No.243 「久し振りにル・マンのガレージに来ております。」 – 菅原さんからの手紙

サーキットの横の自動車博物館に行ったら、偶然、定年で退職した館長さんとばったり会い早速案内してくれた場所は、なんとポルシェがルマンに挑戦して70年になるので、あちこちからポルシェを集めてきて記念イベントを開催中の場所でした。

案内してくれたコーナーは第1回目から今、我々が20年も借りてるテロッシェの工場で整備している写真です。そう言えば、以前見た動画にスティーブマックイーンが我々が借りてる工場の近所を歩いているシーンを見た事があります。

彼がこの時に乗ったポルシェ917kもこの工場で整備したそうです。

恥ずかしい事に全く知らないで使わせてもらっていました。

場所はテロッシェと言う町にあります。

1964年に開かれた第2回 日本グランプリで生沢さんが乗ったスカイラインと壮絶な戦いをしたポルシェ904も飾ってありました。この車はミシュランタイヤの依頼でタイヤのテスト用にポルシエに作らせた車だそうです。

フェラリーがルマンで整備している絵を持っていますが、やはりこの近所の納屋を借りて整備をしている風景です。

知らない事ばかりです。

菅原 義正


ポルシェ904


テロッシエのガレージ


最初に出たポルシェ

 


歩いているイクス。この時も優勝です。


著者紹介 菅原義正氏

 

No.241 「イーチの完成です。」 – 菅原さんからの手紙 2018/10/21

以前、モンゴルのバイラーさんのガレージで一台のバイクを見せてもらいました。
彼曰く、お父さんが乗っていたバイクで、綺麗にしようと思い、明日こそやろうと思い、
気が付いたら何もしないで、30年も経ってしまったと言ってました。

 
小さなコンテナーから引き出して、エンジンをかけたら動くので、お家の近くを少し走り回りこのままにするのはもったいないので、私に下さい、私が綺麗にレストアをするからと話し、頂いて日本に持ってきたのです。

メッキ部分は錆ており、エキゾーストやマフラーもつぶれておりました。車体の色もグリーンでした。ほとんど全バラにして新規にエキゾーストやマフラーも新しく作ってもらい、少しずつやっていたのですが、気が付けば8年も経ってしまいました。

バイラーさんは、次のラリーの為に、サービストラックの整備に来日しており、帰国前に2人でどうしても完成させようと頑張って作り上げました。

名前はリーチと言い、ロシア製の2サイクル350cc短気筒エンジン(なぜかエキゾーストが2本)のバイクです。
元はドイツのDKW NZ350のコピーのようです。前に持っていたロシア製のウラルもドイツのBMWのコピーでした。

仮ナンバーで走るのが楽しみです。
写真は整備中のバイラーさんです。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.241 「水没しました。」 – 菅原さんからの手紙 2018/08/30 17:00

ETAP-5 の2回目のSSの53.06地点に河渡りの指示がコマ図にあり、着いてみたらとんでもない水流と川幅が広く、大型バスも渡れないで水の引くのを待っている状態でした。ナビのまるちゃんと相談して、まずは上流の方向に向かって走り様子を見たのですが、状態は良くありません。指示のあった場所にトラクターが居たので、お金を払って牽引してもらおうと言う事になり、戻ったのですが帰ってしまったのかトラクターが見当たりませんでした。下流に行ってみると、大地が平になって一本の河が6本位に広がっており、まるちゃんに歩いて川に入ってもらったら何とか渡れそうなので、気を付けて5本位の河を渡り、最後の河も何とか渡れると思い入ったのですが、出口の辺りがくぼんでおり、ボンネットを上にして水没です。ナビのまるちゃんも初めての経験らしく、ドアを開けようとしても水圧で開きません。外の水の高さと室内の水の高さが同じになってから、開いたのですが、まるちゃんが大切にしていたおやつ類が膝の上まで、ぷかぷか浮いてきました。

まずは高い位置に置いていた衛星電話を取り出し、本部や日本の事務所まで電話するのですが、全然繋がりません。緯度。経度を知らせるのに3時間位掛かってました。万が一を考えて寝袋とマットを2名分持っていたので、それを出して、一晩寝ることにしましたが、二人ともスボンの腰まで濡れており、スボンを抜いて寝袋に入るのですが寒くて大変でした。

