No.009 「ダカール2010」- 2009/03/27菅原さんからの手紙

letter_009_20090327-01先日、主催者から次回の大会もアルゼンチンとチリで行うとの発表がありました。

モータースポーツが大好きな両国の皆さんに見て頂きながらのラリー参加は意義のある事だと思ってますが、有刺鉄線〔写真参照〕に囲まれた場所を走るのはチョットです。今回あまり報道されてませんがキャンプ地の環境の悪さや毎晩の食事のまずさ、無理なコースの設定、毎晩出されるリザルトの遅さ、などなど問題が山積みです。

でも、発表があった以上、こちらも対策をしなければなりません。現在進めているのは、フランスの工場にあるスペアーパーツを日本に向けて発送の準備をしております。1.000点近いパーツの選定とリストの製作、そして港までの搬入など大変な作業でコンテナー1本になるとの連絡が入りました。

今回は2台ともデフレンシャルに問題が出ました。今までには無い問題です。エンジンを後ろに移動したので前後共、プロペラシャフトの長さが変わっていますが、取り付け角には問題が無いと考えてます。他の参加者も同じような問題を抱えているようです。そうなるとタイヤの空気圧も考えられます。

我々の車両にはCTISと言う装置が付いており、走行中にタイヤの空気圧を自在にコントロール出来るのですが、SS〔競争中〕での設定に問題があるかも知れません。アフリカでのデーターがあるのですが、今回は初めての大地でした。

タイヤの空気圧はとても大切で、地面から最初に受ける衝撃などはタイヤから入力が入り、その後にサスペンションに伝わり、車両のフレームに伝わります。

どちらにしても、原因の追究が必要なのですが、まだ出場車両は日本に着いてません。フランスから出た参加車両は2月26日にはルアーブルに着きました。

この辺りも、ハンデです。次回に向けて色々と動いてますので、応援下さいね。

私とスー(鈴木)さんは御殿場の工場でラリーモンゴリアのカミオンバレーを製作中です。バイクは4台積めるように作ってますが、参加者の皆さんはお世話にならないで下さいね。出来上がったら写真をアップします。

ジムニーの作業は止まったままなので、こちらも心配。先日、松山へ行った時のウラル・サイドカーのミッションを外して修理依頼予定ですが、新しいウラルのミッションを外すのも手こずりスイングアームまで外しましたよ。


著者紹介 菅原義正氏

No.008「コロンビアの新しい仲間」- 20090319菅原さんからの手紙

letter_008_20090319-01写真を見て下さい。右から2人目がガスタボさんで左前がアンドレアさんです。

彼達が今度、山田さん主催のモンゴル・ラリーに出場します。ガスタボさんはお兄さんで、アンドレアさんが弟さん、兄弟とも車が大好きです。それにしても良く似ていますね。モンゴルではガスタボさんがドライバーでアンドレアさんがナビをするようですよ。

写真の場所はお兄さんの別荘での昼食です。山の中腹にあり、入り口にはガードマンがおり、そこから何キロも走った所に別荘がありました。コックさんと給仕さんがおり、週末になると奥さんと過ごし、ご主人は隣接しているガレージで旧車のレストアをしているそうです。レストアの終わった車が10台位ありました。

先日、日野さんの社長さんとお話したら奥さんも別に別荘をお持ちで、ご馳走になったそうです。ポルシェ356のエンジンを取り替えるのに奥さんも〔一番右側の方〕お手伝いするそうです。大変でしょうと聞いたら「女遊びをされるより、この方がいいわよ」と言っていました。

我々の廻りに、耳の痛い人がどこかに何人か居そうですね。

山田さんが主催しているラリーにはモンゴル、ドイツ、オランダ、フランス、ベルギー、ロシア、カナダ、そして南米のコロンビアからも続々新しい仲間が集まってきます。

一参加者として、とても嬉しい限りです。

モンゴルのラリーが終わったら、彼のガレージにラリープレートが一枚増える事でしょう。

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著者紹介 菅原義正氏

No.007 「三脚」- 菅原さんからの手紙 – 2009/03/12菅原さんからの手紙

letter_007_20090312-01先日、山田さんが書いていたフランスのミトンさんのカーブの写真を添付しますね。この写真はかなり昔の絵葉書です。座って居る椅子に注目して下さい。全部、三脚です。

