No.057「情けない」 菅原さんからの手紙 2010/12/30 22:30

letter_057_20101230_01 日野自動車さんがダカール挑戦20周年の記念として車体のデザインを日本の伝統である「歌舞伎の隈取り」をイメージしたデザインにして頂きましたが、文化を継承しなければならない大事なお人が世の中を悪い方に騒がせております。

我々は日本の文化を世界に示すことも大切なことだと思い28年もやってきました。とても残念なことです。

30日は午前4時20分にホテルをチェックアウトして車検会場に向かいます。

添付写真はカードにしてラリーの途中でファンの皆様に配るように大量に日野さんが用意してくれました。

菅原 義正

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No.056 「全てが逆?」- 菅原さんからの手紙 2010/12/29 17:48

letter_056_20101229_01今日はこちらで磁石(コンパス)を買いました。キャンプ用品屋さんはあるのでしょうが、中々そのお店が見つかりません。散々探して、ジェスチャーや筆記でNとSを書いてコンパスを分って貰いましたよ。

写真を見て下さい。左はこちらで買ったコンパスで矢印は南を指しています。右は日本から持ってきたコンパスで北と南は逆に指していますね。

早速、麻生さんの開店のパーティが始まる寸前に山田さんに電話しました。彼曰く、お風呂の水を抜くと抜ける時の廻り方が日本と逆なので、やって撮影してみて下さいとの事です。

このホテルはシャワーだけなので、洗面台でやりましたが、水だけだと良く分からないのでトイレットペーパを小さく切って流したら左巻きで流れるのですが、時として右にうずを巻きます。

日本の流れ方を教えて下さい。ちなみにおしっこは真っすぐに出ますよ。

(山田 注: 台風などの渦は北半球では左回り(反時計回り)南半球は右回りです。これは地球の自転のなせる業ですが、洗面台などはその形状による渦で、判別は不能です。しかし菅原さんのいうとおり、かなりな部分で違いがあることは事実ですね。)

やはりこんな環境なのでチーム員の一人は倒れまた。

ラリーとは競技以外に戦う事が多すぎですね。

自画自賛ですが我々チーム員はこのラリーで28年間一回も人身事故を起こしていません。

菅原 義正

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No.055「すごい時代になりました」- 菅原さんからの手紙 2010/12/28 17:11

letter_055_20101228_01添付写真は2009のダカールでの3日目位のキャンプ地で、写真で後ろに写っているのは私のテントです。

今日、メールをチェックしていたらface book でIVO KASTAN(チェコの人)さんからのメッセージと共に、この添付写真が送られてきました。

彼はこのバイクで挑戦して、3日目位でSSを途中から外れて、我々チームのアシスタントカミオン(日野プロフィア6輪駆動車)にくっついてキャンプ地を目指して走って来たそうです。

偶然にも私のテントの傍に居たので、声をかけ、彼のカメラで写真を撮ってもらいました。 タンクはホンダ125のパリダカタンクです。

後で分かるのですが、彼は猛烈なガストン・ファンだそうです。あの時に分っていれば、私のカミオンにガストンさんの写真を貼っているので、お見せすれば喜んだのにと思っていました。

そんな彼からアルゼンチンでメールと写真が届いたので驚きました。

この後に彼は一人でエンジンアッシーを一交換するのですが、翌日のキャンプ地には来ませんでした。

彼は2007のダカールを完走し、ボンネビルでこのような小さいバイクで最高スピートの挑戦をしているとは知りませんでした。

こんなすごい人からの連絡に驚きです。

菅原 義正

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No.054「自衛」- 菅原さんからの手紙 2010/12/27

letter_054_20101227_01一枚目の写真ですが牢屋ではありませんよ。

我々が泊まっているホテルです。昼間でも鉄格子には鍵がかかっており、フロントの人が確認してから電気的に解錠します。その後、更にドアに鍵が掛っており、フロントの人がドアまで来て、手動で開けてくれます。

フロントのお姉さんが言っていました。この国では2ペソ「日本円で約50円」欲しさで拳銃で撃たれて殺されると。それを一緒に聞いていた弊社の高橋は「拳銃の弾の方が高そうですね。」

また、こうも言っていました。掃除をしたくなければ鍵を開けて外出する事だそうです。帰宅したら家の中の物は全部無くなっているから・・・だそうです。モデルさんのように綺麗なお姉さんですが、2回も拳銃を向けられたそうですよ。

どちらも、たとえ話でしょうが、日本とは大違いですね。

2枚目の写真は開店前のお店です。3枚目はドアを含めて5つの鍵が付いています。更にこの鉄柵を外して開店するのですが、外した鉄柵にも持って行かれないように鍵を掛けます。

考えてみたらコロンブスが来た頃から略奪を繰り返されてきた歴史が物語っているのかもしれませんね。

おまけ2010
ブラジルで聞いたのですが赤ちゃんに蒙古斑点が出るのが多いそうです。原住民は、アジアからアラスカを渡り、パナマを超えて南下してきたのですね。

菅原 義正

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No.053 -「菅原さんからの手紙」2010/12/24

letter_053_20101224-01競技用の日野レンジャー2台は3年前からアルゼンチントヨタさんのご厚意で我々の為に用意して頂いている、専用の場所におさまりました。

車高の高いレンジャーが入れるようにと天井からの照明を上に移動してくれています。

次回の大会からカミオンのドライバーとナビゲーターにも安全装備が更に多く義務づけられました。昔はTシャツで良く、ヘルメットだけうるさく言われたのですが、今後はヘルメットはもちろん、下着の上下と靴下とマスクと手袋とレーシングスーツと首を守るハンスを付けます。