翌朝の7時頃、山田さんが手配してくれた救助隊が2台の車で来てくれました。低体温になってたらと、お医者さんも同乗してました。後ろ側にウインチで引き出してくれて、私は濡れるからとモンゴルのスタッフがおんぶしてくれて河を渡りました。その後スタッフのムッホ君がぺラシャフトを外し、水で満タンになった燃タンを逆さにして空にして、予備のガソリンを入れて、エンジンまで行ってる燃料ホースの水を抜き、やっとエンジンがかかり、コマ図の渡る場所までもどり、2台のランクルと私のジムニーを牽引ロープでつなぎ、スタッブが歩いて浅い場所を探して、渡り切りました。

山田さんが手配してくれたスタッフに大感謝です。

菅原 義正

写真1はシルクウエイラリーで河渡りをさんざん練習してきました。
写真2は後ろに引きだしたジムニー。
写真3は表彰式でおんぶされた再現シーンです。


著者紹介 菅原義正氏

 

No.240 SILK WAY RALLY無事に終了いたしました。 – 菅原さんからの手紙 2018/07/30 11:00

SILK WAY RALLY無事に終了いたしました。

このラリーは昨年度まで、モスクワを出発してカザフスタンを通り、一昨年は北京、昨年は西安にゴールする、クロスカントリーラリーでした。

今年の最初の予定では西安をスターとしてカザフスタンを通り、モスクワにゴールするとの事でしたが、途中からカザフスタンが通れなくなったので西安をスタートして、カザフスタンの手前で参加者の車両を貨物用の飛行機でロシアに運び、中国側で5日間走り、2日の休日があり、(その間に飛行機で運び)ロシアのカスピ海の西のアストラハンをスタートして5日間でモスクワにゴールすると伝えられていましたが、直前になってアストラハンを20日にスタートして27日にモスクワにゴールするラリーになりました。

我々チームのトラック4台(内競技トラックは2台)はウラジオストックからモスクワ日野さんに陸送で10,000KM走って来て、ラリーメカさんの整備を受けて、我々選手がスタート地点のアストラハンまで約1,500KMを2日間かけて移動して、3,600KMのラリーを終えてモスクワに戻り、明日(30日)にこちらを出て10,000KMを走りウラジオストックまで車両を戻す事になります。

成績ですが2号車の照仁がトラック総合6位クラス優勝で私は9位クラス4位で完走しました。

今回のラリーはロシア一国だけで、次回のダカールもペルー一国だけになってしまいました。

菅原 義正

※ 写真はチームSUGAWARAのfacebookページより


著者紹介 菅原義正氏

No.239「新車のお披露目会」- 菅原さんからの手紙 2018/06/15 19:00

6月2日と3日にかけて日野さんの御前山のテストコースでスポンサーさんや報道関係の皆様に集まって頂き、お披露目会が無事に終了しました。

今回の目玉は照仁が乗る2号車です。次回大会に向けてフレームもコの字から箱形状に変えて剛性を上げたフレームを作り、全て新造です。
後ろにはスペアータイヤが縦に2本入っているので、荷台にはサイドから入るのでリアーボディの両サイドに上ヒンジで開くドアーが付いており、燃料を入れたり、整備はそのドアーから出入りします。

燃料タンクも後ろにずらしたので、重心バランスも改善されております。

問題だったのは5月1日に私は左足を骨折したので、運転できるか? でした。
手術して3週間と4日しか経ってなかったのですが、何とか運転が出来たので良かったです。

次回はチームも大きくなり、メカさんもこんなに大勢になりました。

もう一枚の写真は波状路を走っている「私が運転している」1号車です。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

 

No.238「骨折しました。」- 菅原さんからの手紙 2018/05/25 22:15

5月1日の午後のリエゾン中に舗装路で転倒して左足首のケイ骨の骨折と内側の靭帯を痛めてしまいました。原因はチューブレス用のリアーリムにチューブを使うタイヤをチューブを入れないで使ったのが悪かったのです。

3月にあった湯布院ラリーでも同じ条件で使ったのですが、問題が起きなかったので安心して走っていたのですが、少しづつエアーが抜けてきて、コーナーで一気に空気が抜けてタイヤがリムから外れてしまいました。初めてパリダカに出た1983年以来35年ぶりの骨折です。