ミトンさんは私に昔のお話をしてくれました。彼のカーブの入ってすぐの右側に小さな暖炉があります。左側には高さ30センチ位の小さな三脚の椅子がありました。 この椅子は先祖から引き継いで居るのでスガワラ以外は座ってはいけないと言っていました。昔のカーブは女人禁制だったそうです。写真にも女性は写っていません。

畑仕事を終わった男連中が家に帰る前に、カーブで一杯やっていたそうです。結構、下品な話で盛り上がっていたようですよ。暖炉の上には今は使っていないお皿やナイフ、フォークが沢山ありました。お肉やお魚を持ち寄って暖炉で焼きながら白だの赤だのとやっていたのでしょうね。

三脚の椅子の座り心地は下が水平ではないのですが、とても安定していました。昔の人の知恵を感じました。

私の母を連れて行った時の事です。たぶん10名位居たと思いますが、それぞれの生まれ年のワインを開ける事になり、80歳の母の生まれ年のワインが開けられました。何も防腐剤を使っていません。驚きました。

テイストはアルコール分が抜けており、ジュースのような味だったのを覚えています。この事をパリの友人〔ホテルリッツの支配人〕にお話したら、そんなの聞いた事が無いと言っていました。

カーブには今も電気を引いて無く、全部ロウソクです。電磁波を嫌うと言っていました。大きな声を出すとワインの目が覚めるので静かにするようにとも言われましたよ。

前に進む事も大事ですが、昔からの事を大切にする事も必要だと感じました。

ミトンさんの本名は Remy Roguet でチュニジア・ラリーやファラオ・ラリーを立ち上げたフニュイさんの本名は Jean Claude Morellt で小説家でもあります。

世の中判らない事ばかりですね。


著者紹介 菅原義正氏

 

No.006 「あいまいな規則」- 2009/03/05菅原さんからの手紙

letter_006_20090305_01ファラオ・ラリーの車検がスペインの近くの港で行われた時です。

この時は2台のパジェロを出場させました。車検は2レーンで行われ、1レーンに並んだパジェロは無事通過、2レーン目の私の車は車検落ちです。理由はフロントバンパーは純正の鉄製でないとだめだと言っています。

同じアルミ製で作ったバンパーを付けた、もう一台は無事に通過しており弱りました。田舎の港町なのでディーラーもありませんし休日です。早速、表の通りに出てパジェロが走ってないか探しに行きました。しばらくしたらパジェロに乗った旅行者が来ました。車を止めて訳を話したらOKとの事、その場でアルミ製バンパーを相手の車に取り付けて、純正の鉄のバンパーをゲットし取り付けて車検をパスさせました。

旅行者は喜んでいたようなので、お礼のつもりで私の名刺を渡しておいたのですが帰国後に請求書が届き、純正バンパーの代金を支払う羽目になりました。

アルミのバンパーは帰って来ませんでしたよ。


著者紹介 菅原義正氏

No.005 「鯉のぼり」- 2009/02/26菅原さんからの手紙

letter_005_090226_01 私が4輪に転向した1985年〔第7回大会でパリ・アルジェ・ダカール〕には2台のパジェロと1台のデリカ〔4台のバイクのサポート〕を出場させました。この年は夏木 陽介さんが我々チームに来てくれ、私は彼のナビでの4輪デビューでした。チームの3台がすぐに判るようにとルーフに鯉のぼりを付けたのが最初です。砂漠にはいない魚〔ジョーク〕、日本の文化を知らしめる意味も込めました。

その後、ルーフに鯉のぼりの他にグラスファイバー製のサンドラダーを4枚付けて走ってました。サンドラダーを室内に入れるとスペースが無くなり、使った後は砂だらけになるので、ルーフに取り付けると走行風や振動でセルフクリーニングにもなりグッドアイデアでした。