ラリーレイドはF-1と違って、上下左右、頭を動かして走るので今日は車両の最終走行テストと安全装備を付けた状態でのテスト走行を行いました。

ハンスが曲者でヘルメットの前後と左右の動きが規制されるので、まずは工場内のテストコース(舗装路)を3周程しましたが、そんなには邪魔にはなりませんでした。

今度は工場の外周にあるダートでのテストをしたのですが、想像していた通り、ハンスとヘルメットを止めているベルトが動きを規制し、このままでは難しい事が判明しました。

どうにかしなければなりません。

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写真の説明です。工場に入つた日野レンジャーで左が1号車、右が2号車です。違いは補助灯の位置とブッシュガードの色です。

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ハンスを付けた後姿の私です。

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ハンスとマスクを付けて新しいデザインのアライヘルメットを被っています。

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走行テストを待つ私の全身像。サンタさんではありませんよ。

良いクリスマスを

菅原 義正

追伸 モトワークス改装開店おめでとう。

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No.052 – 「菅原さんからの手紙」 2010/12/20

待ちに待った日野レンジャー2台がお世話になっているトヨタアルゼンチンの工場に運ばれて来ました。

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写真01
最初の写真のように大型のトレーラーでコンテナーごと低床の積載車に乗せられてきます。この車両の前には注意を促すための黄色の回転灯を付けた前走車もおりました。
昨年は大丈夫だったのですが、今年からレギュレーションが変わり、高速道路の走行許可が出ないので、ブエノスアイレスの街を大きく外回りして、走って来たそうです。

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写真02
二枚目の写真ですが日本で積み込んだ状態がそのままになっているオープンコンテナーで長さは40フィートだと思います。

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写真03
三枚目はブルーシートも外されて、コンテナーに固定している車止めやテープ類を外しています。
ここまで来るのには、2週間も前からブラジルから川崎汽船の方がこちらに来て手続きに奔走してくれました。更にこちらの豊田通商の皆様にお世話になっており、ラリーをやる前の大仕事が皆様のご協力があり、出来るのだと改めて感謝しております。

昨夜はラリーで転倒した夢を見ました。気をつけます。

菅原 義正

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No.051 -「菅原さんからの手紙」2010/12/16

letter_051_20101216_01 昨日は昨年GPSで押さえていた緯度経度をハンデイの60に入れて、自動車関係が集合している街まで運動を兼ね4時間かけて歩いて行きました。

入れた数値は S 34-35-56-00 W 058-27-06-00暇なときにでもグーグルアースで見て下さい。

昔、東京の両国の近くにタテカワと言う場所に同じような街がありました。
古い車も走っているので機械式のメーター類を修理するお店やプロペラシャフトの修理専門店などがありますが、広くて全部見切れずに帰りはタクシーのお世話になりました。

写真のようにこちらではバイクにタンクカバーを付けているのが多くみられたのでタンクをキズから守るものだとばかり思っていましたが、Tシャツを掛けているのを見て理解できました。直射日光が強いのでタンクの温度を上げない工夫なんですね。

もう一枚の写真はリアヘスプリングのダストカバーです。

今日はレンジャーの通関が終わりそうなので、市内のホテルをチェックアウトして工場に向かうので日本食のレストランとはしばらくおさらばです。

菅原 義正

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No.050 – 菅原さんからの手紙 2010/12/14

letter_050_20101214_01 一人でブエノスアイレスのホテルに居ります。メカさんの第1団はすでにお世話になるトヨタさん(市内から約80km離れています)で用意をしているのですが、肝心の競技車両の通関に手こずっている状態です。

今日、昼食に入ったレストランの各テーブルの上に、こんな印刷物が置いてありました。DAKARが認めた水なんですね。

ラリーがこんな所まで浸透しているのはすごい事です。

先日、入った日本食のレストランで簡単な物を注文して待っていたら、ウエイトレスのお姉さんが白身の薄造りとお寿司を持ってきて、これは店長からのプレゼントだと渡されました。昨年も行っていたので覚えてくれていたようです。 こんなちょっとの事がとてもうれしく思います。

帰りには厨房で働いている人達まで出て来て、店内で記念撮影になり、お客さん達が何が起きたのかと不思議そうでした。

話は変わりますが、こちらのタクシーの領収書には最高速度が記入されています。床屋さんに行きました。540円です。

菅原 義正

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No.049 - 菅原さんからの手紙 2010/12/09

letter_049_20101209_01 今は現地時間の午前4:40です。こちらに来て一週間もかけて変な時間に起きないように体調管理をしていたのですが、一発の電話で破られました。

電話に出たらあの「トシ西山」君です。私は彼のお父さんとトライアルやモトクロスで大変にお世話になった関係があります。

お話を聞いていたら11月末までヨーロッパに居たとの事、私とすれ違いでした。すっかり浦島太郎状態でダカールが南米に移った事すら知らないのです。彼は以前ダカールに出場した経験もお持ちなのに?・・・ですね。

彼は一時、バイク関係から離れていたのですが、フランコ・アチェルビス氏に会ったり、意欲的にバイクの世界に戻って来そうなので暖かく迎えたいと思っています。

一の子分のマエダッチはTBIで寝る時に私が手をつないで上げないと寝ないと話したら、よろしくお願いしますと言われましたよ。
写真の説明です。

1枚目のブルーのバイクですがポリスが防弾チョッキを着て乗るバイクです。

2枚目は隊員が2種類居るのですが右足にピストルの白いケースを付けているのが軍隊、服が違い安全のタスキをかけているのが治安部隊です。

3枚目はナンバーの封印です。左に赤いプラスチック状のものです。

4枚目は街でよく見るバイクでこれはホンダですがヤマハ、スズキもこのサイズが多いです。

白バイですが日本は権力を象徴しているのか威風堂々のバイクを選んでいますが、操作性の良いバイクを選んでいるこちらの国の方に私は賛成です。

日本の最初の頃の白バイはアメリカからの影響で大きい「陸王」などが使われていましたが、狭い日本ではもっと利便性の良いバイクが適切ですね。

こちらの白バイはパトロールに使っており、スピード違反専用ではないのです。日本も考える時期にきておりますね。

変な時間に起こされた 菅原 義正でした。

菅原 義正

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No.048「ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに来ました。」- 菅原さんからの手紙 2010/12/08

letter_048_20101208_01 今年は日本人がブラジルに移民して102年目になります。

45年前に私の学友が移民船のブラジル丸に乗ってこちらに来て活躍しており、ダカールがゴールの時は直線的には近いので、友人を訪ねたかったのですが、直接行く飛行機が無かったので、延び延びになっていました。

