No.0392 – Organisation Voice 2001/12/10


ビッグタンクマガジン12月号が届いた。僕たちも広告協賛している。もちろん広告としての価値を充分に認識しての事であって、不遜にも「こういう雑誌を育てなければ」などと思ってるわけではない。ただしひとつ言える事は、その送り手(つまり、作り手)に対する共感性のようなものは確かにあるということだ。春木編集長の少しシニカルであったりははするものの文章表現力に裏打ちされたオフロード文化全体への正しい知識と、掘り下げ方が僕は好きなのである。本当は広告出稿しないほうが、公平性という意味ではいいんじゃなかろうかとも思うんだが、まあそれはここでは問わない。

で、是非多くの皆さんに手にしてもらいたいと思う、コレもささやかなジャーナリズムとすれば、受けてである我々も情報を積極的に受けつつ、リテラシーの心をもたなければならない。それが送り手と受けての良き関係であろう。

で本当は何が言いたかったかというと、目次もなければページも打っていないので、説明しにくいけど、12月号のラリーレイドモンゴル2001を紹介するページにあるヒノのカミオンバレイの写真、そのキャプションに「カミオンバーレー(ちょっとおかしい)は、あの菅原義正がドライブする日野である。ラリーレイド界に勇名を馳せるカミオンのトップドライバーがバックアップしている。このことを贅沢に感じるのは僕だけではないだろう。」とある。(プロジェクトX風に)

菅原義正は今年5月、還暦を祝った。その年のTBIにXR250で連日の雨の中を 2400km走りきった。2ヵ月後の7月、TBI2にも出場し 24時間で 1200kmを走った。 8月にはRRMの最後尾を、6輪駆動のカミオンで支えたかと思えば、10月の TV朝日の番組制作のモンゴル行ではさらに過酷な環境で、何昼夜も一睡もせずにハンドルを握り続けた。この年の人間業を越えているんではないかと思う。

「なぜそんな事が可能なのか」と問うTVのスタッフに、僕はこう答えた。「彼は、ピストに2つと同じ物のないひとつずつのギャップや、穴や凹みやクラックを、いかに超えるか、ただそれだけに集中して無心でしかし、その向こうにパリダカでの闘いを見据えているからだ。だからどんな事にも耐えられるどころか、貴重なトレーニングの場に変えてしまっているんだ。」と言うと、横で聞いていた菅原さんは「そのとおり」と一言つぶやいた。

彼は今年、パリダカール出場20周年を迎えた。誰もが恵まれた環境で出場記録が続いているんだろうと思うだろう、答えは全く違う。その道のりの厳しさはどれほどのものだったろうか。勝負の世界に生きるということの悲しさと、苦悩と、そして得られる歓喜とは。60年の人生の20年間を賭けたパリダカール。僕は出来る事ならばどうしても彼に、カミオンクラスの総合優勝を遂げてもらいたい。と心からそう思う。また、その位置にいる。篠塚や増岡ばかりが三菱の広告宣伝のためゆえに大きく取り上げられるのは公平ではない。彼らにすれば、もうスポーツではなく「モーターショウのエキシビションの砂漠レース」でしかない。それが冒頭に書いた、送り手と受けての責任という意味だろう。

結果パリダカは日本のメディアではもう見ることはなくなった。春木君の様なジャーナリズムがなかったのか。とまれ、どうかせめてこの「デキニチ」読者の皆さん!菅原義正の総合優勝に向けての、チャレンジに精一杯の応援をお願いします。こちらのHPから応援メッセージをお寄せください。チーム SSER& SUGAWARAの記念Tシャツ(参加選手用)を 2着プレゼントしちゃいます。

きょうの一枚
そのTシヤツがこれです。いいでしょ。チームSUGAWARA & SSERページはこちら


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