1日の午後に近森さん、黒ちゃんにお世話になり、現地の病院に連れて行ってもらいレントゲンで完全に折れてる事が分かり、翌日、高知空港から東京に向かい、同日にスポーツ整形で有名な病院に入院したのですが、連休中なので8日に手術をしてもらい12日に退院して2日後からリハビリが始まり、一回も松葉づえを使わずに歩けるようになりました。9本のボルトでとめてあるのに、すぐにリハビリには驚きです。手術後にTVで知ったのですが、豚や牛の骨で作ったボルトがあり、ボルトが骨の一部になるそうです。更に驚いたのは人骨のボルトもあるそうですよ。

7月中旬から西安を出発してモスクワゴールのシルクウエイラリーがあるので、リハビリを頑張ります。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

 

No.237「ラリーレイドモンゴルに向けて」- 菅原さんからの手紙 2018/04/02 20:30

昨年はレンジャーで出たのですが、今年はシルクウエイ・ラリー(西安ーモスクワ)に1号車、2号車の2台で出場予定なので、2016年に出た、ジムニーの車検を継続したり、ラリーに向けての整備を開始しました。

写真1は御殿場の工場ですが、尾上さんがジムニーの博物館を作るので左側にはお預かりしているジムニーが写ってます。

写真2は計器類が付いたダッシュボードです。
ガーミンが2台とテラトリップが1台とバイク用のラリーコンピューターとICO(バイク用でGPSで作動する)がついてます。テラトリップとバイク用ラリーコンピーターはセンサーが必要で、テラトリップはプロペラシャフトの回転から信号をとり、バイク用のラリコンはブレーキドラムから信号をもらって動きますが、ICOはGPSからの信号なのでセンサーの故障がないので安心です。

大きなカーナビは、松山の車検場に着いたら外します。左下のタイマーは後ろに積んだガソリンタンクから下の純正タンクに燃料を移動させる時に使います。

写真3は後ろからの写真でスペアータイヤが1本しか見えませんが、もう一本は座席の後ろに立てて積んでます。(なるべく重量物はホイールベースの真ん中に積みたいので)

右後ろに写っているのは、ホープスターと言って,ジムニーの原型の車両です。

6月23日が車検なので、やる事がいっぱいです。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.236「ホンダドリームCL」- 菅原さんからの手紙 2018/03/23 12:00

懐かしい写真が出てきました。この車両は父が高校生の時に買ってくれた車両です。

私は父にお願いしたのは、ホンダベンリーCB92スーパースポーツ(125cc)でした。

当時、北海道の小樽市に住んでいたので、このバイクは北海道に初めて上陸したバイクで札幌に納車され、小樽までセールスマンが自走で陸送中に事故を起こしてしまい、父は危険なバイクだから、もう少し優しいバイクが良いとドリームCL250を買ってくれました。このバイクは日本で初めてセルモーターが付いて、シートはタンデムでした。それまでは、自転車やバイクは荷物を運ぶ道具として使われており、この車両から本田 宗一郎さんがスポーツ車両として開発したバイクです。

何でこの写真を使ったのか、説明が必要ですね。今年のダカールが始まる前に、アライヘルメットさんに訪問したら、創設者の新井廣武さんがバイクの上で立って走っている大きな写真が飾ってありました。

私も負けずに昔の写真を探し出したのでした。
このバイクで高校に通っていたので帰りには5人乗りで帰った事もありました。
場所は小樽商科大学のグラウンドを無許可で走ってました。

無茶苦茶ですね。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.235「始動開始」- 菅原さんからの手紙 2018/02/21 12:00

来年のダカールに向けた車両作りが始まりました。キャブ(運転席)の内部は弊社で製作するのでガレージに入り作業が始まりました。このキャブは今年6位に入った照仁が乗る2号車になります。

2号車のキャブはナローキャブで1号車(私が乗っている車両)よりも車幅が狭い車両で、今度新しく製作しているのは、後ろにベットスペースがある乗員の後ろ側が広くなっております。

