分の悪さ。「来るんじゃなかったよ」全く。日ごろの生活の中で、あれほど嫌な気分になることはない。もうあの中国のイミグレーションが嫌で海外旅行に行きたくなくなるって気分なのだ。で、日本に帰ってくるとどうだ。きりっとした入管の職員の顔つきと素早い対応。さすが先進国日本!「さすがだなあ」と思ってたら。アジア系の外国人に対してる様子は、どうも中国のそれとあまり変わらない。というのも何度かモンゴルから友人をつれて帰るたびに、彼らが「不法入国を目的としている」という原則で見られているのだと思う。 1度は入国を拒否されそのまま送り返されたり、またあるときは、相当待ってやっとこさ入国できるんだが、本人は結構傷ついている。来年度の予算で 30億円かけてアジアなどの周辺諸国から、日本に観光に来てもらうための調査宣伝活動をしようとか言ってる。ビザも要らなくするとか?まさかまさか!なのである。日本は入国することが厳しい世界有数の国なんだなあと僕は思う。ヨーロッパに行くと事情は異なる。これもECの戦略なのかと思うくらい国境が分からなくなってきてる。そんなヨーロッパに今年はバイクツーリングだい!アッとモンゴルもだけど。さあ、今年は行くよん。
きょうの一枚
今日は、フランスの夕景?かなっ。

2003/01/21 (火曜日) 
 

パリダカも無事ゴール!終わってみれば増岡の 2連勝!モトでは三橋選手が後半のトラブルで勝負ができなかったものの、安定した力を発揮。カミオンのチームスガワラも、きっちり上位完走。本当に各部門で日本人が、活躍しています。なんか不景気風を吹き飛ばすいいニュースです。バブルのころより全体的に日本人の成績がいいのはなぜか、なんて考えてるのは僕だけでしょうか。それは、フランスの国技とも言うべきラリーレイドにおいて、日本人がブームやムードで惑わされずに、本質的な部分で勝負ができる、いわゆる成熟した文化環境を得たからじゃないのかと、そう思います。それは情熱を絶やさずもちつづける、何人かの男たちの手によって成し遂げられています。
さて今大会で、僕が注目したのは、アリ・バタネンとデルーイ。どちらも80年代後半のパリダカール黄金期を飾った男たちです。

バタネンは「ニッサンのピックアップの夢を育むお手伝い」なんてコメントを発したり、篠塚さんの事故現場に何時間もとどまっていたなどという報道を見るにつけ、感動してました。またデルーイは22歳?の息子と 2台のカミオンで参加!昨年14年ぶりの、苦戦のカムバックを目撃した僕としては、息子の快進撃に大拍手を送っていました。その息子は総合優勝を手中に走る後半戦で、クラッシュ。その息子を父デルーイが牽引して帰ってきたという報道にも胸を詰まらせました。それも 1988年10回大会、僕はデルーイの2号車のあの悲劇的な事故を目撃。キースという男を失って、アリットのビバークから悲嘆のうちに撤退。そしてパリダカから姿を消した男が、息子に 2号車のハンドルを握らせるとは。そしてその息子はというと、あのカマズと堂々と渡り合う!結果はともかくも、クラッシュした現場に駆けつけてそれを牽引して帰る父親の心情。因縁がゆえに、心を打たれた今大会の出来事でした。
さて、お話は変わりますが、SSER主催のキャンプ大会情報!2月1日に2003年の第1回大会が決行!予定。雪洞だかイグルーだかを作るそうです。というコトは標高も高く参加も困難なところのようです。参加希望者は、メールで!ルートと場所はメールでお返しします。自由参加!でも参加賞を用意します!参加無料!飲み物と食糧はご用意ください。遭難にご注意!!
あっと、ヨーロッパ!モンゴル!ツアーのパンフレットはもう一息!お待ちください。そして、TDN。あと今の僕の目標!「彼方へ」をきちんと書くこと。じゃあまた。

2003/01/14 (火曜日) 

3連休を通して南九州ステージの試走。今年のツールドニッポンは半端じゃありません。奄美ステージではダート比率37.19 パーセントの98.67kmでしょ。2日目の鹿児島ステージはダート70.46km、美しい桜島も圧巻!この2日間で既にダート169.13km!!亜熱帯の深い森をつなぐ林道群はこれだけ走っただけでもため息ものです。昨年のダートがスクナーイ!とお嘆きのあなた、既に2日間で昨年のダート総量を上回ってしまいました。しかもどれも超一級!美しい、ため息の出る日々ですよ、きっと。そして今日の一枚は、2日目の宿は。美しい湖にひっそりと並ぶかやぶき民家。囲炉裏端でゆっくりとしますか!?どうか2年目のツールドニッポン、まだプレエントリーを受け付けています。どうか参加をご検討ください。

2003/01/05 (土曜日) 

あああっ!忙しいっ。忙しいっ!どうしてこうも忙しいんですかねえ。3月のスーパー Nではスーパーなことを考えてやろうと、山へ繰り出しても雪!(PHOTO参照)でも 2ステージ制! SS10本の新しいシステムに向けて始動しました。それにしても誰か手伝ってくれないかねえ。HPでパリダカ見てるうちに「パジェロEVO.かっこいいなあ!1年かけて改造しようかねえコマツさん!」なんて考えたり!やっぱ快速ラリーマシンが欲しいっ!て物色をはじめたり、林道に行く楽しみを増やそうかねえと思いつつMTBの改造を計画したりと、相変わらず無軌道振りを発揮しております。ツールドニッポンもルート制作は大雪のため、全面ストップ!こんなときにヨーロッパとモンゴルを詰めよう!と思ってます。
 
きょうの一枚:スーパーNのルート制作はなんとMTB!というわけではありませんが、最近はまってるのが自転車!奄美に行くときも山に行くときもピックアップの後ろには必ず、このMTBがっ。峠から林道を下って「今度はDH用のマシンを買う!」とぴって顰蹙を買っています。

2003/01/06 (月曜日) 

明けましておめでとうございます。いよいよ新しい年2003年を迎えました。SSER  ORGANISATIONと「デキニチSSER-PRESS」本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
何かと忙しかった昨年の12月、SSERシリーズ戦の表彰はBIGTANK新年号で、そしてSSER-TOURS関連のパンフレットは1月中にお届けいたします。さてパリダカも開幕、参加する日本人選手も今では、もう少なくなりましたが、昔出てたみんなも「今度こそは」と念じているんだろうなあ、と思いながら僕は、自転車を走らせています。体力がなければ、何もできない。昔ターザン誌のコピーに「あなたのやる気を、あなたの体力が失っているのではないですか。」というのがありましたねえ。まさにそのとおり。今年の僕は、体力をつけマス。「男子たるもの三日会わざれば活目してみよ」の気分です。今や大腿部にもしなやかな筋肉が!戻ってきてるではないですか。来春はアフリカで!と初夢です。
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Organisation Voice 2012

2012/12/26 (水曜日)

「より良い2013のために。」
みなさんは、いつまでお仕事ですか?そんな会話が聞かれる今日このごろ。
SSERは仕事納めのあとは大忘年会で、まあ31日まで忙しくしています。
新年も、まあ基本は皆さんと同じくらいですが4日にはすでに何かかにかで出動している予定です。
ともかく2012年は暮れようとしています。
この数年間イベントごとに、雨などの悪天候に鍛えられ、あげくにはモンゴルで過去にないほどの仕打ちに打ちのめされて、それに(グスン)タクラマカンは当局からビザは出ない、許可は取っていてもキャンセルされるわ。。。で泣きそうになるわ・・・やっと許可が出ても11月末。。案の定、氷点下10度の旅。
「日本列島はこの冬一番の寒波!」とTVが叫んでいても、なんだそのくらいの気温で!?と思うくらい。
もうこのあとは、良くなるしかない。と思わざるを得ませんが。。。
是非はありますが、本日やっと円が85円台。大いに一息をついている企業の姿が目に浮かびます。さあ、来年ももっと頑張りますよ!
メディアの皆さんもまたメディアに踊らされるぼくもあなたも、ここはひとつ批判を少しトーンダウンさせて、自分自分のできること一生懸命やっていきましょうね。ささやかでも、何のためになるんだろう?とかじゃなくて。より良い明日のために。
きょうの一枚
「ピンクのクラウンで2013は運気上昇!?」
トヨタがクラウンを一新した。コンサバティヴとは何かを説明する時に都合の良かったクラウン。商品のヒエラルキーや戦後の消費の動向の説明に欠かせなかったクラウン。マーケティングを志した者には、少なくない思いのある商品だ。
そして、ついにクラウンは、その決められた戦後の役割のくびきからほどかれた。
いまのマーケットには3カテゴリーしか存在しないというボク。
それはシルバー、ヤンキー、オタク。
この3つのカテゴリーに同時にはまらなくてはモノは売れないのだと言う(ボクが言っているだけ)そこでクラウン!ピンクとやけに高輝度なグリル周りのメッキを見て「いるいる」と感じた人は少なくないはず。いるでしょ、あなたの周りにも。それはヤンキーのシルバー・・・何のことかわからなくなったけど、まあ勢いのある色を採用して2013年は日本代表のトヨタも輝ける年になっていただきたい。心からそう願わずにはいられません。
しかし町でこの色のクラウンをはじめてみる瞬間がやってくるのは歓喜のような恐ろしいような、いまから気をつけておかないといかん。

2012/12/20 (木曜日)

「モンゴルのプレエントリーCase:1ですよ。」
あさメールを開くとうれしいニュース
スェーデンから海外勢としてトップでエントリーフォームが届きました。
数年前からコンタクトを取っていた方でしょうか?
実はエントリーにこぎつけないまでも世界から本当に多くの方がお問い合わせをいただきます。
大きな問題はやはり輸送でしょうか?昨年からATAカルネが使えるようになったことや、
ヨーロッパからの鉄道輸送の確度も問題なくなったため、
これからは一段と参加しやすくなるはずですもの。
とはいえ、輸送という点ではやはり世界の僻地の一つ。
なんといっても海路のアクセスができないという点が小さくありません。
しかしものは考えようで、その不便さがそのたぐいまれ名大自然を残してくれているともいえます。
こうして、いよいよ2013もはじまったなあ、って感じです。
2013は、まずSUGAWARA峠、あの3000mを越える尾根筋のヒルクライムやダウンヒル。
試走では「本当にあそこを降りてきたのか?」という雪の斜面をラリータイヤですいすーいと。
「このまま谷まで滑り落ちるのかなあ」なんてドキドキしながら。
ピストを走ってないので?雪の下のあんばいはどーなんだろー?とかって感じです。
それに2012で付け加えた新しいルートも、まだご披露していないのでね。
さあ2013.がんばろーっと。
きょうの一枚
スガワラ峠へ登るピストを上空から追う。右手のピストは徐々に高度を上げはじめるあたり。このあたりから世界が一変する。それにしても、ヘリもやや空気が薄いのと重量オーバーで苦しいところ。スガワラ峠、来年こそ峠にVのカメラを上げたい。
2012/12/19 (水曜日)

「天孫降臨の地へ」
今回のTBIは、畿内からいきなり鹿児島に行くのです。
何度か九州4デイズやツールドニッポンでも訪れましたが、鹿児島はいいところでごわす。
なにが良いかというと、やっぱ桜島。街のシンボルが明確なところがよろしい。
それにしょっちゅう市内に灰を降らせて、多大な迷惑をかけるあたりも愛される理由だろうか。
もちろん生活している人は時にうんざりするものの、
雄渾な噴煙を上げている姿を眺めるほどに、「もう」と。
そして霧島。
この天孫降臨の地がまたいいと思う。
「龍馬伝」では龍馬とおりょうさんが霧島に登る。吉井勇のお父さんの薩摩藩士が同行する。
このあたりでぼくらは感激一塩。
そうだ次のTBIでは吉井勇記念館の前を通ろう。と、いつも看板ばかり見せていて、
案外前までは行ってなかった。
その天孫降臨にかけて、そもそも天孫降臨とは何か!?というお話は、明日のこころだ。
きょうの一枚
桜島!ボクは何かケープタウンか鹿児島かが好き
2012/12/17 (月曜日)

「さあ、Super TBI」
年の瀬を騒がせた衆議院選挙も終わりました。
あと2週間余りで今年も終わるのですね。
となるとボクタチはTBIと北海道とモンゴル!!
新しい年も心躍る出来事と出会いを求めて頑張っていきましょう。
まずはSuper TBI、少し日程が延びて中身が濃くなってきて
ミニ・ツールド・ニッポンの様相です。美しい九州と四国を駆け抜けます。
プレ・エントリー1次締め切りは間もなくです。12/20です。
今回、最もフィーチャーしたいのは鹿児島や宮崎。
これまでの九州4デイズでもなかなか足が伸ばせないほどに濃く、しかも未知?なこのエリア。
どうかご期待ください。
年末にはSSERで大餅つき大会&忘年会が数日間にわたり開催されます。
ぜひこちらも覗いてみてください。
さあ、もう少し。
今年も気合を入れて頑張りましょう。
きょうの一枚
テェリー・サビーネは「ラリーは人生の学校だ」という言葉を残しています。
まことにラリーとは、上手くいきません。
参加させる方も、主催する我々も同じようにラリーの神様から、
こっぴどくやっつけられることばかりです。そのたびに成長をすればよいのですが。
ここはこのところ九州4デイズで行く外輪山の「ラピュタの道」案外インパクトがあるのですが
1年目は霧の中で寸分も見えず。2年目は大雨の影響で通り抜けできない、
つまり通行不能状態でした。来年もきっと通ることでしょうから、
上手くいくと(晴れて、かつ通行可なら)いいのですが。

2012/12/14 (金曜日)

「準備。確認、再確認」
久しぶりに片山右京さんにお会いしました。
いまではレーシングドライバーのほかに登山家や自転車の活動でも著名ですが、とても、こういうのはあれですが「いいやつ」なんですね。
来年のSSERの主催しているヒルクライムレースへもお誘いしたり。。
そのほかにも少しお仕事の話をしてて。。すると
「モンゴルが良いらしいですよね、行きたいなあ!」
なんて話が大盛り上がり。
さてその希望はかなうのでしょうか!?
さてその右京さんとは2002年のパリダカール、モロッコに渡るフェリーの中お話をしました。しかしそのあと船の中で両替をしなかったらしく、真っ暗なモロッコの道路の料金所の脇にクルマを停めて進退窮まっていたのです。
「どーしたの?」
「現地通貨がないので通れないんです。」
「やっぱりね。」
またモーリタニアではガス欠で、とあるときはエンジンが始動しないとかSSのなかで。またあるときは大転倒で、とにかく目の前で多くのまさにパリダカ的な出来事を起こしていたのでした。まあそういう我々も燃料タンクのトラブルで、かなり出遅れてしまってて。。このトラブルは回避できたはずのもので、なぜそれができなかったのかがその後のボクの心を苛みます。
まったくすべては、簡単なこと。
確認をしなかったことにつきます。
準備をして、確認をして、さらに再確認をして。
それでも足りないことばかりですし、うまくいかないことのほうがはるかに多いものです。それでも最悪なのは、やはり「やっておこう」と思ったことをやらないで「たぶん大丈夫だろう」と判断して、それが致命傷になる時です。
右京さんもボクも前後して完走をしはしました。
しかし過去最悪のパリダカールだった、と今でもそう思っています。
自分にずるくなく、甘くなく、人に厳しくなく。
そんなふうにありたいなあ
そう思います。
さあ2013の準備も、その調子で。
きょうの一枚
モンゴルのデューンもまた魅力的なのですが、思い切って深く入れないのはさまざまな事情。。。さて2013年はどのようにデューンを越えますかね?
2012/12/07 (金曜日)

「Super TBI発進!」
最近の問題点の一つだった距離測定の精度!!
これを解決するためにボクはSSERの(チャッチャッチャチャーンドラエモンの音楽)
テラトリップマシーン!!を完成させる予定。ベースはTOYOTA LC70。
今の予定ではボンネットをケブラーにしてバッテリーを後部荷室に移設。
シートも変更。足回りももち変更!さらに最悪は荷室で宿泊できるような?ベッド。。。も。
デジタルデバイス満載で、登場予定ですので・・・・・
これですべて(北海道は遠いなあ)1台のクルマで連続してルートを作ります。
12月から1月にかけて制作予定!!ですよ。
さてそうこうしているうちに「Super TBI」壮大な旅ですが、
もう心は鹿児島あたりにいます。温泉と暖かい空気。咲き乱れる?
ハイビスカス、ブーゲンビリア・・うっとりするランドスケープ。。。
ぜひとも、こちらへ。
いまね、アルミのトラス・・スタートゴールのフラッグなどを掲出するやつですが・・・
これを間伐材で制作中です。
燻蒸処理してモンゴルにももっていこうかな?
おたのしみに。。。
2012/12/04 (火曜日)

「PRESENTATION ありがとうございました。」
先週金曜日にはSSER PRESENTATION 2013、
今年も恵比寿の「7」にて無事に開催されました。
ご参加いただきました皆様には厚く御礼申し上げます。
また懇親会も大いに盛り上がり、今年の忘年会シーズンのキックオフ!な感じでした。
モンゴルからはムッホも来日!
さらにはサプライズなお話もちらほら。。。
筆頭は?池田智泰選手がチームFA-coatから参戦!!するというもの。
そしてMoto/Autoとも優勝を狙う!というとんでも発言!!
が松野さんから飛び出し!たりしました。
急いで帰る道すがら、この一年をさまざまに振り返ったり、
また来る2013年に思いをはせたりして車窓の風景をなんとなく眺めておりました。
数日前に走った河西回廊の情景を重ねて、
なんとなく日本のことを考えたり例によってアジアのことを考えたり、
移動はモノを考えるのにいいんだなあ、なんて。
それではまた。

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Organisation Voice 2012/11

2012/11/25 (日曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
25 Nov.
「嘉峪関にゴール!」
ハミから河西回廊の抜けるような青空の中を、
ただし気温は氷点下10℃まで下がってはいるが、みんな元気よく走った。
遠くに雪を頂いた峰々を眺め、
一気に冬になっていくシルクロードの束の間の美しさに酔いしれた。
新疆ウイグルを出て甘粛省に入った。ウイグルのアラビックの表示が消えた。
ここ嘉峪関は万里の長城の西の果てだ。
ここまで伸びた長城の外から帰ってきたという感慨は大きい。
「古来西戦幾人か帰らん」の気分だ。
敦煌に行けなかったのはちょっぴり残念なのだが、
驚くことにこれだけのメンバーで敦煌に行ったことのない者は、
たった一人なのだということだ。
とにかくこの困難な旅も無事にゴールし、最高に贅沢なホテルで乾杯を繰り返し、
ウイグルのブドウの美酒や、白酒を飲みに飲んだ。
旅のレポートはまたあらためて描こうと思う。
心配したり応援していただいた皆様にはご報告かたがた、
この 場を借りて心より厚く御礼を申し上げます。
また旅で、お目にかかりましょう。
  
 
2012/11/24 (土曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
24Nov
「河西回廊を東に。」
青海省を経て敦煌に行くルートをあきらめた我々は、再びトルファンまで戻ってきた。本来なら今日は敦煌の1日だった。氷点下10℃を下回る極寒のルートに強烈な北風。まっすぐ進むにはバイクを左つまり北に向かってリーンさせる。GSは巨大なスクリーンとグリップヒーターがライダーを守ってくれるが、URALはスクリーンがない。尾上さんはそれでも「いやあ、こうじゃなくちゃ面白くないよ。」と笑顔でサイドカーを走らせるから驚きだ。毎晩毎晩1本近いパイチュウ(白酒50度くらいだ)を一人で飲み続ける。いやみんなもご相伴にあずかるのだが、その飲みっぷりはさすがに「酒POWER」を自称するほどのものだ。とにかく今回のメンバーのタフネスには驚かされる。
思いがけず変更になったため1日の走行距離は伸び、休日は返上となりそれでも明日には予定通り嘉峪関に着くことだろう。そうそう今日はハミ、パリ北京でもビバークとなったオアシス都市だが、巨大都市に変貌しそうな感じだ。

2012/11/23 (金曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
23 Nov.
「タクラマカンに戻ってきた。」
昨日から緊急事態で大幅にルート変更を余儀なくされた。いまコルラとトルファンの間にある和蹟という町のホテルに宿をとった。本来なら明日は敦煌の休日のはずだが。
昨日はチャルクリクから花土溝に向かい崑崙山脈の裾に向かった。標高2000mを越えたあたりで積雪とアイスバーン、大型トラックたちが道を塞ぎ前進は困難なばかりか、花土溝は標高2700m、さらに翌日は敦煌に向かう3600mの峠も待ち受けていた。
しばし考えた。そしてただちに全車にUターンしてチャルクリクに帰ろうという指示を出した。このまま越えていくことも考えたが脱出不能になることもあるし完全に往復路とも抜き差しならなくなった場合のリスクも考えた。
チャルクリクからはコルラに向かうタクラマカンの東縁の国道218号がある。もう1泊チャルクリクで過ごして今日はコルラに向かうことにした。ただしこの道が通行不能なら予定の帰国は困難になる。
とは言うもののこのルートは通りたかったところでもある。ロプノールに流れ込むはずのタリム川の流路に沿って北上するのだ。チャルクリクのあと50㎞位であたりは湖のようになってきた。洪水でもあったのか道路が冠水して流された跡を工事が続きダートライディングが続いたが工事の道の埃はうれしくない。
ここはタリム川からロプノールに流れ込むはずの水が灌漑用に南に水路を設けたものが氾濫したのではないかと推測すると、夏のモンゴルの60年ぶりの大雨もここにもこうした水をもたらせたのかもしれない。とにかく灌漑用水路を築かなければロプノールは水を湛えていたはずだ。
少し行くとタリム川と孔雀川(おそらくコルラ川)の分岐あたりに差し掛かった。このあたりでロプノールに流れ込む川が堆積によって流路を変えて「彷徨える湖」となった分岐あたりだろうか。タマリスクの林とデューンを時々見ながら、雪で阻まれたおかげでもう一度タクラマカンに戻れたし、沙漠公路とこの218号で砂漠を見事に半周できたのだと思うと、まんざら悪くはないなあと思う。やたらレアアースの工場みたいなのが林立し急速に発展する砂漠の町や高速道を走って、またまた人間にとっての真の豊かさは何かなあ、と考えることしきりだった。

2012/11/22 (木曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
21 Nov
「米蘭故城の砂嵐」
楼蘭賓館は広い中庭に高いガラスの天井が設けられていて、その中は熱帯の植物が元気に育っていて中ほどには鯉の泳ぐ池と小川もある。ここを通ってロビーへ行くときには柔らかな暖かさが心地よい。それに今朝は朝から太陽が昇り、気温は上昇するだろうと思われた。
さあ出発だ。チャルクリクをあとに東に向かう。タクラマカンの地平線に伸びる道でパリダカの時代のアルジェリアのリエゾンを髣髴とさせる。
70kmほど行くと左に米蘭の小さな看板を見つけ、細い道を辿る。そして綿畑の小さなダートを走ると米蘭だ。急に一面は広々とした砂漠のようになり砂嵐が襲ってきた。
まず仏塔。そして宮殿跡に行く。この遺跡はまことにわずかな遺構が残るに過ぎない。しかし見事に保存されたものにはない強いイマジネーションに彩られていた。
西域南道、ここに栄えたいくつかの王国。その興亡にロマンを感じてここまでやってきたのだ。ウルムチで楼蘭の美女を見て、彼女らが生きた4000年前にこの地で営まれたであろう様々な出来事を想像してみる。
砂嵐が吹き荒れ、まるでその中に大スペクタクルを見ているような気分にさせられる。
明日は崑崙山脈の支線アルキン山沿いに青海省に入り花土溝まで行く。地図にない街だが石油が出てホテルまでできて街区が形成されたばかりの新しいところらしい。
さあ旅も終盤。あと2行程で敦煌にたどり着く。まるで征西から帰還するような気分かもしれないと思う。
  
  
  
 

2012/11/20 (火曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
20 Nov night
「チャルクリクで。」
ここは楼蘭賓館という名前のホテル。ここに2泊する予定だ。チャルチャンからは、新しい道がまっすぐにこの町まで伸びていてこれまでタクラマカンの南縁を通っていた315号はかなりタクラマカンのデューンの裾まで入り込んでいた。おかげで太陽の出ない寒い一日だが、早い午後にこの町のホテルに着いたというわけだ。
そのうえ胡楊の森を眺めながら、砂漠の道路を駆け抜けたのはこの上もないことだ。
昼食を済ませたらみんなバザールへ出かけたので、昨晩よく寝られなかったぼくは昼寝をしたり井上靖を読んだりしながら、はるか過去からのこのあたりの出来事を夢想していた。
楼蘭国の中心は確かにロプノールに栄えた楼蘭の町だが、ここ米蘭もまたその機能を補完し合っていたのだろう。やはりその理由は水だ。曇っていてよく望めないが崑崙山脈は背後にあるものの、流れる川はみな砂の川で水はまず無い。この地に水があるのか、ロプノールにあるのかが極めて重要だった。
楼蘭から出土した楼蘭美女の木乃伊は白人のアーリア人だったし、この米蘭の仏塔の壁画からは有翼天使の姿が発見され、その姿はヘレニズムの様式であり顔はギリシャあたりのようだ。
いずれにしても先に東へ旅をしたモンゴロイドが緩やかに進化して文明を築き始めたころ、北に旅をしていたコーカソイドらが、後を追って中央アジアに進出してきたということだ、それぞれ異文化として進化したそれらは戦いあったり混ざり合ったりしながら、いまも我々の中に存在する過去となっている。
旅はもう後半だ。この旅に思い切って出て、よかった、しみじみそう思うしみんなもそういっている。明日は米蘭往復、砂をかぶったダートが待っている。その後は敦煌まで2日の行程で標高が高く低温が心配だがそれはすごい景観が待っているだろう。つまり新疆から青海省に少しだけだが入るのだ。
2012/11/20 (火曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
20 Nov 5:00
「征哉、死亡の海」
まあぶっそうなタイトルになったけど、チャルチャンの真新しいホテルで真っ暗なうちから起きてこれを書き始めた。昨日は輪台から今回の旅のハイライトでもある沙漠公路縦断に挑戦した。まだ薄暗い中ホテルを出ると。氷点下2度。「案外暖かいねえ。」という山口さん。走り出してしばらくすると気温は下がり続け、氷点下10度!!
ヘディンが筏で下り始めただろう場所、つまりタリム川に架かる橋の上でしばし陶然とするのはぼくと山口さん。あたりはバオバブのようなタマリスクの林が続く。
ヘディンの記述には、特にこの木のことがよく出てくる。中国名は胡楊(こよう)。この木で筏を作り、たき火にもあうる。とにかくこの地を象徴するものだ。樹齢は1000年を超えるものも少なくなさそうだ。案外ゾーモットの木にも似ている。
石原さんと「まるでバオバブ!タンバクンダあたりみたいだねえ。」と話す。
実は「彷徨える湖ロプノール」に唯一水を供給した川がこれなのだ。天山山脈の大量の雪解け水を砂漠の中を運び。湖のほとりに楼蘭王国を栄えさせた。自らが発見した古代都市遺跡。それを実証するためにヘディンはこの川を下った。記憶が正しければ1934年だと思う。ヘディンは今のぼくの歳を越えていただろうか。自らの説を自らの行為で実証する。どれほど高揚した気分だったのかは、容易に想像がつく。
しかし世界は不穏な戦争の足音のさなかだった。国威発揚のためのヒトラーに支援されていたヘディンは、それゆえに戦後も評価されることはなかった。
太陽が上がり気温がプラスになった。砂丘が現れはじめる。この日本列島がすっぽりと3つも入るだろうタクラマカンは、まさに広大無辺なる砂のうねりだった。世界にこれほど広い砂丘群は存在しない。それは延々と砂のうねりの中を走り続ける。このような体験も、ここでしかできない。
太陽が大きく傾き地平線まで続く砂のうねりにかかるころ、砂丘で最後の撮影をした。
誰もがこの圧巻の景観に感動をしていた。
そうそう、入り口のアーチには「征哉、死亡の海」と書かれていた。「おまえ、ほんとうにこのタクラマカンを行くのか」となかばあきれたような、なかば自慢げなその看板をくぐった。油井がいくつかあるというだけでこうした舗装路がこの砂漠を真っ二つに切り、道路端には防砂林を育てようと懸命の散水用のラインが伸びている。送電線もだ。
河野さんが運転するジムニーの横でぼくが「油井や原発に電気を送るなんて言うのは、料理屋がまかないに仕出しを取るようなものだ。」と言う。そして二人で大笑いをした。
二人の主題のひとつがジムニーネタだ。
ぼくが「1.4ディーゼルターボ・シェラを作ろう。燃費は25km/リッター!で50Lタンク。航続距離1000km。ボディはこのサイズだけど前後のホイールをもう少しずつ伸ばして広げて・・・ブリスターフェンダーでちょいランチアデルタ風味で、足はこうしてあーしてショックはWPかドネアか。。トラベルは35mmで・・」と。
そんな話もこんな話も大量にできる。そしてこの無限の距離に敷かれた石油の副産物アスファルトが引かれた道路を、原油と綿花のトラックが行き交う。なぜ北にも南にも向かう綿花を積むトラックがいてすれ違うのか?なぜエネルギーを生むためにこんなところで人びとはエネルギーを費やすのか。
人の営みの逞しさやら、あほらしさやら。そんな複雑な思いもまたこうした過酷な地を行くときには感じることはしばしばだ。
そして完全に走り切るとチョモランマに行ったときに走ったカシュガルからホータンを経て西寧へ向かう西域南道に乗るとチャルチャンはすぐだった。ポプラ並木のたたずまいが、古いシルクロードの面影を強く残していてあまり発展していないことを望むわれわれには程よい雰囲気だ。しかしホテルは出来たばかりのとても快適で最先端なもので、嬉しいと残念なのが相半ばする。
明日は、いや今日はこれからチャルクリクへ向かう短い行程なので少し出発を遅らせることにした。明日は米蘭遺跡に行く。
2012/11/17 (土曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
17 Nov. 北京時間 PM19:00
「トルファンの1日」
ここトルファンは唐の時代には「火州」と呼ばれた盆地で、まさに世界的にも熱い土地だ。死海に続く世界で2番目の低地の湖もある。そこの海抜はマイナス150m。
その盆地では、まさに鍋の底のような炎熱の夏をしのぐため天山の地下水を網の目のようにめぐらせたカレーズという冷房給水システムが紀元前より営々と続いている。カレーズを掘るのは大変な労働で、それを維持管理するのも同じだ。その清冽な水で育てられるブドウたちはこの土地にいくばくかの恵みをもたらせた。日干し煉瓦を網目のように積んだ干しブドウ場が目につく。この地域の風物でもある。
そんな家並を眺めながら、高昌故城に出かけた。ここは玄奘三蔵も訪れ2か月も滞在した高昌国のことだ。城というのは日本と少し概念を異にして、城塞都市のことをいう。周囲を壁で囲み、ほぼすべての都市機能が城内にあるのだ。最盛期にこの城内には3万6千の民が暮らしその1割は僧侶だったというから、まさに仏教王国だ。天竺に向かう三蔵法師はこの城で過ごし、帰路で立ち寄った時にはすでにこの国は滅んでいたという。
日中は50度にもなる夏の炎暑も、日干し煉瓦の断熱性と極度の乾燥に加えカレーズの冷水で、案外この地でも悪くないんじゃなかったのか?なんて尾上さんと話しながらロバ車に揺られていた。
そして昨日ウルムチの博物館で見た木乃伊の保存されていたアスタナ古墳群を覗き、トルファンの市民の台所「バザール」を彷徨って異邦人の気分を味わう。
とにかくありとあらゆる品物がうず高く積み上げられている。色とりどりの果物、野菜、ドライフルーツの種類もただ事ではない。もちろん衣料品もあれば、本物か偽物かはともかくi-phoneだって雑踏に晒されている。
しかし今回の買い物の目玉は乾燥イチジク。いくつも並ぶ露店で値踏みをしながら(というか、つまみ食いをしながら)尾上さんは大粒の高級品を3㎏も買ったので、ボクは小粒のものを1㎏買った。さて、帰り着くまでもって土産になるのだろうか。さっそく今夜はこれを持ち出して、トルファンの名産ワインを愉しもうかということになった。
こうして異民族らが暮らし様々な文化や熱情が交錯し、人びとが生き生きと暮らす姿を見るのこそがシルクロードの旅だ。
ぼくの旅のテーマソング異邦人の歌詞「市場へ行く人の波に身体を預け、石畳の街角をふらふらと彷徨う、祈りの声、ひづめの音・・・」を遠くで聞きながら本当に時間旅行が始まった気がした。
明日はいよいよスタートだ。わずかに高速道でコルラ迄行きタリム川をヘディンのようにいかだで渡る夢を見ながら砂漠の入り口の小さな町「論台」まで走る。ぼくはこの旅にヘディンの「彷徨える湖」を携えてきた。帰ったらこの翻訳本を書きたいなあ、ていうかこれをベースにもっと生き生きとしたシルクロードの人びとのことを書こう、なんて気分だ。気温は大丈夫そうだしマシンもみな順調そうだ。ウラルのみ少しオーバークールだとかで熱いエアをクリーナーボックスまで導風する?スペシャルな改造をしたようだ。
さあ元気に出発できそうだということを報告しておきます。

2012/11/16 (金曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

REPORT of Raid Trek Taklamakan
16 Nov. 北京時間 PM10:00
「トルファンのホテルでマシンに再会」
ウルムチで博物館に寄った後は一路トルファンへ。
道はすべて下りで、標高900mから200kmで標高マイナスまで一気に降下する。
厳冬のウルムチからなんとなく暖かな初冬のトルファンに着いた。
途中で人気のうどん店で、トルファン産の小麦で作るこしの強いうどんに驚く。
そしてホテルで数か月ぶりにマシンに再会。長い道のりを物語る汚れはひどく、
それでも松山で別れてこのような地の果てで出会うのは感激でもある。
明日は予備日なのだが出発準備さえ整えば休息日となり、
名だたる遺跡にも心置きなく足が伸ばせるのだが、
1台だけどうしてもエンジンがかからない。なんとか始動可能になり一安心。
明日はまず燃料を入れ洗車して、それから高昌故城、アスタナ古墳群。
あと交河故城にも足を運ぼうと思う。
トルファンのブドウも房をつけるのは10月の終わりまでで、葡萄棚をそよぐ風に、
とはいかなかったけれどこのシルクロードの要衝三蔵法師もとどまった
高昌国に出向いてこれからの旅を占いたいもんだ。
photo by : APIO Kohno

2012/11/16 (金曜日) REPORT of Raid Trek Taklamakan

「ウルムチ未明」
時計は午前7時30分を指している。これは北京時間だ。
ここは北京からさらに2時 間の時差があり、
現地時間は5時30分である。まだ街は闇の中で夜の気配。
時差からも感じられるとおり、日本から随分と西に移動した。
北京空港では新疆とチベット行は全く別のセキュリティ検査を通らなければなら ない。
その物々しさときたら。。。。
ウルムチはもう完全な冬だ。
先週降った雪は道路端に残り所々でアイスバーンに なっている。
この地は北に天山山脈を抱える標高でも1000mに近い土地だ。
今日はこれからみんなで、この地としては早い朝食、そして新疆ウイグル博物館 を訪ね、
これからの旅で出会う遺跡から出土した品々などを先に見ておくことにした。
そしてウルムチより1000m以上も低い、(つまり海抜はマイナスなのだ)トルファ ンの町へ行く。
ここはウルムチが漢族が多いのに比べ、ウイグル族の多いイスラムの町だし、
高昌古城などに代表されるシルクロードの名だたる遺跡が残る。
バイクやクルマはすでにこの町のホテルに着いている。
思いがけず予定変更が続 いて船積みから数か月がたってしまったので、
マシンのコンディションも心配だ。明日もう1日トルファンに留まり、
いよいよタクラマカン縦断に出かける。
寒いのが心配
2012/11/12 (月曜日)

「タクラマカンへ行ってきます!!」
毎年のこと11月は一度、寒くなって「ええ、こんなに寒くなるのが早いのか」と
思うのですが、一転そのあとは思わず半袖でも過ごせるような小春日和な日々がやってきます。
でもボクは今日も半袖。明日からは、寒い予想の中国奥地へ行きます。
ところが気をつけないといけないのはインナーを厚くしないこと。
とにかく暖房の利かせ方が半端じゃありません。北海道もそうですよね。
年と共に、体温の調節能力が落ちてきていることに気づかされます。
さあて、タクラマカンの旅がどのくらいの気温になるのか!
ボクは温度計を2つ買いました。
2007年のカザフスタンは9月に氷点下7度を記録。
しかしグリップヒーターとスクリーンの威力!!GSならではの長い旅ができました。
きょうの一枚
これね、トルファンのうどん。はじめて食べたのは1992年9月、パリ-北京。菅原さんと、
横田さんとタイムラグはあったのですが。。まったく、讃岐うどん。
一説によると空海が持ち帰ったとか・・・
2012/11/09 (金曜日)

「タクラマカンへ行きますよ。」
とにかくなにかと問題の多かった今年、Raid trek Taklamakan も
ついに許可もそろい出発の日が近づいてきました。
愉しみのひとつは「何を持っていくか?」と「バッグは、どれで行くか?」
ということでしょうか・・・
コーノさんはグレゴリーを買ったみたいだし。。。ボクは比類なき?
バッグコレクションのなかから、
いくつかに絞っているのですが、候補はやはりSSER の20kgバッグ。
そもそも風袋が4.5とか5.0kgもあれば内容物は、すくなくともその重さ分は減量
しなくちゃならない。ということで開発された(大げさ!)SSERのモンゴル仕様
のバッグは、まことに優れている。
しかしBMWのジャイアントバッグも捨てがたいなあ。重くて大きいけど
収納性や仕分け性が良い。重いけど。
いや待てよ、いっそRIMOWAかZeroはどうだろう。というのも映像機材があるし。
でも車の中での安定性はダッフル系にはかなわないしなあ。。。
なんて出発までの数日間を密かに楽しんでいるのでした。
でも最近の傾向としては、どのバッグで行っても
「しまった、あれで来ていたら良かった。」
ということに。つまり超万能なバッグは存在しないということなのですね。
では、行ってきます!!
きょうの一枚
サハラローズじゃなくてタクラマカンローズ。嘉峪関のお土産物屋とか、結構あちこちで売ってる。

2012/11/02 (金曜日)

「週末にひとりごと」
これほど1週間って、早かったのか。。。
ぞっとしています。
ぞっとすると言えば、SHARPやPanaの決算。
テレビではコメンテイタ―が、まさに好き放題を言っています。
腹が立つのは、ボクだけではないでしょう。
彼らの類は、これまでこう言っていました。
「これからは選択と集中の時代です。自社の最も競争力のある分野に集中して経営資源(まあ人と金のことですが。。)を投入すべきです。
不採算事業の早期撤退は急を要します。」
ふーむ。そこでSHARPは悩んだ挙句?液晶パネルと太陽光パネル、そしてLEDに集中するという決断をしたわけです。
ところが
「リスクヘッジができていません。SONYでは保険や銀行、エンターテイメントなど幅広い分野が成功して安定しているのです。」
下手な政治家の妄言よりもエコノミストの結果論のほうが不気味です。
選択と集中を叫んだ時は企業は多角化に苦しめられていたのは事実です。
で、ボクはいつもこう思うのです。
余るほどあるものは足りなくなる。(つまり誰も作らなくなるわけです)
で、足りないものは、あまり出す(みんなが作り始めるからです)
結局、最も大事なことは自らに与えられた天命はなにか?
自分たちが最も素晴らしいと感じれる仕事は何か?
ということで、優位だからとか、誰もやっていないから、とかそういうんじゃないんです。本当に自らの魂を燃やせる仕事をするべきですよ。
誤謬性のことを書きましたが、昨日の晩の日本シリーズの誤審を見て、うーむ。
つまりあれは誤審ではなく、システム障害というかシステムの限界なわけです。
きょうの一枚
今年は標高が上がらなかったので見かけなかったのですが、ヤクです。ネパールなどの高地でも活躍しているご覧の通り耐寒性に優れた牛です。顔が真っ黒で体の真っ白なヤクを見かけると写真が撮りたくなります。そんな宮崎駿に出てきそうなやつがいますよ。
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2012/10/30 (火曜日)

「無謬性」
最近よく聞くこの言葉、ムビュウセイ。公務員の無謬性とか検察の無謬性とかよく使うよね。
「でたーっ」ついにあの件を書き始めるのか?
いやあれはまだもう少し先で・・・で、最近の報道を見ながらボクは「主催者の無謬性」について
考えていた。
無謬性とは簡単に言えば「間違いのない」ということ。つまり公務員は間違わない。ということだ。
多くのスポーツ競技など規則に縛られるものには、それを運用したり監督する者は、規則とは競技者のためにあるものだと信じている。
決定的な誤審をしても、あとで分かったのでは仕方がないので審判の無謬性を組織的に担保している。それが揺らぐと、その競技団体の存在すら揺らぎかねないからだ。
NFLではチャレンジというシステムがあって、チームのヘッドコーチが赤いフラッグをフィールドへ投げ込むと競技は一時中断してオフィシャルレビュー、つまり審判がVIDEOをあらゆる角度から検討する。しかし認められなかったら1度のタイムアウトを失う。前後半に各3回ずつ与えられているタイムアウトは戦略的に極めて貴重なものなのだが、それを賭してまでジャッジに難癖をつける。しかし審判はビデオ判定の結果、誤審をあっさり認める。まさに過ちを正すのに何の躊躇もないという姿勢だ。
ラリーを主催していて思うのは、ルートを決めてルートマップを書いて大会本番になって、その「自身の無謬性」について、いたたまれなくなるほどに悩むし、怖い。
ボクはたくさんのGPSポイントと何人もの目でコマ地図を校正してもらう。だいいち試走中にはバックアップのコマ地図も書いてもらっている。距離の計算なんか「そんなに何回もしなくても」と、まるで間違をすることが確実であるかのようだもの。それでも1回の大会に右と左と書き間違えることが1回はある。
ところがバックアップのコマ地図が違う方向を向いていても、だからといってボクが書いたコマ地図が違うということにはならない。
そんな時はずっとスタートから神経衰弱ゲームのように記憶の糸を手繰り寄せる。
でもまあGPSポイントと最近ではグーグルアースで大方は解決する。
それでもモンゴルに電話して「あそこのここのどこそこのコマを見てきてくれないか?」なんて聞く側にとっては気の遠くなるようなお願いもする。
規則の適用についても考える。
ボクが思うには結局のところ、規則に縛られているのは競技者ではなく、主催者や審判員たちだということに気が付く。間違いを正すに憚ることなかれ。とはいうものの一度下したジャッジを覆すのは恐ろしいほどの力がいるのだ。
もっと心を磨き、もっとフラットにものを見て、何にも左右されず。
そういう人に私はなりたい。
きょうの一枚
たまりません。ここはハルヌールから南に下った砂丘地帯。ウブスから数百キロに及ぶ大砂丘。。何度もここを越えましたね。

2012/10/29 (月曜日)

「ウブス。」
昨晩はTBSのThe世界遺産でウブス(テレビではオブスとなっていたけど)を見られた方も少なくないかと。あのボクがもっと憧れる場所。。。
最近のこと「どこが一番魅力的なのか?」と聞かれて即答。地図を広げて「ウブスとこの砂丘地帯ですよ。」と答えたものでした。
ラリーモンゴリアの西に向かう旅は大会の2年目から始まりました。1年目はまず東に向かったものでした。数年後にラリーは念願の西の果てまでたどり着きます。ホブトとかウーランゴムという町です。輸送には航空機を使ったり…おかげで空港でビバークした年もありました。いずれにしても日本人は?ボクだけかもですが西にあこがれるのです。
ウブスは不思議なところでした。巨大な湖は意外と水深は浅く、砂丘にはここにもまた泉がこんこんと湧いていて、この地をビバークに定めて県に地図を出したところ「なぜここを知っているのか?」と問われて困ったことも。。。「いや偶然に・・・」「???」そこはロシア国境に近く人跡もまあ稀です。無線機もなぜだか使えなくなるエリアです。
湖の一部の北岸はロシアのテリトリーです。テレビの番組は時間がなかったんでしょうか、細部まで伝えきれてはいません。東岸に伸びる深い砂のピストは、容赦なくて暑くて、それでももう大興奮をしてたことを思い出します。そういえばこのエリアで、ebisawaさんがリタイアしたなあ、とか感慨は尽きません。
何も地の果てまで行くことがアドベンチャーだとは言いません。そうも思いません。しかし魅力的な大地は常に辺境にあります。行くのは困難ですが、行けば行っただけの感慨はあります。
テレビでは、ウランバートルから3日!と言っていましたが、今ならずいぶん道も整備されてますから、まあそんなものでしょうが、ラリーではさらに困難なルートを選びながら3日でそこにたどり着き、南岸を通りボグドやウーラングムへいくと、もう中央アジアのカザフの大地で、シルクロードのような印象です。
さあ、そうこうしてるうちにタクラマカン。これもまた困難を道連れに旅をしてきますね。
きょうの一枚
ウブス湖岸。美しいならハルヌールには及ばないし、湖の周辺に砂丘ができるのも同じ。でもよく考えたらハルヌールからずっと砂は続いてるんだなあ。あのハルヌールのあとのデューン越えのあと出てくる生まれたばかりの川は、ウブス湖の南にあるヒャルガスぬーるに流れていて、この数百キロの砂のエリアを探検したいと思ってるのですが・・・

2012/10/22 (月曜日)

「コルラ川を渡るよ。」
タクラマカンの計画が、息を吹き返しました。
長引きそうな日中関係の懸案事項。さまざまな行事や計画が滞ったり中止に追い込まれたり、さぞや関係の皆様も心をいため、失望し、やり場のない怒りにあると思います。
わたしどもも二転三転するこのタクラマカンへの遠征に、本当は疲れ果てていたのも事実です。
しかし、それはそれ。条件さえ整えば冒険の旅に出かけるのに何も躊躇はありません。とにかく許可はそろいました。少しスタートが遅くなるので中国の国内線の乗り継ぎとタクラマカン奥地の低温への心配はあります。特に中国の西域は10月末でウルムチくらいしかまともに飛んでないのです。
ということで最初の目的地を嘉峪関からウルムチに変更。
しかしウルムチと言えば新疆ウイグル博物館!あの楼蘭の美女の眠る・・・そこです。楼蘭から発掘されたそれは3,800年の眠りから揺り起こされて、その後中国国内で防腐処理を施したものだから、発掘当時真っ白だった肌の色が黒ずんだという残念な点はありますが、まるで最近編んだばかりのような獣毛のニットや羊皮の靴などに本当に驚かされます。
翌日はトルファンまでわずかな距離をバスで移動です。というのも日本で預けた貨物(つまりバイクや車ですが)はトルファンのホテルまで運んでおくことにしました。ここはシルクロード見物のハイライトな都市!1日費やしてトルファンを観光しつくすことにします。
そして一気に輪台から砂漠公路縦断!これまでのプランでは砂漠の真ん中のビバークを計画していたのですが、こちらはちょっとやめ!てタクラマカン砂漠の南の都市まで一気!
そんな話の続きはまた。
SSER PRESANTATION 2013の2日前に帰国して、皆さんに元気そうな顔でお目にかかれることを。。。
Bon Voyage
きょうの一枚
ボクの大好きな宿、敦煌山荘。。何度も泊まって何度もシルクロードの夢を見た宿。背後には巨大な砂丘群がそびえ連なるんだ。
2012/10/12 (金曜日)

「リーク、意図的だけど。。」
さて2013TBIが変わるらしい。って張本人が「・・・らしい」というのも噴飯な話ですが。物語の始まりはこうでした。
「奄美行きたいねえ。」
「奄美、いいすねえ。」
「大隅半島もワイルドだよねえ。」
「懐かしいすね、TDN」
TDNとは「ツールドニッポン」のこと。奄美をスタートした年や、ハウステンボスからスタートした年。この年は日本のエネルギーが隠れテーマで、長崎平和記念公園や雲仙普賢岳、人形峠や大飯や敦賀の原発銀座。そして北海道ではサロベツの大風車地帯を駆け抜け、青森では一連の各処理施設の姿を眺めながら福島へ。そして夜の東京へゴール。今思っても感慨深い大会でした。
ガストン・ライエも走ってたしなあ。。
そんな話ではありません。TBIがスーパーTBIになるというお話。
「大阪でプロローグして船に乗るなら、奄美に行こうか?」
と、突拍子もない話を切り出すのはボクの常套。
「いやそれはさすがに遠いでしょう、志布志はどうすか?」
「おお、志布志!」
「南九州で4日か5日。そして佐伯宿毛フェリーなんぞで四国にわたり2日か3日。」
「おおっ。でも何日になるんだよ?」
「いや来年は超大型連休ですから12日くらい・・・」
さすがに12日はもちません。
「でも8日間くらいで九州と四国。2回のフェリー。ちょっとしたTDNだよね。で走行距離はどのくらいになる?」
「たぶん3000キロでダートも1000キロ近く!?」
「それはすごいなあ。もう準備に取り掛からないと間に合わないよ。」
「じゃあ、明日から・・・」
そんな会話は、果たして実現するのでしょうか?
よっしゃ!と思った方は「いいね」を押してください。
ってこれはFBじゃないんだ。
きょうの一枚
こちらは奄美。ビーチサイドのコースマークとSSERのパラソルが意味深。気持ちの良い大会でした。次回のTBIはSSER 30Years pre Eventの一環で、すべてをアップグレードする1年間!をテーマに?「Super-TBI2013」は大阪-鹿児島-宮崎-熊本-大分-高知-愛媛-徳島など8県をまたぐのですぞ。。。

2012/10/11 (水曜日)

「やっぱ、今求められるのは、ハングリー精神とチャレンジ精神かな。」
ちくま新書の新刊「現代がトヨタを超えるとき」韓国に駆逐される日本企業・・・そんなこと!をついに書いたやつが現れるのか。。。
ジャパンアズNo.1などと聞いて育ったゆとり世代や、もちろんがむしゃらに働いた団塊の世代にも、そのなんとも恐ろしい響きですが、本当のこと言うと「どこかみんな予感めいたもの」はもっていたはずです。液晶TVで起きた現象が自動車産業でも起きつつあるということです。
家電の次には自動車もコモディティ化の波がやってくるのはわかっていました。効率化を進めれば進めるほどに、「組み立てカンタン式」のものになるのは道理だし、プラットフォームの共通化というのは、実は効率化ではなくて競争力を削いで行くことだったのかもしれませんね。
なにより本書を通じて思うのは、日本人の経営トップのチャレンジ精神の欠落だということでしょうね。または自信の喪失と言えるかもしれません。
長く日本で語られた「選択と集中」美しい言葉です。持てる経営資源を最も競争力のある事業に集中する。あらゆるコンサルタントやエコノミストが語った20年でした。確かその前までは多様化、ダイバシティ。しかしこの「選択と集中」の過程で、もう一つ恐ろしいことが進行していました。
それは「コンプライアンス」つまり簡単にいえば企業の社会的責任ですが。。。その実態はどうなんでしょうか。企業の多くは、そのコンプライアンスという「魔法の言葉で~」何をするにもだいたいは「やらないほうがいいんじゃないか・・」という消極策を選んできています。
過去にはみんなハングリーで、新しいことにチャレンジするというときには「少々のことは。。。」と目をつむって進んでいったはずです。もちろん経営のトップの話というばかりではなく、国民の多くにも滾るようなチャレンジ精神がなくなってきているのかもしれません。
さあ、それでもボクタチは何かに向かって。ちょっとハングリーで、行きたいものです。
きょうの一枚
今年は晴れに晴れたラピュタの道。でも下部では崩落があって通行止め。おりくちに「たぬき」みたいなCafeを作ろうという話で盛り上がりはしましたが・・・
2012/10/09 (火曜日)

