No.0314 – Organisation Voice 2001/06/12

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うちの事務所の前には、パレットがずらりと並べられて、カミオン用の巨大なタイヤや、エンジンオイルの入ったドラム缶などが、積み込みを待っている。いよいよ今年もラリーレイドモンゴルが近づいてきた。この7年間で、世の中は劇的に変わったといっていい。初めて(いや2回目かもしれない)の試走のときは、ウランバートルに帰りついたら、あちらの政府の人が「日本も社会主義政権になったから、どうする?帰るか?」などと言う、何のことかというと、連立を組んだ自民党が、村山を首班指名したのであるよ。まだ民主主義のよちよち歩きのモンゴル人には、よく理解できなかったような出来事であるが、はるかゴビ砂漠から生還した身には、あまりにも漠とした話でよく分かりにくかった。

変わったといえば通信もそうだ。1994年当時はインマルサットのシステムを借りるためには、複雑な手続きが必要で、僕はといえば暑いさなかに目黒にあるKDDの研究所に行って、汗を拭き拭きレクチャーを受けたのも昨日のことのようだ。そしてそのインマルサットたるや、担当者がそれは大切そうに、わざわざ松山まで持って来たりという代物。またその重さも相当なもので、ウランバートルに僕たちが借りていたアパートが5階で、エレベーターは慢性的にとまってるもんだから、これを部屋まで上げ下ろしするのも大変だったんだ。が、今ではノートパソコン程度!なんだ。携帯衛星電話IRIDIUMも、実用化を一日千秋の思いで待ちに待ったんだが、 1年使用しただけで、会社がなくなった。ウランバートル市内はというと、恐ろしい勢いで携帯電話が蔓延しちゃった。固定電話のインフラが整備される前に、携帯が流行ったもんだから順序がおかしい。

でもこれも考えてみたら、いいのかもね。後は日本と現地の、通信手段が満足になってきたことも特筆だ。通信の革命はこうして実感できる。通信が国境を自由に越える。いつまでも国家主義のままでいいのかなあ。世界はナショナリズムに進んでいっていいのかなあ。などと中国通過貨物の高いコストとリスクに、胃を痛める日々と決別したいような気分の今日この頃でした。

きょうの一枚
これもCD写真集からの一枚、いい忘れてましたがカメラマンは治武(jibu)君です。故永山氏の薫陶を受けて、氏の意思をちゃんと受け継いだ人物です。ヘリに乗って身を乗り出して撮影するので、マイ命綱をいつも持ってきてはいるんですが、どうも命綱を引っ掛けてる相手(機体内のワイヤー)の方が、僕としては信用できないんですがね。

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