友人に会って色々聞くと、横浜を出て太平洋を渡り、ロスまで行き、そこから南下してパナマ運河を通り36日後にリオ・デ・ジャネイロの南のサントス港に着いたそうで、太平洋では船が揺れて食事が出来なかったそうです。

私は、パリから12時間で冬から真夏の世界に来てしまいました。コパカバーナの海岸の真ん中で海に面したホテルなので、体を慣らすには最高の環境です。

写真の説明
懐かしい話に夢中の友人と私。真ん中に写っている奇岩はボン・ジ・アスーカルです。

ホテルの窓からの写真

この辺りの警備に使っている乗り物(オシャレですね。)

砂浜で何かあったらすぐに出動できる4X4のATV

おまけ
街の名前の由来を聞いたら1月にこの地を見つけて海だと思わずに河だと思って名前を付けたのだそうです。リオは英語ではリバーで、ジャネイロはジャニュアリーで納得ですね。

菅原 義正

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No.047「パリからです。」- 菅原さんからの手紙 2010/12/05

letter_047_101205_01 12/1にパリに到着しました。機内でのアナウンスを聞いていたのですが、着いてびっくり雪景色でマイナス3度でした。

着いたターミナルは1で、とても懐かしい空港で007の映画にも出た今でも新鮮に感じられます。多分、今でも世界で一番お客が歩かない工夫がされております。

山田さんの文章に良く出てくる「フラットテル」の傍のホテルを取りました。昔は私もフラットテルを使っており、ここは1週間以上居るとホテルよりも広くキッチンと食器もあり、近所のモノプリ「スーパーマケット」で食材を買い、各チームは自炊をしていました。

写真を見て下さい。エッフェル塔の西、二つ目の橋でグルネル橋です。橋の真ん中に自由の女神像があります。余談ですが、数年前に、この像が日本のお台場に出張した事があります。

私が四輪で出場した時は電動工具は充電式のドリルだけで、工場が無いのでこの橋の下で整備をしてました。冬は良く雨が降るので。

セーヌ河の傍に白いバンが停まっている橋の下です。駐車場には車高が高いので入らないのでホテルのドアマンと仲良くなり24時間使ってないホテルの前に置いてもらうのです。

あの時から約30年、今ではルマンに300坪の工場を持ち溶接機もアルゴン、半自動の溶接機、アセチレンの溶接機など常備しており、昔とは雲泥の差ですね。

自由の女神の中州にある道は「白鳥の散歩道」と言ってランニングにはとても良い場所なのですが雪で走れませんでした。

12/3には暖かいブラジルに移動します。一人旅はサミシー。今度は麻生さんと行きましょうね。

菅原 義正

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No.046 – 菅原さんからの手紙 2010/11/24

letter_046_20101124_01 ちょっと空いた時間を利用してイーチのレストアを楽しんでおります。

一昨日は御殿場の工場で新しい色に塗ったパーツにクリアーの塗装をしました。

一カ月前に依頼したメッキのパーツも何点か出来あがってきたのでチェンジペダルのゴムはSRのパーツを使ったり、キックアームのゴムはウラルのを流用してます。こんな事を考えるのも楽しい時間です。

写真にある丸いのは後席の人がつかまるハンドルです。

燃料タンクのへこみがすごいので弊社のスーさんに叩きだしてもらいました。タンクに付いているニーグリップするゴムですが、驚いた事に運転手の足の長さに合わせて移動できるようになってました。

タイヤは前後共に19インチなのでホンダSL230の前輪のタイヤを使おうかと思ってますが生意気にそのタイヤには進行方向がありました。

しばらく留守にするので、この時間を利用してメッキ屋さんに何点か依頼に行きましたら、この時期はバイクに乗らないので、メッキの依頼が多くて、約2ケ月も掛るそうです。ちょうど私が帰国する頃には出来上がるようです。

明日は御殿場に移動してモンゴルから帰国したジムニーに再会です。

そんなこんなしている内にSSERの東京での発表会ですね。

私は12/1に出発しますので、この次は皆さんが想像してない場所からお手紙をおくりますね。お楽しみに・・・

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菅原 義正

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No.045 – 菅原さんからの手紙 2010/11/02

letter_045_20101102_01 先日、日野さんの本社で報道の皆様にダカールの発表会がありました。前列は1号車と2号車の選手と日野さんの近藤会長さん(右側)と藤井専務さんです。後ろの左の方は、今年モンゴルラリーにホンダXR400で完走した本社の門間君で右側の3名の方は全国の販社3400名のメカさんから選ばれた精鋭のメカさん達ですよ。

今回は日野さんが参戦して20周年記念になるのでデザインは歌舞伎の隈どりをもじった物です。2号車の照が運転する車両はご存じのようにモンゴルでテストした外板がカーボンケブラー車、私の1号車は今までどうりの車両で160キロの重さの差があります。

この重量はとても大切で、加速や減速に負担がかかりますが、何とか経験でカバー出来ればと思ってます。

リオの友人からメールが入り、2012はリオ-ブエノスアイレスとの情報が現地で流れているようです。ブラジルはこれからが面白くなるので可能性は大いにありそうですね。

今回は約50年前に学友がポルトガル語を習得して日本でリオの銀行の試験に受かり移民船で横浜からテープで別れた友人とラリー前にリオで再会出来るのでとても楽しみにしております。