「心を磨く?九州4デイズ無事終了」
本当に素晴らしい秋晴れの日々でした。
参加された皆さんの笑顔がそれを物語っていました。
九州は本当に山深く、椎葉村では厳島神社に詣でたボクタチは静かにこの落人の里の高台で秋の朝の光を愉しんでいました。
開店前のお土産屋で、それは旨いそばを平らげ、おまけにご飯に漬物に佃煮やら梅干しやら、たらふくごちそうになり、これもこんな良い天気ならではだなあ・・・とひとりごちたものでした。
ことほどさように好天は人の気持ちを温めます。悪天候は人の気持ちを暗くするのでしょう。
これまでの週末ごとの雨または大雨。または毎年のイベントに襲いかかった台風の日々。そんなSSERならずとも多くのイベント、運動会、お祭りや遠足。日本中でいったいどのくらいのテルテル坊主が作られたでしょうか。子供たちの期待を思うと胸が痛みますよね。
うちの事務所にもテルテル坊主はかけてあるのです。
でもまあまだSSERはいいんです、慣れていますから。困難は友達だ!などとうそぶいている責任もありますから。
そしてひとつの「晴れ」は気をつけないと、これまでのすべての悪天候を忘れてしまいます。つまり晴れは慢心のもと。良い時ほど穴に落ちて足回りを壊します。
そんなことを考えながら坂を下ると正面に通潤橋。数台のマシンが停まっていて美しい秋の夕暮ならではの朱に染まった風景が、わずかに心をふるわせました。それぞれに表現の方法は違えど、誰もがこの4日間に同じような思いを持ったのだと感じます。
クルマの中で「こころとは、いったいどこにあるんだろう?」はじまりました。
社内では「またはじまった・・」とあきれられたり、行きつけの飲み屋では「もう・・」な話も、まじめな深草君は真剣に考えてくれます。
「こころは脳の中にある。」という彼。けして間違いではありません。
しかし脳はPCのようなもので電気信号で作動しているのに、なぜにそこに心が発生するのか?なぜ世界中の人が心臓をさして「心の問題だ」というのか?ハートとは心臓のことでもあり心のことでもあるのはなぜか?「こころ」ほど不明確なものが、これほど多く慣用句として使われているのか
そんなことを考えながら、話しながら夜のSSに。
「コーステープ、ここに着けたら・・・」
「なにい、そこじゃあみんなミスコースしないじゃないか。せっかくわかりにくい分岐なんで、ナビゲーションの正確さを見るためにもコーステープはずっと先のほうがいいに決まっている。」「そうすよね。」
果たしてその時の「心」とは。

2012/10/02 (火曜日)

「荒城の月は、残念ながら。」
いいんです。わかってるんです、台風の季節の九州は、なにかと足が遠くなるということをだから少ないんだってことね。
こう書いてる今日も、突然北上を始めた大型の17号が接近!しています。それもどうかこの台風が大きな災いを残しませんようにと祈っています。とにかくここのところ九州は大きな災害にたびたび襲われています。「竹田を通りたい」とボクのリクエスト。岡城址を遠望し出来れば、そこの駐車場に停めて荒城を愛でたいものだと。。。すると「竹田は豪雨被害が大きくて、今回はやめておきましょう。」とコースディレクターのカオルサン「・・・・」そういう理由なら、突き返す言葉も出てきません。
いいんです。わかってるんです。どうして参加者数が少ないか、なんてことは。ほんとうに、いいんです。九州はみんなが大好きな土地です。何がそう思わせるのかは定かではありませんが、独特の言葉や文化かもしれません。人間性もまた魅力ですよね、お酒を過ごし過ぎなければね。。文化的にも微妙に大陸的なものもあったりね。
そんな九州も行くのには交通費が馬鹿になりません。だからと言って参加者が少ないのは、、でもバイクは28台なんです。「28ねえ。」「!!」そういえばSSERは今年28年。ボクのラッキーナンバーも28.ついでに誕生日も28日。というわけで、むしろ楽しい旅をするには最高の人数だ!なんて強がっています。
九州4デイズ。プレ大会をカウントして3年目の大会です。九州の魅力にすっかり参ってしまっていて、まだまだ日本のも走っていないところが沢山あるんだなあ。なんて思いながらまた旅支度をするのでした。
SSERクロスカントリーシリーズ。それぞれの土地にそれぞれのコースディレクター。すこしずつ微妙に違う何かにはアジャストを求められはしますが、とびっきりの風景と林道と、楽しい仲間たちと走る喜びはどの大会も同じ。どの大会もみんな光り輝いていますよ。
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2012/09/21 (金曜日)

「SSER3DAYS CLASSIC」
SSER3DAYS CLASSIC・・・無事に終了いたしました。2年続きの台風の雨に翻弄されはしましたが、熱い闘いでした。いやクールな戦いだったという人もいそうです。モチベーションとの戦いと見えます。
リザルトから見れば、特にここのところ敵なしの森田昌和選手の圧倒的な存在は、余人の及ぶところではなくなり始めていました。なにかこう、神がかりな領域というのでしょうか。雨に降りこめられた白銀荘では、そんな森田さんの走りについて何かと議論が展開されていて、聞き飽きませんでした。一つ言えることは本人はそんなふうには思っていないところ、ここが森田さんの森田さんたるゆえん。「ぼくよりも○○のほうが速いのに・・・」勝って驕らないのがすごいとかという問題ではなくて、その圧倒的な速さについて自分ではあまり認識していないところにこの男のすごみがあるとでもいいましょうか。。。とにかく人品ともに優れたチャンピオンです。
さてこのSSERは28年目の開催となり。振り返れば様々な経験に彩られているのが分かります。多くの仲間やオフィシャルスタッフ、遠くからも手伝いに駆けつけてくれるかけがえのない友人ら。
長く一つのことを続けるというのは大変なことだと、異口同音に語られます。しかし、果たしてそうなんだろうか?と常に思います。もちろん経済原則のみが継続の原動力と考えれば「赤字なら続かない」のは自明の理ではありますが、人の一生を思えば、なにも経済原則ばかりでは動いてはいないということです。
最近とあることから「利益」とはなにか?つまり「営利」とはどういう概念かと考えるようになりました。まったくそんなこと考えない!と言うと「うそつき」呼ばわりされます。「企業や組織はひたすら営利を追求するものなのでしょうか?」確かにそういう向きが少なくないのは承知しています。しかしひたすらに営利のみを求めた活動は続かなくなって久しいということに気が付かなければなりません。「安定」ということも、実は不安定であるからこそ見えてくる概念です。足りないものはやがてあまり始めるように、余っているものは必ず足りなくなります。足るを知れば人生は豊かです。
小さなイベントからはじまったSSERですが、教えられることばかりでいまだ発展途上であるなあと思うばかりです。
2012/09/07 (金曜日)

「さあ28年目のSSER…雨は降らない。。」
さて、残暑もひと段落な久万高原はすっかり秋の気配。というのも大会会場は標高1000mを越えているし、今回は長いリエゾンは四国カルストを駆け巡る。そうSSER3DAYSが間もなくです。過去最長160km×3ステージ。
なんかとことん走ろう!な気分です。
そして夜は漆黒の「新月」星明りしかありません。
大きな天の川が大川峰の頂上で楽しめるでしょう。
特に新設の17kmのSSが加わったり、大川峰を超える長大な?リエゾンはなかなかのもの。長いリエゾン、長いのや複雑に組み合わされたSS。。。地元の同意書の束は「ううっ、、」なボリウム。静かなサイレンサーをお願いしている意味は分かっていただけるはず。
「???」な音のマシンは競技中でも検査をして、直ちに走行を停止していただきますよ。
そして新しくなったコースマークはこれまでのモノより少し小ぶりですが、一般道などではほかの標識と明確に識別するために、どこにもないデザインにしました。間違えないでくださいね。
さあ28年目。
よくもまあ、続いているものなのですが、それでもまだ進化させようという自分に「・・・・・」雨が降らないようにお願いしてきます。
2012/09/03 (月曜日)

「タクラマカンの車両搬入だよ。」
季節は巡り、やりたいことややらなきゃいけないことは、まったなし。
そろそろ秋のタクラマカン大横断の旅の出発準備も、デスクを温める暇もなく始まります。あっ、その前にSSER3DAYSもあるし、九州4デイズもあります。。。ボクは最近自分でも、自分のスケジュールを「すごいかも」と。
でも問題は脳の劣化。というのも「それって、いつだっけ?」ということが増えました。いままでっていうと、スケジュールはすべて頭の中にあって、もっというと電話番号もほとんど記憶していたのですがここのところ「えっと、うちの会社の電話番号って何番だっけ?」は普通。住所はかなり怪しいし、郵便番号は全くわかりません。こんなことで良いのでしょうか?
でもまだまだやりたいことがあります。
今回はモンゴルの写真展と映像展をやるのだと張り切っています。APIOの報告会までにはラリーの報告書を作りたいし、写真集や来年の計画もまとめたい。それ以外に始めようとしているビッグイベント?もうすぐ。そうそうタクラマカンは帰ったら「シルクロードの映像と写真展」をやりたいと思っています。
年を取るにつれて加速度的にやりたいことと、やりたいことへの着手数が増えてきました。これは良い傾向なのでしょうか、それともなにかの前兆なのでしょうか。
ということでタクラマカンの車両搬入、、、簡単にそうは言いますがそれとて大仕事。スペアパーツやスペアタイヤ。工具や脱出道具、なんだかんだ。いつもボクはどこかへ行く準備をしているような感じがします。
今日は、とあるイベントのコンセプトを考えていました。再来年のビッグイベントの理念とか運営概念とかは先週のこと起草したのですが、今日は来年の9月にあるやつ。そのコンセプトは、なんとおこがましい「極限の宇宙」これが何のことか?はまたそのうちお知らせする日が来るかもしれません。来ないかもしれませんが。

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Organisation Voice 2012/08

2012/08/27 (月曜日)

「さて、後半戦のお話など。」
先に前半戦のてんやわんや記を書きましたのでその続きです。
ボクは八甲田山の例の「天はわれを見放したか。。」という気分を噛みしめていました。この1年半のSSERの雨の軌跡を考えるに、やはり「天は・・・」の気分です。どうしてここまで雨に祟られるのでしょうか。
ともかくエタップ4です。朝のビバークから見下ろすオログ湖は1日の晴天でみるみる水位を下げてしまい、ほんとうに奇跡を目の当たりにするような、そんな気分です。ただ蒸発というだけでは理解不能な減少。この湖から流れ出す川は1本もなく、水はどこへ消えるのでしょう。
この日のステージには、3つのCPと1個のRCPを用意しました。ルートの安全確保に重きを置いた結果ですが。CP3はヘリで人員を下すという作戦。こうした展開に厚みを持たせられるのも、翌日が休息日だからです。ボクの不安は、それでも拭いきれません。そして1件の事故が起きました。ネックブレイスが割れたものの、さすがに脊椎損傷はまぬかれたという報告。この近年世に出たプロテクターに感謝するとともに、なぜもう数年か早く開発されなかったかという思いにいつも締め付けられます。この近くのバロンバヤンウランで起きた事故も、そして今年10年を迎えた事故などが脳裏を去来します。
それでも
「不幸中の幸い」
を胸にラリーは先に進みます。
そして不安だった初めてのルートエタップ4。無数の大小のドライレイクの横断。とりあえず前走からはすべて通れたとの報告はあったのですが。。
思いがけずこのエタップ、ほとんどの選手が明るいうちにゴールするという、まあホッとしたのが正直なところです。みんな「世界珍百景」は見られなかったというナビの複雑さではありましたが。
そしてまたまた休息日。南ゴビは良く晴れて暑いので「水」が足りません。密かに買い出しチームを派遣。なんとヘリでものすごい莫大な油を使ってミネラルウォーターを確保するという作戦。今年の夏の熱中症報道がボクのリスクマネジメント心をかきむしります。
そして休息日明けのエタップ6は恐竜の谷へカメラチームとM2チームを先行させます。これはヘリで回収。CP2からはスタッフ1名が体調不良を訴えているのでヘリはそちらへ急行。すぐさま交替要員を下して体調不良者を回収。ヘリ内で数本の点滴でずいぶん回復。ビバークの本部にベッドを作って入院生活!!
役員もやはりリスクの高い仕事をしています。大会本部のバックアップあればこそ危険な活動に躊躇なく就けるというものなのです。
ああ今回も長文になってしまったので、後篇はさらに後編の前編と後編という形にします。

2012/08/21 (火曜日)

「困難を道しるべに・・・」
FA-coat Rally Mongolia 2012、終了いたしました。ご支援を賜りました各位に心より御礼を申し上げます。
1995年よりはじまったこのクロスカントリーラリーも、おおかた20年の歳月を重ねてきました。様々な時代の変化、なにより世紀も変わりました。また発展著しいモンゴルを定点観測をしているような感じさえします。発展は時に様々なゆがみを生みます。実はそれもまた魅力でもあります。
今大会は練りに練った屈指の難コースを組み合わせた、3600km超のタフなものでした。毎日500kmを超えるSSの連続は、圧巻!のはずでした。。。
ところが60年ぶりの雨がモンゴル全土を水浸しにしてしまいました。
1日目は3000mのスガワラ峠越えのステージをさらに難易度を高めハンガイの懐深く入り込むもの。試走隊も積雪でピストが見えないばかりか、思いがけない寒さに震えながら、それでもあまりもの美しさに息を呑みながらの日々でした。本番では雪と雨は峠を越えるルートを登坂不能なものに変えてしまい、ピストは流されナビゲーションは困難だと判断せざるを得なくなりました。やむなく別ルートをリエゾン、タイムアロウド11時間で650kmを移動するものになりました。
2日目は予定通りのロングステージ!と思ったのですが「川の増水が水深2m!!」前々走車のレポートに「・・・」しかも予定のビバーク地には到達不能。。。。。今回最大の山場の一つだった湖に浮かぶデューン。。を越えるルート。。。。諦めるのも簡単ではありませんが、ビバークの変更とルート変更はさらに難しいものでした。はるか数百キロも離れたビバークをコントロールしなければなりません。
しかし何とか難問をクリアしたものの、ピスト上には湖が出現。RCPはローリーなどの到達が困難か?とヘリにコントロールフラッグを積み込んで飛び立ちました。そうしてこのステージは勝敗の行方を左右するような大きな出来事が続きます。
3日目は、もっとも時間をかけて作り上げたイヒボグドの山塊を1周するループコース。ボクの自信作であり自慢のルートです。。ところが!そもそもルートブックのスタート地点であるビバークへ行くことができません。午後早く調査に向かわせたチームも、6時間もかけて20kmを進めないというありさま。万事休すでした。「ETAP3は全面キャンセルにする。」これも苦渋の決断。すでに今大会に仕込んだ3つから4つのハイライトシーンをキャンセルせざるを得ないという状況。あのものすごく高いモチベーションで臨んだ試走の成果が音を立てて崩れていく・・・そんな思いはこの20年ではじめてのものでした。
それでも変更なったビバークは、思いがけず美しく印象的なものとなりました。夕日が染め上げるボグド山の岩肌の陰翳と、オログ湖の美しさを「モンゴル大会はじまって屈指の美しいビバークだなあ。。」と少しだけ心を回復することができました。助けられたような気になりました。ということで気を取り直してETAP4はあのゾーモットへ向かうニュールート、ここはドライレイクが連続する頭の痛いルート・・・・。
こうして前半を振り返っただけでも、さまざまな心の動きと決断とアジャストメント、なかなか一筋縄ではいかないものでした。ラリーを完遂させることに最も苦心した大会となりました。後半の模様もまた書きますね。
いまウランバートルは、思いがけない秋冷に震えています。
2012/08/10 (木曜日)

「RallyMongolia2012準備完了」
モンゴル高原は秋の風が舞った。思わずジャケットを羽織る。
ここのところ問題の輸送。実は今年も天津税関で1か月の足止めを食って、ウランバートルにコンテナが着いたのが、この月曜日なのだ。
正直言えば、今回ばかりはスタートが難しいのか!?と、肚をくくっていたのだ。
どんなに最速で作業をしても1週間はかかるというところを、担当スタッフらはそれは必死で頑張った。
大渋滞の市内を書類を作り関係機関にハンコをもらって。税関に輸送会社にと走り回っていた。
そして努力は報われるものだ。ついに今日のこと通関が切れ午後からスタート地のハンリムリゾートへ搬入が始まった。午後9時、すべての貨物が運び込まれてラリーの準備の最大の山場を超えることができた。どうしてこうも毎年毎年難しくなるのか!この輸送の問題。
初期のころは何の問題もなかったのに。
とにかく、あとは頭をラリーの本番にモードを切り替える。
本番モードに切り替えた途端、またまた難しい問題にボクは呻吟する。
まずETAP1は、標高3000mのスガワラ峠を越える。この数日間の東アジアを襲った豪雨は、ピストを流し、新しい穴やクラックを生じ、ナビゲーションは困難となり、ピスト上のリスクは増大した。川の水は増え昨日時点で渡河は不可能だという。なんでもない草原に湿地が出現し、前進を阻む。
ETAP2は、湖に浮かぶ砂丘は、もう数年も水が引いたために不思議な光景となっていたため、現地と確認をしながらルートを定めたのであるが・・・。
この数日間の晴天を祈りながら、過去にない雨を降らせたここのところの異常気象にため息をつき、いよいよ明日には調査チームを送り出さなければなるまいと地図やグーグルアースとにらめっこをしていたら夜が更けてきた。
2012/08/06 (月曜日)

「モンゴルから。。。」
もうこの国に通うようになって20年が経とうとしている。
思えば1992年のパリ北京のあと始動したのがこのラリーモンゴリアのプロジェクトだったから20年だろう。あのころ世界は東西冷戦が終わり東側の国々が崩壊し新しい秩序に向かってた。
すべてに成功したかに見えた日本はまさに「日出る国」だった。
それは実力ではなく、気分がそうだった。
ボクタチ日本人はそれは良く働き、積極性のあふれエコノミックアニマルと評され、世界のどんな辺境の地にも橋頭堡を持っていた。それは時にビジネスマンというよりも挑戦者であり、探検家であり哲学者のようでもあった。辺境の地で会う日本人は、独特の雰囲気を纏っていた。
「われ思う、ゆえにわれあり。」
みたいな、世界観。辺境の地ゆえに許された自由が人を磨いていた。
これでもう少しおしゃれなら良いのだが・・・と、必ずそう思った。
いま日本人は、挑戦者であるとか冒険家であるとか探検をするという行為を忘れているんじゃないかと心配だ。海外進出は全く違う意味でしか行われず、新しい市場はもう日本人には存在しないのかもしれない。
さて、ボクタチはまだ道の途中だ。あの時の日本人より少しおしゃれにウィルダネスに立ち向かいたい。ささやかなほどの轍だって、まだ十分にこのモンゴルの大地に残せたとは言えない。
この夏、モンゴルには過去にない大雨が降った。ピストは流れ川は氾濫している。ラリーのスタートまでには安定するのだろうか。飛行機から見た東アジアは、水浸しだった。
この夏どんなドラマがあるのかは予測できない。予測できないから挑戦があり、探検がありそしてそれが繰り返されるんンだ。
ぼくは次は、もっと映像制作に力を入れたいなあ・・と考えてる。もっと素晴らしい映像をFUTUREで見せるんだ!と張り切ってる。

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Organisation Voice 2012/07

2012/07/31 (火曜日)

「さあ、モンゴルへ行きますよ。」
とにかくバタバタなこの季節。北海道が無事に終わり先週末のイベントも無事に終了。日曜日はさすがSSER、降水確率0%でもイベントの一番肝心なところで豪雨を実現!もはや雨乞いの呪術師のごとし!!アメリカあたりに行けば需要はあるかも・・・とまれ暑い日本の夏もあと2日!!!!でモンゴルに旅立ちます。ルートブックもラリータイミングチャートも様々な制作物もほぼ完成!見事なSSERのスタッフの仕事ぶりを手前みそながら評価をしないわけにはいきません。
こうしたリスクの高いスポーツイベントは、もちろん大組織で対応できれば、それはそれでよいのでしょうがなんといってもHQの能力が大きくものを言います。すべてを司る!というわけにはいきませんが、時に俯瞰してルート全体で起きていることを頭の中に描く力です。
実はボク、ミラーニューロンをこの数年研究(というほどではありませんが・・)しています。ミラーニューロンとは、まあ脳のニューロンのうちの10%くらいに与えられた機能で模倣とか共感のメカニズムです。また人の意図の理解とか、そうそう例えばテレビで綱渡りをしている画像を見て、見てる自分も○ンタマあたりがゾクゾクってするのもこの作用だと思うし、飼い主と犬が似てくるのもこれで説明が付くそうな。
ボクがこのことを意識し始めたのは、モンゴルでのラリーの創始時期に発明されたこの知見が、見えないラリーの細部をどう感じ取るかの材料になるのではなかろうかと思ったりしたわけです。
オリンピックで今活躍中の体操の内村選手を分析した番組、ウルトラボディ?で彼の持つシミュレーションの能力を、このミラーニューロンでなら説明がつくのになあ・・・なんて考えながら見ていました。
見えないものが見える、そんな能力ですが、その能力を発達させると面白いことができるような気がしますね。最近のサッカー選手たちも「後ろに目がある」なんて評価されるようになりましたものね。
ただ残念なことにこれは予知能力ではなくて。ピストの先にある穴を察知するのは別の能力のようです。
2012/07/22 (月曜日)

「モンゴルへの賛歌」
早いものです。北海道から帰って週末は名古屋経由横浜東京とクルマを飛ばして回ってきました。もうこのタイミングしか時間がないのですが、東京で驚いたのは、なんと「寒い!」くらいの気温。四国につくまで車の外気温計は23.0度それが四国に着くや28.0度!深夜ですよ、それが。
さて、そういうわけでモンゴルが最接近、ボクは8月3日の便でウランバートル入りします。通関という年々難しく厳しくなる問題!
これはいくつかのヨーロッパなどからのツーリングイベントを「モンゴルラリー」というタイトルで一回のみの開催で多くの車を持ち込み、国内で販売して帰るということがたびたび起きて「ラリーという名でスポーツを装ってビジネスをしている。」というようなことから、スポーツイベントとしての関税特例などが数年前に廃止されてしまったからにほかなりません。
たしかに「ラリー」という名称を使うことには何ら規制はないのですが。。。
でも面白いことに地方の夏祭りの山車に「頑張れ!日本!」と表示しようという話になった時に「まさかJOCが、とってないだろうな?」・・・あっ、「とる」とは登録商標ですが、「絶対そんなことはない。そんなのがとれるのなら、おはようやこんにちはもとってしまえるぞ・・・」
誰かが検索
「ダメです。全類でとっています。」
全類とは、あらゆるカテゴリーです。
「・・・・・」
オリンピックもロス大会以降商業主義で守られ成長してきたことに異論も異存もありはしません。しかし「頑張れ!ニッポン」の言葉を普通に日本人が使えないのは・・・
くそっ、ボクも何か登録しておこうかな。
「原発再稼働反対」とかも気をつけないと登録されているかもよ。
タイトルが「モンゴルへの賛歌」だったのにとんでもないお話になりました。
さあただいまモンゴルに向けた最後の作業中!!ボグドのビバークを夢見て。

2012/07/18 (火曜日)

「君知るや、北海道の夏。」
四国に帰ってモンゴルのコマ図の最終を、せかされながら書いていて先ほど完成!それにしても、この暑さはただ事ではありません。やっぱり節電の夏を過ごすのなら北海道です。「北海道を世界の工場に!」なんて話をしながら春木競技長と二人でラリーを先行しながら。。。
あの広大な大地をもっと有効に使って、TAX HEAVEN 税金特区にして世界に分散した工場を集約させる!土地と水は一定の環境規制をクリアしていれば無償!その分を人件費負担に回せば競争力はおのずとついてくる!そうだそんな政策提言をしよう!!と。
いやそれにしても暑い。
この暑さは、もう人間の生存をおびやかすものになってきています。
夏は標高600m以上のところで暮らさなければなりません。または北海道かね。エアコンの必要のない高原で、1か月過ごす。または北海道かね。
北海道の地方都市は人口密度が低く、市街地でクルマを見かけることもまれでした。・・・スンマセンウソデシタ。見かけることは見かけるのですが、とにかく少ない!!のであります。
とまあ雑談はこのくらいにして「北海道4デイズの総評」を書くことにします。
とにかくラリーは面白いことが起こるものです。前半は優勝候補の一角の挙げられた福岡選手、深草選手ら二人のHONDA勢がマシントラブルで続けてリタイア。一気にHasqvarnaが上位に躍り出てきました。おなじみの当麻のSSはガスと小雨に視界を遮られはしましたが、緩やかなアンジュレーションと濃い緑の森は、特に印象的なものでした。
2日目の朝のSSで一番時計を出した深草選手を中心にラリーは中盤戦に突入すると誰もがそう思っていました。その2日目は初めて訪れる道東の景観。なだたる湖を巡りやってきたのはWRCでも有名になった陸別。ここでのSSは地元主催「陸別XC」の協力で、そのラリーの前日に彼らの手によって整備された、それはそれはとっておきの林道で開催されました。
こうしたことも一重に北海道の関係者の大変な努力と調整によって実現したものです。森の中に敷かれたクマ以外に全く遮るもののない、ひたすら続く直線の林道。競技責任者の春木競技長はいくつもの鍵をもって林道を閉じるゲートやチェーンを次々と開放していったり閉じていったりをしています。
まことにルート制作以降の調整や許可関係の作業には頭が下がります。
さて後半にはさらにおもしろいことが起きました。
最後の最後のSS。トップで飛び出して行ったのは昨日まで総合首位を1分以上のマージンでキープする大内田選手。2位は真田選手、優勝を狙うどころか3位には1秒差で原選手が迫っています。
このところ僅差の戦いが繰り広げられる北海道4デイズ。問題は2位争いだと誰もがそう感じていたのです。
しかしこの最後のSSで驚異的な爆発力を見せたのが、真田選手。この大きいタイム差をはねのけて大内田選手に1秒差をつけてラリーを終えました。
大会本部もこの逆転劇に驚き、集計途中では数々の検証が行われました。はたして10kmのSSで1分以上差をつけることができるのかという検証です。つまり、ありえないことですが集計システムの問題にまで言及したのです。
しかしこのSSを10番手でスタートした真田選手は、途中で先行する3台のマシンをパスしていたことが決定的なものとなりました。つまり1分30秒前にスタートしていたトップグループの選手をとらえていたのです。
原選手も大きく詰めてきていました。
讃えられるべきは優勝した真田選手です。
この逆転劇は、さまざまに憶測を呼んだようですが、それは勝負に対するもしくはこの大会に対するいわれなき中傷であるばかりか勝者を穢すものにほかなりません。抗議があれば文書で抗議をしなければなりません。
最後に本大会は本当に大勢の方々の熱意、そして努力また多くの参加者の愛情によって支えられ開催を続けられております。
この大会を立ち上げられた故齋木達雄氏の名を冠した齋木達雄杯が、輝かしいものであることを宣言してこの総評を締めくくります。
なお途中事故で負傷リタイアした選手の情報は個人情報の範囲内として、SSERのプライバシーポリシーに準じ、可能な範囲の情報を閉会式でお伝えした通りです。「いつものことながら負傷者の情報を公開しない」というご意見は、様々な見地から受け入れがたいものです。
ともかく皆様方と共有できた夏の北海道。素晴らしい日々でした。また来年もお目にかかることをお約束いたします。
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Organisation Voice 2012/06

2012/06/29 (金曜日)

「忙中の閑」
そうだ、北海道4デイズとモンゴルのコマ地図書きをしないといけない。このころのボクのMy風物詩です。
何かこれを書き始めた途端「悪い人になる。」らしくて、機嫌が悪いのだそうな。決してそんなことはないと思うんだけど、たとえばその時のボクは素粒子レベルでは?モンゴルの分岐に立っていて遠くの山の形やピストのさまを書き写しているというのに、邪魔をする人が居るんです。
いや決してそれは邪魔をしてやろうなどとは、思っていないのは良くわかります。
なぜなら、
「出来た―!書き終わったあ!」
というと、これは昔からなのですが社内では大きな拍手が必ず起こります。見事にあの分厚い気の遠くなるような絵を書き上げたボクへの賛美の拍手だとばかり思っていたのですが、どうやら違っていたようです。それはコマ地図書き中の極度のボクの悪態から解放された、まあ解放軍が首都に入城してきたときの民衆の拍手のようなものだったというわけです。
それはそうでしょう。
そして考えてみれば、ぼくの心情は「たった一つのコマも書き間違えない。」つまり距離が打たれたコマ地図のベースを、極度の緊張で「あっ、間違えた。」を完璧に排除してしまっています。
モンゴルのあのコマ地図を書いていて、ここのところ「あっ、書き間違えた。」は1回あるかないかです。
その間違いを極度になくすのは集中!ではありません。完璧に「ワガコト化」です。そこに立っている自分を想像して、前のコマからの距離感を感じ今向かおうとしている方向や目標物を自分の概念でしっかりととらえる作業です。ひと月前に見た風景を思い起こすのではなく、そこまでもう一度やってきている状況を作るということです。
あらゆることも「ワガコト」としてやれば、そう大きく間違いません。間違いの多くは集中を欠いたから起きるのではなく、所詮は「タニンゴト」ととらえているから起こるのだとボクは思っています。
あとは「心」です。さあ、書こうかな。この行為のためにボクは事務所の中にホテルの1室を再現したり、茶室を作ったりしているのだと言っても大きくは間違っていません。

2012/06/28 (木曜日)

「つれづれなるままに・・」
もう10年以上も、まだブログなんて言葉もないころから、思いつくままにこのWebサイトに「OV」なんぞとタイトル付けて書いてきました。
コンセプトは?推敲しない、つまり書きなぐったままの素の文章を載せるということでした。だからあとから読むと実に稚拙な表現や回りくどかったり重複していたりと、まあ人に読んでいただくような文章なんぞではないわけでした。
そして、あのころは(って、どのころだろう・・)書きたい思いが湧き続けて、いや今も思いは湧き続けるのですが、とめどなかったように思います。ところが昨今。人々が良きにつけ悪しきにつけ、書いて書いて書きまくります。
ブログ、ツィッター、FB、あんなに子供のころに作文が苦手だった子供たちも、まるで音楽の授業で歌わされるのが嫌だったくせに今ではカラオケではマイクを離さない大人のように?なんでそれほどまでに「歌うの」じゃなかった「書くの?」と思うほどに、筆がやや重くなってしまいます。
マザーテレサの言葉。
ボクはマリア・テレジアの言葉だとばっかり思っていたのだけど。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
つまり思考や言葉は運命になるということでしょうか。
マーガレット・サッチャーも演説の中で使っていました。
そしてボクも「思考には気をつけなければ」ならないなあ、なんて考えはじめています。政治や時代も混とんとしてきていて未曾有の・・・と書き始めると誰もがそうだそうだと思うでしょうが、いつの時代も太古より人はいさかい殺し合い、為政者は言葉を操るのです。
困難な時代は、ほんとうに歴史の中に常に存在し、というか常に困難は極度に人々に寄り添い続け、それを一時的に振り払うためや人生の青山を求めて旅に出たりしたものです。
さあ、自分の思考、そして言葉を磨き、心を磨いて人生を。
きょうの一枚
エゾジカ。本州でも林道は鹿の宝庫に。いろいろ問題はあるだろうけど、ボクは良いことだと思ってる。ただしダートでのクラッシュは避けたい。あと熊もね。
2012/06/27 (水曜日)

「例によって、時々週刊タクラマカン」
もうすぐ北海道4デイズ。あの(雨さえ降らなければ?)爽やかな、あの北海道!です。今年は少しフォーマットが変更されてA-TECのキャンパスを使わない方向で進めています。そして芦別駅前が特設スタート会場!さあて、心配なお天気のほうは。。。
ところでまったくお天気の心配のない「タクラマカン」いや、一度は年間雨量50mmのロプノールで、おそらくそのほとんどを降らせた?ボクは、砂の海がいかに水を吸わなくてヌタヌタのヌルヌルになるかを、またしてもいやというほど味わったものでした。しかしさすがにそれ以降は完全に「晴れ」パリまでほぼ完ぺきだったというのが自慢!!です。
さて夏の様々なスケジュールをひと段落させれば「タクラマカン」に行くのであります。サイドカーも行くし、GS-Aはすでに3台!そうそうジムニーも。。。目指すは敦煌からトルファン、砂漠公路、米蘭、さらに4000mの峠を越えて。。。で、最近みんなで盛り上がりかけているのは「チョモランマ再挑戦!」といっても登るのではなく、青蔵公路完全走破!!の再現。できれば中尼公路でネパールを超えてムンバイまで。。。ああ、体力は大丈夫かしら。そんな世界地図とにらめっこしているときは自分の体力や、あの恐ろしかった?高山病のことなど完全に忘れてしまっていて。。。
自分の情熱を遮るものは自分の身体なのだ・・・
と。その都度に運動する!とか健康診断に行く!とか言っては、何もしない日々が続いているのであります。
さてタクラマカン!バイクで走れるチャンスは、まあそうありませんから悩んでいないで?ご一緒しませんか。。。
2012/06/21 (木曜日)

「ここにも、さまよえる湖が」
地球の異変は相変わらずのようで、ここモンゴルでもすごいスピードで環境の変化が進んでいます。とりわけ大地の乾燥はニュースで伝えられているとおりかなりなものです。
タクラマカンでは、あの巨大な湖ロプノールが、今では彷徨ってるのではなく完全に消え去ってしまっています。あらゆる川が海へ届かなくなっているとも言います。人口爆発による取水量の急増に乾燥が拍車をかけるわけです。山々は保水しなくなったし、黄土の流出も相当量。
モンゴルに話を戻します。ここでもこの10数年の間に湖は小さくなり、今年エタップ2では、例の左右の湖が時間によって水位が変わるという超常現象のようなものが観測されるところなのですが・・・大きい西側の湖は小さくなってしまっていて、少し小さい東側の湖は影も形もなくなっています。確かに雨でも降れば広大な、そしてどうしようもないほどの泥の海を出現させるのでしょうが、とにかく消滅してしまっています。
数年前は右側の湖の畔を全開でCAP180で走ったのですが、肌に感じる湖の湿度もいまではあまり大したことはなく、乾燥が進んでいることを空気が伝えています。
さて今回のボクの主題のひとつ、砂丘の浮かぶ湖も実は同じような状態になっています。エタップ2のゴールとビバークにここを選んでいたものですから、ありとあらゆる方法でアプローチするのですが、地図にある湖の上にまでやってきているのに湖はありません。
近くの遊牧民に尋ねると
「3年前まではあった、」
「いや30kmばかり後退した。」
「・・・」
30kmも後退するはずはないのですが。
翌日、その村の女性の村長さんを訪ねました。大歓迎!です。
「湖はいま少しずつ水を戻しつつあります。」
「おお!」
「この大会を村を挙げて大歓迎します。」
翌日、車で湖まで行きました。
確かに小さくなっていますが湖は存在していました。
そして湖に浮かぶ砂丘も遠くに見えます。
次の日は、もう一度エタップ2を制作し直すために出かけることにしました。
ボクタチはこの村の子供たちのために、ノートなど文房具やバトミントンなどの遊び道具をたっぷりと積み込みました。
村からビバークまでは50kmばかりありますが、きっと村長さんや子供たちが遊びに来てくれることでしょう。
さて、モンゴルの情報・・・
今年から、さらにアシスタンスの規定について厳しくコントロールしていきますのでご注意ください。もういちどレギュレーションをご熟読ください。

2012/06/19 (火曜日)

「スガワラ峠の雪と氷」
それはモンゴルほどの高緯度にある山塊の3000mの峠。日本の3000mの高山に比べても、空の群青はまるでヒマラヤだ。それにその高緯度の空気も凄絶な感じすらあるのだ。そこに至る道は地元の遊牧民でもあまり通ることはない。おそらく通る必要がないのだがシャルガルジョートというこの国でほぼ唯一の温泉保養地へ、危険だけど近道だということで稀に人が通る。
そして6月の試走の時は2年に1回くらいしか通れない。そして通るときは雪の斜面を奈落の谷に向かってクルマを走らせるのは、暴挙としか言いようがない。
でも今年は、それどころの騒ぎではなく厳冬期の山そのものだ。下手をしたらラリーの本番も雪渓が残っているかもしれない。
そのうえその試走の折は吹雪と新雪という大歓迎ぶりで、ふとSSERのイベントの雨の多さを実感するのだった。
ボクがこの峠に(勝手に)スガワラ峠と名付けたのは、もう12年ほど前だろうか。
試走の時に見つけたこの峠を、本当にルートに加えるか否かをずいぶん悩んだ。
悪天候時にヌルヌルとなった斜面を登ったり下りたりできまい。それに体感温度を奪うほどの風と冷気が支配している。
それでも青空ならば驚くほどの景観と、困難な峠越えの喜びは喩えようがないんだ。
そして、はじめてこの峠をルートにした年に、菅原さんが役員として参加していただいた。しかも最後尾を司るカミオンバレイを担当する。でもそのころには地元の軍用トラックとランクルという組み合わせ。この峠を越えるのに苦労をしたことはうかがえる。それでも「あの峠は素晴らしかった」と。それにその経験が菅原さんをして「この大会にHINOのカミオンを寄付しよう。」という思いに至ったようだった。
いま2台目のFTという4×4のカミオンがラリーの最後尾を守っている。
スガワラテルヒトやシノヅカケンジロウもそのハンドルを握った。
そうした、このラリーへの思いに心よりの敬意をもって「スガワラ峠」と命名したのだ。
どうか心して登り、そして超えていただきたい。
たおやかさと高山特有の厳しさと、驚くべき景観がまるで菅原さんのようだ。
2012/06/18 (月曜日)

「車検も大雨でしたね。」
雨雨雨。。。
「そういえばチョモランマ酒場の時も雨でしたね。」誰かがボクにそう話しかけた。
そうだったのか・・・
なにも雨はラリー本番の時だけじゃないんだ・・
ということで松山の船積み車検も大雨。
雨不足に苦しんでいる松山も、何も土曜日だけ雨が降らなくてもねえ。
さらにAPIOさんに誘われて走りに行った高知も、もちろん雨。
ここまで雨の確率の高いボクは、何かこの特技を社会貢献に利用できまいかと思案中です。
まあそれはさておき、雨のリスクの高い6月の催し物・車検は国際展示場の1/3を仕切って。
すると中にまでトラックなど積載車も入ってこられるので雨なんて、問題ないわけです。
しかしそれにしてもこれだけの確率で雨に当たるのは、相当なものです。
もっと言えば、モンゴルの試走も過去になく雨と風と雪。
そろそろ流れが変わるはずなのですが。
いよいよ次は北海道4デイズ、これこそ今年ばかりは4/4の晴れを目指しているのですが。
そしてモンゴルはまあ大丈夫でしょうから、あとは近場で行くとSSER3DAYS、これも過去の連続晴天記録も今は昔。そのSSER、今年は100マイル×3 まあ160km×3=480kmのラリーを目指して組み立てて参ります。
モンゴルのルートインフォメーションも、このあと取り掛かることにしますね。

2012/06/13 (水曜日)

「ラリーモンゴリア試走レポートその1」
今年のルートに挑むのは、実は参加者たちだけではなく、まずボクタチ試走チームなのだ。5月26日夜にウランバートルにつくや明早朝にはウランバートルを出発する。この早業が、ここのところのボクのウリだ。
そして全長3500km超のルートを、1日300km(これが実に難しい。)約14日間で走破しルートブック(コマ地図)を作成しルートのGPSのログを拾うのが主な仕事になる。これを完璧にこなすのはいくつかの課題がラリーのように絡み合う。
まずはマシンの問題だ。完璧で壊れないマシンとスペアパーツ。マシンは何もクルマのことだけではない。テラトリップやマップツインといった測距器やGPS機器などのことだ。
とりあえずこの3つが最後まで安定していれば、何とかなる。
しかし今回はクルマを3度も取り替えた。
1台目はエンジン不調。2台目は新品のクラッチが、砂の中で滑り始めていた。
やっと3台目のパトロール中東仕様で納得。
2度もウランバートルからクルマを夜のうちに呼んで、朝起きてクルマを乗り換えてスタートするというセレブぶり。ただし補正は厳密にとりましたんで。。。
クルマの次は人間の身体だ。つまり食事と快適な睡眠。そしてチームワークのことだ。
さらに、かなりハードな精神力とサービス精神が要求される。
問題はそのサービス精神で、この山の上の風景を見せてやろう!なんて考えるほどにルートの難易度は上がる。つまりサービス精神の高さは難易度に直結する。
そして最大に必要なものは「情熱」と「表現力」だろうと思っている。
それらの意味を総合しても今大会のルートは、素晴らしい出来栄えだと自画自賛している。何度も何度も出場した参加者らに瞠目の景観をお見せできると断言できるし、思いがけない困難を強いる場面もたびたび出てくるだろう。
ときにふと「ここはタンバクンダか?」と思わせるようなダカールのオールドファンには懐かしい風景が出てくる。約束していた湖に浮かぶ砂丘地帯は、水位が急激に下がってしまったので望めなくなったもののその干上がった湖底のデューンの袋小路を彷徨うことにもなる。
大きな4000m峰を有するボグド山脈はアルタイ山系。狭隘な谷をいくつも詰めることになるが驚きはそこにもある。一つの谷は氷で閉ざされていて、いちかばちかのアタックを試みた。何とか抜けられた。もう一つは谷には氷が張り詰め青い光が満ちていて、氷の底に水が流れていることが確認できた。さすがにここは「行くな」と、迂回路を取った。
平均標高もいつになく高い。ひょっとしたら、2000mを超えているのではないだろうか。
今回は吹雪の中、厚い氷や雪の中を超えて行った。
まさに美しい風景や、20年近いこうした旅の中でも初めて出会う景観やピストに感動しきりだった。
ルートには様々な性格が表れる。
後年「そうか、あの年の大会に出ていたのか・・・」そう言われる大会にしたいと、毎年そう思っているからいまだに進化できているのではあるまいかと自負している。とにかく2012年、これまでになかったルートとそのコーディネイションを楽しみにしていただいてよいと。
きょうの一枚
積雪地帯はピストが良く見なかった。標高2300mに降りてくると、緑のじゅうたんと雪が見事なコントラストだった、今日はこのあたりでキャンプをするか!とクルマを止めた。
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Organisation Voice 2012/05

2012/05/23 (水曜日)

「モンゴルの試走に出かけます。」
もう何年も、この季節に大きな荷物を抱えてウランバートルへ行く飛行機に乗ります。不思議とどこかのテレビクルーが必ず同じ便に乗っています。
彼らの装備や服装を見ながら
「このチームは、なかなかやりそうだな。」
とか
「ここは荷物が多すぎて、素人くさいなあ」
とか勝手に値踏みをします。
ことほどさようにプロの荷物の整え方やウエアリングは、その力量まで透けて見えるから不思議です。
まあそういうボクは、最近とても荷物を減量!しています。荷物が多いというのがとても億劫だと言えばいいでしょうか。
せいぜいISKA製の20年も使っているダウンシュラフと、ここのところそのシュラフのダウンが切れてきたので、シュラフインナーとマット、あとダウンジャケットと少々の着替え。寒さは体力を奪います。そうなんです試走は寒いんですぅ。
カメラも小型のものを一つか、まあふたつ。一つは奪取に取り付けてインターバル撮影をするものなのですが。もちGPSは商売道具ですがボクはもうPCとか持っていきません。できるだけ現代社会の情報と隔絶して、浦島太郎になりに行きたいのです。
今朝FBで一つの文章を見つけてシエアしておきました。
少し日本語が「???」なのですがおおよそはこのような文章です。
「これはあなたの人生です。
自分が好きなことをやりなさい。
そして、どんどんやりなさい。
何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。
時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。
(中略)
人生は短い。
情熱を身にまとい、自分の夢を生きよう。」
と結んでありました。
「うーーん。」
いいなあ、と思って思わずシエアしたのですが、何か物足りない感じがし始めて・・・
だからといって削除するのもなあ。と悩んで、OVを書いているところです。
人生は確かに短いのではありますが、確かに自分の人生なので、自分の好きなことだけしたいのですが、気に入らないことがあれば、すぐにも変えたいのですが。
時間が足りないからと言ってテレビを見るのをやめても時間のマネジメントができていない人は、同じように時間は足りないはずなのです。
こうして「なるほど」と思うこともイメージでとらえていては術中に陥ってしまうはずです。
こんなことを言われなくても、誰もがそう感じそう生きていますが、そうであってもこのように言われれば却って悩み始めるようなものではありませんか。
ああ試走に行くとき病がはじまった今朝のボクでした。
「情熱を纏い自分の夢を生きよう」
ではなく「六分の侠気、四分の熱」がボクの考える正解です。

2012/05/21 (月曜日)

「時々週刊タクラマカン」
さあ、タクラマカンへ。なんて突然書き始めるのも、今のボクは来週から始まるゴビ砂漠の試走の旅で「かの地モード」に陥ってしまった。
最近はマルチに思考が組み立てられずに、一つのことをやっていると違う思考にシフトすることに時間がかかる。
まあ老眼のように、調節障害なのかもしれん。
そして今日は2台のGS-ADVを点検に持ち込んできたからなおさらか。
ブレーキローターを留めるボルトがさびているのを眺めて、自堕落な自分を反省し「もうバイクなんか持っている資格なんてないなあ・・・」とひとりごとだ。
ところでBMWの販売店の店頭へお邪魔するのは久しぶりだが、感慨は深い。
高速道では大量の真新しいBMWを見慣れているので、モデル名こそはわからないけど。。。日本のバイクメイカーがいかに会議ばかりして、「そんなこと!」と思うようなことに挑戦しなかったかという道筋を見出すことができちゃう。
店舗マネジメントも、日本のメーカーのそれとも違いまあアイデンティティはコントロールされている。
さて巨大市場中国もついにバイクがスタートしたと思う。日本のメーカーは千載一遇のチャンスなのだろうか?モーターサイクルの未来を、描ききれなかった日本。70年代に英国のメーカーを挫折の淵に追い込んだメイドインジャパン。負け癖がついてしまったのだ。
ぼくは思う「宝くじがいかん」と。
「買わないと当たりませんよ。」
「でも買っても当らない。」
宝くじの当選倍率がどの程のものかは知らない。
当たるまでは夢を見るのだという。そして99.99%は、当たらないので「しかたなかった。」と結論付ける。
負ける経験を積み重ねていくうちに。悔しさを薄められてしまう。
負ける理由をいっぱい見つけて、勝てそうな最終局面に弱くなってしまう。
それは「どうせ勝てない」「たぶん最後は負けるだろう。」そんなイメージを纏ってしまっている。
タクラマカンから話がそれた。
イタリアのUNIT(きょうの一枚)にメールを出そう。「いくら?」って。

2012/05/17 (木曜日)

「モンゴル、久しぶりにM2出動予定だ。」
いよいよモンゴルの試走がはじまる。
最近、9時くらいになると眠たくなるボクには最適な日々だ。
早寝早起き、史上最大級のオートキャンプ大会。
オートキャンプ用品の耐久テストを、無償でお引き受けしますけど・・・
これまでは、そうした装備には凝ったものの、なんのことはないすぐなんても粉々に壊れる。
まあオートキャンプは、舗装路+キャンプ場。
モンゴルでは、いかに確実な積み込みをしていても、なぜだか荷室で貨物は宙を舞っている。
いや、それだけではない。
テントはどんなに丁寧に設営しても、半ばで破れる。
この時期は強風の季節、砂嵐のシーズン。それにひどい年は寒さとの戦いだったり、暑さとも戦う。敵は、複数で油断ならない。
まあだから面白いともいえるんだけど。
まだ見ぬ明日のルートを考えながら寝袋に滑り込むときの、あの何とも言えない至福感。。。
それもこれも含めて、まことに我ながらアドベンチャーだと思う。
とはいえモンゴルは、なんとか旅人が命をつなぐ工夫がたくさん施されている。
特に遊牧民の旅人へのまなざしは、いつも四国へんろの旅人へのおもてなし文化の醸成と能く似ているなあと感じる。
もっと試走に時間的余裕があれば、あちこちのゲルで遊牧民(の娘)と仲良くなれるのになあ。
さて今年は、ここのところ1台体制だったメディカルカーを参加者増にあわせて、2台体制にしようと計画している。
1台は「M1」タンドラ+ムッホ+ボルドサイハン医師(ローテーションだけど)さらに2代目は「M2」ランクル+日本人ドライバー+日本人医師(こちらもローテーション)もちヘリにも医師が乗って、このような体制。
さあ、いよいよ今年もモンゴルのシーズンがやってきた!!

