No.002 「ボゴタで」- 2009/02/05菅原さんからの手紙

letter_002_20090205-01「ボゴタで」

ボゴタ市内を走っていると、写真のようなバイクばかりなので、日本で言うバイク便が沢山活躍しているのだと思っていました。運転手さんに聞いてみると驚きです。手榴弾を投げつけるのはバイクに乗った人が多いので、レギュレーションでライダーは全員ナンバープレートと同じナンバーをチョッキとヘルメットに書き入れなければならないのだそうです。BMW1200GSもホンダの中国製コピーの125も同じです。これではBMWのサバンナスーツを着ても様になりませんね。バイクでファッションを楽しむのは難しいお国がらのようですね。しかも後ろに乗る人は家族に限定されており、同じようにチョッキとヘルメットが必要です。

現在は誘拐事件など減っているそうですが、タクシー〔1000ccのヒュンダイ製で大きさは日本の軽自動車と同じサイズ〕には絶対に乗らないように注意されました。理由はどこかに連れて行かれて身包み剥がされるそうで日本は逆ですね。稼動した日野の工場見学をしたのですが。門番は拳銃と、ショットガンで固めていました。それに比べ旧市街に行くと昼からオカマや売春婦が無防備〔オッパイを出していました〕の姿で、我われを誘ってくれています。

次回はSSERのイベントはコロンビアでやると参加者は500人位になりますよ。

「帰国してテレビの収録」

1月29日にJ-SPOTSの収録がありました。呼ばれている選手はトヨタ車体からは監督さんと三橋さん、日野側からは私と照仁とチーフメカの中村氏です。完走した人しか呼ばれないのが現状です。頑張った増岡さんや右京さんや青木さんのお話も聞きたい人も居るでしょうが〔私が一番聞きたいのかも知れません〕現実は甘くないのですね。司会は毎日放映して頂いた独特のお声を持つケリーさん。報道で同行されたトーチュウの田村さんもご一緒です。一昨年はJ-SPORTSのスタジオでの収録で、背景はバーチャルでしたが、今回は何と渋谷近くのアルゼンチン・レストランを借り切っての収録です。バックにはアルゼンチンとチリの国旗も用意されていました。

カメラは3台もあります。料理はアルゼンチン料理で、現地での印象は不味かったので、チョットと思い頂きながらの収録が続きました。食べて見ると、何と美味しいではないですか?「地球の歩き方」のアルゼンチン編を持っていったので予習をしていたら、お肉が柔らかくて美味しいとの事でしたが、我々は安レストランしか行かないので、お肉の硬い事、全然話が違っていました。ラリーが終わってブエノスアイレスの高級レストランに日野さんの副社長にご馳走になりました。その時、私が注文したのはイカスミのスパゲッティです。あまりにも美味しくて一皿全部食べて、3時間後にはアルゼンチン・タンゴの有名なお店にご招待されていたのですが、何と不幸な事に自分のホテルに帰ったらトイレから出られなくなり、折角のご招待をお断りする羽目になってしまいました。

今回、収録したレストランのコックさんのお一人に「とても美味しかったよ」とお話したら彼はコロンビアのカリの出身だそうです。今回、初めてコロンビアを訪れて、首都はボゴタ、太平洋に近い街がカリだと知っていたので、色々と話が通じました。世界は広いので行ってなかったらカリと急に言われても想像もつかなかったと思います。

今回の旅で訪れた国の合計は60ケ国になりました。

このあとの放送予定
2月07日 J-SPORTSでの生番組に出演します。
2月08日 BS-i 21:00−22:00ダカールラリーの放映
2月11日 TV東京12:00−13:00 ダカールラリー
2月11日 J-SPORTS ESPN 21:00−22:30 総集編  


著者紹介 菅原義正氏

No.001 「再会」- 2009/01/29 菅原さんの手紙

letter_001_20090128-01ラリーのゴールのブエノスアイレスまで日野の副社長さんが飛んできてくれました。その副社長は課長時代に日野創立50周年記念としてパリダカ参戦を決めたメンバーのおひとりです。