選手とメカさん達は12月10日頃に現地に入ります。皆様の応援をお願いしますね。

菅原 義正

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No.044 「パベルさんがロシアから来日しました。」- 菅原さんからの手紙 2010/10/19

letter_044_20101019_01 SSERの主催するモンゴルラリーに2006と2007と2008にバイクで出場したパベルさんが一緒に出たアレキサンダーさんの息子さんとその友人の3名で初来日です。

2007には弊社のサポートを受けて、パリダカにも出ております。

2週間以上前に照からパベルさんが来日して、何を食べたいと聞いたら「ふぐ料理」と言われ、驚ろき、結局インターネットで探し、3人をご招待したそうです。

その後は3人で日本中を旅行するとの事でした。

それから2週間後に私は日野さんに打ち合わせに行き、金曜日だったので先日もブログに書かせて頂いたイーチの整備を御殿場の工場でやろうと思い、日野さんから中央道を使い直接、御殿場に向かっていたら、照からの電話でパベルさん達が富士山に登るので、御殿場の家に泊めて欲しいとの事でした。

その後、すぐに英語でパベルさんから電話が入りました。どうも新宿駅に居てこれから御殿場に向かいたいとの事です。走りながらの会話なので私は1時間後に御殿場に着く事、御殿場には2つの出口があり、山側ではなく、海側の出口で出る事などを手短に話ました。

御殿場には私の方が早く着き、イーチを整備していたら携帯にメールが入り、CITY側で待っているとの事です。思った通りで困りました。私はシーサイドの出口と言ったのですが、どうも通じてません。御殿場のシティサイドは山側なのです。車を海側の駅に付けてキョロキョロするのですが、それらしき人達が見あたらないので、ホームを渡って山側のバス停の待合室などを探しても居ません。海側に戻り、よーく見ると日本人らしき人(アレキサンダーさんの息子さん)の間にパベルさんが居りました。

再会をお互いに喜び、ガレージに行ったら、パベルさんも私と同じイーチを持っているとの事でした。そんなお話をしていたら隣のガレージのオーナーの高杉君が表れ、お互いにびっくりです。彼は2007のダカールラリーで弊社のランクルを運転してパベルさんのお世話もしたのです。

更に、偶然に桐島ローランドさんから電話が入り、訳をお話しすると彼も2007のダカールとモンゴルで一緒だったので、お会いする約束をしました。

翌日、朝の4時に起床して御殿場口の5合目までお送りし、夕方5時過ぎに下山し、東京に向かう途中に何を食べたいかとお聞きしたら、神戸牛を食べるのを忘れたとの事、結局10時頃に六本木の米沢牛の専門店で桐島さんを交えてシャブシャブを食べたのでした。

写真の説明。パベルさんの隣2人目の方がアレキサンダーさんの息子さんです。

菅原 義正

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No.043「シェークダウン」- 菅原さんからの手紙 2010/10/12

letter_043_20101012_01 9日(土) にダカールラリー2011に向けたテストを行いました。

場所は茨城県の御前山にある日野さんのテストコースで、外周に2ケ所のバンクが付いている高速実験路(舗装)とその内側にある未舗装路(ジャリ道)、とカマボコ状の凸が左右交互に配置されたコースなどを使ってのテストです。

照が乗るのは最新型でモンゴルに持って行った車両、私のはまた違った車両です。その差は車重に表れており照のは160キロほど軽くなっております。

軽量化の差は加速時に表れてました。そうなるとブーキングにも表れます。

新しくブレーキも改善して頂き、前後の効きの配分調整が出来る装置を取り付けました。これは急な下り坂で有効なのですがスイッチの操作を忘れないようにしないと意味ないですね。(この操作はドライバーの私がやることになってます。)

昨年まで、オーバーヒート気味だってのですが、対策が施され順調な仕上がりを確認できました。

最後に一生懸命に作ってくれたメカさん達に助手席に乗ってもらい喜んで頂きましたよ。

菅原 義正

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No.042 – 菅原さんからの手紙 2010/09/24

letter_042_20100924_01 昨年、モンゴルから持ち帰ったロシア製のバイク「イーチ」のレストアを開始しました。御殿場の工場に置いてあるので、9/17(金)の午前11時頃に東名に入ったら、何と45キロの渋滞です。空いていたら1時間で行けるのに、その日は3時間も掛ってしまいました。

運転手のシートと後席のシートアッセンブリーを外して、東京に持ち帰り錆とりや塗装を剥がしたり、結構細かい作業の連続です。塗装を剥がして判ったのですが、今のグリーンは前のオーナーが塗ったもので最初の色はブルーでした。車両全体のサスペンションは当時の技術では難しかったようで、シートにもサスペンションが付いてます。この車両にはコイルスプリングを引き方向で使ってます。

このバイクのルーツをドイツのカイザーさんに聞いたら、ドイツのDKWのコピーだとの事です。そう言えば私が乗っているロシア製のウラルもドイツのBMWの水平対向エンジンのコピーなので納得です。DKWは昔、自動車も作っていたので会社名は知ってました。1930年頃は世界最大のオートバイメーカーだったそうです。

色も決めましたし、後席の人が持つハンドルやキックペダル、シフトペダルは再メッキにお願いしてます。今後の作り込みをまたご報告しますね。どうも年齢は私と同じ位なようです。

写真は椅子を取った状態のイーチと当時のDKWの宣伝のポスターです。

菅原 義正

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No.041「良い例と悪い例」- 菅原さんからの手紙 2010/09/10

letter_041_20100910_01 今年のモンゴルでの1シーンです。レンジローバーで出たドイツからの参加者のラインと私のラインを見て下さい。(尾上さんも私と同じラインを走ってました。)