2012/05/15 (火曜日)

「北京de考えたこと」
何度目かの北京。
末期フェチのボクは清朝末期とか、明朝末期とか、好きだ。
ついでに言えば、滅びゆくモノの姿に美しさを感じる。
そこにある混沌、退廃、不条理。そしてエネルギーの充満、爆発。
ジョブスの言葉を借りれば、滅びこそ革新の最大の契機となる、のだ。
大木は倒れなくては、若木は育たない。
倒れることで、これまでさえぎってきた太陽の恵みを地表にまで届け、ついでに
自らの栄養を次世代に供給する。「滅び」こそ再生の原動力。
おそらく日本のエネルギー政策も、いや政治も、いやいや経済もその局面を迎え
ているかもだ。滅びゆく者の姿は美しい、というのはここでは撤回。
飛行機の中で読んだ「禅の世界」がよくなかったか。
驚いたことに、ムッホはそれを「貸して」と、むさぼるように読んでいた。
「ジョブスのスピーチを、禅の世界観で解説しているのが面白かった。」
「・・・・・・・」
まじかい?
さて北京空港。
ずいぶん遅れた飛行機を北京のスタッフは、ずっと待っていてくれた。とにかく
バゲッジを受け取るまでに歩く距離は、ちょっと異常だ。
飛行機が着いたスポットはターミナルの中央付近。そこから延々と歩く。歩いて
歩いて入国したと思ったら、またまた歩いて歩いてシャトルに乗る。それを降り
るとまた歩いて歩いて、バゲッジを受け取る。
なんとも巨大空港はヒューマンフレンドリーとはいかない。。。
これからはハブ空港じゃなくて、小さなリージョナル空港の時代が来ますよ、絶対。
にしても中国の巨艦主義は、いかがだろう。
とにかく大きいほうが偉いのだ。
いやどうも中国だけではあるまい、世界もあいかわらず巨大建築物ブームかも。
日本も、どこかまだそれを感じているのか。
スカイツリーに喜んでいるのは、なぜだろう。
ひとより高いとか勝ったということがこんなに嬉しいんだろうか。
「優越」
という言葉は、何か本質を見失っている。もう古い古い。
これからは「僭越」でいこうとおもう。
まことに僭越ですが、ぼくの持論をまた。
鳥の巣をモチーフにした件の北京オリンピックスタジアムの近くにホテルがとってあった。ボクは北京飯店をオーダーしていたのにぃ。
そのスタジアムはオリジナルのデザインは秀逸だったが、鉄鋼の量が半端じゃない!という理由でデザインは台無しになった。
「それなら、竹で作れば良いのに。。」
さすがにその発言はスルーされた。
黄砂のひどいかすんだ北京は、ライティングでブレードランナーの世界のように見えた。流れる夜景を見ながら2050年くらいの世界を夢想した。
日本が25%ほど温暖化効果ガスを減らすという目標のころだ。
それでも太陽の磁極の関係で、どうも20年くらい前(2030年くらいね)まで寒冷化がひどくて、5月になるのにまだ氷点下の気温が続いている。
世界はガソリン車をあきらめたが、中国はまだ走らせている。
リチウムは中国最大の外貨獲得の商品になった。
北京は4000万人都市だ。
21世紀も半ば、未来はあまり明るくない。
だいたい20世紀を生きた人間たちのせいだ、そういう論調が中心となっている。
そもそも農産物のプロダクティビティは、2010年ころの40%にまで落ち込んでいるというのに世界人口は100億を軽々と突破して全人口の60%つまり60億人が栄養不良か飢餓に苦しんでいる。40年前に起きた原発事故以降、次々と事故を誘発し、おまけにテロ攻撃を受けた。
ああ、いかんなあ、こんなことを考えていては明るい未来はやってこないかもだ。
北京ダック食べて、アワビ食べて、火鍋食べて、高粱酒飲んで、ああああ・・・
はやくゴビ砂漠に走りに行こう!!
今年もとっておきのスペクタクルを用意しておくことにするね。
今日の一枚
北京の発表会場は、野趣にあふれたアフリカンテイスト。
2012/05/07 (月曜日)

「素敵な大会でした。」
明けて昨日の日曜日の朝、よく見る「題名のない音楽会」オーケストラをバックに素人が歌うという企画の第2週目。プッチーニを高らかに歌い上げる、まさに素人はだし、にまざって小学生の「ふるさと」そして87歳の老婦人の歌に思わず涙が・・・・・
それは日本の歌100選にもある「この道」北原白秋作詞、山田耕筰作曲でした。本当になんとも魂をゆすぶられたと思うのですから、そうない経験です。
今回のTBIの旅の伏線は、吉井勇。「五足のくつ」に端を発したTBI2012、ボクは少し時間を見つけて吉井勇記念館に出かけました。
オフィシャルのやまちゃんに
「龍馬伝の中で、龍馬とおりょうが新婚旅行で霧島に行ったとき、同行していたのが吉井のおじいさんで、ドラマの中で龍馬が「ありがとうございます吉井さん」というセリフが出てくるよ」なんて言ったら、なんと「龍馬の会」のやまちゃん!i-phoneに「龍馬伝」全編が収められていて、すぐにそのシーンが再生されたのでボクはびっくり!かくいうやまちゃんも「どうせ、いいかげんに言っているんだろう(まあいつものことだし)」と思っていたのでしょう・・・びっくりtoo。
まあそんな気分と話で盛り上がっていた大会運営1号車ですが、いつもの年にないハードで楽しい参加者の横顔をながめつつ「素敵な大会になったものだ」と、うつらうつら。
きょうの一枚
龍馬像の横に建つ吉井の歌碑
「大土佐の海を見んとてうつらうつら桂の浜に我は来にけり」
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2012/04/24 (火曜日)

「TBI、ですね。」
本当に桜はあっという間に終わり、野にも山にも町の街路にも新緑がもりもり。
それはそうでしょう、もうTBI。数年ぶりにTBIのお手伝いにモンゴルからかけつけるムッホは、「昨日は雪嵐のためフライトがキャンセルだよ」となり・・・なんとか今夜には「経由便を見つけてなんとか・・・」という、まだそんな季節のユーラシア大陸の奥地からやってきます。
まあ人員配置上は難しいのですが、このTBI-DAY1の高野山の桜を彼にも見せてやりたいなあ。。。なんてぼんやり考えています。そうそう紀ノ川の夕景もなかなかのものでしたねえ。
でも考えればムッホ・・カシュガルからチベットも、西安からパリまでも、それよりもTDNでは北海道の日没の山奥や、奄美大島の林道や、TBIの四国の細道まで日本もかなりのところを経験しているのです。
とまあ、TBI直前で。
ただただ荒天じゃなかった好天に恵まれる1週間であることをひたすら祈っています。
では、まずはプラザ阪下でお目にかかりましょう。
きょうの一枚
昨年のTBI、高野山奥の院山門前の桜を撮る参加者の女性。
2012/04/20 (金曜日)

「R1200GS-Aのこと。」
先のTDRでのこと。
とあるR1200GsAdventurライダー・・・
「西安パリのGSを見て、アルカンターラのシートを野口さんに作ってもらいました。」
「おお、ぼくとのお揃い。」
なんか完全にお揃いです。違うのはかなり綺麗に乗っているということ。
その赤と黒とのシートを眺めているうちにボクは、めくるめく思いにめまいを覚えたものです。
ボクはなぜか?3台の同じマシンを持っています。あっ1台は岡山に輿入れしました。もう1台は北海道の山口さんが今年のタクラマカンに乗っていくはず。そして岡山の一台もタクラマカンに行くということは、この3台は西安からパリへ、北京からローマへ。そしてチョモランマの5300mへ。そんで今年タクラマカンの大縦断に行くことになります。
なんということでしょう。
何とも贅沢な境遇の3台ではあります。
走行距離のほとんどは大陸。それもシルクロードとチベット。
「売るときには、やばいかな?その素性・・・」
なんて下世話なことを考えてはいけません。
チョモランマに行くときカメさんが
「カメラ孝行をしたい。」
とMAMIYAの大判カメラを持ってきました。
その時ふと、バイクにもそれにふさわしい風景を見せてやるんだ。
と、そんな風に思いました。
2007年には例のイモビライザーのトラブルで、テレビで醜態をさらした(ボクがです・・)のですが、それ以降は大きなトラブルもなく。あっ1度はフロントフォークがボッキリ!というのがありましたが、おおむね健康に過ごしています。
やっと暖かくなったので、久しぶりにこれに乗って旅に出ようかな。と企んでいます。企む?タクラム・・・なんかタクラムカマン?ですな。
写真はタクラマカンのサイトのFlickr。。。めくって楽しんでください。

2012/04/13 (金曜日)

「春から初夏へ。」
桜も盛りを過ぎれば、四国は初夏の様相。山々に野生の藤が咲き始めます。その渓流の対岸の中ほどに咲く藤の花が、誰の手にも届かないゆえの美しさを誇るさまは。さらに山々には栗の花が高い枝先に薄黄色の花をつけ、あたりの新緑をさらに引き立てます。
清流はいっそう清冽に流れ、山々を貫いて走る林道群は、やたらと挑発的。とまあこれらは、ぼくのTBIの記憶。
1989年。実はパリダカが興った10年後。そのTBIはその足跡を記しました。
前年、4台のモーターサイクルと2台のランドクルーザーでパリダカに挑戦したわれわれは、その前後を含め日本人のMOTOの選手が全くこのラリーに歯が立たないことに意を強くしていました。
なにもそのラリーに、そこまでこだわることもなかったもでしょうが、日本に帰るやすぐさま、TBIの制作に取り掛かりました。
まず手掛けたのが、もちろんラリーの運営の準備ですが、それよりもマップホルダーの製造でした。
アルミのラジオ用のシャーシを買っては、パーツを組んで。
毎回のイベントごとに50台くらい販売するのです。
この行為から様々なものが見えてきました。
それがTBIやモンゴルへとつながっていきます。
24年目となったTBI。間もなくです。
風景も心も何も変わりませんが、少しずつ道路がよくなり高速道路が伸延して、あのつらい国道439も、何事もなくなりつつあります。
もっとガラパゴスのままで良かったのに。なんていうものだから、疎まれたりもします。
便利になるということは、どのようなことなのか?
よく考えるようになりました。
ともかくTBI
まもなくです。
ドイツからの参加者もいて、きっと楽しい2000㎞の旅になることは請け合いです。
2012/04/09 (月曜日)

「週刊タクラマカン、なんか久しぶりのOV」
ほんとうに尋常じゃなく忙しく、随分とかまけて更新を怠りました。いやそれにしてもこの春は、色々なことがありました。辛い出来事も、楽しいことも、嬉しい事も。
それらを乗り越えて時間はひたすら流れていきます。
そして確実に春は初夏へと移ろい始めるのが四国。
遍路の鈴の音も賑やかにへんろ道を行く白装束の人々は、どこか憂いを含んでいてその旅の契機となったものを想像させます。
四国は「おもてなし」の国だ、と言います。「うらおもてなし」に人を歓待する土地柄です。しかしそれは、かつてはその遍路道を行く白装束の人が見せる、危うさに、なにか心を寄せたのではあるまいかとも考えます。確かに数百年も前の遍路の道は過酷なものだったでしょう。四国に、なにを求めてやってくるのかは、おおよその地元民は想像がつきました。
「悲しみを乗り越えるため」であったり
「苦しさを耐えるため」であったり、あっ同じ事か。
いや言葉には出来ない深い思いが発露なのではないかと思うことしきりです。
TBIの季節はまた、そのようなことから解き放たれる新緑の、つまり生命が息吹を高める季節でもあります。そして今回のコースには多くの札所(八十八カ寺)を配しています。
そうそう、九州4デイズのときに約束した、吉井勇の記念館も通ることに・・・。
まことに日々は、あっという間に流れ季節は移ろい、それらは加速するかのよう。
毎日を楽しく考えて、秋にはタクラマカンに旅に行くことに。
今週のタクラマカンは、まあこんなところで。
きょうの一枚
愕然とするのはロプノールに出来た巨大なプール。一辺が数十キロあります。中国はなにをやっているのでしょうね。わりと近くを通ります。

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Organisation Voice 2012/03

2012/03/30 (金曜日)

「日本人の美学」
サクラサク・・・そんな合格電報の言葉にも美しさを感じていたオジサンたちの世代。
あなたのサクラは咲いたか?
しかし咲くサクラは、実はすぐに散るサクラであるという日本人の人生観。
戦争などで利用はされたものの、基本的には災害の多かったこの国土で形成されてきた日本人の真情でありつまり美学であったろうと思う。
「明日は無い今日を生きる」
日本人が常に持った無常観・死生観だろう。
「散る桜 残る桜も 散る桜」
これは良寛の辞世の句としてつとに有名だが、早いか遅いかの問題だと言っているのではなかろうと思う。生き方を言っているのだ。
ところで最近の大河ドラマでは、瀬戸内寂聴の説を採って待賢門院への失恋から出家したのとしているのだが、そのシーンも桜が見事にあしらわれて、あざとさもなかなかのもの。
「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」
毎年この季節に、ボクは欠かさずこの西行の歌を書いた。
日本人の桜に対するたいそうな思いを強く思うばかりではなく、なんとなく西行という名の「西に行く」という語彙や、旅の中に人生を見出してそれに生き、後世の芭蕉にまで強くその精神を伝えたという意味で偉大だとも思う。
西に向かうということは沈み行く太陽に向かうことで、思わぬ寂寥感にさいなまれる。
サクラを見に行こう。
もしサクラの季節が終わっていたら四国にやって来て、西行のように旅をしてみよう。
GWにね。

2012/03/29 (木曜日)

「こんな日は、ヘミングウエイのように。」
日本くらいだろう
「ボクは晴れ男だ。」「お前が雨女か!?」
なんてやっているのは。
そこで、こんな愚かしい発想について、いろいろと考える。
統計的にこれを分析することになぞ、一切の意味はない。
しかしだ。もしかしたら血液型と晴れ男の関係があるやもしれないが、それもまあ偶然の一致と言っていい。おおかたのB型は晴れ男で、A型は雨男だと思うか。
で結論から言う。
楽観主義者やエピキュリアンは「晴れ男」を名乗るだろう。そして悲観論者、ストイシズムの人々は「雨男」を称する。
あなたはどちらだ?
まあ雨男を自ら名乗るのは、まるで自分は運の悪い男だ、と言っているようで実にモテない。
研究の成果について語ってみよう。そもそも分布で見れば、晴れ男は海岸に近いエリアに生息している事が普通だ。日焼けもしていることも多い。
太陽の恵みと海の幸にはぐくまれてまあ「どうにかなるわ」という、関西人や南太平洋の島々に暮らすような?鷹揚さを身につけている。
問題はこうした日本人が増殖していることだ。
こうした男たちは職種でいえば漁労または政治家。なかには東京○力会社勤務のものに多い。
いっぽうで雨男というのは、生活の厳しい山の民に多いことが伺われるな。
冬や悪天候に備え食糧不足にも燃料不足にも備えるという、実は古い日本人的な性質を有している。
哲学者などという者の多くはここからしか排出されまい。また物理学者も実は「雨男」が多い。
彼らはいつも被害者意識を持ち「いつかは海の近くで暮らしたい。」という潜在的な意識が彼らの深層心理を抑圧的なものにしていると言える。
へミングウエイやゴーギャンなんかがこれにあたるわけだ。
「老人と海」に至っては美しいエピキュリズムと、精神的な快楽と、最後には喪失してしまうと言う分かるものにしか分からないものが、世界中の人にわかった?
という不思議な構図だと言える。
って、全く自分でわけが分からなくなっいたから。このあたりで今日は終わりだ。
明日、晴れることを祈ろう。
つまり結論。
雨男のように準備をして、晴れ男のようにその日を待つ。
きょうの一枚
釣り師は、つねにストイックであるがゆえにささやかな釣果にも満足を得るのだ。っていうような釣果ではない、ヘミングウエイ。。。1950年頃。
2012/03/26 (月曜日)

「そう、来ましたか。」
SSER2011の最大の敵は「雨」でした。全てのイベントの全てのスケジュールに「雨」がありました。あっ、国内の話ですね。
そりゃ、多雨の国ですから雨も降ります。でもここまでドンピシャで降ることはないじゃないかとも思います。たまたまボクタチは好んで、リスクのある環境に身を置く性癖があります。
だからカッパとか非常食とか懐中電灯とか、場合によってはロープまで背負っています。ですから、まあ大丈夫なわけですが、それにしてもこの雪の中をバイクを走らせ続けるのは、いかなモチベーションなのかとは思います。
そして、そうでない日本中の皆さん!たとえば遠足とか運動会とか、
楽しいお出かけとかがどれほど週末ごとの雨に祟られたでしょう。う。
その経済的損失も、かなりなものではあります。
そしてSSERには「ついに雪まで降らせましたか」という賛辞?の声が全国から続々。
ボクはこうした状態でも平気で出動できる、災害等緊急時支援機動隊の創設!を
間もなく発表する予定です。これはまたどこかで詳しく述べることにしますが、
昨年の東日本大震災の緊急支援活動の反省からずっと育んできていたものです。
天は我々に試練を・・・と言うことではありませんが。
せめて北海道4デイズくらい、今年は4連続ピーカンでお願いしますね。
きょうの一枚
雪で、鯖街道。
2012/03/21 (水曜日)

「妄想にも似た浪費こそが、後世に。。」
確かに2000年も4000年も前の建造物を見て驚くのもいかがかとは思うが、昨晩は秦の始皇帝陵に科学の目が入る・・・みたいなのを眠い目を?こすって見ることにした。
ほんとうに莫大な浪費で、いやしかしこれもまた公共事業で。。何度も行ったあの兵馬俑も、その隣に「まだいまの科学では発掘しても保存できないから」という理由で、そのままにしてある始皇帝陵の話も素晴らしいじゃないか。
日本では幕末の騒乱期。。バイエルン王ルードリッヒ2世は、シャトーの建築に明け暮れて最後は謎の死を遂げた。白鳥と呼ばれる?おそらく世界で最も美しい城ノイシュヴァンシュタイン城、ヴェルサイユ宮殿を模したヘレンキムゼー城それにリンダーホーフ城。まさにドイツの世界に冠たる観光資源を築いたのは精神病といわれた王だった。
始皇帝は、これを遡ること1900年。兵馬俑も凄いものの、やはり墳墓はただ事ではない。中国の人と話すと「いまだに火が燃えている」とか「水銀の川が流れ、水銀の海が地下宮殿を囲んでいる。」のだそう。それも兵馬俑が出てきたものだから、確かにそれはあるなあ。。と思えるから仕方が無い。
2000年を越えて火が燃え続けてるとは思えないが、始皇帝ならあるかもしれないと。。そして兵馬俑だけでも年間夥しい数の観光客が世界から押し寄せてきているというのに。。
これで始皇帝陵を何とかし始めたら、西安の観光は永遠に大丈夫なのではないかと思うほどだ。
いまの日本は、後世に金を紡ぎだすときには荒唐無稽な公共建築物は無いのか!!と思っていたら「東京スカイツリー」が出来ましたね。それでも万里の長城や兵馬俑の構想には遠く及びませんよね。
なにが言いたいのかしらボクは。。
さて週末は京都。残されているものが後世の人たちの面倒を見ている、という意味では京都も思いが詰まっています。
きょうの一枚
ノイシュヴァンシュタイン城。美しくて悲しい物語。
それにしても近世にあってこんな中世の城を築く美意識には、脱帽だね。

2012/03/19 (月曜日)

「春来た。バッテリーはどうだい?」
春です。いつも着ているインナーを3シーズンのものに変更。ってかパタゴニアの
インナーがTシャツになっただけの話ですが、これぞ「春」って感じです。
まず着ているものが軽くなるのが良いです。
肩の凝りも減るってものですもの。
そうなる時になるのはガレージのバイクのバッテリー!!
GSはつい最近新品にしたついでにおすすめのチャージャーをネットでゲット。
しかしネット通販というのはいかがなものでしょうね?
店頭で
「これいいね。安いし。」
「じゃあ、帰ってネットで探そう。」
「そだね。」
そして帰る。
ネットを見る。
「やっぱ、ネットのほうが安い!」
って、こんなことばかりで良いのでしょうか?
いつぞやも書きましたがネット通販の販売高は7.7兆円!だとか。
そこらの大手流通なんて問題外!の売上!!
これから店頭というのは、展示のみで、販売はしない。
入店料金をいただく。
というのはいかがか。
店舗というのは、コストが莫大にかかります。
それをあなたたちときたら、サイズあわせのためだけに来て。。。
さて、そんな話ばかりでは悲しいので、旅に出るお話でも。とりあえず週末はTDRで京都だし、そのあともばたばたしながらも次から次へとラリーやら旅やらの季節が到来したって感じ。んで、秋にはタクラマカン。というかシルクロードのツーリング。そこで今日はネット通販では手に入らない?シルクロードの旅の地図を。右端にある「敦煌」がスタートゴールですが、実際はその少し手前にある嘉峪関にマシンは運んでおきますから、実際はそこからスタートです。
そしてこの図でいえばハミ、トルファンと進み、コルラ川を越えてニヤに向かいます。ここが今回のルートのハイライトのひとつ沙漠公路。途中でニヤに向かわずにチャルチャンに向きを変えて、チャルクリクそう米蘭故城のある。。。そしてこの図では清海に向かうルートで4000mを越えてチベット高原の裾野を走って再び敦煌に戻るというもの。
さあ、バッテリーを新品にして・・・
2012/03/14 (水曜日)

「あのときのイギリスといまの日本はどうなんだろう。」
「戦争の経験も無いくせに」
「お言葉ですが、闘わなかった日は1日もないわ。」
これは映画「マーガレット・サッチャー鉄の女」のなかの一コマ。フォークラン
ド紛争を決断するシーンだ。
いやそれにしてもメリル・ストリープは名優だと思う。
それだけではなくて、マーガレット・サッチャーにも興味がある。
観にいかなくちゃね。いつからだっけ。
息子マーク・サッチャーの「パリダカ遭難劇」ネットなんかない時代。新聞の社会面かどこかでふと見かけた。そんなことがあるんだなあ。遠い砂漠のラリーの困難さに思いをはせた。
マーガレット・サッチャーは「マークが見つからなければ、こんなラリーは必ずやめさせる。」と発言。だれもが「うーむ。」と唸った。ほんとうにそうなるだろうな。というだけの説得力もあった。きっとダカールにイギリス人が少ないのは、このときのトラウマじゃないかと思ったくらいだ。それほど怖くて、カッコ良かった。
さて、そのマークもどうしているのか?もう60くらいじゃないのかな。なにかの利権がらみでテロだかなんだかで、南アかどこかで逮捕されて懲役15年ていう判決をうけたとかを聞いたことがあったな。そしてマーガレット・サッチャーはいま認知症に苦しんでいるんだとか。まことに人生は困難だと思う。人生はまるであの時代のパリダカのようで、学ばなければ自ら立ち往生をしてしまうのかもしれない。
きょうの一枚
自分でも不思議なんだが、2009年10月にカイラスの麓までクルマとバイクで行った。それは夢のような経験。いまでも自分の人生の計画の中に「カイラス」は入っていなかったから、行くことになるとは思いもしなかった。マナサロワール湖の畔から撮影した1枚。
2012/03/12 (月曜日)

「北海道4デイズ」
いよいよ北海道4デイズもエントリーが開始しました。
ほんとうに波乱の2011年でしたが、無事に開催され今年に繋ぐことができました。芦別市のみなさまほか北海道の友人たちに深く御礼を申し上げるばかりです。芦別市というのは、本当にわれわれにとっても特別な思いのある土地です。
1988年に菅原さんたちがラリーキャンプイン・アシベツを開催され、シリル・ヌブーやフヌイユ、そしてガストン・ライエたちがゲストとしてはるばる参加されました。日本の大きなエネルギー政策の転換によって、それまで炭鉱で栄えた町は見る見る過疎化がすすみました。なにかこう現代に照らし合わせても不思議に示唆を感じますね。エネルギー政策なんてのは、全く酷いものです。石炭を奪い合うようにはじまった世界の近代化や軍備の増強は、第2次世界大戦で大きな変換点を迎えます。いやしかし現代でも火力発電の石炭は世界的な需要!日本もほとんどをオーストラリアから輸入しているといいます、きっと海上輸送費を払っても露天掘りのオーストラリア産が経済合理性で上回るのだろうということは容易に理解できます。それでも炭鉱から観光へ、と妙な語呂あわせで進んだ北海道の産炭地のイマについて国はもう忘却の彼方でしょうか。
話がそれました。SSERも2002年から3年間はツールドニッポンとして、この地を訪れます。そこで知り合った方々の温かさに支えられ、ツールドニッポンのあとは、こうした北海道4デイズというフォーマットで開催が継続されています。しかしこの地には悲しい思い出もいくつかあります。
若い頃に見た「きのう悲別で」という倉本聡のテレビドラマ。カナシベツという架空の町は実は芦別と歌志内。イマも歌志内に悲別ロマン座のあとや駅のあとが、まさに悲しい別れをもじったとしか思えないこのドラマの架空の地名の象徴として朽ち果てつつ残っています。いまだに、そのときのテーマソング「二十二歳のわかれ」が、この前もタクラマカンで砂漠の上のビバークの車座の中で50代のおじさんたちによって歌われていたのを思い出します。その前奏を聴くだけで胸が。。。本当にあの時代は切なくて悲しくて、何かやりきれない気持ちでいっぱいでしたね。それを表現すれば分かりやすくなんとも共感した時代でした。
あれほどあの時代、誰もが向かった北海道。いまではその巨大な空間と時間に弄ばれに、ボクたちが向かいます。
2011年は本当に悲しい別れがありました。
いつまでも続けると遺影の前で約束をしました。
さあ、今年もまた北海道を走るのですよ。
きょうの一枚
故斎木校長が連れて行ってくれた悲別ロマン座。そのときの写真は無かったので拝借してきましたが。。。なぜ1984年のあのドラマをボクはこんなに見たんだろうかと不思議です。家になんか帰らなかった頃なのに

2012/03/09 (金曜日)

「なぜか、とても多忙。」
忙しい!という感覚はこの季節にはあまりない。気持ちは忙しいのだが、案外とやってることは一つか二つか、というのが普通だったのに。何か同時進行案件が山のように。デスクの後ろのボードに書き出してみれば、なにかこう片っ端からやっつければ良いのに。
で、考えた。なぜこんなに仕事がある時とない時の差があるのか(ラリーとかFUTUREとかは含まない)それは、やっぱり自分の発している「やる気」なのかもしれないと思う。それと周囲に「いまはこれを取り組んでいる。この仕事もあの件も進行している。このプロジェクトも立ち上がった。それに・・・」とまあ守秘の範囲内で話していると。。電話「ちょっと頼みたいことがあるんだけど。」「うーす。」そしたら「会社案内をWebと印刷物で!」「ウース」そうそう「仕事」は「仕事をしている人」が好きなのだ。
そんなことで、よし!仕事をするぞ!と思いきや、美術館巡りとバイクに乗るのと、家具屋巡りと。。。そんなことを考えては、ラリーのことに思いをめぐらせているのでありました。
きょうの一枚
片岡球子の描いた、無数の「富士山」103歳でなくなる直前まで書き続けた日本画の革新的な女性。70年代にとある百貨店って知ってる人は知ってますが・・・の個展で見て以来。。。
2012/03/07 (水曜日)

「TDRを、よろしく。」
今回で4回目となるTDR。。。昨年は琵琶湖の畔で。その前はそういえば富士山の周囲を。そして記念すべき1回目の大会では出雲まで!!と、なかなかのスケールで展開しています。
これは単にラリーの裾野を広げたい、という思いからはじまったのですが、どこでどうしたか「歴史探訪」なんていう部分も大きくなってきました。ちょうど大河ドラマなどの影響をもろに受けたのかもしれません。
昨年3月11日。このTDRのための試走中、ちょうど午前中に湖東で浅井長政の居城あとや安土城を巡っているときに、あの大震災が起こりました。
一時は当然のことTDRの開催を中止しようと思いはしましたが、頑張って開催したことが今でもささやかな誇りのようなものになっています。
間もなく震災から1年を迎えます。日本国内はさまざまな議論に揺れ、人々の「生きる」という意識にも大きな変化が起きています。しかし日本をくまなく走ってみれば、昔ながらの変わらぬ暮らしと人々の繋がりは、連綿と歴史を刻み続けているのが解かります。
ちょうど1年前。震災直後からSSERは緊急支援に石巻に向かい、1ヶ月間にわたる支援活動を行いましt。しかしそのときに出た問題点や課題は、いまだ着手できていないという反省もないわけではありません。
こうしたささやかなラリーでも、人々のネットワークは出来て、なにか事ある時にはそのネットワークも必ず生きてくると思います。
とまあそんな思いで、あれから1年。TDRで、まあ緊急出動訓練のようなものとでもお考えいただき、間もなく締め切りですがどうぞご参加ください。
2012/03/05 (月曜日)

「あれ、何の話だったっけ。」
途中になってしまっていた「なぜ山にのぼるか」の話。
続きを書こうかと思ったものの、なにを書こうとしていたかが思い出せない。
まあそのくらいのことだったのか。
それでも、山小屋ホテルと呼ぶ事務所の奥の部屋でボーっと座っていると、あのころの微妙な熱の残り香がある。
あのころなぜあれほど山に惹かれていたんだろう。
1本のピッケルの鈍い光の奥に、覗くことを恐れていたような深遠な淵が口を開けていた。
まあ簡単に言うと
やっぱ人間は「神に対して無謀な挑戦をする地球上唯一の動物なのだ。」
ということだろう。
多くの動物たちは食糧を得るためにリスクを犯すことはあっても、自らの理解しようもない欲求のためにはなにもしない。
いやカモメのジョナサンだけは、挑戦した。
そんなことじゃないかと思う。
また「準備をすることが好き」だということも出来た。
ボクも準備をすることが無性に好きだ。菅原さんにいたっては、すでに来年のダカールに持っていくものの「ものいれ」のダンボールが用意されている。
準備されていたものが予想通り使われることが快感を生む。
準備されていたものでも使わないものがあった場合は、「これは何かあったときのもの」というカテゴリーのものは、使われなかったことに満足を得るが、万が一使わなくてはならなくなったときも嬉しい。これらが山にのぼったりラリーに特に良く通う人たちの姿だ。
いや、ボクは違う。という人もいるだろう。でも根源は同じだ。10年もした頃には1回の海外旅行に行くにも何回も荷物の準備をしては繰り返す人になっている。
ボクがシルクロードの横断の旅に出るときは、数ヶ月前から毎日何度もバゲージを閉めては開けてを繰り返していた。
またなんの話しかわからなくなったので続きはまただ。
きょうの一枚
山小屋ホテルが再び。。。来月はムッホのホテルになる。ここと月日庵という茶室の二つが、ボクの事務所の中での隠れ家?

2012/03/01 (木曜日)

「山にのぼる、についての思考その2」
「人はなぜ、山にのぼるか」
が深遠なテーマだった時代は終わった。
とボクは気づいた。
それは昨日書いた梅棹忠夫先生の「山をたのしむ」から思考を発展させたからだ。
「人はなぜラリーに行くのか。」の謎も、おなじように解ける。
つまりこれらは「人間という動物だけが、なぜ自ら困難に挑もうとするのか?」
という問いだったのだ。
月初めのミーティングが終わったあとの昼食時の話。
ボク
「BC1万年、崖の上に暮らすあなたたち家族は、すでに食料が尽きている。崖の下を動物の群れが通る。あなたはどうするか?」
答えは簡単だ。
「獲りに行くのだ。」
しかし、ほんとうにそうだろうか。現代はリスクマネジメントの時代だ。コンプライアンスもある。
「そもそも、その動物を狩る資格があるか?所有権は?ライセンスは?」
とか
「崖から降りるときが危険だ。」
とか
「逆に動物たちに返り討ちにあうかもしれない。」
さらに
「獲った動物を崖の上に運べないかもしれないし、誰かに横取りされて命まで落としかねない。」
そんなリスクがある。
まあ、かの時代の人たちはそんなふうには考えない。そう考えるのは21世紀の日本人くらいだ。
そして、山へのぼる。
たとえ話で今日の文章量が尽きるかも、、、だけどもうひとつ。
同じ時代。つまりBC1万年。海に住む男が変な魚と、気持ちの悪そうな生き物をたくさん獲ってきた。最近は魚があまり獲れないのでひもじかった。
村のみんなでこれが食べられると、しばらくの飢えはしのげる。
もう少しすると月が満ちて海に魚たちが戻ってくるのだ。
魚は現代の日本では「ふぐ」と呼ばれるもので、もうひとつは「なまこ」という。
「ちょっと誰か食べてみてくれないか?」
「いやだ気持ち悪い!!」
二人の勇敢な男が前に出た。
「おれたちが食べてみる。」
ひとりは魚を、ひとりは変な物体を食べた。
魚を食べた男は、それでもこちらのほうが安全に見えた。
「あんなへんてこりんなものを食べたら、やつは死ぬ。」
そう思った。
もう一人の男は、ヘンテコリンナ物体の気持ち悪さに、死を覚悟したが口に入れてみると、案外コリコリしていて歯ごたえも良い。
「もっとグチャッとしていると思ったのに。これが食糧になればおんな子供も狩れる。これこそ次の時代のタンパク源だ。」などとは思わなかったろうが、まあそんな予感めいたものは感じた。
どうやらどちらもまずまず食べられたようだ。
だが安心はしていられないことをみな経験で知っていた。
「しばらく様子を見てから、食べられるかどうか判定しよう。明日まで誰も食べてはならん」とかって獲ってきた男が威張って言った。
魚を食べた男は翌日、死んでいた。
変な物体を食べた男は、元気だった。
こうして二人の勇敢な男は、生き残ったものは村のヒーローになり、死んだ男はやがて忘れ去られた。
リスクと選択の結末の多くはこうしたものだった。
お前はなにが言いたいのか?
続きはまた明日。
きょうの一枚
「石鎚山」
いわずと知れた?西日本の最高峰。TBIはこの山のまわりを走ります。ボクタチのふるさとの山で修験道の山です。1989年はボクが主演!!??でNHKの全国放送の番組を制作しましたよ。いま見たら噴出せます。

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[1999年]
 

Organisation Voice 2012/02

2012/02/29 (水曜日)

「山登りが、ブームなんだそうですね。」
いまさらそんなこと。
言われなくても、言わなくても周知の事実です。
しかしなぜ今、山登りがブームなのかと考えれば、その理由は少し考えなければなりません。
マラソンは、まさに空前のブーム。あ、自転車もですね。
まあ自転車も問題なら、皇居の周りを走るランナーたちも歩行者には、大きな問題だと聞きます。
とまあ、いつもブームはこうして水を注され、いつの間にか小さくなってしまいます。
それが日本的な、おおかたの現象といえます。
しかしちょっと考えると、この3者には微妙な共通点がありますね。
それらは、大変にしんどい行為だということでしょう。
しんどい順に挙げれば、山登り>マラソン>自転車でしょうか。
ひとはなぜこのように「しんどい」ことをするのでしょうか。
ところでボクの愛読書「考える人」(ちょっとユニクロ1社の広告でラップされているのが・・・)の最新刊は
特集「ひとは山に向かう」
もちろん読みました。
そして興味深かった記事もたくさん。
特に前々号で特集された梅棹忠夫さんのことを書いた「梅棹忠夫と修験道」
(text:藍野裕之)には、なるほど。とわが意を得たものでした。
こんな書き出しです。
「山をたのしむ」(山と渓谷社)という本がある。梅棹忠夫の生涯最後の著作となった本である。この本にある次の記述に、わたしは目を洗われる思いをした。(登山はあそびではなく、むしろ修行の場なのです。かたくるしいことをいうようですが、山は修験道における行場のようなものだとかんがえていただいたほうがよいでしょう。ここで自然に対する厳しい戒律をおぼえて、精神と肉体との鍛錬をするのです。わたしは今日の登山の隆盛をみるにつけて、昔の修験道にみられたようなきびしさを、日本の登山のよき伝統として見直したいとおもっているのです。)
その本の「山をたのしむ」という書名から、この修行とか鍛錬という言葉は不釣
合いなような気がしないでもないのですが、著者も書いているのですが、山をた
のしむ=修行はたのしむものだということが、何か日本人的だということです。
そしてそれはなにも山登りに限ったことでもあるまいと思うのです。
あのころのボクの山に向けた情熱がなんだったか。
そのあとラリーに向けた情熱はどのように解釈するのか。
しばしボクは「考える人」になるのでありました。
2012/02/28 (火曜日)

「SIX DAYS Wales 1983」
1冊の、まことに慎ましいけど深い憧憬の彼方にあった画像が姿を現した。ボクがエンデューロというカテゴリーに急速に傾斜していったのは、この1983年のISDEが日本のサイクルワールド誌の表紙を飾ったときからだ。石造りの街角を2台のマシンがカウンター気味に駆け抜けていた。このカメラマンだ。
ボクを、このような人生にけしかけたのは。
51Pにある写真もその雑誌を飾っていた。
まだ若いカメラマンが、ファインダー越しに自身の人生を覗いていたんだ。
そのときの心の動きはボクタチに伝播した。
翌年トシ・ニシヤマは苫小牧で今のHTDEの前身となるITDEを開いた。小さなトランポに4台のマシンを積んで出かけた。さらに翌年。ボクタチはSSERを開催した。
まさに、原点となった風景、つまりボクタチの原風景がここにあった。そしてそれを、何故今の時代にリリースしたのだろうか、それを問われているような気がしないか。
2700円。つまりささやかな価格だ。ボクは大いに伝えたい。きっと後年になってこの1冊は、あなたの宝物になると思う。
だからぜひ手に入れて欲しい。こうしたことに情熱を燃やしたカメラマンへの敬意をこめて、伝えねばと編集・出版に奔走したろう春木さんに。そして、なによりもいまも山の中をバイクで走ることを喜びとするものは、先人たちの思いに応える意味でも、この勇気ある出版の1冊を買う義務があると思う。
SSERでもネットで売ろうかな。

2012/02/27 (月曜日)

「菅原さんの学校、モーリタニアに。」
あのパリ・ダカールがキャンセルになった年、総合ブリーフィング会場のホールでは主催者による緊急発表。ボクはその場にはいなかったのですが映像や多くの方からの伝聞で、臨場感たっぷりの擬似記憶で今も心が震えます。
参加者は万雷の拍手で主催者の決断を評価したといいます。2007年12月末のヨーロッパ大陸の西の果てで起きたまことに小さな出来事です。
小さな出来事というのは、もう人々に忘れ去られているからということではなく、それによって大きな問題や事故を回避されたという決断は、案外忘れ去られてしまうということです。反対に大きな問題を生じてしまえば、そのときの決断の不確かさに大きな批判と場合によっては長く禍根を残すことになってしまいます。
それにしても選択と決断は、選択されなかったもう一方の行為には無頓着です。
ここで言うのは、強引に実施した場合の結果のことです。
「なーんだ、案ずるよりなんとやらだねえ」
なんていいながらダカールのホテルで杯を重ねていたかもしれません。しかし、
想像以上の恐ろしい事件が起きてしまい、われわれは多くを失っていたかもしれません。
こうした選択と決断が、リーダーシップと呼ばれるようになります。
それはともかく、その年のキャンセルになったラリーから撤収する菅原さんは、あることを決断した。
それは、モーリタニアの学校建設を支援しようということだった。その話を聞いてボクはMboroにあるエコールド・ティエリー・サビーネを思い出した。あのダカールのビクトリーランでは、その学校の角を曲がった?か前を通ったか?だったように記憶している。
ボクタチもはるか過去にモンゴルチームがアトランタオリンピックに出場する選手団にユニフォームを贈ったことがある。
そういうことをするのは実は難しい。
ともかく菅原さんが寄贈した小学校は完成した。テシットからティジカジャに向かう途中から左に折れてキファに向かう、あの穴ぼこだらけでバオバブの森が広がる、あのあたりだ。ボクは強烈な思い出のある、あの場所だ。
いまは政治的な不安定で混乱をした上に多くの原理主義ゲリラが、活動をしているこの国がやがて安定して成長をはじめるために欠かせないのは、間違いなく教育だと断言できる。

2012/02/25 (金曜日)

「肉が食べたい。」
どうしたものか、肉をあまり食べないボクがここのところ急に食べたい「神戸牛」ムッホを誘って食べに行こうかなあ。彼らは肉を食べるのがとても上手い。見ているだけで惚れ惚れする。骨の付いたところなんかナイフを使うさまは、大げさに言えば芸術品だ。肉なら何でもよいが骨が付いてればさらに良い。骨をしゃぶるさまや、骨を割って髄をしゃぶるあたりは、まるでカニの足を食べているのかと思うほどだ。
いや、そんな話じゃない。でもそう言えばモンゴルのルートのことを考え出すあたりから肉食になる自分がある。モンゴルでは肉をもう食べなくなったけど・・・やっぱり今年も素晴らしいルートを考えるには。。。神戸牛が必要だ。ボクはムッホみたいに硬い肉が食べられないので(なんで!?)柔らかい、あの舌の上で溶けるようなヤツが良いに決まっている。
そうだ、神戸へ行こう!!いつ行こうか。。。
そうそうTDRもあるし、TBIのルートも大阪スタートだし、言い分はいくらでもある。
きょうの一枚
肉、肉、肉。肉の写真を検索して並べて見た!なんて初めて、魚と野菜しか食べないボクに、何らかの変化の兆しが・・・
2012/02/22 (水曜日)

「モンゴルへの憧憬」
久しぶりに1999年の写真をFacebookにアップしてみたら、さらに一層、ラリーへの思いが膨らんできました。95年にはじまったこのモンゴルのラリーは、少し大げさに言えばボクの人生そのものだったかもしれないと思うときがあります。
ふと目覚めたラリーへの憧憬がSSERを作り、国内のイベントを開催するようになり、すぐさまパリダカへ通うようになります。必然のようにアジアでの開催の道を探るようになるわけです。
特に92年のパリ-北京が大きくボクをユーラシア大陸へ傾斜させます。シルクロードへの渇望やゴビ、タクラマカンといったアジアにある巨大な砂漠へ向かわせることに。毎年毎年こうした過酷なことに挑戦するに付け疲弊していく自分と、研ぎ澄まされていく部分との混在を感じていくのです。
それにしてもどれほどモンゴルに通ったことでしょう。まだツボレフという飛行機に北京空港からおっかなびっくり乗っていた時代です。
さあ、今年もいよいよラリーのスケジュールが始まりました。忙しい毎日が続くことでしょう。何もかもが年々厳しくそして難しくなっていくのは、どういうことなのでしょうね。
きょうの一枚
90年代の試走チームは、こうした陣容で長い旅をしていました。3号車は燃料を積み込んだL/C70-6X6・・・ここでは川で1m超のイトウを釣って全員の数日分の食料をゲット。

2012/02/21 (火曜日)

「まだ見ぬモンゴルの奥地へ」
今日はモンゴルのルートの検討が進んできた。
魅力的なエリアは、まだまだ沢山あるのだが、だからといって単純にラリールートに組み入れられるかというとそうでもないのだ。構成力というか構築力が試されるのが、こうしたロジステックや安全対策が不可欠な砂漠のラリーだ。
で、今年どうにかして行きたいと思っているエリアがある。 そこにルートを通すことはそう難しいことではないが、しかし問題は砂と水が混在するという美しさと、その裏腹にある見えない問題だと思う。
経験則からいうと案外と湖が出来る条件のところには、砂が舞い積もりやすい。
たとえばバロンバヤンウランなどがそうだ。湖は南に大きな山脈を背負い、春の北西風が砂を運ぶ。砂丘は西から東に動く。そして南面に壁が必要なのだ。壁に遮られた空気は渦を巻きその北面に砂を積もらせていく。湖は南面に山を背負っているケースが多い。水がたまりやすいのだろう。北に山を背負うと比較的乾燥してしまうんだろうか。いずれもボクの観察による自説だ。
今回はこの砂の積もり始めた湖を見に行こうと思う。
そこは呼吸をしている湖だ。
2つの湖はたぶんだけど地下で繋がっている。
月の引力などとは全く関係なく干満がある。というのも、西の湖の水位が上がり始めると東にある湖の水位が下がり始める。数時間かけてそれが繰り返される。
月の引力の影響は考えにくい。
ちょうどその2つの湖の間(2kmくらいあるだとうか)にCPを設けた年にそれが発覚した。前日にそのCPに着いたオフィシャルが不思議な報告をしてきたのだ。その湖のひとつの、ちょうど反対側と思われるところに奇跡の風景が存在するという。ということは、そこへ行ってみれば何か謎が解けるヒントがあるのではないか?と思うのである。
荒唐無稽な話なのか、新しい発見なのか。夢か現実なのか。この夏には結論が出る。出来ればそのあたりをビバークにして、みんなの目の前でその不思議な現象を出現させてみて欲しいものだ、きっとイリュージョンのようなものかもしれないな。
きょうの一枚
その問題の湖のCP。。。

2012/02/17 (金曜日)

「TBIで、ドイツ人たちを“たぬき”に。」
そもそも「たぬき」というヘンテコリンナCafeが出来たのは、もう何年か前のことだったが、通るたびに営業はしていない。
とあるTBIの年に、はじめて営業中のところを発見。以来毎年ここを通るときは必ずCPにしたものだ。昨年はマスターが急逝したのだが、彼の若い弟子たちが跡を継いでる。
若くてなんとなく心もとないのだが。そ
やって来るには、このCafeにCPを置かないわけにはいかない。
はるか彼方にある、まるで補陀落渡海(ふだらくとかい)を体現するような感覚のそこに、行かなければなるまい。
さてTBI、いろいろな思いが沢山交錯する四国の山と河と海の旅。何よりも濃厚な新緑の四国で、とんでもない経験をして欲しい。
そしてボクは3人のドイツ人を「たぬき」で度肝を抜いてやろうと思うのだが。。
きょうの一枚
その「たぬき」遍路の旅人も立ち止まり不思議そうに眺める。いったいここは何なのだろうかと。
2012/02/16 (木曜日)

「すごいよね、ちきゅう。」
資源小国の日本が、資源大国になる。そんな夢のメタンハイドレード。日本近海には、日本の使う天然ガスの100年分も!が眠っているそうな。それは深い深い海の底に。
「それを採掘する技術なんて、どうするんだろ。」
そんな素朴な疑問に、日本は答えを出そうとするから、まだまだ見捨てたもんじゃないなあ・・・と思うのであります。
そして今話題の船「ちきゅう」
なんか、メタンハイドレードで急に注目を浴びるようになったのですが、2005年に建造されていて、かなり活躍をしていたのですね。
そしてこんなスペック(外部リンク)。
ドリルストリング長10.000m!!だって。。さらに、船の位置を完全に固定するためにGPSを使ってのアジマススラスタ。。。掘削中に流されたりしたんではお話にならないのですね。
明るい話題も、そこそこ無いと、もうやっていけませんものね日本。
きょうの一枚
地球深部探査船「ちきゅう」ただいま渥美半島沖でメタンハイドレードを試掘中。

2012/02/15 (水曜日)

「アストンマーチン復活」
ショーン・コネリー時代を懐かしむボクは、古き良き『007』の思い出は色褪せないのですが、今のボンド役の俳優が誰って?知らない。
そんなオールドファンの心情を見やったとしか思えないのが、、1964年製DB5の採用に踏み切った新作「007スカイフォール」だそう。このモデルは1964年のゴールドフィンガーで、ショーン・コネリーがドライブしたりしていて、何も知らない少年たちは
「なんていうクルマだろう」
と心がざわめいたはず。
前作「ロシアより愛をこめて」(ああ、タチアナ・ロマノワが美しかった。ノートパソコンをはじめてみたのもこの映画。)ではベントレーだったのだ。
そして、ある意味クルマの未来像も見せていた。
カーナビも搭載してあって現在地がディスプレイされているし、なんといっても助手席には射出装置が付いている。これは、現代でも使える!面白い仕掛けだ。
ナビとけんかしたら、ボタンひとつで射出だ!!。。。スイマセンテールパイプからスモークを出したり、オイルを撒いたりと・・・アストンマーチン買えばそんな装置が付いているかもしれないんだと思ったりなんかした。ってたぶんしてないと思うけど。
まあそんなこんなで、時代背景なんだろうと思う。今さ先端のマシンをボンドカーに選び続けていて2012年には1964年製のマシンが、世界の最新トレンドだというわけだ。
で、記事を良くよく読めば、ゴールドフィンガーのときのままのDB5を使う?んだそう。
「それはいかがかなあ?」
とすでに、007離れのおじさんたちに「興味」を持たせることに成功しているのかもしれない。
「若者の○○ばなれ」が叫ばれて久しい。
「おじさまの○○ばなれ」も、マーケティング的には大きな問題だ。
そしてこの○○。。。なにをいれても成り立つのであります。
きょうの一枚
アストンマーチンDB5-1964年製・・・東京オリンピックの年だ。
2012/02/13 (月曜日)

「寒いので、熱いところのお話。週刊タクラマカン雑話。」
寒いので世界で一番寒いところはどこか?というのは止めて、世界で一番暑いのはどこかというお話。
世界で一番暑いのはイラクのバスラが58.8℃の記録があるそうで、これにははるかに及びませんがシルクロードのオアシス都市トルファンも、負けてはいません。
トルファンは地球の臍みたいに窪んでいます。モンゴルのウブス湖もそこだけがボコンと凹んでいて独特の生態系がちょうどギアナ高地の反対のような進化をしていました。
トルファンがどのくらい凹んでいるかと言うとヨルダンにある死海(-392メートル)に次ぐ世界で2番目の低地。-155m!!そしてそこは中国で最も暑い地方で、一日の平均気温が35度を超える日が年間100日を越え、1975年7月31日には観測史上最高の49.6度を記録したそうです。そしてその日の地表温度は83.3度にまで達しているというから、ただただ驚きです。
そんなこんなでトルファンは古くには「火州」と呼ばれてきました。降水量が年間16mmと低く中国で最も乾燥したエリアです
火焔山も、陽炎で本当に燃えているように見えたはずです。
ところがこの都市の地下には独特の水利施設カレーズが張り巡らされています。4000年以上も前から人々は地下に天山山脈の冷たい水を流し灌漑と、暑い夏の日のクーラーとして使っているのですね。
気になって世界中を調べると、案外少ないもののいくつかありますね。カナートとか呼ばれカナル(運河)の語源にもなっているのかもしれません。
ですからはるか有史以前からこの大地は広大な農地は緑をたたえ、シルクロードの名のあるオアシス都市として栄えてきたわけです。トルファン盆地全体で1200以上の井戸があり、その地下水脈の延長距離は5000キロ以上にも達していて、中国の方の力説に寄れば万里の長城、長江と黄河を結ぶ大運河に比肩しうる「中国史に輝く偉大な土木事業」だそうです。まああ4000年前のこの地が中国だったか否かはともかくですが・・・
ボクタチの訪れる10月は、確かに快適で過しやすい季節になっていますが、でもこのカレーズは必見ですぞ。
きょうの一枚
手持ちで適当なカレーズの写真が無かったので借りてきました。出典Wikipedia

2012/02/08 (水曜日)

「中国事務局も奮闘中」
Team KOREAも今年のラリーモンゴリアに向けて始動、中国の事務局も同じくポスターやパンフレットを作成して頑張ってくれています。
アジアの中でも、少しずつ!!ってもう17年もやっているのですが・・・広まってきていると感じます。
それでも中国語のポスターとかを見れば感慨深いものがあります。
まだまだ頑張らなくては!と思うことしきりです。
いま篠塚さんも出場を目指して準備作業に入りましたし、篠塚さんの闘う姿が見られるというのも主催者としてだけではなく、楽しみなものですね。
さらに多くのジムニーの方々も参戦準備に余念が無いようです。
どんな夏になるんでしょうね。
そして特に菅原さんと尾上さんの対決も、目が離せません。マシンの進化も・・・早くも駆け引きが始まっているようです。
もちろん優勝候補の筆頭の塙郁夫選手もスタンバイなら、ますます速くなって進化中のレンジャーの菅原照仁選手!!もう枚挙に暇がないほどの顔ぶれ!ですね。
MOTO部門も、あの時代の顔ぶれが揃いました。前田啓介!池田秀仁、尾島嘉男!!の3人は過去にもチームで出ていましたね。大内田選手らのTeamGO!GO!みさキング-MOTOWORKSも・・・(隊長の紹介が本日アップしました。コチラ)これから順次ホームページでも紹介してまいります。さらに有力どころのアノカタ・コノカタ。。。エントリーフォームが届き次第ご紹介しますからお楽しみにね。
きょうの一枚
そんなこんなで中国のポスター・・・2013のことまで書いてあるなあ。
2012/02/06 (月曜日)

「The Power of Dreams」
なんて訳するの?とは誰も聞かない。
夢の力なのだ。
夢の力とは何か。
夢を実現するために生まれるモチベーションとそれを維持するための(持続可能な?)エネルギーだ。
いやひょっとしたら夢のパワートレインのことなのかなあ?
いやそんなことはあるまい。
おそらくだが、The Power of Dreamsと聞くと、だれもがHondaのことだと思うけど、なにもそれはHondaのことだけじゃない。
ボクタチのことなのだ。
だからかだれも「いまのHondaの夢は何か?」
とは聞かない。
国家(National)というブランド名をつけた松下幸之助さん。
いまはPanasonicに統一。
良い名前だがSonyとシンクロしていると感じたのはボクだけか。
そのPanasonicが7800億円の赤字、Sonyが2200億円の赤字。
なぜ、そうした数字合わせをしたのかと思うほど
7800億円+2200億円=1兆円
1兆円。
なんということだろう。
日本の戦後の輝ける星たちは、いまは地に塗れてしまったのか。
でも日本はまだ、立ち止まっている訳にはいかない。
それは「The Power of Dreams」があるからだ。
その夢を描くことをしなくては、チカラは沸いてこない。
きょうの一枚
Japanese Goverment InternetTV

2012/02/03 (金曜日)

「昨夜は四国電力も供給危機!使用率94%」
地方のニュースでは、昨晩の寒波で電力の供給が危機的になったと言う。それでも役所の電気は煌煌と灯り、そんなに多くはない人たちがシャツにベスト程度で働いている?のか待機中なのか?
そしてテレビは、つまらない番組を(すいません)垂れ流している。こんな時こ
そ役所の電気を消し、テレビも放送を中断するなどしたほうが効果的だろうと思う。
さて、なにが効果的か?
それは良好なコミュニケーションに効果的だ、ということ。
テレビでも「スポンサー各社の協力で、只今節電につき放送を中断しています。」
のほうが電力危機の中で、CMを流すよりも良いだろう。
それに行政機関。ただでさえ削減の槍玉に上がる仕事の進め方。
そしてこれは勘ぐり。電力危機を煽るのは電力会社の販売促進というか危機意識による原発依存への潜在意識としての「しゃないか」的な誘導ではないか???
そもそも電力危機で日本の企業の空洞化が進むというロジックも「???」だ。ある会議の趣意書を読んでいて頷いた。
この20年間、日本の電力使用量は30%増加している。しかしGDPは480兆円のままずっと変わらない。つまり電力の使用量とGDPとは一概に相関関係にはないことを示しているのです。
さらに企業内の固定費のうち電気光熱費はせいぜい2~5%です。まあ家庭ではそうはいかない場合もありますが、仮にそれが10%増えたからって、たちまち海外にシフトしなければならないってことはないのです。空洞化を後押しするのは強烈な円高や、国内の需要の低迷などのはずです。
コストが10%増えるのなら、GDPも増えるような施策なくしてどうしますか。丸の内が新しくなりつつあります、日本の顔として大切なことで良いことではあります。しかし、顔だけ良くても身体の末梢は、もうボロボロだということに気が付かなくてどうしますか。
反原発派もラジカルにならずに、理論的のゆっくりと議論していくコトが望まれます。
きょうの一枚
マツダの新しいディーゼルエンジンSKYACTIV-D…
日本車にも本格的な環境ディーゼル時代が来るかも。原油を買って来てガソリンを精製、途中で出来た軽油は余ってしまって輸出。なんていうパラドクスからは逃れられるかもしれない。

2012/02/01 (水曜日)

「SSER 3DAYS CLASSICSが変わります。」
昨年来話し合いが行われていたMFJエンデューロ西日本エリア選手権大会が概要がまとまり第3戦としてSSER 3DAYS CLASSIC が開催されることになりました。今年28回目の大会は、中身は変わりませんがこうして変化をして参ります。参加にライセンスが必要となるなど少なくない議論もあろうかとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。SSER ORGANISATION の主催する他のイベントはいずれもライセンスは不要です。
ご案内
「MFJエンデューロ西日本エリア選手権 The 28th SSER 3DAYS CLASSICSの告知」
2012/02/01
SSER ORGANISATION
今年で28回目となるSSER 3daysは、西日本エリアのエンデューロ競技大会の連携と発展を考え、慎重に検討した結果、標題のとおりの大会名称と格式にて開催いたします。
大会名称: MFJエンデューロ西日本エリア選手権 第3戦
      The 28th SSER 3DAYS CLASSICS
開催日:  9月15日(土)~17日(月・祝日) 3Days
これに伴いまして本大会のみ次のライセンスの保有が求められます。
 MFJエンデューロライセンス
      又は
 MFJエンジョイライセンス
ライセンスの申し込みは、下記のサイトから
http://www.mfj.or.jp/user/contents/licence/licence-index.html
MFJのライセンスを取得すると、MFJ主催/公認のイベントに参加が可能となり、全5戦で開催されるのMFJエンデューロ西日本エリア選手権へ出場できます。またライセンスにはスポーツ安全保険が付帯されており、競技中および大会参加経路往復中の事故も補償されます。
詳しくは
http://www.mfj.or.jp/user/contents/Applications/license/hoken.html
MFJライセンス会員証は「スポーツ安全保険加入証」となるため、有効期間は2012年4月1日以降~2013年3月31日迄です。ぜひお早めに加入手続きをいただきますようお願いいたします。
MFJエンデューロ西日本エリア選手権となりましてもSSER 3daysはレギュレーションはじめ変更はありません。順位に基づき、エンデューロ西日本エリア選手権のポイントが付加されます。
SSER 3days以外のイベントは、MFJライセンスの取得の必要はありません。
きょうの一枚
SSER3DAYS 魅力満載で今年も充実開催!!なのです。ライセンスの件はよろしくご賢察のほどを。

2012/01/31 (火曜日)