1990年〔第12回大会、パリ・トリポリ・ダカール〕の車検に行ったら、規則が変更になり、ルーフには一切何も付けてはいけないと車検員から言われ、しぶしぶサンドラダーを室内に入れて、鯉のぼりも外す用意をしていたら、「それはスガワラの象徴だから特別に許す」と言われ、びっくしました。もし、これが日本だったら規則だからと言われ外されるでしょう。フランス人のあいまいさに感謝です。規則にはあいまいな部分が必ずついており、その判断を係員に任せているのも凄いと感じました。

それ以来、プロト以外の車両は生産されたシルエットを守り、何も付けてはいけなく、私だけが許される事になりました。ある年、SS中に広い場所で4輪が数十台止まってました。行く方向が判らないようです。

早速、車から降りてバイクの轍を調べました。バイクの轍を良く見ると進んでいる方向が判ります。たどって見ると近くの森の中に入ってました。

他の参加者にばれないように、自分だけその森に侵入し、ルートを見つけてキャンプに帰ってきたら、フランス人のボカンデさん〔篠塚さんの最初のナビをした人です〕が私の所にお礼に来たのです。

「スガワラありがとう、君のコイノボリが森の入り口の木に引っかかってたので、ルートが見つけられたが時間が無かったので拾って来れたかったのでゴメン」と言ってました。

屋根を見たらコイノボリが付いてませんでした。

高知県高岡郡四万十町では毎年500匹のコイノボリの川渡しが行われます。ちょうどTBIの時期です。川渡しの発祥の地でもあり、今年も見れるか楽しみです。

今回のダカール2009では思った以上にカミオンクラスのテレビ放映があり、コイノボリのメーカーからお祝いに色々と商品を送って頂きました。TシャツもあるのでTBIに着ていきますね。


著者紹介 菅原義正氏

No.004 昨年、雑誌「プレジデント」に載りました。- 2009/02/19菅原さんからの手紙

letter_004_20090219-01人との出会いがとても大切だと思っております。彼のアイデアで5月人形や皇太子ご夫妻をイメージした、雛人形も商品化しております。日本の文化がリアドロに反映している事が嬉しくて写真のお人形を衝動買いしてしまいました。

当時、フランスには徴兵制度があり、彼は軍に所属したのですが、フランスの有名な宝石店「メラリオ」のお店を日本に展開する使命を受けて、たった一人で来日したのです。当時、フランス語と英語しか話せないのに、北海道から九州まで5店舗をつくりました。もちろん給料は軍からの支払いです。彼は戦いが嫌いなので、その道を選んだのですがそのような選択肢がある、フランス軍には驚かされました。

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人間邂逅
ジェローム・シュシャン(リヤドロジャパン社長)
菅原義正(ラリードライバー、日野・チームスガワラ代表)

「ヒッチハイク」

もう25年は経つでしょうか。菅原義正さんと出会ったのは、私がフランスから初めて日本に降り立った日の翌朝、東名高速の入り口でのこと。当時まだ貧乏学生だった私と友人は、ヒッチハイクで旅することにしていました。北陸でお寺修行を体験しようと、「福井」と書いた紙を手に高速道路の入り口に立っていたのです。そこへ現れたのが、キャンピングカーを牽いた菅原さん。御殿場までなら乗っけてやると、いきつけの温泉に案内してくれたり、すき焼きをご馳走してくれました。

その後、北陸を回って東京に戻ってきましたが、帰国の前日は自宅に泊めてくれました。それから数年、社会人になった私が日本に赴任してくると、今度は家が見つかるまでの1、2ヶ月間、合鍵を渡して居候させてくれました。

初めに会ったのが菅原さんだったからこそ、私は日本を好きになったのです。

菅原さんはとことん現場にこだわり抜く人。私はどちらかというと頭の中でいろいろとアイデアを巡らすのが仕事。世代も仕事のやり方もまったく違う二人ですが、唯一共通するのが「チャレンジし続ける心」です。菅原さんはラリーで前人未到の記録を更新し続けていますし、私は日本独自の文化を世界に発信すべく、スペイン本社への提案を続けています。