ドイツからの選手は女性で名前はステファンさんです。

彼女は9/7に日本の観光を楽しみに来日してます。お寿司が好きとの事で7日夜は恵比寿のお寿司屋さんにご招待しました。

カミオンで出た、照、アヘッド号を運転した若林さん、私のナピの杉浦君、オーガナイザーのお手伝いをした弊社の高橋君、我々とアヘット゛号や霧島号の整備をしてくれたウラナ君のお父さんのバイラーさんと再会です。

これぞ、ラリーの大切な、再び合うと言う素晴らしい瞬間です。

この写真を彼女にお見せして、どうしてこうなったかを質問しました。

やはり、オーバースピードでこのラインに入ってしまったそうです。深さは1メートルもあり、リスクの多い走りですね。

自動車競技はスピードを出すことも大切だすが、一番大切なのは減速なのです。

台地を読んで減速をする事の大切さが難しいのですね。

彼女に我々のエンジンのキャパシティをお話したらびっくりしてましたよ。

今日の彼女は日光見学で土曜日には富士山に登り。その後京都に行くそうなので杉ちゃんの接待おねがいしまね。

菅原 義正

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No.040 – 菅原さんからの手紙 2010/08/25

letter_040_20100825-01RALLY MONGOLIA 2010ではジムニークラスを作って頂きありがとうございました。

昨年まではTEAM APIOとして尾上さんと私だけでしたが、今回は霧島ローランドさん&井出さん組、若林さんと三好さん組が参加してくれ、大いに盛り上がりました。

一時は全車完走も難しい事態が発生しましたが、皆さんに助けてもらい全車完走です。

昨年の私の車両はスタートして150キロメーター地点で右側のエンジンマウントのボルトがせん断され、毎晩、修理しながらの走行で尾上号に負けてしまいました。

今回の約束は毎日のSSで勝った方がビールをおごる事、何時も通り、命にかかわらない事故の場合はお互いに助け合わない事、ラリー全体で負けた方は厚木の温泉旅館を借り切ってぱーっと祝勝会をやる事です。

今年の一日目は様子を見ながらなので尾上さんの勝ちでした。なんと2日目には昨年の私と同じ症状が出て、右側のエンジンマウントが落ちてしまいました。

メーカーは一日にオフロードを600キロも全開で走るテストはしてないので、しょうがない事ですね。私は純正と違う容量の多いスペシャルなエンジンマウントを装着していたので大丈夫でした。

それにしても660ccのジムニーがドイツから来たレンジローバーに勝つ日があるのですからやめられませんね。

尾上さんへ。来年も勝負ですね。

ジムニークラスが増える事を願ってます。

菅原 義正

写真説明

とても大きなジムニークラスの優勝杯
私の車両のバックミラーに貼ってあるガストンさんと昨年までの尾上さんの名ナビの松田さんの写真と尾上親分です。。

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No.039 – 菅原さんからの手紙 2010/08/02

letter_039_20100802-01 この写真は1984年にオランダのデュロイ選手がパリダカに持ち込んだ車両です。写真の説明では、ダブルキャビンでダブルエンジンとなってますが?です。

こんな発想は日本人の私には出来ません。

次の年には私も夏木陽介さんとパジェロで出てこの車両を見てますが、途中で転倒してリタイアをしてます。この年、デュロイ選手は別に仕立てたカミオンで出て総合15位で完走してます。この車両は親分のデュロイ選手のサポートをしてたようです。この発想が面白いですね。

もう一枚の写真は1946年に作られた消防の連絡車の用です。実に合理的で火災現場にまっすぐに入って行き、危なくなったら反対の席で運転して真っ直ぐに非難が出来ますね。Uターンなんてしている場合ではないはずです。

日本でこんな発想をして、上の人にお話ししても、絶対に実現しないのです。デメリットだけを考えるからなのです。

今年もチリでライノのサイズの消防車を何台も見ました。どこでも走れて初期消火には最適です。

あれをやるとだめ、これをやると誰が責任取るのだと、考えてばかりで前に一歩も進まないのが日本の現状ですね。

少しづつ改めましょう。
菅原 義正

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No.038 – 菅原さんからの手紙 2010/07/23

letter_038_20100723-01何年も前になりますが、自動車評論家の高斎 正さんから「ルマンに居るのなら近くにサブレと言う町があり、そこで有名なお菓子を売っているので、お世話になっている方にお土産で買ってみたら」と言われました。

サブレと言えばフランス語で砂の事を言いますが、まさかそんな町がある事自体知りませんでした。 今回はちょっと時間が出来たのでSABLEと言う町に行ってきました。

地図にあるようにルマンから西南に70キロです。落ち着いた美しい町です。お店を探して入って見ると品の良いおじさんが居て、昔、京都などに行ったことがあると言ってました。

開業は1932年なので78年も営業しているそうです。日本にもなんとかサブレと言うお菓子がありますが、歯触りは砂っぽい感じで同じです。

世の中には知らない事がいっぱいありますね。「ワインの味が分かるには人生短すぎる」と言う諺がフランスにあるようですよ。

写真は私が買ったサブレを車まで運んでくれてるオーナーさんです。

菅原 義正

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No.037 – 菅原さんからの手紙 2010/07/12

letter_037_20100712-01ルマンに来ております。こちらの天候も不順だそうで一週間前には暖房が必要なくらい寒い日があったと思うと一気に熱くなるようです。36度もありましたよ。

写真の通り、9.10.11とフルコースを使い「ルマン・クラッシック」が始まります。家の近所にもテストドライブを兼てか、古いトライアンフに乗った老夫婦が嬉しそうに走ってました。 自動車に係る文化の違いが大きすぎますね。

