No.0617 – Organisation Voice 2004/03/24

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「打たれ強い」について考える。小沢正一的心だああ。

僕は今日、打たれ強いと言われたのでございます。えっ、「打たれているの僕?」「そうですよ」「いやあ、打たれているって感じがしないけど」などと話をしていて思い出したのでございますよ。

それは忘れもしない先々週の日曜日の夜、場所は菅原邸の常設宴会場。メンバーはそうそうたるもの。このメンバーについてはまたの機会とさせていただければと思うのでありますが、その中に世界スーパーバンタム級で数度の世界戦を闘っている石井広三という現役のプロボクサーがいらっしゃったのであります。その戦績たるや見事なもので、世界3位、まあ世界チャンピオンに一番近いとこにいる方なのですよ。その彼は「打たれているのに気がつかない」と言うではないですか。それほど闘うことに夢中になっているのでしょうか、敵を仕留めること以外に、やられるという事は考えないのでしょうか。

僕はあまりボクシングに興味は無かったのですが、こりゃあ彼の試合が見たい!とそう思った次第です。つまるところ、何度も彼に「打たれ強いんだ?」と聞くのですが「そうなんですよ」とは絶対に言わないではありませんか。逆に「打たれたことは無い」と言い張る始末。周囲は爆笑なのでありますから、やっぱり実は打たれているのでしょう。

つまり打たれ強いということは、逆境を逆境とも感じない、むしろそれに幸福感を見出すことなのか、そのとき僕は植村直巳を思い出したのであります。んでその石井選手の風貌も、植村さんに似ているのであります。真のスポーツマンは冒険家に似ているのか。いや冒険家はもうちょっと冷静じゃないといけないのですから、つまり打たれ強いということは、冒険+スポーツのこころを持つラリーレイドの心ではありませんか。つまりまあなんですが、パリダカなんかをやっている人というのは「打たれていることに気がつかない幸せな人たちなのである」と言う結論に達したのであります。

ほんじつはこれまで。

きょうの一枚
打ち合わせで出かけた内子町の、どこよりも早い?枝垂れ桜、いいでしょ。で、もう一枚は事務所のすぐ近くの菜の花畑、いいにおいが充満していて、春たけなわでございますよ。

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