No.0447 – Organisation Voice 2002/07/27


8年目のラリーをもって、ひとまずラリーレイドモンゴルはその歴史に幕を下ろす。さまざまな憶測が飛んでいるのも知っているが、むしろ存在意義のそれなりの大きさがあったんだと、うれしい思いのほうが大きい。

今年を最後とする理由は、いくつかある。なかでも「安全上のもの」が大きい。あのオウムで一躍有名になった旧ソ連製の大型ヘリコプターの問題である。実はこの国にヘリはこいつしか存在しない。平気で70年代製だったりする。それでもジェットヘリだ。電子デバイスはまったくないから、ある意味では安心なんだが、年々その程度は悪くなる。経年劣化というやつだ。バイクなら浅間ミーティングに平気で出られるし、クルマならミッレミリアという手もある。で、こいつが昨年の冬、ついに事故を起した。冷害の取材に飛んで、ラリーでよくコースとして使ったウブス湖の近くで、着陸に失敗して室内の 予備タンクが燃えて、脱出に遅れたNHKのカメラマンと、モンゴル一の金持ち、エルデネットの金鉱山の社長が死んだ。航空当局は(そんなものがあるのか)室内の増設タンクを禁止した。禁止せずに、もっと他に方法を考えればよかったのに、たとえばラリーカーが室内に積むのは、もともと航空機用の防爆タンクなんだけど。そして、この規制によって、フライトレンジが極端に減ってしまった。つまり満タンで飛べる距離が、著しく減ったのだ。なんと2時間400キロである、これではラリールートを延ばすこともできず、緊急で回収してウランバートルに輸送する燃料を残したまま、ラリールート上を監視飛行することができないではないか。

それでもオペレーションが出来ないわけではない。事実、2001年はその制約のなかで、開催しているのだから。やっぱり問題は、空を飛ぶ安全性の限界だ。事故を起したモンゴル航空は、今年5月にヘリコプターを民間会社に売却してしまった。もちろん優秀なパイロットも、その会社に移ったりもしているが、このあとどうやってヘリをメインテナンスしていくのか、ロシア側にはどれだけのパーツの供給が可能なのか、疑問は疑問を呼び、それは図らずも不安に変わる。だいたい主催者が、こうした不安要素などを口にするのはよくない。この手のいかなる主催者も、こうしたネガティヴな発言はしない。唯一我々にその公言が許されるのは、最後だからということではなく、この問題が公然たる事実だからである。しかし、それとて今年で最終回とする絶対の理由でないことは、賢明な大多数は気が付いている。それはまごうことなく、経済的な理由だ。

大会が始まった当初の1995年、スポンサーにも恵まれ、まずは順風満帆の滑り出しを見せた。TVもNHKではゴールデンタイムに放送され、巨人阪神戦の裏番組にして、8コンマ何パーセントだかの高視聴率を収めた、らしい。どうもこの視聴率というのだけは胡散臭くて、その業界に少し首を突っ込む僕としては、何度か説明を聞いたけど、どうしてもいまだによく飲み込めない。こんなもんに右往左往させられるTV関係の人や広告関係の方は本当に気の毒だとしか言いようがない。てな事を平気で言うものだから、ってんではなく、時代は容赦なく費用対効果の時代に入ってくる。「そんなことをして何のメリットがあるのか、幾ら出したら幾ら返ってくるのか。」まあ数年前までは「企業として文化活動やスポーツ活動に貢献する、いわゆるメセナってんですかねえ」なんて言ってた企業の人たちは、みんな浪花のアキンドになっいてしまった。「アンサン、ナニゆうとりまんのや、そんなもんにゼニイイチモンも出せしまへんわ。」

という時代に突入してきたんである。しばらくすると、そんな風潮が一般市民にまで(つまり僕たちや、僕たちの仲間)広がりはじめた。それは自身のことまではいい、ようは人に意見するところに問題がある。たとえば、参加しようとした人の多くは、言われたことがあるだろうし、我々も言われ続けてる「そんなことして、どうなるの。お金になるのか、体は大丈夫か」ってことだ。つまり抑止圧力の増大である。そのうえ、開催には毎年おびただしい額の不足額が生じてきている。毎年数千万単位の不足である。「もはや事業やないで」「あたりまえや、儲けようなんて思うてやってない」「あほや、アンさんあほや」みたいな話で、先のヘリの安全性の問題も突きつめれば実は、資金力さえあれば片付けられるのである。

今回も試走をしながら思うのである。実は今ゾーモッドの井戸にいる。「この大会を終わらせるのは、実にもったいない。」と、なにがってやはり年月の積み重ねによって醸成されてるもの、たとえば人間関係や、ノウハウやそうした歴史や文化やっていう、いわゆる「かけがえの無いもの、得がたいもの」の連続性が途絶えること。なのである。

僕は、ラリーレイドモンゴルをエントリー費を20万円くらいにしたい。そしてエアも輸送費も含めてだけど。そうして、本当に多くの人にこのラリーを体験して欲しかった。「心血を注いで作ったから、みんな見て!」みたいな幼稚な発想で言ってるんじゃない。自身の感性の扉を、ほんの少しだけ開けて、この地を走れば、日本人のアイデンティティや、そのインディヴィジュアリティが見えてくる。20世紀に人類がなしたことがなんだったか、スターリズムがなんだったか、巨大ないまだに理不尽な考えを主義とする、一党独裁の国がわずかな距離を置いて存在する戦慄を。走り出すと、さまざまな思いが胸を射すくめ、ときに時空を曲げて、今走ってる道の先にあるものが、果たして現代なのか過去なのか。そこには過去にとらわれた自分がいるのか、未来に向かうう勇気があるのか、そのように自分に問いかける。そんな気持ちを得るひとつのきっかけにできれば、たとえば費用対効果を唱えるナニワショウニンにも「エエデンナ」と言わせられるに違いない。と思うからなのである。僕は試走に出る前の日、ある日本人のご婦人を日本からご案内した。ウランバートルの北にあるジャルガラントという元国営農場跡。彼女は1947年この地で捕虜として収容されてた父を亡くした。彼女はその時3歳。終戦直前に満州で民間人であった父親は前線に借り出され終戦、そして苛烈な大地の粗末な建物に収容された。待っていたものは死だった。「戦争とは何であったか」とラリーが始まってこの8年間、特に考えるようになった。そしてその戦後処理の問題点もたくさん目にしてきた。日本人としてアジアの中で、お金以外でどのようにして尊敬が集められるのか。その答えは今の日本人の「費用対効果」の考え方からは出てこない。


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