来年、菅原さんがパリダカールラリー20大会連続完走の偉業を達成した暁には、お互いに家があるフランスでゆっくりお祝いしたいですね。(シュシャン)

PRESIDENT 2008.4.14より

PRESIDENT [HP] 


著者紹介 菅原義正氏

No.003 「ジオラマ」- 2009/02/13菅原さんからの手紙

letter_003_20090212-011991年のパリダカの時のことです。フランスの田舎町で行われたプロローグランでスタートを待っていたら日本人の旅行者が声をかけてきました。お話を聞くとパリダカのファンで、日本から見学に来たとの事です。

その年は日野さんが初めて挑戦の時で、弊社ではマネージメントをさせて頂き、私はパジェロでの出場でした。何年か後に、ある模型の雑誌を見ていたら「パリダカのジオラマ」が特集されており、その中のページにガストンさんがパンクをして修理しているシーンが再現されていました。作者の名前も出ていたので、編集部に電話を入れて住所を聞き、サハラの砂をお送りしましたら、その彼はなんとあの時のプロローグに来ていた人でした。その後、彼の友人のジオラマ作りのグループと知り合いになり、毎年我が家で壮行会や報告会と言っては飲み会が始まったのです。

山田さんが「ガストンライエ・ミーティング」を主催していた時にガストンさんが帰りに我が家に宿泊しており、彼が尋ねて来て、そのジオラマを直接プレゼントをしたのです。ガストンさんは大喜びでした。

今回、テレビ出演の依頼があり、何とかジオラマで表現できないかと彼に相談したら、すぐに東急ハンズへ行き、材料を買って家まで飛んで来てくれました。明日の朝7時にはスタジオ入りなので、訳を話したら彼は自宅のアトリエに戻り、徹夜で作り朝の6時に届けてくれました。一回の短い打ち合わせで忠実に作ってくれ、驚きましたし、視聴者の皆さんからも、あれは分かりやすかったとお褒めの言葉を頂きました。

ありがたいことです。

「DAKAR 2009 と Rally MONGOLIA」

letter_003_20090212-02DAKAR 2009は舞台をアフリカ大陸から南アメリカの大地に移して開催されましたが、走り終わっての感想は山田さんが主催しているモンゴル・ラリーの方が1000倍楽しいと感じました。

自動車競争の発端は100年以上にもさかのぼります。その時代に行われていたのは今のラリーレイドそのものだったようです。その後、形を変えてサーキットが出来、ツーリングカーや、はてはF-1までに発展するのですが、テリー・サビーネが自動車競技の原点に戻したのだと思っています。

この競技は移動する楽しみ、現地の人との出会い、冒険やロマン、バイクや自動車でしか出来ない深い意味が込められていると思っています。現在サーキットで行われる一番長いレースはルマン・24時間ですが一周13,629kmを24時間で一番長く走った人が優勝を掴みます。スタート地点とゴール地点は同じ場所です。私はこの競技自体にロマンを感じません。〔ルマン24には何回か観戦に行き、マツダが優勝した年も現場に居ました〕

今回のDAKAR 2009 のコースはSSのスタートから有刺鉄線で囲まれた農道を走ります。ある日は狭いくねくねとした山道がスタートでゴールまで景色が変わりません。砂丘とあるのですが、アフリカのと違い、砂山で斜めにしかアプローチが取れないので、横転しているトラックが何台も出ていました。

私がスタックした第5ステージでは、時間内に着いたのは自動車30台位とカミオンが10台位だったそうです。照と私が通過した後で、第2チェクポイントでこの先は大変だからと参加者を迂回させたのです。翌日のステージは第2チェックポイントで終了、故障などで次のビークまでアシスタントルートで行く事も許されたのですが、そちらを選んだ選手は4輪は200時間、カミオンは100時間のペナルティが付きました。

