No.0382 – Organisation Voice 2001/11/19


ツールドニッポンのルート制作の旅は、実にハードだが愉快で、本当に知らなかった日本の再発見の旅の日々なのだ。特に東北~北陸にかけての地域は、本当に新鮮だった。17歳の頃訪れた、米沢市。それは吾妻山への登山で行ったんだけど、なんと30年ぶりだった。このあたりまではどこの山々にも初冠雪があり、峠を越える我々には、雪や氷の恐怖とも闘わなければならなかった。で、その「峠」とはなんと哀愁とロマンを秘めた言葉なんだろう。

四国、特に我々の住む地域では多くの峠は「とう」とか「たお」と読まれる。しかし驚いた事に東北などでもそのようだ。その分水嶺をまたぐ峠は 2つの似て異なる村を一本の隘路で繋ぎ、故に憎しみも悲しみも、もちろん喜びも期待も。行き交う人々は、それらを胸に越えて行ったのかと思うと、妙に感慨深い。なんとも不思議だ「タオ」って。

1992年9月17日ルネ・メッジは「パリ・北京」で中ソ国境(すでにその時はウズベキスタン・中国国境)を越えるトルガルト峠で「別の大陸にわたる感慨がある」とTVのインタヴイューに答えていた。4000mになろうかという峠には、中国軍の時代遅れのトーチカが、細い砲身を今はなきソ連の空に向けている姿も、あわれで、20世紀の人間のやってきたことの悲しさを象徴していた。

「そうだ、峠はあるときは国境であり、州境であり、県境であり、様ざまなものを、さえぎり遠ざけて厳として聳え立っていたに違いない。」と思う。現代に在って、われわれは果たしてちゃんと峠に向かって歩いているのだろうか。常にそれらを背に低いほうへと歩いているのではないのか、都市へ、安楽へ、困難とは程遠い退屈な毎日へ。しかし、やがて相対峙させられる、今の日本のように。困難を避けて歩いたが故の絶大な困難に。面白い故事を聞いた、それは「目的を持たぬ者は大股で歩く」コレで謎が解けたぞ。

きょうの一枚
いいですねえ、ふるさとは。日本のふるさとはやはり盛岡に決定。郡上八幡もビバークに採用されそうです。


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