そんな訳で公道がコースになる場所は完全に封鎖してなく、何時でもコースとして使える状態になってました。

サルト県にしては一粒で2度美味しいイベントですね。アルナージュの街ではお客さんの為に歩道に乗り出したカフエテラスが用意されてました。

気になったのはユノディールの直線に昔からある、中華のお店の前に高いフエンスが張られてました。想像するにお客のマナーが悪く、物を投げつけられないようになっているようです。お行儀の悪い一部の人の為にか、動物園のようになり残念です。

暫く改装で閉まっていた自動車博物館(サーキットに隣接されている)もこのイベントに合わせて7/7にオープンしました。今までとはガラッと変わっており一見の価値がありますよ。

自分の土産に先日書いたジュッソーさんのモデルを購入してきました。

菅原 義正

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No.036 – 菅原からの手紙 2010/06/29

letter_036_20100629-01フランスのストラスブールに来ております。この街には1993年にEUが統合した本会議場があります。

名前の通り、今はフランス領ですが以前はドイツ領だったりした経緯があるようです。

27年前に堀 ひろこさんがパリーアルジェーアビジャン間をバイクで縦走する
計画があり、私と浅賀 敏則氏と二人でパリから電車に乗ってミュンヘンのスズキ自動車さんへサポート用のジムニー(確か1000cc)を引き取りに行きました。そこには1981年か2年にパリダカに出たジムニーが置いてありました。800ccだったと思います。

電車を乗換変えたのがここの街、ストラスブールでした。時間があったので駅前のレストランに入って卵焼きを注文するのですが、通じません。

コケコッコーと言いながら手をパタパタしてもダメでした。結局は厨房に侵入して卵を見つけてお願いしたのですが、フランスの鶏はクックラキッキーと鳴くのだそうです。

写真は見ての通り、スキーをバイクで引いてます。それも大人がシャンゼリーゼ通りでです。以前もこの写真を目にしたのですかが、ホテルの近くのお土産やさんでポストカードとして売られてましたのでご紹介します。1930年に写された写真です。

菅原 義正

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No.035 – 菅原さんからの手紙 2010/06/09

letter_035_20100609-01写真を見て下さい。手前のルノーはカラーですが、後ろのポルシェはセピアですね。フランス人の意地と嬉しさが表れた作品です。

この写真は1978年のルマン24時間のイラストですが、ものすごい物語が含まれております。

手前のルノー・アルピーヌ(フランス製)を運転しているのはフランス人のジャン・ピエール・ジョッソー氏で後ろはポルシェ936(ドイツ製)を運転しているのはベルギー人のジャッキー・イクス氏です。

1975,1976,1977はベルギー人のジャッキー・イクス氏が優勝で、やっとフランス人がフランス製の車でジョッソー氏が優勝しました。この時はフランスが泣いた日(嬉しくて)と言われております。

1972,1973,1974はフランス人のアンリ・ペスカルロ氏が連続で優勝しております。

このすごい舞台で活躍した人達がダカール・ラリーでも活躍をしている事を皆様にお知らせしたくて書いてます。

日野さんが1991年からダカール・ラリーに挑戦して来年で20周年を迎えます。最初の年から弊社でマネージメントをさせて頂いており、1991年は4名の外人のドライバーを弊社で探したのですが、お願いしたお一人がジョッソー氏でした。

後で判ったのですが、生沢 徹 選手がイギリスで修業中にF-3で戦っていた一人がジョッソーさんとの事でした。

10年程前に彼の誕生日のお祝いを、彼に内緒で息子さんが計画を立てました。それは、ルマンの自動車博物館に置いてある、ジョッソー氏が運転した優勝車をルマンのサーキットで走って貰おうと言う企画です。

我々もご招待されたのですが、私は予定が合わないので照に行ってもらいました。そのお礼の書が弊社の2階に上がる階段に飾ってあるので、来社の節はぜひ見て下さい。

ルマンで私がTVに出る時にスタジオでペスカルロさんとご一緒しました。

光栄な事です。

菅原 義正

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No.034 -「改造病が再発しました」- 菅原さんからの手紙 2010/05/27

letter_034_20100527-01北海道4DAYSには縁があって私の所にお嫁に来た新車のセローにマップホルダーとICOだけを付けて無改造での出場を考えてました。

それが何と気がつくと写真のようにフル装備になってしまいました。

SSERのイベントは主催者が安全性を重視し、レギュレーションの装備品(北海道では熊よけの鈴まで持たされます)はかなりの重量とカサがあり、昨年まではリュックに入れて走ってたのですが、年のせいか忘れっぽくて休憩地点で外したリュックを何回も忘れて、主催者の山田さんに電話して持ち帰ってもらってました。

そんな訳で今年のTBIからはなるべくバイクに装備品をくくり付けてリュックからウエストベルトに変更です。休憩地点でもウエストベルトは絶対に外しません。リエゾン中の休憩ポイントでは主催者の山田さんの視線がちらちらと私のウエストベルトにきてました。

工具などの重い物はアンダーガードを兼ねた重心の低い位置に物入れを作り、スペアーの電球など壊れやすい物は別な部屋です。

地図など頻繁に出さない物はサイドのマフラー状の物入れに丸めて入れます。約90パイのマフラー用のパイプを買い、後ろの蓋はマフラーと同じ品を流用してます。

フォグランプはアメリカからのHIDで1ケ、35Wです。

禁煙はできたのですが、どうしても改造病は完治しません。

菅原 義正

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No.033 -「2010 TBI」- 菅原さんからの手紙 2010/05/18

letter_033_20100510-01 今年も素晴らしい大会でしたね。

前にも書きましたが、今回は初めて麻生さんのメカサービスの他に介護サービスをあの有名なフリーマガジン、アヘッドの女性版編集長である若林葉子さんにお願いいたしました。

内容は車検と人検の時に荷物が多くなるので、そのお手伝いをお願いし、その後、マップをロール状に張る事、寝る時間を多くする為に夕食と朝食をキャンパーまで運んでもらう事、などなどです。