「SL、最後の楽園だって。」
まあボクはテッチャンだけど、いわゆるテッチャンではない。でも中国の奥地で沢山のSLを見かけては興奮した記憶はある。なぜ、あの煙を吐く鉄の塊に興奮するのかは理解に苦しむが・・・
どうも中国でもすでにSLは退役してしまっているようだが、新疆ウイグルのハミの70kmにある広大な露天掘りの炭鉱で中国最後の(つまり世界最後の)SLたちが働いているのだそうな。まあ露天掘りの石炭を運ぶという役割だ。
この記事を見ながら考えた。
燃料は、その燃料を運んで最終製品になるまで燃料が必要だ。よく言われることだけど、果たして太陽電池のパネルは大量の電気が無くては生産できないとか。アルミニウムなんて電気の塊だとか。
タクラマカンにある彷徨える湖ロプノールは、1970年代に最後の水が確認されて以降というもの、水は無くなり巨大な塩の大地になっている。ここの塩はこののち数百年の間の全中国の塩が供給できるほどあるのだ、というからまあすごい量だ。
2007年には無人の広大な塩原だった。ところが2008年にはそこに2基の大型の発電施設(おそらく火力だと思うのだが。。。)水は無い場所だ。しかしロプノールの核実験場跡地付近ではある。周囲数百キロに集落は無い。
「なにをしているのか?」
ボクの勘では、リチウムだろうと思った。
そもそも電気自動車になったり燃料電池になったって、蓄電に必要なリチウムは必要で戦略物資でもあるのだ。
いかに石油から自由になっても、次は中国から石油に代わるリチウムを入手しないといけないのかもしれない。まあ現実にボリビアのウユニ塩湖が世界最大の埋蔵量といわれているが、供給に関しては中国が世界一だ。
日本はここで、やっぱり海水からリチウムを生産する技術開発に精力を傾けてはいかがかと、そう思う。
きょうの一枚
今度見に行ってみようかな?ハミの郊外にあるSLの最後の楽園。
2012/01/30 (月曜日)

「モータースポーツも30年後には・・」
無くなるのではないか!と書くだろうと思ったあなた「ブッブー」ボクの予言では30年後は国民的スポーツになっている!というものでした。
と言うのは登山。
ボクタチの子供のころ登山は空前のブーム。まあ未踏峰や未踏攀壁が残されていたのでした。ボクタチが上るようになった頃には「重箱の隅を」と自分たちで自分たちを卑下するような有様で、壁のルート開拓や、冬季の未登攀ルートを漁っている状態でした。
そのあと急速に山から人が姿を消します。あのハードでリスクの高い行為は批判され、
ボクタチも「なにをやっているんだ。」と言われるようになります。
その後、長い間。。。山には静寂が訪れていたものでした。そして近年は急速な中高年登山ブーム、
それに続いてさまざまな若い人々がさまざまなアプローチで山に入るようになりました。
そして日曜日にテレビを見ていて驚いたのは、グレートサミットとかNHKのエベ
レスト挑戦もそうなのですが、お笑いタレントが4度の山の経験のみでアコンカ
グアに挑むと言うゴールデンタイムの企画です。
「・・・・・」
あの眉毛の濃い変な女の子。
「山へのアプローチも、変わったものだ。」
なんて思うボクは古い人間でしょうか。
しかしこうして長い閑居を経て、山は再び脚光を浴び始めました。
となればモータースポーツだって。。。
と思うボクは。。。
きょうの一枚
ボクの当時の登山用具などが展示されている我が社の奥の部屋。現在は公開されていませんが。

2012/01/27 (金曜日)

「TDRって。」
TDRって、コンセプトはこれまでのSSER ORGANISATIONには無いものでした。どちらかといえば我々はストイックで、精神性を重視しまるで修行僧のよう、と言われて「さもありなん」と思い。厳冬の北壁に挑むような態度と姿勢を美しい!と思うような有様ではありました。
しかし考えてみれば厳冬の北壁に行こうとも、故郷の低山の山歩きも実に魅力的で、むしろ色彩に富み喜びに彩られている事がわかります。
もうすぐ菜の花が咲き始めるでしょう、山には蕗の薹が雪の間から顔をのぞかせ、繰り返す命の息吹に、豊かな人生を重ねあわすことが出来ます。
同じように過酷な旅とて、8000mの高峰への挑戦とて、海外のラリーへの挑戦も実は裏山のトレイルから続いていることがわかります。
まだ浅い春の日の山道が、どれほどの魅力的に輝くかは、その人の感性とこれまでの生き様にあるのではないかと思います。
そんな思いで、このTDRへ。
ぜひ参加してみてください。
きょうの一枚
とって置きのカレンダーは、まだ少し貰い手を待っています。1月末までにお申し込みいただいた方のみ、ということのようですよ。

2012/01/26 (木曜日)

「コミュニティデザイン」
どうやら日本の貿易収支が赤字になったらしいですね。赤字はいけません。何事においても。オタクはいかがですか?まあ今や日本の企業の80%は赤字!というわけですから、赤字がダメ!というだけでは理解不能に陥りますよね。
まあ日本の貿易収支の赤字転落は31年ぶりだとか。それでも31年も黒字を続けていたのは偉いなあ・・・と。
日本は原材料を安く仕入れて加工して、付加価値(と思ってる)をつけた製品をまあ高く輸出する、とそれがいまの日本経済の基盤だと教えられてきました。もちろん2011は、震災の影響も大きかったでしょうし、円高もマイナス要因です。原発の停止による火力発電用の天然ガスの需要も膨らんだといいます。
きっと悲観論もかまびすしいでしょう。これだけ減速した日本経済にとっては、それを再確認させるようなニュースと取った向きも少なくは無いはずです。「ああ、もうこれで終わりだ。」「きっと単年度ではなく、しばらく続くのだ。」そういう悲観論がステキです。
でもまあ考えても見てください。そんなこと、何もたいした話ではありません。
S&Pの格付けみたいなものです。そうした指標は現実的にビジネスを展開していない人たちがいじくっいてるだけの事です。そもそも企業の多くは海外に生産拠点を移し、そこで生産したものを日本はじめ世界に売っているのが現実ですから、驚くほうがどうかしています。日本は、という立位置でものを見ては見誤ってしまう時代なのですね。
85年のプラザ合意で360円/$が一気に円高が進んだ!のでも黒字!自動車の日米貿易摩擦で橋本龍太郎が、竹刀を自分の喉もとに当てておどけてみせたのも・・まあ黒字は止め処なく続くのでありますな。いやあ、よき時代でしたなあ。
いまはもうあの頃からは未来!輝ける21世紀2012年。人々の暮らしも考え方も国のありようでさえ大きく変わり、買い物のために人ごみのアウトレットモールは、もうどうなったかは知りませんが、多くはネットに移りつつあります。木更津にも大きいのが出来るそうじゃないですか。。。
しかしまあ店舗を持たないという事によるアドバンテージは小さくなく、2010年には電子商取引の額は7.7兆円を超えました。(経産省統計)店舗は商品を確かめたりサイズを合わせる場所になってしまって来ました。お店で買い物していても「ああ、これ良いね。ネットで探せばもっと安いよね。」と、あなたもきっと数日の間に呟いた事はありませんか。
ただでさえコストのかかる店舗運営。なのにみんなときたら。。。
さてタイトルに掲げた「コミュニティ」とは、ネットコミュニティのお話と間違えられてしまいかねません。
そこでボクの持論のコミュニティデザインを!と思ったら、あまりに長いのでまたの機会に。おしまい。
きょうの一枚
壁紙復活プロジェクト進行中。。沢山の写真をこれからもどんどん公開していきたいなあと思っております。[壁紙コーナーはこちら]

2012/01/25 (水曜日)

「TDRをよろしくね。」
3月にTDR!?と聞いたときに少しボクもたじろぎました。しかも京都から日本海へと言うではありませんか。
昨年3月10日には、ボクはその辺りに居ました。雪の多い年だったのは間違いありませんが、残雪というにはあまりに多い雪量で、琵琶湖の北の林道は封鎖されてるし、京都から伸びるサバ街道は真冬の風景でした。いやそれでも早春の風景は、なかなかに興趣を呼びました。
鯖寿司を買おう、と思いながら買いそびれて、気が付いたらもう琵琶湖畔の宿に着いていました。
翌日は琵琶湖の畔で東日本大震災のニュースを聞いて、あわてて四国にトンボ返しに帰ったことが、あまりにも鮮明にまるで数日前のことのようです。
そんな?京都の北にチャレンジするのですねえ。
ということでTDR2012は、スタート!!宿泊地は温泉。。。初めてのラリーに家族で参加!してみてください。菅原さんたちもお越しいただきます。
さて、そこでこのTDRのスポンサーより、ステキなカレンダーを(って制作はSSERですから、モンゴルの激しいやつ)プレゼント!!ポロシャツをセットで!でもその特典は1月末までの早期エントリー!だそうですよ。
今年は全イベントが快晴の予定のSSER。まずはTDRで占ってみてくださいな。
きょうの一枚
これがカレンダーの7/8月、11/12月!かなり人気のようですよ。部数はちょっとしかないのですよ。

2012/01/24 (火曜日)

「雪が積もると、ライフワークについて考える。」
雪が積もると土門拳の古寺巡礼にある室生寺雪の鎧坂金堂の写真がすぐに頭をよぎる。70年代半ば、ボクは京都のあるお寺で雪の中で撮影をしていた老カメラマンに出会った。出会ったというのは正しくなくて、ボクは遠くから車椅子に座って古刹を眺めていた老人を眺めていただけだ。数人の助手たちがいて甲斐甲斐しく動いていたのできっと、かなりの人物だろうと言うことは推測できた。
そのあと土門拳の「古寺巡礼」という、膨大な解説文の素晴らしい写真集を見つた。恐ろしく高かったので、そのころは買えなかったが、いつの間にかボクの家にはその写真集があった。父が買ったのだろう。
土門拳という、名前も質実なカメラマンに、見かけたという思いもあって急に心惹かれていった。
それ以来、その京都の古刹で雪の中にいた老人こそは土門だったのだと思い込むようになった。合っているかもしれないけど間違っているかもしれない。
でもそれでいいのだと思うことにした。
それはその寺を取った写真を探したが、雪の中のその寺のものは見つからなかったからだ。しかしそのころのボクが興味を持った土門拳は知れば知るほどに、あまりにも魅力的な人物だった。
そして不自由な体を押して撮り書いたその膨大な量の、写真集というよりも祈りの書のようなものに、人間の恐るべきパワーとライフワークという言葉を身に沁みて感じるようになった。
そのころから「ライフワーク」という未知なる領域のコトバの具体を求めて歩き始めたような気がする。
そして雪が積もると、必ずあの情景を思い出し、必ず自身のライフワークは健全か?好奇心はなくなっていないか?」と自問し、少し焦る。
話は変わるが、菅原義正さん。
ボクが彼の事務所をはじめて訪ねたのは1987年の春だったから、やはり4半世紀のお付き合いをいただいている。ボクが32歳で菅原さんはまだヤンチャ盛りの?47歳くらいだったろうか。。
ここでもボクは人のライフワークを現実に見てゆくことになる。パリダカはちょうど翌年が10回大会だから、このあと20数年間の菅原さんの挑戦を見てきたことになる。何度かは同行し、パリ北京のときは、ほんとうに二人でなんだかんだと言いながら楽しいラリーの日々を過した。
人生は過酷だと思う。それは、思いの醸成と体力の低下の反比例による。
それでも、ライフワークがあるからこそ、豊かな人生だと感じられることもある。
とまれ菅原さんの30年に、心から祝福を送ろう。
きょうの一枚
ラリーモンゴリア2011 ETAP7、草付きのデューンの頂上でルートを読む菅原さんジムニー。

2012/01/20 (金曜日)

「時間、普遍的なボクのテーマ」
「時間」とWikipediaを引いてみると、あまりものボリウムで書き込まれているのにびっくりする。誰が書いたかは知る由もないが、哲学者かもしれない。
冒頭はこうだ。「時間(じかん)は、できごとや変化を認識するための基礎的な概念である。芸術、哲学、自然科学、心理学などの重要なテーマとなっている。それぞれの分野で異なった理解のしかたがある。」
古代宗教別の時間の概念などにも言及している。
自然の時間と人間の健康なんて見出しもある。
こんな中身だ。
「(略)人間は普段意識している《時間の長さ》の心理的な影響を受けることが知られている。また聞かされる音(環境音)の周期・リズムから心理的・生理的に影響を受けることも多くの実験で明らかになっている。さらに自分自身のその時々の脈拍をリアルタイムで聞いていると心地よい(心地よく感じていることを示す脳波が多く出る)ことも実験によってわかっている。もしも仮に秒の長さが現在の設定よりもいくらか長く設定されていて、人間の脈拍よりも十分に長くなっていたなら、秒針の音は人をもっとゆったりとリラックスさせるものになっただろう、と指摘されることがある。
現代生活の人工的で短かすぎる時間による過剰なストレスに苦しめられている人は、自然の時間で生きる生活を送ると(たとえば人工的な時間を表示する時計類は身体から離して一切眼に入らぬようにし、自然の中で暮らし、夜は照明を用いず日没後すみやかに眠るようにし、日の出にあわせて起床し太陽光を浴びるようにすると)、やがてストレスから解放され治癒される傾向がある、ということが知られている。」
時間の向き 、なんていう項目も「時間は未来から過去へ流れている、とする時間観」として興味深い。
ユダヤ・キリスト教的な時間観の枠内だけで育った人には意外に思えるかも知れないが、その枠をとりはらって少し考えてみてみると分かるようになるという。以下のように解説されている。
現在は一瞬で過去になります。今、現在だったことはちょっと前の未来です。今現在やっていることが、1時間後には過去になります。つまり現在が過去になるのです。当たり前のことですよね。現在の行為が過去になるのです。つまり現在の結果が過去です。あなたのいる位置が現在とすると、あなたに向かって未来がどんどんとやってきては、過去へ消えていっているわけです。
一方で、過去から未来へと流れているとする時間観(一神教的な時間観)の記述も当然でしょう。
西欧人はキリスト教的な世界観・時間観にどっぷりと漬かって生きていることもあり、時間の流れに関しては固定観念を抱いていることが多い。たとえば“誰もが時間は一方向にしか流れないことに気づいている”などと、(学問的に見て明らかに不正確なことが)西欧では主張されることがある。
とまあ読み進んでいくうちに、だんだん訳がわからなくなりますが、時間をかけて?深く読んでいくと、こうしたもの(Wikipediaね)からも、得るべきものが小さくないことに感動します。
「時間」当たり前の概念も、実は切り刻んでみると、いかにわれわれの日々の中で本当に大切なものかがわかります。
最近時間が立つのが早くなった、とか「もう金曜日、もう週末」とお嘆きのあなた。子供のころのように、待ち遠しい週末になるにはどうしたら良いかの様なヒントが隠されているかもしれません。
きょうの一枚
映画「TIME」
チェック:テクノロジーの発展によって老化を克服し裕福な者は永遠に生きられる一方、貧しい者は寿命のために働き続けなければならない近未来を舞台にしたアクション・サスペンス。監督は『ガタカ』のアンドリュー・ニコルが務め、斬新な発想で時間に支配された究極の格差社会を描き出す。主演は、『ソーシャル・ネットワーク』のジャスティン・ティンバーレイク。共演には『マンマ・ミーア!』のアマンダ・セイフライド、『ダークナイト』のキリアン・マーフィら多彩な顔ぶれがそろう。
ストーリー:科学技術が進歩したことにより老化現象を解決した近未来、25歳で生体の成長が止まると余命はあと1年という社会が構築されていた。富裕層は寿命を気にしなくていい一方、貧しい人々は寿命を延ばすためにあくせく働き続けなければならなかった。貧しい青年のウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は、時間と引き換えに裕福な男性を殺した容疑を掛けられ、追われる身となってしまい……。
まあ先にご紹介した「男と女」と「男と女2」も20年という時間をテーマにしていたのですね。

2012/01/19 (木曜日)

「晴れれば春の兆し、降れば陰鬱な冬・・・に思う」
人の気持ちは、本当に不思議です。昨日は良く晴れていて実に気持ち良く、石鎚山の姿も見えて、少し歩けばそこここに春の兆しが。会議をしても何か楽しい感じ。バイクもエンジンをかけてみたりして、時間があれば走り出したかもしれません。
でも今日は一転、陰鬱な鈍色の空、雨、何もかもが嫌になってしまいそうな気配が漂います。会議でもしたら後ろ向きな発言しか出ません。
そうですその「後ろ向きな発言」ほど、立派に聞こえるものはないのです。学者なぞはこぞってネガティヴな発言をするもの。つまりネガティヴな発言は頭が良さそうでかつ良く勉強しているように思えます。一方で「やろうやろう」と盛り立てる係りは、どこか思慮に欠け、物事の道理が見えていないようにも思えます。そうあの花の応援団みたいなものです。
こうした賢人ぶった学者的な思考がいまの日本を覆いつくしてしまい、挙句はコンプライアンス型不況を生んだ構造の本質です。
「そんなことをして、失敗したらどうする!?」「誰が責任を取るのだ。」まあそんなことばかり唱えているうちに、何もしないで座して衰弱を待つのみ、という弱い体質になってしまいましたね。そして世の中はすべて「存続の危機」「絶滅の危惧」のオンパレードなわけです。
そして「それは、誰の責任か?」ということが問われています。最近流行の「国の責任」とはいったいなんでしょう。実は「国の責任」といった時点で、全国民の責任ということに置き換えられてしまっています。決して官僚や国政にあるものが「国」ではないのは事実出し仕方の無いことです。これは国の責任で1000億円の弁償します。といえば、ボクもあなたもまあ1000円は出さないといけないということになるわけです。
それを象徴するのは「いま崖っぷちに立たされているのは民主党ではなく日本であり国民なのです。」という首相の発言。それがジョークなのかアジテーションなのか、ひょっとしたら何も解かっていなかったのか・・・と、そういうことを考えさせられます。
まあ、せめて明るく温かな陽の光が降り注ぐ春を待ちわびることにしますか。
きょうの一枚
毅然とあること、孤高であること、変わらないこと。
2012/01/17 (火曜日)

「人はなぜ、山に登るのか」
誰だか知らないけど、ヒラリー卿に尋ねた言葉だ。たぶんイギリスの新聞社あたりの記者かもしれない。
「実にくだらない質問だ。」ということは解っているが、この哲学的な問いは、比喩され多くのヴァリエーションを伴って、いまも行為の根源的な動機を明確に 出来るかできないかということに作用しているように思う。
「どうして、こんなことしたの。」
小さいときに母親か誰かにそう言われて答えに窮したことは無いか。心の底からにじみ出る不可思議な挑戦という冒険的な行為は、ボクタチ現代人が、 サバイバルを生き抜いてきた500万年も続く人間の遺伝子の記憶なのではないかとも思う。
きょうの一枚
今日の一枚は、事務所から見た今日の石鎚山。この厳冬の山は、また魅力的でもある。おそらく山頂付近は夜来の雪でエビのシッポに太陽の光が輝いているだろう。夕陽の時間はなおさらだ。
見える北壁は、アイゼンの歯も立たないくらいに凍り付いているだろうか。子供のころから通った石鎚山は、今も見上げるとすぐ目の前に聳える。特にうちの事務所から見る形が良い。
南尖峰からズバッと切れ落ちた姿はなかなかのものだ。今年は何度か石鎚に行かなければならないだろう。
新しい試みと「なぜ。。。」と問うような、そんなことを始めるのだ。

2012/01/16 (月曜日)

「ダカール、ゴール。」
1979年にスタートした、ダカール、一度の直前の中止を含む34回の開催を無事に終えた。そして今回は初めてのゴール地ペルーの首都リマ。新しい地をゴールにするのは難しいが心踊ることだったろうと思う。いまや1000万人に近い人口を持つリマは、熱気を帯び歓喜の渦に市民も参加者も盛り上がってることだろう。スパニッシュコロニアルの、美しい建物やライティングがおそらく参加者たちの心を高揚させ浮揚させているに違いあるまい。こうしたラリーのゴールにはそうしたファクターも必要である。そういう意味でも南米はまた魅力的な土地といえる。
そして、こうしたクロスカントリーラリーの最大の魅力のひとつは未知の大陸、未知の文化への接触だということに、いまさら気づかされる。そういう意味でも南米開催の意義も小さくは無く、それを上手く演出しまた模索し続けた主催者に敬意を表さなければならないと思う。
ともすれば統制が利かなくなるほど規模が拡大し、さまざまなパートに分かれて事業が進んで行く。運営組織のありようも想像がつかないほど。しかしまあ中心となるのは競技だ。競い合うということは膨大な熱量を生む。参加者に厳しい条件を突きつけるほどに主催者は困難を身に纏う。
苦しいステージで最も苦しむのは、実は主催者なのだ。
ところで西アフリカはどうなのか。
いまや、最近情報が少なくなった。ニジェールやマリは、どうなったのだろう。
地球上で国境を越えるこのようなイベントが続くこともまた奇跡的なことではあるまいかと思う。
きょうの一枚
パリ・ダカールから。

2012/01/13 (金曜日)

「 ↑ 」
タクラマカンへのお誘い。
西安-パリ、北京-ローマ、レイドトレックチョモランマと続いてきたSSERの、レイドアドベンチャーのシリーズ。今年は、昨年急遽延期をせざるを得なかったタクラマカンへ行く。
長い休み。案外かかる費用とハードルは低くないが、自分のマシンを持ち込めるという魅力は大きい。そして、敦煌がベースキャンプとなりスタート前に1泊、ゴールも敦煌でゴール後1泊。だから、ちょっと自由な時間も少なくはない。
途中のレストディはトルファンだけだが、どの行程も昼過ぎには到着するような設定(途中でマシントラブルなど無ければね)そして、今回はチョモランマのように大型カミオンがスィーパーにつく。
チョモランマで苦しめられた高山病も心配ない程度だし、愉快な仲間で楽しく走る、そんな旅に出かけようと思う。
上のサイトから情報を見てみて資料請求を下さいな。
「上のサイト」タクラマカン2012サイトはこちら
きょうの一枚
おーい、トルファンにおいでー。

2012/01/12 (木曜日)

「存続の危機」
平家物語や方丈記を持ち出すまでもなく、諸行は無常であり同じものがあり続けることはない。内はないのだが、ボクはどうもここのところ、特にサスティナブルだとか持続可能な社会だとか言い出したころから「存続の危機の時代」が本格的に到来していたことを、たくさんこのOVにも書き散らした気がする。
事務所を出て市内に向かう道すがら、中央商店街の中を歩きながら、昔よく行った飲み屋を訪ねながら、感じるのは皆さんも同じ。
やっとなじみの店に行くと1月いっぱいで閉めるとか、かかってくる電話は「工場閉めるので、もう仕事が出来ません。」とか、あまたの組織もお店も会社も行政機関も。または病院も、ありとあらゆるものが「存続の危機」にさらされている。
難しい仕事は出来ないとか、リスクがあるとか、採算が取れないからとか、止めるための理由ばかり探していると思う。
「では、止めたいのか?」
と聞くと
「そうではない」と言う。
つまりリスクがなくて、簡単で人手が要らなくて沢山儲かる仕事以外は出来ないというのだ。
いつから日本人は、こんなに腰抜けになったのだろうか。
本当にそう思う。
難しいことや困難なこと、大きなリスクが伴うこと、そういうものに挑んで築いてきたのが日本の経済だったとボクは思う。
「昔は良かった。」
それは体が自由で朝まで仕事が出来たから、ということ意外ではそう良かったことなんて実はなかったろうと思う。
在るとすれば「多くのことがチエックが甘くて、割と許されて、案外儲けさせてもらった。」ということならお門違いだ。
「存続の危機」VS「持続可能な社会の実現」とは、なにも相対することではないと思う。持続可能な社会は、さまざまなものが無くなっても再び生まれることの出来る環境があるか否かだと思う。
いやしかし地球のリサイクルで、失ったと思うものも再び再生することもあると思う。今存続の危機に瀕しているのは、割と甘く、割とおいしかったものが無くなっているという事だろうと思う。
きょうの一枚
平家納経。。。
それにしても平家物語が、心にしみますね。

2012/01/10 (火曜日)

「時間は加速する。」
まるで1月は、時間が渦を巻いて過ぎ去っていく。
これをなぜかと考えたら、やはり相対性理論かもしれない。
そもそも1月は「今年はこれをやるぞ。」「年が明けたら立ち上げるぞ。」「とにかく1年のために1月は頑張るぞ。」という勤勉な日本人の持つ「やる気」が、空回りするからに他ならない。それは、あまりにも多い休日などで。。。気がつけば「あっ」という間に過ぎ去り日々、と相成るわけだ。
2月はその反省から余計にあせり、3月になるともう南の島からのバカンス帰りの飛行機のようにあっという間に時間が過ぎる。
考えてみれば、楽しいところへいくときは行く道中は長く、帰り道は短く感じるのも同じようなものだ。
それに1月は「ダカール」のニュースが追い討ちをかけるのが良くない。気がつけばゴール(まだしてないけど・・)気がつけばもう彼らは帰国している。という按配。
とまれダカールはみな健闘中。寺田君の転倒リタイヤは残念だったけどプッシュすればそんなこともある。次へのバネにしてもらいたいものだ。
ということで、時間の消費は「心次第」だと言うことがわかった。
ラリーでもそうだろう。追いかけるときは時間が足りない。しかしその時間でも逃げるときには、とんでもなくたくさんの時間に感じる。
昨日の高校サッカーの決勝も、後半の時間の流れは四日市工業の応援席と市立船橋の応援席では全く違ったものだったろうと思う。
そこでボクはこの心の流れを利用した新しいビジネスモデルを立ち上げることにした。(ゴゾゴゾ、、胸のポケットを探る音)チャラララーーン。時間銀行!!ボクは初代頭取。あなたのいやな気の遠くなるような時間を当行にお預けいただきますと、3年で1%の利息が付いて海外旅行などに行くときにご利用いただけま
す。
また時間が足りないときはお安くお貸しいたします。
そうだ、そんな映画があるぞ。
てなことにはならないだろうなあ。
ドラエモン誕生まであと100年。
きょうの一枚
映画「TIME]
21世紀末、人口増加を抑制するため人類は遺伝子操作により26歳以後は時間を買わなければ生き続けられない社会が舞台。金持ちは悠然と生き、貧しき者は奴隷 の如く働き続けなければ若くして絶命する。時間格差社会で起こる出来事を描いた近未来アクション・サスペンス。だそう。つまり「時は金なり」ということだ が、まあ大なり小なりそうなってしまいつつある。だからボクはそれを止めたい。[予告編はこちら]
2012/01/05 (木曜日)

「年頭所感」
ってタイトルは大層なことだが、まあ正月のあいだ考えたボクの思いの一端をぶちまけようと言うことだ。
政治が悪い、ユーロ危機、アメリカがどーの。
もうね、自分で考えて自分でやるしかない。
ボクはやる。(ことにした)
今年から。
いや、今までもやらなかったわけではないだが、やり方を変えようと思う。
なんかアメリカ大統領選の共和党候補者選びでロン・ポール候補が在外駐留米軍の全撤退を公約にした。
「自国のことを考えろ」
と言い放つ。
何かこの一言で、ボクも目が覚めた感じがした。
彼が大統領になるとかならないとかではなくて、日本も真の独立を成し遂げるときが近づいてきていると言うことを示唆しているのだ。
普天間問題など、両国の間に刺さった魚の小骨ほどのこともなくなる。
その時には、いまさら基地がなくなったら困る、なんて論調は止めよう。
しかしそのとき、日本は、なにをどう考えるのか。
どんな思考回路が残されるのか。
「そんな事態にはならないはず」
と考える向きも多いかもしれない、まだ。
いやボクがやるとか、やらないとか言っているのはこんな話ではなく、景気が悪いとか政治が悪いとか、今やっても無駄だとか・・・出来ない理由ばかり、他者の責任のように片付けてきたことばかり。それを止めることにしたということだ。
やるのは、これまで以上のチャレンジ。
やらなければ、何も得られない。
やらなければ、たとえば失敗も得られないし、失敗しないことを望んで座していれたのはもう公務員だけだ。
その公務員がどーの、とか言うのも止めよう。彼らにもその時期が迫っているわけで自ら変えられないのなら、座して枯渇を待つのみだ気がつき始めている。
ボクはやる。今年は、全く新しい課題に向けて新しい一歩を踏み出す。
きょうの一枚
目的地は遠いほうが良い。はるかな距離を時間で埋めることが旅なのだと思う。パリまで4500kmもあるし、中国・広州だろうかGuangzhouからは5367kmもやって来た。人生もまあ、このようなものだ。政治なんて道路で良い。良い道路でも悪い道路でも、良く走るバイクがあればどちらでも良いことだ。旅は、目的地までが旅ではないと思う。目的地の積み重ねが旅で、それが人生だと思う。

2012/01/01 (日曜日)

「謹賀新年」
いよいよ2012年。迎えました新しい本年こそは「希望」に満ちた輝かしいものでありますよう。
それにしても2011年は、あまりにも多くの胸を塞ぐ出来事が起きました。列挙するのもはばかられます。
さて2012年、わたしたちSSERも、皆様と同じくふたたび、「希望」に満ちた新しい年を歩み始めます。その「希望」とは見失いそうになる「夢」の具体です。
いまだ弛まず抱き続ける遠く未知なる大地への憧憬、砂漠や広大なる草原の連なるユーラシアに、大いなる冒険の轍を残す。そんなささやかで、しかし偉大な夢です。それを実現することもまた日々にある冒険です。たとえば、まず健康であること、家族や仕事など周囲が安定していることも必須。それらを実現する道筋こそ困難に満ちていると言えます。また国際情勢の機微も大切な観点です。ひとくちに冒険の旅と言いますが、その実現には真に自身のありようと社会性まで問われるのです。ラリーモンゴリアやタクラマカンはもちろん、本年も皆様方の大いなるご指導を頂きたゆまぬ歩みを記してまいります。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。
2012年元旦
SSER ORGANISATION
山田徹

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Organisation Voice 2012/02

2012/01/31 (火曜日)

「SL、最後の楽園だって。」
まあボクはテッチャンだけど、いわゆるテッチャンではない。でも中国の奥地で沢山のSLを見かけては興奮した記憶はある。なぜ、あの煙を吐く鉄の塊に興奮するのかは理解に苦しむが・・・
どうも中国でもすでにSLは退役してしまっているようだが、新疆ウイグルのハミの70kmにある広大な露天掘りの炭鉱で中国最後の(つまり世界最後の)SLたちが働いているのだそうな。まあ露天掘りの石炭を運ぶという役割だ。
この記事を見ながら考えた。
燃料は、その燃料を運んで最終製品になるまで燃料が必要だ。よく言われることだけど、果たして太陽電池のパネルは大量の電気が無くては生産できないとか。アルミニウムなんて電気の塊だとか。
タクラマカンにある彷徨える湖ロプノールは、1970年代に最後の水が確認されて以降というもの、水は無くなり巨大な塩の大地になっている。ここの塩はこののち数百年の間の全中国の塩が供給できるほどあるのだ、というからまあすごい量だ。
2007年には無人の広大な塩原だった。ところが2008年にはそこに2基の大型の発電施設(おそらく火力だと思うのだが。。。)水は無い場所だ。しかしロプノールの核実験場跡地付近ではある。周囲数百キロに集落は無い。
「なにをしているのか?」
ボクの勘では、リチウムだろうと思った。
そもそも電気自動車になったり燃料電池になったって、蓄電に必要なリチウムは必要で戦略物資でもあるのだ。
いかに石油から自由になっても、次は中国から石油に代わるリチウムを入手しないといけないのかもしれない。まあ現実にボリビアのウユニ塩湖が世界最大の埋蔵量といわれているが、供給に関しては中国が世界一だ。
日本はここで、やっぱり海水からリチウムを生産する技術開発に精力を傾けてはいかがかと、そう思う。
きょうの一枚
今度見に行ってみようかな?ハミの郊外にあるSLの最後の楽園。
2012/01/30 (月曜日)

「モータースポーツも30年後には・・」
無くなるのではないか!と書くだろうと思ったあなた「ブッブー」ボクの予言では30年後は国民的スポーツになっている!というものでした。
と言うのは登山。
ボクタチの子供のころ登山は空前のブーム。まあ未踏峰や未踏攀壁が残されていたのでした。ボクタチが上るようになった頃には「重箱の隅を」と自分たちで自分たちを卑下するような有様で、壁のルート開拓や、冬季の未登攀ルートを漁っている状態でした。
そのあと急速に山から人が姿を消します。あのハードでリスクの高い行為は批判され、
ボクタチも「なにをやっているんだ。」と言われるようになります。
その後、長い間。。。山には静寂が訪れていたものでした。そして近年は急速な中高年登山ブーム、
それに続いてさまざまな若い人々がさまざまなアプローチで山に入るようになりました。
そして日曜日にテレビを見ていて驚いたのは、グレートサミットとかNHKのエベ
レスト挑戦もそうなのですが、お笑いタレントが4度の山の経験のみでアコンカ
グアに挑むと言うゴールデンタイムの企画です。
「・・・・・」
あの眉毛の濃い変な女の子。
「山へのアプローチも、変わったものだ。」
なんて思うボクは古い人間でしょうか。
しかしこうして長い閑居を経て、山は再び脚光を浴び始めました。
となればモータースポーツだって。。。
と思うボクは。。。
きょうの一枚
ボクの当時の登山用具などが展示されている我が社の奥の部屋。現在は公開されていませんが。

2012/01/27 (金曜日)

「TDRって。」
TDRって、コンセプトはこれまでのSSER ORGANISATIONには無いものでした。どちらかといえば我々はストイックで、精神性を重視しまるで修行僧のよう、と言われて「さもありなん」と思い。厳冬の北壁に挑むような態度と姿勢を美しい!と思うような有様ではありました。
しかし考えてみれば厳冬の北壁に行こうとも、故郷の低山の山歩きも実に魅力的で、むしろ色彩に富み喜びに彩られている事がわかります。
もうすぐ菜の花が咲き始めるでしょう、山には蕗の薹が雪の間から顔をのぞかせ、繰り返す命の息吹に、豊かな人生を重ねあわすことが出来ます。
同じように過酷な旅とて、8000mの高峰への挑戦とて、海外のラリーへの挑戦も実は裏山のトレイルから続いていることがわかります。
まだ浅い春の日の山道が、どれほどの魅力的に輝くかは、その人の感性とこれまでの生き様にあるのではないかと思います。
そんな思いで、このTDRへ。
ぜひ参加してみてください。
きょうの一枚
とって置きのカレンダーは、まだ少し貰い手を待っています。1月末までにお申し込みいただいた方のみ、ということのようですよ。

2012/01/26 (木曜日)

「コミュニティデザイン」
どうやら日本の貿易収支が赤字になったらしいですね。赤字はいけません。何事においても。オタクはいかがですか?まあ今や日本の企業の80%は赤字!というわけですから、赤字がダメ!というだけでは理解不能に陥りますよね。
まあ日本の貿易収支の赤字転落は31年ぶりだとか。それでも31年も黒字を続けていたのは偉いなあ・・・と。
日本は原材料を安く仕入れて加工して、付加価値(と思ってる)をつけた製品をまあ高く輸出する、とそれがいまの日本経済の基盤だと教えられてきました。もちろん2011は、震災の影響も大きかったでしょうし、円高もマイナス要因です。原発の停止による火力発電用の天然ガスの需要も膨らんだといいます。
きっと悲観論もかまびすしいでしょう。これだけ減速した日本経済にとっては、それを再確認させるようなニュースと取った向きも少なくは無いはずです。「ああ、もうこれで終わりだ。」「きっと単年度ではなく、しばらく続くのだ。」そういう悲観論がステキです。
でもまあ考えても見てください。そんなこと、何もたいした話ではありません。
S&Pの格付けみたいなものです。そうした指標は現実的にビジネスを展開していない人たちがいじくっいてるだけの事です。そもそも企業の多くは海外に生産拠点を移し、そこで生産したものを日本はじめ世界に売っているのが現実ですから、驚くほうがどうかしています。日本は、という立位置でものを見ては見誤ってしまう時代なのですね。
85年のプラザ合意で360円/$が一気に円高が進んだ!のでも黒字!自動車の日米貿易摩擦で橋本龍太郎が、竹刀を自分の喉もとに当てておどけてみせたのも・・まあ黒字は止め処なく続くのでありますな。いやあ、よき時代でしたなあ。
いまはもうあの頃からは未来!輝ける21世紀2012年。人々の暮らしも考え方も国のありようでさえ大きく変わり、買い物のために人ごみのアウトレットモールは、もうどうなったかは知りませんが、多くはネットに移りつつあります。木更津にも大きいのが出来るそうじゃないですか。。。
しかしまあ店舗を持たないという事によるアドバンテージは小さくなく、2010年には電子商取引の額は7.7兆円を超えました。(経産省統計)店舗は商品を確かめたりサイズを合わせる場所になってしまって来ました。お店で買い物していても「ああ、これ良いね。ネットで探せばもっと安いよね。」と、あなたもきっと数日の間に呟いた事はありませんか。
ただでさえコストのかかる店舗運営。なのにみんなときたら。。。
さてタイトルに掲げた「コミュニティ」とは、ネットコミュニティのお話と間違えられてしまいかねません。
そこでボクの持論のコミュニティデザインを!と思ったら、あまりに長いのでまたの機会に。おしまい。
きょうの一枚
壁紙復活プロジェクト進行中。。沢山の写真をこれからもどんどん公開していきたいなあと思っております。[壁紙コーナーはこちら]

2012/01/25 (水曜日)

「TDRをよろしくね。」
3月にTDR!?と聞いたときに少しボクもたじろぎました。しかも京都から日本海へと言うではありませんか。
昨年3月10日には、ボクはその辺りに居ました。雪の多い年だったのは間違いありませんが、残雪というにはあまりに多い雪量で、琵琶湖の北の林道は封鎖されてるし、京都から伸びるサバ街道は真冬の風景でした。いやそれでも早春の風景は、なかなかに興趣を呼びました。
鯖寿司を買おう、と思いながら買いそびれて、気が付いたらもう琵琶湖畔の宿に着いていました。
翌日は琵琶湖の畔で東日本大震災のニュースを聞いて、あわてて四国にトンボ返しに帰ったことが、あまりにも鮮明にまるで数日前のことのようです。
そんな?京都の北にチャレンジするのですねえ。
ということでTDR2012は、スタート!!宿泊地は温泉。。。初めてのラリーに家族で参加!してみてください。菅原さんたちもお越しいただきます。
さて、そこでこのTDRのスポンサーより、ステキなカレンダーを(って制作はSSERですから、モンゴルの激しいやつ)プレゼント!!ポロシャツをセットで!でもその特典は1月末までの早期エントリー!だそうですよ。
今年は全イベントが快晴の予定のSSER。まずはTDRで占ってみてくださいな。
きょうの一枚
これがカレンダーの7/8月、11/12月!かなり人気のようですよ。部数はちょっとしかないのですよ。

2012/01/24 (火曜日)

「雪が積もると、ライフワークについて考える。」
雪が積もると土門拳の古寺巡礼にある室生寺雪の鎧坂金堂の写真がすぐに頭をよぎる。70年代半ば、ボクは京都のあるお寺で雪の中で撮影をしていた老カメラマンに出会った。出会ったというのは正しくなくて、ボクは遠くから車椅子に座って古刹を眺めていた老人を眺めていただけだ。数人の助手たちがいて甲斐甲斐しく動いていたのできっと、かなりの人物だろうと言うことは推測できた。
そのあと土門拳の「古寺巡礼」という、膨大な解説文の素晴らしい写真集を見つた。恐ろしく高かったので、そのころは買えなかったが、いつの間にかボクの家にはその写真集があった。父が買ったのだろう。
土門拳という、名前も質実なカメラマンに、見かけたという思いもあって急に心惹かれていった。
それ以来、その京都の古刹で雪の中にいた老人こそは土門だったのだと思い込むようになった。合っているかもしれないけど間違っているかもしれない。
でもそれでいいのだと思うことにした。
それはその寺を取った写真を探したが、雪の中のその寺のものは見つからなかったからだ。しかしそのころのボクが興味を持った土門拳は知れば知るほどに、あまりにも魅力的な人物だった。
そして不自由な体を押して撮り書いたその膨大な量の、写真集というよりも祈りの書のようなものに、人間の恐るべきパワーとライフワークという言葉を身に沁みて感じるようになった。
そのころから「ライフワーク」という未知なる領域のコトバの具体を求めて歩き始めたような気がする。
そして雪が積もると、必ずあの情景を思い出し、必ず自身のライフワークは健全か?好奇心はなくなっていないか?」と自問し、少し焦る。
話は変わるが、菅原義正さん。
ボクが彼の事務所をはじめて訪ねたのは1987年の春だったから、やはり4半世紀のお付き合いをいただいている。ボクが32歳で菅原さんはまだヤンチャ盛りの?47歳くらいだったろうか。。
ここでもボクは人のライフワークを現実に見てゆくことになる。パリダカはちょうど翌年が10回大会だから、このあと20数年間の菅原さんの挑戦を見てきたことになる。何度かは同行し、パリ北京のときは、ほんとうに二人でなんだかんだと言いながら楽しいラリーの日々を過した。
人生は過酷だと思う。それは、思いの醸成と体力の低下の反比例による。
それでも、ライフワークがあるからこそ、豊かな人生だと感じられることもある。
とまれ菅原さんの30年に、心から祝福を送ろう。
きょうの一枚
ラリーモンゴリア2011 ETAP7、草付きのデューンの頂上でルートを読む菅原さんジムニー。

2012/01/20 (金曜日)

「時間、普遍的なボクのテーマ」
「時間」とWikipediaを引いてみると、あまりものボリウムで書き込まれているのにびっくりする。誰が書いたかは知る由もないが、哲学者かもしれない。
冒頭はこうだ。「時間(じかん)は、できごとや変化を認識するための基礎的な概念である。芸術、哲学、自然科学、心理学などの重要なテーマとなっている。それぞれの分野で異なった理解のしかたがある。」
古代宗教別の時間の概念などにも言及している。
自然の時間と人間の健康なんて見出しもある。
こんな中身だ。
「(略)人間は普段意識している《時間の長さ》の心理的な影響を受けることが知られている。また聞かされる音(環境音)の周期・リズムから心理的・生理的に影響を受けることも多くの実験で明らかになっている。さらに自分自身のその時々の脈拍をリアルタイムで聞いていると心地よい(心地よく感じていることを示す脳波が多く出る)ことも実験によってわかっている。もしも仮に秒の長さが現在の設定よりもいくらか長く設定されていて、人間の脈拍よりも十分に長くなっていたなら、秒針の音は人をもっとゆったりとリラックスさせるものになっただろう、と指摘されることがある。
現代生活の人工的で短かすぎる時間による過剰なストレスに苦しめられている人は、自然の時間で生きる生活を送ると(たとえば人工的な時間を表示する時計類は身体から離して一切眼に入らぬようにし、自然の中で暮らし、夜は照明を用いず日没後すみやかに眠るようにし、日の出にあわせて起床し太陽光を浴びるようにすると)、やがてストレスから解放され治癒される傾向がある、ということが知られている。」
時間の向き 、なんていう項目も「時間は未来から過去へ流れている、とする時間観」として興味深い。
ユダヤ・キリスト教的な時間観の枠内だけで育った人には意外に思えるかも知れないが、その枠をとりはらって少し考えてみてみると分かるようになるという。以下のように解説されている。
現在は一瞬で過去になります。今、現在だったことはちょっと前の未来です。今現在やっていることが、1時間後には過去になります。つまり現在が過去になるのです。当たり前のことですよね。現在の行為が過去になるのです。つまり現在の結果が過去です。あなたのいる位置が現在とすると、あなたに向かって未来がどんどんとやってきては、過去へ消えていっているわけです。
一方で、過去から未来へと流れているとする時間観(一神教的な時間観)の記述も当然でしょう。
西欧人はキリスト教的な世界観・時間観にどっぷりと漬かって生きていることもあり、時間の流れに関しては固定観念を抱いていることが多い。たとえば“誰もが時間は一方向にしか流れないことに気づいている”などと、(学問的に見て明らかに不正確なことが)西欧では主張されることがある。
とまあ読み進んでいくうちに、だんだん訳がわからなくなりますが、時間をかけて?深く読んでいくと、こうしたもの(Wikipediaね)からも、得るべきものが小さくないことに感動します。
「時間」当たり前の概念も、実は切り刻んでみると、いかにわれわれの日々の中で本当に大切なものかがわかります。
最近時間が立つのが早くなった、とか「もう金曜日、もう週末」とお嘆きのあなた。子供のころのように、待ち遠しい週末になるにはどうしたら良いかの様なヒントが隠されているかもしれません。
きょうの一枚
映画「TIME」
チェック:テクノロジーの発展によって老化を克服し裕福な者は永遠に生きられる一方、貧しい者は寿命のために働き続けなければならない近未来を舞台にしたアクション・サスペンス。監督は『ガタカ』のアンドリュー・ニコルが務め、斬新な発想で時間に支配された究極の格差社会を描き出す。主演は、『ソーシャル・ネットワーク』のジャスティン・ティンバーレイク。共演には『マンマ・ミーア!』のアマンダ・セイフライド、『ダークナイト』のキリアン・マーフィら多彩な顔ぶれがそろう。
ストーリー:科学技術が進歩したことにより老化現象を解決した近未来、25歳で生体の成長が止まると余命はあと1年という社会が構築されていた。富裕層は寿命を気にしなくていい一方、貧しい人々は寿命を延ばすためにあくせく働き続けなければならなかった。貧しい青年のウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は、時間と引き換えに裕福な男性を殺した容疑を掛けられ、追われる身となってしまい……。
まあ先にご紹介した「男と女」と「男と女2」も20年という時間をテーマにしていたのですね。

2012/01/19 (木曜日)

「晴れれば春の兆し、降れば陰鬱な冬・・・に思う」
人の気持ちは、本当に不思議です。昨日は良く晴れていて実に気持ち良く、石鎚山の姿も見えて、少し歩けばそこここに春の兆しが。会議をしても何か楽しい感じ。バイクもエンジンをかけてみたりして、時間があれば走り出したかもしれません。
でも今日は一転、陰鬱な鈍色の空、雨、何もかもが嫌になってしまいそうな気配が漂います。会議でもしたら後ろ向きな発言しか出ません。
そうですその「後ろ向きな発言」ほど、立派に聞こえるものはないのです。学者なぞはこぞってネガティヴな発言をするもの。つまりネガティヴな発言は頭が良さそうでかつ良く勉強しているように思えます。一方で「やろうやろう」と盛り立てる係りは、どこか思慮に欠け、物事の道理が見えていないようにも思えます。そうあの花の応援団みたいなものです。
こうした賢人ぶった学者的な思考がいまの日本を覆いつくしてしまい、挙句はコンプライアンス型不況を生んだ構造の本質です。
「そんなことをして、失敗したらどうする!?」「誰が責任を取るのだ。」まあそんなことばかり唱えているうちに、何もしないで座して衰弱を待つのみ、という弱い体質になってしまいましたね。そして世の中はすべて「存続の危機」「絶滅の危惧」のオンパレードなわけです。
そして「それは、誰の責任か?」ということが問われています。最近流行の「国の責任」とはいったいなんでしょう。実は「国の責任」といった時点で、全国民の責任ということに置き換えられてしまっています。決して官僚や国政にあるものが「国」ではないのは事実出し仕方の無いことです。これは国の責任で1000億円の弁償します。といえば、ボクもあなたもまあ1000円は出さないといけないということになるわけです。
それを象徴するのは「いま崖っぷちに立たされているのは民主党ではなく日本であり国民なのです。」という首相の発言。それがジョークなのかアジテーションなのか、ひょっとしたら何も解かっていなかったのか・・・と、そういうことを考えさせられます。
まあ、せめて明るく温かな陽の光が降り注ぐ春を待ちわびることにしますか。
きょうの一枚
毅然とあること、孤高であること、変わらないこと。
2012/01/17 (火曜日)

「人はなぜ、山に登るのか」
誰だか知らないけど、ヒラリー卿に尋ねた言葉だ。たぶんイギリスの新聞社あたりの記者かもしれない。
「実にくだらない質問だ。」ということは解っているが、この哲学的な問いは、比喩され多くのヴァリエーションを伴って、いまも行為の根源的な動機を明確に 出来るかできないかということに作用しているように思う。
「どうして、こんなことしたの。」
小さいときに母親か誰かにそう言われて答えに窮したことは無いか。心の底からにじみ出る不可思議な挑戦という冒険的な行為は、ボクタチ現代人が、 サバイバルを生き抜いてきた500万年も続く人間の遺伝子の記憶なのではないかとも思う。
きょうの一枚
今日の一枚は、事務所から見た今日の石鎚山。この厳冬の山は、また魅力的でもある。おそらく山頂付近は夜来の雪でエビのシッポに太陽の光が輝いているだろう。夕陽の時間はなおさらだ。
見える北壁は、アイゼンの歯も立たないくらいに凍り付いているだろうか。子供のころから通った石鎚山は、今も見上げるとすぐ目の前に聳える。特にうちの事務所から見る形が良い。
南尖峰からズバッと切れ落ちた姿はなかなかのものだ。今年は何度か石鎚に行かなければならないだろう。
新しい試みと「なぜ。。。」と問うような、そんなことを始めるのだ。

2012/01/16 (月曜日)

「ダカール、ゴール。」
1979年にスタートした、ダカール、一度の直前の中止を含む34回の開催を無事に終えた。そして今回は初めてのゴール地ペルーの首都リマ。新しい地をゴールにするのは難しいが心踊ることだったろうと思う。いまや1000万人に近い人口を持つリマは、熱気を帯び歓喜の渦に市民も参加者も盛り上がってることだろう。スパニッシュコロニアルの、美しい建物やライティングがおそらく参加者たちの心を高揚させ浮揚させているに違いあるまい。こうしたラリーのゴールにはそうしたファクターも必要である。そういう意味でも南米はまた魅力的な土地といえる。
そして、こうしたクロスカントリーラリーの最大の魅力のひとつは未知の大陸、未知の文化への接触だということに、いまさら気づかされる。そういう意味でも南米開催の意義も小さくは無く、それを上手く演出しまた模索し続けた主催者に敬意を表さなければならないと思う。
ともすれば統制が利かなくなるほど規模が拡大し、さまざまなパートに分かれて事業が進んで行く。運営組織のありようも想像がつかないほど。しかしまあ中心となるのは競技だ。競い合うということは膨大な熱量を生む。参加者に厳しい条件を突きつけるほどに主催者は困難を身に纏う。
苦しいステージで最も苦しむのは、実は主催者なのだ。
ところで西アフリカはどうなのか。
いまや、最近情報が少なくなった。ニジェールやマリは、どうなったのだろう。
地球上で国境を越えるこのようなイベントが続くこともまた奇跡的なことではあるまいかと思う。
きょうの一枚
パリ・ダカールから。

2012/01/13 (金曜日)

「 ↑ 」
タクラマカンへのお誘い。
西安-パリ、北京-ローマ、レイドトレックチョモランマと続いてきたSSERの、レイドアドベンチャーのシリーズ。今年は、昨年急遽延期をせざるを得なかったタクラマカンへ行く。
長い休み。案外かかる費用とハードルは低くないが、自分のマシンを持ち込めるという魅力は大きい。そして、敦煌がベースキャンプとなりスタート前に1泊、ゴールも敦煌でゴール後1泊。だから、ちょっと自由な時間も少なくはない。
途中のレストディはトルファンだけだが、どの行程も昼過ぎには到着するような設定(途中でマシントラブルなど無ければね)そして、今回はチョモランマのように大型カミオンがスィーパーにつく。
チョモランマで苦しめられた高山病も心配ない程度だし、愉快な仲間で楽しく走る、そんな旅に出かけようと思う。
上のサイトから情報を見てみて資料請求を下さいな。
「上のサイト」タクラマカン2012サイトはこちら
きょうの一枚
おーい、トルファンにおいでー。

2012/01/12 (木曜日)

「存続の危機」
平家物語や方丈記を持ち出すまでもなく、諸行は無常であり同じものがあり続けることはない。内はないのだが、ボクはどうもここのところ、特にサスティナブルだとか持続可能な社会だとか言い出したころから「存続の危機の時代」が本格的に到来していたことを、たくさんこのOVにも書き散らした気がする。
事務所を出て市内に向かう道すがら、中央商店街の中を歩きながら、昔よく行った飲み屋を訪ねながら、感じるのは皆さんも同じ。
やっとなじみの店に行くと1月いっぱいで閉めるとか、かかってくる電話は「工場閉めるので、もう仕事が出来ません。」とか、あまたの組織もお店も会社も行政機関も。または病院も、ありとあらゆるものが「存続の危機」にさらされている。
難しい仕事は出来ないとか、リスクがあるとか、採算が取れないからとか、止めるための理由ばかり探していると思う。
「では、止めたいのか?」
と聞くと
「そうではない」と言う。
つまりリスクがなくて、簡単で人手が要らなくて沢山儲かる仕事以外は出来ないというのだ。
いつから日本人は、こんなに腰抜けになったのだろうか。
本当にそう思う。
難しいことや困難なこと、大きなリスクが伴うこと、そういうものに挑んで築いてきたのが日本の経済だったとボクは思う。
「昔は良かった。」
それは体が自由で朝まで仕事が出来たから、ということ意外ではそう良かったことなんて実はなかったろうと思う。
在るとすれば「多くのことがチエックが甘くて、割と許されて、案外儲けさせてもらった。」ということならお門違いだ。
「存続の危機」VS「持続可能な社会の実現」とは、なにも相対することではないと思う。持続可能な社会は、さまざまなものが無くなっても再び生まれることの出来る環境があるか否かだと思う。
いやしかし地球のリサイクルで、失ったと思うものも再び再生することもあると思う。今存続の危機に瀕しているのは、割と甘く、割とおいしかったものが無くなっているという事だろうと思う。
きょうの一枚
平家納経。。。
それにしても平家物語が、心にしみますね。