ウエイポイントの設定にも無理がありました。照が言っています。「富士山の頂上のお鉢の真下に行けと言っているのと同じだ」と。

危ないだけで、景色を楽しむ暇はありませんし、ビバーク地は鉄道の操車場の跡で埃だらけで、整備は線路の上でやる日もありました。

それに比べて、モンゴル・ラリーのビバーク地の素晴らしさ、冒険とロマンたっぷりのコース設定、きめの細かいオーガナイズ、などなど、競技ですが楽しく過ごせます。

次回は体験ツアーも企画されているようで、こちらも魅力的です。

一段落してらモンゴルに向けての車両作りが楽しみです。競争相手の尾上さんは用意を始めています。マケナイゾー  


著者紹介 菅原義正氏

No.002 「ボゴタで」- 2009/02/05菅原さんからの手紙

letter_002_20090205-01「ボゴタで」

ボゴタ市内を走っていると、写真のようなバイクばかりなので、日本で言うバイク便が沢山活躍しているのだと思っていました。運転手さんに聞いてみると驚きです。手榴弾を投げつけるのはバイクに乗った人が多いので、レギュレーションでライダーは全員ナンバープレートと同じナンバーをチョッキとヘルメットに書き入れなければならないのだそうです。BMW1200GSもホンダの中国製コピーの125も同じです。これではBMWのサバンナスーツを着ても様になりませんね。バイクでファッションを楽しむのは難しいお国がらのようですね。しかも後ろに乗る人は家族に限定されており、同じようにチョッキとヘルメットが必要です。

現在は誘拐事件など減っているそうですが、タクシー〔1000ccのヒュンダイ製で大きさは日本の軽自動車と同じサイズ〕には絶対に乗らないように注意されました。理由はどこかに連れて行かれて身包み剥がされるそうで日本は逆ですね。稼動した日野の工場見学をしたのですが。門番は拳銃と、ショットガンで固めていました。それに比べ旧市街に行くと昼からオカマや売春婦が無防備〔オッパイを出していました〕の姿で、我われを誘ってくれています。

次回はSSERのイベントはコロンビアでやると参加者は500人位になりますよ。

「帰国してテレビの収録」

1月29日にJ-SPOTSの収録がありました。呼ばれている選手はトヨタ車体からは監督さんと三橋さん、日野側からは私と照仁とチーフメカの中村氏です。完走した人しか呼ばれないのが現状です。頑張った増岡さんや右京さんや青木さんのお話も聞きたい人も居るでしょうが〔私が一番聞きたいのかも知れません〕現実は甘くないのですね。司会は毎日放映して頂いた独特のお声を持つケリーさん。報道で同行されたトーチュウの田村さんもご一緒です。一昨年はJ-SPORTSのスタジオでの収録で、背景はバーチャルでしたが、今回は何と渋谷近くのアルゼンチン・レストランを借り切っての収録です。バックにはアルゼンチンとチリの国旗も用意されていました。

カメラは3台もあります。料理はアルゼンチン料理で、現地での印象は不味かったので、チョットと思い頂きながらの収録が続きました。食べて見ると、何と美味しいではないですか?「地球の歩き方」のアルゼンチン編を持っていったので予習をしていたら、お肉が柔らかくて美味しいとの事でしたが、我々は安レストランしか行かないので、お肉の硬い事、全然話が違っていました。ラリーが終わってブエノスアイレスの高級レストランに日野さんの副社長にご馳走になりました。その時、私が注文したのはイカスミのスパゲッティです。あまりにも美味しくて一皿全部食べて、3時間後にはアルゼンチン・タンゴの有名なお店にご招待されていたのですが、何と不幸な事に自分のホテルに帰ったらトイレから出られなくなり、折角のご招待をお断りする羽目になってしまいました。

今回、収録したレストランのコックさんのお一人に「とても美味しかったよ」とお話したら彼はコロンビアのカリの出身だそうです。今回、初めてコロンビアを訪れて、首都はボゴタ、太平洋に近い街がカリだと知っていたので、色々と話が通じました。世界は広いので行ってなかったらカリと急に言われても想像もつかなかったと思います。

今回の旅で訪れた国の合計は60ケ国になりました。

このあとの放送予定
2月07日 J-SPORTSでの生番組に出演します。
2月08日 BS-i 21:00−22:00ダカールラリーの放映
2月11日 TV東京12:00−13:00 ダカールラリー
2月11日 J-SPORTS ESPN 21:00−22:30 総集編  