彼女は仕事の関係で5/2までのお手伝いでしたが、朝と夜には頼みもしないのに、勝手にオフィシャルの皆様が集まって来て、コーヒーなど入れてもらってましたが、彼女が帰ったその夜からゲンキンな事で誰も来ない有様です。

もうひとつの挑戦は、永い間T-63を使ってましたが、今回はダンロップ(出入りのバイク屋さんにBSをお願いしたのですが在庫がありませんでした)のD605を装着しました。何と尾崎さんはセローでD603です。

毎年通る大きめのジャリ道の登り道に来たのですが、何とスルスルと無事に通過です。何時もより上手になったような気分です。

帰京して色々と検証しましたが、タイヤ幅が少し太いのと、ハイトがあるのでエアー圧を落とすと接地面積が増える事、タイヤ自体が柔らかい事などが、下手な私をサポートしてくれたようです。

モンゴル・ラリーでは宿敵のアピオの尾上さんがセローで北海道4DAYSにエントリーしたようです。私もセローで出ます。親しい仲間とバイクで走れる嬉しさは年を取っても嬉しい事です。

外国でこのようなイベントがあると少なくとも10,000人位の観客があります。今年のダカールでのスタートには800,000人が来て応援してくれました。

主催者の山田さん、役員の皆々様、ありがとう。

菅原 義正

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No.032 「30年前の写真が出てきました。」- 菅原さんからの手紙 2010/04/22

letter_032_20100422-01 昭和54年の暑中見舞い。照が7歳で何と乗ってるバイクはモンテッサの子供用の本格的なトライアル車です。それもなぜか乗っているのは六本木です。

エンジンは2ストの25cc位で3速位だったと記憶しております。ハブもホイールもアルミ製で本物でした。キックだけは前に蹴る方式です。

入手したのはスペインのマドリッドで、浅賀さん(浅賀 敏則)と街を歩いていたらショールームに飾ってあり、即2台を注文した次第です。

日本に入った時は、トイ(オモチャ)だと言ったら無税でした。

その後、照があまり乗らないので、成田さんの所へ行き、このバイクのせいもあるのか、あの有名なタクミ選手が生まれるのです。

浅賀さんは今でもこれと同じバイクを持っているので、成田家に残っていれば日本に2台のバイクですね。

同じバイクに乗っても方やトライアルの選手になり、方やカミオンのドライバーになっていくのは不思議です。

菅原 義正

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No.031 – 菅原さんからの手紙 2010/04/19

letter_031_20100419_01後10日もしたらTBIが始まりますね。今年のTBIには新しい試みを2つ程、実行します。

1つは私の介護(メカではありません)をして頂けるスタッフを1名お願いしております。介護をお願いするには大変失礼な程、有名な方です。私以外の介護は一切しないようにしますので、海老沢先生や伊倉ちゃんは傍に来てはいけませんよ。

2つ目はタイヤを変えました。T-63を使ってたのですが、その良さも発揮できておりませんでしたので、ノーマルにしました。私の腕では十分だと考えたからです。

急に思い出しました。ミシュランのエンデューロタイヤを日本人で最初に使ったのは私でした。1984年のパリダカに向けて日本に持ち帰り、車両を作り上げて1000KM走ったら、どの程度の摩耗があるかテストに北海道に向かい、東北自動車道のサービスエリアで一服しようと止まったらレストランでトシ西山さんにばったり出くわした思い出があります。

ヘルメットも新しくしたらリムーバーが最初からセットされており、あの変な姿にならなくてすみそうです。

山田さんが一生懸命作ってくれたコマ図との旅、とても楽しみにしております。

写真はモンゴル・ラリーでテストをするレンジャーの作業中の一枚です。

菅原 義正

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No.030 -「TBI用の車両 」 2010/04/01 菅原さんからの手紙

letter_030_20100401_01 今年のTBIはこのヘッドランプで行きます。

昨年はアメリカから取り寄せたHIDの3連タイプでしたが、エンデューロなどでは良いのかもしれませんが、一般道を走るのは?でした。試行錯誤して照射角度を変えてみたのですが、失敗でした。

年を取ると目が悪くなり、ランプは明るいのが助かります。この写真は昨年の9月の時に写した写真で香取線香が3つも置いてあります。

少しづつですが改良して7ケ月後の本日、タイヤを変更したのでICOのチェックで走りました。同時にバイク部屋に持ち物のリストを作りながら、用品をチェックして会社に行ったら、今度はモンゴルの書類がSSERから届いてます。

御殿場の工場には古い方のウラルと昨年モンゴルから入れた「イーチ」が待っており、モンゴル・ラリーのジムニーの最終テストもあり、大忙しの今日この頃です。

菅原 義正

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No.029 – 2010/03/31 菅原からの手紙

letter_029_20100331_01先日のTDRにBMW1200GSで参加したのですが、失敗しました。東京を出る前にブレーキパッドの残量を確認したつもりでしたが、出雲を過ぎる辺りを走っていたらリアーブレーキから、かすかなお知らせがありました。

ゴールしたら、したで色々とやる事があり、ブレーキの事は忘れてしまいバイクに乗ってから改めて思い出します。

ゴールして麻生さんのお店で点検したら、お恥ずかしい事にリアーのブレーキパットは完全に無くなり鉄どおしでのブレーキでした。ローターの内側は特にすり減っており、要交換です。