2012/01/10 (火曜日)

「時間は加速する。」
まるで1月は、時間が渦を巻いて過ぎ去っていく。
これをなぜかと考えたら、やはり相対性理論かもしれない。
そもそも1月は「今年はこれをやるぞ。」「年が明けたら立ち上げるぞ。」「とにかく1年のために1月は頑張るぞ。」という勤勉な日本人の持つ「やる気」が、空回りするからに他ならない。それは、あまりにも多い休日などで。。。気がつけば「あっ」という間に過ぎ去り日々、と相成るわけだ。
2月はその反省から余計にあせり、3月になるともう南の島からのバカンス帰りの飛行機のようにあっという間に時間が過ぎる。
考えてみれば、楽しいところへいくときは行く道中は長く、帰り道は短く感じるのも同じようなものだ。
それに1月は「ダカール」のニュースが追い討ちをかけるのが良くない。気がつけばゴール(まだしてないけど・・)気がつけばもう彼らは帰国している。という按配。
とまれダカールはみな健闘中。寺田君の転倒リタイヤは残念だったけどプッシュすればそんなこともある。次へのバネにしてもらいたいものだ。
ということで、時間の消費は「心次第」だと言うことがわかった。
ラリーでもそうだろう。追いかけるときは時間が足りない。しかしその時間でも逃げるときには、とんでもなくたくさんの時間に感じる。
昨日の高校サッカーの決勝も、後半の時間の流れは四日市工業の応援席と市立船橋の応援席では全く違ったものだったろうと思う。
そこでボクはこの心の流れを利用した新しいビジネスモデルを立ち上げることにした。(ゴゾゴゾ、、胸のポケットを探る音)チャラララーーン。時間銀行!!ボクは初代頭取。あなたのいやな気の遠くなるような時間を当行にお預けいただきますと、3年で1%の利息が付いて海外旅行などに行くときにご利用いただけま
す。
また時間が足りないときはお安くお貸しいたします。
そうだ、そんな映画があるぞ。
てなことにはならないだろうなあ。
ドラエモン誕生まであと100年。
きょうの一枚
映画「TIME]
21世紀末、人口増加を抑制するため人類は遺伝子操作により26歳以後は時間を買わなければ生き続けられない社会が舞台。金持ちは悠然と生き、貧しき者は奴隷 の如く働き続けなければ若くして絶命する。時間格差社会で起こる出来事を描いた近未来アクション・サスペンス。だそう。つまり「時は金なり」ということだ が、まあ大なり小なりそうなってしまいつつある。だからボクはそれを止めたい。[予告編はこちら]
2012/01/05 (木曜日)

「年頭所感」
ってタイトルは大層なことだが、まあ正月のあいだ考えたボクの思いの一端をぶちまけようと言うことだ。
政治が悪い、ユーロ危機、アメリカがどーの。
もうね、自分で考えて自分でやるしかない。
ボクはやる。(ことにした)
今年から。
いや、今までもやらなかったわけではないだが、やり方を変えようと思う。
なんかアメリカ大統領選の共和党候補者選びでロン・ポール候補が在外駐留米軍の全撤退を公約にした。
「自国のことを考えろ」
と言い放つ。
何かこの一言で、ボクも目が覚めた感じがした。
彼が大統領になるとかならないとかではなくて、日本も真の独立を成し遂げるときが近づいてきていると言うことを示唆しているのだ。
普天間問題など、両国の間に刺さった魚の小骨ほどのこともなくなる。
その時には、いまさら基地がなくなったら困る、なんて論調は止めよう。
しかしそのとき、日本は、なにをどう考えるのか。
どんな思考回路が残されるのか。
「そんな事態にはならないはず」
と考える向きも多いかもしれない、まだ。
いやボクがやるとか、やらないとか言っているのはこんな話ではなく、景気が悪いとか政治が悪いとか、今やっても無駄だとか・・・出来ない理由ばかり、他者の責任のように片付けてきたことばかり。それを止めることにしたということだ。
やるのは、これまで以上のチャレンジ。
やらなければ、何も得られない。
やらなければ、たとえば失敗も得られないし、失敗しないことを望んで座していれたのはもう公務員だけだ。
その公務員がどーの、とか言うのも止めよう。彼らにもその時期が迫っているわけで自ら変えられないのなら、座して枯渇を待つのみだ気がつき始めている。
ボクはやる。今年は、全く新しい課題に向けて新しい一歩を踏み出す。
きょうの一枚
目的地は遠いほうが良い。はるかな距離を時間で埋めることが旅なのだと思う。パリまで4500kmもあるし、中国・広州だろうかGuangzhouからは5367kmもやって来た。人生もまあ、このようなものだ。政治なんて道路で良い。良い道路でも悪い道路でも、良く走るバイクがあればどちらでも良いことだ。旅は、目的地までが旅ではないと思う。目的地の積み重ねが旅で、それが人生だと思う。

2012/01/01 (日曜日)

「謹賀新年」
いよいよ2012年。迎えました新しい本年こそは「希望」に満ちた輝かしいものでありますよう。
それにしても2011年は、あまりにも多くの胸を塞ぐ出来事が起きました。列挙するのもはばかられます。
さて2012年、わたしたちSSERも、皆様と同じくふたたび、「希望」に満ちた新しい年を歩み始めます。その「希望」とは見失いそうになる「夢」の具体です。
いまだ弛まず抱き続ける遠く未知なる大地への憧憬、砂漠や広大なる草原の連なるユーラシアに、大いなる冒険の轍を残す。そんなささやかで、しかし偉大な夢です。それを実現することもまた日々にある冒険です。たとえば、まず健康であること、家族や仕事など周囲が安定していることも必須。それらを実現する道筋こそ困難に満ちていると言えます。また国際情勢の機微も大切な観点です。ひとくちに冒険の旅と言いますが、その実現には真に自身のありようと社会性まで問われるのです。ラリーモンゴリアやタクラマカンはもちろん、本年も皆様方の大いなるご指導を頂きたゆまぬ歩みを記してまいります。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。
2012年元旦
SSER ORGANISATION
山田徹

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No.0081 Organisation Voice – 2000/03/18(土) 12:00

えっと。今年のSSERのシンボルマークの説明をまだしていなかった。らしい。2000年SSERイベントの運営コンセプトは「SSER、地球を1/2周するほどの、夢」これはね、TBI 100名の参加者が2,000kmに挑みます、すると200,000km。ちょうど地球の1/2周です。じゃあRRMは?50名の参加者が4,000kmに挑みますね。するとこれもやっぱり200,000km。同じです。ちっぽけな四国で生まれた、ちっぽけな夢が、仲間を集め、少しずつ実現してきて、やがて地球を駆けまわる現実にまで発展してきました。ヴァーチャルより体感をエクスペリエンスを、私たちの熱い想いです。そして、そういったスケールで考えて行きたい、という願いがこめられています。環境問題やそれらも含んだ意味としての社会問題。わたしたちは良きライダーとして良きドライバーとしていつも、それらの問題に深く思いをいたして、自分達の生まれ生きた時代に感謝しつつ次の世代へバトンタッチして行きたいものです。オフロードを、砂漠を、例え近くの林道でも、その走る爽快感は、いつまでも変わらないものであって欲しいものです。

きょうの1枚
これは今年のシンボルマーク。TBIのポスターはさらにこれをイラスト化したイメージ、乞うご期待!! キャラクターの応募、どんどん増えてるようですね。


OVバックナンバー

Organisation Voice 2010

Organisation Voice 2010/12

2010/12/29 (水曜日)

「FUTUREのこと。」
ここに来て、まことに急にですが・・・FREE DVD MAG.FUTURE・・・沢山の年間購読(送料のみのね)の申し込みが相次いで届き始めました。それも、北は北海道から南は沖縄まで。初めてお聞きする名前ばかり。女性のお名前も少なくありません。それに添えてある一言にも、大変な勇気を頂きます。FUTUREはボクタチがお届けしているのですが、ボクタチには皆さんからの励ましの声が届きます。それが何にも変えがたい前進する勇気となっています。つまりFUTURE、実は双方向性のメディアなのだ、ということが分かります。
「動画ネット配信の時代に、いまどきパッケージですか?」の声は、ひとまず下火になりました。しかしパッケージ化は、かなりの製作コストではあります。
だからこんな声もあります。
「無料だからどーせ、と見てみたんだけど、内容も充実しているし有料でも充分販売できるんじゃないですか?」
大変ありがたいお話です。
しかし、それではいかんのです。収支を考えて取り組んでいるわけではありません。ボクタチは、ただただ伝えたいのです。その素晴らしい世界を。だいいち販売していて1万部も届きますか?
そもそも、このFUTUREを発行する原動力のひとつは、DVDを制作して販売しても製作コストすらまかなえない!という現実でした。「じゃあ映像制作はやめよう」そんな頃も当然ありました。やめることは簡単です。
2007年の西安-パリなど、テレビ放送を実現したものもあります。しかしそれを常に目指しても、テレビ局との折衝の中で、彼らの持つ経済原理と我々のそれとは全く相容れないものでした。
こんな風です。
「吉本のタレントでも使えばね?」
彼らが大陸を渡ったり、砂丘を越えたりはできるでしょうか?よしんば出来たとしても、その映像が本物足りえるでしょうか??テレビ放送は、いまや論までもありませんが、誰も期待していないものになってしまいました。電波の公共性は、もう無いのです。
また自動車メーカーなどの、クルマに対する思いの変化もあります。これはAPIOの河野社長のブログにも詳しいのですが、クルマは製品そのものが良く売れるか否か?利益率が良いか否か?を競い合う商品にしか過ぎません。いまやクルマはコンピューターで設計されるから、最終的にエンブレム以外は同じものにしかならないのだそうです。だから脱化石燃料のボンネットフード内の技術競争に終始し、少ない資本は一極集中で投下するしかないわけです。兵の分散投入は兵法にもとる!のであります。
経営テクノロジーが進化し、結果として夢とか冒険とか、そんな甘っちょろい事など許せない企業風土の会社ばかりになっていました。良く聞くフレーズですが「本田宗一郎さんが、今いれば・・・」と。しかしその幻想の回答は、こうです。「今いれば役員会や株主総会で罷免されるだけだ。」と言うのが現実でしょう。夢を持つことは、危険だということです。コンプライアンスの遵守とは「夢を持つな」と置き換えることが出来ます・
しかしそんな時代に、まだダカールに挑み続ける人たちがいます。ワークス参戦だから、プライベートだから、なんてのも関係なく、自動車の夢をまだかろうじて持っているのだと思います。販売戦略上。と言っているのも実は言い訳です。基本的に「好きなんです。」利己を越えた好きの力、それが冒険とかクロスカントリーラリーのせかいなんでしょう。
ボクタチも、その仲間であり続けたいし、その仲間を少しずつ増やして行きたいと思っています。
一生のうちにクルマに乗って砂漠を走る経験をする人なんて、極めて僅かです。砂漠を走れ!と言っているのではなく、たとえばそんな夢を日々の生活の中に温かな炎のように灯し続けたい。それが、私たちの望みでありささやかに描くFUTUREの姿です。
きょうは2枚
この1年の地と汗の結晶・・・スイマセン大げさすぎました。5巻を無事に発行できて感無量です。新しいことにチャレンジすることには、困難が伴います。しかし困難ってのは、無きゃ無いで虚しいものです。困難なればこそ・・でごわっと。小さなストップウォッチ
ボクのちょっとクラシックなストップウオッチ・・・タグ・ホイヤーです。今では使うこともなくなったのですが・・・
(おまけ)

2010/12/28 (火曜日)

「漂泊の思いやまず」
大掃除なのですが、ボクは腰が悪いのをいいことにサボっています。片付け物の中からBMW R1200GS Adventureまあ2007モデルですが・・・のカタログが出て来て、しめしめと眺めていてビックリ。
1枚目の写真に添えられたキャプションには「千里の道も一歩から」なんて、しおらしく書いているのですが本文には
わたしたちは中国での最初の一歩としてパミール高原に向かいました。(中略)驚嘆しながら「氷の山の父」の意味を持つムスターグアタ山(7546m)の前に立ったのでした。それはわたしたちの誰にとっても・・・・
これは我々SSERがレイド・トレック・チョモランマ2009のスタートの前日に、高度順応のために向かったカラクリ湖の畔に聳える山です。この地を旅してきたわたしたちには、このカタログの持つ意味が比較的良く分かります。ただ文章も写真も僅かばかりですが、大げさすぎはします。ですがまあ長い道のりの冒険の旅も、第一歩を踏み出さなければならないという教えは、共通のものです。
タクラマカン横断の旅は、今日のブログにも少し書きましたが、この2007年モデルのGS-Aを年明けから整備して、サイドカーを付けて出かけようと思います。もしなんなら、もう1台同じのがありますのでご希望の方には無償でレンタル(っていうかな?)いたします。
このカタログの次のページには「足ることを知れば、心は安らかである。」と老子の言葉がヘッドコピーに使われています。「足るを知る」とは、まあ新車にはしないでも良いということでしょうね。
きょうの一枚
いま思えば、この近年の旅の憧憬はこのカタログに触発されたといっても過言ではないでしょうね。
(おまけ)
2010/12/27 (月曜日)

「寒波到来。」
寒波がシベリアから南下!!モンゴルが氷点下40度以下に下がると数日後には日本にも第一級の寒波がやってきます。地球は繋がっているって、気象に関するメカニズムなどが明らかになるにつれ、シミジミとそう感じます。
3日前までモンゴル高原を冷やしていた北極生れの寒気も、昨日からは日本にやって来ています。そうして温暖な四国のわが事務所の回りも、さすがに今朝は雪景色。しかしそれでも3基あるエアコンは無稼動!!・・・1個のダルマストーブのみで充分な暖が取れているから不思議です。わが事務所のエアコンは、まれに換気扇代わりとして点けることがあるのみです。
なぜそうか?そのためにはインナーウエアを充実すれば良いはなしで・・・とにかく昨今は、どこに行っても暖房過多です。たとえばお店の中ではシャツ1枚で働いていても、来店客のボクタチはパタゴニアのインナーを着て、極寒の世界から来ているので3分もすると「暑くて暑くて、たまりません。」コートなら脱げば良いのですが。気分が悪くなって、出て行くしかありません。
まあ鳩山さんの言った25%削減!!はともかくとして、二酸化炭素排出削減なんて、もう止めていますね。多分ですが。おそらく環境問題の馬鹿馬鹿しさが分かったのかもしれませんが、それはそうでも電気代は馬鹿にならないんじゃないかしら。
さてボクは長く出張をしていて・・・モバイル環境はあるにはあるのですが。久しぶりにOVを書いています。ラリーモンゴリア2011、TBI2011などプレエントリーのケース1が終わりました。こうした時代の中でも夢を失わない人たちがたくさんいて、これまた勇気付けられますし、遠くアルゼンチンのダカールに思いを馳せています。
来る2011年も、SSERは弛まず歩み続けようと思っています。旅をする喜び、冒険のまなざし。
また明日。
明日は大掃除。29日はSSER大忘年会ともちつき大会!!来年は皆さまにとって、さらに良い年でありますように。
きょうの一枚
まあ事務所の周りは一面の銀世界。雪は良いですね。いろんなものを白く覆ってしまって・・・
(おまけ)

2010/12/17 (金曜日)

「TBI2011、あああ・・・年内から始める予定の試走が・・・」
今回のTBIは、全くこれまでと違う!というのはご案内の通りです。大阪が出発点ですもの。それで今回は年内に大阪方面を終わらせる!というボクの計画はもろくも崩壊。
でも1月からは雪と相談をしながら、まずは畿内編を。温かな和歌山、とかも素敵そうだし。ということで内緒なんですが1泊目は和歌山かも!しれません。
一時期は和歌山のオフロードライダーたちは、一大勢力だった時代がありましたねえ、なんとも懐かしい・・そしてTDN(ツールドニッポン)の時に、和歌山ルートの提案もあって、温泉に入りに行ったの懐かしいなあ。もとい、和歌山の林道を調べに行ったの懐かしいなあ。
そうそうあの温泉は、川湯温泉。
和歌山のとある女性に
「露天の混浴、一緒に入りませんか?」
と声を掛けられたものだから・・・
「河原で、川をせき止めてあって、どこでも掘ると川底から熱いお湯が沸いて来るのよ。」
「ウヒョウヒョ」
更衣室は別々。
ボクと和歌山の某オフロードライダーは2人で、すっぽんぽん。女の子はというと
「やられた!」
水着持参でございました。
きょうの一枚
その川湯温泉。冬場はやってないらしいし、雨が降るとこれまた中止。TBIでオンコースとなるかどうかは・・・
(おまけ)

2010/12/16 (木曜日)

「父の親友と久万高原町美術館」
長い話を書こうと思う。
ささやかながらボクの亡き父も美術品の収集をしていました。まあ財力が無いわけですから、クオリティは知れていますが、なかなか良いものも多数あります。おそらくその影響を受けたのは、父の親友の故井部剛さんではなかったろうかと思います。
井部さんは久万高原町の林業家で、ボクの家でよく父と酒を飲んでいました。また2人で松山の夜を徘徊していたことは有名な話のようです。これはどうもボクの記憶があやふやなのですが、パリ・ダカールから帰ったとき「話を聞かせて欲しい」と言われて、パリ・ダカールへの思いや、その道筋とかを話しました。「その話しを子供たちに話して欲しい」と言われて、彼のジャガーの後部座席でご自宅に伺いました。
また2人は音楽を共通の趣味としていて、オーケストラを作るんだ!と張り切っていました。当然、というかおそらく井部さんがスポンサーで父は実働部隊だったんでしょう。そのオーケストラも無事に出来て、2人は少なくない地域貢献を果たしたんでしょう。その交響楽団、もう半世紀もそう遠くないほどの歳月が流れたようです。そうそうFM放送局も作るといって頑張っていました。
不思議な縁があって、ボクも久万高原でSSERというイベントを始めることになって数年後(これも記憶の糸)井部さんのお父さんの井部栄治さんが亡くなったと聞きました。父を連れて弔問に出かけた記憶がうっすらと。そのあと膨大な蒐集された美術品が久万高原町に寄贈されると聞きました。これを受けた久万町(当時)の町長・・・SSERの時に挨拶をしていた方ですよ・・・はそのコレクションの価値を測りかねて、ブリヂストン美術館の学芸員に相談したとの談話が当時の新聞に。
その学芸員は、このコレクションは、そんじょそこらの町の蒐集家が「寄贈します。」なんていうレベルじゃないですぞ。とか何とか言ったようです。驚いた久万町長、かなり気合を入れて素晴らしい久万美術館を建設します。そうして、そのコレクションに、まさにはじない美術館が出来たのであります。つまりこの久万高原美術館は、幻の井部コレクションが収蔵されているのであります。
素晴らしい久万産材、山との境界の無い中庭はどこまでが庭なのかが分からなくて、閉鎖的な空間にいながらも広がっていく自由な気分とでも評せば、良いのでしょうか、そんな感じです。ボクもいつかはこんな建築物をデザインしたいなあ、と思わせたものです。
そして、いまボクはその井部栄治さんのお孫さん。つまり父の親友の息子さんと、不思議なご縁で、NPOを一緒に立ち上げることとなりました。ちょっとブログにも書きましたが、まだボクよりもだいぶん若いので(パリ・ダカールの話をした少年は彼のことだと思っていたのですが、2人の記憶が繋がらないのですが。)彼はYAMAHAに入りなんとワークスチームのメカニックとして、世界GPを転戦していたというキャリアです。しかし家業を継ぐために久万に戻って来ました。
SSERは、長く久万高原でイベントを開催しています。また周辺には多くの仲間が野外音楽イベントや全日本や地方戦などのラリーを開催しているのですが、もう少し地域と関係性を高めたものにしていきたいと考えています。「人と人が出会う」のはイベントの最大の魅力です。久万高原町美術館は、いまも多くのファンをひきつけて。新しい出会いを創造していると考えれば、ボクたちも先人の教えに習って、もっと精進せねばならないなと思う今日この頃であります。
きょうの一枚
夭折の画家は多いが、村山 槐多も22歳でこの世を去った。1919年のことだ。井部栄治さんは1909年生まれだから、10年ほどは同じ時代を生きたのだろうか。その「裸婦」がコレクションの大きな中核をなしている。ギラギラした生命感、色、激しさに、はじめて見たときから忘れられない1枚だ。
(おまけ)

2010/12/14 (火曜日)

「FJクルーザーって、どーですか?だって。」
社内のデザイナー伊藤くんの背後に、FJクルーザーの写真だかが貼ってある。タケチャンは「OVにFJクルーザーのことを書いて・・・」とかリクエスト。
「・・・・・」
「FJクルーザーが国内発売になる」と聞いても、全くボクにはピンとこない、のであります。元祖ランクルオタクだったボクは、最近すっかり「クルマはなんでもいいよ。」になってしまって・・・で、そのうえFJクルーザーって既に長年、松野さんの手によってモンゴルを走っているし昨年は、ボクが全行程をハンドルを握って、カシュガルからツアンダ、チョモランマBCそしてラサまで冒険旅行をした。
そりゃ何でかっていうと。もともとは松野さんが行く予定だったところ、直前になって大切な仕事が入って無念のDNSとなってしまったからなのだ。
「FJは天津に置いておこう!」とボク
「そんなことしたら、大変なことになりますよ。」
とタケシ!じゃなくて李さん。
あっ、李さんとはボクの中国の代理人。
「じゃあ、どーするのよ。」
「あなた運転してください。」
「いやーボク?」
まあいいや、ほとんど石原さんに運転してもらえば。
と北京に行くと、用意された4輪の中国国内運転免許証はボクのだけ・・・しかも検問だらけのウイグルとチベット・・・これではよほどの事が無い限りボクが一人で運転しなきゃならない・・・あの午後に襲ってくる気持ちの良い睡魔も、せっかくの絶景の連続する車窓の風景も・・・ああぁぁ。
「でも、まあ、いいや。」
と走り出してみると、エンジンは良く回る。
TRDのスーパーチャージャーがついているけど、それにしてもよく回る。こんなに良く走るのかい?!チカゴロノヨンクハ・・・標高5000mを越えても2速で全開にでもすれば
「こりゃチョモランマ登るわ!」
という感じ。なんともいえないモリモリ感が久しぶりで、これなら苦労することないなあ!と喜んでいたら、またまた足周りが素晴らしい。でも良く見るとBAJA用のスペシャルな足が、バッチリ組まれていて、こりゃ車両価格くらいの足が入っているねえ、と。でもまあ借り物だし、ボクの今の立場だし。こんなポテンシャルを発揮している場合ではないのでありますな。
で、このFJ、ボクはてっきり譲ってもらってモンゴルの試走用に、なんて絵を描いたものだから「DUNEからDUNEへ」と、いけない夢を見た。
・・・・ハナシヲモドソウ
ところがその左ハンドルのFJ、慣れればそのドライビングフィールの軽快さとボディのバランスが悪い。隣に座る石原さんに何度も「当たる!一杯だよ。」と叱られる。つまり、いつの間にか小さなボディの車に乗っている感覚になってしまう。まだ山側ならいいだろうけど、千尋の谷を望むチベット高原の険しい山道では人知れず石原さんは冷や汗を流していたことだろうと思うと申し訳ない。
あれから1年。
「FJ,どーですか?」
と聞かれても、あのチョモランマに行ったFJと較べては仕方ないんだけど

「なんだかなあ」
が正直な感想。
でもボクも、そろそろスーパー4駆小僧に戻ろう!と密かに心に決めている。
じゃあ、なにが良いのか、と考えた時にあまりモノ選択肢の無さに、やはり呆然。でも1台70が手元に帰ってくるという話もあったりして・・・
来年のモンゴルの試走用に、スゴイの作りたいなあ。
きょうの一枚
そうそう、1995年頃の試走風景!こんな70が、6台もあったのですが。これはダランザドガドに近いデューン地帯、こうやって砂丘のピークにクルマを停めて右側のように木の棒に黄色いコーステープを巻きます。試走1ヶ月で本番ならば、間違いなく残っています。やっぱ70、良かったですよ。ボクはパリダカに70->60->80->70というふうに乗り継いだのだから不思議です。
(おまけ)

2010/12/09 (木曜日)

「IKEA、すごいなぁ。」
もう何年か前の西安-パリのとき、ロシアの南の都市カザンから一路モスクワを目指した時だ。そうそうカオルさんが行方不明になった日のこと。ボルガの美しい町が続くんだけど、ある町で大きなIKEAを見かけた「大きい!!」そしてついにこの前、大阪南港のIKEAに行って「やっぱり・・・」と、度肝を抜かれたことは前にどこかに書いた。
何が「すごいのか」というと、この企業のマーケテイングというか世界戦略だ。いくつかの文献が書店にはあった。そもそも割と高いけどデザイン品質に優れたスカンジナビアンデザイン家具を、まるでDIY店の家具のプライスで販売しているのだ。そのスケール感たるや、あまたある小売業の中でも抜きに出ている。見る目さえ養えば、かなり上手く付き合える。
「このグラス良いなあ。でも699円か・・・5個買えば3,495円かあ」と思ってよく見たら「6個セットで699円!」安い!と買ってしまう。てか6個でひと梱包になっているのでばら売りは出来ない。こんなに研究し尽くしたマーチャンダイジングには、なかなかお目にかかれない。今のユニクロではもうありえない。あんなCMに巨費を費やしていると・・・知らないぞー、っと。
しかし、そんな善良のベールのIKEA、秘密めいた部分も多い。運営をしているのは、慈善団体のような体をなしているし、売上もなかなか調べていても解りにくい。多分2009年辺りで150億ユーロくらいだ。2兆円くらいの企業かな。でも収益率は抜群で、利益を内部留保させるテクノロジーは、凄まじい。ユニクロが8000億くらいの売上で、中期計画を2兆円とか5兆円とか発表したあとUJの失敗で苦戦中だ。ひとつ辺りの店舗の床面積が小さすぎるのが頭打ちの原因だとIKEAを見てて、そう思う。
さてIKEAの経営テクノロジーというのは、前述の通り抜きん出ている。てかヨーロッパの経営テクノロジーは、いまやただ事ではない。日本の企業もナンチャラホールディングスなんて作っちゃいるけど、肉食系のヨーロッパ系企業の獰猛さは(いまはもう)ない。
それでもヨーロッパ系の企業てのは、表面的にブランディングがしっかりしているから、「いいなあ」って消費者は思うわけです。
日本の企業も、もっとやらなきゃ!てか、ボクもだけど。
きょうの一枚
「小鶴隊長」
最も信頼の出来るオフィシャルの1人は、この人だ。学生時代は山をやってたので、ボクとはとても話が会う。同時代に同じ夢を見ていた。ところで彼はモンゴルでは、最も困難なCPに行って貰う事が多い。元参加選手だったということもあるが、ボロボロのプロシードで、砂漠を単独で越えてくる男で、だからなんとなく冒険家風の風貌もファツションもとても素敵だ。ヘリの音が聞こえると、お湯を沸かしてくれるところも良い。熱い砂漠で、彼のこだわった豆で淹れてくれたコーヒーを、シェラカップで頂くのも愉しい。
(おまけ)
2010/12/07 (火曜日)

「忙しいのに、仕事が手につきません。そこでクリスマスプレゼントなんかを考えた。ちょっとマニアックすぎたかも・・・」
コピーライティングの依頼が入っていて、今朝からこれをやってしまおう!と全てのスケジュールを調整して取りかかったまではいいのですが・・・頭の中は「・・・・・」な感じ。「そうだ、MOTOWORKSのドアのハンドルを、あーしよう」で電話。「そうだ、カウンターの天板をこーしよう」でネット検索。ということで、全くはかどっていません。クライアント様ごめんなさい。い。
しかもそのコピーは大手自動車関連の2011のカタログ、ってか毎年ボクに依頼が来る不思議な仕事。壮大なコピーワークが冴え渡っていますがな(かなりウソ)さらに月末が締め切りの大きな政策提言書の制作。これはボクの「自分がやる!」と、大見得を切ってしまった、だってこんなに忙しくなるとは思わなかったのに、ブツブツ。それにある地域の再生プログラムの企画書。これも重荷だ。「あーあ」現場行って「あーだ、こーだ」ってやってたいのに・・・
そこでラリーモンゴリアのクリスマスプレゼント企画!!
「やっぱ、ヘリかね?」
「ヘリだね。」
ということでクリスマスカードもヘリ・・・でプレゼントもヘリのシート「???」
まあ、ぜひこんな変なプレゼントですが、ちょっと出来ない体験が出来ます。
そしてタクラマカン大砂丘横断もなにかプレゼントを考えようかなあ・・と思っています。
サイドカーチーム・・・ムムム増えそうな予感。
今度は標高が高くないから、お酒も飲めるしね。
(おまけ)

2010/12/06 (月曜日)

「中国からの便りは、タクラマカンへのお誘い」
中国のSSERのコレスポンダントのひとつ(主にSSERのシルクロードやチベット・チョモランマ辺りを担当している)上海のイベントでRally Mongolia 2011 のプレゼンテーションを行いました!というメールが届きました。彼らは、なんと1992年のパリ北京の時に、まだ若い頃だったのでしょうが、当時の勤務先でコーディネイトをしていたのだそう。じゃあ、ボクとも会っていたかも!?なんて話で盛り上がったのも数年も前!!最近もヨーロッパから北京を目指したヨーロッパの自動車メーカーのイベントをコーディネイトしたり・・・とにかく途方も無く難しい許可を取ることをやってのける人たちです。
そこから「レイド・トレック・タクラマカン2011」のボクのリクエストに応えてルート図が送られてきました。
スタートは何度かお話している通り、甘粛省の嘉峪関です。
実はここが万里の長城の西の果てだと言われてきていたのですが、ボクにはずっと異存がありました。だって敦煌の西にある玉門関など、どうみても長城に繋がるものではないかと・・・その周辺にも峰台のような土塁が多く見受けられます。そうこう考えているうちに数年前に「漢代長城は新疆から黒龍江上流まで」という記事。つまり甘粛省が西の果てではなく新疆まで延びていたのだという学説が発表されたのです。それも21世紀になってのお話。
当時の記事では「新疆にも長城は存在していた。漢代には、長城は玉門関からその西方の塩澤(羅布泊)地区まで続いていた」との見解を明らかにした。「古代に新疆に長城が築かれたのは(中略)漢の武帝が張騫(ちょうけん)を西域に派遣したことにより西へ向うルート=シルクロードが開かれた。シルクロードの開通後、通商団の往来の安全を守るため、新疆に長城が築かれた」と説明している。
羅布泊・・・ロプノールのことです。塩澤とは干上がって膨大な塩の海となった今の姿を表しています。
そのほかにもこんな記事が「万里の長城の西端はこれまで考えられていた甘粛省の嘉峪関ではなく、新疆ウイグル自治区のロプノールまで続いていたことが最近の考古学調査で明らかになった。この発見で、長城の長さは500km長くなったことになる。さらに西のカシュガルにまで続いているとの推測もある。」
まあ、なんとも壮大な話で6500kmと言われた長城の総延長は、「中国政府国家文物局と国家測量局の調査(2007-2008)によると明代の長城の総延長は、8851.8kmうち煉瓦などで造った「人工壁」は6259.6kmで、残りはがけなどの天然の地形を利用した壁と発表した。」(2009.4.20 朝日新聞 )
これらを総合すると、ボクの描いたとおりタクラマカンを行く隊商を支えたサライは、もっとたくさんあって繋がっていたのではないか?と考えることが出来るのでありますね。
今回のルートは、
1. 北京から嘉峪関までは航空機で。これは時間を短縮するために。中国国内免許は上海で取得します。約30分くらいの講習で受けられるように特別に計らって・・・
2. 嘉峪関の周辺を探訪します。ここらはマイクロバスで。黄河と長城が交わる辺り。
3. 嘉峪関スタート敦煌へ・・・1日の行程です。天候は100%晴天です。濃いブルーの空。井上靖の小説「敦煌」の世界へ。夜のバザールで食べるシシカバブーも。
4. 敦煌出発して玉門関経由で、善善(ゼンゼン)・・・ここは南にタクラマカンの巨大砂丘群を見るのですが、敦煌からダンダンウイリク、それに繋がる無くしたピストがあるのではないかと・・・睨んでいるのですが。
あー、書き出したらキリが無いので。地図は日本語のものに置き換えて見てください。ボクは昨年の尾上さんに挑戦!でサイドカーで行こー!!と思っていますよ。またTV番組を作りたいけど、いいやFUTUREもあるし。石原さんは何で行く?
きょうの一枚
1日目の行程は、敦煌まで。お昼に出発しても日のあるうちに敦煌着なのですが、少しひねったルートの提案です。いつもは安西から南下するメインルートですが、今回は敦煌の南に広がる砂丘に沿って、地図にある鳴沙山、月牙泉のほうからアプローチ。ホテルはその砂丘を背に。
(おまけ)

2010/12/03 (金曜日)

「良いデザインと暮らそう。」
どうも中国ロプノールの旅をしてからというものリチウムが気になって仕方が無い。巨大な塩湖と化したロプノールに立つ巨大な発電施設は、何をしているのだろうか?最新のグーグルアースにも写っていないし。
NISSANが電気自動車リーフをいよいよ本格投入します、てか本日が発売日!!テレビではカルロス・ゴーンが気炎を挙げていました。生産拠点は中国に建設中とのこと。素晴らしいのですが、デザインはどうか?リチウムの供給、つまり電池の最先端技術はどうするのか?
なんて考えていて、そーだ「エリーパワー」のサイトを見てみよう。あの慶応大学発のベンチャー・・・吉田教授が3年前に立ち上げた会社です。資本金は130億円・・・その6輪駆動の電気自動車エリ-カプロジェクトは、あのあとどうなったんだろうか?の心配を他所にリチウム電池開発という源流点に遡って・・・でもデザイン的にはおそらく、こうした開発をする割には・・・と思っていたら、ありました。こんな商品でグッドデザイン賞を取っていました。
ちょっと欲しくありませんか?大型リチウム蓄電池。ミルスペックのようなフォーム、マットブラック(かな)な塗装(かな)ハンドルはバイクのキャリアのような、まあデザインする必要の無いもの(失礼)のカテゴリーに、このような・・・早速1台注文しようかな。
きょうの一枚
広告つきで、エリ-パワー社製大型リチウム蓄電池。まあ巨大な乾電池ですわ。
(おまけ)

2010/12/02 (木曜日)

「デザインする、ということ。」
いまはMOTO WORKS(広島県福山市)のリニューアル工事の現場にいます。大まかなデザインは終わったのですが、やはりディティールのデザインは、現場にスケッチブックを持ち込んでするのが好きなのです。あたりの空気を感じながら、職人さんたち腕と人柄と相談しつつ、面白がってやる!のが一番です。大工さんも左官さんも、変わったことをするのが好きなのですが、設計段階で変わったことが織り込まれていると「???」なところを、いきなり現場で「こんな風にできない?」とスケッチブックで示すと「面白いね、やってみようか?」となるのです。面白がる行為ってクリエイティブ力UPの効果は大きいのです。これは副交感神経を刺激します。
先の龍馬伝で、龍馬がおりょうに「風呂は熱いのがええ」というカットは、福山雅治のアドリブだそうです。そのときのおりょうさんの笑顔は、つまり本物に限りなく近いものだったでしょうね。その計算されていない面白さもまた、計算されたデザインのひとつなのではないか!?とボクは思うのです。
話は変わりますがスマートフォン・・・遅ればせながらボクも手にしようかと思い始めて数ヶ月。面白い記事・・・まあ皆さんは先刻ご承知とは思いますが・・・・アンドロイドというOSをグーグルがオープンソース、つまり今まで当たり前だった高いライセンス料が、フリーで提供をされることによってアンドロイド陣営ひいてはスマートフォン市場が加速したとあります。なるほど、そういうことだったのか、と。しかし、このアンドロイドの技術をめぐってグーグルは、オラクル社から提訴を受けています。ここで面白いなと思うのは、グーグルはそのソフトを無償で提供しているということ。法の概念は、その行為によって利益を受けていなければなりません。
これからはフリーマガジン、SSERもDVDで取り組んでいますが、フリーナントカ!というのが増えていきます。何を利益というのかという概念も変わってくるはずです。
土佐の気概を表す言葉に「フリーじゃきに。」というのがあります。いつの時代に誰が言ったかはよく知りませんが、土佐人の自由さや金に拠らない、不思議な軽妙感が息づいていますね。アンドロイドは言葉が過ぎます。
今日は工事現場から雑感をお届けしました。
(おまけ)

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Organisation Voice 2010/11

2010/11/30 (火曜日)

「ダカールのことを書こう」
いよいよダカールのシーズンだ。
シャンゼリゼにイルミネーションが灯ったというニュースを聞くと、やはり僕の胸にも小さくない漣が立つ。でもその光はLEDに変った。あの赤っぽい光じゃなくなったことが、何かを意味してはいまいか。
とまれボクの人生を決定的にしたのは「パリダカ」そのDNAでボクの人生の半分は成り立っている。あの頃ボクも12月になるやパリに出かけていた。シャンゼリゼを歩くと、いや歩かなくとも、これから始まる出来事の壮大さに酔った。モエエシャンドンのマグナムボトルを買ってアパルトマンスタイルのホテル「フラットテル」部屋に戻る。合宿生活だ。クルマはいつもルノーエスパスを早くから予約しておいて借りた。
パリででさえ、毎日のようにハプニングが起きた。
電子コンパスひとつ入手するのも、大仕事だったし、とにかく全てにおいて情報が少ない時代だった。全て自分の足と力で情報収集しなきゃならなかった。インターネットも携帯電話も無い。
こんなこともあった。
車検の直前になって、ロールバーの素材が(翌年から)アルミではダメだと知って、(つまりパリダカは翌年の競技なのだ)死ぬほどあわてふためいた。何のことはない、フランストヨタの紹介だと、たった1日でレギュレーションに適応した完璧なロールゲージが出来るんだ!少なくともラリーカーのロールバーを自分たちで採寸・制作してまたはずして写真を撮って公認申請をしてって、1ヶ月以上かけていた作業が・・・24時間。しかもそこの工場のスタンプで申請は要らない。
まあそんな昔話はよそう。こうして数人の先輩たちの後を追うようにパリダカに挑み続けた。1992年のパリ-北京を契機に、ボクの全精力はモンゴルにシフトした。そして少し落ち着いたあと2回ばかりパリダカに参加した。
この間のパリダカの変化は、とても大きかった。つまり1992年を最後に5年間のお休みのあと98年!そして02年と。全く違うものに来ているような感覚だった。あのパリダカは、もうパリダカには無くてむしろ既にボクタチが開催を始めたモンゴルのほうに残っていたような感覚だ。
色々なものは進化し変化する、なんて言い出したのもこの頃だ。今回日本から参加するのは、わずかに2チーム、HINOとTOYOTAだけだ。これも良くも悪くも変化だ。
パリダカは変化して、世界の最高峰としていまも君臨している。南米に行くとどーだこーだ、とか言われたけど。それも大きな問題とはしなかった。変ってしまったのは日本人だったのかもしれない。
「夢とロマン」は「大人のモバゲー」とかにあるみたいだし。
(おまけ)
2010/11/29 (月曜日)

「大変遺憾ながら」
昨晩の「龍馬伝」のNHKにもの申したい。
龍馬暗殺のシーン・・・1年間の思いと、ナゼダカボクは結構見られない回が多くて・・・ついに最終回のそのときを迎えたがです。感動の嵐が、待っちょるはずだったがやき。そして、いまだ真犯人の解らない・・・というかもう決して解らないのでしょうが、その暗殺シーン。今ではコンビニになった近江屋跡には、多くの龍馬ファンが・・・ボクもその1人でした。そしてその夜、つまり昨晩のことです。多分あなたもボクも万感の思いで、泣く準備までしていたそのときにNHKたらニュース速報「愛媛県知事選挙に中村氏当選確実」のスーパー。「・・・」ボクはこのスーパーは愛媛県だけだろう。とか、もしこれが全国放送ならば愛媛県人としては「真に申し訳ない」とか・・・そして、これが速報として1分2分を争うことだろうか・・・そう思うにつけ龍馬伝も「まあ、これも所詮は娯楽大作!!それにしては、やりすぎかも・・・」とか、「そういや、浅田真央はどーなったろうか?」なんて、考え出す始末。
なんとも、人の心を踏みにじるNHKの暴挙!!感動なんか消し飛んでいって・・・その中村さんなんて、浪人時代にはブラッとうちの事務所に立ち寄って(しかも電車で)「モンゴル連れてってくださいよ」なんて言ってたやん。「いつでも」との約束もそのままに市長になって飛行機で隣り合わせに座ったとたん。「こんにちは」「・・・・・」全く無視・・・されてしまった、悲しい思い出。まあそんなことも宜しい。
昨今はなんでも直ぐ速報とか号外を出します。でもね、知りたい情報は簡単に手に入る時代ですから、緊急性の高いもの以外はちょっとだ考えたらいかがですか?1年間の大作を自ら不意にしてしまった罪は小さくはありませんよ。
さて円安が進み始めました。なるほど菅さん!やります。円高を止めたければ、世界の緊張を高めることです。このまま円を持っていたらやばいぞ!と感じさせたのは巧妙な政府の、真に見事な戦略でしょう。
そう思えば、日本海会戦じゃなかった東シナ海会戦の演出やら、柳腰外交もだらしなく見せた政府の対応も、危機意識の無い官邸主導という展開も、なるほど見事な円高大作だったのか・・・あっ大作じゃなくて対策ね。と思うと今度世論調査のときに支持に入れよう!!と思うんですが、そもそも誰一人新聞社やテレビ局の政府支持率の電話調査なんて、掛かってきた人はいない・・・のだそうでありますから、本当にやっているかどうかはどのようにして証明するのでしょうか。
謎だらけでございます。
きょうの一枚
来る円安時代に備え燃料は国内調達を!なんて。冬を迎えるのに辺り夏の間じゅう言い続けていた「薪を早く集めておこう」の掛け声もむなしく12月の声を聞いたり、寒くなったりしないと用意できない我らキリギリス集団!やっと手配の第一弾が到着しました。ここまで、古い杭(杉)や間伐材など針葉樹の薪を燃やしてたのですが、ついに本日ナラ材の薪が届きました。やはり広葉樹は火持ちが違います。これで温かくなりますよ、火にあたりに来てくださいね。
(おまけ)
2010/11/25 (水曜日)

「PRESENTATION 2011」
いよいよ来年の発表会の準備も整い、これから東京に向けて出発です。途中いくつも寄らないといけないことがあって、シャコタンに資料を積んだイマドキナワンボックスカーは無事に辿り着くことが出来るのでありましょうか。
それにしても2011に向けてこの2ヶ月間、かなり濃厚に計画と段取りをしていました。そんな最中に、情けない日本の外交姿勢を嘆いたり、腹が立ったり・・・ついには北朝鮮は砲撃をはじめるは、東アジアの安定なんていかがなものですかね。
モンゴルでラリーを開催しはじめて、このあたりの地域の不安定さがNEWSではなく直接的に肌身に届きます。そう思えば、面白い生き方かもと思いもしますが、もう少し政治は頑張らなければと思います。まあ、国民もですが。
それでは、恵比寿でお目にかかりましょう。お土産たくさん用意してます。そして、チョモランマ酒場も、なかなか良いですよ。篠塚さんも起こしになりますからね。
菅原さんはアルゼンチンに向けて出発3日前の夜、という予定です。
では!!
きょうの一枚
世界一になりたいチョモランマ酒場・・・「どうして2番じゃだめなんですか?」ツンツン!
(おまけ)
2010/11/22 (月曜日)

「世の人はわれをなにとも言はば言へ 我がなすことは我のみぞしる」
龍馬伝も残すところあと1話。
そして「坂の上の雲」も、第二節がはじまります。
高知と愛媛のハーフのワタクシとしては、大変に嬉しいやら照れくさいやら、でございます。しかし、それぞれの描写が実に宜しい。
ボクの幼少の頃の実家の酒盛りは、あんなふうだったなあ・・・とシミジミ。大の大人が大声を張り上げて、天下国家を語り気に入らないとなれば「おんしゃー!」と取っ組み合い。自分たちの力で世の中が変えれると信じきっていたのが土佐人。父の世代でも「武市先生が・・」と、小学校の時の先生のように慕っていたのが面白い。
よさこい節の二番には「ゆうたち いかんちや おらんくの池にゃ 汐吹く魚がおよぎおる」と。どういう意味かというと、他所の人に「まあそう偉そうにいうな。土佐じゃあ大きな魚が汐を吹いておよぎおるぞ。つまり偉いやつらがいっぱい居るんじゃ。」まあかなり意訳ですが、そういう意味です。そもそも「よさこい」とは「まあ、そんなことは、どうでも良いから、こっちに来て飲みや。」というような意味です。
ちょっとスケールが、良く言えば大きいんですが、悪く言えば現代には不要な・・・
さて愛媛。
あの秋山の父親、通称やそく翁。あの感じが松山です。「伊予のよもだ」といいます。
ちょっと他人様のブログから拝借してきました。
『日本方言大辞典』では「よもだ」とは、「①罪のない冗談。②要領を得ない話。繰り言。③知らん顔をすること。しらばくれること。そらとぼけること。また、その人」という意。『現代日本語方言大辞典』では、「怠けること。怠けている人」が「よもだ」の意であるとしている。松山出身の俳人中村草田男は、「松山では、知っているのに知らん顔をしていい加減とぼけることをよもだと言います」とエッセーの中で記している。昨年刊行された『愛媛県の不思議事典』では、「常識に対して文句を言う者、言わなくてもよいことを言ってしまう者、筋道の外れたことを言う者、行う者」が「よもだ」の意味するところで、越智郡から中予地方にかけては、「なまけ者、不精者」の意でも用いられているという。同事典はまた、「愛媛の常識、慣習から外れていること」が「〈よもだ〉の真実なのではなかろうか」と述べ、「愛媛以外の感覚を持ち合わせた、幅広い視野を持った人物のことを指しているといえなくもない」といささか強弁じみた解釈を付け加えている。天野祐吉松山市立子規記念博物館名誉館長は、「肩ひじ張らず、ユーモアを持って生きる精神」が「よもだ」であるというユニークな解釈を示し(2004年6月25日愛媛大学での講演会)、否定的な意味でしかなかった「よもだ」をついに肯定的な「精神」にまで高めている。
四国山脈を挟んだ土佐と伊予の文化の違いは、この高知の積極性・自発性と愛媛のよもだ文化に端を発するユーモア感、これに収斂されるといっても良いでしょう。それは方言からも見て取れます。
言語というのは、いわゆるOSです。人間の高度な脳でも、モノゴトを思考していくためには言語が必要です。「さて、これをどういたらいいだろうか」と言語で入力して「そうだ、こうしよう」と言語で考え、言語で解答を導き出します。したがって、その入力する言語の種類によっては思考回路が違って当然のことで・・・話が長くなるので本日はこのくらいにして。
きょうの一枚
「汐吹く魚が泳ぎおるぜよ。」
土佐の人は、大きな話をする。それはおそらく、全県民がこうして太平洋を眺めて暮らしちょったからじゃ。と思う。室戸岬には中岡慎太郎像が太平洋を見下ろしている。桂浜には坂本龍馬、横浪三里には武市半平太。足摺には中浜万次郎。みな同じ方向に向いている。海の彼方をだ。いまの日本はどうだ。
さてTBI2011、畿内から土佐へ。心の旅。今度は空海がテーマだ。それにしても四国は多彩だ。
(おまけ)
2010/11/18 (木曜日)

「全ては情報戦、なのだ。」
「闘わずして勝つ。」「兵とは詭道なり」これは言わずもがなの孫子の兵法の一節であり、戦いの本質のひとつです。孫子は、戦争をするということは国の大事だから、よほどの事が無い限りやってはいけない。では戦争をするためには何が必要かというと、「一に曰わく道、二に曰わく天、三に曰わく地、四に曰わく将、五に曰わく法なり。」と、孫子は冒頭に書いています。いています。
「道とは、民をして上と意を同うし、これと死すべくこれと生くべくして、危わざらしむるなり。」
「天とは、陰陽・寒暑・時制なり。」
「地とは、高下・広狭・遠近・険易・死生なり。」
「将とは、智・信・仁・勇・厳なり。」
「法とは、曲制・官道・主用なり。」
凡そ此の五者は、将は聞かざることなきも、これを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
さらには、敵味方の力量を比較するための七計というのがあります。現代訳をすると
1、政府はどちらが国民の信を得ているか?
  日本だと思う人は○、相手国(どことは言いませんが)と思う人は×
2、リーダーの能力はどちらが優れているか
  日本だと思う人は○、相手国(どことは言いませんが)と思う人は×
3、天地つまり地の利がもたらす利点はどちらにあるか
  日本だと思う人は○、相手国(どことは言いませんが)と思う人は×
4、規律や命令はどちらが徹底しているか
  日本だと思う人は○、相手国(どことは言いませんが)と思う人は×
5、防衛費や兵力数、兵装の威力などはどちらが強大か
  日本だと思う人は○、相手国(どことは言いませんが)と思う人は×
6、兵士はどちらが軍事訓練に習熟しているか
  日本だと思う人は○、相手国(どことは言いませんが)と思う人は×
7、賞罰はどちらが明確に実行されているか
  日本だと思う人は○、相手国(どことは言いませんが)と思う人は×
7つのうち、6つ以上が○ならば戦争をしてもいいんですが、その場合は闘わなくてもまあ勝てるわけです。しかしこの全てを正式に分析するのが「情報戦」だろうことに依存は無いはずです。実は秀吉などはこの情報戦を得意としていて、つまるところ実力差?で負ける相手に対して優位に闘いを進める術を持ち合わせていました。
核武装などは、この闘わずして勝つための抑止力なのだというのも多くはこの辺りの意を利用しています。善悪はここでは語られませんが。
さてその情報戦、太平洋戦争以来、日本はこれをとても苦手としていました。それは情報収集能力の差からくる諦めにも似た境地から生れた?のかもしれませんが、それは戦後もさらに大きく、国家感にまで影を落としています。おそらく上の7問で日本人が○という項目は1つか2つでしょうか。
でもボクには少し明るいニュースがあります。それは先週の世界バレー!!真鍋監督の手にあるi-pad、さらにコーチングスタッフたちの後ろには分析チームが。これはまるでアメリカンフットボールのベンチワークの様相。つまり戦いがこれまで以上の情報の収集と分析によって、上位のものに勝つことが出来る可能性を示したものです。(広報戦略は相当に難ありですが・・・)
話は変りますが「2位じゃ、なぜだめなんですか?」という考えからは弱者の戦略は生れないことが分かります。上位のものに勝つ戦略こそ、古くから日本人が得意としてきたものではなかったのでしょうかね。それが太平洋戦争を生んだ可能性もありますが・・・
スポーツでも、あらゆる戦いでも日本は本来有利だったというものは多くはありません。体格差、体力差、資金量の差、さまざまな困難を乗り越えてきたのは大和魂などではなく、こうした戦略を構築する情報戦だったはず。
先のバレーの試合で感じたのは、日本のチームが全く歯が立たなかったろう相手と互角以上に戦える能力を身につけていたことです。「身につけていた」と簡単に言ってしまえばそれまでですが、その練習はハードだったのでしょう。しかしそれを支えるのがまた情報だということです。情報とは言い換えれば「夢」であり「希望」であり課題を明確にすることの出来るデータです。
その情報あればこそ克服すべき課題が明確になり、その中から勝つ方法が見えてきて、困難な努力の支えになるはずです。
兵を用いるのは詭道なり、とは戦いを避け最小限の損害で戦いに勝つための方法ですが、まあスポーツマンシップで正々堂々と!闘うことを誓います!というスポーツも、見ていると敵を欺きだますことのうまいチームが勝つということです。
きょうの一枚
間もなくダカールがはじまります。この闘いは、まさに兵法の縮図のようなものだといつも考えていました。ただし「勝者とは誰なのか?」という謎は深いのですが、良く準備し情報を収集し敵の兵力、自分たちの実力。地の利、言葉の壁、文化の壁、様々な不利な要素を以下に克服して有利な戦いに持ち込むか。「闘いにあるものは常に聡く、戦いの場にいないものは常に疎い」つまり常にコンペティターであることが、人間を活性させるのでしょう。
(おまけ)
2010/11/17 (水曜日)