ここまで来る間には、色々と問題が起こりますが、困った時には必ず出てきて助けて頂いている、我々にとってはとても大切な方です。

専務時代には札幌日野の役員も兼任しておられ、私が小樽生まれなものですから「いつかは一緒に(北海道に)行こうね」と約束していました。しかしそれも中々実現できないままでした。

2年ほど前に、食事をご一緒している時のことです。「コロンビアで工場を立ち上げる準備でボコダに行ったら、1991年〔日野さんが最初にパリダカに参戦した年〕に出場したミスレンジャーを大切に保管している日野の販売会社の社長がおり、古い車のコレクターで全部自分で整備をして実働する車両を沢山持っているので、機会があったら一緒に行こう。」と誘われていたのですが、なにせ札幌にもご一緒してないのに地球の裏側までは、とても難しいなと思っておりました。

ブエノスアイレスでの食事中に突然、副社長がここまで来たのだから、以前約束したボゴダへ、これから案内すると言い出したのです。私の航空券は安チケットでブエノスアイレスからアトランタ経由で成田行きです。副社長は同行していた本社の中南米営業の方に「すぐに菅原さんのチケットを新たに取るように」とお話になり、急にコロンビア行きが決まったのでした。

副社長と同じ便が取れなかったので、一人でリマ経由でボゴタに向かったのですが困ったことにイミグレの書類はスペイン語。リマでは航空会社が変わるのでバゲージがボゴダに着くようにお願いしたのですが、着いてみると私のバゲージは最後まで出てきません。ボゴダの日野の工場の住所を聞くのを忘れていており、こちらも心配です。

まずは一つづつ解決すべく、荷物の担当の部屋に行ったら、手違いでリマにあるとの事、明日には空港に来るので、引き取りに来るようにと言ってるようでした。インフォメーションに行って日野の住所を調べてタクシーで行こうと、表に出たら副社長が手配で、現地の日野の社長みずからお迎えが来ており、一安心。

そうこうしているうちに2時間、副社長の便が到着する時間になり、連れ立って現地のディラーへ向かうことになりました。

乗った車は完全防弾仕様のランクルです。ガラスは厚さが5センチもあり開閉が出来ません。バッテリーも厚い鉄板で覆われ、床、ドアーも改造して350キロ重くなっているのでサスも強化されています。標高も2500mなので特別にスーパーチャジャー付きです。

訪れた販社は公園のようなところです。日野の車両やダイハツ、トヨタ車が展示され、ど真ん中にはミスレンジャーがありました。折角だから私に運転させるので街を一周しようと言う事になり、約20年ぶりに運転しました。写真のように古くなったステッカーは作り直し現地のナンバーもゼッケンと同じです。この会社のおじいちゃんは1916年にフォード社から販売許可をもらってそうです。T型のセダンが625USドルと書いていましたよ。

写真:菅原さんはコロンビアで20年前のラリーカミオンに再会。


著者紹介 菅原義正氏

著者紹介-菅原義正

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菅原 義正 SUGAWARA Yoshimasa [経歴]

パリダカ世界最多連続出場33回の記録を持ち(2016年1月現在)2016年3月に今まで持っていたギネスワールドレコード社の記録を更新しました。1983年に2輪で初参戦以来、4輪(7回)での経験を経て1992年より、日野自動車のトラックで参戦、トラック部門の総合準優勝6回、10.000cc以下クラスのクラス優勝7回。 1989年から2009年まで20年連続完走をしており、この記録もパリダカ史上最多でギネス社からも認定されている。

[菅原義正氏 経歴]

[外部リンク]

日本レーシングマネージメント(株) 取締役会長 http://www.j-r-m.co.jp
日野チームスガワラ http://www.teamsugawara.jp

 

菅原さんからの手紙