No.0564 – Organisation Voice 2003/12/09


「ある晴れた日ー、遠い海の彼方に煙が立ちー、やがて船が見えるー。真白い船はー・・・」と、子供ながらに異国情緒を感じずにはいられなかった、オペラ「蝶々夫人」来年は、ミラノのスカラ座で初演されて100周年を迎えるといいます。以下はNEWS記事の抜粋

『戦前、あでやかな着物姿と透きとおった美声の「蝶々夫人」としてヨーロッパで名声を博しながらも、日本ではほとんど知られぬまま世を去った幻のプリマ・ドンナ、喜波(きわ)貞子。彼女の舞台衣裳などの遺品54点が、保管していたフランス人の愛弟子から、「蝶々夫人」の舞台である長崎市のグラバー園に寄贈された。プッチーニのオペラ「蝶々夫人」がミラノのスカラ座で初演されて100周年を迎える来年、公開される。

 喜波貞子は1902年、横浜生まれ。母方の祖母が日本人、祖父はオランダ人で、父親もオランダ人の商人だった。17歳で単身ミラノに渡り、声楽のレッスンを積んだ後、20歳の時にリスボンのサン・カルロス劇場で「蝶々夫人」の役でデビュー。以後、ヨーロッパの一流劇場で「蝶々夫人」を中心に「イリス」、「トゥーランドット」など東洋ものの公演を次々に行い、三浦環をしのぐ人気を集めた。イタリア語を優雅に歌ったといい、「日本の夜のうぐいす」などと呼ばれた。

 「蝶々夫人」の公演は1000回を超えたが、日本への帰朝公演は実現せぬまま第二次世界大戦の勃発で舞台を去った。そして83年5月、ついに祖国の土を踏むことなくフランスのニースで80年の生涯を閉じた。

 喜波は同じオペラ歌手のポーランド人と結婚したが子供はなく、「蝶々夫人」の舞台で使った着物や和傘、かつら、髪飾り、楽譜などの遺品は、ニースで最後をみとった愛弟子の元オペラ歌手、ミレーユ・ガエッティ・カペッルさん(83)が大切に保管していた。それを喜波の生き方に引かれたイタリア在住の日本人オペラ歌手、井戸靖子さんが譲り受け、「喜波貞子さんを偲ぶ会」の事務局長を務める福岡県城島町の萬年順子さん(55)を通じてグラバー園に寄贈した。

 グラバー園には「蝶々夫人」を作曲したプッチーニと三浦環の銅像はあるが、オペラ「蝶々夫人」と直接関係する展示物はない。喜波の人生そのものがドラマチックである上、贈られた遺品は世界の一流オペラ劇場で実際に使われた衣裳や小道具類。しかも喜波の母方の祖母が長崎出身で、外国人の祖父と出会ったのも長崎市だったことなど、喜波自身のルーツも蝶々夫人と重なる。そのため、来秋から園の目玉として常設展示する方向で準備を進めている。

 「偲ぶ会」は来年3月26日、イタリアから指揮者と歌手、そしてフランスから遺品を保管してきたミレーユさんを招いて、福岡市の福岡銀行本店ホールで喜波の追悼記念演奏会を開く。

 遺品の引き渡しやコンサート準備に奔走してきた萬年さんは「喜波は、オペラという文化を通じてヨーロッパに日本を伝え続けた人。その遺品が『蝶々夫人』の初演から100周年の年に長崎で公開され、追悼コンサートが開けるのも何かの巡り合わせ。できるだけ多くの日本人に喜波貞子というプリマ・ドンナのことを知ってもらえれば」と話している。

 コンサートの問い合わせは福岡音楽文化協会(092・414・8306)へ。』

 さあ、NAGASAKIへ。日本の中の異国へ。皆さんもぜひ。

きょうの一枚
あらあら、試走チームのなんと素晴らしいことでしょう。でもこれは今年の新緑の季節の北海道試走チーム。今は雪の中で試走中!!アスファルトとダートの境界線が間違っているのもうなづけますよねえ。でも大方は工事のせいだからねえ。で、九州地区と中国地区の試走は、NEW WEPON!!PAJERO EVO.が投入されちゃいます。こうご期待!

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