ロールバーを入れたりすると、どうしても座席の後ろに余裕が無くなり、ドライバーの希望で余裕のある、このキャブを採用したようです。

このキャブに合わせてロールバーを入れたり、運転席やナピ席には様々な計器類がダッシュボードに付けたりと、大変な作業が待ち構えております。

ロールバーは引き抜き鋼管と言って、鋼管の製造会社に事前に注文が必要なパイプを使います。

フレームは日野さんの方で製作してもらっており、強度を上げるために、今までのコの字のフレームからボックス形状のフレームを採用します。これによって強度が上がるので鉄板の厚さも薄くなるようです。

もう一枚の写真はざっと機械で曲げたロールバーですが、更に精度を上げて取り付けるには、パイプの中に乾いた砂を入れて、火を真っ赤にかけて手曲げで曲げて調整します。

テストは7月にあるシルクウエイラリーに出場予定なので時間がありません。

今回使った大型の6X4のZSと2台のハイラックスはフランスに到着したので、2名の社員が対応に弊社のルマン工場に行き、働いてくれてます。

こんな事をしていると1年はすぐにやってきますね。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.234「リタイヤです」- 菅原さんからの手紙 2018/01/29 12:45

ダカールラリーが始まって2日目に写真のようになってしまいリタイヤです。

埋まったところから5メーター先からは平だったので、ここを脱出したら何も問題なかったのですが、残念です。

写真を撮したのは午後3時頃で、後ろから6輪駆動の参加者が来るので引っ張ってもらったらすぐに出ると思い、この状態で一時間位6輪駆動車を待っていたのですが、来ないのでナビの羽村君と砂を掘って姿勢を立て直し自力で脱出する準備を始めました。

動力をかけたら転覆する恐れがあったので、後輪にジャキをかけて斜面に対して直角にして、後ろに下がって、下まで降りて助走をつけて登って来る計画を立てて、砂を掘り出しましたが、砂がさらさらしており、掘っても掘っても変化がありません。二人で11時間掘ってのですが状況は良くありません。衛星電話でチームの本部を呼ぶのですが、電波の状態も悪く、うまく繋がりません。

我々の車がスタックしている事が主催者の方で分かっているので明け方6輪駆動のカミオンバレーが2台来てくれて、引き揚げてくれたのですが、左前輪のハブが壊れて走れない状態でした。

壊れたパーツを持ってチームのメカさんがハイラックスで救援に来てくれて直したのですが、左後輪の駆動も壊れており、急遽フロントドライブだけにしてラリーを追っかけました。キャンプに着いたら菅原はリタイヤになっていないとの情報が入り、メカさんが急いで後輪の駆動も修理してくれたのですが、埋まった翌日は出発のカードももらってないのでリタイヤ扱いです。

主催者と交渉してアシスタンスクラスのゼッケンに張り替えて、走ったのですがこれまた大変で、新しく持って行ったキャンピングカーの調子が悪く、50キロ走るとオーバーヒートで水を補給しなければならなかったり、急な坂は上らないので牽引したりで、22時間も連続で走ったりでサポートの大変さをを実感したラリーでした。

ボリビア近くでは標高4000メーター近くの大地が600キロも続きます。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

NO.233 「菅原からの手紙」- 菅原さんからの手紙 2018/01/02 21:30

明けましておめでとうございます。 今年も宜しくお願いいたします。

ダカールのスタートが近づいてきたので、ホテルの食堂でヤマハやホンダのTシャツを着ている人たちが、増えて来ました。

我々チームも予定通りに進んでおり、31日には初めて導入するキャンピングカーが
4000Km先のアルゼンチンから自走で運ばれてきました。(今年のゴールがアルゼンチンなので、返却がしやすい)

運転してくれた人に聞いたら8日間も掛ったそうです。約一日500Km走ったことになります。我々チームの大型サポートトラックを運転してくれるバイラーさんに話したら、僕なら4日で来れるよ、と言ってました。

大陸育ちのバイラーさん(モンゴル人)と日本人(キャンパーを運転してくれた人)とはスケールが違うんですね。

明日(2日)はフランスから船出した、ハイラックス2台と大型のサービストラックが港につくので、引き取りに行き、荷物の積み込みなど、忙しくなってきます。

車検が3日でスタートが6日です。今年も応援お願いします。

写真説明、キャンピングカーの点検中と街に出だしたダカールの広告です。

追伸 ペルーの元大統領のフジモリさんが恩赦で刑務所から出る事になりました。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