「FUTURE12/20号やらPRESENTATIONの資料作りやら」
今日は1日、お尻に根が生えたようにデスクに向かいっぱなし。FUTUREの編集。それにしてもデスクワークの能率が落ちているのに愕然としますよね。
でもね、今度のプレゼンテーション(東京・恵比寿)は、実に盛りだくさん。なんてったって気合が入ってるのは、モンゴルの写真集。これは、FUTUREでイベントがどんどん紹介されれいるので、これまでのYEAR BOOKというコンセプトからはなれて「モンゴルの写真集」という、分かりやすいものになりました。それに大判のカレンダーと、プレレギュレーションブックにFUTURE。説明用の映像など、何にしても気合十分の毎日。早く11月27日が来ないかな!っと。
さらに12月20日号のFUTUREには、桐島ローランド監督のジムニー誕生40年記念のショートムービー「どちらの道」が掲載される予定です。
人生には、いくつかの大切な選択があります。分岐路に立って、魅力的に見える道は案外間違ってるってことが多いのを、ラリーストたちは知っています。しかし、選んだ道を行くと選ばなかった道のほうが魅力的に見えたりします。つまりは、どちらの道が正しいか?ということは、ラリーでもない限り誰も明確には答えられません。ラリーだって、まれに間違ってた道のほうが早くて確実にゴールに着くこともないとは言えませんから。
ともかくお楽しみに。
きょうの一枚
SSERのヘリ。ならいいんですが・・モンゴル軍の最新鋭ヘリ。まあ最新鋭といっても、ン10年も前のマシンですが、それでも巡航速度が上がったので安全管理が向上しました。
(おまけ)

2010/11/15 (月曜日)

「見たぁ?昨晩の龍馬伝」
いよいよ佳境に入った「龍馬伝」・・・本当にこのような人物がいたのか?と、もちろん脚色はされまくってるのは承知で、そう思います。まあ、ドラマですから。岩崎弥太郎の生家に行くと、なにか疑問を幾つも感じるのですが、まあそんな無粋なことも差し引いて。
「変える力」というのはとても莫大なエネルギーがいります。今までのように同じことをやっているのが一番安全で楽なのです。例えそのままでは将来が厳しいのだ、ということが分かっていてもです。
日本は再び変らなければならない局面にあるのは、議論を要しないと思います。ただ、どのように変わらなければならないのかというビジョンが指し示されません。少なくとも坂本龍馬の示したビジョンは、情報量の少ないあの時代にあっては理解しやすかったのでしょう。
しかし本質的に人々が求めてるものは、そう大きくは変りません。山内容堂の龍馬への「武士も大名も無い世界にしたら後は何が残るのか?」という問いに、「日本人が残ります。」と。まあドラマではその一言で全てが決したかのようですが、いまの日本人には真に耳の痛いシーンではあります。
いまの日本に無い「日本人像」この2人のシーンは、あまりにも時局柄タイムリーで、APECの日本の総理大臣の姿などと較べてしまって、まあそれは菅さんには可愛そうなのですが。しかしメモを見ながらの日中会談・・中国では会談とは言ってないそうですが。堂々とした姿でないのは実に残念です。
さて、日本は変える力を無くしてしまっています。そう多くの時間が残されているようには思えないのですが?どうでしょうか。
いま多くの国民が、これまでに無く外交など政治の根幹をなす部分に少なくない興味を持っています。真に政治に期待したいと、初めてなのですが、そのように思った日曜日でした。
きょうの一枚
「あなたの、変える力」ラリーモンゴリア2011資料請求はコチラ
(おまけ)

2010/11/12 (金曜日)

「Rally Mogolia 2011」
やっとのこと、モンゴルの帰国貨物の引渡しが始まった。それにモンゴルの写真集も印刷に!2011のカレンダーも今日は本機色校(色校正のこと)が終わった。それに2011のプレレギュレーションも送り出ししたし、FUTURE12/20号の編集もあとはナレーション原稿書き・・・が残ってたか。
ともかく、なにかこう2010年のひと段落!!という感じ。いよいよ2011年に向けて大きく踏み出す感じの充足感がある。
2011の通算15回大会は、是非とも参加していただきたい。東京の発表会には韓国のチームも来るそうだし、本番には海外のチームも多そうだ。それにロシアのチームも、そうそうコロンビアのチームも!やってくる。なんか濃い海外勢も増えて、さらにヒートアップ!!で、いまから試走の思いがメラメラと。そういえば篠塚さんも「試走に行きたい!」って言ってたっけなあ。
Rally Mongolia2011は既報の通り、Dune et Dune というコンセプト。3つから4つのデューンデイが。そうそうatar近くのデューンでビバーク!と言うのも計画してるので、よろしく。
あの辺りって、いいよね。
きょうの一枚
カレンダーの色校のチラ見。
(おまけ)

2010/11/11 (木曜日)

「勝利の美酒」
時にはこのサイトにも華が欲しい!というわけで、今日は勝利の美酒のお話。シャンパンファイト、それはナポレオンが勝利を祝してモエを振りまいて喜んだことからはじまるのですが。
この黄金の泡こそが、なにかこうモータースポーツの繁栄と衰退を見てきてる様な気がしてなりません。ワーテルローの戦いでナポレオン軍が敗走したのは、戦場にモエ・エ・シャンドンが無かったからとか。
最近モンゴルのラリーでは、日本からこのシャンパンのマグナムボトルを持っていけなくて現地調達。なかなか手に入らなくなったのは中国のせいだという説も・・
ちっくと今日は写真で逃げよう!!また明日だ。
(おまけ)

2010/11/10 (水曜日)

「i-Padが欲しい」
それは世界バレーの監督が使ってるから、なんてのも少しはありますが、やっぱぼくはあれでグーグルアースでモンゴルの試走がしたいのであります。
デューンの中から、現在地の画像を見ながら方角を決めるんだい。あーあ、それにしてもおそらくボクくらいが、こうした時代の変化に着いていけるか着いて行けないかの分水嶺の様な気がしますよ。まったく。
まあボクにはタケチャンというスーパーバイザーがいるので、へっちゃらなんすが。
そして、デスクにはいまi-phoneがあって、ボクのパソコンデータをコピー中です。で、使ってみてから購入を決めなさい!と言われてしまいました。
どうしてこんな時代になったのかは定かではありませんが、i-phoneが登場した時の日本のキャリアの社長さんたちのコメントを思い出さずにはいられません。「あれはちょっと日本では売れませんね。」事実しばらくは予想以上の苦戦が続いた模様です。
しかしいまや販売数の60%がスマートフォン!!そう聞くと、古いケイタイ使ってる人は全くスマートじゃない!って感じがしませんか。
それよりも、中国のモノマネをあれほど批判する日本人が、あのスマートフォンってappleのフルコピーじゃないの?って法律的には大丈夫なんだろうか?と心配になります。まあコンプライアンスの時代だから?しっかりと調べてからやっているとは思いますけどね。
そんなことでしばらく進化に取り残されてたボクも、ちっくと追いつきますからね。よろしく。
(おまけ)
2010/11/09 (火曜日)

「おおエアバスA380」
スカイマークエアラインが国際線への参入を発表しましたね。社名は変更されていてスカイマークとだけになっていて東証マザーズに上場しています。ところがこの発表を聞くや、株価は急落。ストップ安だそう。
産経MSNでは
「円高によるジェット燃料の負担軽減が追い風となり、2011年3月期の業績予想について、営業利益が当初の46億円から91億円に、最終利益を25億円から55億円になる見込みだと上方修正していた。これを受け株価も上昇していただけに、失望から売りが膨らんだようだ。」
うーむ。悩ましいなあ。
でスカイマークが導入しようという例のエアバスA380、世界最大の旅客機!1機あたりいくらするのかというと定価ベースでいまの円高ベースだと280億円くらいで、発表によると6機発注とのことだから、まあ1500億円。すごいことになるのではありませんか。いま保有台数は16機とかそのあたりでしたか。
本当に時代は大量輸送なのかなあ?全席エコノミーにしたら800席。その需要予測はどうなのでありましょうか。
まあ賑やかになるのは良いことではありますが、LCCの時代(スカイマークもある意味ではLCCですが・・・)にどのような戦略なのかを是非とも聞いて見たいなあ、なんて思ったりしてます。
でもまあ挑戦すべきは、素晴らしいことで乗る機会があればそいつに乗ってみたいじゃありませんか。
きょうの一枚
エアバスA380、納期遅れ問題やらエンジンが燃えたりしてご難続きではありますが・・・
(おまけ)

2010/11/08 (月曜日)

「タクラマカンの旅」
中国の友人から2011、レイド・トレック・タクラマカンの情報がはいりました。昨今の日中関係を心配しているようですが、まあ今回は全て新疆ウイグルの中でと思っています。もちろん一部は違いますが。
バイクは、万里の長城の尽きる「嘉峪関」までトラック輸送しておきますので、ボクタチはエアで。そしてシルクロードを走り、沙漠公路を横断します。走行距離は4.000km。ルートは嘉峪関から敦煌。そして敦煌からぐるりとタリム盆地に沿ってタクラマカンを半周して、コルラから一気に縦断!!そして再び敦煌にゴールします。
ボクはこの旅に、GS1200ADV.にサイドカーをつけようかなあ・・なんて考えています。冒険ムード、モリモリで17日間の予定です。詳しい情報はこのあと順次お届けします。
また日本からサポートカーは持ち込まない予定です。大変余談ですが、航空機の手配と宿泊手配は別途旅行代理店がご案内します。旅行部分のお支払いは旅行代理店に、そのほかはSSERにとなりますので、ご留意下さい。
SSERは軍関係の許可、ライセンスの発行や貨物輸送手配、貨物は日本から上海-嘉峪関そしてゴール予定の敦煌から再び上海-日本までの大型輸送。これはすごい!でしょ。昨年のチョモランマで実績あり!!そしてそのカミオンバレイのサポート、さらに長年のラリーで培った安全管理などを徹底して行います。
標高は高くありません。キャンプテント泊が1日。などなど・・・。
興味のある方はお早めに。
「思うこと」
守秘義務違反容疑でビデオ流出させた海保の人間を捜査すると聞いて、ボクは「???」と思いました。
それならば先の大阪地検の事件も、内部告発で発覚したわけです。これは、守秘義務を破ったカタチになります。
「だって大阪地検のは事件でしょ?」
と言ってしまえばそれだけです。
でもビデオを見ると、こちらも事件です。どう見ても刑事事件です。それを犯人を起訴もせずに帰国させるなどは、犯人隠避であり、ビデオを隠すのは証拠隠滅ではないのでしょうかしら。
その主犯は日本政府・・・・だという恐ろしい事実は、どのように裁かれるのでしょうか。
大阪地検の内部告発は可
石垣海保の告発は否
これではおかしいのではないでしょうか。
さらに立件しないのなら、証拠品はもう何物でもないのではないでしょ。
もうひとつ。
これが違法に流出したのなら、テレビ局がこぞってその映像を流しまくるのは、違法性は無いのでしょうか?このビデオ流出に違法性があるのなら、テレビは盗品を売ってる故売屋の様な気がするのはボクだけでしょうか?流出事件だと言い切って、この映像をあまねく国民に見せたのは、やはりマスコミだということでしょうね。
そもそも、情報公開の時代にあって、しかも主権者たる国民に見せずに一部の国会議員だけで見る!なんて茶番は、もう止めればいいと思います。
日曜日のテレビは、アッツ島玉砕を取り上げて、戦争の愚をことさらに叫び、また予科練に徴募を受ける若者の苦悩を描く特番が流れたり、わざとらしいタイミングです。でも知覧の特攻平和記念館は、小学生の遠足と老若男女で賑わっていました。
そもそもそのビデオ流出のニュースを聞いたとき、ボクの右手には東シナ海が広がっていて、開聞岳がその愁眉な姿を見せて、まさに
敷島の大和心をひととわば・・・なんて考えてる時だったものですから。
「浅賀敏則さんのこと。」
浅賀さんも長くパリダカを走っていました。先週菅原さんが「浅賀さんがロシアのトラックにぶつけられた時があったでしょ?」
と聞くので
「それは1992年のパリルカップの時ですよ。」とボク。
そのあとは長くトヨタ車体で走りますよね。
その年はランドローバーディスカバリーで参加していた浅賀さん。「なかなか左ハンドルになれなくてさ。」なんて言っていました。ブッシュの中からミスコースから必死で復帰するカマズに、右のリアフェンダー付近を激しくヒットされて、ほぼ走行不能な状態になったのですが、もちろん主催者を通じて猛抗議。
上手く裁定が降りて、おそらくラリーには復帰できたと思いますが、浅賀さんに対して主催者が「ロシアのチームに対して、他になにか言うことがありますか?」と聞いたのだそうです。
「なんていったと思いますか?」
菅原さんが笑ってボクに聞く。
「???」
「北方領土を返せ!って言ったんだそうですよ。」
「・・・・」
心意気や良し!ではありませんか。
(おまけ)
2010/11/02 (火曜日)

「九州に行くでごわす。」
いまからSSERのコースターとプラドに分乗して本部チームは、本日中に南阿蘇に到着予定で出発します。やまなみハイウエィを走って、、、たぶん走らないと思うけど。根子岳を眼前に見る絶好のロケーションで、温泉に浸かっていることでしょう・・・たぶん。
ありがたいことに予報では、今週は好天の模様。南阿蘇から鹿児島薩摩半島・大隈半島を満喫!!出来ることでしょう。景色もすごいしね。
なんか日本とその周辺がキナ臭いですねえ。
北方領土や、尖閣諸島。
菅原さんが時々使う言葉「レコンキスタ」
意味は失地回復運動のこと。
これらをもじってボクも時には「これはレコンキスタといこう!」という風に名誉回復などの意味にも使うことがありますが、あまり理解はされないようです。そもそも日本は国境を陸続きで持ったことが、まあ満州国の時を除き無いのです。この時も国境についての認識が甘く、ソ・蒙軍とノモンハン事件を起します。その内容は様々に歴史的には多くの問題を残していますが、まあ陸軍の暴走の主因ともされています。
その戦闘規模は実に大きく、モンゴルではハルハ川戦争として、日本と戦争をして勝利したと、今でも戦勝記念碑などが誇らしげです。僕がはじめてモンゴルを訪れた時には、確か1994年の頃まだ大通りには数日前のニュースのようにガラスケースに入れられた写真のハルハ戦争対日勝利とかのキャンペーンが・・・・
世界の国々を陸路で旅を続けると国境の持つ意味は、いやでも骨身にしみて分かります。いまだにあの時代と変らない!という印象さえ受けます。
そしてそれがヨーロッパはともかくロシアやその周辺国では、年々固くなって来ています。国境が固いとは、おのずと強いメッセージが込められています。
なぜ空港のイミグレーションは、甘いのに。と思わざるを得ません。
そんな話を、国の人にいくらしても理解できません。まして外交官のパスポート
を持つ人などには理解の外のはずです。
すいません、話がそれました。
レコンキスタそれは、700年前半から1500年近くまで800年にもわたるイベリア半島の失地回復運動、再征服活動ともいいますが、イスラム教国になったこの地をキリスト教国が取り戻そうという戦争です。1492年のグラナダ陥落で終わるのです。ですからパリダカがグラナダスタートと聞いた時は、ボクは「フーム。」とうなったものです。その決定の持つ意味は・・・大きいなあ、と。
北方領土、戦後65年もほっておいて、何をいまさら!なんていう論調もありはしますが、あと100年掛けても取り戻す気概がいりますね。スーパー堤防に400年?なんて考えれるようになった日本人のスケールにボクは喜んだんでしたが、まあ「でごわいぞ、ハクホー・レンホー・オンカホー」ですからね。
スーパー堤防、ボクは賛成なんだけどな。
きょうの一枚
堤防の現在とスーパー堤防。まあ川と親しむ景観は大事だけど、もう少しドイツ風に自然に戻すという工夫が大事かな。これからの公共事業は、壊した自然を元に戻すという傾向に振るべし。
(おまけ)
2010/11/01 (月曜日)

「実は11/1は、創立記念日。」
本日はFIAT-ABRTH695 tributo FERRARIの予約開始日で、、、そんなことはどうでもいいのですが、11月1日は、わたしたちSSERの母体であるグローブコンペティションの創立記念日です。創業は1985年に遡るのですが、株式会社になったのは平成元年11月1日。あれから21年目の創立記念日。マイ・インディペンデンスデイ!!であります。まあ独立ではないんですが。たくさんの胡蝶蘭やお祝いの電報が届きました。ウソ!実は誰も知らないので、まあいいのですが。
そこで、昔は必ず1日には未明の出勤、道後の朝風呂+パワーブレックファーストのあと、昼前まで延々と会議。先月の実績と今月の計画を資料と供に攻められるわけです・・・ボクに。
で、もう5年も前からそういうことを止めたのですが、今月から部分的に再開しようということで、早朝出勤、裏の神社への参詣、掃除。そののちミーティングを行います!!
数年前までラリーの前日には全スタッフで、近所の神社にお払いを受けに行ってました。そして、その日は基本的に「仕事をしない」という約束がありましたが・・・今では前日もしくは当日の朝までバタバタ。結果として神社に行くことはなくなりました。
前日に何もしないということは、事前準備が足りているということです。全てのイベントが今日決まって、明日やるのではないのですから。つまるところ、先延ばししてた仕事を間に合わせるために直前でやる!ことになるわけです。
今回から全てを、その時代に戻そうと思っています。それはとにかく安全で完璧な運営・・つまり内容のある楽しいラリーの実現に他なりません。そんな意を強くした、21年目の創業記念日。
お昼に赤飯を炊きました。美味しかったですよ。
きょうの一枚
ほら、お赤飯。もち米80%白米20%、炊飯器でおこわモードであっという間に。で、小豆は缶詰で、今頃はスーパーでいくらでもお赤飯の素なんて売ってるんですねえ。そしてリチャード・ジノリの限定版のお皿に盛って、イタリアン?な気分。どーもここのところイタリアづいてるなあ。それにしてもかなり美味しくてビックリ。便利な世の中だす。
(おまけ)

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Organisation Voice 2010/10

2010/10/29 (金曜日)

「ほぼリタイア」
なんか、すごい疲れが出て、胸は痛いし腰は痛い。ので半ばストライキ気味に休んだのはいいのですが、考えてみたら平日に休む!なんて習慣がないので、これは困ったことに。まあ7月に3週間も休んだようなものですが、あれはまた別で。
それで何をして過ごしたかというと、7月の連続休暇では1日1冊の本が読めたのに、今回は全く読めません。テレビ見ててもすぐ寝てしまうし(でも映画「ザビーチってのを観ました。デカプリオ主演の、面白かったんですが途中で寝てしまったので結局ナンノコッチャでした。)
これはかなり精神的にいってるかな?なんて心配したりしてたんですが、こっそり会社に来て仕事をしてみたら全部直ってしまいました。コレダカライカンノヨネ。
そんで、一瞬ですごい量の仕事したので疲れて帰ろうとしたら「OVゎはー?」と
か言われて、そういや書いてないので。。書くことに。。
だいたいボクが気に入らんのは「戦略的互恵関係」という言葉。本日ハノイで中外相会談が行われたはず。まあ今晩のTVニュースで・・・で、その、言われ続ける戦略的互恵関係の確認!!だそうですが、やめればいいのに。
ただの「互恵関係」じゃいかんのですか。「戦略的」とつけたら何が変るんですか???不都合な事は目をつぶって、いまを維持しようという考え方ではないんですか?「感情よりも勘定」という意味でしょうか?結果、禍根は未来に棚上げで、ってそんな事で良くなったものは何もなかったはずではありませんか?そもそも戦略とはそういう意味でしたか?

それに「事業仕分け」あれを見るのはボクはイヤです、あーいうパフォーマンス、胸が悪くなります。自分がやられたら、と思うと。
たとえば
「モンゴルでヘリコプターを飛ばすのは必要ですか?」
「はい。」
「では、その理由を言ってください。」
とかね。
そもそも人間は無駄なことをする生き物なのです。
無駄とは「遊び」ですが、遊びの重要性は学術的には確認されてはいますが、まああの蓮舫さんの怖いこと。なんか、ボクは人間嫌いになりそう。それに内田裕也とかが出てきて「レンホーチャンが・・・」うー、なんじゃこりゃ。それの仕分けは出来ないんすか?!いいんすか?あれで。
まあ世の中、無駄なことは山のようにあって、それを止めるのは良いとしましょう。でもその手法が、あまりにも醜い。日本的な美意識や惻隠の情にかけている、と思いませんか?ボクがいつも思うのは「攻撃は、必ず反撃にあう。強い攻撃ほど強い反撃にあう。」ということです。攻撃に強いが守備はどーすか?勝負の行方は守備力ですぞ。
お叱りを覚悟で言うと、公共工事もやってこそお金が循環し、無駄なお金といってもどぶに捨ててるわけではないので・・・経済的には必要なことかもしれませんが・・・。
それよか日銀の為替介入で使ったお金のほうがよっぽど無駄になってるんじゃないすか?それこそ仕分け、仕分け。
きょうの一枚
ハルヌール。ヘリのパイロットに「知ってる?」って聞くと、「あそこ、いいなあ!ってパイロット仲間で話してるんだよ。」だって。ラリーで知ったそーな。
(おまけ)

2010/10/26 (火曜日)

「リチウムをどうするか?」
ボクもいろいろな仕事をしているものだなあ、と思います。というのも今朝は某市役所に某大手メーカーの方と商談?に行きました。何を商談か?というとそれは「環境テクノロジー」のセールスであります。
何度もこのOVに書いていますが、お許し下さい。ボクの体験談から。
2007年にロプノールに行った時のことです。そこはただただ広大な干上がった塩の海でした。もう彷徨える湖ではなくて、ここに水を運ぶコルラ川は、途中で砂漠の中に消えるほどの、いわゆる中国の問題のひとつ断流、を起して久しいのです。もうロプノールに水が戻ることは人類が滅びるまでは無いでしょう。そこには採塩のわずかな労働者と、彼らを養う一軒の招待所と心細げなガソリンスタンドがありました。それらはきっとディーゼル発電で得られた電力で動いてるのでショウ、耳を澄ますと遠くで羽音のようなエンジン音が塩の大地を伝わって届きます。ここはまさにそのロプノールのほぼ中央部、100km四方に人がいるのはこの辺りに10数人程度でしょう。
翌年同じ頃、再びロプノールに行きました。そこまでの1年前には知った怪しい道は見つけられずに、困難な行程となりました。それでもそこにガソリンスタンドはありました、がなんと目の前に聳えるのは、3基の揚水炉?型発電所。スリーマイル島みたいな風景。なぜこんなところに100万人くらいの都市に電力を供給できるほどの発電施設が・・・しかもたった1年で。
軍が制止します。ボクは一瞬、拘束される危機を感じました。それでも前進するという仲間がいて、ボクは兵隊と押し問答するのは避けることにしました。
はてこの施設はなんでしょうか?その電力は何のために供給されるのか?答えはそう多くはありません。ボクはやはり塩からリチウムの精製をするために必用な電気なのではないかと推測しました。それなら押し問答やカメラを向けるなどの愚挙は慎まなければなりません。
今日も打ち合わせの話題のいくつかは、リチウムです。佐賀大学が玄界灘に海水からリチウムやウランを採取するための実証プラントを作ったという報道を見てから1年近くなります。
自動車や多くの産業機器が、電気やハイブリッドになっていく道すがら、石油の呪縛から逃れつつ、今度はリチウムの呪縛にとらわれてしまっています。
事務所に帰ると亀石さんからメールが届いていました。亀石さんはシルクロード2回、昨年のチョモランマ、そして今年は何もしない僕たちとは別に南米に行っていました。添付された写真を見てビックリ。それは、現在のところリチウムの生産量の世界一を誇るボリビアのウユニ塩湖。水が薄くたまって星が映って幻想的な美しさだというテレビ番組を見たことがあります。
妙な偶然の一致に、リチウムについてもっと深く勉強しようと思った午後でした。

(おまけ)

2010/10/25 (月曜日)

「たまるか。」
夕べの龍馬伝、観た?龍馬が中岡慎太郎に「船中八策」を見せる。中岡は感激して「涙が出そう」になるが、
「こんなものを世に出したら、命を狙われるぞ」
と龍馬に忠告。龍馬は
「命を狙われるくらいの事をせんと、世の中は変えられん。」
と。それを聞いた中岡は
「たまるか。」
とひと言。
中岡の言った「たまるか」は実は、土佐弁です。
もちろん標準語でも「たまらん」「たまるか」の意味は伝わりますが、土佐弁はこれに深い意味が込められています。
「命を・・・」に続くものですから、死んでたまるか。の「たまるか」という意味のようにも感じますが、そうではありません。
ボクの親しい梼原の友人も良く「たまるか!」を使ってました。モンゴルのラリーへも応援に来ました。その直後
「恐竜の谷へテレビ番組の撮影があるけど。行かんかね。」と誘いました。
すると返事は
「そりゃ、たまるか」
中岡が使った「たまるか」に非常に良く似ていますが、まあ事はそう難しい話ではありませんから・・・
しかしその返事に込められた意味は、土佐弁を解さない者には不明ですろう。
つまり「うれしくて、たまらん」とか「びっくりした」とかの意を持つ、非常に好意的な回答なのです。
「今日は、すしでも食べに行くかね?」
「おー、そりゃたまらんね。」
という風に使ってつかあさい。
今の龍馬伝で描かれる坂本龍馬が、仮にそのままの人物だとしたら日本史上の最大の傑物だと言えるでしょう。あまりにも今の日本の政治家に対する批判のような番組表現にもなってしまっていますしねえ。
きょうの一枚
ゾーモットの夕暮れ。シルエットはおそらくだけど三好礼子さんと若林葉子さんか?荘厳な天球の色彩変化に、やはり神の存在を思う。
(おまけ)
2010/10/22 (金曜日)

「冒険の旅」
まあ人生は、冒険の旅の如しと感じます。その冒険の旅を標榜してきたSSER ORGANISATION・・・まだまだ冒険は続いていきます。終わることは無く。芭蕉のように。
秋が深まると、その芭蕉の見た夢の風景が僕の脳裏にも広がります。フランス人も日本人も、その「もの悲しさ」を耽美するかのよう。その芭蕉の辞世の句。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
中学生の時に居眠りする授業中に聞いて「ふーむ」と思ったものでした。
芭蕉が世を去ったのは、1694年10月14日。陰暦ですが実際は11月28日。実はこれは辞世の句じゃないらしいんですね。ただしく辞世の句は
この道やゆく人なしに秋の暮れ
これは実に秀逸。
ふり向けば誰もいないわが道を行く・・・これはボクの句
芭蕉の言うこの道とは、歩んできた人生なのか自らが貫いた俳諧の道なのかは不明です、まあ同じかもしれませんが。
しかし良く考えると「この道」とは我が人生というのはやや傲慢な感じがします。つまり、なにかこう
自分が引き継ぎ後輩たちに伝えるべき道に、その後輩たるものがいない悲しさ。というような雰囲気に見て取れます。
いまの時代の感覚に似ています。この道を例えば冒険の旅とします、するともうそんなところに若い人たちは興味を持っていませんよ。それは消え入りそうな秋の夕暮れの間隔です。
ところが、冒険やらラリーやら、もっと言えばモータースポーツが「この道」だと思ってたら、猟友会も10年後は熊の駆除のために出動してくれる人はいなくなるのだそうです。あらゆるシーンから若い人がいなくなりつつあって、まさに
さびしさに 宿をたち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮れ
これは芭蕉じゃなくて、もっと古い後拾遺集。とにかくこの寂寥感はもはや美学ですねえ。
ブログのほうに九州4デイズの簡単な概要を書きました。レギュレーションが無いから。さらにNEW TBI2011も発表!かなりNEWSな内容かも。高野山からはじまるのだね。
きょうの一枚
奥の細道ですねえ。旅といってもこの時代は冒険でしたねえ。
(おまけ)
2010/10/21 (木曜日)

「レンジローバーへの憧憬」
確かにいまボクの手元には1台の2nd.レンジがあるのでございます。2000年モデルですぞ。エアサスはお約束の、保障期間切れの1ヵ月後に壊れました。これはあまた言われるように時限装置が着いてるとしか思えないのであります。このエアサス。実はとても気に入っていたのであります。ほかの何から乗り換えても、それは素晴らしく良く働き、優しく寛ぎをあたえてくれるのです。そんな時は「おお、さすが女王陛下のレンジローバーだわ。」と、ひとりごちたものでした。
それにしても長くボクの元にあります。乗らない時は忘れたのかと思うほど乗らないけど、たまに乗ると、これまたとても良い。でも、なにせトラブルの百貨店でしょ。なのに松山には販売店はないんすよ。
んで、サスは仕方なく数度の修理のあと、コイルに変えビルシュタインを入れちゃいました。エアコンも良く壊れるのであります。デスビも変えたし。内装もお約束の通り垂れ下がっちゃう始末。
壊れても構わないサンルーフなんて、絶対に壊れないし。
普通にしか乗らないのに、こんなによく壊れた車は実ははじめてです。神経質な日本人には無理です。そういう意味ではランクル60なんか、どこも壊れなかった。でも乗ったのは林道ばかりで、ボディはボコボコだったのに。こちらのほうも神経質な日本人には「???」だったようですが。
でも中古市場はとても大安売り!です。壊れるわ、燃費悪いは!エンジンやたら大きくて税金は高いは、なんにも良いところが無いクルマ!ってことが良く分かったからでしょう。だからファッションで乗ってた町のブティックのオーナーやら、バーのお兄さんが、みんな「やってられない!」と売っちゃったのであります。そもそも、目指すところが違ったのでありますな。
でも実は、ほんとうに欲しかったのは、いまで言うところのクラシックレンジです。常にネット上で、ああここに良い玉があるとか・・・1970年に生れたそれは、10年目くらいの時代の丸目(色は今日の一枚のこの色。)の、あの楚々とした後姿が良かったんです。
その80年ころに一度買おうとしたことがあったんですが。そのころ1000万はしたので、初めて日本の輸入障壁という言葉を知ったものでした。「こりゃ無理だわ」でかったのが、ランクル60もち丸目。
1988年、パリダカに行って衝撃を受けることに。キャメルのカラーリングの施されたマルコム・スミスらのレンジローバー。確か総合3位から5位までを独占したんだっけ。P-タンベイも確か乗ってた。
これが密かなるレンジの憧憬の導火線になったのであります。いま乗ってるのは誕生30年のモデル。そしていま40周年、ということは「えっ、ジムニーと同い年ジャン!!」ということで洋の東西の不思議な帰趨を感じてしまうボクでした。
きょうの一枚
その勝手にどこかのレンジ屋さんの中古の写真を拝借、そしてもう一枚は、ミニカー。この世界なら買えるかな。
(おまけ)

2010/10/20 (水曜日)

「相変わらず、そそらせるのが上手い。」
アバルト695トリビュート・フェラーリがリリース直前とのこと。なぜこうした魅力的なマーケティングが出来るんでしょうね?イタリアンって。これはフェラーリとのコラボレーションによるアバルト500の限定モデル。たぶんまた受注段階で売切れ!でしょうね。たまんないのはエンブレム。それとあっちこっちに配されたサソリのマーク。カーボンシェルのシートのハンドルにまでそのマークはいらないでしょ?それにシートのABARTHのロゴはいささか?でもシートのデザインも良いねえ。でもまあ残念なのはボクには小さいということかな。えっ、そんなことない?
まあそれにしても最近は日本のプロダクツがデザイン的にも性能的にも行き詰まっている様だよね。常にマスマーケットばかりを相手にしてきた量の原則に憑依されてしまってて、小さなマーケットを無視してきたゆえの感性領域で敗退が続いてるねえ。
こんな1台のクルマに、日本の敗戦を見てしまう。同じ日のトヨタのリリースは、SaiとPriusにLEDバージョン投入!だって。
きょうの一枚
そんなこんなで、500ベースのアバルト/フェラーリのWネーム。うまいよね。
(おまけ)
2010/10/19 (火曜日)

「リスクを侵さなければ、なにも得られなかった時代。」
田原総一郎の記事を読んでて
「いま、コンプライアンスという言葉が、より無難で、チャレンジをしない、危ないことをしないという意味になっている。」と。
翻って昨日発表した日野自動車のパリダカール20年連続の挑戦。企業にとって求められるものは何か?という質問には、いかようにも回答が出来る。そういうことが企業コンサルティングのトレンドで語られ、どこの企業も似たり寄ったりの理念を掲げるに陥ってる。つまり個性のない企業が、自己資本比率の向上のみを目指している。
特に近年、日本の企業の金太郎飴的な理念に危惧を覚える、それは「環境貢献」「社会貢献」だろうか。そして冒頭の「コンプライアンスの遵守」だ。みんな同じだ。みんな何もしない。もう少し言えばサスティナビリティ。持続可能ななんたらかんたら。で、してるのはあくなきサスティナブルな利益追求のみで、言うところの「遊び」がなくなってしまった。
こんな時代は、仕方が無いとも言う。しかしこんな時代だからこそリスクを侵さなければいかんと思う。ボクはまあ、侵し過ぎだけど。コンプライアンスは、難しいぞー。何かをはじめれば、あまりもの規制の多さにワケが分からなくなる。専門家に相談すれば良いのだが、まあそんな余裕があるのは大きな企業ばかりか。
「嵐の時にこそ舫(もやい)を解け」つまりリスクのある海に漕ぎ出してこそ得られるものは大きいというわけだ。しかし嵐の中に漕ぎ出すのは、今の時代はコンプライアンス違反になるし、反社会的な行為とも言われるし、まあ乗組員のことを考えれば社会責任は、相当なものだろう。
まあ、それはたとえ話だけど。
もともと日本人はもっとアドベンチャーな人々だった。開拓精神と好奇心の塊だった。間宮林蔵も凄いし、日本の地図を作った伊能忠敬も凄かった。いやそんな2人だけではあるまい。嵐の海を渡った空海ら遣唐使も冒険家だったし、そこらには枚挙にいとまはあるまい。
そういえば坂本龍馬も、その時代に生きた人々の誰もが探検家だったろう。そうした探険家の歴史では世界に比肩しうる人材と偉業をなしえてる。
しかし現代はどうだろう。もうあの胸のすくような探検家冒険家は出てこないかもだ。チョコット急成長する企業ごときを「ベンチャー」と呼んでるようでは、
悲しいにもほどがある。
結局リスクは人に任せる。
でもリターンは欲しい。
まあ、あのリスクとリターンがある程度、見積もれた時代は良かったかも。
いまCOP10。発展途上国はリターンだけをを望んでいる。先進国は、そんな甘い人たちじゃない。とても不気味な時代になったものだ。
ごめんなさい。今日はややこしい仕事に取り掛かってたので、ヘンテコリンな頭の中になってしまいました。
きょうの一枚
Husqvarna・・・ここのところ元気なハスクバーナ。ボクがハスクバーナのプレート・・・肉を焼くヤツですが・・アンド、ジャケット。ポロシャツ、などを手に入れたのはMOTOWORKSさんのおかげ!!そんで今回九州4デイズ・・まあ本格的には来年からですが「特別協賛」頂くことになったとです。赤いロゴは火の国九州にこそふさわしいでごわっそ。
(おまけ)
2010/10/18 (月曜日)

「日野自、ダカールラリー参戦を発表 不況で撤退相次ぐ中、20回連続出場」
[ニュース記事]
今日のサンケイニュースから
日野自動車は18日、来年1月に南米で開催される世界最高峰のクロスカントリーラリー「ダカールラリー」の参戦体制を発表した。世界的な不況で昨年から日本の自動車メーカーが相次いでモータースポーツ界から撤退する中、日野は同ラリーのトラック部門に1991年以来、参戦し続けている。今回で20回連続の参戦となることについて近藤詔治会長は「(日野にとって)ひとつの目標としてやらなければいけない」と話した。
今年のダカールラリーは南米・アルゼンチンとチリの山岳・砂漠地帯が舞台で総走行距離は約1万キロメートル、14日間にわたって行われる。日野は中型トラック「レンジャー」2台で参戦する。
日野は「技術力向上とものづくり文化の育成に加えて、海外でのブランド醸成も図れる」としており、現地メカニックにも全国の系列販社から3人が参戦する。
今回から新しいグラフィックとなった2台のレンジャーが、そろそろ南米に向けて船積みされます。あれ、1台はモンゴルに出てたはずじゃ?そうなんです。その1台はゴール後直ちに自走でロシアを抜けてウラジオストックから日本へ。あっという間に帰ってきてました。
それ以外の貨物は、やっと天津を出て間もなく日本到着です。大変遅くなっておりますが、間もなくです。日本の通関作業も時間がかかるようになって久しいのですが、今回からカルネですから、あっという間に出てくることを祈ります。
さて、11月27日にはSSER PRESENTATION 2011、これは菅原さんの出発前の時間に合わせました。こ菅原さんのミニ壮行会も兼ねて行う予定ですので、お時間の許す方はぜひ参加してください。特に二次会はすごいですよん!さて、その記事にあるとおり、HINOの20回連続出場の快挙にも拍手を送りましょう。
日本の企業というのは、こうした事業を継続させることが苦手です。ついつい削減とか撤退とか、後ろ向きのことを、まるで前向きのように報告して胸を張る人が、たくさんいます。止めてしまえば、そのあとの困難さは想像に難くありませんのにね。そしてほかの日本の自動車メーカーも、自動車の大好きな人の集団であってほしいと思います。
(おまけ)
2010/10/15 (金曜日)

「天孫降臨とはなんぞ。」
九州4デイズのテーマは、ボク的には「明治維新と、西南の役」だったのですが、どーも方向が変ってしまって、日本神話が色濃くなってきました。
「天孫降臨の地、高千穂」とは良く聞くフレーズです。日向の高千穂峰に天から雲間を縫って降りてくるのであります。
今でも日本人は群雲の間から差し込む光に、その天孫降臨のありがたみを会わせ見るという不思議なDNAを授かっているのではありますまいか。つまり天には神がいるという世界的な共通の概念でしょうか。
ボクはまあ降臨は天から降りてくるということですが、天孫の意味が分からないのであります。天とはここでは天照大神だとします。つまり彼女の孫ですから天孫ニニギノミコトが降りてくるわけです。
このあとに面白い物語があるのですが、まあそれはQ4に参加してのお楽しみに。
きょうの一枚
元M3乗りとして気になるM3コンペティション、うっなんかうちの会社の名前みたいだ。このオレンジのソリッドな限定色がそそるのはそそるのですが、2010年の今、世界の自動車事情はいったいどうなっているのか?という疑問符が突きつけられます。
もう一方の写真はAMG SLS、これを見て石原裕次郎を懐かしがるのは、もう相当なお年の人たちになりましたがSL350のデザインソースをそのままに、まさに天孫降臨の趣です。SLは息子たちの時代にはイマイチだったけど、孫の時代に世界統一、、、ってフビライハーン?
これらにとどまらず、世界はスーパーカーブーム(かなあ?)日本のエコカー減税やら、軽4やらは、世界は見向きもしていません・・・いやしてはいるのですが・・世界はガソリンの自動車を失う事に深い惜別の念を抱いてるのかもしれません。自動車とはなんぞや!?という深い思考の淵に身を委ねているように思います。
なにかこう迎合して生き延びるよりも、自らの本質を貫いて死に向かう、武士道のようなものをヨーロッパのメーカーに感じるのはボクだけ?結果そちらの方が生き延びたりしたりして。
(おまけ)
2010/10/13 (水曜日)

「早いもので2011」
今朝は赤松カメラマンと、モンゴルの写真集作成会議。といっても世間話が半分。でも発表会には間に合わなければなりません。
そして、もう1冊2011のマニュアルブックのようなものを作ろう!としています。年間計画やプレレギュレーションなどイベントごとのインフォメーションを写真集から分離する事によって、どちらも内容を際立たせたいというものです。
なにかこう、これまでは合併政策の方向ばかりを、分離していくということ。映像つまりこうスペクタクルはFUTUREで、画像は写真集で、そしてマニュアルはデータ重視で。そして2011カレンダーっても、本当のカレンダーも作成!!!!!!
今日の制作の打ち合わせで、なんとなく2011年が良く見えてくるようになりました。2011のSSERはこうしたクオリティの追求に向かう事にしました。
さて、九州は準備が佳境ですが、その内容は「つぶやきブログ」で紹介していきます。レイド・トレック・タクラマカンも、例の問題にまけずに追求してます。
早くこの問題も書きたいなあ。
きょうの一枚
「棗」
ナツメと読みます。うちのタケチャンが自宅にある棗の実を持ってきました。「懐かしいねえ」と食べたのは老カメラマン。あとは「なにーこれ?」でした。棗といえば、ナツメヤシとは別物。実の形が似てるというだけでパリダカの頃モロッコやアルジェリアで見たナツメヤシとは違います。
乃木希典・・・乃木将軍ですが自邸(現乃木神社)に棗の木が在るそうです。これは以下の歌にある棗の木を持ち帰ったものだそうです。その乃木将軍は若くして西南の役に従軍しています。軍旗を西郷方に奪われたことが生涯の悔恨だと何かで呼んだことがあります。明治天皇の崩御に夫妻で殉死した理由もその軍旗を取られたことに遠因があるのだそうという説も。
まあ「棗」ひとつでここまで話を膨らませなくても。と思うでしょうが、これは中国東北部が原産で北洋艦隊ら清軍の水師営には必ず植えられていた薬草なのでありますね。昨日の敵は今日の友、と言うのもどうやらここから出て来ています。日中外交もこの調子でよろしく。まあこれは相手はロシアですが。
文部省唱歌「水師営の会見」
佐々木信綱作詞・岡野貞一作曲
旅順開城約成りて
敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の
所はいずこ水師営

庭に一本 棗の木
弾丸あともいちじるく
くずれ残れる民屋に
今ぞ相見る二将軍

乃木大将はおごそかに、
御めぐみ深き大君の
大みことのり伝うれば
彼かしこみて謝しまつる

昨日の敵は今日の友
語ることばもうちとけて
我はたたえつかの防備
かれは称えつわが武勇

かたち正して言い出でぬ
『此の方面の戦闘に
二子を失い給いつる
閣下の心如何にぞ』と

『二人の我が子それぞれに
死所を得たるを喜べり
これぞ武門の面目』と
大将答力あり

両将昼食共にして
なおもつきせぬ物語
『我に愛する良馬あり
今日の記念に献ずべし』

『厚意謝するに余りあり
軍のおきてに従いて
他日我が手に受領せば
ながくいたわり養わん』

『さらば』と握手ねんごろに
別れて行くや右左
砲音絶えし砲台に
ひらめき立てり 日の御旗
(おまけ)

2010/10/08 (金曜日)

「やっぱりね。」
なんか例の漁船の衝突のビデオは公表しないんだそうですね。「なーんだ、やっぱりね。」と思う人も少なくないのでは。「公開すべき」と思うのですが、さまざまに複雑に絡む問題は、いわゆる快刀乱麻とは行きません。しかしこれを公表したら国民が怒ると考えるのであれば、政府は国民を馬鹿にしてるし、中国の世論は「まあ改ざんするからね。それで公表が遅くなったんだ。やっぱ日本のSFXの技術は素晴らしい」と賞賛の嵐だろうしね。しかしネット上では面白い意見もあって「ぶっつけたのは日本側じゃないのか?」とかね。それならそれで頼もしい限りだけど。まあ今の時代に、これを公開しないわけには行きますまいて。そうこうしてるうちにYOUTUBEで見れるかもね。それはそれで問題だけど「やっぱりね。」って感じもしますね。
さあそんなことよりSSERは、2011のカレンダーと15th Rally Mongolia 拡大版の開催など発表会を11月27日東京・恵比寿「7 seven.」で開催予定。おそらく18時から(少し調整中)二次会を「チョモランマ酒場」でやりますかね?ここが旨くてボクはとっても気に入ってるのだ。
これから、Rally Mongolia 2010 の写真集の編集作業に突入!するのであります。なんか忙しくなってきたぞぉ。
きょうの一枚
チョモランマ酒場。前回は貸切でしたが、入りきれなくて店の外にビールケースを置いてやっいてましたね。
もう一枚は、その恵比寿の発表会場の地図。前回も入りきれなかったので、大きい会場に!と言う話もあったのですが、このミッシリ感が好き!なので。今回はちょっと演出に凝ろうかしら。お早めにご計画下さい。
(おまけ)
2010/10/06 (水曜日)

「九州は火の国たい。」
富士山の裾野で遊んでいて、富士宮市に下りていったところに、これはなんとも由緒ありげな富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)がありました。時間が無かったので外から眺めるだけ。でも「ちょっと待て、ここはきっと火の神様を祭っているに違いない」とボク。そう、火の神様とはコノハナサクヤヒメ
ウイキイペディアのコピー
祭神 現在は浅間大神(あさまのおおかみ)と木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)を主祭神とし、夫神の天津日高日子番能邇邇芸命(あまつひこひこほのににぎのみこと)、父神の大山津見命(おおやまつみのみこと)を配祀する。元々の祭神は富士山の神霊「浅間大神」であるが、いつの時代からか、神話に登場する木花之佐久夜毘売命と同一視されるようになり江戸時代に定着した。現在でも一般的な認識では浅間大神と木花之佐久夜毘売命は明確に区別されてはおらずほぼ習合した状態である。
ここで注目は、「霧島神宮古宮址」最近パワースポットとして人気だそうですね。そして天孫降臨の火祭りは11月10日。ううーん、Q4とはちょいと合わないなあ。
まあ今日のタイトルは「九州は火の国たい」で、九州にはいったいどのくらいの火山があるのかなあ?と調べたところ「・・・」な火山がひとつ。その名も「池田・山川」って、そんなの聞いたことないなあ。
ちょっとどこかのサイトから
Q:池田・山川は、鹿児島県薩摩半島南部にある( )、松ヶ窪、池底、鰻池、成川盆地、山川湾から成る火山群の総称。池田火山とも呼ばれる。
正解!
池田・山川は、鹿児島県薩摩半島南部にある池田湖、松ヶ窪、池底、鰻池、成川盆地、山川湾から成る火山群の総称。池田火山とも呼ばれる。 約5,500年前、まず現在の池田湖の北部にある池崎噴火口でマグマ水蒸気爆発が発生した。続いてスコリアや軽石を噴出する噴火が起こり、池田火砕流と呼ばれる火砕流が発生した。
どんな風景だろう。
そういえば池田湖といえばイッシー。と佳境の一枚にはそんな写真を集めてみました。今回のQ4の出題どころ・・・西南の役。火山。高千穂霧島。あとなんだろ。
(おまけ)

2010/10/05 (火曜日)

「TDR、楽しかったね。」
次に控えてるのは九州!です。久しぶりにボクが(スイマセン)気合を入れてやります。気合を入れてって、それじゃあ他は、まじめにやっていなかったのか!?と言うと、勿論そんなことはないのですが、まあ今年の夏のことが・・・でもこの夏のことは、これからじっくりと闘ってきます。「攻撃は必ず反撃を受ける。」ボクの持論です。でも反撃は、緩やかにしておおらかに闘おうという思いです。歯を剥いて闘ってるのは、あまりアズマシクナイですものね。・・・これスガワラさんに教わった北海道の言葉。アズマシイとは、真に言い得て妙ではありますが、風水でも東側にあるものは基本的に静かでクールというイメージのようです。
東京(江戸?たぶん明治以降の屯田兵の言葉なので東京で良いかな)のことをなぜ北海道の人はアズマつまり「東」と呼んだか。方角的には東京は南に位置するはずです。このアズマシイは本来は、西国へ落ちた落人らが京都のことを指す言葉ではなかったろうか?そして東風(こち)吹かば・・・と菅原道真に詠ませた東とはやはり京都のことで、つまり北の大地から見たアズマシイは方角的には整合しないのですが、やはり京都のことかもと。そんなささやかなひとつの言葉からも、ワケの分からないところまで思考を広げていくボクはいったいこの先どうなるのでしょう・・・・
なんて考えていて、ふと検索してみたら
アズマシイとは「我が妻といる時のように心静かなこと。」つまり吾妻と書くのが宜しいでしょう。アズマシイではなくアヅマシイが正しいのですね。でも、どうも僕の聞いた語感では、やはり「雅やかな風情」というのに近かったように記憶しておりますが北海道の皆さんいかがですか?
さて、話は九州に戻ります。北海道に話を持って行っておいて、次に九州に振るなんざあ、かなりこなれた話術ではありませんか?
ボクは先週、Amazonで1冊の文庫本を買いました。470円。
城山三郎「指揮官たちの特攻」

これは、かなり前から読もうと思って、読めてなかった一冊。
神風特別攻撃隊第一号に選ばれてレイテ沖で特攻をした関行男大尉は実は愛媛県西条市出身です。国道11号線を通るたびに関行男大尉の墓標の案内看板が見えます。まあ今週末読む本ですね。そして、事務所に変な本を発見。

模範 大全科学習書 尋常六年後期とあります。発行は昭和15年。こんな本がなぜこんなところに、と開けてみるといきなり

少しこの教科書を読んでみましょうか?
「西南の役」
—-眼のつけ所
明治維新の大業もあらかた基礎が定まり、これから国運が盛んにならうとする時、はしなくも朝鮮の問題から、いまはしい大乱を引起すに至った。明治維新の大忠臣、大功臣の西郷隆盛がどうして賊軍となったのでせう。また西南の役に於ける人々の功績や皇室の御めぐみや博愛の事業はどうであつたらうか。か。
—–学習の道すじ
(1) 征韓論→朝鮮が我が好意をしりぞけ、無礼を加へたので、西郷隆盛等が朝鮮を伐たうと主張し、其の論が破れて辞職した。
(2) 西南の役→隆盛は弟子におし立てられて乱を起した。谷干城らが熊本城をよく守った。隆盛等は官軍のため、遂に城山で自殺した。
(3) 皇室の御めぐみ→天皇・皇后・皇太后三陛下の御仁徳。佐野常民等は官軍・賊軍の別なく傷病兵を治療した。これが我が国赤十字社の起。
—–研究
(後略)
昭和16年には国民学校令が敷かれ、尋常小学校はなくなるので、昭和15年後期というこの教科書は、まあ尋常小学校の歴史的に最後の1冊。えひめ町並み博2004の知り合いの出してた骨董屋で、この本とか婦人画報とあと古いライティングビ ューローを手に入れて事務所に置いていたのでありました。
この本を見てるとなにかこうその持ち主の勉強への情念のようなものが感じられ て、すこし身震いをしました。まあ当時の小学6年生の方が良く勉強が出来たのでしょう。今西南の役を中学生はどのように語るでしょうね?そのうえ教育勅語 なんかも当然書かれていて、教育を受ける意義とそのありがたさなども学ぶのであります。
なんか話がとっちらかってしまいましたが、ボクはそのラストサムライの故郷へ旅をしに行くのでごわす。そしてその古い教科書には、傷みも少なく落書きはないのですが、尋六 中東達観 と名前が書いてあります。名前を検索してみたが、当然のこと中東さんという名前は見当たりませんでした。昭和15年で12歳としたら、ボクの父母の世代ではあります。。
(おまけ)
2010/10/04 (月曜日)

「2つのソーラーカープロジェクト」
まずは篠塚さん!率いる東海大。南アフリカを4000km!!走行し10月2日 プレトリアにゴール!!総合優勝を果たしました。パチパチパチ。。ということで篠塚さんは「行きたいよ」と言っていた秋のTDRには参加できませんでした。ということで、メデタシメデタシ。[記事リンク]
一方で、大阪産業大学OSUソーラーカープロジェクト。オルタナティヴエネルギー・カップ、ドリームカップ鈴鹿ソーラーカーレース!!今年でこのタイトルでの開催は最後・・・つまりドリームカップ=ホンダがスポンサーを降りるというわけです。来年からはフォーマットを変えて、今は予選+4時間x2日間の本格的な日程でに開催。来年からは半分くらいになっちゃうのだそう。そして大阪産業大学はこの大会を2連覇。この模様は10月20日号のFUTUREにも収録いたしました。
OSUに来年はボクタチが目指すタクラマカンの沙漠公路の横断をお誘いしてあります。タクラマカンの巨大デューンの間の、舗装路800kmの横断を含む、タリム盆地1周チャレンジ!!西域南道をソーラーカーが走れば、良いなあ。と夢は膨らむのであります。乞うご期待。
さて、こうした一連の話も実はきっかけはTDRとFUTUREです。いずれも「無謀」な試みです。それが証拠にこうしたことは前例がない!のでありますな。前例がない?ならばやってみよう!というのが男の子の心意気。いや、いまごろはSSERにやってくる女の子の心意気の方が勝っているとも思いますが。
とにかく盛況だった富士山でのTDR。お天気までもが後押しをしてくれました。またこうした新しい企画を進めていくのと11月の九州・・・そのためにボクは今週と来週はそれのプロデュースに没頭する予定であります。
きょうの一枚
東海大学がおそらくケープタウンのテーブルマウンテンを背景に走ってるところでしょうか?
こちらは大阪産業大学。4輪のこのての車両はめずらしく鈴鹿などのテクニカルなコースを走るのに適しています。
(おまけ)

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2010/09/30 (木曜日)