広島でパッドはすぐに手に入りましたが、ローターは時間がかかるとの事で東京でローターを変える事にしました。

15000KMを走ってパッドの交換とは思ってもみませんでしたが、考えてみると自重が240キロもあり、パッド自体はそんなに大きくないので負担が大きいようです。

反省をしながらローターを自分で変えました。ついでにエアークリーナーも取り替えたのですが、660ccのジムニーの1/3位の大きさでした。

今日は並行の作業でTBI用と北海道4DAYSのセローの作業もし、セローは完成しましがTBIはミィシュランのT-63からノーマルのタイヤに変更します。

写真は完成した北海道4DAYS用のセローです。

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No.028 -「準備万端」- 2010/03/16 菅原さんからの手紙

letter_028_20100316_01早いもので、TDR2010が今週末に近づいてきました。

TDR2010はBMW1200GSでの参加なのでマップホルダーやICOで武装しました。

普段はノーマルの状態にして走りたいので、マップホールダーの取り付けには少しだけ神経を使ってます。

BMWの純正の荷物のケースは良く考えられており、プラスチックのハードケースなのに荷物の量に応じて大きくなったり小さくなったりします。

このあたりの考え方は日本人の発想にはないですね。たとえば、飛行機の頭の上の荷物入れのヒンジの動き、ヨーロッパの窓のヒンジ、ワーゲンのキャンピングカーの屋根とベットのヒンジなどなどです。

バイクのプロリンクの動きも不思議ですね。

今日はTBI用のXR230Rに乗って御殿場までテスト走行に行ってきました。

何と燃費は25.3KM/Lでした。街中だと29KM/Lなのですが、ちょっと悪すぎですね。帰宅して早速オイル交換です。

明日は北海道4DAYS用のセローの作り込みです。

菅原 義正

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No.027 – 2010/03/10 菅原さんからの手紙

letter_027_20100310_01孫(照の娘)が会社に遊びに来てくれました。、その時の一枚です。

孫はとても可愛いのですが、後ろのボードを良く見ると歴史を感じます。

先ずはレンジャーのまえでペテランセルとの一枚、WRCの世界チ ンピオンのミキビアシオンと肩を組んでる写真、ウラルのサイドカーのマネージャーのオレーシャ(ロシアのモデルさん)の写真、ファラオで私がヤマハライノで走っている写真、桐島ローランドさんの御殿場のスタジオ、東郷せいじさんの絵、などが写ってますね。

孫の叶美ちゃんで2/28で2歳です。ABCDとZまで歌います。

68歳の私も負けそうです。

私も頑張りますよ。

菅原 義正

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No.026 – 2010/03/01 菅原さんからの手紙

letter_026_20100301_01 チリで地震が起き、驚きました。1ケ月半前には震源地の近くに居たのですから。震源地から北海道の釧路辺りをグーグルアースを使って直線距離を測ってみました。

約17,000kmです。津波の早さは時速600km/hにもなるそうで、震源地からは約28時間位で津波が来るようです。50年前にもチリの大地震があり、三陸海岸に大きな津波が来て大変な被害があったようですが、今は事前に津波の警報が出るようになったので、事前に備えが出来るので少しは安心ですね。

グーグルアースを開けたら震源地などの情報がしっかりと出ていたり、CNNのニュース番組にもグーグルアースの映像が出たりで、いまやグーグルアース様さまです。

来年のダカールですが、こんなに被害が大きいと開催にも影響が出そうなので、こちらも心配です。

自然災害の恐ろしさを再認識させられました。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.025 – 2010/02/05 菅原さんからの手紙

letter_025_20100205_011月20日に帰国して10日も経つのに体内時計が狂ったままです。この年になると完全に直るには1カ月が必要で、南米に1カ月居て体が慣れた頃に帰国しているので、トータル2カ月も時差ぼけと戦っている事になります。

先日、テレビの収録で三橋君とご一緒しましたが、夕方の撮影中に私と一緒に睡魔が襲ってきてたようでした。

ラリーの終了後に次回はチュニジアーリビアーエジプトのコースも考えているとの記者発表があったそうですが、私はアフリカに戻ってもらいたいと願っております。

ダカール用に用意したルマンの工場には2年も行ってません。南米になってからは高低差があり、トラックにはとても難しいコース設定になっており、チリのイキケのゴールでは標高差1キロで36度の急坂をまっすぐ3キロも降りる設定になってました。

ラリーも曲芸に近くなってきており、弱ったものです。

写真はトラックでは走りづらい場所の一枚です。

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏

No.024 – 2010/01/21 菅原さんからの手紙

letter_024_20100121_01ラリー車の後片付け(日本に持ち帰るレンジャー2台の整理やフランスに持ち帰るランクル2台と日野プロフィアを別々の港へ搬送)やお世話になった皆様を訪ねてのお礼も終わり、今回のラリーの一段落です。

今回のラリーは昨年の反省が沢山改善されておりました。 1日のコースは料理にたとえられます。大きく前菜、メイン、デザートと分けるとするとSSスタート前のリエゾン、メインのSS、キャンプ地までのリエゾン、全てが美しい景色が用意されており、モンゴルにそっくりな風景の中のリエゾンなど、とても素晴らしい演出でした。料理も前菜が不味いとだめですからね。

キャンブ地ですが昨年は昔の汽車の操車場の後で線路の上で整備をしました。保安上、有刺鉄線で囲われた広い場所はそこしか無かったのでしょう。

今年は新たに広い場所に杭を打ち有刺鉄線で囲んだ新しいその為のキャンプ地を何か所が作ってありました。

極めつけは標高差1000m、角度25度位の山をまっすぐ降りてくるとゴールとキャンブ地でした。

アフリカと違い標高の高い所が多いので景色にも変化がでます。山田さんが昨年行かれたチョモランマには負けますが最高地点は4,725mでしよ。

SSのゴールですが計測の赤い旗を通りすぎてから役員の居る場所まで、今回初めて距離を延ばしておりました。その方が安全だし、役員が埃だらけになりませんね。

来年はアフリカに戻る可能性があるようなので楽しみです。

写真はまっさかさまになった競技車です。本当は2台一緒に転んだのですが、手前にあったカミオンは起こした後でした。今年は10台近くのカミオンが転倒しました。

12時間後に日本までの苦しいリエゾンが始まります。 ブエノスアイレスにて

菅原 義正


著者紹介 菅原義正氏