著者紹介 菅原義正氏

No.001 「再会」- 2009/01/29 菅原さんの手紙

letter_001_20090128-01ラリーのゴールのブエノスアイレスまで日野の副社長さんが飛んできてくれました。その副社長は課長時代に日野創立50周年記念としてパリダカ参戦を決めたメンバーのおひとりです。

ここまで来る間には、色々と問題が起こりますが、困った時には必ず出てきて助けて頂いている、我々にとってはとても大切な方です。

専務時代には札幌日野の役員も兼任しておられ、私が小樽生まれなものですから「いつかは一緒に(北海道に)行こうね」と約束していました。しかしそれも中々実現できないままでした。

2年ほど前に、食事をご一緒している時のことです。「コロンビアで工場を立ち上げる準備でボコダに行ったら、1991年〔日野さんが最初にパリダカに参戦した年〕に出場したミスレンジャーを大切に保管している日野の販売会社の社長がおり、古い車のコレクターで全部自分で整備をして実働する車両を沢山持っているので、機会があったら一緒に行こう。」と誘われていたのですが、なにせ札幌にもご一緒してないのに地球の裏側までは、とても難しいなと思っておりました。

ブエノスアイレスでの食事中に突然、副社長がここまで来たのだから、以前約束したボゴダへ、これから案内すると言い出したのです。私の航空券は安チケットでブエノスアイレスからアトランタ経由で成田行きです。副社長は同行していた本社の中南米営業の方に「すぐに菅原さんのチケットを新たに取るように」とお話になり、急にコロンビア行きが決まったのでした。

副社長と同じ便が取れなかったので、一人でリマ経由でボゴタに向かったのですが困ったことにイミグレの書類はスペイン語。リマでは航空会社が変わるのでバゲージがボゴダに着くようにお願いしたのですが、着いてみると私のバゲージは最後まで出てきません。ボゴダの日野の工場の住所を聞くのを忘れていており、こちらも心配です。

まずは一つづつ解決すべく、荷物の担当の部屋に行ったら、手違いでリマにあるとの事、明日には空港に来るので、引き取りに来るようにと言ってるようでした。インフォメーションに行って日野の住所を調べてタクシーで行こうと、表に出たら副社長が手配で、現地の日野の社長みずからお迎えが来ており、一安心。

そうこうしているうちに2時間、副社長の便が到着する時間になり、連れ立って現地のディラーへ向かうことになりました。

乗った車は完全防弾仕様のランクルです。ガラスは厚さが5センチもあり開閉が出来ません。バッテリーも厚い鉄板で覆われ、床、ドアーも改造して350キロ重くなっているのでサスも強化されています。標高も2500mなので特別にスーパーチャジャー付きです。

訪れた販社は公園のようなところです。日野の車両やダイハツ、トヨタ車が展示され、ど真ん中にはミスレンジャーがありました。折角だから私に運転させるので街を一周しようと言う事になり、約20年ぶりに運転しました。写真のように古くなったステッカーは作り直し現地のナンバーもゼッケンと同じです。この会社のおじいちゃんは1916年にフォード社から販売許可をもらってそうです。T型のセダンが625USドルと書いていましたよ。

写真:菅原さんはコロンビアで20年前のラリーカミオンに再会。


著者紹介 菅原義正氏

著者紹介-菅原義正

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菅原 義正 SUGAWARA Yoshimasa [経歴]

パリダカ世界最多連続出場33回の記録を持ち(2016年1月現在)2016年3月に今まで持っていたギネスワールドレコード社の記録を更新しました。1983年に2輪で初参戦以来、4輪(7回)での経験を経て1992年より、日野自動車のトラックで参戦、トラック部門の総合準優勝6回、10.000cc以下クラスのクラス優勝7回。 1989年から2009年まで20年連続完走をしており、この記録もパリダカ史上最多でギネス社からも認定されている。

[菅原義正氏 経歴]

[外部リンク]

日本レーシングマネージメント(株) 取締役会長 http://www.j-r-m.co.jp
日野チームスガワラ http://www.teamsugawara.jp

 

菅原さんからの手紙