「国会とマスコミと週末のお天気」
これからボクは一足先に富士山に向けてスタートするんですが、テレビは国会中継で下手なエンターテイメント番組なんか比にならないほどの面白さ。
まあ「日本国内で、そんなに揉める事?」という素朴な意見も、あるにはあるのですが。
で今のところのおかしいのは国会で「新聞記事によると・・・」という質問者。答弁したい前原さん、やっと発言機会が回ってきて「新聞にあることが事実ではない。新聞記事で質問するな!!」と。つまり国会では、新聞は正しく報道していないと断じられたわけで、新聞もウソを書くならば、法に従って処分しなければならないのかもしれません。今の政府はマスコミの傀儡政権だ、などという評論家もいます。そうかどうかはともかく、評論家もメディアで発言する以上は責任があるはずです。今メディアは、大きな権力を手に入れているように感じます。テレビ番組には大臣でも呼びつけます。以前は大臣級は出なかったのにね。
そんなことはともかく、天気が心配です。今日は四国は雨。週末の富士山周辺は晴れますように。
さあ、みんな富士山に向けてGO!
(おまけ)

2010/09/29 (水曜日)

「こうでなくっちゃ、ガラパゴス!」
もう15年くらいは昔のこと、ボクは何かのシンポジウムで、うーんと観光シンポジウムだったかなあ・・そこでコーディネイターを(それって普通は大学の先生がするようなやつでしょ)で、やめときゃいいのにいつもの持論を展開「四国なんてガラパゴスで良いんだ。橋なんていらない。」。」
これにはパネリストたちも「・・・」たぶんタイトルは「3架橋時代の四国の観光」トカナントカ・・・いきなり強烈な内部批判のような発言!周囲は当然のこと唖然!!「掴んだっ。」と思ったのはボクだけ。同行してたうちの社員が、会場の隅で、深刻な顔して腕組みしてた。さらに主催者らは、ナンテコトイウンダ!・・・という怒りのオーラを、それは「だからアンナヤツをコーディネーターにするのは反対だって言っただろー」という声。いやもちろんそんなことを声に出していう人たちがいないのが大人の社会。
でもゴメンナサイ、それはボクの本心だったから仕方がないのです。いつものことながらお上手が言えないのです。でも考えてみてください、橋が3つ出来たからって、それで観光産業がどうのこうのなんてことは一時的なものでしかないくらいのことは、子供でも分かります。目的地に魅力がなきゃ同じことです。魅力とはなにか、それはそこが独自の生態つまり文化を営々と継承していること。または自然などもそう手付かずに残ってることなのです。
やっぱガラパゴスが良いのです。今世界で巻き起こってる「日本ガラパゴス論」というのは、日本賛歌!だと思えば良いのです。だってグローバリズムに乗って世界は破綻しかけてるんじゃないですか?独自の進化、独自の世界観!ああ、なんと素晴らしい語感。トイレなんて、ありゃ日本の独自の美意識で独自の進化!いまや世界は日本のトイレに賞賛と模倣!!いくら努力しても、なかなか日本のトイレに追いつけないのは、ガラパゴスな日本のトイレが育んだ道徳心なのであります。さらに言えば日本は2chのおかげで?トイレの落書きも激減した!!これもボクの持論。
さてスマートフォン!SHARPがやってくれました。その名もメディアタブレット「ガラパゴス」キャッチコピーも「進化する・・・」ロゴマークなんて、まるでイグアナを連想させる(たぶん誰もそう思わないだろうけど)ボクはなんかSHARPに国民栄誉賞を送りたい気分になりました。事務所の照明はゼーンブSHARPのLEDに変えよう!!SHARP万歳!!って、この前SHARP八尾工場の見学に行ってきたばかりです。i-padやi-phoneからガラパゴスに買い換えれば「エコポイント」と「補助金」さらには1年間通信費は全て無料!なんてキャンペーンやんなさいよ政府は。スイマセン言い過ぎました。
そのホンモノのガラパゴス。行って見たいもんです。次の商品は「ギアナ」とかはどーすか?おお「Senkaku」とかもいいなあ。尖った内閣で「尖閣ガラパゴス」スイマセン訳が分からなくなって・・
きょうの一枚
http://www.sharp.co.jp/mediatablet/
(おまけ)

2010/09/28 (火曜日)

「チャイナリスク」
ボクは散々言ってきた。人件費の安いところを探して工場を移転しても、そうする企業が増えるほど、良い労働力は必ず高騰する。そうすればまた安い労働力を求めて彷徨う。そうしてるうちにも、彷徨うためのコストが人件費の差益で奪われてしまうばかりか、事業のノウハウや企業の持つ強みのような、模倣性の高いものは全て流出してしまう。どこにか?中国にだ。
だから、もっとも良い環境は国内だし、日本を捨てるな!!と。しかしボクがいくら言っても、そんな事に何の力もない。実際にいまだに海外進出を求めてる企業は枚挙に暇がないという。
日本では過疎化が深刻だけど、都市部に行くとやはりドーナツ化で地方都市の中央部はかなり機能低下に陥ってる。田舎は過疎、都心も過疎。みんなどこにいるの?
じゃあどうすればよいのか?
それは「あーしまう。こーします。」と出来ないことも、さも出来るように言い続けてる政治家にやってもらわなければならないと思う。
夕べの「タケシのTVタックル」面白かったねえ。トラックの運ちゃんが民主党議員に、暫定税率撤廃を野党時代には死に物狂いで言ってた民主党、政権取ると「やっぱ、無理」高速道の無料化は5兆円の経済効果があるはずの民主党「田舎道を無料化しても意味はなかろーが」と。「やるやると言って、やれないのなら、ちゃんと謝れ!」と。すると民主党議員が司会者に向かって「申し訳ありませんでした。」というと「そっちじゃない、こっちにあやまれ」と。
で番組中に一瞬、時事川柳 「手強いぞ 蓮舫 白鵬 温家宝」これは腹をよじって笑ったのだが、温家宝もそんなに悪い人じゃなかったはず。5月の来日で海底ガス田の共同開発に道筋をつけたはずなのに。
そしてタイトルにあるチャイナリスクというキーワード日本にもワケのわからない人はたくさんいる。豹変する人とかね。「その態度、その行為って恥ずかしくないの?」と思える人とかね。でも、国家が権力を背景に豹変するのはいかがだろうか。
ボクも中国のファンのひとりだ。といってしまえば随分誤解を生む。でも好きなのだから仕方がない。このOVを「中国」で検索すると、まあ中国ネタは多い。でもボクの好きな中国とは、シルクロードに栄えた洋の東西を結んだ仏教美術や、国々の興亡の歴史などが好きなのと、あのタクラマカン、タリム盆地、チベット・・・まあ本来は中国ではない部分が大半だが・・・
それでも旅をするときは、大きなリスクを懸命に管理をしている。そのリスクマネジメントでへとへとになってしまうといっていい。
ロプノールで、許可あって先に進みたいのだけど、いつの間にか出来た巨大な発電施設を見て、それでも強硬に行こうとして突っかかるのは、結果としての責任を負えない。正義なんて、風前の灯ほどもない。そんなものだが、国家はそうではいかん。
企業や旅行者を守るべき責任は、小さくはあるまい。船長を釈放すれば、フジタの4人の釈放もある。なんて誰が考えてもチャイナリスクを知らない人たちのデシジョンでしかない。
あー、もうこんな話は今日を最後に書かない!そう決めててもかいてしまうボク。
きょうの一枚
TDRの出発に向けて積み込み中!の我がカミオン。1994年製ですからもうこれで16年目。コースターは(マイクロバスね)は1990年製だったから、もう20年目。出動機会は年間わずかですが、出かけるとハードな行程ばかりです。それにしても頑丈な物タチばかりで「買い換えなきゃ」にならないから不思議です。タイヤは新品だけどね。
(おまけ)
2010/09/27 (月曜日)

「なにか、甘いもの食べたくなーい?」
早いもので今週末はTDR・・・ということは来週から九州の準備に入ります。そこで、九州4デイズの準備に出かけるボクは「九州の甘いものコレクション」をやってきますので、エントリー先着10名様に、ランダムで「九州の甘いもの」をプレゼント。写真は本文とは関係ありません。が細川藩の栗きんつば・・・これも買ってきますからお楽しみに。やっぱ栗ですね。でも食べてみたいなあ。栗きんつば。
たしか薩摩きんつば・・ってのもあったね。この薩摩はサツマイモのことかな?でも今度は静岡で美味しいお茶を買っておこう。
北海道北見市から、ジャガイモとたまねぎが大量に届きました。お昼は毎日社内製のボクタチにはこれ以上ないプレゼント。もともと昼ごはんの自炊を始めたきっかけも、たぶん昨年届いたジャガイモとタマネギ・・・特に北見のタマネギの美味しいこと。
さっそくみじん切りにして、ペーストになるまで炒めて。そんでブイヨンでオニオンスープ。チーズを大量に入れて出来上がり!!「ンマー!」
もう少しラリーよりの話を書かなきゃ、ということで来年の計画めいたお話は、きょうの「つぶやきブログ」にリークしてますから、そちらを。ってOVとブログでなんか忙しい感じ。
(おまけ)

2010/09/24 (金曜日)

「なんとも嘆かわしい日々ですね。封印しようと思ってた時事ネタなど。」
今週はシルバーウイークだとかって、のほほん~とやってるうちに、さまざまなニュースでメディアは大忙しですね。
これらの話題は、全部スルーしてやろう!と思ってたのですが・・まあボクが思いを言わなくても。日本の弱腰外交をなじっても。さらに、検察の体たらくを嘆いても、まあ仕方がないちゅうもんです。
でも、まあものは考えようで、今起きてる問題のほとんどは、不思議な事にかなり直接的にSSERにというかボクに関係のある話ばかりではありませんか。
例えばモンゴルの帰国便のコンテナはまだ天津で動く気配はないし。来年はまたタクラマカンの横断に出かける予定だし・・・検察とはこのあと一戦を交えなきゃいけないし。どうしても犯罪を作らないといけない彼らの姿勢は、身を持って体験しました。
そして一言申し上げるならば、身内が身内を取り調べるのなら、この機会にこそ可視化をしておいたらいいと思いますよ。意地じゃないですがビデオの一台くらい。それが検察の正義!の気合を見せる、まあ最後のチャンスですが、やはり記録を取ると供述が取りにくい、と言うのでしょうか。上司らの9時間にも及ぶ聴取で何が起きてるのか、何が話しあわれたのかは、第3者を立ち合わせないのはやはりバランス感覚の悪さを感じさせると思いますがいかがですか?
また円相場も、再び日銀が介入して海外の不評を煽るのでしょうか。効果は瞬間的なのにね。
とまあ嘆くことは多いのですが、これらはまた忘れ去られるばかりで、「あんなこともあったなあ」となるのは、人の噂も75日ですから、まあ年内一杯。
まあ、また週末。
今日の一枚

ちょっと九州4デイズを考えてたら、そういえば征韓論でぶつかった西郷と大久保。今回の一連の騒動も、こうした思いがあればなあと西郷の「正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受るに至らん」(「西郷南洲遺訓」17)
訳しますと「正義のために正いこと(手続きでもよいでしょう、今回のことで言えば中国人船長の逮捕起訴)を堂々と行い、それにより国家が存亡の危機に立たされてもやむなし、というくらいの精神がなければ、外交交渉など出来ようはずがない。相手国の強大さに萎縮したり、争いごとを避けて彼らの意に従うような態度は、彼らの国ばかりか諸外国から軽蔑されるばかりである。結果として親交は終わり、ついには彼らから制(これの訳が難しい・・・制約でもよいしまあ、隷従を余儀なくされるという意)そういう惨めな結末が待っているだけだ。
もちろん時代は違うし、これらを同列に語ることはまた危険なことではあるのですが、法治国家が超法規的なことをするには、」何がしかの手続きが必要なのではないかと思うのですが、まさか検察の判断だけで法を曲げて・・・

(おまけ)

2010/09/22 (水曜日)

「赤松カメラマンについて。」
あまり人のことを褒めない?と言われるボクだけど・・今日はこの人のことを褒めてやろうと思う。今回のラリーモンゴリアには、久しぶりに、その赤松章がカメラマンとして同行した。
5年ぶりだと言う。5年前もカメラを持たずにレントゲンとか、フライパンとかを持ってボクを困らせてた。いやもうひとりカメラマンがいたから、実はそれは彼への優しさだったのだろう。
赤松と知り合ったのは、もう30年も前のこと。もちろん仕事のことだったと思う。長い付き合いといえば、それに尽きる。仕事も良くコンビを組んでやった。ボクがアートディレクター兼コピーライターで、彼がカメラ・・・なんて仕事は何本やったろう。
1987年パリ・ダカールの9回大会に、赤松は撮影に出かけると言う。ボクは困った。費用を工面しなきゃならないから?1988年、翌年のパリダカールにボクは出かけ、ラリーカーは70。赤松にはランクル60をプレスカーに仕立てた。写真をたくさん撮って、あらゆる雑誌を彼の写真が埋め尽くしてた。90年、そして92年のパリ北京などに一緒に行った。パリ北京では2号車のナビシートに座ってもらったから、カメラそっちのけで闘ってた。
それからまあ仕事といいラリーといい、長い付き合いになった。
そして今年、彼の撮った写真を眺めた。それを見て「今回は、頑張ってこれまでにない写真集を作ろうかな。」とボクは考えた。
YOUTUBE コチラ にもスライドショウを上げてみたので見てみてください。また来年のタクラマカンも、一緒に行こうと思ってる。
まあまり褒めると、何かあったら大変なので?このくらいにしとこーかな。
きょうの一枚
とりあえずスライドショウでご覧下さい。

(おまけ)
2010/09/21 (火曜日)

「バイクに乗らなきゃ。」
と強迫観念のように悩んでる今日この頃。ボクのバイクに乗るという習慣を、もっとも遠ざけてしまったのは目だ。目が厳しいのだ。それはもう普通じゃなく。おそらく最後に思いっきりバイクに乗ったのは、1999年10月、ガストン・ライエと剣山スーパー林道で気が狂ったように(スイマセン)走ったときだから・・・10年も経っちゃった。そのあと、ひどく目を患った。免許の更新も怪しくて視力検査のために良く晴れてる日に行って、しばらくは観察して・・・でも結局は「こっちへ来てください」とか言われて・・・。
2007年西安からパリへの旅は、ダート部分は全くディティールが見えなかった。日没後はテールランプが見えないと走れなかった。でも、一緒に行ったおじ様たちも、目は厳しかったと言う。この「目が悪い」のほどが、個人差があって理解しにくい。
そのあと、足が悪くなった。股関節が固まったようになった。病院でも「???」で、膝も良くないし足首も。目も足も何度も病院に通ってるし、2度の手術もした。
もうバイクは乗れないのかな。と思うほどにバイクに乗る自分を想像する。あの暑い夏の日にSSER2DAYSのために、1週間も山篭りをしてた時のことを思い出す。新しい林道や、枝道、けものみち。前進から汗を噴出しながら、ひたすら走り続けた。
毎日のように夕方になると、友達が誘いに来ては事務所を出て、へんろ道や河原や、近くの林道で過ごしていた。それがまあSSERの原型かもしれないと思う。
「旅に出なきゃ。」
と、これも強迫観念にも似た思いがある。少年時代、授業中に世界地図を眺めて興味を持った場所・・・でも行くことがあるかなあ?・・・と思った場所の多くには行った。チャド湖、アラル海、ロプノールはそのときからの3大目的地だった。パリルカップと北京-ローマなどで行った。イスタンブールやサンクトペテルブルグやエカテリンブルグ、カザン・・・などにも行った。
それもバイクやクルマで行った。どれも至難の旅ではあったけれど。でも旅の思いはまだ満たされていない。おそらく仕事と称してこれほど旅をした人も(添乗員とかは別ね)いないんじゃないかと思う。ボクは旅が好きなのか?と聞かれると案外「好きじゃないかもしれない」と思う。旅はなんとなく、厳しいもので苦労ばかりで、得られる満足感は数年後にしかない。
でも昨年はチベットへも行ったし、チョモランマのBCヘも行った・・・その満足感はやった今頃になって染み出してきた感じだ。そうだチョモランマ日記(HPの)の続きを書こう。
さあ、このあとどのくらいの旅が出来るんだろうか・・・ビジネスクラスとレンタカーでの旅なら、いくらでも出来るんだけど。
目は少し良くなってきた。足も・・・モンゴルなど砂漠で困ってたトイレ・・・大きい方ね・・・も、ついに出来るようになった。まだ宴会の座敷は、厳しいけど。この秋は少しずつバイクに乗る!バイクで小さな旅に出る。そうしようと思う。ASOさんとツーリングに行こう。
そんなこんなで話は変ります・・・九州4デイズは、壮大な仕掛けのウルトラクイズ大会にしようかな?と考えてる。優勝賞金10万円。ナゾナゾとクイズと宝探し。西郷隆盛の秘宝を探して・・・なんてのはどうすか?GPSとケイタイで、難問を解きながら。そんなルート制作をしにバイクで行こうかな。
きょうの一枚
「沙漠公路・・・タクラマカンを貫く800kmの縦断道路。来年はこの道路と、周辺のタリム盆地一周・・・なんてことを、と赤松カメラマンと計画中。まあデューンが走りたい方は、行方不明にならないようにね。いずれにしても標高も高くないし・・この道路の途中にネオン輝く歓楽街があるという都市伝説・・・っていうのかなあ?まあこのあたりも天然資源の宝庫で・・・ボクはアドベンチャーにオフロード用のサイドカーを付けようかなあ?なんて画作中!どーすか?」
(おまけ)

2010/09/17 (金曜日)

「マスコミって。」
民主党代表選が終わって、マスコミは閣僚人事を頑張って報道しています。でもまあ「ほっとけば!」と思うわけです。決まれば決まったで「こんなん、なりました。」と粛々と報道すれば良いのです。
やれ脱小沢だの、脱脱小沢だの、挙党がどうのとか、岡田さんが幹事長になるのは火中の栗を拾うだとか、菅さんと共に責任を取らせれて止める羽目になるの、と。真にかまびすしく下卑て見えます。どんなになってもバッシングしまくるだけなのにです。
代表選の世論調査とかの支持率も怪しい限りです。ランダムに作成したリストで
家庭に日中に電話して
「菅さんですか小沢さんですか」
と聞く前に回答者の性別と年齢くらいは聞いてみなきゃ。
ネット上の調査では小沢さん支持が多かったのだそう。企業経営者のグループの調査、とかセグメント別の調査をしないと「○○新聞の世論調査によると・・」というのは、いかがでしょう?今回の代表選も、閣僚人事も、どう見てもマスコミのリードで、作用しているように思えてなりません。日本では、全くメディアリテラシー教育がされていません。大本営発表の時代のまま21世紀にいます。多少の福音はネット社会でしょうか?それとて更なる危険にさらされている可能性は否めません。日本の政治を悪く言う前に、マスコミに対しても何らかの監視する第三の機能が必要です。
少し話しを替えます。
映画で見たヒトラーの最期。だったか。
ベルリンが火の海に。側近が
「ベルリン市民を避難させましょうか?」
と聞くと
「いや、それには及ばないよ。私たちを選んだのは彼らだ。その責任は取ってもらう。」
とヒトラー。
詳細は不明確ですが、こんな話でしたね。映画の題名も忘れたけど・・・まあ選ぶ側にも責任があるということを、「お前が言うな!」
とは思いますが、まあそういうことです。しかし、その世界観を作ったのは広報戦略というかゲッペルスではありますが、まあ滅亡する時はもろとも。それこそがマスコミ。
まあ、ほんとうに大変なことです。マスコミもその存在価値を自らに問うて欲しいものです。
参考: [LINK]

「ハルヌールの西」
なんか来年のモンゴルの計画を練っていました。ハルヌールの西にあるさらに幻のハルヌール。右下にあるのがこれまでのハルヌール。かなり大きいのですが、それでも走ると「あれ、まだあるのか?」と思った方も多いのでは?そしてその左手に広がる巨大な砂丘地帯!川が流れてるのが見えますね。その川の源流付近をめがけて湖の左手の黒っぽい大地から南へルートを取ります。これはラクダが水を飲みに行くための轍をトレースしたものです。
グーグルアースで見比べても分かるように、左手にあるハルヌールは近づくことも困難な様相を呈しています。かなり砂丘の奥深くに封じ込められているような感じです。丹念に地形とか風紋とかを見ていると、やはり湖に向かうラクダ道のようなものが見つかりました。「よーし、次はこのルートを開拓してみよう。」と考えるボク。いまだ情熱は衰えることは無いのか?と少し安心したり。
でも昔この辺りにルートを探していて進退窮まって、砂丘の稜線からゴロゴロと転がり落ちたもんです。砂丘にルートを作るというのは面白いんですが、とにかく喉がヒリヒリ、それも前の晩くらいから。ムッホも「なんか緊張して眠れない。」なんて言ってたなあと。
モンゴル2011の情報でした。
きょうの一枚
ハスクバーナを2台買いました。で本日到着。スウェーデン鋼で作られ、ロゴマークも誇らしげなこの2台。もちろんカタログにも掲載されています。こんな優れものが!!グリップは木製、しかもメチャ重!!これはTBIなどでも大活躍しそう!!これからSSERは少し肉よりな生活に変えようかしら。
(おまけ)

2010/09/16 (木曜日)

「お茶」
最近気になってること。「お茶」茶事の事でもあり、事務所に茶室を作る計画は露天風呂計画とセットで深く進行中。でもまあ、本格的なモノではなくて、ナンチャッテ茶室。だいいち足が悪いので床は板張りで、椅子席。
ところで先日のTDRのルート制作中、いきなり曲がり角に「道祖神」の祠があって、小さな看板でそこは製茶業のお宅と見た。車を停めてはいってみるとなにやら怪しい。でも奥からよくしゃべる感じのいいおばあさんが出てきて、200gばかりのお茶を買った。
会社で「お茶を入れよう」としたら急須はないし湯のみが無い!!「割れたんだ」そうで、そういや最近は、日本茶もコーヒーカップで飲んでいたなあ。
さっそくオークションで手に入れよう・・・ということに。はてさて、茶室はともかく道具はどうするんでしょうね。
きょうの一枚
「紺ブレを買おう」
机の引き出しから15年も前に作ったエンブレムが出てきた。まるでタイムカプセルから現れたようなそれは、あの当時のモンゴルのラリーに書けるボクの意気込みが、まあ表現されている。オフィシャルスタッフは全員が、紺のブレザーを全てのセレモニーの機会には着用を義務付けて、こんな手の込んだエンブレムを作った。久しぶりにこの冬は紺ブレを買って、エンブレムをつけようかな。
(おまけ)
2010/09/14 (火曜日)

「TDRの試走と、TeamAPIOの温泉旅館打ち上げ!に行って来ました。」
週末から3日間を利用して、試走アンドTeamAPIOの報告会(恵比寿)そして夜は七沢温泉の宿を借り切っての大打ち上げ会。まあ足の悪い僕は座敷が超苦手で苦労しましたが・・・しかし秋の気配濃厚な東富士演習場・・この中をTDRは走るのであります。いやもちろん自衛隊には丁寧に届けてありますから。ススキと吾亦紅(われもこう)の自生する大平原は、全く驚き!!足もとに山中湖が見え仰ぎ見れば富士山の愁眉なすがた。うう、不覚にも感動してしまいました。
しかも翌晩は七沢温泉の福元館という温泉旅館。実はここは小林多喜二が潜伏していたところ。宿の離れは、今でも80年の時を超えて、当時のまま残されていた。宿のおかみのはなしによると、2000年までつまり10年前まで、そこには誰も近づいてはならないという家訓があったようだ。その離れに続く階段もそういえばこの10年位前に作られたものかもしれない。それが無ければそこに離れ屋があることさえわからない。近年の日本の閉塞感からプロレタリア文学の代表作のひとつ小林多喜二の「蟹工船」は再び売れ始め、昨年は映画化もされた。
数度の逮捕と保釈を繰り返し、最後はこの七沢温泉を出て築地に共産党の活動家と落ち合うために出かけ、特高警察に逮捕され撲殺されることに。その遺体の写真は当時の共産党機関紙「赤旗」に掲載された。
そんな奇しくも同じ日に、民主党の代表選があり菅総理が圧勝した。既に802年時を経て、日本の言論は自由になった。その自由な言論も、最近はどうやらまた怪しい。
さあて、TDRと富士山と小林多喜二の息遣いと、なにかこう感じさせられた時間。
きょうの一枚
七沢温泉福元館の昭和初期の佇まい。多喜二が隠れていた離れは、この右手の山の中だと思う。今は保存に向けて修復中である。2枚目が今修復作業中の多喜二の隠れていた離れ。
(おまけ)

2010/09/10 (金曜日)

「ボクなら」
政府の大型経済対策が今日発表された。ボクなら(って、オマエはナニモノなのか?)せめて代表選が終わってから発表する。そうじゃなきゃ、男の子としてはいかがかとは思う。以下アサヒコムから
政府は10日、急激な円高などによる景気後退を防ぐため、追加経済対策を閣議決定した。約9200億円を投じて、既卒者の就職支援や家電エコポイント制度の延長などを実施。事業規模は約9.8兆円に上り、約20万人の雇用創出や実質国内総生産(GDP)を約0.3%分押し上げる効果を見込んでいる。 対策では、最近の急激な円高について「看過できない問題だ」として、「必要な時には為替介入を含め断固たる措置をとる」と断言。日本銀行に対しても「さらなる必要な政策対応をとることを期待する」として、追加金融緩和などの対応を促した。
政府の対策は「3段構え」で打ち出される。まず2010年度予算の「経済危機対応・地域活性化予備費」の残額9182億円を活用した緊急対策を実施。続いて今後の景気動向次第で新たに補正予算の編成に踏み切る方針だ。法人税減税や雇用促進税制など、来年度に向けた政策の実現は第3段階に位置づけている。 第1段階の緊急対策では、卒業後3年以内の既卒者を正社員として雇った企業に1人当たり100万円の奨励金を支給する制度などを創設。年内に打ち切る予定だった省エネ家電向けのエコポイント制度も、対象商品を絞って来年3月末まで3カ月間延長するほか、住宅版エコポイント制度や住宅ローンの金利優遇策の期限も来年末まで1年間延ばす。
雇用雇用雇用・・・って3年以内の既卒者を雇用すれば一人当たり100万円を補助するて、あなた。まあそれはそれでもいいけど、やっぱり卑怯な感じがするのはボクだけかしらね。
ここまで放置しておいてこのタイミングはいかがか。
「裁判のニュースが多いですね。」
厚労省元局長村木厚子さんに、無罪判決が出ました。長く逮捕拘留されて大変な目に遭いました。村木さんは高知市出身。高知大学から中央省庁へ。生れは1955年・・・つまりボクと同級生。小学校が一緒だったかも。さてさて、この歳で長い勾留生活は厳しかったことでしょう。保釈請求もなかなか受理されずに確か半年くらい勾留されていたように記憶しています。
ここからが本題。今回はどうも検察の問題をクローズアップさせました。ボクが思う検察とは「正義」です。国民の正義を代表するものだと思っています。だから強大な公権力の行使をすることが出来るのです。ですが、その態度は「検察の面子が」とか「われわれは特捜だから」とかっていう表現は、おかしいと思いますね。まあ大方はマスコミが書くのでしょうが。
もう20年近くも前でしょうか、「巨悪を眠らせるな」とかという検事総長の言葉に、国民は狂喜したことを覚えています。「ああ、日本には正義を貫く機関がある。」と。なるほど、そのあとなにかで「悪いやつほど、良く眠る。」なんてコピーを見ました。
さて検察のおはなし。いうまでもなく日本は法治国家です。法律によって公権力の行使が保障されています。それなくして権力を使えば暴力だし、犯罪行為です。しかし、その保障している法律が解釈を巡って曖昧なら、どうでしょう?日本語もおかしい?のでは話にならないと思いませんか。旅行業法などは全くこれで、どんなふうにでも解釈できるというものです。そして逮捕権、勾留延長の理由の数々。こちらの方が正義を逸脱しています。法的には保障されていてもです。つまり正義なんて検察の面子の前には、ゆがみもするということです。これが違法にならないのも検察の特権です。
すると、「さて法律とはなんぞ。」と人は考えます。法律がモノゴトの善悪を決めているのではないのではありません。まず自然に物事の道徳的な善悪の判断基準があって、法律がそれに沿って作られているとボクはそう思います。
誤解を恐れずに言うと法律とは「人に迷惑をかけない。」ただそれのみだと思っていたわけです。そしてそもそもの道徳観の違いから国によって全く違う法律となります。
不倫を働いたので顔だけ出して埋められて、みんなから石をぶつけられるなんて刑罰は、日本では考えられないでしょう。でも日本も似たりよったりでもありました。「市中引き回しの上、獄門。」とかって、良く聞きますが、考えると大岡越前とか金さんとか司法手続き的にはいかがかと思います。ここらが指示されるあたりに日本の司法制度が歪んでるようにも思えるんです。
話がそれました。つまりボクが思うのは法律に抵触するか否か、ということと同じかそれ以上に、その行為が公序良俗に反しているか、人の道として正しいか正しくないかという判断をすることです。
例えば「このことは、人の道に外れていない。公序良俗に反していない。むしろ社会に貢献することだ。」と考えていることで「違法だ、刑事罰だ。」と言われたら、それは驚きますし自分の常識を覆された気分になります。闘わなければ男の子じゃない・・・と言うのがボクの心境です。
小沢さんの発言の中で「法律どおりにしているから何が問題ですか?」というのがありますね。実はこうした観点からはおかしいと感じます。道義的にその行為が許されるか否かが法律的に許されるか否かの前になければならないと思います。まあ政治家ですから法律違反してても道義的にダメなら、それは選挙民が判断するということでしょうけど。
法律は、なぜあるのか。何のためにあるのか。そしてそれを行使するということはどういうことなのか?そんなことをしっかり考えていかないといけませんね。
(おまけ)
2010/09/09 (木曜日)

「TDRの試走の写真が素晴らしい。」
このたびの関東甲信の大雨被害のお見舞いを申し上げます。それにしても年々凶暴化する豪雨、みなさまには被害はございませんでしたでしょうか。そしてこの週末には、その周辺にお邪魔します。TDRの試走のパート2です。先に試走を終えたスギチャンから、たくさんの写真をUPしますが、いやはや素晴らしいのなんの。
それにしてもTDRというイベント、良く考えたものだな。と感心する反面、その楽しさをどのように伝え、多くの方にご参加いただいてなんとか将来に繋げて行こうとか、悩むことも少なくありません。
でもまあ今日は、そんな写真を眺めながら「のんびり遊ぶ」ことを計画してみてください。
そして「関東は遠い!」皆さまには、お待たせしました「九州4デイズ・ツーリング」がスタンバイです。少しワイルドな火の国九州で、ワイルドな露天風呂・・・あっ別府には行きませんが・・がウリのルート設定。この試走もまもなくなので、参加される皆さんにはお楽しみに。
(おまけ)

2010/09/08 (水曜日)

「さすがは、桐島ローランドさん!!楽しい映像を見てください!」

今年のモンゴルには、そうそう桐島ローランドさんがチームAPIOからジムニーでエントリーしてたのはご存知ですね。参加者だから忙しいのに、たっぷりの写真と映像を残していただいています。そしてYOU TUBEにアップしてるのがこの映像。いやあ、やっぱ面白いです。「FUTUREもプレスしないでもいいんじゃない?」という話題になるくらい。そして、この2人の楽しいこと。ラリーを楽しんじゃっています。
もうすぐチームAPIOの報告会と打ち上げが、東京であります。TDRのルート制作を兼ねて上京します!!
さらに今日の河野社長!!のブログには、55mph・・・ヤマハの広報誌。ああ、こんな良き時代があったんですねえ。のなかでボクの記事。いったい何時のものかというと1988年!!ですから、22年前。ボクは33歳!?TBIはこの次の年にスタートしますからね。それに当時のボクのデスク。本棚が散らかってる!!良くこんな状況で写真撮らしたな?とイマノボクには理解不能。でも本文には「とてつもなくおしゃれなオフィスを構える・・・」[LINK]
そうなんです。この時代はどこのオフィスも同じくらい、手が入っていない。このあとには、他社のオフィスのデザインも良く手がけました。それにしてもデスクにパソコンが無いのが新鮮!!
ところで、パリダカの写真じゃ、ボクタチはセーターを着てる!!「パリダカでセーター着てる奴はいないよなあ。」つまり砂の世界にニットは、合わないのですね。そこがミソ、何の問題もありゃあしません。
クルマの右に立ってるのは松井勉さん。デサントのウエアがカッチョ良かった。ボクのサングラスは、ガリビエールのクライミング用を改造したもの。セーターはDUNLOP製。パンツはマリテ・フランソワ・ジルボーまあBALLってブランドですね。履いてるシューズが不明なのが残念。
ところでオフィスで着ているオレンジ色のポロシャツはシープスエードのもので、実は今も時々着てるもの。ということはあれも20年のときを越えて愛用してるんだなあ。
写真右のジャケットはアルファのMA1じゃなくて正しくは襟があるので、CWU45/Pノーメックス(デュポン社製の)難燃素材はレーシングスーツもこの時代から、この素材に移行し始める。今ではホンモノは入手しにくいマニア垂涎のもの。ちなみに今までのオリーブグリーンからやや薄いセージグリーンに変わって・・・ってボクはいったいなんの説明をしてるんでしょうか?
まあでもフライトジャケットはラリーのパイロットにはもってこいです。狭いコックピットは共通だし、シートベルトに干渉しないサイドのフラップつきのポケット、とか何よりも良く考えられてる。
んで、今でもボロボロになったそれを、うちのデザイナーのイトー君が愛用してくれてる。彼の入社は翌年だから、それでも彼は22年も着てるのか。冬になったら彼が着てきたところの写真を撮ってUPすることをお約束します。
(おまけ)

2010/09/07 (火曜日)

「円高、なにが悪い。」
なんて書くと叱られることは必至ですが、どーしてもボクは言いたい。「ホントは、ボクは円高が大好きだー!!」ってね。
それは、こんなところに端を発するのであります。それは、忘れもしない、1995年。ラリーレイドモンゴルの第一回大会。日本は阪神淡路大震災のあと。いったい日本経済はどうなるのか?しかし、そんな社会の混乱はどこ吹く風。円はうなぎ登り!!1ドル80円!!という未曾有の高値をつけてラリー開催の追い風となりました。
ところが好事魔多し、翌年は急落!国内では「円安歓迎!」だとか?ボクタチは悲鳴!!「キャーーッ」だって1ドルが128円。
例えばドル建て決済資金100万ドル(スゴーイ!)を用意するのに95年は8000万円、96年は1億2800万円・・その差額は4800万円!!ボクのこの15年間はまさに為替に翻弄され続けていくのでありました。
一般常識を問うまでも無く、日本は資源のない国。多くの資源は輸入に頼らなければなりません。そうボクは習いましたし、皆さんもそうじゃないですか?となれば円は高くなければならないと思うのです。
2000年代になって、日本の企業の国際化はさらに加速し輸出依存率は確か15%を切りそのうちでドル建て輸出は全輸出量の48%。円建て輸入量は全輸入の70%超。つまり円高効果のほうが高いのではないかと単純に思えるのです。まあもっと真剣に見ないといけないので、今度ヒマな時にしっかり勉強しようと思っています。
でも、さらに続けます。輸入は日本の生命線です。輸出が生命線!というのはミスリードでしょう。
何から何までの原料、つまり石油から発電用の石炭や鋼材まで、全て輸入に頼っています。中国に買い負けしてる今こそ円高を背景に資源投資や、鉱山などを買い取ることも考えられないのでしょうか。
おまけに言えば次世代の産業素材アルミもレアメタルもレアアースもリチウムも全ては(かなり多くを中国から)買ってきてるのです。どうしてこの円高で、輸出産業が困ったことばかりが喧伝されてしまうんですか。
もちろんタイムラグはあるでしょうがガソリン代は100円を切らなければならないし、円高差益は輸出産業にとってもメリットが無いとは言い切れません。そして自動車産業も、こうした事態を避けたり関税差損やガスマイレージを下げるために海外に生産拠点を移してたはず。そしてここのところの政府の補助金は、円高差損規模の数倍はあったでしょう。
テレビでは、クルマの販売会社のおじさんが「今月の売上は昨年対比200%です!」と言ってる。その姿を見ると、背筋に寒いものを感じます。さらに補助金が終わるのでお早めに!というTVCMも、同じく!日本のバランス感覚の欠如を感じさせられます。
補助金貰ってCM・・・また10月以降は、解雇の嵐がやってくるのでしょうか?「一に解雇、二に解雇、三に解雇」と総理大臣が言っているように聞こえるのですが「えっ、あれは一に雇用、二に雇用、三四が無くて五に雇用。」それは間違いです。
話が逸れました。考えるに「円高は、ほんとうに悪いのか」の論議がされていないのに!政府の介入を声高に後押しするような世論はもちろんマスコミのリードによるものです。
それよりも石油などの値下げ圧力をかけるべきです。まあかけなくても良いですが。
内需を見れば円高容認ではなくて、円高推進!こんな論調あるべしです。そして、未曾有の円高を利用した海外戦略を策定するという圧力をマスコミはかけません。先にも書きましたが資源開発やレアアース・レアメタル、リチウムペグマタイトの開発投資や買付に奔走すべきです。中国のように。
先週には岡田外務大臣がモンゴルに行きました。「日本企業の進出を促進する。」と発言したようですが、もう時すでに遅しです。
アングロサクソン系と中国、韓国の資本でもうモンゴルはギュウギュウ。この遅きに失したビジネス感覚はただ事ではありません。しかもレアアースの開発を提言してます。
新しい時代の新しい仕組み。もっと人々が明るく健康的に暮らせる国に。それには円高が一番タノンマスヨ。
大変末尾ながら、たくさんいるボクの自動車関連企業の友人の皆さまには、慎んでお詫び申し上げます。ゴメンナサイ。
(おまけ)
2010/09/06 (月曜日)

「素晴らしい大会でした、2DAYS」
美川スキー場のゲレンデは、背丈ほどもあるススキの原の中を走ります。第1ステージでは夕陽の中、後半のスロープの右手の草原にあった、もみの木や赤松の大木が見事でボクもしばし見とれていました。ゲレンデを難所としては設えずに、雄大な四国山脈を眺めていただけたのかな?と思っています。そして今後もこのスキー場をどのように活用していくかもSSERに課されたテーマともなりました。皆さんも何かアイデアがあればお寄せ下さい。
優勝は森田昌和さん。いつもの通り、安定した走行ぶりであまり早そうに見えない!のですが、タイムを見たら、いつもよりまだ乗れてるくらい。つまり、あまり早そうに見えない人が早い!そういえば、モンゴルでのジョナ・ストリートもそんな感じ。森田さんもモンゴルへ行かないかなあ?そんなお話をスタート前にもしたことを告白しておきます。
今回は過去最少人数となった大会でしたが、その分なんとも充実した感じになりました。それぞれのSSも快適!とにかくこの辺りは涼しくて、それも手伝ってボクは死んだように寝てました。あっ、寝てたらいかんね。
また来年もこのフォーマット+アルファで、元気良く開催します。ぜひお見逃しなく。この模様はFUTURE10月20日号で、RallyMongola2010と2本立てでご報告いたします。
「小沢さん人気!」
うちの事務所では菅さんより、小沢さんのほうが人気があるようです。これはどーも検察との戦いの構図に、ボクを通じて親近感があるからかな?なんて考えてみたりもします。確かに、小沢=悪い、というイメージを形成したのはやはりマスコミの力。
でも小沢さんも「検察審査会なんてシロウト」なんて発言は良くありません。とはいってみたもののほかのNEWSでは、裁判員の制度を「学校でよく勉強して司法試験に合格して、そのまま司法官になった人たちは、社会通念とずれているので、市民感情を大切にするという意味で裁判員制度を・・・」なんて言ってました。ソンナバカナ話があるものでしょうか?
そんな理由で裁判員や検察審査会があるとは思えませんが、合成麻薬を使った俳優の初公判の裁判員の登用の方法など見てたら、「こりゃ、迷惑な話だな。」と思わずにはいられません。
付け加えるならば、社会通念、市民感覚・・・そういうものを司法官が持ち合わせていないという考えは、どこから出てくるのでしょうか?それならば官僚も公務員も学校の先生も、同じようにしなければなりません。もちろん医療の現場にも。市民から無作為の抽選で大臣官房には官僚員制度、医師の医療方針の決定の際には医療員制度、学校の問題解決には学校員制度。もう日本国民のほとんどが、そうした行政参加をしなければいけなくなります。
つまり勉強の出来る人は社会感覚が分からない・・・ということを奇しくもこうした制度が説明しているのですね。
すいませんタイトルの「小沢さんに人気」と随分隔たってしまいましたが。クロウト受けする小沢さんと、メディアリテラシー感覚のない人に受ける菅さん。いずれにしても、実力ではなく選ばれる方法は、イメージであるというところが残念としか言いようがありません。それにしてももっと選択肢はなかったのでしょうか。
(おまけ)
2010/09/02 (木曜日)

「テレビは民主党一色」
おそらく今回の代表選の激突は、民主党のメディア戦略として高い評価が出来ますね。清々と討論し競い合う姿は、まあどちらが選ばれるにしても国民は、「民主党で納得」という参議院選でNOと言われた民主党のイメージを、メディアの露出量で払拭してるかも。菅さんと小沢さんが互いを批判するのも、党内にまるで自由にものが言える風土があるかのようなイメージを生成してしまいます。まあ街頭インタビューで話す国民の言葉も、マスコミが発した言葉そのもの。まるで直接選挙で選ばれるようなイメージさえ生れてます。
そんなことより明日からはSSER2DAYS!涼しい久万高原町で、遊びましょう
(おまけ)
2010/09/01 (水曜日)

「露天風呂を作ろうかな。」
2010年もいよいよ9月。
秋ともなれば、裏の森の風情もひときわだ。
事務所のデッキに2階を作って、1Fよりも広いデッキが作れるかも・・・
なんて考えながら、図面を書く前のスケッチをしている。
2Fのデッキへのアプローチは、まるでツリーハウスへの階段のような、トム・ソーヤみたいなやつ。でもどこか侘びもなきゃいかん。
というのもそこには、茶室と露天風呂を作る予定。
そんな話を赤松(カメラマン)と撮影の残り(と思われる)良く冷えたシャンパンを飲んで話した。
「それはいかん、茶室が脱衣場になってしまう。」
なるほど、それはいかん。とまた構想を書き直す事に。
それにしても利休の造った茶室や、遠州の作った庭などを訪ねてみた(Webでだけど・・)
いや、日本人に生れてきて良かったと思う。特に「秋」はね。
さて、ボクの露天風呂計画はどうなるのかオタノシミニ。
それにしても、2Fのデッキなら鎮守の森の樫の木の(のが多い!)枝も手が届くことだろうね。涼しくなったらまた薪を集めなきゃいかんて。
さて、7月に勃発した騒動も、いよいよこれからが佳境。人権なんて、言うだけ。司法もマスコミも、やっつけ仕事。まあ悪意などはないのだけが救い。適当に片付けてって、やってるだけど心がない。これはこの歳になるまで気がつかなかったボクの青さ。人はどんなことにも、仕事となれば真剣にやるものだ、と考えてた。
そんなボクもささやかな抵抗だけど、人権には「抵抗権」というものが定められている。「自然法」という概念もある。毎日毎日法律の勉強をしてると、これが実に面白い「司法試験でも受けようか」なんてことは考えては無いけど。
まあこれからの人生、人は自分の信念で、正しいと思ったことをするのが良かろうと思う。
しかしまあ、孔子にしても
子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
つまり70歳までは、自分の思うことをやると時々は矩を越えてしまうということ。「矩を踰える」とは、まあ「人の道をはずすことがない」と訳すべきか。ボクは五十にして天命を知ったつもりでいたのだけど。
きょうの一枚
今日もAPIO[LINK]から拝借!TDRの秋バージョンは、なにかこうまたぞろ、「知らなかった日本」に会える様な気がして、とても期待は大きいです。ホテル泊も選べるので、キャンプ苦手!!な皆さんにも喜んでいただけるはず。ホテルは予約はしますけど精算は各自でチェックアウト時にね。
(おまけ)
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Organisation Voice 2010/08

2010/08/31 (火曜日)

「TDR2010*関東版も面白そうです。」
TDRの関東版の試走にお付き合いいただいてるAPIOの河野社長のブログブログ[LINK]今日の一枚も、そこから頂いてきました。富士山周辺の秋を楽しむというコンセプト!前回の大阪から出雲という思いがけないルートも面白かったのですが、さてさて今回はどのような謎賭けがされているのか楽しみです!!
さて、10月TDRそして11月は「九州4デイズ」のプレイベントが始動中!です。まあ久しぶりに九州で温泉、キャンプ&ツーリングをしようという計画!あわててADV.の車検の準備!ボクは知覧まで行きます。まだ知らない南九州はTDN以来だなあ。
さて来年の告知!!モンゴルはさらに拡大開催。どーしても行きたくてまだ足が踏み込めれてないもうひとつのハルヌール。あのデューンの向こうにもうひとつ大きなハルヌールがあって、そこは砂に覆われたところだけどルートが見当たらないんです。グーグルアースを目を凝らしてみても、その湖に至るのは大変そう。来年は篠塚さんも「試走に行きたい!」なんていってるので、探検隊を構成して、デューンの奥にある謎の湖まで足を伸ばせるかしら。
さらに来年の10月の予定だけど、こんなタイトルでイベントを企画中!!「グレートウォールとシルクロード・タクラマカン冒険行・・大中国」西安をスタートして北上。延安から銀川、酒泉など万里の長城の西域を行きたい。そして嘉峪関。ここまでがプロローグ。そして敦煌を舞台(つまり敦煌スタートゴールにしたループ)タリム盆地からタクラマカンを1周。沙漠公路縦断、ロプノールに水を供給していたはずのタリム川、トルファンあたりの探検。バイクとクルマで行こうと計画しています。復活SSERにしか出来ないシルクロードの探検行・・もちろん変な指摘はされないような万全の対策済みです。
さあ、そうこうしてるうちにSSER2DAYS・・・何かとバタバタして準備不足でした。それはいかんと、いま猛スピードで本番までの準備作業中!!オタノシミニね。
(おまけ)

2010/08/30 (月曜日)

「エコカーはエコか?レアアース問題などから」
1年前ボクは独立運動のさなかの新疆ウイグルそして問題のチベット自治区に向かった。目的はチョモランマBCへの旅だったけど、許可を取ることの困難さに挑戦していた。いくつもの国境のような検問所が行く手を阻んだ。その頃の話題は希少金属や希土類のウイグルやチベットでの産出量。この二つの自治区の独立をかたくなに認めずに弾圧を繰り返す大きな理由のひとつがそれだ。
チベットの旅にモーターハングライダーを持っていって空撮をしよう!と提案した時には中国側のパートナーが慌てた。その慌てぶりはただ事ではなかったから、ボクは驚いたくらいだ。そういえばNHKの新シルクロードの空撮もかなり制限を受けていたようだった。
走ってみると思いがけない道を、土を満載した大型のダンプが現れる。「なにしてるんだ?」と、土木工事用の土ではないことなど一目瞭然。こんな地の果ての標高も5000mになんなんとする大地にアスファルトが敷かれ軍隊が駐留している。長距離の輸送用に、食事や宿泊と燃料を供給するささやかな宿が、数百キロおきに置かれている。まあおかげでボクたちも、あやかることが出来たのだが。聞くとレアアースはウイグルよりもチベットだそう。そして世界の需要の90%を産出してその50%は日本に輸出していた。
「ああ、それなら間違いなく時間の問題で禁輸にするだろうなあ。日本の国際政治力で、それを取り戻すことは不可能だろうなあ。」漠然とそう思った1年前。
今回、岡田外相がこの件で訪中。温家宝に「輸出削減の撤回」を求めたが答えはブシェ「不了」誰が考えてもそうでしょう。ボクがそうであっても答えは同じ。このレアアースは、21世紀の産業資源というか戦略物質。中国の工業情報化部は、テルビウム、ジスプロシウム、イットリウム、ツリウム、ルテチウムの輸出の完全禁止を検討しているという。また、他のレアアースについても国外販売を制限する可能性があるという。
20世紀、石油の輸入にさまざまな苦労をして来た日本だけど、どうしてこうも時代の求める資源は偏在しているのかしら。電気自動車もハイブリッドも、このレアアースなくしては作れないのです。いや作れなくはないでしょうが・・中国製に勝てなくなる。そしておそらく次はリチウムを巡る争いが勃発します。エコというのは、どうやらエコロジーではなく、エコノミーでありエゴイズムであり、遠くチベットや新疆の山を削ってはるばる日本に運んで来るマイレージも大変なもの。
それに中国に生殺与奪権を握られてる産業なんて、絶対に頭打ちになるって。早く海水からさまざまな希少金属やリチウムを精製できるシステムを構築すべし。瀬戸内は古くから塩田で栄えたところだから。とボクは小さな声で叫び続けているのです。
きょうの一枚
香川県宇多津町に復元された塩田。ウイキペディアから
海水を塩田に取り込む方法として、潮の干満を利用する。これにより揚浜式で必要だった海水を散布する必要が無くなり大幅な労力の省略ができるようになった。江戸時代前期頃に開発されたと考えられている。いち早くこの方式を導入した瀬戸内海沿岸地域(長門・周防・安芸・備後・備中・備前・播磨・阿波・讃岐・伊予)で生産された塩は品質が高く、「十州塩」と称されて、上方から江戸を含めた全国各地の市場を席巻した。
1塩戸の大きさはふつう2町歩内外で、塩戸ごとに1個の「釜屋」という鹹水煎熬場が付属した。塩田地盤構造は2種に分けられ、一は天然地盤で、築造は海岸砂地を平坦にしたのみで、地盤は1層である。他は人工地盤で、ふつう3層から成り、上層は最細粒の砂層から成り、撒砂は上層に行われ、中層はこれにつぎ、下層は粗粒砂で多くは天然地盤である。砂は地元の海底に沈降した粘土分の少ない最も細粒の砂を採取して使用し、黒色のものが蒸発をさかんにするといわれた。この方法を採る者は専業者が多く、おのずから改良が多く行われ、たとえば鹹水の煮詰めは一部で開放式平釜から大規模な機械製塩法に改められるなどのことがあった。
(おまけ)

2010/08/27 (金曜日)

「九州4デイズについて」
九州4デイズはこの秋に記念すべき大一回大会を開催おする準備をしておりましたが、春から猛威を奮った口蹄疫で、宮崎県を中心に深刻な被害と行政機関の混乱が見られました。SSERとしてはこれを看過出来ず、九州各地のスタッフとも相談し終息宣言よりも早く本大会の開催の1年間の延期を発表しておりました。
そこで「九州4デイズ温泉BBQツ-リング&ルートプレゼンテーション」という長ーい名前のツーリングイベントを計画していますぅ。スタートは3箇所。大阪、広島、福岡。ツーリングでもルートブックはもち制作しますから、集まってBBQして、翌日と2日間走って解散。とかとにかくこれまでに無かった面白い形で、開催予定。トークショウ?では、ボクの例の事件の解説をしたいと思っています。
*例の事件
これはモンゴル帰国後に、丁寧に説明するという予告でしたし、ボクも早く皆さんに説明したいのではありますが・・現在のところ略式命令という罰金(納付はしましたが)を不服として正式裁判の申し立てをしております。従って、いわゆる係争中であり、したがいまして軽々に書くことが今のところ憚られております。よって、しばらくお待ち下さい。
もちろん逮捕・拘留は極めて不当なものであり、われわれの行為は全く違法性の無いものという見解であり主張は変りません。
では良い週末を。
そしてSSER2DAYS・・・来週末ですから皆さんヨロシク。
きょうの一枚
事務所の横の稲はご覧のように黄金色。赤とんぼを撮ろうと思ったけど、彼らは常にホバリングしてて、なかなか上手く撮れませんでした。
(おまけ)

2010/08/26 (木曜日)

「暑さのせいなのか?」
昨日のOVに、秋の予感を書いたら・・今日なんて秋!!赤とんぼは見てない、なんてウソ。事務所の周りは、さっき見たら赤とんぼだらけ。
そして今日はボクの席のエアコンは点いていません。開け放たれた窓からは心地良い風が。
秋ですよ、完全に。モンゴルから帰ってまだ1週間も経っていませんので、ボクはてっきり最近は地軸でも狂ったのかしら・・と思ってたす。でも確実に地球は傾いたままで、北半球の方がちょビットだけ太陽に近いのです。それにしてもはるか彼方の太陽・・・確か1億5千万キロ、光でさえ8分30秒もかかる距離のに・・・うちのダルマストーブなんて3mも離れたら熱は感じないってのに。じゃあところで太陽の表面温度は何度なのか?と調べると5800K・・・いつの間にか℃なんて使われてなくて色温度を表すK=ケルビンが国際単位になってた。これも調べるとこんな記述が
「ケルビンは国際単位系の単位であり、単位記号は大文字の「K」で書き出すのが正しい。「度」や「°」を付けることは無い。「度」は測定の尺度であり、「ケルビン」は測定の単位であることを表している。ただし、1967年の第13回国際度量衡総会まではケルビン度(°K) が使用されていた。」
ということはずっと昔から、ケルビンだったわけで、ボクはいったい幾つの時のまま?で、換算指数はと?いうと。
C = K -273.15
K = C + 273.15
まあ5800-273.5=太陽の表面温度のセ氏表示ということか?
その5800度くらいの温度が1億5千万キロを旅してきて、地球に届く時までに減衰されるわけで、もっと低くなっても良い様な気がするけど、まあこんなものでしょうかね?この微妙なバランスに地球は多用な生命を維持してるわけだしね。
話は変ります。
昨晩の話し。9時のNHKNEWSを点けたら、冒頭から韓国の女性グループと日本人の女性フアンが殺到する姿。NHKも気が狂ったのか?と思わず考えるボク。円高や政府の介入はあるのか無いのか?野田財務相はなんと言ったのか?民主党代表選の行方や、老人の行方不明問題や、あまたある国難とも呼べる今日のニュースの冒頭・・それは間違ってるんじゃないかと、かなり怪しい考えを平気なボクでさえ、深い危惧と驚きに後ずさったものです。何とか9時のニュースに間に合うように帰宅した世のお父様方の驚きと嘆きも、心より拝察申し上げます。
これもやはり暑い夏のなせる業で、噴飯な出来事ではありますが、許してやってはいただけませんか。中島様。

(おまけ)
2010/08/25 (水曜日)

「炎暑も、もう終わり」
赤とんぼの姿はまだ見ないんですが、SSERオフィス周辺の稲も随分と黄金色になってきました。デッキに覆いかぶさる櫨の木(まだ誰もかぶれていない)の葉も少し色づいているし。
ボクの大好きなサルスベリの白い花、赤い花も、もうそろそろ終わりかけ。もりもりと高い枝を広げた夾竹桃の花も盛りをすぎた。
この二つの花が、南の島のブーゲンビリアとハイビスカスなのだろうなあ、といつも思うのはボクだけかしら。
さあて、そうしてるうちに、いよいよ静かで、静謐な秋の気配がボクタチのような田舎暮らしには、皆さんよりも一足先に訪れるのです。なんたって、日本人は「秋」を愛する国民です。
成長に成長を重ねた経済も、秋を迎えて成熟というか豊かな果実を結び、その代わりそのあとにある過酷な季節を予感させる。もう日本の経済も社会も秋もすぎて、長い厳冬期にさ中にあるわけですが・・・
事務所脇に、尾花が盛りになっていました。秋の七草のひとつススキの仲間。そうそう秋の七草といえば最近は絶滅も危惧される桔梗。
明智光秀の家紋です。ここのところ「信長の棺」「秀吉の枷」「明智左馬介の恋」という本能寺3部作を読んで、面白いなあと思いながら、光秀の書簡の署名の下に「良い知らせがあるときは桔梗の絵が書いてある・・ということを知りました。桔梗を吉兆にかけたのだそうです。
きょうの一枚は二枚
桔梗、そして事務所に咲く尾花。この時期にしかこの草の存在が分からない。そうそう秋の七草の覚え方は「おすきなふくは」おみなえし、すすき、ききょう、なでしこ、ふじばかま、くず、はぎ。
どうですか、少しは涼しくなりましたか?9月4日の美川スキー場では、秋の七草が採れるでしょう。
(おまけ)

2010/08/24 (火曜日)

今日のOVは2話です。
まず「SSER2DAYSのこと。」
このところ涼しさに慣れた体には厳しいSSER 2DAYS!今朝もそして昨日も朝から2DAYSの打ち合わせ。まず「MTBの中止のお知らせ。」これはマウンテンバイクのエンデューロとプロテクターの関係に起因します。どうしても多くのマウンテンバイクの参加予定者が「プロテクターを着けては走れない」とか「SSERはバイク(自転車のことね)が分かっていない。」というお叱りにも似たご意見を賜り、やむなく中止に至りました。聞くところではここのところの自転車競技会での大きな事故が多く?80km/hで集団で落車して・・まあこれはロードの世界ですが・・・裸同然で走ってるので・・とかとボクには想像の埒外の話し。
これまで、いくつかの事故現場と負傷者の手当てや搬送、そしてそのあとの彼らの通常の生活に戻るまでの闘いを垣間見てきた身には、「そうですか。それではプロテクターナシでやりましょうか?!」とは口が裂けてもいえないのでありました。
いつもと変らぬ月曜日のために・・・こうしたことで困難な負傷をしないようにお互いに気を配りましょうね。
そして「今年こそはゲレンデスーパーSS」どうしてもSS1に設定してしまうと、そのあとの展開に大きく支障を及ぼすスーパーSSは、今年は1ステの最後・・つまりSS7と2ステのラストSS8で、渋く用意しておきます。えーえー、照明もなしで漆黒の闇の中のススキの茂みを走って、時折天空の月に嘆息する・・という趣向?
でも月齢を見るとイスラムの月のような、か細い三日月。中秋の名月にはまだ間がありました。
明日が締め切りです。朝のステージは無いので2ステのゴール後は、たっぷりと飲んで?涼しい1000mの高原で快眠!それと「例の事件のお話」なんかもお聞かせしますよって。
あとねレギュレーションがコンプライアンスの強化によって、厳しくなった!というお話がありますが、ご安心下さい。これまでと何も変わってはいませんよ。リフレクターに不安のある方は、赤い反射テープを持ってきててください。

本日のOVの第2部
「コンプライアンスと企業リスク」
ボクはこうしたテーマを良く考えます。というか、ライフワークかもです。企業リスクというより、さまざまにリスクマネジメントをするのがラリーなどを主催するボクの要諦のようなところです。そんなボクにも、思いがけないことがおきます。
まあそれはおいておいて、
人間の経済行動は「利潤動機」に支えられているそうです。経済行動・・・しかしその利潤とは何かというと、「利をもって潤う」ということですからなにやら、潤う・・・という日本語が、妙に妖しい気分で迫ってきます。
ウイキペディアによると「利潤とは主に資本が生産過程や流通過程などの経済活動を通じ、取引後で得られた所得である。」としています。
利潤を追求する、のは企業に課された責務でもあります。しかし逆説的ではありますが、それは同時に大きなリスクを抱えます。
この日曜日に放送のあった「龍馬伝」では、亀山社中の経理担当役の近藤長次郎(元饅頭屋)と、ほかのメンバーとの間でこの利潤に対する考え方の違いで対立が生まれます。まあその対立は、悲劇で幕を閉じますが、若手の企業グループにも類似した事件が良く起きます。
つまり、「なにをするにしても金が必要ながじゃ」と、売買で利益を上げてそれを給与などの経費をまかないたい、という当然の主張をするもと商家あがりの長次郎と、天下国家を語り私利についたのでは、「そんなことのためにやってたのか」と言われかねない。と主張する「武士というのは、食わねど高楊枝であるべき」とする男たち。
長次郎は、どこか彼らを覚めた目で見て、彼らは長次郎をやはり侮蔑します。ことほどさように「金と利潤」というものは、いまだに不可解でややこしい存在です。ちょっと儲けたら妬まれ、莫大に儲けたら尊敬される。そんな人らがボクは可愛そうでなりません。
「儲けたらいかん」「儲けなければいかん」どちらが正しいのでしょうか。
法律でも、税法でも、われわれを縛る多くの諸法もこの問題に関して明確な答えを出していません。
昔ラリーの許可をとるときのある行政官との話。
「公道を使って商売をするとはけしからん」
「いえ、商売はしとらんです。」
「じゃあ、なぜ参加費を取るのか」
「必要最低限の費用をまかなうためです。」
「費用をまかなうとはつまり商売ではないか」
「つまり公道を走るのを商売とするバスやトラック、タクシーらはいかん。ということでしょうか。」
「いや、ラリーは遊びですけん。」
「なに?遊びで道路を使用するのか?道路は遊ぶところじゃないぞ。」
「・・・・・」
「・・・・・」沈黙3分
「どーせい、ちゅうんじゃおらー!」
となったボクが悪いのでしょうか。まあ25年も前の話ですけん。
「遊び」と「ビジネス」この二つもまた「儲ける」「儲けない」論争の相似形であります。どちらかが正しくて、どちらかが正しくない、ということはありません。
正しいことは、見方を変ずれば、正しいことではないという不条理は、企業の利潤追求にある「儲けることと、顧客の利益」が相反するか否かという永遠の課題に取り組まなければならなくなるのでした。
とりあえずそれに折り合いをつける仕事が、マーケティングなのでありますな。
(おまけ)
2010/08/23 (月曜日)

モンゴルより帰って、今日から通常出勤ですが、モードはモンゴルのまま。とにかく日本の暑さには体が慣れません。それにしても今年のモンゴルの涼しかったことったら。
日本とウランバートル、距離にしてもわずかばかり・・・飛行機で4時間ほどですから・・・そんなに遠い国でもないでしょうが、何もかもが違います。国民性!といってしまうのは簡単でしょう。大陸の民と島の民、その差たるや歴然です。
古くには、清朝のラストエンペラーを担いで、満州国を築いた?あの勢いのある日本人は(もちろん、良くも悪くもですが・・)どこにも居なくなりました。発展途上の国々に展開していた日本の商社マンたちも影を潜め、僅かばかりのおじさんたちが残って細いパイプを嘆いたり?時には拉致されたり?そんな国際情勢。若い商社マンは、そんなところの赴任が決まると、辞めてしまう?なんて話も聞かれました。海外旅行も行かなくなったのだそう。
モンゴルは国土こそ日本の4倍強と広いのですが、人口は極めて少なく経済的に発展をしてるといっても、マクロで見ればささやかな限りです。しかし眠れる地下資源をねらって大国は簒奪にやって来るのは、昔からの決まりです。
地下資源頼りのこの国にも、荒波は繰り返し押し寄せて来ています。
サミュエル・ハンチントンが「第三の波」を書いて20年が経ちました。民主化も経済も既に20世紀にひとつの終演を迎えたのでしょう。その代表格「日本」は、政治も経済も、先進8カ国に居るのが悲しいほどです。頑張らなければ・・・それにしても規制ばかりが多くて・・・閉塞間の上にモルタルを塗っているのが日本の諸法のように感じます。いやそれでも頑張らなければ・・そう見渡す周辺は荒涼たる風景が広がっています。
消費動向も悲しいニュースが目白押し!あの四条河原町阪急やHMV渋谷の閉店など、あちこちのファッションビルや、もちろんデパートにいたっては・・・・・ガイアの夜明けとか見てても「外食産業のユニクロを目指す!」なんていう270円均一のお店が大繁盛!?してたり。破壊されつくした荒野に残るものはなんなのでしょうか?
なんとかしなければなりません。
さて、ボクも頑張りますかね。
(おまけ)
2010/08/19 (木曜日)

「大会の余韻にひたる。」
そんな気分は珍しいのですが、特に今回のRally MONGOLIA2010は、過去最高の素晴らしい大会となりました。表彰式は最高潮の興奮。昨夜は役員との打ち上げ会。大会終了後も楽しい行事が続きます。
そうした中、日本からニュースというか新聞記者から問い合わせの電話が数件。さすがにこれほどの世界的なイベントを成功に導く事への評価!かと思えば、さにあらず。旅行業法違反の略式命令に不服申し立て!とのこと。なにせ、拙い衛星を介した国際電話でのやりとり。これでボクの真意が伝わったkどうか?どのような記事となったかどうか?自信が持てないので、こんな時にこんなOVで補足することをお許し下さい。
「不服という言葉が持つ意味での不服ではありません。」
愛媛県警の捜査員も、旅行業法について非常に勉強をして頂き、関係行政機関にも数度の意見を求めるなど、充分な捜査をして頂いたと一定の評価をしています。特に担当捜査員は誠に素晴らしい方でした。誠意有りまた情熱的な青年でした。検察官もまたそうした正義感あるまさに検察官という方でした。。
しかし、大変残念なのは議論する時間がなかったというところにあります。特に略式命令のなかにある旅行業法の解釈についてはいささかの議論のあるところです。いくつかの日本語の正確な解釈、それもまた議論すべきと考えます。
結果的にはその日本語の解釈によるのですが、私の理解では、私どもは旅行業を営んでおらず、従って登録する義務は持っていないというのが主張です。
ことほどさように、疑わしい法令違反で逮捕拘留、拘留延長を期限いっぱいの2度も繰り返し、その疑わしきを罰したという意味において、少しばかりの異議を申し立てたに過ぎません。
法律用語は私の理解の範囲を超えています。不服と言えばすべてにブーイングのようですが、部分的に異議があるという私の持つ印象は伝えてはいただけません。また逮捕拘留の正当性は、また違う闘いとしなければならないのでその部分は割愛致します。そして夥しい広報被害について、また自分たちの今後の名誉回復については、慎重に検討し時間の許す精一杯で主張すべきは主張して参ります。
と、書きながらも、書き終わってもなお、モンゴルの首都ウランバートルを見下ろすホテルの部屋からは、自分の歩んできた半生を考えます。言いたいことも少なくないのですが、休息日のOVにゾーモットで書きましたが、人間には分かるときがあります、その思いを「この地に来れば、それがわかる。」と書きました。世界は狭く窮屈になりました。人と人とが円滑に暮らす為には、さまざまな法律が必要でしょう。業法なんて言うのはまさにその象徴です.モンゴルのスタッフにその話をしたら、まさに一笑です。
人と人は、信頼で暮らし、周囲見渡す限りの地平線と陽炎に、それでも確実な命の根を下ろすということは、そんな日本的な法律が守るような世界ではありません。
今回の事件とこのラリーを通じて思ったこと、それは多くのスタッフたちが寡黙
のうちに教えてくれました。
「信頼する心と、心配する心は、まさに自己犠牲の上にあると・・・」
今大会もボクのことを心から案じてくれ、参加者の安全を心から念じてくれる多くのスタッフが、まさに自己犠牲の上で砂漠に展開していました。まだこんな蛮勇のような世界があることが、とてもうれしくて思い出しても胸が熱くなります。
そうそう、あまりにも寒いので昨日はセーターを買いました。どーよ。

(おまけ)
2010/08/16 (月曜日)

「ラリーモンゴリア、パーフェクトなゴール」
軍よりチャーターした大型のヘリがウランバートルに無事に降り立った.美しい砂漠迷彩の施されたボディ。これまでより20%も高い高速巡航能力。何かと運営機材のリフレッシッが課題だったものの、今回の新型?ヘリの投入は大きかったと思う。運営も洗練されて熟成された感じだし、本部スタッフとして参加して頂いてる篠塚建次郎さん、中島祥和さんらの存在感もこのラリーを充実したものに見せる。さらに今後も、ヨーロッパ勢を多く迎えて開催を続けるだろう。
(おまけ)
2010/08/15 (日曜日)

「美しい草原のビバークで。」
今日はアタールという村にビバークを結んだ。それは、ダカールのゴールに近いモーリタニアの2番目の町の名前だ。そんな意味で選んだわけではないけど、とにかくアタールだ。だ。
秋の気配も濃くなったモンゴル高原も今日一日は、本当にモンゴルの夏空が帰ってきた。夜半にビバークを歩くと、上杉謙信が川中島で詠んだ「霜は軍営に満ちて秋気清し・・・」だったかな。そんな感じがして、ラリーのビバークを軍営というのもいかがかとは思うものの、闘いに明け暮れる男たち(女性も少なくはないのですが・・)の姿になかなか感激しきりであります。
僕たちの本部テントでは、篠塚さん、中島さんと、まあモータースポーツの現状を憂いつつウオッカの量が進むのでした。
(おまけ)
2010/08/13 (金曜日)

「ここに来れば、それはわかる。」
ここゴビの最南端。さまざまな生命が枯渇しそうな灼熱の大地。しかし不思議なことにこのゾーモットには、木々が生命の尊厳を誇らしげに主張する。どの木も強風と厳しい太陽、冬の想像を絶する苛烈な寒気を数百年いや千年の時を超えて神々の化身のような姿で人間を睥睨している。人間なんてまさに卑小で、矮小な存在だと言わんばかりで。
ボクはこの土地に来る度に、そんな気持ちにさせられるのだけど、不思議と心静かになる.エネルギーが徐々に満ちてくるのがわかる。日本での日々の憂さも、まるで卑小で些末な出来事だと思える。いつも思う.少々のことや金にまつわる些事など、いかようでも良いのだ。最も大切なことは、この木々のように毅然と耐え尊厳を失わないことだ。最も恥ずべきは、足を知らず、人のことを恨んだり嫉んだり、そういうことだと思う。
今回の例の件でも、そしてこのゾーモットに来てなお強く、そのように思う。さあ、ボクはこのあとどのように生きよう。この木々の下で、そう考える。人間は,自然に対しても人に対しても不遜であってはならない.この地に来れば、それがわかる。
(おまけ)

2010/08/12 (木曜日)

「禍福は糾える縄のごとし」
昨日デューンのステージを制したドイツ人ライダーは、今日のステージでクラッシュして負傷リタイアとなった。中盤以降のラリー展開に期待がかかっていたのが誠に残念だ。ヘリで近くの空港に緊急移送。1時間後にはウランバートル行きのサーブの新型旅客機でウランバートルに運び込まれた.負傷後3時間半後にはウランバートルに到着するという、これまた運の良い搬送だった。
何事も、このように禍福は、裏表にやってくる。良いと思ってたらとんでもないことに.とんでもないことだ!と思ってることが実は、吉兆だったり・・・いや吉兆といえば料理屋さんじゃなくて、良いことの起きる兆し・・・のこと。そういえばボクの守護神?は吉祥天女。今回もヘリでラリーニ同行している老ジャーナリストも中島祥和さん。まみかと吉兆、吉兆。 (おまけ)
2010/08/09 (月曜日)

「モンゴルスタートしました。」
過去にないルートで構成したラリーモンゴリア2010も無事にスタートしました。なにかと紆余曲折の多かった今大会ですが、アメリカからはダカールでもステージウインの実力を持つジョナ・ストリート(これがとてもいい男で・・・)も参戦。ドイツからは女性ドライバーのステファニーが駆る黒いランドローバーが、かなり良い感じです。そしてヘリも新型機?砂漠迷彩の施された「おおっ」な感じで、ラリーはビシッと締まってきました。さあて、どのような展開になることやら・・楽しみ半分、警戒心も怠らずに。でございます。
まあ長く浮世から離れてたボクは、ここでさらに竜宮太郎になってしまってやれ!まあ日本にはだいぶ嫌気がさしてきてる・・・ということも手伝ってますが。
(おまけ)
2010/08/03 (火曜日)

「ごあいさつ」
このたびは皆々様に大変ご心配をお掛けいたしました。何かと温かいご支援を頂きましたことを衷心より御礼申し上げます。
本日無事に業務に復帰し、予定通りモンゴルへ参ります。現地でもよろしくお願い申し上げます。
さて今回の旅行業法違反事件ですが、話せば長くなるので追々報告することといたします。もちろん主張もあり、法の理解を巡っては議論するべきですが、その時間も許されないままでしたので、まあ帰国後に丁寧に、もう1冊の本になるくらい書けると思いますので、しばらくお待ちくださいませ。
とにかく、とても元気で良い休養をさせて頂いたぐらいのものです。狭い茶室に座り、ホーキングを読み、宇宙を考え、司馬遼太郎が失意のうちにふるさとへ帰る記者仲間に送った1枚のはがき「故山独座シテ宇宙ヲ論ズ」を、なるほどと思い。差し入れられた大量の本・・・30冊くらいを1日1殺じゃなくて1冊を読んで、足りなくなってまた最初から読み直すという事に・・・
まあ利休のことを考え、美学と嫉妬を学び、ソクラテスの弁明(これは差し入れの中には無かった)を思い、ソクラテスがどう考えて、どう罪についたか・・・驚いた事に司法関係者はこの本プラトンが書いたのですが、その話をしてもあまり知らないようでした。もちろんこんな本も差し入れられるわけではないのですが、不条理を書いたカフカを思い。
また武市半平太の獄中の歌「花依清香愛 人以仁義栄 幽囚何可恥 只有赤心明」花は清香に依って愛せられ、人は仁義を以って栄ゆ。幽囚なんぞ恥ずべきか、ただ赤心の明らかなるあり。・・・・・まあこんな心境といえば大げさですが。
さらに「勝者には悲哀を、敗者には美学を。」
という一文が、「秀吉の枷」の巻末に輝いていました。
とまあ、このような読書と思考の日々でした。
最後に今の心境を素直に申し述べますと「仰ぎて天に愧じず」というところです。常に公序良俗に反することなく、そのつど最善として判断してきたことが違法行為であるのならば、深く反省をいたします。さはさりながら、また闘いもするという思いであります。
(おまけ)

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2010/07/12 (月曜日)

「いよいよ北海道ウィークです。」
今朝は、ひどい雷雨の松山。ふるくからこの時期の雷は、梅雨明けのサインだったのですが、最近はどうも違うようです。
さて、北海道。今日にも第一便が出発します。真新しい横断幕も届いて・・・今回の北海道4デイズは、最終日にファイナルクロスをBIGTANK-CUPとして開催予定です。本線のリザルトに組み込むことは無いのですが、地域の方などにも見ていただこう!という春木さんの溢れる思いです。市街地でクロス!
そんなことを考えてると、ガストン・ライエのことを思い出しました。彼が人生最後にバイクに乗ったのが、その芦別の会場。ボクのガストン・ライエ・ミュージアム構想は、いまだ実現の端緒につけてはいません。
あの時、もうかなり悪い身体を引きずって日本にやって来たガストン。何を思い、何を感じていたのか知る由もありませんが、それ以降ボクを北海道芦別市に足しげく通わせる大きなフアクターになっています・・・
いよいよはじまる北海道4デイズ。ちょっとこころを動かせて美しい北の大自然とそこに暮らす人、集う人との一期一会を・・・とこんなことを書くようになったのも昨日は京都で茶事の達人と時間を過ごしたことにあります。
毎年あるラリーでも、その空気、人、時間、さまざまなものは2度と同じものはありません。この一会こそ、パリダカなどを通じて特に学んだことのひとつです。昨年と同じようなラリー展開がしたい・・・と準備しても、なかなかそのようには参りません。
選挙がありました。マスコミもなにもかも「数の原理」それが自由で民主主義で、社会原則で資本主義。だから発行部数、視聴率、得票率、得票数となる。サッカーでも最近はボールポゼッションなんて、アメフト用語を移入した。ボールポゼッションと勝敗は、まあ関係ない。得票数と良い政治とも関係が無いかもしれない。議席数でねじれ国会とか、まあまたそんなことを言い、そんな態度を取り、足を引っ張り合う権謀術数の権力闘争。そのようなパラダイムでは、もうないだろうと思うのでありますが、いかがか。時代に政治もマスコミも、そもそも日本人が(もちろんボクも)ついてきていない。
悲しいけど日本は、やはりガラパゴスのまま。どうせなら進化に取り残されたものとして、耽美的に生きるのもまた、宜しいのではありますまいか。あっこれはウソ。
きょうの一枚
「利休にたずねよ」山本兼一著。読もうと思ってて読んでなかった一冊。「火天の城」は、昨年カシュガルで読んだ。読後に一緒に行ってたすぎちゃんに。面白かった。美を貫く。 (おまけ)

2010/07/08 (木曜日)

「めずらしく、クルマのハナシでも。」
そういや、9月にはエコカー減税はじめとする補助金がとりあえず終わるのでありまするな。いま走ってるエコカーの多くは、減税補助金の追い風で、前倒しで購入したもの?なのかしら。
それなら次は、消費税上げるとかっていうことにして、駆け込み需要で」一気に景気回復!!次はまた違うこと考えて・・・でもまあ政治が持たないか?
とまあ、とりあえず良ければそれでいいのか?が本日のマイテーマ。
「とりあえず良ければ良い」こんな考え、日本人はもっていなかったと思う。これは言い換えれば、ちょっと違うけど「自分さえ良ければ良い」に似てる。まわりも良くて自分も良い「つまりウインウインですね。」なんていってた人は、もう居ない。
もっといえば「これからは、企業の社会責任を」とか「メセナなど文化貢献活動を」なんて人も、天然記念物になった。
あれ、クルマの話を書くんじゃなかったのかしら・・・
最近、日産のセレナがしばらく事務所にあったので、ちょいと乗ってみることに。これはAPIOの尾上さんも自身のブログに「会社のワンボックスに乗って驚いた」と書いてある(OEMでスズキにも同じ車があるのだ)御殿場まで走っていってみたりした。もう快適で、車内では「いやあ、日本のクルマってすごい」とか「もうこんなのが良いね。」となった。燃費もすこぶる宜しい。空間も広々。しかも良く走る。ふとSAの駐車場を眺めると、日本のクルマは1BOXor2BOXがほとんどになった。
日本人の素晴らしい選択意識が、こうしたクルマの横溢を招いた。ほんとうにこれで良いのか?とボクは問わない。いややっぱり問いたい。
ところで、最近コンパクトのクロスってクルマが次々リリースされる。正確にはクロスオーバーSUVというカテゴリーで、ビックリ安いのだ。日産のジューク・・170万くらい。バイクと比べてみたらどーお?VWもクロスポロ、MINIもカントリーマン、どれも魅力的だけど、セレナだ。何の話かというと、とても良いのだけど。満たされない。何で満たして欲しいのか?
それは逆説的にはなるけど「自分さえ良ければ良い」という部分が欠落してしまってる。とりあえず「今が良ければ」という好景気時代の価値観が、ほんの少しでもクルマに残ってて欲しい。そんで少し回生ブレーキつけたくらいで環境コンシャスを謳うような、そんな気分が欲しい。
BMW135・・とかってアイコンを目にしてビックリ。1クラスに3.5L?かと思えば。3L+ツインターボ=over300ps・・・・まだこんなことしてるイカレタクルマメーカーがあって、ちょっと試乗したいなあ、なんて思うボクがいて・・・減税とか補助金とか、ついでにいえばスクラップインセンティヴとか、全く無縁の古い人間の典型なのでした。
きょうの一枚
こんな気分・・・「キズだらけの人生」
古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。どこに新しいものがございましょう。生れた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。
おおっ、あの時代もいまも何も変わってはいないということでしょうか。
(おまけ)
2010/07/06 (火曜日)

「北海道4デイズ」
競技長を務める春木さんから、ルートが届きました。もちろんコマ地図の原稿も届いたので急いで清書して印刷に回しました。その春木さんの情熱は、並々ならないもので、ボクはとても感服しています。
特に口蹄疫問題の対策、近年増えるエゾジカなど野生動物との衝突事故などへの対策と対応。各自治体の許可やSSが行われる林道などの、役員の配置表。林道に立てる看板の原稿や、新聞折込のチラシの原稿などが、次々に届いています。
なかなか、こうしたことを粛々とこなしていくには、これまた特異な才能も必要です。夢とロマンだけではなしえることの出来ない広域ラリーの開催の、厳しい現実と、しかし乗り越えれば開けてくる地平。
まもなく北海道にラリーの仲間が集まります。僕たちも四国から自走!で駆けつけるようです。ボクはモンゴルの準備で、駆けつける!じゃ無くて飛んでいく!ことになるんだけど。
FUTURE8月号は、今月末にはプレスに出さなきゃ行かんのですが、この北海道4デイズを収録しよう!ということは、地獄の日々が待っているのでしょうね、きっと。
今回の北海道は「グルメ特集」にしようか?などという意見が出ています。春木さんとラーメン三昧・・・「あっ。ここのソフトクリームが旨いんですよ。」「メロン、食べて行きましょう。」「ラーメンなら、まずここのを食べておきましょう」と彼は身体に似合わず、たくさん食べます。ボクは身体に似合わず案外に小食。
きょうの一枚
とても本番中の競技長と実行委員長とは思えませんね。でも、夕張メロンのハーフカップは。どーすか? 今年もご一緒に。
(おまけ)
2010/07/05 (月曜日)

「コマ地図書きで、忙中の閑」
久しぶりに、この10年のOVを読んでいました。まあ膨大なコマ地図を描くという、気の遠くなる作業の手を休めるためにはちょうどいいんですが・・・
それにしてもこの10年間のボクは、「ナニゴトカ・・・」というくらい、激しく動いています。
昨年のチョモランマ。一昨年の「北京-ローマ」そしてその前年の「西安-パリ」この3年間だけでも、これとモンゴル、TBIに北海道・・・真に、なにに急いでいるのか?と自分でも、そう思います。
しかし、ユーラシア大陸を渡りながら届く、自分のレポートを今読んでも、恥ずかしい半分と、いかにもイキイキとした自分の「思い」が、とても熱くて魅力的?にも感じます。ああ、やはり旅をしてる時の感性が、一番みずみずしいのだなあ、とこの年になってもそう思います。
やはり「可愛い子には旅をさせ」ではないですが、旅をしなきゃいかんです。旅はトラベル、それはトラブルと語源を同じにする・・ウソですが・・・でもまあ案外、そうなのかもしれません。襲い掛かるトラブルや難儀なことは、旅先では平時の?100倍は、やってきます。毎日何かのトラブルが起きます。その旅こそが、人類を鍛え上げたと言っても過言ではありますまい。人類が500万年の時を刻み続けた、グレートジャーニー。人類はいまだに旅を続けるとすれば、その方向はどこなのでしょうか。
案外ラリーは、もうなくなってしまった難儀な旅のオルタナティヴではないかと思います。人類の、残されたわずかな地球上の冒険の旅。そんな旅。もうすぐ北海道とモンゴルではじまるよん。
来年は、再びビッグ・ジャーニーをやるよん。
さらにボクの還暦記念(何年後かしら)の、超ビッグジャーニーが企画されてるようですが。
(おまけ)
2010/07/02 (木曜日)

「東洋のマチュピチュって。」
数年前、ラリーモンゴリアへ出発の前夜。ボクは新居浜・別子銅山の産業遺産のイベントの準備をしていた。確かに住友の残した山の中にある銅山の遺跡は、なかなかのものかと思う。
ここのトコロ、急速に観光客が増えてるのだそう。それはたった一つのキャッチコピー「東洋のマチュピチュ」・・・これなんだそう。
マチュピチュは、世界が空前の探検ブームに沸く1911年頃に発見された。ロプノールにヘディンが行ったり、楼蘭を発見したりしたのもこの年に相前後する。こちらは当然世界遺産である。
さて、本場さぬきうどん・・・商標登録をして、香川県内以外では「本場さぬきうどん」は使えないらしい。でも、隣の県では「東洋のマチュピチュ」とか。こちらは「???」ではないですか?
ちなみに「楼蘭」で検索したら、山のようにお店が出てくる。怪しい系も多い。中国のお店に日本の地名を使うのはけしからんという日本のTV放送を見たけど。じゃあ、楼蘭は使うな。天津と北京も、ついでに香港もダメ、ってだけで、まあいかに日本人もいい加減なのかが分かる。
それなら久万高原はアジアのチベットだし、四国中になにがしかの世界遺産級のキャッチがつけられるはずだ。
日本人は、真似をさせるのが嫌いなようだ。でもボクタチが若い頃はサルマネジャップ!と言われた。古いバイクも、アメリカンな今の国産バイクも、かなり怪しい。自動車のデザインや、もちろん洋服のトレンドも、まあそっくり輸入してる・・・と言えばカッコイイがまあ真似してるわけで。
次回のFUTUREでチョモランマは、ツアンダにあるグゲ王朝の遺跡に登る。まさに天空の城。マチュピチュの倍もの標高に、カメラを抱えた石原さんは、息を切らせながら一言「こりゃあ、マチュピチュよりすごいぞ。」と。もちろん彼はマチュピチュの取材経験もある。
さて、その「東洋のマチュピチュ」と、広告のコピーを考えた人は、マチュピチュを見たのか?そしてそのコピーをつけたことが恥ずかしくないのか。ボクは問いたい。来年のTBIでは通ってみるかね。
きょうの一枚
マチュピチュ。標高は2000mくらいなんだね。ツェツエルレグやツアンダも似たような感じかも。あっ、オリアスタイもね。
(おまけ)
2010/07/01 (木曜日)

「塙さん、凱旋帰国」
6/27、アメリカ・コロラドスプリングス
「2010 PIKES PEAKEINTERNATIONAL HILL CLIMB」に参戦の塙郁夫さん! 自身の開発したEVバギーで、エキシビジョンクラス優勝、EV歴代記録を1分15秒以上上回る13分17秒57のコースレコードを樹立!して帰国されました。
ところでパイクスと言えば、田嶋選手。昔はバタネンもプジョー404T16だったか な?で、優勝したんだっけ・・・とにかく、田嶋選手の総合5連勝!!日本人が世界のトップにいるんだけど・・・・NEWSによると・・ 今年もスズキ『SX4ヒルクライムスペシャル』でエントリー。最大出力 910ps、 最大トルク90.5kgmを生み出す3.1リットルV6ツインターボを搭載するモンスターマシン。今年は、高速域でのエアロダイナミクス性能の改良が図られた。 田嶋選手は、昨年の10分15秒368を約4秒短縮する10分11秒490のタイムをマーク。最大のライバル、ヒュンダイ『ジェネシスPM580』のリース・ミレン選手の11分6秒208に、1分近い大差・・・・・・・

まあ、なんともすごいマシンで、これはこれで良いんだけど。塙さんもきっとEVで総合優勝を夢見てるんだろうなあ。
ボクタチは今日は1日、コンテナヤードでバン詰め作業!きっと3kgは痩せてるかもだよコーヌシ君!
今日の一枚
そんなパイクスの風景を拾い集めてみました。
(おまけ)

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Organisation Voice 2010/06

2010/06/30 (水曜日)

「いよいよ本日は税関検査」
年々厳しくなる輸出入手続き。人間性悪説に基づく法概念。つまり「人間は必ず悪いことをする。」だから・・・数万人にひとりの悪いことをす人の行為によって、99.99%以上の人が実に多大な迷惑?を蒙ってるように思えてなりません。空港での検査もおなじですよね。子供の持ってるペットボトルを取り上げたり、かなりな年のおばあちゃんがボディチェックされてる姿に、世界中のヒステリーを感じます。
コストも莫大なものでしょう。
あれがいやで飛行機に出来るだけ乗りたくないと思うのはボクだけではないでしょう。
そのくせ、昨年のチョモランマでは突然!長谷見さん、標高5000m、バッグの中から酸素の缶を取り出して吸っているではありませんか。どうやって持ってきたんですかと聞くと、エッ飛行機だよ・・・今じゃコンテナ輸送でもダメなんですけどね。ともかく、「水際」という言葉は、いま世界を覆うテロリズムの恐怖のために、特に神経質になって来てます。これらは、やはりテロリストたちにすれば、描いた戦略が実現している状態のことなのでしょうね。あれ以来、経済も衰退気味で、自由で明るい21世紀は、結局来なかったということかしら。
それでもボクタチは、いまだに世界を駆け回りたいと思うし、自由でおおらかで奔放であるべき若者たちにも、それを享受して欲しいものだと願わざるを得ません。
いよいよ、明日はコンテナに積み込み日本を出発します。エクスペディション!ボクの大好きな言葉。海外に大量の資材を送り出すときの高揚は、若い日のときのままです。
「松田 瑛二さん逝く」
パリダカール以来、親しくお付き合いくださった松田 瑛二さんが急逝されました。尾上さんからの悲痛な電話の声が、忘れられません。
それもボクと松田さんは、数日前に御殿場の居酒屋で、対面に座って芋焼酎の水割りをやりながら、今度のモンゴルのナビゲーションの話をしてたばかりです。
「この焼酎、うまいな」
と松田さん
「いやあ、モンゴルのアルヒ(ウォッカ)に似てますねえ。」
とボク。
ご親族の皆さま、またチームアピオの皆さま、掛け替えのないご家族であり、先輩であり、また素晴らしき友人を亡くしましたこと、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
来るラリーモンゴリア2010でも、松田さんの遺志を継ぎとともにモンゴルの大草原を駆け抜けたいと思います。
参加者一同、慎んで哀悼の意を表し、深い黙祷をささげます。
山田 徹

(おまけ)

2010/06/29 (火曜日)

「気もそぞろで・・」
今日は奇しくも、お世話になった某大手広告代理店の役員の送別会。まあそういえば6月末は役員の移動の季節。てか、退任だけど。
そんなこんなで、パーティ会場へ飛んでいかないといけない時間になった。でも考えてみれば、ワールドカップ!!日本-パラグアイ戦を見なきゃでしょ?前の試合、デンマーク戦ね!は奇跡的にも3時まで飲んでそのまま朝まで観戦!という快挙だったんだけど。今日は飲みすぎると見れない様な気がするけど、まさか盛り上がって「もう1軒、行きまひょ!」てなことにはならないだろうな?
ちっくと話を変えます。
北海道4デイズにお越しになる皆さんにお願い。
車両とブーツなどについた土や泥を完璧に落として車検にお越し下さい。
口蹄疫の防疫のために、特に守っていただきたいと思います。車検時には消毒も行いますのでご協力下さい!!
またお話を変えます。
G8・・・誰がこの日本を3流の国にしてしまったんでしょう。ほんとに最悪の借金大国。G8では菅さん、ちょっとお恥ずかしいような。
「第三の道」とかって説いても、そんな上手い話はないだろう?!と言われてるようなもの。
だいたい菅さんは、イギリスの政治を研究していた節があるので、誰もが「第三の道」と聞いたときにはトニー・ブレアの政治路線のことだと思ってしまいますね。
行き過ぎた政策を転換するでもなく、しかしどこかに新鮮味のある政治用語を選んだら出てきた。。。そんな感じですよね。
まあマキャベリズムに陥らないことのみお祈りしますが、選挙期間中ということもあり、このくらいにしたいと思います。
いやでも、もっと書きたいことがあるなあ!と思います。それはG8の先進各国は2013年までに財政赤字を半減という宣言の中に「日本は除く」のだそうでありますね。
累積赤字の半減なんてともかく、いわゆる財政赤字ということは本年度予算とプライマリーバランスから考えると、24兆円!!の税収増か歳出削減をしなきゃいかんのですね。
24兆円って削減、事業仕分け程度では・・・政治家や官僚はもうやる気がないようですから、やはり増税?しかないわけで、選挙直前に高速道の社会実験て名目の一部無料化も、余計に寒々しい感じがします。
どうしても消費税20%!くらいにしなきゃ、財政再建も無理。でも経済対策はもう諦めなきゃでしょうし・・・もう日本って、サッカーに夢中になって誤魔化してしまうしかないのであります。
でもワールドカップの今夜のゲーム・・・自民党や民主党がCMを入れてたら、大笑いですね。
(おまけ)

2010/06/28 (月曜日)

「格闘の日々」
もう猛烈に暑くなってきました。事務所の暑さは・・・さらに断熱工事をしなきゃです。
まあとにかく温暖化とかで片付けて欲しくない暑さ。このまま行くと、間違いなく日本は熱帯ですね。今年の夏は日本でもマラリヤが猛威を振るう?に1000円!!
そんなこんなで、日本も熱帯ならゴムのプランテーションやマングローブの護岸を作ろうじゃないすか!?
ところで、昨晩はNHKで深層崩壊というNスペを見ました。もちろんイングランド-ドイツ戦待ちの時間つぶしでしたが。これから温暖化がさらに進むことにより新たに起こる脅威がおきるがです・・・台湾で起こった驚異的な山腹崩壊。日本でも、同種の大型の崩壊事故が目立ちはじめて来ています。今年も雨の季節がきましたから、充分な備えと点検を。
そんで、書きたかったのはイングランド-ドイツ戦。驚くほどの得点差になりましたが、その最大の原因は審判の誤審だとボクは思うのであります。イングランドは「ムキー!」のはず。あれをノーゴールにするのなら・・・でサッカー界では「誤審もサッカーのうち」だそうで、あまりにも非科学的な現実に「???」と思いませんか?負傷したら外に出して人数不均衡でもゲーム続行!「じゃあ、味方のディフェンダー4人が激突して負傷したら、とりあえず7人でやるわけ?そんで3人の交代が終わってたら、ずっと7人でやるの?」「そう!」なのだそうですが「そんなことは起こりえない」ということです。これでは深層崩壊と同じです。
一気に言えば、控えの選手にビブを着せるのにも反対です。入場はスタメンだけがするのにも異議があります。
スタメンに選ばれるというのは大切なことですが、写真撮影もスタメンだけなのもボクはいかがかと思うわけです。
チームは総合力で戦うわけですから、もっと扱い方を均質化すべきだし、判定も疑義があれば科学的に検証する謙虚さは必要でしょう。ファールの取り方やイエローカードの出し方も、非常に曖昧のように思えてなりません。しかし、考えてみればシンプルなルールには間違いありません。「だから世界中が熱狂するのだ」と言います。
さて格闘といえば、ボクはモンゴルのコマ地図との格闘が始まっています。事務所内では通関に関する書類の作成が大忙しです。
海外ラリーを開催する!というのは、とにかく文書やら書類やらの作成との闘いです。そしてここにも、理解の困難な法規制が横たわっていて、なかなか判断が難しいことばかりです。規制緩和が叫ばれたのは過去のこと、気がつかないうちに規制は強化され行動は大いに制限される時代が来てる様にさえ思いますが、皆様方はいかがですか?
ともかくコマ地図に求められる正確さというのは、かなりのものです。数字やらなにやらをとにかく複数の人間でチェックにチェックを重ねます。時にはグーグルアースまで動員して・・
挙句書き直しをさせられるボクの忸怩たること・・・まあ、これもやむなしというところで。
きょうの一枚
「いよいよ船積み」
モンゴル向けの船積み検査を行いました。このあと税関検査、そしてシッピングです。今までよりは短い期間で往復できそうですが、とにかく陸の孤島なもので・・・
(おまけ)

2010/06/25 (金曜日)

「御殿場の、美しい木立の中で」
23日、ボクは高速道を一路東に、御殿場にある桐島ローランドさんのスタジオにお邪魔してきました。そこには、モンゴルの船積みを控えた4台のスペシャルなジムニーが、高原の美しい木立の中に光を湛えて並んでいました。そう、チーム・アピオのラリーモンゴリアの発表会です。
それにしてもため息をつきたくなるようなシチュエーション。美しいアンティーク煉瓦で建てられたスタジオ。少し離れたところにあるガレージ。ラフェスタ・ミッレミリアのバッギも誇らしげな、TRIUMPH TR2やら、ガレージ脇にはエアストリーム。まるで名機DC3を髣髴とさせたアルミの地肌が、不思議にこの緑深い森に会うんだなあ。
発表会は4台のジムニーと8人のクルー。おなじみの顔ぶれですが、まあ豪華。それに大勢の媒体関係者。発表会のあとも、しばらく楽しい会話の輪が膨らんで、楽しい午後の時間を楽しんでまいりました。勢い余って、ジムニークラスの創設を約束したものですから、大急ぎでプライズを考えなくちゃ。
その晩は御殿場で、みんなで遅くまで過ごしたのはいうまでもありません。
翌日は、秋に準備しているTDR-Kantouのスタート・ゴール会場、キャンプ場や少しゴージャスなホテルなどを次々と予約しながら、現地視察。富士の裾野を満喫してきました。
そんなこんなで気がつくともう日は大きく西に。中央道でまたまた、某所の視察。さらに気がつけば「そうよね、今晩はデンマーク戦!!」ボクは徹夜をしてしまいました。
きょうの一枚
桐島さんのスタジオで。
(おまけ)
2010/06/22 (火曜日)

「モンゴルの自然環境」
割と硬いタイトルで書こうと思った今日のOV。先のモンゴルの試走で考えたことなどを書き綴ります。
今年のラリーの試走は、ここ数十年ぶりの非常に寒い冬と、異常な降雪量が心配の種でした。あちこちの川は、いまだに厚い氷が残っていて、たくさんの涸れ川?は勢い良く激流が渦巻いてるのであります。
水は地形を大きく変えます。グーグルアースをご覧になられたら理解しやすいのですが、地球の地形は流れる水で作られてる!と実感できます。もちろん褶曲などの造山活動もそうなのですが、その地表を洗い削るのは水と氷です。
今回のルートを走りながら僕がポツリと隣のモンゴル人スタッフのムッホに
「きれいだなあ、モンゴル。こんなにきれいだったっけ。」とボク
「そうすね。」と、ムッホ。
「この美しい自然を、ほんとうに大切にしないといかんね。」
「そうですよ。ラリーをやってる我々のほうが、自然の美しさと大切さに気がついてる。」
「そーだね。でもボクタチが環境破壊をしてると思ってる方が普通だよね。」
「それが残念ですよね。」
「同感だよ。」
「お金だけが目的で、地下資源を巡って、醜い開発ラッシュ!!」
「あとの世代に責任を持たないんだ。」
「今多くの企業が金とウランを巡って、モンゴルにやって来てる。」
「地下資源は、もう掘らない!なんて選択は無いのかね。」
「そーすよね」
今世界の金の保有量は実は3万トンくらい。比重が19.3だから、容積に換算すると1554立米くらいで、50mプールに一杯にはならないほど?スイマセン計算がいい加減で違ってたらゴメンなさい。いっぽうで、すでに発掘可能な金の75%は採掘済みだそうです。埋蔵量はあとプール半分くらいかねえ。それでもまだ、命がけのゴールドラッシュをやってる。
「いつの間にかモンゴルも、お金が全て!という忌み嫌ってた資本主義の社会になったね」とボク
「いやになりますね。」
モンゴルこそ美しい大自然と調和した21世紀型の閑居い先進国になるだろうと思った。
ところが、西欧や先進国の醜い?部分ばかりを追っかけて、草原は踏みにじられかねない。
美しいモンゴルの大自然も、大きな岐路に差し掛かってる。これまでは無かったウランバートルにも砂混じりの風が吹く。ゴビは確実に草原を飲み込み始めている。
きょうの一枚
「ハルヌール」
今回のルートには2年ぶりにハルヌールに!!昨年は、予定していたのですが、モンゴル側で問題があって、行くことができませんでした。
僕が知る限りモンゴルの中で、いや世界の中でも最も美しい湖のひとつ。今年は、ボクのオススメの風景!テンコモリ!です。(おまけ)
2010/06/21 (月曜日)

「やっぱり、メディアが心配」
そりゃ、ワールドカップ、見ましたし、応援もしました。しかしその日からの日本のメディアは、どうしてこれだけワールドカップを取り上げなければならないのでしょう。24日にデンマーク戦があるのは分かりました。もっと平衡感覚がないと、自滅してしまうのじゃないでしょうかね?
さまざまに「ワールドカップ報道加熱のおかげで助かった」という話を良く聞きます。日本国民の100%がサッカーファンや俄サッカーファンではないでしょうに、どのチャンネルに避難してもまあだいたい同じ。電波が公器だとはもはや考えてないのではないでしょうか。
といいながらボクもあっちの特番、こっちの特番で随分見ました!日本のサッカー!!応援団はガンバレ!ニッポン!!と言ってますが、菅さんは「ニホンの未来がどーのこーの」と「???」一国の総理大臣が自国のことを「ニホン」と呼ぶ以上、ニッポンはニホンなのでしょうか?ここはひとつ統一見解が欲しいところなのですが、いろいろ検索してみるにつけ、まあこんなことは「どーでもよいこと。」だそうで、まあそんなものかと。がっかりするボク。
さて週末はラリーモンゴリアの、船積み検査が行われるであります。会場が松山になったので、ちょっと見学というわけには行きませんが、皆さんよろしくお願いしますです。
きょうの一枚
「Newton7月号」
モンゴルに出かける時の成田空港で買って、読むにつけ睡魔が襲うのでちょうど良かったのですが、ボクの永遠の分からないテーマ「時空」SFではなくて・・・相当分かりやすくイラストで説明してるのですが。と、いうことで暫く座右の一冊。ラリーの共には最適かもしれませんが、場合によっては最悪ともいえます。無人島にひとりで漂着するのなら、聖書かこれか?あなたならどちらを選びますか?ボクなら聖書。
だってこんなタイトルもあるよ「相対性理論と量子論の融合には“かくれた次元”が必要?この宇宙は10次元時空かもしれない」だとさ。次元ってのはルパン三世の次元じゃないけんね。
(おまけ)

2010/06/18 (金曜日)

「FUTURE第2号デリバリー開始!です。」
FREE DVD MAGAZINE FUTURE 6月20日号、つまり第2号が本日到着。今週末にかけて続々とデリバリーをしていきますのでオタノシミニ!!
今号は、実はですねラリーモンゴリア2009の特大号になっています。というのも次回8月20日といえば、今年のモンゴルの終了後なのに、前年のVTRもないだろー!ということで今回全てアップしてしまいました。ということで、ほかのコンテンツが少しずつ短くなりました。自転車は舞洲クリテリウムの模様などをレポートしました。チョモランマは、飛んだ伊倉さん!高山病の皆さんのむくんだ顔!は必見?です。
次号は北海道4デイズ大特集!!の予定です。とにかくボクはこのFUTUREが加わって大忙しにさらに拍車がかかりました。ガンバロー!
さて、そのほかの近況
1.九州4デイズ・・・主に九州南部で展開する予定ですが、現在のところ口蹄疫の感染拡大防止対策などが実施されています。おそらく秋までには終結宣言が出るものと思われますが、暫く静観することとしています。これによって開催準備に支障をきたすようでしたら、対応を検討いたします。ともあれ、口蹄疫被害の宮崎県には心よりお見舞い申し上げます。
2.北海道4デイズ・・・こちらも農場を通るようなルートが、口蹄疫の問題で許可が出ません。大きくルートを変更しながら、それでも魅力的な行程を現在作成中です。芦別の車検時には、参加車両の消毒などもいたしますのでご協力よろしくお願いいたします。北海道!まもなきです。
3.モンゴル・・・ラリースタート直前にスフバートル広場でセレモニーが行えるかどうか、関係先に打診して検討中!!ただいま輸送に向けた最終調整で事務所は大騒ぎ!食糧などの運営備品のパッケージングは昨日終了。それにしても莫大な作業ですね。
そのほか、とにかく忙しい毎日ですが、頑張っています。
きょうの一枚
FUTURE第2号の山!!今回からCMが。
(おまけ)

2010/06/16 (水曜日)

「裸踊り」
今から読売新聞の記者が取材に来る!という電話があったので「!!」思い出した。ツィッターの鳩山さんの書き込みの記事(以下)
鳩山さんツイッター…裸踊りさせてくれ有り難う
鳩山前首相が15日夜、自身の簡易投稿サイト「ツイッター」に「私に『裸踊り』させてくださったみなさん、有り難うございました」などと書き込んだ。関係者は書き込みは鳩山氏自身のものだとしているが、ツイッター登録者らが「なりすましではないか」と疑問を寄せる騒ぎになった。
書き込みは「『新しい公共』が一人歩きを始めました。こんなに嬉(うれ)しいことはありません」との書き出しで、「私に続いて『裸踊り』をしようと立ち上がって下さったみなさん、有り難う。この伝播(でんぱ)力が必ず社会を大きく動かすでしょう」などとしている。NPOなど民間活力を育てる「新しい公共」を提唱し、普及させることができたとの趣旨ではないかとみられる。
(2010年6月16日09時56分 読売新聞)
「?????」
ここで言う「裸踊り」とはんぞや?という疑問を持たなければ、鳩山さんを気が狂ったヤツ、または「なりすまし」の書き込み!くらいしにか見ないのが多くの日本人。
そこでボクは鳩山のいう「裸踊り」を考えたわけです。読売の記者は考えなかったんでしょう。・・・きっと、そこに込められたメッセージがあるはずだと。それは鳩山さんが書こうと「なりすまし」の仕業にしたとしても、あとに続く文章からは、読み解かなくてはいけない少なくないメッセージがあるんだと。そこで、調べるまでも無く20秒後には「なんだこれか」とTEDに行き着きます。そのYOUTUBEの動画を今日の一枚に貼りました。 読売もこれくらいは調べて書いたほうが、信頼性を高めるのになあと、おもいませんか?。ませんか?。
そして、「社会運動はどうやってはじめるか?」というタイトルの動画の中でTEDは「すごいことをしているバカを見つけたら、立ち上がって参加する最初の参加者となる勇気を持ってください。」と結んでいます。始めたやつは功績はあるけど、実はそれほどではないのですね。
今日の一枚
(YOUTUBEのページ)
(おまけ)

2010/06/15 (火曜日)

「MIATで」
試走も無事に終わりました。今回はボクのこだわり3点セット。
1. スガワラ峠・・・看板を作って持っていこうという案も。
2. ハルヌールとオリアスタイのデューン群・・・ただただ美しい
3. ゾーモット・・・ゴビ砂漠の、まさに陽炎の彼方
そしてエタップ5は、ゾーモッドの休息日。しかしエタップ4ははじめての2RCP!!というシステム。航続距離が足らない!!全体的にはETAPはそれぞれがやや短め!ですが、変化に富むという意味では、これまでに無いもの。初期の頃の気の遠くなるようなロングステージは、フェルレ ンジが280kmになってからは影を潜めました。しかし、今回の変化の効いたルートは、美しいモンゴルを余すことなく見せてくれるはずです。どうぞお楽しみに。
こちらのウエブサイトも、TBIはできませんでしたが、北海道とモンゴルはリアルに中継していく予定でおります。
帰国便のMIATでサンドラ・ブロックの「幸せの隠れ場所」を上映していました。誰も見てないのに。僕だけ接触の悪いヘッドセットのコネクターをしっかりと手で押さえ、時々涙を流